かささぎ 一つの大きな家族のように 北京日本人学校 学校通信 12 月 号 平成26年12月25日 校長 多田 賢 一 教頭 髙橋 勝 師走の風はきびしく朝は毎日氷点下になりますが,子どもたちは元気に登校しています。小学1 年生も,年度当初にくらべずいぶんとたくましくなりました。 そんな1年生の保護者の中には,本校を卒業された方がいらっしゃいます。入学式に出席された 折,感慨もひとしおだったとお聞きしました。その方から,在籍当時に校長をされていた矢野嘉三 氏より託されたという貴重な資料をご寄贈いただきました。 早速ひもといてみますと,開校から校舎設立までの関係者の皆様のご苦労が偲ばれました。以下, 資料を参考にその足跡をたどりたいと思います。 1972年の日中国交回復の前後より,北京には家族帯同の転勤者が増え,それにともない学童も増えました。 それまで自宅学習を続けていた子どもたちは,72年の夏にようやく現地校に通えるようになりましたが,すべ て中国語による授業でした。子どもたちが中国人小学校の生活に慣れる一方で,保護者は日本語教育の必要性を 感じ始めました。そして,一部保護者の間から,寺子屋式でもよいから日本語教育を行ってほしいという要望が 大使館に提起されました。 こうして開設されたのが,本校の前身である北京日本人学童補習校です。開設にあたっては当時の大使館書記 官が,何十回に及ぶ外務省との折衝やアンケート調査,子ども用の机・椅子の発注,校具の調達,運営要項の作 成,その他関係団体への陳情などに献身的に取り組まれたそうです。 そして補習校開設の2年後,1976年4月26日に北京日本人学校の開校式が挙行されました。開校当時の 児童生徒数は,小1から中1まであわせて17名。学級数は,小1・2年クラスと3~6年クラス,中1クラス の3クラスでした。教員は校長を入れて3名,校舎は大使公邸の庭にあった建物の半分を使用し,5教室に分か れて授業を行いました。 創立当時は無我夢中だったという言葉が,田寺英治初代校長の文章にみられます。現地の様子がわからない, 言葉が正確に伝わらない,中国人スタッフの管理指導も思うようにいかず,教材教具は不足し,教員も複式学級 のため教材研究が大変だったようです。しかし,大使館や父母会とも連携し,子どもたちの笑顔が絶えない学校 づくりを続けていきました。子どもたちの作文には,「わたしは,ペキン日本人学校が,一ばんすきです」「日 本の学校よりずっと楽しくて一生忘れない」「先生方は,今この学校を世界一の学校にしようとがんばっている がその必要はないと思う。それはこの学校が世界一の学校だからだ」「全てが手さぐり,手作りで,学校という よりは,一つの大きな家族のようだった。」などの言葉が残っています。 日本人学校が開校して10年経過した頃には,児童生徒数が100名を大きく上回っていました。教室も手狭 になり,最前列の机は黒板に密着し,教師も子どもたちも机の 間を蟹のように横這いしなければならない状態でした。そこで 当時の中国大使・中江要介氏が中心となって各方面に働きかけ, たくさんの方のお力添えをいただき,1988年には現在私た ちが使っている校舎が建てられました。ご尽力いただいた方の 中には,『大地の子』をお書きになった山崎豊子さんのお名前 もありました。胡耀邦総書記の前で蟹の横這いを自ら実演して, 中国側の早急な対応を迫られたそうです。 7月8日の竣工式に,すでに帰任されていた中江大使より届 いた祝電には「新校舎の恩恵を受けられる皆さんは,これらの 方々のご苦労を片時も忘れることなく常に感謝の気持ちをもち 続けて下さい。私も,これらの方々の前に脱帽最敬礼をいたし ます」との言葉が添えられておりました。 【校舎移転前の北京マップ】 本校も来年は開校40年目を迎えます。こうした様々な方の教育への情熱とご尽力にあらためて 敬意を表し,今できることに精一杯取り組んでまいる所存です。 鑑賞教室を終えて 学習部 11月28日(金)に,鑑賞教室が行われました。今年度は石器時代 に起源があるともいわれる中国雑技の鑑賞を行いました。舞台上ではな く,体育館の中央で演目を鑑賞することで,技の素晴らしさがより一層 伝わってきました。 人間離れした体のしなやかさや運動会でおなじみ中国ゴマの演技に, 子どもたちは驚嘆の声を上げていました。ストーリーのある表現演目で は,ときに笑いが起こり,表現力の豊かさを感じることができました。 子どもたちに大変好評だったようで,「すごかった。」「また見てみた い。」という感想がとても多かったです。 こうした機会を通して,さらに中国の文化や芸術などに親しむきっか けとなればと思います。 日中国際交流弁論大会を終えて 中学部 11月11日(土)に第 27 回中学生日中国際交流弁論大会が開催されました。今年度は,月壇 中の主催で,弁論大会が天泰ホテルで,交流会が月壇中学校で行われました。 昨年度までと同様に,北京日本人学校の生徒は中国語で,そして月壇中学校の生徒は日本語でそ れぞれスピーチを行いました。その後,生徒同士の交流も行われました。今年度は昨年までと違い, 同じテーマをそれぞれ調べてきたため,交流がスムーズに行われたと思います。日中関係が懸念さ れている中,継続して行われてきたこの行事が今後も伝統の火を消すことなく続けられるよう努力 していきたいと思います。
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