ニュースレターVOL.16 2016年3月発行(PDF

「わっと」は当協議会の愛称です。
人権ってなに?の「What」と人権の輪が「わっと」
広がってほしい願いが込められています。
箕面市人権啓発推進協議会会長
仲野 公
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から5年が経過する今日、人権協は震災発生当初から
震災抜きに人権を語ることはできないとの考えから各種啓発活動に位置づけるとともに被災地で最も
弱者である障害者に対する支援のため「ゆめ・風基金」を通じての募金活動など一日も早い復興・復
旧を願い取組んできたところであります。
そうした中、被災地の復興はどのように進んでいるのか被災者はどのような思いでおられるのかを
見聞するため震災発生2年目の秋から3年連続して訪問してきたところであります。
百聞は一見にしかずと言われますように、津波で押し流された建物や自動車、船などを片付ける
ための瓦礫の山が今は殆どなくなり、土地を嵩上げするための土盛りや防波堤の設置など復興は進
んでいるように見えますが、被災者の話を聞くと景観を損なう防波堤より街が賑わうための施策がほ
しいとか漁船を流され仮設住宅で住まいする高齢者は先の見えない老後に不安を抱いているとか、
夫を亡くし障害を持った息子のパニックが酷くなり困っている母親の話などハード、ソフト両面にわた
る対応の難しさを痛感させられたところであります。
一方、原発による被災地は田畑の中に流されてきた自動車か放置され街は人影がなくゴーストタ
ウン化し、全く手つかずといった様子であったが、最近になって除染が進み避難指示区域の解除な
ど一部復興の兆しはあるものの、姿は見えず臭いもしない原発だけに被災者の思いは複雑でまだま
だ先の遠い難しい問題であると考えさせられたところであります。
こうした現状を訪問者だけに留めるのではなく、箕面に持ち帰り広く市民に周知する必要があると
の考えから毎回、報告書として取りまとめ関係者に配布するとともに人権フォーラムや人権学習会に
被災者を講師としてお招きしお話しを聞くなど各種取組をしてきたところであります。
今年の3月で5年が経過するという
節目を迎えますが、一つの通過点で
あり、まだまだ先の長い国上げての大
きなプロジェクトであります。
私達一人ひとりが再認識し、難しく
考えるのではなく被災地を旅行しお土
産を買い、お酒や魚介類などを食して
楽しみ、風化させることなく語り続ける
ことが必要ではないかと思います。
遠藤未希さんの実家の前で
ヒューマンネットワーク 21
坂口一美
東日本大震災の発生から丸 5 年となる 3 月 11
日が近づく中、改めて震災や被災地に思いを馳
せる方もおられると思います。
私は宮城県出身で、震災で気仙沼市や南三
陸町に住む家族や親戚が被災しました。
震災直後、家族の安否を知るため大阪から現
地へ入りました。当時私が所属する大阪市立大
学大学院の研究分野では遠く離れた大阪から
被災地の為に「何かしたい」との教員や学生から
なる被災者支援の会が発足し、家族の事だけで
はなく、私が被災地と仲間の思いをつなぐ役割
を担うことになりました。
以来、この 5 年間、中学生や高校生、大学生
が被災地で活動するためコーディネーターとし
て活動してきました。
「ボランティア」というと、震災直後のガレキ撤
去やドロの掻き出しを思い浮べますが、植林活
動(海辺に森をつくろう会)やイベント運営の手
伝いなど、被災地のまちづくりが進む今だからこ
そ必要とされるボランティアがあります。
2016 年今年の夏も 100 名の高校生と気仙沼
へ行きます。振り返ると、この間、震災がなかっ
たら出会うことはなかった、多くの人と出会い、つ
ながることができました。
また、支援活動の視野を広げることができたき
っかけは、箕面市人権啓発推進協議会の取り組
む「大震災を記憶し語り続けるために」の活動で
す。福島の今を知りたいとの熱意に動かされ、手
さぐりで始めた福島とつなぐ役割。福島県南相
馬市の小高区では除染のめども立たないまま、
人が住めなくなった町の音や風のにおいを嗅
ぎ、南相馬で被災地に住む人々の思いを聞き、
福島と向き合うことができました。
今東北を訪れるボランティアは減少し、遺構も
少しずつなくなり、被災地を訪れる人も少なくな
りました。
津波によって打ち上げられた第 18 共進丸
~被災地の人の心~
以前、菅原昭彦さん(酒造会社男山本店社
長、気仙沼市復興会議のメンバーであり震災後
商工会議所の会頭となる)が、水産加工を中心
とした気仙沼市内の生産設備が壊滅的状態の
中、「残された気仙沼の生産物を絶やさず、復
興の先がけになってほしい」といった声に、新酒
造りが地域復興に向けての使命に変わった瞬
間でもあったと話され、「被災地のことを忘れず
にいてほしい。思ってくれる人がいるということが
何より勇気づけられ、前に向かうパワーになる。
気仙沼の人はみんな、一度は見に来てほしいと
思っているはず。是非機会があれば観光でもい
いので気仙沼に来てほしい。」と語られました。
気仙沼大島、牡蠣の養殖を営む小松武さん
は筏、漁具、自宅、加工場が流され壊滅状態の
中、養殖場の復興に取り組みながらいつも高校
生のボランテァを受け入れてくれます。小松さん
がこんな話をしていました。「被災して家や仕事
等失い、絶望や苦しみ、深い悲しみがあったは
ずなのに、それを取り戻してくると日常の中で被
災地に居ながら震災のことを忘れてしまう。今で
もボランティアに来てくれる、高校生を受け入れ
る事でその時の気持ちを思いだすことができる
のです」と。
「忘れない」ことの難しさや支援は一方的なも
のではなく「相互に支えあうこと」を感じました。
つい最近、箕面の小学校で 3 年生に震災の
話をしました、当時 3 歳ほどであった子どもたち
が、今日、明日、大きな災害が起きたら自分たち
も、助けに行きたいと語ってくれました。「忘れな
い」は「伝え続ける」ことを実感した授業でした。
これからも、被災地への応援を宜しく
お願いいたします。
在日外国人問題啓発研究部会
潟山 徹
在日外国人問題啓発研究部会(以下「在日
部会」と言います)は、在日韓国・朝鮮人に対す
る差別や偏見に関して学習会やキムチ料理教
室やフィールドワークなど自らの学習を兼ねつ
つ、啓発研究の取組を行っています。在日外国
人にも輪を広げたいのですが、まだまだ当事者
の参加も含めて力及ばずというところです。
在日部会には、在日韓国・朝鮮人市民だけで
はなく、日本人市民も参加しています。
市民の方向けの大きな事業としては、みのお
市民人権フォーラムで在日外国人の分科会に
参画しています。
昨年 12 月の分科会では、大阪芸術大学の学
生が卒業制作として作られた「ヘイトスピーチ」を
上映し、監督の佐々木航弥さんのお話(下の写
真)を伺いました。
1993 年 12 月 22 日に箕面市議会で採択され
た「箕面市人権宣言」には「この街に住み、この
街で暮らすすべての市民がだれひとりとして「人
権」を踏みにじられ、涙をこぼすことがあっては
ならないと願っています。」とあります。
残念なことに、一昨年には箕面市の公共施設
で在日韓国・朝鮮人市民や障害者市民を排除
するような落書き事件が発生しました。これは放
置しておくとどんどんエスカレートし、当事者市
民に対する直接的な罵倒や暴力行為につなが
りかねません。事実、国際人権基準では「ヘイト
スピーチ」に該当するヘイトデモがいまも全国各
地で公然と行われています。
これに対して LGBT(※)市民をはじめとする
多くの日本人市民が「ヘイトデモは許さない」と
抗議の声を上げ続けることでヘイトデモの参加
者は減ってきています。
箕面市議会においても、「ヘイトスピーチ対策
について法整備を含む強化策を求める意見書」
が昨年 3 月 25 日に全会一致で採択択されてい
ます(地方議会の同趣旨の意見書採択は、昨年
12 月末現在で 264 件[法務省統計]に達していま
す)。
大阪市では、全国に先駆けて「大阪市ヘイト
スピーチへの対処に関する条例」が施行されま
した。
もとより、日本国憲法で保障された表現の自
由を侵害するような法規制は許されません。しか
しながら、同時に表現の自由の名の下に個人の
尊厳や存在を公然と否定するような言動が許さ
れる訳はありません。
難しい課題ですが、多文化共生社会を目指し
て引き続き啓発研究を進めていきたいと思いま
す。
※「LGBT とは」
L:レズビアン(同性を愛する女性)、G:ゲイ(同
性を愛する男性)、B:バイセクシュアル(両方の
性別を愛する人。あるいは相手の性別が重要で
はない人)、T:トランスジェンダー(自分の性別
や表現する性別のイメージが出生時に割り当て
られた性別のイメージに合致しない人)の頭文
字をとった言葉。多様な性のあり方を表す言葉
のひとつ。
かわのひでただ
(「ジェンダーかるた」より)
男女協働参画啓発研究部会
森 幸子
「LGBT」が少しずつ知られるようになり、民間大
手調査機関が実施した LGBT 調査 2015 によると、
「LGBT」としての自己認識を持つ人は 7.6%(13 人
に 1 人)というデータが出ました。しかし、カミングア
ウトして自分らしく生きるのにはまだまだ勇気がいる
社会で、私たちが「LGBT」の人たちと出会うのは簡
単ではありません。
「Boys Don't Cry」(1999 年製作)は、トランスセク
シュアルのブランドン(ヒラリー・スワンク)の半生を
描いた映画ですが、最後は「女のくせに男の恰好
をして女を愛した」という理由でレイプされ、命まで
奪われました。これほどつらく痛ましく記憶に残っ
た映画はありません。更にショックだったのは、この
ヘイトクライム(憎悪犯罪)による殺人事件が 1992
年にアメリカのネブラスカ州リンカーンで実際に起
きたということ、そしてその事件からわずか 24 年し
か経っていないということです。
からだの性、心の性、好きになる性などさまざま
な組み合わせで性は存在します。こうした性の多
様性を表すシンボルカラーとしてレインボーが世界
共通に使われていますが、私たちも身近なひとた
ちと性の話をもっとフランクに話せるようになればい
いなあと思います。誰もがその多様な性のグラデ
ーションの中にいるのだから。
啓発研究部会合同企画学習会
仲良くしようよシリーズ①
「LGBT みんなちがって、みんないい」
●日時
●場所
●講師
3 月 19 日(土)午後 2 時~4 時
らいとぴあ 21 3 階視聴覚室
古閑丸斉良(こかんまる まさよし)さん
ネット上の「アウト・イン・ジャパン」でカミングア
ウトされた古閑丸斉良さんのお話をうかがい
ながら性の多様性について考えます。
(参加費無料。要申込)
●精々囲み文章か、埋め草記事もどきの第2回目
です。
●言葉は、人間が作り出した様々な文化の中で、
もっとも純度の高い文化手段ですね~。でも、使
ってはならない言葉もたたある文化でもあります。
●それは言ってはアカン。ボクが日常的に使って
いる事務所は、新大阪駅の近くにあり、周辺には
小学校、中学校があります。
最近、ちょっとびっくりしたことがありました。下校時
で、生徒や児童がバラバラと道路を歩いている
時、道路をまたいで歩いているグループの中か
ら、〓反対側の道路を歩いているグループに向け
て、笑いながらではあったけれど、〓おまえらは、
死ねの言葉が投げつけられ、それに反応するよう
に、言葉を受けた側のグループから、〓おまえらこ
そ、死んでまえーとの言葉が投げ返されていた。
子どもたちには、その言葉の本当の意味が理解さ
れてはいないのだろうけれど、〓死ねと言う言葉
は、相手の存在を全否定する意味を持つ。学校や
各家庭では、その言葉使いを止めてはいないの
だろうか。それらが野放図に放置されているとすれ
ば、言葉の結果については、責任が大人たちあ
る。だから一言、死ねと言う言葉は使ってはならな
いよ。と、大人たちのメッセージを子どもたちに伝
えなければなりますまい。春の日差しが弱い、ある
日の子どもたちの午後の風景でした。
●とかなんとか言っちゃって、
こんにゃく問答を続けます。
では、次号にまた。以上
吾亦紅
公私ともどもお世話になっていたAさんが2月22日に
突然帰らぬ人となった。人権協以外にも市の審議会
などでもご尽力された。持病を抱えながらもいつも笑
顔だったことを思い出す。人権協では会議だけでは
なく宿泊研修などにも参加いただき、その際にはたく
さんのお土産を買われたのも今にして思えばそのご
交友の広さゆえのことだった。Aさんの功績には及ば
ぬにせよ、いまの仕事を続けることで哀悼の言葉に代
えたい。(K)