●小論文ブックポート 110 110 社 会 か ら そ の 価 値 を 認 め ら れ、 結果的に、日本経済に多大な貢 献をしている」と著者は言う。 例えば高松丸亀町商店街振興 組合理事長の古川康造氏。丸亀 町商店街は400年以上の歴史 を持ち、ピーク時には一日3万 5000人もの客でにぎわって いた。しかし1988年の瀬戸 大橋の開通で大型店が進出して 客足が奪われ、売り上げはピー ク時の 分の1まで縮小。だが その後、奇跡的に復活した。仕 掛け人はここで店を開いていた 店 主 た ち。 キ ー マ ン の 一 人 が、 電器店の次男坊・古川氏である。 先見の明があったのは前理事 長の鹿庭幸夫氏である。バブル 絶頂の 年代末に商店街の衰退 16 村上龍×変革者』 『カンブリア宮殿 ●村上龍 著 〈連載〉小論文ブックポート たのか?」との問いに古川氏は、 人口減の中では「地域にお金が ちゃんと回っていく新しい仕組 テレビ東京報道局編・日本経済新聞出版社刊(定価 本体1600円+税) みをつくらないと、都市自体が もう運営できなくなる」と語る。 郊外店、大型店は固定資産税 の発生しない安い敷地に建てら れる。決算は本社のため、地域 に税金は落ちない。従来は政府 が企業から法人税を徴収し、地 を予測。電器店を営んでいた古 方交付税として地方に配ってい テレビ東京に「カンブリア宮 殿」という番組がある(ウェブ 川氏らに「すでに駄目になった たが、それも大きく目減り。「地 でも視聴可能) 。 「ニュースが伝 他の街を、今すぐその目で見て 方は自分で稼ぐしかない」のだ。 えない日本経済」をキャッチコ こ い 」 と 指 示 、 平 成 初 め に 「 街 商店主らは土地の利用と所有 ピーに、注目の企業経営者や経 の大改造計画」を命じる。 の 分 離 を 行 う べ く、「 定 期 借 地 済人の仕事ぶりを追い、その思 権」を利用した再開発に打って 古川氏らは全国の衰退した商 いを尋ねるものだ。 店街を見学し、「都市が拡散して、 出る。土地が絡む街の再開発は 人々が中心部からいなくなり空 容易ではない。店主たちも殴り 一 線 で 活 躍 す る 人 々 の 姿 は、 現 代 へ の 視 野 を 広 げ て く れ る。 洞 化 し て い る 」「 郊 外 に 大 型 店 合い寸前の喧嘩もあったものの、 そこで今号は村上龍箸・テレビ ができて売り上げが奪い取られ、 「 子 ど も の 頃 か ら の 仲 間 」 と い 東京報道局編『カンブリア宮殿 一方でお役所はそれに合わせて う関係を生かした「地域コミュ 村上龍×変革者』 (日本経済新 どんどん郊外開発を進める」パ ニティの力」でクリアした。 聞出版社刊)を読む。 ターンを目の当たりにする。 古川氏らが考えたのは「住人 の増加」である。バブル経済に 店主らは商店街生き残り策を 生活者をど う 、 呼 び 込 む か 徹底的に議論、専門家も交え計 よる土地の高騰で、1000人 画 づ く り に 年 か け た。「 消 費 いた住民で残ったのは、高齢者 者 は 郊 外 の 大 型 店 を 便 利 だ と、 ばかり 人。そこで商店街に 支持している。その中でなぜ中 平米で2000万円の格安のマ 心市街地の再生が必要だと思っ ンションを建造したところ、完 本書に登場するのは 人。「短 期の金銭的利益」をほぼ度外視 し て い る も の の、 「変化をつく り 出 す こ と で、 市 場 で は な く、 14 3 80 22 5 24 30 2015 / 10 学研・進学情報 -20- -21- 2015 / 10 学研・進学情報 15 75 80 次に東京の祐ホームクリニッ 売。 「 需 要 が あ れ ば、 供 給 は 必 山の中で暮らす寝たきり高齢者 宅での医療やケアにもスピリチ ュアルなものも入ってくる」と ずついて回る」と古川氏。今後、 ク 理 事 長 で 医 師 の 武 藤 真 祐 氏。 に 会 い、 衝 撃 を 受 け る。「 も っ 武藤氏。また「何かがあったと クリニックでは非常勤含めて 人口減で郊外での生活が大変に と 社 会 の 根 本 を 変 え る 仕 事 を し きにすぐに相談に乗るとか、す 人余りの医師と 人の看護師や な る な か、 「 居 住 者、 特 に 高 齢 なければ」との思いが募る。そ ぐに駆けつけること」も大切だ。 アシスタント、事務職が 時間 者を街中にもう一度集結させ のために必要なのは「マネジメ 365日通して、約450人の る」ことで商店街は勝手に再生 ン ト や 問 題 解 決 能 力 」。 そ こ で 日本では終末期医療の合意は まだ。その理由として武藤氏は 患者の在宅看護を担う。 する、と想定したのである。 医師を中断してマッキンゼーに 例えば寝たきりの患者に医師 「自分 入社。経営コンサルタントを経 「 日 本 で は 宗 教 が ほ と ん ど 機 能 大 事 な の が 店 舗 構 成。 していないため、死生観の醸成 が直接、胃に栄養を送る管の交 自身が 歳になってあの街で生 て、2010年にクリニックを が 十 分 で な い こ と 」「 終 末 期 ケ 換を行う片隅で、看護師らが血 活する時に必要なものは何かと 開設。東日本大震災後には石巻 ア に 関 す る 知 識 不 足 」「 日 本 は 圧などのデータを記録。男性ア 考えると、全部答えが出てきま にも在宅診療所を作った。 言霊の国の文化のため、伝える シスタントは交換した管を受け す」と古川氏。まず医師3人の 医師に必要なマネジメント力 べきことが伝えきれず、リスク 取り処理。その間 分。患者へ 診療所を開設。またマンション は 何 か。 武 藤 氏 は、「 医 師 は ど マネジメントがうまくできてい の負担も少ない。患者に向き合 の一角にスーパーを誘致し、空 ん な に 経 験 が な く て も 、 医 療 に ないこと」を挙げている。 う時間確保のため、事務作業は 洞化で消えた青果店や鮮魚店を おいてリーダーであることを求 復活させた。その結果、 年に 「 徹 底 効 率 化 」 す る 一 方、 患 者 め ら れ る 」 状 況 を 踏 ま え、「 そ 高齢者の医療や介護は日本の 大きな課題であるが、それはビ 宅への地図には、居室まで細か は住民が500人まで増えた。 の治療や組織は何を目指すのか く情報を書き込んでいる。 今は街の中心のドーム広場で と い う こ と を き ち ん と 伝 え て、 ジネスチャンスでもある。その ためには、高齢者自身のニーズ 武藤氏は東大医学部から附属 産直販売を仕掛ける。 今後は 「こ みんなに納得してもらったうえ と企業のサービスとをマッチン 病院、分子細胞生物学研究所を こで商売を」と希望する若者も でチームとして機能させていく 経て、天皇皇后両陛下の侍医も 視野に入れていく予定だ。 こと」と語る。在宅医療の場合、 グし、つなげることが大切にな るということだ。 務めた。幼い頃野口英世に感銘 「 終 末 期 の 生 活 を プ ロ デ ュ ー ス 求められる 在 宅 医 療 と は ? し て 医 師 に な っ た 武 藤 氏 だ が、 す る 力 」。 す べ て の 過 程 や 環 境 武藤氏のようにキャリアは積 み重ねるだけではなく、変化し 次第に「もっと大きな問題があ が患者によって異なるためだ。 ていくものでもある。それぞれ る の で は 」「 自 分 の 人 生 を さ ら 中でも大切なのは「看取り」。 の「場所」で、未来を見据えて なるチャレンジに使うことがで 緩 和 ケ ア の 概 念 で は、「 痛 み を 試 行 錯 誤 を 重 ね て い く こ と が、 きるのでは」と思うようになる。 取る身体的、精神的、社会的な 時代を変えることを、読み取っ ケア」が必要になるが、日本で そんな折、街の診療所の往診 てほしい。 (評=福永文子) 時、古いアパート一室のゴミの はその機能が不十分。そこで「在 80
© Copyright 2024 Paperzz