★社会が変化する前にヒトのカラダが変化する ⇒つねに病気(感染症)が介在!(栗本説) ●ATLはエイズと同じ「レトロウイルス」 レトロウイルスは、RNAをゲノムに持ったウイルス。「逆 転写酵素」という酵素を使って、RNAにある自身の情報 をDNAに書き写す。つまり、普通のタンパク質合成時と は逆向きに情報を流している。白血病ウイルスやAIDSウ イルスなどは、この逆転写酵素を持ち、感染細胞内では DNAに「逆転写」されて増殖する。変異スピードがとても 速いのが特徴。 ●寄生虫(フィラリア)との不思議な関係 ATLウイルスの発見者は日沼頼夫氏(京都大・熊本大名 誉教授)。寄生虫(フィラリア)の研究をしていた若き日の 藤田紘一郎氏らが、ATLの発生地域とフィラリアのキャリ アの分布が一致していることを見いだした。フィラリア病 は戦前まで罹患する人が多かったことから、縄文人は 滅んだわけではなく、社会に一定数存在していたことが 示唆される(⇒Y染色体の遺伝子解析)。 ★弥生人に滅ぼされなかった「縄文人」 ●天然痘とスペイン人にやられた「インカ帝国」 南米ペルーを中心に栄えた太陽信仰の大国。 スペイン人ピサロの軍隊はわずか180人。皇帝アタワルパが生け捕りにされ、 あっという間に処刑。1572年に滅亡。 滅亡の原因 ①圧倒的な武器の差(スペイン人は鉄器や鉄砲を持っていた) ②天然痘の大流行で国が疲弊していた(スペイン人が運んできた)。 ↓ 縄文人VS弥生人? Y染色体解析では、現代の日本人の30〜40%が縄文人のDNAを受け継いで いる(ほとんど滅ぼされていない) なぜ滅ぼされなかった(or滅びなかった)のか? 国立遺伝学研究所 斎藤成也教授 「縄文時代、1万6千年くらい前から3千年くらい前まで、日本列島の北 から南まで縄文土器を作っていた人たちがいた。その人たちのDNAが われわれにも伝わっている。それによって、大陸の中国とか東アジアの 人たちとは少し私たちは違っている。」 国立科学博物館 人類研究部 神澤秀明研究員 「今回、縄文人のDNAを分析して、現代の日本人には縄文人 のDNAが受け継がれていることが可能性として見えてきた。 縄文時代から現代にかけて、日本列島人の集団が遺伝的に どのように変化したのかが見えてくることになる。」 NHK「おはよう日本」 〜分かってきた縄文人のDNAより 2015年5月29日放送 ★弥生人=稲作渡来民とは何者か? 稲作渡来民たちは、もともと中国の春秋から戦国時代に 呉とか越と呼ばれていた地域の住民であり、不完全な航 行手段によって、小さい集団として朝鮮半島まで移動して 一部は定着し、さらにその一部は日本列島の北九州ある いは山陰まで渡ったと考えられる。 【スクナビコナ(少名毘古那)の伝承】 大国主の国造りに際し、波の彼方より 天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)(=ガガ イモの実とされる)に乗って来訪。国造 りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁 厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神 など多様な性質を持つ。 「ドングリ」から「コメ」へ 〜日本列島に暮らす人々は、なぜ「コメ」を選んだのか? 「米の語源は、「こめる(籠める)」の連用形が名詞化したとする説が有力となっている。 古く、米は「ヨネ」の使用例が多く、「コメ」の語の使用例は少ない。 「コメ」の語が多く用いられたのは改まった儀式の場であったことから、コメには神聖なもの や生命力のようなものが宿っており、「籠められたもの」の意味で「コメ」になったという解釈 もある。(以下略)」 (語源由来辞典より) “コメ=籠める” ⇒コメは「生命」が籠った“聖なる種子” ★古代人はすぐれた身体感覚を駆使し、様々な作物のなかから、 (クリやドングリに代わるものとして)コメを選んだ。 *栄養学の知識がない時代、何が基準にされていたか? ★雷はなぜ「稲妻」と呼ばれるのか? いなづま:稲の夫 (つま) の意。稲の結実期に多く起こるので、これによって 稲が実ると考えられていた。〜goo辞書より ●なぜ電光が「稲のつま」なのか? ⇒昔、雷が多いと豊作になることが多いため「雷光が稲に当たると稲が妊娠して子 を宿す」と考えられた。実際に雷の多いときは降水量や日照、気温など、稲の生育 に良い条件が揃う。 ●大気中の窒素の利用 ⇒雷などの空中放電により窒素の一部は硝酸に変換され植物が利用できる物質と なる(東京農業大・中西載慶) (備考) 籾殻に含まれる「ケイ素」(シリコン)の役割 土壌の主要成分であるケイ素が、コメの籾殻だけに含まれる ⇒実を硬くして守っている?+籾殻を土に帰すと同じ土壌が維持できる ★貨幣としての「コメ」の役割(経済人類学的な視点から) ①捧げるもの=供物(贄)/贈与 *生命力の高いもの=神様へのお供え物:人から神へ ↓ ②贈与に対する返礼(支払いの発生) *お祓い(負い目を取り除く):神から人へ ↓ ③返礼に対する新たな贈与(交換の発生) *ご利益⇒感謝⇒贈与⇒返礼という循環が生まれる ●供物としてのコメを受取り、それに対してお祓いをする……日本では、 こうしたコメの宗教的な役割がそのまま経済システムにも当てはめら れた(お祓い⇒支払い/コメ経済の発生) *詳細は次回に! ★伊勢神宮とコメの関わり① ●「元伊勢」の巡歴 伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神で あり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同 床共殿」であったと伝えられる。 すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、 その状態を畏怖した同天皇が皇女・豊鋤入姫命 にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の 本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、更 に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第 11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き 継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座した とされる。(wikipediaより) 豊鍬入姫命((とよすきいりひめのみこと) ↓ 倭姫命(やまとひめのみこと)
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