演 目 紹 介 - 京都府神社庁

演 目 紹 介
平安神宮時代祭/維新勤王鼓笛隊
♪ピーヒャラ、ラッタッタと軽快なリズムに錦の御旗がひらめく。明治維新になってからも、東北地方では幕府方諸藩
が激しく抵抗していました。鎮撫の為、丹波の国北桑田郡山国村(現在の京都市右京区京北町)から官軍に参加した「山
国隊」の姿に倣ったものです。時代祭当初は山国村有志が参加していましたが、途中で参加できなくなったため、大正
10年(1921)から平安講社第8社が引き継ぎ「維新勤王隊」として奉仕しています。
時代祭は、平安神宮の創建と同時にその維持母体として組織された全市にわたる市民組織「平安講社」によって執行さ
れています。京都発展の象徴とされる時代祭は、市民がささえ市民が参加する祭であるだけに、戦争や天災、疫病の流
行などによる延期や中断、交通事情の変化にともなう順路変更など、さまざまな曲折を経ながらも、先人の熱意の継承
をちかう市民の心意気によって連綿と受継がれています。
行列は、明治維新から平安時代へ遡る倒叙法で構成され、当初6列であった行列も、折々に逐次加増され、現在は 20列、
およそ 2,000余名の大行列となっています。都大路にくりひろげられる時代風俗絵巻は、見る者に、祭という場の華やぎ
や厳粛さのみならず、日本の歴史を振り返る面白さも伝えてくれます。
石清水八幡宮石清水祭/胡蝶の舞
胡蝶の舞は、9月 15日に斎行される石清水八幡宮の「勅祭石清水祭」の祭儀の一つ「放生行事」で奉納される舞です。
石清水祭とは、もと石清水放生会と称し、八幡大神が男山の裾を流れる放生川の辺にお臨みになって、生きとし生ける
魚鳥を解き放つ放生会を催され、親しく諸々の霊をお慰めになる祭儀で、石清水八幡宮が創建された貞観元年(859)の
4年後、貞観5年(863)8月 15日に始められました。現在の放生行事は、神職による大祓詞が朗々と奏される中、生
きた鳥(ハト)や鯉、金魚、ウナギなどといった魚が放生川に放たれ、放生川に架かる安居橋の上で胡蝶の舞が奏されます。
胡蝶の舞は、胡の国の蝶をモチーフにした舞楽で、高麗楽に分類され右方の舞に属しますが、渤海や朝鮮半島が起源で
はなく、左方の迦陵頻の番舞(つがいまい)として高麗楽の様式に則って日本で作られた曲です。作曲は藤原忠房、振
り付けは敦実親王です。尚、石清水八幡宮では、現在平安雅楽会により舞楽は演奏されています。
八坂神社祇園祭/綾傘鉾棒振り囃子
綾傘鉾は、現在の祇園祭の巡航に参加している32基の山鉾の中でも、大変珍しい「傘鉾」の形態をとる鉾です。傘鉾は、剣鋒などとともに、今日の
山鉾の形態が完成する以前の古い形であり、京都市北区今宮神社のやすらい花の花傘に代表されるような、いわゆる「風流」とよばれる作り物や芸
能のもっとも基本的な形態を今に伝えるものです。応仁の乱以前の15世紀前半の記録にも綾傘鉾が登場しますから、今から550年以上前から存在し
た古い鉾であることがわかります。綾傘鉾は明治17年以降途絶えていましたが、昭和54年に、町内の多くの人たちの努力によって、約100年ぶりに
復興が成し遂げられました。綾傘鉾の前で演じられる棒振り囃子は、江戸時代中期から京都の壬生の人々が奉納するようになった民俗芸能で、今日
でも壬生の六斎念仏保存会の人たちによって演じられています。棒振り囃子は、ほかの鉾のお囃子にはない傘鉾に特有のものです。山車祭礼研究の
第一人者である植木行宣氏は、その著書の中で、山鉾の基層には「風流囃子物」の特質が流れていると述べています。それは、神霊の送迎、特に疫
神などの退散を願う「ハヤス」という行為から出た群衆の踊りが基本であり、芸能としての特質は、太鼓などの打ち物系の楽器を踊り子が自ら打ち踊り、
そして移動するところにあります。
「風流囃子物」は、鉾や傘、作り山や仮装の者たちが主体となり、それらは拍子に囃されて移動することに意味があっ
たわけです。棒振り囃子に用いられる棒は、長さ 5 尺弱ほどで、両端に 1 尺ほどの房をつけたものです。棒振りには棒を振るうことで厄を払う役目
が与えられていると伝えられています。また太鼓方は、二人で一つの締太鼓を、一人が手に持って受け、もう一人がそれを打って踊りながら囃します。
北野天満宮/神若会 北野天神太鼓会
北野天満宮の御祭神である菅原道真公は、幼少の頃より学業に励まれ、生涯を通してその成果を発揮された方でした。
また一度弓を射させれば百発百中であったと伝えられるほど、武術にも優れ、まさに文武両道の才能の持ち主でした。
学問の神様はもとより、芸能・武道の神としても古来より広く崇敬されてきた天神さまの御神徳の更なる発揚と、伝統
文化の継承を目指し、北野天神太鼓会は結成されました。この太鼓会は天神さまを心から崇敬する若衆の会、神若会が
中心となり、これまで秋のずいき祭や春の梅風祭、毎月25日の御縁日など、天神さまの祭典にはかかさず奉仕し、地域
の行事にも積極的に参加してきました。
今回演奏する3曲は、元々各地方に伝わる歴史ある太鼓曲に、天神太鼓独自のアレンジを加えた、力強くも軽快なリズ
ムの演目であり、体全体を使った打ち方から表情のひとつひとつまでこだわったまさに魂の太鼓です。会員たちの天神
さまを想う純粋な気持ちと太鼓に対する情熱は、聴く人々の心を打ち、日本の伝統文化の素晴らしさを我々に教えてく
れます。
天神さまの御神意のまにまに天神信仰の発揚と伝統文化の継承に努めて参りたいと考える北野天神太鼓会の心意気をど
うぞお楽しみください。
丹後 板列稲荷神社例祭/岩滝の獅子神楽
岩滝の獅子神楽は、今から約190年前の文政年間に伊勢大神楽本流十二社中の一社である弥作太夫(やさくだゆう)とい
う人が、岩滝村の村人に伝承したものとされています。
丹後地方において大変多い獅子舞はほとんどが神楽の名前で呼ばれる大神楽系でありますが、岩滝の神楽は芸態から見
て、この伝承はよく事実を伝えるものと京都府教育委員会刊行の文化財資料にもその名が記されています。
明治から昭和初期にかけて丹後地方を代表する神楽として名声が上がり宮津市、中郡(京丹後市)
、与謝野町内、各地へ
の伝承記録が残り、丹後の祇園祭と称される三河内の曳山祭にて奉納される神楽も岩滝から伝わった神楽です。
岩滝の氏神を奉る板列(いたなみ)神社御輿倉には、文政年間の作とされる獅子頭が残り、天保年間に作られた太鼓の
胴も残っています。舞には、鈴の舞・四方掛 ( しほうがかり )・剣の舞・扇の舞、三宝の舞・乱 ( りゃん ) の舞・御宝楽 ( ご
ほうらく ) の舞の七種があり、与謝野町指定無形民俗文化財、「岩滝の獅子神楽」として指定されています。
5月1日に行われる岩滝板列稲荷神社の例祭にて奉納されます。://
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アクセス
● JR「京都駅」
・阪急「河原町駅」より、市バス 5 系統他「京都会館・美術館前」下車すぐ
● 地下鉄東西線「東山駅」下車、徒歩 10 分
● 京阪鴨東線「三条駅」
「神宮丸太町駅」下車、徒歩 15 分
● 名神高速道路「京都東インター」より、三条通を西へ約 20 分
平安神宮
住 所 〒606−8341 京都市左京区岡崎西天王町
電 話 TEL 075−761−0221 FAX 075−761−0225