6年生社会プリント№07 どくさい (名前) た い か 6.独裁 者を倒せ!∼大化 の改新 (1)大化の改新 □622年 な そ が の う ま こ すい こ 聖徳太子が亡 くなり、つづいて蘇我 馬子 、推 古 天皇がなくな え み し ると、馬子の息子の蘇我蝦夷 、孫の(1) が、独裁政治 をはじめた。 ・聖徳太子の息子が天皇にならないように、自殺においこんだ。 ごうぞく ・皇室や他の豪族 たちは、このままでは、独裁者によって、せっかくで きた国がこわされてしまうと考えた。 □645年 (2) が(3) たちとともに、 せんげん 蘇我氏を滅ぼし、政治改革を宣言 した。 こうとく ・彼らは、新たに立った孝徳 天皇を中心に、隋に留学していた学者や僧 という。 と協力して改革を行った。この改革を、(4) ? ? ○ ? 独裁者をやっつけたあとは、どんな政治にする必要があるだろうか? ○ (2)政治改革の中身 ①独立国のあかしとして、 (5) を使うことにした。 りつりょう ②隋、唐にならって、法律( 律 令 )をつくり、それにもとづいた政治を行 うことにした。 は け ん ③国全体を、国(いまの県)−郡−里に区分して、都から役人を派遣 して、 政治が平等に全体にいきわたるようにした((6) ) Copyright © 2004 by Tatsuya Akano All rights reserved. ・土地や国民は、全て(7) のものとした。 が国民にかしあたえられ、国 ④年れいや性別におうじて、(8) 民の生活のきそを保しょうした。 ⑤(9) じ っ し のしくみをきっちりと整え、実施 した。 こ せ き ⑥戸籍 をつくって、それをもとに、土地を分け、税をとった。 て ん じ □この方針にもとづいて、天智 天皇となった(2) (3) や、 の子孫である藤原氏が、政治の中心にあった。 て ん む □天智天皇の弟、天武 天皇は、国の歴史を記録した『古事記』、『日本書 紀』を作らせるなど、この時代に、国としてのかたちが整っていった。 ・また、日本で一番古い歌集である(10)『 』も誕生し、 じゅうじつ 文化のうえでも 充 実 していった。 (3)奈良に都を移す □710年 げんめい 元明 天皇(女性)が都を奈良にうつす。 ・この都を(11) と呼ぶ。 ? ? ○ ? 奈良に都うつしたのはなぜだろうか? ○ /まとめ ◎聖徳太子の死後、独裁政治を行った(12) は、政治改革を 目指す勢力にたおされた。 ◎政治改革は、新たな法律にもとづいて、国民の生活のきそを保しょうした。 (13) の制度なども、隋や唐をまねて整えられ、国づくりはすこ しずつすすんでいった。 Copyright © 2004 by Tatsuya Akano All rights reserved.
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