朝さろんの本棚〈5〉 村上龍『69 sixty nine』について 5th morning:2011 年 10 月 26 日(水) 参加者:10 名 【テーマ】 <本を読む「私」> その2 【本】 村上龍『69 sixty nine』 (文春文庫) (2007) [初出: 連載『MORE』1984 年 7 月号~1985 年 10 月号/単行本 1987 年(集英社)] 【村上龍(むらかみりゅう)】 1952 年生まれ。本名:村上龍之助。米軍基地の街である長崎県佐世保市出身。美術教師の 父と数学教師の母のもとに生まれる。1967 年佐世保北高校に入学。3年時の夏、高校の屋 上を仲間とバリケード封鎖して三ヵ月の自宅謹慎を受ける。1971 年に卒業後、上京。上京 後は米軍横田基地に程近い福生市に暮らす。この間、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイ ン科に入学(のち中退) 。この頃、福生での体験をもとにした小説『限りなく透明に近いブ ルー』を執筆。同作で 1976 年第 19 回群像新人文学賞を受賞してデビュー。同年、芥川賞 も受賞。ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として村上春樹とともに時代を代表する作 家と目される。主要作品に『愛と幻想のファシズム』、『五分後の世界』、『希望の国のエク ソダス』、『共生虫』など。自身の小説を原作とした映画製作も行なう。1999 年より日本の 金融・政治経済関連の問題を考えるメールマガジン『JMM』を主宰、以後、暗部にひそむ政 治経済関連の問題など時事報道に対してコメントするなど、文壇外の世界にも積極的に関 わっている。 1976 年:『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞受賞 1980 年:『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞受賞 1987 年:『69 sixty nine』を発表。(本作は 2004 年に映画化) 1992 年:『長崎オランダ村』を発表。 1996 年:『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞受賞。 2004 年:『13 歳のハローワーク』を発表。 2005 年:『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞 2011 年:『歌うクジラ』で毎日芸術賞を受賞。 1/7 【ストーリー】 ベトナム戦争と学生運動に揺れた 1969 年、基地の町・佐世保の高校に通う、主人公・高校 三年生の矢崎剣介(あだ名はケン) 。彼は退屈とレールに敷かれた人生を何よりも嫌う自分 を含めた生徒達を管理の檻に押し込めようとする教師達への反抗と同級生の美少女「レデ ィ・ジェーン」こと松井和子への恋心、なによりお祭り好きという性格もあって、親友の 「アダマ」こと山田正らと共に映画・演劇・ロックが一体なったお祭り「フェスティバル」 の開催を企画する。人生は楽しんだ者勝ちというモットーという想いを持ちながら、校内 の全共闘を言いくるめて学校をバリケード封鎖したりする事に決めたケン。60 年代末の世 相や文化の影響が随所に登場する。 【同時代年譜】 1960 年 6 月、安保闘争で全学連と警察隊が衝突し東大生の樺美智子が死亡 1964 年 10 月、世界初・日本初の高速鉄道である東海道新幹線開通 同月 10 日、東京オリンピック開催 (日本及びアジア地域で初めてのオリンピック。歴史的には、第二次世界大戦で 敗戦した日本が、再び国際社会に復帰するシンボル的な意味を持った) 1968 年 1月、テト攻勢開始(ベトナム戦争) 。5 月、パリで五月革命。 1969 年 1月、東大安田講堂立てこもり事件。東大は入試を中止。 1970 年 日本赤軍よど号ハイジャック事件 1972 年 連合赤軍あさま山荘事件 1973 年 アメリカ軍がベトナムから撤兵完了 ※団塊世代…≒全共闘世代。1947 年から 49 年にかけて、毎年 270 万人近い子供が生まれ た。45 年は 167 万人、46 年は 185 万人だから、5~6 割も子供が増加した。その大きな塊 としての性格ゆえに、この 3 年に生まれた人々を団塊世代と堺屋太一が名付けた。 【ポイント】 ■“アメリカの影“ 「佐世保橋はエンタープライズ闘争の主戦場だった。橋の向こうには米軍基地が広がる」。 「僕はフォークが嫌いだった。ベ平連も嫌いだった。基地の街に住む者は、アメリカがど れだけ強くて金持ちかよく知っている。 (略)僕の家の隣にもパンパンが住んでいたので、 彼女たちと米兵のセックスを何度も覗いたことがあった。彼女達のように、マスダチヨ 子も黒人のチンチンをしゃぶるのだろうかと思った。習字とヘッセが黒人兵のチンチン に変わるのがわからなかった」。 「こんな店長のような人間を見るたびに、日本は戦争に敗けたのだなと思うし、品性が卑 しいのだとよくわかる。プライドがないのだ」 。 2/7 本文中にこう書かれているとおり、朝鮮動乱後の米軍基地の町・佐世保で、ポップ・カ ルチャーの波にもまれ、アメリカの思想を叩き込まれる。少年時代、 「占領軍兵士によって 自国の女が飼われるのを目撃した初めての世代」として、 「守るべき価値観は実は何もなか った」ということを学んだ。これらについては、コカ・コーラやプレスリー等、思想とし てのアメリカの圧倒的な影響力と、戦後日本の「被占領性」に対する鋭い感受性が示され たエッセイ集『アメリカン★ドリーム』に詳しい。 《70 年代半ば以降、 「新米」と「反米」という対抗自体が、人びとの意識に浮上しなく なっていく時代が来る。 「反米」という立場自体がリアリティをもたなくなる時代といっ てもいい。(中略)(この流れの中で村上龍は)アメリカと日本の関係を占領者と被占領 者の関係として提示し、むきだしに「占領」を問題化した。戦後日本で、 「アメリカの影」 はあらゆる言説の可能性を枠づけており、この空気のように偏在するアメリカから逃れ ることができない。 (中略)こうして 70 年代以降の日本において、 「アメリカ」はもはや 他者として名指される存在ですらなくなる。この時点までに日本社会は、「アメリカ」を 自己に取り込み、同時に「日本」自身を他者化していく。70 年代末以降、日本人の「ア メリカ」への好感度はきわめて安定的な値を持続する。ほぼ日本人の七割が「アメリカ」 に好感を抱き続けてきた》(吉見俊哉『親米と反米』) ※「佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争」 1965 年 11 月、エンタープライズは第 7 艦隊に配属となる。12 月にビエンホアの北ベト ナム軍に対する艦載機の出撃を開始し、実戦に従事した最初の原子力艦となる。初日に 125 回の出撃を行い、167 トンの爆撃とロケット弾攻撃を敵補給路に対し行った。1968 年 1 月 4 日にアメリカを出航、同月 8 日にハワイに寄港、その後原子力ミサイル巡洋艦を率い長崎・ 佐世保に直航、1 月 17、18 日には入港すると見られた。反対する日本社会党、日本共産党 は 5 万人規模の阻止集会を予定し、一方、三派系全学連は阻止闘争のため 2,000 人の動員 を計画。それに対し政府側は、福岡県警察、熊本県警察、佐賀県警察、長崎県警察から 5,000 人の機動隊を動員してそれに備えた。 入港前の 1 月 17 日、ついに佐世保で全学連と警察の間に市街戦さながらの激突が起きた。 機動隊は完全武装し、放水、催涙ガス銃を容赦なく学生に向けて打ち込んだ。主戦場は佐 世保駅から、やがて平瀬橋、そして学生が逃げ込んだ旧市民病院の中にまで移っていった。 (佐 約 2 時間の激闘の末、市民病院に追いつめられた学生は機動隊の猛攻の前に制圧された。 世保エンタープライズ寄港阻止闘争)学生・警官あわせて重軽傷者 135 人。逮捕者は 27 人 にのぼった。18 日の寄港は一時延期し、翌 19 日午前 9 時 10 分、佐世保港に停泊した。こ の日もまた学生と機動隊の衝突が繰り返された。1 月 23 日午前 9 時、プエブロ号事件発生 に伴い佐世保港を出港し、エンタープライズとその護衛艦からな成る機動部隊は東シナ海 に展開し、朝鮮半島付近の日本海に 1 ヶ月近く展開した。 3/7 ■(文学・文化の) “共有の仕方”に特殊性を帯びる余地があるか 北高内の主流反体制分子は次の三派。その他に右派、民青派、オートバイ派、文芸派な ど性格付けされたグループが幾つも並列的に存在していると読める。 ○軟派…酒と女と煙草と賭け事が中心で地元ヤクザと付き合いがある ○ロック派…別名芸術派。「ニュー・ミュージック・マガジン」や「美術手帖」を抱え、 長髪、V サインでピース。 ○政治派…長崎大の社青同解放派とつながる。アジトを持つ。ビラ撒きやデモをする。 高校生レベルでだが、これらの各グループで共有する思想や文化、交流の様式や範囲は大 きく違っていると想像できる。但し、本作ではそれらのグループ間相互にゆるやかな交流 があったと読める。 ■家畜でなくヒトとして 「風景を元に戻そうとする連中はどうしようもなく醜かった」 「ここが選別の場所だからだ。犬でも豚でも牛でもみんな同じだが、子供のころは遊ばせ て貰える。(略)成獣の一歩手前で、選別があり、分類される。高校生もそうだ。高校生 は、家畜への第一歩なのだ」 例)ニワトリ 「おとなしかニワトリですね」「病気たい。(略)人間で言うたらノイローゼたい」 「ごく少数だが、急に餌を食べなくなるニワトリがいるのだ、と中年男は言った。」 ↓ 「狭い鶏舎で強制的に餌を押し込まれるブロイラー達、ニワトリだろうが人間だろうが、 ちょっとでも拒否の姿勢を見せると、隔離されるのである」 ↓ 4/7 「楽しそうでなかったのは、よろめくように会場の床を歩きまわるニワトリだけだった」 ↓ 「元気です、野生化したニワトリ、十メートルもジャンプ!」 ■本書に見る「時代の読書」について 「僕はアダマにランボーの詩を見せた。アダマは、いらん、と言って拒否すれば良かった のだ。アダマは声を出して読んでしまった。今にして思えばその瞬間にアダマの運命は 大きく変わってしまったのである」 。 ↓ 「乞食はね、あんまりバカはおらん、(略)あいつらバカじゃなかとよ、東大とか京大とか にみんな行こうて思うとって、そうね、ちょっとした拍子やろね、もう、ちょっとした 間違いやろね、そいで、簡単に、乞食になってしまうとやろね、乞食は、臭かもんね」 ↓ 「なあ、アダマ、文化って、ちょっと恐ろしかと思わんか?(略)岩瀬なんかさ、こんだ け外国文化の入って来んやったら、ツェッペリンもヴェルレーヌもトマトジュースもな あんも知らんで糸屋のオヤジで一生過ごすことに、なんか、残酷か気のせんか?」 ※ケン(とアダマ)の同時代感覚 「ロジックに頼ろうとするとなぜか必ず標準語になってしまう」 「アダマは、一九六〇年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実 だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一 の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ」 「一九六九年、十七歳だった「朝立ち祭」はもちろんのこと、三十二歳の小説家になった 今でも、僕はずっと祭だけを追い求めているような気がする。(略)それは、何なのだろう? それはきっと、永遠に楽しいということではないだろうか?」 【ひとこと】 『図書館の神様』と比べて… 「僕は本を開いてそれ(新しい世界に飛んでいく)をする」と鮮烈なメッセージを放つ生徒 との出会いが「私」にもたらす広がりが印象的な作品。 ⇒ゆとり教育(2000 頃~2010 頃)を背景として、学力重視から生きる力を重視した世相。 ◆では『69』はどんな風に本(文化)と出会う作品と読めるか 「その何かは僕達を自由にする」とは何を指すか? 5/7 ⇒ ケンの行動原理を思想的に支えるバックボーンは次のようなものと考えられる。 「自然」とは時間を超えた静止の仮象、所与の秩序の当然さ。概念と対象が一致し、世 界の変化が帰省の枠内に行われると認識される状況。そうした状況の撹乱において、「非同 一性」(アドルノ)が初めて認識され、概念と対象の間にずれが認識される。この撹乱は自 然からの「解放」でもあり、その「破壊」をも意味する。「衝撃」(ベンヤミン)は、まさ にこの両側面をもつ概念である。衝撃は、近代人を「地獄」に投げ込むと同時に、そこに こそ宿っている「救済」の可能性を可視化してくれる。 だからこそ、退屈さと隣り合わせの「自然」の状態に馴れきってしまうことが忌避され る。 『69』では、セックス・芸術的な想像・音楽・学校でバリケードを築くことなどが退屈 さを寄せ付けない効果的な工夫として描かれる。 古典的な社会思想には退屈に似た概念として「倦怠」(ジンメル)や「憂鬱」(ベンヤミ ン)と呼ぶようなものがあるが、これは自然化された社会における「退屈」と同一ではな い。なぜなら「倦怠」も「憂鬱」も衝撃体験の多い環境から生まれたものとされているか ら。つまり、両者は共に倦怠や憂鬱の原因を刺激の不足にではなく、刺激の過剰に見つけ ている。 近代社会が成立・成熟し現代社会へと移行する過程においては、さまざまな形で「はっ きり」しないことが顕在化してくる。それは近代化の初期段階の世界観を支えた古いニ項 対立の多く(新/古、技術/自然、啓蒙/神話、プロレタリアート/ブルジョワジーなど) が力を失っていることに伴った仮象であると考えられる。 作中ではこういう状況下で学生運動をしベトナム反戦が叫ばれ、公教育への反感が高ま り、政治的な主体性を確立することが強く意識される。ただしケンは基地の街で生まれ、 アメリカ由来のヒッピーカルチャーなどの文化の洗礼を受け、その影響下にあることを強 く自覚している。アメリカ化する日本のなかで旧態を保守しようとする行為に抵抗を感じ る。それゆえ主体自身のたゆまない努力によって常に「自然」を一変するような「衝撃」 を生産し続けようとする。しかし、次々と起こる「衝撃」には耐性がつきものであり、こ れを続ける限り「衝撃」は限りなくエスカレートせざるを得ない。 ケンにとっての「退屈さとの闘争」という「祭」は、それが祭である以上本来的には祝 祭空間という「非日常」である。つまり、ケンは自然化という現在の経験を拒否して生じ たものといえる。ここにあるのは伝統や自然の破壊・崩壊(という「衝撃」)へのノスタル ジーといえるのではないか。 この「退屈さとの戦い」が退屈を生み出せば生み出すほど、本来性を遂げることは困難 になる。この困難において明らかになるのは「自らの意志」に従うことが退屈にならない 保障ではない、という点に特に注意が必要となる。 6/7 ※参考文献 ・『村上龍自選小説集1 消費される青春』解説/柄谷行人(1997) ・『芥川賞全集 第 11 巻』 (1982) ・浅井清(編)(2000)『新研究資料現代日本文学』 ・岩波書店編集部(2001)『近代日本総合年表 第四版』 ・加藤典洋(1985=1995)『アメリカの影』 ・吉見俊哉(2007)『親米と反米』 ・三浦展(2007)『団塊世代の戦後史』 ・カール・カッセゴール(2001) 「退屈さとの闘争、衝撃へのノスタルジー:W.ベンヤミンと村上龍をめぐって」 ・中山 眞彦(2001)「ロマネスクと言語:村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』とそ のフランス語訳について(上)(下)」 7/7
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