6月26日デュルケーム『自殺論』

第 8 回マクロゼミ 2012/06/29
デュルケーム著『自殺論』
担当: 池、池田、靏、柴原、吉岡、小林
エミール・デュルケーム Émile Durkheim(1858~1917)
エミール・デュルケームは、フランス・ロレーヌ出身の社会学者で、フランス系ユダヤ
人家庭に生まれる。パリの高等師範学校で学び、1886 年にはドイツに留学し、実証的社会
科学を学んだ。彼は個人の意識に拘束的な影響をおよぼす社会的な独自の実在として、社
会集団の成員が共通にもち、世代をこえて伝えられる行為・思想・感覚を「社会的事実」
と呼んだ。反社会的行動である自殺率の増大などを解明するためには、この社会的事実を
分析すべきであると主張した。1887 年にはフランスに帰国し、ボルドー大学の職に就く。
この間に、処女作『社会分業論』(1893 年)や代表作『自殺論』(1897 年)が執筆された。1902
年にはソルボンヌ大学(パリ大学)の教育科学講座教授に就任。以降、デュルケームの研究は、
教育がテーマとしたものが多くなり、『教育と社会学』や『道徳教育論』を執筆した。この
ように、彼は実証主義を方法として、フランスの社会学に大きな影響を残した。
(参考文献:社会科学総合辞典・Wikipedia)
問 1 デュルケムによる自殺の定義とは何か。具体例を挙げながら説明しなさい。[参照:序
論]
[引用]
p.18: したがって、学者は、日常語に対応する、まったく型にはまった事実群を、その研究
対象とすることはできないのである。学者は、研究しようとする事実群に、科学的な取り
扱いのために必要な同質性と特定性をあたえるために、みずからそれらを構成しなければ
ならない。
p.21: 死が、目ざす目的のためには―…いずれの場合でも本人が生を放棄することに変わり
はない。
p.22: 生命の放棄という行為のとりうるあらゆる形態に共通の特徴はといえば、…かれは、
その行為にうつるとき、行為のもたらす結果がどのようなものであるかを承知している。
同上: そこで、自殺の定義として次のようにのべることができよう。死が、当人自身によっ
てなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がそ
の結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける。
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デュルケーム著『自殺論』
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[解答]
自殺という、社会科学の領域に属するテーマについて研究する際には、科学者ごとにテ
ーマの定義付けを行うことが必要である。なぜなら、テーマの定義が確固としたものであ
り、誰によっても変えられることのない自然科学に比べ、常に新しい仮説を立てる必要が
ある社会科学で扱うテーマは、捉え方によって定義もその都度変化し得るからである。よ
ってデュルケームもまず初めに自殺の定義を明確に設定している。
まず考えられるのは、死者本人の行動によって引き起こされる死があるということであ
る。この死が人に訪れるとき、それは必ずしも死者本人の直接の行動である必要はなく、
死という結果が直接、間接にかかわりなく行為者に訪れるという点が重要である。つまり、
積極的・消極的行為から、直接、間接に生じる死をすべて自殺とすることができる。
しかし、この定義だけでは不十分であり、行為によって死ぬ者が何を意図しているのか
という観点からの考察も必要である。この意図は、非常に内面的なもので外側から観察す
ることが困難であるが、だからといって自殺を意図して行為に及ぶことのみを自殺として
しまうと、私たちは、世間で自殺と呼ばれていることや、自殺以外に呼びようがない事実
を、自殺とすることができなくなってしまう。わが子のために自ら命を捧げる母親がいた
としても、死そのものを意図したわけではなくとも行為者本人が生を放棄するということ
には変わりないのである。よってこのような自己に対する殺人も、自殺と呼べるだろう。
上記のような死の形態において、共通していることは、いずれにおいても自身の行う行
為が死という結果を行為者本人にもたらすということを知っていることである。このこと
から、ついに自殺が定義される。つまり、自殺とは、当人自身によって行われた行為が、
直接あるいは間接に、当人の死をもたらす場合であり、さらに、その当人が、自身の死と
いう行為の結果を知っていた場合の死の形態である。
問 2 デュルケームが第 1 篇で挙げている非社会的要因について、次の用語を参考にし、簡
潔に述べなさい。[参考用語: 精神異常、人種・遺伝、気候・季節、模範]
[引用]
p.36: 非社会的な原因のうち、自殺率に影響をおよぼすとおもいこまれているものには、有
機的・心理的傾向および物理的環境の性質という二種のものがある。
同上: ある所与の社会にとって年間の発生率がかなり一定していて、しかも民族が異なれば
かなりいちじるしく変動をしめすような病気がある。すなわち精神異常(folie)がそれである。
したがって、およそ自殺というものに精神錯乱的なもののあらわれをみることにかりにな
んらかの根拠があったならば…、自殺とは個人的な病のひとつにほかならないということ
になる。
p.44: 自殺が精神病者に特有の行為であるかどうかを知るには、自殺が精神異常においてど
のような形態をとるかを規定し、次にそれが自殺にとる唯一の形態であるか否かをみてみ
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なければならない。
p.63: 未開社会では精神錯乱がきわめて少ないのに往々にして自殺が頻発しているという
ことが、右の事実からいっさいの証明上の価値をうばってしまう。
p.73: 人種とは、もちろん共通の特徴をしめす諸個人の集合であるが、さらにこの属性の共
有がかれらすべてが同じ祖先に由来するという事実にもとづいているような場合、と解さ
れてきた。
p.75: 人種を決定的に特徴づけるのは、これらの類似が遺伝するということである。
p.82f: フランスという民族は、最初から身長において区別される二つの主要な人種の混血
から生じている。…兵役免除者の少ないところほど身長は高くなるわけだから、これは該
当の住民の平均身長を測る間接的な方法となる。…身長が足りずに免除される者が少ない
所ほど、つまり平均身長がより高い所ほど、いっそう自殺が多いというわけである。
p.99: 遺伝とはそもそもからして、受胎が完了すれば、そのようにあらわれなければならな
いもの、またあらわれることのできるものだからである。自殺への傾向は出生以来潜在的
状態で存在していて、のちになって発現ししだいに発展していく別の力の影響のものには
じめて表にあらわれてくる
p.105: 事実、一年を二つに分け、暑いほうの六ヵ月を含む部分(三月から八月まで)と寒いほ
うの残りの六ヵ月としてみると、自殺が多いのはきまって前者のほうである。この法則の
例外をなす国はひとつもない。
p.111: 一月から六月ごろまで自殺は月々一貫して増加し、六月からその年のおわりまで一
貫して減少する。
p.125: 一月から七月まで自殺が増加するのは、暑熱が身体のうえに攪乱的作用をおよぼす
からではなく、社会生活がより活発になるからである。…自殺の増減は社会的諸条件にも
とづいているのである。
p.126: 模倣が純然たる心理的な現象であること、このことは、いかなる社会的絆によって
もむずばれていない諸個人間にも生じることができるという事実から、明白に結論されて
くる。
p.153: 要するに、自殺が個人から個人へと伝染するのは確かであるとしても、自殺の社会
率に影響をおよぼすようなかたちで模倣が自殺を伝播させるのはみられたためしがない。
p.154: 伝染的自殺は、自殺への強い先有傾向をもっている個人以外にはまず絶対にみられ
ないことを証明できると考えていた。
[解答]
本著でデュルケームが述べた非社会的要因は、精神異常、人種・遺伝、模倣といった有
機的・心理的傾向の性質と、気候・季節といった物理的環境の性質という二種類に分ける
ことができる。
まず、前者の三つの性質について考察する。第一に、精神異常は年間の発生率が一定で
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あるのと同時に、民族単位でもかなり違った傾向を示す病気であり、精神錯乱をみること
ができる。すなわち、精神病者の数と自殺者の数が比例していると仮定すれば、自殺が精
神病者だけに見られる行為であると言い換えることができる。しかし、未開社会において、
精神病者の数はきわめて少ないのに対して、自殺が頻発しているということが証明されて
いる。それゆえ、いかなる精神異常も自殺との間に規則的で明白な関係を保っていないと
言えるため、両者の間で関連があるとはいえない。
次に、人種とは、共通の特徴を示す諸個人の集合であり、かつ彼らが同じ祖先に由来す
るという事実に基づいている場合、すなわち、遺伝的に類似しているという定義をするこ
とができる。仮に人種によって自殺率に差が生じているとすれば、人種は遺伝されると言
える。ここで、フランスのある地域の自殺率についてのモルセッリの説について考察する。
フランスという民族は、身長において二つの主要な人種の混血から成っており、ケルト系
と呼ばれる人種は、身長が比較的低く、キムリス系は身長が高い人種であった。フランス
における兵役では、身長が低い者が免除されることがある。よって、モルセッリは、身長
が高い地域ほど自殺者がいっそう多くなるはずであり、これは人種的な問題であると結論
づけた。しかし、兵役免除者と自殺率を比較すると、両者の関係は不確かなものであると
決定された。また、そもそも遺伝は受胎が完了すればその遺伝内容があらわれなければな
らないものである一方、自殺への傾向は出生以来存在するはずである。これらのことから、
人種・遺伝と自殺率は関連していない。
最後に、模倣と自殺の関係について考える。模倣とは、個人が個人をまねすることを指
す。このことは、模倣が社会的に増加している自殺率に影響を及ぼしていないということ
を意味する。自殺は個人から個人へと伝染することはありうるが、自殺が社会的に伝染す
ること、言い換えれば集団に伝染するような事例はひとつもない。自殺の伝染、つまり模
倣は自殺への強い先有傾向をもっている個人のみにされることであるため、自殺率の増加
と模倣の関係は関連していないといえる。このように、心理的・有機的要因の性質は自殺
率を上げている原因とは言えない。
後者である物理的環境の性質について考える。初めに気候・季節について見ると、自殺
率が高いのは、一年を二つに分けた場合、暑い時期である 3 月から 8 月であり、世界のす
べての国がこの特徴を持っている。厳密にいえば、ほとんどの国では六月から八月までの
夏に自殺率が最も高い。このような事実から、一見、夏の暑熱が自殺率に影響を及ぼして
いると考えるかもしれない。しかし、この考察には反例が存在する。月ごとに観察してみ
ると、1 月から 6 月ごろまで自殺は月々一貫して増加し、6 月からその年のおわりまで一貫
して減少する。一般的に 6 月よりも 8 月の方が暑いため、この事実は暑熱が自殺率に関係
していないことを示している。1 月から 7 月まで自殺が増加するのは、暑熱が身体のうえに
攪乱的作用をおよぼすからではなく、社会生活がより活発になるからである。このように、
気候・季節は自殺に影響をおよぼさないのだ。
心理的傾向・物理的傾向の性質の両者から見られるように、非社会的要因は自殺を促進
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する明確な原因にはならない。つまり、社会的要因に人々を自殺へと追い込む原因がある
と言えるのだ。
問 3 自己本位的自殺とはなにか説明しなさい。
[引用]
p.182: すなわち、プロテスタンティズムのほうに自殺の多い理由は、プロテスタントの教
会がカトリック教会ほど強力に統合されていないためである
p.194: すなわち、教育程度の高い環境のもとで自殺傾向が促進されるのは、すでにのべた
ように、まさに伝統的信仰の衰退とそこから生じる道徳的個人主義が原因となっている。
同上: 自殺を増大させているのが知識なのではない。…人びとが知識を学んだり、自殺をは
かったりするのは、かれらの属している宗教的社会が凝集力を失ってしまったからであり、
知識を学んだから自殺をしたということではない。
p.197: 教義や儀式についての区々たる事柄は、さしあたり重要ではない。肝心なことは、
もともと教義や儀式は、自殺を抑止するにたりる強力な集合的生活をはぐくむような性質
をもっているということである。
p.200: 実際には未婚者の自殺のほうが多いことがわかっている。…だから、けっきょく、
結婚していることが自殺の危機を半分ほど減じているといえる。
p.230: それによれば、じつは、やもめ暮らしそのものは、いかんともしがたい悪条件とい
うわけではない。…本当のところ、やもめ男女の精神的構造にはなんら特異なものはなく、
むしろそれは同じ国の同性の既婚者の精神的構造に準じていて、たんにその延長をなして
いるにすぎない。
p.232: この抑止作用は、家族が密であればあるほど、つまり家族がたくさんの成員をふく
んでいればいるほど完璧なものになる。
p.246: 国民的大戦のような社会的激動が生じると、それによって集合的感情は生気をおび、
党派精神や祖国愛、あるいは政治的信念や国家的信念は鼓吹され、種々の活動は同じ一つ
の目標にむかって集中し、少なくとも一時的には、より強固な社会的統合を実現させる。
…ここで明らかにしてきた以上の有利な〔自殺抑止〕の影響は、危機そのものからではな
く、危機が原因で生じる闘争からもたらされるのだ。
p.247f: すなわち、自殺は、個人の属している社会集団の統合の強さに反比例して増減する
p.248: ところで、社会の統合が弱まると、…個人に特有の目的がもっぱら共同の目的にた
いして優越せざるをえなくなり、…そこで、社会的自我にさからい、それを犠牲にして個
人的自我が過度に主張されるようなこの状態を、自己本位主義とよんでよければ、常軌を
逸した個人化から生じるこの特殊なタイプの自殺は自己本位的とよぶことができよう。
p.255: この生からの訣別は、孤立した個々人だけに起こるとはかぎらない。…じつは、人
の生がどのような価値をもっているかについて全体的な判断をくだしうる地位にあるのは、
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社会だけであり、個人にはその能力はない。
[解答]
自殺に影響する社会的要因を分析するためには、複数の種類の社会的集団を観察しなけ
ればならないが、そのためにデュルケームは宗教的社会と婚姻による家族社会と国家につ
いて観察する。
宗教的社会についていえば、そこに見られるのはカトリック教徒にくらべてプロテスタ
ント教徒の自殺が多いという状況である。このような現象が起きる理由は、カトリシズム
がプロテスタンティズムに比べて集団的統制力が強いという特性をもつからであり、教義
の内容が重要であるわけではない。このことは、それぞれの教徒の教育水準にもあらわれ
ており、カトリック教徒に比べてプロテスタント教徒は教育水準が高いが、プロテスタン
ト教徒が教育に力を入れているのは彼らの属する宗教的社会が統合の弱い社会だからであ
り、結果、宗教的社会が自殺の傾向に影響をおよぼすとき、重要なのはその宗教的社会が
どれほどの凝集力をもっているかということである。
婚姻によって形成される家族という社会についていえば、未婚者は既婚者に比べて自殺
率が高く、また、やもめ男女における自殺傾向も、その地域の既婚者の精神構造によって
左右されることから、この場合に重要であるのは家族の統合具合であるといえるが、この
とき、家族の統合の密度を決めるのは、家族成員の多さである。家族を構成している成員
が多いほど、同じ感情や熱狂を共有することができ、したがって家族の密度、すなわち凝
集力は高くなり、より自殺に対する抑止力は高くなる。
国家、一般的社会についても統合の強さが重要なのであって、発展と集中の途上にある
社会より崩壊に向かいはじめた社会の方が自殺率は高い。社会の発展途上において起こる
社会的激動や闘争のなかで、人びとは祖国愛や国家的信念といった集合的感情を高め、そ
れによって社会全体の統率は高められる。
このような 3 つの例から、自殺の抑制に影響を及ぼすのは、人びとが所属している社会
の統合の強さであるとわかる。その社会における統合が弱くなると、人は行動や思念を同
じ集団に属する他の人びとと共有することがなくなり、そのうち自分の目的や行動や個性
が社会におけるそれに優越するようになる。このような状況により、個人の自我が社会的
自我に反抗しているような状態を自己本位主義と名づけるとすれば、この自己本位主義と
いう極端な個人化から生まれる自殺を自己本位的自殺ということができる。この自己本位
的自殺が社会の統合の欠如から生まれるのは、個人には生の価値を判断する能力がそなわ
っていないからであり、社会によってその判断がなされるからである。つまり、社会的な
苦しみは、個人にも襲いかかり、それが極端な個人主義による自殺へ人びとを導いてしま
うのだ。
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問 4 集団本位的自殺とはなにか説明しなさい。
[引用]
p.260: 人は社会から切り離されるとき自殺をしやすくなるが、あまりに強く社会のなかに
統合されていると、おなじく自殺をはかるものである。
p.262f: 自殺が行われるのは、当人がみずから自殺をする権利をもっているからではなく、
それどころか、自殺をする義務が課せられているからである。
p.263: …他方では、社会は、正面きって人に生を放棄するように命令をくだす。…後者で
はそれが強制に変わる。そして、この義務を要求しうる条件や環境を決定するのも社会で
ある。
p.264: 社会がこのようにある成員に圧力をくわえて自殺をさせることができるためには、
個人の人格が無にひとしいとされる当時の状況がなければならない。
同上: 集合生活のなかに個人のしめる地位がこのように微弱であるということは、個人が
集団のなかにほとんど完全に埋没していて、それゆえ、集団がきわめて強固に統合されて
いるということでなければならない。
p.265: 他方は、社会があまりにも強くその従属下においているところから起こる。
p.266:この自殺は義務としてなされるという特徴をもしめしているため、…このようにして
構成されるタイプは、義務的集団本位的自殺と名づけることにしよう。
同上 集団本位的自殺がすべて義務的になされるとはかぎらないからである。…集団本位的
自殺はいくつかの変種をふくんだ自殺の一種なのだ。
p.267: 子どものときから生を重んじないことに慣れ、あまりに生に恋々とする者をさげす
むことを習わしとしていると、いきおいまったくささいな理由からも生を放棄してしまう。
…だから、それらの慣行も、義務的自殺とまったく同じように未開社会の道徳の根底にあ
るものに根ざしている。
P268 そして、その特殊性をもっと浮き彫りにするためには、随意的といいそえるべきであ
る。
p.282: 兵士は、命令を受けるや否や、時をうつさず身を犠牲にするだけの覚悟をしていな
ければならないから、自分の人格の価値をあまり主張しないように訓練されなければなら
ない。
同上: 軍隊もまた、緊密な大集団からなっていて、個人を強く掌握し、個人が独自の行動を
とることをゆるさない。そして、この道徳的構造こそ、集団本位的自殺の発生の本来の基
盤であるから
[解答]
問 3 で述べられたように、人は、社会から切り離されて孤立した状態になると自殺をし
やすくなる傾向にあるが、いっぽうで、あまりに強く社会のなかに統合されると、同じよ
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うに自殺をはかる傾向にある。つまり、個人が社会によって過度に統合されることから生
じる自殺こそが、集団本位的自殺なのである。献身や自己犠牲を行うことが強調される伝
統的な道徳構造をもつ未開社会などでこれらは見受けられる。たとえば、首長のために臣
下や家来が自分の身を投じてまで死を迎える行為は、まさに首長に対する献身からである
し、戦争時の、お国のために命を捧げよ、というフレーズを耳にすることもあるが、それ
もまた、自分の意志ではなく、その思想こそが正しいという状況を社会が生み出している、
からである。こうした自殺が行われるのも、本人が、自殺したい、という欲望や自殺をす
る権利をもっているからではなく、自殺をする義務が社会という集団によって課せられて
いるからなのである。このように、集団本位的自殺には、自殺をする義務を課していると
いう特徴をもつことから、義務主義的本位自殺として名づけられている種類がある。社会
は個人に自殺を促す圧力を与えることができる。それは、個人の人格を無いものに等しい
とされる状況が存在することで生み出されるのだ。集合生活における個人のしめる地位が
弱まることで、個人は集団の中に影をひそめていき、集団によって強固に統合されるとい
う構造が生まれる。自己の精神状態が主な原因ではなく、所属する集団が原因で自殺を引
き起こしてしまうのだ。
しかし、集団本位的自殺は、義務的なだけであるとはかぎらず、いくつかの変種をふく
んでいる。たとえば、子供の時から、生を重んじないように教育を施され、それに慣れる
と、ささいな理由からでも生を放棄してしまう。不名誉を免れるために行う行為を、尊敬
をかちえるために行うのだ。それは、ある程度の自発性をおびて生まれるもので、この特
徴を考慮して、デュルケームは随意的と示している。しかし、これらの慣行も結局は、義
務的自殺と同じように未開社会の道徳の根底にあるものに根ざしている。
また、われわれの社会には、集団本位的自殺が慢性化している世界があり、一つの例と
して取り上げられているのが軍隊である。兵士は、命令を受ければ、身を犠牲にするだけ
の覚悟を保持しなければならないし、自分という存在に固執することなく、決められたこ
とに従わなければならない命を懸けた集団である。まさしく、軍隊とは、大集団から成り
立っており、個人を強く掌握している。この構造こそ、集団本位的自殺の発生の本来の基
盤であると、デュルケームは主張している。
問 5 アノミー的自殺とは何か説明しなさい。
[引用]
p.292: 社会は、ただたんにさまざまの強さで個人の感情や活動をひきつけるだけのものに
はとどまらない。それはまた、個人を規制する一つの力でもある。社会の行使するその規
制作用の様式と、社会的自殺率のあいだには、ある種の関係がみとめられる。
同上:経済的危機が自殺傾向に促進的な影響をおよぼすことはよく知られている。
p.295: 貧困のいささかの増加もなしに、自殺の増加が起こる。したがって、一国の繁栄を
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急激にもたらすような歓迎すべき危機でさえ、経済的破綻とまったく変わりない影響を自
殺におよぼすことになる。
p.298: 経済的窮迫が、よくいわれたほど自殺への促進的影響をおよぼさないことをいっそ
うよく証明してくれるのは、経済的窮迫がむしろ反対の作用をおよぼしているという事実
である。…じつに貧困が人びとを保護しているとさえいうことができる。
同上 f: 繁栄という危機も、それと変わらない結果をもたらすからである。真の理由は、そ
れらの危機が危機であるから、つまり集合的秩序を揺るがすものであるからなのだ。なん
であれ、均衡が破壊されると、たとえそこから大いに豊かな生活が生まれ、また一般の活
動力が高められるときでも、自殺は促進される。社会集団のなかになにか重大な再編成が
生じるときには、たとえそれが突然の発展的な運動に起因するものであろうと、なにか不
意の異変に起因するものであろうと、きまって人は自殺にはしりやすくなる。
p.303: みちたりた状態に永久に到達しえず、またほの見える理想にも近づくことができな
いとき、未来はいったい過去以上のなにを人に与えることができようか。だから、与えら
れた満足は、欲求を静めるのではなく、むしろそれを刺激するのであって、人は、得れば
得るほどなおそれ以上に得ようと欲するだろう。
p.305: 社会は個人に優越した唯一の道徳的な権威であり、個人はその優越性を認めている
からである。社会は法律を布告し情念にこたえてはならない限界を画するうえで、必要に
して唯一の権威である。
p.310: 社会が混乱におちいったときは、…しばし社会はこの活動〔個人にたいする規制〕
を行使することができなくなる。
p.311: いったん弛緩してしまった社会的な力が、もう一度均衡をとりもどさないかぎり、
それらの欲求の相互的な価値関係は、未決定のままにおかれることになって、けっきょく
一時すべての規制が欠如するという状態が生まれる。
同上: この無規制あるいはアノミーの状態は、情念にたいしてより強い規律が必要であるに
もかかわらず、それが弱まっていることによって、ますます度を強める。
p.313: 現実にアノミーが慢性的状態にあるような社会生活の一領域がある。商工業の世界
がそれだ。
p.319: いま確認してきたこの第三の種類の自殺は、人の活動が規制されなくなり、それに
よってかれらが苦悩を負わされているとこらから生じる。
p.338: 離婚とは、結婚生活という規制の弛緩を意味するものである。離婚の容認されてい
るところ、とりわけ法や慣習があまりにもこの慣行を容易にしているところでは、結婚生
活そのものがすでに不安定な形態のものでしかない。
p.340: 離婚と自殺の並行的な増加という事実を説明してくれるものは、離婚制度によって
引き起こされる夫婦アノミーの状態にほかならない。けっきょく、離婚の多い国において、
その自殺数の増加にあずかっている夫の自殺は、アノミー的自殺の一変種をなしているこ
とになる
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[解答]
多くの人々は、経済的な不況の時に自殺率が増加すると考えているが、実際には、経済
的に成長している時にも自殺率が増加するのである。つまり、経済的な危機から生まれる
貧困だけが自殺率を増加させる原因ではないのだ。急激な「経済危機」も「経済成長」も
集合的な秩序が揺らいでいるという意味で、両者とも危機であると言える。そのため生活
が豊かになったとしても、秩序の均衡がとれていなければ自殺率は増加するのだ。また、
急激に経済的な変化がある時、人々に道徳力を行使する社会は、人々の欲望を制御し、規
制をかけるという力を失ってしまう。そのため経済的に不況の時にも、経済的に成長して
いる時にも自殺率は増加するのである。何故なら、急激な経済の変化によって社会的規範
が失われ、無統制な社会になってしまうからである。この状態がアノミーである。アノミ
ーという言葉は「規範喪失」という意味がある。本著では「規範喪失によって肥大化した
欲求や行為に規制をかけられなくなり、苛立ちや不安を感じる状態」のことをアノミーと
述べている。社会がこの変化に適応するためには時間がかかってしまう。
産業社会がアノミーの典型例である。産業社会は、継続的に社会変化にさらされており、
常にアノミーが存在している。ここでは、どれだけ利益を生み損失を少なくするか、どう
やって他社との競争に勝っていくかということが第一に考えられる。そのため、人々の欲
求を規制する考えが軽視されている。また、先の見えない競争に人々は不安を感じるので
ある。もはや、経済成長自体が目的そのものになり、経済成長は何かを達成するための手
段ではなくなってしまっているのだ。その結果、産業社会では自殺率が高いのである。ま
た、著者は離婚という具体例もあげている。離婚率が高いところでは、自殺率も並行して
高くなっているという研究結果がでていた。離婚とは、自分をこれまで規制していた結婚
生活から解放することを意味する。そして、人々は自分の欲求や行為に規制をかけること
ができなくなる。産業社会と離婚は、全く関係性のないものに見えるが、規制がなくなっ
てしまったことにより人々が不安や苛立ちを感じてしまうというところで、共にアノミー
的自殺の原因になっているのだ。
問 3、問 4 で触れられたように自己本位的自殺や集団本位的自殺が起きる原因はいかに個
人が社会に適応しているかどうかが問題であったが、アノミー的自殺は、社会から人々が
いかに規制されているかが焦点になるのである。つまり、アノミー的自殺とは、社会的な
混乱によって社会的規範が弛緩したり崩壊したりしたために、社会が人々の行為や欲望に
規制をかけることができなくなった状態になり、その中で人々の欲求が無制限に増加し、
その決して満たされない欲求に人々が不安を覚えたり悩むことによって、行ってしまう自
殺のことである。
問 6 デュルケームは「したがって、一つの社会、あるいは…個々人には依存しない、独立
した原因でなければならない。
」(p.386)と述べているが、社会がどのように自殺と関係して
いるのか、なぜその関係が個々人には依存しないのかという点について説明しなさい。
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デュルケーム著『自殺論』
担当: 池、池田、靏、柴原、吉岡、小林
[引用]
p.373f: この結果(自殺)をつねにかならずひき起こすような不満というものは、なおさら存
在しない。
p.374: それゆえ、もっとも大きな影響を個人的条件に帰している論者でさえ、その原因を、
それらの外部的な出来事にもとめず、むしろ本人の内在的な性質、すなわち本人の生物学
的構造およびその基礎をなす物理的な付随現象にもとめたのであった。こうして、自殺は、
ある種の気質の所産であるとされ、神経衰弱の偶発結果にもなぞらえられた。
同上: このことは、神経病患者は、ある一定の条件の下で多少の自殺傾向をしめすことがあ
りえても、かならずしもつねに自殺すべく傾向づけられていないこと、そして宇宙的要因
の影響は、かれの本性のごく一般的な諸傾向をこの特定の方向(自殺)に向けさせるにたるも
のでないことを意味している。
p.376: 一般に自殺の身近な原因であるとされる、あのいろいろな私的な出来事については
どうか。それは、社会の道徳的状態の反映である自殺者の精神的傾向が、それらの出来事
におよぼした影響以外のなにものでもない。
同上: 自殺する本人は、生からの訣別の行為をみずからに納得させるために、それをもっと
も身近な周囲の事情のせいにする。
p.383 つまり、各社会には一朝一夕には変化しえないような気質があり、集団の道徳的構
造が自殺傾向の生じる基盤となっているので、自殺傾向が集団ごとに異なっていることも、
…当然だからである。
同上: 自殺傾向は、社会的体感の本質的な一要素をなしている。体感的状態は、個人のばあ
いと同じく、集合体においても、このうえもなく根底的なものであるから、きわめて個性
的であり、変化しにくい。
p.383f: というのは、国民の気質は、気温や気候の影響や地理的影響など、要するに人びと
の健康を規定している諸条件にくらべて、年々はるかに変化しにくいからである。
p.385: 社会を構成している個人は年々替わっていく。にもかかわらず、社会そのものが変
化しないかぎり、自殺者の数は変わらない。
p.394: まずなによりも、社会が個人だけからなりたっているとするのは誤りである。社会
は物的な事実をもふくんでいて、しかもその物的な事実が、共同生活のなかである本質的
な役割を果たしている。
p.405: 社会によってその比重に大小の差はあっても、自己本位主義、集団本位主義、そし
てある程度のアノミーと結びついていないような道徳的理想は存在しない。
同上: なぜなら、社会生活は、個人が一定の個性をもっていること、個人は集団の要求によ
ってその個性を放棄する覚悟をもっていること、そして個人にはあるていど進歩の観念を
受け入れる用意のあること、などを同時的に前提して成り立っているものだからである。
p.408: 社会は、個人のほとんどの部分を形成するのであり、また同じく個人を思いどおり
のものに仕立てあげる。それゆえ、社会は、必要とする素材を、いわば社会自身の手によ
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って用意することになるので、(社会が)この素材を欠くことはありえないだろう。
[解答]
自殺の原因が個々人に依存しない理由は、自殺率の一定性の原因を考察していく中で求
められる。自殺をもたらす大きな影響が個人的なものであるとみなすとき、自殺の原因は
ある種の神経衰弱の偶発的結果にもなぞらえられた。しかし、実際神経病患者や何らかの
個人的不満を抱えた人は自殺の傾向をしめすことがあるとしても、その要因はかならずし
も自殺という結果をもたらすものではありえない。例えば、経済的に困窮している人がそ
の絶望感から自殺するという事例は確かにあるのであるが、それは必ずしも自殺するとい
える原因とまでいえないのである。つまり、自殺の傾向としての個人的な出来事とは、自
殺の規則性を説明しないものなのである。もちろん個人的な出来事は人々を自殺へと駆り
立てうる先行要因である。しかし、自殺の根本の原因ではない。そこで次に、自殺の原因
は集合的傾向からもとめられる。
社会を構成している個人は年々替わっていく。それにもかかわらず、社会そのものが変
化しないかぎり、自殺者の数は変わらない。では、社会が個人に与える影響とはいかなる
ものか。まず個々人がそれぞれ独立に存在するのではなく、それぞれが結合することによ
って、一種の新しい、固有の思惟と感覚の心理的様式をつくり上げ、そこから社会的事実
が生じてくる。また、社会はそうした個々人の関係だけで成り立っているものではなく、
建築や産業に使用される道具といった物質的な基盤のもとでも結晶化される。このような
社会の性質は個人とは別種である集合的傾向を構築し、個々人に大きな影響を与えるので
ある。この集団的傾向と自殺が関わるところは社会の道徳的理想が必ず自己本位主義、集
団本位主義、アノミーと結びついているという点にある。つまり、個人は一定の個性をも
っていること、個人は集団の要求に影響を受けること、社会の危機にたいして進歩の意志
を持つことを前提として成り立つ道徳的人間なので、社会のかたちが個人の自殺につなが
るということである。社会は個人のほとんどの部分を形成し、また社会が個人を思いどお
りに仕立てあげる。一定の自殺率は、個人的なものではなく社会の集団的傾向によって保
たれているのであり、あらゆる自殺の原因は先行する理由が個人的なものであるとしても、
より普遍的にいえば社会的条件にあるのである。
問 7: 「尋常ならぬ数にのぼる自殺の増加は、ほかでもない、文明社会を悩ましているあの
根の深い混乱状態を証明しているわけであるが、しかもその状態がいかに深 刻なものであ
るかをものがたっている」(p.503)とデュルケームは述べているが、今日日本が抱える自殺
に関してデュルケームの議論を参考に、あなたの考えを述べなさい。
[引用]
p.25: 事実、自殺への決意を説明するさいには、自殺者の気質、性格、生活歴、私生活上の
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体験などが引合いにだされるのが通例ではなかろうか。
p.247f: 自殺は、個人の属している社会集団の統合の強さに反比例して増減する…個人の属
している集団が弱まれば弱まるほど、個人はそれに依存しなくなり、したがってますます
自己自身のみに依拠し、私的関心にもとづく行為準則以外の準則を認めなくなる。
p.310: 社会が混乱におちいったときは、…しばし社会はこの活動[個人にたいする規制]を行
使することができなくなる。そして、さきに確認したあの自殺曲線の急上昇は、じつにこ
こから起こってくる。
p.348: 意識は…分析することをもっぱらつとめにする。しかし、この極端な自己集中の結
果、意識は、みずからと自余の宇宙のあいだを隔てているみぞをいっそう深くうがつばか
りである。…自分をつつむ孤独の状態を確立する。
p.356: その情熱とは…怒りであり、また失望にともなっているふつう芽生えてくるあらゆ
る感情である。
p.477: その増加が病的であると考えられるのは、自己本位的自殺とアノミー的自殺だけで
あり、われわれがもっぱら注目しなければならないのも、せんじつめれば、この二つにか
ぎられる。
p.504: 克服方法の一般的な性格とそれが適用されるべき点が明らかになったときには、た
いせつなことは、すべてを予見するようなプランをあらかじめつくりあげることに時をつ
いやすことではなく、意を決して実行にとりかかることである。
<http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/pdf/saishin.pdf> 2012 年 6 月 17 日取得
<http://www.npa.go.jp/toukei/chiiki8/20070607.pdf> 2012 年 6 月 17 日取得
[解答]
日本はフランスと同様に、個人主義化が進み、隣のマンションに住んでいる家族の名も
知らないということは今や珍しいものではなくなった。他者に対する関心が低下したので
ある。他者に対する関心の低下は、内向的に仕向けるのである。だが自分が特別な人間で
ないこと、自分が変哲もない存在であることを知るとき、人びとは自分自身に対して絶望
を抱き自殺してしまうのである。
問 5 でも述べたように自分が属する共同体―会社、国家など―がアノミー的状態に陥っ
た時にも人は自殺に駆り立てられる。アノミー的自殺は自分が属している共同体に対する
信頼が揺らいだときに、自殺に駆り立てるのである。ゆえに問 7 で問題にすべき自殺は、
自己本位的自殺とアノミー的自殺である。
1992 年から 2011 年までの一年当たりの自殺者数をグラフにすると以下の通りである。
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40000
35000
30000
25000
20000
自殺総数
15000
男性
10000
女性
5000
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
0
警察庁生活安全局地域課の発表に基づき作成
1982 年から 1997 年までは 25,000 人前後で推移していたが、98 年に急激に増加した。
またデュルケームが指摘するように、日本においても女性よりも男性の自殺数は高い。女
性の自殺数がほぼ横ばいであるのに対し、男性の自殺数は、男女の総数と同様に変化して
いる。男性の自殺数が変化した場合、自殺総数も同様に変化するのである。
ところで自殺の動機・原因は何であったのか。2007 年に健康問題を理由に自殺したのは
4,145 人であった。次に多い動機は経済生活問題で、3,255 人であった。これらの数値は遺
書に基づいているのだが、
自殺の原因・動機が明らかになったのは 32,552 人中わずか 10,360
人であり、自殺動機が明らかであったのは過半数も満たしていない。
健康への不安が 1998 年に急激に広まったとは考えられない。なぜならば健康を害する病
が急激に上昇するのは感染病の蔓延(パンデミック)などに限定されるからである。癌や心臓
病患者が急激に増加することはないのである。また阪神淡路大震災が発生した 1995 年、翌
年に急激な増加が見られないことから、経済的理由に原因を求める方が妥当である。1997
年に起きたアジア通貨危機の影響や深刻なデフレのような経済状況の悪化が、より多くの
人間を自殺に駆り立てたと考えられるのである。これこそがアノミー的自殺である。
2011 年度の自殺者数が 1998 年以来最低数値であったのは、東北大震災によって日本人
が共同体への帰属意識が芽生えたこと、家族などの共同体における人間関係を構築するこ
とが重要であると気づいたからである。確かに自殺は「量的に」減少したかもしれないが、
これは自殺を引き起こす社会的要因を完全に取り除いたことを意味しない。自殺に関する
相談件数はむしろ上昇している。人間関係の希薄を脱したことを意味しないのである。
日本において依然と自殺が個人の精神の弱さなどに起因するものであると見なす風潮が
ある。ある特殊な心理的状況に置かれた人間、特殊なパーソナリティを持つ者が自殺を起
こす風潮である。殺人が特殊なパーソナリティを持つ人間が起こす行為であると見なされ
るのと同様である。他者にナイフを突きつける心理と同様に自分にナイフを突きつけると
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見なされているのである。むしろどこにでもいるようなサラリーマン、主婦(主夫)、学生が
自殺・殺人をしてしまっているのが現状である。全ての人間が自殺に追い込まれる可能性
を有しているのである。自殺は風邪のように誰でも起こしやすいものなのである。
自殺が誰に対しても押しかかる問題であることを認め、即急な対処が求められている。
共同体への帰属意識や絆を確認するだけでは不十分である。アノミー的状況に陥らせるよ
うな社会構造的問題は常に存在するが、このようなアノミー的状況が自殺を駆り立ててい
ることを認め、自助に解決を委ねるのではなく、アノミー的状況の改善、すなわち自殺に
追い込むような社会構造上の問題に対し即急に対処することが求められるのである。デュ
ルケームが主張するように、あれが有効、もしくは有効ではないと実行する前に議論し、
時間を浪費するのではなく、様々な処方を講じることが重要なのである。ジョルジュ・ダ
ントンが「勇気が、常に勇気が、今こそ勇気が必要なのだ」と声高らかに主張したように、
今こそ政策を講じることを決断しなければならない時なのである。
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