二十一世紀日本国憲法私案 憲法の全面改定を通して提案する新しい国家モデル 永久寿夫(PHP総合研究所 第二研究本部 本部長) 2000 年1月、衆参両院に憲法調査会が設置されて以来、憲法改正が国会の場で活発に議 論されるようになった。自民党は 2005 年 11 月、立党 50 周年の目玉として新憲法の草案を 発表する予定であり、民主党もそれに続くはずである。 憲法は、国という共同体を成立させる理念とそれを具現化する統治システムをあらわす 設計図である。共同体を効果的に機能させ、メンバーである国民が安心して生活を営める ようにするには、社会状況の変化に応じて、適宜改良を加えていかねばならない。 実際、世界の国々では、憲法を何度も改正し、国のかたちを変えてきた。ひとり日本だ けが不磨の大典とし、柔軟な解釈と弥縫策で切り抜けてきたわけだが、制定から半世紀以 上を経て、政治もようやく憲法の制度疲労を放置できないと認識したようである。 PHP総合研究所では、2001 年1月から内部でプロジェクトチームを発足させ、憲法の あり方について検討を重ねてきた。2004 年 11 月、その内容を条文にし、単行本『二十一 世紀日本国憲法私案』 (江口克彦+永久寿夫編)として発表するにいたった。前文と 109 の 条文からなり、現行憲法を基礎としながらも、現代に適合する新しい国家モデルをつくる という観点から考えたものである。 憲法改正論議は、これからより実質的なものとなり、改正に向けた具体的な条文づくり の検討がなされていくはずである。そうしたなかで、われわれのアイディアが多少なりと も参考になればと考え、 『私案』を発表するとともに、本誌上(『Voice』2004 年 12 月 号)で紹介させていただく次第である。 『私案』の三大特徴 『私案』には三つの大きな特徴がある。第一に、国と自治体の役割を明確に区分し、それ ぞれがその範囲において独立した権限をもつ「地域主権を確立する」こと。第二に、国民 が首相を直接選択する「首相公選制を導入する」こと。第三に、侵略戦争の否認を前提と し「自衛隊を軍隊にする」ことである。 1 一、地域主権を確立する 日本経済は、部分的に明るい兆しが見えてはいるものの、依然、安心できる社会が到来 するとは信じきれない状態にある。長期累積債務残高対GDP比 150 パーセントは、先進 国としては異常である。少子高齢化の本格化によって、国民負担はさらに増大し、築き上 げた繁栄の維持は困難となる。 このような状態に陥った原因は、明治維新以来、今日まで保たれてきた中央集権的な統 治システムが通用しなくなったところにある。 このシステムは、国と地方、官と民を一体化し、大戦前は「殖産興業」「富国強兵」と日 本を欧米列強に対抗できる国につくりあげた。大戦後は、基幹産業を育て、生産物の輸出 に精を出し、日本を経済大国に成長させた。さらに、獲得した富を均等に分配する税財政 システムを通じ、個人所得や地方の社会資本が平均化する「平等社会」を築いたのである。 この事実は称賛すべきものであろう。 しかし、国民の価値観や需要が多様化した今日では、国全体があたかも一つの組織と化 した統治システムは社会発展の障害となる。それは、中央集権の社会主義国家が次々と崩 壊していった事実でも裏付けられる。 具体的には、まず官僚機構の効率が低下する。経済・社会活動を国が直接行ない、ある いは主導すれば、官僚機構が肥大化する。それにともないセクショナリズムが生じ、各部 門は予算や権益をめぐって争うようになる。結果として、意味のない政策や無駄な社会資 本整備が行なわれるようになる。 あず 一方では、自助努力よりも分配に与かろうとする「甘え」の気持ちも蔓延する。規制を 通じた民間の経済活動への干渉、補助金を通じた地方への画一的な公共投資、交付税など による中央から地方への財政移転があるために、個人も企業も自治体も、国全体のコスト を考えることなく、いかに多くのモノやカネを国から自分の懐に誘導するかに労力を使い、 みずからの能力と創意工夫によって自立するという意欲を失う。 ここから脱するには、中央集権的な統治システムを破壊し、国民一人ひとり、企業も自 治体も、国を必要以上に頼らず、みずからの能力と創意工夫によって活動を行なえる、新 しい統治システムをつくりあげることである。 こうした考え方に立脚し、これまでも「道州制」という言葉で「地方分権」の推進が訴 えられてきた。都道府県を合併して「州」をつくり、国の権限や税源の一部を移譲し、地 方の自立を促進するということである。 「地域主権」は、その考え方をさらに徹底したものである。まず「地方」を「地域」とい う言葉に置き換え、「地方」が「中央」に対する「周辺」であるというイメージをなくす。 そして、国と自治体の役割を整理区分し、おのおの独自の税源をもち、自治体は国から干 渉されない権限、言い換えれば「主権」をもつというものである。 すなわち、国の担当する分野を国全体にかかわるもっとも大きな「公共財」に限定し、 2 それ以外の分野については州あるいは州の裁量によって基礎的自治体である市に任せる。 国も州も個別に課税権をもち、それぞれが担当する分野に限って、立法、行政、司法の三 権をもつというものである。 『私案』では、具体的に以下の条文であらわした。 第四十三条【国会の立法権】 ①国会は、次の事項に関し、立法権を有する。 国防、外交、通商、対外経済協力、通貨・通貨制度、金融、全国的課税、関税、資金の 借入、年金、医療保険、失業保険、文化財保護、出入国管理、帰化、国の裁判所、国の検 察、刑務所、刑事法、治安維持、交通、航海、航空、検疫、特許、著作権、高等基礎研究、 全国統計調査、度量衡、その他の全国統一基準・規格。 ②前項および第九十四条に明記されていない事項については、国会でその権限の帰属を決 定する。 第六十四条【国の行政権】 内閣総理大臣は、国会の立法権がおよぶ事項に関して、行政権を有する。 第九十三条【州の設置】 広域の地方公共団体として州を置く。 第九十四条【州の権能】 州は、次の事項に関して、立法を行い、行政を遂行する権能を有する。 州内の課税、州の信用に基づく借入、警察、州の裁判所、州の検察、河川、道路、通信 基盤、空港整備・維持、港湾整備・維持、農業・農地整備、上下水道、産業廃棄物収集・ 処理、林野事業、災害復旧、医療保険、能力開発、職業安定、雇用・労働組合対策、社会 福祉、児童福祉、老人福祉、保育所、介護、消防、救急、伝染病予防、生活環境整備、医 療、中高等教育、基本教育、幼稚園、図書館、公園、都市計画、街路、住宅、公害対策、 戸籍・住民基本台帳。 第九十八条【司法権、裁判所、特別裁判所】 ①すべて司法権は、最高裁判所および法律によって設置する下級裁判所、ならびに州の法 3 律によって設置する裁判所に属する。 第百六条【州の裁判所および裁判官の法的地位】 ①州の裁判所は、州の法令にかかわる訴訟についての裁判を行う。 この「地域主権」の確立によって、第一に、国の役割が縮小され国の官僚機構が簡素化 される。国による地方の「支配」が消滅することで、地方への利益誘導が不可能となる。 第二に、自治体は独自の権限と税源をもつことによって、地域づくりでも社会資本整備 でも、地域独自のルールのもとで特色ある展開が可能となる。一方、それらは原則的に自 前の資金で行なわれることになり、費用対効果の意識が高まり、意思決定も慎重になる。 第三に、住民にも同様の意識が高まり、また身近なところで意思決定が行なわれるので、 政治や行政に対するコミットメントや監視がしやすくなる。「地域主権」のメリットを一言 であらわせば、現在より効率的な政治・行政が行なわれるということである。 二、首相公選制を導入する 日本は、議院内閣制の国である。議院内閣制とは、内閣の存立を議会の信任に依存させ る制度であり、それを担保するもっとも本質的な手段が、議会の内閣に対する不信任権で あるといわれる。 一般的には、国会議員の互選によって選ばれた首相が、国会議員のなかから大臣を選ん で組閣し、国会に対して責任をもつことが議院内閣制と理解されている。 現在の日本を見るとき、後者の意味での議院内閣制が、いくつかの弊害を発生させてい ると考えられる。 まず、首相選びが必ずしも民意を反映したものとはならない。小選挙区比例代表並立制 が採用されて以来、政党はマニフェストを掲げるようになり、衆院選は「地域代表=マニ フェスト=政権政党=首相」選びという認識が高まってきた。 その民意をよそに、政党内での党首の任期終了にともなって首相が交代する。しかも、 手続きが不明瞭であり、密室で新党首が決められることも少なくない。政党内で党首選挙 が行なわれる場合もあるが、マニフェストとまったく逆の公約を掲げる候補者も登場する。 結果として、国民の意思とは無関係もしくは反対の立場の首相が誕生する。民意と首相 選びの乖離は、有権者に無力感を与え、政治への信頼を喪失させる。 こうした状態を解消するのが、首相公選である。そこで、『私案』ではまず、以下の条文 を記した。 4 第六十五条【内閣総理大臣および内閣副総理大臣の指名と任期】 ①内閣総理大臣および内閣副総理大臣は、投票資格を有する国民の直接投票により、これ を指名する。 有権者が直接首相選びに関与できるようになれば、民意と首相の乖離は回避されると同 時に、政治に対して親近感と責任感をもつようになり、政治参加も回復するはずである。 さらに、首相のリーダーシップに関わる問題もある。日本にはあらゆる面で抜本的な改 革が求められており、各政党も公約に掲げ、歴代政権も努力を続けてきた。しかし、改革 は遅々としている。その根源的な理由は、首相を議員の互選で決める制度に首相のリーダ ーシップを阻害する仕組みがあるからである。 首相がみずからの地位を守ろうとすれば、与党議員からの支持を得ることが不可欠とな る。ここで与党議員の多数が改革に賛成なら、首相は力強く指導力を発揮できる。与党が 立法も行政も支配するのだから当然である。 しかし、裏を返せば、与党議員の多数が反対したことは、いかに重要なことでも、それ を国民の大多数が支持しようとも、実行できないということでもある。 与党議員が首相の政策に反対することは、「地域代表=マニフェスト=政権政党=首相」 という選挙のなかでは、タテマエとしてはありえないが、現実的には各議員は自分の選挙 区のミクロな利益を背負っており、それがマクロな利益を追求するマニフェストと対立す ることがある。そうでなくともポストをめぐって首相が示す政策に対抗することもある。 与党のなかにいわゆる「抵抗勢力」が発生し、改革にブレーキがかかるのである。 これを解決するには党首の権限強化が考えられるが、それができなければ、残された方 法は首相公選制の導入である。首相は有権者からのダイレクトな支持を背景に、国会とい う場で「抵抗勢力」と正々堂々の議論を展開しながら、リーダーシップを発揮することが 期待できる。それは「大統領制」を敷く地方自治体の様子をみれば容易に想像がつくこと だ。 首相公選制に対しては、さまざまな反対意見がある。まず、いわゆるポピュリズム=大 衆迎合に対する危険視がある。人気ばかりが先行し、不適格者が首相にならないか、国民 感情の高まりに流されるような不合理な政治が行なわれないか、ということだ。 もちろん否定はできないが、いままでも必ずしも適格者が首相になっているとも、合理 的な政治が行なわれているともいえない。それに、直接首相を選択できれば、国民も責任 を強く感じ、真剣になるはずだ。多くの国々では、国民が直接大統領を選んでおり、日本 だけが極端なポピュリズムに陥ると考えるのは、日本国民を愚弄してはいないか。 議会との対立が激化し、国政が麻痺する、と批判する向きもあるが、何が問題なのか。 これまでは、国を一つの共同体とした場合のマクロな利益を代表すべき首相が、自分を選 5 ぶ国会議員のミクロな利益を優先せねばならず、マクロな利益が後回しになってきた。し かも、その過程は与党や政府の内部で行なわれるため、国民の前には明らかにならなかっ た。だから、改革が叫ばれても、なかなかそれが実行されない。それが問題だった。 公選の首相は国民の直接的な支持を背景に、国会議員のミクロな利益に引きずられるこ となく、正々堂々と国会の場で是非を議論すればよい。マクロな利益とミクロな利益の対 立が国民の前にあからさまになることで、国民もまた、自分たちのなかにある矛盾の解決 に向けて真剣に考えるようになるはずではないか。 もちろん国政が麻痺することもあるだろう。『私案』ではその場合、以下に示すように、 首相の不信任と国会の解散、あるいは国会の解散と首相の辞任が同時に行なわれ、あらた めて国民に是非を問う仕組みを取り入れた。最悪の状態に陥ったら振り出しに戻ればよい のである。 第六十九条【内閣総理大臣不信任決議と国民代表議院の解散】 内閣総理大臣は、国民代表議院が在籍議員の三分の二以上で不信任の決議案を可決した とき、内閣副総理大臣および国務大臣とともに辞職しなくてはならない。また、その場合、 国民代表議院は解散される。 第七十条【内閣総理大臣による国民代表議院の解散と内閣の辞任】 内閣総理大臣は、国民代表議院を解散することができる。また、その場合、内閣総理大 臣は内閣副総理大臣および国務大臣とともに辞職しなくてはならない。 イスラエルでの失敗から、首相公選制を「機能しない制度」とする批判もある。しかし、 それは中南米諸国などにおける大統領制の失敗例をみて、アメリカやフランスの大統領制 も機能しないと断じるのに等しい。失敗の理由を、公選制度そのものと同時に周辺の制度 や社会構造との関連をみながら、もう少し詳しく検討する必要があるのではないか。 イスラエルでは、国会議員の選挙に政党に投票する比例代表制が採用されており、多党 乱立が続いていた。公選の首相はそれらの政党の議員を大臣に選び、議会が安定するよう に組閣せねばならない。 しかし、大臣は自党への投票を通じて選ばれた議員である以上、首相よりも政党により 大きな忠誠心をもつはずであり、入閣や離脱を条件にしながら自党の要求を訴え、首相の リーダーシップを阻害する行動に出ても何もおかしくはない。 こうした「弊害」をなくすには、まず国の行政権を内閣という集団にではなく首相個人 に帰属させ、さらに大臣を議員から選ばず、首相を雇い主として働く専門家を任命する。 6 かりに議員から選ぶとしても、その段階で議員を辞職してもらう必要がある。『私案』は次 に示すように、そうした仕組みを取り入れている。 第四十七条【兼職の禁止】 ②国会議員は、国・地方公共団体を問わず、その任期中にいかなる行政府ならびに司法府 の職にもつくことができない。 こうなると、実質的にはアメリカなどの大統領制に近くなり、天皇制と矛盾する、とい う意見も出るはずである。しかしながら、首相は公選であろうと国会議員の互選であろう と、あくまでも国の行政の最高責任者であり、天皇の存在と矛盾するものではない。 それを明らかにするために、『私案』では、首相の任命権も天皇がそのまま維持するよう にしている。 三、自衛隊を軍隊にする 戦後の日本は、みずからの繁栄の基盤である安全保障に対して無頓着であった。世界秩 序が大きく変わるなかで、安全がこれからも保障されるとはかぎらない。安全が保障され なければ、繁栄の維持は不可能となる。 そうした観点から現行憲法を見直した場合、とくに不備と思われるのが、前文と第九条 である。現行憲法の草案が日本を武装解除しようとしたアメリカによってつくられたとい う生い立ちからみて当然かもしれないが、その内容は独立国としての理性的な判断に基づ いているとはいえない。 現行憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存 を保持しようと決意した」とある。日本以外の国はみな「平和愛好」の国であり、日本の 安全はそうした国々の善意に一方的に頼るということだが、世界の諸国民が必ずしも平和 を愛するものではないことは、第二次大戦後に生じた数々の戦争や紛争によって証明され る。 さらにいえば、領土と国民の生命財産を守るという国家のもっとも基本的な使命をみず から放棄すると同時に、世界の平和にはいっさい貢献しない、という無責任な意思表示と も理解できる。 この前文の趣旨を具体化したものが第九条であり、日本が戦争と戦力の保持を放棄する ことが記されているが、戦争のほうは日本を放棄していない。実際、朝鮮戦争が勃発した 7 1950 年、アメリカの求めに応じて、日本は、今日の自衛隊につながる戦力をもつこととな った。 政府・自民党は、「自衛のための抗争は放棄していない。陸海空軍その他の戦力の保持は 認められないが、戦力にいたらない『自衛力』によって、自衛権を行使することは可能で ある」という立場をとってきたが、自衛隊は外国から見れば戦力以外の何ものでもない。 問題は、だから憲法を変えるか、さもなければ自衛隊を廃止するか、ということであり、 回答を得るには真正面からの憲法論議が必要なのだが、日本はこれを怠ってきたのである。 もっとも、第九条は安全保障をアメリカに依存し、みずからは経済発展に専念するため の「口実」という意味では重要な役割を果たしてきた。しかし、経済大国へと成長すると ともに日本はフリーライダーであると批判され、経済力に見合った貢献を求められるよう になった。 冷戦の終焉以降、現実はさらに変化し、アメリカも国際社会も、日本に対してあらたな 役割を期待するようになった。日本は、湾岸戦争ではおカネを払ってお茶を濁したが、評 価されないことがわかると、イラク戦争では人道復興支援のため自衛隊を派遣する。 政府の決断は、現行憲法のもとで、日本の安全と国際貢献のために最低限必要かつ可能 なことだったと評価すべきだが、今後の国際政治の展開いかんでは、解釈では堪え切れな い状況も生じるはずだ。 また、日本が一人前の独立国であるならば、みずからの意思と能力で、自国の安全を保 障するとともに、世界の平和に貢献できるよう法的整備を行なうのは、もとより当然であ る。 『私案』では、日本が独立国としてみずから安全保障に努めるとともに、世界平和に応分 の責任を担う意思をあらわすために、前文と第一条を以下のようにした。 前文 日本国の主権者である日本国民は、自由と民主主義、人権尊重の原則のもと、日本国の 歴史と伝統を継承発展させつつ、国の安全、国内秩序の平穏、国民福祉の向上をはかると ともに、諸国民の繁栄と世界平和の実現に積極的に貢献することを宣言する。 この憲法は、日本国民の総意によって制定されたものであり、日本国民が遵守すべき日 本国の最高法規である。 第一条【主権の所在】 ①日本国の主権は、日本国民に存する。 ②日本国民は、日本国の独立と主権を守る権利と義務を有する。 さらに、侵略戦争を否認したうえで、その権利と義務を遂行する手段として、国軍を保 8 持することにした。 第七十八条【侵略戦争の否認】 日本国は、侵略戦争を行わず、また他国による侵略戦争を是認しない。 第七十九条【国軍の保持】 日本国は、自らの独立と主権を守るとともに、国際社会の平和に寄与するため、国軍を 保持する。 これは、自衛のために武力を行使することや集団的自衛権をもつことは当然だが、PK OやPKFのために自衛隊を国外に派遣することについて、少なくとも憲法においては特 別な制約を設けないということである。 『私案』では、これら三つの特徴のほかに、知る権利、プライバシー権、環境権など、現 行憲法にはない新しい権利やそれに付随した義務などもあらわしている。また、国会や裁 判所の仕組みも、地域主権や首相公選などの導入にともない現行とはかなり異なったもの となっている。詳しい内容ならびに各条文については、ぜひ単行本をご覧いただきたい。 (『Voice』2004 年 12 月号 PHP研究所刊 より) 9
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