秋葉原無差別殺傷事件における逸脱の構造

社会学基礎論学期末小論文
秋葉原無差別殺傷事件における逸脱の構造
1. 序論
本小論では、2008 年 6 月 8 日に起こった秋葉原無差別殺傷事件とその背景を、主に逸脱という観点
から考察する。本事件では当時「普通の青年」が凶悪犯になったこと、ネット上に彼の言葉がそのまま
残っていたことが注目され、精神分析・犯罪心理学方面でのアプローチが多かった。
しかし多くの学者が指摘しているように、彼の行動には現代の多くの人々に通じるところがあるよう
に思われる。今回は犯人加藤智大を個人の内面からではなく、社会内、とりわけネットにおける行動と
いう観点から考察する。そして何故彼が社会から逸脱したのか、それがどうして無差別殺人という巨大
な逸脱行為に繋がったのかを構造的に分析することをねらいとする。
2. 「いい子」というラベリング
ネット上での振る舞いについて触れる前に、一つ考えておかなくてはならないことはある。それは、
どうして加藤があれほどまでにネットにはまり込んだのかという問題である。加藤は公判の中で自分の
ものの考え方が事件の一端になったと供述しており1、この考え方は「言葉より行動を先行させる」と
いうものであった。この行動化は「自分が何かの犠牲になっているのだということに気付いてくれ」2と
いう意思表示だと思われるが、こうした思考法は少年期の家庭生活に由来するものだと考えられている。
加藤の家では母親による暴力的な躾が頻繁に起きており、その度に加藤は何も言えずに母親に従うし
かなかった。チラシに食事をぶちまけられたりしたという異常な躾は、事件後テレビなどでも頻繁に取
り上げられた。これらの中でも注目したいのは、学業における母親の異常な執着である。このことにつ
いて芹沢俊介・高岡健は、近代に生まれた「いい子」という価値観と母親の大学へ行けなかった不如意
感が加藤を追い詰めたと指摘している3。
「いい子」であることを求められる一方で、そこには母性愛が欠如していた。個人が個人である前提
は個性が十分伸ばされることであるが、彼の家では「外面」を重視するがあまりに「内面」が疎かにな
っていたと言える。そしてこの母性愛の欠如が「リライアブルの欠如」4に結び付き、一方で「いい子」
という近代的ラベリングから逃亡することを目指して後に加藤はネットにはまり込んだのではないだ
ろうか。確かに加藤の成績は進学後急落し、母親の関心は弟の側に移った。しかし加藤は一連の厳しい
躾の中で、社会的に求められている人間像と自らのギャップに不如意を感じたに違いない。その点で加
藤の逸脱の始まりは家庭内の暴力的な躾、その一因となった近代社会的な価値観であったと考えられる。
「Psycho Critique15 「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件」芹沢俊介・高岡健
批評社 p.170 資料 3 加藤被告の供述要旨 2010/7/27
2 Ibid.
p.32
3 Ibid.
p.125
4 Ibid.
p.61
1
図書出版(有)
3. 構われる為の逸脱行為
それでは、ネット上で加藤はどのような振る舞いをしたのか、それがどうしてあの悲惨な事件に結び
付いたかを検討しよう。加藤は「究極」「究改」という小さなコミュニティ掲示板で書き込みをしてい
たが、彼が「現実は建前で、掲示板は本音」という言葉で表しているように、ここでの彼の書き込みは
彼なりの誠意をもった書き込みだった。加藤は公判で事件の要因の二番目に「掲示板での嫌がらせ」を
挙げているが5、通常掲示板で普通にレスをしていて酷い嫌がらせを受けることはない。何故加藤は執
拗ななりすましなどの嫌がらせを受けたのか。
実は、彼はスレッドを乱立し、そこで自虐的で不謹慎なネタを披露していた。彼に同調する人間にと
ってこうしたネタは互いを分かりあう重要なツールとなったが、
「ほとんどの人は、自分のグロテスク
な「本音」を忌避した」6。彼の行動は多くの人にとって反感を買うものであり、それが執拗な嫌がら
せに結び付いたことは疑いえない。ここでは嫌がらせこそが彼に突き付けられたサンクションであり、
彼の行動は、
「機能的に合理的なやり方がまさに、実質的に不合理な結果をもたら」7した典型例だった
のである。
しかし彼は、これをサンクションとは捉えなかった。彼は被害者に過ぎず、被害者であった彼は何と
か仲間を掲示板に再び呼び戻そうと、様々なネタを書き続けた。掲示板の管理人に嫌がらせを止めるよ
うにとも依頼した。しかし人々は戻ってこず、管理人は無視を決め込んだ。加藤はこの後、
「イライラ
します」という書き込みを頻繁にするようになるが、ここには明らかな攻撃性が見て取れる8。掲示板
とは「一歩踏み外せばアノミー」に陥る空間であり9、顔が見えない環境は「妄想的な疑心暗鬼の状況
を醸成しやすい」10。掲示板での人間関係の失敗が、加藤の心を掻き乱し、更なる逸脱行為へと加速さ
せたことはほぼ確実だろう。
4. アノミー的自殺と殺人
とはいえども、掲示板で嫌がらせを受ける全ての人が殺人に走るわけではない。加藤はどうして無差
別殺人という巨大な逸脱行為に走ったのだろう。この原因を考える上で、デュルケームのアノミー的自
殺は重要な観点を与えてくれる。デュルケームはアノミー的自殺が「本質的に情念的」であるとした上
で、
「それは怒りであり、また失望にともなってふつう芽ばえてくるあらゆる感情である」としている11。
その上で彼は、他人に恨みを抱いた場合、アノミー的自殺に代わり「殺人かまたはなにか別の暴力の表
示が行われる可能性がある」と明記しているのである12。
先述の通り、掲示板は使い方を一つ間違えると、一種の無秩序に陥る。そして彼は現実を軽視してい
たが為に現実からも一種の疎外感を感じるようになる。更に岡田尊司は現代社会そのものが「自己愛的」
「Psycho Critique15 「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件」芹沢俊介・高岡健
批評社 p.170 資料 3 加藤被告の供述要旨 2010/7/27
6 「秋葉原事件
加藤智大の軌跡」 中島岳志 朝日新聞出版 p.170
7 「脱常識の社会学」
R.コリンズ (翻訳)井上 俊・磯部 卓三 岩波書店 p.5
8 「アベンジャー型犯罪
秋葉原事件は警告する」 岡田尊司 文藝春秋 p.50
9 「Psycho Critique15 「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件」芹沢俊介・高岡健
批評社 p.71
10 「アベンジャー型犯罪
秋葉原事件は警告する」 岡田尊司 文藝春秋 p.176
11 「自殺論」
デュルケーム (翻訳)宮島喬 中央公論新社 p.356
12 Ibid.
p.357
5
図書出版(有)
図書出版(有)
であるとした上で、
「自己愛の満足を得られず、逆に自己愛に深い傷を抱えた人々が溢れてしまう」13「も
ともと過敏で脆弱性を抱えた存在にとって、今の社会が住みづらくなっている」14と述べている。以上
のような個人的・社会的環境が、加藤にアノミー的行動を取らせる契機となったと考えられる。
デュルケームはこの解放先を二義的な問題に過ぎないとしている15が、秋葉原事件ではこのトリガー
はほぼ明らかである。加藤は事件をほのめかすレスを事件の相当前にしていた。このレスは、彼にとっ
ておそらくネタであったと思われる。しかし彼は掲示板の中で孤立しきっており、自分が被害者である
と認識していた。傷つけられ誰も救ってくれない状況に、「特定の個人に対する報復というよりも、迫
害者として同一視した社会への復讐」16の心が生まれる。そうして、ネタであった事件への意志は明確
な形を取るようになったのである。
5. 結論
加藤智大による秋葉原無差別殺傷事件は、次の大きく三つの過程を経て形成された。
①少年期の母親の躾、それに伴うリライアブルの欠如とラベリングからの逃避
②ネットにおける行為(社会的に逸脱行為)、それに伴うサンクションと加藤の被害者意識の芽生え
③アノミーの中での復讐心による殺人へ
本小論で明らかになったことは、この犯罪が決して病的な人間によって引き起こされたものではなく、
一定の構造に基づいて行われたものだということである。そしてこの構造は最近もなお起こる通り魔事
件などにも応用がきくのではないだろうか。
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「アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する」 岡田尊司 文藝春秋
Ibid. p.95
「自殺論」 デュルケーム (翻訳)宮島喬 中央公論新社 p.357
「アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する」 岡田尊司 文藝春秋
p.121
p.59