心理療法とTA

◆心理療法とTA・第 5 回目
心理療法とTA
杉田峰康
福岡県立大学名誉教授、同大学院講師
日本交流分析学会理事長
第5回
・心理療法としての交流分析の特色
・マイナスのストローク集めによって起こる問題点
このコーナーでは、「交流分析」が心理療法の中でどのような位置づけにあるのか
を、TAネットワークの理事である杉田峰康先生にお書きいただきました。
あまりたくさんの技法を勉強して、どうしたら良いか分からなくなる事は避けなけれ
ばなりませんが、「交流分析」ただ一つだけでは、難しい面もあります。
他の心理療法にどんなものがあるのかを勉強するきっかけにしていただければ幸
いです。
また、その中で「交流分析」の良さも再認識していただけたらと思います。
今回で最終回です。
・心理療法としての交流分析の特色
交流分析は心理療法の中でどんな位置づけになるのでしょうか。
Sと D とRでいうとSに力点を置くのが精神分析です。つまり新しいお父さんとお母さ
んの下で、もう1度育て直してもらうような作業を行うものです。行動療法では現在の
行動(R)を条件反射、学習理論によって修正して行きます。いろいろな計画を立てて
実践して行く方法です。その結果が報酬になって次の新たな行動への動機になると
いう考えです。
交流分析では(D)に注目します。私どもの感じ方、考え方、受け取り方の部分です。
例えば、父親恐怖の人に本当にお父さんは恐い人なんだろうか、と D を再吟味します。
お父さんがあるとき怒って、「出て行け!」と言ったとします。父は怖い人だ、と感じる。
小さな子は親から見捨てられると生きていけないので、親の前でじっと我慢していい
子になっていれば、出て行かなくて許されると考える。決して反抗したり、言いたいこと
は言わないで、じっと静かにいい子にしていようとCが決める。怖い人の前では、いい
子にしているのが一番いいのだと思い込む。その結果、今でも権威的な人の前ではC
がいい子の行動を取るのです。
交流分析では「今ここ」で、「あの時、あそこ」でのDに再びなる方法をとります。
もう1回お父さんが「出て行け!」と言った場面を思い出してみます。過去の出来事を、
「今ここ」で椅子を使って再現してみるのです。「出て行け!」「出て行け!」と言ってみ
て下さい。その時、あなたのCは、「僕さえ黙っていい子にしていれば安全だ。僕は余
計なことは言わないことにしよう」と決めたのです。TAのワークでは「今ここ」の私の状
態から確かめます。具体的には空想の場面で「お父さん、本当に出て行っていいの?
じゃあ出て行くよ」と出て行ってみます。子どもがそうしたら実際はどうなるでしょう。お
父さんの権威的な態度は3日ぐらいはもつかもしれません。しかし、4日目になると、
早速父親はテレビ局まで行って「息子よ、どこへ行った。頼むから帰ってきてくれ、あ
れは本気ではなかったんだ、帰ってきてくれ」と涙を流して訴えるのではないでしょう
か。
S→ D →R
↓
D →R
図−1
S:出来事をもたらす刺激
D:受けとめ方(考え、感情)
R:反応、行動
あんなに怒った父親も、本心で言ったのではなかったのです。しかし、まだ正しい判
断力のない子供にとっては、「出て行け」というのは文字通りの追い出しだったのです。
その後 20 年の人生体験を経て、いろいろなことを勉強したあなたは、お父さんが「出
て行け!」といったのは興奮したCから怒鳴っただけに過ぎないことが分かります。本
当に出て行ったら親はパニックになって、新聞に広告を出したり、日本中捜しまわった
りするのです。だから結局、それは私の受け取り方が過剰だったのだと分かるわけで
す。
もう1回「お父さん、私は本当にそんなに馬鹿なの?」と A で問い直すとか、あるいは
かんしゃくを起したお父さんに少し自己主張をするとか、いろいろな形で自分の恐怖
反応を修正して見るのです。その結果、あなたの幼時の物の見方や感情態度を修正
することができるわけですね。
同じように親の夫婦喧嘩の例をとってみましょう。両親がひどい喧嘩をして、「今日
は離婚か、明日は離婚か」と、隣の部屋でじっと眠れないで心配して育った人がいた
とします。その子は、「私が何にも欲しがらないでじっと我慢しさえすれば、家の中は
明るくなるだろう」と自分に言い聞かせたかもしれません。非常に多くの子どもが自分
を安心させるために、また生きのびるためにこの種の考え方をするものです。その結
果、けなげな、我慢強い、しかし、引っ込み思案の自分ができあがります。不思議なこ
とに客観的にみると、同じ環境で育っても妹の方はけろっとしている。弟も同じ夫婦喧
嘩にさらされたのに伸び伸びとしている。どうして私だけが消極的な内気な性格にな
ったのだろう?。それは、各人の受け取り方が違うからです。
そこで、ワークでは妹になってみるのです。
「花子ちゃんは夫婦喧嘩をどう思う?」
「夫婦喧嘩? あれは仲が良いからしているのよ」。
弟に聞いてみる。
「お姉ちゃんは胸がつぶれるぐらい心配なんだけど、あなたはあの夫婦喧嘩に良く耐
えられたわね」
「夫婦喧嘩? そんなこと言うけど夫婦喧嘩のあとは結構2人でお茶を飲んだりしてい
るわよ。『出て行け』『出て行くわ』とやり合っていたけれど見てご覧、僕のあとに妹が
2人も生まれているじゃない」と。
こういうふうに同じ状況でも、1人1人の受け取り方が全然違うのです。お姉ちゃん
だけが感受性がするどい人で心配症だったので、夫婦喧嘩をあたかも「この世の終
わり」のように受け取っていたわけです。
TAのワークでは、いまここに椅子を3つ出して、お父さんとお母さんが夫婦喧嘩をし
ている。そして私がここにいる・・・こんな場面を再現します。1つ1つの椅子になって聞
いて見るのです。
「お父さん、お母さん、私が胸がつぶれるぐらい心配しているのに気づいている?」私
も何度もやってみました。ほとんどの親は気づいてくれないのです。「お父さん、お母
さん、私が何日も寝ないで過ごしたか、知っている? 私は何も欲しがりません。なぜ
か? 私さえいい子にしていれば家の中は明るくなると思ったから、私は「じっと我慢の
子」でいたのよ。お父さん気づいている? お母さん、このこと分かっている?」。
ほとんど9割の親は、「そんなことは考えてもみなかった。あんたはもともと素直な子、
静かな子だとおもっていた」などと答えます。
わが子が胸を痛めていたなんて殆ど気づいていません。要するに心配はあなたの
「一人相撲」だったのです。自分だけ心配していたに過ぎなかったのです。その証拠
には、妹も弟も全然心配していない。けろっとして、伸び伸びとした性格になっている
んですから。あなたが心配し過ぎた。もしかしたらもともと心配症の素質があったのか
もしれませんね。ふつうの子より神経が過敏だったのかも知れない。あなたが心配し
ても両親を変えることはできなかったのです。弟や妹と同じようにもっと気楽に受けと
めたほうがよかったのです。
こんなふうにワークをやっていくわけです。そういう意味で交流分析は D(あなたの
受け取り方、感じ方、物の見方)に主に焦点を合わせて、そこを修正して、他のきょう
だいの振舞い方を真似してみる。例えば、弟なんかは喧嘩が始まるとぱっと外へ遊び
に出してしまう。「ただいま」と帰って来ると夫婦喧嘩は終わっている。それにひきかえ
お姉ちゃんの方は聞き耳を立てて、隣の部屋で親の喧嘩をじっとうかがっていた。憂
鬱な暗い感情生活、恐がり屋、不安、びくびく屋、心配症と言う感情生活を選んでしま
ったのです。そのような役に立たない反応様式を選ばなくても良かったのです。
交流分析の基本的な考え方は、「人は自分の考え、感情、行動に責任があり、私は
その責任を取ります」というものです。
その態度は自律的で、他人や環境のせいにしないのです。
つまり、「父母の喧嘩のために、私みたいな消極的な心配性ができた」などと、犠牲
者の態度はとらないのです。なぜなら弟、妹はそんなに脅えやすい人にはなっていな
いのですから。私がひねくれる生き方を選んだ。なぜか。心配症だったから。こういう
ふうに考えて、自分の歴史に自分で責任を取る。もちろん取れない場合もあります
(例えば重篤なアダルト・チャイルドの場合など)。しかし、自分は生育歴の大部分に、
自分で責任を取っていこうというものです。この点では精神分析に似ています。精神
分析では、自分の生育歴、自分の運命に、かなりの程度責任を負っていると考えま
す。
・マイナスのストローク集めによって起こる問題点
保育の問題と関連いたしまして、「ストローク」が問題になるとき、かつては「育児は
実の母親の愛情がなくてはいけない」「母親が子どもを他人にあずけるようなことして
はいけない」という「母子一体論」を唱える人がおりました。
母子一体論とは、生物的な母親でなければ愛は与えられない。だからすべての母
親はできるだけ多く家庭にいて、とくに生後1、2年は子供のそばに居なければいけな
いという極論です。しかし、実際は3分の1から半数近くの女性が働いている今日、こ
れは通用しない考え方です。
母親が家庭に戻らなければならないということが強調されると、母親の不安はつの
り、罪悪感も強まります。子どもを長時間、他所にあずけると、「私は悪い母だ」という
ことになります。
同時に仕事をやめて四六時中女性が家庭にいる場合、育児に耐え切れず虐待した
り、ノイローゼになるケースも聞かれます。母子関係という縦の関係が強すぎて、横の
関係が弱くなり友達ができないために、登校拒否が起こる場合もあります。 そうする
と親子は適当に離れたほうがいいんじゃないか、どういう母親がどんな時期に、どのく
らい必要なんだろうか。母性は場合によってはお父さんでも補えるのではないだろう
か。あるいは子ども同士のふれ合いはどうなんだろうか。実際に子どもと時間を過ご
す保母さんの影響はどうなんだろうか。場合によっては、子どもは問題のあるお母さ
んよりも、ベテランの保母さんに育てられるほうがいいのではないかなど、いろいろ疑
問が出てきます。
では、「心理療法と交流分析というお話」のまとめにさせていただきたいと思います。
下の図をご覧下さい。
まず、土台としての生育の歴史があります。「3つ子の魂百までも」という諺は、いろ
いろな意味で今日でも正しいと思います。しかし3歳までに何かあったら、あとは駄目
だというふうにお考え下さいませんように。
そういう意味ではありません。幼少時の親子の交流や幼時決断が将来の生き方、
人生態度、あるいは不適応などに強く影響するという意味です。生育歴上のまずい障
害に気づき、それに牛耳られないように、自分の人生に責任をとっていくというのが交
流分析による心理療法であるわけです。
将来の行動や生き方(いわば現在の家)と、生育歴(いわば土台)との関連において、
何が家を支える柱になっているか? それが、交流分析の理論を構成している部分と
いえましょう。家を支える柱としてまず愛情があります。あなたの幼少時からの愛情生
活、この場合ベタベタ可愛がるという意味ではなくて、しつける時にはちゃんとしつけ
るとか、自立の時期には抱っこばかりしないで少し転んで身を守ることも教えてあげる
とか、そういう意味を含めた愛情です。発達段階に添って子どもの必要としているもの
を与えているかどうか。我慢の必要なときには、欲望に限界をもうけてコントロールす
るのを教えるのが愛情ではないでしょうか。交流分析ではこれを「ストローク」という概
念でとらえているのです。
それにともなって感情生活はどうだったか。愛情生活の内容の次に来るのがまん中
の柱の情緒の内容です。感情生活が行動を規定します。とくに楽しい感情が中心の
生活だったか、あるいは暗い、重苦しい不快な感情が心を占めていたか。将来、交通
事故なども抑圧された敵対感情が基で起こることが少なくありません。心ならずも子
どもを叩いたりしてしまうのも、かっとなり易い感情の習慣ですね。恋愛はCの感情そ
のものです。恋愛が理性(A)でできたらいいですね。しかし、給料は幾らかな、将来は
どうなるかな、姑は何年に死ぬかな、などあらかじめ計算しながら恋をする人はいな
いでしょう。そんな恋愛はありませんね。恋愛は「あばたもえくぼ」です。感情で行う。
人生の重要なものは感情によって決定されます。とくにあなたの憂鬱になり易い傾向、
心配症、おこりんぼう、あるいは消極的な形で怒りを出す引き延ばし、そういった感情
生活ですね。交流分析では、ラケット感情という概念で私たちの感情生活の動きをと
らえています。
第3の柱は「基本的構え」の理論です。ロジャースの自己概念を参考にして、ここに
「自己イメージ」を入れます。自分をどう評価し、価値づけているかということです。「私
は生まれてきて良かった、私は生きている価値がある、私は愛されている」という肯定
的自己概念を持っていれば、そんなに自己破壊的な生き方はしないという考え方で
す。ロジャ−スのカウンセリングは、自分のイメ−ジが行動を決定するから、ゆがんだ
自己概念を修正していこうというものです。
最近は別の意味での、身体像の修正をはかる、イメ−ジ療法が再び力を得ている
印象です。癌のイメ−ジ療法なども行なわれており、健全なイメ−ジを抱くように練習
することで、病状の進行がストップするという報告もあるようです。
病気と自己イメ−ジとの関係は昔から言われてきました。例えば、戦争に負けた国
の人びとの傷は治りにくく、戦争に勝った国の人びとの傷は治りが早いと言った現象
です。戦争に勝った国では、人びとは自信に満ちた自己イメージを持ち、生活にも希
望があります。しかし、戦争に負けた国の人びとは、絶望というイメ−ジが強く、抑うつ
的になるので、治癒力が活性化しにくいのでしょう。
この3本の柱が、相互に作用し合って、私どもの今日の行動が決定されると言え
ましょう。これらがマイナスにに作用するときには、ゲ−ムや脚本が生じてきます。不
快な感情を味わうようなことばかり繰り返す、まずい生き方がゲ−ムですね。脚本と
いうのは自己破壊的な人生とか、自己実現が妨げられる人生のパタ−ンですね。
生育歴の中では、「Sから D」に移る際のプロセスはどうだったろうか、ということが問
題になります。多くの場合、幼時の精神的な外傷体験(トラウマ)がその基礎にあるも
のです。
繰り返し養育者から拒まれる。「お前なんか生まれてこなかったらよかったのに」と
いわれる、虐待を受けたとか、両親のセックスの場面を見たなどの体験が含まれます。
例えば、両親のセックスの場面は原光景といわれますが、それが将来の異性に対す
る感情や行動などに影響するということです。とくに両親との関係から排除されたとか、
セックスは怖いものだという思い込みへと発展する場合が問題になります。決して、全
ての外傷体験が心の傷(トラウマ)として残るわけではありませんが、受け身的に、ど
うしようもない無力な状態で、それを体験した時に意味をもってきます。要するに普通
の人はあまり体験しないような外傷体験が、つよい感情がからんだまま未処理で終
わると、将来の愛情生活や精神生活に不安定な状態を起こすような土台が出来るこ
とになります。
もうひとつTAでは親の育児態度が伝える非言語的メッセージを重視します。例えば
「おまえが女の子だったらねぇ」という非現実的な願望が親の中にあると、日常の育
児態度が「女であってはならない」という不自然な禁止令を伝えることになるのです。
「おまえが女だったら」「おまえが男だったら」などは非常に不合理な親の思いです。そ
れが子どもの C へメッセージとして伝わるのです。「おまえはお父さんの期待通りに男
の子になっておくれ。女になってはいけないよ」というメッセージです。親のエゴイズム
からくるおかしな至上命令といえましょう。「ママの言う通りしていればいいのよ。自立
しては駄目よ」「冒険してはいけません。言われたことだけしていればいいの」こんな
親の C から子どもの C へ伝えられる、非言語的な、しかし強力なメッセ−ジを「禁止
令」と言います。
小さいときにとくに、お母さんの生き方を通して、「ママの言うことを聞かないで勝手
なことをすると、見捨てるよ」という、自立を喜ばれないメッセ−ジを受けると、依存や
母子分離をめぐる問題を未解決のまま成人に至ることになります。心身症や性格障
害の中には、この種の禁止令に束縛されたケ−スが多いといわれます。 その他に、
「親しくしてはいけない」、「自然な感情を抱いてはいけない」、「行動してはいけない」、
「成功してはいけない」「考えてはいけない」・・・など 10 か 12 の禁止令があります。。
幼時に作られた土台の上に、本来の感情とは異なるニセの感情を身につけてしまっ
た場合、「ラケット」あるいは「ラケット感情」に拘束されることになります。憂鬱にしてい
れば愛がくる。お膳をひっくり返せば願いがかなう。めそめそ泣けば注目してもらえる。
惨めな顔をしていれば人の気を引ける。心配症、おこりんぼう、みじめ好み・・など楽
しくない感情が慢性化してしまったものを「ラケット感情」といい、それを求める行動様
式を「ラケット」といいます。「ラケット」は、相手に迷惑をかけたり、大騒ぎをしたり、トラ
ブルを起こしたり、いろいろな形で人騒がせなことをする心のからくりです。「マイナス
のストロ−ク」の求める行動様式と言えましょう。結局、相手を挑発して叩かれるよう
に持って行くとか、嫌われるようなことをずけずけ言ってひんしゅくを買うなど、とにかく
楽しくない形の刺激を与えて拒絶を誘ったり、嫌われたりする人がおります。このよう
に「ラケット」に拘束され、人間関係でマイナスのストロ−クを求めることが習慣化した
ものを「ゲ−ム」と言います。
「基本的構え」については、「自己概念」が基盤になっていることは、既に述べました。
交流分析ではそれに他人への態度や評価をも加えております。他人に対してどういう
イメ−ジを抱いているか。どんな評価を下しているか。自他に対する基本的態度を一
緒にして、「私は OK である、あなたは OK でない」「私は OK でない、あなたは OK で
ある」など、自他に対する肯定・否定の4つの立場を考えます。ア−ンストという先生
はこれを整理して「OK 牧場」という図を作ってくれました。4つの基本的構えとそれぞ
れが示す対人様式を明確にしたものです。
例えば、図に示すように自己否定、他者肯定のイメ−ジの持主は憂鬱になりやすい、
惨めな気持ちを持ちやすい、心配症になりやすい、そして人間関係から身を引きやす
いという特徴がある、というわけです。
OK
であ
る
安心感がある、愛されている、いい人間だ、生きている価値がある、正しい、
強い、楽しい、美しい、できる、役に立つ、優れている、やればうまくいく、自
己を実現している、など。
OK
でな
い
安心できない、愛されるに値しない、みにくい、弱い、子供っぽい、無知であ
る、意地が悪い、できない、バカである、のろまである、失敗する、何をやって
もダメ、劣る、自己を実現していない、など。
●●●/TA ネットワーク 機関紙第 5 号 1997 年秋号 より抜粋/ ●●●