6年 学研教育情報資料センター 社会 学習相談 小/社会/6年/日本の歴史/ 平安時代/理解シート 藤原氏は、どうやって勢力を強くしたの てんのう がいせき 天皇の 天皇の外戚、高級役人になるとともに、じゃまな 外戚、高級役人になるとともに、じゃまな 人をたおしていったんだよ。 ●娘を利用して、天皇の外戚となった かまたり ふ ひ と 藤原氏が勢力を強めたのは、鎌足の子不比等からです。彼は、天皇や皇太子のき こうみょうこうごう しょうむてんのう こう さきに、自分の娘を送りこみました。 光明皇后 も、聖武天皇が皇太子のときに皇 た い し ひ 太子妃になった、不比等の娘です。このように藤原氏と天皇家を結びつけるうえで、 やくわり にょかん 大きな役割を果たしたのは、宮中の女官として勢力をふるっていた、不比等の後妻 あがたのいぬかいのたちばなのみちよ の 県犬養橘三千代 です。娘を利用して、天皇の外戚(母方の親類)となり、勢 力を強めるというやり方は、平安時代にも行われ、10世紀後半からは、天皇を助 せっしょう かんぱく ける 摂政 ・関白の地位を、藤原氏がひとりじめにしました。 りつりょうせいど き ぞ く ●律令制度にくわしい 律令制度にくわしい貴族として、高い官位についた 貴族として、高い官位についた たいほうりつりょう 不比等は、 大宝律令 をつくる事業の中心メンバーとなり、それが完成してから、 しょうしん ようろうりつりょう 官位の 昇進 が早まりました。その後は、養老律令 づくりも行いました。彼の死後、 む ち ま ろ な ん け ふささき き た け うまかい し き け 長男の武智麻呂(南家の祖)、次男の房前(北家の祖)、三男の宇合(式家の祖)、 ま ろ きょうけ ごうぞく 四男の麻呂(京家の祖)も、高い官位につきました。藤原氏は、古いタイプの豪族 から、律令制度にくわしい高級役人の貴族へと、いち早く変身したのです。 ●じゃまな人をたおしていった 藤原氏は、自分たちの地位をおびやかす人をたおしながら、勢力を強めていきま ながやおう てんむてんのう たちばなし おおともし さ え き し た じ ひ し した。長屋王(天武天皇の孫)らの皇族や、 橘氏 ・大伴氏・佐伯氏・多治比氏な どの名門の一族が、藤原氏によってたおされていきました。藤原氏でも、南家・式 ふゆつぐ 家・京家は、政治的な事件に関係しておとろえましたが、北家は冬嗣の代から、藤 原氏の本流となって栄えました。 無断複製:転載:翻訳を禁ず Gakken B026106070
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