アップ事項24年

H24.12.31
赤子(せきし)の心
り ろ う しょう く
孟子
げ
離 婁 章 句 下 13
孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也。
読み
たいじん
せ き し
ひと
孟子曰く、大人は、其の赤子の心を失わざる者なり。
意味
大人は、赤子の気持ちを失っていない人である。
「大人」
( た い じ ん 、ダ ー レ ン )と は 、現 代 中 国 語 で も 使 わ れ て い る 用 語 で す 。日 本 語
の 「 大 人 」( お と な ) と は 概 念 が 違 い ま す 。 中 国 語 の 「 大 人 」 は 、「 立 派 な 人 」 と い う
徳を身につけた人を指すのが本来の意味で、転じて組織のボス格の人物に使われたり
します。歳を取っているだけでは中国語の「大人」ではありません。それは「君子」
とだいたい同じ概念といえるからです。
この「大人は、其の赤子の心を失わざる者なり」は、二つの意味があります。一つ
は、立派な得をつけた者は、いつになっても赤子のもつ「無垢さ」や「純粋さ」を失
わずに生きているというのです。もう一つは、君主たる者は常に民の暮らしに心を砕
き、その気持を理解しなければならないという諌めの言葉としても知られています。
おとなになると、何時しか灰色に染まって垢ばかりが身に付き純粋さは消えていき
む た く
ます。しかし、私たちはこの世に生まれた時みんな赤子で、人はみんな無托で純粋で
はないでしょうか。
大人は子供にはなりません。しかし、子供の心を持たなくてはなりません。一人前
の大人として理知を十分に備えいろいろな感情も十分に備えていて、しかも、そこに
赤子の素直さ、無功徳性、非合目的性をもたなくてはならないと思うのです。
H24.12.31
ベビーシェマ
人間の赤ちゃんもかわいいですが、動物の赤ちゃんも同じようにかわいいと人は反
応してしまいます。大人ライオンは怖いはずなのに、赤ちゃんライオンはかわいいと
思える。だからこそ、動物園で「赤ちゃんライオンと記念撮影」なんてイベントが成
立するのでしょう。
こ の よ う な 子 ど も の 姿 形 の 特 徴 を 動 物 学 者 の ロ ー レ ン ツ ( ノ ー ベ ル 賞 受 賞 者 。「 刷
り 込 み 」 で 有 名 。) が ベ ビ ー シ ェ マ ( ベ ビ ー ス キ ー ム ) と 名 付 け ま し た 。
ど ん な 特 徴 か と い う と 、「 大 き な 頭 」「 丸 い 頬 」「 目 と 目 の 間 が 離 れ て い る 」「 目 鼻 立
ち が 低 い 位 置 に あ る 」 顔 。 そ し て 、「 丸 く て ず ん ぐ り し た 体 型 」 で 、 こ の よ う な 特 徴
は、人間に限らず動物の赤ちゃんにも共通しているというのです。
このベビーシェマのこうした特徴を備えた幼児やさらには子犬や子猫などを見た
ほ と ん ど の ヒ ト ビ ト の 反 応 は 、「 か わ い ~ 」 と 思 わ ず 目 を 細 め 、 抱 き た く な り 、「 こ の
弱きものを助けなければ」という無力な存在の幼児(動物では幼体)を保護しようと
す る 、「 保 護 本 能 」。 す な わ ち 大 人 が そ の 子 を い と お し む 感 情 を 誘 発 す る 心 の し く み が
組み込まれているのです。
そのため、体が引きしまり、少しずつスマートになって
きた上の子に比べ、下の子の方にかわいさを感じてしまう背景には、こんな理由があ
るのかもしれません。
ロ ー レ ン ツ に よ る と 、 こ れ が 「 生 ま れ つ き 備 わ っ た も の ( 生 得 的 解 発 機 構 )」 だ と
いうのです。
一 方 で 、 こ の ベ ビ ー シ ェ マ を 目 に し た と き の 反 応 は 、 生 ま れ つ き で は な く 、「 乳 幼
児 の か わ い ら し さ 」に は 、発 達 変 化 が あ る み た い だ 。と い う 説 も あ り 、
「どの時期の赤
ちゃんが一番かわいいか?」を調べた面白い研究があります。
こ れ は 、 早 稲 田 大 学 の 根 ヶ 山 光 一 教 授 に よ る も の で 、 生 後 0~ 2 ヶ 月 か ら 生 後 24~
29 ヶ 月 の 乳 幼 児 の 写 真 を 用 意 し 、ど の 月 齢 の 子 が か わ い い と 思 う か 判 定 を し て も ら う
のです。
判 定 を し た の は 「 子 供 を 持 つ 母 親 」 と 「 女 子 学 生 」。 こ れ は 、 子 育 て 経 験 の 有 無 が
結果に関係するのかそれとも「生まれつき」そう思うものなのかはっきりさせるため
です。
結果はというと、どちらのグループも「1歳前後の赤ちゃん」が一番かわいいとい
う答えが多かったのです。ちなみに、生まれたばかりの新生児は、最もポイントが低
か っ た と の こ と 。生 ま れ た て の 赤 ち ゃ ん を 見 て「 サ ル に し か 見 え な か っ た 」
「正直なに
か怖いと思っていた」などという心当たりのある方も多いのではないでしょうか。
ベ ビ ー シ ェ マ の も し「 大 人 に よ る 庇 護 を 喚 起 す る も の 」で あ れ ば 生 ま れ た 直 後 に「 か
わ い さ MAX」
MAX 」 で あ る べ き で す 。 そ れ な の に 、 な ぜ 1 歳 前 後 な の か 。
中央大学の山口真美先生の説によると「自立的な活動が始まり
赤ちゃんの事故が
増加する時期。そこで見た目のかわいらしさで、親の保護を促すからではないか」と
のことです。
ウォーレン・バフェット
H24.11.12
ウ ォ ー レ ン ・ エ ド ワ ー ド ・ バ フ ェ ッ ト ( 1930 年 8 月 30 日 生 ) は ア メ リ カ 合 衆 国
の著名な投資家、経営者。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイ
の 筆 頭 株 主 で あ り 、 同 社 の 会 長 兼 CEO を 務 め る 。 A 型 で 、 か な り の 偏 食 家 で あ り 、 ソ
ニーの当時のトップだった盛田昭夫が、ニューヨークの自宅にバフェットを招待した
時 、 出 て く る 日 本 食 20 品 に 一 切 手 を つ け な か っ た 。 ま た 、 タ ン ガ ロ イ の 新 工 場 の 竣
工式典に出席した際、ある種類のハンバーガーとある種類のコーラしか食べないとい
う事前情報から、タンガロイ側は、マクドナルドのクォーターパウンダーから、具材
を 全 て 抜 き 、ソ ー ス も 味 付 け も 無 い 、完 全 に パ ン で 肉 を 挟 ん だ だ け の も の を 用 意 し た 。
また、コーラはものすごく甘いチェリーコークだけを、1 日に何本も飲む。
バフェットは長期投資を基本スタイルとし、利益を求めるだけの短期的な投機行為
を好まず、企業を長期的に応援していく投資哲学や長期間に渡って高い運用成績を残
していることなどから、世界中の投資家や金融関係者から注目や尊敬を集めている。
生活の場は、金融街ではなく地元オマハを中心として送っている為、敬愛の念を込
め て 「 オ マ ハ の 賢 人 」 と も 呼 ば れ る 。 世 界 長 者 番 付 で は ビ ル ・ ゲ イ ツ が 1994 年
か ら 13 年 連 続 で 1 位 と な り 、バ フ ェ ッ ト は 2 位 に な る こ と が 多 か っ た が 、2007
年 に 前 年 か ら 資 産 を 100 億 ド ル 増 加 さ せ 、 620 億 ド ル ( 約 6 兆 4360 億 円 ) と
なり初めて 1 位になった。
ま た 慈 善 活 動 も 積 極 的 に 行 っ て い る 人 物 で 、 2006 年 6 月 に 資 産 の 85%に あ た る 374
億 ド ル を 5 つ の 慈 善 財 団 に 寄 付 す る こ と を 発 表 。 こ の 寄 付 の う ち 約 310 億 ド ル は 友 人
でもある「ビル・ゲイツ」のビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付されている。毎年、
氏と一緒にステーキランチを楽しむ権利がオークションにかけられ、1 億円以上で落
札されている。落札金はグライド財団に全額寄付される。
バフェットの投資に関する考え方はベンジャミン・グレアムの理論をベースとして
いる。株式が企業の一部であることを意識し、市場に惑わされず、安全余裕率を忘れ
ないことが重要な要素だとしている。その他にフィリップ・フィッシャーの影響も受
け て い る 。当 初 は 株 価 純 資 産 倍 率( PBR)が 1 未 満 の 株 が 解 散 価 値 の 水 準 に 価 格 修 正 さ
れ る 傾 向 が あ る こ と か ら 、 PBR が 1 よ り も 小 さ い 株 を 買 い 、 価 格 修 正 さ れ た と こ ろ で
売却し、差額を得るという方法が主流だった。しかし、失敗した投資等によって、バ
フェットは単に割安な企業よりも数字に表れないものを含めて内在価値が高い事を重
視するようになり、普通の企業を格安で買うよりも優れた企業を相応の価格で購入す
べきだとしている。投資する基準は、事業の内容を理解でき、長期的に業績が良いこ
とが予想され、経営者に能力があり、魅力的な価格であるという 4 つを挙げている。
自身が分からない分野には手を出さないため、ハイテク分野の企業などには投資をし
ていない。長期的な業績を計るためにはブランド力や価格決定力を持つことを重視し
ている。企業は事業拡張や多角化の際に誤った判断によって容易にその価値を失いト
ラブルを発生させてしまうため、尊敬できる有能な経営者とだけ付き合う。ただし、
有能な経営者も悪化したビジネスを立て直すことはできないと考えている。
四苦八苦
H24.10.29
し く は っ く
四 苦 八 苦 と は 、 仏 教 に お け る 苦 の 分 類 、 苦 と は 、「 苦 し み 」 の こ と で は な く 「 思 う
ようにならない」ことを意味します。根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、この
あい べ つ り く
根本的な四つの思うがままにならないことに加え、愛別離苦(愛する者と別離するこ
おんぞう え
く
ぐ ふ と く く
と )。 怨 憎 会 苦 ( 怨 み 憎 ん で い る 者 に 会 う こ と )。 求 不 得 苦 ( 求 め る 物 が 得 ら れ な い こ
ご う ん じょう く
と )。 五 蘊 盛 苦 ( 人 間 の 肉 体 と 精 神 が 思 う が ま ま に な ら な い こ と ) の 四 つ の 苦 ( 思 う
ようにならないこと)を合わせて八苦と呼びます。
ぶっぽうそう
この八苦は、生きているかぎりついて廻り、この苦から逃れるには、仏法僧の三法
き
え
はっしょうどう
印に帰依して、八正道を実践するしかないと仏教は教えています。
ね は ん じゃくじょう
三法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃 寂 静 を指します。
諸行無常は、世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているとい
う真理です。世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありませ
ん。それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至る
まで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったり
もします。それが、「執着」へとつながるのです。このような苦しみにとらわれない
ためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを
理解することが大切です。
諸法無我は、全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、
他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、
自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の
中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と
同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分と
い う 存 在 す ら 主 体 的 な 自 己 と し て 存 在 す る も の で は な く 、互 い の 関 係 の な か で "生 か さ
れ て い る "存 在 で あ る と 気 が つ き ま す 。
涅 槃 寂 静 は 、 こ れ は 、 仏 教 の 目 指 す 苦 の な い "さ と り "の 境 地 を 示 し て い ま す 。 し か
し、世の中は自分の思い通りにならないことばかり。そんなとき、人は自分以外のも
の に 原 因 を 求 め 、不 満 に な り 、怒 り を 抱 く も の で す 。仏 教 で は 、こ う し た 怒 り は 全 て 、
自分の心が生み出していると考えます。その原因となっているのが、疑い、誤ったも
のの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」。こうした煩悩を消し去り、安らか
な 心 を も っ て 生 き る こ と こ が "さ と り "の 境 地 な の で す 。 そ こ に 到 達 す る た め に は 、 先
に 挙 げ た "諸 行 無 常 ""諸 法 無 我 "を き ち ん と 理 解 す る こ と が 大 切 で す 。
八正道とは、お釈迦さまの最初の説法において説かれたとされる、修行の基本とな
る 八 種 の 実 践 徳 目 で す 。そ れ は 、正 見( 正 し い 見 方 )、正 思( 正 し い 考 え 方 )、正 語( 正
し い 言 葉 )、正 業( 正 し い 行 い )、正 命( 正 し い 生 活 )、正 精 進( 正 し い 努 力 )、正 念( 正
し い 意 識 )、 正 定 ( 正 し い 精 神 の 安 定 ) の 八 つ で す 。
人は「自分本意」の小我で、不平・不足・不満などの苦の種をつくりそれを大きく
育ててしまう愚かな、さとることが出来ない凡夫ですが、この三法印や八正道を理解
し少しでも実践出来たならば、安らかな人生を送ることが出来るかもしれません。
三福田
H24.10.1
きょう で ん
おんでん
ひ でん
供 養 す る こ と に よ っ て 福 徳 が 得 ら れ る 敬 田 ・恩 田 ・悲 田 の 三 称 。ま た は 、三 宝 の こ
た ん ぼ
し ゅ し
ま
とをいい、農夫が春、田圃に種子を蒔き、秋に収穫を得るように、徳を積んでその果
報を受けることが人間にとって真の幸福であり、それにはどういう田圃に種子蒔きを
すればよいか。それが三福田の教えです。
うやま
せ け ん
こ
け
ゆいぶつ ぜ しん
第 一 は 敬 田 と い っ て 、 仏 法 僧 の 三 宝 を 敬 う こ と で す 。 「 世 間 虚 仮 。 唯 仏 是 真 」 (聖
徳 太 子 )と い う 。現 象 世 界 は 仮 り 物 で 、た だ 仏 の 世 界 の み が 真 実 で あ る と い う 。こ の 唯
むな
一 真 実 な る 仏 を 敬 い 、 そ の 教 え (法 )と 、 そ れ を 伝 え 導 い て く れ る 僧 に 、 己 れ を 空 し く
しょうが
た い が
して絶対随順するとき、私達は小我から大我に生まれ変わることが出来るのです。何
一つ頼りにならない虚仮の日常生活において唯一真実なるものを身につけるほど人間
として尊く幸せなことはありません。
おんほうしゃ
第二の恩田は、ご恩報謝の徳を積むことです。私達にとって父母祖先の恩ほど大き
いものはありません。切り花はどんなに美しくとも根がないのですぐ枯れます。私達
せ
ひ
こ う じゅん し ん
の 生 命 の 花 を 長 く 保 つ に は 、根 に 施 肥 し な く て は な り ま せ ん 。そ れ は 孝 順 心 、真 実 を
ついぜん
もって親に仕えることと亡き祖先に対しては追善のまことを捧げることです。
ほどこ
第 三 の 悲 田 は 、い つ く し み の 心 を も っ て 恵 ま れ な い 周 囲 の 人 々 施 し を す る こ と で す 。
む え ん
さらには無縁の精霊に対しても供養のこころを忘れないことです。
三宝(十七条の憲法
第二条)
原文
二 曰 。篤 敬 三 寳 。三 寳 者 仏 法 僧 也 。則 四 生 之 終 帰 。萬 国 之 極 宗 。何 世 何 人 非 貴 是 法 。
人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉
読み下し
あつ
さんぼう
うやま
すなわ
ししょう
二に曰わく、篤く三宝を 敬 え。三宝とは仏と法と僧となり、 則 ち四生の終帰、万
ごくしゅう
いず
とうと
は な は
あ
すく
国の極 宗なり。何れの世、何れの人かこの法を 貴 ばざる。人尤だ悪しきもの鮮なし、
よ
まが
ただ
能く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉れるを直さん。
現代語訳
二 に い う 。 あ つ く 三 宝 (仏 教 )を 信 奉 し な さ い 。 3 つ の 宝 と は 仏 ・ 法 理 ・ 僧 侶 の こ と
い の ち
である。それは生命ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範であ
る。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。
人で、はなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。た
い き ょ
だ 、そ れ に は 仏 の 教 え に 依 拠 し な け れ ば 、何 に よ っ て ま が っ た 心 を た だ せ る だ ろ う か 。
H24.7.31
アブラハムの宗教
アブラハムの宗教とは、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝
福された最初の預言者「信仰の父」とも呼ばれるアブラハムの宗教的伝統を受け継ぐ
と称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教のことです。初期のイスラムは
この概念によって、先行するユダヤ教・キリスト教とイスラムは立場が同じであるこ
とを強調していました。各宗派により神の呼び方は、ヤハウェ、エホバ、ゴッド、
ア ラ ー 等 は あ り ま す が 、全 て 同 じ も の を 指 し 、
『 は っ き り し な い と は い え 、生 々
しく実在するもの』と捉え、全ての元(創造主)と考えています。そのため神
ではなく主という言葉も使うのかもしれません。
アブラハムの宗教は、一神教であり偶像崇拝を禁じ、神の言葉をまとめたものであ
る と さ れ る 聖 典( 聖 書 や コ ー ラ ン )に 重 き を 置 き 、2006 年 現 在 、ア ブ ラ ハ ム の 宗 教 の
信 者 数 は 約 34 億 人 と 推 計 さ れ 、う ち キ リ ス ト 教 約 21 億 人 、イ ス ラ ム 教 約 13 億 人 、ユ
ダ ヤ 教 約 1500 万 人 と さ れ て い ま す 。
『創世記』によると、アブラハムには二人の息子、イシュマエルとイサクがいまし
た。イシュマエルはアブラハムの妻サラの奴隷ハガルが生んだ子、イサクはアブラハ
ム ( 100 歳 ) の 妻 サ ラ ( 90 歳 ) が 生 ん だ 子 で 、 ユ ダ ヤ 人 は イ サ ク の 息 子 ヤ コ ブ の 子 孫
であると言われます。イスラム教のコーランはアラブ人をイシュマエルの子であると
します。『創世記』では、ヤコブのまたの名がイスラエルであることから、ユダヤ人
は「イスラエルの民」と呼ばれます。
ユダヤ教とはシナイ山でイスラエルの民の神と預言者モーセの率いるイスラエル
の民との間に結ばれた契約モーセの十戒を元とする宗教です。イスラエルの民の神と
の契約を記した書がトーラー(律法
『モーセ五書』)であり、キリスト教では旧約
聖書と呼ばれます。
キ リ ス ト 教 は ナ ザ レ の イ エ ス( 出 身 地 を 含 め た 呼 び 方 )を 神 の 子 と し て メ シ ア( 救
済者:元は油を塗られた者という意)と認め、イエス以後の神との契約と歴史を記し
た新約聖書を旧約聖書とともに正典(啓典)とします。
イスラム教はイエスとモーゼらユダヤの預言者たちを神によって選び出され神の
言葉を伝える使命を帯びた者であると認めていますが、ムハンマド(イスラム教の開
祖、軍事指導者、政治家。マッカ郊外のヒラー山の洞窟で、大天使ジブリール(ユダ
ヤ教、キリスト教ではガブリエル)に出会い、唯一神(アラー)の啓示を受けたとさ
れ る 。)を 最 高 最 後 の 預 言 者 で あ る と し ま す 。イ ス ラ ム 教 は 、ム ハ ン マ ド に 下 さ れ た 啓
示をまとめたコーランがもっとも忠実に神の言葉を伝える啓典であると考えることか
し へ ん
けいてん
ら『 モ ー セ 五 書 』、
『 詩 篇 』、イ ン ジ ー ル( 福 音 書 )を 啓 典 と 認 め は し て も 、こ れ に 重 き
を置くことはありません。また、キリスト教とユダヤ教は少なくとも旧約聖書の部分
では世界観を共有していますが、イスラムの世界観はそれらとは独立して存在してい
ます。イスラムの預言者伝承では、聖書と共通の人物の話であっても、人物の親族名
称や、舞台、活躍した年代などが異なる例が多く、イスラム教による伝統的な呼び方
ではユダヤ教およびキリスト教徒を「啓典の民」と呼んでいます。
十界(じっかい)
H24.7.21
十 界 と は 、天 台 宗 の 教 義 に お い て 、人 間 の 心 の 全 て の 境 地 を 十 種 に 分 類 し た も の で 、
し しょう
しょうもん か い
えんがくかい
六 道 の 地 獄 界 ・ 餓 鬼 界 ・ 畜 生 界 ・ 修 羅 界 ・ 人 界 ・ 天 界 に 四 聖 の 声 聞 界 ・縁 覚 界 ・ 菩 薩
じっぽうかい
界・仏界を付加したものです。十界論、十方界あるいは十法界とも言われ、これらの
総称が十界です。
しばしば
あるとき
むさぼ
しょう
おろ
日 蓮 宗 の 日 蓮 聖 人 も「 数 他 面 を 見 る に 、或 時 は 貪 り 現 じ 、或 時 は 癡 か 現 じ 、或 時
てんごく
いか
むさぼ
おろ
は 諂 曲 な り 。瞋 る は 地 獄 、 貪 る は 餓 鬼 、癡 か は 畜 生 、諂 曲 な る は 修 羅 、喜 ぶ は 天 、平
めのまえ
あに
む
こ
らかなるは人なり。
( 中 略 )世 間 の 無 常 は 眼 前 に あ り 。豈 人 界 に 二 乗 無 か ら ん や 。無 顧
なお さ い し
ただし
の 悪 人 も 猶 妻 子 を 慈 愛 す 、 菩 薩 界 の 一 分 な り 。 但 、 仏 界 ば か り 現 じ 難 し 。」 と 述 べ て
います。この十界を簡単に述べると。
ぶっかい
1
仏 界 は 、仏 の い る 世 界 で 、崩 れ る こ と の な い 自 由 自 在 の 生 命 活 動( 常 )、生 き て い
ふんどう
く こ と 自 体 を 楽 し む 絶 対 の 幸 福 感 ( 楽 )、 何 物 に も 粉 動 さ れ な い 円 満 か つ 強 靱 な 主
体 性 ( 我 )、 何 物 に も 汚 染 さ れ な い 清 浄 な 生 命 ( 浄 )、 以 上 の 四 つ に 象 徴 さ れ る 最 高
きょうがい
の境 涯とされています。
2
菩薩界は、思い遣りや優しさにあふれた世界で、自身のことよりも、他人の幸せ
を願い、そのために尽くす状態です。
えんがく
3
どっかく
しょうもん
縁覚界は、達人の世界で、独覚ともいい、声 聞 が先人の教えを求めるのに対し、
自然現象等を通じて自ら分々の悟りを得る状態です。
しょうもんかい
4
声 聞 界 は 、向 上 心 、学 び 訓 練 す る 世 界 で 、先 人 の 教 え を 学 ぶ 中 か ら 、無 常 観 な ど 、
分々の真理を会得していく状態です。
しょてん
5
天界は、諸天が住む世界、喜びの世界で、思うとおりになって、喜びを感じてい
る 状 態 で す 。( 有 頂 天 は こ こ か ら き て い る 言 葉 )
6
人 間 界 は 、通 常 の 世 界 、平 常 心 の 世 界 で 、人 間 ら し く 、平 常 で 穏 や か な 状 態 で す 。
7
修 羅 界 は 、争 い の 世 界 、競 争 心 の 世 界 で 、ひ ね く れ 曲 が っ て 、 勝 他 の 念 に 駆 ら れ
しょう た
か
ている状態です。
ぐ
8
ち
畜 生 界 は 、動 物 の 世 界 、浅 は か な で 愚 か な 世 界( 愚 癡 )で 、理 性 や 道 理 で は な く 、
目先のことにとらわれ、本能のおもむくままに行動する状態です。
けんどん
9
餓鬼界は、飢餓に苦しむ世界、自分の事しか考えない世界(慳貪)です。不足感
どんよく
からくる貪欲にとらわれている状態です。
にく
10
し ん い
地獄界は、様々な苦しみ憎しみにあふれた世界、怒りの世界(瞋恚)です。地は
低 下 を 意 味 し 、獄 は 拘 束 さ れ て 不 自 由 な こ と で 、苦 し み や 憎 し み に 囚 わ れ そ こ か ら
いかり
抜け出すことが出来ず、 瞋 を感じ苦悶する状態です。
きょうがい
仏 法 で は 、私 達 の 生 命 が 内 よ り 実 感 す る 状 態 を 、こ う し た 十 種 類 の 境 涯 に 分 類 し て
います。そして事実、我々の生活を委細に観察してみると、様々な縁に触れて悩んだ
り喜んだりと、その時々に十種の境界のいずれかを感じて生きていることが分かりま
す。ただし、三悪道・四悪趣といった低い境界の方が、たやすく現れ四聖等の勝れた
境界(就中最高の仏界)はなかなか現じがたいのが実際です。
梵天
H24.7.16
ぼんてん
梵天は、仏教の守護神である天部の一柱。古代インドの神ブラフマーが仏教に取り
入れられたもので、十二天に含まれます。梵天は、帝釈天と一対として祀られること
が多く、両者を併せて「梵釈」と称することもあります。
古代インドのバラモン教の主たる神の 1 つであるブラフマーが仏教に取り入れられ
たものです。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」
を 神 格 化 し た も の で 、ヒ ン ド ゥ ー 教 で は 創 造 神 ブ ラ フ マ ー は ヴ ィ シ ュ ヌ( 維 持 神 )、シ
ヴァ(破壊神)と共に三大神の 1 人に数えられました。
この神が仏教に取り入れられ、仏法の守護神となり、梵天と称されるようになりま
し ゃ か む
に
し た 。な お 、釈 迦 牟 尼 が 悟 り を 開 い た 後 、そ の 悟 り を 広 め る こ と を た め ら い ま し た が 、
ぼ ん て ん かんじょう
そ の 悟 り を 広 め る よ う 勧 め た の が 梵 天 と 帝 釈 天 と さ れ 、こ の 伝 説 は 梵 天 勧 請 と 称 さ れ
ます。
また、天部(六道や十界の 1 つである天上界)は、さらに細かく分別されますが、
色界十八天のうち、初禅三天の最高位(第三天)である大梵天を指して「梵天」と言
ぼん ほ て ん
う 場 合 も あ り ま す 。神 と し て の 梵 天 は こ の 大 梵 天 に 住 み 、そ の 下 の 第 二 天 で あ る 梵 輔 天
ほ そ う
ぼ ん しゅうてん
には、梵天 の 輔相(大臣 )が住み 、さ らに その 下 の第三 天で ある 梵 衆 天 には 、梵天の
領する天衆がこの天に住むとされます。
かんしつぞう
日本における梵天・帝釈天一対像としては、東大寺法華堂(三月堂)乾漆像、法隆
そ ぞ う
とうしょうだいじ
さかのぼ
寺旧食堂塑像、唐招提寺金堂木像などが奈良時代に 遡 る遺例として知られ、奈良・
に
ぴ
興福寺には鎌倉時代作の像があります。これらの像はいずれも二臂の、普通の人間と
ほうけい
ほ っ す
え こ う ろ
同じ姿で表され、頭には宝髻を結って、手には払子や鏡、柄香炉を持つなど、唐時代
の貴人の服装をしています。
これらの梵天像と帝釈天像はほとんど同じ姿に表現され、見分けの付かない場合も
よろい
ありますが、帝釈天像のみが、衣の下に皮製の 甲 を着けている場合もあります。
し
ひ
密教における梵天像は四面四臂で表され、これはヒンドゥー教のブラフマー像の姿
が取り入れられたものです。6 世紀半ばから 8 世紀ごろのインドの様式が源流ではな
いかという指摘があり、エレファンタ石窟群にあるブラフマー像が例の 1 つとして挙
ちょうぞう
ちょめい
げ ら れ て い ま す 。 彫 像 で は 京 都 ・ 東 寺 講 堂 の 木 像 が 著 名 で す ( 国 宝 )。 東 寺 像 は 四 面
四臂の坐像で、4 羽の鵞鳥(ハンサ鳥)の上の蓮華座に乗っています。
しょう か ん の ん
聖 観 音 を 本 尊 と し た 梵 天 と 帝 釈 天 の 三 尊 形 式 も 見 ら れ 、平 安 時 代 に 二 間 観 音 供 の た
まつ
びゃくだんぞう
めに祀られたものである。この遺例としては、鎌倉時代後期の東寺の白檀像、愛知県
うんけい
の瀧山寺に見ることができます。瀧山寺像は、運慶の作とされています。
「万物の根源」という漠然としたものを造形化した神で、親しみが湧きにくいため
か、インドでも日本でも梵天に対する民衆の信仰はあまり高まらなかったようです。
H24.7.4
帝釈天
たいしゃくてん
帝釈天は、密教の守護神である天部の一つで、バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロア
スター教の武神(天帝)で、インド最古の聖典である『リグ・ヴェーダ』の中で最も
多くの賛歌を捧げられている軍神・武勇神インドラと呼ばれる重要な神さまです。イ
しゃく だ い か ん い ん
ン ド ラ の 名 前 は 帝 と 意 訳 し て 冠 し た も の で 、漢 字 に 音 写 し て 釋 提 桓 因 と 呼 ば れ 、釋 は
あざな
しゃ し
字 。提 桓 因 は 天 主 の こ と で す 。妻 は 阿 修 羅 の 娘 で あ る 舎 脂 で 、こ の 親 の 阿 修 羅 と も 戦
せいどう
闘したという武勇の神でしたが、仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、また
ちょうもん
ご ほ う
その説法を聴 聞したことで仏陀に帰依し、梵天と共に護法の善神とされています。
し ゅ み せ ん
き けんじょう
とう り て ん
帝 釈 天 は 須 弥 山 の 頂 上 の 喜 見 城 に 住 ん で い て 、忉 利 天 に 住 む 神 々 の 統 率 者 で あ る と
も う ご
ため
同 時 に 四 天 王 を 統 率 し 、人 間 界 を も 監 視 し ま す 。即 ち 衆 生 が 殺 生 、盗 み 、妄 語 等 を 為 さ
し ちょう
ないか、父母に孝順であるか、師 長 を尊敬するか、貧しい人に施しをするかどうか、
つか
毎月八日、二三日には人間界に使者を遣わし、一四日、二九日には王子を遣わし、一
五日、三〇日には四天王が自ら姿を変えて人間界を巡歴し、衆生の善悪の事を監察す
ろくさいじつ
るといわれています。従って人々はこれらの日を六斎日といって行いをつつしむので
す。
き ょ う し か
帝釈天が、人間だった頃の名前は憍尸迦あると説かれています。かつて昔にマガダ
ま
か
ふくとく
だい ち
え
国の中で名を摩伽、姓を憍尸迦という、福徳と大智慧あるバラモンがいました。彼に
おさ
みょうじゅう
は 知 人 友 人 が 32 人 い て 共 に 福 徳 を 修 め て 命 終 し 、 須 弥 山 の 頂 の 第 2 の 天 上 に 生 ま れ
ほしょう
ま し た 。 摩 伽 バ ラ モ ン は 天 主 と な り 、 32 人 は 輔 相 大 臣 と な っ た た め 、 彼 を 含 め た 33
人を三十三天といい、これゆえに釈迦仏は彼の本名である憍尸迦と呼ぶといいます。
また、このために彼の妻・舎脂を憍尸迦夫人と呼ぶこともあります。
ほうけい
に ぴ ぞ う
日本では、頭上に宝髻を結び、中国式の礼服を着た二臂像として表現されることが
ちゃくい
かっちゅう
こ ん ご う しょう
れんこん
と
多 く 。ま た 、着 衣 下 に 甲 冑 を つ け る こ と も あ り 、手 に は 金 剛 杵 や 蓮 茎 な ど を 執 る こ と
があります。
阿修羅
H24.6.30
そ
ら
す
ら
そ
ら
阿修羅は八部衆に属する仏教の守護神。「阿素洛」「阿素羅」「阿蘇羅」とも呼ば
し ゅ ら
れたり、「修羅」とも呼ばれています。
ぼ ん ご
阿 修 羅 と い う 名 前 は 、 梵 語 で は 古 代 イ ン ド 語 の 「 ア ス ラ (A sura)」 の 音 写 と さ れ 、
「 生 命 (asu)を 与 え る (ra)者 」 を 意 味 し ま す が 、 そ の 一 方 で 「 非 (a)天 (sura)」 と も 解
釈され全然性格の異なる神を表しています。
またペルシャなどでは大地にめぐみを与える太陽神として信仰される一方で、イン
ド で は 熱 さ を 招 き 大 地 を 干 上 が ら せ る 太 陽 神 と し て 、 常 に 「 イ ン ド ラ (帝 釈 天 )」 と 戦
う悪の戦闘神とされています。
い つ わ
戦 闘 神 と さ れ る 阿 修 羅 、そ の 背 景 に は こ の よ う な 逸 話 が あ り ま す 。阿 修 羅 の 一 族 は 、
しゃ し
帝釈天が主である三十三天に住んでいました。阿修羅には「舎脂」という美しい娘が
いて、その美貌は神々の間でも評判でした。阿修羅は、いずれ舎脂を帝釈天に嫁がせ
たいと思っていました。
しかし、帝釈天は舎脂を力ずくで奪い取ったのです。それを怒った阿修羅が帝釈天
りょうじょく
に戦いを挑むことになりました。 凌 辱 された後の舎脂は戦の最中であっても逆に帝
釈天を愛してしまったことに阿修羅はさらに怒り、争いは天界全部をも巻きこみ、阿
修羅は復讐に燃える悪鬼となってしまい、その戦いは常に帝釈天側が優勢でした。
しかしある時、阿修羅の軍が優勢となり帝釈天が後退していた最中、蟻の行列にさ
しかかります。蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲の気持ちから、
軍を止めることに。そんな行動に阿修羅は「帝釈天の計略があるかもしれない」と疑
念を抱き、撤退していきました。その後も戦いましたが、力の神である帝釈天に勝て
はず
り て ん
ぜ ん けんじょう
る筈もなく敗れた阿修羅 はこれをきっかけに天 界であるとう 利天 と善 見 城 から追放
されてしまうのです。
この逸話から、阿修羅にまつわるいくつかの説が生まれました。一説はこの話が天
部の中で広まり、追われることになったしまったという説。また一説では、阿修羅の
行動は確かに正義です。
しかし、舎脂はその後、帝釈天の正式な夫人となっていたにも関わらず、戦いを挑
ゆる
むうちに赦す心を失ってしまった・・・。
つまりたとえ正義であっても、それに固執し続けると言うことは、善心を見失い
もうしゅう
妄 執 の 悪 と な っ て し ま う 。こ の こ と か ら 、そ の 闘 争 的 な 性 格 か ら 五 趣 の 人 と 畜 生 の 間
に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となってしまったと言われて
います。
日本では、争いの耐えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶのも、
この逸話が元になっています。しかしその後、仏教に取り入れられてからは、釈迦を
守護する神と説かれるようになりました。
バ ル サ ル バ 効 果・バ ル サ ル バ 手 技
H24.6.27
バルサルバ効果とは、息を止めて、力むことにより直腸筋、腹筋、声帯、口唇など
が筋緊張を起こし、想像以上に重たい物を持てたり、血圧が上昇したり、心拍が早ま
ることで普段より筋力が発揮できる生理的な現象を言い、イタリアの解剖学者、アン
ト ニ オ・マ リ ア・バ ル サ ル バ が 使 っ た こ と か ら 名 付 け ら れ ま し た 。火 事 場 の 馬 鹿 力 も 、
バルサルバ効果の表れといえます。
バルサルバ効果による血圧上昇のメカニズムについては、以下のように説明できま
す 。 1.息 こ ら え → 2.胸 腹 腔 内 圧 上 昇 → 3.大 静 脈 の 圧 迫 → 4.静 脈 血 の 心 還 流 量 減 少 → 5.
心 拍 出 量 減 少 → 6. 血 圧 降 下 → 7. 圧 受 容 器 の イ ン パ ル ス 頻 度 減 少 → 8. 心 拍 数 増 加 ( 頻
脈)
・末 梢 血 管 の 緊 張 に よ る 抵 抗 増 大( 血 圧 上 昇 )と な り ま す 。そ の た め バ ル サ ル バ 効
果は循環器疾患や高齢者などのリスク患者には重要な意味があります。
これは血圧が高い、再発の危険が大きい脳卒中患者や心疾患患者には息こらえを起
こ さ せ る よ う な 運 動 (具 体 的 に は 腹 圧 を 高 め る よ う な 運 動 、 前 屈 み な ど の 動 作 )は 禁 忌
ということです。ちなみに、真冬の早朝に脳卒中の発症が多いのは、この寒い時期に
布団から薄着で起き出して大便時にいきむことにより血圧が許容値を超えて上昇し脳
血管の破綻が起こるためと言われています。
このバルサルバ効果を意図的に行う事をバルサルバ手技と言い具体的には、息をす
っ た ま ま 呼 吸 を 止 め 、腹 に 力 を ぐ っ と 入 れ 、腹 圧 を 内 臓 に か け ま す 。手 技 は 、発 作 性 の 頻
脈を抑える、耳抜き、分娩の促進等に使われたりします。
発 作 性 の 頻 脈 を 抑 え る の は 、 10 秒 ほ ど 息 む と 反 射 的 に 交 感 神 経 が 緊 張 し 、 頻 脈 と な
りますが、息こらえを解放すると、胸腔内圧上昇により抑えられていた静脈血が一気
に 心 臓 に 戻 り 、こ の 増 大 し た 血 液 が 左 室 に 到 達 し 、1 回 拍 出 量 を 増 加 さ せ 、そ の 結 果 、
頚動脈洞の圧が上昇し、副交感神経が刺激され反射性の徐脈になるからです。
耳 抜 き は 、口 を 閉 じ 、鼻 を ぎ ゅ っ と つ ま み 、鼻 か ら 空 気 が 漏 れ な い よ う に し な が ら 、
鼻から空気を出します。すると音が聞こえ、耳の中の圧力が一定になります。この手
技はバルサルバ手技の応用で、息止めをして耳管から中耳に圧をかけて、中耳の中の
へいこう
圧力と周りの圧力を同じにすることにより、鼓膜内外の圧平衡にすることです。他に
は、トインビー法という口を閉じてあくびをして、耳管を開かせ、中耳に空気を送り
込むという方法もあります。
分 娩 で の バ ル サ ル バ 手 技 も 応 用 で 、胎 児 を 力 ん で 娩 出 す る こ と で す が 、 分 娩 第 2 期 を
短縮する以外に有効ではないため、第 2 期分娩遷延や胎児機能不全(胎児心拍異常)
のような特別の適応に限定してすべきであるとあります。このような適応により、バ
ル サ ル バ 手 技 で い き む 必 要 の あ る 場 合 は 、1 回 の 息 継 ぎ で 10 秒 以 内 の い き み に と ど め
ることが重要であるとし、正常な分娩経過の産婦では、我慢できないいきみ(共圧陣
痛)を感じるまで待って、母児への影響を考慮して対応すべきであるとあります。
※ 分娩第 2 期は子宮頚部が全開大してから胎児娩出までを指します。
H24.6.22
六 文 銭 = 六 道 銭(
銭 冥 銭 :め い せ ん )
六文銭は、三途の川の渡し賃ともされる冥銭、地蔵菩薩信仰における六道にいると
される六人の地蔵菩薩に渡す、六道銭のことです。また、これらを図案化した日本の
家紋「銭紋」の一種です。
銭紋は銭貨を図案化したもので、銭は富を象徴するものである一方、三途の川の渡
し賃として死者とともに納棺するもので、この六道銭は地蔵信仰の影響と言われてい
ます。また、真田幸村で有名は真田家の家紋として六文銭は有名ですが、六文銭は定
紋ではなく本来は戦時の旗に入れる旗紋など替紋として使用されていたと言われ、こ
の六文銭は六紋連銭ともいわれます。
り ん ね
六道とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6 種類の迷いある世界の
てんどう
に んげ ん ど う
し ゅ ら どう
ちくしょう ど う
が
き どう
じ ごくどう
ことで、天道、人間道、修羅道、畜 生 道、餓鬼道、地獄道を言います。仏教では、輪
おもむ
廻 を 空 間 的 事 象 、あ る い は 死 後 に 趣 く 世 界 で は な く 、心 の 状 態 と し て 捉 え 。た と え ば 、
天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が
地獄のような状態である、と解釈されます。
天道は天人が住まう世界です。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に
長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされます。また、空を飛ぶことが
きょうらく
で き 享 楽 の う ち に 生 涯 を 過 ご す と い わ れ ま す 。し か し な が ら 煩 悩 か ら 解 き 放 た れ て い
ません。また、天人が死を迎えるときは 5 つの変化が現れ、これを五衰(天人五衰)
あか
と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、
しぼ
頭の上の花が萎むと言われます。
人間道は人間が住む世界で、四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、
苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされます。また、仏になりうるという救
いもあります。
修羅道は阿修羅の住まう世界で、修羅は終始戦い、争うとされます。苦しみや怒り
き け つ
が絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世
界です。
畜生道は牛馬など畜生の世界で、ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなさ
れるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない
世界とされます。
餓鬼道は餓鬼の世界で、餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとする
と火となってしまい餓えと渇きに悩まされます。他人を思わないために餓鬼になった
例 が あ り 、 旧 暦 7 月 15 日 の 施 餓 鬼 は こ の 餓 鬼 を 救 う た め に 行 わ れ ま す 。
地獄道は罪を償わせるための世界で、地獄のことです。
この六道世界より、観音菩薩の導きで救われるという観音信仰があり、その六つの
に ょ い りん
じゅんてい
世 界 に 応 じ た そ れ を 六 観 音 と よ び 真 言 宗 で は 、天 道:如 意 輪 観 音 、人 間 道:准 胝 観 音 、
しょう
修 羅 道 : 十 一 面 観 音 、畜 生 道 : 馬 頭 観 音 、餓 鬼 道 : 千 手 観 音 、地 獄 道 : 聖 観 音 と さ れ
ています。
H25.6.1
報酬系と罰系
人 間 の 脳 に は 、報 酬 系 の 部 位 と 罰 系 の 部 位 が あ り 、報 酬 系 の 部 位 を 刺 激 す る と 快 感 、
罰系の部位を刺激すると不快感の感覚が生じます。報酬系も罰系も大脳辺縁系とよば
れるところに存在し、感情に深く関わり、本人の意思とは関係なく刺激によって快や
不快を感じると言われています。
快、不快を単純に分けると、快は好き、嬉しい、楽しい、満足するなど、不快は嫌
い、怖い、不安、不満などともいえます。この快、不快の単純な感覚機能は、哺乳類
や爬虫類、両生類や魚類などにも備わっていると考えられ、生命維持のための基本的
な構造で、生物が生きるための捕食行動と性行動に関わっているものと考えます。
このように種の生存には、自らが生きることと子孫を増やすことが最も重要なこと
なのです。そのため、自分に害のある物から離れて避け、自己保存に必要なものなど
には近づいて、体内に取り込むというような闘争・逃走反応を自然と身に付けたので
はないでしょうか。この例は、ゾウリムシで見ることが出来ます。ゾウリムシの入っ
も
ている容器に、好きな食べ物であるクロレラ藻を入れると、さかんに体内に取り込み
はじめますが、このとき嫌いな酢酸を染み込ませたスポンジを入れると、ゾウリムシ
は、みごとに酢酸のスポンジから離れ、離れそこなったものは死んでしまいます。
脳 が 高 次 に 発 達 し た 哺 乳 類 で は 、大 脳 辺 縁 系 の 中 に あ る 扁 桃 体 が 、こ の 好 き 嫌 い( 快
や不快)、つまり自分にとってそのものが役に立つ有益な物なのか、害になる物なの
か、無意味な物なのかを判断しています。この能力がなければ、危険な動物や敵から
身を避けることができず、ゾウリムシのように瞬く間に死滅してしまうでしょう。
ま た 、 生 物 の 進 化 を み る と 地 上 に 生 命 が 誕 生 し た の は 35 億 年 ほ ど 前 だ と い わ れ 、
初 め の 約 20 億 年 間 、地 球 上 の 全 て の 生 命 は 原 核 細 胞 か ら な る 細 菌 だ け で し た が 、そ の
後、生物は真核細胞という高度な細胞を手にして進化の道を歩み始め、植物や動物を
生み出したと言われています。真核細胞は、細胞共生進化説によれば、アメーバ状の
原核細胞がやがてミトコンドリアや葉緑体となることになる原核細胞と共生を始めた
ことから生まれたとあります。これは一個体よりも協力しあって生命活動を行った方
が生き残る確率が高くなるためではないでしょうか。生物が男女に分かれたのも、よ
りよいパートナー(強いもの)と性行為を行い、生き残れる子孫を残すための戦略で
はないでしょうか。そして、この性行為や恋愛には心地よさ(快)を伴います。
報酬系や罰系は、人間が活動するための大きな源泉で、特に報酬系は快感をつかさ
どるため好き、嬉しい、楽しい、満足するなどに関わり、学習や環境への適応、仕事
へ の 取 り 組 み な ど の 行 動 へ の 動 機 付 け( や る 気 )に プ ラ ス に 作 用 す る こ と が あ り ま す 。
しかし、人間は社会生活を営むため。本能的に、快や不快などの好き嫌いで行動を
してしまうと社会生活が成り立ちません。そのため人間が他の動物と違うのは、この
報酬系と罰系という二つのシステムが人間精神をつかさどる大脳につながっているこ
とです。つまり、本能的な機能であるの報酬系と罰系を人間は大脳での情報処理によ
って本能的な機能を制御しているのです。
レスポンデント条件付け・オペラント条件付け
H24.5.17
レスポンデント条件付け・オペラント条件付けは、アメリカ合衆国の心理学者で行
動分析学の創始者、バラス・フレデリック・スキナーが、人間を含む動物の行動をレ
スポンデントとオペラントに分類し、パブロフの条件反射をレスポンデント条件付け
として、またソーンダイクの試行錯誤学習をオペラント条件付けとして再定式化した
もので、オペラントとは、働きかけるという意味です。
レスポンデントとオペラントは学習と深い関わりがあり、まず、レスポンデント条
件 付 け で す が 、 こ れ を 説 明 す る に は ”パ ブ ロ フ の 犬 ”が 一 番 で す 。 心 理 学 に 興 味 が あ る
方は聞いたことがあるかもしれませんが、パブロフという学者が犬を使って実験をし
たのでそう呼ばれています。実験の内容は、犬にエサを与えると同時にベルを鳴らす
ということを何度も繰り返します。すると、犬はベルの音を聞くだけで唾液を分泌す
るようになります。犬はベルが鳴るとエサがもらえるということを学習したのです。
こういった学習をレスポンデント条件付けと言います。
次に、オペラント条件付けですが、今度は犬の代わりにネズミに登場してもらいま
す。スキナーという学者は、レバーを押すとエサが出てくる装置を設置した箱(スキ
ナーの箱)の中に、空腹のネズミを入れてその行動を観察しました。はじめのうちネ
ズミは箱の中をただグルグルと動き回るだけです。そのうちに偶然レバーに触れてエ
サがもらえます。そして、ぐるぐる回ってはレバーに触れてエサがもらえるというこ
とを繰り返しているうちに、
「 レ バ ー を 押 せ ば エ サ が も ら え る 」と い う こ と を 学 習 し ま
す。一度学習すると、いったん箱から出して時間をおいた後に再び箱に入れてもレバ
ーを押すという行動をとります。こういった学習をオペラント条件付けといいます。
レスポンデント条件付け、オペラント条件付けは、1つの条件を繰り返す事によっ
て行動を強化、消化していく事に於いて、 大きな共通点があるといえます。しかし、
オペラント条件付けは、自発的な行動を繰り返す事によって、物事を強化させたり、
消化させたりします。そのため日常生活の中のいたるところで偶発的に生じ、また経
験則として、子どものしつけや飼育動物の訓練などに古くから用いられてきました。
し く せ
現在では、動作や運転などの技能訓練、嗜癖や不適応行動の改善、障害児の療育プロ
グ ラ ム 、 身 体 的 ・ 社 会 的 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン 、 e-ラ ー ニ ン グ な ど 、 幅 広 い 領 域 で 自 覚
的で洗練された応用がなされています。
オ ペ ラ ン ト 条 件 付 け に は 、『 報 酬 ・ 罰 の 効 果 を 持 つ 強 化 子 』 を 利 用 し て 行 動 の 生 起
頻度をコントロールする学習行動があります。この行動原理は、適応的な行動を学習
して非適応的な行動を消去することを目的とし、正の強化子として『賞賛・肯定・エ
コノミートークン(擬似貨幣)の報酬』を用い、負の強化子として『やりたいことを
やらない・やりたくないことをやるなどの罰』を用いることです。簡単にいうと、良
い こ と を 行 っ た と き は 褒 め( 報 酬 )、悪 い こ と を 行 っ た と き は 叱 る( 罰 )を 与 え る こ と
です。これを繰り返すことによって良い行動は強化(次も行う)され、悪い行動は修
正(やらなくなる)されるのです。
橋の上のホラティウス
H24.5.11
そ し て 門 の 守 り 手 、 勇 敢 な ホ ラ テ ィ ウ ス は 言 っ た 。「 地 上 の あ ら ゆ る 人 間 に 遅 か れ
早かれ死は訪れる。ならば、先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため、強敵に立ち向か
う以上の死に方があるだろうか。かつて私をあやしてくれた優しい母親のため、我が
子を抱き乳をやる妻のため、永遠の炎を燃やす清き乙女たちのため、恥ずべき悪党セ
クストゥスから皆を守るため以上の死に方があるだろうか。執政官どの、なるべく早
く橋を落としてくれ私は、二人の仲間とともにここで敵を食い止める。路にひしめく
一千の敵はこの三人によって食い止められるであろう。さあ、私の横に立ち橋を守る
のは誰だ?」
上 記 の 詩 は 、 19 世 紀 の イ ギ リ ス の 政 治 家 に し て 歴 史 家 の ト マ ス ・バ ビ ン ト ン ・ マ カ
レ ー ( 1800-1859)が 書 い た 「 橋 の 上 の ホ ラ テ ィ ウ ス 」 と い う 非 常 に 長 い 詩 で す 。 こ れ
は「橋の上のホラティウス」という古代ローマの有名な話を題材にして書いたもので
す。古代ローマの話は下記の通りです。
昔 、 ロ ー マ 王 政 時 代 最 後 の 王 で あ っ た ル キ ウ ス ・ タ ル キ ニ ウ ス (紀 元 前 534-510)と
い う (伝 説 的 な ) 傲 慢 な 王 が い ま し た 。タ ル キ ニ ウ ス は あ る 日 、甥 の 妻 を 強 姦 し た た め 、
その甥に率いられた反乱が起こり、ローマを追放されます。タルキニウスはエトルシ
ア人のところに行き、助けを求めます。エトルシア人はタルキニウスに助力をして軍
勢を与え、ローマに進軍します。これにローマは非常に驚きます。ローマ周辺の城壁
外に住んでいた人々は、できるだけ早くローマ市の中へ逃げ込もうとします。そのた
め、ローマ市に通じているティベル川の上に架けられた狭い木製の橋に人々が殺到し
ます。ローマ市の中では人々がパニックに陥っていて、エトルシアの軍勢のローマへ
の進軍を阻むために橋を破壊することを忘れてしまいます。一方、タルキニウスはロ
ーマ人たちが橋を破壊せずにいたことを見て喜びます。ティベル川を泳いでローマに
向かうことはできなかったからです。ここで、もしもエトルシア軍が橋を渡ってロー
マに入ってきたなら、ローマはあっという間に占領されてしまいます。この時、ロー
マにホラティウスという若者がいました。彼は自分たちでエトルシア軍が来ないよう
橋の上で足止めしている間に別の者たちに橋を落とさせるようにしようと他の若者た
ちに提案しますが、他の若者たちはエトルシア軍のことを考えると恐ろしくて誰も同
意しません。そこで、ホラティウスは自分一人が足止めをするから、他の者は橋を落
と し て く れ と 頼 み ま す 。彼 は た っ た 一 人 で 橋 の 上 に 立 っ て エ ト ル シ ア 軍 に 向 か っ て「 ロ
ーマの兵士と相対するのに十分な勇敢さを持つものはお前たちの中にいるか」と叫び
ます。エトルシア軍は槍で彼を突き刺そうとしますが、橋が邪魔になってホラティウ
スに届きません。そしてホラティウスはヒーローのようにエトルシア兵が狭い橋を渡
ろうとするのを妨げ、二、三人の友人の助けもあり、ついに橋を落とすことに成功す
るのです。
とうとうにんうん
騰々任運
H24.5.8
騰々任運は、良寛が円通寺の国仙禅師の下で二十二歳の時から十数年間修業し、国
仙禅師からいただいた印可状の中にある言葉です。
騰々とはくよくよせず意気高らかに生きること。任運とは運命に任せること。まだ
起こりもしない先のことをあれこれ思い悩むより、
「 今 を 大 事 に 生 き な さ い 」と い う 教
えです。
人はとかくつまらないことに心を捕らわれがちになり、気にして心配して悩み、そ
ん な こ と を 繰 り 返 し ま す 。し か し 、
「 な る よ う に な る さ 」と 運 を 天 に ま か せ て 大 手 を 振
って、いつもより少し大股で青空の下を歩いてみれば、きっと心も青空、元気が出て
くるような気がします。
これ
こ
良寛は、晩年の自画像に「是は此れ誰そ大日本国国仙の眞子良寛」と大書している
ので、国仙禅師はさぞやすばらしい師匠だったのでしょう。良寛は印可を受け取りま
すが印可を使うことはありませんでした。これは良寛が権威のようなそういうものか
ら離れたところに生涯身を置いていたからだと思います。
国仙禅師の印可状
りょう か ん あ ん し ゅ
附良寛庵主
ふ
良 寛庵主に附す
りょう
ぐ
ごと
う た た
ひろ
良也如愚道転寛
良 や愚の如く道転
とうとうにんうん
だれ
騰々任運得誰看
騰々任運
誰か看るを得ん
ため
さんぎょう ら ん と う
為附山形爛藤杖
為に附す
到処壁間午睡閑
到る 処
いた
ふ
ところ
み
寛し
え
つえ
山 形爛藤の杖
へきかん
ご す い
壁間に午睡
のど
閑かなり
たど
良 よ 、お ま え は 一 見 愚 か そ う に 見 え る が 、そ う で は な い 。辿 り つ い た 仏 道 は 既 に 広 々
とした所に出ている。あくせくせず、運を天に任せているが、そうしたことを誰がわ
かっているだろうか。私は今印可の一本の杖を与えよう、この杖を持って旅に出よ、
どこに行こうと良し、ただこの杖を壁に立てかけておけ。昼寝をしていても良い。
印可(いんか)
印可とは、師がその道に熟達した弟子に与える許可のこと。その証として作成され
る書面は印可状と呼ばれる。いわゆる“お墨付き”のこと。禅宗では、悟りを開いた
と 認 め ら れ た 弟 子 の 僧 侶 が 、師 の 肖 像 を 絵 師 に 描 い て も ら い 、師 は そ の 肖 像 の 上 に「 偈
文」という漢詩の形を取った説法をしたため、これを一種の卒業証書とした。
H24.4.19
維 摩 の 一 黙 、雷 の 如 し ( 維 摩 の 沈 黙 雷 の ご と し )
ゆ い ま
「維摩の一黙、雷の如し」は大乗仏教経典の一つである維摩経にあります。内容は
中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩)にまつわる物語で、維
し ゃ り ほつ
もくれん
かしょう
み ろ く
摩が病気なり、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも
見舞いを命じましたが。みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も見舞に行こ
もんじゅ
うとしません。そこで、文殊菩薩が他の菩薩を引き連れ見舞いに行き、維摩と対等に
問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示したのが「維摩の一黙、雷の
如し」です。
問答は、維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか
説明を促し、これらを菩薩たちが、対立するものには、それぞれ実体が無く、無自性
であり、空であるとして、分別したいずれにもとらわれてはいけないと、不二の法門
に入る事を説明。最後に文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もな
く、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これ
を不二法門に入るとなす」といい、我々は自分達の見解を説明したので、今度は維摩
の見解を説くように促しましたが、維摩は黙然として語りませんでした。文殊はこれ
さんたん
を見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆しました。
そして、このことは「維摩の一黙、雷の如し」と褒め称え、この問答にて、その場に
むしょうぼうにん
い た 並 み い る 五 千 も の 菩 薩 た ち は 、「 無 生 法 忍 」 の 境 地 に 至 っ た と い う こ と で す 。「 無
生法忍」とは、簡単に述べると「不生不滅」の空の真理に達したということです。
しかし、もしも、この問答でいきなり「沈黙」であったら、その「沈黙」が「維摩
の 一 黙 」程 の 深 い 意 味 を 含 ま な い の は 明 白 で す 。そ れ は 、問 答 に 参 加 し た 菩 薩 た ち が 、
これでもか、これでもか、と「不二法門」を言葉で明らかにしていき、そして、もう
回 答 が 出 尽 く し た と こ ろ で 、文 殊 菩 薩 の 回 答 が あ り 、い よ い よ 、
「 こ こ ぞ 」と 言 う 時 に
「 維 摩 の 沈 黙 」 で あ っ た た め 、 大 い に 意 義 を 持 て た わ け で す 。「 単 な る 沈 黙 で は 無 い 、
ご ん ご
沈 黙 」、こ れ こ そ が 重 要 で あ り 、単 な る「 言 語 道 断 」
・
「無分別」
・
「 不 二 」・
「 無 念 無 想 」・
「 不 思 不 観 」で あ っ て は い け な い と 言 う こ と で す 。こ の「 単 な る 沈 黙 で は 無 い 、沈 黙 」
と は 、般 若 思 想 に お い て も 同 様 で 、実 体 の 否 定 は 、
「 単 な る 否 定 で は 無 い 、否 定 」と い
うことです。
不二法門は維摩経の特徴的なものといわれます。不二法門とは互いに相反する二つ
のものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いています。例を挙げ
あか
じょう
う ろ う
む ろ う
で
せ け ん
ると、生と滅、垢と 浄 、善と不善、罪と福、有漏と無漏、世間と出世間、我と無我、
しょうじ
ね は ん
生死と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念ですが、それらはもともと二つに
分かれたものではなく、一つのものであるという。たとえば、生死と涅槃を分けたと
しても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもな
ければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るということです。
モーセの十戒
H24.4.10
キリスト教の創始者はイエス・キリストであるが、ユダヤ教には明確な宗教の始祖
は存在しない。しかし、ユダヤ教の旧約聖書の中に記述された指導者や英雄の中で最
も重要な人物は、預言者モーセである。モーセが、ユダヤ民族をエジプトのファラオ
の奴隷の身分から解放し、シナイ山での神との契約をもたらしたのである。
『出エジプト』を成功させたモーセだったが、エジプトの支配から離脱した宗教共
同体のイスラエルは数多くの困難や苦痛に直面して、独立した自由よりも権力への隷
属を懐かしむようになってしまう。また、現世的な安楽や繁栄を願って、金の仔羊の
偶像を拝んだりして、神が禁止している偶像崇拝の戒律を破ったりもした。
神との契約関係を遵守しなければ、ユダヤ民族は歴史の過程の途上で信仰の道を踏
み誤り、ユダヤ人としての統合的なアイデンティティも喪失してしまうだろうとモー
セたち指導者は危惧した。そこで、モーセがシナイ山山頂で神から授与された10の
戒 律 を 再 確 認 し て 、ユ ダ ヤ の 人 々 に 公 布 し そ れ を 厳 守 す る よ う に 教 え 導 い た の で あ る 。
こ の モ ー セ が 神 か ら 授 か っ た 10 個 の 戒 律 が 、ユ ダ ヤ 人 の 宗 教 規 範 の 原 理 と な っ て お り
『モーセの十戒』と呼ばれる。
モーセの十戒
1.私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した
ものである。あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない。
2.あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は
地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならな
い。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日の間、働いてあなたの全ての業をせよ。
あなたもあなたの息子、娘、僕、婢、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の
人々もそうである。
あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸
ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを忘れてはならない。
それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられたのである。
5.あなたの父と母とを敬え。これはあなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生き
るためである。
6.あなたは殺してはならない。
7.あなたは姦淫してはならない。
8.あなたは盗んではならない。
9.あなたは隣人について偽証してはならない。
10. あ な た は 隣 人 の 家 を む さ ぼ っ て は な ら な い 。
而二不二(ににふに)
H24.4.5
「而二不二」は、後の半分だけをとって「不二」と呼ぶこともありますが、真言宗
の中では、最も大切な言葉の一つです。
「 而 二 不 二 」 と は 、「 而 二 」 と 「 不 二 」 の 二 つ の 言 葉 が く っ つ い た も の で 、 而 二 と
は、一つのものを二つの面から見ることで、不二とは、二つの面があっても、その本
質は「一」である、ということです。
一 枚 の 紙 を 例 に と っ て 考 え て み ま し ょ う 。「 紙 に は 表 と 裏 が あ る 。」 と い う の が 「 而
二 」 に あ た り ま す 。 そ し て 、「 表 と 裏 が そ ろ っ て 初 め て 一 枚 の 紙 に な る 。」 と 言 う の が
「不二」にあたります。つまり、紙には表と裏という二つの面があり、その両方があ
るからこそ紙が存在しているというわけです。
このような、表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。世の中
には表ばかりのものや、裏ばかりのものはありません。また、表のないものには裏は
なく、裏のないものには表はありません。裏は表があるから生まれ、表も裏があるか
らこそ生まれてきたものです。
真言宗では、仏様の世界を大きく二つに分け、その二つの世界が「不二」であると
説 い て い ま す 。一 つ 目 の 世 界 は 、仏 様 の 持 つ「 知 恵 」の 徳 を 表 す「 金 剛 界 」、も う 一 つ
は「慈悲」の徳を表す「胎蔵界」です。
「知恵」の世界と「慈悲」の世界、これら二つの世界は別々に描かれていますが、
実 際 に は 一 つ に 融 合 し て い る も の で す 。つ ま り 、だ れ か 救 い た い と い う 気 持 ち( 慈 悲 )
があっても救う方法(知恵)を知らなければ救うことはできませんし、救う方法を知
っていても、救いたいという気持ちがなければ、やはり救われません。
人間のお医者さんに例えると、病気の人を治したいという気持ちを持っていても、
医学の知識や技術が不足していれば、正しい治療を行うことができませんし、どんな
に腕のいいお医者さんでも、人を助けようという気持ちに欠けていれば結果は同じで
す。
「 慈 悲 」 を 離 れ て は 「 知 恵 」 の 徳 は な く 、「 知 恵 」 を 離 れ て は 「 慈 悲 」 の 徳 は 存 在
し ま せ ん 。 こ の よ う に 、 仏 様 の 世 界 で は 、「 知 恵 」 と 「 慈 悲 」 は 「 不 二 」 な の で す 。
私たちが仏様をお手本に、より良く生きていくためには「知恵」と「慈悲」どちら
の心も併せ持ち精進していくことが大切です。しかしながら、現代社会で問題となっ
て い る 色 々 な 出 来 事 は 、「 知 恵 」 を 追 い 求 め る こ と を 優 先 し て 、「 慈 悲 」 を お ろ そ か に
しているために起こっているものが多いように感じられます。
様々な情報や誘惑にふりまわされて自分を見失いそうになる世の中。合理的に効率
を追いかけるあまり、いろいろなものを切り捨ててしまう世の中。一番最初に切り捨
てられるのは、
「 ○ ○ の た め に 」と い う「 慈 悲 」の 心 な の か も し れ ま せ ん 。し か し な が
ら、このような時代だからこそ「慈悲」の心を大切にしなくてはならないのではない
でしょうか。
慈悲(四無量心)
H24.4.1
りゅうじゅ
仏教といえ ば、慈 悲の精神です が、大 乗仏教の言う 慈悲と いうのは、 龍樹 の
だ い ち ど ろ ん
し むりょうしん
『大智度論』に説かれている四無量心のことではないでしょうか。
この四無量心というのは、悟りを開いた釈尊の心には、慈無量心、悲無量心、喜無
量心、捨無量心という四つの無量な心があるというものです。これは大乗仏教以前か
らある考え方で、伝統的な説明では、「慈」というのは楽を与える。「悲」というの
は苦を抜く。そして楽を与えられて、苦が抜かれた姿を見て「喜」び、あの人の苦を
私が抜いてやったのだ、あの人に私が楽を与えてやったのだという、そういう私とい
う思いを「捨」てるというのが捨です。
ごうまん
この「捨」は、上からの慈悲、エリート主義ではなく、傲慢ではない精神を説かれ
ていますが、慈悲を行う人には、確かに、「捨」のない人、無我でない人がいます。
また、慈、悲、喜、捨も、思想ではありません。思想としての理解ならば、何の社会
貢献もありません。ですから思想ではなく、慈悲は体得し、社会へ実現していくこと
にあると言えます。
しかし、人は釈尊のように悟りを開くことのできない未熟者ですから、この慈悲喜
捨が体現できる者は少なく、特に「捨」を体得することが出来る人はまずいないでし
ょう。私は、人は未熟で丁度よいと考えています。相手を思ってやったことに対し、
少しぐらいあの人の苦を私が抜いてやったのだ、あの人に私が楽を与えてやったのだ
と思っても可愛いことのように感じます。それよりも、人に対し少しの思いやりを持
ち、苦悩している人を見て自分の出来る範囲内で少しでも実行することの方が重要で
あり、この少しの積み重ね、出来ることの積み重ねが、釈尊の説く慈悲に繋がって行
くのではないかと考えるのです。
りゅうじゅ
なかがん
龍 樹 : 2 世 紀 中 ご ろ か ら 3 世 紀 中 ご ろ の イ ン ド 大 乗 仏 教 中 観 派 の 祖 。南 イ ン ド の バ ラ
せんよう
モンの出身。一切因縁和合・一切皆空を唱え、大乗経典の注釈書を多数著して宣揚し
ちゅうろんじゅ
だ い ち ど ろ ん
じゅうじゅうびばしゃろん
た 。 著 「 中 論 頌 」「 大 智 度 論 」「 十 住 毘 婆 沙 論 」 な ど が あ る 。
だ い ち ど ろ ん
大智度論:龍樹の著作とされる書で、『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)の百巻に
しょうせつ
及 ぶ 注 釈 書 で あ る 。初 期 の 仏 教 か ら イ ン ド 中 期 仏 教 ま で の 術 語 を 詳 説 す る 形 式 に な っ
ているので仏教百科事典的に扱われることが多い。
大乗仏教:ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひ
とつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆
生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件
とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標とする。
H24.3.26
一無位真人(いちむいのしんにん)
赤肉團上有一無位眞人。常從汝等諸人面門出入。未證據者看看。
しゃくにくだんじょう
いち む
い
しんにん あ
つね
なんじ ら し ょ に ん
めんもん
しゅつにゅう
いま
しょう こ
赤 肉 団 上 に 一 無 位 の 真 人 有 り 。常 に 汝 等 諸 人 の 面 門 よ り 出 入 す 。未 だ 証 拠 せ ざ る
もの
み
み
者は看よ看よ。
お互いのこの生身の肉体上に、何の位もない一人の本当の人間、すなわち「真人」
がいる。いつでもどこでも、お前たちの眼や耳や鼻などの全感覚器官を出たり入った
りしている。まだこの真人がわからないものは、はっきり見届けよ。
人間は自分を見つめるとき、初めは実体的な自己の存在に何の疑いも持ちません。
し か し 、さ ま ざ ま な 問 題 に 悩 み 、壁 に ぶ つ か っ て 、さ ら に 自 己 を 掘 り 下 げ て 見 つ め て い
くと、悩みや苦しみの原因はすべて自分の中にあると気がつきます。そこで、本当の
自分とは何か、人間とは何か、という問題につきあたるのです。
臨済禅師は、この真実の自己を「一無位の真人」と表現されました。
「無位」とは、一切の立場や名誉・位をすっかり取り払い.何ものにもとらわれな
いということです。「真人」とは、疑いもない真実の自己、すなわち真実の人間性の
ことで、誰でもが持っているものである。この真人は、単に肉体に宿るだけでなく、
人間の五官を通して自由自在に出入りしています。
人 は さ ま ざ ま な 問 題 に 悩 み 、 壁 に ぶ つ か っ た と き に 、は じ め は 他 に 原 因 が あ る と 考
え、他を責めてしまいがちですが、それでは悩み苦しむ心は変わらず、心の平安はあ
りません。なんとかその苦しみから逃れようと、さらに自己を掘り下げて見つめてい
くと、悩みや苦しみの原因はすべて自分の中にあると気付くのです。
「ああ、これではいけない。自分はなんとつまらないことで思い悩んでいたのだろ
う 。」 と 気 付 い た そ の 人 が 「 一 無 位 真 人 」。 つ ま り 、 な ん の 欲 望 も 無 く 、 貴 賎 、 貧 富 、
凡聖、男女、老若などの違いなど一切関係ない世界の中にある真実の人が「真人」で
あり、誰も皆、一人ずつそういった自分を持っているのですよ、そのことに気付きな
さい、という禅の教えです。
臨済宗の教義は、いうまでもなく宗祖・臨済禅師の挙揚した禅の宗旨を根本として
おり、その教えは、「臨済録」に伝えられています。
「臨済録」にみられる特徴は、如来とか仏といった既成の仏教用語ではなく、宗教
的人格をあらわす「人」という言葉を使っていることです。如来とか仏というと、ど
うしても人間よりも超越した存在のようにとらえてしまうことから、極力そうした用
語を避けています。
宗教的人格者とは、「人間とは何か」「人間はどうあるべきか」「どう生きるべき
か」を自分自身に引き寄せて、その真理をうなずきとる自覚の経験をした人であり、
臨済禅師はこの宗教的人格者を「真人」、又はただの「人」と呼んでいます。
『山家学生式』
(さんげがくしょうしき)
H24.3.17
『山家学生式』は、伝教大師最澄が『法華経』を基調とする日本天台宗を開かれる
に当たり、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという
熱い想いを著述され、桓武天皇に提出されたものです
国の宝とは何物(なにもの)ぞ、宝とは道心(どうしん)なり。道心ある人を名づ
けて国宝と為(な)す。故(ゆえ)に古人(こじん)言わく、径寸十枚(けいすんじ
ゅ う ま い )、是( こ )れ 国 宝 に あ ら ず 、一 隅( い ち ぐ う )を 照( て ら )す 、此( こ )れ
則(すなわ)ち国宝なりと。古哲(こてつ)また云(い)わく、能(よ)く言いて行
う こ と 能( あ た )わ ざ る は 国 の 師 な り 、能 く 行 い て 言 う こ と 能 わ ざ る は 国 の 用( ゆ う )
な り 、能 く 行 い 能 く 言 う は 国 の 宝 な り 。三 品( さ ん ぼ ん )の 内( う ち )、唯( た だ )言
うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊(ぞく)と為す。乃(すなわ)ち道心ある
の 仏 子( ぶ っ し )、西 に は 菩 薩( ぼ さ つ )と 称 し 、東 に は 君 子( く ん し )と 号 す 。悪 事
( あ く じ )を 己( お の れ )に 向( む か )え 、好 事( こ う じ )を 他 に 与 え 、己( お の れ )
を忘れて他を利(り)するは、慈悲(じひ)の極(きわ)みなり。
口語訳
国の宝とは何なのでしょうか。国の宝とは正しい道を求める心です。この道心ある
人 を 名 づ け て 国 の 宝 と 言 の で す 。ゆ え に 先 の 世 の 哲 人 が 言 う に は 、
「 3cm の 宝 石 1 0 個 、
これは国の宝ではありません。世の1隅を照らす人こそすなわち国の宝なのだ」と。
古代の哲人がまた言うには、
「 良 く 発 言 す る 事 は 出 来 る が 行 動 し な い の は 国 の 師 で 。良
く行動して発言しないのは国に有用な人だ。良く行動し良く発言する事は国の宝だ、
三種のうち、ただ発言もしない行動もしないのは国の賊である」と。すなわち道心あ
る仏の弟子を、印度では菩薩と名づけるし、中国では君子と言います。悪い事は自己
に向け、好い事を他人に与へ、自己を忘れて他人に利益を与えるのは、慈悲深い事の
極みです。
道心とは道を修めようとする心、仏教においては仏道を究めようとする心です。こ
の道心をもって生活することができる人が国の宝であると示されています。
例えば、自分の仕事を自己に与えられた天命と心得て、打ち込む人こそ道心の持ち
主でしょう。どんな仕事でも、このような人は限りない喜びを仕事の中に見いだし、
生き甲斐を仕事の中に感じることができるに違いありません。
「自分という人間はいか
にあるべきか」を追究し、自己の理想や目標を定め、その実現に向かって努力するこ
と、そのような人生の道を歩む心といえるでしょう。
このような人が国中に充満すれば、国は栄え、社会は浄化され、物も心も豊かにな
る世界が実現します。したがって、伝教大師の御心は、一個人の完成のみならず、道
心ある人々を育成し、国全体、ひいては世界中に及ぶことを願っているのです。
H24.2.4
臨 池( り ん ち )
王 羲 之 の 「 与 人 書 ( 自 論 書 )」 に 「 張 芝 臨 池 学 書 、 池 水 尽 黒 」 と あ り 、 中 国 の 後 漢
ちょう し
に 草 聖 と い わ れ た 張 芝 が「 池 に 臨 み て 書 を 学 ぶ 。池 水 こ と ご と く 黒 し 」と い わ れ た 故
事 に 依 る も の で 、張 芝 が 池 に 面 し た 書 斎 で 習 字 に 励 ん だ 際 、そ の 池 で 筆 や 硯 を 洗 っ た 。
その水が真っ黒になるまで習書したということで
手習いに励むことをいう。
与人書(自論書)
「自ら書を論ず」の意で、王羲之が書に対する自分の考えを述べた体裁を取っているが、
恐らく後世に偽作されたものと考えられている。
本文
しょう
ちょう
あ こ う
あるい
おも
ゆう
吾 が 書 は 之 を 鍾 ・ 張 に 比 す れ ば 当 に 抗 行 す べ く 、或 は 謂 へ ら く 之 に 過 ぎ 、張 草 は 猶
がんこう
ことごと
ほ 当 に 雁 行 す べ し 。張 の 精 熟 な る こ と 人 に 過 ぎ 、池 水
こ
くろ
ふけ
尽 く 墨 し 。若 し 吾 の 之 に 耽 る
ゆづ
こと此の如くんば、未だ必ずしも之に謝らざらん。後達の解する者、其の評の虚なら
こ
ざ る を 知 る 。吾 の 心 を 尽 し て 精 作 す る こ と 亦 た 久 し 。諸 〻 の 旧 書 を 尋 ぬ れ ば 、惟 れ 鍾 ・
まこと
しょうけい
張は 故 に絶倫たり。其の余は是れ小 佳 たり、意に在るに足らず。此の二賢を去れば、
しばら
うた
僕の書 之に次ぐ。 須 く書を得て意 転た深く、点画の間 皆な意有り、自から言の尽
さゞる所有り。其の妙を得る者、事事 皆な然り。平南・李式 君を論じて謝らずと。
現代訳
わたくし
しょうよう
ちょう し
吾 の 書 を 鍾 繇 ・ 張 芝 と 比 べ た 場 合 、(鍾 繇 と は )肩 を 並 べ る く ら い か 、あ る い は 若 干 追
い 抜 い て い る と 思 い ま す 。し か し 張 芝 の 草 書 に は ま だ 追 い つ け ま せ ん 。張 芝 が 意 を 注 い で
草 書 を 習 熟 し た さ ま は 他 人 の 追 随 を 許 す も の で は な く 、池 の ほ と り で 筆 を 洗 い な が ら 稽 古
したところ、池の水が真っ黒になったと言うほどでした。ですから吾も彼と同じように
たんでき
耽 溺 し た な ら 、必 ず し も 彼 に 追 い つ け な い と は 言 え ま す ま い 。後 世 、書 を 理 解 す る も の が
(両 者 の 作 品 を 比 べ た と き )、 自 分 の 評 価 が 虚 勢 で は な い こ と を 納 得 す る は ず で す 。 吾 が 全
霊を傾けて一作一作丹念に仕上げるようになってから、もう随分たちますから。
い く つ も の 前 代 に 書 か れ た 作 品 を 目 に し た か ぎ り で は 、鍾 繇 と 張 芝 と が 群 を 抜 い て い ま
す 。そ の ほ か の 書 は 一 長 一 短 で 、特 段 気 に か け る に 値 し ま せ ん 。こ の 二 人 の 達 人 を 除 け ば 、
吾の書がその次にくると言ってよいでしょう。
(と こ ろ で )近 頃 あ な た の 書 を 手 に 入 れ ま し た が 、 含 意 は 非 常 に 深 く 、 一 点 一 画 の う ち に
も こ と ご と く 深 い 意 が こ め ら れ 、自 ず か ら 言 葉 に 言 い 表 せ な い 気 風 を 感 じ さ せ ま す 。書 の
みょうだい
妙 諦 を 得 た も の は 、誰 も 彼 も み な そ の よ う な も の で す 。平 南 (= 王 廙 )と 李 式 と が 君 の こ と
を 論 じ て 、「 人 後 に 落 ち る も の で は な い 」 と 評 価 し て い ま し た よ 。
ちょう し
張 芝:後漢の書家。古来草聖と称された。
しょうよう
鍾 繇:後漢末期から三国時代魏の政治家・武将・書家。