十二 月(第五七五号) - 公益財団法人 新聞通信調査会

〈特別講演会〉
現代日本の病とジャーナリズムに思う
水 木 楊
目 次 (十二月号)
現代日本の病とジャーナリズムに思う
水木 楊…1
・・・・
『テレグラフ』紙、議会のタブーに挑戦 小林 恭子…
・・・・ 170社が参加して世界メディアサミット
山口 光… ・・・・
ボスニアの墓標街道を行く ・・・・
小林 幹夫… 会見開放と記者クラブ ・・・・・・・・・・
藤田 博司…
【プレスウオッチング】
【メディア談話室】
池田 龍夫…
・・・・・・・・・・・
18
【放送時評】
在京TV、全5社とも減収―9月中間期
言うとお感じになるかもしれないが、元ジャーナ
ってもいいぞということだった。生意気なことを
月に三回ぐらいの割合で書いている。過去に私が
の共同ブログで新聞案内人というエッセーを二カ
「あ ら た に す」と い う『朝 日』『読 売』『日 経』
も、例えば「国民への背信であろう」とか「謝罪
連発する。テレビのみならず新聞の社説において
人間ではなくてジャーナリズムの世界をだんだん
一本立ちしたが、十二年間たってみると、内側の
ズ ム と い う の は テ レ ビ も 入 る が、 極 め て 安 易 に
ムはごう慢になっている。この場合、ジャーナリ
結論を先に申し上げると、現代のジャーナリズ
の編集局のデスクに座っている人たちも国民だ。
傍らにいる住民も国民。もちろん新聞社や通信社
ントの中で暮らしている人も国民。沖縄の基地の
人間も国民、上野の森で青いビニールシートのテ
ろいろな国民があり、六本木ヒルズに住んでいる
で は 一 体、「国 民」っ て 誰 だ。国 民 に は 実 に い
の前にこうやって立っている私は、その辺の熊さ 「国民は」という言葉を使う。例えばテレビのキ
外側から見るようになってしまった。従って皆様
ャスターは「国民に説明をしなければならない」
そんな多種多様な人たちを国民という言葉でひと
いう言葉」という題のエッセーだ。
ん、八っさんみたいな視点でものを見ている面も
と か「国 民 に は 見 え て こ な い」と か、「国 民」を
私は十二年前に五十八歳で退社、物書きとして
リストの端くれだった人間が申すことということ
書評 「メディア激震=古賀純一郎」
①オンライン新聞に有料化の流れ ・・・・
広瀬 英彦… ②加速する米紙の販売不振 ・・・・・
金山 勉… ③波紋呼ぶ『中華新聞報』の廃刊 ・・・・・・
木原 正博… 調査会だより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【海外情報】
・・音
・・ 好宏…
20
「日米同盟」再構築の道
前田 耕一…
・・・・
22
15 12 8
28 25 24 11 7
すべき相手は国民ではないか」。
発 行 所
新聞通信調査会
電話 03(3593)1081
http://www.chosakai.gr.jp/
書いた中で最も反響が大きかったのは、「国民と
ごう慢さ目立つジャーナリズム
で遠慮なく話をさせていただく。
(作家・元日本経済新聞社論説主幹)
新聞はもっと自己主張を
やまい
12 - 2009
でご 容 赦 願 い た い 。
うタイトルで、ジャーナリズム批判をバンバンや
本日は「現代日本の病とジャーナリズム」とい
毎月一回一日発行
昭和40年 2 月20日
第三種郵便物認可
あろうかと思うが、そういうリクエストだったの
( 1 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
ういう国民の使い方は、あたかも自分が国民を代
くくりにして「国民は怒っているぞ」という、そ
の立場に立って考えるという作業を怠っているの
思う。ビシッと書くときには書くべきだが、相手
代のジャーナリズムはテレビも含めてごう慢だと
続いて『朝日』も『読売』も年金について自分の
の新聞としてはどう考えるという提案を出した。
今年の初め、『日本経済新聞』も年金について
を得ない時はある。直接取材ができないとか、オ
いう表現。どうしても「という」表現を使わざる
ずれ回復する。もっと問題なのは、社会のものの
なっているなんてことは大した問題ではない。い
今の日本の病はどこにあるか。経済がおかしく
力を持っていないこと。どうしても役人の情報と
新聞記者が決定的に弱いのは自社の情報と分析
始めていることだ。
表しているかのようなごう慢さがあるのではない
ではないか。「国民」という言葉をあたかも自分
社の提案、どういうふうに制度を改革したらいい
あおい
か。国民という言葉は一種の「葵の御紋」になっ
が国民を代表しているような錯覚の下に乱用して
かということを提案した。これは大いに評価をし
てい る わ け だ 。
いるのではないか。
ーソライズされたニュースソースのものの見方と
考え方であろうかと思う。これについての意見は
分析力に依存している。従って審議会のメンバー
もう一つは新聞記事に現れる「何々という」と
かとらえ方とかを、限られた時間の中で表現する
たくさんあるが、二つ申し上げる。
面、経済面、社会面に現れた「という」という記
先 ほ ど 申 し 上 げ た 三 紙 の 第 一 面、 政 治 面、 国 際
実は八月二十五日から三十一日までの一週間、
ちょっと気の利いたことで斜めに切ってみようと
が公論を立てることについて、かっこ悪いとか、
公 に 対 す る 認 識 が 薄 れ て い る。 ジ ャ ー ナ リ ズ ム
一 つ は 功 利 主 義 に 傾 い て い る の で は な い か。
対抗することのできるしっかりとした情報と調
い」というようなことを書くだけで、彼ら官僚に
た点は評価できる」「こういった点は評価できな
いう答申が出たりすると、専門記者は「こういっ
などになって、これは役人の隠れみのだが、そう
権力依存の情報収集
ていいだろう。
とき に は 「 と い う 」 も 必 要 だ 。
事の本数を全部調べてみた。私の極めて親しい友
かいう一種のシニシズムに陥っている。
が)こういうようなおかしなことをしたという」
ら始まって、自己主張するということから出発し
そもそも新聞の歴史は明治、大正の政論新聞か
さらに言うと、日本のジャーナリズムが非常に
おおやけ
人で会社の経営者だが、某紙に「(その人の会社
との記事を書かれて大変迷惑した。事実誤認だっ
ているわけだが、日本の新聞は「客観報道」とい
弱いところは法務知識が薄い。結構なことをいろ
査、分析したデータ、それに基づく分析結果とい
た。それでは、「という」という表現の記事は何
う言葉に隠れ、自分が何を考えているかというこ
いろ構想として出したとしても、それが法律的に
うものを示すことができない。
本ぐ ら い あ る の か な と 調 べ て み た 。
とをちゃんと主張することを怠っている。
事もあった。皆さんはどれぐらいだと感じるか分
に五回、「という」という言葉が使われている記
の中で、一週間で何本ぐらいあるか。一本の記事
ジャーナリズムから公論というものが消えたので
利主義に陥っていることがある。その反映として
人間というのは自分がかわいいのだよ」という功
その背景には日本の社会全体が「結局のところ
えていなければできない。さもなければ結局のと
を発揮するためには、自前のデータと分析力を備
新聞が本当に権力を是々非々でチェックする力
三紙の一面、政治面、国際面、経済面、社会面
からないが、私は非常に多いと思った。百五十七
はないか。そういう中で評価していいのではない
ころ、「お前さんのやっていることはおかしいよ」
実行可能かどうかということについてなかなか立
回あ っ た 。 一 週 間 の 新 聞 に 百 五 十 七 回 。
か と 思 っ て い る の は 「あ ら た に す」 に も 書 い た
というだけの、かつての社会党みたいなもので、
証できず、すぐ役人に負けてしまう。
ジャーナリズムのシニシズム
が、『読売新聞』が提案型の記事を最近、盛んに
こういったことにも表れているように、私は現
( 2 )
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平成21年12月 1 日 第575号
もう一つの病は画一性だ。現代社会は自由を謳
痛く も か ゆ く も な い 。
反対しているだけ。そんなものは役人も政治家も
しなことが起きるという認識だ。そんなことはか
と、人事の任期まで調べてくる。長くなるとおか
がそのポストに三年以上就いているのはおかしい
関の倉庫にある絵画の時価まで調べる。この人間
が、かつての銀行局の比どころじゃない。金融機
人共通の正解なんかない。一人ひとり正解が違う
とはない。世の中のいろんな事象、出来事には万
た子どもが優秀だと見なされる。そんなバカなこ
る。それをいち早く、よりたくさん引っ張り出し
大人が用意した正解が紙の後ろに存在してい
新聞記者もマニュアル頼り
歌しているように見えながら、目に見えない画一
つての銀行局はしなかった。今の金融庁の介入は
かもしれない。正解が欲しくて一人ひとりが努力
規制というのは当然のことながら画一性だ。姉
「知 ら ざ る を 知 る、 是 知 る な り」 と い う こ と を
待ち受ける規制強化
的な物差しにみんながどんどんはまっていってい
本当にすごい。ジョージ・オーウェルの世界(
『1
を繰り返した末に、ひょっとしたら正解はないか
なことを起こしたのだ、けしからんということで
歯事件以降、新しいものを作ろうということに対
知る。そういう作業はネグレクトされてしまう。
おう
る大変危険な状況にあるのではないか。何か事件
984年』
)じゃないかと思われるほどすごい。
たたく。当事者は頭を下げるが、役人は多分、内
する建築の規制はすごい。そろえなきゃならない
そういう教育を小学校、中学校、高校、大学と受
か
が起きる。新聞、テレビは一斉に、どうしてこん
心シメシメと思っているのではないか。その後に
書類の量はものすごく増えている。大げさにいう
けて入ってきた人間が社会に出ているから、今ま
学力テストで大阪は尻から三番目だったのが五番
は結構面白い知事だと私は思っていたが、「全国
都道府県別でもランキングする。大阪の橋下知事
試験をして平均点で学校ごとにランキングする。
時、四十三年ぶりに全国学力テストが復活した。
が頑張ったけれども、枠組み自体がなくなってし
という解答を見いだすということなら結構みんな
中で、どうやって経済成長をマキシマムにするか
とだ。米ソの対決の枠組みという決まった模型の
大事なことは今、日本全体が途方に暮れているこ
不況なんか問題じゃないと申し上げたが、最も
これ
必ずできるのは役所のチェック機能の強化だ。マ
人は、「トラック一台分でも足りない」というほ
でお目に掛かったことのない事態に直面すると途
か六番に上がって良かった」。バカなことをいう
まって一体どうしたらいいか分からないという時
昔を懐かしむつもりはないけれど、先輩が「こう
( 3 )
もしれない。
スコミと役人との間で目に見えない形の、一種共
ど大変な規制が網の目のごとく広がっている。
人だなと、あれでがっかりしたが、自分のところ
に、自分の頭で考えることを怠ってきた人間はみ
方に暮れる。
が下から数えて三番から六番に上がったら、どこ
新聞社の話でいうと、ジャーナリストになろう
んな途方に暮れる。
数を良くするために今中学校で何が起きている
と い う 人 間 で す ら、 記 者 ク ラ ブ に 配 置 さ れ る と
がるから。そんなことまで始まっている。
ということを知らせない。出て来たら平均点が下 「マニュアルないですか」
。ばかなことを言うな。
か。不登校の生徒を試験のとき呼ばない。試験だ
かが三番に下がったわけだ。この学力テストで点
画一性の一番典型的な例は教育だ。安倍政権の
同作業が行われているのではないかと思われるほ
ど、 規 制 が 強 ま っ て い る 。
例 え ば 金 融 庁 の 規 制。 皆 さ ん ご 承 知 だ と 思 う
熱弁を振るう水木楊氏
(第 3 種郵便物認可)
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平成21年12月 1 日 第575号
して」と言ったら、かえって逆のことをやったも
た存在意義は終わったということだ。
ラブの存在だ。それ抜きにして、私の話を終わら
せるわけにはいかない。
メリット、デメリット両方あると思う。デメリ
現代の画一性の最も大きな問題は教育にあっ
て、それがジャーナリズムにも反映している一つ
ッ ト を 先 に 申 し 上 げ る と、 ろ く な 取 材 も し な い
のだ 。
ロッキード事件で名をはせた堀田力さんは「青
として、良い人物論が消えてしまったこと。新し
つとむ
年の船」でいろんな国の青年を集めて航海してい
で、取材対象からもらう情報に依存して、それを
単に右から左へ情報を流すから「ポーター」だと
いポストに就いた人とか優勝したサッカー監督と
新聞記者にとって最も難しい記事は人物論だ。
言う人もいる。下手をするとポーター現象が起き
るが、その間シンポジウムをやる。みんなで一つ
全部けなしては取り上げる意味がない。評価しな
てしまう。
右から左へ記事にしている傾向が生じかねない。
る。全然意見を言わない。他の国の人たちは下手
ければならない。しかし、評価してばかりではゴ
もう一つはさっきの物差しと同じで、価値観が
か、人物紹介のコラムはあるが、いい人物論とい
な英語で「アイ シンク」とか言ってちゃんと主
張する。日本の青年たちは英語を話せないかとい
マすり記事になってしまう。戦後、『朝日新聞』
取材対象と同じになってしまう。スポークスマン
のテーマについてがんがん議論する。ところが日
ったら、飯のときはペラペラしゃべっている。終
の清水昆さんのマンガと人物論は非常に面白かっ
じゃあるまいか、というような原稿を書くように
こういう記者を「リポーター」とはいわなくて、
わったら堀田さんのところへ来て「先生、正解は
た。その後も幾つか人物論のいいコラムはあった
なってしまう。
うのが、ほとんどなくなってしまった。
何ですか」と聞かれてがっくりきた、と書いてお
け れ ど も、 結 局、 物 差 し が な く な っ た も の だ か
本の青年はその議論の間シーンとして黙ってい
られ る 。
聞き、そしてまた「どうして」に帰っていく。
てということを探り、時には本も読み先輩の話も
には「どうして」が実にたくさんあって、どうし
て」と思うことから始まる。われわれの身の回り
るかなということを認識しなければ間違った原稿
な、この人の言っていることはどれだけ重みがあ
で、この人が言っていることはうそかな、本当か
ことよりも人間を見分けることだ。当たり前の話
新聞記者の最も大事な資質は、いい文章を書く
によって、自分たちの知らせたいことが効率的に
ていくわけにはいかない。ここに窓口があること
知らせたいというとき一人ひとりのところへ持っ
持っていく。役所でもそうだ。これを世間に広く
いるときに、それを訴える場合、都庁のクラブへ
を考えればいい。市民団体がいろんな活動をして
メリットもある。これは無くなった場合のこと
その「どうして」の繰り返しの中で積み上げら
を書く羽目になりかねない。そういう意味におい
世の中に流れていく。そういう役割を担っている
ら、自分の物差しで人物を見る。
れた、それが知識だ。知識とは何か、別の言い方
て は い い 人 物 論 が 消 え た こ と の 中 に も、 新 聞 記
ことは紛れもない事実だ。
知 識 と い う の は 学 問 の「問」、素 朴 に「ど う し
をす る な ら 、 自 分 仕 様 の デ ー タ の こ と だ 。
者、ジャーナリストが自分自身の物差しを持とう
私は『東大法学部』という本を書いた。東大法
いる弊害が表れてきているのではないかと思う。
としないで、他人の物差しで仕事をしようとして
あるわけだから、先輩のやり方を若い記者が、自
記者クラブは新聞記事を書くという生産現場で
衰えた判断力
学部出身の友達がたくさんいて、何であんな変な
現役のころ、あんな記者になりたいなと思う記者
分の社だけではない他社の先輩からも学ぶ。私も
当然のことながら、ジャーナリズムを考える時
もたくさんいた。つまり先輩の記者から学ぶ生産
記者クラブ制度の是非
て東大法学部の役割は終わったということを書い
に避けては通れないテーマがある。それは記者ク
本を書いたのかと言われたが、こん身の力を込め
た。優秀なる官僚をたくさん送り出す役割を担っ
( 4 )
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平成21年12月 1 日 第575号
記者クラブというのは、日本独特のものだと批
現場でもあるというメリットも当然あると思う。
方は一面的ではないか。
味においては、日本だけが閉鎖的であるという見
そうだ。そんな簡単なものじゃない。そういう意
署名記事を増やす方向で、『読売新聞』などは部
日 新 聞』だ。今、『読 売 新 聞』も『朝 日 新 聞』も
この点で最初にやったのは『産経新聞』か『毎
判する外国のメディア、日本人の中にも閉鎖的で
長や編集委員の似顔絵入りでコラムを書かせてい
それとかなり関係することだが、もっと署名記
少ない署名記事
が無いとは言えないが、じゃあアメリカはそうい
事が増えるべきだと思う。文責を明らかにすると
署名記事の問題と同時にもう一つ大事なのは、
あると批判する人たちがいる。確かに閉鎖的な面
うことはないのか。そんなことはない。私は、ワ
いう意味においてもいいし、署名記事を増やすこ
新聞社百貨店現象と同じだが、新聞の将来は一体
る。面白いと思う
シントンにいたが、ホワイトハウスの記者クラブ
とによって、ああいう記者になりたいなと、若い
どうなるのかということだ。
質疑応答も活発に
は署名記事を増やすことによって、かなり解消さ
なってしまう、癒着する。そういったような問題
しまう、右から左に原稿を流すただのポーターに
記者クラブの取材対象と価値観が一緒になって
ろう。匿名性の中に隠れるのはいかがなものか。
なことはどれだけ優秀な報道陣、ジャーナリスト
経営にとって大事なことだろうが、究極的に大事
ディアで伝えるかということではない。もちろん
だろう。大事なことは、その情報をどのようなメ
いないが、仮になくなったとしても新聞社は残る
紙の新聞そのものは簡単になくなるとは思って
新聞の将来を左右する専門記者
には簡単には入れてくれない。国務省、国防省も
人たちがその新聞社に入ってくることにもなるだ
れてくるのではないか。
リスト自身がいろんなところへ移っていくという
付いてきたような事態のときには、そのジャーナ
の記者に目に見えない形のマーケットプライスが
る。ゆくゆくは署名記事が増えてきて、それぞれ
ものを売っているというか、売り場を提供してい
で、空間を生かして名店街でいろんなメーカーの
現象。百貨店は今、一種の不動産屋みたいなもの
た記者を自社に持ってくる、いわば新聞社百貨店
ツであり、そのコンテンツを取材し記事にする。
てくるだろう。しかし、最も大事なのはコンテン
他の形であろうが、いろんな変化がこれから起き
に電子メディアであろうが、紙であろうが、その
ねできるわけがない。それが伝えられるものが仮
づいて分析する力、そういうものは他の人間がま
それをきっちりと、それぞれの記者の物差しに基
だ。いろいろな情報をたくさん集める力と同時に
インターネットの時代になったとしてもそう
を抱えているかということ。
現象も起きてくるかもしれない。私自身もいろん
そういう人たちがどれだけたくさんいるかによっ
既に『産経新聞』はやっているが、他社の優れ
な新聞記者の署名記事を見ており、後ろの署名を
て、その会社の存在価値は決まってくるだろう。
そこで非常に大事なのは、狭い視野にとらわれ
見てから、じゃあ読もうと決めている記者も何人
かいる。
( 5 )
(第 3 種郵便物認可)
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平成21年12月 1 日 第575号
がジャーナリズムの世界においても、日本全体の
らば私は「多様性」だと思っている。多様性こそ
の、幾つかのキーワードの中の一つだけを選ぶな
ていったらいいだろうかということを考える時
最後に、これからの日本はどのような姿になっ
ズム に 陥 っ て い た と こ ろ が あ る 。
いなことを言いながら、実は一種のアマチュアリ
ルクル回していたが、ゼネラリストを育てるみた
だ。今までの新聞社の人事は三年置きぐらいにク
ないという条件を備えた上での専門記者の育成
で今日の電気がある。原子力にも早くから着目し
た。それほど悪口を言われた男だが、彼のおかげ
滝沢修が悪者、松永安左エ門に扮して劇までやっ
連の奥むめおさんを先頭に、しゃもじが立った。
気力料金を七割値上げした、七割だ。それで主婦
めには電力の再建が絶対必要だ、ということで電
を受けながら実行した。のみならず日本の再建た
体制を、与野党はもちろん新聞から何から猛反対
なった。今日こうして電気がついている。九電力
いうのは悪口だったが、いつの間にか褒め言葉に
左 エ 門 だ。「電 力 の 鬼」と 言 わ れ た。当 時、鬼 と
官僚化していて、異端を排除する。
とか何とかいって引きずり下ろす。世の中全体が
ると、
「あいつは変わっているね」
「癖があるね」
の網目が広がってちょっとでも変わったことをや
これをやっちゃいけない。目に見えない自己規制
きていないだろうか。あれをやっちゃいけない、
かもしれないが、テレビも一種の官僚化現象が起
大企業も新聞社も通信社もといったら怒られる
現象が起きていないのか、と問いたい。
てみろ」と言いたい。自分自身の会社では官僚化
わないようにしよう。異端を排除するときは必ず
異端を生かす社会に
ことにおいても必要なことではないか。異端者を
提 案 し た い の は 異 端 を 認 め る こ と。 あ す か ら
ていた。
この松永安左エ門を直接取材した『日本経済新 「あいつは変わっているね」という言葉を一切使
求められる多様性
許容する世界であってほしい。今の日本は異端者
聞』のOBに私は取材したことがある。彼にも女
ふん
に対する度量を失いつつある社会ではないか。
由党の大野伴睦と手を握り、権謀術数を用いなが
から東京に来るまでの駅の数だけいるんじゃない
OBが、「松永さん、あなたのお妾さんは小田原
という一言でふるいに掛けてしまうことはやめた
変わっているか、の方が大事だ。変わっているね
ことは、いいことなのかもしれない。どのように
。変わっているという
性がたくさんいた。小田原に住んでいたが、その 「あいつは変わっているね」
ら保守合同に導いていった。それが三木武吉だ。
ですか」と聞いた。「そんなにいねーよ。急行の
方がいいのではないか。もっともっと日本という
昭和三十年、保守合同を導いた謀将がいた。自
あのころは公開討論会があって、選挙のときこ
止まる駅ぐらいだよ」
たたちは選良として選ぶのか」と批判した。三木
は妾が三人もいる。そういう汚れた政治家をあな
の政敵が「あそこに座っている三木という政治家
とをクチャクチャたたき合って、重箱の隅をほじ
い。今の日本、一つの表れとして、つまらないこ
れ な い。 私 は 妾 を 持 て と 言 っ て い る わ け じ ゃ な
こういうようなことは今の日本では全く考えら
とがあったら足を引っ張る。そういうことはやめ
出しようじゃないか、と言いたい。つまらないこ
だったはずだ。けた外れ、型破りの男をもっと輩
もっといろんなことを自由にやるおおらかな国
っちに三木武吉がいて、反対側に政敵がいる。そ
武吉はすっくと立って答えた。「あそこに座って
くるようなことをやりながら異端を排除している
て、もっと堂々と公論を張り、個々の本質を見分
社会はおおらかな社会だったはずだ。
いる人は天下の大うそつきである。大うそつきを
のではないか。異端を許容する度量を失っている
めかけ
選良として選ぶのか。なぜなら私には妾が三人で
けて報道してほしいというのが私の希望である。
に行われた特別講演会の一部を要約した)
(本 稿 は、 東 銀 座 の 時 事 通 信 ホ ー ル で 十 月 十 四 日
のではないか。これは実はマスコミの責任が非常
と同時に官僚批判をするけれども、「振り返っ
にある。
はな く 四 人 い る 」
もう一つ、日本の財界人の中で戦中、戦後を通
して最も優れた人間だと思っている存在が松永安
( 6 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
オンライン新聞に有料化の流れ
紙媒体は存続の危機に
であれ「課金することができるオンラインモデル
考え直す必要がある」と強調し、どのような方式
ーナリズムを支えてきたビジネスモデルを過激に
にするだろう」と述べた。そして「これまでジャ
機関は、一年以内にオンラインのニュースを有料
対象にした講演で、「ほとんどすべてのニュース
ジタル部門で構成する「オンライン新聞発行者協
イムズ』などを含むイギリスの新聞二十八社のデ
フ・メディア・グループ」『フィナンシャル・タ
シエーテッド・ニューズペーパーズ」「テレグラ
インターナショナル」
「トリニティミラー」
「アソ
こうした経緯の後、マードックの「ニューズ・
新聞、雑誌、テレビの全分野にわたるデジタルメ
会」(AOP)の年次調査が〇九年十月の時点で、
続いてマードックは八月に、世界的高級紙『タ
ディアの発行企業の約 %が既に有料制を採用し
の確立に踏み出すことが必須」と指摘した。
では紙の上にインクで情報を印刷する既存の技術
イムズ』、イギリスの代表的大衆紙『サン』や最
インターネットの世界的普及とともに、新聞界
を離れ、インターネット上に割り当てられたサイ
で提供し、読者も広告主も急速に印刷新聞から離
布費用も不要というメリットを武器に情報を無料
ンライン新聞は紙もインクも、印刷コストも、配
登場し、既存の印刷新聞を侵食し始めた。このオ
トから電子的に情報を発信するオンライン新聞が
ィア業界を「ペイ・パー・ビュー」モデルに導い
化の流れを決定付けた。マードックはまた、メデ
度内に有料化すると決定し、オンライン新聞有料
ンライン新聞を、今年から来年にかけての会計年
ールド』のオンライン版など、傘下のすべてのオ
大発行部数の日曜新聞『ニューズ・オブ・ザ・ワ
に見える。
ィア界の主要な流れとして定着してしまったよう
こうしてオンラインメディアの有料化は、メデ
ている段階だと答えたにすぎなかった。
は、この調査への回答者は、
た。 広 告 の 激 減 が メ デ ィ ア を 襲 う 前 の 〇 七 年 に
ているか、採用を計画中であることを明らかにし
%が有料化を考え
れていった。既存新聞は収入を得るすべを失い、
ていくリスクに挑戦したいと述べ、「もしこれが
成功したなら、他のメディアもすぐに後を追って
存続 の 危 機 に 陥 る よ う な 事 態 と な っ た 。
ところが二〇〇九年に入ってから、既存新聞が
その上この調査は、現在進行中のオンライン新
始まった。イギリスでは最初の動きとして同年六
まった。フランスでは代表的高級紙『フィガロ』
イギリスのみならず他の国でも同様な動きが始
ワークシステムを形成しつつあることを明らかに
のソーシャルメディアと連動して、新たなネット
ツイッター、フェースブック、ユーチューブなど
聞の変容が単なる有料制への移行にとどまらず、
月、世界のメディア王、ルパート・マードック傘
が二〇一〇年までに、同紙のオンライン版『フィ
した。それによるとAOPのメンバーは、 %が
くるだろう」と予言した。
下の高級日曜新聞『サンデー・タイムズ』が、独
ガロ.fr』を有料化すると表明した。
速報などの情報をツイッターを経由して発信して
%がユ
(広瀬 英彦 =東洋大学名誉教授)
に、どこまで対応していくのであろうか。
新聞は果たして、限りないメディア環境の変化
ーチューブを利用しているという。
%がフェースブックを中継し、
る計画を表明し、オンライン新聞有料化の火付け
ミヒャエル・デプフナーが、モバイルのインター
さ ら に ド イ ツ で は、 同 国 最 大 の 新 聞 グ ル ー プ
自のオンライン版を創刊して、これを有料制とす
無料のオンライン新聞を有料に切り替える動きが
46
おり、
57
45
( 7 )
70
役 と な っ た 。 そ れ ま で 日 曜 新 聞 の オ ン ラ イ ン 版 「ア ク セ ル ・ シ ュ プ リ ン ガ ー」 の 最 高 経 営 責 任 者
は、パートナーの日刊新聞のオンライン版に取り
ネットシステムを利益を生む見込みの高いビジネ
有料化の波が広がっていく可能性を示唆した。
スモデルと評価、オンライン新聞の分野を超えて
込ま れ る の が 、 通 常 の 関 係 で あ っ た 。
その後『フィナンシャル・タイムズ』の編集長
ライオネル・バーバーが七月中旬、新聞関係者を
48
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
英下院議員の経費乱用が明るみに
『テレグラフ』紙、議会のタブーに挑戦
㍀まで請求可能だ。
別宅および本宅の区別は年間で宿泊日数の多い
方が通常は本宅となる。しかし、複数回、本宅・
別宅の区別を変更しても構わない。また仮に本宅
を別宅として申請すれば、別宅手当を本宅での経
ドラマ化されても不思議はないほど迫力ある一
費を負担するために使える。別宅手当は乱用しや
今年五月上旬、英高級紙『デーリー・テレグラ
連の報道は、昔ながらの新聞ジャーナリズムの復
『テ レ グ ラ フ』 報 道 に つ な が る 動 き と し て、 議
小 林 恭 子
(在英ジャーナリスト)
フ』が下院議員の経費超過請求にかかわるスクー
活を思わせた。「ネットはあくまでツールであっ
員経費の情報公開を求めてジャーナリストたちが
プ報道を開始した。「別宅手当」と呼ばれる制度
て、 最 後 は 独 自 の ジ ャ ー ナ リ ズ ム が 決 め 手 と な
立ち上がったのは、二〇〇四年だ。ロンドンに住
すい仕組みになっていたともいえる。
を悪用して、完済している住宅ローンの金利の支
る」──筆者にそんな思いを抱かせた。
影響に改めて注目した。
ム大賞の受賞が予想される同紙報道の経緯とその
本稿では今年、英国のさまざまなジャーナリズ
が、別宅手当の総額と使途の要約が取得できただ
が、 下 院 に 対 し 議 員 の 経 費 情 報 の 公 開 を 求 め た
む米国人ジャーナリストのヘザー・ブルック氏
情報公開に向けての戦い
払いを請求したり、経費を使って家を改修後売却
し、その売却益で私腹を肥やしたりしている実態
が明 る み に 出 た 。
税金を私利私欲に使う情けない議員の姿に国民
る可能性も出ている(十一月二十三日時点)。
明けには一部議員が窃盗・詐欺法違反で起訴され
任の意向を表明せざるを得なくなった。年内か年
した。報道開始から二週間後、下院議長までも辞
一面トップで経費問題を扱い、複数の閣僚が辞任
『サンデー・テレグラフ』と共に連続三十五日間、
住居が必要となる。別宅維持にかかる費用は手当
か、選挙区にある自宅とは別に「別宅」としての
は 議 会 開 会 中、 ロ ン ド ン 近 辺 の ホ テ ル に 泊 ま る
るロンドンから遠い場所を選挙区とする下院議員
手当」)であることにご留意願いたい。議会があ
は 主 に「別 宅 手 当」(通 称、正 式 に は「追 加 費 用
話を始める前に、ここで問題にする「経費」と
同年、高級日曜紙『サンデー・タイムズ』や夕
は費用がかかり過ぎる」として拒絶された。
経費情報の公開を要求したところ、「公開実行に
た。ブルック氏はこれを利用して下院議員全員の
開を国民が要求できる情報公開法が施行となっ
翌年、政府省庁や公的機関にかかわる情報の公
は入手できないことを知り、がくぜんとした。
国民に選ばれた議員にかかわる公的情報が簡単に
けだった。米国で調査報道にかかわった同氏は、
同紙による議員経費報道については、本誌九月
として支給され、住宅ローンの金利や賃貸料、地
刊紙『イブニング・スタンダード』の記者らも数
「別宅手当」とは
号の「電話盗聴疑惑、英新聞界を揺るがす~ガー
方 税、 家 具 代、 光 熱 費 ほ か 必 要 経 費 が 対 象 と な
人の議員の経費情報の公開を要求し、いずれも拒
は怒り、落胆した。『テレグラフ』紙は姉妹紙の
ディアンとニューズ社対決の構図」で短く紹介し
り、議員の申請で支払額が決まる。請求最大金額
No Expenses は年間約二万四千㍀(約三百五十万円)。領収書
なしで請求できる金額は昨年までは最大で二百五
報コミッショナー」の事務所に事情を訴え、コミ
たちは、情報公開を進めるために設置された「情
絶されていた。ブルック氏を含むジャーナリスト
た。そ の 後、『テ レ グ ラ フ』担 当 記 者 に よ る、報
道 の 経 緯 を つ づ っ た 著 作『
十㍀(現在は二十五㍀)で、食費も毎月最大四百
』(「ど ん な 経 費 も 逃 さ な い」 の 意 味) が
Spared
出版 さ れ 、 映 画 化 も 予 定 さ れ て い る 。
( 8 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
紆余曲折の後、今年一月には、すべての下院議
争い は 裁 判 ざ た に ま で 発 展 し た 。
ものの、下院側がこれを拒否、情報公開をめぐる
ンに派遣されるに当たり、安全度が高い装備を自
たと兵士たちは感じていた。今度はアフガニスタ
装備を与えなかったために無駄に兵士が亡くなっ
常、情報を買うことがないため、記者は情報取得
自体が大きいことに加え、『テレグラフ』では通
け取りを却下している。十一万㍀の支払いは金額
提供料の支払いを求められた後で、ディスクの受
験を持っていた。現地では、政府が十分な機材や 『タイムズ』がアプローチを受け、三万㍀の情報
なくとも表向きにはこうした慣習がない。現に、
員の経費を七月に公開することをブラウン首相が
前で購入するには低い給与では不可能で、アルバ
は不可能と思ったが、ウィリアム・ルイス編集長
兵士たちは〇三年のイラク戦争に派遣された経
確約した。三月ごろ、全議員の詳細な経費情報が
イトをして追加収入を稼がざるを得なかった。そ
を含め、経営陣も最終的に承諾した。
ッショナーは「情報公開すべきだ」と結論付けた
入ったディスクが何者かの手によって下院の外に
こで作業所で警備員として働くことになったのだ
ンサルタントから連絡を受け、英陸軍特殊空挺部
三月末、『テレグラフ』紙の政治記者がPRコ
秘密のディスク
クを 入 手 し た か ら だ っ た 。
が、作業にかかわった人物の中のある男性が、英
渡した人物の名前を著作は明らかにしていない
の姿が『 No Expenses Spared
』の 中 で 描 か れ て
いる。ディスクを作成し、これを元SAS隊員に
がら議員の経費乱用に怒りを募らせる作業員たち
兵士たちの悔しがりぶりや、黒塗り作業をしな
五月七日夜、ウェブサイト(紙媒体は八日付)
めた後で原稿を作った。
間を要したという。該当する議員のコメントを求
始した。原稿を書く前に情報の解読と確認に二時
と称して一室に集め、他の記者や家族にも他言し
め、『テレグラフ』紙では数人の記者を「研修」
う よ
流出し、大手媒体の買い手を求めているというう
った。
隊(SAS)の元隊員の男性がディスクを持って
兵の置かれている状況と議員の経費乱用ぶりに義
で「内閣の経費にかかわる真実」と題した第一報
四月末、ライバル紙に情報が漏れるのを防ぐた
わさが出るようになった。『テレグラフ』が経費
いることを知った。交渉の末、四月、たばこのケ
憤を感じ、元SAS隊員にディスクを渡したこと
を開始。翌日以降も、ブラウン首相をはじめとす
請求の実態を細かく報道できたのは、このディス
ースほどの大きさのディスクを受け取ってみる
になっている。
ないよう伝えて、膨大なディスク情報の分析を開
と、中には過去四年間にわたる全下院議員の経費
ディスクを『テレグラフ』に託した元SAS隊
要」 と さ れ る 経 費 (住 居 を 含 む) に 支 給 さ れ る
と暴露していった。別宅手当は「議員の活動に必
る閣僚や与野党議員の経費超過請求の実態を次々
員の条件は「一部の議員だけでなく、すべての議
が、あひるの家が建設された庭の維持代に一万二
「小切手ジャーナリズム」の是非
員を対象にして報道してほしい」「情報提供料と
千五百㍀を請求したり、夫婦とも議員の場合、同
請求にかかわる領収書やメモなど、膨大な量の書
して十一万㍀を支払ってほしい」だった。大衆紙
類が 保 管 さ れ て い た 。
ディスクはなぜ作成されたのだろうか? 先の
『 No Expenses Spared
』によれば、下院内では、
七月の経費情報公開に向けて議員の住所、その他
の定義を適宜変え、本宅を別宅とすることで別宅
ほかに超過請求の手口とは①「別宅」と「本宅」
押しとなった。
じ住宅を別宅として経費を二重請求したりするな
めたように(九月号の記事参照)、大衆紙が情報
の 個 人 情 報 や 外 に 出 せ な い 情 報 を 「 編 集 す る 」 『ニ ュ ー ズ ・ オ ブ ・ ザ ・ ワ ー ル ド』 の 元 編 集 長 が
数の人員がこの作業に配置され、作業室から秘密
提供者にお金を払う「小切手ジャーナリズム」行
ど、庶民の感覚では不当と感じる経費請求が目白
が漏れないよう、英軍兵士たちに入り口を警備さ
為は常習化しているようだ。しかし、高級紙は少
(黒 塗 り に す る) 作 業 が 行 わ れ て い た。 一 定 の 人 『ガ ー デ ィ ア ン』 に よ る 盗 聴 疑 惑 報 道 の 関 連 で 認
せて い た 。
( 9 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
る羽目になった。同紙の発行部数(通常は約九十
ディアは連日の『テレグラフ』の報道を後追いす
撮り、掲載もした。ディスクを持っていない他メ
作り、それまでの経緯と共に議員の反応を動画に
ウェブサイト上に経費問題に特化したページを
宅として届け出て手当収入を得る──など。
どを後で本宅に運ばせる⑥子どもが住む住宅を別
直前に改装を行う⑤別宅用として購入した家具な
ていても、ローン金利の支払いを請求する④退職
却し、売却益を得る③住宅ローンを支払い終わっ
手当を受け取る②別宅手当で住宅を改装した後売
ロンドン警視庁から捜査を行わないとする声明文
任宣言の日、報道には「公益性がある」として、
護団を手配した。しかし、マーティン下院議長辞
自宅や編集室で逮捕される可能性を考慮して、弁
常に心配していたという。同紙は記者やデスクが
逮捕あるいは禁固刑が科されるのではないかと非
た件で自分自身や記者が警察の取り調べを受け、
先 の『 No Expenses Spared
』 に よ る と、 ル イ
ス・テレグラフ編集長は当初、ディスクを入手し
十五人の議席が新たな議員を迎える見込みだ。
下院議員六百四十六人のほぼ半数に当たる三百二
しないと表明する政治家も多く出ている。現行の
一 般 国 民 の 間 で 高 く 評 価 さ れ た。 当 初 批 判 さ れ
『テレグラフ』の経費請求報道は英メディア界、
るのが現状だ。
なく、広く情報が開放されるかどうか、不安が残
果たして「秘密のディスク」を再度持ち出すこと
かの詳細はそのうち」公表すると書かれている。
は、「どこまでの情報をどのような形で公開する
経費情報すべてが公開されるかどうかに関して
た。しかし、IPSAのウェブサイトは「オープ
立議会基準局(IPSA)が管轄することになっ
後、経費の請求に関しては、新たに設立された独
た、情報をお金で買った点に関しては、「公益性
期待される調査報道
ンさと透明性が基本原則」であるとしながらも、
万 部) は 報 道 の 初 日 五 月 八 日 に は 八 万 七 千 部 増
が届いた。
黒塗りだらけの経費公開
え、 同 月 い っ ぱ い は 一 日 平 均 一 万 九 千 部 増 加 し
た。六月二十一日(土曜日)は、経費問題を特集
があった」としてその必要性を認める見方が大勢
『テ レ グ ラ フ』 に よ る 「問 題 経 費」 の 請 求 者 に
曜日 発 行 分 よ り 多 く 売 れ た 。
いた。『テレグラフ』紙はオリジナルの文書と下 『プレス・ガゼット』十一月号の中で、これを機
議員の住所などの身元情報が黒く塗りつぶされて
の経費情報を繰り上げ公開した。大部分の書類は
に「社内で長期的な調査ジャーナリズムに人材を
六月十八日、下院は七月に公表予定だった議員
はブラウン首相、ストロー司法相などの閣僚や、
院が公表した文書を並べて見せた。議員の別宅・
配置する土台ができた」と語っている。
した小冊子を付録に付け、約十五万部、通常の土
保守党、自由民主党など野党議員、無所属議員も
本宅の住所が塗りつぶされた場合、別宅手当の乱
となった。
含まれていた。報道に対し、多くの議員は「合法
用は国民の目に触れることはなかった。
での辞任を発表した。下院議長が辞任を強いられ
論の風当たりに耐えられず、五月十九日、六月末
きたマイケル・マーティン下院議長(当時)は世
する議員も続出した。手当の内訳の公開を拒んで
からの不信の高まりを察知し、経費の一部を返還
変えて利益を得ることや議員の家族を自分の事務
庭の手入れや清掃代を挙げ、別宅と本宅の定義を
に入らないものとして、別宅の住宅ローン金利、
ための提案書を出した。この中で、今後請求対象
準委員会は十一月上旬、議員手当制度を改革する
政治とお金にかかわる問題を吟味する公務員基
報道は続いている」と意気軒高に語っている。
影響は、総選挙の結果に出ると思う」「まだこの
チームの核となった二人の記者は「報道の本当の
せたいと願っているという。一方、同記事の報道
ス氏は『テレグラフ』紙にもそんな伝統を根付か
査ジャーナリズムの旗手として名声を得た。ルイ
眠薬サリドマイドの人体への悪影響を暴露し、調
一九七〇年代、『サンデー・タイムズ』紙は睡
ルイス・テレグラフ編集長はメディア業界雑誌
的に経費を申請している」と反論したが、選挙民
るの は 一 六 九 五 年 以 来 だ 。
所 で 雇 用 す る こ と を 禁 止 す る 提 案 を 行 っ た。 今
来年五月までに行われる次期総選挙には立候補
( 10 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
る。発行部数減少を決定付けたのは広告収入の大
は平日版が %、日曜版が
ー』『ダラス・モーニング・ニュース(DMN)
』
%レベルの落ち込み
幅な落ち込みだった。米新聞協会(NAA)によ
課金導入への流れまで生み出している。広告収入
ている。また、オンライン自社サイトの記事閲覧
格引き上げが行われ、これが売り上げを低迷させ
で推移。広告収入の減少を補うため新聞本体の価
減で五十万八千部へそれぞれ減少している。
十四万四千部、『ニューヨーク・ポスト』は
ーヨーク・デーリー・ニューズ』は %減って五
頭の百十万部から六十五万七千部へ、また『ニュ
ス・タイムズ』の平日版が
となっている。その他の大手紙では『ロサンゼル
米国でここ二十年続いてきた新聞発行部数の落
の減少は都市から離れたエリアに住む低所得購読
『SC』のマーク・アドキンス社長は、「昨年は
%減で二〇〇〇年初
ち込みは、ここのところ雪崩を打ったような急激
者 へ の 宅 配 見 直 し 検 討 に も 至 っ て い る。 す べ て
五千万㌦を失った。そこで宅配料金を一週間四㌦
数を減らして、損失幅を小さくしようとする傾向
き上げ、そして景気後退の影響で意図的に発行部
は、「新聞発行に経済性と効率性を求める中で編
新聞業界コンサルタントのアラン・ムッター氏
タホなど遠隔地への新聞輸送はローカル広告収入
値下げ戦略に戻らざるを得なかった。またレーク
も見 ら れ る 。
A B C 協 会(
the Audit Bureau of Circula- 記事数減少につながった。これが長年かけて新聞
発行部数を減らしてきた原因だ」とも指摘する。
インターネットサイトは新聞紙の発行減少分をカ
発行部数が減少しても無料で記事購読ができる
) の 調 査 結 果 に よ る と、 今 年 四 月 か ら 九 月 末
tion
までの六カ月の間、平日発行される新聞紙部数は
ルは一九四〇年以来、最低の水準となっており、
発行されていることになるが、この発行部数レベ
と、新聞業界全体では一日平均して四千四百部が
た と 見 込 ん で い る。 こ れ を 具 体 的 な 数 値 で 示 す
台減でとどまり、九十二万八千部である。全米の
け渡した。『NYT』は平日版7・3%と一ケタ
ル・ストリート・ジャーナル』(二百万部)に明
〇年代から守ってきた部数トップの座を『ウォー
二百三十万から百九十万へと減少。これにより九
はプレミアム付き商品のようなもの。世の中は発
ームズ・モロニー発行責任者は「今日、紙の新聞
千二百万へと大幅に増加した。『DMN』のジェ
聞サイトへの個別アクセス数は、〇九年に入り七
る調査によると、〇七年に一カ月六千万だった新
NAAが実施したニールセン・オンラインによ
バーすると同時に、広告も増加している。
新聞業界の健全性が危機的な水域に入っているこ
大規模紙の一つである『サンフランシスコ・クロ
前年同期比で ・6%、日曜版は7・5%減少し 『USAトゥデー』は
とを示している(『ニューヨーク・タイムズ(N
七千部)となり、今回の調査で最も減少幅が大き
(金山 勉 =立命館大学教授)
新聞を配達しない方針を打ち出している。
を示し、二年後には採算が取れない半径百㍄外へ
行部数増減に一喜一憂し過ぎ」と割り切った考え
減少は年1%程度。しかし、〇五年2%、〇七年
い。 こ の ほ か 『ニ ュ ー ア ー ク ・ ス タ ー ・ レ ジ ャ
、日曜版部数が %減(三十万
九〇年代から二〇〇〇年代初頭まで発行部数の (二十五万二千部)
25
3%、〇八年4%減と近年の落ち込みが顕著であ
23
・8%減
・ 1 % 落 ち 込 み、 部 数 も
全米トップの全国紙として君臨し続けてきた
る」と苦しい状況を打ち明ける。
も 見 込 め ず、 市 場 性 が な い た め 現 在 中 止 し て い
19
14
11
集局の人員が削減され、それが新聞に掲載できる
インターネットでのニュース閲覧、販売価格の引
%
な落ち込みを見せている。平日発行されている日
は、限られた収入の中で最大限の利益を上げよう
ると、〇八年は ・6%、今年は %減のペース
19
刊新聞紙の部数は、昨年比 %減になっており、
加速する米紙の販売不振 広告減、購読料値上げが直撃
22
七十五㌣から七㌦七十五㌣に引き上げたが、また
28
とした結果、発生しているとみられる。
16
ニクル(SC)』は平日版発行部数が
17
( 11 )
10
YT)』オンライン、二〇〇九年十月五日)。
10
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
山 口 光
(共同通信社経営企画室顧問)
170社が参加して世界メディアサミット
課金とニュース著作権で協調模索
ア太平洋のマルコポト社長、グーグル・チャイナ
のジョン劉副社長が共同議長として壇上に並び、
それぞれオンライン課金や検索サービスと新聞メ
ディアの関係、ニュース情報の著作権、情報の透
明性の確保などインターネット時代に直面してい
るメディアの課題についてスピーチした。
民大会堂で十月八日から十日まで開催されたこの
中国建国六十周年を祝賀したばかりの北京・人
を討 議 す る 新 た な 試 み だ っ た 。
メディア時代のニュース組織が直面している課題
メディアと新興メディアの首脳が一堂に会して多
ィアサミット」(WMS)は、メーンストリーム
中国国営の新華社通信が主宰した「北京世界メデ
最大手のグーグルなど九社が共同発起人となり、
共同通信社やニューズ・コーポレーション、検索
保障していく」と強調した。胡錦濤主席は共同発
力し、外国報道機関や記者の合法的権利・利益を
源・情報技術の交流強化を支持し情報の公開に努
ディアと外国メディアとのニュース伝達、人的資
動をすべきだ」とあいさつ、「中国政府が中国メ
るとともに社会的責任を持って正確で客観的な活
同の発展のために交流を深め、世界平和に貢献す
期にある時に、世界のメディアが協力を強化し共
グローバル化の中で、世界が大変革、大調整の時
開会式には胡錦濤中国主席も出席、「多極化、
オンラインコンテンツの不正無料使用を批判し、
いく必要性を指摘しながら、インターネットでの
デジタルで利用するエンドユーザーにも対応して
たのは、多メディア時代には通信社がニュースを
全体会議の基調スピーチの中で、最も注目され
経験の共有を促進すべきだ」と訴えた。
的な成長を後押しするために、メディアの交流、
スが重要だ。平和の発展、世界経済の健全・持続
平性、バランスを兼ね備えたニュース情報サービ
会 的 責 任 は 大 き い」と し、「正 確 性、客 観 性、公
護や公共の福祉のためにメディアが果たすべき社
新華社の李従軍社長は冒頭あいさつで「環境保
「世 界 メ デ ィ ア サ ミ ッ ト」 に は、 新 聞 や 通 信 社、
起人の九社首脳とも会見、記念撮影をするなど、
公正な利用料の支払いを求めていく決意を表明し
の共同宣言を採択した。
テレビなどの伝統的なメディアのほか、新興のイ
中国政府としても異例の歓迎ぶりだった。
世界メディア大手のAP通信、ロイター通信、
ンターネットメディアも含め、百七十社の代表が
たAP通信のカーリー最高経営責任者(CEO)
て議論した。最終日には「デジタル多メディア時
「メ デ ィ ア の 社 会 的 責 任」 な ど 八 つ の 議 題 に つ い
アの共存と発展」「金融危機とメディアの対応」
リューション」「伝統的なメディアと新興メディ
基調テーマに、「デジタル多メディアの挑戦とソ
BBCのサムブルック・グローバル・ニュース・
社長、ニューズ社のルパート・マードック会長、
シンジャー編集主幹、タス通信のイグナチェンコ
信の石川聰社長、ロイターのデービッド・シュレ
軍社長、AP通信のトム・カーリー社長、共同通
全体会議には共同議長として新華社通信の李従
ッターで発信したりする新たな何百万人のオーデ
ットワークでつながり、ブログを書いたり、ツイ
インコンテンツを双方向で活用し、ソーシャルネ
を利用するユーザーの行動が変化した。 アナロ
グとデジタルの世界を結ぶ橋の向こうではオンラ
カーリー社長は、「デジタル時代に、ニュース
ネット課金推進と不正防止を強調
代に世界のメディア業界が重大な変化と挑戦に直
ディレクター、CNNを傘下に置くターナー・ブ
ィエンスがいる。ニュースメディアはこのアナロ
参 加、「協 力、行 動、ウ ィ ン ・ ウ ィ ン、発 展」を
面している中で国際的なメディアの連携と協力の
ロードキャスティング・システム(TBS)アジ
兼社長の演説だった。
強化、情報や技術・人的交流の推進を求める」と
( 12 )
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メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
めた こ と を 明 ら か に し た 。
ュースブログに取り組み、ツイッターの活用も始
前に渡らなければならない」と強調し、APがニ
グからデジタルへの火の付いた橋を、燃え尽きる
開くものだ。
テンツ制作者への情報対価を改善することに道を
用を防止し、従来不当に低く評価されてきたコン
使ったかが分かる仕組みで、コンテンツの不正使
つ、誰が、どこで、そのコンテンツをネット上で
は許されない」とし、この問題に対処するため、
必要で、違法なコピーがネット上に流通すること
ンツのニュース価値を不正な利用から守ることが
著作権の権利保護について「オリジナルコンテ
を拡大し、開放政策をさらに推進するよう求めた。
その上でカーリー社長は「コンテンツ提供者は
伝統的なメディアとオンラインの新メディアが協
たことを反省。さらに「検索エンジンなどのコン
するニュースメディア側の取り組みが不十分だっ
遅過ぎた」とオンラインでの記事の不正利用に対
ニュースを使っていることへの対応があまりにも
ズムの役割は一層重要だ。共同通信社はあらゆる
発展しており、民主的な社会におけるジャーナリ
い、「インターネットによる双方向性がますます
ア の 役 割 と 可 能 性」 と 題 し て 基 調 ス ピ ー チ を 行
共同通信の石川社長は「新時代におけるメディ
も全体会議の演説で、「アグリゲーターや情報の
拡大を目指しているニューズ社のマードック会長
米メディア大手でグローバルなメディア事業の
中国はデジタル開放と知的所有権尊重を
共同社長はアクセス確保、著作権保護を訴え
テンツアグリゲーターや、ウィキペディア、フェ
メディア環境の変化に対応しながら、力強く信頼
盗用者は間もなくわれわれのコンテンツを使う対
今まで、第三者が許可もなしに無料でわれわれの
ースブック、ユーチューブなどのウェブサービス
できる編集活動を展開、インターネット時代の新
価を支払わざるを得なくなるだろう」とニュース
力してグローバルで包括的な解決策を見いだす必
がコンテンツを創造するわれわれからオーディエ
聞の情報発信力を強化する努力を続けている」と
ポータルなどのオンラインアグリゲーターを非
を鮮明にした。
難、インターネット情報の有料化を推進する姿勢
要があることを強調した。
ン ス を 奪 い、 収 入 の 機 会 を 奪 っ て き た」 と 批 判
強調した。
の守るべき重要なポイントとして、第一に「取材
さらにデジタル時代にあってもジャーナリズム
し、ニュースメディア側がオンラインコンテンツ
の有料化と公正な利用料の支払いを求める姿勢を
鮮明 に し た 。
が繁栄する能力がむしばまれることになる。中国
さらに「グローバル化の時代にデジタルのドア
石川社長は「公平で公正なニュース報道は情報
は自分の運命を決めるだろうが、もし、デジタル
源へのアクセスの確保」、第二に「コンテンツプ
みを切り離して支援することもなく利益だけを得
源へのアクセスが確保されなければ実現しない」
のドアが開けられなければ多くの機会が失われ、
さらには「われわれは公共の利益のために多く
るようなことを許すことはできない」と強調。A
と述べ、国際スポーツイベントで権利保有者が一
実現の可能性もなくなる」と述べ、中国政府に著
を開ける〝門戸開放〟の機会が中国に到来してい
P通信と加盟新聞社がニュースコンテンツの不正
方的に優遇され、一般ニュースメディアのスポー
作権や知的所有権の尊重、インターネット情報の
ロバイダーの著作権の保護」、第三に「ニュース
な利用をやめさせ、インターネット上での記事の
ツ取材が制限される現象が起きていることを批判
規制廃止を求めた。さらに「中国は発展途上国で
の人的資源と膨大な経済的コストをかけてニュー
無断使用を監視追跡する「ニュース・レジストリ
した。また中国政府が四川大地震や北京五輪など
ありながら、乗り気でない超大国でもある。やが
る。知的所有権の保護が不十分だと創造的な会社
ー」(APニュース登録システム)を開発したこ
で外国メディアの取材に開放政策を取り始めたこ
て世界第二の経済大国になることが約束されてい
消費者への迅速・確実なアクセス」を挙げた。
とを明らかにした。これはAPが配信するすべて
とを評価し、中国政府当局に取材源へのアクセス
スを集め取材報道に専念してきたが、こうした営
の コ ン テ ン ツ に 電 子 的 名 札 (タ グ) を 付 け、 い
( 13 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
国際 的 な 責 任 が あ る 」 と 強 調 し た 。
るのだから、グローバルパワーとしての中国には
てBBCがオンラインサービスを発展させること
となったとし、三億人の中国の英語学習者に対し
ニケーションのグローバル化で英語が重要な道具
などについても最新のデータを基に説明した。
聞の実証実験を加盟社とともに推進していること
ンライン情報発信を強化している現状や、電子新
グローバル化した二十一世紀の金融市場に中国市
ものは〝洞察力〟〝徹底した取材〟〝透明性〟だ。
主幹は「中国でも世界でもメディア報道が求める
ロイターのデービッド・シュレシンジャー編集
が、今や二十億人が毎日ネット検索をしており、
ん だ り、 図 書 館 に 行 っ た り し て 情 報 を 得 て い た
グーグルの劉副社長は「十年前までは朝刊を読
と多メディア化を推進していく姿勢を強調した。
を約束、BBCのグローバルニュースの質の強化
目される。最終日に採択された共同宣言も「世界
中国が前例のない積極的な姿勢を示したことが注
えていたが、このメディアサミット成功のために
メディア首脳と交流したことは前例がない」と伝
局常務委員の中国トップが開会式に出席、各国の
新華社は「胡錦濤主席や李長春共産党中央政治
ロイターは情報公開と透明性要求
場も組み込まれているが、中国政府機関の情報公
三億三千万の中国人がオンラインで中央電視台
のメディア組織が正確で、客観的で偏向のない、
中国の対外発信戦略
信頼できる国家統計が必要だ」と述べ、中国の金 (CCTV)の映像を見る時代だ。ネット利用者
開と透明性の推進と確保が重要であり、客観的な
%がオンラインの買い物を経験している」と
述べ、二〇一九年までの今後十年間にクラウドコ
性と説明責任を促進することを希望する」と明記
公正なニュースを提供し、政府や公的機関が透明
の
ンピューティングが普及、映像検索やリアルタイ
しており、全体会議で各主要メディア代表が行っ
融経済市場の発展のためには情報の公開を拡大す
また同氏がロイターの中国支局長をしていた九
ムの多言語翻訳が実現するだろうと述べ、情報メ
たスピーチには中国に取材源へのアクセス確保や
るこ と が 重 要 だ と 強 調 し た 。
〇年代初めには「国家要人とのインタビューもま
ディアと検索サービスの協力拡大の必要性を強調
ったが、新華社はそれらの全文を報道、『人民日
れで、政府情報の透明性がなく、統計も信用でき
分科会では筆者も「デジタル・多メディア時代
報』も石川共同社長のスピーチを全文紙面に掲載
透明性の確保などを求める辛口のコメントが多か
政府と市場の情報の透明性の確保を訴えるととも
の挑戦と機会」についての討議に参加し、共同通
した。
した。
に、「中国は外国人ジャーナリストの取材活動を
信と日本の新聞社がどのようにデジタルニュース
ず、中国経済はミステリーだった」と述べ、中国
保証し、開放性と透明性を確保し、説明責任を果
ビジネスの課題に取り組み、オンライン化に挑戦
中国が昨年の北京五輪の成功を背景に一〇年の
たす べ き だ 」 と 訴 え た 。
インターネット利用者が人口の %、三億四千万
洋部門社長、スティーブ・マルコポト氏は中国の
や、グローバル化、多メディア化の中で、あらゆ
に、編集局の組織構造改革に取り組んできた経緯
共同通信社が多メディア統合編集実現のため
Sを新旧メディアがデジタル時代に直面する課題
略的な狙いがあったといえる。新華社はこのWM
ィアの世界でも求心力を高めようとする中国の戦
首脳を北京に集めてWMSを開いたことにはメデ
上海万博もにらんで、世界の主要メディア組織の
人になり、世界のインターネット利用のトップに
るコンテンツを内外発信するために通信社記者の
を継続的に討議するプラットホームにしたいとの
し、協力しているかについて報告した。
立つ現状を紹介、中国が巨大なメディアの成長市
情報発信力を強化するために努力していることを
CNNの親会社タイム・ワーナーのアジア太平
場として国際的な協調の中で人的資源の提供を行
事務局が検討していくことになった。
希望を持っていたが、次回の開催者が決まらず、
トホームを通じて五十二の加盟新聞社とともにオ
( 14 )
85
紹介した。また NEWSのデジタル情報プラッ
うよ う 訴 え た 。
BBCのサムブルック氏は最近十年間のコミュ
47
25
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
小 林 幹 夫
(愛知学泉大学教授)
ボスニアの墓標街道を行く
経済危機のバルカン半島
た。九二年四月、セルビア人勢力はムスリム人勢
力が支配する首都のサラエボを包囲、攻撃した。
国連はセルビアに対し経済制裁を実施した。市民
と兵士二十万人以上が殺され、二百七十万人以上
が居住地を追われ難民となった。
解体したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は
引き取られた英国から戦後帰郷したガイドの青年
ビ ア、 ボ ス ニ ア ・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ、 モ ン テ ネ グ
六つの共和国はスロベニア、クロアチア、セル
七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの
晩夏の気配濃い高原の道をボスニア・ヘルツェ
は語っていた。川まで十㍍はあろうかという橋上
ロ、 マ ケ ド ニ ア で、 五 つ の 民 族 に は ス ロ ベ ニ ア
住民の多くがイスラムに改宗し、ムスリム人とな
ゴビナ第三の都市モスタルから国境に近いビハッ
から飛び込んでみせるから、カネを出せと若い男
人、 ク ロ ア チ ア 人、 セ ル ビ ア 人、 モ ン テ ネ グ ロ
この夏三十七年ぶりにバルカン半島を訪れた。
チまでバスで七時間余りかかった。途中、検問が
が言う。細道の両脇に並ぶ土産物屋はナチスを思
人、マケドニア人が含まれる。このほか、ボスニ
言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家
あり、一時間余り足止めされた。やむなくサラエ
わせる旧軍の鉄かぶと、制帽、勲章、軍刀を売っ
ア・ヘルツェゴビナ、セルビア南西部、モンテネ
った。そのころ建設された石橋は「内戦で破壊さ
ボに 近 い 高 原 ル ー ト へ 方 向 転 換 し た か ら だ 。
て い た。「モ ス タ ル ~ 町、橋、戦 争」と い う 題 名
グロ西部(サンジャク地方)に多いムスリム人、
か つ て 足 を 踏 み 入 れ た 「チ ト ー の ユ ー ゴ ス ラ ビ
針葉樹林の森と民家が点在する荒野。沿道に並
の実写DVD作品を上映販売していたので、橋の
セルビア南部コソボ自治州やマケドニア共和国西
といわれた。
ぶ 白 い 柱。 牧 場 の 柵 と 見 間 違 え た 大 小 の 白 い 柱
写真とともに買い求めた。正視するに忍びない戦
部に多いアルバニア人、セルビア北部ボイボディ
れ、五年前に再建された」と九歳で孤児となり、
は、ムスリム人(ボスニア人)の墓標であった。
闘場面も含まれていた。
ア」 は 六 つ の 国 に 分 裂 し て い た 。
白い柱が途切れた辺りにベッド式の西洋風墓石群
ボ(首都)とモスタルの戦火の激しさを、果てる
を連れて、暮れ果てる草地を歩いていた。サラエ
色の民家と新築農家が混在する。老人が数匹の羊
た。無告の民の墓標が続く。弾痕をとどめた黄土
が 所 々 あ り、 色 鮮 や か な 生 花 が 手 向 け ら れ て い
統領率いるユーゴスラビア政府(自称)の軍事援
セルビア人自治区をつくった。ミロシェビッチ大
した。ボスニアのセルビア人はこれに刺激され、
票によって決定、欧州共同体と米国が同月、承認
を恐れ、ユーゴスラビアからの独立宣言を国民投
ボスニアは一九九二年年三月、セルビアの支配
の地位を確立、八〇年に死去した。(チトーの晩
星国ではない独自の社会主義国家ユーゴスラビア
トーによって独立を達成した。チトーはソ連の衛
リアに支配され、戦後、パルチザン勢力指導者チ
ユーゴスラビアは第二次大戦中、ドイツ、イタ
ナ自治州に多いハンガリー人、また各地に散在す
こと な く 続 く 墓 標 が 物 語 っ て い た 。
助を受けて、カラジッチの指導の下にセルビア人
年)七〇年代前半、私は首都ベオグラードを新婚
一方、クロアチア人はクロアチア人共同体の独
化大革命が続く中国とは大違い。ホテルのレスト
旅行の地として訪れた。そこは、プロレタリア文
るロマ人(ジプシー)などがいる。
イスラムの町モスタル
共和国の設立を宣言した。
モスタルはサラエボに近いイスラム教徒の多く
住む町で、内戦前は八十近くあったモスクの尖塔
立 を 宣 言 し、 ヘ ル ツ ェ グ ・ ボ ス ナ 共 和 国 と 称 し
せんとう
は十余りに減った。オスマン・トルコ帝国時代に
( 15 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
ていた。優雅な社会主義であった。スナックバー
ランでは室内楽団が哀愁漂うスラブ音楽を演奏し
ルに興じていた。
思わせる造りだ。均整の取れた男女がビーチボー
の末、独立を獲得した。ボスニア・ヘルツェゴビ
ニア共和国が独立した。クロアチアは四年の内戦
と、ソ連、東欧を長く担当したジャーナリストに
争が起きた。九五年十二月、パリで紛争当事国首
二年から九五年までボスニア・ヘルツェゴビナ紛
理が多かった。
「チトー時代の空気が漂っていた」 スニアからの独立を目指して戦争を繰り返し、九
ナは九二年に独立したが、国内のセルビア人がボ
て、新妻連れの私を困惑させた。カネを節約する
帰国後漏らしたら、「私も最近、モスクワへ団体
脳によるボスニア和平協定が調印され、新国家の
海に面しているのに魚介類に乏しく、大味な料
ため 町 を ひ た す ら 歩 き 回 っ た 。
旅行で行った。団体旅行だから、そういう飯を食
枠組みが定められた。
では胸が大きく開いた金髪の女性がウインクし
今回の旅行はドブロブニク(クロアチア)など
わされるのだと思うよ」と、たしなめられた。日
ブラーツまで四十分。そこからバスでブレッド湖
ンに夕方到着。小型機に乗り換えてスロベニアの
オーストリア航空で成田から十二時間、ウィー
ブロブニクに来れ」と言っただけあって、透き通
ナード・ショーが「地上の楽園を求めるもの、ド
る)ドブロブニクの旧市街を歩いた。英作家バー
翌 日、「ア ド リ ア 海 の 真 珠」(と 地 元 で 称 さ れ
る幹部会議長が国家元首となった。
接選挙で選ばれ、三人が八カ月の輪番制で就任す
ア人)、セルビア人、クロアチア人の各代表が直
意思決定機関である幹部会はムスリム人(ボスニ
人共和国(スルプスカ共和国)」から成り、最高
「アドリア海の真珠」ドブロブニク
をめぐるバルカン半島周遊の団体旅行。総勢七十
程十日余りで三食付いて、あちこち見学して二十
のほとりのホテルへ。到着したのは深夜であった
った海にそそり立つ城壁の対比に目を見張った。
「ボ ス ニ ア ・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 連 邦」 と 「セ ル ビ ア
そ れ に よ る と、 ボ ス ニ ア ・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ は
人の参加者の中には千葉県で英語教師をしている
五万円。うまい飯と酒を望むのが無理だ。
が、翌朝、日の出前の湖を散策する老夫婦が多か
内戦で破壊された城壁、城内の教会などの建造物
は現在、ホテルとして利用されていた。昼食後、
光ポイント。昭和天皇も訪れた湖畔のチトー別荘
水の小島にあるバロック様式の聖マリア教会が観
青く輝いた。断がいにそそり立つブレッド城と湖
を掲げたミロシェビッチが大統領となり、アルバ
た。中心であるセルビア共和国は大セルビア主義
ーゴスラビアでは各国で民族主義者が政権を握っ
した。チトー死後、東欧民主化の流れの中で、ユ
クロアチアは九一年から九五年まで内戦を経験
人口の %を占める同国最大の民族集団である。
己申告に基づく民族構成によると、ボスニア人は
くなり、ボスニア人と言われるようになった。自
終結後、ムスリム人という民族概念が用いられな
の一つとして認められていた。ボスニアでは内戦
ア人)の子孫で、旧ユーゴスラビアでは主要民族
教に改宗した南スラブ人(クロアチア人、セルビ
ポストイナ鍾乳洞を見学、バスでクロアチアのオ
ニア系住民が多いコソボ社会主義自治州の併合を
十㌔のバス旅行。ザダルでローマ時代の遺跡や海
七 月 に 独 立 を 宣 言、 以 後 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア は 各 民
強行しようとし、コソボはこれに反発して九〇年
らイスラム教に改宗し、回族という少数民族とし
中国で言えば回族に当たる。漢民族でありなが
浜が広がる旧ユーゴ時代の大型リゾートホテル。
アが十日間の地上戦で独立を達成、次いでマケド
九一年、文化、宗教の面で西側に近いスロベニ
決められるものではなく、宗教、風俗、習慣、食
自らの生活を律する。民族とは血統によってだけ
( 16 )
英国 人 女 性 も 入 っ て い た 。
った。アルプス山系の東端、ユリアン・アルプス
は完全に修復され、観光客であふれていた。
ムスリム人はオスマン帝国の支配下でイスラム
にあるブレッド湖の透明な湖水は日の出とともに
パティア、ザダルを経て、トロギールまで三百七
風を 利 用 し た シ ー オ ル ガ ン を 見 た 。
て中央政府からも認められ、イスラム教徒として
模範労働者や党幹部用の福祉施設であったことを
トロギールの「ホテル・メデナ」は、眼前に砂
族、諸勢力入り乱れての内戦に突入した。
44
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
中東欧各国は金融危機に直撃され、資金流出が
高い労働コストなど、社会主義時代の名残を残し
率的な行政、近隣諸国と比べて生産性が低い割に
てきた。しかし、国営企業の民営化の遅れや非効
続いている。仕事と金の両方が消え、残ったのは
ている。企業設立に際しても、手続きが煩雑で、
日本を頼りにする経済復興
スターリンによって中央アジアへ強制移住させ
為替差損で膨らんだ外貨建てローンの借金だっ
行政の恣意的な扱いと根強い汚職体質が災いし
生活など総合的要素によって決定されるという民
られたクリミア・タタール人は、ロシア人が多数
た。ボスニアは今年大幅のマイナス成長になると
て、新規投資を受け入れる体制が十分整っている
同月、入れ替わりに来日したセルビアのイエレ
た国も旧ユーゴスラビア諸国の中には多かった。
リゾート開発に力を入れ、不動産バブルに踊っ
族の 定 義 の 根 拠 で あ る 。
入り込んだクリミア半島に半世紀ぶりに戻った。
予測され、十月に来日したアルカライ外相は日本
とはいえない。
なるころにはきっと良い暮らしができるようにな
ミッチ外相はコソボ紛争で悪化した日本との関係
ボスニアも含めそれらの国は今、出稼ぎ労働者の
い
ク リ ミ ア で は ロ シ ア 当 局 に 迫 害 さ れ て い る が、
の経済支援を要望した。
る」と、あるタタール人女性はテレビ取材に語っ
改善を要望した。両国とも窮状打開のための産業
し
「精 神 的 に は 満 足 し て い る。 子 ど も た ち が 大 き く
てい た 。
二次大戦の戦災から立ち直り、復興を成し遂げた
送金激減と帰国(出戻り)、ユーロ圏諸国の経済
アルカライ外相は岡田外相に火力発電
日本に親近感を持っているためでもあるようだ。
支援を日本に期待している。日本はボスニアにこ
所の整備に対する日本の支援を要望し
アルカライ外相は「けさ、岡田外相と会ってき
不振による輸出低迷にあえいでいる。建設業界も
た。岡田外相は環境分野での円借款や非
た。あすは広島に行く」と言い、広島訪問を楽し
れまで三億㌦(約二百七十億円)超の復
政府組織(NGO)による残留地雷除去
みにしていた。サラエボ・オリンピック開催の経
青息吐息である。次々と外相が日本を訪れるのは
活動に二十万ユーロ
(約二千七百万円)の無
験からオリンピック招致を狙う広島の秋葉忠利市
旧・復興支援を実施し、百人以上の選挙
償資金協力を約束した。アルカライ外相
長を「粘り強くやるべきだ」と激励した。「悲劇
「困 っ た と き の 日 本 頼 み」 の 感 が 否 め な い が、 第
は東京の外人記者クラブで記者会見し、
を二度と繰り返してはならない」(外相)という
監視要員も派遣してきた。
中東欧などの成長市場に近い利点を強調
一点で、両者は一致していた。戦災から立ち直っ
中東欧の経済危機は世界恐慌の引き金になりか
し、日本企業に投資を呼び掛けた。また
あり、ホテルやマンションを建て、観光
ねない、といった物騒な指摘も出ている。内戦か
たという点でも共感する点があるのであろう。
客を大いに誘致したい」と語っていた。
る。
ら復興途上のバルカン半島諸国の前途は多難であ
誘致し、輸出主導型の経済発展を目指し
ボスニアはこれまで海外からの投資を
「観 光 産 業 は わ が 国 に と っ て 有 力 産 業 で
モスタルの町並み
( 17 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
会見開放と記者クラブ
官庁や警察を対象とする取材現場で毎日のよう
に、クラブに所属しない記者たちのために会見の
席を設ける措置を取っている。
現場は区別を意識せず
メディア側が会見の「記者クラブ主催」を主張
するのは、会見の「運営などが公的機関の一方的
判断によって左右されてしまう危険性をはらんで
いる」ためだという(新聞協会編集委員会の「見
藤 田 博 司
は、クラブの主催する会見には参加を認めない、
解」
/二〇〇六年改定)。言い換えると、「公的機
受け取るメディアの側か。現場で取材する記者も
報を提供する官庁や警察の側か、それとも情報を
者会見はいったい誰が主催しているのだろう。情
う こ と」 な ど を 加 入 資 格 の 条 件 と し て 掲 げ て い
の厳守」や「記者クラブの運営に一定の責任を負
できるわけではない。記者クラブ側は「報道倫理
記者クラブには報道に携わる人間が誰でも加入
など、「会見の運営に主導的にかかわる」こと、
ただす機会の場をもっと積極的に活用する」こと
とや、「行政責任者などに疑問点、問題点を直接
り、具体的には「適切な会見設営に努力する」こ
関による(会見の)恣意的運用を防ぐ」ことであ
し い
との立場を取っている。
普段はほとんど意識することもないこの問題が、
る。現実には日本新聞協会加盟社やそれに準じる
ということになる(同「見解」解説)。
に数多くの記者会見が行われている。これらの記
この と こ ろ 脚 光 を 浴 び て い る 。
報道機関の記者であることが条件になる。加入を
きっかけは記者会見の開放問題である。政権交
れず、仮に認められても、質問できないなどの差
ーランス記者はそのため記者会見に出席を認めら
認められない雑誌、インターネットの記者やフリ
る。「ネット社会到来という時代状況を踏まえて」
見を一律に否定するものではない」とも述べてい
しかし同じ「見解」は「公的機関が主催する会
主催は記者クラブ?
代後、民主党政権は主要省庁での記者会見を、記
われている記者会見は、記者クラブ主催と公的機
のことだという。だとすると、取材現場で毎日行
会見が記者クラブの主催でなければ、記者クラ
関主催の会見が入り交じって行われていることに
別を受ける。
明らかにした。外務省や法務省、金融庁などでは
ブが出席者の資格にあれこれ注文を付ける理由が
者クラブ所属のメディア以外にも開放する方針を
全面的ないし部分的な開放が実現した。が、他の
実のところ、現場の記者たちに聞いてみても、
なるのだが、その区別が明確になされているよう
現に外務省では、岡田外相が記者クラブ所属の
そんな区別など意識してもいないようだし、区別
ないから、開放は(安全警備上の問題さえなけれ
開放が進まない理由を突き詰めると、記者会見
メディア側の主張を押し切って、当局側の裁量で
する必要を感じている様子もない。会見をどちら
省庁では、それぞれの記者クラブの反対などで開
の「主催権」の問題に突き当たる。記者クラブ側
会見を開放する方針を実施に移した。金融庁では
が主催するかをいちいちはっきりさせなくても、
には見えない。
は、ほとんどの記者会見は「原則として記者クラ
記者クラブが「クラブ主催」を譲らなかったため
特に取材活動に大きな支障はないというのが実情
ば)簡単に実現する。
ブ主催」と考えている。そして記者クラブに所属
に、亀井金融担当相が記者クラブとの会見とは別
放は進んでいない(本欄前号)。
しないメディアの記者ないしフリーランスの記者
( 18 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
だろ う 。
メディアの内側にはまだまだ記者クラブ有用論
権力に立ち向かえないのかどうか。これらの点を
当局側には国民に対する広報の必要や情報公開
を説く人が少なくない。確かに記者クラブに加入
ブ側の要請や「主導」に基づいて行われていると
的機関による恣意的な(会見の)運用」がしばし
の責任に基づいて会見、発表を行う場合があるは
できる有力メディアにとっては、取材上のさまざ
現実に即して検討し直してみるといい。
ば起きているということでもなさそうである。主
ずである。もし、会見や発表の内容によって当局
まな便宜を含め有用であることは間違いない。し
主張するには無理がある。
催権が記者クラブにあることをことさら主張しな
と記者クラブのいずれの主催であるかを逐一明確
と い う こ と は、「見 解」が 心 配 す る よ う な「公
くても、メディア側にとって大きな不都合が生じ
い。現在のままの形で記者クラブを守ろうとすれ
かし半面、それが非加入メディアの正当な活動を
どうしても「記者クラブ主催」を主張しなけれ
ば、既得権益にしがみ付こうとするメディアとし
にしようとすれば、恐らく大半の会見や発表は当
ばならない会見の場合は、それを明確に打ち出せ
て一段と強い批判にさらされることになるだろう。
ているわけではないとみていい。もしこの見方が
ばいい。その上でクラブ非加入の記者たちを排除
この際は、記者会見が「原則として記者クラブ
阻害してきた負の側面があることも否定できな
し な け れ ば な ら な い の か ど う か、 判 断 す れ ば い
主催」という虚構をきれいさっぱり清算し、実情
間違っていなければ、今記者クラブ側が「主催権」 局側の「主導」によるものになるだろう。
記者クラブが主催する会見なら、それへの出席
い。普段の会見で主催権の帰属があいまいにされ
に沿った対応をしてはどうだろう。会見の主催権
を声高に主張する理由はどこにあるのだろうか。
の可否をクラブ所属のメディア(の記者)が決め
ているのは、その方がむしろクラブにとって好都
実態は当局が「主導」
る こ と は や む を 得 な い と し よ う。 し か し 現 実 に
がいずれにあるかは問わず、出席者の資格などに
入の記者の側に報道倫理に反する行為などがあれ
ついては当局側の判断に委ねる。仮にクラブ非加
合だからと見るのは、うがち過ぎだろうか。
記者クラブの見直しも
は、 主 催 す る 主 体 が あ い ま い な ほ と ん ど の 会 見
で、これまで記者クラブは事実上、クラブに加入
しない、あるいはできないメディアの記者を締め
ば、その都度、記者クラブと当事者、当局側との
民主党政権が打ち出した記者会見の開放方針
民主党政権が記者会見をめぐって新たな方針を
改めて見直す作業に入っている。「見解」が指摘
も、狙いは要するに、取材、報道の過程をより開
出してきた。これはクラブ非加入の記者から取材の
記者クラブがクラブへの加入要件を定め、所属
するように、記者クラブを「より開かれた存在」
かれたものにし、政府とメディアの関係をより透
間で、必要に応じて協議すればいい。
メンバーを制限することは自由である。しかし記
に す る こ と を 新 聞 界 が 目 指 す の で あ れ ば、 こ の
機会を不当に奪ってきたことになるのではないか。 打ち出したことで、新聞界でも記者クラブ問題を
者クラブが直接運営に関与しない記者会見につい
に記者クラブ側も異論はあるまい。既得権益を後
明なものにすることにあるはずである。その狙い
最 大 の 焦 点 は、 会 見 の 「主 催 権」 の 扱 い に あ
生大事に守ろうというのでなければ、公明正大な
際、さらに具体的な指針を示す必要がある。
る。記者クラブにとって会見の「主催権」を握る
競争はむしろ歓迎すべきことだろう。厳しい競争
てまで、クラブに所属しないメディアの記者を排
ことが本当に欠かせないことなのかどうか。これ
に尻込みするような記者クラブではないはずであ
除し、あるいは排除するよう役所側に働き掛けて
記者クラブとしては、官庁など当局が行う記者
まで「主催権」を具体的にどのように行使した事
きた の は 、 明 ら か に 行 き 過 ぎ だ ろ う 。
会見や発表は記者クラブ主催のものだと言いたい
る。
(共同通信社社友)
例があるのか、「主催権」がなければメディアは
のかもしれない。しかしこれらがすべて記者クラ
( 19 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
「日 米 同 盟」 再 構 築 の 道
問題に絞って考えてみたい。
「普天間」解決へ閣僚級作業グループ
「普天間飛行場を県外か国外に移設」
──8・
強引に進められたもので、「沖縄駐留の海兵隊八
千人を削減、二〇一四年までに完了させる」と決
定。しかし、これは普天間移設とパッケージにし
プ設置」に合意し、「早期に結論を出す」と取り
会談で、「普天間問題に関する閣僚級作業グルー
気に解決することはできまい。従って今回の首脳
いるか、
〝基地の島の悲哀〟が続いている。
の無駄な歳月が沖縄県民をどんなにいら立たせて
先が決まらず右往左往するばかりだ。十三年間も
ところが、それから三年経過した現在も、移設
たもので、海兵隊のグアム移転の日本側経費負担
決めた点を〝一歩前進〟と評価したい。「問題の
「ゲ ー ツ 長 官 の 無 礼 な 恫 喝 に 対 し て、 そ の 非 を
総選挙で訴えて政権を勝ち取った鳩山民主党だ
オバマ米大統領は十一月十三日、初めて日本を
先送り」と批判する声もあるが、米軍基地につい
咎めたメディアがあっただろうか。米海兵隊の基
約七千億円を押し付ける強引さだった。
公式訪問、鳩山由紀夫首相と懸案の諸問題につい
ての再検証・再構築を日本側が求めることは当然
地が沖縄に存在しなければ日米安保体制が崩壊す
が、自民党政権から続いてきた日米外交案件を一
て意見を交換した。一月誕生したオバマ政権、九
なこと。現在、普天間移転に関する両国の主張は
ると主張する人々に訊きたい。御殿女中よろしく
両国首脳の政治理念、具現化を
月発足の鳩山政権はともに〝チェンジ〟をスロー
異なっているが、対等な交渉を通じて、着地点・
ン・ショックで破綻した市場原理至上主義からの
執拗な〝鳩山バッシング〟が依然続いており、不
ところが、両国有識者やメディアの一部から、
と、山口二郎・北大教授は「基地存続の罪」をズ
制をこわすことになるのか私には理解できない」
一つの海兵隊基地を沖縄の外に移すことが安保体
日米安保が崩壊すると大騒ぎしているが、なぜ、
とが
ガンに掲げて長期保守政権を倒して躍り出た「民
妥協点を見いだす努力こそ肝要である。
き
主党」同士。9・ テロ以降の大混乱と、リーマ
脱皮を目指して〝船出〟、荒波と闘いながら操船
快極まりない。岡田克也外相と十月二十日会談し
バリ指摘(『東京新聞』
しつよう
しているのが両政権共通の姿だ。しかし、ブッシ
た ゲ ー ツ 米 国 防 長 官 は 「普 天 間 を 移 設 し な け れ
いた。一方、オバマ訪日に合わせ、「日本は米国
朝 刊 コ ラ ム) し て
ュ政権・麻生政権が残した〝負の遺産〟清算の特
ば、海兵隊のグアム移転はなく、グアム移転なし
・
効薬 は な く 、 体 制 立 て 直 し の 前 途 は 厳 し い 。
付記事にはびっくり仰天。「日米
洋 地 域 の 安 定 と 繁 栄 な ど 多 角 的 な 協 力 を 話 し 合 (橋 本 龍 太 郎 政 権) に 決 ま っ た も の の、 地 元 と の
そもそも名護市辺野古への移転案は一九九六年
にちゅうちょしなくなり、不確実な新時代に入ろ
だ。日本政府は突然、米当局者と公然と争うこと
関係は一九九〇年代の貿易摩擦以来、最も対立的
・
調整が付かず十年間放置されたまま。その後、二
うとしている」との居丈高な論調を、
『朝日』『読
イ ム ズ』
に冷淡」との見出しを掲げた『ニューヨーク・タ
鳩 山 ・ オ バ マ 会 談 で は、 両 国 の 基 軸 「日 米 同
どうかつ
い、共同文書と行動計画を発表した。両首脳が掲
〇〇六年(小泉純一郎政権)の「在日米軍再編協
と、恫喝的な言辞を吐いた。
げる理念と目指す共通目標を再確認した意義を高
売』
朝 夕 刊 が 報 じ て い た。 先 に 「鳩 山 論
議」の 結 果、〝二 本 の 滑 走 路 案〟に よ っ て「辺 野
文」をひぼう中傷したのも同紙電子版だっただけ
・
く評価し、今後の具体的施策に期待を寄せたい。
古」が再浮上、決着するかに見えた。この再編計
盟」を深化させることを確認した上で、核軍縮・
25
多岐にわたるテーマを論じる紙幅がないため、
13
核不拡散への連携、地球温暖化対策、アジア太平
10
に、その偏狭な対日圧力には、〝大国のおごり〟
12
画は米軍の世界戦略見直しの一環で、米国主導で
11
本稿では「日米同盟」、特に米軍再編と沖縄基地
11
( 20 )
30
に 沖 縄 の 兵 員 縮 小 や ほ か の 基 地 の 返 還 も な い」
は たん
11
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
が垣 間 見 え る 。
「日 本 の 安 全 保 障 も 沖 縄 の 負 担 軽 減 も 日 米 共 通
の目標なのだ。私が切に望みたいのは、今後、一
方が一方に要求を付き付けるのではなく、日米の
共同作業の継続を基本にすることである。世界の
▽1978年六二億円 ▽ 年二八〇億円 ▽
年三七四億円 ▽ 年八〇七億円 ▽ 年一
六八〇億円 ▽ 年二七一四億円 ▽2000
年二五六七億円 ▽ 年二五七三億円 ▽ 年
二五〇〇億円 ▽ 年二四六〇億円 ▽ 年二
90
02
四四一億円 ▽ 年二三七八億円 ▽ 年二三
二六億円 ▽ 年二一七三億円 ▽ 年二〇八
04
06
る。なるべく早く〝お人よし〟過ぎる不条理な慣
行にストップを掛けることが望ましく、米国の顔
色を見て判断するような問題でないことを、国民
すべてが気付くべきだ。
日米連携で、世界に貢献する提案を示せ
「ブ ッ シ ュ 政 権 の 八 年 間、 不 要 な 戦 争 に よ っ て
論し、一九九六年の日米安保共同宣言のような形
て基地問題といったもろもろの課題をきちんと議
す膨大な額。他国でも米軍駐留費負担はあるとい
負担してきた「思いやり予算」総額は三兆円を超
三億円 ▽ 年(予算)一九一九億円
最近多少減額されたものの、日本が七八年以降
って何を実現するのか、そもそも現代世界ではど
日本の外交を押しとどめてしまうなら、同盟によ
提案することはなかった。日米同盟の堅持だけに
日米同盟の安定を喜ぶばかりで、とるべき政策を
多大な犠牲と軍事的弱体化を招いたほかに、アメ
で首脳宣言をつくる作業を行ってはどうか。オバ
うが、その額の多さは群を抜いており、「世界一
のような制度や政策が必要なのかという課題が忘
「概 算 要 求 額 一 九 一 九 億 円 の う ち 一 一 六 四 億 円
パターンだったことに、改めて驚愕した。
そが問題なのである。試みに幾つかを挙げるなら
るのか、そして実現すべきなのか、課題の設定こ
ない。日米両国が現代世界で何を実現しようとす
リカが世界に貢献したものは少ない。日本政府は
マ大統領の訪日はその共同作業をキックオフする
気前のいい同盟国」と言われているという。まさ
とら
機会として捉えるべきではないか」との田中均・
が、今回の仕分け作業の対象となる。…在日米軍
ば、世界金融危機のような市場破綻を阻止するた
元外務審議官の提言(『毎日』
ここで「駐留米軍への思いやり予算」の経緯を
基地では、司令部の事務職員、レストランやゴル
めの制度形成、アフガニスタンをはじめとする破
うな 将 来 展 望 を 、 メ デ ィ ア 報 道 に 望 み た い 。
振り返っておきたい。ベトナム戦争後財政ピンチ
フ場などの娯楽施設職員として計二万五四九九人
員の給与の一部に充てる六十二億円だったが、米
るようになった。発足時の予算は日本人基地従業
肩代わりすると表明、「思いやり予算」と言われ
日 本 側 負 担 分 が 仕 分 け の 対 象 に な る」(『読 売』
は日本政府が、残りは米軍が負担している。この
協定に基づき、このうち二万三〇五五人分の給与
課題に答えるパートナーシップとしての日米関係
政権に求められるのは、このようなグローバルな
まで拡散しようとする核兵器の拡散阻止。民主党
年々上がり続け、ぜいたくな娯楽費や施設整備費
かし、「思いやり予算」垂れ流しにメスを入れな
なるとの期待を深めた。
力強いエールであり、両国首脳の目指す方向と重
『朝日』 ・
る問題だけに、仕分け作業は難航するだろう。し (
国の景気回復後も減額されるどころか負担額は
などに拡大してしまった。防衛省HPが公表して
ければならず、「米軍基地見直し」と連動して、
夕刊)は、日米・民主党政権への
いる年度別予算を示しておくが、予算をむしり取
(池田
龍夫 =ジャーナリスト)
「思 い や り 予 算」 減 額 に 取 り 組 む 緊 急 性 を 痛 感 す
って 転 用 す る ル ー ズ さ に 驚 い た 。
11
の 構 築 で あ る」 と、 藤 原 帰 一 ・ 東 大 教 授 の 論 評
た。七八年に金丸信・防衛庁長官が経費の一部を (
「思いやり予算」を見直す好機
に陥った駐留米軍の負担軽減が、当初の目的だっ
綻国家への国際的関与、北朝鮮ばかりかイランに
きょうがく
れられてしまう。日米同盟の堅持が問題なのでは
08
顕著な変動を受けて将来の日米の在り方をどうす
79
に一度走りだしたら止まらない公共事業費と同じ
るのか、東アジア共同体の考え方や核軍縮と核抑
85
01
・ 5 夕 刊) の よ
止、あるいは国際安全保障への日米の役割、そし
95
03
05
07
09
・7朝刊)とのことだが、基地従業員に跳ね返
08
11
12
( 21 )
80
年 度 末 現 在) が 働 い て い る。 日 米 両 国 の 特 別
11
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
在 京 民 放 T V、 全 5 社 と も 減 収 ─ 中 間 決 算
例えば、最近目に付いたこの手の書籍を挙げて
みると、佐々木俊尚氏の『2011年 新聞・テ
レビ消滅』
(文春新書)
、猪熊建夫氏の『新聞・テ
億円であった。
は、早くからささやかれてきた。昨年の秋の米国
レビが消える日』(集英社新書)、古賀純一郎氏の
今回の中間決算の数字が厳しいものになること
のリーマン・ショックを契機とした景気の落ち込
った。特に、TBSホールディングスは、〇〇年
厳しいもので、全社とも減収という業績結果にな
─九月期の中間決算が発表されたが、その内容は
十一月、在京民放テレビ局5社の二〇〇九年四
り、また、その回復も他の広告媒体よりは早いと
の影響を他の広告媒体より遅く受ける傾向があ
は、その普及率と媒体価値の高さから、景気悪化
る。とはいっても四マス媒体の中でもテレビ広告
広告費はどうしても景気に左右されるものであ
響を受け、軒並み広告売り上げを落としている。
のいわゆる四マス媒体は、この景気冷え込みの影
たる原因とされる。新聞、ラジオ、テレビ、雑誌
雑誌で特集がたびたび組まれるのは、取りも直さ
い。このような書籍が出版され、また、ビジネス
に も、 関 連 す る テ ー マ を 扱 っ た 書 籍 や 雑 誌 は 多
ここに挙げたのは、ごく一部であり、このほか
刊 東洋経済』一月三十一日号が「新聞・テレビ
絶滅危機」といった特集を組んでいる。
日号が「テレビ・新聞陥落」という特集を、『週
雑誌でも、『ニューズウィーク日本版』九月十六
で』(N T T 出 版)な ど が あ る。ま た、ビ ジ ネ ス
みの影響を受けての広告出稿量の低下が、その主 『メディア激震~グローバル化とIT革命のなか
から連結決算の公表を始めて以来、初の最終赤字
されてきた。それがテレビの広告媒体としての強
ず、既存のメディアビジネスに対して、その将来
T
BSは連結公表以来初の最終赤字
に転 落 し た 。
さでもあった。
ディングスが売上高千七百五十七億円(1・5%
3%減)、純損益三十億円。次いでTBSホール
(前年比0・4%減)、営業利益二十七億円( ・
ィア・ホールディングスが売上高二千八百七億円
利益、純損益を見てみると、トップのフジ・メデ
落ち込みは景気の悪化がきっかけであるにして
レビに戻さないとみている。今回のテレビ広告の
なっても、これまでのように簡単に広告出稿をテ
告出稿を打ち切った広告主が、景気が回復基調に
を訴えるテレビ関係者が多い。景気悪化により広
ところが、今回の景気悪化においては、危機感
画配信も一般化した。私たちが動画に接する機会
という言葉に象徴されるように、ウェブ上での動
展によってより一層加速し、
「通信と放送の融合」
に本格化した多メディア化は、デジタル技術の発
テレビ放送に関して言えば、一九九〇年代後半
売り上げ順に在京民放テレビ局の売上高、営業
減)、営業利益二十九億円( ・0%減)、純損益
も、テレビというメディアを取り巻く環境が大き
において、それまで圧倒的であった地上テレビ放
性に疑問を抱く読者が少なからず存在しているか
九千万円の赤字。日本テレビが売上高千四百四十
く変化を遂げつつあり、広告収入を主な財源とす
・1%減)、営業利
・4%減)、純損益十億円。テレ
が 売 上 高 千 百 二 十 五 億 円(
益 十 七 億 円(
・5%減)、
て、否定的に論じた書籍が多数発行されている。
確かにこのところ、新聞・テレビの未来につい
る調査結果が多い。ただし、世代別に見ると、若
レビ視聴時間は、ほぼ横ばいで推移しているとす
テレビ視聴に関する調査を見ると、日本人のテ
らにほかならない。
・5%減)、営業利益八十二億円(5
送のシェアが相対的に低下し、他のメディアによ
78
37・5%増)、純損益六十四億円。テレビ朝日
三 億 円(
る地上民放テレビ局のビジネスモデル自体に、陰
る提供の機会が急増しつつある。
70
10
ビ 東 京 は 売 上 高 五 百 二 十 二 億 円(
35
営 業 利 益 十 五 億 円(506 ・ 0 % 増)、純 損 益 十
12
既存のビジネスモデルへの不安
りが見えてきているとの指摘である。
12
( 22 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
が合うまでには至っていないとされる。
テレビ各局は映画制作に力を入れ、それなりの業
び水として最も有効なのは、テレビ広告をはじめ
特に四マス媒体の中でも、不特定の消費者への
績を上げている。映画においては、番組連動型の
者のテレビ視聴時間が減少。テレビ視聴者の平均
「少 子 高 齢 化」 に 進 ん で い る こ と も あ り、 デ ー タ
訴求力ということでは、テレビ広告は抜きんでた
映画制作がある一方で、番組とは直接かかわらな
特に邦画ブームもあって、このところ在京民放
的には、若者のテレビ離れを高齢者の増加が吸収
存在であることには変わりがない。家庭のテレビ
くとも、社内の映像コンテンツの制作能力を生か
とする既存の広告媒体ということになろう。
することで、テレビの平均接触時間量は横ばいで
普及率が九割以上あることから、その到達力の大
が高齢化していることが分かる。日本社会全体が
推移 し て い る の で あ る 。
し た 取 り 組 み も 増 え て き て い る。 日 本 テ レ ビ の
世紀少年」、TBSの「ROOK
き さ に お い て、 代 わ る も の が な い の が 実 情 で あ
広告メディアとしては、購買行動の引き金とな
る。その状況がしばらく続くとみている者は多い。 「ごくせん」「
しかし、広告主が自らのホームページを立ち上
のデータは、広告主にとっては貴重なマーケティ
に関するデータを蓄積しやすい。もちろんこれら
かに安くつく。加えて、アクセスしてきた消費者
新の方が、定期的にテレビ広告を打つよりははる
るのである。自社のホームページの立ち上げや更
宣伝を含む企業からのメッセージを直接提供でき
レビといった広告メディアを介さなくても、商品
かけることが可能となった。広告会社や新聞・テ
ることで、直接、消費者に企業メッセージを訴え
加えて、広告主が自らのウェブサイトを活用す
方が 強 ま っ て い る の で あ る 。
ど、若年層に訴求し得なくなってきているとの見
ア 環 境 の 変 化 な ど に よ り、 テ レ ビ 広 告 が 以 前 ほ
体セールスをする際の説得材料となるが、メディ
のCS放送と連動して地上波で放送した番組の再
放送外収入の確保は早くから行われてきた。傘下
売、番組の映画化など、番組連動型の事業による
例えば、番組のDVD化、番組関連グッズの販
は、この放送外収入に積極的に取り組んできた。
り、 こ こ 数 年 に わ た り、 在 京 民 放 テ レ ビ 局 各 社
年、特に叫ばれてきたのが放送外収入の確保であ
事 業 者 が 手 を こ ま ね い て い た わ け で は な い。 近
もちろんこのような状況に関して、既存の民放
広告に代わるビジネスモデルはあるか
方に対する危機感が高まっているのである。
に大きく依存した地上民放テレビ局の経営の在り
るのが実情である。その意味において、広告収入
が広告料金の具体的な交渉過程に影響を与えてい
下させていることは確かであり、このような変化
環境の変化が、テレビ広告の訴求力を相対的に低
ただし、インターネットの普及など、メディア
境の変化、経営環境の変化に対応したより一層難
である。ローカル民放局こそが、このメディア環
ぎに最も影響を受けそうなのは、ローカル民放局
る。既存の民放テレビ局のビジネスモデルの揺ら
裕のある在京民放各局だからできることでもあ
しかし、この放送外収入への投資は、財源に余
陣の見識が問われることになる。
事業へと事業自体の軸足を移すのかである。経営
して事業参入を果たすのか、それとも、非放送系
されるのは、本業たる放送事業を支える収入源と
その端的な事例であろう。もちろん、そこで注目
合施設「赤坂サカス」による不動産事業の成功は
社社屋のある赤坂再開発に伴いオープンさせた複
参入し、収入を確保するケースも増えてきた。本
事業と直接的にかかわりのない事業にも積極的に
他方において、不動産業など、本業である放送
りやすい若者層の接触率が高いことが広告主に媒
げたからといって、ターゲットとする消費者が自
放送をCS放送で行っているところも多い。その
しいかじ取りを迫られている。
(音 好宏 =上智大学教授)
ィ」など、ヒット作も多い。
社のホームページに接触し、かつ、関心を持って
延長線上には、番組のウェブでの有料配信などに
ング デ ー タ と な る 。
くれるとは限らない。そのマッチングを実現させ
も着手しているが、こちらはまだ事業として採算
IES」
「おくりびと」
、フジテレビの「アマルフ
20
るための仕掛けが必要となる。現時点で、その呼
( 23 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
波紋呼ぶ『中華新聞報』の廃刊
新聞市場開放論議に一石
い は 別 の 新 聞 は、 休 刊 ・ 停 刊 し そ う な 新 聞 を 探
認めていない。総量規制だ。しかし、どこにも抜
もともとメディア業界に関する報道に専念して
し、 こ の 発 行 を 継 続 す る 名 目 で 「題 号」 を 買 っ
年、経営上の要請で某企業と資本提携したころか
いたのに、取材・報道対象を一般社会、経済ニュ
て、実質的に、新たな新聞に改造してしまえばよ
け穴はある。新聞発行に興味のある事業者、ある
ースにまで広げ、それぞれの「別刷り特集」を発
い。だから、経営の思わしくない新聞社やその所
ら、事態がおかしくなっていった。
行するようになった。すると、このパートナー企
管団体は、「買い手」が現れることを期待して、
になり、最終的には、この別刷りの作成を個人請 「題号」を維持しようとする。
業は別刷りの編集・発行方針にまで口を挟むよう
政府は、採算の合わない新聞には市場から退出
中華全国新聞工作者協会が中心となって設立
し、メディア専門紙の役割を担ってきた『中華新
負あるいは特定企業請負にして、新聞社に一定の
作者協会は、政府の不採算紙の市場退出方針の決
聞報』が経営不振のため、八月二十一日付を最後
一時的に営業収入は増え、コストダウンも果た
意の固さをくんで『死者をよみがえらせる夢想』
するよう促しているが、それがなかなか進まない
せたのだが、新聞の位置付けがはっきりしなくな
をあきらめて、『中華新聞報』の廃刊を決めたこ
収入を納めさせる代わりに、新聞社が記者証を、
り、記事のレベルも瞬く間に低下して、愛読者は
とは評価できる。この決定は、様子見を決め込ん
に廃刊した。全国規模で発行される新聞としては
同紙は一九九三年五月、新聞工作者協会の機関
離 れ て い っ た。 揚 げ 句、 今 年 八 月 末 に は 山 西 省
でいる他の新聞社や上部団体の目を覚ます効果が
真の理由はこれだ。そうであればこそ、「新聞工
紙として創刊(原名『中華新聞信息報』、九〇年
で、同紙記者をかたったゆすり事件まで起こる。
あった」(曹鵬・経済日報研究部副主任)といっ
この契約者に与えるという仕組みに変えた。
代末に改称)。発行主体は中華新聞報社。
所管団体の新聞工作者協会は、新たな投資企業
初めて。一時はそれなりの権威もあり、消失を惜
「メ デ ィ ア に 立 脚 し、 メ デ ィ ア を 報 じ、 メ デ ィ
を探すなど延命策を模索したが、結局は廃刊およ
しむ声が聞かれる一方で、「廃刊してよかった」
アに奉仕する」をモットーに、全国の新聞社、放
び新聞社解散の道を選び、約五十人の社員は、経
しかし、「中国の新聞市場は確かに大きいが、
と こ ろ で、『中 華 新 聞 報』の よ う に、経 営 困 難
む者が新聞を発行できるような市場開放策が必要
革を深化させるには、市場退出促進だけでなく望
著しい不均衡もまた存在する。新聞発行体制の改
め、一時は業界専門紙としてそれなりの声望を集
に陥って赤字を垂れ流しつつ存続している新聞は
と評 価 す る 声 も 聞 か れ る 。 そ の 訳 は ─ ─ 。
送局、ケーブルテレビ、ネット媒体、教育部門、
済的補償を約した上で解雇した。
た評価が出てくるわけだ。
研 究 部 門、 企 業 の 宣 伝 広 告 部 門 な ど に 販 路 を 求
め た。 と り わ け 二 〇 〇 三 年、 S A R S 問 題 発 生
(木原 正博 =日本新聞協会審査室長)
業』十月号)
るか、焼け石に水にとどまるか。
(参考 『中国報
『中 華 新 聞 報』 の 廃 刊 は そ の 議 論 の 呼 び 水 と な
ている。
だ」と陳力丹・中国人民大学新聞学院教授は語っ
理由は二つ。一つは、所管団体が最終的な責任
実は少なくない、といわれる。
の中で独自報道を展開していたとき、これを支援
を 負 い た く な い か ら。 も う 一 つ は、 当 該 新 聞 の
時、広東省の『南方都市報』が当局とのあつれき
するシンポジウムや報道を展開。同紙関係者は大
後者の理由には少々説明が要る。現在、中国に
「題号」が高く売れる可能性があるから。
週二回刊で、ピーク時は約十万部まで部数を伸
は千九百四十三の新聞があるが、政府は新創刊を
いに 力 付 け ら れ た と 思 い 出 を 語 っ て い る 。
ば し、 広 告 集 稿 も 順 調 だ っ た。 そ れ が 二 〇 〇 六
( 24 )
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
年)
月(第五六七号)
五 月(第五六八号)
サハリン首脳会談後の日露関係 名越 健郎
第1回「メディアに関する全国世論調査」(下) 前田
耕一
TV報道に新たな動き
(1) 鈴木 弘貴
マスメディア関連の裁判を見る( ) 佐藤 英雄
【メ デ ィ ア 談 話 室】 相 次 ぐ 「ず さ ん
取 材」【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】政 府 の
「文 書 不 開 示」 で 提 訴 【放 送 時 評】 衛
星放送事業、再編の動き活発化【海外
情報】①蘭「PCM」系全紙を支配下
に②中国新聞業界、紙代高騰で値上げ
の動き③米の地デジ化、3度目の正直
成るか【書評】湯川鶴章著『次世代マ
ーケティングプラットフォーム~広告
と マ ス メ デ ィ ア の 地 位 を 奪 う も の』~
栗原務
六 月(第五六九号)
動きだしたオバマ米新政権 沢井 俊光
小沢事件めぐる暗闘を見る 増山榮太郎
日本版オーマイニュース閉鎖の裏側 平井 久志
雑誌よ、甦れ(上) 高橋 文夫
深刻な打撃受ける米ジャーナリズム 橋本
晃
通信社の先輩が語る「私の体験記」㉖ 菱木 一美
【メ デ ィ ア 談 話 室】新 聞 の「再 活 性
化」と政府の役割【プレスウオッチン
グ】「小 沢 問 題」と 報 道 の 責 任【放 送
時評】地デジ、周知のための広報が課
題 【海 外 情 報】 ① オ ン ラ イ ン 専 門 新
聞、損失の可能性②中国で新聞の市場
退出が論点に【書評】会田弘継著『追
跡 ・ ア メ リ カ の 思 想 家 た ち』~ 蓮 見 博昭
七 月(第五七〇号)
月(第五七一号)
問題抱えスタートした裁判員制度 安達
功
米中露3大国の生存度を探る 小
関 哲哉
「情報津波」時代のジャーナリズムを考える 高橋
文夫
TV報道に新たな動き(2) 鈴木 弘貴
【メ デ ィ ア 談 話 室】 民 主 第 三 者 委 の
報道批判【プレスウオッチング】許せ
ない政府高官のウソ【放送時評】視聴
率に代わる評価指標求める声【海外情
報】①オーストリアにFペーパーと広
告のリング②ニュース報道の行方を楽
観 ③ 中 国 の 地 方 紙 に 2 つ の 脅 威 【書
評】河 内 孝 著『新 聞 社』、畑 仲 哲 雄 著
『新聞再生』、猪熊建夫著『新聞・TV
が消える日』~前田耕一
八
現実味帯びる政権交代 石井 達也
オバマの
「核廃絶」
と唯一被爆国の立場 金子
敦郎
通信社の先輩が語る
「私の体験記」㉗ 信太 謙三
マスメディア関連の裁判をみる( ) 佐藤 英雄
全行程5千キロ、過酷だったチベット再訪 増山榮太郎
【メ デ ィ ア 談 話 室】核 密 約 報 道 と 政
府 の う そ 【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】 広
島 ・ 長 崎 原 爆 の「道 義 的 責 任」【放 送
時評】通信・放送の法体系整備の動き
活発化【海外情報】①英下院議員の不
( 25 )
三 月(第五六六号)
07
中東和平の行方を探る 儀間 朝浩
勢いづく郵貯民営化見直し論 伊藤 一馬
通信社の先輩が語る
「私の体験記」㉔ 佐々木 坦
マスメディア関連の裁判を見る( ) 佐藤 英雄
【メ デ ィ ア 談 話 室】 地 域 報 道 と 情 報
過 疎【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】『あ ら た
にす』を点検する【放送時評】動きだ
したNHK新体制【海外情報】① 中
国新聞業界 重大ニュース②米、デジ
タル化へカウントダウン③大幅に変わ
る独新聞勢力圏
四
42
調デ
査ィ
会ア
報展
総望
目総
次目
(次
平成(
●平
年成
)
メ
40
41
一 月(第五六四号)
10
21
世界不況下の日本企業再生を探る 河原 仁志
第1回
「メディアに関する全国世論調査」(上) 前田
耕一
通信社の先輩が語る
「私の体験記」㉕ 佐藤
睦
BBCが放映拒否で非難の的に 小林 恭子
目立ってきた英ニュース媒体の米進出 佐藤
成文
【メ デ ィ ア 談 話 室】 政 府 高 官 と 記 者
懇談【プレスウオッチング】アフガン
紛争、泥沼化を危惧【放送時評】制作
現場の環境・体質改善を期待【海外情
報】①仏著名夕刊紙がロシア資本の手
に【書評】原寿雄著『ジャーナリズム
の可能性』~桂敬一
43
オバマ新大統領と米国の行方 会田 弘継
歴史的勝利に社会の変化 藤
田 博司
「水素」めぐり新たな資源戦争 増田
亜
通信社の先輩が語る
「私の体験記」
㉒ 増山榮太郎
【メ デ ィ ア 談 話 室】 ト リ ビ ュ ー ン 社
破綻と深まる危機【プレスウオッチン
グ】軍縮への潮流強まる【放送時評】
N H K、 オ ン デ マ ン ド サ ー ビ ス 開 始
【海 外 情 報】 ス ウ ェ ー デ ン 最 大 紙 が 助
成申請②台湾大手の『中国時報』が身
売り
09
二 月(第五六五号)
悲観論広がる 年の世界経済 梅本 逸郎
混迷深める韓国経済 角田 卓士
通信社の先輩が語る
「私の体験記」
㉓ 中澤 孝之
マスメディア関連の裁判を見る
( ) 佐藤 英雄
【メ デ ィ ア 談 話 室】 仮 名 が 多 用 さ れ
る ル ポ【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】「年 越
し派遣村」が投じた一石【放送時評】
メディアの価値評価めぐり論議【海外
情報】オランダ政府、国内紙保護で調
査へ②米、DTV移行延の動き
平成 年 大ニュース
20
10
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
正請求発覚②米新FCC委員長にゲナ
コウスキー氏③金融危機、新聞経営を
直撃─中国【書評】浜田純一、田島泰
彦、桂敬一編『
[新訂]新聞学』
~江口
浩
古野両元社長の遺徳を偲ぶとともに
ク ラ ブ【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】「日 米
同盟」再構築の道【放送時評】在京民 「ほ か の 業 界 と 同 様 に 通 信 社 も 苦 し い
状況が続くと思われるが、通信社はメ
法TV、全5社とも減収─9月中間期
ディア界の合理化の産物という側面も
【海 外 情 報】 ① オ ン ラ イ ン 新 聞 に 有 料
ある。通信社の存在意義が見直される
化の流れ②加速する米紙の販売不振③
局面もありそうだ」と述べた。
波 紋 呼 ぶ 『中 華 新 聞 報』 の 廃 刊 【書
評】古 賀 純 一 郎 著『メ デ ィ ア 激 震』~
この後、長谷川新聞通信調査会理事
長の発声で献杯し、懇親会に移った。
前田耕一
この一年間の物故者は次の通り(敬称
◇ ◇ ◇ 定期連載執筆者=【メディア談話室】 略、死亡月日順)
五 嶋 愈、 竹 内 亨、 尾 林 福 松、 阿 部
藤田 博司【プレスウオッチング】池
繁、吉福憲一、津田章、田島良雄、衣
田 龍夫【放送時評】音 好宏【海外
川正男、大沢正作、平田真巳、田辺忠
情報】金山 勉、広瀬 英彦、木原
平、白井敏之、湯田槇二、中田和昭、
正博
北雄士
◎偲ぶ会
㈶新聞通信調査会(長谷川和明理事
長)、㈶同盟育成会(山内豊彦理事長)、
同 盟 ク ラ ブ (山 内 豊 彦 会 長) 主 催 の
「岩 永 ・ 古 野 両 社 長 は じ め 同 盟 通 信 お
しの
よび同盟クラブ会員物故者を偲ぶ会」
が十一月十二日、東京・日比谷の松本
楼で行われた。
この一年間の物故者は十五人、開会
後岩永裕吉、古野伊之助同盟通信社両
元社長を加えた遺影に向かい出席者全
員で黙とうした。
続いてあいさつに立った山内同盟育
成会理事長・同盟クラブ会長は岩永、
( 26 )
評】注目集める民主党の通信・放送政
策【海外情報】①伊首相と新聞界の対
立進む②米CBSニュースのクロンカ
イト氏死去③増加目立つネット媒体へ
の 訴 訟 ─ 中 国 【書 評】 比 企 寿 美 子 著
『アインシュタインからの墓碑銘』~増
山榮太郎
現代日本の病とジャーナリズムに思う 水木
楊
『テレグラフ』紙、議会のタブーに挑戦 小林
恭子
170社が参加して世界メディアサミット 山口
光
ボスニアの墓標街道を行く 小林 幹夫
【メ デ ィ ア 談 話 室】会 見 開 放 と 記 者
遺影を背に岩永、古野両元同盟通信社長ご遺族と長谷川、山内両理事長
十一月(第五七四号)
参院過半数に懸ける民主、自民再生は対案作り 鈴木
博之
一審取り消し、通信社機能に理解─東京高裁 三土
正司
通信社の先輩が語る
「私の体験記」㉘ 佐藤 信行
TVジャーナリズムに新たな動き
(4) 鈴木
弘貴
マスメディア関連の裁判をみる( ) 佐藤 英雄
【メ デ ィ ア 談 話 室】 開 か れ た 会 見 と
メ デ ィ ア【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】「八
ツ 場 ダ ム」 工 事 中 止 の 衝 撃 【放 送 時
評】多チャンネル放送研、 年実態調
査発表【海外情報】①欧州で進む新聞
の合併・統合②米調査機関、景気後退
報 道 を 分 析 ③ 中 国 の 新 聞 総 印 刷 量、
2・ %減【書評】松尾文夫著『オバ
マ 大 統 領 が ヒ ロ シ マ に 献 花 す る 日』~
小関哲哉
09
十二月号(第五七五号)
44
九 月(第五七二号)
ポスト金正日へ焦る北朝鮮 吉田 健一
情報の国際的不均衡を考える
(上) 有山 輝雄
ガーディアンとニューズ社対決の構図 小林
恭子
映画に期待する米ジャーナリスト教育 佐藤
成文
TVジャーナリズムに新たな動き
(3) 鈴木
弘貴
【メ デ ィ ア 談 話 室】 よ り 開 か れ た 政
治取材を【プレスウオッチング】武器
輸出3原則緩和の報告書に驚く【放送
時評】日テレ「バンキシャ」虚偽報道
問題で勧告【海外情報】①独新聞グル
ープWAZ、DPAを解約②NYT、
経営改善に向け対策急ぐ③総部数は
1・1%増─ 年中国の新聞発行【書
評】蓮見博昭著『オバマのアメリカは
どこへ行く』~中屋祐司
十 月(第五七三号)
08
第1回対外情報発信研究座談会
座談会基調報告
江口 浩
情報の国際的不均衡を考える
(下) 長谷川倫子
新疆ウイグル暴動の現場を行く 小林 幹夫
【メ デ ィ ア 談 話 室】 報 道 の 五 五 年 体
制 に 決 別 を 【プ レ ス ウ オ ッ チ ン グ】
「鳩 山 論 文」 批 判 は 行 き 過 ぎ 【放 送 時
45
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
28 86
15
の304。喪主は妻圭子(けいこ)さ
ん。
一色 義忠氏(いっしき・よしただ
=元同盟通信社(映画部)社員)9月
日死去、 歳。自宅は横浜市金沢区
乙舳町 の 。
◎講演会
16 94
㈶新聞通信調査会と同盟クラブは十
一月二十七日、東京都港区虎ノ門の通
信社ライブラリーで講演会を開いた。
講師は共同通信社政治部次長の久江雅
彦氏、演題は「動きだした鳩山外交」
だった。
〔編集後記〕
▽新聞通信調査会理事の江口浩さ
んが急逝されました。当調査会の出版
事業に多大の貢献をされ、特に十一回
続 い た 「通 信 社 問 題 研 究 座 談 会」 で
は、司会役として終始議論をリードし
ていただきました。
▽ そ の 結 果 を 集 大 成 し た の が 『岐
路に立つ通信社─その過去・現在・未
来─』の中心部分で、今年五月に刊行
したばかりでした。これを受ける形で
六月から「対外情報発信研究座談会」
がスタート、引き続きお元気な姿で名
司会者ぶりを発揮されていました。
▽ニューメディアの登場などで厳
しく問われている通信社のあるべき姿
を求めて、いよいよ本丸の「対外発信
の現状と課題」に踏み込んだ矢先の悲
(安達)
報でした。ご冥福をお祈りするばかり
です。合掌。
聞 通 信 調 査 会
( 27 )
12
寄贈の書籍・資料( )
大澤 香氏から
・新聞と大衆(K・マーティン)
・ 朝 日 新 聞 の 自 画 像 (荒 垣 秀 雄
編、鱒書房)
・アーニイ・パイル 最後の章
(瀧口修造訳、青磁社)
内田 啓明氏から
・『悔 い 無 き 八 十 八 年 ~ マ イ ペ ー
スの人生双六』(内田啓明著、
善本社)
財団法人 新
定価一五〇円 一年分一五〇〇円(送料とも)
(晩翠ビル四階)
東京都港区虎ノ門一─五─一六
☎(〇三)三五九三─一〇八一(代)
@
平 印 刷 社
株式会社 太
E-mali:chosakai helen.ocn.ne.jp
振替口座〇〇一二〇─四─七三四六七番
一〇五─
〇〇〇一
発行所
〒
印刷所 Ⓒ新聞通信調査会2009
13
◎書籍購入のお知らせ
㈶新聞通信調査会は次の書籍を
新規購入した。
▽『 メ デ ィ ア 激 震 』( 古 賀 純 一
郎、285㌻、税別1700円)
39
回共同通信社友会総会
清水金次郎、小野重信
喜 寿(五 十 七 人)= 上 農 光 明、中 川
常勝、井上千町、山本武、荒木卓郎、
石岡英夫、渡辺六三郎、三好貞夫、武
本 忠、 滝 徹 郎、 杉 山 和 俊、 伊 牟 田 重
孝、寺尾浩、後藤重幸、藤原賢助、水
野勝雄、佐々木謙一、古沢襄、木谷隆
治、加藤武司、上田融、門馬義弘、石
川隼人、稲村啓、平見登美子、福原亨
一、立崎磯夫、出口四三司、永嶋進、
城腰清、樋口孝、酒井富男、三ツ野充
蔵、 加 藤 智 子、 太 田 誠 一 郎、 浜 田 啓
明、 田 中 弘 一、 西 川 弘 康、 清 水 健 一
郎、横内義則、栗本朗、松倉完次、山
本 善 弘、 小 林 勲、 横 田 景 子、 立 川 恵
一、敷田英樹、大友誠一、滝村三郎、
田 中 正 美、 中 西 実、 吉 田 勲、 佐 藤 貞
夫、 笠 原 三 郎、 竹 内 誠 一 良、 下 岸 豊
治、前川桂三
【悲 報】
江口 浩氏(えぐち・ひろし=㈶新
聞通信調査会理事、元㈱共同通信会館
常勤監査役、元共同通信社国際局長、
元共同通信社ロンドン支局長) 月
日死去、 歳。自宅は東京都三鷹市下
連雀3の の の501。喪主は妻郁
子(いくこ)さん。
田 英夫氏(でん・ひでお=元共同
通信社特信局文化部長、元共同通信社
編 集 局 社 会 部 長) 月 日 死 去、
歳。自宅は東京都渋谷区猿楽町 の
11
◎第
52
52
第 回共同通信社友会総会が十一月
二日、東京都港区の霞が関ビル三十五
階の東海倶楽部で開かれ、平成二十一
年度会計報告、会長、副会長ら一部社
友会役員の新任、再任、退任などが承
認された。総会・懇親会には約四百五
十人の会員が参加した。
総会は石川聰社長ら共同通信役員も
出席、午後三時半開会。冒頭、物故会
員 三 十 五 人 を 紹 介、 出 席 者 全 員 が 起
立・黙とうして追悼。続いて宮島光男
副会長があいさつ。
次期繰越金を含む総額一千万余円の
二十一年度会計報告を承認。この一年
間に八十八人が入会し、会員総数は千
三百七十六人(女性八十四人)となっ
た。長寿会員六十七人を紹介、長寿会
員を代表して喜寿の中西実さんがあい
さつした。続いて、小田靖之会長の退
任と宮島副会長の会長就任、国分俊英
さんの副会長就任など役員一部交代の
提案が承認された。
また、石川社長がこの一年間のニュ
ース活動、共同グループの事業展開、
加盟社、契約社の動向等を報告した。
長寿会員は次の通り(敬称略)
= 中 野 徳 治 郎、 佐 々 木
米 寿(十 人)
多賀男、太田松男、中川艶子、服部国
夫、椛島敏子、岡田良治、蔵田学人、
14
(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号
37 72
33
11
13
●古賀
純
一 郎 著 ( N T T 出 版 = 二 二 〇 〇 円 税 別 )
る官の手厚い新聞保護があるからで、公正取引
委員会の基本方針は「見直し、撤廃、競争原理
の導入」である。仮に官の保護が外されると、
新聞社間の値引き競争でたちどころに経営はガ
タガタ、他方でネット社会にどう対応していけ
ばよいのか、著者は今日の新聞不況を「一過性
ではなく構造的なもの」ととらえ、繁栄をもた
らしてきた日本製ビジネスモデルはもはや崩壊
寸前という。
第 二 の 柱、国 際 通 信 社 の 興 亡 で は、過 去、現
在に至る激しい情報陣取り合戦の模様がつぶさ
に記されている。中でも象徴的なのはロイター
である。一九五〇~六〇年代初頭の通信社の内
実を表すキツイ冗談として「APは記者会見場
に運転手付きの乗用車で、UPIは自家用車を
自分で運転して乗りつけ、AFPはバイクで、
ふ
ロイターの記者は汗を拭き拭き自転車をこいで
現れる」を紹介し、その後のロイターの急成長
ぶりからは、到底信じられないぐらい落ちぶれ
ていた。
そ の ロ イ タ ー が 息 を 吹 き 返 し、様 変 わ り の 飛
躍を遂げたのは、経済情報の端末サービスであ
っ た。 キ ー を た た け ば、 端 末 画 面 で 瞬 時 に 株
価、為替相場、経済情報が分かる新サービスが
『 メ デ ィ ア 激 震 』
新聞界には同業者や身内のことを書かないと
いう、一つのタブーがある。松本サリン事件の
誤報や朝日のサンゴねつ造記事といった、どう
にもほおかぶりできないものを除き、字にはし
ない。ところが今日、そのタブーは破られた。
新聞界の内幕本が、新聞社OBによって次々と
出版され、経済誌や週刊誌なども特集を組む。
世界に冠たる新聞大国ニッポンの前途はどうな
るのか。
こ の よ う な 状 況 下 で、ま た 一 冊 の 内 幕 本 が 出
た。「メディア激震」という物騒な標題であり、
著者が通信社出身という点が他の類書の著者た
ちとは異なる。本書は三つの柱から構成され、
第一は激震が起こる要因についての考察、第二
は国際通信社の栄枯盛衰、第三はジャーナリズ
ムとメディアの将来についてである。
ま ず 第 一 の 柱 で は、数 多 く の 類 書 と 同 様、ネ
ット革命による読者の新聞離れと経済不況によ
る広告収入の減少が今日の不況の直接的原因
で、既に激震の前兆現象として赤字決算、リス
トラ、夕刊廃止、印刷・販売提携、ネットへの
進出を挙げ、震度七~八の倒産や合併がいつ起
こってもおかしくないという。今辛うじて激震
を回避しているのは、再販制度と特殊指定によ
(前田 耕一=新聞通信調査会顧問)
爆発的なヒットとなる。しかし、この大もうけ
も長続きはしなかった。ブルームバーグが顧客
に使い勝手のよい、データベースサービスを始
め、ロイターは苦しくなる。そこへIT革命に
よりネットでも経済情報はいち早く手に入れら
れる。そこでロイターが打った手はトムソンと
の 合 併 で あ り、 世 界 中 の メ デ ィ ア が あ っ と 驚
く、変わり身の早さであった。ロイターのこの
盛衰を見るにつけ、ジャーナリズムに軸足を置
けば経営は苦しく、功利主義に走ればジャーナ
リズムは失われる、つまり「パンかペンか」の
関係に行き着く。
さ て、本 書 の 最 後 の 柱 で あ る ジ ャ ー ナ リ ズ ム
とメディアの将来について、まずネット社会が
大 き く 広 が り、 そ の ア ク セ ス 傾 向 は、 エ ン タ
メ、スポーツが圧倒的に多く、ジャーナリズム
本来の任務である権力監視機能の弱体化を恐れ
る人が多い。象牙の塔ジャーナリズム(高い所
から報道する)や建物ジャーナリズム(役所な
ど権力機構に取り込まれた報道)では権力の監
視は無理で、シビックジャーナリズム(市民の
目線で報道)の育成が必要ではないかという。
ま た 新 聞 の 将 来 に つ い て、本 書 は「読 者 が 新
聞から離れていったのではなく、新聞が読者か
ら離れていった」との認識に立ち、うならせる
記事やスター記者の育成、読者を大事にする努
力が必要と結ぶ。しかし、メディア激震への対
応にこうした〝王道〟だけで間に合うのか疑念
は残る。
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(第 3 種郵便物認可)
メ デ ィ ア 展 望
平成21年12月 1 日 第575号