Washington D.C. Political and Economic Report ワシントン情報 (2010 / No.013)2010 年 4 月 9 日 三菱東京 UFJ 銀行ワシントン駐在員事務所長 Tomoyuki Oku 奥 智之 +1-202-463-0477, [email protected] 米国医療保険改革は奏功するか ~改革法案成立を受けて指摘される懸念事項、今後の課題~ 米国では先月末、連邦議会が一連のヘルスケア(医療保険)改革法案を可決し、Obama 政権 が最重要課題として取り組んできた改革法が Obama 大統領の署名を受けて、ようやく成立し た。今回のワシントン情報では成立した法案の概要と、これに対する専門家の意見を簡単に まとめ、米国ヘルスケア改革実行への展望を検討してみた。 【ヘルスケア改革法案(H.R.3950、H.R.4872)の概要】 下院は昨年 11 月に別のヘルスケア改革法案、Affordable Health Care Act(H.R.3962)を可決し ていたが、上院は昨年 12 月 24 日に今回成立した Patient Protection and Affordable Care Act (H.R.3950)を可決。両院が異なった法案を可決したことにより、法案の一本化が必要とな った。 しかし今年に入って Massachusetts 州の上院議員補欠選挙で共和党候補の Scott Brown 氏が当 選し、民主党は上院で安定多数の地位を失ったことを受けて、状況は一転。改革法案可決を 何とか実現するために、下院が 3 月 21 日に上院法案(H.R.3590)を可決、Obama 大統領の署 名を受けて成立する運びとなった。さらに、上院法案そのままの受け入れを好まない下院の 意向を汲み、両院は下院意向を盛り込んだ付随法案 Health Care and Education Reconciliation Act(H.R.4872)を可決し、大統領の署名を受けて 3 月 30 日成立した。両法案の内容は以下 表1の通り。 (表 1)ヘルスケア改革法案(H.R.3950、H.R.4872)の概要 目的 主な内容 医療保険アクセス拡大 個人に医療保険加入を義務付け、非加入者には罰金(税)を課 す。企業にも従業員への医療保険提供を事実上義務付ける(従業 員数 50 人以下の中小企業を除く)。 低所得層向け公的保険(Medicaid)の適用対象を拡大。 保険会社による、既往症を理由とした保険加入拒否を禁止。 CO-OP プログラムを設置し、協同組合保険を提供する非営利組織 Washington D.C. Representative Office 1 に補助金を提供。 医療保険取引所の設立 低中所得者向け補助金 小規模ビジネスへの援助 財源確保のための増税措 置 医療コスト抑制 予防可能な疾患対策 子供が非扶養者として親の医療保険に加入できる年齢上限を、26 歳まで引き上げる。 2014 年より、一定の所得条件を満たす低中所得者を対象に、医療 保険取引所を州ごとに導入、4 つの付保レベルを提供する。従業 員 100 人以下の中小企業向けにも、医療保険取引所を設立し、中 小企業が安価で従業員に医療保険を提供できるようにする。これ らの取引所で医療保険を購入できるのは、米国市民、及び合法移 民に限られる。 これらの医療保険取引所に参加できる保険について、様々な条件 を設置し、州政府がこれを監視する。 医療保険取引所で保険を購入する低中所得者に対し、保険料、医 療費を補助。補助のレベルは所得に基づき設定。 一定の条件を満たす小規模ビジネスが従業員に医療保険を提供す る場合に、雇用主に税控除を付与。 医療保険非加入者に対する罰金課税(上述)、高所得者が支払う Medicare(高齢者・障害者向け公的保険)税などの増税、一定付 保規模以上の高額保険への課税、製薬・保険・医療機器企業への 課金や課税など。 公的医療保険の Medicare(高齢者・障害者向け)及び Medicaid (低所得者向け)の支払い額抑制など、様々なコスト削減策を実 施。Medicare 支出抑制目標が達成されない場合は、施策提案に向 けて、独立諮問委員会を設置する。 生物学的製剤(ワクチン、血清など)の後発医薬品の導入を促進 し、生物学的製剤の新薬開発会社には 12 年間の独占使用を認め る。 予防可能な疾患件数の削減に向けて、国立予防・健康推進・公衆 衛生評議会を設置し、国家戦略を策定、実施。その他、予防可能 な疾患の防止や健康管理の推進に向けて様々なプログラムを実 施。 【無保険者数と財政赤字削減に効果期待】 今回成立したヘルスケア改革法案においては、無保険者削減という点では一定の効果が期待 されている。議会予算局(CBO)の試算によると、3,200 万人の無保険者が医療保険でカバー Washington D.C. Representative Office 2 されるようになり、国民の医療保険加入率は現行の 83% から、2019 年までに 94%まで引き 上げられるという1。 CBO は法案試算において、この先 10 年間で 9,400 億ドルの施行コストがかかるものと見てい るが、保険非加入者への罰金、 高所得者や医療企業への課税などによってその多くは相殺さ れる見通しで、その他の歳出削減措置などをあわせると、連邦財政赤字を 2019 年までに 1,400 億ドル削減するものと予想されている。 【指摘される懸念事項、今後の課題】 <医療支出は削減されるか?> 米国の医療コスト高騰の主な要因としては、医療技術の高度化、戦後のベビーブーマーの高 齢化による処方箋薬や医療サービスの利用頻度拡大、治療成果でなく要した費用で決まる診 療報酬制度、無保険者の増加に伴い回収不能になった緊急治療などのコストの医療機関によ る国民転嫁(医療サービス価格の吊り上げ)、医療保険市場の少数保険会社による寡占状態、 国民の間での肥満蔓延などが挙げられる。 今回成立した改革法案では、医療コスト削減に向けていくつかの施策を含んでいるものの、 近年 GDP の 16%を超えるまで肥大化し、GDP 比率で他の先進国の 2 倍の医療支出を抱える 米国が、この先医療支出を削減するには、これらの施策は十分でないとの見方もある。 少なくとも無保険者が大幅に削減されて保険加入者が増え、医療保険取引所の導入によって、 保険会社の間で競争が活発化すれば、ある程度のコスト抑制につながることが期待されよう。 しかしながら CBO の試算によると、ヘルスケア改革法施行後も引き続き 2,300 万人が無保険 のままで、しかもそのうち 3 分の 1 が不法移民であるということからも、無保険者による医 療サービス価格吊り上げの問題は近いうちに解決する見通しはない。 <雇用ベースの医療保険加入者の減少> 上述の CBO の試算によると、雇用主による医療保険提供義務付けと、個人、及び中小企業向 けの医療保険取引所導入により、約 600-700 万人の国民が新たに保険に加入できるという。 その一方で、中小企業向け医療保険取引所の導入により、およそ 800-900 万人の被雇用者が 企業提供の医療保険を失い、政府補助金を受けて自分で保険を購入することになる。また企 業提供の医療保険があっても、政府補助金を受けて取引所での保険購入を選ぶ国民の数(約 100-200 万人)も考慮すると、少なくとも 300 万人が企業提供の医療保険から脱退する見通し である。 従って企業提供保険から個人保険に移行したこれらの国民が、十分な付保内容の医療保険を 納得のいく価格で購入できるかどうかが、今回のヘルスケア改革の評価にかかってくる。 <個人医療保険市場機能不全の問題> 1 http://www.cbo.gov/doc.cfm?index=11379 Washington D.C. Representative Office 3 ヘルスケア改革におけるもうひとつの問題として、個人医療保険市場がうまく機能していな い問題がある。American Enterprise Institute(AEI)は 4 月 1 日、ヘルスケア改革関連セミナー を開催。ヘルスケア改革と個人医療保険市場について著書を発表した Mark V. Pauly 教授は、 米国のヘルスケアシステムでは、企業提供の医療保険が崇拝化されていることが問題である と指摘する。個人医療保険は自動車保険のように、医療保険市場で健全に機能することも可 能であり、ヘルスケア改革において大きな役割を持つべきであると主張した。 同教授は個人医療保険市場が現行制度下でうまく機能してこなかったのは、同市場が企業提 供保険に加入できない一部の「不運」な国民のためにあるとの位置付けゆえとする。従って、 ヘルスケア改革に当たっては、医療保険取引所によって、非雇用ベースの医療保険の競争を 促進し、多様な医療保険商品が安価で購入できるようになるのが望ましいとみている。 またパネリストとして参加した、コンサルティング会社 Hay Group の Tom Wildsmith 氏は、 無保険者の問題は市場の問題ではなく、所得格差の問題であると指摘。従って、保険を購入 したくても出来ない低中所得層には、補助金が最も効果的であると評価。その一方で、子供 が非扶養者として親の医療保険に加入できる年齢上限の引き上げは、しばしば若年層を親の 雇用ベース保険の下にキープすることとなり、個人医療保険市場から締め出すことになりか ねないとの懸念を示した。 【市場経済のあり方に関わる医療保険制度論議】 政府の民間経済への過大介入を嫌う米国で、ヘルスケア改革法が成立したのは画期的なこと。 市場原理を基本とする経済の仕組みは多くの国が採用するが、先進国では医療は国の介入度 の高い例が多い。しかし、米国では医療も市場原理に任せる時代が続いた。他の財・サービ スと異なり、命を救うためには価格を問わないから、高度な医療技術や先端医薬品の開発を 促した面はプラスだが、医療費は拡大の一途をたどり、医療保険料の高騰や無保険者増大を 招いた。 この改革が「成功」するかどうかは予断を許さない。米国財政赤字への影響も懸念される。 改革論議の過程では、「国家介入や規制」対「個人の自由、市場原理」との対立軸が鮮明に なった。Obama 民主党政権は、金融危機を招いたのは金融規制が甘かったからとの立場から、 次の大型法案として金融規制改革を推進中だ。ヘルスケア改革を契機に、米国型市場経済の 姿が多少変容するのかどうか、要観察である。 (担当:松村詩子) (e-mail address:[email protected]) 以下の当行ホームページで過去20件のレポートがご覧になれます。 https://reports.us.bk.mufg.jp/portal/site/menuitem.a896743d8f3a013a2afaaee493ca16a0/ 本レポートは信頼できると思われる情報に基づいて作成しておりますが、その正確性、完全性を保証するものではありません。また特定 の取引の勧誘を目的としたものではありません。意見、判断の記述は現時点における当駐在員事務所長の見解に基づくものです。本レポー トの提供する情報の利用に関しては、利用者の責任においてご判断願います。また、当資料は著作物であり、著作権法により保護されてお ります。全文または一部を転載する場合は、出所をご明記ください。 本レポートのE-mailによる直接の配信ご希望の場合は、当駐在員事務所長、あるいは担当者にご連絡ください。 Washington D.C. Representative Office 4
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