スポーツ装蹄編・7:溝とグリップ力

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青木 修(あおき おさむ)
溝とグリップ力
:
7
・
編
蹄
装
ツ
ー
ポ
ス
獣医学博士・獣医師
所属:㈳日本装蹄師会
1950年生まれ。1974年、
麻布獣医科大学(現:
麻布大学)獣医学科を卒業し、日本装蹄師会
入会。1979年麻布大学大学院博士課程終了。日本装蹄師会
で装蹄師教育にかかわるかたわら、装蹄理論を確立するた
めに、バイオメカニクスの視点から馬の歩行運動の研究に
従事。著書に「装蹄学」
、
「日本装蹄発達史」など。現在、
日本各地で活発な講演活動も行っている。2004年、アジア
から初めて国際馬獣医師殿堂入り。
青木 修
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vol.
妙に調整するのだ。ちなみに、ウェスタン
の馬術競技では、勢いよく前進して突然止
レーシングカーのタイヤには、強固な「グ
側に彫り込まれている。つま先は摩滅が激
まる演技がある。ウマは、このとき1m 以
リップ力」が求められる。それは、競走用
しいので、溝をなくして、素材のボリュー
上も地上を滑って止まる。そんな演技を専
の蹄鉄であっても同じこと。そのため、米
ムを確保し、耐久性を向上させているのだ。
門に行うウマの蹄鉄には、だから溝がない。
国では競走馬用に各種の〝スパイク蹄鉄〟
〝刻蹄鉄〟と呼ばれる滑走防止用蹄鉄は、
ところで、蹄鉄の溝の中には、ふつう釘
が用意されている。日本では、蹄鉄に2mm
蹄鉄の内縁と外縁を結ぶように短い溝が何
を打ち込む孔が開けられている。が、あく
以上の突起物を付けることは禁止。そこで
本も引かれている。これはもっぱら雪原用
までも溝は滑り止め効果を高めるためのも
グリップ力増強のため、蹄鉄の接地面には
の蹄鉄だ。
の。釘を打ち込みやすくするために設置さ
さまざまな形状の〝溝〟が設けられている。
〝溝〟がミソ
れているわけではないのだ。
溝の断面構造
ここで、誤解のないように説明しておこ
溝が滑り止めのための細工だとすれば、そ
う。舗装路面を疾走するレーシングカーの
2500年前。最初の蹄鉄に溝はなかった。
の断面構造も防滑効果を左右する。
タイヤ。それは晴天時であれば、溝がない
馬蹄形に曲げた単なる平板だった。そこに
たとえば、競走用蹄鉄の溝の断面は、矩
タイヤのほうがグリップが効くという。摩
数個の釘孔が開けられていた。それらは、蹄
形である。溝の側面が地面に垂直だから、グ
擦熱で溶けたゴムが路面をつかむからだ。
の摩耗防止のためにだけ考案されたからだ
リップ力は比較的高い。
溝が付いたタイヤは雨天用だ。溝によって
ろう。このタイプの蹄鉄は〝無溝式蹄鉄〟
乗馬用の蹄鉄の溝の断面構造は、大別し
タイヤと路面の間の〝水はけ〟を良くし、ハ
と呼ばれ、今でも一部の乗馬で使われてい
て3種類。それを、防滑効果の高い順に並
イドロプレーニング現象を防止する。いっ
る。
べると、
〝矩形〟
、
〝レの字〟形、
〝V の字〟
ぽう、ラリーカーのようにオフロードを走
蹄鉄の登場により、蹄の摩滅防止に成功
形だ。V 字形の溝は、彫り込まれた溝の内
る車のタイヤには、深く刻まれた溝が必要
すると、ウマの運動能力は飛躍的に伸びた。
外の両側面が傾斜している。そのためグリ
だ。溝が地面に食い込み、グリップ力が高
結果的にウマの活躍の場は大きく広がった。
ップ力がやや弱く、適度に滑りを残してい
まるからだ。競走馬や乗用馬は舗装路面で
農耕や運搬、そして軍事用へと。もちろん
る。グリップが強すぎると、アシにかかる
はなく、ターフやダートあるいは原野など、
一部のウマには〝より速く〟走ることが求
負担が増す。乗用馬は必ずしも速く走る必
柔軟な路面を走行する。つまり、蹄鉄に刻
められたはずである。そうなれば蹄鉄にも
要がない。だから、溝を彫り込む範囲や断
まれた溝は、ラリーカーのタイヤの溝と同
工夫が生まれる。その一つが〝グリップ力〟
面構造を工夫して、蹄鉄のグリップ力を微
じ発想から生まれた「滑り止め構造」だ。
の 強 化 策 だ。 そ こ で 蹄 鉄 に
いろいろな蹄鉄と滑り止め構造
〝溝〟が刻まれるようになった。
そして、車のタイヤのそれと
同様に、蹄鉄の溝にも、パタ
乗馬用蹄鉄
競走用アウターリム
競走用全溝蹄鉄
ーンや深さ、断面形状などに
様々な工夫が生まれた。
競走用の蹄鉄の多くは、蹄
鉄の全周にわたって溝が彫り
割断ライン
込まれている。たとえば、溝
割断ライン
を境に、その外側を全周にわ
たって高くした蹄鉄。
〝アウタ
ーリム〟だ。構造的に、その
グリップ力は格段に向上する。
が、下肢部の筋腱にかかる負
担も大きくなる。
そこで溝を境に、その内側
を全周にわたって高くした蹄
鉄も開発されている。
〝インナ
ーリム〟と呼ばれている。グ
リップ力の向上と同時に、蹄
の返りも楽になるので、筋腱
の負担はいくぶん緩和される。
ちなみに、最も一般的な乗
馬用の蹄鉄は、
〝つま先〟部分
に溝はない。溝は蹄鉄の内外
溝の断面構造
矩形の溝
レの字形の溝
アウターリムとイン
ナーリムの断面構造
刻蹄鉄
アウターリム
インナーリム
V 字形の溝
通常の溝に加え、放
射状にたくさんの溝
を彫り込んである
(次回は8月20日号、スポーツ医学編)