page 15 Life Technologies い つ 行 く ? どうす る ? 海 外 留 学 Title Name やると決めたらどんな環境も楽しむ ! バイオイメージングで 世界のトレンドセッターへ Number 04 宮脇敦史 氏 (理化学研究所 脳科学総合研究センター 細胞機能探索技術開発チーム シニアチームリーダー) 色 鮮やかに生 命 のダイナミクスを描き出す蛍 光イメージング。 を窓側席に押し遣りながらおもむろに” Can I sit here? ”その 宮 脇 敦 史 氏 は、サンゴやウナギから新 規 の 蛍 光タンパク質を 後およそ 3 時間半にわたってツェーン博士を拘束することに成 遺 伝 子クロー ニングしたり、カルシウム、レチノイン酸や細 胞 功。GFP や FRET に対する思慕をうまく打ち明けることができ 周期の動態を可視化するプローブを開発したり、また、生体組 ました。四方山話もはずみ、ツェーン博士の独創的な考え方を 織を透明化する試薬を開発するなど、バイオイメージング技術 じっくりと味わうことができました。バスがボストン市内に入る 開発分野で独創的な成果を出し続けています。宮脇氏は 1995 頃には二人の議論はかなり具体的なものに発展。いつもは疎ま 年∼ 98 年に米国カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学、後 しきあの渋滞もこの日ばかりはあはれなり、だったそうです。そ ( 2 0 0 8 年 )に「 G F P の 開 発 」でノー ベ ル 化 学 賞を受 賞 するロ の翌年の 9 月に、宮脇氏はヒューマンフロンティアサイエンスプ ジャー・ツェーン博士に師事しました。ユニークな留学体験から ログラムのグラントを携えてツェーン研究室に参入します。 若手研究者への提言までを 2 回にわたってお届けします。 やると決めたら… 留学初日に研究室を一回りして唖然としたそうです。合成化学 学部生時代は蛍光オタク が専 門 の 研 究 室には、分 子 生 物 学に必 要 な 機 器や試 薬がまっ 今は昔の 1984 年、慶應義塾大学医学部の学生だった宮脇氏は、 たく見当たらなかったから。2 時間ほど呆然として、でも早早に 遺伝子の転写調節機構に興味を抱いて図書館で文献を漁りな 行動を開始。キャンパス内にできるだけたくさんの友人を作り がら、FRET( 蛍 光 共 鳴エネルギー 移 動 )の 総 説に出 会 います。 始めました。他の研究室の研究員やテクニシャンと知り合いに そして「自分は FRET をライフワークにするかも」と身体の震え なり、実 験 試 薬を分けてもらい 実 験 器 具を使わせてもらう、か を感じながら読み切ります。遺伝子転写調節に関わる分子間相 わりに GFP 技術を指南する、ときどき日本のおいしいお菓子の 互作用を FRET で解析してやろうと意気込みますが、頭でっか 差し入れも。そんな(営業)活動のおかげで、機能的な人的ネッ ちの 一 学 部 生を受け入れてくれる研 究 室は見つかりませ んで トワークが出来上がりました。夜間の清掃係のおじさんと仲良 した。そうこうするうち時は 90 年代に移ろい、東京大学の御子 くなったことで残業実験も可能になりました。こうして、いくつ 柴 克 彦 氏 の 研 究 室 の 助 手として IP3 受 容 体とカルシウム動 態 もの研究室に僅かなマイスペースを確保し、フラスコやアイス の 研 究に明け暮れることに。折しも 90 年 代 初 頭は GFP と分 子 ボックスを抱えて廊下、階段、そして屋外を走り回る日々が続き 生物学が融合した時代。1994 年、光る線虫の写真が Science ます。 「必要に迫られたら何でもやる。やると決めたらどんな環 誌 の 表 紙を飾るのを目の 当たりにし、 「 遺 伝 子 転 写も IP3 もカ 境も楽しむ、これが私のやり方です」。 ルシウムも何もかも、GFPとFRET を組み合わせて可視化しよ ▶ 次号へ続く う! 」新しい蛍光イメージングを創るぞと志を立てます。 Can I sit here? ツェーン博 士は、1980 年 代に細 胞 内カルシウムイオンの 絶 対 濃度を測定する蛍光指示薬 fura-2 などを開発、90 年代初めに 2004 年慶應義塾大学医学賞受賞 は GFP の 色 変 異 体 の 作 製にも着 手していました。生 命 科 学 研 で来日したロジャー・ツェーン博士と 究を進展する革新的ツー ルを数多く開発し、蛍光イメージング 宮脇氏。 の 創 始 者と呼ばれるツェーン博 士 。 「 当 初はまったく雲 の 上 の プロフィール: 1987 年慶應義塾大学医学部卒業、1991 年大阪大学大学院医学系 人、近寄りがたい存在でした」と宮脇氏は振り返ります。しかし 研究科博士課程修了、1993 年東京大学医科学研究所助手、1995 ∼ 1998 年米国 1994 年の夏、千載一遇とも言えるチャンスが到来します。米国 カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究員を経て、1999 年より理化学研究所脳 ニューハンプシャーでカルシウム関 係 の 学 会が終 了し、ボスト 科学総合研究センター先端技術開発グループ細胞機能探索技術開発チームリー ダー、2004 年より同グループディレクター、2008 年より同センター副センター長、 ン・ローガン空港に向かうバスに乗り込む参加者の列で、宮脇氏 現在に至る。2006 年∼ 2012 年に科学技術振興機構 ERATO 生命時空間情報プロ はツェーン博 士 の 背 後にひょいと回りこみます。ツェーン博 士 ジェクト研究統括を兼任。 Copyright © 2014 Life Technologies Corporation. Used under permission. Next_22戻し.indd 15 13/11/22 15:12
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