:こ可 I綸 ´ │ 東京アマデウス合 唱団 第 12回 定期演奏会 リリアホーJbOII口 ) L『 α鶴 に スモーツァル ト 7 マリア、 マーテ′ ン ・デイ サンクタ。 Sancta Maria,mater Dei KV 273 4>i)v.-f17'. a1)r-)va Inrer naros mulicrum KV. ?2(74i) オルガン独 奏 アダ ー ジ ョとア ン グ ロ ヘ 短 調 Adagio&Anegro imon KV 594 ファンタジー ヘ 短 調 Fa■器y「 mou KV 618 ドミニクス ミ サ Misa in C Dominicus Mcsse KV 66 TTTTTTTT Tokyo Amadeusい orus TTTTTTH ご あ い さ つ 本 日は、 ご多用の中、大勢 の方々にお越 しいただきました。 まことに有 り難 く、団員―同心か らおネL申 し上げます。 1980年 の創立以来、東京アマデウス合唱団はみなさまの曖か いご支援をいただき、良き指導者に恵 まれてこれ まで活動 して まいりました。 このたび、モーツ アル ト没後 200年 の記念すべきこのとき、 この素晴 らしいホール を会場 として「第12回 定期演奏会」を開 催する運び とな りましたことは、私達にとりましてこの上ない 喜び といたす ところです。 今回は主題演 日として、モーツ ァル トの13才 というごく若 い 才気ほとば しる時期の作品を取 り上げました。もとより徴力で はありますが、斎藤明生氏の指導の下、『 丁寧な音楽創 り `を 終局の 目標に して、 これ まで精進 してまい りました成果をご披 露 いた します。 また1987年 以来、当日の活動に多方面に渡つて協力を頂 いて いる水野克彦氏による、本ホール 自慢 のパイプオルガンの独奏 をご鑑賞 いただくプログラムも用意 いた しました。 晩秋の今宵、モーツァル トアーベ ントとして、音楽の楽 しみ と歓びをみなさまと共有することができますれば、これに優 る 幸せはあ りません。 1991年 11月 0日 東京アマデウス合唱団 EE長 瞥 彎 請 S hC0 1980 橋 本 克 久 ΥttTTTTTTTT cノ や /晰 贋作 モーツァル ト日記 ・ ミサ(K66)に 関する抜粋 (1)ド ミニ クス 1769年 10月 15rl カイエ ター ン(注 1)の 初 ミサが無事終わった。おっと、どうも昔のよ しみで カイエ ターンと呼んで しまう。 これか らは、聖ペテ ロ教会(注 2)の 修道司祭 ドミニ クスと呼 ばなくてはいけない。それにしても立派になつたもんだな ぁ。 ミサの山は、もちろん、彼の古 くからの友人であるモーツァル ト氏の作曲。去年、 大喝采を浴びた孤児院教会での ミサ以来、待望の荘厳 ミサ第 2作 日とい うわけだ。 ミ サ も音楽も言 うことな し。 ミサの後30分 ばかリオルガンを即興でひいたら、みんな驚 いていたっけ。 まじめなカイエ ターンの ことだ、きっと今頃、今日のことを日記 (注 3)に つ けて い るにちがいな│ヽ 。 ・ ハーゲナウアー。 ハーゲナウアー家はそ―ツァ (注 1)カ イエ ター ン・ ルーベル ト ル トの生家のliち 主で、カイエ ター ンはそこの 4男 。モーツァル トよりも10 ,年 にであ ったが 特に仲が良か ったと言われている。 (注 2)ザ ルツプル グにあるPペ テロ修道院付属教会。後年、モーツァル トはここで、 妻 コンスタンツ,つ ツロにより「 ハ短調 ミサJの 初演 も行 っている。 (注 3)ド ミニ クス師はi ここの修道院の院長になっている。彼 は,t帳 面な人で、 こ の 日の ことも克り,こ 記 した日記が残 されている。 ◆ (2)イ ンテルナー トゥス・ ム リエルム(K72(74f))に 関する抜粋 1771年 5月 14:1 先日、/2tネ し′聖 ヨハネの祝「lに ザルツプルグ司教座聖堂で奉納する山の依頼があっ た。聖 ヨハ ネと間 くと、人好きだったヨハ ンネス神父のことを思い出して しまう。そ うだ、一締に歌 った「 ぼ くの人好 きなハ ンス(泊 ■)」 の踊 っているような フ レーズを ヽネ」の一節にぴ ったりだ(注 5)。 山に使おう。「 ルカによるillキ 書」の「聖 ヨ′ (,14)ザ ルツプルグ地方の時 綺。 、ネの母エ リザベ トは聖母マ リアが訪オ (注 6)pョ ′ 1た 際に「胎1ヽ で子供が踊るJの を体験 したという。 (3)サ ンクタ・ マ リア・ マーテル・ デ ィ(K2,3)に 関す る抜粋 1777年 9月 On 1呂 今度の聖 lサ マ リアの祝 「 !(12日 )の ために-11の 昇階 (注 6)を 書いた。 で も、 本 当 パ のためなんだ マ リ旅 リア様 は今度の もきっと許 して くれ るに違 行 (注 7)の 人成功 。 いない。 だ って、 とて も素晴 らしい(llだ か ら。 (注 6渭 階唱とは ミサの時に書簡と福昔書の11に 唱えられる同●文のこと。 (,L')│1発 は23口 。 このパ リrl行 は大司教の論:可 がなかなか得られず、父はザルツ プルグに留まり、母と 1人 で‖1発 したが、途中母が病死 したうえに、パ リで 認め られず、散々な結果となった。 ‐ (0自 動オルガンのためのアダージョとアレグロ(K594)に 関する抜粋 1790年 12′ 12日 (注 8)か ら頼まれた自動オルガンのための山がようや く完成 した。正直 ダイム 『 舟 言 って、気がの らない仕事だったが、 コンスタンツェの薬のためとあらば仕方がない。 そオtに して も、あの 自動オルガンの ビーピーと│口 高い音、何とかな らない もんだろう 力、 木物のオルガ ンだったらなぁ(注 9)。 (注 8)当 時ウィーンでかなり人気があったウィーンの蝋人形館の経営者。 (注 0)il記 の内容に反して、できあがつた由は優れたものである。そ―ツァル トは オルガンの名手であったが、すべてll'興 であったため、作品としてはほとん ど残っておらず、わず力│こ 自動オルガンのための性品があるのみである。 ‐ (5)自 動オルガンのためのファンクジー(K608)に 関す る抜粋 1791年 3月 3旧 ダイムlll爵 か ら依頼のlhが 完成 した。前に作 ったアダージョとアレグロがえ らく評 半Jだ そうで、それはru構 なことだが、またまたあの 自動オルガンのための曲 とは。生 活のためだ、仕方がない(注 10)。 のrl動 オルガンのための4品 は3曲 あるが、これらの曲は、オ (71:10)モ ーツァル ト ース トリア帝FIの 英雄で、90,7月 に死んだラウドン元nIを まつ る蝋人形の 詢前の自動オルガンのために使われた。 古沢 忠久 聾曲 ツプラ ノ 高 橋 節 アル ト 菫 F々 ¬で 由 テ ノー ル メ (膚5 バ 東京芸 術大学 卒業。 同 大学 院在学 中。 伊原直 子.戸 田敏 子 藤 田道 子 の 各氏 に3T事 。 パ ッ ハ 「 カ ンター タ1(0番 J「 カ ンター タ 106番 J そ ―ツ ァル ト「 ミサ ulハ 短調 」「 ウ ェスペ レ」 等 の ソ リス トを務 め る。芸 大 バ ッパ カ ンター タ クラフに在籍。 平成 2年 度文化庁国内研 修 員。 二 期会準会 員。 子 ,専 香 東 京 芸 術 大学 卒 業 同 大学 脚 好 。 関 里 西 フ ラ ン ス音楽 コ ン ク ール 第 4回 日仏 声 楽 コ ン クー ル と もに 1位 。 1987年 よ リパ リ留 学 。 その 間 ケル ビー ノ役 (フ ィガ ロ)で の オ ペ ラ デ ビューが 好 評 を 博 し レ ンヌ歌 劇 場 と契 約 。 トゥー ル ズ国 際 コ ンクー ル・ リオ・ デ 。ジ ャ ネ イ ロ国 際 コ ン クー ル 入 賞。 中 村 浩子 . C モ ラ ー ヌ メスプ レに 師 事。 中 央 大学 法 学 部 卒 業後 1981年 東 京芸 術 大 学 声 楽不 1入 学 。 渡 辺 高 之 助 高 丈 二 .中 山悌 ― Lの 諸 氏 に師 事 。 36∼ 88年 ミュ ンヘ ン 原 田茂′ 許 人で エ ル ンス ト・ ヘ フ リガ ー氏 に学 ぶ 。 8, 年国 際 シュー マ ンコ ン クー ル 411。 ,0年 以 来 フ ィ ッ シ ャー・ デ ィス カ ウ氏 に 師 事 して い る。 ,在 東 京芸 大 博 ■課 程 在議 Ⅲ。 ス 単 子 冽ド ゞr_ノヽ 東 京 芸術 大学 卒 業。 同 大学 院 在学 中。 伊 藤 亘 行 原 旧茂「 ′ 多 [口 羅 迪 夫.羽 根功 二 の 各氏 に FT事 。 ■ 人 メサ イヤ の ソ リス トに選 抜。 そ ― ツ プル トの ミサ ll バ ッハ の カ ン ター タ等 の ソ リス トと して 多 くの 合唱 団 と共演 して い る。 合唱指 rF者 と して も活 用 中。 オ ルガ ン フК 里 子 ft,多 東 京 芸 術 大学 卒 業。 ビア ノを滝 崎 鎮 代 ir ク ラ リネ ッ トを 千 葉国 男 室 内 楽 を細野 孝 興 ォ ル ガ ンを 今 奈緒 子 の 各氏 にlT事 。 現 在 は ビア ノlF奏 '「 オ ルガ ン 通 奏 低 音 の 他 . 合唱 lL導 作 11と 幅 広 く活 躍。 1,87年 よ り当 合唱 「 奏 合唱 I旨 導 を担 当。 l11の ビア ノイ . 揮藤 指斎 リヨイL 東 京 芸術 大学 卒 業 。 同 大学 院 修 了。 R フ ィ フ ッテ ン ロ ッハ ー.池 宮 英 ッシ ャ ー Ph ′ 小 林道 人の 各氏 に師 事。「 マ タイ受 難 11. 「ヨハ ネ受 難 IIIJ「 口短 調 ミサ 」「 メサ イ ヤ 」 な どの ソ リス トを 務 め る。 現 在 東京 バ ッハ ア カ デ ミー講 師 芸 人バ ッハ カ ン ター タ クラ ブ ヴ ォイ ス・ ラ ボ所 属。 宗 教 音楽 研 究 会 合唱 団 指 lT者 1987年 1月 よ り当 合 唱団 の 指 導 に 当 って い る。 東 京 ア マ デ ウ ス合 唱 団 ソプ ラ ノ/大 久 保 ル ミ子 落 合直 '「 金城 恵 美子 杉 m朝 美 鈴 木奈 々 子 鈴 木 真澄 須藤 lF代 辻 村11子 橋 本 lt,ケ 「 長 谷川敦 子 本11真 樹 吉野 み ど り ア ル ト/伊 藤 正 子 り│卜 や す 子 人岩 ,子 力1藤 美徳 子 川 島淳 子 国 府 m文 子 小 林 真 子 重 泉秀子 高 橋理 子 辻 敏 子 野 nl妙 子 Fl口 淑 千 平野 玲 子 宮 崎 米子 馬 嶋 ‖]紀 テ ′― ル /伊 原 宏 大 久 保 副 片 岡 繁 中 屋哲 夫 古 沢忠 久 松 平新 太郎 吉 nl― 郎 ベ ー ス/赤 羽 根 恵 吉 落 合良 式 根 本 nl 橋 本 克 久 野 il 碩 船 失幸― 198,FeOruaげ Mo2art:REOUIEM Q全 !AH 1982 November Faじ ,● :REOulEM 1981 Novem“ 子Hande:MI・ ,983 September m02art:KRONUNOS MESSE 1984 September m02● 1986 0ctober Dach ":REOu[Ell :KANTATE N■ 1“ 1086 0ctober llo2a":GROSSE Mr― :987 0ctober Sch:● :M胚 漱几,X中 ,988 December mo2art,vESPERAE 1989 November Mo2art:REOU:EM 1991 FebruaO 1991 Novembe「 Mo2a":uTAN:AE M02art:DOMINICuS MESSE ,(京 アマデウス合 団 '呂 含 唱団員募集 毎週 水曜 日早稲 Hlの 教 会 で練 習 して い ます。 私 た ちと一 緒 に歌 ってみ ません か 。 見学 も歓迎 で す。 習 所 0練 0場 毎週水曜 日、mO:30∼ 9:00 早稲田奉仕国・ スコットホール (地 下鉄早稲田から徒歩 0今 ) ●指導者 斎藤朝生 ●会 入El費 費 団 1000円 費 3、 000円 /月 他 に楽譜代等 ライ 'ル ガフリンス9ン
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