《灵枢》-简介 医经著作。是《黄帝内经》的一部分。 《黄帝内经》撰成之初,在战国时代可能为《黄帝脉书》、《扁鹊脉书》等 20 余种单行本,西汉后期, 刘向、刘歆父子校书,始由李柱国等校定为《黄帝内经》十八卷。到东汉初班固撰《汉书》时,这些医 籍的传本仍被完整保存,而载于《汉书·艺文志》。东汉末张仲景撰《伤寒杂病论》、魏末皇甫谧撰《针 灸甲乙经》时,《汉书·艺文志》的十八卷本《黄帝内经》传本即已不复存在,不仅被分割为《素问》、 《九卷》或《针经》两书,而且“亦有所记亡失”。 《灵枢》,亦称《九卷》、《针经》、《九灵》、《九墟》等。汉魏以后,由于长期抄传出现多种不同 名称的传本。唐·王冰所引用古本《针经》传本佚文与古本《灵枢》传本佚文基本相同,说明为一共同的 祖本。但与南宋史崧发现的《灵枢》传本(即现存《灵枢》传本)则不尽相同。史载北宋有高丽献《针 经》镂版刊行,今无书可证。至南宋初期。《灵枢》和《针经》各种传本均失传。绍兴二十五年(1155), 史崧半其家藏《灵枢》九卷八十一篇重新校正,扩展为二十四卷,附加音释,镂版刊行。至此,《灵枢》 传本基本定型,取代各种传本,而一再印行,流传至今。 霊枢》―簡単な紹介 中国医学経典の著作。《黄帝内経》の一部分である。 《黄帝内経》は初め之書いて、戦国時代に恐らく《黄帝脈書》、《扁鵲脈書》などの 20 数種類の単行 本のため、前漢の後期、劉は、劉 xin 父と子学校の本に向って、李柱国などの学校から《黄帝内経》 18 巻に決めるのに始まる。 後漢初班が強く《漢書》を書く時、これらの医学籍は元来依然として完全に整復を伝へ、《漢書・芸 文志》に載る。 後漢末期の張仲景が《傷寒雑病論》、魏の末期の皇甫謐が《鍼灸甲乙経》を書いた時、《漢書・芸文 志》18 巻本《黄帝内経》では元来すでに再度出現しないで伝わり、《素問》、《九巻》あるいは《針 経》2 本のため断節をするだけではなくて、その上“さらに、記載が失われた”。《霊枢》、《九巻》、 《針経》、《九霊》、《九墟》などをも語る。 それは漢魏の後で、長期書き写して伝わる多種の異なる名称のが本を伝えるのが現れるためである。 唐・王冰は古い本《針経》を引用して古い《霊枢》が当に失われた文を伝えるのが基本的なとように 失われた文を伝え、説明し一つの共通の初印本になった。 しかし、南宋史 song 発見する《霊枢》が当(つまり、現存する《霊枢》が当を伝える)を伝えるのが 尽きないとようだ。 史載によると北宋高麗献が《針経》版を彫刻して刊行をするが、現在の証はない。南宋の初期に至 るまで。《霊枢》と《針経》の各種伝本は絶えた。 紹興 25 年(1155)、史 song 半分蔵され《霊枢》九巻八十一篇を改めて校正し、広げて 24 巻になって、 付加の音は放して、版を彫刻して刊行された。 これで、《霊枢》は冊を伝えて大体において定型化して、各種に取って代わって本を伝えて、何度も 印刷発行して、今なお広く伝わる。 解説 黄帝内経の素問と霊枢とは 『黄帝内経』は、前漢代に編纂され、『鍼経』と『素問』の合計 18 巻と伝えられている。その内容 は散逸して一旦は失われたが、762 年唐の時代に王冰の表した『素問』と『霊枢』が伝えられている。 現代の研究では『鍼経』もしくは『九霊』は『霊枢』(9 巻)のことであるとされている。ただしこ の 9 巻本も散逸してしまって残っていない。現在は 1155 年に南宋の史崧が霊枢を新たに校訂し、24 巻 81 篇として編纂したものが元になっている。 『黄帝内経』18 巻のうち、1 部にあたる 9 巻を『鍼経』と呼び、2 部の 9 巻を『素問』と呼ぶ。『鍼 経』は経脈、経穴、刺鍼、また営衛、気血など系統的で詳細に説明されている。 、『黄帝内経』は 2 部構成であった。『素問』は、古くは紀元前 202 年の前漢代の頃から編纂され始 めたと考えられている。 現存する『素問』は、762 年に王冰によって編纂された。王冰はそれ以前の『素問』を大幅に変更 したことがわかっており、王冰の『素問』からは古い『素問』を伺い知ることはできない。 『霊枢』は『素問』より新しい時代のもので、20 年から 200 年ころ編纂された。『素問』より前に『鍼 経』が編纂され、それが後に『霊枢』に引き継がれたと考えられている。「芸文志」には、『内経』 (18 巻)の他に『外経』(37 巻)があったとの記録があるが、『外経』は現存せず、詳しいことはわ かっていない。
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