The LIFT festival that has brought innovations to London What is its

国際交流基金 The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Presenter Interview
2016.3.31
プレゼンター・インタビュー
The LIFT festival that has brought innovations to London
What is its next challenge?
ロンドンを革新した LIFT
その新たな挑戦とは?
マーク・ボール
Mark Ball
LIFT ロンドン国際演劇祭
London International Festival of Theatre
http://www.liftfestival.com
1980年にロンドン国際学生演劇祭として発足し、翌年から英国初の国際芸術祭とし
て正式スタートした通称LIFT(ロンドン国際演劇祭)。隔年で開催され、2001年ま
でに 60 カ国以上から実験的なアーティストを招聘し、劇場以外の都市空間を活用す
るなど、ロンドンの舞台芸術シーンを革新してきた。一時、通年活動に移行したが、
2009年にマーク・ボールが芸術監督に就任し、翌年から隔年開催のフェスティバル
として再出発。LIFT が目指してきたものと、デジタル・プラットフォームを使った新
たなプロジェクトについてインタビュー。
聞き手:岩城京子[ジャーナリスト]
■
─ 現在LIFTの略称で知られるロンドン国際演劇祭は、1981年にローズ・フェント
ンとルーシー・ニールという二人の女性により設立されます。彼女たちはどのようなビ
ジョンを持ってこの演劇祭を立ち上げたのでしょうか。
演劇を志していたローズとルーシーが、ウォーリック大学在籍時にポルトガルの学
生演劇祭に参加して触発され、1980年に学生演劇祭として立ち上げたのが始まりで
す。翌年、LIFT は英国慈善団体として登録され、英国初の国際演劇ビエンナーレと
して正式にスタートします。
彼女たちは、当時のロンドンには大きな矛盾があると感じていました。多種多様な
文化を抱える巨大な国際都市でありながら舞台芸術界はかなり閉鎖的で、海外からの
招聘される公演はボリショイ・バレエ団、マリンスキー・バレエ団、パリ・オペラ座バ
レエ団などの古株ばかり。そういう舞台芸術界の停滞状況を目の当たりにして、二人
はロンドンにはまだ未開拓の演劇市場があることに気付き、多文化社会ロンドンに語
りかけ、その多様性を映し出す演劇祭を思い立ちます。以後、LIFTのミッションは、
「世
界をロンドンに向けて紹介し、ロンドンを世界にみせる」という一文に集約され、それ
が今も続いています。
─ 80年代に LIFT で紹介されたアーティストには、ウースター・グループ、ロベール・
ルパージュ、アナトリ・ワシリエフ、ニード・カンパニーなどのビッグネームが連なりま
す。これら世界的アーティストたちは、当時のイギリスの演劇界に影響を与えたのでしょ
うか。
もちろん大きな影響を与えましたし、それが二人の狙いでもありました。島国根性に
よって凝り固まっていたイギリスの演劇人たちの考えを、こうしたアーティストを招聘す
ることで革新したいと思っていたのですから。ただ当時のアーツ・カウンシルは、二人
のこのビジョンに意義を見いだせなかったようです。彼らは「イギリスには世界最高の
演劇があるのに、海外から学ぶことなんてありますか? 国外アーティストでほぼ構成
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されるフェスティバルに助成金は出せません」みたいな返答をしてきたそうです。絶句
ですよね(笑)。でもそれが当時の英国演劇界の風潮でした。それで、二人は素晴らし
いアーティストを招聘することで、アーツ・カウンシルのこの偏狭な考えが間違いであ
ることを立証しようとしました。こうした努力が実を結び、イギリスでは 80年代から
90年代にかけて新たなアーティストたちが台頭します。
─ ティム・エッチェルズのフォースド・エンターテイメント(84 年設 立)やロイド・
ニューソンの DV8(86年設立)などですよね。他に、現在にまで受け継がれているフェ
スティバルのビジョンはありますか。
今でこそロンドンのさまざまな倉庫、高架下、廃屋などがサイト・スペシフィック・
パフォーマンスの会場として利用されるようになりましたが、これも 80年代に LIFT が
始めた試みです。特に 95年に上演されたデボラ・ワーナー演出の「The St Pancras
Project」によって、この流行りは決定的なものとなりました。
ローズとルーシーは、2 つの理由から劇場以外の場所に観客を集めたいと考えてい
ました。第1は演劇の概念を拡張するため、第2 はロンドンの多種多様なコミュニティ
に観客に足を運んでもらうためです。いずれにせよ“演劇=シェイクスピア=3時間座る”
という概念を、彼女たちは覆そうとした。そしてこの「劇場以外の空間で上演する」と
いう革新性は、現在にも間違いなく受け継がれています。今と昔の違いは「劇場以外」
が、現在では物理空間だけでなく仮想空間も含まれるようになったこと。ですから近
年、LIFT ではソーシャル・メディアなどの新技術を利用したデジタル・プラットフォー
ムを用いて演劇作品を届ける試みも始めています。
もうひとつ、彼女たちの活動指針から学んだのが、困難な状況下で活動しているアー
ティストたちへの献身です。例えばパレスチナ、アフリカ、インド、南アジアの特定地
域で活動するアーティストたちに対して、ローズとルーシーは好奇心と謙虚さを持って
手を差し伸べました。他のプロモーターが絶対に行かないような前人未踏の地に足を
踏み入れ、素晴らしい芸術作品を発掘していった。
こうしたことを踏まえて、現在にまで受け継がれているLIFTのビジョンをまとめるなら、
それは「国際性」
「革新性」、そして「ロンドン」という3 つの指針によって表現できると
思います。
─ 米国のエレベーター・リペア・サービス、ドイツのリミニ・プロトコル、ベラルーシ・
フリー・シアター、ルーマニアのジャニーナ・カーブナリウ、レバノンのルシアン・ブル
ジェイリィなど、LIFT が招聘しているアーティストの顔ぶれを見ると、自国と旧植民
地圏の演目に偏りがちな大陸欧州のフェスティバルと異なり、世界中から作品が選ば
れているように思います。プログラミングの指針があれば教えてください。
私は世界中の演劇作品を見て回っていますが、LIFT に招聘する作品の決め手になっ
ているのは、
「ロンドンの観客に訴求力があるか」という1点です。言うまでもなく、他
のフェスティバル・ディレクターに対してこの上ない敬意を抱いていますが、同時に、
大陸欧州のフェスティバルに行くと、自分がどこの街で作品を見ているのか分からな
いような錯覚に陥ることがあります。見ている街がアムステルダムであれ、パリであれ、
ブリュッセルであれ、問題なく思える。つまり都市と作品との結びつきが弱い。そうし
た問題意識から、LIFT では都市と作品の対話性をかなり重視し、作家がロンドンとい
う
「場」に対して好奇心と興味を持てるかどうかをまず確認します。私たちは「ロンドン・
インターナショナル・フェスティバル・オブ・シアター」という看板を背負っているので
すから、
「ロンドン」という要素を軽視できません。
もちろん、表現が何らかの革新性を含むかどうかも大事です。ストーリーテリング
の手法に新しさがある、今まで聞いたことがない物語を伝えている、今まで光が当たっ
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ていなかった声をすくい上げている等。LIFT には、そうした革新的表現をロンドンに
ロンドンを革新したLIFT
─ マークさんは 09年に LIFTの芸術監督に就任されましたが、以来、かなり自覚的
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招聘する責務があると信じています。
に中東の作家たちをクローズアップしているように思います。
そこには 2 つ理由があります。1つは、いわゆる「アラブの春」の後、チュニジア、リ
ビア、エジプトといった国々の芸術組織がいったん破綻したということ。これらの国に
は歴史ある国立劇場や演劇学校があり、そうした巨大組織がある意味で芸術の革新
性に歯止めをかけていました。けれど「アラブの春」により、そうした芸術組織が善く
も悪くも消滅してしまった。必然的に、新たな方法論で舞台芸術にアプローチするイ
ンディペンデントなアーティストたちが台頭してきました。私は彼らの表現に魅了され、
ロンドンに呼びたいと考えました。
2 つ目には、ロンドンで目に見えて強まっていた「イスラム嫌悪」を緩和したいという
願いがありました。特に 2005年7月7日にロンドン同時爆破テロが起きてから、中東
コミュニティ、イスラムコミュニティと、それ以外のすべての人々の間に深い断絶が生
まれてしまった。演劇は異なる人と人の橋渡しになる表現です。演劇を通じて、異な
るコミュニティで生きる人々にも同じ悩みや苦悩があることを学ぶことができる。こう
した思いから、私はイラク・シアター・カンパニーによる『ロミオとジュリエット in バグ
ダッド』を 2012年に招聘しました。これはモンタギュー家とキャピレット家の諍いを、
イラクのシーア派とスンニ派に置き換えた作品です。イギリス人なら誰もが知る『ロミ
オとジュリエット』の物語を通じて、当時のイラクの政治状況を適確に観客に伝えるこ
とができたのではないかと考えています。
─芸術監督として、ロンドンに巣食う様々な政治的、社会的、民族的なフォビア
(嫌
悪)を撤廃したいという強い思いをもっていらっしゃるのがよくわかりました。
演劇には一夜にして世界を変える力はありません。それが影響を与えるにはもっと
時間がかかります。この総合芸術の最大の利点は、
「集団で内省する行為」を促せる点
にあります。自分とは全く異なるように思える人、全く異なる背景を持つ人が、同じよ
うに愛し、嫌い、願い、夢を見るのを知ることができるのです。そうした他者の物語
に触れることで、人は異なる視座から世界を見る手立てを身に付ける─つまりある
種の演劇作品は、観客の脳内に普段と異なる視座から世界を見る「種」を植え付けるこ
とができる。それはほんの小さな種で、それだけで世界平和が叶えられるわけではあ
りません。けれど、ともに現在を生き、ともに社会を創造する他者について考え、そ
の考えを深める役に立つことは事実です。
─あなた自身にそうした経験があったのですか。
ありました。14歳のときです。私は科学者の一家に育ったこともあり、演劇とは縁
がありませんでした。1982年、学校事業の一環でストラトフォード=アポン・エイヴォ
ンまでロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演を観に行くことになりました。小
説や演劇といった、いわゆる人文系の文化にあまり触れないで育ってきた私は、絶対
に退屈すると思い込んでいて、積極的ではなかった。ところが幸運にも、私が観劇し
た演目は、後に RSC史上、指折りの名演として知られることになるアントニー・シャー
主演の『リチャード 3世』だった。 シャーの熱演を目の当たりにして、文字通り、雷に
打たれるような衝撃を受けました。舞台上から放たれる莫大なエネルギー、複雑な人
間の感情、そして今まで意識することもなかった生の真髄に触れて、私は一瞬にして
演劇の可能性に魅入られてしまった。思い出すだけで、鳥肌が立つような名演だった
んです。この衝撃以来、私の人生の航路は完全に変わりました。ちなみに、幸運にも
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LIFTの芸術監督に就任する前の1年間、RSC の興行展示部門ディレクターとして働く
機会に恵まれました。自分の人生が円を描いて始まりに戻ったように思えて、とても
嬉しかったですね。
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─人生を変えるほどの演劇的な体験をしたのに、リバプール大学では国際政治学を
専攻されていますが、なぜですか。
両親を絶望させたくなかったんです(笑)。でも国際政治を勉強できたことは、ある
意味で今の職業に活かされています。確かに演劇の魅力は、楽しませ、物語を伝え、
日常とは異なる世界に観客を誘うことです。けれど同時に、扇動的な政治上の意見を
述べて観客を挑発することも可能です。私は後者を楽しめる感覚を、国際政治の学位
を取得したことによって会得したように思います。
─ 89年に大学を卒業された後は、演劇とも国際政治とも関係なく、リバプールで二
重窓のセールスマンの職に就きます。
1989年当時のリバプールは、経済的に極めて厳しい状況にあって、かなり失業率
も高かった。そんなとき、唯一、私に給料を支払う確約をしてくれたのが二重窓の営
業販売でした。あまり楽しい仕事ではなかったし、8 カ月で辞めました。でも、この
経験によってどんな他人とも話せる自信、他者とつながる会話力を学びました。これ
は後の仕事にとても役立ちました。
その 後、 実 家のあったバーミンガムに戻り、 初めて演 劇 関 係の職に就きます。
Geese Theatre という現在も活動している監獄巡業専門の劇団で、制作者として働
き始めました。このカンパニーでは全演目を囚人たちと創作し、彼らの行動の自覚性
を促すことを主な目的にしていました。この素晴らしい経験によって、私は通常なら目
にすることのない現実に触れることができました。監獄になぜ、異常なほど多く精神
病患者たちがいるのか。なぜ、異常なほど多くの黒人とアジア人たちがいるのか。多
くのことを学んだ後、92年からLGBT カンパニー・Gay Sweatshop のディレクター、
ル イス・ウィーバーとジェームズ・ニール=キーナリーのもとで ICA(Institute of
Contemporary Art)の仕事を始めました。
─ 彼らは、1993年に ICAで今でもその実験性が語り種になっているアメリカン・ポ
リティカル・パフォーマンスのシーズンをキュレーションしたことで知られています。そ
してティム・ミラー、ホーリー・ヒューズ、ケイト・ボーンスタインといった 80年代の米
国パフォーマンス・アート・シーンを牽引したアーティストたちをイギリスに紹介しまし
た。
それまでの私にとって、演劇とはシェイクスピアであり、チェーホフであり、コミュ
ニティ演劇でした。そこにパフォーマンス・アートという未知のジャンルがなだれ込ん
できた。私はこの新しい芸術表現の虜になりました。パフォーマンス・アートのコンセ
プチュアルな面白さ、また解釈の余地を与えてくれる曖昧さに魅入られた。ICAで様々
なパフォーマンス・アートを目にしたことで、以後、より実験的な演劇に興味を持つよ
うになっていきました。
─ ICA を退職されてからフリーランスとして活動され、地元に戻って、96年にバー
ミンガム初の実験的パフォーマンス・フェスティバル「Fierce!」を設立されます。今で
こそこのフェスティバルは英国を代表する実験芸術祭として認知されていますが、当
時のバーミンガムで立ち上げるにはかなりの勇気と決意が必要だったのではないでしょ
うか。
私はバーミンガムがいかに若者の多い街かを知っていました。実は他のどの欧州の
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都市よりも16歳~24歳の人口が多いんです。またバーミンガムには ICAで上演される
ような実験的なアートを紹介するプラットフォームがないことも知っていました。あっ
たのは、バーミンガム市交響楽団やバーミンガム・ロイヤル・バレエ団などの巨大なカ
ンパニーか、あるいは草の根レベルの小さな地元組織ばかりでした。私は単純にバー
ミンガムに欠落していたものを補うために、Fierce! を立ち上げたんです。初めはとて
も小規模に、12演目で 2000人の観客を集めることから始めました。それが 10年後
には、40演目で10万人の観客を動員するイベントにまで成長しました。
─助成金の確保は大変だったでしょうね。
ええ、大変でした! でも私は、何というか、あきらめが悪いんです。しかも年々、
頑固になっている
(笑)。もちろんバーミンガム・アーツ・カウンシルは見向きもしてく
れなくて、初年度に申請した助成書類14本はすべてはねつけられました。でも私には
自分のやっていることが「いいことだ 」という信念があった。最終的には、彼らも折れ
て、というか私のしぶとさに呆れて
(笑)、ようやく5,800 ポンド
(約91万円)の助成金
を出してくれました。その小さな成功を利用して、私は他の組織を説得し、最終的に
初年度のフェスティバルのために約25,000 ポンド(390万円)を集めました。大きな
金額ではありませんが、フェスティバルの可能性を見せるには充分な予算でした。そし
て初年度の成功のおかげで、翌年から資金が集めやすくなっていきました。
─ところで、あなたが LIFTの芸術監督に就いた09年はリーマン・ショックの翌年で、
突如、アーツ・カウンシルからの助成金が半減されましたよね。
ええ、就任2 カ月前に、LIFTの予算が半分以下の 60万ポンド
(約9,400万円)に減っ
たことを告げられました。現在、予算は140万ポンド(約2億1,000万円)にまで回復
していますが、それでもリーマン・ショック以前の総予算には及びません。ですから就
任直後、私はかなりつらい人事改革を迫られました。当初、14人構成だった組織を、
たった9カ月で4人にまで削減しなければならなかった。とにかく諸経費を切り詰めて、
1ペンスも無駄にせず、アートそのものに予算をまわす必要があった。かなり厳しい決
断でしたが、この経験を経たことで、組織の運営方針がよりクリアになったと思います。
今は10人編成に戻りましたが、
「最小限の人数でアーティスティックに野心的なことに
挑む」という指針に変わりはありません。
─就任後、あなたは世界第3位の広告代理店である Saatchi&Saatchiと手を組ん
でフェスティバルのブランディングを進めましたが、その理由を教えてください。
LIFT で働くようになって同僚たちと話したとき、私はあることに不安を覚えました。
フェスティバルの観客が誰かということを漠然としか認識していなかったのです。長年
通う常連客と、16歳から 30歳の若者たちというのが彼らのざっくりとした理解でした。
そこでわたしは知り合いの伝を辿り、顧客開発についての話し合いの場を Saatchi&
Saatchiと持つことにしました。
彼らは、実に素晴らしいマーケット・リサーチを行い、信じられないデータを提示し
てくれました。それまで私は、LIFTの観客数は伸びても 5万人ほどだろうと踏んでい
ました。けれど Saatchi&Saatchi は「潜在的には 70万人いる」と告げてきた。ただ、
「問題は、これらの人びとの多くは演劇が嫌いだ 」と付け足してきた
(笑)。彼らが言い
たかったのは、LIFT が紹介するような先駆的な芸術表現や、扇動的な政治性、国際
的アーティストの声に興味を持つ人たちは 70万人いるけど、その人たちはいわゆる「演
劇」というジャンルで括られるような、受動的で、古臭い、芸術表現には興味がないと
いうことです。Saatchi&Saatchi は、LIFT に来るような観客はデジタル・ネイティ
ブと呼ばれるような若者たちだから、よりインタラクティブに、より能動的に、芸術
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表現に携さわりたいと思っていると助言してきたわけです。芸術組織が広告代理店と
手を組むなんてと思う人もいるかもしれませんが、Saatchi&Saatchi は極めてクリエ
イティブな集団であり、彼らのアドバイスはとても役に立ちました。
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─実際、LIFT ではここ数年、宣伝のためだけでなく、作品発表の場としてウェブサ
イトなどのデジタル・メディアを活用しています。こうした試みについて、少し説明して
いただけますか。
2014年に上演した『Longitude(経度)』という作品が、デジタル・プラットフォー
ムを利用した端的なプロジェクトです。このプロジェクトでは、グリニッチ子午線近辺
に位置する、英国のロンドン、ナイジェリアのラゴス、スペインのバルセロナという3
つの都市を Google Hangouts によって接続し、3週間にわたり、3都市で展開され
る物語をインターネット上で上演しました。テーマは、近年、話題を呼んでいる「水戦
争」と「地球温暖化」です。地球上に溢れる真水が、突然、消費物に変わる状況を、複
数都市をつなぐことで明らかにしていきました。これはデジタル・プラットフォームを
利用することでしか、実現できなかったプロジェクトだと思います。
ちなみに、新たなデジタル・プラットフォーム・プロジェクトを 2018年に実現する
ことを決めました。Google Hangouts に接続することで、パレスチナに住むアーティ
ストたちとの対話を進めるプロジェクトです。居住地域から抜け出すことのできない彼
らにとっては、インターネットだけが対話の生命線なのです。 ─開演直前に上演場所が SNS でアナウンスされるというゲリラ・プロジェクトもあ
りましたね。
米国人振付家エリザベス・ストレブによる『One Extraordinary Day(ある特別な
1日)』
(2012年)ですね。あれは 2 つの意味で、かなり大変なプロジェクトでした。ま
ず、エリザベスはニューヨークから 30人のパフォーマーを連れてきて、とんでもなくア
クロバティックなムーヴメントを人が物理的に立ち上がるのさえ難しいような場所で
遂行しようとした。例えば、彼女はロンドン・アイ
(大観覧車)の目にダンサーを配し、
ロンドン・ブリッジからバンジー・ジャンプするように命令し、ナショナル・シアターの
外壁を垂直に歩いて降りるようダンサーを振り付けた
(笑)。テムズ川の干満について、
あんなに気を配ったのはプロデューサーとして初めてでした! 水かさが浅いときにパ
フォーマンスを行ったら、ダンサーが大怪我をしますから。第2 に、この作品はロンド
ン五輪の年に実施されたため 、ロンドン中心部に人を集めるようなアナウンスを事前
にすることができなかった。
「テロの標的になってしまう」というのがロンドン市警察の
言い分です。それで、開演30分前にツイッターなどの SNS を通じて上演場所を知らせ
るしか宣伝方法がなかった。それでも何千人もの観客が、パフォーマンスを見に集まっ
てくれました。ちなみにこの年(2012年)のフェスティバルは、4万3千人という史上最
高の観客動員を記録しました。
─2016年度のフェスティバル・プログラムが、2月半ばに発表されました。今年の
プログラミングのテーマを教えてください。
2014年の終わり頃から、欧州は第二次大戦後最大の難民危機に見舞われているこ
とが明らかになってきました。その問題をロンドンで無視することは、もちろんできま
せん。そこで今年のプログラミングでは、移民問題、コミュニティ、難民危機をテー
マのひとつにしました。そしてロイヤル・コート劇場と提携して、
『On The Move』と
題したミニ・プログラムを編成し、ドイツ、ギリシャ、イタリア、レバノン、シリア、英
国の作家たちによるインスタレーション、映像、パフォーマンスなどを展示します。ド
イツ拠点で活躍する振付家コンスタンツァ・マカラスは『Open For Everything』と題
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した作品で、35名の若者たちとともに、放浪の民として知られるロマについて探求し
ます。
また巨大プロジェクトとしては、ポーランド出身のクシシュトフ・ワルリコフスキ演出、
イザベル・ユペール主演による『Phaedra(s)』がバービカン・シアター大劇場で上演さ
れます。ちなみにバービカンの小劇場は、フェスティバルの終わりの 2週間、日本か
ら招聘する革命アイドル暴走ちゃんが占拠することになっています。わたし自身、2年
前に横浜で体験して、日本のクレイジーな若者文化に大興奮しました。あれは、絶対
にイギリスからは生まれてこない表現です。
今年は全21演目をプログラムし、ピーター・ブルックやウースター・グループなどの
演劇界のビッグネークによるトークも開催されます。私は常々、フェスティバル・ディ
レクターになるためには「未来学者」としての能力が必要とされると考えてきました。わ
たしの今年の未来予想図が、観客にも興味を持ってもらえるものであることを願って
います。
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