アンモニアの大気動態と自動車排ガスの影響

アンモニアの大気動態と自動車排ガスの影響
埼玉県環境科学国際センター
松本 利恵
1.はじめに
アンモニア(NH3)は、大気中の主要な塩基性物質であり、環境の酸性化や生態影響を検討するうえで
もきわめて重要な物質である。NH3 の主な発生源として、家畜排泄物や化学肥料の施肥などがよく知られ
ているが、加えて自動車からも相当量が排出されている(兼安ら、2002)。自動車由来の NH3 は排ガス処
理装置内の三元触媒等による窒素酸化物(NOx)の還元により発生する。その NH3 発生量は、エンジンに
供給される空気と燃料の混合比が燃料過剰側になった場合や、触媒が十分に高温になったとき、エンジ
ン負荷が高くなる加速時などに多くなる(成澤、2003)。しかし日本国内においては、自動車から排出され
る NH3 に注目した環境測定に関する報告はまだ少ない。
そこで、自動車から排出される NOx と NH3 の道路周辺の環境濃度への影響を明らかにするために、埼
玉県内の幹線道路と対照となる地点を選定し、3種類の調査を実施した。その、①幹線道路沿道と農業
地域で沈着量、大気濃度を約2年間連続測定した比較調査、②県内各地の土地利用状況が異なる 6 地
点で 1 年間継続して NH3 濃度測定を行った広域調査、③幹線道路の周辺地域の濃度分布調査の結果
について報告する。
2.調査方法
2.1 幹線道路沿道と農業地域の比較調査
調査は、県央部の鴻巣市内の鴻巣天神自排局(鴻巣自排)及び騎西町の埼玉県環境科学国際センタ
ー(騎西)において実施した(図1、表1)。鴻巣自排は国道 17 号(平日交通量約 5 万台/日(H17 年度道
路交通センサス))の南西側、道路端から歩道を挟み約 3 m に位置する。国道 17 号は首都圏から北関東、
上信越方面への主要幹線道路である。騎西は鴻巣自排から北東方向約 4.5 km の田園の広がる農業地
帯に位置しており、国道 122 号(約 2 万台/日)から南西に約 2.1 km 離れている。周辺は水田が多く、畜産
関係の施設は北西約 2.5 km に養豚場がある。
沈着物は、常時開放型ろ過式採取装置を用いて、
2000 年 11 月から 2003 年 5 月まで約 4 週間単位
で採取した。測定項目は、導電率、pH、イオン種
濃度(Na+ 、NH4+ 、K+ 、Mg2+ 、Ca2+ 、Cl- 、NO3- 、
SO42- )とした。両地点の降水量は採取量と採取面
積から求めた。
ガス状物質及び粒子状物質中のイオン種濃度は
フィルターパック法(FP 法)( EANET,2003)により
2001 年 3 月 29 日から 2003 年 5 月 29 日まで 1-2
週間毎に測定した。
NOX 濃度や風向、風速等については、両調査地
点の敷地内にある大気汚染常時監視測定局の測
図1 調査地点
定結果を用いた。
-1-
2.2 県内各地の NH3 濃度調査(広域調査)
調査は、幹線道路沿道:2 地点、市街地:2 地点、農業地域:1 地点、山地:1 地点の計 6 地点で、2007
年 1 月から 2007 年 12 月までの 1 年間実施した(図1、表1)。
幹線道路沿道の調査地点は、県南部戸田市内の戸田美女木自排局(戸田自排)と鴻巣自排である。
戸田自排は高速埼玉大宮線(約 4 万台/日)、一般国道 17 号線(約 8 万台/日)の西側、道路端から歩道
を挟み約 8 m に位置する。北側約 200 m には東京外環自動車道(約 8 万台/日)、一般国道 298 号(約 3
万台/日)も存在する。市街地の調査地点は、さいたま市内の埼玉県浦和大久保合同庁舎(さいたま)と鴻
巣市内の鴻巣一般局(鴻巣)である。さいたまは国道 17 号(約 7 万台/日)から西側に約 600 m、鴻巣は国
道 17 号(約 5 万台/日)から東側に約 450 m 離れている。農業地域の調査は、騎西で実施した。人為的な
影響の少ない山地の調査地点として、東秩父測定局(東秩父)で実施した。東秩父は秩父山地東縁の標
高約 840 m に位置する県のバックグラウンド測定局である。
NH3濃度は、多地点で同時測定を行うためパッシブサンプラー(PS、小川商会製)(横浜市環境科学研
究所、2002;Roadman et al.,2003)を用いて測定した。捕集期間は約半月とした。一酸化窒素(NO)、二
酸化窒素(NO2)濃度等は、各調査地点または最寄りの大気汚染常時監視測定結果(埼玉県)を用いた。
2.3 幹線道路周辺地域の濃度分布調査
調査は、戸田自排、県東部草加市内の草加花栗自排局(草加自排)、県南西部朝霞市内の朝霞幸町
自排局(朝霞自排)周辺(図1、表1)の幹線道路からの距離約 500 m の範囲の地域で、2005 年 11 月と
2007 年 6-7 月に約 2 週間の濃度分布測定を実施した。対象とした幹線道路は、戸田自排が高速埼玉大
宮線、一般国道 17 号線、草加自排が一般国道 4 号線(約 5 万台/日)、朝霞自排が一般国道 254 号線
(約 4 万台/日)である。
NH3、NO、NO2 濃度は、パッシブサンプラー(PS 法、小川商会製)を用いて測定した。各地域の PS の設
置数は NH3 測定用、NOx 測定用それぞれ、戸田自排の 2005 年調査が 15、14 地点、2007 年調査が 15、
15 地点、草加自排が 17、11 地点、朝霞自排が 18、18 地点である。
表1 調査地点一覧
調査地点(地域区分,主な対象道路,平日交通量)
調査期間
調査項目 : 測定方法
1.幹線道路沿道と農業地域の比較調査
鴻巣自排(道路沿道,国道 17 号,約5万台/日)
2000.11 - 2003. 5 (沈着量)
沈着量: 常時開放型ろ過式バルク
騎西(農業地域)
2001. 4 - 2003. 5(大気濃度)
大気濃度: FP 法、常時監視測定
2007. 1 - 2007.12
NH3 濃度: PS 法
2.県内各地の NH3 濃度調査(広域調査)
鴻巣自排(道路沿道,国道 17 号,約5万台/日)
戸田自排(道路沿道,国道 17 号,約8万台/日)
NO、NO2 濃度: 常時監視測定
鴻巣(市街地) さいたま(市街地)
騎西(農業地域) 東秩父(山地)
3.幹線道路周辺地域の濃度分布調査
戸田自排(道路周辺,国道 17 号,約8万台/日)
草加自排(道路周辺,国道4号,約5万台/日)
朝霞自排(道路周辺,国道254号,約4万台/日)
2005.11.14 - 2005.11.25
(戸田自排、草加自排)
2007. 6.25 - 2007. 7. 6
(戸田自排、朝霞自排)
-2-
NH3、NO、NO2 濃度: PS 法
3.結果および考察
表2 一対の標本による平均の検定(t 検定)の結果
鴻巣自排で大(高)
3.1 幹線道路沿道と農業地
差なし
(幹線道路沿線)
域の比較調査
(農業地域)
約2年間調査を実施した鴻
沈着量
巣自排と騎西における地点間
(n=27)
Ca2+,NO3-, SO42-
の差について一対の標本によ
粒子濃度
Na+, NH4+, K+, Mg2+,
る平均の検定(t 検定)を実施
(n=79)
Ca2+, Cl-, NO3-, SO42-
した(表2)。鴻巣自排の NH4+
ガス濃度
沈着量、NH3 は、騎西より有
(n=79)
意に大きくなり、これは自動車
NH4+
NH3
騎西で大(高)
降水量,K+,Mg2+,
HNO3, SO2
Na+, Cl-, H+
HCl
両側 t 検定,有意水準 0.05 %
から排出された NH3 の影響と
考えられた。しかし、NH4+ 粒子
濃度は地点間の差がなかった。
Na+ 、 Cl- 、 H+ 沈 着 量 お よ び
HCl 濃度は、騎西で有意に大き
かった。鴻巣自排の H+ 沈着量
は、NH3 による中和により減少し
たと考えられる。海より約 45 km
離 れた騎 西 と鴻 巣 自 排 で海 塩
の影響に差があるとは考えにく
いので、騎西の周辺で頻繁に行
なわれている稲わら等の野外焼
却により Cl- 沈着量および HCl
濃度が大きくなったと思われる。
Na+沈着量については不明であ
る。
推移をみると、NH4+ 沈着量は冬
季より夏季に大きい(図2)。NH4+
粒子濃度と粒子化率は冬季に高
く、夏季に低くなった。NH3 濃度と
NH4+ 粒 子 濃 度 の 和 を T-NH4+ 、
HCl、 HNO3 と Cl- 、NO3- 、SO42粒子の当量濃度の和(SO2 除く)
を T-anion と定義する。T-NH4+と
T-anion の当量濃度比 [T-NH4+] /
[T-anion] は騎西より鴻巣自排で
大きいが、鴻巣自排だけでなく騎
西においても常に 1.0 より大きい。
したがって、両地点ともに過剰な
+
T- NH4 が存在していた。
図2
比較調査における NH4+ 沈着量、NH3 濃度、NH4+ 粒子濃度 、
NH4+粒子化率および総アニオン(T-anion 、SO2 除く)に対する
総アンモニウム(T- NH4+)の割合の推移
-3-
鴻巣自排では自動車から NH3 が供給され、
NH3 ガス濃度は高くなったが、NH4+ 粒子 の
明らかな増加は認められなかった。これは、調
査 地 点 間 に NH3 と 粒 子 生 成 で 対 と な る
T-anion 濃度に違いがなかったためと考えられ
る。
T- NH4+と NOx のモル濃度比([T- NH4+] /
[NOx])は、NOx 濃度が鴻巣自排>騎西という
こともあり、鴻巣自排で 0.08-0.23(平均 0.15)、
図3 [T-NH4+] /[NOx]比の推移
騎西で 0.16-0.67(平均 0.39)の範囲で推移し
た(図3)。[T- NH4+] / [NOx]比は冬
の鴻巣自排と騎西の違いは小さい
が、騎西では季節変化が大きく夏に
増加した。鴻巣自排は夏に増加する
傾向はあるものの、騎西に比べて変
動が小さかった。この違いは、鴻巣
自排では幹線道路から自動車排出
ガスが定常的に供給されるため、道
路上を走行する自動車(ガソリン車、
ディーゼル車、その他混合)の排出
ガス中の[T-NH4+] / [NOx]比に近い
値で推移したためと思われる。
3.2 県内各地の NH3 濃度調査
(広域調査)
各地点の NH3 濃度、NO2 濃度、
NO 濃度、[NO] / [NOx]比および Ox
濃度の経月推移を図4に示す。
NH3 濃度は、鴻巣自排 > 戸田
自 排 > 鴻 巣 ・さいたま・騎 西 >
東秩父 で推移した。幹線道路周辺
が、市街地や農業地域より高濃度と
なり、人為発生源の影響の少ない山
地の東秩父では、低濃度で推移し
図4 広域調査における各地点の濃度推移(2007 年)
た。
NO2、NO 濃度は、戸田自排 > 鴻巣自排 > 鴻巣・さいたま > 騎西 > 東秩父で推移した。NO は、
NO2 に比べて季節変動が大きく、夏季に低濃度、冬季に高濃度となった。また、幹線道路周辺とその他
の地域の濃度差が大きかった。
[NO] / [NOx]比は、鴻巣自排 > 戸田自排 > 鴻巣・さいたま・騎西 > 東秩父で推移し、幹線道路
周辺と市街地・農業地域、山地で地域特性による違いがみられ、道路に近いほど大きくなっていた。季節
-4-
変化をみると、東秩父を除く地点は冬季に
高く、夏季に低くなり、変動幅は戸田自排、
鴻巣自排より、鴻巣、さいたま、騎西のほう
が大きかった。Ox 濃度の推移と比べると Ox
濃度が低い時に[NO] / [NOx]比は大きくな
っていた。これは、Ox(O3 )等により、NO か
ら NO2 への酸化が進むためと考えられる。
NO は道路近傍での自動車の影響による
濃度増加が大きいが、大気中で速やかに
NO2 に酸化されるため、NO と NO2 の合計で
ある NOx を幹線道路の影響の指標と仮定
し、自動車由来の NH3 について検討を行っ
た。
図5 広域調査における NOx 濃度と NH3 濃度の関係
NOx と NH3 濃度の関係を図5示す。幹線
(2007 年)
道路周辺の NOx 濃度が高い地点ほど、
NH3 濃度が高くなった。したがって、広域的
にみて埼玉県では、NOx と同様に NH3 に
ついても自動車排出ガスの寄与が大きいと
考えられる。
3.3 幹線道路周辺地域の濃度分布調査
NH3 濃度、NOx 濃度と道路中心からの距
離の関係について、すべての測定結果を併
せて図6に示す。対象とした道路を走行す
る自動車の種類や台数、季節、中小規模の
道路の影響、遮蔽物の存在など条件の違
いにより、特にサンプラーを道路の両側に
配置したため、道路近くでは道路に対して
風下側の調査地点で高濃度になるなどばら
つきがあるが、調査地域全域でみると NOx
濃度は道路から約 50 m までに急激に減少
し、100 m 以降はほぼ横ばいまたは緩やか
図6 濃度分布調査における道路中心からの距離と
な減少となった。NH3 濃度は NOx 濃度とよく
NH3 濃度、NOx 濃度との関係
似た挙動を示し、幹線道路を走行する自動
車の環境濃度への影響は NOx と同程度の範囲に及んでいると考えられる。
NOx と NH3 濃度の関係を図7に示す。広域調査同様、NOx 濃度が高いほど、NH3 濃度も高くなった。
約2週間の短期間内で比較しているため、広域調査の結果と比べて(図5)、ばらつきは小さかった。
比較調査の [NH3] / [NOx]比(図3)および濃度分布調査の NOx と NH3 濃度の関係(図7)などから、
道路を走行する自動車からの NH3 排出量は、走行車種(ディーゼル車、ガソリン車等)の比率により異な
るものの、今回調査した幹線道路では NOx 排出量の体積比(ppb / ppb)でおおむね 10-20 %程度と推
察される。
-5-
4.おわりに
自動車は主要な窒素化合物の発生源
であり、NOx だけでなく、三元触媒を装着
したガソリン車から NH3 が排出されている。
自動車から排出された NOx と NH3 の環
境濃度への影響を明らかにするために、
調査を実施した。
その結果、幹線道路沿道では、NOx の
みではなく NH3 についても高濃度となっ
ていることが確認され、幹線道路の周辺
地域では、NOx と NH3 はよく似た濃度分
布(距離減衰)を示した。したがって、埼
図7 幹線道路周辺地域における NOx 濃度と NH3 濃度
の関係
草加自排の回帰式は○印のプロットを除く
玉県では幹線道路の周辺地域の環境濃
度に自動車由来の NH3 の影響が NOx と同様に及んでいることが明らかとなった。
夏季は気温上昇にともない農業などの自動車以外の NH3 発生源の影響もみられたが、農業などの影
響が小さくなる冬季は幹線道路周辺以外の地域でも自動車からの影響が相対的に強くなっていた。
本調査を実施した幹線道路周辺地域は、埼玉県内でも自動車排出ガスの影響が大きい地域である。
今後は、中小規模の道路についても状況把握が必要と思われる。
参考文献
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(http://www.eanet.cc/product/techdoc_fp.pdf)
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(http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/mamoru/kenkyu/shiryo/pub/d0001/d0001.pdf)
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