日本語中・上級中国人学習者を困らせる 日本語の問題点

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北陸大学 紀要
第28号 (2004)
pp. 313∼325
日本語中・上級中国人学習者を困らせる
日本語の問題点に関する一考察
趙 嫦 虹 *,呉 *
,笠 原 祥士郎 *
An examination of the Japanese language points that confuse Chinese students
with intermediate and advanced Japanese ability.
Zhao Changhong * , Wu Jun * , Shoujiro Kasahara *
Received October 29, 2004
Abstract
This paper examined the kinds of Japanese grammar points that are found to be difficult by
intermediate and advanced students from China. In particular, this study focused on particles,
adjectives, intransitive and transitive verbs, and use of honorific expressions. These points were
presented to the students in examination format, and errors were analyzed according to
influencing factors such as native language interference, the Japanese language education system
in China (in particular textbook and class structure) and differences between Chinese and
Japanese ways of thinking. It is hoped that the results of this study will contribute somewhat to
intermediate and advanced Japanese language education.
1.はじめに
小論は中国人留学生が日本語を習得する上でどういう点が誤りやすいか,どうしてそうした
誤用が発生するのか,また日本語教育指導上どのような点に留意したらいいのかなどについて,
問題形式による調査を行い,その調査に基づき分析と考察を試みたものである。
本学と提携校との共同教育プログラムによる編入留学生は中国のそれぞれの提携大学で2年
半日本語を学んできている。そのため,初級ないし中級程度の日本語学習は習得してきている。
その日本語能力は多少の個人差が見られるものの,おしなべて中・上級学習者と見なすことが
できよう。こうした既習者の場合,初級からの学習者とは異なり,学習指導上既習内容をどの
ように継続させるとより効果的かが重要な課題である。
こうした既習者,あるいは中・上級学習者のための日本語教育に関する研究はまだ充分にな
*
国際交流センター
International Exchange Center
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されていないように思われる。他方で,編入留学生を受け入れている本学の日本語教育にとっ
てこうした研究は急務の課題でもある。
2.調査内容と対象者及び調査日時について
小論では,中・上級学習者にとって誤りやすいと考えられる「助詞・形容詞・自動詞と他動
詞・敬語など待遇表現」の項目に焦点を絞って,合計50問の設問を用意しその回答から分析と
検討を行った。
調査対象は本学の「2+2」共同教育プログラムの三年生中国人留学生である。有効データ
になるアンケート回答は99∼100部を得た。
調査日時は2004年6月29日と7月2日の二回に分けて行った。調査対象者来日後,約二ヶ月
経過した時点である。
3.助詞について
助詞のアンケート調査内容は「が」,「の」,「を」,「に」,「で」,「と」などの格助詞,「ばか
り」,「だけ」,「ぐらい」,「ほど」,「まで」,「さえ」といった副助詞,「なら」,「ば」,「と」,
「たら」,「から」,「ので」,「ても」,「のに」などの接続助詞及び係助詞「は」と格助詞「が」
の使い分けである。調査結果では,誤用率が50%以上のものは次の五つである。(アンダーラ
インしたものはその文の意味とニュアンスに最もふさわしい表現である。)
(1) 旅行案内です。昨日本屋へ寄(ったら,ってから,ると),偶然あったので,買っ
てきたんです。
(誤用率:83%)
(2) こうなった以上はやれる(ほど,ぐらい,だけ)やってみるより仕方がない。
(誤用率:58%)
(3) タンさんはシャツ(の,が)破れたのを着ています。
(誤用率:62%)
(4) 飛行機(が,は)離陸したあと,空中で爆発した。
(誤用率:58%)
(5) 地下道の入り口には更にいくつものドアがあり,民兵たち(は,が)ドアを閉める
と,入れた毒ガスはまた元の穴から出てきた。
(誤用率:56%)
一 「たら・なら・ば・と」
「たら」,
「なら」,
「ば」,
「と」に関して四問出題した。例(1)の他の三つは誤用率が低く,
それぞれ10%,26%,22%であった。これは中・上級の日本語学習者は中国での二年半の学習
を通して,「たら」,「なら」,「ば」,「と」の本質的な特徴をほぼ理解し,大体正しく使えるこ
とを示している。しかし,例(1)はほとんどの留学生が「と」を選び,誤用率が高かった。
それは次の三つの原因が考えられると思う。
1,文法的には,「と」と「たら」は両方とも「発見」を表すことができるが,「たら」は
「と」より意外性,偶然的色合いが強いというニュアンス上の微妙な違いがある。例(1)
は「偶然あった」というはっきりとした偶然性の強い発見なので,「と」より,「たら」の
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日本語中・上級中国人学習者を困らせる日本語の問題点に関する一考察
ほうがより使いやすい。83%の留学生が「たら」を選ばなかったのは,中・上級学習者は
「たら」,「なら」,「ば」,「と」の基本的な使い分けは身に付けたが,それぞれの言葉のニ
ュアンス上の微妙な区別についてはまだ充分に分からないことが多いからであろう。
2,「と」の使用頻度が「たら」よりずっと高いことが考えられる。中・上級学習者は「た
ら」より「と」の実用例に触れることが多いので,「と」に対する印象の方が「たら」よ
り強い。それで,二つの言葉で大体同じ意味を表す場合,まず「と」を頭に浮かべたので
はないかと思われる。
3,中国の大学の日本語専門教育において,最初の二年間は基礎知識の習得段階にとどまり,
類義語の体系的,対照的な教育はほとんどなされていない。また,「と」は接続助詞の一
つとして一般的に認められ,どの日本語教科書や文法書にも一つの文法項目として挙げら
れ,詳しく説明されているが,「たら」はもともと過去・完了助動詞「た」の仮定形なの
で,「た」の活用形の一つとしてわずかに一言触れるだけで,詳しく説明していない教科
書や文法書が多いからであろう。
二 「だけ」
今度のアンケート調査によって意外な結果が出た。それは程度を表す副助詞「だけ」の誤用
率が予想以上に高かったという点である。調査に使った用例は上に挙げた例(2)である。調
査対象の21%は「ぐらい」を,37%の学生は「ほど」を回答してしまったのである。
副助詞「だけ」の意味と使い方は普通「限定」と「程度」とに二大別される。例(2)は意
味的には「程度」を表すものを要求する。そして,「ぐらい」,「ほど」と「だけ」は三つとも
「程度」を表す機能を持っているが,以下のようにそれぞれ違った性格を有する。
「ぐらい」:話し手はその程度が低いと思って,一定レベルの基準点を下限点にして,特に
取り上げ示す意識を込める。
「ほど」:話し手がその程度を高く思い,それに感動する気持ちをこめる。
「だけ」:①程度が低いと思う。②程度が高いと思う。③相応する程度を客観的に述べる。
「だけ」①の低い程度を表す場合はほとんど「ぐらい」への置き換えが可能である。また,
②の高い程度を驚嘆の気持ちで強調する場合はほとんど「ほど」への置き換えが可能である。
③の相応する程度を表す「だけ」は,程度が高い・低いという話し手の評価意識がなく,前に
述べた事柄や動作・行為に相応する程度を客観的に表すだけで,「ぐらい」,「ほど」に置き換
えられない。こういう相応程度を表す「だけ」は先行動詞が可能動詞もしくは可能の助動詞を
伴って,「…することができる程度」の意となることが多い。例(2)は「だけ」のこうした
使い方である。
調査対象の留学生たちは先ず限定を表す「だけ」について学習して,「だけ」は限定の意味
を表すという先入観を持っている。また,限定を表す「だけ」は「只有」,「
」という相応
する中国語の表現があるが,程度を表す「だけ」は完全に相応する中国語表現はないので,限
定の「だけ」は中国人学習者に定着しやすく,程度の意味を表す「だけ」の印象は薄まりやす
い。それに対して,「ぐらい」と「ほど」の基本的な機能は程度を表すことにある。中国人学
習者は最初からそういうイメージが強いので,程度を表す場合になると,まず,この二つの言
葉を思いつきがちである。
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三 「名詞+の+活用語連体形+の」の文構造
例(3)「タンさんはシャツ(の,が)破れたのを着ています。」の誤用率は62%もあった。
二者択一の設問でこんなに高い誤用率が生まれたのはどうしてか。この原因を考察する前に
我々はまず「名詞+の+活用語連体形+の」という文構造について見ていくこととする。
この文構造には二つの「の」が出る。説明の都合上,はじめの「の」を「の1」とし,後の
「の」を「の2」として分けて考えてみたい。
「の2」は前の内容と結合し,名詞性表現として,
次の二つの異なった機能を持っている。
1,前の活用語連体形と同一層面で連体修飾関係を構成して,具体的な名詞を代用する。
2,上接節の全体を一つのまとまりとして体言化する。上接節を包容する。
「名詞+の+活用語連体形+の」構造に出る「の2」が包容機能である場合,活用語連体形
は「の1」の前の名詞と主述関係を構成するので,「の1」は主語を表すもので,「が」によっ
て置き換えることができる。例えば,「雪の止むのを待ちましょう。」となる。他方,「の2」
が代用機能である場合,活用語連体形は「の2」にかかって,それと結合し,一体言と同等の
資格を持っている。この場合の「名詞+の+活用語連体形+の」構造は本質的に「名詞+の+
名詞」構造である。だから,例2の「タンさんはシャツ(の,が)破れたのを着ています。」
の「の1」は「監督の黒澤さん」
,「大学生の山田さん」などの「の」と同じように,連体格関
係を表す連体格助詞で,「が」に置き換えられない。
例(3)の誤用率が高いのは,同じ構造をとっているが本質的性格が異なった1と2の二つ
の表現を混同したことに起因するようである。
四 複文における「は」と「が」の使い分け
「は」と「が」の使い分けは日本語文法研究の永遠の課題と言えよう。従来,
「未知と既知」,
「主題と主語」,「総主と部分主」など「は」と「が」についての学説は多い。中国の大学での
日本語教育では「は」と「が」の使い分けは初級段階で学習することになっている。従って,
中・上級の中国人日本語学習者のほとんどは二年間の学習を通して,主語が疑問詞である場合
は「が」で主語を表し,疑問詞が述語である場合は「は」で主語を表し,
「象は鼻が長い。
」の
ような「∼は∼が∼」文においては,文全体の主題は「は」で表し,述語の用言にかかる主語
は「が」で表すというように,機械的に「は」と「が」の使い分けについての基本知識を身に
つけた。ところが,初級段階で学習した「は」と「が」の使い分けは主に単文の場合のもので
ある。複文に出る「は」と「が」は初級日本語教育の内容に入っていないため,ほとんどの
中・上級学習者は複文の場合の「は」と「が」に対するはっきりとした認識がないようである。
今度のアンケート調査の結果もそういう事実を示している。「は」と「が」について7問の単
文と8問の複文の設問を出したところ,単文の7問には誤用率が50%以上になったものは一つ
もなかった。しかし,複文の場合,8問中誤用率が50%以上になったものは例(4)と例(5)
の二つあった。他の6問もそれぞれ誤用率がかなり高く,40%前後であった。
複文に出る「は」と「が」を説明するには,まず複文の従属句の述語的部分の分類を見なけ
ればならない。南不二男氏の分類によれば,従属句の述語的部分は次の三種類ある。
A類:「∼ナガラ」,「∼テ」
,「∼ツツ」など
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B類:「∼ノデ」,「∼タラ」,「∼テモ」,「∼ト」,「∼ナラ」,「∼バ」など
C類:「∼ガ」,「∼カラ」,「∼ケレド」,「∼シ」など
C類の接続助詞によって結びついた複文は,前件の従属節は自立性が高いので,その主語を
表す言葉は単文の場合の使用規則と大体同じで,後の主節にあまり影響されない。
A類の接続助詞あるいは接続方法によって結びついた複文は,前件の従属節は自立性が極め
て低く,必ず主節と同じ主語を共有するので,その主語は普通「は」で表す。
B類の接続助詞や「∼あと」
,「∼とき」などの体言によって結びついた複文は,従属節と主
節は同一主語を持つかどうかによって,主語を表す助詞も違う。
*従属節の主語が主節と違う場合,普通従属節の主語は「が」で表し,主節の主語は「は」
で表す。例(5)は従属節の主語は「民兵たち」で,主節の主語は「毒ガス」なので,前
者は「が」,後者は「は」で表すのである。
*従属節の主語が主節と同じ場合,「は」でその主語を表すのが普通である。
ところが,例(4)は従属節と主節の主語が同じ「飛行機」なのに,「が」で表すのである。
これは,従属節と主節は同じ主語を持っていても,後の主節に意外性の強い事態が来ると,や
はり「が」でその主語を表すという日本語の言語習慣があるからである。
今度の調査結果で分かるように,複文における「は」と「が」の使い分けは,中・上級の学
習者の学習上の大きな問題点で,中級以降の日本語教育の注意すべき点の一つである。
日本語の膠着語の特徴をもっとも表している助詞は,種類が多く,使い方が複雑で,また,
孤立語の中国語に類似するものがないので,中国人学習者にとって,初級の段階だけではなく,
中・上級の段階でも学習上の困難な点である。
4.形容詞について
日本語の形容詞には,物事の客観的な性質・状態を表すものと,主体の主観的な感覚・感情
を表すものと二つの種類がある。前者は普通「属性形容詞」と言い,後者は「感情形容詞」と
言う。『日本語教育事典』では「客観性形容詞」と「主観性形容詞」と言って,呼び方が違う
が,本質は「属性形容詞」,「感情形容詞」と同じである。感情形容詞は基本形では話し手自身
の感情・感覚しか表せない。話し手以外の感情・感覚を表現するときには,「そうだ」
(様態助
動詞)か「がる」を後置する。
外国人の日本語学習者にとっては,日本語の形容詞は特に難しいものではないが,誤用しや
すいところがあると言えば,それは感情形容詞の使い方だろうと思う。だから,今度の形容詞
についてのアンケート調査では感情形容詞を中心に行った。10の設問を出したが,誤用率の高
いものは次の四つであった。(アンダーラインしたものが正解である。)
(1) あいつは寒(い,がり)屋です。
(誤用率:45%)
(2) その母親は危な(くて,がって),子供を外で遊ばせない。
(誤用率:55%)
(3) 木村君もそれを見ると羨まし(い,がっている)だろう。
(誤用率:48%)
(4) フィアンセが訪ねてくると,父は不機嫌になる,寂し(い,がっている)のだ。
(誤用率:51%)
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上記のデータで分かったこととして,調査対象の中国人留学生は感情形容詞を理解する上で
次の二つの問題点があるということである。一つは感情形容詞の判定であり,もう一つは感情
形容詞の人称制限である。
理論的には形容詞は二つの種類にはっきり分けられるが,実際は属性形容詞の性格と感情形
容詞の性格を兼ね備えているものも少なくない。例(1)の「寒い」と例(2)の「危い」は,
普通,属性形容詞として使われる。したがって,留学生たちはそれらの形容詞に感情形容詞の
イメージをあまり持たない。例(1)と例(2)の場合はそれぞれ「あいつ」と「母親」とい
う話し手以外の主体の感覚を表すもので,「がる」を接続すべきなのに,多くの留学生はつい
それを客観性質の表現にしてしまったのである。
なお,二人称,三人称が主語になる場合,感情形容詞は「そうだ」(様態助動詞)か「がる」
を後置するのである。中国語にはこの人称上の制約がないので,日本語の初級学習者はよく
「彼は故郷が懐かしい。」のような間違った表現をしてしまう。
ところが,次の文脈では,感情形容詞は主語の人称制限はない。
1,二人称に対する質問を表す文。
2,文学作品で,作者は登場人物の視点から語る場合。
3,一般的な常識,理屈。
4,連体修飾語従属節の中。
5,「…と思う」,「…だろう」,「…らしい」,「…ようだ」,「…のだ」
,「…に違いない」など,
話し手の判断・説明・推量などのムードを持つ文。
6,「…と言う」,「…そうだ」(伝聞助動詞)など伝聞を表す表現を持つ文。
7,「…ば」,「…ので」,「…のに」などのような連用従属節の中。
今度のアンケートに使った例(3)と例(4)は上記の5の場合で,形容詞に「がる」を接
続する必要がない。調査対象の中・上級学習者は,初級段階の学習を通して,感情形容詞使用
上の人称制約は分かっているが,上記のような人称制約のない場合があることは知らないから,
初級学習者と逆の誤りを犯してしまったと考えられる。
5.自動詞と他動詞について
一
中国での日本語基礎授業では,「自動詞と他動詞の使い方」を教える際,便宜上,英語のvt.
(transitive verb)とvi.(intransitive verb)動詞と同じだと指導するケースは少なくはない
ようだ。確かに,日本語の自動詞と他動詞の使い方は難しい。それは単に日本語の文法上の問
題だけでなく社会心理や慣習などの違いなども大きく絡み,五,六年間以上日本語を学習した
人でもネイティブのように正しく使えないのが実情である。中国語の中にも自動詞,他動詞の
分類はあるものの,分類の基準が日本のそれとは異なっているために,自動詞と他動詞の使い
方は中国人の日本語学習者にとっては文法の難所の一つとされているようである。
特に,日本語と中国語の間で意味的には対応すると思われる動詞でも,日本語と中国語では
自動詞と他動詞の区別が異なるものもあるから,ともに自動詞と他動詞があるとはいえ,日本
語学習には必ずしもプラスの影響がもたらされるとは限らないようで,むしろかえって理解を
妨げたりする場合が多いのではないかと思われる。
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しかも,自動詞と他動詞の誤用があっていても,意味の理解にほとんど支障がないから,混
乱したままでも直そうとしない日本語上級学習者も少なくはない。しかし,日本語上級者が自
動詞と他動詞を誤用した場合,聞き手にとりわけ違和感を与えるのは確かである。このように,
自・他動詞学習は難しいが無視されがちな文法であり,日本語学習上の盲点かもしれない。
以下に「2+2」プロジェクトで来日した99名の学生を対象に自動詞と他動詞がどれだけ正
しく使えるかについてアンケート調査をし,調査の結果に基づいて分析していく。
二
質問は選択問題である。自・他動詞の基本的な使い分けにはじまり,自・他動詞と使役表現
や可能表現との関わりなどかなり高度なものまでに及んだ。考察した結果,全12問のうち半数
以上の問題の正解率はかなり低かった。自動詞と他動詞の基本的な区別さえまだ理解していな
い学生も少なくないように思われる。
(1) 今この店で一番(
)いるのは,フランス製のワインです。
a売る b売れる (誤用率:16%)
(2) 私が今までに(
)切手は,全部で200枚ぐらいです。
a集まる b集める (誤用率:55%)
(3) 今,うちの前で車が(
)音がしたよ。
a止める b止まる (誤用率:27%)
(4A) 母親「子供の熱,まだ(
)んですけど」
(誤用率:34%)
(4B) 医者「そうですか。じゃあ,この薬を飲ませてください。これを飲めば,すぐ
(
)よ。」
a下がる b下げる c下がらない (誤用率:55%)
(5)「これ,誰が(
)たんですか。
」
「私たちじゃありません。来たときには,もう(
(誤用率:27%)
)ていたんです。
a壊れる b壊す (誤用率:39%)
(6) 先生,申し訳ありませんが,黒板が見えないのでちょっと(
)
いただけませんか。
a退く b退ける (誤用率:55%)
例(2),(4B),(6)の誤用率はともに55%にも上った。例(2)に関しては,「私は切
手を(
),今全部で200枚ぐらいあります。」といった設問であったら,正解率はもっ
と高かったであろうが,動詞を述語ではなく連体修飾語としたので迷ったようである。学生に
よれば,「切手」は意志を持たない無情名詞で,無情名詞を修飾しているから,主語に関係な
く自動詞を用いるのではないかと勘違いしたようである。例(4B)は主語が「熱」なのか
「子供」なのか判断できなくなって間違えたのではないか。格助詞がなく,判断の基準を失っ
てしまったのではないかと考えられる。例(6)はどれが自動詞なのかどれが他動詞なのか正
確に覚えていなかったために起こった間違いだろう。
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(7A) この時計,直してもらったのに(
)んです。
(7B) この時計,直すのに5万円もかかるので,(
(誤用率:53%)
)んです。
a直っていない b直してない (誤用率:39%)
(8) 小物はまだあるんですか。もうこれ以上(
)。
a入らない b入れられない (誤用率:69%)
(9) 子犬は痩せているから,(
)かどうか心配ね。
a育てる b育つ c育てられる (誤用率:60%)
ここでは母語の影響について考えてきたい。
例(7A)を中国語に訳すと「
表,
人修了,但没能修好。」となる。
「没能修好」はそのまま日本語に直せば,「直すことができなかった」にあたるから,躊躇
せず,
「b直していない」を選んでしまった学生が多い。
「没能修好」というのは結果可能表現
である。結果可能表現というのは,動作主の意図した状態変化が実現できるかできないかを動
作が行われた結果という視点から捉えようとする表現である。その表現方法について中国と日
本では大きな違いが見られるようである。
中国語では「修好」,「
不住」というように「好,不住」など補語の形式を用いて可能表
現が表されるが,日本語の場合は結果可能表現には主に「有対自動詞」が用いられる。ただし,
「有対自動詞」であるならば,無条件に可能表現を表すことができるわけでもない。たとえば
「行李太重,我
不起来。」をそのまま日本語に直訳すれば,「荷物が重くて私は持ち上げるこ
とができなかった。」になるが,最も自然な日本語にすると,「荷物が重くて持ち上がらない」
となる。同じように,例(8)を中国語に訳すと,「
有
,已
放不
去了。」となり,「も
うこれ以上入れなれない」になってしまうのである。
例(9)も同じ考え方によって引き起こされた間違いのようである。
(10) 誕生日のケーキには,年と同じ数のローソクを(
)んです。
a立つ b立たせる c立てる (誤用率:54%)
自・他動詞が使役・受身・可能形と同時に現れた場合は混乱が避けられないようである。原
則的には「意志を持たない無情名詞には他動詞文が用いられ自動詞の使役文を用いることはで
きない。」また,「意志を持つ有情名詞の場合は自動詞の使役文を用いる。」ことになっている。
例(10)の「ローソク」は無情名詞なのに半数に近い学生が自動詞の使役文を選択している。
ところで,中国の学習者は使役と自・他動詞の関係において使役を過剰使用してしまう傾向
があるようである。学生の作文に次のような文があった,「私の勉強方法に関してもしもっと
よくさせる方法があれば,教えてくれませんか。」はっきり断言はできないが,
「させる」を使
ったのは中国語の「
」の影響があるからではないかと思われる。特に,日本語を習得した
ばかりの学生は日本語文を表現する前にまず頭の中で母語に訳す傾向があるようだから,母語
が「
320
」
(させる)だったら,日本語も「させる」になるのは無理のないことであろう。
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9
三
以上の分析によれば,「2+2」の学生の間では自動詞,他動詞の使い方がかなり混乱して
いて,しかも母語からの影響を受けているということがわかった。それは単に自動詞と他動詞
を語彙的に正確に覚えれば,誤りが防げるというような単純な問題ではない。日本人の考え方
や文化的な背景などから考察しなければならない問題でもあるだろう。それには日本語教師の
仕事だけでなく日本語教科書の役割も無視できないと思う。しかし,現在のところ中国で最も
権威のあるとされている日本語教科書,『基礎日語教程』や『新編日語』でも自・他動詞に対
する解釈は5,6行程度にすぎず,それについての練習問題も少ない。たとえば,『基礎日語
教程』の第一冊には自動詞と他動詞の説明として次のように書かれている。「日本語の中には,
物事に働きかける動詞があるが,これらの動詞の働きかけを受ける名詞は通常“を格”の形が
用いられる。このような動詞は他動詞と呼ばれ,これに属さない動詞は自動詞と呼ばれる。あ
る動詞は自動詞と他動詞の両方の性質を有するが,具体的に使われる場合に,一つの性質しか
有することができない。即ち,自動詞として使われるか,或いは他動詞として使われるかのど
ちらかである。日本語の中には対となっている自,他動詞が多いが,同じ語幹を持つことで共
通しているのがその特徴である。即ち,形態上同じ部分があり,その間に派生関係があるので
ある。」(筆者日本語訳)中国語原文を数えてみると,わずか7行しかない説明で,しかも難し
い概念の羅列だけであり,学生が読んでどこまで理解できたのか疑われるものである。
以上を要するに,自動詞と他動詞の指導に際しては,助詞の使い方を確実なものとしながら
できるだけ多くの例文を挙げ練習させることが早道ではないだろうか。また,他動詞と自動詞
の違いは,結局は行為者に視点を置くのか,もの・事柄に視点を置くかという物事の捉え方の
違いである。日本人が物事を描写する場合は,「人が∼した」という言い方より,「(物事から
見て)こうなる・なったという言い方(自動詞的な表現)」を好む傾向があることは行為者を
表現の中心にしがちな中国人には理解し難いようである。
母語が第二言語の習得に及ぼす影響については個人差があり,それを実証し断言することは
ほぼ不可能に近いようだが,程度の違いこそあれ影響があるのは事実のように思われる。特に
外国語習得する際に,母語からの影響が日本語学習過程全般において伴うものでから,授業者
は「習うより慣れろ」の姿勢と柔軟な気持ちで,学習者が日本語的な表現に慣れるように指導
することも大事であろう。なぜなら,言葉というのは人々の習慣の結晶だからである。
6.敬語および待遇表現について
敬語や待遇表現は第二言語習得者にとっては学習上の大きな関門の一つである。中・上級学
習者にとっても「理屈はわかるが,実際の使用になると緊張して使えなくなる。」というのが
実態のようである。しかも,日本人の敬語の乱れや変化などによって日本人話者を手本としに
くい面もあって,どのように学んだらいいか,留学生が戸惑うことも多い。そこで,ここでは
敬語や待遇表現のどのような点に誤りが多いか,なぜそうなるのかについて調査と分析を行う
こととした。
アンケート調査対象は北陸大学の「2+2」共同教育プログラムの三年生中国人留学生であ
る。全部で25問出題し,有効データになるアンケート回答は100部を得た。質問中誤用率が
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趙 嫦虹,呉 ,笠原祥士郎
50%以上のものは次の9の問であった。(アンダーラインは訂正すべき箇所である。)
(1) 先生は(息子の)一郎のところにおいでいただけたのでございますか。
(誤用率:61%)
(2) お借りした本,コーヒーがこぼれて,汚れました。すみませんでした。
(誤用率:60%)
(3) 地図を書いてくださいませんでしょうか。
(誤用率:59%)
(4) 社長,きょうはお宅に直行なさいますか。
(誤用率:57%)
(5) おコーヒーとお紅茶と,どちらがよろしいでしょうか。
(誤用率:57%)
(6) 日本人の結婚式に招待されましたが,何を持って行きますか。
(誤用率:56%)
(7) 風邪を引きましたからお休みさせていただきます。
(誤用率:53%)
(8)(ワンマンバスの運転手が)お乗りの方は中につめてやって下さい。お互いさまで
すから。
(9) それでは御遠慮なく,サーロイン・ステーキをいただきます。
(誤用率:52%)
(誤用率:50%)
一
以下にこれら9の問がどうして誤りやすいかについて検討していくこととする。
例(1)
「先生は(息子の)一郎のところにおいでいただけたのでございますか。」は完全な
文で直すところはない。したがって,完全文と答えた正解者が39%あった。ところが,「∼い
ただけたのでございますか。」の感謝の気持ちを表す待遇表現は留学生にとっては聞きなれな
い不慣れな表現だと思われる。例(1)を非文法文とみなし,その代わりに「∼にいらっしゃ
ったのでございますか。」や「∼においでになったのでございますか。
」などに書き改めた回答
が多かった。これも敬語表現としては文法的には正しい。ただし,これでは実際は先生が(息
子の)一郎のところに行くことによって一郎が恩恵を被ることに話者である親が感謝している
気持ちが伝わらなくなってしまう。
例(2)
「お借りした本,コーヒーがこぼれて,汚れました。すみませんでした。
」は非文法
文ではない。しかし,「汚れました」だけでは,
「汚れた」客観的事実をそのまま表現したに過
ぎず,迷惑を掛けたことに対する話者の陳謝の気持ちが伝わらない。したがって,「汚してし
まいました。」とすべきである。だが,これも例(1)と同様に非文法文ではないために回答
者の43%が完全文だと回答してしまったのであろう。
例(3)
「地図を書いてくださいませんでしょうか。」は最も丁寧な依頼表現であり,完全文
である。「∼書いてください。」「∼書いてくださいますか。」「∼書いてくださいませんか。」
「∼書いてくださいませんでしょうか。
」の順に丁寧度が強くなる。出題文は最もあらたまった
丁寧な表現である。したがって,実用例も少なく,留学生たちは不自然な表現と感じてしまっ
たのではないか。
例(4)
「社長,きょうはお宅に直行なさいますか。」も間違いのない正しい文である。ここ
では,社員が社長に夕方の予定を聞いている場面が想定される。先ず,職名である「社長」に
「さん」をつけてしまう誤用例があるのではないかと予想したが,予想に反してこうた誤用例
は全くなかった。アルバイト先などで,「店長さん」とは呼ばない経験から学んだのではない
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日本語中・上級中国人学習者を困らせる日本語の問題点に関する一考察
かと思われる。
「なさる」は「する」の尊敬語として正しい。しかし,「直行なさいますか」を
訂正してしまった誤用例が多かった。回答者の多くは「直行」という言葉の意味が理解できな
かったのではないかと思われる。したがって,会話の場面が想定しにくかったのであろう。そ
れで,「直行なさいますか」を「お伺いしますか」に訂正してしまった例がかなりあった。朝
早く,社員が電話できょうは社長の家に迎えに行くかどうかを聞いている場面と考えれば,こ
うした訂正は正しいと言える。出題そのものに問題があったと言えよう。
例(5)
「おコーヒーとお紅茶と,どちらがよろしいでしょうか。
」は外来語に丁寧語の「お」
は付かないという原則から非文法文とした。したがって,非完全文とすべきだが,完全文とし
てしまった回答が42%にも上った。確かに,日本人なら「おコーヒー」は感覚的になんだかし
っくりこないと感じるが,ここでは「お紅茶」と対比されていることによって,「おコーヒー」
も可と考えたのではないだろうか。ただ,この場合,「お酒とおビールと,どちらがよろしい
でしょうか。」であれば,何も問題はない。外来語でも長い言葉には「お」はつきにくく,
「コ
ーヒー」は「ビール」より長いと感じられる言葉である。また,話者が男性か女性かでも状況
は変わって,女性ならば許容される一面もある。何れにせよ,この例については原則はあるも
のの,実際に使用して感覚的に判断すべきもので,第二言語習得者には難しいものである。
例(6)「日本人の結婚式に招待されましたが,何を持って行きますか。」も非文法文とは言
いにくい。だが,この場合,結婚式に招待された外国人の話者が日本人の聞き手に助言・忠告
を求めている場面なので,「∼行ったらいいでしょうか。」に訂正すべきである。中・上級日本
語学習者にとってもこうした待遇表現は使いこなしにくい状況が見えてきた。正解率はわずか
17%しかなかった。誤用の多くは「お持ちする」の謙譲語に訂正している。自分が結婚式に
「持って行く」のだから,謙譲語を使わなければならないと考えたのであろう。
例(7)「風邪を引きましたからお休みさせていただきます。」については,例えば商店など
が「本日は台風によりお休みさせていただきます。」だったら何も問題はない。しかし,この
場合は「風邪を引いたから当然のこととして休む」といった宣言的な響きがあり,職場の上司
や同僚などに迷惑がかかることを考慮していないと感じられる。したがって,ここでは「風邪
を引いてしまいました。まことに申し訳ありませんが,お休みさせていただけませんか(いた
だけませんでしょうか)。」などの依頼表現を使わなければならないが,第二言語習得者にとっ
ては日常的な使用によってはじめて習得ができるものと考えられる。
例(8)「(ワンマンバスの運転手が)お乗りの方は中につめてやって下さい。お互いさまで
すから。」の「つめてやる」は,先に乗っている人があとから乗る人に恩恵を与えることにな
ってしまう。また,「つめてあげる」とすると,逆にすでに乗っている人が下になってしまい,
これも上下関係が生じてしまう。したがって,ここでは「つめてください」か「おつめくださ
い」が妥当である。ここでは,話し手が受ける恩恵行為ではないので授受表現を使用しない場
面での誤用である。
例(9)「それでは御遠慮なく,サーロイン・ステーキをいただきます。
」は「御遠慮」が誤
用である。この場合,話し手の遠慮であるので,「御」をつけてはならないが,聞き手に遠慮
しないように勧める場合には,「どうぞ,御遠慮なく」と言うことができ,第二言語習得者に
とっては混用しやすい例であろう。
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趙 嫦虹,呉 ,笠原祥士郎
二
留学生にとって敬語表現など待遇表現は日本語の最も難しいものの一つとされている。しか
し,他方で彼らは正しい日本語を身に付けることに熱心である。筆者が別の機会に行った「会
話に関する調査」では中国人留学生の多くは,敬語表現を美しい言葉と感じ,それを正しく使
うことに強い憧れを持っているし,敬語の学習にもとても熱心である。したがって,中・上級
者にとっては尊敬語や謙譲語の使い方についてはほぼ正しく理解しそれなりに使用することが
できる。例えば,「(奥さん)主人はただ今出かけられておりますが。」の誤用の指摘などにつ
いてはかなり高い正解率だった。また,上記の調査分析でもあきらかになったように,例(9)
では「お・ご」が尊敬語・謙譲語の何れにも用いられることによる混同があって誤用率が高か
ったのや,例(5)のように原則はあるものの感覚的に習得しなければならないのを除くと敬
語表現そのものについての誤用率は比較的低かった。反面,誤用率の高かったのは「感謝・陳
謝・依頼・助言・恩恵」など敬語以外の待遇に関する表現方法であった。
中国の多くの大学が日本語専門課程3,4年生の文法学習で使用している『新編日語語法教
程』は512頁にものぼる大著であるが,敬語に関する記載は最後の第九章にわずか6頁足らず
しかない。そこでの説明も「敬語とは他人に敬意を表す言葉である。」と述べているに過ぎず,
尊敬語・謙譲語・丁寧語の三種類があることを紹介しているだけである。日本語における待遇
表現の重要性をかんがみると,中・上級学習者に対する説明としてはあまりにも貧弱であると
言わざるを得ない。したがって,中・上級日本語学習者に対して,今後は敬語表現以外のこう
した対人関係の表現についてより重点的に日本語指導が行われるべきであるというのが今回の
調査を通して得られた一つの結論である。
7.むすびにかえて
以上でひとまず,小論での検討は終えたいと思う。
外国語学習は一筋縄ではいかない。中・上級学習者の場合にはなお一層その傾向が強くなる。
とりわけ,「2+2」の日本語教育の場合,中国と日本とでのそれぞれの日本語教育の前後に
連続性がないことは指導上の大きな障壁となってもいる。こうした点を踏まえて,小論では筆
者らの日本語教育の経験上,日本語文法の中で誤りやすいと考えられる点について誤用分析を
行った。その際,中国での日本語教育の状況,特にテキストや指導ステップ上の問題点,母国
語による日本語への影響,中国人と日本人の視点や考え方の相違などに伴う言語表現の違いな
どに焦点を絞りながら考察してきた。
ここで,改めて以上の考察を概括しつつ,今後の中・上級学習者へのよりよい日本語教育の
ための示唆と対策について述べることとする。
まず,助詞については,類義語間の体系的,対照的な指導が求められる。テキストなどで類
義語を体系的,対照的にまとめた一覧表などは,助詞の誤用を防ぐための有効な手段だと思わ
れる。また,助詞の中で最も問題となる「は」と「が」については複文の実用例文による練習
に力を傾けたらいいのではあるまいか。形容詞については,中国語にはない日本語特有の感情
形容詞の用法に力点をおいた指導が望まれる。
自・他動詞をマスターするには,助詞の使い方を確実なものとしながらできるだけ多くの例
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日本語中・上級中国人学習者を困らせる日本語の問題点に関する一考察
13
文を挙げ,練習させることが早道であろう。もちろん,内容の充実した教科書の完備も要請さ
れると思う。しかし,自・他動詞の問題は単に日本語の文法上の問題だけにとどまらず,社会
心理や慣習などの違いなども大きく絡んでいるため,発想の違いや物事の捉え方の違いなどに
ついて理解することが大切であろう。
敬語については,日本語における待遇表現の重要性をかんがみると,中国での日本語教育に
おいて待遇表現に関する指導はあまりにも貧弱であると言わざるを得ない。特に,中・上級日
本語学習者は敬語についてはその使い方はほぼ理解している一方で,中国語ではほとんど見ら
れない対人関係の表現についてより重点的な日本語指導が行われるべきであろう。
本研究の成果が編入留学生の日本語学習に幾らかでも寄与できれば幸いである。また,本研
究は学生間の国際交流と共に姉妹提携校の教員による共同研究によってなされた意義は少なく
ないと考える。すなわち,本研究を通していわゆる「2+2」の中国と日本の日本語教授者が
それぞれの学生の日本語学習における実状や問題点を互いに認識しあうことは今後の共同教育
プログラムの発展にも少なからざる寄与をもたらすであろうことを信じてやまないものである。
参考文献
国際交流基金 日本語国際センター 2000年『教師用日本語教育ハンドブック③ 文法Ⅰ 助詞の諸問題
1』 凡人社
三吉礼子 吉木徹 米沢文彦 2002年『すぐに使える 実践日本語シリーズ9 助詞(初・中級)』 専
門教育出版
劉培栄 2004年「接続助詞「たら」の意味と用法について」(大連大学主催『中・日・韓日本言語文化研
究国際フォーラム』)
森田良行 1996年『基礎日本語辞典』 角川書店
西原玲子 川村よし子 杉浦由紀子 1988年『外国人のための日本語 例文・問題シリーズ5 形容詞』
荒竹出版
孫艶華 1999年「感覚,感情形容詞小議」 『日語学習と研究』(1999第3号)
市川保子 「日本語誤用例文小事典」 凡人社
吉川武時 1997年「日本語誤用分析」 明治書院
張威 1996年「結果可能表現の研究」 くろしお出版
石田敏子 「入門日本語テキスト法」 大修館書店
朱春躍 1998年「基礎日語教程」 外語教学與研究出版社
周平 1998年 「新編日語」 上海外語教育出版社 松岡弘 2003年「日本語文法ハンドブック」 スリーエーネットワーク
楊凱栄 「文法の対照的研究―中国語と日本語」『講座 日本語と日本語教育5』明治書院
小川誉子美 前田直子 2003年『日本語文法演習 敬語を中心とした対人関係の表現―待遇表現―』 ス
リーエーネットワーク
野元菊雄 1987年『敬語を使いこなす』 講談社現代新書
皮細庚 1987年『新編日語語法教程』 上海外語教育出版社
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