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本多謙三論文集5
哲学論考二
弁証法
自然科学
哲学時評
その他
凡例
I, で
V 代 用 し て い る。 参 考 文 献 中 青 字 斜 体 字 で 示
漢字はすべて新漢字に改め、旧仮名遣いを新仮名遣いに改めている。いくつかの送り仮名の統一をした。
参照文献でローマ数字で示されている数字はアルファベット
したものはネット上に公開されていることを示す。
カタカナの人名・地名表記は現在の慣用に従って換えた。巻末に一覧を添える。但し、こぶし書房版『現象学
と唯物弁証法』を底本としたものは既に置き換えられているので、その侭とする。
【】
、
[#]及びページ毎の青線で区切った脚注はすべて作成者の追加したもので非専門家を念頭にしたものであ
る。※【】また※[#]は、判読し難い文字の推測を記す。
振り仮名は、いくつか底本にもあるが、多くは作成者またはこぶし書房版で振られたものである。とくに区別
はしない。読点の使い方が独特で読みづらい点も多く、こぶし書房版で多数追加されている、多くはそれに倣っ
た。
本論文集5は、弁証法、自然科学、時評その他に関説した哲学関連論文を収める。
「教養としての哲学と職業としての哲学」は難しい時代に自らの立場を語ったものです。
関連しそうなものを四つに分けたが、本質的なことではなく、読むに当たっての便を図ってみ
たにすぎない。
目次
5
25
『理想』 1931.10
………
………
71
51
32
『中央公論』 1932.6
現象学と弁証法 『思想』 1929.10
………
哲学の社会学化 『一橋新聞』 1930.1.1 ………
現象学の社会学的帰結 『哲学年報』 1930 ………
大衆人間 後退する弁証法 … …
自然弁証法と其論理 『理想』 1930.7
……… 88
近代自然科学と実践 『理想』 1931.5,6
……… 101
1931.2
1930.8
『経済往来』
『法律春秋』
……… 214
……… 234
ヘーゲルに於ける二つの方向 『一橋新聞』 1931.11.14
……… 133
ヘーゲル自然哲学 『ヘーゲル哲学解説』 1931 ……… 140
有機的自然観 岩波講座『哲学』収録 1932……… 159
… …
新興 階 級 の 哲 学
官学教授マルクシスト
人文 主 義 教 育 の 限 界
『法律春秋』
1931.11
1933.1
『改造』 1937.7
『一橋文芸』
『報知新聞』 1936.11.3,4
『日本評論』 1936.11
1936.12.14
1936.12
『一橋新聞』
『饗宴』
……… 238
………
………
………
………
382
377
361
356
……… 344
『東京朝日新聞』 1936.10.27
〜 30 … 313
『神戸商大新聞』 1936.12.20 ……… 323
……… 329
一九三一年のわが哲学界を回顧して 『理想』 1932.1
……… 247
哲学時評 『思想』 1932.5
〜 9
……… 253
哲学と時評 ……… 299
『帝大新聞』 1933.4.24
教養としての哲学と職業としての哲学 『一橋新聞』 1933.9.25
……… 303
ナチ ス と ド イ ツ 哲 学
本年 思 想 界 の 回 顧
哲学 者 の 社 会 観
… …
審美的と実存的 知識層の思想検討 文化主義と人文主義 妥当性といふことについて 悪の問題 後記
一
しがん
現象学と弁証法 i
あら
なん
あたか
ごと
しりぞ
しばら
あら
よ
ことさ
】は「吾疑う」ということは疑い得ないと考えたし、
フッサールにあっ
リッケルト【 Heinrich Rickert, 1863-1936
ても還元の末に現象的残基として横たわるものは純粋意識なのである。こうしてみると前提を消去し、立場
遺された「前提」、「立場」は何であったか。
のこ
学の特色ある態度として認めねばならない。では斯くの如くして斥けられた凡ゆる前提と立場との後になお
か
する基底に達しようとすること、かくして学説ではなしに、事柄そのものから発足しようということは現象
せしめられた。どのような予断をも先見をも押し除けて、少なくとも暫く問題の外に於いて、それらの土台
の
】の現象学の志すのも亦これと等しい理想である。ここでは無前提は更に故らな立場の排除へ徹底
1859-1938
また
人 々 の そ の 哲 学 へ の 信 頼 も 偏 に か か る 論 理 上 の 自 然 生 長 性 に 依 存 し て い た。 フ ッ サ ー ル【 Edmund Husserl,
ひとえ
保しようと 努 め た 。
如何なる「立場的」な哲学も宛もそれが無の中から自然に生長したかのようにみせかける。
い か
し始めると直ぐに、「できる限りの無前提」「最小限度の前提」を目指すことに依ってその科学的厳密さを確
す
「凡ゆる立場の此岸に」という標語は、少なくとも昨日までの認識論的哲学を指導した。この要求は、と
ころが、もともとかかる哲学の外のものに由来するのではないのである。哲学が認識論に自己の問題を見出
i
雑誌『思想』の目次では「現象學と唯物辨證法」となっているが、本文表題では「唯物」の文字はついていない。
5
から離脱するということは、認識されるもの、捉えられるもの、思念されるものの側から方向を転じて、そ
現象学と弁証法
i
6
こから益々遠ざかり、他の一方の側へ、即ち認識するもの、捉えるもの、思念するものの方へ沈潜すること
い
を意味するようにみえる。この際に論理的認識論者にとっては、意識は意識一般として形式化され、規範化
むな
されるのであるが、現象学者にとっては凡ゆる存在を容れ、所を得せしむるところの原始的領域として考え
られる。従ってそれは全ての対象的なるものについては無に等しい、自ら空しいが故にどの他の存在をも包
容することができるのであって、それは決して他と並んだ一つの存在ではなく、存在を存在たらしむる優越
】がフッサールの純粋意識を
Martin Heidegger, 1889-1976
なる存在なのである。それ故に意識は対象的存在に関しては無であると同時に、かかる存在に対立する存在
については一切であることができる。ハイデッガー【
かえ
や
そこにある存在として、吾々自らの豊富を余さずその中に見出そうとするのも、右の転回を実現することに
ほうちゃく
依ってのみ可能である。かくして認識論上の「無前提」「立場の没却」への努力は、
却って已むを得ざる「前
提」と「立場」の発見を結果した。ところがそこに逢着したものはもはや認識という如き一つの作用ではな
く寧ろそれとは性格を異にする存在である。論理主義者はこれを当為とし、価値と解するのであるが、現象
さと
よ
つ
学にとってはこれは原始的存在としての意識であり、転じては最も直接なる吾々の存在である。認識論はそ
の態度を純にすることに依って、自己の限界を覚り、自らの拠って立つ根基に衝きあたる。かくて認識論上
か
極小なる前提は存在論上最も充満せる豊富を包蔵していると言わなければならない。現象学は認識論的哲学
のまさに斯くの如き転回点に立っている。
しかしこの学問上の態度がかかる位置を占め得るのは、それが自らの内にも転換の可能をもっているから
である。現象学は一方に於いて本質の学問である。そして本質は形相として考えられる。種々多様な形相の
ていし
しか
配置と秩序とを諦視することは、この学にとって欠くことのできない課題である。而して如何なる個別的な
み
な
)、
ものも、その直観のうちに例示される本質への橋渡しとなることが可能なのであるから( Vgl. Ideen. .3.
現実の世界は余すところなく永遠にして恒常なる本質の世界に通路をもち、そこへ安住することになる。け
現象学と弁証法
7
れていたところの文法上の、また論理上の範疇的形式は、却って本質として抽象的なものに過ぎず、より全
意味賦与の源泉としての意識が前面に持ちだされた。ここに於てひとり当体的な存在に固有なものと考えら
ではなく、表現せられるもの、意義に眼を移すに従って、その指示と充実とが問題となり、意義の中核たる
吾々はここに現象学そのものの生成を見ることができると思う。最初、普遍数学を志した現象学が純粋文
法論の諸形式や言表の論理の諸法則を包括する形式的存在論に関心をもちながら、やがて表現するそのこと
歩ではない か 。
くならば、本質化だけで足りるのではないか。純粋意識との関係に於いて本質を眺むることは相対化への一
に適応するものであろう。しかし何故に二重の過程を必要としたか。もし絶対化ということにのみ目標を置
て絶対的な領分を獲得しようとの望みから生ずるのであるから、現象学の右のような傾向は最もかかる要望
る(
)かくして現象学は二重の手続に従って世界を絶対化しようとする。一はそれを形相
Vgl.
Ideen.
S.
303.
もともと
哲学にとっ
化することに依って、他はそれを意味と化することに依って。素々かの無前提や無立場の要求は、
として意識の中に立命す
て、言わば符号を変ぜられて意味と化するのである。世界は「世界意味」 Weltsinn
粋意識に対応するところの意味の世界である。直面する世界は意識との交渉に於いて考えられることに依っ
れども現象学はこの本質界を、プラトンのイデアの世界のように実在するとは看做さない。却ってそれは純
§
あらた
8
体的な、より具体的な存在の手引をなすものに外ならなくなった。更めて特に本質と認められるのは、多様
*
な意味を貫き、その秩序を可能ならしめるところの指標であると共に、序列ある意味を包みこれを生かすと
ころの領域でなければならない。現象学に謂う意識はそのような本質性の根基である。
* 「本質」の二つの意義については、拙文「貨幣に於ける社会性と歴史性」(『思想』大正十四年七月号)参照。
けだ
し自らを空にして何ものをも受取るもので
吾々は意識のかかる領域としての性質を無として言表した。蓋
ないならば、一切を包容することができないからである。しかし単なる非有としての無は、領域として存立
することは不可能である。意識は無として受容的なる性質を有すると共に、存在の存在として意味を賦与す
うかが
る自発性をもっている。ここで自発性と謂うのは論理的思考が自ら掲ぐる当為に則って作用するというよう
と
4 判断されるとき、先ず主格として ×
2 が
2 作られ一旦完成され、
いったん
な自律性を指すのではない。却ってそれは先ず意識の中に築き上げられる意味の措定の秩序の内に窺われる。
例えば判断の意識をとってみる、 ×
2 =
2
次いでそれが基本措定となってその上に「 に
4 等しい」という措定が打ち立てられるのである。これは始め
あり、終りある自発的工作である。もとより最後に出来上った形象はこの過程を忘れた如くであるけれども、
*
而もこの工作の自発性は、直接には意識そのものにではなく、その中に築き上げられるもの、この場合には
すなわ
生成する過程としての判断そのものに内属するようにみえる。総じて意味はかかる自発的な過程を骨子とす
へんえき
る秩序を形成する。ところが素々この判断は思念されたものである。即ちそのようなものとして意識に現れ
てくるのである。従って意識の側においても、この変易に相応する様相の変化が考えられねばならない。そ
ればかりではなく、意識の側にこそ、絶えず最初なるものを保ちつつ、変様に変様を重ね、自発的な生産を
**
呼び起す源泉が存在する。フッサールに拠れば、かかる不断な変様の生産の流れの中に時間を築き上げる絶
対的な意識が存在するのである。
* Ed Husserls Vorlesungen zur Phänomenologie des inneren Zeitbewusstseins. Jahrbuch. IX. Bd. Beilage XIII.
** Ibid. S. 451, 489.
素々、時間性は「凡ゆる個々の体験に一般的に内属するばかりでなく、一つの体験を諸々の体験と結び合
す必然的な形式である。」ここにいわゆる「充実せられた連続」が成立するのである。フッサールはそのう
えかかる連続がただ一つの体験の流れに属すること、そしてその流れ自らは始めも終りもないことを示して
ただ
)即ち時間を築いてゆくとこ
「真に絶対的なるもの」がここに秘むことを暗示している。
( Vgl. Ideen. S. 163.
ろの意識が絶対的で窮極的なのである。他の側からみれば、時間性は絶対的な意識の最初の発現の形式なの
である。ところでかくして発生した時間性は啻に体験と体験とを結びつけるに止らず、その内に示現する意
へんえき
】も「同時性、継起、時の距、持続、変易とい
Wilhelm Dilthey, 1833-1911
へだて
味と意味とを継ぎ合わせる形式でもある。総じて継次と持続との考えられるところでは、いつもかかる関係
が移し置かれている。ディルタイ【
う諸関係は、生にもまたその内に出現する外的対象にも共属している」と述べている。而も時間は吾々の意
識の包括的な統一として吾々にとっていつもそこに存するのである。そればかりではない。
「吾々の生活の
船は言わば不断に推し進みゆく流れの上を運ばれてゆくのである。それで吾々がこの波の上にあり、悩み、
過去を想い、未来に望みをかける間は、つまり吾々が吾々の実在性の豊富の内に生きる間は、常にどこにで
9
も現在があるのである。」時間性はかくして現在として吾々の生の現実性の根拠を成すに至るのである。ディ
現象学と弁証法
*
10
ルタイがこれを生の最初の範疇的規定として掲げるのはそのような理由に依ってである。時間性はそこで一
参照。
Dilthey, Schriften. VII. S. 102ff.
切の存在を現実的ならしめ、生あらしむるところの契機となる。
* これらの点については
の場と
さて吾々は現象学が絶対的な領域として衝き当ったものが何であるかを知った。それは体験の流れ
さかのぼ
なるところの時間である。更にこれが純粋自我という如きものに依って把持されるという点にまで溯らない
ならば、時間性として変易するものが絶対的なのである。現象学は前提の前提、立場の根拠を求めて固定的
めぐ
なものの代りに流動的なものに到達した。これはこの学問が数学的に永遠な本質を目指していたことを思え
ば、丁度それに矛盾せる結果に廻り会ったことになる。ここに於いてひとはフッサールの現象学について弁
証法的流転を語ってもよいであろう。しかしそれがかかる運命を示しているからと言って、現象学がその内
部に於いて弁証法的過程を承認しているとは限らないのである。二つの事項は全く係り合いが無いと断言し
てよい。今まで吾々は最初の問題を観察して来たのであるが、実はここで主として考究したいのはそれでは
なくて後の事柄なのである。即ち現象学と弁証法は両立し得るか、弁証法的現象学、或は現象学的弁証法と
いうようなものは可能であるか、少なくともかかる組合せの成立する余地はあるか。
二
「吾々が過去
吾々は存在の時間性の解釈の中にかかる手懸りが存しないかどうかを更めて探ってみよう。
を振り返ってみるとき」とディルタイは言っている、「吾々は受動的な態度をとる。過去は変化しないもの
である。もし吾々が未来に面するときには吾々は能動的であり自由であるのを見出す。ここに現在に於いて
こ
現れる実在性の範疇の外に可能性の範疇が発生する。」ハイデッガーも吾々の存在の時間性を語るとき、そ
れが一方に於いて、閉じ籠められていること、投げ入れられていることを意味すると同時にそこから推し開
き、脱れでる可能性を指示していることを常に述べている。この可能性は何を語るのであろうか。
吾々の存在が常にそこに在り、また現在的であるということは直接にそれが本来の自己を忘れて、日常性
と平俗との中に転落して非本来的な生存を営むことを意味する。ところが先立てる打開としての死への存在
を意味する
schuldig-sein
に導かれて、かけ替えのない固有の自己へ呼び覚まされるや否や、転落の境涯は「罪あること」と意識され
るに至るのである。ここに「罪あること」というのは、何ものかを「負えること」
ということではない。罪過は他人によって、また外なる規範や法則
のであって、「罪過がある」 sündig-sein
これにはん
によって、それへの負債として、また違反として意識せしめられる。反之してここに謂う負課の意識は、外
が自己の外なるものに対する恐怖を、
Furcht
なるものに対してではなく、自己そのものに対する意識である。ハイデッガーの言葉を用うれば、
それは「眼
の存在規定ではないのである。丁度
前に在るもの」 Vorhandenen
が自らに就いての自らの不安であること、更に Gedächtnis
が外へ向かうに反して、 Erinnerung
が内部
Angst
*
に止るのと似ている。何ものかを「負えること」は却って吾々の存在そのものに根ざしているのである。
【 邦 訳『 存 在 と 時 間 』】、 Kierkegaard, Abschliessende unwissenschaftliche
* Vgl. Heidegger Sein und Zeit. S. 208ff.
頁】
377-
11
【 邦訳『キェルケゴール著作全集』(創言社)第7巻『哲学的断片への結びの学問はずれな後書(後
Nachschrift. 2. Teil. S. 216ff.
半)』
現象学と弁証法
0
0
12
元来、そこ0に0ある存在は投げ入れられたものとして在るのであって、それ自らに依ってそこへ持ち来らさ
れたのではない。また彼に具わる存在の可能性、脱けでる能力も自らに属するとは言いながら、それに固有
そのものも、本質的に否定的( nichtig
)なのである。
なものとして与えられてはいないのである。 Entwurf
である。言い換えれば「負えること」は「否定によって規定さ
geworfener Entwurf
そこにある 存 在 の 存 在 は
Vgl. Heidegger, Op. Cit. S. 283-285.
即ち「否定性の基本存在」で
れる存在にとっての基本存在」 Grundsein für ein durch ein Nicht bestimmtes Sein
*
ある。吾々の存在そのものが「何ものかを負っている」のである。
* これによって吾々は平俗なる生活からの本来的なる存在への転回が、何を基礎にして可能であるかを知っ
た。それは吾々自身の存在に内属する否定性である。吾々は吾々自らでないものに何ものかを負っている。
吾々はそれならぬものとしての存在を土台としている。それ故にこそ吾々がこの否定性を忘れ、それに眼を
遮いi、それを自覚することを恐れている間は本来の自己に還ることはできないのである。そればかりではな
こぶし版では「蔽い」にしている。「さえぎる・おおいかぶせる」の意であるので、「おおい」と読むのであろう。
合に於いてまさに彼は彼がそこに居ることを抽象しているからである」思考者も亦生活者なのである。抽象
*
存在を彼が思考することに依って証明することは奇怪な矛盾である。蓋し彼が抽象的に思考すると同一の度
この吾々の存在に由来すべきなのであろう。事実キルケゴールの言うように「抽象的に思考する者が、彼の
く、一切の否定の存在論的基礎は斯くの如き根本的な schuldig-sein
にあるのである。論理上の、本体論上の
否定は全てここに根を降している。そうであるならば否定の力を生命とする弁証法は、論理にでなく却って
i
i
あわ
的思考者は二重人格である。一方では抽象という純粋な存在に生活する夢想者であると共に、他方ではどの
大学が最もよい報酬を提供するかをのみ心にかける憐れな大学教授なのである。それ故に抽象的思考や存在
の運行の規則は思考者、最も根本的な存在の存在性の内にその基礎をもたねばならぬ。弁証法の論理はキル
【 同書
Kierkegaard, Op. Cit. S. 15.
頁・第2部第2編第3章第1項「実存在するという事。現実性」
】
33-4
ケゴールのいわゆる Existenz-Dialektik
【 実存弁証法】に対しては抽象的なものに過ぎない。吾々は弁証法その
ものが如何に現象学的解明を必要とするかを悟るのである。
* ヘーゲルやヘーゲル学徒たちのような「あれかこれかの擁護者がもし純粋思惟の範囲に歩み入り、そこで
彼等のことを主張しようと欲するならば、それは不当である。宛もヘルクレスが戦ったあの巨人が地面から
持ち上げられるや否やその強さを喪ってしまったように、矛盾のあれかこれかは、それが生存 i Existenz
か
*
ら抽き去られて、抽象という永遠へつれゆかれるや否や、そのまま取り除かれてしまう」抽象的思惟こそ矛
に限りなく関心すること
Existieren
の内に、その現実性を持っているのに由来している。キルケゴールはこのことを次のようにも言
interessiert
い表している。「生きるものにとっては生存が最高の関心である。そして生きることへの関心性は現実であ
せから成っていて、この二つのものを結び合してゆくこと、生きること
神の一つの契機ではなく、吾々自らの生き方なのである。それは生きた人間が無限性と有限性との繋ぎ合
つな
高き領域としての叡知的直観に於いてではなく、最も直接なる存在に於いてである。それは絶対的なる精
えいち
盾を遠ざける当のものである。矛盾が実在性を取得するのは、ヘーゲルが考えたように、悟性を越えたより
i
13
この論文では「生存」だが後には「実存」の語が当てられる。こぶし版は「実存」に換えているがここは底本通りとする。
現象学と弁証法
i
**
頁】
18
14
る。何が現実であるかは、抽象の言葉では表現され得ない。現実は思惟の仮定的な抽象統一と存在との間の
である。」
inter-esse
* Kierkegaard, Op. Cit. S.【
5. 同書
**
【 同書
頁】
Ibid.
S.
13.
31
ではないが、 Inter-esse
である。ではそれは何と何との間に在るのであろうか。
現実なる生存は Vermittelung
更に吾々がそれでないもの、吾々の存在の否定性として映るものは何であるか。生きた人間は有限性と無限
性とから成り、それらを一つに保つところに、その現実性が在るというが、その無限なるものは何であるか。
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
吾々はこれを宗教家や色々な型の観念論的哲学者と共に「神」という名を以て呼んでもよい。しかしかく
0 0 0 0 0 0 0 0 0
するときには同時に吾々はフォイエルバッハの次の言葉を思い出しているのである。「意識されない神は意
0
0
0
0
0
*
識されたるそれの根拠であり、前提である。そしてこの無意識の神性はまさに人間の生活愛であり、自愛、
人間の根源的な神である。
」それ自身否定
エゴイズムである」「生存、生活こそ最高の財、最高の存在者 ——
を含む人間はそれを脱し「独立で、無制約で、全能で」ありたいと思う、つまり彼は神でありたいのである、
0 0 0
ところが彼はそのようではない。そこで彼が自らありたいところのことは、彼と区別された、そして彼の現
か
実の存在と本質とに対立してただ観念的な、表象の内に、信仰の内に存在するものとなるのである。そうだ
いず
とすれば吾々は神という言葉を藉りてきても無駄である。依然として人間の生存に衝きあたるか、或はもっ
人間の意欲の百パー
と悪いことには抽象的な観念的存在を仮構するか何れかである。人間の否定性の根拠は、
セントの肯定としての神であることはできない。寧ろその意欲が依存し、それを制約し、その力を限定する
ところのあるものでなければならない。
頁】
101
数種出版されている。船山信一訳『フォイエルバッハ全集』第十一巻『宗教の本質(上)』「宗教の本質に対する諸補足と
【 邦訳「宗教の本質」
* Feuerbach, Das Wesen der Religion. Ergänzungen und Erläuterungen 1845 Werke Bd. VII. S. 391ff.
諸説明」第3節
ィルタイは吾々から独立なものの実在性が如何に意識されるかを心理的に分析して、それが衝動と志向
デ
しょうがい
し い
の障碍、意志と抵抗との関係に基づくことを記している。
「衝動、恣意な運動、圧、抵抗、障碍、期待しな
いものの現出、欲したものの拒絶、逆らうものの排除、期待したものの不出現がいつも吾々の知覚や表象や
思惟の運行の言わば内側を成しているのである。これらの内部の構成分が合成し、互いに働き、重なり合う
すく
につれて、形像が吾々に対してもつ実在性の性格は増大するのである。実在は吾々を全く取り囲む強力、何
ものをも目こぼしせず、何ものをも掬いとる網となるのである。衝動、圧、抵抗はかくて、全ての外的対象に、
その堅固さを告げるところの確かな構成分である。意志、闘い、労働、欲望、充足は精神上の出来事の骨組
*
を作り上げるところの常に繰返される中核的な要素である。ここにこそ生そのものがある。それは絶えずそ
れ自らの表明である。」吾々はここからディルタイの生というところのものが、内から衝かれるものとして、
また外で抵抗と妨げに出会うものとして自らを証明していることを学べばよい。かくして闘いと労働とはそ
の中核的な発現形式なのである。そしてその相手として浮び上り、独立な実在にまで凝固するのは吾々の外
15
なる世界、自然である。生はそこに自らの敵と、制限と、妨碍とをみるのである。吾々の存在の否定性の根
拠、有限なるものと絡み合う無限なるものは神ではなく自然なのではないのか。
現象学と弁証法
0 0 0
* Dilthey, Schriften. V. S. 130ff.
16
「もしひとが世界または自然を抽象的な規定に還元するならば、もしひとがそれを形而上的なものに、従っ
0 0 0
て単なる思想物に作るならば、そして抽象的世界を現実界と考えるならば、それを有限的だと思考するのは
論理上の必然である。世界が吾々に与えられるのは、思惟に依って、少なくとも超物的な、現実界を抽象し、
*
この抽象の中へその真の、最高の存在者を措くところの思惟に依ってではない。それは生活に依って、直観
0 0 0
0 0
0
0
0
0
に依って、感性に依って吾々に与えられるのである」とフォイエルバッハは言っている。
「即ち世界は、吾々
0 0 0 0
が決して論理的な或は形而上学的な存在者ではないこと、吾々は単に論理学者や形而上学者とは異なった存
在者であり、それらより以上であることに依ってのみ与えられるのである。ところがこのプラスこそ形而上
学的思索者にはマイナスと思え、思惟のかかる否定が絶対的な否定とみえるのである。彼には自然は対置さ
れたもの、『精神の他者』以上のものではないのである。」「思惟者にとっては思考物が真のものである。従っ
しか
かかわ
て思考物でないものは、決して真の、永遠な、根源的なものではないのである。かくして自然は無にまで消
これにはん
失する。然るにそれにも拘らず自然はある、それが在り得ずまた在ってはならないに関せず。」
「抽象的な思
惟の立場に於いて、もし自然が無に消えるならば、反之して現実的世界観の立場に於いては、この世界を創
0
0
0
0
0
0
造する精神が無に消え失せるのである。この立場に於いては世界を神から、自然を精神から、物理学を形而
上学から、現実的なものを抽象的なものから演繹することは全て論理上の遊戯として現れるのである。
」か
0 0 0 0 0 0 0 0 0
0
0
0
くしてこう結論することができるのであろう。「神、たとえそれが自然と別個な超自然的存在者と考えられ
る場合でも、それが人間の外に存在するところの、哲学者たちの言い表しを以てすれば、一つの客観的存在
者だという信仰は、その根拠を次のことに持つに過ぎない、即ち人間の外に存在する、対象的なもの、世界、
0 0 0 0
むし
0
0
0
0
0
0
0
【 同第十一巻「宗教の本質」第
Ibid. S. 440.
頁】
33
節
10
頁】
12
25
0
自然が根源的にiはそれ自らこの神なのである。有神論が妄信するように、自然の存在が神の存在に基づいて
節
** 三
こぶし版では「対象的なものの世界、自然が根拠的」となっているが、底本の方が原文に添っている。
17
作用の Nichtigkeit
【 無効】を覚らなければならない。志向性の思想のように凡ゆる対象が心理的なるものに
内在するとも考えられるのであるが、志向にはその足場がなければなるまい。そして足場は志向性自らに
いない。感覚するときには神経が、思惟するときには脳髄が無視せられている。吾々は 先ずいわゆる心理
ま
ことに依って直ちに高貴となるのではない。食物を欲し、それを享楽するとき、胃腑のことは考えられて
吾々は、王室の祖先が豚飼いであったことが判るのを虞れて、深くその起りを探るのを禁じたかの襖太利
つまび
ひせん
の皇帝のように、自らの系譜を審らかにすることを恐れてはならない。卑賎なる血はそれが意識されない
オーストリア
【 船山信一訳『フォイエルバッハ全集』第十一巻『宗教の本質(上)』「宗教の本質」第
* Feuerbach, Op. Cit. S. 456ff.
ある。
いるのではない! 反対である、神の存在もしくは寧ろその存在への信仰が、自然の存在の上にのみ基づい
0 0 0
**
ているのである。」自然は吾々の思考や意志の否定ではなく、反対に吾々の思考や意志は自然の否定なので
i
現象学と弁証法
i
0
0
1846」 195
頁】
—
0
0
0
0
18
と
Da
意識するだけでは志向的であるだけであって、超越的なものに達することはできない。これを肉体を伴う実
のにぶつかることである。このとき吾々の肉体が特殊な超越的意義をも
生きるということは自己ならぬいも
だ
つことを知るのである。愛人を擁くとき手はそれを単に考えた場合よりも一層遠くへとどくのである。単に
0 0 0 0
第二巻「肉体と霊魂、肉と精神の二元論に抗して
* Vgl. Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele etc. Ludwig Feuerbach's sämmtliche Werke Bd. II. 341ff.
【同
はただ表皮にのみ存在する」。
*
は生にとって欠くべからざる要素である。生は外から眺むるときのように奥深く存在するのではない、
「生
れは発生しない。フォイエルバッハの言うように「生の本質は生の発現にある」とするならば、吾々の肉体
0
い。否定と制限のないところには闘いと労働とは起らない。しかし否定の否定への動きのないところにもそ
とを見出すと共に、等しく最初の Entwurf
のきっかけをもつのである。ディルタイが示すよう
Geworfenheit
に、生が常に闘いとして、労働として自己を表明しつつあるということは、このことを意味するに外なるま
0
自分以外のものに、世界に、自然に飛びつく足溜りをもたないのである。吾々は肉体に於いて最初の
あしだま
依っては与えられないのである。 "Gieb mir einen Standpunkt-und ich bewege die Erdei心
" 理的なるもののその
ような足場となるものが肉体であろう。吾々の存在がどのようにか心理的なものと考えられる間は、吾々は
i
践に移すとき、苦痛と而して歓喜とを以て生を味わうことができる。そこで存在と本質、肉体と心との区別
アルキメデスの「吾に足場を与えよ、されば地球をも動かさん」だろう。
i
てっ
たいく
たど
は撤せられる。吾々の体躯はかかる生の、実践の最初の足溜りであり、飛込板である。
ることができる。しかし丁度かの思惟の弁証法が生に於いて具
ここまで吾々は生のディアレクティクを辿
体性を獲得したように、今や生の弁証法は一層具体的なるものにその根拠をもたねばならぬ。生は表面に於
いて緊張する、個々の肉体を通じて実践する。かくして超越的なるもの、それ自らなるものに連関する。物
は痛苦の、労働の、闘いの対象としてそれ自身の存在を取得する。吾々は必然的にマルクス的な唯物的弁証
もっ
法に到達しなければならないように思う。しかしそこへの道程はしかく無雑作ではあり得ない。単なる思弁
りんかく
やまた友情や恋愛というような個人的実践を以てしては踏破できない。吾々はこの詳しい考察を他の機会に
譲ろう。ただしかし次の諸点を指摘して輪廓と方向とを知っておきたいと思う。
「ひとは人間を動物と分つのに意識を以て、宗教を以て、その外勝手なものを以てすることができる」0と0
『ドイツ・イデオロギー』【 "Die deutsche Ideologie
】"の著者はi記している。「人間は彼がその生活の資料を生産
し始めるや自ら動物と区別され始める。これは人間の肉体上の組織に依って制約されるところの一歩である。
0
0
19
は然し単なる物理的な自然の発展と人間の歴史とを分つけじめである。それは一方に人間の肉体の構造に
0
個々人の肉体上の組織とそれに依って与えられた残余の自然に対する彼等の関係である」。生活資料の生産
理的自然の永い発展」を負っている。それ故に凡ゆる人間の歴史の最初に明らかにさるべき事柄は「生きた
誕生を人間が動物と分離する点から始めるのは、それを自然史の続きとみることである。人間の歴史は「物
人間はその生活資料を生産することに依って、間接にその物質的生活そのものを生産する。」人間の歴史の
i
共著であるが引用部分はエンゲルス筆。邦訳は各種あり、三木清訳は公開されている。
現象学と弁証法
i
0 0 0 0 0
20
依って、更に他方に「そこに見出され、また持続して生産される生活資料そのものの性質」に依って制約さ
0
0
0
0
0
れる、しかし直ちにそれに応じた特殊な仕方がそこに生まれる。それは物理的な制約を通して表れる生きた
0
0
0
個々人の生き方なのである。「個々人が何であるかは彼等の生産、即ち彼らが生産するところのもの及び彼
らが如何に生産するかとも合致する、」また「人間の自己の生存を維持するために自己の外なる自然に働き
かけると同時に自分自身の本性を変化する。」ここに於いて生産は何よりも生きた人間がもつところの存在
かっとう
である。即ち geworfener Entwurf
である。かくして生産は本来の自然史と人間の歴史とを区別し且つ結合す
るところのそれ自身、弁証法的な契機となると同時に、生産の内に含まれる生産力と生産組織との間の弁証
法的葛藤を具体的に追究することによって、一方に於いて如何に人間が生産における役割に応じて相対立す
つ
る階級を形成し、斯くの如き意味に於いて社会的存在者となるか、また他方に於いて人間歴史の発展が如何
に一定の時機における社会組織の変革として表れるかに就いて、自然科学に匹敵する経験科学的精確さを以
て立言することができるのであろう。ここでは何ごとも普遍的なるものから導出することができず、具体的
な社会的・歴史的情勢に基づいて立言し行為されなければならないけれども、而もなお生産は吾々の具体的
生活の基本的足場であり、変化するものの中の絶対項である。私はここで斯くの如き生産の含む矛盾を枢軸
ば
ね
とする唯物的弁証法が直ちに人間それ自身の存在論の、或は哲学的人間論の規定に由来するのではなく、さ
りとて自然そのままの発展方式でもなく、却って具体的な生活の緊張面としての生産と再生産とを発条とす
る歴史的社会的実在の法則であることを暗示するに止めよう。
最後に吾々と等しくハイデッガーの解釈的現象学から出発し、而もその限界を非弁証法的なる点にみて、
ひ
】という人の所説と吾々のそれとを区別し対質させて、以上述
1898-1979
自らは現象学的方法と弁証法的方法とを結合して、弁証法的現象学の可能を提唱し、延いては唯物史観の現
*
象学を説くところのマルクーゼ【
べたところを一層明らかにしたい。
* Herbert Marcuse, Beiträge zu einer Phänomenologie des Historischen Materialismus.(Philosophische Hefte I. Juli 1928.)
0 0 0 0 0 0 0 0
「現象学の意味するところはこうである。問いと通路とを対象そのものに依って導か
彼は言っている ——
0 0 0 0 0 0
しめること、対象そのものを十分に眼に入れること。ところが対象そのものは掴むに際して、直ちに歴史性
の中に立っている。かかる歴史性の領域は対象を探る問いを提起するに際して、
具体的な歴史的情勢として、
既に発端するのである。即ちそれは問う者の一回的な人格と、彼の問いの方向と、そして対象が最初に現れ
る仕方とを包括する。……しかしそれに止らない。現象学はその対象の歴史性を明示するに止って、対象を
再び抽象性の範域に取り入れるようなことがあってはならない。それは対象をできるだけの具体性に於いて
歴史的対象を歴史性に立って研究するものとして ——
保持しなければならない。という意味は、それは ——
もたら
具体的な歴史的情勢、その具体的な「物質的存立」を分析に齎さなくてはならない。かくしてもし人間の存
あてはま
在の現象学が、歴史的存在の物質的成分を素通りするならば、それは必要な豊富と透徹さに於いて欠くるこ
ととなる。このことがハイデッガーに当嵌るのである。」ところで「まさにこの窮極の具体化は弁証法的方
法の仕事である。この方法に大切なのは丁度次のことである。対象のその折々の具体的・歴史的な情勢を各々
の瞬間に於いて考慮に入れることがそれである。そして真正な弁証法が窮極の具体化の要望を充し、かくし
21
てまた人間の生存の在り方に十分適合するのは、それが具体的な歴史的情勢の認識から人間の生存の決定的
現象学と弁証法
0 0
22
な部分、実践に対して帰結をもつに至ってである。それは言わば具体化の線を一つの方向に極端にまで延長
0 0 0 0
するのである。即ちそれは分析に引き入れる任意の人間的存在を強制して、その全存在を以て実践的に態度
をとるように、その歴史的情勢に応じて行動するようにさせるのである。
」「かくて吾々は一方に於いてハイ
デッガーに依って始められた人間的存在の現象学が弁証法的具体化にまで躍進し、具体的な存在と時に応じ
ふた
歴史的に要望される具体的行為の現象学に完成することを望むと共に、他方に於いて認識の弁証法的方法は
現象学的となり、その対象の十分な捕捉としての具体化を他の方向にも取得せねばならないのである。
」
「両
*
つの方法を結合して、即ち常にできるだけの具体化の方法である弁証法的現象学となって、初めて人間の存
在の歴史性に適応することができるのである。」
* Ibid. S. 58ff.
はなは
吾々は長きに過ぎる位の引用をした。それは主張者の議論が甚だ卒直で吾々が看過してきた点に於いて教
えるところをもっていると考えたからであった。しかしこの行論は何といっても余りに早急である。現象学
みち
をハイデッガーの意味に解しても、その方法と弁証法とはしかく無雑作に附け合せられることはできまい。
もし二つの途が結合されることができるとすれば内面的に可能でなくてはならない。それには現象学の内に
弁証法を取り容れる余地があると同時に弁証法が現象学的に解明される必要が存しなければならない。吾々
はこの二つの要求が人間の存在の基礎的な否定に由来する Existenz-Dialektik
に於いて満足されるのを見た。
しかしそこから「具体的な歴史的情勢の認識から実践にまで帰結を惹く」べきような弁証法、とりも直さず
唯物的弁証法に至るには距離がある。そこへは人間の存在の歴史性というような存在論的規定からは直ちに
行き着き得ない。総じてハイデッガーの人間解釈を直ちに経験的な歴史的・社会的実在に適用しても効果は
ない。それには存在論的命題を経験的実在の平面にまで具体化しなければならない。この意味で現象学的弁
証法は唯物的弁証法でなく、弁証法的現象学は弁証法的唯物論ではない。如何なる意味でも唯物論を現象学
とすり換えることはできない。吾々は弁証法的唯物論の平面に於ける人間の根本的規定として、生産を持ち
来ったのであった。物質的にして且つ生活の仕方を表す生産の弁証法を具体的に追究することに依って、物
質的生活の様式が如何にして実践を、また諸々の観念形態の産出を決定するかを知り得ると思う。マルクー
ゼの弁証法的現象学の提唱は余りに一足飛びである。現象学は唯物弁証法に達するには一度自己を否定せね
ばならぬ。
この学者の同じ欠点は彼の唯物史観の現象学の試みに於いても暴露される。彼が唯物史観の認識基礎を成
すマルキシズムを以ってそれの意味が認識の正当さに尽きる科学的理論ではなく、社会的行動、歴史的行為
の理論であり、従ってそれに対しては変革を持ち来すべき急進的行為の歴史的可能が重要であるというのは
なぞら
正しい。しかし来るべきものがいつも「現存するものの否定」として現れることを以って、直ちにハイデッ
「それは実践的
ガーが本来の生存への運命を自覚した打開を、過去への「反抗」として示すことに擬えて、
ひ
具体化へのマルクス主義的突進であり、革命の理論である」と断ずるのは早い。ここでも人間の存在論的規
定は直ちに革命を惹き起しはしないのである。寧ろハイデッガーにあっては本来の人間の存在は掛け替えの
ない個人でさえあるのである。彼は、そして吾々は解釈的現象学の万能を信じようとするのであるか、それ
23
ともマルクス主義の方法と哲学を鮮明にしようとするのであるか。もし前者であるならば現実の世界に降り
現象学と弁証法
え
せ
24
てくる要もなく資格もない。もし後者ならば最新の哲学的立場だという理由でハイデッガーを以ってマルク
スを発展させ補足することは危険である。それはやがてレーニンが当時のロシアの似而非マルクス哲学者た
ちに放った非難を受けることになろうから。「彼らはオストワルトを読めばオストワルトを信じ、オストワ
ルトを敷写しにし、そしてこれをマルクス主義と呼ぶ。次にマッハを読めば、彼らはマッハを信じ、マッハ
を敷写しにし、そしてこれをマルクス主義と呼ぶ。ポアンカレーを読めば、彼らはポアンカレーを信じ、ポ
アンカレーを敷写しにし、そしてこれをマルクス主義と呼ぶ!」( 山川・大森訳、レーニン『唯物論と経験批判論』
一九二九年九月
)吾々何れかに態度を決せねばならぬ。かつて無前提
五六九頁【 改造社刊・国会図書館近代デジタルライブラリー】
と立場の排除とを標榜した哲学はかくして党派的性格を露にせねばならぬ。
底本 『:思想』 1929.10
参照 『:現象学と唯物弁証法』(こぶし書房)
哲学の社会学化
一
ディセニウム
天才は暦日を創るといわれるけれども我々凡人は暦の進みに支配される。一九三〇年! 新たなる十年の
始まりは我々に個人的な反省と決意とを強いると共に広く社会の歩み
i の上にも何か革進的な展開を予想せし
める。事実この世紀も三分の一を経過したのである。もし一つの世紀にそれを特色づけるような中心観念が
、従来の文化の変遷は一つの形式が他の形式を克服する点に存したが、今や生が凡て形式一
うのである ——
般に対し戦いを挑み直接なる流露の口を求めている。この観察は当っている。しかし単なる生の概念が我々
すべ
】は一九一四年までの世相を包括して生の概念をもって特色づけよ
嘗てジンメル【 Georg Simmel, 1858-1918
あら
とい
うとした。凡ゆる時代においてこれほど生が形式に対して全面的に抗争を開始したことはなかった ——
のではない。それ故に回顧も展望も一つの希求として以外には示し得ないのである。
である。我々にとって現代は生活すべく創造すべく課せられているのであって、批判すべく与えられている
まして我々がその中に生き、そこから一歩も踏みだし得ないところの現代の全面を外から描くことは不可能
とも近きものはもっとも見透し難き道理である。前世紀の風貌さえ明確に把握されているとは断言出来ない。
見出され得るとするならば、もう我々の世紀のそれもそろそろ表面に浮び出てよいはずである。しかしもっ
i
25
の時代を他との相異において規定するかどうかは疑問である。寧ろどの過渡期にもどの転形期にも同じ事が
「決意と…の」は追加された文。
哲学の社会学化
i
26
いい得るのではあるまいか。そこではいつも裸の生が固定せる形式を搖り動かし打ち崩すようにみえる。こ
の意味で大戦は確かに生の朗らかな爆発であったのだ。しかし過渡期はそれが自覚されるや否や消滅する。
今や我々の関心は裸なる生ではなく新たな装いに包まれた生に向けられる。
二
あた
0 0 0
哲学は時代の自覚であるといわれているけれども必ずしも時代と歩調を共にするのではない。寧ろそれは
お
きょうどう
み な
時代を逐いゆくとは考えられても時代を嚮導するとは看做されない。物みな過渡期を経過したように見える
たいとう
時に方って哲学はやっと自らにも推移の可能であることを意識し始めるに過ぎない。近頃の種々なる型の歴
史主義的哲学の擡頭はそれを物語るものに外なるまい。ここで「哲学の社会学化」と唱えるものもこの風潮
の直接の継続を指すのである。
】であろう。彼は超時間的な価値と規範
この傾向の先駆者はマックス・ウェーバー【 Max Weber, 1864-1920
とを掲げ、それとの合理的な係縛の下に凡ゆる経験的事象を解消しようとする一切の教理的哲学に対して懐
ひたすら
疑的態度をとる。その結果自ら歴史上の、また社会上の研究をなすに際して哲学的認識論の支持を求めない。
彼には一方に超越的妥当性や他方に内省的明証やはどうでもよい事柄であった、只管に経験的妥当性、詳し
そ
くいえば歴史的社会的事象の把握に際して如何にしてその認識が経験科学としての確実さを獲得し得るかが
0
0
尋ねられるのみである。彼の好んで用いる理想型概念はかかる方法的要望に副って生れたのである。ところ
がウェーバーにとっては実在はどこまでも個別的な非合理な一回限りのものである。であるから事象をある
たすけ
観点から一方的に抽象して作りあげたところの理想型概念をどんなに組立てても実在そのものは写しだされ
ない、それはあくまでそれに照して実在の理解が援られるような用具であるに過ぎない。しかもこれは実在
を把握するために欠くことが出来ない。教理的な哲学は経験的実在の認識に於いて無i視し得るけれどもこの
理想型の組成は手放すことができない。そしてこの特別な概念の体系は実在の不合理を反映しながらも概念
宗教的倫理的活動との関連において観察されている。この事は事象を具体的に全面的に把握しようとするこ
実在の理解の用具として本来の存在から遊離させられたけれども、ウェーバーは具
ここでは知識は経験あ的
た
体的な歴史的解明に方って人間活動の各々を孤立して考えてはいないのである。例えば経済的活動は爾余の
三
会学に克服されたのである。
哲学的認識論の道途が斥けられこれに換えて社会学がすえ置かれたのである。即ち方法論としての哲学が社
るから適当に社会の学と称し得よう。かくの如くしてウェーバーにおいてまず歴史的学問の研究方法として
性と合理性を具えており、しかも歴史と等しく人と人との、また人と自然との交渉と葛藤とに関するのであ
目標として取りあつめられた概念およびその組成から成っていて、自から純粋な歴史とは異り、もっと普遍
上の合理的連関に支えられた一つの学問を構成するはずである。この学問は歴史的個別的事象の意味理解を
i
27
との当然の帰結である。それならば独り知識的活動だけがこの存在の全体的関連から仲間外れされてよいわ
新聞では「方って」だった。
哲学の社会学化
i
せんめい
28
けはない。事実、認識的行為と他の人間活動は写すものと写されるもの、手段と目的という以上に緊密な関
係に立つものに相違ない。この事情を理論的に闡明にするのはディルタイ【 Wilhelm Dilthey, 1833-1911
】の構
造連関の思想である。人間の生活方向のどれもこの精神の基本的構造に編込まれていないものはない。一方
に底知れぬ本能と衝動と、他方にそれを阻止する周囲の世界への受動的にしてかつ能動的なる態度、両者の
この土地から全ての人間活動が自然的に生長し分岐するのであ
交渉から生ずる生活感情と実践的行為 ——
る。知識的成果も亦この精神の樹に咲いた花の一つに過ぎないのであろう。
といってもこの関係はヘーゲルにおいてのように唯一なる絶対精神が自己実現の過程に様々なる面貌を現
示するというようなものではない。却って我々が直接に体験し得るのみならず、また人間活動の永い歴史に
おいて実証し得るところなのである。ディルタイもこの目的のために特殊な生の心理学を構想し、生彩ある
形而上学の歴史を書いた。そこでは明らかに認識活動は精神の全体的構造との連関においてみられている。
しかし心理学的分析と記述とに耐えるのは歴史的に具体的な構造を把握する手段となる普遍的な骨組だけで
ある。構造の組立はそれほど一律ではないのである。歴史的には構造にも種々の形態があることが認められ
つ
る。そして形態の特色に応じて各々の活動、従って認識の地位も変化する。かくして構造関係からそれを担
う「精神」が消去されて存在の全体という思想がこれに代る。即ち存在全体の構造が時代に伴れて変遷する
と考えられるのである。かく様々の形態を呈する存在の全体的関連の下に認識を従属させようとするところ
】によって提唱されたのである。かく
Max Scheler, 1874-1928
からディルタイのいわゆる世界観の学、形而上学の現象学、更にそれを実証論化し一層方法的に整理したも
のとして知識社会学がマックス・シェーラー【
してウェーバーにあっては唯自己の任務でないとしただけであって必ずしも排斥されず、寧ろ哲学者の本来
の領域であるかの如く看做された認識論もまた社会学者の手に奪われるに至ったのである。
四
かかわ
だが哲学は方法論や認識論の外にも尚、否そこにこそ固有の領域を持っている。それは独特の形而上学を
樹てて宇宙を整理し人生を指導しなければならない。この努力は何らか普遍的承認を要求するところの価値
の体系の理論となって現れる。事実、存在は価値に係らしめることによって初めてその意義を発揮すること
が 出 来 る と 解 せ ら れ る。 と こ ろ が 価 値 と そ の 序 列 も ま た 今 や そ れ 自 身 の 存 立 と 権 威 と を 保 つ こ と が 出 来 ず
ま
却って反対に存在の中へ解消されようとしている。いわゆる観念形態の説がそれである。そこでは従来の価
値は存在の基体の上部構造に過ぎず、両者相俟って存在の全体的建築を造り上げるのである。観念形態は一
次的にはそれ自身の秩序を持たずその配置と組成は常に基礎構造によって規定される。そればかりではなく
各々の内容と特質も専ら後者との交錯関係に立っている。かくして嘗ては存在の価価への依繋が強調された
が今や価値の存在への結合が唱えられるようになった。哲学はここにおいて最後の拠り所をも放逐されたよ
うにみえる 。
観念形態論の有力なる一例示となったのは断るまでもなく新興社会科学である。これは素々唯物史観とし
て生長して来たのであるから、これもまた別派の歴史主義としての特質を具えている。唯かの知識社会学的
29
歴史主義は時代に応じて特定の存在形態を列挙するだけであって、その相互の連絡について法則性を考えな
哲学の社会学化
ひっさ
30
いのに反して新興社会科学は唯物弁証法を提げてそれぞれの形態の背後にその生起と消滅とを支配する存在
の基本的連関を明らかにする。ここにおいて単なる存在の形態学という以外に、形態と形態とを貫きいわば
全体を指示する学問が可能になる。
】は哲学の歴史に照して一歩々々哲学の領分が経験
夙にヴィンデルバント【 Wilhelm Windelband, 1848-1915
的個別科学に譲渡されてゆくことを明らかにした。この進運は爾来少しも緩められずヴィンデルバントが唯
一安全地帯としてとって置いた価値界をも侵そうとしている。哲学は昨日心理学を生みだしたように今日社
会学を生み落そうとしている。この哲学の経験科学化はフッサールが哲学は教え得べきものであると宣言し
た時から始まっていると考えてよいであろう。現象学はその前兆であった。果してそうならば既に哲学の活
動すべき余地はないのであろうか。
五
この点について暗示を供するのもまた新興社会科学である。それは観念形態論や歴史主義的側面の外に新
興階級の政治的実践の理論である。唯物的弁証法も何らか論理上の法則というよりは実は階級の現実的実践
の中にその生命を有っている。カントは実践の中に物自体の境涯を認めたが社会科学も実践の中に物自体的
要素を発見するといい得よう。但その実践はカントにおけるように個人の超越的な人格に係るのではなく階
級の現実的な存在に根ざしている。故に一方は倫理的であるに反し、他方は政治的でなければならない。だ
が実践に固有な非合理性・自発性・創造性はこれを共有している。ここに至って単なる歴史主義と社会科学
たもと
とはきっぱり袂を分つ。前の見地に立てば社会科学もそれ自身特殊の観念形態として外から眺められ進んで
は批判の対象となる運命に置かれる。ところが後の立場においてはかかる余裕は存し得ないのである。それ
自身において観念形態という如き無力のものでなく新興階級の存在そのものだからである。理論と実践とは
一つの絶対な存在となって弾丸の如く爆発するのである。そこでは「時代の自覚」とか「存在への結合」と
か「配置」・「形態」等々の概念は重きをなさないのである。我々はこの爆発中に、何か経験科学化され得な
いところの宇宙的脈搏を感じ得ないであろうか。
31
脱稿、所載論文を生前刊行されるはずだっ
昭和四年十二月(昭和五年『一橋新聞』一月一日号所載論文訂正)【 1929.12
た論文集用に手を入れたとの意】
底本 『:哲学と経済』
底本の親本 『:一橋新聞』 1930.1.1
哲学の社会学化
現象学の社会学的帰結
序
はなは
32
現象学はフッサールによってその根本的方法と基礎的諸概念とを指示されたとはいうものの、一々の領域
に亙って現象学的研究がどんな途を選んだらよいか、又それがどんな結果を挙げるかというような事柄に関
めぐら
してはフッサールから直接に聴くところは甚だ稀なのである。人も知るようにフッサールは数学について第
一に、次いで論理の問題の考究に独自の方法を回して漸次いまの現象学を精練し完成し来ったのである。こ
のフッサール自らの研究の経歴はもちろん現象学の成立に欠くことのできない寄与とはなっているが、他面
この師祖の考察の射程をも決定するものでなければならない。フッサールは「イデーン」の第二巻以i下に収
ひけん
むべきものとして「自然と精神」と題する原稿を有するとのことであるが、その内容を聴講し或は特に披見
存在の個々の領域についての現象学は確かに或る範囲において応用的な性質をもっている、しかし単にそ
れに止るのではない。というは元来、現象学は数学や論理学のような形式的存在の学に終始するのでは足り
事象について言うことができる。
うしても各分野に亙っての考察はフッサール以外の学者に俟たねばならない。このことは特に人間に関する
を許されたと称する少数の門弟の引用から察しても、そこに多くのものを期待することは無理であろう。ど
i
ないで、それらの存在の精確さをもう一度純粋意識の領域に還元して意味的存在と化する必要があるからで
戦後刊行、第二巻「構成についての現象学的研究」第三巻「現象学と諸学問の基礎」複数の邦訳あり
i
ある。フッサールが「厳密」 Strenge
というときに意味するのは単なる精確さ Exaktheit
ではなく、純粋意識
との連関においてものをみることを指すのである。すでに純粋意識がただ形相的存在に止らないで、領域の
領域、原始的領域という位置を占めるのであるならば、現象学はフッサールのいわゆる形式的存在論として
ではなく領域的もしくは実質的存在論としてその特質を発揮すべきである。そうだとすればどの領域に対し
ても現象学的方法が効果あるものであることを如実に示すことは取りも直さず現象学そのものの存立を拡充
せしめる所以である。これに反してもし何らかの存在に関してこの方法を適用しても無駄であることが判明
するならばその限りでは現象学的哲学の限界も明るみにだされることになる。
Adolf Reinach, 1883-
Dietrich von Hildebrand,
この意味においていわゆる生、精神、総じて人間に関与する領域は興味を喚起せしめるに十分である。早
くから倫理、社会さては法律の境について比較的数多くの研究が進められた。フッサールの編する現象学年
】
、フォン・ヒルデブラント【
Max Scheler, 1874-1928
*
】、 ア ド ル フ・ ラ イ ナ ッ ハ【
Edith Stein, 1891-1942
】等の諸論稿を掲げている。近頃マルチィン・ハイデッガー
Gerda Walther, 1897-1977
】がかかる立場を推し進めて人間の見地から一派を建て、フッサールの現象学を
Martin Heidegger, 1889-1976
】、ゲルダ・ワルター【
1917
】、 エ デ ィ ト・ シ ュ タ イ ン【
1889-1977
報だけでもマックス・シェーラー【
【
いとま
構成的であると排斥して自ら意味理解の現象学を企図していることは人々の能く知るところである。吾々は
それらの学説の一つ一つを紹介し且つ検討する遑を有するものではない、その上かかる試みは無駄でもある、
蓋し現象学はその性質上各個の意見の開示ではなく、事象を素直に観察し記述することを趣旨とするのであ
33
るから、その出来上った描写に対して異見を挟むという事は見当外れなことなのである。ただ吾々は彼等が
現象学の社会学的帰結
あた
34
どんな観方をしているか、どんな描き方をしているかについてその適、不適を言い得るに過ぎない。そこで
吾々は社会的存在の分析記述に方って従来、学者たちが採り来った方策をとり上げて、それらがかかる存在
の真相を浮び上らしむるに適切であるかどうかを吟味しようと思う。
* フッサールの直流以外は現象学に共鳴を感ずるこの方面の学者に尠くない。特に社会学者に多い。ジークフ
】
、テオドル・リット【 Theodor Litt, 1880-1962
】、フィーア
リート・クラカウアー【 Siegfried Kracauer, 1889-1966
カント【
】にその主なるものであろう。法律においてもフッサールの子息ゲルハルト・
Alfred
Vierkandt,
1867-1953
フッサール【 Gerhart Husserl, 1893-1973
】を初めフェリックス・カウフマン【 Felix Kaufmann, 1895-1949
】、その
他ハンス・ケルゼン【 Hans Kelsen, 1881-1973
】なども一味相通ずるところがあるのであろう。経済学の範囲は
おいてに未だ断片的な雑誌論文の域を脱していない。倫理・宗教の方面ではカトリック的傾向と結合して極め
て有力である。
一
現象学的探究はフッサールの「イデーン」における方針に従って対象的側面と作用的側面とに分けて取り
行われるのが普通である。社会的存在の場合にもこれに応じて社会の対象論ともいうべき方面と社会意識論
というべき方面とを分別することができる。
先ず社会を他の存在と並べて対象と解するとき従来の構成的現象学がその構造を描く方式は土台づけ
の関係である。フッサールもマイノングも対象を底礎とその上に築かれる高次のものとに分けて
Fundierung
*
段層的に分析している。社会結合の基礎関係として「共感」 Sympathie
の観念を取扱うに際してマックス・
**
シェーラーはまたこの方式を利用している。彼の共感の説については後に述べるとして果して社会関係をも
他の対象と同じようにかく雛壇的に観て差支えないのであろうか。
* 「土台づけ」という規定を以て意味するところはフッサールが「論理研究」第二巻第三研究において謂うも
のとマイノングが「高次の対象及びその内部知覚に対する関係についての研究」
(論文集第二巻)の中で指す
ところのものとは必ずしも同一意義ではない。前者は単純なる対象の独立・非独立に関する規定であるが、後
者は実在せる対象の表象に対して知覚がとると同じ位置を観念的対象の表象に対して形成するものであって寧
ろフッサールの主張する範疇的直観に近い性質をもっている。本文で意義あるところは前者である。この点に
ついては拙稿「形式化と普遍化」
(
『哲学研究』大正十五年九月号六七頁以下【「2普遍化」第三節第2文節以下】
)
【 邦訳「シェーラー著作集」第8巻「同
Max Scheler, Wesen und Formen der Sympathie. 1923 S. 4, 31, 66, 112 ff, 177.
】
p33, 68, 114, 174-, 257
を参照。
** 情の本質と諸形式」
吾々はシェーラーの思想に結びつけて論を運ぼう。彼は社会を純対象的に解明しようとするのではない、
却って生の本質から発現する意味的構成物として理解する。従って彼が「土台づけ」の規定を用いる時、そ
こに例えば関係というような高次な観念的対象が関係項というが如き実在的対象に土台するというが如き形
35
】
)価値の感得は土台づけの秩序に従えば知覚
p33-
式存在論的構造はみられていないのである。寧ろ作用と作用との間柄が叙べられているのである。或は情意
作用の基に知的作用が存在するとか、( 四頁以下【 第8巻
現象学の社会学的帰結
に先き立たれるとか( 三十一頁【 第8巻
はじゅう
36
】
)、と思うと把住の作用について言えば価値の把捉は他のあら
p68-
】
)、全て「取り選ぶ」ということは愛のなかに土台して
p114-
】
)、そういう風にどれも作用あるいは作用の作用、もしくは作用の存在た
p257-
ゆる対象を土台づけるとか( 六十六頁【 第8巻
いるとか( 一七七頁【 第8巻
る生の構成を示すものに外ならないのである。事実、彼は共感の形而上学をこの土台づけの関係に従って展
)
開しているのである。(「共感の土台づけ法則」の章をみよ【 第8巻】
ところでこの土台づけの見地からものをみると対象であっても作用であっても段々に積み重ねられて立
あたか
体的ではあるけれども下なるものと上なるものとは言わば融け合うことはなくて苑も色分けされたように、
【 相在】を問題とする場合には段層的観方をすることは已むを得まい。というのは
Sosein
明っきりと層を形づくるのであろう。かかる観方が段層的見解として特色づけられるのは当然である。形式
的 存 在、 殊 に そ の
はそれを担う実体なく、賓辞的規定そのままの内容的系列であり、その限りでは本質的秩序をもつこ
Sosein
と例えば色が明暗と濃度と色調の各々において一定の体系を有する如くであるけれども、一旦それらを支え
る主格が問われるとき、語を換えれば種々なる賓辞同士の互の連絡が考えられる時、そこではこれらの実的
な規定が項となって相倚って観念的な実体を築き上げるという風にしか解し得ないからである。ところが社
会を形成するところのものは人間である。この場合に社会は人間に土台するとは言い得ない。蓋し両者の関
係は右に述べたような相在的関係に立つのではないからである。人間の示す本質的秩序は数や論理的形象や
更に色や音のような感性的規定のもつそれとは異って無時間的に固定せるものではない。実在的個人がすで
に生れ死ぬところの時間的存在であるように、人間を存在論的にみるときその存在性は時間的な生成の内に
存在することが明らかになる。即ち人間の本質秩序は存在論的時間の内に展開される。そしてその直接なる
である。かくしてハイデッガーに依って規定せられたように吾々自身は Dasein
と
相は現在と し て の
Dasein
して表さるべきである。もしそうだとすれば人間の構成する社会は Sosein
と構造を別にすべき筈である。
更に社会は丁度人間という主体の賓辞的規定であってその意味で一種の相在としてそれ自身の本質規定を
有するのではないかとも考えられるであろう。形式社会学などの考え方はこれに近いように思われる。しか
【 共存在】
し前項に述べた通り人間が本質上無時間的規定に展開し得ないものであるとすれば、その Mitsein
に外ならないところの社会も亦自らそれに相応する性格を具うべきである。尤も人間存在の時間的生成はあ
おもむき
る長さの期間においてはそれを截断して静止せる面を考えてもさまで不都合を生じないように思われる。そ
のような静態的社会面こそは本質分析に適合し且つ人間の属性として相在の趣を具備するものであると主張
されそうである。しかしながら社会をどのようにか相在としてみることは自由であるとしてもそのことから
直ちにそれが人間という実体の属性であるとは断定されない。例えば共感という人間の本質的性情に基づい
て社会関係が成立するとしても、共感は直ちに社会ではないのである。前者は人間の属性と認められても後
者はそうではないのである。
社会関係の記述に際して「土台づけ」という規定を利用することの失敗は、それが元来対象の構造から暗
示されたものであって、作用の構成に関しては不適切であるのに、社会は何らか作用的方面の関与なくして
は不可能だからである。そこでこんどは作用に関する規定を持ち来ったならばどうであろうか。
37
現象学においていう作用は単なる心理的作用ではない、それは意味を含む作用でなければならない。これ
現象学の社会学的帰結
れんけい
0 0 0
38
をリップスなどの言い方に倣って感性的に対して精神的作用と呼んでもよいであろう。かかる有意味的もし
くは精神的作用の連繋を規則づけるのは因果関係ではなく「動機づけ」の関係 Motivation
である。この規
定は心理学的には意志作用において目的の意欲が手段の意欲を動機づけるというような場合に用いられるの
*
であるが、フッサールはこれを一層一般化して有意味的作用において宛も理由と帰結との必然的関係を定め
るものと考えた。更に動機づけ関係を社会の分析と因んで取り上げたのはエディト・シュタイン【 Saint Edith
もたら
】である。彼【 彼女】はこれを以て「精神生活の基本法則性」であるといい、
また「意味の連繋」
Stein, 1891-1942
**
として心理的なるものを理性の支配に齎し、ついに社会的なる人間の中心を形づくると彼が考えるところの
Husserl, Ideen S. 85 Fussn.
人格にまで導くのである。
* **
年出版される】
1970
E. Stein, Beiträge zur Philosophischen Begründung der Psychologie und der Geisteswissenschaften (Jahrbuch f. Phil. u.
【 単行本としても
Phän. Forschung V Bd. S. 34 ff 84 ff 106)
動機づけ関係は一つの中心ある有意味的体験を規制するものとして一歩人間的関係に近いのであるが、そ
こで作用と作用との、また意味と意味との生起の秩序を決定する源泉を尋ねるならば、それは体験の流を貫
*
ける一つの「自我」である。言わばそれは「自我」の歩み、遂行の過程としてかくの如き規則性を示すもの
である。意味内容の統一という如きものは自我の統一の対象的反映に過ぎないのであろう。果してそうなら
ば動機づけは同一体験の流の内部においてのみ支配するのであってそれを越えて他の自我の作用には及び得
ないものである。即ちそれは個人的体験の規則であるに過ぎない。ところが社会関係の成立には自己の我の
外に、まさに他人の我を承認することが必要である。ここにおいて同じ作用のうちでも動機づけのように自
Vgl. E. Stein, OP. Cit. S. 35
我に閉じこもる性質のものでなく進んで他我の認識に与えるところのものを拾いだす必要がある。
*
二
】である。
Theodor Lipps, 1851-1914
である。フッサールも「イデーン」
この目的に適応するように思えるのはいわゆる「感情移入」 Einfühlung
の中でほんの暗示的な文句においてではあるが主観と主観との間に跨がる作用として Einfühlung
を語って
*
いる。しかしこの言葉と共に直ちに思い起される名はテオドル・リップス【
彼においてこの観念は先ず最初に美学上の基本概念として作り上げられたことは人の知る通りであるが、そ
**
れに止らず心理学一般の重要概念ならしめられると共に実に社会学上の根本概念とも看做されているのであ
る。彼はこの主張に応じて短いながら一つの論文をさえ公にしている。この論文の外に社会学上の個々の問
題の探究に入る予備的研究と考えらるべきものは「心理的諸研究」第一巻第四分冊に収めるところの「他我
の知識」と題する論稿であろう。
* リップスの思想が厳密な意味でフッサールの純粋現象学に合致するかどうかに疑わしい。彼の考え方は他の
独墺学派の人々よりも一層形相的還元を通過しておらず未だ純然たる内省的もしくは記載的心理学の域に止る
ようにみえる。しかし概して言えばフッサールが対象的側面の分析に優れているのに反しリップスは作用的側
39
面のそれに秀でているように受取れる。この意味において吾々はリップスによって多くの現象学への補充を学
現象学の社会学的帰結
ぶことができるのである。リップスの流れを汲んで、
プエンダー【
】、ガイガー【
Alexander Pänder, 1870-1941
40
Moritz
加茂儀一氏の邦訳あり。
(岩波哲学論叢第二十二篇【『社会学の根本問題』国会図書
Die soziologische Grundfrage
】
、ライナッハ等を初めいわゆるミュンヘン派現象学者の一団を輩出しているのは偶然ではな
Geiger, 1880-1937
い。前掲のシュタインもその字句から察してこの流派に近いようである。
**
館近代デジタルライブラリー】
)
によって解決せら
リップスに拠れ*ば他我の認識は普通おおま0か0に説かれるように「類推」 Analogieschluss
れるものではない。第一それはそのような思惟の推論によって行われるものでなく疑いもなく何らか経験に
もと
よって教えられるのである。また第二にもし類推説を固執するとすればその結果はまさに通説とは逆になる
のである。通説に従えば自らの状態を基いとしてその類推を通じて、他人の身振りの中に一定の内部的体験
が潜むことを知るというのであるが、リップスによれば却って他人の身振りの中に一定の情操活動を据え置
くことが最初なのである、即ち自己は他人への観察を侯って初めて一定の目に写る身振りと一定の内部的体
験との連繋についての意識を取得するのである。かくしてかかる連なりを自己へも移し置くのである。それ
ばかりではなくここに問題となっているような場合には一般に類推は不可能なのである。というのは適当に
類推が言われ得るのは次のような事例に限られる、例えば余が煙をみたとする、そして煙と関連して或いは
煙に先き立って火をみたとする。その後に再び余が煙をみるようなことがあるとそのとき自分は類推を介し
0 0
て、嘗て同時に知覚された火をこの第二の場合に附加して考えるのである。即ち自分は新たな所与に際して
自分が嘗て眼前にみたところのものを再度思惟するのである。従って吾々の場合に類推が言い得るとせばこ
あらた
ういうときだけである、例えば余が身振りというようなある生の表出を知覚すると同時にそれと結びつけて
0
0
自ら怒りているとか、哀しんでいるとかいうことを体験するとして、こんどはどこか物体界の中で更めてそ
の生の表出もしくは同種の出来事をみると仮定する。このとき類推されるのは自分が再度自己の怒りまたは
**
哀しみを思惟するということ即ち自己が怒りまたは哀しめることを思うということだけである。結局、類推
】は特殊の実在論の立場からリップスや後述のシェーラー
Erich Becher, 1882-1929
を以てしては自己を脱け出ずることができ得ないのである。吾々に重要なのは類推ではなく全く新しい事実
への移りゆ き で あ る 。
* 今なおエーリッヒ・ベッヘル【
0
0
に抗して類推説を固持している。 E. Becher, Geisteswissenschaften u. Naturwissenschaften 1921 S. 283 参
ff 照。
** リップスの類推説への反対については前掲書六九五頁以下、六九九頁、七〇七頁以下等参照。
「如何にして自らをのみ知る自己に対して「他人」と称するものが生ずるか。自己という主体以外に余の
0 0
意識に対して如何にしてこの特殊の客体が生ずるか」 ——
これらの問に応え得るのはリップスの述べるとこ
0 0
ろに従えば「本能」の外にはあり得ない。彼の意味する「本能」はあらゆる実在認識の根柢に存するところ
の単純なる存在である。一定の感性的現象に対して一つの意識生活が自己にとってと等しく一般的に結びつ
けられているという知識もまた、感性的に知覚されたものの客観的実在のそれ、及び自ら想起するところの
*
過去の己れの意識体験のそれと共にこの種の知識に属するのである。それらは何ら基礎づけられることなく
また「明透」だというのではないが、ただ単純にそこにある。そしてここに挙げた第一の本能が即ち感情移
41
入と呼ばるるところのものである。この本能は更に二つの側面をもっている、一は生の表出という本能的衝
現象学の社会学的帰結
0
0
42
動であり、他は模倣のそれである。先ずその底に意識体験を想わせるところの感性的現象は単純に死せる対
0
0
0
0
象として存在し、それに外から生活活動が附加されるというのではない。もともと内なる体験の表現として
0
0 0
のみ吾々の意識に示されているのである。そしてこの表現という作用は単に対象的な出来事ではなく我の活
0
0
動なのである。しかしかかる活動は自己の生の表出についてばかりでなく他人がそうすることも吾々に意識
されるのである、余は他人について「彼が怒ったときに怒った顔をする」と言う。ところで余はこの場合に
他人の働きをみることも知覚することもできないのであるから自己の内にただ自己の内に体験する外ない、
即ち他人の身振りの知覚の中で直接に余は自己の働きを体験するのである。模倣の本能と称せられるのは
**
まさにこのような意識体験である。模倣の衝動はまた二分されて一は恣意的なもの他は非恣意的なものにな
る。後者は審美的感情移入の要因たるもので、ここに係るのは前者である。かくして自らの働きとして体験
されたことのある表出の活動が、他人の示す一定の感性的現れを自由にしかし自ら模倣することに依って、
再び呼び醒まされ、言わば他人の感性的存在が自己と一体となることに基づいてその底にもかかる活動を可
能ならしむる自我が承認され、かくして他我の実在についての吾々の知識が成立するのである。
* 前掲書、六九七頁七〇九頁以下参照。
* * Vgl. Theodor Lipps, Einfühlung. innere Nachahmung und Organ empfindungen 1903, 190 ff auch Derselbe, Leitfiden
】
der Psychologie 1903, S. 191 【
ff. 大脇義一訳「心理学原論」(国会図書館近代デジタルライブラリー)
だが吾々にとってはこの意味における感情移入もまた社会関係を成立せしむる意識として満足ではない。
吾々はリップスの叙べるところを聞いて結局、自我とその活動の体験は他人については不可能であるという
ことを教えられたように思う。他人の感性的挙措を何らか生の表現と考えるにも、それを一旦模倣して自己
0
0
の肉体運動に移し己れの自我の活動の表出と結び合せて考えることが必要なのである。ただその過程が本能
*
と称せられるほど直接的でありまた内面的なだけである。そこに自己が体験できるのは依然として己に固有
な自我の活動であるに過ぎない。意識はやはりモナド的性質を脱し得ないのである。かくしてもなお他人と
自己との間に共通意識の成立し得るためにはシェーラーの言うように、体験と表現との間に原始的な連関が
**
存在して、それは特に人間の表現運動にのみ制限されないであらゆる生あるものの表現の言葉に通ずる言わ
ば普遍的文法であると解して、個我と個我との間に一種の予定調和を想定しなければならないのであろう。
M. Scheler, Op. Cit. S.【7 邦訳著作集第8巻
】
p38-9
0
0
* フッサールも社会学的意見としてある種のモナドロギー的考えを有するそうである。その詳細は不明である
が彼の意識の解釈がやはり個我中心だからではないかと想像される。
**
第二にリップスの問題の提出は余りに主知的である。後においては他我の知識が問題なのである。感情移
入というけれどもそれは他人の実在に関する本源的認識に過ぎない。それが感性的知覚や記憶と同列に並べ
それぞれ
られているのでも判るが、図式的にみれば外部的知覚と内部的知覚と更に両者の結合の意識とについて彼は
と一体であり、寧ろその一契
夫々「本能」を承認しているのである。彼は表出活動が内部的な情緒 Affekt
機に過ぎないことを述べているが、決してそれは情緒そのもののではない、まして移入活動はそうではない
のである。その証拠には、ある身振りをみて直接に感得し得るのは他人の情緒の「表象」である。ただ繰返
43
えし自己の情緒が表出される傾向を取得するに従って他人の身振りの内にも情緒を表象するに止らずそれを
現象学の社会学的帰結
44
*
体験するに至るのである。共に喜びまた共に哀しむといういわゆる共感はかくして成立すると彼は考える。
しかし表象が繰返しによって情緒にまで達し得るであろうか。他人の喜びを思い浮べることと他人と共に喜
Vgl. Th. Lipps, Op. cit. S. 719
ぶこととは本質的に異らねばならぬ。
* この点に関してマックス・シェーラーひが共感を以て他の作用に帰し得ないところの根源的事実であると
すると同時に、更に一層自己と他人、延いては生あるものの一切を連結するところの意識として「一体感」
を採ってくるのは学ぶべきところをもっている。このうち共感はシェーラーによれば他人の存
Einsfühlung
*
在ばかりでなくその個性をも予想するものであり、彼の倫理説において重要な位置を占める人格協同体の概
念にとっては不可欠な要素であろうが、社会関係についての本源的意識を問題にしている今は却ってリップ
スの感情移入に対すると同一の理由によってこれを斥けておかねばならぬ。吾々にとってそれよりも興味の
あるのは「同一感」である。これは感情移入のように模倣衝動というような他働的媒介を必要とすることなく、
、心理的もしくは自我作用
Vitale od. Leibakte
精神
psychische od. Ichakte
また自己の表出運動を再生し投射するというような超越的な手続をも必要としない。シェーラーは一般に作
用を分けて活力的もしくは体躯作用
としているが、純粋な一体感は第一の作用あるいは意識に属する
的もしくは人格作用 geistige od. Personakte
**
ものである。この意識はあらゆる生と死の衝動、熱情、情緒、食物や性に対する衝動の住家である。これは
一方に生物的現象であると共に形而上学的波及力を有する事実である。シェーラーの一体感の分析は共感語
の中において特に優れたるものをもっている。そこからは独自なエロチィクや倫理説あるいは教育説をも汲
みとることができるが、就中晩年の彼が唱えた哲学的人間学に対する豊かな土壌をそこにみることができる。
***
しかしそれらのことはさておき当面の吾々にとってはシューラーが未だ個我とその投射とを前提しない境に
於いてあらゆる生あるもの、それに止らず体躯を通じて「偉大なる永久の母、自然」との合体を感得する意
識を認めたる点に興味が存在する。そして彼がこれを活力的作用の領域に深めたのは当然である。蓋しリッ
プスは精神的作用において論を進めたが故にかかる作用の主体としての自我の絶対性に逢著せざるを得な
かった。人は自我を没していわゆるバッカス的陶酔に導かれるとき却って「生きたる自然」 natura naturans
を宿すに至 る の で あ る 。
】
p188
* Scheler, OP. Cit. S. 43【
】
ff 邦訳著作集第8巻 p84**作用の区別については同書一九四頁、活力意識としての同一感については同書三五頁、三七頁を参照せよ。【 邦
】
p281-, 73-, 76-
同書一二三頁。
【 邦訳著作集第8巻
訳著作集第8巻それぞれ
***
三
あい
かかる同一感は、いわゆる活力的意識の境においてのみ可能なのであろうか。成程そこでは原始
しかし、
しゅんどう
的な生の蠢動と乱舞とは味わい得るであろう。けれども、それは生の盲目な歩調であって秩序ある行進とは
言い得ない。もし生が全般的存在と相関連し調和ある動きを示すべきであるならば、あらゆる作用を通じて
45
一つの同一感が存せねばなるまい。衝動はただ盲動するに止らず透徹な洞察に導かるるものでなければなら
現象学の社会学的帰結
おもむ
46
ぬ。吾々はリップスにおいてその感情移入の説が余りに知に偏するの結果これを去ってシューラーの同一感
というような最も本源的な情意作用に赴いたのであるが、今や認識も衝動も離ればなれに考えることなく一
つの連関のもとに摂取する必要に迫られる。そしてかかる要求は構造聯関の考えによって充たされそうであ
る。
*
共感論の中でも「土台づけ」関係を語りながら諸所に構造聯
シェーラーもまた最近の論文ではもちろん
そもそも
関を想像せしむる思想を述べている。だが抑々この思想の由来と解明とはディルタイ【 Wilhelm Dilthey, 1833-
】に求められなければならない。彼においても周知の如くこれは心理学上の概念として発展せしめられ
1911
た。詳しく言えば自然科学の方法との比論によって心理現象をも一旦、単純な要素に分解し個々複雑な心理
を説明するのにこの要素の適当な集積を以てしようとするいわゆる構成的説明心理学に対して、心理現象を
不可分な全体と看做してどの部分的現象も全体との関連を有しないものはないのであるから、現象に区別あ
らしむるものはただその各々の全体における機能的分岐に過ぎない、心理学はよろしくこの全体とその肢体
との合目的関係を見わけそれを忠実に記述すべきであるとするいわゆる分肢的記載的心理学の基本概念がそ
れなのである。しかし漸次にそれは単に心理的なものから切り離されて一般に生の基本的構造と看做される
に至ったのである。ディルタイによれば生の根源はやはり衝動であり、盲目なる意志である、しかしその活
動の方向は必然的に周囲の対象によって遮られる。そればかりでなく絶えず環境から影響を蒙っている。か
くの如く環界からの波及とそれへの働きかけとこの交互作用の内に吾々の生が成立するというのである。知
覚を通じて世界が投映されそれが種々なる思惟の過程を経て整理され、形あり持続あるものとなれば、やが
て意志と衝動との方向に応じてその適、不適が、即ち何が価値があるかが取り分けられ、ついにかかる標準
に従ってあらゆる事物を作為し変改し指揮しようとの行為を誘導するに至るのである。このような知識と価
【底本では前 文の末に*が附いていた。
】
Dilthey, Ges. Schriften V. S 372 参
ff 照。
値の判別と実践的行為との一列なる繋り合いが生の構造聯関なのである。
* 例えば
このような見地のもとにおいては個人は社会の一分肢としてのみ存在する、そしてまた社会はそれ自身す
でに構造的な個人から成立するを以て等しく構造的な規則性を示すのである。構造概念は初めから人と人と
の結合、人と自然との交渉を基として構成されていると言ってよい。そこでは社会関係や社会的意識の成立
は疑われる余地は存し得ない。個人は他人と共にもともと一層大きな関連に編み込まれているのである、社
しま
会は投射的な移入によって初めて出来上るのではない。それかと言って個我も社会も一如なる意識下の躍動
へ解消されて了うのでもない。個人には個人の生の、社会には社会生活の各々独自の秩序ある構造聯関が存
在するのである。後者の主たる形式はディルタイによれば目的聯関に基づく文化諸体系であり、国家や家族
などの社会の外的組織である。
そればかりでなく生は言わば縦にかかる構造聯関をもつに止らず横にもそれを具えている。この場合には
構造は時間的連なりとして現れる。広義における生は常に現在として示される。しかしそれは過去を負い未
来に開かれたる現在である。吾々の生がかくの如き現在として規定されることは既に述べた。同様に社会も
47
またそのような時間的関聯において理解されなければならない。それではかかる時問的進行を持ち来す契機
は何であるか。それについての意識が存し得るのだろうか。
現象学の社会学的帰結
48
い。 私 は 他 の 機 会 に か く の 如 き 生 の 契 機 の 一 つ と し て
そ れ は 一 種 の 否 定 の 意 識 で な け れ ば な ら*な
1
について叙べたことがある。しかしそれは生が根原的に否定性を負えること、即ち過去
"Schuldbewusstsein"
に関する規定に過ぎなかった。従ってそこでは否定の生産力もしくは未来への転換の過程は十分に表示され
という観念を藉りて来よう。この考え
ていないのである。それで吾々は再びシェーラーから "Ressentiment"
は更にまたシェーラーがニーチェの『道徳の系譜学』から取り来ったものである。即ちニーチェがキリスト
教の道徳と愛とは「ルサンチマンの花」であると主張するときのそれである。説明的な語を用いれば一般に
反撥作用、価値の顛倒の意識である。無なるが故に全てであるという意識である。在りしそして在るものの
否定は、在らざるものを創造する働きをもっている。シェーラーはこの意識の出発点として復讐の意識、羨
おとしい
望、嫉妬、争覇について分析を行っている。それによればこの意識は何らかの圧迫と対抗とを感得しながら、
*2
しかも自らそれを克服するには無力なるがために一時的には慢性的、常住的な闘争状態に陥れられるのであ
*3
るが、いつかは憤然と爆発すべき潜勢力を保持している有様である。吾々には特にシェーラーが挙げている
社会についてのかかる情勢が興味がある。彼はフランス革命をもこの意識の爆発であると解しているし、ま
につい
た十八世紀の人類共感に対する反動の一要因として現代プロレタリアートの "Ressentimentbewegung"
*4
*5
て語り、階級的憎悪をもこれを以て理解しようとするもののようである。もともと彼によればこの意識の成
立には対抗者の間に同等な位置が存することが必要である。だから奴隷には復讐の考えはあり得ないのであ
る。そこで最もこの意識状態を孕む下地を有する社会は吾々のそれのように形式上社会的同権を認められて
いながら、事実は権力と富と教育において著しき相異を蔵する場合である。かかるときには社会の構造その
*6
ものが既に有力なルサンチマンを負荷すべき素地を形作っているのである。これに加えるに被圧迫の状態と
感情が持続的、慢性的であり言わば運命と感得さるる場合には一層甚だしいのである。そしてかかる状態に
おかれたるものとしてプロレタリア階級ほど顕著な例はないのであろう。
*1 「現象学と弁証法」
(思想第八十九号)
【 "schuldig-sein"
として触れている】
* 2 一 般 に こ の 概 念 に つ い て は M. Scheler, Das Ressentiment im Aufbau der Moralen(Abhandlungen und Aufsätze I
】
p91-
*
を見よ。
【
にも収録されている。邦訳著作集第4巻「価値の転倒(上)」
】
Umsturz
der
Werte"
BD. 1915)
"Vom
*3 同書五七頁注。
【 邦訳著作集第4巻
】
p62
*4
【 邦訳著作集第8巻 p174】
Scheler, Wesen u. Formen d. Sympathie S. 112
さき
*5
【 邦訳著作集第4巻
Scheler,
Das
Ressentiment
etc.
S.
96
*6 同書五七頁以下を参照。
【 邦訳著作集第4巻 p61】
の「遺恨」の意識は向に掲げた「負課」の意識と共に生の弁証法的契機なのである。無価値なり
この一種
たちま
しものは忽ち価値を取得し、圧迫されしものは弾条【 バネ】のように反撥するのである。しかしそれが社会
的な力となるためにはかのプロレタリア階級について知ったように、それが社会的構造の内に根ざし、また
一定階級の存在そのものとなることが必要である。更に翻って静態にあっても既に述べたように社会は常に
構造聯関において存在するのであるから、それは縦にみても横に見ても何れの側でも或る基礎的な構造の上
いず
に建っているということができる。具体的な社会はかかる基礎構造の特質に応じて色づけられる。前に挙げ
49
た文化諸体系や外的組織は孰れもこの土台の上に築かれているのであろう。それ故に歴史的に具体的な社会
現象学の社会学的帰結
50
を観察する場合には必ずその基礎構造を見極めそれとの関聯に従って諸々の文化財もしくは観念諸形態の成
しばしば
立を叙述しなければならない。ディルタイの世界観の学、形而上学の現象学もかかる要求のもとに生れたの
である。吾々が屡々引き合いに出したマックス・シェーラーもまたかかる考えから知識社会学あるいは文化
社会学の樹立を企てている。それは一種の社会観念形態の現象学とも称し得べきものである。しかしそれは
あらた
方法の上で多くは従来の歴史主義を脱していない。この点において独自の科学的方法を提供する如く思われ
るのはマルクス的社会科学である。吾々は稿を更めて知識社会学やマルクス社会学について論じよう。(未結)
一九三〇・四。
——
】
p86-
)の対応ページは、読者の便を図って
2002
第一書房刊【 この年報は土田杏村の編纂で第一号だけで終わったようだ。国会図書館近代デジ
1930
*シェーラーもこのことを認めているようである。前掲書九〇頁をみよ。【 邦訳著作集第4巻
底本 『:哲学年報』
タルライブラリー】
[# 引用文献に付した白水社刊『シェーラー著作集』( 1976-80
、新装復刻
のものですからおよその目安とお考えください。邦訳は当然に最新の版を使っており本多の参照したものと若干異
なっているものもあるようです。
]
一つの素描
——
大衆人間
一
も
——
からだ
みなぎ
主題を、個人か人類かに限っていた、と言ってよいであろう。このことは、
従来の人間学は、その研究たの
いく
めぐ
ひろ
や
素々人間学の課題が、心と体躯との交渉を廻って、拡がっているのだから已むを得ないとも、考え得よう。
やりかた
【 生気ある】
個人は身体と心霊とを有っている。人類は自然、少なくともこの地球という躯と、宇宙に漲る vital
そな
もっ
な精霊とを具えていると、想像できる。ヘーゲルは、天体を以て自然にまで外化されたイデーの体躯だ、と
考えた。しかし、個人と人類とを対置させる遣方は、余りに十八世紀的である。その限りでブルジョア的思
考を脱しない。そこでは、自由で独立な個人と、世界的市民との外、考察に上がらない。原子論的な考え方
の帰結である。個人の人間学は、どのようにか、心理学的に、また生理学的に堕しないではいられないだろ
うし、人類のそれは、自然法的な思弁に行き着かざるを得ないであろう。ヘーゲルの客観的精神の説や、現
代の文化価値の形而上学に於いても、後の方の帰結の拡大のために、人間学の存在は影を潜めている。とこ
ろで、現代の人間学の対象は、元来、個人にも、人類にもなく、社会的人間に存するのではなかろうか。社
会化された人間ということが論じられるのは、珍しいことではない。例えばマルクス的社会学者マックス・
51
】は、かかる観念をカントに於いて発見している。しかし、それは結局に於
アドラー【 Max Adler,1873-1937
大衆人間
52
いて二つの事の大なる誤解から出たに過ぎない。アドラーは、カントが、その認識説の中心として意識一般
というものを設けることを観て、この意識一般こそ、個人のではなく社会化された人間の担うところだ、と
主張するのである。かかる解釈は、意識一般にとっても、社会人にとっても迷惑だ。というのは、前者は新
カント派の学者らが口を極めて明らかにしたように、そのような実在せる意識ではなく、規範的な意識に外
ならないからである。同様に、吾々がみようとする社会人は、かかる超越的意識の主体ではないのである。
のみならず単なる意識の権化でもないのである。時代とイデオロギーの制限を割引してみれば、吾々の人間
【 人造人間】となし、それは人工の生命
homo artificialis
学はプラトンとホッブスに於いて、適当な範例を見出すであろう。プラトンはその理想国を、人体の形貌と
こ
心理とに従って、描写した。ホッブスは国家を以て
】も
Georg Simmel,1858-1918
を具え、智を凝らして工夫した制作品と考えた。 Leviathan
【 リヴァイアサン】と称する生物がそ
vita artificialis
れなのである。吾々が社会的人間として取扱うとするのは、斯くの如き政治的形態に組織された大衆人であ
る。吾々は、これを簡単に大衆人間と呼ぼう。
ある人は云うであろう。大衆の問題は十九世紀で終結したと。現にジンメル【
しか
0
0
0
十九世紀の理論の中心課題は社会であったが、二十世紀のそれは、生 Leben
である。成程、
書いている ——
】やタールド【 Jean Gabriel de
大衆の問題が、フランス革命に結びついてル・ボン【 Gustave Le Bon,1841-1931
うごう
】の取扱ったような、群衆のそれであり、而も群衆心理学の仕事であるなら、そうも断定で
Tarde, 1843-1904
きはん
きるであろう。然し、吾々は街頭の群集のみを念頭においてはいない。ましてかかる烏合の衆の操縦を目的
としているのではない。又ジンメルの生の概念は、歴史概念の強調と等しく、あらゆる従来の形式の羈絆か
ら脱しようという過渡期の無定型に固執し過ぎている。生が如何なる形に成り上るかが大切である。吾々は、
プラトンやホッブスに於いて、大衆人がまた体躯を具え得ることを知った。国家は確かに、今までの歴史に
於いて、模範的なかかる形態であった。けれども、今や吾々は国家だけに眼を向けてはいられないのである。
事実、ある国に於いては、国家は死滅すべき方向に動いているのである。このように、国家の中にあって、
国家を死滅させつつあるもの、それに代って大衆人の体躯となるものにこそ、注意を集中せねばならぬ。既
に前世紀に於いて、国家の中にそれへの対立物が出来た。かかるものが主として社会と呼ばれた。それは団
結した労働階級の人々であった。団結は先ず経済的関心に於いて、いわゆる労働組合として組織された。そ
れは共済組合から次第に経済的な闘争組合にまで発展した。これとは独立に、意識的に無産階級の政治的利
これは抽
——
害を代表し、統率し、支配階級に向かって挑戦するところの政党が生誕した。ここに大衆は新たな体躯を取
得した。国家の中の独立体は階級である。階級は組合へ、組合は政党に於いて具体化される。
象的な結論である。吾々はここへ行き着くまでの過程に興味をもつ。
二
邦訳『群集心理』
【 "Psychologie des foules"
最初に、頼るべき方ま法に就いて一言しよう。ル・ボンの『群衆心理学』
こうよう
講談社学術文庫等】は未だこの方面で古典視されているようだ。群衆というと、暗示、模倣と感染、知能の低
下と情感の昂揚というようなことに対する是非の議論が、大半を占めている。これに伴ってニーチェ流な、
53
群衆の蔑視、教養ある者に反対するものとしての群衆という、道徳的評価が加わる。第二に、かかる群衆心
大衆人間
54
理学に、方法的にも内容的にも反対する一連の学者らがある。
彼らは、
ドイツ形式社会学と現象学との混血児、
かぞ
いわゆる哲学的・社会学者に属する人々である。 Vierkandt
【 Alfred -,1867-1953
フィーアカント・ドイツの社会学者】
【 ガイガー
ドイツの社会学者】
【 1897-1968
】等々をこの中へ算
を 初 め、
,1891-1952
Gerhard
Colm
Theodor
Geiger
,
えてよいであろう。彼らは一方に形式社会学的なモルフォロギー【 Morphologie
形態学】を駆使すると同時に、
体験や意味的連関などを口にする。しかし、何よりも彼らの武器は、具体から原理にまで細められた社会態
かかわ
ゆえん
と協同態との区別でiある。モルフォロギッシュに分析された集団が、これらの内どれに該当するかが大問題
とら
であるようだ。而も彼らは、体験という表題に隠れて依然心理的な分析に囚われている。彼らの群衆社会学
それは依然、群衆であって大衆ではない ——
倫理的評価を下すものは、マック
——
巻「集団心理学と自我分析」
】。それはそれで確か
17
社会学主義をでっち上げている。テオドル・ガイガーの『群衆とその行動』
【 i "Die Masse und ihre Aktion"
】など
は、そのよい見本であろう、吾々は、第三にフロイドの特有な、群衆の精神分析学をみる( Sigmund Freud,
)【 岩波書店刊フロイド全集第
Massenpsychologie und Ich-Analyse
ii
だと考えている。社会分析は社会事実に対し、中立たり得るものと独断し、そこに結果に於いて反動的な
ス・シェーラーである。( 彼の「倫理学」、『現象学年報』 " Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung"
なお
第二巻、四〇五頁をみよ)そして尚始末のわるいことには、彼らは、彼らの分析が、社会事実よりも、強力
立場から、 群 衆 に 対 し て
が、主として革命という社会的動力に結びついて論ぜられるに拘らず、実り少ない所以である。このような
i
テンニエスのゲゼルシャフト(社会態)とゲマインシャフト(協同態)のこと。
(国会図書館近代デジタルライブラリー)
邦訳『群集とその行動』・司法省刑事局「思想研究資料」第13輯 1930
i i
i
に新鮮な展望を含んでいる。彼が教会と軍隊とを取り上げているのは、教えられる。しかし、彼の主張する
の観念も一方に個人的のものであると同時に、宇宙的なものなのではないか。吾々は、それ
リビド Libido
が言わば放散し、中和している領域を目指しているのである。一種のモルフォロギッシュな分析は手段とし
あいよ
て大切である。とはいえそれが形式社会学に於けるように、ばらばらな形貌に分類されるだけでは無駄であ
の概念が出来上る。人口は直接には統計的な規定である。
0
る。相倚って全体を構成する、言わば弁証法的な契機となっておらねばならぬ。名称はとにかく、吾々は斯
くの如き方 法 を 追 い た い 。
三
0
けだ人間を多衆として、数量的に把握する場合人口
蓋し人間の上にいわゆる大量観察 Massen-beobachtung
を施した成果に外ならないからである。人口統計に
対して材料を提供したのは、寺院に遺された過去帳であったろうけれども、実は死せる人間の数を知る必要
はないのである。それは租税の徴集のため、或いは軍備上の壮丁の徴募に資するため等、とにかく現実の治
政の必要上、現在の人口数を測定する必要があったのである。統計学上のある先覚者が名づけたように、そ
れは取りも直さず「政治算術」でiあった。そこには、性や、年齢による計数の外に、納税能力による人口の
分布も明るみにだされたであろう。ここに社会階級の区分が数量的に写しだされるのは自然である。イギリ
55
スに於いては、国会議員の選挙権は納税力と相離し得ざるものとして発達した、と言われている。国家に対
i
イギリス統計学者ウィリアム・ペティ( Wi1liam Petty,1623-87
)の国勢調査書の書名。
大衆人間
i
56
し金銭的に貢献し得る者のみが、国政に干与【 関与】し得る資格がある、という思想であろう。とにかく、
人口は単なる数量的な概念ではない。人口問題を経済問題と結びつけて、学問的に組織立てた最初の人とし
て有名な、ロバート・マルサス【 Thomas Robert Malthus,1766-1834
】に至っては、それは貧困、疫病、戦争な
どという、いわゆる社会問題と関係していた。彼の人口論の目的は、フランス革命に刺戟された当時におけ
る内外の急進的見解に反対するためであった。彼の著書が、「ゴドウィン、コンドルセー、その他の作家の
思想に関する論評」という副題をもっていることは、この底意を十分に示している。彼によれば、人類に固
有な、これらの不幸な現象は、食物の増加率と人口のそれとの不均衡に由来する自然律の結果なのである。
や
彼は後に、おぼつかない道徳的抑制をもちだしたが、それは気やすめに過ぎない。とにかく彼に於いては、
動態的な人口増加が問題であった。そしてそれは人類の性欲にして不変なる限り、幾何級数的に増加して熄
まないのだ。ところが彼は、この増加人口のある部分の ——
それは食物の増加と釣り合わない部分であろう
生存権を否認する。自然は貧窮と疫病と戦争とに依って、大量的に人間の生命を奪う。かくして人口
が ——
0 0 0
問題は、大衆としての人間の生存権に関する事柄となった。マルサスは生存権の否定を自然に転嫁した。し
しかしながら
かし実は支配階級の利益のために。
と言われている。
乍併、他面に於いて一つの威力である。デモクラシーは、多数の政治である、
人口の数量は、
たと
よろん
民衆は今や古のタイラント【 暴君・僭主】の地位を獲得した、などと喩えられる。いわゆる輿論に追従しな
【 一般意志】の勝利である。どんな天降り的な意図も、
表面上、
Volonté générale
あまくだ
いで、如何なる政策も実行できない。「倚らしむべし、知らしむべからず」という原則は、完全に破壊され
たようにみえる。ルソーの謂う
か
人民の意志という名を冠ぶせられる。ところで、民衆の中で最も多数を占める階級は何であるか。取りも直
さず、労働階級であり、無産階級である。ここに於いて、人口の数量の質的転化は、労働階級の数の問題と
しま
して展開される。この際、かの群衆に対する心理的・倫理的評価が混じられる。論者は、
個性の尊厳を信じて、
そこに於いては、個性が稀薄にされ、発散して了うところの多衆は、知能的に劣等である、と断定する。そ
して、事実、筋肉的労働をのみ強いられる人々の多数は、一見、機智に於いて、思慮に於いて欠くるところ
こつぜん
があるようである。それにも拘らず、彼等が数に於いて相集るとき、否定し難き勢力となる。論者には、こ
の謎は一つに数の神秘の内に ——
数が漸次、量を増すに従って、忽然と質に転ずるということの内に、存す
の問題でしかなくなるのである。数に於いて万事が解かれ
るようにみえる。そこで、これは Superadditumi
そもそも
得る外見を呈するということは、価格経済時代の特徴であろう。価格を表示する単位である貨幣が抑々かか
57
吾々は、ここで、マルクスが注意しカウツキーなどによって強調された、人口論上における抽象的法則と
歴史的法則とに、学ばねばならぬ。「……特殊な歴史的生産方法は、各々その特殊の歴史的に妥当する人口
四
いのである 。
ると同様に、数の問題であるかの如く見えるところの多衆の力はその実、具体的な社会関係の反映でしかな
る質的な量だからである。しかし、貨幣は背後に質的な商品を控え、尚実質は資本として作用するものであ
i
ラテン語 「:超 追
- 加」ジンメルなどが使用している語。
大衆人間
i
58
法則をもっている。……一つの抽象的な人口法則は、人類が歴史的に干与しない限り、植物と動物に対して
のみ存在するに過ぎない。」(『資本論』一、エンゲルス版、五九六頁)この区別に従えば、マルサスの人口法
則は、まさに後者に属すべきものである。そこからダーウィンが生物の進化の法則を帰結したのも偶然では
【 1910
版が公開されている】尚、向坂逸
K. Kautsky, Vermehrung und Entwicklung in Natur und Gesellschaft, 2. Aufl. 1920.
ない。カウツキーは、かかる抽象的法則としても、マルサスの議論が誤謬であることを、明らかにしている。
(
)カウツキー
郎氏、
「人口理論」
、経済学全集【改造社】二十六巻【 国会図書館近代デジタルライブラリー】 をみられよ。
は、先ず、従来の如く個体あるいは一対から始める観察方法を非難し、諸有機体の総体から出発すべきこと
を勧めている。そうすると結論はマルサスと異なって来る。個々の有機体は、マルサスの考えるように、単
なる営養【 栄養】の追求者であるのではなく、他の有機体に対しては営養の供給者なのである。それ故に一
つの有機体の繁殖は、それ自身、自己保存の条件であると同持に、自己を食料とする他の有機体にとっても
つね
欠くべからざる生存の保障である。だから、殖えそして喰われるものの一方的立場から見れば、自然は不幸
を必然的に招来するようだが、有機体全部からみれば、恒に口数と食料との均衡が存在する、というのであ
はる
る。この観察の方法は、確かに、マルクス的なるものの適用である。有機体の営養活動を個別的に、抽象的
に解さず、全体との関連に於いて考察する点は遥かにマルサスに優れ、その有した個人主義的制限を脱して
ひ
いる、と言ってよいであろう。しかし、もしカウツキーが、かかる勝利の故に、この抽象的法則に固執する
ならば、結局、マルクス的なるものの特徴を失うこととなろう。最初にダーウィンの生物進化論に興味を惹
かれ、それを機縁としてマルクスの理論の研究に入った、と自ら告白する彼は、なお近著に至るまで、唯物
わぎわい
史観を以て、進化論の人間社会への応用だと考える偏見を脱しないのではなかろうか。そしてこの誤れる解
おもむ
吾々が真にマルクス的立
釈は、何よりも晩年の彼の実践上における態度に禍しているのではないのか。 ——
場にあろうとするのなら、営養摂取という消費的見地から、営養の調達という生産的見地に移らねばならぬ。
そうすることは、やがて、人口の歴史的法則に赴くことである。
資本主義的生産様式はそれに対応する特殊の人口法則をもっている。吾々にはこの歴史的な人口法則が大
切である。そこでは人口の一部は単なる資本の機能と化する。その上、資本の増殖の過程に於いて、資本の
人格化たる者の数は益々減少する。だから、かかる者は一つに資本と看做され得べきものとして、また二つ
に大量的に把握されぬものとして人口として無視されてもよい。それ故に、この社会における人口形態は、
資本に対する労働力の供給者となって出現する。資本主義的人口法則は資本に対する労働力の相対関係とし
て特色づけられる。労働力それ自身の絶対的増減ではなく、資本に比例してのその増減が大切である。資本
にとって或いは労働力が不足し、或いは過剰となるのである。而して資本主義的生産様式は不断なる資本の
もたら
増殖過程である。資本家間の競争は、労働の生産力を高めるために、絶えず技術の改良と発明とを促す。そ
してその方向は、一人当りの労働の強化、従って、ある生産手段に結びつくべき労働量の減少を齎す途を進
む。いわゆる機械的生産技術の発達は、その表れである。しかし、この資本の技術的組立は、その価値組成
に影響する。生産手段の量に対する労働量の減少は、不変資本が可変資本を犠牲にして増大することを意味
する。その上に、競争はその勝利者への資本の集中を結果し、集中は更に資本の組成の変化を助ける。更新
59
の期に到達した旧資本が新たなる組成に追随せんがために、また従前まで使用した労働者を投げだす。かく
大衆人間
もちろん
60
して、資本に比例して、益々過剰なる労働人口を産出する。この事はこの街頭に閉めだされた労働者を貧窮
に陥らしめるのは勿論、工場内で働く者をも飢餓線にさまよわせることになる。何となれば、資本家はいつ
でも彼らに代えて、職を求める労働力の供給者をもつからである。いわゆる産業予備軍は、就業者への圧力
さら
となり、自らは、労働階級の堕落の因素【 素因】となり、資本の蓄積を間接に援助することとなる。ここに吾々
しかばね
は、自然の無慈悲にではなく、資本の飽くなき搾取に、曝された過剰人口をみる。これは、疫病が流行すれ
ばその最も大なる犠牲ともなり、市場開拓のための戦争によって屍と化するであろう。しかし、今や、彼ら
はそれが不変な自然律に基づくのではなく、特殊な歴史的生産様式に由来することを認識した。そしてこの
認識こそ、この「過剰なる人口」の上に力を賦与するものなのである。
五
であ
mechanisch
吾々は、ここで 「哲学的・社会学者」の言うところを聴き、その批判を通って進むのを便利とする。そ
の代表として前記のガイガーをとろう。彼はプロレタリアートと称せられる社会層(階級とは言わない)を
機能の上で三つに分け、一は被支配層としてのプロレタリアートそのまま、これは機制的
であり、
kollektives Nein
る。二は組織されたプロレタリアート、その本質は、既存の社会体i系の内部にあって、この体系を、自己の
革命的職能に応じて変革し、この社会の別個な形成を計画的に持ち来そうと試みる、にある。三が即ち大衆
i
的プロレタリアートであり、これは、革命の過程における一つの破壊力、集合的否定
底本では「社交」、こぶし版に倣って変える。
i
よ
あてはま
反撥感 Ressentiment
である。(『群衆とその行動』六五、六九、七二頁等をみよ)吾々にとって大切なのは最後の
職能におけるプロレタリアートであった。ところが、ガイガーはそのもとに如何なる姿容を描いているのだ
ろうか。彼に拠れば、群衆(彼の
と呼ぶものは、やはりこの訳語の感じに当嵌る)は、持続性をもっ
Masse
」
】
)
。第二に
ていない。それは第一に群衆が伝統をもつ余裕をもたぬ点に示される( 九九頁【 こぶし版は「 96
そうじょう
それは何ら明確な社会面をもたず、何ら社会的に客観化されぬ。この点で永久的に把握され得る他の結合体
と異なる( 一二一頁)。こうしてみると、彼はやはり、革命の騒擾期において、街頭に群れる人間の列を、塊を、
念頭に思い浮べているのではなかろうか。「心理・社会学的」 psycho-soziologisch
などと称するけれども、や
な群衆の有様を、考えているのではなかろうか。
「群集の生誕を、個人的耐忍がつもり
はり視覚的 な
optisch
つもって、集合的な昂揚に転化する時に、みた」
( 八四頁)などと述べているのも、そのためであろう。然るに、
へいりつ
彼もまた、群衆が、「承認せられた社会の体系の中では確かに何らの持続的場所をもたぬ。それにも拘らず、
「地下的」
それは、その体系と並立して『地下的に』実存する。」ことを認めなければならなかった( 一二二頁)。
というのは、どういう意味なのか。彼に於いては、ただ現存社会がそれがために壊滅することなくして、而
もそれを否定する要素の存在を許容することを指すに止るらしい。然し、吾々にとっては、ある意味で「地
下的」な、従って非視覚的な大衆だけが大切である。そして、かかる大衆は、決して一時的でもなく、また
単なる心理・社会学的でもない。これに就いては後で述べよう。
61
吾々は、この派の社会学者が、群衆と革命とを結びつけているのを知った。このことは、一見、正しいよ
うである。そして彼らが、革命を以て、経済的、政治的、文化的に分ち、各々その機関を、労働組合、政党、
大衆人間
てんかん
62
学校その他の教化機関に於いて、みることも承認してもよい。ところが、彼が革命と称する当のものの理解
くみ
よろ
に於いて、承服することができぬ。彼は、この点で、革命を以て「価値の顛換及び更新」と考えるフィーア
0
0
ふさわ
0
0
カントの説に与し、政治的革命は、より包括的な転換過程の一場面に過ぎないのだから、その解明は 宜し
0
ひしょう
く、
「総社会的生活形成の中心問題の根幹 ——
とりも直さず価値問題の中に」求むべきだ、と主張する( 五五
。ここで、彼は哲学的社会学者の名に相応しく、急に価値という天上界に飛翔する。吾々は、前の節で、
頁)
如何に資本主義的生産様式が、資本の増殖の過程に於いて、貧困なる階級を「過剰」に形成するかを見た。
そこには資本の「価値」増殖という以外には、何らの価値問題も存しなかった。そして資本の「価値」組成
てんぷく
でさえ、その技術的組成に、それはまた、物質的生産様式に対応するものであることを知った。要するに社
会の物質的基礎から価値が派生されるのであって、逆ではない。よし上の方では、革命は「価値」の顛覆で
あっても、下の方には、それを揺るがす地震がなくてはならぬ。革命を価値問題とのみ考えるのは、「革命
前」の思想に過ぎなかろう。彼は、革命を体験したと、誇ることは出来ない。ローザ・ルクセンブルグ【 Rosa
】の言うように、
「革命の中に何よりも先ず、社会的階級関係の徹底的な内的変化を認識」
Luxemburg, 1871-1919
せねばならぬ。しかし革命に就いては別に論ずる機会をもとう。吾々は、もう一つ、この種の社会学者の思
ナイン
考の制限を附加しておこう。それは、例のテンニエスの区分を持ち来って、
群衆を規定することだ。
群衆は、「大
「積極的に価値関係をもつ協同態から排除された者
なる否【 原ルビ】における協同態」である。即ちそれは、
「群衆は恣意的秩序
の否定における協同態だ」というのである( 九七頁)。これを意志の関係に直すと ——
に絶望した者の本質意志への回帰」となる( 一〇一頁)。吾々は、協同態、本質意志への復帰ということの内に、
反動的意図のあることを警戒せねばならぬ。総じてテンニエスのこの便利な図式は、階級社会の分析にとっ
ほとん
ては何らの効果を示さぬように思える。協同態という観念に倫理的な評価が、本質意志には形而上学的な臭
味が、附きまとっているようだ。
六
ど資本主義的生産様式の確立と時を同じくしている。十八世紀末の英国
資本家と労働者の経済闘争は、殆
には、既に労働者の諸団結、労働組合、友愛組合、協同組合などが発生した。これは最早中世のギルドのよ
うに、手工業者の技能の保持と修練とを目的とする、一種の教育機関ではない。初めは、同一職業に属する
ぎりょう
】)
。またやがては、
ものの、職業的利害の一致に基づいていたであろう( 職工組合【 こぶし版では「全職工組合」
なるべ
熟練労働者の特権の確保に利用されたであろう。しかし、機械的大規模生産が、労働者の技倆を一様化する
に至って、それは労働階級一般の経済闘争の機関となった。経済闘争とは、労働力の売買に於いて、成可く
有利にこれを売りつけること、一旦得たる結果の維持並びに改善である。即ち、賃銀を成可く高く定め、そ
の低下に対抗し、労働時間の短縮、その延長への反対、解雇への抗議などとして表れる。そして、これらの
いっき
駆引の背後に控えた最後の圧力はストライキである。確かにストライキは労働階級団結のシンボルである。
それは必ずしも眼に映る街頭デモンストレーションでも、一揆でもない。ただ資本の運転を止めるというだ
けだ。彼らの労働力の給与なしでは、如何なる資本も技術的にまた価値的に腐朽する外はない、ということ
63
を証拠だてるに過ぎない。そして、かかる資本との関係に於いて全労働者は彼の階級的地位を自覚する。ス
大衆人間
すぐ
64
トライキ ——
特に大衆罷業 Massenstreik
における労働階級こそ、資本主義時代における勝れたる大衆人間だ、
と言えそうである。詩人トルラー【 Ernst Toller,1893-1939
】もまた、かかる姿における「大衆人間」を戯曲にi
描いている 。
0
0
いた
働者の個々の経済運動から政治運動が、換言すれば、一般的形態に於いて、即ち社会的に強制する一般的力
0 0
反して、八時間労働日その他の法律を強制し取ろうとする運動は、政治運動である。かくして到る処に、労
0
その他によつて個々の資本家からの労働時間の短縮を強制し取ろうとする試みは、経済運動である。これに
宛の手紙の中で言っている。「例えば、個々の工場に於いて、或いは個々の職場に於いても亦、ストライキ
また
部からの圧力によって強制しようとするところの、あらゆる運動は政治運動である。
」とマルクスはボルテ
る経済闘争に止ることは出来ない。「労働階級が、階級として支配階級に対立し、そしてその支配階級を外
0
と矛盾することがらである。労働階級が資本主義社会を脱し、自己の運命を新しく開拓するためには、単な
時間の労働の強化なしには時間の短縮は実行しまい。賃銀の無限の向上を夢みることは、資本主義生産様式
資本家は好景気であり、自己の利潤が労働者に裾分けするに十分でない限りは、賃銀を引上げまいし、一定
すそ
当なる短縮と、いわゆる待遇改善とに甘んずるならば、彼らは永久に、資本の桎梏を脱し得ないであろう。
しっこく
けれども、労働組合に於いて、労働者はただ資本家とのみ対面している。言わば、彼らは自己の労働力を
有利に売りつけようとする「商人」であるに過ぎない。もし、彼らが賃銀の相当なる騰貴と、労働時間の相
i
を有する形態に於いて、その利益を貫徹するための階級の運動が生ずるのである。」
( 邦 訳『 マ ル ク ス・ エ ン
「群衆=人間:二十世紀社会革命劇」伊藤武雄訳(国会図書館近代デジタルライブラリー))
i
かえ
ゲルス全集』二十三巻、一〇八頁【 改造社版、国会図書館近代デジタルライブラリー、大月書店版第33巻
頁】
)経
266
済闘争を初めて政治運動に引き入れたのは、しかし、労働者側ではなく、 却って資本家であったようであ
さと
る。というのは、英国に於いては早く一七九九年に団結禁止法が成定【 制定】されているからである。かく
して、労働者は法律的に、立法的に即ち議会的に闘う必要を覚った。この闘争は、労働組合法の変遷として
0
0
表れた。労働階級は自己に有利なる立法の通過と、不利なるそれの阻止とに努力した。けれども、ここに於
0 0
いては、政治は経済利害に追随せざるを得ない。マルクス・エンゲルスに拠れば、階級の経済利害は歴史に
0
0
於いて決定的役割を演ずるということから、経済的闘争が解放戦に於いて、基本的だという結論はでて来な
あら
こと
い。「何となれば」とレーニンは言う「諸階級の本質的なる『決定的』利害はただ根本的政治的革命一般に
よるに非ざれば満足され得ないからだ。殊にプロレタリアートの主たる経済的利害は、ブルジョアジーの統
治に代えるにプロレタリアートの統治を以てするところの政治革命によるにあらざれば決して満足され得な
【 1930.7
平田良衛訳・国会図書館近代デジタルライブラ
い。」( 邦訳、『何を為すべきか』岩波文庫版、八一頁注を参照。
リー】
)ここに於いて、自己をプロレタリアートとして意識したところの労働者階級は、労働組合という経
済闘争の機関の外に、政治闘争の機関をもたねばならぬ。かくて、プロレタリアートの政党が生れねばならぬ。
それは英国における労働党のように、労働貴族の政党ではあってはならない。もしそうならば、それは労働
「社会民主党は、単に企業家と
組合の延長に外ならないであろう。レーニンは、これに反して、言った ——
の関係における労働者階級を代表するのみではなく、更に現代社会における、あらゆる階級との関係、及び
65
】、
組織的政治力としての国家との関係における労働者階級を代表するものである」( 前掲書【『何を為すべきか』
大衆人間
66
九四頁以下)
。もちろん、今日の情勢では、社会民主党という語は、××【 共産】党に入換えられねばなるまい。
この意味における政党の任務は、先ず労働者階級の政治意識の、イデオロギーの、育成に存しなければならぬ。
その具体的方法は、いわゆるアジテーションであり、プロパガンダである。プレハノフは「宣伝家はたくさ
ふえん
んの思想を、ただ一個の人間もしくは若干の人々に注入する。アジテーションは、ただ一個の思想もしくは
もし宣伝家が、
極く少数の思想を、然し、大衆に注入する。」と言った。レーニンはこれを敷衍して言う ——
例えば失業を取り扱う場合には、彼は恐慌の資本家的性質を説明し、近代社会におけるその不可避性を教示
し、かかる社会が社会主義社会に推移する必然性を証明し、一言にして尽せば「たくさんの思想」 ——
若干
す
の(比較的)限られた人々によってでなければ直ぐには理解され得ない程多くの思想を与えねばならないも
0
0
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0
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0
たとえば失業して餓死した一家のこととか乞食の増加とか、何とかという例を採り上げる。而し
——
こじき
のである。同じ問題を取扱うにしても、アジテーターは之と反対に、最も痛切な例、最もよく聴衆の知って
いる例
つと
即ち富の増大と貧困の
て万人に知られているこの事実を利用して彼は「大衆」に対してただ一つの思想 ——
増大との矛盾に関する思想を与えんと努力し、この眼に余る不正に対する不安と反抗とを自覚せしめること
0 0
に力め、而してこの矛盾に関する完全なる説明を与える手数は、これを宣伝家に任すのである。これ即ち、
宣伝家が主として著述によって活動し、アジテーターが演説によって活動する所以である。……例えばカウ
ツキーやラファルグは宣伝家であり、ベーベルやゲードはアジテーターである。
( 前掲書【『何を為すべきか』
】
、
「労働者の政治運動はもちろん彼らのための政権獲得を窮極の目的とする」とマルクスは言っ
一〇五頁以下)
ている。「そしてそのためには勿論、労働者階級のある点まで発達した前提組織が必要であって、この組織
は労働者階級の経済闘争そのものから成長するのである。
」
( 前掲【 マルクス・ボルテ宛書翰:章末に詳しく引用する】、
邦訳)即ち労働者階級の自然成長性は、政治運動の物質的基礎を供する限りでのみ許される。それは労働者
運動の「最小抵抗線」でしかない。それ以上は、意識的闘争でなければならぬ。そして「この意識は」レー
ニンの言うように「ひとえに外部からのみ彼らにもたらし得るところのものである。
」エンゲルスは『農民
戦争』の序文に於いて、社会民主党的闘争の三形態、政治的、経済的、並びに理論的を算え、科学的社会主
義が、ひとり労働階級の経済闘争の、ではなく、ドイツ古典哲学の、イギリス及びフランスの古典経済学及
び社会主義学説、歴史の産物であることを強調し、「すべての理論的問題をよく理解し、古き世界観に属す
る伝来の文句の影響から離脱し、そして社会主義は、それが科学となって以来、また科学の如く取扱われな
即ち研究されねばならぬ」ことを述べている。ここに、吾々は、純労働者とインテリゲン
ければならぬ ——
チャ、被指導者としての大衆と指導者、デモクラシーと寡頭政治乃至は独裁の対立という問題につき当るで
あろう。これに伴って、ファッシズムの制度と思想が考慮さるべきだろう。しかし、これらの問題の解明は
他日を期そう。ただ、あらゆる政党は、それが闘争団体である限り、鉄の規律を必要とする。かかる規律に
服する団体で、模範的なものは、現代に於いて、軍隊であろう。過去に於いて、教団もそうであったことを
示している。恐らく、これが一方は軍事的な、他方は教化的な戦闘団体だったからであろう。それ故に、プ
ロレタリアートの党も、闘争機関、革命団体である限りは、軍隊的な独裁を必要とするのであろう。然し飽
く迄、労働者運動の真実の統一の保証は、指導部にあるのではなく、組織されたプロレタリア大衆そのもの
67
の中にある。革命達成の具としてのマッセンストライクは、無政府主義者や、サンディカリストが夢想する
大衆人間
68
ように、天気晴朗なるある日、突如として起り得るのではない。ローザ・ルクセンブルグのいうように「現
実に於いては、マッセンストライクが革命を生むものではなくして、革命こそがマッセンストライクを生み
出すのである。」(『マッセンストライク』清水平九郎邦訳、五四頁【 国会図書館近代デジタルライブラリー】
)それが
ためには、大衆と指導者と、インテリと労働者との協力せる、規律ある、周到なる不断の用意と、果断なる
頁から引用
266
(一九三一年八月)
確かに「地
機会の把握がなくてはならぬ。斯くの如きマッセンストライクの用意のもとに、「地下的」に ——
下的に」結合せる人々の集団こそ、現代における大衆人間の容姿であろう。これこそ、旧きリヴァイアサン、
国家に対抗する、新しきリヴァイアサンである。
底本 『:理想』 1931.10
参照 久
: 野収編『現象学と唯物弁証法』こぶし書房刊
【参考】
1871.11.23
大月書店版マルクス・エンゲルス全集第33巻
書簡:カー ル ・ マ ル ク ス
(アメリカ在住)宛 Fridrich Bolte
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【 以下は書簡全文ではなく、書簡末尾に、活動に絡んだ私信的内容を終えて、追伸のようにある部分である。
】
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政治運動にかんする所見。
労働者階級の政治運動は、もちろん労働者階級のための政治権力の奪取を最終目的としてもっており、そのた
めにはもちろん、ある程度まで発達した、労働者階級の事前の組織が必要で、そしてその組織は彼らの経済闘争
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のなかからおのずと生い育ってきます。
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しかし他方、労働者階級が階級として支配階級に対抗し、そとからの圧力によってこれに強制を加えようとす
る運動は、すべて政治運動です。たとえば、個々の工場なり個々の組合でストライキ等によって、個々の資本家
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から労働時間の制限をかちとろうとする試みは、純粋に経済的な運動です。これにたいし、八時間労働法等の法
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律をかちとるための運動は政治運動です。そしてこのようにして、いたるところで労働者の個々ばらばらな経済
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的な運動のなかからひとつの政治運動、すなわち、彼らの要求を一般的な形で、つまり、一般的で、社会的に強
制力をもつ形で貫徹するための階級の運動が生まれてくるのです。これらの運動がある、一定の事前の組織を前
提とするにせよ、それはまたそれで、この組織発展の手段でもあるのです。
労働者階級がその組織の点でまだ十分に発達していないために、支配階級の集団権力、すなわち政治権力にた
いして決定的な戦闘をおこなう〔まで〕にいたっていないところでは、
ともかく労働者階級は支配階級の政治(お
よび政治にたいし敵対的な態度)にたいするたゆみない宣伝によって、そのための訓練を受けなければなりませ
ん。そうでない場合には、労働者階級はいつまでも支配階級の手中でもてあそばれる手玉でありつづけるのです、
69
これはフランスの九月革命が証明したところであるし、またある程度まではグラッドストン氏とその一党が現在
大衆人間
の瞬間までイギリスで首尾よく続けている策略が証明するところでもあります。
70
後退する弁証法
一
ひとしお
う
】といえば倦まざるヘーゲル文献家として、多少でもヘー
ゲオルク・ラッソン【 Georg Lasson,1862-1932
へんさん
ゲルに興味をもち彼の編纂にかかる論集の厄介になったものには忘れられない名である。こういうヘーゲル
復興の先駆者にとってこそ、昨年のヘーゲル百年忌は一入感慨の深いものであったろうと想像されるが、果
つまび
とくしゅう
してベルリンにおける記念会では司会者に推されたばかりでなく、自ら声涙ともにいたる講演をしたことが
報ぜられている。それと内容を等しくするか否かは審らかにしないが、昨秋ヘーゲルを記念するために特輯
よわい
された雑誌『カント研究』には、ラッソンの「ヘーゲルと現代」と題する論文が載っている。恐らく学問上
とり立てて述べるほどの意見を含むものとも信じられないが、齢七十に達するこの老研究家が現代に向かっ
て何を警告しようとするかは、必ずしも興味のないものではない。彼はヘーゲル哲学の体系や方法を説いて
ほうちゃく
来て最後に、これらの中核をなすところの絶対精神と弁証法とはまさに原理の問題であると看破する。哲学
にとって原理ほど大切なものはない、それは端緒であり終極である。大抵の議論は原理問題に逢着すれば討
論終結に入るのである。これは現実の問題がそこから始まるのとはちょうど逆の行程といわねばならない。
そこで弁証法がヘーゲル哲学にとって絶対精神と共に原理の問題だとすると、その原理に適合しない領域に
71
対しては支配できない結果になる。もし無理にこれを適用したとしても意味のないことになる。そういう無
後退する弁証法
あては
むし
72
意味な企ての標本が、ラッソンに拠れば、唯物史観だというのである。これは精神の表現であり自覚である
弁証法を死せるもの、精神なきものに当嵌めようという無謀な試みである。寧ろ絶対精神はキリスト教の人
こんてい
格神に通ずるものである。名を未だ成さなかった若いヘーゲルが「一般に現在の瞬間に於いて哲学の第一の
関心たる事柄は、神をして再び一切の唯一なる根柢として、即ち存在と知識との唯一の原理として哲学の頂
上に絶対的に据えおくことである」と述べたその精神は彼の一生を貫いているというのである。こういう意
見はヘーゲルの解釈それ自身としては何ら責めらるべきではなかろう。老文献学者の見解として当然に参考
とされてよいのであろう。またこれを口にするその人の齢と来歴とを思うとき、かかる結論が必ずしも無理
からぬことを察することができる。吾々が学窓人である限り第一の態度をとらねばならず、またラッソン個
いささ
人に関心を寄せる伝記家の立場にある限り第二の態度を守らねばならぬのであろう。しかしいま吾々はその
ごと
いずれの立場からも物をいおうとしているのではない。ラッソンその人には些か同情のない仕業だとしても、
彼を一人の社会的カリカテュアとして観たいのである。しかし彼は表題が明らさまに示す如くとりも直さず
現代に呼びかけている。それ故に答えはまさに現代から返さるべきである。
弁証法を精神的なるものの領域に固有な原理であるとする見解は決してラッソンただ独りのものではない
のである。恐らく旧派とも称すべきヘーゲル学徒は全てそういう見解を持していることであろう。
彼らにとっ
ては唯物論的弁証法などと称するのは明白な言葉の矛盾でさえあるのである。ヘーゲル哲学は純粋なる意味
けだ
に於いて精神哲学を出でない。観念論的弁証法が唯物論的弁証法に転化したのは、言わば弁証法自らが弁証
法的に進行したのだというそういう説明は彼らにとって好都合な弁辞を与えることとなるだろう。蓋しかよ
うな主張はそれだけとってみれば恐らく誤れる形式的な弁証法の適用というの外はないから。ヘーゲルも確
かに弁証法について「外面的」にして「主観的」なそれと、「客観的」にして「真実なる」それとを取り分
けている。前者は吾々が対象を説明する際における吾々自身の見解の運動を意味している。吾々は対象を観
察し、その局面を開示し、その理由根拠を探りだす。ところがこの場合に挙げられる理由根拠のうちには、
あらわ
全く対象の当体には関係なく、それに対して外面的な、即ち主観的なものがあり得る。どんなにあちらこち
ら理屈がひき廻されても、遂に物の魂は露にならない。このようなディアレクティクは例えばソフィストが
も
駆使したところのものである。これに反して第二の意味の弁証法は、単に吾々の見解のでiはなく、物それ自
らの本質からする、内容の純概念の運動である。言い換えれば対象の内在的観察である、物の中に全く入り
しりぞ
】
、六六三頁を参照)かくの如く明らかにヘーゲルは形式的、外面
指すのである。( 前掲版、第四巻【『大論理学』
るいは有らゆる規定の内在を口にし、而もこれらの措定と否定とによって何ら真の統一に達し得ないものを
しか
しにあちらこちらから数多の規定を拉し来り、同様に安易にこれらの規定の有限性や相対性を示したり、あ
語っている。彼がかく名づけるものは、同じく外面的な反省に属する否定と措定とを用いて、別段の努力な
】の中でも、「形式的にしてかつ非体系的な弁証法」について
ヘーゲルは『大論理学』【 "Wissenschaft der Logik"
】グロックナー版全集、第十七巻、三二七頁をみられよ)
『哲学史講述』
【 "Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte"
( ヘーゲル、
切り、対象をそれ自らに於いて観取り、それをそれが有つままの規定に従って受取ることである。
i
73
的、主観的弁証法を却けている。前記の観念弁証法が唯物弁証法に弁証法的に転化したという思想の如きも、
こぶし版では「見解なのではなく」としている。
後退する弁証法
i
74
もしもヘーゲルからシュトラウス、フォイエルバッハ、バウエル兄弟等を経て如何にマルクス・エンゲルス
きべん
おわ
の思想が生成したか、またそれが如何に今日のレーニン的段階まで発展したかという思想史的・社会史的背
景を抽象して考えるならば、恐らく上にヘーゲルが排斥した如き弁証法的詭弁に了るであろう。そのことの
危険は「では弁証法は遂に自己自身を止揚して弁証法的ならぬものに転化するのではないのか」というよう
な一見まことに小賢しくしてその実、浅はかな抗論にも余地を与える結果となるのである。かかる議論が弁
証法を口にしながら、ヘーゲルの意味では甚だ非弁証法的であるということは直ちに看破できるであろう。
ところが弁証法という言葉は従来、主としてこの形式的、外面的なる意味に用いられてきた。アリストテ
レスがオルガノンの一部を占める「トピカ」の中で論じているのは主としてこの種の弁証法である。それは
】の上に置いた。後に漸く
Apodiktik
ようや
争論法や討論法と並んで一種の試論的なものであり、未だ窮極的な原理に到達し得ないものである。彼はこ
のような弁証法に対して自己の論理的核心を論証法アポディクティク【
論理的なるものが文法的なるものに代えられるに従って論証法の意義も忘却され、再び形式的な弁証法が重
きを占めることになった。近世の論理がかかる弁証法に敵対して成長したことは道理のあることであった。
カントが弁証法に対して「超越論的仮象」としての資格しか許し得なかったのもこの伝統を負えるためであ
とのみ考えている。
「弁証法
ろう。ショーペンハウアーもまた弁証法を争論的なるもの Eristische Dialektik
の下に」と彼は述べている「私はアリストテレスと一致して、真理、特に哲学的のそれの共同な探究を目指
している対話の術を理解する。ところでこの種の対話は多かれ少なかれ必然的に論争に移ってゆく。そこ
で弁証法はまた論議の術と説明され得る。」( レクラム版全集【 巻数を欠く】一一九頁以下)彼は他の個所では、
さまた
通常の論理と弁証法とを分って、前者は理性的存在者の孤独の思惟であり、従って理性以外の他の要素に碍
ぼうがい
げられることなく、純粋の理性の歩みとして先天的に構成され得るものである。これとは違って弁証法は二
人の理性者の精神的闘いの上に成立っており、二人の個性が相違することから純粋な思考の進行が妨碍され、
ま
しら
かくして後天的に出来上ったものに過ぎない。人間は本性上、自説を最も理由あるものとして固持する存在
である。彼は自己の見解が他人のと異なるとき、先ず自説の中に誤りがないかどうかを検べるこiとをせず、
却って他説の中にそれの在ることを前提する。即ちショーペンハウアーに拠れば弁証法は人間の生れながら
もっと
にしてもつ自説固持という虚栄の論理に過ぎないのである。
味で後天的な要素は何ら含まれていないのである。エンゲルスがヘーゲルの方法の中にいわゆる唯物論者に
が、既に述べたように、物の魂を語っているというのである。そこでは主観的な、ショーペンハウアーの意
は分裂と乖離、自己疎外の要素を含んでいるが結局に於いて、絶対精神の独白でしかない。そしてその過程
かいり
は、前に掲げたヘーゲル自身の区別を顧みればおのずから明白であろう。ヘーゲルにとっても弁証法的過程
題には立入らないことにして、とにかくこの種の弁証法の理解がヘーゲルのそれと一致するものでないこと
のに限り、そして言わばその人間学的本質を明らかにしたことは興味の深いことである。しかし今はこの問
も彼は明瞭に、かかる人間の本性から由来する学問を弁証法とは名づけるが、誤解を避けるために、
「争
尤
】と呼ぼうと思うと断っている。ショーペンハウアーが弁証法を争論的なも
論的弁証法」【 Eristische Dialektik
i
75
おけるよりも一層唯物論的なものを見出すのはその故であろう。であるからヘーゲルを唯物論的に理解する
こぶし版は「くらべる」と読む。
後退する弁証法
i
76
にしても一応は彼が「客観的」にして「真」の弁証法と称するものを理解し、それに徹する必要があるので
へん
か
ある。こういう事情が存する時に、何人かが言葉の同一の故に、弁証法の下にヘーゲル的なものをでなく、
アリストテレスが貶したようなものを意味させ、それを再びアリストテレスの名を藉りて中途半頗【 半端】
とくりゅう
な知識として非難するものがあるとすれば、それは明らかに弁証法を後退させる所以でなければならない。
】年一月号に寄せられた「存在のロゴス的性格と気分的性格」と
山内 得 立 博士が雑誌『理想』本年【 1932
題する論文は、一見こと古代史に関する如くではあるが、この意味に於いて警戒し読まるべきものだと信ず
る。唯物弁証法は一面で戦闘的唯物論として確かに争論的な性格を具えている。これをショーペンハウアー
の如く人間の虚妄に根ざすと考えることは自由であるが、単に口先だけで勝たんと志すものではない。虚妄
であると否とを問わず、とにかく全人間を賭けての闘争でなければならぬ。それは世界観の衝突であると共
に、現実的な階級闘争に連なっている。
二
】 ——
弁証法の創案
弁証法はまた運動の論理として特質づけられることが往々ある。ゼノン【 <Elea> Zenon
者と認められるこの哲学者は運動を否定したので有名である。飛んでいる矢は静止している。物はそのある
ところにあると共にあらざるところにあることはできない。これらの逆説を破ることが不可能である以上は
み
な
運動を理解し得ない。近代自然科学は微積分法を以てこの難問を解決した。即ち微積分法は最も典型的な運
動の論理なのである。そこで弁証法をもかくの如きものと看做す以上はそれとの対比を究めることが必要で
ある。
微積分法の論理を理解するに当って先ず知っておく必要のある概念は内包量
と外延量
intensive Grösse
との区別である。後者はある単位を以て計られたる一つの比較量である。普通に吾々が量
extensive Grösse
という名で意味させているのはこの外延量のことである。吾々は空間をある単位の集積として考えているの
がこれである。これと違って内包量は量ることのできない、即ち割ることができず、その限りで有限量にも
即ち動きつつある量である。ゼノ
どすことのできない量である。強いて言えばそれは過程であり、程度 ——
ンは運動を以て静止点の寄り集まったものと考えた。静止はいくら重なっても静止であることに変りはない。
かくして運動の不可能が結論された。これはとりも直さず運動の理解に際して外延量の概念を適用しようと
かんか
するに外ならない。近代自然科学はこれに反して、動く点を見出すことに依って運動の可能と測定とを共に
成就するこ と が で き た 。
轗軻不遇の天文学者ケプラーの天才的想像力は既にこのような量に想い到っていた。
彼は円の周辺が、頂点を円心に於いて突き合す三角形の底辺をなす無限に多くの点から成り立っていると考
えた。彼は水桶の容量を測定するのに、球面や円錐面を運動させてこしらえた八十七の新しい体積の関係を
てんじゅう
利用したと言われている。多角形の辺をいくら小きざみにしても到底、円周となることはできない。桶の中
にいくら異形の物体を填充しても真にその隅々まで埋めることはできない。それが可能であるためには部分
たる点や物体が動いているとみなければならない。部分が動いているということは全体が動いていることで
ある。寧ろ前者は動いている全体の部分なのである。静止が集まって運動が出来上るのでなく、運動の極微
77
として静止があるのである。数学上、更にこの事情を明らかにするのは切線の概念である。一つの直線が一
後退する弁証法
78
点に於いて円に交わっているとする。この交わっている一点は直線の点であると共に円周としての曲線上の
一点でもある。ちょうど前の例に於いて円心に於いて頂点を突き合す三角形の無限に小なる底辺が直線であ
ると同時に円周の一点として曲線であると同じである。切線上の点と円周上の点とは二つの点が会したとみ
るべきではなく、一つの点の種々な運動がこの方向に合して曲線を作りだすのである。曲線とは二つ以上の
方向に動く点の運動により描かれる線である。ガリレイは微分的概念を彼の加速度の理解に適用した。ニュー
トンに於いては、流るるもの Fluente
( 流量)を産みだすところの流率 Fluxion
という思想を生じて、運動の
速度の増し方が時間を小にすればするほど一定量となることを見出し、空間量を時間量から導出する試みに
達した。これが微分法にまで発展する基となったのである。ライプニッツが別個の観点から同じ結果に到着
したことはよく知られている。
微積分法はかくの如くして近代自然科学の基礎たる力学を可能にした。力学は更に種々なる技術を可能に
した。今日の巨大なる資本主義的産業組織は物質的なる基礎をこれに負っている。この限りに於いて微分法
に依る運動の逆説の征服は一つの世界史的事件であった。しかしこれはどこまでも運動概念の資本主義的な
把握であることに注意しなければならない。微積分の思想の根柢にはライプニッツ風な単子論的世界観が潜
それぞれ
んでいるのである。ライプニッツの単子もまた内包量であり、感覚によって捉えることのできない、ただ意
識として、力として以外に考えることのできない極微の存在である。それは夫々別様に宇宙の全体を映じだ
し、その限りで全体への方向を示しているが、相互に窓を閉じて侵入を許さないところの個体なのである。
社会学的にみれば資本主義社会における個人に外ならないのであろう。そこでは個人の利益を追求すること
が結局に於いて社会の利益をもたらす所以と仮定されている。いくつかの方向に動く点によって一つの曲線
が描かれるように個人の夫々の活動が合して一つの社会的秩序が出来上るのである。力点は個人におかれ、
而も各個人の活動の間に一つの均衡が想定されるのである。しかし均衡は動揺の極微なる場合でしかない。
生産力と生産関係とが調和を保持している間はこの均衡も持続している如くである。だが一度それが多少で
しの
も喰い違いを生じ始めるや否や、個人と社会との間にも矛盾が現れだす。このことはとりも直さず資本主義
社会体制の降り坂を示すと共に、やがては微積分法の限界をも偲ばせる所以でもある。
微積分法は従来の論理を以て支配しきれなかった運動の事実を思考の勢力の下におき、一層具体的な現実
を構成することを可能にした。ところが、その方法の前提となっている大きさは感覚や直観に写ることのな
い観念的なるものであった。それが力として、時間としてあるいは意識的なものとして考えられたのはその
ためである。そうすると感性に映ずる現象の基に何か非感性的な要素があって、それらの積分によって、実
在界が成立する如く想像されるのである。感覚や直観の中には実在は存しない、それらの基底となっている
】などが微分法を藉りてきて、これをカント説に結びつ
Hermann Cohen, 1842-1918
非感性的な要素にこそ実在の根拠が求められねばならない。こういう帰結は観念論にとって甚だ好都合であ
る。 ヘ ル マ ン ・ コ ー ヘ ン 【
け、彼のいわゆる根源の論理を主張するのは、主としてかかる側面に拠ろうとするものである。彼はできる
だけ思考の純粋さを維持しようがために、極度に感覚と直観とを却けて、かかるものから何ものをも受けと
はら
らずして自ら内容を生産する自主的な思考を想定した。この場合にかかる能産的思考の模範となるものは、
79
かの動ける点、切点である。それが曲線を孕む一点として無限の運動を続けるように、思考もまたいわゆる
後退する弁証法
80
無限判断的過程に於いて不断に自己の内容を産みだす。普通に直観として与えられると考えられるものは、
解くべく与えられたXでしかない。而もそれは解決すべくして遂に解決し得ずただ無限なる過程の終極に於
いて解き尽し得ると考え得る微分Xなのである。この論理は全く誘惑的である。理想を遠大なところに描い
て、それの実現に努力することに甘んじ、かかる悲劇的運命に陶酔を感ずる理想主義が支配的である間は、
この論理は弁証法よりも調法である。しかしそのような理想主義が安心して人生観たり得るのは資本主義が
一時的にでも順調に進行しつつある間だけである。二十世紀初頭のドイツに於いて、大戦後の好景気の波に
かかわ
かつ
のった日本に於いて、それが社会的支持を得たことは、その事を証明している。一旦、矛盾が現れ始めると
はじめ
この主義も、この論理も日和見主義を出でなくなる。そういう事態が既に発生していたに拘らず、嘗て田邊
元 博士は弁証法の論理を尚コーヘン流の論理に置き代えようと試みられた。その誤謬は博士自身に依って
も、 ——
もちろん吾々とは異なる理由に基づいてであるが ——
認められ最近、旧稿を論文集『ヘーゲル哲
あた
学と弁証法』【 国会図書館近代デジタルライブラリー、田辺元全集第三巻】に収められるに方って、特に序文の中で、
それがもはや自己の意見でないことを断られている。微分法が観念量を導入したのはより現実的に実在を支
はんちゅう
配せんがためであった。内包量、動ける点というようなものが、特に観念的だと思われたのは、それが従来
ライプニッツでさえモナドをアトムと現すべきか、
の思惟の範疇のどれにも当嵌め得なかったからであろう。
ふる
形式とすべきか、実体とすべきかに惑っている。即ちそれが伝統的な思考を超越した全く新たな範疇である
ことの証拠である。旧い思考に対してそれの支配し切れない要素が観念的だと思われるのである。であるか
ら観念的にみえるものが、却って実在の根拠となるような逆説的外観も生ずるのである。抽象的なものには
具体的なものが観念的にみえる、この事情をそれだけとり離して実在は観念的だと結論するのがコーヘンら
の論理であろう。自然科学者にとっては微分を見出したことが、実在をつかむ所以であった。その消息を語
はたん
るものとしては根源の論理は意義をもっている。しかし自然科学のもつ世界史的意義の論理的説明以上に、
それが一般的な世界観となろうとするとき自らのもつ制限の故に破綻を来さざるを得ない。ヘーゲルの弁証
【「発出的」とも訳す】と規定したのはエミール・ラスク【 Emil
emanatische Logik
法はかかる根本に於いて自然科学的な考え方に対立することを特色としているのである。
三
ヘーゲル弁証法を以て流出論理
せつべつ
】であった。彼はこれを現実の個別性を余すところなく一挙に把握する「直覚的」悟性の論
Lask, 1875-1915
理であるとして、どこまでも認識と対象、普遍と個別とを截別して、後者の内に前者を以て尽し得ない非合
【
】や三木清氏が反対の意見を主張しているから吾々はその点には触れないでもよ
Nicolai Hartmann, 1882-1950
】をみよ)弁証法のかかる解釈に対しては、既にニコライ・ハルトマン
"Fichtes Idealismus und die Geschichte"
理性を承認するカント流の論理、即ち彼のいわゆる分析論理に対立させた。(
『フィヒテの理想主義と歴史』
【
い。ただここにコーヘンらの根源の論理をも流出論理的嫌いあるものとしてその点を修正して別個の而もカ
ント風な弁別的論理の権限を越えないところの論理が提唱されたことがある。左右田【 喜一郎】博士が嘗て
あたか
主張された極限概念の論理がそれである。事実コーヘンが彼の論理の範とした数学の世界はラスクも認める
81
ように分析論理と流出論理の中間を占め、宛も人間的な有限な認識を守りながら、超人間的な無限な知識を
後退する弁証法
ほうふつ
82
彷彿させる境なのである。そこでは一般的な概念と規則さえ与えられれば、そこからひとりでに個々の場合
が作り出され得るのである。即ち思考されたものを直観的に現示することができ、個々様々に直観に与えら
れるものも思考の一般的規定に引き戻すことも自由なのである。微積分の論理が宛も自らの内容を自らの働
きによって産みだす如くみえるのも、数学の領域におけるように先天的に与えられたるものの世界に於いて
は一般から多様なる個別がおのずから作りだされ得るからであろう。これを数学的概念に特有な「構作し得
る性質」 Konstruirbarkeit
と名づける。かく概念を構作することは然しあらゆる場合に可能なわけではない。
寧ろかかる構作の行われ得るのは理想的な認識の場合だけであって、正常な認識はこれを目標としてどこま
でも近接することを努めるが、到底そこに達することのできない理念として想定するに止るものである。而
もかかる理念としての認識は現実には存しないが、却ってそれ故に現実の認識の規範となり指導原理たるも
のである。かくの如く現実の存在に対して当為となり理念となる性質を有するものが極限概念なのである。
それはどこまでも肉迫し得るが遂にそこに到達し得ないことを本性としている。
極限の概念もまた言うまでもなく数学的由来をもっている。コーヘンらの論理もこの概念の研究に負うと
ころが多いのである。彼は限界または極限の概念を消極的なものと積極的なものとに分っている。前者は例
えばどこまでも小さくなり得る、従って看過しても差し支えないような無限小、あるいはもはや分割し得な
いものという如く、思考の力の及び得ないあるものを意味し、思考の限界を劃する意味を有していた。ゼノ
ンが飛んでいる矢は静止しているというとき思い浮べていた無限に小なる距離とは右のような消極的限界概
念であった。ここでは極微なるものが後へ後へ残されるように考えられている。従って到底どれをとっても
完全に最小であることはできない。そこに到るには飛躍が必要である。これに反してさきに吾々が運動する
点に於いてみたように自ら極微量として有限量を創造し構成しゆくものとは、思考の限界をでなく、その能
】
、三〇頁以下を参照)極限概念の論理はし
"Das Princip der infinitesmal-methode und seine Geschichte"
動的な本質を証示するというのである。( コーヘン『哲学および現代史に関する論文集』第二巻「微分法の原理
とその歴史」
【
かし厳密にはこのいずれの区分にも入らない。後者に対しては余りに構成的であるとして反対するが、前者
ほどに消極的ではない。等しく極限に移るために飛躍を認めながら而も尚理念的な目的関係をそれに賦与し
うかが
ようとする。ここにこの論理が既にコーヘンのそれのように資本主義の円滑なる進行を反映したものでない
ことが窺われる。コーヘンにあっては連続が何よりも大切であったがここでは行手に飛躍が口を開いている。
ゆだ
而もこの論理を徹底させるときどうしてもこの深淵を飛び越えることができない。それを果すには弁証法に
のこ
身を委ねることが必要である。尤もこの論理には根源の論理にもまして、特殊なるもの、個別なるもの、偶
然なるものに対する健全なる感受性が遺されている。これらを普遍なるもの、全体的なものに解消したくな
いところから、右のような思想も出てきたと考うべきである。そういう理由から流出の論理としての弁証法
に投ずることができなかったのである。けれども果して弁証法は論理としてのみ正当に理解すべきものであ
83
弁証法を以て単なる論理とは解せず、それ以上に存在全般に通ずる規定としてみることは新しいヘーゲル
四
ろうか。同時に特殊と普遍との問題は論理主義的にのみ解決さるべきなのであろうか。
後退する弁証法
84
解釈の一般的傾向である。エルトマンが嘗て『近世哲学史』の中で論じたようにヘーゲルの全体系を汎論理
主義的なものと理解することには新ヘーゲル学徒らは一斉に反対している。ディルタイは既に早く生の概念
をその中心に置こうとしたし、クローナー【 Richard Kroner, 1884-1974
】も非合理主義的な思想としてこれを
解釈しようと努めている。ヘーゲルにおける歴史概念の重視も同じ傾向に算えることができよう。これらの
いちべつ
傾向は弁証法を存在論的に理解するものとして要約することができる。前節では弁証法が新カント派の論者
らに依って如何に評価されたかを一瞥したのであるが、それに代ってドイツ哲学の主流となった現象学的・
せんたん
存在論的傾向が如何に弁証法を取扱うか、そしてそれがどういう結果を招来しつつあるかを概観しよう。
この流派の尖端が今やハイデッガーに依って代表されていることは人々がよく承知していることである。
にある。とこ
彼は存在の解明を吾々自身の存在から始める。彼によれば吾々の存在の特質は実存 Ex-istenz
ろが直ちにわかるようにこの文字の ex
はそれがそれ自身に由来するものではないこと、何ものかから出て
きたこと、それに存在を負っていることを意味する。それと同時に、現にある状態、この限られたる存在か
ら脱けだそうとする傾向をもつことを暗示している。吾々すなわち人間はこれら二つの方向に自己を超越せ
で あ る。 弁 証 法 は 否 定 性 と 媒 介 性 と を
るあるものを予想する。人間の存在は両者の中間に位する inter-esse
特質とする。それは普通に論理的なものと信じられているが、論理的なものは実のところ吾々の実存の中に
根をもっている。吾々の実存は何ものかに負うところあるもの、即ち自らならぬ存在を予定するものである。
言い換えれば否定的な存在である。同時にこの否定性から超脱しようとの傾向は論理上いわゆる否定の否定
として示される特徴を示している。そしてこの過程は吾々があるがままの平俗にして堕落せる状態から本来
が存せねばならぬ。
Existenz-Dialektik
の自己そのものへの復帰として考えられる。吾々は本来の自己に関心 Interesse
をもつ存在である。即ち吾々
の実存がかくの如き意味における媒介性を具えているのである。かくして弁証法の論理の根拠として実存弁
証法
しかしハイデッガーに系統をひいているような実存弁証法の理論は元来、宗教的な思索家キルケゴールに
うしな
しま
由来するところのものであった。吾々が存在を「負っていること」i schuldigsein
と解するのは、それを罪あ
ることと自覚するための基本的条件なのである。キルケゴールはヘーゲルの弁証法が純粋思想の世界をさま
85
問を述べたからここでは繰返すことを止める。(『理想』一九三二年正月号、拙稿【「一九三一年わが哲学界を回顧
わが国の正系の哲学者たちは今やこの地盤に立って弁証法の理解を「深めて」いる。田邊博士は前述の著
に於いて判っきりとこの立場に進まれ、これを絶対弁証法と称して居られる。それについては他の機会で疑
】
家たちであった。【 こぶし版では「である。」とし、改行を入れていない。
】、エミール・ブルンナー【 Emil Brunner, 1889-1966
】などのいわゆる弁証法的神学の理論
【 Karl Barth, 1886-1968
ことに依って生きる覚悟がなければならない。かかる弁証法の理解を更に推し進めたものはカール・バルト
を生かすことである。それには死を恐れず十分な決意を以て現在の中へ飛び込むことが必要である。死する
在に生きることである。現在は一瞬である。この一瞬のうちに自己の面目を遺憾なく発揮することが自己
ことを強調する。しかし彼の実存と考えるものは常に宗教的・倫理的であることを本質とする。実存とは現
よっていることを指摘して、それの原動力たる矛盾の力も、実存の地盤を喪うや否や全く無力となって了う
i
「こと」は「こ」と「と」が繋がった字体でこぶし版では「こと」を欠く。
後退する弁証法
i
86
して」
】
。
)三木清氏も国際ヘーゲル連盟の編纂にかかる『ヘーゲルとヘーゲル主義』に寄せられた「弁証法の
存在論的解 明 」
【 三木清全集第四巻収録】の中で、もちろん結論は異なるけれども、同じ視点から弁証法を理解し、
ヘーゲルを批判されている。同氏が近く公にする『歴史哲学』【 三木清全集第六巻収録】の一部だと断られてい
い
る二つの論文「歴史の概念」
(『哲学年誌』創刊号)および「存在の歴史性」
(『思想』一九三一年十二月号)のi中
ま
た
では、益々濃厚に宗教的色彩が示されている。筆者は著書の完成を侯って更めて関説する機会をもち度いと
i
号に発表された「自愛と他愛及び弁証法」でi述べられた見解はわが国に於いて弁証法の理解をいよいよ宗教
に質問の矢が投げかけられてもよいと思う。私は有体に言えば博士が『哲学研究』の本年一月号および二月
ありてい
すことなく自らを肥らす糧とされている。であるから群盲の象を撫する如くであっても、もっと率直に博士
れを取り入れ自己の思想を腐敗しないように努められている。如何に反撥するようにみえる意見をも弾き返
はじ
うに禁制することは却って博士の本意ではあるまい。博士は大学を退かれた今日に到っても不断に新しい流
ような博士の妙想に接することは極めて大切である。だからといって博士の思想に触れることをタブーのよ
博士と結論を等しくしないものも自己の思想を鍛錬し豊富にするためには、滾々と湧きでる常に新鮮な泉の
こんこん
ある。今日この国で哲学を学ぼうとするもので博士の思想を無視することは自らを貧しくすることである。
思う。iわが国の思想界にこうした宗教的・倫理的傾向が受け容れられ易いのは、それが多年、西田【 幾多郎】
博士の学説に培われていたからに外なるまい。西田博士はいうまでもなくわが国の産んだ誇るべき哲学者で
ii
iii
底本では二論文の初出が逆になっており、こぶし版で訂正。
「歴史の形而上学的構造」「哲学の新転向」がそれである。
版全集では第五巻、 1978
では第六巻
『無の自覚的限定』収録、 2002
i i i
i i
i
的方向に導くものなのではないかを危惧するものである。もちろん博士が自らの体系を倦まず建設されつつ
あることに敬意を惜しむものでもなく、それに中傷を加えようとするものでもない。ただ吾々は博士の世界
た
史の上にもたれる役割を明確に見とどけねばならぬと思う。それについてはもっと詳しく述べる別の機会を
かげき
待つことにしよう。最後に断っておき度いのは私も実存弁証法の重要さを十分に認めている。それは思考と
存在との連関を媒介してくれると共に、観念弁証法から唯物弁証法に至る罅隙を充してくれるものと信ずる。
しかしかかる課題を果す実存弁証法は決してただキルケゴール風な宗教的・倫理的場面に留ることはできな
いと思っている。私は寧ろその模範をフォイエルバッハにみた。「全て超自然的なものを人間を介して自然へ、
そして全て超人間的なものを自然を介して人間へ還元する」という彼の考え方は旧き思弁へではなく、唯物
弁証法への橋渡しとなるべき実存弁証法の基調である。iしかし今や与えられた紙数も尽きたから、そういう
i
同誌本文では題名は「現象学と弁証法」である。
後退する弁証法
87
卑見については『思想』の「弁証法研究号」( 一九二九年十月)に寄せた「現象学と唯物弁証法」iおよび同じ
雑誌の「ヘーゲル記念号」にのった拙稿「フォイエルバッハのヘーゲル批判」を参照して頂くことにする。
底本 『:中央公論』 1932.6
参照 久
: 野収編『現象学と唯物弁証法』こぶし書房刊
こぶし版は「であると思う」と変えている。
i i
i
ii
ルーダスの所説について ——
——
自然弁証法と其論理
一
88
自然弁証法の問題は今や少くとも二つの関連に於いて理論的興味の焦点となっている。
ぼくしゅ
一つは従来こればかりは経済的基礎構造の推移に関わらず常に同一な原理と方法とを墨守すべきであると
考えられ勝ちであった数学的自然科学が果して他の学問上の社会意識形態とその本質を異にするかどうかの
吟味である。もしその事が肯定せられるとすればマルクス的な社会意識形態説はどのようにか変形されるこ
とを余儀なくされるであろう。この点に関して弁証法的方法は自然科学上においても今までの微分的連続原
理に基づく数学的方法に対位するものである。そこでもし後者が限界と認める問題であって前者によって一
層無理なく解決し得るものがあるとすれば、自然科学の原理と方法の絶対性もまた崩壊しなければならない。
そうなれば一面的な伝統的な方法的見地は何にそれが由来するかが究められることは当然の順序である。か
かる時もし皮相な歴史上の現象形態に停滞しようと欲しないならば、ひとは必ず数学的自然科学の社会意識
形態性に行きつくであろう。
この事実の承認は同時に在り来りの俗見を排除する所以でもある。というのは恐らくは説教師の謬見に煩
わされてであろうが、自然科学的世界観と哲学的唯物論とが相即されることが屡々である。確かに後者が前
者に支援されていたことは哲学史上ないことではなかった。フランス啓蒙期の唯物論のあるもの特にラ・メ
】の説などはそのよい標本であると言えよう。しかし既に当時にあっ
トリ【 Julien Offroy de La Mettrie, 1709-1751
けいがん
てもこれと相並んで自然科学に干渉されざる唯物論の流があった。そしてオーウェン、サン・シモンなどの
社会主義の母胎となったのは後の唯物論であって前のそれでないことをマルクスの炯眼は逸早く指摘してい
る。弁証法的唯物論は実にかかる流の継承であり発展であるに外ならない。それだけではなく現代の自然科
学の有力なる理論は種々なる意味において観念論との調和を策しておりその帰結が唯物論的にならないよう
に腐心している跡が見える。事実、近代の数学的自然科学はマールブルク学派がiそれに結びつけて特殊の先
験的観念論を発展せしめたように唯物論とは全く対抗的な陣営に対して武器を供するものなのである。いず
れにしても自然科学の観念形態性が顕示されなければならない。
89
ば、かかる秩序は人間の事にも及んでよいはずである。この意味で弁証法を社会科学の方法にのみ限ろうと
る。自然弁証法の強味の一つがあらゆる自然事象の原理的な推移と牽連とを明らかにするにあるとするなら
けんれん
に弁証法の特質は外面的に本質を異にするように見えるところの事象の間に不即不離な関連を見出す点にあ
その特殊なる形態に拘らず終局に於いてそれらの母胎たる自然に根ざすものでなければならぬ。その上実
いて見ようとする弁証法的唯物論の死命を制するものだからである。人間と社会とにおける弁証法的秩序は
次に第二の関連は単なる理論的興味に局限されているのではない。何故なら自然について弁証法的方途が
無理なく更に有效に適用されるか否かは、人間と社会とをより包括的・全般的な存在たる自然との連繋に於
i
新カント学派で、 Hermann Cohen, Paul Natorp, Ernst Cassirer
など数学・自然科学の基礎付けを図った人々を指す。
自然弁証法と其論理
i
90
する説は弁証法的唯物論の異端と言う外はない。そこに唱えられる「実践」というような標語もかかる背景
がなくては観念論的な「努力」と混同されても仕方がないであろう。
ところで吾々はこのような自然弁証法の重要さを自覚しながらも、自然科学の事は社会科学のそれにもま
ようかい
して素養と習熟とを要することなので軽々に容喙することを許されないのである。ただ専門学者の研究を刺
激し一方に出来得ればそれに方向を与え、他方に彼らの成果から学ぶことにもなれば吾人の務めの過半は果
されたものと認めねばならぬ。
二
に発表されて以来、これに対する是非の
さて吾国においても本年の初頭、田邊博士の所説が『改造』誌上 i
論が首としてマルクシストの側から議せられたのであるが未だ専門学者の意見に接する時期に至っていない
*
彼はハンガリー革命運動の輝ける闘士であり、その不幸なる結末は彼をモスクワ「マルクス・
Ladislau Rudas
で紹介することも無駄ではなかろう。
ルーダスの二つの論文を掲げている。吾国におけるこの方面の理論の現状に顧みてそれらの要旨をかい摘ん
*
ようである。この時、近着の独逸版「マルクス主義の旗のもとに」誌( 第三巻四号及六号)はラヂィスラウス・
i
エンゲルス研究所」に閉じこもらすに至ったという。既に "Arbeiter Literatur"
第九号および第 十号にルカーチの
著「歴史と階級意識」を批評しその誤謬を指摘したことで有名である。その一部は稲村順三氏によって邦訳さ
巻頭論文「所謂『科学の階級性』について」
i
れ「
マルクスの階級意識論」
【 国会図書館近代デジタルライブラリー】なる表題の下に公にされている。
Rudas
ルーダスは最初の論文「物質は消失した」に於いて最近の自然科学研究の傾向と動搖とを叙述しその中に
きざ
弁証法的原理を移入し来るべき気運の萌せることを指摘している。先ず消極的なる部分として自然科学上の
の「物的世
A. S. Eddington
根本観念が今もなお如何に物質を観念に解消する説と結びつくことが可能であるか、そしてかかる説が現今
かげき
】である。この主張は感覚とその外的原因とが質的に異っており、
"The Nature of the Physical World"
有力なものとして横行しているかを述べる。その例として第一に選ばれるのは
界の本性」
【
また両者の間に罅隙の存することを認め、その結果あらゆる外界の事象は神経をもこめて吾人の意識の投射
たる象徴に過ぎないと断定するのである。この説は神経をも物質と認め外界の事象と等しく意識の象徴と解
するのであるから、これは「生理学的観念論」と刻印されている。しかしルーダスを以てすれば本来の唯物
論者が観念的なものを物質的なものに即座に還元することを躊躇する時、観念論者が平気で逆な手続をやっ
てのけることはその独断を暴露するばかりでなく、論者が不可解な罅隙と看做すところのものは実は自然の
一般的な弁証法が示すところの飛躍の一つの場合であるに過ぎない。例えば色の感覚に於いてはエーテルと
や
神経とが異った物質であるが故に、異った性質をもっており従って両者の交渉は飛躍的に行われるのである。
まな
しかし観念論者はかかる説明では満足しない。彼は性質と関係との奥に「本質」を捜さなくては已
【 人物として不詳】の「科学的思惟の発展」
【 "The
いのである。そしてかかる要求を蔵するものとして D' Abro
91
「かかる交互作用の認識より更に溯ることは吾々にはできない、蓋し背
——
】を挙げ、これに対してエンゲルスの「弁証法と自然科学」
Evolution of Scientific Thought from Newton to Einstein"
中の次の言葉を以て応えている
自然弁証法と其論理
92
後には認識さるべき何ものも存しないから。吾々が物質の運動形式を認識したとすれば、吾々は物質そのも
のを認識したのである、然らばそれに依って認識は完結する」。
【 Hermann Klaus Hugo Weyl,1885-1955
】の「数学及び自然科
ルーダスの第三の批評の対象となるのは H. Weyl
学の哲学」【 "Philosophie der Mathematik und Naturwissenschaft"
、 菅原正夫訳岩波書店刊】と B. Russel
【 Bertrand Arthur
】の「物質の哲学」である。吾々はここで一層精密な自然科学的観念がどう批判され
William Russell,1872-1970
るかを知るであろう。即ち右の学者たちは新しき原子論に依拠するものだから。ラッセルはエレクトロンの
構造についての Rutherford
の説を斥けて Heisenberg
に与しながら述べている ——
この種の電子は一定の場
所にあるものでなく、またその内部には何事も生起しない。それは本質に於いて放射的事象の総体であり、
旧説により電子がそこに存すると考えられるその場所とは別個の場所に於いて観察され得るものである。そ
れ故に電子はある領域における出来事についての法則に還元される。即ちこの説に拠れば物質は『空虚』な
拡りにおける出来事についての法則からのみ成立することになる。ルーダスはこれを以て現代自然科学者が
物質を駆逐する模範的な例であるとする。そしてワイルの次の言葉を対峙させている ——
物理的場は一つの
同質的静止状態に停滞せるものであり、ただ他のもの、即ち物質、「不安定の精神」によってのみ動揺せし
められる。それ故に吾々の科学的操作は常に物質に手懸りをもたねばならない。物質は場を刺激する因素で
ある。かくして純粋なる場の議論は破れると彼は考える。
(尤もワイル自らは物体を凝集せるエネルギーと
認めることに依って直ちに再び物質的核心を発散せしむるけれども)
ルーダスの以上の部分における論駁を積極的な主張に翻訳すればこうなるであろう。自然の唯物弁証法的
あなぐ
ゆうよ
理解は、第一に物質的ならざるもの即ち非有的なるもの(観念)を認めて物質的なるものを猶予なくそれに
還元しようとはしない。第二に性質と関係の背後に「本質」を索ろうとしない。それかといって第三に出来
事の現象とその法則に満足する現象主義、函数主義にも与するものではない。その代り物質の種々なる在り
方とその間に行われる飛躍的従って弁証法的連関を明らかにしようとするにある。
ところでそのような弁証法的自然観は単なる理論的な幻想に止るのであろうか。そうでないことを、ルー
ダスは、最近における自然科学研究の基本的な動搖の事実によって示している。そしてこの動搖こそは単独
なる科学的思索のそれではなく深く社会的不安に根ざせるものである。一方に於いて自然科学が神秘主義と
たゆ
不可知論に逃避するのは現階段におけるブルジョアジーがあらゆる領域に於いて示せる宗教的傾向に対応す
るものであり、他方プロレタリアートの興起に従って弁証法的・唯物論的帰結を伴う自然科学が撓まず発展
しつつある事実が認められる。この事は取りも直さず自然科学もまた十分に社会意識形態としての性格を具
さき
備していることを証している。ではルーダスは現今の自然科学の如何なる傾向を以て弁証法的・唯物論的と
看做すので あ る か 。
にワイルが場の刺戟者としての物質を提唱したときそれに依拠していた
彼はかかる傾向の代表者として向
ところのプランクの量子論を挙げている。その説に依って変革を豪った従来の物理学上の原理は左の三点に
要約される。一、原子の可変更性。二、時間と空間との相互独立性。三、力学的現象の連続性。第一の点は
あた
プランクも自ら形式論理的に矛盾することを認める、蓋し原子とは物質の不可変な成分と定義されるからで
93
ある。しかしこの事は却って原子の考察に方って厳格に形式的な考察が不十分なことを証している。かくて
自然弁証法と其論理
0
0
94
従来の原子論の困難は弁証法的に考えることに依って多く免れ得ることが示される。先ず粒子と波動の両概
0 0
念を弁証法的に結合することにより電子を時空の外にはみ出させることが避けられ、また電子を集団現象と
解し背後により大きな全体の作用を考えることにより、電子に対し因果法則の概念が不適応だという考えを
排除することができ、更に電子の背後に隠れているとみられる何ものかは最早 Subelektron
という如き不連
続な粒子でなくその法則性は不連続物体のそれよりも遙に錯雑せることが予想せられるのである。
や Schrödingeri
の説くところに従って叙述しているが
ルーダスは一層詳しくこれらの諸傾向を De Brogliei
十分な習熟を欠く者が空な受売をすることはこれ以上無駄であると信ずるが故に吾々は彼の第二の論文に移
ることにし よ う 。
三
ii
カーチ批判以来ブルジョア学者の因果論に対して唯物弁証法的な見解を対質させ来ったその人である。吾々
**
説を以て伝統的な因果解釈の限界を指摘したものと看做して差支えないであろう。そしてルーダスこそはル
関係に就いての論理的解釈を原理上そのまま承け継いだと認めてよいものであるから、吾々はルーダスの所
ルーダスの第二の論文は「因果性の機械論的及び弁証法的理説」*と題されている。その目的は「史的唯物
論」におけるブハーリンの因果説を批判することにあるようである。しかしブハーリンの考えは従来の因果
i
ド・ブロイ波=物質波の提唱者
Louis de Broglie, 1892-1987,
シュレーディンガー、波動力学を構築。
Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger, 1887-1961,
i i
i
はあらゆる経験科学が既往も将来も因果関係の究明に終始すべきことを思い、その論理的性質に関し新説を
聴くことは極めて有益である。
「デボーリン・
1930.3
* ブハーリンの政治的失脚以後、その理論上の誤謬が指摘されることが屡々である。例えばデボーリンはブハー
リンの「転形期の経済学」中の均衡論を批判した。
(プロレタリア科学三月号に訳文をのす【
均衡論と唯物弁証法」
】
)このことは一見奇異であるが政治的見解が全ての理論の指標であることを如実に示すも
のであろう。
**ルーダスはルカーチが階級意識の概念を規定するに方ってこれを「客観的可能性」としての性格を有し、従っ
て「生産における一定の典型的な状態に帰属せらる」べきものとして取扱っていることを非難し、これらの「客
観的可能性」
「帰属」などという範疇はブルジョア学者、マックス・ウェーバーから藉り来ったものであり、そ
れ故にそれと等しき制限を有することを指摘している。
(前掲、稲村氏訳文参照)今回の論文は、然らばブルジョ
ア論者がこれらの範疇を持ち来る論理的前提は何であるかを明白にしそれを議論の出発点としている。
従来の論理学者の因果解釈はこうである。ある事象の全き原因を知るにはそれに先き立つあらゆる因素を
総合し、その内相殺するものを差引き、遺れる積極的因素の集合が原因と認めらるべきである。しかし事実
この因素の交錯は人間の認識に余さず影じ得るほど簡単なものでなく寧ろ彼にとっては偶然としか解し得な
*
いものである。故に偶然とは常に人間主観が事象の因果関係の規定に耐え得ざることを示している。統計的
方法の根拠もここに在るしウェーバーが客観的可能性の範疇を提唱したのもこれに由るのである。
95
*ただ彼は経験科学者的不可知論を信ずると共に実在のカント的解釈に与するもののようである。カント論者は
自然弁証法と其論理
96
本文に述べたような困難を次のように免れる。因果は実在構成の範疇であって、構成以前の素材的存在の形式
ではない。それ故に種々な経験科学的見地に基づいて同一事象についても異別な因果関係が観取されて当然で
かか
ある、と。しかし個々の見地からする因果測定にも十全なる因果の問題は依然残されているのである。経験科
こうちょ
学の論理的大前提たる「自然の斉一」の原理は、かかる認識論的解明に干わらず、現実の因果観測には是非と
も承認されねばならないのである。
ブハーリンもまたこの論理の上に立つ。「戦争直前に墺皇儲が殺害されたこと、i英国が植民政策を遂行し
たこと、世界戦争が勃発したこと………これら全ての出来事は同一の程度に偶然ではない、蓋し厳密に解せ
0 0 0
事象が同質的・固定的に即ち決定論的に因果制約され居ることを前提する立場を機械論的と名づけ得るとす
連における性質と役割に応じて或は必然的であり或は偶然的であることができるのである。そこであらゆる
ち自然は階段的な秩序を示し、そこでは因果関係は一様的に抑揚なきものではなく、個々の事態の全体の関
因果制約されているのではなく、質的な秩序の相異を示し、それを人間の観測者に強要することである。即
0 0 0 0 0
ように現象が運行し居る場合に於いてだけである。ということは外界の現象がそれ自ら単純に「同じ程度に」
経験がかかる任務を果し得るのは、実在する外界においてその現象の種々なる重要さが吾々に切迫してくる
かける ——
それなら同一程度に重要なる出来事から何れかを最も重要なるものとして選定するのは何による
0 0 0
のであるか。もし気随でないとすればその客観的根拠は何であるか。経験であろうか、もしそうだとすれば
ば社会の史的発展には決して偶然なる現象がないから」と彼は言う。ところでこれに対してルーダスは問い
i
サラエボ事件、オーストリア皇太子が暗殺された。第一次世界大戦のきっかけになる。
1914.6.28
i
れば、後の説の如く事象の全体に於ける関連と役割に応じ、因果の秩序を異なるものと看做す考えは当然に
弁証法的と名づけ得よう。そしてこの論理こそはマルクスが夙に展開せるところである。
それではマルクスに於いて「偶然的」と「必然的」との対立が何を意味するかをみよう。この際ルーダス
は資本論から次の例を惹いている。マルクスは価値と商品との分析に方って「偶然的な価値形式」と呼ばれ
るものを挙げている。何故にかく呼ぶか。それは原因をもっていないからか、それとも吾々がそれを知らな
という語を以て修飾し
いからか。双方とも否である。マルクスはこの価値形式を同時に「単一の」 einzelne
*
ている。即ち彼は「偶然」と「単独」とを同一視しているのである。詳説すれば「二〇エルレのリンネル=
一枚の上着」という如き価値形式は交換が未だ狐立していて、生産される財が商品という形をとらない時期
にのみ存在するのである。即ち全体の生産行程の中に何らの合則性を示すべき連繋なく、交換行為も、交換
物も全て弧立的であり、従って偶然的であるというのである。然るにかかる価値形式はそれ自身に矛盾を蔵
しておりその中から必然的に商品経済の法則性を現出し来るものである。ここに於いて遂に貨幣によって代
表さるる「一般的な価値形式」が生れることになる、そしてこれは発達せる商品経済また後には資本主義社
会の「必然的」価値形式なのである。かくして「偶然」と「単一」とが相等されたように「必然」と「一般」
とが等値さ れ る 。
* 河上・宮川訳「資本論」一ノ一、六一頁以下を参照。【『資本論』第1篇第1章第3節「価値形態または交換価値」A「単
】
純な、個別的な、または偶然的な価値形態」
97
ルーダスは更に歴史における個人の役割という例に於いてこの事を例示している。資本主義社会の成立と
自然弁証法と其論理
98
共に資本家階級とプロレタリア階級の発生するという「一般的」事実は「必然的」である。しかし誰が各々
両階級に属するかという「個別的」事実は「偶然」である。マルクスの言うように歴史の舞台に於いて個人
は一般的関係の仮装のもとに登場するのである。同様のことがマルクスやレーニンその人にも言われる。プ
ロレタリアートの階級闘争に相応してそれに適合した理論の生るべきことは「必然」である。しかしこの仕
事がマルクスやレーニンという個人によって遂行されたという事実は「偶然」である。
ここに於いて必然的ということは単に因果的に制約されるということ以上である。何人が資本家となる
か、誰が階級闘争理論の把握者となるか、は恐らく綿密な因果関係によって規定されているであろう。しか
し依然として偶然的であり得るのである。また「偶然」と「必然」との対立は一方は主観的、他方は客観的
と言わるべきものではない。却って両者共に客観的であり、ただある秩序と結合に於いていずれかの特質を
取得するに過ぎないのである。のみならず自然にとって偶然は内在的必然でなければならない。ただ学問に
とって大切なことは偶然がその対立物たる必然に転化する法則を発見することである。エンゲルスはヘーゲ
ルの言葉を引用してこの関係を明白にしている、即ち「偶然的なものは、それが偶然なる故に、一つの根拠
をもっている、が同時にまた偶然なるものが必然的だということは偶然なる故に、そは何らの根拠をもって
いない。必然性は自己自身を偶然性として規定し、また他方にこの偶然性は寧ろ絶対的必然性である。」エ
ンゲルスは続いて如何に自然科学がこれらの命題を単なる逆説的遊戯として顧みず、自らは一方にウォルフ
流の形而上学に囚われて偶然と必然を固定的に対立させ、或は偶然を空語に於いて否定しながら実際にはど
の特殊の事例に於いても認むるという無意味な機械論的決定論に陥っているかを指摘し、然るに同じ自然探
*
究に於いてもダーウィンの仕事にあっては如何にこの制限が破られ、個々の偶然性が普遍的なるもの(ここ
個々のものは、普遍
では種)の発展法則に転化されているかを示している。レーニンもまた言っている ——
的なるものに通ずる連繋の中以外には存在しない。普遍的なるものはただ個々のものの中に、個々のものを
へんえき
通じてのみ存在する。……そして自然科学は吾々に客観的自然が同一の性質をもっていることを示している、
**
大月書店版第二十巻】
Marx-Engels-Werke, 20Bd. S.489
即ち個々のものが普遍なるものへ、偶然なるものが必然なるものへ変易すること、転形、転進、対立者の相
【 DDR
版
Engels, "Notizen", Marx-Engels-Archiv Bd. II. S. 266f.
互連繋を。
*
河上肇訳、
『事項別レーニン選集』第一分冊九六頁以下【国会図書館近代デジ
Lenin, "Zur Frage der Dialektik"
タルライブラリー】参照。
**
あらゆる事象が一様に万遍なく因果的に繋り合っているこ
かくして吾々はルーダスから何を学ぶか。 ——
とを承認することは自然法則の恒常性を主張する機械論に服従する所以である。帰納法の論理的根拠と考え
られる「自然の斉一の原理」も実はかかる機械論的世界観に基づくところの自然研究の大前提でなければな
らない。機械論的自然観は嘗ては目的論的見解に代って自然の征服と支配に不可欠な役割を演じた。しかし
今やその論理的前提はエンゲルスが言う如く、偶然性を必然性から説明することを得ずして却って必然性が
単に偶然なるものを生産すべく引き降されるようになったのである。即ち機械論の論理が予想する客観的必
99
ところが客観的自然はしかく一様性も有するものではない、それは寧ろ多様なる段階的秩序を現示してい
然性こそ人間にとって偶然的なるものの産出者に外ならないのである。
自然弁証法と其論理
100
る。レーニンの言うように推移と変転と対立物の交互連繋とがその本質である。個々の事象はそのままで制
約し合っているのではなく普遍者を媒介として初めて必然的となる。またそのままで連続的なのではなく、
飛躍を通して相関連する。客観的自然には絶対的な必然性が固着しているのではなく、寧ろ涯しなき偶然性
が拡っている、ただかかる偶然なるものは一つの秩序に編み込まれており普遍者から普遍者へ溯行しゆく過
一九三〇・六
程を示す。かかる「偶然者の秩序」こそ弁証法的自然観の論理的前提でなければならぬ。
底本 『:理想』 1930.7
近代自然科学と実践
この研究の目的は右の題に関するマックス・シェーラー【
を批判する に あ る 。
】の見解を摘出し且つこれ
Max Scheler, 1874-1928
*
であり、
は近代自然科学を存在論的にみれば一つの純然たる「作業の科学」 Arbeitswissenschaft
シェーラ*ー
*
「支配の知識」であると考える。これを世界観的に直せば実証論あるいはプラグマティズムに帰し得られる。
巻
10
】
p99
従って彼に於いて問題は作業もしくは支配と、科学即ち認識との関連、かかる関連を特に強調する実証論・
【 邦訳シェーラー著作集第
Max Scheler, Arbeit und Ethik, in "Christentum und Gesellschaft" II. Bd. S. 41.
【 邦訳著作集第 12
巻 p31
】
Erkenntnis und Arbeit in "Die Wissensformen und die Gesellschaft" S. 250.
プラグマティズムの価値及び限界はどうか、として現れる。
*
**
彼はこの問題の取扱いに際して五つの見方を分けている。一、歴史的・社会学的。二、認識論的。三、進
*
化生理学的及び心理学的。四、労働生理学的。五、教育学的。これらの内、彼が公にせる研究は初めの二つ
**
に限られるようである。ただ三及び五について吾々は彼の他の独立論文に於いて比較的纏った意見を聴くこ
巻
12
】
p17-
101
とができよう。だが吾々は主として第二の見地から考察を進めることとする、但し第一の立場はシェーラー
【 底本では「 Arbeit u.Erkenntnis
」となっている。邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit, S. 237f.
に於いていつも土台をなし背景となっているのだから適時モンターヂュされるのは勿論である。
*
近代自然科学と実践
** 三に関しては例えば
巻】 五
13
, については
巻】
12
.
102
【 邦訳著作集第8巻】 "Stellung des Menschen im Kosmos"
【第
"Wesen u. Formen der Sympathie"
【第
"Wissensformen u. Bildung", "Universaität u. Volkshochschule"
最初に作業あるいは労働概念の規定について聴こう。「アルバイト」という名詞は三様の意義に使用され
るのが常である。一、人間の、時に動物の、又は機械の動作として、二、
一つの動作の事物上の所産、三、
一
つの課題、単に思い浮べられた目的として。シェーラーは、この語の使用のかかる三様の分化が、労働概念
における目的と動作と物の間の特に緊密な結合を表示していると主張する。これを「創造」という概念と対
比してみよ。ここでは動作が対象に完全に優位せることが示され、従って労働における如く動作と物との間
の密なる関係が欠けている。創造される処、物質は零となることが理想である。だから労働を以て「あらゆ
る富とあらゆる文化の創造者」と做すところのゴータ綱領は誤であり、労働はそれ自身で価値を創りだすの
ではなく、ただ現実の欲望を充足する一定の労働だけがそうなのである。価値の源泉はこの有要性であり又
それの編み込まれる目的の体系である。かかる体系が労働作用に対して客観的に外より与えられるのである。
従って労働は奉仕する目的体系の移動に応じて決して尽くることなき行動の列として展開する。大工は一定
の建築を果しても、直ちに新たな築造の目的体系に彼の働作を従わしめる。この事は他面に労働が個人の気
分や傾向によって運ばれるのではなく、客観的に物と組織とに統制され秩序づけられることを意味している。
*
【 邦訳著作集第
Arbeit und Ethik
巻】を参照されよ。
10
この外にシェーラーは労働概念を動作の赴く帰趨から限定する、しかし吾々の目的にとっては以上で十分で
あろう 。
* これらの点に関しては前掲
では自然科学的認識において、労働、作業仕事は如何なる役目を演じているか?吾々は一応そこで観察と
実験と呼ばれているものがそれに該当すると考えてよいであろう。ところでこの科学におけるこのような態
度は普通に受働的なものと想われている。虚心に自然の運行を観取すること、それに一層適切な装置を設け
ること、単に頭の中で構案したいわゆる臆説を事実に照して検証すること、これがそうだと説明される。か
そもそも
かる自然解釈の基には哲学的に経験論が潜んでいると断定されるのが常である。然るにシェーラーは観察と
実験のかかる見方に反対する。
ここでは彼はプラグマティズムの見解を容認して述べている。抑々思想と言表とがそれに照応せしめられ
その限りで真と認められる事実とは何であるか?もしひとが事実のもとに何か吾々の作為なしにそのままに
与えられたものを理解するならば、一定の事実などというものはありようがない。そんな事実なら、何らの
統一も分岐も部別もない、混沌とした印象の、全く定りなく流動し変転極りない寄せ集めであろう。かよう
な混沌と吾々の思想が合致せねばならぬという由は少しもない、寧ろ逆にそれは、吾々によって取り行われ
る変形に対して仕事の材料たるに過ぎないものである。それ故に通常の科学的語義における事実とはいつ
も既に吾々の精神上の動作によってどうにか規定されまた形づけられたあるものである。そして近代の自然
科学が自然の支配という一種のプラグマティクな世界観に根ざしているとシェーラーが考えていることは、
吾々が最初に知ったことであるし、今後も一層詳しく見究めようとするところである。それが当っていると
103
観測でさえも、決して経験論者の説くように労働的なものに止らず、自
すれば、自然科学における実験 ——
然に対する働きかけの一歩であるに相違ない。
近代自然科学と実践
104
然るにかかる所与の変形・整斉によって真理と事実が生れるという思想は現代に於いて新カント学派のも
のとして有名である。シェーラーもこの学派とプラグマティズムやある点に於いて
即ち真理と認識との
——
)
【 科学主義】
、更に方法を対
Szientifismus
探究に際して先ず実証科学の存在、その方法と課題を予定する点(
*
象に向けるのでなく、方法こそ対象を創りだすと考える点( Instrumentalismus
)
【 道具主義】 ——
相通ずるこ
とを認めているが、前者が超越的な悟性とその原理を、そのうえ原理の間に一定の系統を想定することは到
底プラグマティズムの認容し得ざるところである。自然科学における観察と実験はカント学派の説くような
先験的に企劃され秩序づけられたものではなかろう。そこでは仕事の方法や原理は客観的に予定されたもの
**
ではなく、科学的探究の行程の間に自ら浮び上ってくるもの、その副次的産物であり、探究と離しては、意
味なきもの、そこに生きる精神を豊かならしめ得ざる死せる試みに堕するものである。では探究の行程を指
導するものは何であるか?それが先験的な方法原理の体系であり得ないとすれば、寧ろ探究者そのものに内
】をみられよ。
p98
巻
12
】を参照。
p53-
在し、彼自身の探究を全体的に衝き動かしているところの動機でなければならぬであろう。かかる要因とし
巻
10
【 邦訳著作集第
Erkentnnis und Arbeit, S. 270f.
て実験と直接連なって取りだされるのは技術の概念であろう。
【 邦訳著作集第
Arbeit und Ethik, S. 40f.
*この点及び前項の事柄に関しては前掲、
**
*
前項において自然科学における観察と実験が、単なる受働的な映写ではなく、寧ろ自然の出来事への吾々
の働きかけの末端であることを知った。これはそのままでは現存しないような事態を自然のうちに呼び起そ
うという技術的企劃の極限の場合であるに相違ない。こうしてみると自然科学的認識は既に自然生的に技術
】やマッハ【
Pierre-Maurice-Marie Duhem, 1861-1916
】の力学や熱力学、エネルギー
Ernst Mach, 1838-1916
と結びついている。シェーラーも言う ——
技術は決して、真理観念や観測、純粋論理や純粋数学によっての
**
み規定せらるるところの、純然たる理説的・観想的学問の二次的な「応用」に過ぎないものではない。デュ
エ ム【
論などの歴史は、どんなに常に技術的課題が数学や自然科学の種々なる部門の誘因となったか、従ってかく
して見出された成果を厳密に論理化し体系化することは常に後の仕事であったこと、特に実験でさえ純然た
巻
12
***
】
p17-
】
p136
る研究の手段となったのは、自然に対し時に技術的に時に遊戯的に働きかけるという特殊の内容をもった目
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit S. 237f.
【 邦訳著作集第
巻
】
Erkenntnis und Arbeit., S. 238, 263.
12
p18,45-46
【 邦訳著作集第 11
巻
Probleme einer Soziologie des Wissens, S. 101.
的が漸次平準化された結果に外ならないことを示している。
*
**
***
ところがシェーラーにとっては技術の概念は自然の支配と統御とにのみ適用されるものではない。彼は有
機、無機の自然の外に、神、心霊、社会のあらゆる範囲で、支配と統御とへの意志の優位を認めている。自
しゅうらん
然力を魔術を以て征せんとする意図、神の意に副うと共に彼を人の意に従わしめんとする祭儀、、自己の煩
*
悩を制せんとする解脱の途、人間の心を収攬しようという権勢獲得の術など全て広く技術の概念の中に収め
らるべきである。かく技術を人間の全面的、根源的活動としてみることは、それに応じて必ず人間の本質の
特殊な解釈が存するであろう。しかし吾々はこの根本的問いを提出する前に、更に一段と技術と近代自然科
105
学との関連を窺いたい。この点に於いて特に心に留めておかなければならないのは、技術はいつも学問と経
近代自然科学と実践
**
106
済とを一次的に結合する媒介となるということである。シェーラーはあらゆる戦いの、生産の、交通の技術
と学問上の技術が共通の発展段階を経過することを述べて、それに応じて学問的に世界像を描く仕方も異り
ゆくことを主張している。例えば、一、魔術的技術に応じて、原始人の魔術的自然観が、二、前者が武技、
更に道具的技術に転ずるに従って、後者もまた機能論的・目的論的に変じ、三、初期資本主義の如く自然力
**
を利用した動力技術の時代には、数理的・力学的自然観が発生し、四、石炭、電気、その他の放射物体のエ
ネルギーを利用する技術の時代即ち高度資本主義の段階に於いては、電気・磁気的自然観が照応する。即ち
しら
これを活動と解するにしても或は組織と考えるにしても ——
学問そのものとの直接
彼は経済そのものと ——
な関連対応をではなく、技術にまで形体化された経済と、学問の機関としての技術との接触を説くのである。
この関係を特に近代自然科学について検べてみよう。
*
を参照。【 邦訳著作集第 11
巻】
Probleme
einer
Soziologie
des
Wissens
** 同書 155
頁以下をみられよ。【 邦訳著作集第 11
巻 p198】
もし近代自然科学を以て数理的あるいは形式的・力学的自然観に限定すれば、それは前掲の表に照してみ
ても初期資本主義のそれであり、勃興期にあったブルジョア社会のイデオロギーであることが察せられる。
*
あらかじ
はか
シェーラーの語を使えば「全ての技術学の技術学」として、人間が自然を征服する場合に常に指導となる観
0 0
方であろう。その目指すところは恐らく ——
シェーラーも洞破している如く ——
予め利益の料られ得る、経
むし
0
済的にまたその他の目的に有效な機械を考察しようというような低い所にあるのではなく、寧ろあらゆる可
能な機械のプランを作り、それによって有用であると否とを問わず自在に自然を統御するにあったのであろ
う。であるから経済の発展による技術的要求の増大が数理的自然科学の発達を一面的に促したのでもなく、
新たな科学が技術の進歩と資本主義経済を助成したわけでもなく、両者とも却って、新しいブルジョア的人
**
】
p184
巻
12
】
p285-286
間性という型の中に、その新しい衝動構造とその新しいエートス【 Ethos
】の中に根ざしているという結論
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit, S. 483.
【 邦訳著作集第 11
巻
Probleme etc., S. 143.
になる 。
*
**
うしな
然るにシェーラーによれば、支配意識、統御意志の濃厚ということに決して独り、勃興期ブルジョアジー
*
**
のイデオロギーに限られず、寧ろあらゆる革命的思考の特徴であり、また下位階級の世界観に共通すると、
認められているようである。ブルジョアジーもその革命性を喪い社会の上層に浮び上ると共に、観想的とな
り、主知的、目的観的、存在固執的となる。そして新たに支配意志、変革意識を具えた階級が表面にでる。
いとま
これが現代プロレタリアートであり、その世界観はシェーラーに拠ればプラグマティズムなのである。ここ
で彼のプラグマティズム考察を蒸し返している遑はない。ただ結論だけを摘記すればこうなるであろう。ブ
0
0
0
0
0
ルジョアジーのイデオロギーは前に知ったように、形式的・力学的自然観に存するが、かかる学問的観方は
それ自身の性質としては ——
即ち前述のように社会学的にみなければ ——
その根柢に潜む実践性というもの
はこれを前面に出さず、否却って出来るだけこれを背後に退けて、「純粋」なる科学となり、かくすること
に依って寧ろ自然の全貌と真相を伝え得ると信ずるものなのである。そこでは飽くまで応用は第二であり、
107
工学は副次的でしかあり得ない。かかる実在論的、主知主義的な、
純粋なる理論の主張に対して、
プラグマティ
近代自然科学と実践
108
ズムが、知識を以てただ仕事の道具に過ぎないことを説くのは単なる反動的イデオロギーだ、とシェーラー
巻
12
】
p287-
は断定する。ただ何れのイデオロギーも ——
ブルジョアジーのもプロレタリアートのも ——
実証的な、統御
へん
的知識即ちこの場合には形式的・力学的自然観を絶対視し他の資格をもつ知識を貶する点で等しいと考える。
】
p144-5
】
p259-60
巻
11
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit, S. 484f.
【 邦訳著作集第
Problem etc., S. 109.
【 邦訳著作集第 11
巻
Ibid. S. 205.
ここからシェーラー一流の議論が始る。
*
**
***
彼に拠れば素より形式的・力学的態度は自然に対する唯一のものではない、その以外に純粋に非実践的な
自然認識を志すいわゆる自然哲学、自然物の個性に注目して、例えば天体の中でも月や火星について特にそ
の個別的な性格に関する学問が成立しているように、その特性を誌す観方があってよいし、更に自然を何ら
*
かの精神の表現態と看做して、これを会得共感する態度、最後にこれら一切の綜合としての自然形而上学の
可能が容認されている。かかる多様なる自然観の内で特に最初のものを選ばしめる動力は取りも直さず、か
の新興ブルジョアジーのエートスの中に現れた支配意志でなければならない。この意識はまた西欧における
歴史の実際に於いては遠くユダヤ・キリスト教的な創造神の思想に遡ることができようし、更に近世の初め
**
に当ってプロテスタンティズム(特にカルヴィニズム、ピュリタニズム)がこの根本思想を人間の自然に対
する支配と労働にまで転化したことに帰し得られるのであろうが、これを存在論的にみれば人間そのものに
対する特別の見解を予想する。ここに於いてシェーラーに従えば、近代自然科学と実践の問題は彼のいわゆ
る哲学的人間学を予定せずには解決し得ないことになる。
* Erkenntnis und Arbeit., S. 342【
巻 p131】
f. 邦訳著作集第 12
** 例えば Wesen. u. Formen d. Sympathie, S. 99, S. 111
をみよ。【 邦訳著作集第8巻
】
p157, 172
*
一つの存在者が
——
吾々はこの領域に入る前にもう一つ知っておきたいことがある。シェーラーは形式的・力学的自然科学を
ひとり自然観として相対化しているばかりではなく、支配的知識そのものを知識の範囲内で単に低級な準
備的段階に属するに過ぎぬものとしている。彼は知識一般を存在論的に定義して言う
に関与し、而もそれによって後の存在者に何ら変化がもたらされぬこと。これは
他の存在者の相在 Sosein
**
他の語で言えば「最も形式的なる意味における愛である」。ところで知識がかかる存在の関係であるとすれ
ば、知識が知識のためにあるということは無意味である。知識は他のものに化せねばならぬ、知識は生成に
奉仕する。そこでシェーラーはかく知識が化する行手に三つの大きな目標を規定する、一は既に知った、人
間の目的のために世界を実践的に支配し変革せんとする生成目標、第二、人格の発展を目指すもの、第三、
***
世界とその最高の相在及び現在の根基そのものの生成に資するもの。順次に支配の、あるいは仕事の知識
教化の知識 Bildungswissen
救済の知識 Erlösungswissen
と 名 づ け ら れる 。 形
Herrschafts oder Leistungswissen
式的・力学的自然観、実証論、プラグマティズムの限界はそれが知識といえば直ちにどこでも第一のものだ
けを意味させていることである、それらは実証科学の認識を常に知識解明のモデルとして浮べている。とこ
0 0 0
ろが、実証科学の外に哲学があり、形而上学が成立する。これらは経験的実証科学が故意に放棄したところ
109
の、対象の本質の問題、事物の絶対的な実在の問題を、ひき受ける。これらにとってはただに、あらゆる判
近代自然科学と実践
110
断の形に定められた知識に共通な、真偽の標準ばかりではなく、真なるもの、偽なるものにおける先験的な
****
るもの(本質に即するもの)が特に教化知としての哲学に対し、対象の絶対的実在性ということが特に救済
さき
知としての形而上学に対し決定的な標準を提供する。そして実証論とプラグマティズムの制限を乗り越えよ
うとするシェーラーは、斯くの如き哲学と形而上学とを要求する。嚮に挙げた自然形而上学などはその一部
巻
12
】
p36-7
】
p31
】
p29
巻
12
巻
12
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit, S. 247.
【 邦訳著作集第
Ibid. S. 248.
【 邦訳著作集第
Ibid. S. 250.
【 邦訳著作集第
Ibid. S. 255.
巻
12
】
p28
に過ぎない。彼は「認識と労働」の中で屡々まさに公にさるべき「形而上学」について告げている。
*
**
***
****
来るべき著書の内容について語ることは出来ないが、その中でこれもまた公表を約束されている「哲学的
人間学」が重要な役割を演ずるであろうことに想像に難くない。そこで吾々は彼の人間学について研究を進
むべき時期に到達した。彼は既に大戦前にものした「人間の理念に関する一考察」(論集「価値の顛倒」第
一巻収録【 邦訳著作集第四巻】)の冒頭に述べている「ある意味に於いて哲学のあらゆる中心問題は、人間と
は何か、人間は存在の、世界と神との、全体の内部に於いて如何なる形而上学的位置を占めるか、の問題に
帰せられる」。人間は一方にそれ以下と考えられる自然と他方に彼を超ゆる神とに挟まれている。彼は果し
て前者から成り上ったのか、それとも後者から転落したのか?また人間自身の経歴についてみても、いわゆ
る人類学的に遺跡と骨片を通じて想定され得る自然人、例えば黎明の人と有意味の記録を通じて吾々によっ
せつべつ
めぐ
と、精神科学や哲学の中で描かれる人間、例えば
L'homme machine
homo sapiens, anima rationalis
て会得できるところの、有史後の人間とは如何に截別されるか?更に生物学的・生理学的対象としての人
間、例えば
巻】等が建てられた。今その内容を一々紹介することは徒労であろう。吾々はどこまでも吾々
13
とは如何に 関 連 す る か ?
これらの諸問題の周囲を繞って、最初の倫文から彼の死去の前後に発表された
——
量に於いて小さいが質に於いて甚だ展望の豊かな諸論文「人間の宇宙における地位」及び「人間と歴史」
【邦
訳著作集第
のテーマに忠実にそれに係わる範囲でのみこれに関説しよう。
吾々の問題は近代自然科学と実践との関連を尋ねるにあり、これは前者の西欧における成立の事実の内に
潜 め る 支 配 意 志 の 優 位 に 依 っ て 一 応 解 決 し た も の の よ う で あ っ た が、 か か る 意 志 を 特 に 肯 定 し 主 張 す る に
は、人間が彼自らの本質を何らか、かかるものとして解釈することが基本であり、表面の意志の如きはそ
と解する説である。人間を似て、記号をもつ動物
homo faber
道具を用いる動物
Zeichentier
の放射であるに過ぎないとの考えに当面したのであった。この支配意識の基礎となるのは則ち人間を本質
的に働き作 る 者
あるいは頭脳者 Gehirnwesen
などと規定するものがこれである。この見方は何よりも人間を以
Werkzeugtier
て理性的存在者とする考えに対立する。後者が理性的精神の具備を以て人間と他の動物とを峻別するに対し
て、前者は両者の質的差別を否定する。人間に於いては物的にも心的にも、恐らくはいわゆる「理性的」域
内でも、他の全ての生物におけると等しい要素、力、法則が働いているのだが、ただ複雑な效果を伴うだけ
111
として性格づけられる。かかる理解は同じく自然主義的立場にあるとはいえ、か
Triebwesen
の相違である。そしてあらゆる生物の発条【 ゼンマイ】を衝動と名づけるとすれば、人間は理性者としてよ
り も、 衝 動 者
近代自然科学と実践
112
の形式的・力学的に、人間を機械と解し外界との関係を刺戟と反応とにより説明する見地(例、感覚主義)
とは異って、「生」を基本範疇として選ぶものであるから、これを生気論的 Vitalistisch
として前者から取り
分けられる。ところが同様に人間を衝動者とみるとしても如何なる衝動に中心をおくかによって、この見解
は一段と細別される。一、食料本能に重きをおくものは、素朴唯物論から史的唯物論に至るまでを、二、権
力本能を根源と考えるものは、マキアヴェッリ、ホッブスからニーチェ、(ディオニソス型の人間)アルフレッ
ついで
心理学者】の説を包括し、三、生殖及び性の本能を中心とするものはフ
ド・アドラー【 Alfred Adler, 1870-1937
ロイドのリビド説を代表とする。序にシェーラーの挙げる人間解釈の類別を採録すればこうなる。右の理性
人(ギリシャ・ヨーロッパ的解釈型)、労働人(自然主義的、実証論的、プラグマティズム的解釈型)の外に、
創造、楽園、堕落、救済の型を逐うユダヤ・キリスト教的解釈がとにかく人間の生を積極的に肯定するもの
として存し、これらと対抗して抑々生への意志を否定し、人間そのものと彼の業績の一切を病的現象なりと
する。例えばクラーゲス【 Ludwig Klages, 1872-1956
】の汎浪漫主義的理解がある。仏教、ショーペンハウアー、
ある意味でフロイドの説もかかる生に対して消極的態度に立つものと言えよう。シェーラーはこれら一切の
】及び
1882-1921
外に、人間の厳粛な責任と自律とを高調して超人の理想を更新するところの新学説(
Dietrich
Heinrich Kerler
*
【 Nicolai -, 1882-1950
】)に基づく人間学を挙げている。 ——
然し今の吾々
Nikolai Hartmann
【
にはこれらの一切ではなく
説、その中でもプラグマティズム的及びマルクス主義的それに注目
homo
faber
すればよい。だが吾々はこの点からそろそろシェーラーの批判に入ってもよいであろう。
(未完)
* これらの点に就いては本文中に掲げた諸論文をみられよ。
113
ここまで書き上げたとき家の小さい者が急病に襲れ夜中入院するという騒ぎで中絶するの已むなきに至っ
——
た。それにも拘らず本文を公にするのは一に編輯者に対する約束に忠ならんためである。
一九三一年四月七日
——
底本 『:理想』 1931.5
近代自然科学と実践
承前
あたか
114
吾々は吾々の題目についてだけ批判を行えばよいのだが、必要な範囲で一般的な部分にも及ぼう。吾々の
観たところによれば、シェーラーは自然観についても、その根基となる人間学に関しても、更に形而上学に
ついても種々なる立場を許し宛もその相対的な価値と限界とを認めている如くである。かかる相対主義は一
一
応の批判に服してよいであろう。
もっと
も シ ェ ー ラ ー の 相 対 主 義 的 立 場 は、 彼 が 知 識 社 会 に 止 る 限 り 已 む を 得 な い と も み ら れ る だ ろ う。 そ
尤
こ で 知 識 社 会 学 の 構 造 を 知 る 必 要 が 起 る。 そ れ は 文 化 社 会 学 の 一 部 で あ り、 文 化 社 会 学 は 実 在 社 会 学
に対せしめられる。彼によれば両者は各々、人間の生活内容総体の、上部及び下部構造に関
Realsoziologie
*
し言い換えれば一は人間の精神の、他は衝動の理論である。このうち実在的要因である下部構造は一つの命
数であり、一定の客観的・実在的に可能なる動きの遊動範囲を決定する、これに対していわゆる精神は消極
**
的な統制、即ち妨碍あるいはその除去をなし得るに過ぎぬ。而してかかる実在要因として、政治的権力関係
(権力衝動)経済的生産関係(営養衝動)、種族関係(血縁)が算えられる。この下部構造の「盲目的」決定
性にも拘らず、精神はまた侵し得ざる自主的世界をもっている。彼によれば精神は主観的にも客観的意味で
も、また個人的のそれでも集合的のそれでも元来、相在的性格をもち、それ自身客観的な活動域をもつとこ
ろの可能界を構成する。然るに精神は自らの内容を現在にもたらすべき力を自己の中に蔵していない。こ
れを可能なる領域から限定し選択し実在たらしめる要因が右の下部的構造なのである。故に言う「精神的・
0
0
0
0
0
文化的なるものに於いては相在・意味・価値からみて潜勢的に事象の「自由」と自律とが存する、但しそ
れは常に実在的現れに際しては「下部構造」の独自の因果律により阻まれ得る「変様し得る自由」 "Liberte
と称し得るであろう。……反対に実在要因の領域では、コント【 Auguste Comte, 1798-1857
】が適
modifiable"
***
切にも言った通りかの「変様し得る命数」 "Fatalité modifiable"
があるだけである。彼処では、精神的潜勢か
ら実在化するものに、実在関係が阻止的に作用するが、此処では歴史的傾向の宿命的行程に対応するものに
向って精神が、時間を引き延ばすという意味で、停止的に影響する。」ここに二つの世界、可能なる精神的
相在のそれ及び実在的衝動のそれが認められ、その相牽制の上に人間生活の全体が成立しているようである。
0
0
こうしてみると彼は知識社会学の内部でも、一種のプラトン的二世界論によって相対論を脱れようとするら
Probleme etc. S.【
4. 邦訳著作集第
巻
11
】
p23-4
巻
12
】
p20
Ibid. S. ま
7 た時に人口関係、地理的条件なども加えられている。(六頁)【 邦訳著作集第
巻 p28-9
】
Ibid. S.【
9. 邦訳著作集第 11
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit 240.
巻
11
】
p25-
115
しい。彼は他の個所で言っている ——
思惟形式そのものではなく、その時々の特殊な選択だけが社会学的に
****
また歴史的に制約されているのである。
*
**
***
****
近代自然科学と実践
きかん
*
116
前にも知ったように ——
エートス形式である、
然るにこの社会学的歴史的条件の内で動力的なものは ——
これはまた価値を前後づける生きた体系、選り好みの体系として規定される。そしてもう一つ重要なことに
は、この価値体系の各々はそれぞれ社会の支配的・亀鑑的層によって保担される。この社会的・歴史的な選
り好みの道程を明らかにするために、吾々の日常の生活の内で同じような手続が行われる著しい場合と比較
してみよう。それは感覚を通じて描かれる像に面する場合である、ここでもシェーラーは像の超意識的な存
在を主張し、而してかかる像に属するものとして形態だけでなく他の種々な性質もそうであることを認めて
いる。さて吾々にとって大切なのは、像の具備する性質は夥しく豊富であるにも拘らず、その間に選択が行
われるという事実である。ではこの選択は何に基づくかというに、この場合には、種々なる器官の態様的な
**
感受機能の蔵する特別なエネルギーに拠ると考えられる、即ち心的にではないが、少なくとも生物学的に制
】
p205-6
巻
12
にその文はある】
p21
約される。この関係を社会的・歴史的場合に適用すれば、各々の価値体系は何らかの社会的・歴史的な感受
巻
12
で、 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit
【 邦訳著作集第
Erkenntnis und Arbeit S. 409.
【 この頁は
Probleme etc. S. 241
器官の機能的エネルギーに基づいて選び出されることになるだろう。
*
**
この予想は必ずしも当ずっぽうではない。彼は発働的・生気論的認識概念を信じ、認識における所与の秩
序が生あるものの本質に関連してのみ存すること、例えば運動や空時の体系がまず先に与えられることもそ
れらが行動の形式と認められ得るからだという。かの形式的力学という如きものも、生あるものの自由なる
支配に根ざすところの、「能生的自然の技術」と考えられる。そればかりか最初に現象の像を描かさせるも
***
*
のも、「一つの全般的な生そのもの」
である。一般に彼によれば、
「ある方向
das
eine
universale
Leben selbst
さき
**
) が あ ら ゆ る 現 象 に 前 だ つ も の で あ り、 そ の 基 に は 衝 動
das gerichtete Dynamische
づけられた動けるもの」(
的な想像 Trieb-od, Drangphantasie
が潜んでいるのである。かの社会的・歴史的なエートス形式が衝動体系と
考えられるのも、この根本的・全般的な迫力の発現と考えられるからに外なるまい。而してこの衝動が言わ
ば種々なる目的体系に奉仕することによって、或いは血縁関係の、或いは政権関係の、或いは生産関係の優
越として現れる。吾々はこれらのエートスの担当者は誰、とシェーラーが考えているかを附加しておこう。
それが時々の社会の支配的・亀鑑的層に属するものなることは既に知った。では支配的・亀鑑的とはどうい
う意味か?それは少数人格の自由なる意志と行為である。即ちいわゆる指導者、先覚者、徳望者が世の気運
****
を洞察し開拓し、然る後に感染の法則に従って多数者によって模倣され、かくして文化が拡大すると考えら
れる。彼はかくして少数の選ばれたる者、傑れたる者の社会的・歴史的なる特殊任務を承認し高調する。そ
ればかりではない、これら特殊の人物の果すところは、かの下部的な衝動体系が単に消極的な選択、実現で
あるに過ぎないのと異って、実に積極的な実現化である。というのは後者が精神の自由なる活動に対し阻止
となり障碍として働き、斯くの如くして限定されることは言わば否定さるることに等しいに反して、英傑の
た
たと
遂行は精神力の動機関係を通じて会得できるところの、文化的な意味内容自体に関するのである。即ち下よ
りの衝動力を制し矯めて精神的なるものに奉仕せしむる役目を司るのである。譬えてみれば、衝動体系は地
にあわ
上界であり、精神の可能なる相在の領域は天上の国であり、英傑は昇天を媒介する法王とその下に立つ僧侶
117
に類するであろう。この中世的な比喩は、根本に於いてカトリックの信念に立つシェーラーにとって似合し
近代自然科学と実践
さき
118
からぬものではなかろう。依然として彼はプラトン的、一層適切には中世的な二世界説を固持しているので
ある。これは嚮に労働の本質を説いて、労働がそれ自身では盲目であり価値に無関心であり、必ず何らかの
目的体系に奉仕してのみ意義があるとしておることとも構造を等しくする。この二世界説は、一方に観念化
巻
12
】
p25
】
p125-
の境で動物と人間の差
Intelligenz
したブルジョアジーと他方に唯物的なプロレタリアートの板挟みになっている中間階級以外のものではなか
Erkenntnis und Arbeit S. 336【f 邦訳著作集第
【 邦訳著作集第
Ibid. S. 423
巻
11
】
p236-
】
p220
巻
12
Probleme etc. S.【7 邦訳著作集第
Ibid. S. 438【f 邦訳著作集第
巻
12
ろう。おまけにシェーラーにあっては、ファシスト的でさえある!
*
**
***
****
二
同じ遣り方は人間学においても繰り返される。シェーラーはいわゆる知
*
別を求める態度を斥けて後に言っている ——
「人間を人間たらしむる新たな原理は、吾々が内部・心理的も
しくは外部生気的に最も広い意味で、生と称するところのものの一切の外に在る。……既にギリシャ人は
かかる原理を主張しこれを「理性」と呼んだ。吾々に寧ろかのXに対しより包括的な語、精神を用いよう。」
と名づけら
ところでいわゆる生はこの精神の部分的顕現であり、その機能的活動の中枢は心霊的 "seelisch"
と呼ばれる。精神は第一に器官的なる
Person
れ る と す れ ば、 有 限 的 存 在 の 中 に 宿 れ る 精 神 の 作 用 軸 は 人 格
きはん
もの、その衝動に囚われた知の羈絆から脱れること、自由なることを意味する。それはもはや衝動に即し周
【 抵抗・敵対】から Gegenstand
【 客体・対象】に高められ、相在が
りの世界に囚われない、環界は Widerstand
原理的にそれ自ら虚心に捉えられる。「それ故に精神は物そのものの相在により規定され得るもの、即物性
である」。精神がかの技術的知識の外に、ものを理念化す【 る】働き、現在と本質とを区別して、前者をそ
の例とみることができるのもこれに基づくのであろう。然るにこの現在とそれに即する体験とを排除してよ
り高き世界に向上することは何を意味するか。これこそ「現世の不安」を、煩脳を、除去する働きに外なら
ない。精神はかかる浄化作用をもっている。しかし精神は右の働きに於いてただエネルギーを獲得するだけ
である、元来それは自己の中に籠るところの人格と称せられる存在の属性であり、従ってその純粋なる形で
は何ら力と活動とをもっていないのである。ここに於いて吾々はシェーラーが精神と称するところの存在が
知識社会学におけると等しく、単に可能的な相在として即物性を有するに止ること、それが現勢的なエネル
巻
13
】
p47
ギーを取得するには現実在を必要とすることを知り得よう。吾々はここでも二世界説に突き当るようである。
Stellung des Menschen im Kosmos. S. 46【f.邦訳著作集第
では両世界の中継をどう彼は考えているか。
*
屡々みたように彼に拠れば可能なる文化あるいは精神の活動圏から特にその一面を前景にもち出す要素
は、社会的エートス、衝動体系であり、それはその社会の支配層によって担当された。然し意味内容あるい
は思想を動かし得るものはまた同様の性質あるもの即ち思想でなければならぬ。かかる文化の意味内容を変
119
動せしめ一を逐って一つを迎える要因こそいわゆるイデオロギーに外ならないであろう。シェーラーはこれ
近代自然科学と実践
0
0
120
を規定して言う ——
「人々が身分、職業、政党に従属することに由来してそれらの人々に共通な、集合的利
害と夫々の偏見と名付け得るところの知識内容との混合形象」
。而してこれは一種の仮象知識 Scheinwissen
であり、その特質はこの「知識」の集合的利害根拠が常にこれを共同にもつところの者らに意識されずにあ
ること、彼らは集団としてそしてこれらの集団の一つに属するということに依ってのみこの知識を共同にも
0 0 0 0
つこと。この自動的に無意識に成立した「偏見」の体系を意識的に反省して、宗教的、形而上学的もしくは
*
実証的思惟の一つの方向に追随して或いはそれらのより高い知識組織に源をもつ教理、原理、理説を近づけ
ここでイデオロギー
ることに依って正当づけようと試みるとき、イデオロギーなる新しい混合形象が生ずる。
は中間形象を作る、知識における天上界と地上的な仮知と偏見とを媒介する。そうだとすればこれを現代に
当嵌めた場合、この社会を動かし得る知識は、その中で最も支配的なイデオロギーに迎合するものでなけれ
ばならぬ。宗教も、形而上学もそれが純粋なる相在に止る間は何らの「力」も「作用」も及ぼすことはでき
あら
ない、前者に摂取され、その後楯となることに依ってのみ実在化する。それならばシェーラーが当今に於い
て純粋なる、おまけに凡ゆる可能なる立場の綜合たる哲学や形而上学の建設を欲するとすれば、どうして彼
の社会学的な立場と両立し得るだろうか。彼の説もまた現代における何らかの階級の、身分の、職業のイデ
Probleme etc. S. 【
21 邦訳著作集第
巻
11
】
p42
オロギーであってのみ社会に働きかけ得るのだろう。
*
三
ブルジョ
現代における立ち優ったイデオロギーは少なくとも二つある、それは対峙する階級のそれである。
アジーとプロレタリアートのそれ。シェーラーは無雑作に前者は形式的・力学的自然観、後者はプラグマティ
ズムだと断定している。然し力学的自然科学を生みだしたのは勃興期のブルジョアジーであり、現代のそれ
ではない、寧ろ現代に於いてはブルジョアジーそのものが没落期に陥ると同時に自然科学もまた「工学の工
*
学」としての実践性を喪失して、一種の神秘論・不可知論に迷い込みつつあることはルーダスなども指摘し
ている通りであろう。爛熟期のブルジョアジーは観想的・存在固執的・合目的的な形而上学を支持こそすれ、
無条件に実証的科学に信頼するものではない、彼らは嘗て新しい文化生成のエートスを孕んでいたことを忘
却して、徒に自己の棲息する文化内容に陶酔し、それの正当づけのために、宗教を、哲学を、実証科学を動
員する。かくして真の意味で「偏見」であり仮知であるところのイデオロギーが発生する。同じイデオロギー
であっても、かかるものは新文化促進の動力となることはできない、寧ろそれはかかるものに対して抵抗と
なり阻碍となり、摩擦力によってエネルギーの爆発を促すという意味でのみ意義があろう。ここに於いてか
**
***
ような思想内容に圧迫され抑制されるもののみが却って積極的な役目を果すことになるのであろう。シェー
ラーがマルクシズムを以て「被圧迫者のイデオロギー」であり「反抗のイデオロギー」だというのはこの意
味に於いてのみ正しい。ところが彼は直ちにマルクシズムを以て重要な点でプラグマティズムと軌を一にす
ると主張する。もちろん彼がプラグマティズムと考えているものは、米国におけるそれだけではなく、フィ
ヒテ・新カント派的のそれ、ベルグソン、ニーチェの思想をもそれに算入している。しかし吾々はこれらの
121
どれをも現代社会の新興層のイデオロギーと看做すことはできない。フィヒテ的な理想主義的プラグマティ
近代自然科学と実践
122
ズムが遅れて発達したドイツ・ブルジョアジーの実践の中世的・啓蒙的理解を脱しないものと解し得るとす
れば、ベルグソンのそれは既に傾けるブルジョアジーの静寂への逃避を、ニーチェのそれはデカダンスに陥
れるブルジョアジーの自己嘲笑と、線香花火的な、病的な、憧憬を表現すると言ってよいであろう。サンディ
カリズムでさえ、それが後にファシズムに系統をひいたことで明らかなように、ブルジョアジーの虚無的・
痙攣的な突進慾の現れに外ならないのであろう。ただ米国のそれだけは健全なるブルジョアジーの本道を示
しているようにみえる。だからやはりプラグマティズムの意義と限界はここに於いてこそ計らるべきであろ
う。ところがここでも亦かの新興期に固有な真の意味における実践性は喪われている。吾々が知ったように、
当初の自然科学的技術の目標が、有用であると否とを問わずとにかく凡ゆる可能なる機械を制作して十全に
自然を征服するにあったように、新興ブルジョアジーの意気込みも単なる利潤の獲得ではなく、文字通りの
企業慾にあったのであろう。打算よりも冒険の方が彼らを刺激したに相違ない。彼らの当初の実践性はかか
る一種の悪魔的な迫力にあったであろう。彼らの実践性が革命性をもっていたのもそれに拠るのである。然
ざんし
るに現代ブルジョアジーはかかる実践性を最早もっていない。彼らの目標は利潤の穫得であり、利鞘稼ぎで
ある。金利による収支計算が、取引所における投機が、過去の実践性の残滓である。如何に健全なる経営も
これらを考慮に入れずしては遂行され得ない。だから経営という概念に新たなブルジョア実践性をみようと
する考えに騙されてはならない。いわゆる経営の才能の主なるものは、如何にして有利な条件の下に資金を
しゅうらん
入手することができるか、また如何にして自己の会社の株式市価を高く維持するかの苦心に懸っているよう
である、他は政党や役人の操縦、従業員の人心収纜でなければ他は日常平板な事務を出でないであろう。事
業の合理化と改善などはただ右の目的より出る必要に促される副次的産物に過ぎず、前者と衝突する以上は
決して実行されることはないであろう。今や金利関係による統制、
投機だけがブルジョア実践性なのである。
米国プラグマティズムはこの事情の反映でしかない。そこで実践といわれるのは、かの内的な迫力ではなく、
現実の目的に有用なること、いわゆる功利がそれである。純な企業心が利潤の追究と化したように、一筋な
実践は效用への奉仕に転ぜられた。マルクシズムとプラグマティズムの相違は、シェーラーなどの考えてい
****
るように、前者が経済的決定論であるに反し後者が自由意志を教えるというような点よりも寧ろ、実践と労
巻
12
】
p56
巻
10
】
p65-6
働、仕事の概念の解釈の相異に存在すると言わねばならぬ。ここに於いて吾々は吾々の元来のテーマに返る
ことができ る で あ ろ う 。
【 邦訳第
Erkenntnis und Arbeit S. 273
Prophetischer oder Marxistischer Sozialismus?, Christentum u. Gesellschaft II. Halbaand S.【4邦訳第
* この点については拙稿「自然弁証法と其論理」
。理想十七号をみられよ。
** Probleme etc. S 【
巻 p42
】
21 邦訳著作集第 11
***
****
四
吾々はシェーラーに於いて精神界と衝動界とを媒介する要素として技術概念を学んだ。技術はまた特に
吾々の場合では近代自然科学とブルジョア的産業とを結合する因素でもあった。蓋し自然科学における実験
123
と観察は技術の限界的場合と考えられ、近代ブルジョアジーの実践は自然科学的技術の応用、否その内面的
近代自然科学と実践
124
連なりとして、いわゆる "Industry"
と し て 特 質 づ け ら れ て い る か ら で あ る。 吾 々 が シ ェ ー ラ ー に 教 え ら れ る
ところは、異質的な面が連関されて考察される場合にはそれらを同一質化す因素を必要とすることこれであ
る。自然科学と経済とが、或いは学問と階級とが直ちにではなく、それらはただ時に技術、時にイデオロギー
という第三の要素を通してのみ関係する。
*
】は、物事の関係の認識は技術的悟性に過ぎないが、常に事情に応じ
Friedrich von Gottl-Ottlilienfeld, 1868-1958
技術はシェーラーに於いてばかりではなく、由来、精神的なるものと物質的なるものとの間の介在者と考
えられることが多い。従って合目的ということがその欠くことのできない特徴とされる。例えばゴットル
【
なるべ
て最も支出を少なく行動することは技術的理性に属すると言っている。そして彼がここで技術的理性に従う
**
行動というのは詳しくは「一つの目的の追究に方って他の諸目的に対する阻げを成可く少なくすること」な
のである。他の目的の追究を消極的に差控えること、積極的に害することは、行動の支出として解される。
あまつさ
という語で規定している。言わば目的の王国一般に対する奉仕をそれは意味する。
彼はこれを
allzweckmässig
デッサウエル【 Friedrich Dessauer, 1881-1963
】もまた技術の概念が自然法則とその整斉の外に、合目的関係を
具えておらねばならず、技術家の行動は一つの創造であり、剰え技術的作品を動かすものは決して物質的素
材ではなく却って精神的なもの、超越的なものであることを述べている。但し技術的問題の解決に際して最
善なるものは唯一つしかない。このことは技術と発明との密接な関係を思わせる。技術家は問題を根本に於
***
いて解くわけではない。既に存する答解を見出すだけである、彼の行為は「既存の形態の潜勢的存在を経験
世界の実勢的現在に置き換える」だけなのである。ここにもまた超越的なもの、精神的なもの、潜勢的な世
界が容認されそれへの手懸りとして技術が解釈されている。吾々はこのような技術の理解に疑を懐かざるを
Gottl-Ottlilienfeld, Industrie u. Technische Vernunft, in "Fordismus" S. 157, 160
Derselbe, Wirtschaft u. Technik, in "Grundriss der Sozialökonomik"【II Die natürlichen und technischen Beziehungen
得ない。
*
**
】
der Wirtschaft
S.
210
*** F. Dessauer, Die Philosophie der Technik S. 18
【f.永田広志訳『技術の哲学』(国会図書館近代デジタルライブラリー)
】
技術の概念には確かに物的なる要素と人的なる要素とが存在する。物の秩序に従わない技術はあり得ない
と共に、何らか人間の使用に供せられない技術も存し得ない。といって右の論者らのように使用目的を実体
化しそこに可能的な存在界を造り上げるのはどういうものであろうか。技術における人間的要素を直ちに精
神的なるもの、理性的なるものと解することは既に一定の人間観に立っているという外はあるまい。即ち
シェーラーに従えば取りも直さずギリシャ的・ヨーロッパ的な解釈を採用するものである。彼自身も、前篇
で知ったような種々な人間学の型を挙げながら、いつしかその内の一であるギリシャ的なるものに与してい
るのである。この事は彼が人間の本質を「精神」にみていることで明らかである。だから技術についてもそ
の本質をみようとすれば精神的なるものに関連をもたさざるを得ないのである。こうしてみると彼は哲学を
救うために、一定の人間観に拠ったのではなく、寧ろ彼が定った人間観を懐くが故にあのような哲学観をも
生むに至ったのであろう。しかし彼が前に述べたような、
「全般的生命」を信じ、根源的な衝動の迫力を説
125
くのならば、哲学的認識もまたそのような源に対して「存在相対的」であってよいのではないか。別に「道
近代自然科学と実践
126
徳的飛躍」を必要としないのではないか。かかる飛躍の主張は余りにカトリック的だと思う。吾々はかかる
道徳の作用に代えて技術の機能を認めたい。
* この点に就いてはシェーラー「哲学の本質並びに哲学的認識の道徳的について」(三木清氏訳)参照。【『哲学
】
とは何か』鉄塔書院刊に並収(国会図書館近代デジタルライブラリー)
もはや技術の導くところは可能なる精神界であり得ない。それは却って自然である。技術の交渉する自然
は、知覚に映ずる周囲の世界だけではない、その奥に働く力、磁気、電気、気体の爆発力、放射体などこそ
それである。技術は人間を別種な、不案内な世界につれてゆくのではない。却って彼を彼の「自然」に還り
させる。それが自然法則を無視することができず、而も人間の衝動体系の要求に応ずるということは、この
両者の間に二つを貫く一つの関連が存するからであろう。技術的装備は人間を物質から解放する手段でもな
く、それ自身、理性の勝利の徴でもなく、言い得べくんば人間を自然の中に安住せしむることである。往時
の宗教者は瞑想と自己忘却によって大自然と合体しようとした。これもまたシェーラーの認める如く
「精神」
上の一つの技術の修得であるであろう。今でも修業と称されるものは斯くの如き心の転換を意味するのであ
ろう。これも一つの能生的自然を自らの中に宿らしめる方法である。然しそれは衝動体系の要求の少なから
ざる矯制と断念の上に成立している。修業は克己と煩脳の整理とを前提としている。これに反して
「物質的」
技術は衝動組織から出づるあらゆる要求を充すことを主義とする。それ故に前者の病的、変態的な欲求を反
映することもあり得るであろう。だがそれだけ人間にとって近接なるもの、親和的なものと言うを得よう。
可能なる世界は既成な形で技術の前に存するのではなく、真の意味で潜勢的に衝動体系と自然の中に貯蔵さ
れている。技術はこの両者の関連を明るみにだして人間の自然における地位を規定する。かの「精神界」と
考えられるものは衝動体系の影に過ぎないであろう。
五
技術は、吾々にあっては、衝動体系と自然の接合者であった。ではこの技術概念を近代自然科学における
実験、新興ブルジョアジーの企業と産業、更に現代資本家の利潤獲得への努力と対照させるならばどうなる
であろうか。実験に於いて検証を与えられるのは自然法則である。自然法則は数学的方式に直し得ることを
目標とし、それ自身現象と現象との函数関係の表示である点で形式的である。いわゆる臆説は衝動体系の描
いた形式的図式であり、これが実験という技術を通じて、自然法則に編入されるのである。ところが異質的
なもの同士は同一列化されない道理であるから、かかる法則を法則とする自然はやはり形式的でなければな
らない。実験の導く自然はかかる形式的自然に外ならないであろう。第二に産業は、これとは違って、一層
【 本能・衝動】は Betrieb
【 営み・事業】に化さねばならない。自然力
具体的な自然へ案内する。ここでは Trieb
は機械として、工場として、商品として立ち現れ、それらの内部に於いて衝動組織と融合する。技術は動力
の、掘さくの、製造の、交通の、等々として発展する。そして「最小の支出を以て最大の效果を」というい
わゆる経済原則と手を携える。近代産業の進歩が宛も技術の進歩に支配されるようにみえるのはそれが為め
であろう。ところが、かの形式的自然科学が自己の技術性を意識の背後に退けて形式的自然こそ真の存在で
127
あるという純粋理論的立場にたち、即ち目的と手段とを錯顛して、却って效果を挙げたように、近代産業組
近代自然科学と実践
128
織も自己の衝動の描いた自然図を純粋化し、絶対化することによって能率を高めた。だが、こうなるとその
図は一つの妄想であり、病的現象に外ならなくなる。それはもはや自然と一致するものではない。その方向
にいくら技術が進歩させられても、自然を招来することはできない。この点でも実験と産業的技術は異なる
であろう。前者はどこまでも理論的妄想の調節たる役を果すのであろうが、後者は却って妄想の助長を可能
にする。かかる結果生れたものが没落期の資本主義組織であろう。そこでは既に自然性を喪った妄想的要素
である貨幣体系、金融組織による統制が、まるで新しい経済組織を想定させるまでに、異常な威力を発揮す
る。技術はかかる空楼態に関してまたそれを助成する範囲で推し進められる。いわゆるフォーディズムをi代
表とする合理化の努力もそのような技術化の傾向を逐うものではなかろうか。
て衝動組織と自然との秩序が恢復され、その地盤の上に近代産業が栄えたのであった。然るに形式的自然科
かいふく
元来、近代自然科学のエートスとその技術も、腐った封建的妄想に対する矯制として意味をもち、それによっ
健全な衝動の欲求と技術とを必要とするであろう。そこに吾々は別個な実践の概念を取得するように思える。
ように仕組まれているのではないか!かくも妄想化された組織を再び自然との連関に引き戻すには新たな、
によって搾取されるばかりでなく、引上げられた労賃は、廉価に釣られた購買力の増進によって相殺される
運転してゆこうというに外ならぬであろう。工場に働く従業員は労働のインテンシティ【 intensity
】の深化
例えばフォーディズムは「儲け主義」ではなく、「奉仕主義」の上に立ち、価格は低く、労賃は高くというモッ
トを掲げているというが、やはり根本に於いて、資本主義的経営の機構を純粋に、即ち合理的に、摩擦なく
i
、ヘンリーフォードの経営方針にちなんで名付けられた。単純労働による大量生産で低価格になり且つ高賃金。
fordism
i
学がかかる力を喪った上は吾々は他の自然観と、それに基づく他の経済組織を要求する。そうすれば自余の
イデオロギー組織は自ら芽生えるであろう。そしてかかる要求に応えるものこそ唯物論的弁証法ではなかろ
さしょう
うか。それは再び自然と人間と思考の一列なる連関とその変転の法則を明らかにした。その用いる技術はも
う瑣小な道具や装置を以てする研究室内の実験に止らない、人間社会を挙げての政治的実践である。行動が
実践と呼ばれるには、ただ策動するだけでなく前述のように、自然への還元を意味しておらねばならぬ。政
治的実践の開示するのはもはや研究室内の実験の如く、単に形式的な自然だけではない。人間力、人間の衝
動体系の全般が、切り捨てられることなく、同化し得る自然でなければならぬ。それは農業、鉱業、漁業の
0 0
ような天然物に即した仕事から、その加工、精製、運輸、その企劃経営、運転の一切をかかる秩序の下に包
括する。
この際にまた労働の概念が特殊の意義を取得し来るであろう。労働は人間における物質たる身体を通じて
の衝動の発表である。而も外部の物体に即した活動である。人間は労働することによって物質と、その限り
あつよく
で自然と、連なる。この労働が資本主義の下では初めから、そして益々、非物質的な、自然に疎遠な、機構
の下に従属せしめられ圧抑されていたのである。そこで人間をより緊密に自然に安住させるには、先ず労働
のかかる隷属からの解決が、試みられねばならぬ。労働は人間と自然との弁証法的連絡を更めて恢復する媒
介とならねばならぬ。弁証法運動の全体を締め括るところの政治的実践が労働大衆と結びつくのは偶然では
ない。寧ろ労働の体験の中に潜める衝動力から自ら浮び上ってきたのが政治活動に外ならない。だから労働
129
は、シェーラーが考えるように、外から与えられた自然体系に奉仕するものではない。丁度、自然科学にお
近代自然科学と実践
130
ける方法や原理が、先験的にではなく、偶然な観察と(例えばニュートンのリンゴ、ガリレイのランプの挿
話を思い起せ)半ば遊戯的な実験との間に想いつかれ、そこから得た暗示的予料に基づいて成立するように、
自然と社会との一層具体的な、より全般的な法則と行動の綱領も、たとえ強制的であるにせよ、労働の中か
たまたま
らひとりでに組織化されるに外ならない。だから、技術が直ちに実践でもなく、労働がそのままで実践なの
でもない。偶々近代自然科学における実験、新興ブルジョアジーの産業が前時代の科学意識、生産組織に対
し実践的であったし、また高度資本主義下の衆合的労働がかかる意義を取得し来ったに過ぎないのである。
実践はかく弁証法的過程の動力としてのみ理解さるべきである。
現代に於いて右の如き意味での実践の見地から凡ゆる認識と行動とを統轄するものはマルクシズムを措い
てあるまい。そうだとすれば、シェーラーのようにこれをプラグマティズムと同一視したり、また単なる営
養衝動に重点をおくものとみることは、彼の理解が如何に不十分であるかを示すに過ぎないであろう。近頃
か
か
し
ウィットフォーゲル【 Karl August Wittfogel, 1896-1988
】はシェーラーのマルクス批評を駁して言っている「彼
*
が争っているマルクシズムは第三者、多くはマルクシズムの反対者らの立言に従って作りあげられた案山子
】を引用している
である」彼がマルクス説の叙述に際して余りに多くゾンバルト【 Werner Sombart, 1863-1941
ことはかかる疑を起させるに十分であろうが、かかることは容赦するとしても、マルクシズムの唱うる実践
は弁証法的否定を含む以上、たとえフォーディズムまで醇化されても否そうであればあるほどそこに潜むプ
ま
ラグマティズム的效用性とは相容れないものであるし、また唯物史観というものも実践の武器たる限りでは、
単なる経済史観であり得ないのであるから況して営養衝動史観などではあってはならない。素々マルクス説
が人間を「働く者」として理解すると看做すことが不十分である、それに労働大衆のイデオロギーであり、
また労働価値説を不可欠な要素としているが、それだけではない、前にも述べた如く労働そのものが直ちに
実践的でない以上、これを弁証法的全体に取り容れ、即ち具体化し流動化するところの政治的実践がないな
らば、それは死物と化するであろう。そして弁証法的全体とは自然に外ならないのであるから、実践はどこ
までも唯物論的である。シェーラーのマルクス説理解の不足は何よりもかかる唯物弁証法的契機を無視して
つい
いる点にある。彼がマルクス的社会主義に代えて説く「予言者的社会主義」もかかる契機を「人格」という
ような超越的概念と置き換える以上少しも実践力を有たぬであろう。序でながら当為に対する道徳的義務意
識こそ実践の真相だというような見解を往々にして聴くが、そう考えることは衝動のもつ弁証法的力を超越
K. A. Wittfogel, Wissen und Gesellschaft, in "Unter dem Banner des Marxismus" V. 1. S. 92
界に移し置くことによって、影を実体と思い誤ることである。
*
吾々の課題に締め括りを与えるならばこうなる。解決はシェーラーのように「認識と労働」あるいは「プ
説の批判」としてではなく、寧ろ認識と、吾々の規定
ラグマティズムの価値と限界」もしくは「 homo faber
せる意味での、実践との交渉の問題として果さるべきであろう。従ってそれは社会学的には唯物史観の恰好
な課題たり得ると共に、認識論的には弁証法的唯物論に拠ってのみ十分に理解され得べき問題である。いず
131
れにせよシェーラーのように二世界説に立っては勿論、たとえ生気論的に徹底するとしても解決は与えられ
(一九三一・五・三)
ない。蓋し自ら実践に踏み込んでこそ、両者の統一と矛盾が明らかになろうから。
近代自然科学と実践
底本 『:理想』 1931.5, 6
[# 引用文献に付した白水社刊『シェーラー著作集』( 1976-80
年、新装復刻
132
)の対応ページは、読者の便を図っ
2002
てのものですからおよその目安とお考えください。邦訳は当然に最新の版を使っており本多の参照したものと若干
異なっているものもあるようです。
]
百
—年忌に際して
ヘーゲルにおける二つの方向
一
—
十一年の生涯を閉じてからま
この十一月十四日はゲオルク・フリードリヒ・ウィルヘルム・ヘーゲルがた六
お
さに一世紀に相当する。当時ベルリンに流行したコレラはこの大哲人をも斃したのである。彼の友人や門弟
ことさ
は直ちに彼の墓の上で、故人の著作全集を編輯するために集まった。之より前、ヘーゲルは既に一学派を成
していた。一八二七年、『科学的批判年報』の発刊がその故らの発育を促したのである。ところが、ヘーゲ
ルの死後間もなく学派が対立する党派に分裂したことは人のよく知るところである。シュトラウスはこれら
二派を左右に区別する道を開いた。そしてヘーゲル晩年の行動がプロシャの反動的大学政策に利用され、又
たか
これを利用して権勢慾を充たしたがために、大学における哲学の信用を失墜させ、
当時のドイツに始めて起っ
あまね
た社会的啓蒙の風潮と相まって、後永く民間哲学者の勢力を昂め、その中にあってシュトラウス、バウエル、
は
フォイエルバッハを始め、いわゆるヘーゲル在党に属する人々が思想界に活躍したことも汎く知られた事実
である。マルクスもまた実にこの仲間の一人であったのである。
133
このようなヘーゲル学派の分裂は一世紀後の今日まで続いている。そればかりか両党の対立は一層判っき
不詳】が「ドイツ哲学に
り、一段と鋭く、させられたようである。ハインリヒ・レヴィ【 Heinrich Levy,1880-
ヘーゲルにおける二つの方向
134
おけるヘーゲル=ルネサンス」(一九二七年)を書いて以来わが国でも、「ヘーゲル復興」という語は一つの
合言葉になった。その意義が何であるかについては他の場所で多少述べたから
(『思想』
ヘーゲル研究号
【「フォ
イエルバッハのヘーゲル批判」
】)ここでは繰返すのはよそう。ただヘーゲル学派の団結が当時とは異なって国際
】の如き学徒を
Josiah Royce,1855-1916
的な域にまで押し進められたことに注意しよう。欧州の範囲内では既に英国において、イタリーにおいて、
早くからヘーゲルの学説が移植されていたし、新大陸にさえロイス【
おもむ
見出した。わが国に対するその影響も、多少変態的であったとはいえ、決して僅少ではなかった。これらは
いわば旧派に加えて種々の関心から、新しくヘーゲルの研究に赴こうという若い時代がある、世界における
この新旧の学徒が結合して「国際ヘーゲル聯盟」なるものを組織し、ハーグに本部をおきクローネル教授を
盟主としている。わが国にも支部が設けられ、既に記念論文集などをだしている。「国際ヘーゲル聯盟」は
0 0
いうまでもなく右側における団結である。これに対抗する左側における結合は、いまだ学会として組織され
てはいないが、学問研究を包括するより大きな世界目的を支柱としている。これらの人々は単にヘーゲルの
精神を学問の中で生かすことに満足できず、現実の世界歴史の上で実現させようとする。そのために、マル
クス=レーニンの遺訓に従って、ヘーゲルを唯物弁証法的に読みとることに努力する。
この派からみれば、「国
際ヘーゲル聯盟」の如きは、哲学戦線における反動的結束であり、
哲学のファッショ化に外ならないのである。
(デルローテ・アウフバウ、一
】
「ヘー
i 九三一年五月一日号所載クルト・ザウエルラント【 Kurt Sauerland, 1905-1938
ゲル晩近の祖述者」をみられよ)
i
ベルリン。邦訳『赤色建設』 1931.9—
不詳。
"Der Rote Aufbau",1929-1932
i
二
わか
そもそも
さてヘーゲル学派内部のこのように執拗な対立は抑どこに根差しているであろうか、私はそれがヘーゲル
哲学そのものの運命であると信ずる者である。事実ヘーゲル自らもいっている。
「一つの党派は、それが二
つの党派に岐れることによって始めて自己を勝利あるものとして証明する。けだしこのことの内に党派は、
それが闘い来った原理を自己において所有し、従って今まであったところの孤立の状態を脱したことを示す
のだから。」ヘーゲルは生前既に彼の学説が勝利あるものたるためには、それが分裂せねばならぬことを覚
悟していたようである。この異質的な要素を一人の手に包容していたところにヘーゲルその人とその哲学の
偉大があると共に、そのあまりに緩き寛容がうかがわれるのであろう。
いまだ名を成さない以前の青年ヘーゲルの研究は、ディルタイの注意以来、人々の興味をそそっているが、
その中に既に対立する二つの傾向が含まれている。若きヘーゲルは一方にキリストやキリスト教に関する神
学的研究を果していると共に、他方で郷国ビュルテンベルクの行政改革に意見を述べ、更には救貧税に対す
る英国議会の動向に注意し、当時発布された刑務制度に峻厳な批判を加え、スチュワートの経済学に詳しい
註釈を付したりしたのである。日々の新聞を読むことは朝の祈りにも等しかった。彼は学生時代既に当時の
はいたい
心ある青年と等しくフランス革命の情熱に刺激され研究会を組織したりしているが、後ベルンにおける家庭
教師の生活は目のあたり貴族階級の腐敗を看取する機会となり、彼の政治上の改革意見はここに胚胎すると
135
いわれている。史家から、カント、フィヒテがフランス革命の、シェリングがナポレオン統一帝国の哲学者
ヘーゲルにおける二つの方向
136
であるに反し、欧州反動時代のそれであるといわれるヘーゲルにもこのような進歩的な側面のあることは看
過することができない。彼がランケ及びビスマークと共に「ドイツの三人の偉大なる救国者の一人」と呼ば
れる所以で あ ろ う 。
いわゆる神学的研究の内部においてさえヘーゲルの改革的情熱は隠すことができない。彼の研究の内、優
れたる部分の一つであるイエスの出現の必然性を述べた個所は、おきての宗教に堕落したユダヤ教が如何に
してキリストの愛の福音によって蘇らされるかという「不可思議なる革命」を説いている。我々はここに彼
のいわゆる弁証法の生きた例証をみるのである。然しこの方面の研究は何といってもヘーゲル哲学の主流に
連なるだけに既にヘーゲル弁証法に特有な二面性を有している。というのは彼がギムナジウム以来こびりつ
いていたギリシャ悲劇における運命の思想と大学時代に専攻したキリスト教における罪と愛の思想との葛藤
である。彼はこの際、運命と罪とを結びつけこの生における分離的なしかも厳粛な要素が、生における結合
調和の契機によって止揚せられることを説き神の摂理を恢復した。
三
「主観として生き
ヘーゲルの弁証法において否定性が重要な役割を演じていることは誰人も知っている。
た実体は単純な否定性である」と彼はいう。「死を避けまた荒廃を防ぐ生ではなく、死を忍びその内に自ら
ひっきょう
を保つところのものが精神の生命である。」対立と苦悩と死とに耐え得ざるものをヘーゲルは容さないので
ある。しかもこれらの否定的な契機は畢竟、全体の、精神の、絶体者の暫定的な契機に過ぎないのである。
否定の否定は肯定として再び端緒に返る。結末は則ち端初であるという円環的な無限関係がヘーゲル弁証法
べ
の真髄であると考えられる。「現存するものは全て理性的である」という命題もかくして生ずる。人間歴史
の過渡性を信ずるものはヘーゲルから実在の否定性について学ぶであろうし、伝統と現状の固持を可しとす
る者は彼から総合性と完結性の思想を借りて来るであろう。
ヘーゲルはドイツ観念論の流れにおいてカントの完成者と考えられているが、同時に二つの哲学は対立的
位置にある。カントにおいては理論理性の範囲では経験的知識が問題であったが故に、
かかる知識に固有な、
主観と対象、現象と物自体、現実と理念というような対立がどこまでも附きまといかかる二元は人間の弁別
的思惟の運命としてあきらめていた。これに反してヘーゲルにおいては知識は最初から絶対者の自覚であり、
い
絶対者が自己自らにおいて自らの存在をふり返ったものに外ならない。それ故にこの叡知的な思惟はあらゆ
る矛盾と対立を自己の中に容れ生かすことができる。彼の弁証法の論理は斯くの如き構造の下に成立してい
せつべつ
る。純理批判におけるカントの仕事が有限者の立場からする範疇の演繹だとすれば、ヘーゲルのそれは無限
いちにょ
者の立場からするものといい得よう。その結果はカントがどこまでも把握するものと把握されるものを截別
する認識論の限界内に止まったに反し、ヘーゲルではかかる区分は一如なる存在の中に解消した。彼の課題
は現今のいわゆる存在論の中にあるようである。存在論は今でも往々にして唯物論と混同される、そしてそ
の誤はもちろんである。然しエンゲルスが、カント、フィヒテが多分【 に】懐疑論的傾向を具えているに対
137
し、ヘーゲルはしばしば正しい唯物論的思想を叙べるというとき、しかも自称唯物論者のそれよりも一属徹
ヘーゲルにおける二つの方向
ii
意味における合理主義はあらゆる場合においてヘーゲル哲学を貫いている。
138
が具体的になるにはそのよって来るゆえんを明らかにせねばならぬ、即ち媒介知とならねばならぬ。かかる
ところ【 で】ヘーゲルにとってはシェリングやヤコビとは異なって直観や信やはただ直接知に止まる、それ
はただ生によってのみ理解さるべく、死せる概念的図式に余すところなく把握され尽され得ないだろうから。
ヘーゲルの哲学は生の哲学の模範的なるものとして挙げられるのが常である。現今におけるヘーゲル復興
の原因の一つもここにあると考えられている。その限りでこれは一種の非合理主義の哲学である。けだし生
四
べきもので あ る 。
可能性をもつのである。彼はあらゆる領域において歴史をみたといわれ、例えば彼の論理学は範※のi歴史の
展開だと称せられるが、其の歴史は意志的な創造ではなく無目的の内の秩序であり寧ろ「自然史」と呼ばる
こにおいて人々は取りどりの神を拉し来ってヘーゲルを解釈すると共に、自然と物とへ弁証法の根拠を移す
らっ
きヘーゲルの目標は要するに彼の仕方において神の本体論的証明を試みるにあったと解するの外はない。こ
底していると考え、自ずから「自然弁i証法」としてその伝統を継ぐとき、ヘーゲル存在論の中に唯物論、少
かかわ
なくとも弁証法的唯物論への素地を含んでいることは争い得ないのであろう。にも拘らず全体として見ると
i
底本では「至然」また、「おのずから」とルビが振られているが、「みずから自然弁証法として伝統を継ぐ」であろう。
一字不明だが、ルビは「い」であるから「範囲」であろうが、意味からすると「範疇」だったかもしれない。
i i
i
それが生の哲学である限りにおいては、ヘーゲル哲学は反ブルジョアジーの哲学である。ブルジョアジー
は行動においても思索においても合理的であり、計画的であり、打算的であるのを本則とする。だからこ
Justus
】などいずれもそうであった。ヘーゲ
Adam Heinrich Müller, 1779-1829
れに対抗する思想は常に非合理主義として現れた。例えばドイツにおいてはユストウス・モエザー【
】、アダム・ミュラー【
Möser, 1720-1794
ルもその一人である。ところがこれらの人物によっても判るように、反ブルジョア的ということはプロレタ
リア的ということと同じではない。却って反動的、保守的意味でそうなのである。総じて生の哲学は反動的
でこそあれ決して進歩的であり得ないことは現在かかる傾向がファッショ化しつつあることを思えば明らか
であろう。これに反してマルクシズムはヘーゲルから論理と科学の尊重の思想を承けついでいる。
我々はヘーゲルの性格と理論における二重性を種々な角度から明らかにした。これによって彼の死後直ち
に学派が二つに分裂しなければならなかったこと、現在益々その間の対立が鋭くされねばやまぬ所以を多少
(一九三一年十一月)
139
とも知り得たであろう。資本主義生産の社会ではあらゆるものが対立をなして現れる、とマルクスはいって
いる。我々はここにもその適例を見出すのである。
底本 『:一橋新聞』 1931.11.14
ヘーゲルにおける二つの方向
自然哲学
一
i
しか
をおき、著者の意を一層明らかならしむる限りで、先行の版を参照した、と述べている。
140
と思う。それはラッソンの編纂にかかるものである。彼は緒言の中で、ヘーゲルの手になる最後の版に根拠
を結果したに過ぎないとする、クーノー・フィッシャーの見解に従って、他のテキストに主として頼りたい
の飜刻版全集は、この膨大なる形態を再現した。しかし、吾々は、ミヘレットの手数はただ不当に「水膨れ」
経て、十年に亘るヘーゲルの講義筆記に基づいて補足され、
量に於いて五倍に増加された。最近グロックナー
節に専ら依拠することになる。ところが、ヘーゲル自らが筆にしたこの部分は、主としてミヘレットの手を
から着手することは不適当である。吾々は、勢いいわゆるエンチクロペディーにおける、それに該当する章
考える外はない。そこで吾々が、ヘーゲルの自然哲学の理解と叙述とを始むるに方っても、この若年の作品
あた
るべきである。それは、ディルタイも述べているように、一つの極めて向見ずの而も失敗に帰した企て、と
むこう
)を発表した。この文の中に、後に発展さるべき自然哲学的思想の萌芽を、
Philosophica de Orbitis Planetarum
あなぐ
かどで
索ることもできるであろう。しかしこの研究は、寧ろヘーゲルの学界への首途での一つの汚点として認めら
ヘ ー ゲ ル は、 一 八 〇 一 年 イ エ ナ に お け る 就 職 論 文 と し て、 天 体 の 運 行 に 関 す る 哲 学 的 解 明( Dissertatio
i
「ヘーゲルの自然哲学」という表題であるべきところであるが、ヘーゲル解説の一章であるので「ヘーゲル」は外される。
i
ヘーゲルは、彼の哲学史講述の中で、自然探究あるいは自然観察(
)と、
Naturforschung, Naturbeobachtung
)とを区別し、前者は悟性的経験科学の、後者はまさに理性的哲学の、
自 然 の 思 弁 的 把 住(
Naturbegreifung
自然に対する態度だと主張する。ここでヘーゲルはヘラクリト【 Heraklit:
ヘラクレイトス】に因んで、火、水、
土、等の元素に就いて語っているのだが「私はここで、暫く立ち止って、自然の思弁的観測(自然の哲学)
のあらゆる概念を一般に宣明したい。」と彼は言い出している。
「自然はそれ自らで過程である。かかる意味
で一つの契機、一つの元素は他のも【 の】に移行する、即ち火は水に、水は土と火に成る。旧くから元素の
転変に関して、その可変性に反対する議論がある。この点の把握に於いて、通常の感性的自然探究と自然哲
学とは、訣別する。思弁的見解にあっては、単一な実体がそれ自ら、火にそして自余の元素に態を変える。
0
0
0
何らの概
他の見解にあっては、あらゆる移行が排され、水はまさに水、火はまさに火という具合である ——
念も、何らの絶対運動もなく、あるものは生起、既存のものの外的区分に過ぎぬ。前の見解が転移を主張す
るならば、後の見解は反対のことを示し得ると考えている、それは実のところ水、火、等々をもはや単一な
も
本質性として主張しているのではない、それらを水素、酸素、等々に分解する ——
而もそれらの不可変性を
主張する。この際に次の如く主張するのは正しい、思弁的見解にあって、即自的にあらねばならぬものは、
実在の真理をも有つはずである。蓋し、思弁的のものとは、実在の諸契機の本性であり、本質である、とい
うことなのだから、これは又かかるものとして現前している筈であるから。
(思弁的なものは、思想の内に
141
というわけは何処にあるか知られて
のみある、もしくは内部的のものの内にあるものとして考えられる ——
0 0
いない。)思弁的なものは確かにかく現前してある。然るに、自然探究者はそれに対して眼を閉じる、それ
ヘーゲル自然哲学
142
は彼らの偏狭な概念の然らしめるところである。吾々が彼らの言うことを聴くのに、彼らはただ観察のみを
行う、そして見るところのものを口にする。ところが、これは本当ではない、彼らは無意識に、概念を以て
*
直接に事象を変容している。そこで紛争は、観察とそして絶対概念の対立ではなく、偏狭にして固定した概
念の、絶対概念への対抗である。」ここに於いて、ヘーゲル自然哲学の任務は、感性的な自然観察者の用い
る融通の利かぬ概念を斥けて、彼のいわゆる絶対概念、思弁概念を以て自然を測定し直すにある。彼はエン
Encyclopädie(Lassons Ausgabe)S. 267
Vorlesungen über die Geschichte der Philosophie. I, Bd. Sämtl. Werke hersg. von H. Glockner 17. Bd. S. 360 f.
チクロペディーではこう述べている
「自然哲学に於いてはどこでも、悟性の範疇に代えて、思弁的概念
——
**
」
の思想諸関係を措き、そしてこれに従って現象を把捉しまた規定する、ということが問題だ。
*
**
ただ
悟性の概念を思弁的概念に依って置き換える、という遣り方は、もちろん、ヘーゲル哲学体系の全般を貫
くものであって、特に自然哲学だけに固有なのではない。けれども、悟性の反省的規定は、この領域に於い
て、啻に他の個所におけるとは殊なった形態をとるばかりでなく、一見、克服し難い権威を以て現れる。自
然科学の掲げる法則は、絶対に自然を支配するように思える。又かかる科学的認識に映ずる自然だけが、自
然の全部であると考えられる。そしてそのような科学として、その純粋さとその厳密さを誇るもので、力学
に及ぶものはない。力学はニュートンに依って、その礎を据えられた、と言われている。彼は、なお審美的
宇宙観に基づけられていたケプラーの天体運行の法則を、力学的に純粋化したと、称えられるのが常であ
る。ところが、ヘーゲルに拠れば、ニュートン力学こそ、悟性的な偏狭な自然観の代表者なのである。彼は
ニュートンを斥けて、寧ろケプラーの偉大を顕揚する。ヘーゲルにとっては、力学的純粋化は、思考の発展
)とは考え得ない。発展とは寧ろ、思考の自己運動に就いてのみ述べることができ、思考が概
( Entwicklung
念にまで経登った時、初めて十分に許され得る規定なのであるから。経験諸科学は現象の個別性の知覚を旨
とするが、それに止まらず思考の助けを藉りて、一般的な諸規定、類、法則を見つけだす。ところが、これ
らの思考の産物は、元来、より普遍的なものの特殊化としてのみ具体化される。斯くの如く、経験科学がそ
れ自ら思考して提供するところの素材を取り容れ、その直接性と所与性とを止揚し、思考の自由なる活動の
*
Encyklopädie
12,
ををみられよ。
161
契機と化し、かくして現前する事実に囚われざる必然性の保証をもたらすのが哲学である。ここにこそ、思
の概念に就いては
entwicklung
考の本当の発展は見らるべきだ。
*
§
ヘーゲル自然哲学
143
義が賦与せられるのである。そして(既述の)加速力、隋性の力、なかでも、いわゆる重さそのものの諸双
一般にいわゆる証明の旧式な
でも必要であろう、としても、それはただ数学的方式の相違である。…… ——
遣り方は、単なる幾何学的構図の線から成る錯雑せる組織網を呈示し、この線に独立せる力という物理的意
けると同じく、その大きさの法則を引きだす。ニュートンの形式は、解析的方法には便利なばかりか、どう
規定に、変形したということは、明白な〔両者の〕区別である。而もニュートンは重さに就いて、落下にお
る ——
いわゆる重さの力についてのニュートンの法則は、
等しくただ経験から帰納して示されるものである。
ケプラーが天界の法則という形式で、簡潔にまた優秀に述べたことを、ニュートンが重さの力という反省の
ヘーゲルのニュートン力学への非難も、以上の理由に基づいている。例えば第二七〇節にはこう言ってい
§
144
関という空な反省規定から吸心【 求心】力、遠心力、等々へ進むのである。
」ヘーゲルのニュートン力学へ
の不信は、後者の厳密性と精確さの根拠である数学的方法に向けられる。ヘーゲルは前記の個所に次いで語
を続ける「必要な反省はこれだけである、数学的解析がもたらすところの区分と規定、及びそれがその方法
に従ってとるべき道程は、物理的実在性がもたねばならぬものとは、全く区別されねばならぬ、ということ
である。解析が必要としまた与えるところの、諸前提、道程、帰結は、かの規定およびかの道程の物理的価
値と物理的意義に係るところの、回想〔内面化〕 Erinnerung
の全く外に留る。ここに注意が向けられねばな
らない。物的力学が口にし難い形而上学に依って氾濫していることに心をとめられたい、そしてこの形而上
学は ——
経験と概念とに反して ——
かの数学的諸規定のみを、その源泉としてもっている。
」今やヘーゲル
にとってはニュートン風な力学は、経験と概念に叛く形而上学でしかない。彼は嘆く「いつ一体、科学が、
その使用する形而上学的範疇に気づき、そしてその代りに事態の概念を基とする時が来るのだろう!」
自然の基礎に、絶対的運動、もしくは絶対的に自由なる運動
力学的形而上学とは違って、思弁的哲学は
*
( absolute Bewegung, absolutfreie )
B.を認める。絶対的運動の中では、あらゆる規定は、発展する統体の契機
である。自然はもはや狭隘な概念によって、歪められることはない。絶対なる運動は絶対なる概念の発展で
ある。かくして「自然の諸形態は概念の諸形態に過ぎぬ」ということができる。エンチクロペディーの構想
や
に従えば、絶対者は論理学の結末に於いて、概念と客観性との絶対的統一たる理念にまで発展した。ところ
が理念の絶対的自由は、自己に対峙する他在をも産出しないでは熄まぬ。かくして自然の概念が生ずるので
ある。しかし、かかる自然は所詮、絶対者の影、自己疎外、外在なのであるから、それ自らで終結すること
はできない。自然は理念が精神に至る過渡でしかない。ヘーゲルも言っている「自然とその必要性からの解
放こそ自然哲学の概念である。」そしてこの解放を可能ならしむるものは、自然における思弁的概念の運動
を観取することである。ところで「自然哲学の困難は、一方に、物質的なものが甚だ概念の統一に対し反抗
的であると共に、他方で、細目が精神を要求し、それが漸次累積する、ということの中に存在する。しかし、
かかることに拘らず、理性は自らに信頼をもち、自然の内で概念を概念として宣告せねばならぬ、そうすれ
ば、無限に多数の形態の散在の下に蔽い隠されている、概念の真の形態が示されるであろう。
」ついでヘー
ゲルは自然哲学の分野を、簡単に一望の下に収めて言う「先ず理念は重さに於いて自由に体躯にまで釈放さ
れる、その体躯の四肢は自由なる天体である。次に外面性は自己を、性情と質に、築き上げる。最後に生命
性に於いて、重さは分肢にまで釈放され、その分肢には主観的統一が在る。この講義の目的は、自然の像を
描き、かくの如きプロテウスを克服するにある。即ちかかる外面性の中に、吾々自身の映像を見出し、自然
**
の中に、精神の自由なる反映を見るにある、言い換えれば、神を認識するにある、但し精神の観照に於いて
でなく、その右のような直接的定在に於いて。」【『自然哲学』最終セクション口頭説明最終文章】
顛落す
Zufälliges
* Encyklopädie S. 235., 241
その他。
** System der Philosophie II.(Glockner-Ausgabe. 9. Bd. S. 721f.
【 長谷川宏訳『自然哲学』 p584】 を
) みられよ。
ではない。それは寧ろ、偶然なるもの
ヘ ー ゲ ル の み る 自 然 は、 法 則 に よ っ て 編 ま れ た 網
*
145
、否定的なもの Nichtiges
である。それ故に個々ばらばらなもの、散在、外在に外ならぬ。
るもの Fallendes
蓋し自由なる連関を支えるものは、理念であり、概念であり、精神であるから。「それ故に自然は、その定
ヘーゲル自然哲学
146
在に於いては、何らの自由をも示さず、却って必要性と偶然性とを呈示する。」しかし飽くまで、彼にとって、
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**
自然は理念が自己自ら離落したもの Abfall
に外らなず、偶然性は一つにこの離落性に由来するのであるか
ら、「自然は即自的には、理念に於いては、神的である、然るにそれがあるがままでは、その存在はその概
念に照応しない。それは寧ろ未解決の矛盾である。」ここに於いてこの矛盾を動力として、自然の形態変化
が始る。かくて「自然は階段の体系としてみらるべく、その一つの階段は他から必然的に生起し、そしてそ
こからそれが結果したものに対しそれの第一次的真理である。」とはいえ、この生起と上昇は、決して自然
的な生産ではない、どこまでも、自然の内部にあって、その基礎を成すところの概念そのものの発展に他な
0 0 0 0 0
***
らないのである。「概念の諸規定に忠実であり得ず又それらに順応してその形象を規定し保持することをせ
Ibid. S. 210. 2. Ausgabe.
Ibid. S. 208.
Encyklopädie. S. 76
」
ぬのは、自然の無力である。
*
**
***
二
自然の主要なる階段は、概念のそれに応じて、三つに分れる。一はそれ自身に全く形成力を欠く物質性、
抽象的な一般性、二は内在的形成力を取得し、物質的個別性を呈示する、自然の特殊性における段階。三は
前二者を止揚するところの、主観性、生命、真に個性的なるものに成り上がれる自然。ヘーゲルは、これら
を夫々力学、物理学、有機体学と名付ける。これらの各々は再び、普、特、個、の方式に従って三分される。
斯くの如き意味で「自然はそれ自らで生ける全体である。
」
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最も抽象的、その意味で一般的な自然の規定は、空間と時間とである。これらは共に自然が自
力学。 ——
ら区分し、弧化する規定である。空間は媒介なき無差別、純なる量である。それ故に自然は量的なるものか
0
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ら発足する。空間は点に於いて自己の否定をもつ。しかし、それはやはり空間の否定であるが故に、それ自
身空間的であり、自己を止揚して線となる。線は再び自己を否定して面と成る。面は空間の止揚された否定
として、空間の統体を再建する。
空間に含まれたる否定性が、向自的に措定せられる時、それは時間である。時間は、直観せられた生成、
非感性的感性、存在する捨象・抽象作用、全てを孕みまたその産児を喰むクロノスでiある。但しこの否定性
は、概念の絶対的否定性及び自由に比しては、単なる外面的否定性に止る。蓋し、時間は概念の力たり得ず、
逆に概念こそ時間の力なのだから。
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して定められながら、この無差別の空間性が同じく時間的に措定されるとき、それは運動である。この過程、
0
時間に消失した空間が、再び時間の中へ自己を再生し且つ時間も等しい過程をとり、時間が空間的に場所と
空間と時間とは共に、一方、無差別な散在であると同時に、他方、区分を欠く連続性をもっている。この
矛盾は、場所と運動となって、出現する。場所は、空間的な孤立性であり、空間的今である。而して一旦、
i
147
斯くの如き矛盾の合一に於いて、観念性から実在性への橋渡しが果され、その結果として物質が現れる。
我が子を食らうのは農業神のクロノスで時の神ではないが、重なっているのであろう。
ヘーゲル自然哲学
i
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148
中心点、 ——
重さをもつ。
物質は反撥と吸引との消極的統一0で0ある0。0し0か0し0な0お理念的な個立性、 Einzelheit
物質は直接にはただ量的な区別、質量、隋性的な物質である。かかる量的な物体の二つが衝突することによ
0 0
り、相対的な重さ、重量が生じる。物体の概念に内在する故に、自由なる、しかし未だ外面性を脱せざるが
故に、比較的に自由なるに止る、運動が落下である。
引力は物質的体躯性の真の一定せる概念で0あ0り0、それは理念へ実現される。そこに物体の推理式が出来上
る。一の端は、自己自らへの抽象的関係の普遍的中心。これに対する他の端は、直接的な、外自的な、中心
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なき個立性。これらを媒介するものは、内自性と外自在を兼ね具える特殊性である。
引力こそその具現である。
さき
かくして大宇宙の天体界は、ヘーゲルのいわゆる絶対的力学の推理式に従って規制される。それ故に「天体
は、その実在における直接に具体的なものとしてみれば、最も完全なるものである。
」嚮に述べた絶対的に、
自由なる運動は、彼によれば、実にこの境に於いて支配するものであり、その法則の発見者はケプラーなの
である。
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単なる量的関係を脱し、質化された物質が取扱われる。ここで物質は個別性 Individualität
を
物理学。 ——
取得する。個別性は直接には普遍的である。普遍的個別性は第一に今や物理的に規定された天体。星辰の個
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(物質化された時間。)これに対立して水。土。そしてこれらの元素のディ
別性は光。第二には元素。空気。火
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アレクティクが、地球の物理的生活を成す気象現象である。個別性は次に特殊的である。密度。凝集。これ
0
らに対して否定的契機を形成するのは音響である。それは「物質的空間性から物質的時間性への推移である。」
振動はこの否定性の現れだ。熱は否定の否定である。かくして統体的個別性へ引き渡される。
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統体的個別性は直接には形態、その抽象的原理が、自由なる実存に現象したものが、磁気である。磁気は、
率直に概念の本性を、而もその発展形式たる推理式を、呈示する。両極は両端に通じる。それ故に、磁気は
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「自然哲学の理念を表示する」規定の一つである。磁気の働きは概念のそれである、
「自同なるものを差別
し、差別あるものを自同として措定する。」次に来る特殊性の段階は電気。この特殊性の実在性は化学的に
差別ある物体、その関係は化学的過程である。「過程は抽象的にはこうである、原始分割(判断)の作用と、
わか
原始分割により区別されたるものの合一作用との自同性。経過としてはそれは自らに復帰する統体。
」この
過程は化合と分解とに岐れるが、前者はガルヴァニズム【i Galvanismus
】、燃焼過程、中和化、親和性を含む。
0 0
ところで、化学的過程は確かに一般的には生命である。個別的物体は、その直接性に於いて止揚されると共
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149
は自らと、かの無過程的直接性への、原始分割(判断)
お更に精神的生命性への、内化(回想)
Erinnerung
である。この主観的統体によって前提された直接統体が、有機体の形態 ——
個別的物体の一般的系統として
機体、両者を止揚する個別的にして具体的な主観性は、動物的有機体。
「自然理念の内自的な、主観的、な
0
円環的な過程としての、物体の実的統体は、直接には生命である。生命は、死せる自然
有機的物理学 ——
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0 0 0
の真埋である。理念はここで実存にもたらされる。生命の一般的な像は、地質的有機体、特殊相は植物的有
ということ で あ る 。
【 生成される】、従って概念はもはや内部的必然性に留らず、現象し来る。
に取り出される hervorgebracht werden
ただこれを生命から阻み、区別するところのものは、この過程の有限性、即ちその端初と終端が互に異なる、
i
は生体が電気に反応することを発見した。電気刺激による筋肉の収縮現象を言う。
Luigi Galvani(1737-98)
ヘーゲル自然哲学
i
150
の地球体である。」 ——
ただ最初の直接的、主観生命性たる植物に於いては、客観的有機体とその主観性と
はなお直接に自同である。植物の形態、それは個別性から未だ主観性へ解放されて居ず、幾何学的形や結晶
的規則性に近似し、その過程の産物は化学的のそれに一層近い。動物的温熱と感じには至り得ない。その部
0 0 0 0
あたか
分はなお個別性を保持している。(萌芽、枝、葉、等々)。四肢が媒介に服し契機と化するとき、真なる有機体、
宛も光が重さから離脱した観念性、
動物へ移る 。
「動物は偶然なる自己運動をもつ。というのはその主観性は、
0 0
自由なる時間であるが如く、実的外面性から取り離され、内的偶然に従って自己自らで、ある場所へ目指す
から。これと関連して、動物は音声をもつ、蓋しその主観性は実在的観念性(心霊)として、時間と空間の
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抽象的観念性の支配であり、その自己運動は自己自らにおける自由なる振動として現れるから。 ——
それは
動物的温熱をもつ、温熱は、形態の持続的保持における部分の独立的存立と凝集の不断の解消過程としてあ
る。 ——
更に、個別的な無機自然に対する個別化的態度として、中断されたる融合を、就中感じをもつ。そ
れは、規定性に於いて自己に直接に普遍的な、単純に自己の側に留り保つところの個別性、規定されたるも
のの実存する観念性である。」
動物有機体はまた推理式である。直接には自己自身に閉じこもる形態。それはそれで再び動物主観の諸
(普) 2
(特) 3
規定を呈示する。A、その単一な諸要素、 1
( 感
) 覚性 Sensibilität
( 可
) 刺戟性 Irritabilität
( )
。B、これら三つの契機は、その実在性を、神経、血液、消化の
Reproduktion
両者の統一としての再生産
同化作用。A、外へ向けられた感覚性と
三系統に於いてもつ。、動物の他の無機自然に対する関係 ——
。1触覚2視覚と味覚3視覚と聴覚。B、実践的態度あるいは実的過
theoretischer Prozess
しての理論 的 過 程
0
0
の感 じ
Mangel
程。これは、外面性を主観の否定として感ずることを以て始る。しかし、実のところこの感じは自らに対す
0 0
る積極的関係であり、自らの否定に抗してこの関係を確めることである。ここに初めて欠乏
と、これを止揚せんとする衝動が起る。ヘーゲルは欠乏と制限 Schranke
とを区別する。「ただ生けるものだ
けが欠乏を感じる、蓋しそれだけが自然における概念であり、この概念は彼自らと彼の一定の対置物との統
一だから。制限のある場合というのは、第三者に対して、外的比較に対してだけ否定たるときである。然る
に、欠乏はこういう否定である、即ち一つのものに、それを超ゆる存在が現存する限り、矛盾それ自らが内
在的にまたそのものの中に措定されているのである。彼自らの矛盾を自らの中にもちそして耐え得る如きも
である。そして、本能は無意識に作用する目的行動である。生けるものは、
Instinkt
の、 そ れ が 主 観 で あ る 。 こ の こ と が 主 観 の 無 限 性 を 形 作 る 。
」この矛盾の動力は衝動に具現化され、生ける
ものにのみ あ る 衝 動 は 本 能
その外にあり、彼に対置さるる自然の一般的支配力 Macht
である。これが同化作用であり、先ず内向的に
摂取したものを、直接に動物性と調合せしめる。かくして有機体に於いては、その外向過程にあっても、結
局、彼自らが自らに帰一する。その行動の終端と所産は、それが最初から根源的にあったものである。かく
して本能の「充足は理性的である。外的差異に向った過程は、有機体の自己自らとの過程に転ずる、そして
0 0 0 0 0
0
成果はただに手段の調達に止らず、目的の創造であり、自らとの合一である。
」C、かく自らと合体した概
念は、具体的普遍、類として規定される。ここに於いては、未だ自然性を脱し得ざる直接の個立性は否定さ
れ、死滅する。A、即目的一般性における類は幾多の種に分化する。動物の系統がこれだ。各々の種は自己
151
を他と区別し、敵対し他を否定して自己を維持する。かく他種を無機自然にまで貶する結果は、個物の強力
ヘーゲル自然哲学
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152
による殺戮を運命化する。B、類は、しかし、本質的には、協和性である。両性関係はその現れだ。「所産
は異れる個立性の消極的自同性、生成せる類として性なき生命である。
」C、けれども個々の有機体はその
0 0
まま調和ある類に適応しない。その系統の一つが、無機的潜勢力との闘いに於いて、全体の働きと齟齬を来
すときには、疾病の状態に陥る。D、その上、普遍性への彼の不適合性は、彼の根源的疾病であり、生れな
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がらの死の萌芽だ。個物が普遍性を僣することは、その止揚である。それは抽象的な客観性を獲得するに過
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ぎず、彼の働きは化石され、生命は動きなき慣習に変ずる。しかし、かく獲得された、普遍との自同は、直
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接な個立性と個別性の普遍性との間の形式的対立の止揚、自然的なるものの死である。「自然の最後の外在
が止揚される、そしてその内で即自的でのみあった概念は向自的に成った。
」かくして、
自然はそれの真理へ、
精神へ、発 展 す る 。
吾々は、余りに粗略ではあるが、理念の外在としての自然を、その入口から出口まで、その抽象的一般性
から具体的個別性まで、ヘーゲルの叙述に、順序に於いて忠実に、追究した。至るところ、莫たる空虚な抽
象性は否定され、特殊化され、更に再び独立なるそれ自身の存立を恢復した。悟性的力学は推理の絶対的力
学へ、量から質へ、即ち力学から物理学へ、無機から有機へ、生命へ、主観性へ進転した。生物に於いては
「無意識的な目的行動」たる本能が作用している。所産は則ち発端であるという円環的な無限性が実現され、
その上、個物は具体的普遍なる類の内に消失する。そして生物こそは全自然の真理である。そうすると、自
0 0 0 0
然を支配し、貫通するものは、経験的自然科学の考えるように、数式に表示し得る自然法則でなく、生物に
於いて著しく発現する目的関係でなければならぬ。実にヘーゲルは、自然哲学全体の論述を、人間の自然に
0 0 0
0 0 0 0
対する実践的な態度、即ち有限的、目的関係の立場を以て始め、この立場のある程度の正しさを認め、ただ
せんめい
その有限性、外面性だけを取除くことを心がけた。このことは、外面的な目的への奉仕の代りに、概念その
ものの内に潜み、従って自然にも内在する、「内部的合目的関係」 innere Zweckmäßigkeit
を闡明にすること
を意味する。ヘーゲル自然哲学の真理は、内部的合目的関係にある、ということができよう。
三
ヘーゲル哲学の中で王座を占めるものは、自然ではなく、精神である。吾々は今や、如何に自然が彼に於
いて侮蔑されているかを学んだのである。かく自然を疎んずることは、
反撥なしには済されない。事実、
ヘー
ゲル以後の思潮に於いて、自然哲学こそはヘーゲル体系に於いて、最も力弱き環であることが曝けだされた。
独逸に於いて初めて真の意味の社会的啓蒙が開始され、また海を距てて進化論の波が押し寄せてきたことは、
ヘーゲル自然哲学にとって何よりも不幸であった。しかし、斯くの如き直接な否定は再び止揚された。とい
うのはヘーゲル自然哲学は、マルクス、エンゲルスにおける自然弁証法として蘇ったからである。もちろん
後者は前者の死骸を祭るものではない。ヘーゲルが自然を精神の弁証法に従って律しようとするに対し、弁
証法そのものの基準を自然に於いて探めようとする。吾々はヘーゲル自然哲学の批判に代えて、両者を対比
してみよう 。
に従って、何がヘーゲルから学ばれるか、を知ろう。
*
最初に、主としてよく知られたエンゲルスの遺稿
153
第一に、エンゲルスは、経験的自然科学に対し、哲学の必要を強調する。「神秘主義を脱した弁証法は自
ヘーゲル自然哲学
154
ふっきゅう
然科学にとって絶対的必要と成る、蓋し自然科学は、固定せる諸範疇を、言わば初等数学に当る論理で、片
づくような領境を立去ったのだから。哲学は、自然科学がそれを見捨てたことに対して、後になって復仇す
る。」次いで彼は哲学者が如何に自然科学に貢献したかの例として、ライプニッツ、カント、の名を挙げる
**
と共に、「ヘーゲル、彼の自然科学の統轄と合理的類別とは、唯物論者の愚鈍をみんな束にしても、もっと
大きな仕事だ。」と言っている。他の個所で、彼は全くヘーゲル的口吻を以て、理論と弁証法を蔑視する経
験論者に反駁する ——
「事実ひとは大っぴらに弁証法を軽蔑する。ひとはあらゆる理論的思考を、どんなに
軽視してもよかろう、而も理論的思考なしには二つの自然事実を関連にもたらし或いはそれらに存立する連
関を窺い得ない。問題はこの際、ひとが正しく思考するか否かである、そして理論の軽視は、言わずと知れ
た、自然主義的に即ち誤って思考する最も確かな途である。ところで、誤れる思考は、それを行くところま
で徹底させると、熟知の弁証法的法則に従って規則正しく、その出発点とは反対点に行き着く。かくして弁
証法の経験的蔑視は、最も冷静な経験論者の誰彼を、あらゆる迷信の内の最も荒唐無稽なるもの、現代的心
***
霊説へ導くことによって、自己を懲罰する。」かくして自然科学を神秘主義へ運ぶのは、「自然哲学の鬱然た
る理論ではなく、最も平俗な、全ての理論を蔑み、あらゆる思考に信頼せぬ経験である」と断ずる。理論的
思考と弁証法は、二つの自然事実の連関を見定めるに必要なばかりか、個々の自然科学同士の連関をつける
ため欠き得ない。「経験的自然探究は、極めて巨大なる量の、
実証的認識素材を集積するから、
素材を各々個々
****
の研究領域に於いて、系統的にそしてその内部連関に従って秩序づけることは、明らかに拒むべからざるこ
ととなった。」そしてこの点に於いてヘーゲルに範が求められたことは既にみた。
* Marx-Engels Archiv II. Bd.
以下頁数は本書に拠る。
【
** 一五二頁【
】
S.
476
*** 二一五頁【 S. 346
】
版第
DDR
巻対応ページ数を記す】
20
* * * * 二 一 九 頁【 S. 330
】
。 な お 外 に、 自 然 科 学 と 哲 学 と の 関 係 に つ い て は 一 七 三【
】
、二六四頁【 S. 480
】などをみられよ。
332
*
】、 二 二 一【
S. 340
S.
第二に、エンゲルスはヘーゲルに於いて、自称唯物論者より一層決定的なる唯物論者を発見する。例えば、
生命が自己の否定たる死を含むという弁証法的思想から、あらゆる不滅の迷信の頼むに足らざることを帰結
させ、或いは「何ものかある、ということを懐疑論者は言うことを許さぬ。近代観念論
(即ちカントとフィヒテ)
は、認識が物自体の知識であるとみることを許さぬ。……同時に懐疑論は、その仮象の多様な規定を許容す
る、もしくは寧ろ彼の仮象は世界のあらゆる多様な富を内容としてもつ。等しく観念論の現象は、これら多
様な規定を自らの内に捉える。……この内容の基礎には恐らく、何らの存在、何らの事物、あるいは物自体
もなかろう。内容は向自的に、あるがままである。ただそれは存在から仮象へ移し置かれたのだ。
」という
**
ヘーゲル論理学中の文句を引用して、「ここではヘーゲルは現近の自然研究者よりも余程決定的な唯物論者
だ」と附け加える。
* 一五九頁【 S. 554
】
** 一五六頁以下【 S. 508
】
155
とはいえ、ヘーゲルの思弁的弁証法と唯物論的弁証法とは、所詮、転倒的関係に在る。ヘーゲルでは弁証
ヘーゲル自然哲学
*1
156
法は神秘的だ、「蓋し諸範疇が先行的に実存し、実在界の弁証法はその単なる反映として現れるのだから。
こしら
事実は逆である、即ち頭脳の弁証法は、実在界の、自然と歴史との運動形式の反射に過ぎない。
」そして自
*2
「移り行きは
然の運動は、ヘーゲルのそれのように「人為的技巧的に拵えられた弁証法的移行」ではない。
自ら運ばれねばならぬ、自然的でなければならぬ。」かくして「自然を以て、永遠な「理念」の外面化にお
ける顕現として、みること、それは重い罪である。」蓋し原型的イデアが地上に動物の存在以前に、肉体的
に雑多な態様をして顕現した、というようなことが「何ら思考することのない神秘的自然研究者に依って言
*3
われるのならば、聞き流しにもできようが、たとえ逆様な形でも、真に正しいことを考える、ひとりの哲学
*4
者が、同じことを言うとしたら、それは神秘であり、甚だしき罪悪である。
」から、その結果は「観念論的
0 0 0 0 0
出発点と共に、その上に建てられた体系、従って就中またヘーゲルの自然哲学も崩れおちる。」ヘーゲルが、
本能に依って遂行されるという有機体内の内部的目的、ヘーゲルの自然を貫くこの規定も、エンゲルスに拠
*5
れば「それ自身、イデオロギッシュな規定である。」蓋し「本能は個々の生物を、多かれ少かれ、その概念
】
S. 334
】
S. 480
】
S. 515
】
S. 477
】
S. 475
と調和にもたらすと言われている」から。
* 1一五一頁【
2一七〇頁【
*
* 3二八一頁【
* 4二二三頁【
5二〇二頁【
*
あまね
*3
唯物弁証法の根本規定もまた「全宇宙的運動」である。「普く一般に妥当するものとしては、運動の外な
*1
*2
にも残らない」のである。「あらゆる均衡はただ相対的であり、一時的だ。」しかし「運動はただに位置の変
そほん
化だけではなく、それは超人間的領域に於いてもまた質の変化である。
(思推もまた運動 だ)而してこれは
*4
根源的には物質の運動である。「ところが物質の運動、それは単に粗笨な力学運動、単なる位置の変化に止
らず、それは温熱と光、電気的及磁気的緊張、化学的融合と分解、生命、最後に意識である。」ヘーゲルが
理念、概念の発展と考えるものは、全て物質そのものの運動である。これを敢えて力関係と因果に惹き直す
*5
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0
0
0
0
0
のは「外部現象を内的な空語に翻訳することだ。」蓋し元来、力概念は、人間の動作における筋力に検証を
もつものなのだから。ここに於いて、「人間による自然の変更こそ、人間思推の最も本質的で直接な基礎で
*6
あり、ひとり自然そのものがそうなのではない。人間が自然を変更することを学ぶ関係に於いて、かかる関
係に於いてその知識が生長する」ということが判る。さて「旧き自然観の終結は、総自然科学を全体として
*7
一般的に統轄するための地盤を提供する。フランスの百科全書学派の人々、なお純機械的継次的だが。同時
」 と こ ろ が、 そ の 自 然 哲 学 は 実
期 に サ ン・ シ モ ン 、 そ し て ド イ ツ の 自 然 哲 学 は ヘ ー ゲ ル に よ り 完 成 さ れ た 。
のところ精神哲学の片割れに過ぎない。事実、知識と実践とを問わず如何なる領域に於いても、その総体観
が達成されるには、物質的な社会的、歴史的条件が必要である。それ故に先ずその基礎工事を果すことが肝
要である。「計画的に生産し分配さるるような、社会的生産の意識的組識が初めて人間を社会的関係に於い
ても他の動物から昂揚せしむることは、生産一般が人間(人類)に対して特殊の関係に於いてそうしたのと
157
等しい。歴史的発展はかかる組織を日々益々不可避なもの、然しまた益々可能なものとする。その組識から
ヘーゲル自然哲学
*8
158
新しい歴史的世代が日づけされ、そこに於いて人間そのもの及び彼と共にそのあらゆる行動の分枝、特にま
】
S. 325
】
S. 543
】
S. 512
】
S. 517
】
S. 506
た自然科学が飛躍をなして、それがあらゆる在来のものを忘却の淵に投げ込むだろう。
」
* 1二〇五頁【
* 2一六四頁【
* 3二三二頁【
* 4二五三頁【
5一六〇頁【
*
のエンゲルス『自然弁証法』は改造社版マルエン全集第十四巻に訳出されてい
Marx-Engels Archiv II. Bd.
* 6一六五頁【 S. 498
】
*
】
二四四頁注α【 S. 316
7
* 8二五二頁【 S. 324
】
【 参照されている
る。国会図書館近代デジタルライブラリーにあるが、対照ページが記されていないしあまりに古いので、 1960
年代に発刊
された今はなきドイツ社会主義統一党中央委員会マルクス・レーニン主義研究所発行の全集の第20巻の対応ページを記
す。邦訳大月書店刊には対照ページが記載されている。ただし戦前版とは編集方針の違いで大幅に記載箇所が入れ替わっ
】
ています。
(国際ヘーゲル聯盟日本支部編)
【 国会図書館近代デジタルライブラリー】
底本 『:ヘーゲル哲学解説』 1931
有機的自然観
一 有機的自然観がなぜ問題とされせねばならぬか
二 人間と自然との共感
A 神智学的風潮
B 審美的及び神秘的傾向
三 神における自然
四 人文性としての自然
五 自然の詩的情感
六 有機的自然観の論構とその限界
と言っている。吾々
"Die Natur ist die Probe auf die Dialektik"
一 有機的自然観がなぜ問題とされせねばならぬか
エンゲルスは『反デューリング1論』の中で、
ここ
せんさく
「自然は弁証法の証拠である」 ——
と訳出して
が現在もっているこの本の邦訳書はいずれも、この文を
——
2
いる。ところが、同じ句を ——
「自然は弁証法の試金石である」 ——
と表している例をも、吾々はもつ。問
159
の訳語に懸っているようにみえるが、しかし吾々は断るまでもなく茲で、語学的な穿鑿を
題は一見、 Probe
行おうというのではない。ただ「証拠」と訳すのと「試金石」とするのとでは、邦文として吾々が受け取る
有機的自然観
ゆるが
160
あた
感じが大分違ってくるのである、そしてこの相違は唯物論的弁証法もしくは弁証法的唯物論の理解に方って、
中々忽せにできないものなのではなかろうか。というのは、もし「自然は弁証法の証拠である」と言い切っ
てしまうならば、吾々は丁度『資本論』と同じような程度に出来上った態の「自然弁証法」を持ち合せてい
るように受け取ってもかまわない。恐らくエンゲルスは「証拠だ」という程の固い確信を懐いていて、何日
かは自然の弁証法的全貌を示そうと努めたのであって、モスクワ、マルクス・エンゲルス研究所の編纂によ
「だから吾々は、近代的自
る遺稿は、その片鱗を示しているものなのであろう。現にこの句に連なって ——
然科学については、それはこの証明のために極めて豊富な・日々ふえてゆく・材料を提供し、且つかくして、
自然における事物の経過は結局のところ弁証法的であって形而上学的でないということを証明した、と云わ
と述べている。デューリングとの関説に於いて、彼が随所に説きだしている自然におけ
ねばならぬ。」 ——
る弁証法的例証を、吾々はそのまま、かかる「証拠」として承認すべきもののようである。
に就いて、吾々
自ら「そのために八年間の大部分を費やした」と言っているエンゲルスの自然科学上の練が達
いはく
は疑をもつことを許されない。しかしそれだからといって、彼の自然科学的知識の豊富と該博とに眩惑され
て、もし自然弁証法の根拠が従来の自然科学の中に在るように考えるならば、それは大きな誤解という外な
かろう。自然科学の示すところが直ちに自然弁証法なのではない、それはせいぜいそれの証明のための材料
を提供するに過ぎないのである。却ってあり来りの自然科学が、如何に
「偏狭」であるか、「形而上学的な特性」
を具えているか、そしてかかる過誤がひとつに哲学の遺産である弁証法的観方を無視した報いに外ならない
こと、これらの事はエンゲルスが口を極めて主張しようとするところなのである。そう強く断られているに
かかわ
あたか
も拘らず、『反デューリング』や自然弁証法への遺稿やを、多少でも不用意に読むと、宛もエンゲルスは最
新の自然科学の研究成果から弁証法の例示として都合の好い部分をそのまま採用して、それを「証拠だ」と
して掲げているように取れるのである。そればかりでなく遺稿の中には、彼が自然科学の研究に際して誌し
た練習帳が印刷されたのではないかとさえ思われる個所が含まれている。万一この内容と、かの「自然は弁
証法の証拠だ」という句とが思い合されて、材料となるべき事柄が直ちに根拠となり、下書が実物とされる
ならば、この上もない危険な誤解を生ずるであろう。弁証法的唯物論はどこまでも自然科学的唯物論ではな
いのである、そのような個別科学的限界に止ることを欲しないものであり、一個の「自然と歴史と思惟」と
を通じての「哲学」として自己を任ずるものである。この点に於いて、最初からデカルト、ラ・メトリの機
械論的唯物観と伝統を別にすると共に、他の素朴的なフランス啓蒙期の諸々の唯物説、ビュヒナー、フォー
クトなどの俗流物質主義と本質を異にしている、これらのことは何人も知っていながら、つねに混乱の種と
なっている。思惟の過程が弁証法的であることはヘーゲルが明らかにした。歴史の運行がまた弁証法的であ
ることはマルクスが教えたところである。同じ法則が自然にも当嵌ること、そればかりか自然の中にこそ根
元をもつべきこと、それを開示することがエンゲルスの晩年における一つの研究目標であった。もしこの努
力が成功するならば、あらゆる観念論哲学が宗教と神とに最後の終結を見出すように、弁証法的唯物論は自
然の中に最後の仕上げをもつことが可能となるであろう。後者は社会科学の方法として美事な效果を挙げ得
たばかりでなく、戦闘的唯物論として輝しい実蹟を印していることは、誰も疑わない。しかしこれらの側面
161
に窮極の世界観的根拠を与え、精神のイデオロギー的武装を全からしめることは、必ずしも十分に果されて
有機的自然観
162
いるとは信じられない。エンゲルスの仕事もまだまだ手懸りであり、暗示であり、資料の蒐集である域を脱
しなかったようである。そこで、弁証法的唯物論の部門に於いて、この領域は未開拓地として吾々に遺され
たものと、認めてよいであろう。自然弁証法は今日まだ右から左へ利用できるような既成品として、吾々に
あた
与えられてはいない。そればかりではなく、丁度、社会主義が都市プロレタリアートの政策原理たる由来を
もつために、その実施に方って農民との折衝が極めて困難なる政治的事態を惹き起し勝ちであるように、も
と歴史と社会との理論として発達した弁証法的唯物論が、如何にして自然にまで及び得るか、のみならず自
然から導き得るか、という問題は理論上一つの解き難い謎を提供するものでなくてはならぬ。ここに於いて、
3
吾々は「自然は弁証法の証拠である」という代りに、「自然は弁証法の試金石である」という言い表しに多
かつ
大の妙味を感得しないわけにはゆかないのである。
嘗てヘーゲルの体系に於いて、自然哲学はその最も弱い環として認められた。ところで、たといそれとは
違った意味に於いてだとしても、かりにも唯物論を以て任ずる学説にあって、自然の理解が動揺していると
すれば、それは致命的である。由来、哲学する者は何か絶対的なものを掴むまでは安心しない、何らかの絶
対者を定立してそこから演繹を行うこと、それが多くの哲学者の態度であった。そういう見地から自然を眺
めるとき、自然はそれに応じた絶対的原理となる。「問題は、弁証法的法則を自然の中へ組み入れることで
はなくて、かかる法則をば自然の中で発見し、且つ自然から展開することであった。
」というエンゲルスの
言葉も、かかる見解に都合が好いようである。そういう場合、第一に哲学者が想い起すのは恐らく「神また
は自然」といったスピノザであろう。キリスト教的な西欧にとってスピノザにつくことは唯物論に服するこ
さきがけ
とである。スピノザは確かに、デボーリン【 Abram Moiseevich Deborin, 1881-1963
】やタールハイマー【 August
】が明らかにしたように、資本主義国の魁としての十七世紀オランダの哲学者として、
Thalheimer, 1884–1948
ブルジョア的情熱と冷静さを兼ね具えている、ということができよう。彼の「神の智的愛」というものはか
かる燃える氷塊と解し得よう。スピノザ哲学を以て弁証法的唯物論を律しようとの企てはもちろん誤ってい
なぞら
る。しかし右のように自然を絶対原理として、取りも直さず実体として、定立しそこから弁証法が「展開さ
れる」と解するならば、どのようにかスピノザのいわゆる「神=自然」と擬えて考えることも可能であろう。
かような比論が成りたつと、スピノザの唯物論的偏見を克服するためにとられた哲学史上の手段がまた、弁
証法的唯物論の物質主義的偏執を除去するためにも、利用することが可能となろう。
けん
スピノザ哲学と弁証法的唯物論とを対比すること、このこともまた重要な課題である。しかし今はその解
決は他の機会に譲って、スピノザの影響を受けながら而も彼と必ずしも帰結を一にしないところの思想家ら
をつれて来て、彼らの自然観を検することに依って、弁証法的唯物論に対し加えられようとしているところ
の、或は既に施された修正( 例えばブルガコフ『経済哲学』
【 国会図書館近代デジタルライブラリー】 島野氏訳をみ
よ)もしくは批難に防備を固めたいと思う。そしてかかる思想家の自然観をここでは特に「有機的」と呼ぼ
うとするのである。筆者は時を接して十八世紀の末から十九世紀の初にかけてドイツ思想界に活躍した三人、
ヘ ル ダ ー( J. G. Herder, 1744-1803
)、 ゲ ー テ( J. W. v. Goethe, 1749-1832
)
、 シ ェ リ ン グ( F. W. J. v. Schelling,
163
)を、このような自然観の代表者として選ぶことにする。有機的自然観をひとりこれらの人々の
1775-1854
それに限ること、或はその特徴をそれらの内に見ようという意図そのものに就いて、恐らく異論がないでは
有機的自然観
164
なかろう。吾々は下に有機的自然観の特質を一層限定し、またその起原と由来を尋ねることも怠らないつも
りである。しかし特別にこの三人の思想家について、詳しく叙述し検討しようとするわけは、今まで西欧に
於いて、自然科学的唯物論以外に顕著なそして典型的な唯物論として認められて来たスピノザ主義、かかる
風潮にこの三人はいずれも染っていながら、而も各々の仕方でそこから脱け出ているのである、この仕方が
単に個人的な傾向、乃至は時代性に帰せられるもの以外に、有機的な自然観の特色ある型を形作っているよ
しりぞ
うに思えるからである。ランゲはフランス啓蒙期の唯物論者と称せられる思想家の多くが、結局に於いて理
らいさん
神論あるいは汎神論に傾いたことを述べている、彼らのうち最も徹底的でこのような帰結をも却けたホール
たいてい
バッハ(あるいはドルバク、 P. H. D. v. Holbach od. D'Holbach, 1723-89
)でさえ自然の真なる「礼讃」とか、
4
自然の「聖壇」などという疑のかかり易い言葉を用いている。理神論はとにかくとして、汎神論は吾々の選
うかが
んだ思想家のどれにも附着しており且つ大抵の唯物論と紙一重の程度で境を接している。だからこれらの思
想家の自然観を識ることは、種々なる型の汎神論を窺うことになり、それらを検討することは汎神論と弁証
法的唯物論との距離を計る結果となる。また、これらの観方は「両極性」( Polarität
)とか「発展」とかいう
思想を共通にもっている。そしてこういう規定は弁証法の中に現れるものと似通っている。のみならずヘー
かえりみ
ゲルなども、自然に関しては右の思想家らに負うところが甚だ多い。そうすると唯物論的弁証法の特質を究
める上に於いて、これらの自然観を顧ることは無駄なことではあるまい。更にヘーゲルの自然哲学が結局に
於いて、自然という変幻極まりないプロテウスを克服して、その中に精神の自由な反映をみることを目的と
するのであり、言わばイデーがその無制限な自由を誇示しようがためにわざわざ迂路を採ったに過ぎないの
ないがし
であるから、勢いそこでは自然は蔑ろにされがちである。ところが彼の思想上の先輩シェリングにあっては
自然哲学は余程重要な地位を占めている。ヘーゲルに於いては万有の寛容な調和と摂理とが大切であるが、
シェリングに於いては、自然と精神とは同一と考えられながら、悪と欠陥との根拠が問われねばならぬ、そ
してその際、自然は闇と重圧の要素として欠くことのできない役割を果している。だからヘーゲルに依って
蔑 視 さ れ た 自 然 の 権 威 を 恢 復 す る に は シ ェ リ ン グ に 還 る こ と が 一 つ の 途 と 考 え ら れ る。 弁 証 法 的 唯 物 論 と
いわれるものも実はシェリングの自然哲学に近いものなのではないかという風な思いつきも起ろう。とこ
ろが、例えばディルタイに拠れば、ヘーゲル及びシェリングの自然哲学は精神史的にみて、その源をゲーテ
の自然観にもっている。またヘルダーも彼の哲学上の主著『イデーン』
〔
zur Philosophie der Geschichte
"Ideen
(人類の歴史の哲学に関する諸観念)【 複数の邦訳あり、共に戦前】
〕を草するに方って、ゲーテ
der Menschheit"
ほうと
との対談に基づいて友人トプレル( Tobler
)【 Georg Christoph】-が誌した小論『自然』
( "Die Natur"
)を手から
離さなかったという。そうしてみると、この時代の特異な自然観を識るにはゲーテに溯らなければならない。
ゲーテはヘーゲルやシェリングとは違って、思弁と構成に従うよりも寧ろある意味で経験的な方途を進んで
いる、而も同じ経験的にしてもニュートン流の力学的考え方に極力反対している。彼の色彩論にしても、植
さしず
物の変態過程の研究にしても、その他、生理学、岩石学、気象学などに因んだ研究にしても、どれもとにか
なかんずく
さから
く実見と細密な観察に基づいている。ただそれが近代自然科学の指図するところに必ずしも合致しないだけ
である。それは就中、力学の「分析的、計量的方法」に逆う。ところで、吾々はさきに、近代自然科学の提
165
供するところでさえ益々自然における弁証法的連関を窺うのに都合よくなりつつある、というエンゲルスの
有機的自然観
166
言葉を聴いた。もしそうだとすれば、どの一片の現象をも全体との関連に於いてみるというゲーテの自然観
は、自然弁証法の理解にとって一層適合せるものであろう。もしそれの有する重大なる制限を撤去してみれ
ば確かにそうも認め得よう。しかしその制限の故に却って正当なる自然における弁証法の開示を妨げるので
はないか、と危惧される。要するに、吾々は有機的自然観が、力学的・機械的自然観よりも一歩、弁証法的
自然観に近いことを認める、しかしどこまでもそのものではない。否そればかりでなく却って近接している
故にこそ注意して取り分けられねばならぬものと信じるのである。 ——
吾々はこれらの事柄を下に詳しく論
ずることにして、先ず事の順序として有機的自然観の発達の道程を簡単に追跡しよう。
注1 河野・林共訳、
『マルクス・エンゲルス全集』
、十二巻、二一二頁。岩波文庫版、七六頁。
2 佐野学著、
『唯物論哲学としてのマルクス主義』
、八八頁。
【 国会図書館近代デジタルライブラリー】
3 拙稿、
「ヘーゲルの自然哲学」
(国際ヘーゲル聯盟編、
『ヘーゲル哲学解説』
)をみられたし。
Lange, Fr. A. : Gesehichte des Materialismus, 1. Bd.(Reclam-Ausgabe),S. 409 f.邦 訳 二 種 あ り。【 "Geschichte des
Dilthey, W. : Leben Schleiermachers. 2. Aufl,. S. 207 f.
、邦訳は『唯物論史』国会図書館近代デジタルライブラリー】
Materialismus und Kritik seiner Bedeutung in der Gegenwart"
4
5
二 人間と自然との共感
現在スイスにあって一つの特色ある生の哲学を唱えると共に史家でもあるところのカー1ル・ジョエル( Karl
)は自然哲学の起原に関して独自の見解を示したことで注意を惹いている。彼に拠れば、歴
Joël, 1864-1934
史上自然哲学の古典的時期とみらるべきものが三つある、第一はソクラテス以前のギリシャであり、第二は
ルネッサンスの時代であり、第三は十九世紀最初の十年におけるドイツである。彼はその各々について、自
然哲学が神秘思想と離れることの出来ない事情を述べて、むしろ世界の神秘観の中にこそ本来の自然哲学が
根ざしていることを明らかにしようと企てている。先ずイオニアの自然哲学が、それ以前の東洋の自然観と
異なる所以として、それが単に自然の外貌の観照、自然の克服という実践的・技術的欲求、更に自然神話な
どに源をもつものでなく、それらは非哲学的な東洋もまたもっていた、これらの要件に加えてそこから哲学
0
0
を生むところのものは宇宙の全体と共感するところの心情である、というのである。そしてかかる心情的宇
宙観が神秘主義と呼ばれる。だからジョエルが特に自然哲学と称するものは神秘的自然観もしくは自然神秘
)と考えらるべきものであって、吾々の問題としている有機的自然観とは必ずしも等しくな
説( Naturmystik
い。吾々の見地からすれば、ひとり物活論的なイオニアの自然哲学だけでなく、目的論的なアリストテレス
の自然観をも、ある意味で有機的と解し得るであろう。否それ以上に、ゲーテにとってそう思われたように、
古代全体がかかる観方をとっていたとも言い得るだろう。しかし、古代が今日の意味での自然という観念を
もっていたかどうかは別としても、吾々は有機的自然観という言葉を力学的・機械的即ち近代自然科学の自
なら
然に向う態度に対立して用いたいと思う。恐らくかような対立に於いてこそ初めて、かかる自然観の意義と
かえり
存在とが明確になるのであろうから。そうすると、この場合古代の哲学はそこに範をもとめそれに倣おうと
いういわばフマニスチィシュ【 humanistisch,
人文主義】
な気持でのみ顧みられるに止らねばなるまい。そこで吾々
167
は近代自然科学を中心としてそれを挟んで前後している自然観に特に注目することにする。自然科学に先立
有機的自然観
み な
168
つものとは即ちルネッサンスにおけるものであり、ドイツにおける十九世紀初頭の自然観はこれに反して自
然科学への反動とも看做し得るものである。観方を変えれば、ルネッサンスの神秘的、魔術的、審美的、自
然観は未だ宇宙の全体から自然という領域が独立せしめられず、自然がそれに固有な法則に従って理解され
るのでなく、その中に心霊が而も宇宙の中に投射され客観化された心霊、神が探し求められ、それによって
支えられる統一が、神と人間と自然とを均一に支配すると考えられるのであるから、それは自然科学に対し
てそれがこれから生るべき素地であり、いわば即自的直接態を成すものである。それとは違ってドイツにお
ける、ロマン的、汎神論的、非合理主義的、自然観は自然科学に対してそれの提供する現実的資料をある程
度に利用しながら、それの経験的実在論を止揚して現象の思弁的意味を観取しようとするものであるから、
もとめ
あなが
ある意味で自然科学の即而向自態【 即且対自】とみることも出来よう。であるから吾々が有機的自然観の発
達の端緒をルネッサンスに覓ても強ち無理ではなかろう。
A 神智学的風潮
さまた
古代ギリシャの自然観は総じてギリシャ人の感受力の制限に縛られていた。それが造型芸術と明確な形相
の摘出に秀れていたことでも判るように、彼らはものの均整と輪廓とについて無比の感受性をもっていたが、
そのことは却って彼らが自然の無限性に就いて理解をもつことを障げた。彼らにとっては宇宙は限られたも
のであり、而も地球を中心として一定の秩序の下に回期的な運動をしているものである。かかる宇宙の秩序
を目の前に浮ばせるもので、暗夜に瞬く星の群に如くものはない。プラトンはその配置と運動の完全さと規
しの
いにし
則正しさを讃嘆して、イデアの世界を偲ばしめるものと考えた。ところが、この星座が古えのカルデア人の
)の観念と結合すると、もはや古代的なる制限を脱して近代的な自然観への
伝統をひく占星術( Astorologie
橋渡しとなる。占星術は星の座位が人間の運命に影響をもつとの信念に出発する。それは散りばめられた星
を天啓として、暗号として理解し、それを解くことによって運命の謎を明かし未来の行動を效果あらしめよ
うとする。この人心を捉えやすい考えは、しかし、単に迷信とのみ捨て去るわけにはゆかない。その中にこ
そ全宇宙を一つの有機体の如く看做し、そこではあらゆるものが相互に絡み合い、各々の分枝が不断に相作
用し、共同の生を営んでおり、従って一つの場所に何ごとかが起れば他に対して少しも影響を与えずまた
無意義ですむということがない、という思想の萌芽を含んでいるからである。十五世紀、十六世紀の学者の
Marsilio Fincino,
Philipp Melanchton,
多くが占星術の信者であった。フィレンツェにあってプラトンの研究を再興したフィチノ(
) も ま た こ の 術 に 与 し て い た。 の み な ら ず か の ル タ ー の 協 働 者 メ ラ ン ヒ ト ン(
1433-99
)も郷党に自己がその術に長けていることを誇り、この術の重んずべき所以を説いたという。も
1497-1560
ないがし
ちろん占星術を以て正当な学術をみだし、宗教を蔑ろにし、習俗を堕落させるような迷信であると確信して
いまし
)
がそれであっ
いた人々もないではなかった。フィチノに対してはピコ( Giovanni Pico della Mirandora, 1463-94
た。彼は晩年に占星術に抗議した十二節からなる論文を書いて、その邪説なる所以を明らかにした。またル
しるし
ターはメランヒトンを警めて占星術が何ら原理のないものであることを説いて言った ——
「神は曰う、星辰
しるし
ねつぞう
は徴たるべきであると。そこで占星家らは天に登って行った、
そして神が徴について述べたことを捏造して、
169
これ又はあれの星の標に生れ合したものは、かようかように運命づけられている筈だと述べる。しかし吾々
有機的自然観
170
はこんな判りきった虚言に惑わされず謙虚な考えでいる、即ち星辰が標であるというのは、航海者がそれを
利用しそれによって海上で方向を定めると同じ意味でそうなのである。」それにも拘らずポムボナティウス
しま
( Petrus Pomponatius, 1462-1524
)は尚、神は天界を介してのみ地球を保持し地上の変化を喚び起し得ると考
えた。彼もまた地上の出来事を全て星辰の作用に帰し、後者が認め得れば前者は予見し得ることを許したが、
彼はもはやかかる事柄を一般的な大綱だけに限って了った。例えばキリストとかムハメットとかが生れると
おおよ
いうような、重要事件のみが宇宙の大則に従い天界に異変を伴うに止るのである。かくして天界は地上の事
象の一般的な原因であるかも知れぬが、凡その個々特殊な出来事はその近接せる原因にのみ由来することが
承認される に 至 っ た 。
宇宙のあらゆる出来事が隠秘な関連に立ち相作用すると考えることは既に、全宇宙の中に眼に見えない力
の作用していることを承認することで、生き生きした若々しい新時代の想像力には、その力は一つの鬼霊的
なものに統御されるようにさえ思える。宇宙という全有機体は今や魔の園と化する。かくしてこの鬼神的な
力を見究めこれをわがものとして自在な能力を獲得しようとの欲求が発生する。この欲求に基づいてかかる
魔技( Magie
)を修めること、言わば鬼魔の援けを藉りて世界を勝手に支配しようとする希願はまた、ルネッ
サンスの自然観に於いて看逃せない傾向である。当時の人々にとって特に魔の業と思われたのは、磁気や電
気の現象であったであろう。「だから己れは、霊の力と口とを通じて天地の秘密がいくらか闡明されるかと
はべ
思って、魔法に身を委ねたのだ。」とゲーテはファウストに叙べさせたが、この気持は更生したこの時代の
人たちのものだ、とよく喩えられる。ところで、魔はあるいは光に仕える天使であり、あるいは闇に侍る悪
鬼である、それに従って、魔技も白と黒とに分れる。さきに挙げたピコも二つの魔技を区別している。一は
悪魔の助力によるもので、避くべく罰せられねばならぬが、他は本来の意味の魔技であり、それは全自然と
その力の秘奥を体得する。「それは神によって全世果に撒布された力を集めまた誘うことによって、奇蹟を
行うというよりも作用せる自然に援助を与えるのである。それはあらゆる事物の連関または共感を究め、そ
れぞれに最も力づよい激発を与え、かくして世界の深奥で秘密な宝庫から、宛も術自らがその現出者でも
】が、魔技的知識を集大成した書物を編した。彼によれば万物は生気を以て
Giambattista della Porta, 1535-1615
)
あるかの如く、隠れた不思議を引き出す。」十六世紀になってバプティスト・ポルタ( Johann Baptist Porta
【
連ねられており、自然は歓びと哀みがその肢体を分けもっている動物に譬えられる。この思想は古えのエン
ペドクレスが愛と憎とを存在の原理となし、物の牽引と反撥とをその現れだと解した考えを想起させるもの
(『学
"De incertitudine et vanitate scientiarum", 1527
である。しかしポルタよりも秘術の名と常に結合して挙げられるのはネッテスハイムのアグリッパ( Heinrich
)である。彼は
Cornelius Agrippa von Nettesheim, 1487-1535
識の不確実と虚妄について』【 "The vanity of arts and sciences"
】
)及び "De occulta philosophia", 1533
(
『秘術哲学
について』)を著した。彼に従えば、多くの人々は学芸によって人間が偉くなり神と伍するに至ると考えるが、
彼は全く見解を異にする、ちょうどアダムが智慧の木の実を食って楽園を逐われたように、ここにこそ堕落
の源がある、真理は寧ろ神の言葉と精神にある。ところが、神を認識させ愛せしむる途は、一に自然の書で
かく
あり、二にモーゼの掟であり、三にキリストによる啓示である。ところがこれらの解釈に方っては、常人に
171
は匿された秘伝がある。例えば神はシナイ山の上で説いた掟の外に、モーゼに対してその正しい釈義を告げ
有機的自然観
172
た、それが子々孫々に伝えられてカバラ( Kabbalah
)と称せられるに至った。イスラエル的創造説と新プラ
トン派的流出説の混血たるこのユダヤ教風な神秘思想が、この後にも幻想的な神秘家に於いて往々怪奇な絵
となって現れることは注意すべきである。彼は、しかし、ありふれた秘術、即ち面相や手筋による予言、夢
占いの如きもの、占星術でさえも迷妄なものとして斥けた。ただ彼のいわゆる自然的魔技だけは、それが天
地の諸力を観察し、その共感を究め、隠れたるものを露にし、離れたものを接ぎ合せ、自然の奉仕者となり
介助者となる限り、ある真なるものを包含していると考える。だからそれが喚び起す作用は、多くのものに
は不可思議とみえるにしても、実は事物に固有な力によって生起した極めて自然な働きである。彼の著書『秘
術哲学』は、その完成せられた形に於いては三つの章節から成っている、その各々は世界の三つの区分、体
躯のある原素界、天界、精神界に応ずるもので、夫々、自然的、天上的もしくは数学的、宗教的もしくは儀
礼的魔枝を取扱っている。第一の部門では、火、気、水、土の四元素の関連、それが寄り集って如何にして
特定の事物を造るか、事物相互の吸引と反撥の作用、それを利用しての実演の要領を、第二部ではいわゆる
数の象徴する神秘とその天界における実現とを取り扱い、第三部では、肉体と精神との関係を述べて、精神
が健全でなければ、肉体も本当に強くはない、そして健かな精神は魂の純潔と宗教によってのみ得られると
いう。彼のカバラ的色彩がここでは強く表れている。彼は世俗の僧侶を以て神の秘密を解せぬものとして常
もと
に罵り、学者流の神学の無能を嘲った。かくして彼は迫害の生涯を終らねばならなかった。
)もまた同じような自然観の変種である。ゲーテはこ
「賢者の石」を捜し索めたという錬金術( Alchemie
れに関して述べている「ひとがかの崇高にして密接な関連にある三つの観念、神と徳と不滅とを、理性の最
も高い要求と名づけたとすれば、明らかにそれに応じて高尚な感性の三つの要求がある、即ち金と健康と長
もとめ
寿がそうである。金が地上に於いて限りなく威力をもつことは全宇宙に於いて吾々が考える神と同じである。
しば
健康と適能とは一致する。吾々は健全な精神を健全な身体に需る。そして長寿が不滅の代りとなる。かの三
つの高貴な観念を心の中に湧発させ永久に養うことが尊ぶべきであるなら、それらの地上の代表者をも暫し
わがものとすることは願わしいことであろう。事実この希願は人性の中で劇しく猛りくるっており、ただ高
度の教養によってのみ鎮静にもち来し得るものである。かように吾々が希望するものは吾々は、えて可能だ
と考える、吾々はそれをあらゆる仕方で探し、それを提供すると約束するものにおしなべて便宜を与える。
この際に直ぐ想像力が働きだすことは予期できる。かの地上の幸福への三つの最高の要望は極めて近接して
いるので、唯一の手段によってそれらが達成し得ると考えるのは自然である。それは何か物質的なものでな
くてはならぬ、しかし元初の一般的物質、処女の如き土地でなくてはならぬ。如何にそれが見出されるか、
如何にそれが加工さるべきか、それは錬金術の論策が永久に繰り展げようとするところである、そしてそれ
】
Goethe's
Werke, Jubiläumsausgabe, 40 Bd., S. 180【
f.イ】 〕)その中にあって錬金術を今日の化学
は耐えがたい単調さを以って、ちょうど鳴りつづく鐘声のように、信心よりも狂気に押しやる。
」〔 Geschicht
der Farbenlehre【(
の軌道に進ませたのはスイスの医者パラケルスス( Aureolus Theophrastus Paracelsus, 1493-1541
)である。彼は
医者であると共に自然の介助者であった。それで彼は彼の医学を四つの柱石の上に礎えた、その四柱とは哲
学、天文学、錬金術、及び徳義である。医者は術の外に希望と愛とをもたねばならず、忠実で純潔でなけれ
173
ばならぬ。それには神の栄光が必要である。彼は聖書とカバラの内に全ての秘密の鍵をみた。
「さて医者が
有機的自然観
174
自然から生長すべきだとすれば」と彼は言う「自然は哲学の外の何であろうか? 哲学は見えざる自然の外
の何ものであろう? 日や月を認識しそして眼を閉じても日や月が如何にあるかを知っている者は、日と月
とを宛も天空にそれが懸っていると同様に自らの中にもっている。
」 か く し て「 哲 学 者 は 天 と 地 と に 彼 が 人
間の内にもまた見出すところ以外のものを見出さず、医者は人間の内に天と地とがもつところのもの以外の
)であり、人間は小宇宙( Mikrokosmos
)である。
何ものをも見出さない。」天と地は大宇宙( Makrokosmos
そして大宇宙の力と小宇宙の素材とを媒介するものが錬金術である。天体の力はきっと地の精に対応してお
り、人体の中に、植物に、鋳物に現出している。両者の調子を合すことが錬金術師の仕事である。焼いたり、
2
蒸餾したり、凝結させたり、醗酵させたりする化学的手続は地上の物質に天上の作用を呈示させる手段なの
である 。
)と名づける
占星術と魔技と錬金術との間に吾々が共通にみるところの自然観は神智学的( theosophisch
ことができよう。自然は一つの大なる秘密である。ところが吾々人間もまた自然の一部として、その中には
自然の隠れた力と一体に成り得るところの能力が潜んでいる。この眠っている霊力を覚し、大自然の作用と
運行を共にすることに依って、その働きを介添えしまた統御しようというのである。そこには後の自然科学
と一見したところ同じように数の関係が取り容れられることはあっても、その数は後者におけるように自然
の一様性と連続性とを代表する純量と考えられるのではなく、各々宇宙の隠秘を象徴する置き換え難い順序
と配位とに在る。こういう立場では、外界の事物と認識する主体とを取りわけて、更に事物と主観的な心と
の接触を説こうという感覚説、経験論風な考え方は起り得ようがない。吾々には右のような一体感的自然観
からどうして自然科学的認識が生起してきたかを究めることはここではさしづめ問題でない。ただこれから
左に述べようとするドイツにおける十九世紀初頭の自然観が自然科学のよりも、神智学的な伝統につらなっ
ていることが判ればよいのである。自然科学の外に更にもう一つ神智学的傾向に対抗するものは、いわゆる
もとめ
ドイツ神秘主義的傾向である。これは、吾々がみ来った諸思想とは異って、眼前に拡っている自然にではな
く吾々の心の内奥に神の啓示を覓るのである。同じく忘我を説くにしても一方は、アグリッパに於いて知っ
たように、人間の小智を棄てて大自然の活力を恢復するという方向をとるのであるが、他方は自らを虚くし
て神をその中に宿らしめ、個人性を喪わずしてそのままで超越的能力を取得しようというのである。だから
前者が没我的な主情主義に終るとすれば、後者は主意的な傾向を辿る。ドイツ神秘主義はルターを通じてカ
ントにつらなり、そこからドイツ観念論に流れ入ると解されている。しかし吾々にとってその主意的主潮、
自律思想はここでは背後に却けらるべきものである。蓋し有機的自然観は、たとい直ぐ後で知るであろうよ
うに、自然の根源に元意志というようなものをみるにしても、個人の自律に関する思想には縁遠いものであ
る。自律の観念は寧ろ、自然の征服を目指す点で、自然科学の態度と地盤を等しくしている。であるから、
吾々
は自然科学の伝統と共にドイツ神秘主義の系統をこの叙述から省くことができるであろう。ただ後者のうち
で濃く神智学的な傾向を帯びシェリングなどに多くの影響を与えたヤーコブ・ベーメに関説するに止めよう。
175
それよりも前に、大宇宙中心の自然観に哲学的基礎を与え、その一つの特色である審美的、芸術的解明を露
に呈示したところのブルーノを顧みないわけにゆかぬ。
有機的自然観
B 審美的及び神秘的傾向
176
)は、例えばディルタイによって、近代ヨーロッパ
ジォルダーノ・ブルーノ( Giordano Bruno, 1548-1600
の汎神論の基を開いた人と考えられている。しかし今の吾々の目的にとって彼の思想の全面を描きだすの
は余りに横道に外れることである。吾々は彼の自然観における審美的特質に専ら注目することとしよう。彼
なぞら
)が審美的自然観を懐いていたことで有名である。
の外にヨハンネス・ケプラー( Johannes Kepler, 1571-1630
けれどもケプラーは音楽の階調、絵画の幾何学的姿態の中に、既に自然科学的精確をみているのである。宇
宙の調和がそれらに擬えて考えられるとき、そこに支配する法則はやがてニュートンによってより厳密な量
的規定を受くべき力学の原則に通ずるものである。それとは違って、ブルーノは芸術的なイタリア・ルネッ
サンスの哲学者であった。芸術的な形で哲学する慣わしを復活させたのも彼である。ブルーノはコペルニク
スの地動説を固く守った。しかし、それは旧いアリストテレス・プトレマイオスの宇宙観を排して、宇宙の
無限性と上下の無階別を主張するためであった。宇宙は無限なる虚空とそこに動く無限なる世界とから成っ
ている。この涯ない虚空とそれを充たす数限りない微体との調和、これが彼の解くべき問題である。嘗てデ
モクリトスやエピクロスはこの問題を、虚空とその内における原子( Atom
)の機械的運動をもって解いた。
ところがブルーノにとっては、宇宙における出来事はどれも目的活動である。彼は神に於いて宇宙の最高原
理と最高原因をみる。神は「あらゆるものを満たし、世界を照し、自然を導き、あるたけの万象を産みだす」
】
)はこう言い表した……理性はどの肢々
Publius Vergilius Maro, A.D.70-19
はしばし
ところの普遍理性、世界霊である。それはピュタゴラスの徒によっては宇宙の動かし手と名づけられた、同
じように詩人(ヴァーヂル【 ウェルギリウス
わか
にも流れ込み、あらゆるものの質料を衝き動かし躯体を貫き通す。プラトンの徒は世果建築家と呼んだ。彼
らはいう、この建築師は全く一つなる上の世界から、多に岐れる感性の世界に降ってきた。この理性は自ら
動かず静止していながら、物質に何ものかを注ぎ込みまた頒与することによって、あらゆるものを産出する。
オルフェウスはこれを世界の眼と名づけた、そのわけはそれが自然の事物を内も外も見渡し、かくして万物
i
せつべつ
頃】
をそれに相当する釣合に於いて生み且つ保持するから。エンペドクレス【 EmpedoklhvV,A.D.490-430
は截別者、
プロチィンはi父にして原産者と称した。「吾々はこれを内部的芸術家と呼ぶ」とブルーノはテオフィロをし
て言わしめる、「というのは、それが物質を形づくり内部からそれに形態を与えるのであるから。例えばそ
i
V リシャ神話に登場する詩人
Ojrfeuvギ
ローマ時代の新プラントン主義者プロティノス
ドイツ語名 Plotin,
0
0
Plwti:noV,205?-270
0
177
力因は形式因ばかりでなく目的因とも離し得ない間柄にある。というのは、彼に拠れば、理性の法則に従っ
べきである。しかしブルーノにあっては、それが機械的な外面的な原因であることは不可能である。寧ろ動
る個々物の理性である。三つの内で中間のものは両端を媒介するものとして、真の意味で動力因と称せらる
0
る。一はあらゆるもので在るところの神的理性、二はあらゆるものを造る世界理性、三はあらゆるものと成
0 0
に還流させる。事情は動物に於いても同じである。……」ところが、かかる理性、偉大なる芸術家は三種あ
そして一定の時になると再び内部から、液汁を葉と果とから分枝へ、分枝から枝へ、枝から幹へ、幹から根
の中から芽を作り、内部から丁度内部的生命からのように、葉、花、実を形づくり、形態化し、組み合せる。
れは種子あるいは根の内部から幹を誘い出し伸し、幹の中から枝をださせ、枝の中から分枝を形づくり、そ
ii
有機的自然観
i i
i
178
て活動するものはどれもある意図を目指して働くのである、然るにこのことは事物の表象なくしてはあり得
ず、またそれは産み出すべき事物の形式に外ならない。ところで、動力因が目指すところの目的、窮極因は
3
宇宙の完全性ということであり、そしてそれは物質の各種の部分に於いていずれの形式も現実の存在をもつ
ということである。神はブルーノにとっては、それ自身動かざるもの、一つにして永劫なるものである。し
かし、神は宛も芸術家がそれによって自己の存在を毀損することなく無数の作品を仕上げるように、多様な
る事物を創造することができるのである。ただ神にとってはその素材もまた彼の構想力の中に横たわってい
る。このように神の模像としての世界は「巨大なる有機体」であり、そこに於いては何ものも生きていない
ものはない。靴も、指輪も、手袋も生かされている。もちろん、それがそのままで、即ち皮のままで、衣服
が衣服のままでそうだというのではない。上衣と外套はそこに吾々の如き動物がくるまることによって、靴
ふさわ
は足を包むことによって、帽子は頭を覆うことによって生かされる。如何なる物も、かくして、一片の精神
あた
的実体を蔵さぬものはない、それが事物が相応しいとみると、それを有機体の一端として結びつける。だか
ら事物は現実の上ではそうでなくとも、実体の見地からは全て生命をもっている。そして物のうち魂を与え
あずか
られるものは質料ではなく形式である、また形式には常に何らかの美しさが伴っている。だからそれ相応の
度合で美に与らないところの物体はない。ところが、真に美しいものは単調ではあり得ない。テオフィロの
口を通じてブルーノは言う「吾々は色を見て歓ぶ、しかしそれがどんな色であろうと単彩のものにではなく、
あらゆる色をその中に含むようなものに対して最もそう感ずるのである。吾々は音をきいて楽しむ、だが特
殊のではなく、多くの音の階調からなる内容豊かな音に於いてである。
」宇宙の巨大なる有機体はその原型
にして製作者たる神にとって、最も美しきものでなければならぬ。そうだとすれば、その中ではあらゆる反
対物が相倚り調和ある色彩の織物となり、絶妙なシンフォニーを奏でるのでなくてはならぬ。さてかかる対
立物の内で最も著しいのは、限りなく大なる虚空とその中に動く微体のそれである。ブルーノにあって、こ
の微体の観念は数学的なもの、物理学的のもの、形而上学的のものの三つに、分たれる。今ここで顧みられ
ねばならないのは最後のものである。「事物の実体はこの下なく小なるものである。而も汝は同じものが同
時に無限の大きさのものであることを見出す。汝はその中にアトムとモナドと動く世界霊をもつ。
」と彼は
言っている。それ故に彼がモナドと名づけるものは微小なると同時に限りなく大なる力を蔵するものである。
いとま
ブルーノの一にして不変なる神という思想が如何にスピ
譬えてみれば有機体の細胞の如きものである。 ——
ノザに影響を及ぼしたか、彼の審美的自然観がどうシャフツベリーと連なっているか、これらの事柄はここ
で叙べている遑を与えられていない。
)だとい
Valentin Weigel, 1533-88
イタリア・ルネッサンスに於いてみるように、人間を大自然の中へ融解しようとの態度とドイツ神秘主義
に於いてみるように、主観の中へ宇宙の力を体得しようとの傾向と、これら二つの途を合流させようと試み
4
た最初の人はドイツの神秘家の一人であるヴァレンティン・ヴァイゲル(
われている。しかし、彼は実のところやがて来るべきヤーコブ・ベーメ( Jakob Böhme, 1575-1624
)の先触
れにしか外ならなかった。ベーメは特別な視霊的能力をもっていた。彼は若き日のかかる経験の一つに就い
179
て『アウロラ』のi中で語っている「わたしはあらゆる物の中に、原素の中にも生物の中にも悪と善とがある
i
征矢野晃雄訳『黎明』(国会図書館近代デジタルライブラリー)他に薗田訳『アウローラ』
"Aurora",
有機的自然観
i
180
こと、この世では無信心な者も篤信者と同じく幸福であること、未開な民族も最良の土地をもっていること、
彼等に対して篤信な民よりも多くの幸福が恵まれていること、これらの事を知って、わたしは甚だ憂鬱にな
よろこ
り非常に悲しんだ、だのにわたしの親しんでいたどの書物もわたしを慰めてくれなかった。この際、悪魔は
きつと欣んだに違いない、彼はこのとき屡々異端な思想をわたしに注ぎ込んだ、その思想についてはわたし
はここでは默っていよう。ところがわたしの精霊が、それが何だかわたしには解らないが、かような悲しみ
の中にあって熱心に、暴風となって、その中にわたしの心も魂も、思想も意志も一切叩き込んで、神に近づ
き、神の愛と恵みとをもって闘うことを止めなかったとき、神はわたしを祝福し給うた、というのは神はわ
たしを彼の聖なる霊をもって照しわたしが神の意志を理解しかくてわたしの悲しみが立ち去るようになさせ
給うた。精霊はかくの如くして突破した。……やがて暫くのはげしい嵐の後にわたしの精霊は地獄の門を通っ
て、神性の最も内なる出生( die innerste Geburt der Gottheit
)にまで突き進んだ、そこではちょうど花婿が愛
たちま
する花嫁を抱くように愛を以て擁された。……この光の中でわたしの精霊は忽ちにあらゆるものを見透した、
5
そして全ての生物に、雑草に神を認めた、神が誰であるか、如何にあるか、その意志は何であるかを。かく
し て 間 も な く 又 こ の 光 の 中 で 神 の 本 質 を 誌 そ う と い う 強 い 衝 動 が わ た し の 意 志 に 起 っ た。
」ベーメが悲しみ
と疑惑とを突き破って接見したところの神は、彼が最初に万物に於いて認めたところの悪と善、怒りと愛の
根源でなければならない。彼にとって神は直接には「底なきもの」( Ungrund
)、あらゆる存在とその基底と
がそこから湧き出づるもの、従って自らは何らの性格をもたぬもの、永劫の寂滅、闇も光もなきもの、何人
にも開示されぬものである。「それは無であり全てである」と彼は述べている「そして世界とあらゆる生物
がその中に在るところの唯一なる意志である。」ベーメはイタリアの自然哲学者と違って神を意志として規
)とも「底なき意志」
( der ungründliche Wille
)とも
定する。それは「始めなき意志」( der unanfängliche Wille
呼ばれている。それはそれ自身、善でもなく悪でもない。ところがそれが現示するには既に対立が存せねば
ならぬ。「神のものだろうと、悪魔のものだろうと、地上のものだろうと何であろうと、あらゆる事物は諾
( )
)の中に成立する。」諾は神の真理であり、否は真理が啓示するための諾の反射面である。ベー
Jaと否( Nein
メが神における第一の対立と認めるものは怒と愛とである。各々は更に三つの性質に依って代表される。怒
と地獄と全て狂暴なるものは一、苦く酷き性質、硬さ、冷たさ、牽引、慾望。二、活動性、受容性、甘さ、
棘、遁走。三、不安、沸騰、生命の車など、に依って、愛は四
i 、光、五、響、合理的な生活、六、神の叡智
としてのあらゆる形と色と美、によって。これらの中間を占めるもの即ち第四の性質が火と生の根源として
ものである。神に於いて可能なる態様で匿されていた善と悪とが現実の重味を以て表面に出る。イタリアの
の意志が均衡している。」この均衡を破るものは人間の現実の意志である、
それは眠れる対立に「火をつける」
勝手である。」従って「人間は双方から引っぱられ支えられている、しかし彼の中に中心が在るそして二つ
は元来どちらへ傾くとも自由な意志を具えている。「彼はこの生に於いて怒となることも光と化することも
かれる。「アダムの心魂は永劫の意志から、自然の中心から生じた、そこで光と闇とが分たれている。」人間
て、如何に自然の性質が心理上の性格に翻訳されるかを見るであろう。怒と愛、闇と光との中間に人間が置
の欲求であり、或は怒りとして或は愛となって燃える。それは「自然の中心」である。ひとはベーメによっ
i
181
「愛は」以下底本では「四」はなく、五、六、七、となっていたが、怒り・愛ともに三つの性質なのだから四、五、六とする。
有機的自然観
i
182
汎神論に於いて解くことの出来なかった悪の存在と自由意志の問題が、ここでは正面から答えられているの
を識る。そしてそれはベーメが神を以てあらゆる形あるものに具現する以前に、何ら規定をもたぬ「底なき
もの」と考えることに由来するのであろう。
宗教改革】の時代に亙る種々なる自然観をさぐっ
吾々はルネッサンスからレフォルマチオン【 Die Reformation
て、奇しくもそこにこれから吾々が観察しようという十九世紀初頭におけるドイツの代表的な自然観に含ま
れている諸要素がいずれも夫々の主張者をもって表れているのをみた。即ち一は占星術、魔技、錬金術を包
含した意味での神智学的叡智であり、二は自然の技巧と美を歎ずる審美的感激であり、三は自らの奥深く悪
魔と闘いながら神の光に接する神秘的沈潜とであった。吾々は既に自然科学の洗礼を経た筈である十八世紀
末から次の世紀へかけてのドイツに於いて如何にこれらの傾向が再現されるかをみよう。さきに吾々はヘル
ダーとゲーテとシェリングとを代表的型として論ずるであろうことを断った。しかし茲では三人の精神的関
連を述べるのではないから、叙述の都合に従って、最も思弁的だと考えられるシェリングから始めて順次ヘ
ルダー、ゲーテに及ぶことにする。
【
Windelband, W. : Geschichte der neueren Philosophie. 6. Aufl., I. Bd., S. 109.
"Die Geschichte der neueren Philosophie :
Bruno, Giordano : Von der Ursache, dem Princip und dem Einen. Übersetzt von Adolf Lasson (Phil. Bibl., Bd.21),S.29 f.
に拠るところが多い。
Beziehungen zur Gegenwart, 1847
注1 Joël, Karl : Der Ursprung der Naturphilosophie aus dem Geiste der Mystik. 2. Aufl 1926.
【 1906
版が公開されてる】
2 こ の 条 下 に 述 べ た こ と は Carriere, Moriz : Die philosophische Weltanschauung der Reformationszeit in ihrer
3
4
】
"Jakob Bohme's sammtliche Werke (1832)", 2 Bd. "Aurora oder Morgenröthe im Aufgang,"
Derselbe,: Von der Gnadenwahl, 1. Kap. S. W., 4. Bd., S. 467【
f. 邦訳「恩寵の選び」部分訳が四日谷敬子訳『無底と根
Aufl. 1922], S. 211【
f.
Böhme, Jakob : Morgenröthe im Aufgang, 19. Kap. Sämmtliche Werke, hrsg. von K. W. Schiebler [Wieder-abdruck d. 1.
in ihrem Zusammenhange mit der allgemeinen Kultur und den besonderen Wissenschaften", Volume】1
5
6
底 ベ
本文中にこの注6の指示はない。 】
: ーメ神秘学主要著作集』 "Jakob Bohme's sammtliche Werke (1842)", 4 Bd.
三 神における自然
シェリングは一七九九年、自然哲学に関して最初の体系的企てをなすに際して、その冒頭で言っている ——
0 0 0 0
1
「 自 然 に 関 し て 哲 学 す る こ と は 自 然 を 創 造 す る こ と で あ る。」
( Über die Natur philosophieren heißt die Natur
)この命題を彼は説明して「自然に関して哲学するということは、自然がその中に囚われているよ
schaffen.
うにみえる死せる機制から、それを取り揚げて、それを自由を以ていわば生命を吹きこみ、それ自らの自由
2
もと
【 超越論的】
)に説くこ
transzendental
な発展におくことを意味する」と述べる。翌一八〇○年にものした他の論文では、自然哲学を以て超越的観
念論を物理的に説明するもの、と規定している。哲学に於いて超越的(
とは、物理学に於いては動態的( dynamisch
)に説くことである、即ち自然の中に主体を索めて、その力に
運動の基を見出し、眼に写る自然はそれらの力の組み立てに外ならないと考えることである。言い換えれば
自然が無意識に取り行っていることを、再び意識して遂行すること、
「全自然に意識力を高めること」が、
183
自然哲学の課題であらねばならぬ。かく自然を再生することが、シェリングの謂う自然の創造であり、自然
有機的自然観
184
の 構 成( Construieren
【 Konstruieren
】
) で あ る。 そ う す る こ とは、 嘗て吾 々 が自然 と 一体で あった 状態を想 起
する所以で あ る 。
のみならず、シェリングにとって、自然哲学は哲学一般に対して、それを中途半頗【 半端】な観念論から
絶対的な観念論( der absolute Idealismus
)とするために欠くことの出来ない契機である。自然哲学にとって、
自然を俗に考えられている如く、緑や黄などの受感や、円や四角な物体から成立つものとすることは明らか
に不可能であるが、同様に自然の偶性をそっくりその経験的実在性のままで保存し、偶性が所属する本質ま
たは実体だけを自我の中へ移し植えて、かくして初めて自然が確固なものとなり、絶やすことの出来ないも
しりぞ
のとなったと信じ、実は自然を無視しようという態度も容し得ない。寧ろ自然哲学はこの態度に残っている
3
)と叡智的なもの( Intelligible
)に至ろうとする、即ち自然と
経験的実在論を却けて、自然の当体( An-sich
もと
かえ
自我とに対立をおき、自我の外に自然を索めるのでなく、却って双方が共通に没入するような絶対的自同を
唱えようとする、一口で言えばそれは「絶対観念論」なのである。
自我と自然とが絶対的自同に帰一するばかりでなく、自然それ自体もまた絶対なる自同へ解消する。しか
し自然の現実なる姿は寧ろ相反する素質と作用を示しているようにみえる。シェリングの最初の自然哲学的
4
な試作と考えられる論文『世界霊について。一般的有機体の説明のための高級物理学の一つの仮説』(一七九八
年)に於いて、彼は自然の根源的な二つの原理として、光と重圧( Schwere
)とを想定している。いうまで
よ
もなく一方は積極の、他方は消極の作用を代表する。彼に従えば「重圧の闇と光体の照明が相倚って初めて
生命の美しい輝きをもち来すのであり、私がそう呼ぶところの本当に真実なる事物を完成する」のである( 第
一巻、
四三七頁)
。そればかりではなく、シェリングはここで自然のあらゆる姿態の中に「一般的な二元性」
(
die
)と「分極性」( Polalität
)を示そうと試みている。そしてこの「反立性は決して経験的に
allgemeine Dualität
導出することも、超越的に導出することも可能でない。それは自然の論議によって、そのまま要請されるも
のである。その起原は、相反する働きによってのみ有限な産物を構成する吾々の精神の根源的な二元性にあ
る」( 第一巻、四六四頁)。自然における二元は反対の方向に作用する力( Kraft
)として現れる。反流する力
なくしては如何なる生きた運動も可能でないのである。
ところが真に対立するものは、対立が同時にただ一つの主体におかれてある場合にのみ可能である。根源
的な力が既に反流するとみえるのは、それが同一の自然の根源的な活動であって、ただ反対の方向に作用す
0
0
0
0
るからである。だから自然の説論がすべて一般的な二元性を前提するとすれば、それは同時に一般的な自同
0 0 0 0
性をも予想せねばならぬ。「絶対的差異の原理も、絶対自同のそれも真なる原理ではない。真理は両者の結
合にある」( 第一巻、四五八頁)。シェリングは他の個所で、この絶対なる自同を図式的に表して零と考えている。
この零が有限なもの、実的なものとなるには( 1-1
)と因数分解されねばならぬ。この分解はまた無限であ
る。しかし、かかる分解によって実在が産みだされるには、この分解そのものが第三の綜合活動を裏づけて
いることを要し、またかかる事は自然を原初に於いて自同なるものと仮定し、それが本意に反して分岐した
と看做す外ない( 第二巻、六四〇頁)。ところが、この自同なるものは、決して自己から脱け出で自己を啓示
するよう強制することができないものである、かくすることは取りも直さずその絶対自同性を廃棄すること
185
だ。蓋し絶対に自同なるものはそのままでは「静止と無活動の深淵」
( ein Abgrund von Ruhe und Unthätigkeit
有機的自然観
【
5
186
】)なのだから( 第二巻、六六八頁)。彼はこれを「聖なる深淵」とも呼んでいる。この底なしの淵
Untätigkeit
から如何に現実の自然が生誕するか。
もともと生きた自然は争闘する二つの力なくしては有り得ないことを吾々はシェリングに学んだ。この二
つの力を争闘に於いてと同時に統一に於いて考えることの必要が、世界を組織し一つの系統に形成すると
ころの原理を求めしめた。「かかる原理こそ古人が」と彼は述べる「世界霊ということで暗示しようとした
ところだろう」( 第一巻、四四九頁)。ではかかる世界霊とかの深淵とはどう関係するのか。吾々はシェリン
6
グがヘーゲルの『精神現象論』に現れた汎精神主義的偏向に対して誌したものとして有名な『人間の自由の
本質並びにそれに関連する対象に関する哲学的考察』( 一八〇九年)に附こう。彼は最初に汎神論とスピノ
ザ主義とを検討する。そして汎神論と自由の観念とは必ずしも矛盾しないが、スピノザ主義が宿命論的な帰
結に陥るのは、それがひとり汎神論であるからではなく、実体を物と考える遣り方にあるのである。一口で
言えば、その体系が「一面的な実在論」であるからである。ここに於いてこの主義は当然に機械的な自然
観に終らざるを得ない。この死せる体系に生気を吹き込む仕事こそシェリングの課題とするところなのであ
る。 そ し て そ の 方 法 は 自 然 を 動 態 的 に 理 解 す る こ と で あ る 。
「動態的説明の仕方の最高の努力は自然法則を
情操、精神、意志、に還元することに外ならない」( 第四巻、二八八頁)。スピノザのように意志をも一つの
事物と解す る の で は な く 、
「意欲が根元存在である」( Wollen ist Urseyn
【 Ursein
】)ことを証せねばならぬ( 同、
。
二四二頁)
だからといって「行動、生、自由が唯一、真に現実なるものである」と考える観念論に無条件に与しよう
というのではない。「実在するものを忌避して、精神が一切それと接触すれば不純となると考える者は、ま
た自ら悪の起原に対して眼を蔽っているのでなければならぬ」とシェリングは言う。彼にとっては観念論も
また実在論と同様に一面的であり、抽象的である。「観念論は哲学の霊魂であり、実在論はその肉体である。
双方が合して初めて生きた全体をつくる。」さて、では彼が根元存在と名づけるものは如何なる存在であるか。
シェリングはこの際「実存する限りの存在者」( das Wesen, sofern es existiert
)と、
「単に実存の根底である限
das Wesen, sofern es bloss Grund von Existenz )
istとを分けている。吾々は既にシェリングに於
りの存在者」(
いて、自然の中で重圧あるいは重力( Schwerkraft
)と光とが二つの原理として取り分けられているのを知った。
この際、重力は光に先立ってその永劫にまっくらな基底と考えられる。この基底自らは決して現勢とならぬ
ものであり、光即ち実存するものが射し出れば、暗夜の中に遁げ去るものである。光でさえそれが閉じ込め
られている封印を十分に解けないのである。この重力の特質こそ、シェリングが特に自然と考えるものの面
影を写し出すものである。従って「自然は一般的にみれば、絶対自同性の絶対存在の彼岸に横たわるものの
一切である。」これは「神の中における自然」であると共に「神の自然」でもあるのである。尤もこの基底
が実存する存在に先立つという意味は、時間上の先行でも存在者としての優越でもない。
「これは一切がそ
こから生成してくる円環である。」そこでは一者がそれに依って産出されるものが、それ自らまた一者に依っ
て産出される循環も矛盾ではないのである。ここでは端初たるものも終末たるものもない、一切が相互に予
。
想し合い、いずれも他者でないと同時に他者なくしてはあり得ない( 第四巻、二四九頁以下)
187
】
)
かくして、シェリングは万物が神に内在するという汎神論的命題を却け、事物の本性(自然【 das Wesen
有機的自然観
188
に適合するのはひとり生成の概念であると断定する。それでは事物がそれと全く種を異にし、無限に異なる
ところの神からどうして生れ成長することができるか。神以外の基底からか。然るに神の外に何ものも在り
得ない。そこでこの矛盾は、事物の基底は、神の中にあるが神それ自らでないところのもの、言い換えれば
神の実存の基底たるものにあると考える事に依ってのみ解決される。彼はこの基底を、
「一者が自己自らを
産まうとして感ずる憧憬」に譬えている。この憧憬は一者そのものではないが、これと共に等しく永遠であ
る。それは未だ統一と悟性とを含まぬ意志、予感的意志であり、そこには秩序と形式が予感されるだけでそ
れ自身は無規則なるものである。これこそ「万物に於いて実在性の不可解な基底であり、決して割り切れぬ
剰余であり、如何に努めても悟性に解消できず、永遠に底に留るものである」
( 第四巻、二五二頁)
。全て生
誕は闇から光へ産れ出づることである。
神自らもそれが有ら0ん0がためには一つの基底( 理由)を要する、それは神の外にあるのではなく、その内
にある。この基底が自然である。自然は神に属し而も神と異っている。プラトンの言葉を藉りれば、これは
「旧き自然」、カオスである( 第四巻、二六六頁)。「自然は如何なる書かれたる啓示よりも旧き啓示である」
( 同、
。さて、ではこの旧き自然から如何にして新鮮な現実の自然が出てくるか。シェリングは対話篇
『ブ
三〇七頁)
)と「現出的自然」
( die hervorbringende Natur
)とを分
ルーノ』に於いて「原型的自然」( die urbildliche Natur
けている。前者は、その中にあらゆる事物の原型が示されるところの生きた鑑と考えられる限りの自然であ
り、後者は、かかる原型を実体の中に発現すると考えられる限りの自然である( 第三巻、一一九頁)
。神の基
底としての自然は、神と全く種を異にする有限なる事物の発生の根源である、悪もまたここから由来する。
然るにそれもまた神の中にある。だから自然が一歩現勢的となり、秩序と規則を獲得するならば、それはも
はや単なる闇と重力とではなく、神の完全性に応じて、欠陥なき、円満な、調和ある存在と想われねばならぬ。
かかる状態における自然が原型的自然である。従ってそれは常に等しく変化することなく、いわゆる因果の
法則に服するものではない。ここにこそ「有機的完全性」の極致が窺われねばならない。そしてこの完全性
は他の完全さのように何らか自己の外の目的に適合するが故にではないのであるから、まさに美と称せらる
べきものだ、とシェリングはいう。彼はここに自然の「生きた芸術と智慧」とをみようとする。しかし、原
型の現出は時間の中に於いて、即ち個別性に於いて行われねばならぬ。自然における個別性、その特種化は
如何にして生ずるのであるか。自然の個別性はその質である。現出する自然は常に絶対的活動として表るべ
こご
きである。しかるに経験上はこの活動が無限に阻止されたる態で示される。絶対的活動はただ無限な否定に
0 0 0
よってのみ現象する。この否定と阻止によって凝った活動の中に質の根源がある。かくして根源的な作用は
自然の発展は終結することはない、
自然は出来上っ
いつも個別的に示される。けれども、シェリングにとって、
た産物ではなくどこまでも生産性である。だから原子論者のように彼は窮極の単純な因子としてのアトムを
考えることはできない、而も自然における個別的な質を説明する原理を求めねばならぬ。ここに於いて原子
論者と等しく自然における多様な個別原理の根源性を信ずると同時に、これを単に物質と考えず作用性と看
做し、自然の中に実存はしないが想定されねばならぬものとして「自然単子」( Naturmonade
)を措いている
( 第二巻、二五頁)。ところが彼にとっては、自然の個別的産物はやはり絶対者を表示するには「失敗した企図」
189
と考えられる外はない。いわば自然が繰り展げられるのは余儀なくそれを通じて「共通なるもの」に到達し
有機的自然観
190
ようがためである。自然は区分を志してはいないのである。自然は個体ではなく、共通物に関心をもつ、そ
して区別されたるものを無差別と自同へ解消しようと努力する。「この努力こそ自然におけるあらゆる活動
の基底なのである」( 第二巻、五〇頁注)。だから「創造する自然にはそのあらゆる産出に際して、ひとり全
体に於いてのみならず個体に於いても、それに則って自然が類や個を形作るところの型( ein Typus
)が指し
示されている」( 第三巻、一一九頁)。今やシェリングにとって、自然の分極性はかの神における二元性の反
映であると共に、自然の特種性はその共通なるもの、型を通じて唯一なるものへ還る。自然はただ一つの活
動であり、従ってその所産もただ一つである。それは個々の所産を介してただ一つのもの、絶対的産物を表
示しようと企てる。かく自然が生産的であるということが、それが有機的であることだ( 同、六二頁注)
。
)に依って一層、
シェリングのこうした自然観はノヴァーリス( Novalis, Friedrich von Hardenberg, 1772-1801
詩的に象徴的に叙べられている、ということができるであろう。
彼の童話風な作品や断章の中には多くのシェ
リングの精神に似通った自然観を含んでいる。しかし今それらを簡単にでも取り出し論ずることは、この論
文の目的を余り遠ざかることとなるであろう。吾々はそこでシェリングを去って、神における自然から一歩、
Ueber das Verhältniß der Naturphilosophie zur Philosophie überhaupt. Werke, III. Bd., S. 531 f.
)
Allgemeine Deduktion des dynamischen Processes oder der Kategorien der Physik. Werke, II. Bd., S. 710.
Schröter, II. Bd., S. 13.以
( 下、本文の中の巻数およびページ数は全てこの著作集に拠る。
Erster Entwurf eines Systems der Philosophie. Werke, nach der Originalausgabe in neuer Ordnung hrsg. v. Manfred
醒めたる自然に近づいていると思われるヘルダーへ移ろう。
注 1
2
3
4
5
Von der Weltseelle, eine Hypothese der höheren Physik zur Erklärung des allgemeinen Organismus. Werke, I.Bd.
Bruno oder über das göttliche und natürliche Princip der Dinge (1802). Werke, III. Bd., S. 154.
1
6
Philosophische
Untersuchungen
das
Wesen
der
menschlichen
Freiheit
und die damit zusammenhängenden
über
西谷啓治氏の邦訳『シェリン グ 自由意 志 論』
【国会図書館近代デジタルライブラ
Gegenstände. Werke, IV. Bd.
リー】あり。
四 人文性としての自然
」とヘルダーも断っている。
「自然は決して独立な存在者ではない、神こそその作品における一切である。
あなぐ
「到る処で
しかし彼はシェリングのように直接に神の中へ潜入してそこに自然の根源を索ろうとはしない。
た
自然の偉大な類比( Analogie
)は私を宗教の真理に導いていった、〔しかし〕私はその真理を苦心して抑え
つけておかねばならなかった。というのは私は私自身からそれを予め奪いとることをせず、ただ造物主がそ
の作品の中に潜かに現住することから到るところで射しでて来る光に一歩々々忠実であり度かったからであ
る。」かくして彼は「人間の歴史」の哲学的究明を「われわれの地球」から始めている。そして地球が如何
にして天界の中心的意味をもつか、地球が編みだした存在者の中で如何に人間が王座的地位を占めるか、諸々
この先史時代から人類の世界史
の民族がその多様性と葛藤を通じて如何に唯一なる人間性を実現するか ——
を通じて流れているイデーを掴むことが、ヘルダーの歴史哲学的な課題である。彼に於いては人類の歴史は
191
自然の生成の歴史に連なっている。だから自然が歴史的な道程として示されると同時に歴史はまた自然的な
有機的自然観
生長として 表 さ れ る 。
192
地球は一つの悟性をもっている、吾々の悟性はそこから成り上った一つの形である。吾々の衝動や心情も
同じである。精神も道徳性もまた物理(
)である。だから結局は太陽系に依存するところの物理上の
Physik
2
法則に服するものである、ただ一段高い秩序にあるだけが相違である( 二〇頁)
。けれども、これは決して
精神をいわゆる力学的法則に還元することを意味するのではなく、物理的なるものの中に精神に通ずる要素
が見透されるが故に、安心して、後者を前者に帰することが出来るのである。寧ろ内部的なるものの中に外
部的なものの根柢は存するのである。「一切は有機的力を介して内部から作り上げられる。」かくしてヘル
ダーは地球上の存在物、特に植物界と動物界の人間の歴史に対する関係を究め、更に人間の身体的構造と
内なる理性との連関を叙述して、如何にそれが理性能力に都合よく組織されているかをみ、どんなにあらゆ
る被造物が、宛も自然が外に何も創造しなかったかのように、自然の全き形式を示しているかを歎賞して
)と生活様式に従っ
いる( 一二九頁)。ところが他面に、彼による理性とは「人間が彼の組織( Organisation
て、それにまで作り上げられた、力と観念との学びとられた釣合と方向、即ちある知りとられたもの( etwas
)に外ならない」( 一四五頁)。
Vernommenes
さて、ヘルダーに拠れば、地球のもつ組成力は、岩石から結晶性へ、結晶体から金属へ、そこから植物
へ、植物から動物へ、これから人間へ定形をとる。人間に於いてこの系列は終り、その上にもっと微妙に精
巧に組み立てられたる被造物を想うことができない。人間はそれを目的として地球組織が作られた最高の存
在者のように思われる。ところが人間はまた諸々の民族に岐れその生存の様式を異にしている。この相異
を持ち来すものは何であるか。ヘルダーは元来ただ一つなる人類が地上いたる処で風土化されている(
sich
)と考えている。ある土地に住みついた民族は、その身体、その生活の仕方、幼少から慣れた友
klimatisiert
へんすう
と仕事、要するに彼らの心霊の全面が風土的なのである。それ故に如何なる辺陬に生れた者も郷土愛をもつ
のである。祖国愛は常に風土的である。彼は風土のもとに地球の両極、回転、海洋と山地、温暖と寒冷など
のあらゆる地理的、気象的要素とその組み合せを算えているが、彼はまたその裏に「風土の精神」を感じて
( Klimatologie
)
いるのである( 二七三頁)。そうであるからこそ、人間のあらゆる思考力と感受力について風土学
の可能を想 う の で あ る 。
ところが人間の成育には自然の組成力だけではなく、精神上の構成力が必要である。人間の心は父母、先
輩、友人などの絶えざる影響のもとに立っている。したがって人間の歴史は必ず人々の社会的交渉の全体と
してまた連鎖として現れねばならぬ。人間は言わば生れながらにして人間たるのではない、家庭における、
民族の中における教育によって一つの人間性に築き上げられるのである。かくしてこの地球で人の住む処は
悉く人類の教育所と変ずる。教育は人類の自然生長史における組織力である。かくみられるとき、それは
)の名を以て呼ばれる。この伝統の授受の過程の中に人項の第二の即ち精神的
伝 統(
Tradition,
Überlieferung
な生成として、いわゆる文化( Cultur
)あるいは開明( Aufklärung
)が発現する( 三四五頁以下)。ところで、
)である。彼が人文性と
この精神的な生成を通して達成せられるのは、ヘルダーの謂う人文性( Humanität
規定するのは人間に於いて、自由や理性、高尚な感覚や衝動、極めて微妙な而も最も強力な健康、地球の充
193
実と征服、それらを目指す教養の一切を含むのである。学識、芸術と言語、道徳と宗教、技術、に対するあ
有機的自然観
194
らゆる用意と活動が思い浮べらるべきである。一口で言えば人間がそれにまで組織作られている能力であ
と呼ばれるのである( 一五四頁)。あらゆる民族は文化を通して
Humanität
り、本分である。ヘルダーは言う「人間は彼の規定を示すのに自らがあるよりもより高貴な言葉をもたない。」
そうなればこそ人間自らの規定が
唯一なる人文性に憧れる。由来、ヘルダーは自然と人間とを通ずる組織力( organische Kraft
)または生成力
)を到る処で探求してその様々の発現を記述しているのであるが、その形成に方って一つの「主要
( Genesis
な型」
(
)を認めざるを得なかった。この一つなる型、
即ち一つなる作用力の内部的根本法則こそ、
Haupttypus
。人文性はか
「あらゆる存在者にあって物質と和合して照り出す神の面影である」と言っている( 二七四頁)
かる一なる型が展いた最後の容姿であろう。ヘルダーは自然の中に歴史をみると共に、歴史の中に自然力の
展開されるのをみた。民族とは人類のかくの如き意味での自然的規定である。人文性もまた民族が担う限り
に於いて、風土的であり従って自然的であるを免れない。
ヘルダーの研究法にみられる各民族を比較しその中を貫く唯一なる組成力と型とを観察する仕方は、ア
レキサンデル・フォン・フンボルト( Alexander von Humboldt, 1769-1859
)やカール・リッター( Karl Ritter,
)などに継がれて、人文地理学の先駆となったことは有名である。フンボルトはこの学問の目的
1779-1859
を規定して「体躯をもった事物を、内部的諸力によって動かされまた生かされた全自然の形態のもとに観察」
するにあるとしている。リッターも言う「地球は独特の組織をもった宇宙的個体であり、不断に発展する独
特の由来をもつ存在である。この地球の個性を究めることが地理学の課題である。
」これらの伝統は種々な
)、地理的唯物論といったような試みとして現代にまで連なっている。そればかりか、
形の地政学( Geopolitik
3
マルクス学説の実現に脅威を感じた結果その史的唯物論を緩和し修正する意味で、これらの傾向は今や異常
な注意を惹きつつある。わが国にも和辻哲郎氏によって、再びヘルダーの「人間精神の風土学」が人間学と
4
結びつけられて新しく想い起されようとしている。氏は「風土」以来、一連の論文に於いてかかる見地から
興味ある研究を発表された。吾々は思弁的な「人間学」が氏に依って一歩、実証の域に近づいたことに心を
唆らiれると同時に、それがどのようにか反動的役割をつとめるのではないかを危惧するものである。しかし
その詳細な検討は他の場所に譲ろう。
Herder : Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit. Sämt. Werke, hrsg. v. Bernhard Suphan, Bd. 1. 13, S.
「そそる」の当て字だろう。
有機的自然観
195
坂
Geopolitik, der geographische Materialismus und der Marxismus",Unter dem Banner des Marxismus, Jg. III, Ht. 1, 4.
田吉雄氏の抄訳(
『思想』九七号)あり。
然法則のうち最も微妙なるものが支配しているのである。」
( Briefe zur Beförderung der Humanität, 1795
)
3 ウ ィ ッ ト フ ォ ー ゲ ル( Karl August Wittforgel
) は、 こ う い う 見 解 か ら、 こ れ ら の 潮 流 を 批 判 し た。 "Die
どうして同じような自然法則がなく、一般に何らの連関も存しないだろうか。まさにここにこそあらゆる自
れる。それなら、精神的、道徳的世界に於いて、最も微妙で、最も作用的で、最も敏速な力の世界に於いて、
力の運動は数学に依って対象の内実、時間、媒質、形式と内容に従って一般法則の下に持ち来らされ計算さ
頁数は本全集に拠る。
【 邦訳『人類史論』鼓常良訳(白水社)国会図書館近代デジタルライブラリー】
9-10.
2 ヘルダーは他の論文「各自の運命」
( "Das eigene Schicksal"
)に於いてこう言ている「球や光線が突きあたっ
たと同じ角度に於いてそれが弾き返る、ということを誰も疑うものはない。衝突、抑圧、摩擦などにおける
注1 i
i
196
4 「風土」
(
『思想』
、再刊号)
、
「沙漠」
(同、百号)
、
「モンスーン」(同、百二号)など。【『風土』国会図書館近
代デジタルライブラリー、岩波文庫、和辻哲郎全集第8巻】
五 自然の詩的情感
ル
ゲーテは自己とヘルダーとの自然に対する態度を比較して述べている「私は自然の感性的観察にはいヘ
くら
ダーよりも適しているように思う、彼は常に急いで目的点に達しようと考えていた、そして私がまだ幾干も
観照を遂げていないような場合に、観念を掴んでいた。尤も吾々はまさにこの交換的な刺激によってお互い
に助成し合ってきたのだが。」この批評は当っている。シェリングにおけるとは異った仕方であるとしても
ヘルダーにあってはやはり一種の「構成」( Konstruktion
)が行われている。彼はこれをシェリングのように
方法的に自覚していないだけである。なお彼が神にまで容易に溯らずそれを口にすることを慎み、人文性の
観念を前面に出していることは一層、彼の観方の超越性を蔽っているようである。而も絶対的なるものか
ら、自然の特殊性を演繹し出そうという態度に変りはないのである。この意味で彼はまだ十分に哲学者と名
1
づけ得よう。ところがゲーテは自ら「本来の意味の哲学には私は少しも器官をもっていない」【ロ】と断っ
ている。それならば彼は通常の意味での自然科学者であったのであろうか。ゲーテはあらゆる場合に自然研
究における数学的方法を嫌悪している。自らも「取り分けたり算えたりすることは私の天性にはなかった」
)と述懐している。それはこの方法がさながらの自然を変容して現実と合わない荒唐無
( 第一部九九頁【 ハ】
稽を現出させるからである。ニュートンへの彼の非難も、前者が現実な色を「捨象した光線」を想定するか
らなのである。これに代えて彼はよき観察者、周到なる実見者、炯眼な経験の蒐集者であることを勧める。
それでは彼はベーコンに倣って帰納的な経験的方法に従うものなのだろうか。この点に関してカッシーラー
いた
( Ernst Cassirer, 1874-1945
)は述べている ——
宇宙のあらゆるものに通じそれを自己のものとしたゲーテも数
学と数理的物理学に対しては限界を感じたようにみえる。しかしゲーテが強く嫌ったのは数学の自然現象へ
の応用である。彼がニュートンを手甚く攻撃していた時でさえ、数学自身、応用を離れた純粋数学について
)の一つで言っている「物理
はある精神上の力を感得していた。ゲーテは「箴言」( Maximen und Reflexion
学と数学とは分離して叙べらるべきである。物理学は決定的に独立に存すべきである、そして数学がそれは
それで遂行することを少しも顧慮することなく、愛と尊敬と虔篤とを具えた力を以て、自然の力へそして自
然の聖なる生命の中へ突き入ることを企つべきである。反対に数学はあらゆる外的なものから独立に説かる
べきである、そして従来のように眼前のものに身を委せてそれから何かを獲ようとしたりそれに適合しよう
としたりする場合に、なし得たよりも一層純粋に己れ自らを形作るべきである。」【ニ】これらの言葉はゲー
テが感性的経験の前に、それと独立した精神的能力を予定していた証拠だとカッシーラーは考える。
なおゲー
テは、彼が観察を行うという場合ひとり肉体の眼によるばかりではなく精神の眼を働かせていることを告げ
ている。そうしてみるとゲーテの自然研究は単なる経験主義に囚われていない点で、同じく経験的現象を超
2
験的な数学的方式の網に置き換えようとする近代自然科学の方途と必ずしも撞着するものではない、とカッ
こうがい
シーラーは結論する。この解釈の当否はとにかくとして、ゲーテが地に逼う如き経験に終始しなかったこと
197
だけは明らかである。彼が「自伝」の中で洩らしているフランス唯物論者たちに対する慷慨も彼の心境を窺
有機的自然観
なおさら
198
う材料となるであろう。ところで彼が経験論者でないからといって、
尚更、思弁的な哲学者ではないのである。
0 0 0
0 0 0
彼はある磁気に関する自然哲学的著作を読んだ後でシラーに書を寄せて誌している(一七九八年六月の末)
あらた
「私は自然哲学者( Naturphilosoph
)や自然探究者( Naturforscher
)の仕事を甚だ正当に覗いてみることが出来た、
0 0
そして私が自然観照者( Naturschauer
)としての性質を具えていることが更めて証明されたのを知った。
」次
の書翰には再び、上から下へ降る自然哲学者と、下から上へ登る自然探究者について語り、附け加えて言う
「私は少くとも、その中間にある直観のうちに私の安心を見出す。
」といっても彼が両者の安価な折衷を企て
たというのでは勿論ない。「ひとは二つの対立する意見の中間に真理があると言う。が決してそんなことは
ない!」と彼はいう。では自然の観照とはどんな態度であるか。
とゲーテは述べる。これらの問いは元来、人間の発す
"Wie? Wo? und Wann? ——Die Götter bleiben stumm!"
べき問いではない。ひとはあらゆる関係に於いて世界の謎を解く資格はない。神々は知ろうとしても默して
【ホ】ありのままの現象を捨ててその背後
語らないのである。 "Du halte Dich ans Weil und frage nicht Warum?"
に本質とか本体というようなものを探ってはならない。現象をして自ら問題を生ぜしめ、その発展を眺める
に留めなければならない。そうすれば、いま眼の前にみる現象はいつも全体の直観を容易にもち来すことが
できるのである。「物理的な研究に際して私に次のような確信が迫ってきた」と彼はいっている「対象を観
察するに方ってはいつも、その下に一つの現象があらわれるあらゆる条件を精細に査定し現象をできるだけ
完全にとらえることを志すのが、この上ない義務である。蓋し現象は結局に於いて相互に連繋をもつといお
うか、あるいは寧ろ互に錯綜し合うように余儀なくされるのであるから。そして研究者の直観にも一種の組
成体(
)を作り、その内部的な総生命(
Organisation
)を現示するのでなくてはならぬ」
(
Gesamtleben
Einwirkung
】【ヘ】
)。またこうも述べている「生きた自然に於いては、全
der neueren Philosophie.第一部一三三頁【 Vol.16
体と結合をもたぬような何ごとも起らない。」
それは宛も中空に輝く光円のように、どの方向にも射線を放
つのである( Der Versuch als Vermittler von Objekt und Subjekt.
第二部、
三八五頁【 Vol.16
】
【ト】
)
。だがゲーテにとっ
ては現象と現象とがひとり一つの有機的関連を形作るのではなく、現象を観察する装置、そればかりか観察
者自身も対象と有機的関係に立たねばならぬ。この点に於いてニュートンが先の屈折の研究に方って、光そ
3
のものに関与しない外面的な条件(例えばレンズの厚さ等々)がその原因として作用しないことを明らかに
や
。ゲーテは拡大鏡や顕微鏡を遠ざけてた
し、 純 粋 な 光 の 研 究 に 赴 い た の と は ま さ に 反 対 の 態 度 で あ る 【 チ 】
だ已むを得ざる手段としてのみこれを用いた。それはそれらの装置が人間の感受性に映ずる純粋な現象を混
濁させるからである。自然科学者とゲーテとでは純粋性の意味が違っている。前者は人間の感覚と情意から
出来るだけ独立であることを、後者はそれらと離すことのできない融合を形成することを意味せしめる。だ
からゲーテにとって自然の観祭を行うに人間に勝るものはない、彼こそ最も精確な物理的装具なのである。
「人が周囲の対象を認めるや否や」とゲーテは言う「彼はそれを己れ自らに関係させて観るのである、そ
してそれは当然だ。」彼は他の詩に於いて「自然の核心は人の心の中にあるのではないか?」と問うている。
と
しかしこれらの言葉を単純な擬人観に根ざすものとみることは無理であろう。彼に於いては自然が人間か
199
ら理解されると同様に、人間が自然から釈かれる。
gehört
sich
selbst
an,
Wesen
dem
Wesen;
der Mensch
"Natur
( 第二部、三七一頁【 "Vorschlag zur Güte冒
】
)
「自然 ——
、吾々はそれ
gehört ihr, sie dem Menschen."
" 頭の句、 Vol.16
有機的自然観
200
に囲まれまた抱れている ——
それから脱けだすこともできなければ、それの中へ深く入りこむこともできな
い。頼まれもせずまた警告もせずそれは吾々をその踊りの環に引き入れるそして吾々が疲れてその腕に寄り
かかるまで、共に舞いつづける。【リ】
」さきに名をあげたことのある『自然』という小篇はこういう文句で始っ
ている。彼は計り得べき最も旧き時代の記念物である花崗岩に接して次のような熱情を以てそれを眺めてい
る「私はこういうような非難を恐れはしない、即ち私を、人間の心の、とりも直さず被造物のうちで最も年
若い、多様な、動き易い、変り易い、揺るぎがちな部分の観察と記述から、自然の最も年老いた、固い、奥
4
探い、揺がない子息の観察に導くものは、矛盾の精神であるはずだという非難を恐れはしない。というのは、
全て自然の事物は緊密な関連に立っていることをひとは喜んで私に同意してくれるだろうから。【ヌ】
」彼は
さら
如何なる死せる事物の一片をも、生きた人間と共ども、全一なる自然の分肢として理解することを忘れない
のである。といってもゲーテにとって自然は隅々までその素性を暴【 曝】けだすのではない。
「吾々は自然
も
のただ中に生活しながら、それに対して他人なのである。それは絶えず吾々に話しかける、而も吾々にその
秘密を洩らさないのである。吾々は不断にそれに働きかける、而もそれに対し何らの威力をもたないのであ
【 Vol.16
】【ル】
)。ゲーテは決してスピノザ主義者ではなかった、
とディ
る」
( "Die Natur", Kröner-Ausgabe, S. 15
ルタイも言っている。彼は宇宙の中に、個体の中にさえ、究め尽し得ないものを認めた。彼が知識に限界を
認めたことは却って彼が、自然に対して生きた態度を失わなかった証拠であろう。「自然と同時に己れ自身
を究め自然にも己れの精神にも暴力を加えず、両者をほどよく相互に影響を及ぼさしめ均衡にもたらすこと
は、快い仕事である。」
このような観察の仕方から自然に於いてみられる諸範疇が、形態(
)であり、
Gestalt
であり、
Urphänomen
)である。
分極性と上昇( Polarität und Steigerung
あら
形態という観念はゲーテが植物の変態現象を研究するに際して到達した観念であり、これから凡ゆる自然
現象、特に生物に就いて有效に適用できると考えたものである。自然の対象、特に生けるそれの探究に際し
ては、それを部分に分つことが甚だ便宜である、しかし ——
と彼は反省する ——
一旦、それを要素に分割し
あつ
よ
てしまうと、それらを取り蒐めて元の対象に生かすことは不可能である。ここに於いて部分が相倚って生き
た造作をなし得るように、それを宛も内部的なものの示唆の如く看做し、全体を何ほどか直観のうちに収め
たいとの欲求が常に感じられる。ところが「ドイツ人は現実の存在者の複合せる現存に対して形態( Gestalt
)
という語をもっている。彼はこの言い表しに於いては、動くものを捨象し、
複合せるものが固定され、完結し、
その性格が確定せることを、仮定しているのである。」( 第一部、四三頁 【ヲ】
)
。形態の観念はかくの如く一
面にモナド的な性質をもっている。自ら動ける要素であり、全体を宿せる部分である。それに止らず、この
がっかん
範疇は外見こそ異なるが内面的に同一系統に属する個々の種を貫く一つの型としての意味をもっている。例
えば亀の顎間骨と象のそれとの間には見たところ何らの類似性もない。ところが両者を連ねる一列の形式が
あり、いずれも同一方向にあるものの変種であることが明らかになる。「ひとは自然の生きた作用を大づか
みに達観してもよいし、生命を失ったその遺骸を解剖してみてもよい、常に自然は同じであり、実に驚くほ
どだ。」しかもこの内部的自同性に個別的な変異を見失うことなく、変化を通しての同型性を偲ばせるのが
201
形態観念である。然るに、形態はまた単なる比較方法による成果である型とも異っている。それは後者のよ
有機的自然観
202
うに経験科学的な発見の手引に過ぎぬものではない。もちろんゲーテの人間における顎間骨の発見
(一七八四
年)は形態概念のそのような働きに帰し得るであろう。しかしそれ以上にこの概念は現象を理念化す【 る】
「私が永い間、植物の
作用をもっている。ゲーテは自分の植物研究の道程を物語った一節で述べている ——
へんえき
形態の変易の特有の道程を追究したところでは、次第に次のような考えを私に起させた、即ち吾々を取り囲
んでいる植物の形式は根元的に決定され固定されているものではなく、独自の種属的また特科的執拗性にも
拘らずむしろ巧妙な移動性と順応性とがそれらに与えられており、地球上でそれらに影響する非常に多くの
条件に自己を適応させまたそれに準じて形をとり、形を変えることができるようになっている。……ところ
しゅうしゅう
が最もかけ離れているものも一つの著しい類似性をもっており、無理をせずに互に比較することができる。
そこでそれらを一つの概念の下に蒐揖するに従って、次第々々にこういうことが益々明瞭になって来た、即
ち観照はもっと高い仕方で生かされることができるということである。これはさきには二つの超感性的な元
0 0 0 0 0 0
)の感性的な形式という姿で私に思い浮んだ一つの要求であった。私は私に眼につくあらゆ
植物( Urpflanz
る形態をその変化に従って追跡した、そうすると私の旅路〔イタリア旅行の事〕の最終の目的地、シチリア
5
で、あらゆる植物の分科の根元的自同性が十分に私に判明した。その後私はこれを到るところで追究するよ
)
。こういうように形態はあらゆる種属の分
うに心がけたがいつもそれを確認した」( 第一部、一〇九頁 【ワ】
元象または根源現象である。
Urphänomen
科を通じてそれらの類比を成すばかりではなく、超感性的な根元としての意味を取得する。かく理念化して
みられた形 態 が 即 ち
ゲーテは「光線屈折による色彩」を論ずるに方って特にこの「根源現象」に就いて説明を施している。「わ
れわれが経験のうちに認めるものは多くの場合、いくらか注意をすれば一般的な経験的表題のもとに持ち来
らされ得るような事例ばかりである。この経験的一般表題は更に科学的表題のもとに従属され、それは一層
高いものを予想する、そしてその場合、現象しているもののいくらかの不可欠な条件がより詳しくわれわれ
に知られるようになる。かくして全てが漸次に高次の規則や法則に従服させられてゆくのであるが、それら
の規則や法則は言葉や仮説を通して悟性に開示されるのでなく、いわば現象を通して直観に現示されるので
6
と名づける、そのわけは現象の中に何ものもそれらの上にあるものは
ある。吾々はそれらを Urphänomene
ないが、それらは然し、ひとが、以前に登ってきたと同じように一段々々それらから降って、日常の経験の
最もありふれた事例にまで至るのに十分適当しているから。【カ】
」ここでは現象の根源はその最高の法則と
置き換えられている。彼がここにかくの如きものの例として掲げているものは吾々の論述を進めるのに都合
のよいものである。即ち彼は色彩の元象として一方に光、明るみを、他方に闇、暗さを挙げている。彼に従
えば、だから、元象は分極性に於いて現れるのである。一つの色は必ず己れと反極の位置にある色を要求す
る。ゲーテの示している色々の実例は多くの場合この根本観念から発している。のみならず彼は言っている
「自然の忠実の観察者は、よし他の点でどんな異った考え方をしようとも、こういう点ではお互に一致する
だろう、即ち現象する一切、吾々に現象として出会する一切が、あるいは根元的に二分しており、それが合
体することができる場合か、あるいは根元的に統一しており、それが二分できる場合かいずれかであること
203
Systole
を暗示しておりそのような仕方で自己を現示しているのである。一にされたものを二分し、二分されたもの
を一にすること、それは自然の生命である。それはわれわれが棲息する世界の永久の心臓収縮と緊張(
有機的自然観
204
(想像力)の作用である。ゲーテは自己の内における
Ein-Bildungskraft
た、緑色さえした花弁からなる花を展げだす。それらは決して天然の花ではなく想像のものだが、彫刻家の
ひろ
かような天賦について告白しながら記述している ——
「私が両眼を閉じ頭を垂れて眼底に一つの花を思い浮
べるとする、すると花は一瞬として最初の形態に停っていない、それは分散し中心からまた新しい色のつい
の階調を作りださせるのはひとつに
結びつけ不和なるものを融和させ死せるものに生命を吹きこむ力をもっており、これらの対立を通じて一如
導いているところの詩人的情感もしくは詩人的想像力という外はないであろう。感情は元来、離れたものを
知った。それではここに動機力として作用しているのは何であるか。それは取りも直さずゲーテの全生命を
吾 々 は 既 に ゲ ー テ に 於 い て 自 然 の 連 関 を も ち 来 す 根 本 動 機 が、 自 然 科 学 的 な 因 果 関 係 あ る い は 数 式 を 以
て表される自然法則でないと同時に、「構成」とかディアレクティクとかいう風な思弁的過程でもないのを
】【タ】
)。
【 Vol.16, S.12
第二部、四一七頁
り、後者は恆に努力する登攀である」( Erläuterung zu dem aphoristischen Aufsatz "Die Natur"
つね
考えた場合にそれに属し、後者はそれを精神的に考える限りでそれに属する。前者は不断の牽引と反撥であ
の反極性と上昇は実にゲーテにとっては「自然の二つの大きな旋条」なのである。「前者は物質を物質的に
) と 呼 ぶ と こ ろ の 作 用 で あ る。 上 昇 は 反 極 に 随 伴
づく傾向をもっている。これがゲーテの上昇( Steigerung
するものとしてまた元象に属している。かくして色についてみれば明暗の外に灰色がこれに入ってくる。こ
)【 心収縮と心拡張】、永久の集成と分解(
)
、吸気と呼気である」
( Farbenlehre
und Diastole
Synkrisis
und Diakrisis
【 Vol.17, S.211
】【ヨ】
)
。ところが両極にあるものは第三のものに近
: Verhältnis zur allgemeinen Physik, . 739
§
バラ飾りのように整っていた。この萌しかけた創造物を固着さすことは不可能であったがそれは私が欲する
限り持続していた。」詩人は多かれ少かれかかる能力をもっている。彼の心底にどのようにか残っている現
実の断片的像を思うままにくり展げ、そこに宛も生けるが如く而もそれ以上に多彩にして感動的な万華鏡を
描きだすのが芸術家の特性でなければならない。この特殊の能力こそは如何なる努力によっても修取するこ
とは到底思いもよらぬ天賦という外はない。ゲーテがあらゆる偉大なる芸術家と等しく天才と称せられる理
)に他ならなくなる。彼は謳っている ——
göttliches Organ
うた
由もここにあるであろう。このような眼を以てみれば自然はもはや此世のものではない。それは「神の器官」
(
〔以後本文中の数
Schriften zur Naturwissenschaft. Auswahl. I. Werke. [Meyers Klassiker-Ausgabe], 29. Bd., S. 132.
【 Vol.16 S.97
】【レ】
Wer die Natur als göttliches Organ leugnen will, der leugne nur gleich alle Offenbarung.
注1
字 は こ の 選 集 の 自 然 科 学 論 文 の 部 別 お よ び そ の 頁 数 を 示 す。〕
【 Vol.16, Sämtliche Werke,Leipzig im Insel-Verlag
全
年デジタル化したもので見やすい。この第 16
巻が科学関連論文集、第 17
巻
2011
Cassirer, Errnst: Goethe und die mathematische Physik. [Idee und Gestalt,, S. 34 【
f.]邦訳『理念と形姿』三修社刊】
大学図書館が
十七巻を
TORONTO
が色彩論である。
】【ロ】
2
【
Geschichte der Farbenlehre. Sämt. Werke. Jubiläums-Ausgabe, 14. Bd., S. 238を
f 参照されよ。
】【チ】
Vol.17
3
205
4 Über den Granit. Goethe Schriften über Natur (Answahl) (Kröner-Ausgabe), S. 48.
。
【 Vol.16
、 S.779
】【ヌ】
ういきょう
5 ゲーテはシチリアのセゲスクから一七八七年四月二十日に書送った「新鮮な茴香に於いて下部と上部とで
有機的自然観
る。
」
Farbenlehre,
0
0
206
)を調べた。『色彩論』については完
80
【 Vol.17, S.83-4
】邦訳は余り勧められない。【カ】
175. Kröner-Ausgabe, S. 220.
葉の違うのを私は認めた、ところがそれは常に同じ器官に過ぎず、それが単一状から多様に進化したのであ
6
頁
34
ヲ 『第十四巻』「形態学序説」「研究の意図」 43
頁
ワ 『第十四巻』「植物学」「著者は自らの植物研究の由来を伝える」 154-5
頁
カ 『第十四巻』「色彩論」
頁
175, 346
ヌ 『第十四巻』「地質学」 239
頁・ちくま学芸文庫『ゲーテ地質学論集 鉱物編』「花崗岩について」
ル 『第十四巻』「科学方法論」「自然―断章」 34
頁
チ 『色彩論』(工作舍刊)第2巻歴史篇
リ 『第十四巻』「科学方法論」「融和的な提案」
へ 『第十四巻』「科学方法論」「近代哲学の影響」 頁
7
ト 『第十四巻』「科学方法論」「客観と主観の仲介者としての実験」 25
頁
ニ 『第十三巻』『箴言と省察』「認識と学問」 298
頁
ホ 『第一巻』
「神と心情と世界」 269
頁、対で一句を為す。「どのように?何処で?何時? —
神々は沈黙している」
「『で
あるから』の理解に信をおけ、そして『なぜ』と問うべからず」
ロ 『第十四巻』「科学方法論」「近代哲学の影響」 頁
7
ハ 『第十四巻』「植物学」「著者は自らの植物研究の由来を伝える」 148
頁
訳版が 1999
年工作舎から全二巻+別冊図版集で出ている。以下巻数・頁は潮出版全集による。
イ 『色彩論』(工作舍刊)第2巻歴史篇「第4部一六世紀錬金術師たち」 179
頁
〜
[# ゲーテ全集の訳は戦前からいくつか出ているが最新の潮出版刊( 1979
§
§
ヨ 『第十四巻』「色彩論」「一般物理学との関係」
有機的自然観
頁
739, 439
しゅうえき
あなが
207
という。いわゆる天変地異を政治的、道徳的訓戒にひきつける東洋の考え方も強ちこじつけばかりでもある
1
急激な死亡率の増加等が起ったと言われている。一九一四年の大戦の勃発以前の天地の状態も異常であった
一七八〇年の間には中央ヨーロッパに相次いで、気象上の不順、地震、極光、大洪水、饑饉、疫病、凶作、
みが行われている。ジェボンス( W. Stanley Jevons, 1835-82
) が 太 陽 黒 点 の 増 大 と 凶 作、 更 に 恐 慌 の 発 生 と
を結びつけて考えたのはその有名な一例であろう。その他、フランス革命の勃発する直前一七七〇年から
証的な形でも、宇宙的なカタストロフと生物のそれ、更には人間社会の危機との間に連絡をつけようとの試
位などがまだまだ知識の及ばぬ領域として公然とまた隠然と信仰されているのは言うに及ばず、もう少し実
ず一種占星術風な思想でさえ現今なお遺っている。吾々の近くに於いても周易、陰陽思想、家相、手相、方
のこ
ている。既にヘルダーに端を発する地政学、地理的唯物論については少しばかり関説した。だがそれに止ら
吾々は今や代表的型に属すると考えられる主なる有機的自然観を一亙り叙述してきた。吾々の観祭した説
例はいずれも過去の時代のものであった。しかしこれらの学説はいずれもどのようにか今日まで系統を曳い
六 有機的自然観の論構とその限界
タ 『第十四巻』「科学方法論」「箴言的論文『自然』への注釈」 37
頁
レ 『第十三巻』『箴言と省察』「神と自然」 203
頁、「神の器官としての自然を否定する者は、ただちにあらゆる啓示
を否定するがよい。」 ]
§
208
まい。それはそうとしてゲーテ的な反機械論的傾向は、例えば動植物の変態過程の説が進化論の予感である
というようなことは別として、却って本来の自然科学の領域に対してよりも寧ろ心理学を起点とするいわゆ
る精神科学の方法に対して多くの暗示を与えたようにみえる。精神の世界を全体として統括して考えその
)を見出す研究法、こ
Analogon
個々の作用をその分岐または肢体とみる仕方、現実に与えられた雑多な象面の個性を十分に尊重しながら、
それらをよくよく比較考量することによってそこに内面的な自同性、類比(
れらは当今だんだんと重視されるようになってきた「構造」( Struktur
)
、
「型」
( Typus
)
、
「形態」( Gestalt
)な
どの諸範疇に糸を曳いている。更にゲーテの友人であり、医者を業としながら友の思想に共鳴し意識界の底
に無意識界を想定しそこに却って前者の宇宙的根源を探ろうとした Carl Gustav Carus
【 1789-1869
】
、あるいは
男性的、精神的なるものの背後に女性的な懐妊力、地の精というようなものを置き「母なる自然」という思
想を復活しようという
【 Johann Jakob -,1815-87
】
、これらの人々の影響のもとに新しい心理学の分
J.
J.
Bachofen
)の基を開き、人間の性格を宇宙的な大きさにまで拡大しそこから理解し
Charakterologie
野 と し て 性 格 学(
ようとする Ludwig Klages
【 1872-1956
】の試みなども、この内に包括させてよいであろう。ベルグソン、メー
テルリンクなどにもシェリングの思想への類縁を見出し得るだろう。しかし今はそこにまで歩を運んでいる
わけにはゆ か な い 。
)、その二は類比的な論法(
Antithetik
)、その三は神秘的な、それでなければ、詩人的な全一な
Analogistik
さ て、 吾 々 が 眺 め て き た 有 機 的 自 然 観 の 諸 形 態 を 顧 み る と き、 お の ず か ら そ れ に 共 通 的 な 思 考 方 法 と
い う よ う な も の に 行 き あ た る で あ ろ う。 吾 々 は そ の 内 か ら 特 に 三 つ を 拾 い 出 そ う。 そ の 一 は 反 立 的 な 考
(
るものの洞察と情感であった。
一なるものが姿はを現すには存在が如何に二つの仕方に分裂しなければならなかったか、を吾々はシェリン
グに於いて最も判っきり知った。能動的自然( natura naturans
)と所動的自然( natura neturata
)
、実存と基底、
基底と無底、光と闇、こういう風な対立を吾々はベーメに於いて、更にパラセルススに於いてもみる。ゲー
)は、宇宙の
Telsius (od. Telesio), 1508-88
テも元象が反極性に於いて啓示することを教えている。吾々は特に名をあげなかったが、ルネッサンスの自
然哲学者のうち経験論的傾向をもっているので有名なテレシウス(
成立に、温暖と冷寒とが根本原理であることを主張する。カルダヌス( Cardanus, 1501-71
)やブルーノもこ
みだ
れに近い思想をもっていた。窮極における和解と全一を説くためには、それを濫さない範囲に於いて対立と
争闘とが予想されねばならぬ。対蹠的なものの合一であって初めて真の融和ということができるのであろう。
これらの論者が好んで coincidentia oppositorum
( 敵 対 者 の 和 合 ) に 酔 う わ け で あ る。 こ の 点 に 於 い て 和 解 の
論理と解せられる限り、ヘーゲルの弁証法をその内に算えても必ずしも不当ではなかろう。単なる対立性の
設定は却って和解をより光栄あらしめんがためである。
第二に、吾々は例えばヘルダーが、如何に自然における類比を手引きとして進んだかをみた。雑多なるも
のの中に唯一なるものの面影を偲ばせるものがこの類比に外ならない。それがシェリングに於いては型とし
て、ゲーテにあっては形態として捉えられているのを知った。旧くからの種々な象徴思想も全てこれに頼る
ものであろう。吾々は西欧に於いてはピュタゴラス以来、さまざまな数に関する象徴をみせつけられる。だ
209
から比論は必ずしも擬人的方向をとるとは限らない、人間から出発することもあれば、宇宙を起点とするこ
有機的自然観
210
ともある。型の概念が近頃重んぜられるのもそれがこういう由来をもつからであろう。そこには多様の個性
を尊重する思想とそれを超越的な唯一なる存在、神、にまで結びつけようという魂胆が潜んでいる。
有機的自然観は擬人的であると看做されるのが通常であるが、そうするともともと人間の本質をどう考え
るかが先決問題になってくる。人間の精神作用というようなものを、知情意に分つのも能力心理学の伝統に
過ぎないのであろうが、暫くこの常識的に便利な区別に従うならば、有機的な観方は主情的という外はない。
吾々が初めから有機的という言葉を生物学的というと等しいような狭い意味に理解していないことは、夙く
に判っているはずだ。この意味で社会学上の有機体説などとは縁も由かりもない。さて感情、特に芸術家に
おいて純化され昂揚されたそれが如何に些細な断片から自在に万華鏡の如き世界を造り上げるか、それを
吾々はゲーテに於いて識った。また吾々はヤーコブ・ベーメなどの神秘家の描く幻想の中にもそれに似よっ
た情操の発展をみないわけにはゆかない。いずれの場合にも感情は一つの創造力として働いている。ただ芸
術家はあくまで自己の描く像が想像であると心得ているが、神秘家は却ってこれこそ実在の啓示だと信じて
いる。だが共に自己を没し宇宙的なものと合一しその生産力を体得する点に於いて常人と異なるいわゆる天
才の業と考えられるのである。新なるものが打開される時必ず旧きものとのギャップを埋めるため、かかる
天才が要望されるであろう。同じように有機的な自然観はルネッサンスに於いてレフォルマチオンに於いて
中世的な固定観念を打破するために、また十九世紀初頭のドイツにあっては当時の封建的・絶対主義的イデ
オロギーを克服するために、是非とも必要な作用をなしたであろう。現代に於いてもそれが想い起されると
すれば、ブルジョア合理主義、特にその支軸としての自然科学の行詰りに原因しているであろう。しかしい
すこぶ
つでも、またいつまでもそれが進歩的役割を演ずるとは限らない。例えば後期ロマンティクの時代に於いて
明らかに保守反動的勢力と合体した。吾々
同じような思想が頗る中世的・カトリック的色彩を帯びさせられ、
の時代に於いてもかかる傾向がもはや既に如実に露れている。人間が自然の生成力の延長として有機的全体
とみられるとき、民族となって出現することはさきにヘルダーの条下で学んだ如くである。人文性という如
きものも民族と結んで実現され、また特にかかる人文性への到達に他に勝って貢献しそれを使命と任ずるい
わば神の選民が想定されるとするならば、それは帝国主義的軋轢を激化するものに外なるまい。かかる観念
の下に如何に同一民族内の階級の融和が果されようとも、それは社会ファシズムを脱け出ないであろう。有
Arthur Stanley Eddington,
機的自然観は固定せられる時、わるくして国粋ファシズム、よくして社会ファシズムの世界観に堕するであ
ろう。
何故にブルジョア合理主義は行詰ったか、何故に自然科学は例えばエディントン【
】におけるように、神秘説に手を差し延べねばならぬようになったか。その理由は上部構造それ自
1882-1944
らにあるのではなく、生産力の発達がもはや資本主義的器に盛りきれなくなったからに外ならない。合理主
義自身が欠陥をもつのではなく、それを適用する動機が矛盾を生みだすのである。例えば簿記計算それ自体
は保存せらるべきだとしても、利潤の増大のためにするかかる形式はやがては消失すべきものである。いわ
ゆる経営の合理化にしてもそうである。能率の増進そのものは慶すべきことだとしても、賃銀の切下、失業
者の増大、あるいは労働の強化を伴う合理化は資本主義の矛盾の表現以外のものではない。その他の機械的
211
技術についても同じである。資本主義制度の下に於いては技術的に最大の效果が挙げられる場合でも経済性、
有機的自然観
212
特に利潤を生む可能性との比較考量で、それが実施に至らないものが多い。それ故にかかる考慮を要せぬ戦
闘武器は著しく進歩しつつあるに拘らず、産業上の技術は機材の資本性の故に停滞を免れない。それ故にこ
のブレーキを取り除くことはやがて技術的研究、更にその基礎理論の発展を促して已まぬであろう。ところ
が現今の自然科学は宇宙の斉合な説明に力を注ぐあまり自らの力量に耐えない問題に当面して遂には不可知
論風な神秘説に遁れないではいられないのであろう。だから何よりも先ず組織の束縛を撤去することが大切
である。地上に於いて有機的な社会生活の成立していないのに、
どうして健全な有機観が生じ得るだろうか。
という語は最初に有機体の器官を意味したのだろうが、
転じて組織( Organization
)をも指すに至った。
Organ
単にでき上った器官に則るだけではなく、進んで新たな組み立てを構成し出すのでなくてはならぬ。かくし
て有機観はその限界を破り得るであろう。
ここで吾々は最初の提題に返ろう。吾々は初めに、自然は弁証法的唯物論にとって観念論体系における神
のように、その世界観の仕上げを供するのではないか、と言った。しかしこの考えは果して正しかっただろ
うか。由来、弁証法的唯物論の考え方は歴史的であることを特色とする。そうだとすれば、それは自然の問
題に際しても歴史的でなければなるまい。これを永久の相のもとに解決し去ろうと試みることはその根本態
度に矛盾するであろう。だから吾々が自然を以てこの体系を完結封鎖しようと企てたのは誤であった。宜し
く現実の生きた議題にひっかけて自然の問題も理解さるべきである。そしてかかる議題を求めるとき、ソビ
エト同盟における農業対策をおいて外にない。そこでは農業に関する諸種のブルジョア議論を実践を以て撃
破すべく、農業の集団化、機械化が決行されている。何といっても吾らの自然、母なる自然として土地ほど
吾々に自然として映りまた親しまれるものはない。この土地との交渉がどう取り行われるかはやがて地球と
その所産、延いては宇宙とどう取り結ぶかを決定するであろう。この点に関して興味深く想い出されるのは
2
ゲーテが初めてワイマールに移ったときそこで自然研究を始めたのは、農業、林業、鉱業などの経営に役立
たしめんとする意図だったと言われていることだ。同じ関心から彼は同地に種々の自然科学の研究所を設立
したのである。彼の自然観が研究室の濁った空気の産物でなく、大空の下における新鮮なる田園の成果であ
Hentig, Hans v. : Über den Zusammenhang von kosmischen biologischen und sozialen Krisen.
ドイツの犯罪学者】
Hans von Hentig, 1887-1974,
( 一九三一年一二月末)
213
るのを思うとき、もし有機的自然観なるものが生れるとすれば、それは土地を含めて社会主義建設が成就し
【
た場所およ び 時 で あ ろ う 。
注 1
2
Dilthey, W. : Leben Schleiermachers, S. 205.
底本 岩
: 波講座『哲学』「第9 体系的研究第1」 1932
有機的自然観
だ
新興階級の哲学
う
一
そ
214
右田博士【 喜一郎 ,1881-1927
】は時世に敏なる学者であった。大正十一年秋における「階級文化」と
故左
およ
題する講演は凡そ次のような文句を以て始まっている。「世界大戦の結果として人類歴史の上に一個の時期
を劃すべき重要の収穫は主として所謂階級意識の確立にありと曰わねばならぬ。英の覇権に代えるに米の其
れを以てするも恐らく人類文化の歴史に於いて大なる意義はない。一の資本主義に代えるに他のものを以て
するに過ぎない。一三菱、三井に代えるに一安田を以てするに過ぎない。併しロマノフ王朝に代えるにレー
いず
ニン政府を以てしたるは人類文化史上の一事象である。不愉快なるものに強いて目を閉じ得るものは幸であ
る。先見に囚わるるか又は自己の固定せる形式に拘泥するか、何れにするも思想上の怠惰なるものに非ざる
すべから
限り、無産階級の勃興と其の階級意識の確立とは、人類文化の跡を尋ね、其の意義を探るものにとっては、
あまね
ところがこの同じ講演は「階級文化は須く
耳を覆うも聞え、目を閉ずるも猶且つ見ゆる事象である。」 ——
ちょぎゅう
階級を超越せざるべからず」という樗牛もどきの言葉を以て結ばれている。この結論はつまり如何なる階級
の文化も、従って第四階級の文化もただに階級的利益を代表するに止らず汎く人類一般に対し意義をもち妥
当性を有するものでなければならないこと、換言すれば文化価値一般或いは文化そのものに関する範囲に於
いてのみ階級文化という標語が意義を取得するという小理論的構造を明示されたものである。しかし吾々が
あら
今、新興階級の哲学を説くに際して問題にするのはかかる理論的構造に限られていない。かしこでは階級文
化の超階級性が顕現されることが必然だったとすればここでは凡ゆる文化内容の階級性が暴露されねばなら
いわ
ない。博士は階級文学、階級芸術、階級倫理、階級教化を説く者があっても「唯だ奇しき哉、階級学問を説
く者はない。学問一般として既成学問に対して階級学問を説く者はない。況んや階級数学、階級理学などは
説かんと欲して説き得ない。」と言っておられるが、吾々は寧ろ学問一般の階級性を明るみに取出さねばな
らない。
事実、左右田哲学全般を顧みるときそこにも階級性の刻印を見脱すことはできないのである。博士の本業
が銀行家であったことは別としても、その主張は常に、企業家は素より記帳と計算に日を消す一介のサラリー
マンにもその生存の意義を確立することに結びついていた。しかしこの場合サラリーマンは本質に於いてプ
ロレタリアートと同一視されていたのではなく寧ろ反対に企業家と共に実際の経済的経営に参画するする健
全なるブルジョアジーと看做されていたのである。博士が「価値の体系」を説いて宗教、芸術、倫理、哲学
などいわゆる絶対的価値をも経済、技術等の手段的価値と同じ平均に於いてこれをみると同時に、後者の内
ほとばし
にも前者と等しい趣きを窺い得ると考えるのも経済に与る前記の人々の、生存の意義を拡充しめようとする
熱情の迸りに外ならないのである。ただ博士の抱懐する創造者価値の思想はこれを大衆としての労働者階級
0
0
0
に延長することを妨げた。このことは益々博士の主張の代表する階級を明らかにする。学説は人間について
語り始めるや否やその階級性を顕にする。企業家と事務員と創造者価値は未だ金利生活者に堕落せざる健全
215
なる第三階級の代表者である。確かに我が国のブルジョアジーもまた一時かかる健康なる活気を示したこと
新興階級の哲学
わ
216
がある。そしてその時に初めて封建の殻を脱し独自の存在を示し得たようにみえた。欧州戦争中の溌溂たる
すくな
事業熱と景況はその変態な姿容であったであろう。吾が乏しい思想家の中で時代と共に歩みその理論的把握
を試みた者は一層寡い。福沢諭吉や中江兆民は或は明治におけるそういう僅かな人々の内の秀れた代表者で
あるだろう。吾々はまた右に述べたような理由から左右田博士もまた大正における時代の哲学者であったこ
とを認めたい。カントが「独逸におけるフランス革命の哲学者」と評され得るとすれば左右田博士はまたこ
けいがん
の意味でも日本におけるカントでなければならぬ。
眼なる左右田博士はこれを洞察して誤たなかった。階級意識は世界的
だが欧州大戦は何を結末したか。炯
連鎖のもとに確立されたのである。ソビエト同盟の成立はその政治的原理的表現であるに過ぎぬ。他方、資
本主義はいわゆる金融資本の覇権掌握、市場獲得政策としての帝国主義の強行、障壁的関税引上などによっ
て明らかにその絶命間際のあがきを示している。この時あらゆる文化内容の階級性が暴露するのは偶然では
ない。一つの階級の没落と共に意義を喪いゆくものはその階級に根ざしていたものであったろうし、新しき
階級と共に開かるる視野と展望はそれの興起と必ず結びついているに違いない。この意味に於いて吾々は新
興階級の哲学を語り得るのである。その特質は従って既成階級の哲学と認め得るものと対峙させれば最も明
ここ
か
瞭になるわけであるが、後者は一つの項目に概括すべく余りに多岐でありその一々との交渉を尋ねることは
茲では余裕がない。それ故に吾々は自ら新興階級の哲学と称しながら密にブルジョア的要素を藉り来ってい
せつべつ
るところの諸説と対比せしむれことに依って純正なるプロレタリアートの哲学とは何であるかを知りたい。
蓋し眼界に立つブルジョア思想との截別はその最後の残滓をも振い落すであろうから。
二
ひ
い
もっと
吾々はかかる限界的なブルジョア思想として独逸社会民主主義のイデオロギーを挙げたい。この党が戦争
への参加を詭弁的に支持して国際的無産階級団結の目標を踏みにじったことは有名である。かくして社会民
主主義は政治的に無産階級運動の正道を脱すると同時に、自らの非違を尤もらしく思想的に粉飾することに
努むるに至ったのである。かかる役目を帯びて独逸社会民主主義の公認哲学者として登場したのがカール・
フォルレンダー【 Karl Voränder, 1860-1928
】である。吾々は先ず彼の思想の検討から始めよう。
きょうこ
フォルレンダーの第一の逸脱はマルクス主義の倫理化である。彼は先ずマルクスやエンゲルスが倫理的観
念を排斥していることを当時の歴史的事情に帰している。一つには師祖たちの実在に対する健全な感受性が
独逸思弁哲学の観念性を忌み嫌ったこと、二つには彼等の態度が漸く鞏固になり来った四十年代の独逸社会
そ
主義者の内には自己を「真実の」主義者と称しながら空なる希望と提唱と道徳的説服とに甘んずる者があっ
たこと。そればかりか、心の幸福と充足とを説いて民衆の社会的解放戦におけるエネルギーを殺がうとの試
みが存在した。マルクス主義の「道徳説教」嫌いはかかる傾向に対立するものとして生じたと言うのである。
ののし
、フォルレンダーに拠れば、決して倫理と
そればかりでなく、いわゆる「科学的」社会主義の開祖たちこも
うふん
「宣言」の中には「圧迫者
縁 を 断 ち 得 な い の で あ る。 先 ず 彼 等 の 語 気 は 明 ら か に 道 徳 的 口 吻 を 漏 し て い る 。
と被圧迫者」、「厚顔な搾取」などと言い廻しがあり、またブルジョアジーを罵るに彼奴らが「人格の尊厳を
217
交換価値に解消した」あるいはそれを「利己的打算という氷の如く冷き水に溺死せしめた」などと言い、そ
新興階級の哲学
218
して結局は「各人の自由なる発展が万人の自由なる発展の条件なる如き協同態」という理想的な窮極目的を
掲げている。これらの用語と思想とは倫理的心境なくしては口に上り得ないと評者は考える。
社会主義に倫理の必要なる第二の理由はこうである。社会主義社会の樹立は熟慮されたる設計に従って果
0 0
さるべきである。然るに設計を企図すること、意識的に組織を与えることのできるのは唯だ目的を指定する
存在者のみが為し得るところである。エンゲルスも言うように「人間がその歴史を造る」のであり歴史にお
0
0
いては「意識的意図と意欲された目標なくしては何ごとも生起し得ない」とすれば、その意図と目標とが個
人的な恣意に堕し、あらゆる可能な個々の目的が雑然と交錯しないために、目的の間に統一を齎すべき倫理
的観念を欠くを得ない。これを欠くに於いては人間の理性的共同生活、共同動作は成立し得ない。従って、
とフォルレンダーは結論する、「倫理なくしては世に社会主義は生ぜず、社会主義者は生存せず。
」ところで
彼に従えば丁度このような目的に応ずるものがカントの意味に於ける倫理学なのである。そこで彼の主張は
つ
再転してカントなくしては社会主義はなきこととなり、マルクス思想の倫理化はそのカント化に外ならない
ことを曝露 す る 。
けてよいか判らない程に誤謬に充ちている。それで
右のフォルレンダーの見解は殆んど何処から手を著
吾々は一体彼が倫理を要請してくる根拠がどこに在るかを先ず突きとめて、その後に元来マルクス的社会主
義にとって一般に倫理を顧慮する必要があるのかどうかを究めたい。最初に彼の言分を一層詳しく傾聴しよ
彼はカントの倫理学を採ってくる理由として有名なカントの無条件命命を次の如く理解している。
「あら
う。
あたか
ゆる学問、特にそれらの全ての基にある論理学の目的が、吾々を悩す思想上の矛盾を除去し、かくて思惟の
統一に達することにあるように、倫理は社会的組成における矛盾の除去を目指している。宛も学問上の命題
が真であるのは、それが人間の認識の統一ある連繋に編入せられた場合てあるように、行為または意欲が善
だといわれるのはそれが矛盾なく目的の統一ある秩序に結び合わされた場合である。これがカントの有名な
無条件命令についての学問上唯だ一つ根拠ある意味である。
」(フォルレンダー「カント、フィヒテ、ヘーゲ
】四〇頁をみよ。
)
ルと社会主義」【 "Kant, Fichte, Hegel und der Sozialismus"
三
さて倫理が社会主義にとって欠くを得ないのは後者が何らか社会理想を計画しその実現を志す上はかかる
目的に統一と規制とを附与する要があったからである。倫理は即ち目的の統一の原理として想定される。と
ころが目的の統制を為し得るものはそれ自身目的としての資格を具備しておらねばならないのは勿論である
が、同時にどのようにか内容を以て縛られることを許さないのである。というのは如何なる内容も目的も目
的としては同格的に考えねばならぬ。諸々の目的の間に甲乙の別を劃するは他の別個の見地でなければなら
あら
ない。特殊な事情が考慮されてかかる状勢のもとにどの目的が選ばるべきかは決せられるのである。短く言
えば恃殊な内容ある目的の選定は条件的である。そこで凡ゆる立場を離れて個別的な事情を消去して無条件
219
的に目的と称し得るのは一々の内容を抜きにした従ってどの内容でも入れ得るような形式的目的でなければ
ならないのである。かかる融通性の故にカントの無条件的命令が採択されるのである。
新興階級の哲学
220
ここに有名な内容と形式との区別が想い起されるのは自然の順序である。カントの理論からみれば雑多な
内容に統一を与え秩序あらしむるのは主観に固有な形式である。カントにあっては元来が認識の論理的構造
を示すべきであったところのこの形式と内容の方式は本来の地盤を離れて意志や行為の界にも移される。カ
ントに於いて無制約的に善と称し得るものはただ「良き意志」ばかりであり、また無条件に倫理的格率と認
めらるべきものは「汝行動するに汝の意志の格率が常に同時に一般的立法の原理として妥当し得るように為
すべし」という命令の外にはあり得ないのである。フォルレンダーの議論は更にこの処法の社会主義に対す
る適用であるに過ぎない。即ちマルクス社会理論は内容でありその形式たり得るものがカントの倫理学だと
いうのである。かくして初めて社会主義は首尾完結せる理論たることができると考えられる。
吾々は今やフォルレンダーにおけるマルクス思想の倫理化、カント化について態度を決すべき時期に到達
した。吾々は一応彼が社会主義者の努力が理想的目標に対する組織的企画にあると考えている点を問題にし
0 0
ないでおこう。この前提の下ではフォルレンダーの論理はまことに無理がないようである。しかし無理のな
いのは即ち矛盾のないのは彼の論理であることを注意したい。社会主義は目的の指定をもっている、だから
目的の原理が必要だ、そしてその要求がカントの無内容な格率に依って充たされるという道順はどうしても
目的の或いは社会主義の論理である。彼が社会主義の倫理化と考えるものは実はその論理化でしかないのだ。
内容と形式というような認識論的方式をそのまま藉りてきた結果がそうなることは寧ろ当然と言わねばなら
】の口を通じて資本論の
ぬ。彼は修正論者(!)ルドウィヒ・ヴォルトマン【 Ludwig Woltmann, 1871-1907
倫理的要素についてそれは「もちろん道学者のような仕方に於いてではないが、諷刺と心の奥からこみ揚げ
る嘲笑の形に於いて現される」と言っているが、それが果して倫理的と呼ばれ得るものであるとすれば無内
ほとばし
容な形式的格率から発したものではなく、内容に満ちた即ちプロレタリアートの立場からする燃ゆる如き情
熱の迸りであるはずである。斯の如き具体的見地に立ってのみ目的実現へのエネルギーは生じ得るのである。
これに反してフォルレンダー風な倫理化は一切の内容を消去することによって従って階級としての立場をも
喪くすることによって解放戦への気力をも発散させる。このことはプロレタリアートの自己解放の理論であ
り、階級闘争を武器とするマルクス主義を骨抜きにする意外【 以外】の何ごとでもないのである。この理論
に於いてこの理論の主体が無視されることは、即ち単純にこれを論理化することはそれの成立の根拠を奪う
ことであり従ってその生命を抹殺する所以である。この意味に於いてエンゲルスのいう如くカントの無上命
令は無能命令という外はない。その禍根はどこにあるか。
じゅんぽう
吾々はフォルレンダーの倫理化がつまりは論理化であることを知った。しかしその論理とは如何なる種類
のものであるか。吾々は彼が「あらゆる学問、特にそれらの全ての基にある論理学の目的が、吾々を悩ます
も
思想上の矛盾を除去し、かくて思惟の統一に達するにある」と言っていることを思ひ出す。即ち彼の遵奉す
るのはいわゆる形式論であることが明白である、蓋しかかる論理の特質はそれが最高原理として矛盾律を有
ちどこまでもそれに服従して行くことに存するから。然るに論理は矛盾律に服する形式論理には限られない
のである。元来矛盾は否定の原理である。ある定言が肯定する事を同時に同じ関係に於いて否定し反定言を
あまね
打ち立てる場合これらの両個の定言の間柄が矛盾すると言われるのである。この矛盾が包蔵する否定の力を
221
武器として動的に周く世界を自己のものとする論理がある。弁証法はかかるものに外ならないのである。思
新興階級の哲学
222
うにフォルレンダーの一切の過誤はマルクス的思想から弁証法的要素を追放した点から発生している。彼が
倫理学を必要と考えるのもそれが「社会的組成における矛盾の除去を目指している」からであった。そして
社会における矛盾の内で階級利害の対立ほど甚だしいものはないのである。また被圧迫階級のもつ否定性ほ
ど社会の推進力となり得るものは考え得ないのである。従って階級闘争の理論を倫理学を以て置き代えよう
との試みは取りも直さず社会における動力を剥奪しようとするに外ならない。
彼はなお階級闘争を除いても目的を指定しそれを実現しようという努力によって社会は進み得ると強弁す
るでもあろう。しかしかかる合目的活動を承認するにはそれこそ階級を越えて妥当するような目的価値が想
定されねばならない。即ちどの階級も一列にかかる価値の実現に与るものと考えられ、プロレタリア階級の
出現が意義あるのはそれがブルジョア階級にとっては不可能であった側面に於いてまた程度に於いて価値の
実現に一歩を進め得ると信じられるからである。言い換えれば価値実現の努力に関する限りではブルジョア
ジーもプロレタリアートも一率に考えられ、寧ろその努力の過程に於いて連続的なものと看做されるのであ
る。もう一度言い直せば前者の活動の盡きるところ後者の活動が始るのであるが、何れも自己を超えたる目
きはい
標を追究する点で等しいのである。 ——
ところがかような考え方は最初に吾々がみたところの左右田博士の
文化主義の論理に外ならないのである。そこでは階級の別は認められてもどれもこれも相並んで超階級的な
目的に跪拝しているのであるから実は階級の差異はないのと同じである。一から他へ覇を譲るのは結局本来
】はここからは理解できない。それが漸進主義、
catastrophe
の自己の目的に一層近づく所以であって決して自己を滅亡するわけではない。なぜ一から他へ移りゆかねば
ならぬか、また移りゆくかその間のカタストロフ【
而も永久に目的を達する能わざる悲劇的漸進主義に陥るのは必然の運命である。
四
しかしフォルレンダーに於いては社会主義の目的は計画的に組織的に追究されるということであった。そ
して吾々は今まで一応彼のかかる前提を承認しながら議論を進めてきた。だが今やかかる前提そのものを検
討すべき機会に達した。フォルレンダーはエンゲルスが一八八八年においても尚
「人間はその歴史をつくる」
その内には「意識された意図、意欲された目的なくしては何ごとも起らぬ」と言っていることを以て自己の
所説に援用しているが試みにこの文句の引用された『ルドルフ・フォイエルバッハ』中の個所を調べてみよ
う。ここでエンゲルスは自然の歩みと社会の歴史を比較しながらとにかく右のような歴史と自然との相異を
認めているが、直ぐ語を継いでこう述べている「しかしこの区別は、たとえ歴史的研究特に個々の時代や出
来事のそれにとって大切であるとはいえ、次の事実を少しも変更するものではない、即ち歴史の運行もまた
かかわ
まれ
内部的な一般法則に依って支配されているのである。蓋しここでもまた表面に於いては、意識的に意欲され
た個々人の目的に拘らず、全体としては偶然が外見上支配している。意欲された目的の起るのは極めて稀で、
多くの場合には多数の意欲された目的が錯綜し相剋し合っている、でなければこれらの目的はもともと遂行
し得ないか目的が不十分かどちらかである。かくして無数の個々の意志と個々の行動の衝突は歴史の範囲に
於いて無意識の自然に行われているのと全く比類する状態をもち来す。……かくして歴史的出来事は全体と
223
して同様に偶然性に依って支配されている。しかし表面に於いて偶然が働いているところではそれは常に内
新興階級の哲学
224
部的に隠されたる法則に依り支配されている、そしてこの法則を見出すことが大切なのである。
」(マルクス
主義文庫、独逸版三巻五六頁をみよ【『フォイエルバッハ論』第四章】)更に一層明らかにエンゲルスは一八九四
年シュタルケンベルク宛のi手紙の中で言っている「人は自分で自らの歴史をつくってゆくが、それは今日に
至るまで無意識につくってゆくのであって、統一的な計画に従って一般的意志によってやるものではない。」
はそれを破って自己に適応した組織を作りだす。しかし生産関係の存在は必然に一定階級の存立と結びつい
覓る。生産力と主産関係との間の矛盾がこれである。一定の生産関係の器の中に盛り切れなくなった生産力
もとめ
意識的なる意欲は歴史の表面における偶然な波紋である。それはその奥に隠されたる一般的な法則に依っ
て支配されなければならぬ。マルクス主義はかかる一般的法則を先ず経済的なるものに見出さるる弁証法に
を望み得ない以上、やはりそれは一種のユートピア主義に堕せざるを得ないのであろう。 ——
では社会主義
社会の実現は何に依って招来さるるか。この事は右のエンゲルスからの引用に依って同時に教えられる。
な場合その拠りどころとなるのは既存の材料の外ないのであるから、そこから臨機応変な、変通自在な創造
もまた偶然という外はないのである。それに人間の想像力が如何に豊富でも未来に向って計画を樹てるよう
も社会に関する限りその通りの事態が発生することは極めて稀である。かかる事がよし出来たとしてもそれ
に拠れば社会主義の実現は決して組織的計画的に行われることは不可能である。如何に緻密な設計を描いて
これらの証拠はフォルレンダーの引用が如何に得手勝手なものであるかを教えるに十分である。エンゲルス
i
宛の手紙で
W. Borgius
版『マルエン全集』第39巻エンゲルス書簡集
DDR
書簡。
No.104
ている。従って生産力の爆発力は当然、既成階級に対する階級の反抗となって現れる。また一定階級の存立
これは
i
は常に必然に政治的権力の形に於いて保持さるるが故に階級の対抗は経済闘争から政治闘争に展開されて初
めて徹底する。かくて歴史上の弁証法的否定と飛躍によってのみ新社会は実現されるのである。
五
更にマルクス思想のカント化の傾向はそれの認識論化と結びついている。例えばマックス・アドラー【 Max
】に於いては既に一九〇四年に彼の主宰する『マルクス研究』
【 "Marx-Studien
】"は第一編をこの
Adler, 1873-1937
問題の考察に捧げている。この傾向は当時にあって精神科学や社会的、歴史的学問が自然科学とは別個の原
理と方法とを認識論的に求めつつあったかかる潮流に順応するもののようである。マルクスがヘーゲル形而
上学を離れた事実も彼が経験科学としての社会科学により実証的な方法を要求したからであるというように
解せられる。それかと言って彼が機械論的唯物論者でないことを強調して結局、マルクスの社会科学観も当
時の風潮に応じてかかる学問において目的の原理を認むるものと看做そうとする。もとカントに於いて認識
論は認識批判として展開された。アドラーはマルクスの『資本』が「経済学の批判」という副題をもってい
ることを以て、ここに用いられている「批判」はカントの意味におけるものであると断じている。認識批判
に対せられるものは形而上学である。宛も自己は無前提の立場にある如く考えて、カント的認識論者は形而
上学の独断を責めるのである。しかしここでは二つの事が見誤られている。第一カントに於ける批判が如何
なる意味であったかが理解されていない、批判における無前提と公平は当然前提すべきものを前提すること
225
を意味するに外ならない。それは批判する者の存在である。批判者は自己の存在を地盤としてその上に立っ
新興階級の哲学
226
て物を言う。それ故に批判に力を生ずるのである。言い換えれば相手方の地盤を覆すことが批判でなければ
ならぬ。そして社会的、歴史的情勢が批判者を要求する時に遅かれ早かれそれに十分に適応した個人を輩出
する。かかる個人が「偉大」なる批判者と呼ばれるのである。カントやマルクスもかかる個人の一人であっ
た。ところがいわゆる新カント論者はどうであろうか。彼等は自己の地盤に於いてでなしにカントの「偉大
さ」にすがって主張を行うのである。また客観的情勢の要求なしに行き当りばったりに「批判」を降すので
ある。それでは「批判」の意義が見喪われてしまう。第二に特にマルクスの見解を認識批判に限定しそれを
単なる科学論に化せしめることはその特質を故意に看過することと同じである。というのは今も述べた通り
批判は批判者と客観的情勢との交互作用の上に行わるるものとすればそれは過去に対する裁きと共に未来に
いえど
対する展望をもっていなければならない。即ち一定の世界観として出現するものでなければならぬ。認識論
と雖もかかる世界観の連関のもとで初めて実質的な意義を取得するのである。そしてマルクス思想は何より
もかかる全般的な世界観なのである。それ故にそこにおける「科学性」の強調が根柢にある世界観を隠蔽す
ることは無意味であり、有害であると言わねばならぬ。 ——
吾々はマルクス思想の認識論化については詳細
を他の機会に譲るとして、独逸社会民主主義の他の逸脱について語ろう。
六
独 逸 社 会 民 主 主 義 者 の 既 成 階 級 に 対 す る 妥 協 は、 宗 教 問 題 に 結 び つ い て 顕 著 に 示 さ れ る。 例 え ば 同 党
の 領 袖 で あ り 且 つ 新 カ ン ト 派 的 法 理 学 者・ 文 化 哲 学 者 で あ る と こ ろ の グ ス タ フ・ ラ ー ト ブ ル フ【 Gustav
】は「宗教と社会主義」に関して述べている「エルフルト綱領の有名な言葉に従えば宗
Radbruch,1878-1949
教は「私事」である。このことは宗教が国家の事項でも政党の事項でもないことを言おうとするものである。
しかし」と彼は続けている「社会主義はそれが宗教に対し、積極的にせよ消極的にせよ態度をとらないなら
ば世界観ではないであろう。それ故に社会主義の党が宗教を政治事項として観ることを拒むことは、また社
会 主 義 的 世 界 観 が 宗 教 と 交 渉 を も つ こ と を 断 念 す る こ と を 決 し て 意 味 す る の で は な い。
」ではラートブルフ
自身は如何なる態度をとろうとするのであるか。肯定か否定か?
「余は生きる而も何故かを知ら
彼は宗教が吾々の生活そのものに根ざしていることを説いて歌っている。
ぬ。余は死ぬ而も何時なるかを知らぬ。余は進みゆく而も何処へゆくかを知らぬ。いぶかしや余がかく楽し
きは。」彼に拠ればこの結局における愉悦こそ、この人生の肯定こそ宗教である、そこには神と彼岸、聖書
と信条告白、僧侶と教会とについて何らの予想をおかないでもよいと言うのである。かかる宗教のもとに於
いて人は初めて自然に向ってその内に囚われたるものという不安を以て対することなく、また文化と理想は
達すべからざるものとしてではなく、生来の本分として、あらゆる瞬間に喜びの種となる仕事と化する。
「か
くて宗教こそ生きゆくことを可能にするまさに当のものである、それ故に如何に意識されずともあらゆる生
活に宗教は内在している。即ち何人かが生きているということは宗教が彼の内にあるということを証明して
)
いる。」(「社会主義の文化教説」二版五七頁以下をみよ【 ラートブルフ著作集第8巻(東京大学出版会)収録】
227
ところがさすがにプロレタリアートにこの「生の愉悦を強いることは気がとがめるのか、こう附け加えら
れている。「プロレタリアートの内に意識的な、自覚的に告白される宗教が生きることが尠いとしても、こ
新興階級の哲学
228
の事は困窮の過大がかの「結局における生の肯定」に突き進むことを不可能ならしめるということではなく、
寧ろ外面的な困窮が内面的な苦悩 ——
常に宗教への衝因の中で最も強力であった罪の意識と救済の欲望 ——
を少しも発言せしめないことに帰せしめらるべきである。プロレタリアにおける様にしかく甚だしく社会か
ら凌辱されている者に於いては、彼は社会の余りに強大な罪過の故に、また自らの人間に生得の罪性を感じ
ることができない、彼は自ら罪ありとは感ぜず、自らを他人の罪の犠牲とのみ思う、彼は自己が当然不正に
抗して戦を挑むべきものと考え、恩寵の前に謙遜であろうとはしない。宗教の時は、不正と貧困が取り去ら
れかくて自らの魂への途がプロレタリアにも平坦になったときに初めて来たのである。
」(前掲書六三頁をみ
よ)
そしてラートブルフにとってはかかるプロレタリアートと宗教とに恵まれたる時は社会民主主義革命が独
逸に成功したときに到来したもののようである。その証拠には一九二〇年の同党のプログラムはまさに右の
ラートブルフの宗教に対する見解を採用しているのである。即ち言う「労働者階級の中に共通の世界観が、
さけ
新たな宗教性が発生しつつあることは、敏感な耳ならば聴きのがすことはできぬ。世俗の学校の為の闘争に
於いて屡々聴かれるような、教会とその牧師に反対する声高き号びの内にこそまさに宗教に対する痛く失望
かの世俗に忠実なそして
させられた憧れを明らかに聴取され得るのである。而も単なる憧れに止らない ——
この世を楽しむ宗教性そのものがその基本に於いて既に認め得るのである。
まさに唯物史観に基いて吾々は、
高揚しつつあるプロレタリアートが一つの文化的、宗教的『上部建築』を自らの上に据えおくであろうこと
を、期待しなければならないのだ。宗教は私事である ——
ということは宗教が国家の関する事柄でないとい
う意味では正しいであろう、だが宗教が個人の事柄で、社会の、全労働者階級の事柄でないという意味では
確かに正しくない。かかる意味に於いて宗教を私事化することは、社会主義の本質を成すところの、経済と
そして精神の社会化に対して鋭く矛盾することになろう。
」
七
吾々は先ず「不正と困窮とが取り去られプロレタリアートにとっても自己の魂への道が拓れた」とラート
ブルフが解するその時期について異存がある。プロレタリアートのために天下を取ったと称する社会民主党 i
の治下における独逸の現状はどうであるか。益々高められつつある金融資本主義的統制、国民経済を挙げて
のアメリカ資本主義への隷属、そして左翼運動の弾圧、また最近における二百万の失業者、どれもこれも資
本主義国の矛盾をさらけ出していないものはないのである。おまけに社会民主党は議会において独り立ちが
できないのである。ファシスト党と地主・資本家の党、宗教家の党、そして共産党との間に伍してどれかと
妥協せねばならぬ位置にあるのである。この時この党がカトリックの党たる中央党に媚を売っても不思議で
はないのである。だが理論と党是がそうさせたのではなく、党の政略が理論を要求したのである。それも全
プロレタリアートの擁護のためにならよい、しかし中間的な一政派の権勢のために。かくてラートブルフの
へんえき
次の言葉も肯かれるのである「教会もまた、そしてカトリック教会は福音教会よりも一層多く、経済と世界
観との変易に対し大なる順応力と包容力とを示したのである。そこで今度は旧き教会の廃虚の側に新しい建
229
底本では「社会民衆党」。世界大戦の敗北で帝国が崩壊した時、共和国ドイツの主流政党となったが、安定多数ではない。
新興階級の哲学
i
i
築を設ける決心をなす以前に、旧き建物を新しき精神のために占有する試みがなされねばならぬ。
」
230
吾々は文化哲学者としてのラートブルフがイデオロギー問題の一つとして宗教を取り出すことに同情がも
てる。従来の哲学者らが単に価値の体系問題として解決しようとした事柄を、マルクス的社会学は上部建築
くつがえ
まし
としての社会意識形態の問題として処理しようとする。そしてこの種の研究は未だ論議すべき多くの事項を
余しているからである。しかしブルジョア的基礎構造が徹底的に覆されず、况てプロレタリア的基礎工事の
完成されない前に、かかる建築の装飾ともなるべきような宗教の性質について積極的に語ることは価値につ
せんめい
いて、而も哲学者も嫌う価値の内容について言及すると等しいのであろう。吾々は宗教について語るとき既
成宗教が如何に時々の経済的基礎構造と関連しているかを闡明すればよいのである。事実ラートブルフが「結
局における人生の肯定」を以て宗教と解する時、彼は本来のマルクス的立場を離れている。即ち宗教の社会
性と歴史性、つまりは階級性は忘却されて常に変らざる人間に生得なる宗教性が考えられているのではない
か。かかる立場から政策論としての宗教が論じられることは危険である。果して「精神の社会化」プロレタ
ぼうかん
リアートの新宗教の樹立の代りに、カトリック教の党との野合という政略のための弁解と詭弁に終ったので
ある。
八
間の俗説に援助を与える惧れがある。彼は「深い宗教性と純性な社会
もう一つラートブルフの宗教論は坊
主義」とが結合し得ることの証拠としてローザ・ルクセンブルク【 Rosa Luxemburg, 1871-1919
】の獄中の手
紙の一節や現英国首相マクドナルド夫人が生前最後に日記に書入れていたという言葉「私の社会主義は全く
私の宗教から生れている」を首相の思い出の詞と共に引用している。昔から例えばルイ・ブランは「無宗教
も宗教だ」と言ったし、また詭弁を弄ぶ者はアティズムス【 Atheismus
】は即ちティズムスを否定するもの
はんかつう
に外ならないで宗教一般に反対するのではないなどと主張する。しかし特にわが国の半可通の知識階級など
の間に能く口にされるところの「社会主義は一種の宗教だ」との主張はかかる理屈よりも寧ろ宗教に冷淡な、
それを単なる死者に対する儀礼とのみ解し、僧侶に対しては一種の軽蔑をさえ懐いているところのこの国の
一般的慣習と気風とに負っておるもののようである。というのは人々は主義者の鉄の如き志操と一本気とを
僧侶片気や殉教者の馬鹿々々しい熱情と同一視することによって自らの賢明さを誇り、異常なる精神の所有
者の為すことに顧慮することはないと安心するのである。なおわが国ではとにかく信教の自由、宗教は私事
という思想が右の無関心と融合しているが故に宛も物好きで主義が信奉されると考えられるのである。かか
る事情の下で少しでも宗教的感情と主義への確信とを混同するような言質を供することは誤解を招く所以で
ある。もちろん、個人心理上の状態に於いて彼とは或は共通点をもっていないとは言えまい。しかし宗教に
とってこそかかる個人の心情は百パーセントに重要であろうが主義にとって何ら関係がないのである。吾々
は既に歴史的社会的な客観的情勢が如何にそれに順応する個人を生みだすかをみた。同様に個人の熱情もそ
こに縁由して初めて力を発揮するのである。マクドナルド夫人マガレットは最後の日記に「私の社会主義は
全く私の宗教から生れたのです」と誌しているそうだが、それは夫人の主観的解説である。第三者からみれ
231
ば彼女の宗教は現代英国の社会状況が生みだしたと言う外はないのである。ラートブルフにしても彼の言う
新興階級の哲学
ちゃくちゃく
232
如く「精神の社会化」の上に新宗教を樹立しようというのなら弱々しい感傷的な女たちの泣きごとに耳をか
さなくてもよいはずではないか。
九
独逸社会民主主義が右の通り宗教とその党に歓を通じておるときソビエトでは 著 々 既成宗教の駆逐が実
行されつつある。幾多の教会が閉鎖されて或は工場に改変されたり、講堂、図書館、社交クラブ、映画、ラ
ジオなどの社会主義的文化機関として利用されつつある。特に興味深いことにはかかる運動が漸次農村に拡
大されつつあることが報ぜられている。報道者はこの事実を証明して、農耕作業と農事経済が漸次社会化さ
れ、新しい技術と指導精神を適用することによって農民が完全に自然の原生的諸力に打ち克ったがために被
圧迫観を取り去られ遂に宗教の害毒から解放されるに至ったのだと言っている。 ——
この事は吾々に新興階
級の哲学に対してまた新しい一つの問題を提供するように思える。というのはプロレタリアートの指導の下
に集合化された農耕を通じて新たな自然の征服が可能になるということは、もと等しく自然を文化のために
克服する目的を以て生れたブルジョア自然科学に対して、それとは別個な原理と方法とを具えたプロレタリ
ア自然科学の興起を予想せしめるからである。このときリャザノフが新たに編した自然弁証法に関するエン
ゲルスの遺稿の上梓は問題を一層自覚的ならしめた。弁証法と自然科学に関してのソビエトにおける弁証法
はま
論者と機械論固持者との数年に亘る論争はこの問題の重大さを語っている。プロレタリアの原理が農民にも
当て嵌り得るか否かが今やソビエトの試練となっているように、社会的存在と学問の原理として動かすこと
のできぬ弁証法が自然にも拡大され得るや否やはマルクス思想の試金石となりつつある。
十
以上それ自ら弁証法的存在である
かくて吾々はプロレタリア階級が現代社会の矛盾の必然的生産物である
りょうとく
ことを知る。この階級は自らのかかる特質を武器としてあらゆる分野を領得しないでは已まない。このよう
な意味の弁証法こそ彼の存在であると共に彼の総世界観の根源である。ではなぜ吾々はこの中心問題たる弁
証法そのものについて説き及ぼさなかったか。 ——
蓋し弁証法は否定と対抗の原理である。だから否定され
対抗さるべき何ものもないところでは力を消失する。従って自己と相容れざるものとの闘争の内にのみ自ら
を顕にする。そこで新興階級の哲学は、在来の哲学のように固定した永遠の問題をもっていない。言わば哲
学の前に上程さるべき議事は客観的情勢に応じて変更される。ただその解決は、ブルジョア政党の議会にお
けるように御都合主義でなされるのではなく全プロレタリア階級の存在と実践との関連のもとに妥協なしで
233
決裁される。その日その日の切迫せる議題を、プラグマティズムに陥ることなく、人類の未来と全体とへの
一
—九三〇・六・下旬 —
係りを以て、処理し得る実践力こそ新興階級の哲学の何よりの特質である。
底本 『:経済往来』 1930.8
新興階級の哲学
官学教授マルクシスト
そもそも
磯谷市郎
234
いわゆる赤い教授達が官学から私学から放逐されたのは数年以前であるが、それで彼らが根絶やしになっ
たというのではない。網をもれた者、その後新しく志をついだと思われる名が世間にも顔をだしてきた。彼
らの本体は抑々何なのか。
マルクシズムを
ある論者は、官学の教授という地位が一個の官吏であることから、現存国家の機構をもつ i こめびつ
奉ずることは、そのまま矛盾であると主張する。即ち国家からの俸給で飯をたべている間はその米櫃を批判
と揶揄した。i
することは許されないと言うのだ。この論者は河上博士が辞めたとき、「まさか恩給を当てにしてはいまい」
i
な
た。もちろん「鹽を嘗めても」という気概を有し、持参金と結婚して自ら金持ちの装飾に甘んじようとする
しお
であり恩恵者であるとは映じなかった。俸給、官等の如きは制度から自然に流れだす副産物に外ならなかっ
は雇傭者であってはならなかった。大学当局の首能者はもとより文部省の役人さえ彼らには生活上の補償者
しかし昨日までの官立大学研究室はあらゆる自由思想発生の温床であるかの如き外観を呈していた。月給
取りとしての生活に耐え得ない者にとって避難場を提供するようにみえた。研究室への志望者に対して国家
ii
底本のママ、「機構をもって」の脱字か。
年、左傾教授追放を受けた京都帝大経済学部教授会の辞職要求を、河上肇は受け入れて、辞職した。
1928
i i
i
かっ
ような根性はもっていなかった。そんなことは大学が彼らを逐いだし始めてからの話だ。
て、独逸における講壇社会主義の帰結と思われる社会政策学会のi結成はこの国にも移されて一切合財の
嘗
自由思想家を包容した。しかしこの結合はやがて来る分解の素地でしかなかった。一体、社会政策なるもの
の要求は社会的矛盾とi危機とを法律と制度を通じて未然に防ぎ、あわよくば社会の運行を何らかの理想を指
すよう統制しようというに外なるまい。だが現実に少しも社会的葛藤が表れないのにその対策だけがあるこ
i
年結成、翌年命名、一時片山潜なども入るが 1924
年休眠に入る。ドイツでは
1896
底本では「盾矛」
底本のママ、「盾」となる「板」か、あるいは「看板」の誤字とも見うる。
年から。
1872
235
しかし理論と実践とをよく結合し得るものはマルクシズムを措いて他になかったのである。適者生存は思
社会政策に取って代って自らの旗を掲げたものは勿論マルクシズムだけではない。アナーキーがある、ギ
ルド社会主義、国家社会主義があり、新自由主義、文化主義がある。
ルクシズムであったのである。
上げねばならぬところのものである。そのためには容器が変えられねばならぬ。此如き新しき皮ぶくろがマ
の下に無秩序に包容されそれ故に忽ち解体したところの諸要素は実のところ一定の秩序に於いて全体を作り
たちま
しくは空論家、そして社会哲学者などの層が分明になったしても不思議ではない。けれども社会政策の盾板 i
名とする学会中に、組合の指導に馳せる分子、無産政党の組織に狂奔する者、御用調査員、単なる理論家も
長的な社会的情勢から上は哲学的世界観に至るまでの取りどりな要素のコクテルなのである。だからそれを
とは無意味なのだから、そこには政策を促すだけの形勢が存すべきである。かくして社会政策は下は自然生
ii
官学教授マルクシスト
i i i
i i
i
iii
想について も 真 で あ る 。
アンジッヒ
アンウントフュルジッヒ
236
ヘーゲルの口振に倣うならば、社会政策が即自の態で含んでいたものを 即 而 対 自 の態に具体化したのが
あきた
マルクシズムであると言えよう。そうであるとすれば、既存の世態に慊らず清新な真理を求めて研究室に入っ
た若き学徒らがマルクシストとして登場したのは無理ではなかろう。
なげう
だが彼らは自らの立場に全く矛眉を感じないか。感じないどころか彼らこそ今日最も肩に十字架の重みを
覚えつつあ る の だ 。
ち、他
ある者は耐えかねて何らかの行動団体に参加し象牙の塔を出た。ある者は徹底した言論に地位を抛
の者は学生を行動にまで駆りたてて教壇から退けられた。
インクィジション
しかし性格的にか、深慮からか、かかる動勢に出られない者は、マルクス・レーニンの像を仰いで日夜身
を細らしつつあるのである。
マルクシズムは真理である。
異端審問
】と放逐とが恐ろしいので
だが如何に自分がこれの実現に参加したらよいか信条裁判【 inquisition
はない。野放しにされてどうするかが問題だ。組合の指導者、否書記でもよい、政党の執行委員、否下っぱ
けれどもそうした天賦を欠いているとしたら?と言って溢れているジャーナリストの中で頭角
でもよい ——
をだすだけの筆力もないとしたら?
こうした煩悶の結果はやはり研究室の書物が唯一の慰安になるのだ。昔日の如く学生の行動をさえ指導で
き ず、 ス パ イ に 脅 さ れ て 景 気 の よ い 講 義 も 出 来 ず 日 々 蒼 白 に 化 し ゆ く 存 在 こ そ 官 学 教 授 マ ル ク シ ス ト な の
237
だ。 ——
あらゆる組織と隔絶されながらも、黙々と講義を聴く学生がいる!彼らこそ教授マルクシストにとっ
て無二の相手だ。蓋し学生は真理を求めているのだから。
(一九三一・一・六)
〔付記〕 執筆者は匿名。
【この付記は底本にある。
】
底本 『:法律春秋』 1931.2
官学教授マルクシスト
人文主義教育の限界
一
238
わが国には、教育上の最高原則について、西洋におけるような伝統的分裂はない、とも考え得よう。世界
各国の帝国主義的重圧に促され刺戟された明治維新以後の学校教育は、
主として国民主義の上に建っていた。
条約改正の素地を造るための法制の整備の必要は、さしあたり法律智識に通じた官吏の養成を、教育の目標
たらしめた。学校は国策遂行者の直接なる養成所となった。勿論これと並行してブルジョア自由主義を標榜
しまたそれに同化さるべき教育機関が、或いは民間に(例えば慶応義塾)或いは政府の臨時的施設(例えば
かえ
東京高等商業のi前身たる商法講習所)の中から芽生えつつあった。然しこれとて国民主義の軌道を脱してい
たのではない。初めは別動隊として国策の遂行を援け、或いはかかる名目の下に自己の力を伸張させ、後に
僅に先輩の社会に占める分野と従って就職の色分けが、他の官僚系の公私の学校と区別あらしめるだけだ。
その系統に属するものについてみても、決してかかる方針の下に学生の教育が進められているわけではない。
主義的国民原理の下に、窒息させられた。現今に於いて、かかる伝統をもつと考えられる前記の諸学校及び
理として意識されず、また多少かかる自覚があった場合でも、それが十分に拡充される以前に、新しい帝国
では存立し得ないことを知れば当然である。だからブルジョア自由主義は、国民主義と独立な一つの教育原
は却って為政者の方針を左右する地位にまで成上った。これは現代の国民主義が資本主義的実質を具えない
i
本多の卒業し勤務した東京商業大学の前身、のち現在の一橋大学となる。
i
二
こういうわけで、わが国における教育方針の争いは、国民主義を大前提としてその範囲内での、言わば個
人的な抱負、見識、趣味の問題でしかない。この意味で、西洋におけるように、宗教的・神学的、人文主義
びまん
的、更に国民主義的・功利的・技術的、といったような相対峙する潮流の渦動は激烈ではない。ところが、
国民主義的意識が余りに当然なこととして瀰漫した結果は、何か特に刺戟するような事態の発生しない限り
は、却ってかかる目標は意識下に押しやられ、その副次的な随伴現象が専ら注目されることになる。ここに
於いて教育は職業の補導、技術の伝授を旨とすることとなった。就職と学校とが離すことの出来ぬ関係に於
およ
いて考えられるようになったのもその結果である。こうなると、反動が起らざるを得ない。ここに人文主義
と名づけようと思う傾向はその旗頭たるものである。
三
あた
西洋における人文主義は、その起原を全面的な文化運動の中にもっている。いわゆる文芸復興の精神は凡
そどの人文主義運動もの母胎である。これが夫々の国に伝承して各々の特色を取得したのであるが、わけて
もドイツに於いては前世紀の初頭に方ってゲーテやフンボルトに依って、精神運動の新しい指標として持ち
なかんずく
だされ、無知な王侯や、卑俗な官僚に対抗し、青年の教化に役立った。人文主義は素々、ギリシャ・ローマ
239
の古典の復活、その学習を通じて古えの精神をわがものとすることを志す。就中、古代ギリシャの学芸と生
人文主義教育の限界
あなぐ
240
活はその理想であった。ところが、古典と古代への憧れは一般に歴史的研究の興味を喚び起し、遂には人文
主義と言えば、文献学を含めた意味での言語学、ひとり古代研究に限らず却って自国民の淵源を索る歴史研
究を連想さ せ る に 至 っ た 。
四
本居宣長】などのいわゆる古典精神
さてこういう意味の人文主義的伝統はわが国には欠けている。本居【
の復興をこれに比するのは必ずしも当らない。蓋し前者は国民主義に対抗するものとしてではなしに、寧ろ
それへの文化的支持として意義があるのであるから。又、儒教や仏教も遂に現代にまで生命をもつような人
間教化の原理を遺していないように思われる。ここに於いて、現今、教育者の中から職業教育に対抗して、
人文主義という語をきくとすれば西洋におけるものの、それも卑俗化されたそれの模倣でしかないのであろ
う。而かも国民主義と調子を合すべくわが古典の研究、国史の尊重、東洋古典の愛護という方向をとって現
これにはんし
れる。然しかかる傾向は、結局に於いて、国民主義の反動的な側面のイデオロギーであるに過ぎず、間接に
国民主義が最早、使命を果し今や守勢に転じつつあることを示すものに過ぎぬ。反之、稍々進歩的な人文主
義の理念は、いわゆる「全人」の思想であろう。素々かの西洋における人文主義の理想を、古代とか古典と
かいう観念から抽象してみれば、人間に精神上、肉体上、与えられた素質と能力とを、過不足なく円満に発
展させ、智情意のいずれにも偏しない、また思索と行動とに共に秀れた人間を作ることにある。ゲーテがそ
のような人間の手本として屡々挙げられる。私が特に此処に問題にしようというのは、この意味における人
文主義であ る 。
五
あたか
へんぱ
も純粋なる教育そのものの永遠なる理想であるかの如くに唱導され
わが国でも、この種の人文主義は、宛
た。教育は元来、何らかの眼先の利害に奉仕するものであってはならない。人間を陶冶するもの、時ととも
に造り上げることでなくてはならない。それには狭隘な目的意識に則って人間を偏頗ならしめるよりも、出
来るだけ外からの束縛を少くして、自由に天賦の素質と才能を伸ばさせるように仕向けねばならぬ、ただそ
の際動々もiすれば放恣に流れ却って正常な発達を阻碍する傾向を矯め、素直な育成を助けるのが教育の任務
と考えられる。かくして、人文主義教育は各種の自由主義教育として発現した。この方針は当時のデモクラ
「動々」は「稍々」の誤植か。
から
学生が『実業の日本』【 1897
241
まで続く】を読む前に、
『改造』を手にするようになり、音楽会、展覧
2000
に抗して、知識の諸分野の有機的統一をもたらすに貢献したことも争われない。卑近な例をとってみても、
言ってよかろう。更には学内にあって往々にして専門の研究に孤立し、幾多の片輪な専門家を輩出する傾向
高尚にした。如何なる職につく者にも彼の人生における地位を自覚させ生き甲斐あらしめるようにした、と
たことを否もうとは思わない。それは何よりも職業生活以上の人生の価値を示すことに依って前者を浄化し
由主義原理は進歩的外見を粧う教育者を捉えている。私はこの意味の人文主義教育が幾多の効果をもたらし
シーの運動とも結びついて、受育者の側からも歓迎されたようにみえた。今尚、多かれ少かれ、この種の自
i
人文主義教育の限界
i
たいせい
242
会を訪れないでは教養がないということになった。泰西名画【 西洋名画】の写真や、名曲のレコードを集拾
そうせい
することが、どんなに流行したか!そしてこの傾向は今日では文学の異常な隆盛、映画の熱愛、素人劇団の
簇生、スポーツ狂、マージャンその他の娯楽への惑溺、エロ・グロ趣味、というデカダン的形態と化するに
至った。今日のおしなべての学生と二十年前のそれとを比べるならば、恐らく「教養」の点に於いて、雲泥
の差を示すであろう。前者は、早い話が、楽譜を手にすれば二、三度口ずさむ内に直ちに声に出して歌うこ
とができる。文学や美術や音楽や劇のテクニクに就いて、古今東西の情に就いて一応の心得のない者は少な
い。確かに個人的教養に於いて、人文主義教育は、水準を高めたと言ってよい。
六
0
0
0
それにも拘らず、現今の教育はこの人文主義の故に悩んでいる。吾々は人文主義が日常の職業以上の人生
における価値を掲げることによって人々の生活を高尚ならしめたと言った。それは確かである。然るにかか
る安心は一時的のものでしかなかった。よしかかる普遍的な価値があるとしても、それを今ここの教育態度
に当て嵌めたらどうなるか、これが問題である。論理的構造としてかかる価値の存在は解るとしても、これ
を現実の場合々々に引き直した時、如何なる指導力を発揮できるか。
「全人」という目標は立派であるが、
どの個人にもそこへ到達し得る可能的な素質が伏在するのか。いわゆる個性を伸ばすという方針で、そこへ
たっと
くち
行き着き得るのか。一時はこの事が肯定され信仰されたようである。誰れも彼れも宛もゲーテのような天才
として取扱われた。そして自らもそうであるように振舞った。稚拙が尚ばれ、一人で百般の文化に啄を容れ
る。悪く言えば噛るということが偉くみえた。然しその結果はどうなったか。確かに気の利いた、話題の豊
富な、物の解った人物を産んだに相違ない。彼らは、然し、あらゆるものを包容したけれど、結局何も掴ま
なかったのである。彼らは何ものをも享受し同化する能力を養成されたが、何ものかを創造する力は遂に作
りだされないで終ったようである。これは現実には彼らが消費することを知って、生産することを知らぬ人
間であることに依って証拠だてられる。「全人」の理想は、享受と消費のそれであって、創造と生産のそれ
であることは出来ない。後者であるためには、それは余りに茫漠とし過ぎている。人は「全人」としてでは
なく却って「個人」としてこそ創造することができる。この種の人文主義教育は「気分教育」と呼ばれたと
いうが、この名称は何よりもその正体を示していると思う。
七
なお悪いことには、人文主義は教育を物質的環境から抽象している。人間の素質と能力が素々それを周る
自然的、社会的境遇との交互関係に於いて発達しまた萎縮するものであることを看過している。もし一度こ
のような条件を入れて考えるならば、誰でもがそのいわゆる天賦の才能を歪みなく発揮できるような恵まれ
た状態におかれていないことは、直ぐに理解できるであろう。ましてかの「教養」などというものは贅沢の
一種でしかない。否、教育そのものさえがそうであるとさえ見られよう。西洋における人文主義の発達は所
有階級としてのブルジョアジーの興起と軌道を一にしている。教養は物質的財と共にブルジョアジーの特権
243
であったのである。今までは、家柄と僧門とが生れながらの優越権を保持したが、今や富と学問とを所持す
人文主義教育の限界
るものが社会の実権を握ることになった。
244
ブルジョアジーの徳となすところは、経済的勤労と人文主義的な研究とである。それの人格と考えるとこ
ろのものは 個 人 の 独 自 性
である。この言葉は私有財産 Eigentum
と語根を等しくしている。
Eigentümlichkeit
こうしてみると、人文主義は素々近代ブルジョアジーのイデオロギーとして発生したものである。勿論後で
、隠遁的な独善主義と化
はロマンティクやその反動的傾向と結びついて、文学的なニイリズム【 ニヒリズム】
した。しかしそれは堕落形態でしかない。
八
さて物質的富におけるプロレタリアートはまた同時に精神的富に於いても同じ運命にある。この階級に
とっては富の消費に就いて考えることが無駄であると等しく、
「教養」に就いて語ることも無縁である。今
日の社会機構に於いて、物質的対価の給付なくして、わがものとなし得るような教養は一つもない。ここに
於いて教養を原理とする人文主義教育をこの階級に対しても貫徹することは、自らの階級要求に無関係な方
針を無理強いすることでなくてはならぬ。
いやしく
この階級は精神の充実を欲する以前に、物質的基礎の安定を望んでいる。この要求に対しては再び新しい
見地の下に生かされた技術的教育が課せられねばならないであろう。わが国に初めて商業教育の興った時、
当時の父兄は苟も武士の子を丸腰にし前掛けをしめさせ算盤を弾かせることに異議を唱えたそうである。而
も当時の教育当事者はこうした実習的方針を飽くまで遂行した。この精神はやがて日本における大企業家を
生む所以ではなかったろうか。
吾々は今の時代に再び新しい階級的技術の習得のために、このような実践的教育原理が先行されることを
期待しないではいられない。吾々はブルジョア教育原理たる人文主義がその使命を果して今や堕落形態に
陥ったことを知った。これを救う途も一つにここにあると思う。現今、学生を肉体的に動かすものは、記録
突破と勝利の駈引に専心したスポーツと国民主義的な軍教とだけである。スポーツは、宗教が精神上の阿片
である如く、肉体上の陶酔剤だと言われている。
シラーは、遊戯こそ人間自由の赤裸々な姿である、と説いたが、この語句は人文主義の長短を端的に示し
ている。人文主義はその教養が主として芸術に限られていたように、要するに審美的な世界観に根ざしてい
る。芸術作品が個性的種々相の下における完結態と考えられる如く、人文主義の説く人格は個性的な「全人」
なのである。個性が自ら生長する如く思われるのもその故である。かくてスポーツも肉体の訓練ではなくし
て、肉体の 見 世 物 で あ る 。
ころう
軍教はこれに反して、確かに訓練である。人文主義の放恣を矯制するものは今の状態に於いてこれを除い
て外にない。然しこれは悪しき意味の国民主義をそのイデオロギーとして有っている。訓練の指導精神が如
何にも固陋で浅薄である。人文主義に洗練された者には到底受け取ることが出来ない。学問と芸術への惑溺
から救わるべき教育は新しい規律と訓練とを恢復する必要がある。しかしそれは軍教的精神であることは出
来ない。
245
それは先ずプロレタリアートの物質的基礎を固むべき経済的政治的企画に参与することに依って、そこか
人文主義教育の限界
246
ら放射さるべき技術的分化の秩序に従って統制されねばならぬ。例えばソビエト・ロシアに於いて、あらゆ
る社会的行動と等しく、教育もまた五ケ年計画という社会主義経済の基礎事に奉仕する有様は吾々にとって
この上ない参考となろう。教養は何人もそれへの機会が与えられるとき初めて教育の原理たり得るであろう。
一九三一年十月
—
—
各人が個人のままで「全人」になる前にあるいはその代りに万人が相寄って「全人」を構成するのでなくて
はならぬ。
底本 『:法律春秋』 1931.11
一九三一年わが哲学界を回顧して
ま
一九三一年のわが哲学界は決して活気に満ちていたとは言われない。ただこの年に相当したヘーゲル百年
かかわ
記念が外観を華々しくみせた。而もこれとてもジャーナリズムの後援にも拘らず実質的収穫は案外貧しかっ
たと思う。蓋し若い時代から何ら新しい、未来への展望をもつヘーゲル解釈を聴かなかったし、況して時代
と並行したヘーゲル批判の如きものは皆無だった。いわゆるヘーゲル復興の動機の一つがマルクシズムの擡
頭の中にあると思われるのに、この方面から殆んど何らの寄与が成されないのは意外とし遺憾とするところ
がある。
ヘーゲル記念にみるを得なかった新興哲学の発展は、寧ろ哲学の社会学化、もしくは社会学の哲学化の方
向に於いて窺い得よう。この年にイデオロギーに関する研究が発表されること多かったのはその顕著な徴候
である。由来、唯物史観は純粋なる「史観」として、また歴史哲学としてみられると同時に、社会学として、
更に世界観・人世観として考え得る。従来は主として第一の意味に受け取られまた究められてきた。ところ
が今や関心は第二、第三の域に及びつつあると思う。即ちマルクス的社会学の中心問題がイデオロギー論な
あたか
のである。ところがマルクシズムは世界観として特殊の形而上学をもたねばならぬ。エンゲルスの自然弁証
法の試みは、恰もこの要求に応ずるもののようである。しかしそこには未だ幾多の問題が余されている。最
247
価値論】を必要とする。それは単な
後にマルクシズムは実践の理論として特殊のアキシオロギー【 Axiologie
一九三一年わが哲学界を回顧して
248
る決定論に甘んずるを得ない。この点に於いて人間学や実存弁証法の研究は参考とするに足ろう。今後、哲
学の関心は当然これらの方向に伸びるであろう。
ここに固有名詞を挙げることが許されるならば、私は、こういう意味で、田邊元博士が「人間学の立場」
( 理想、二十七号【 田辺全集第四巻】
)及び「ヘーゲル哲学と絶対弁証法」
( 思想、百十三号【 田辺全集第三巻】
)に
於いて示された業績に甚だ興味を感ずる者である。博士は春以来の論文によって、観念弁証法と唯物弁証法
とを共に超えた即物弁証法のイデーに到達され、秋には更に即物弁証法の理解を深めて、ヘーゲルにおける
観想的態度を排し積極的に道徳的・宗教的実践の契機を取り容れ、遂に博士のいわゆる絶対弁証法を提唱さ
れるに至っている。のみならず、博士の道徳的・宗教的実践の可能なるために、哲学の中に再び身体性の問
題が引き入れられねばならぬとして、ここに「人間学の立場」の重要性を認知される。博士の論文は、いつ
もながら規模の雄大と論理の精緻を以て吾らを魅するに十分である。それにも拘らず、吾々は吾々が年来、
博士から御教示を待っていた丁度その点が、博士によって看過されているように思われるのである。それは
実践の解釈に懸っている。試みに博士のこの点に関する言葉を二、三引用してみよう。
「……真の社会的実践は弁証法的唯物論者の考える如く、歴史的必然の法則に自覚的に従うことのみに由って成
立するのではない。此法則の指定する可能性の範囲に於いて、個々の人格が自己と全体との関聯の目的論的必然
性を反省し、道徳的自由行為に於いて自己を働かせることに成立するのである。」
(理想、前掲二十五頁)
「身体は観想的に物質として観ることを許さざる所に其固有なる性格を有つ。即ちそれは個体としての我の限定
そしてかゝる実践と身体との関連はこうである。
の原理であると同時に、其活動に由って個体が全体に帰入する媒介である。……それは……常に我の存在の基底
であり、我の行為の素質であり、而して我が共同体を通じて超越的全体に復帰する媒介である。
」(前掲、三〇頁)
「……我々の如く人間の全体に於ける弁証法的存在を初めから人間存在の本質とし、而してその弁証法的存在の
では共同体と身体とはどう連なるか。
媒介として身体を認め、器具乃至生産機械を身体の延長として了解するならば、全体的共同社会を生産組織が階
級に分裂せしむることは、恰も身体の部分的肥大が生の統一を破る如く非定常態として揚棄せらるべきものと解
せられ、歴史の進行が全体の実現という方向を道徳に由って追及すべき所以を示す……」(前掲二六頁)
「実践即ち道徳的意志行為に於いては、一方に於いて意志は飽くまで現実に規定せられ、自然的なる生命の衝動を、
最後に締括りとなるべき立言を「思想」の論文に求めよう。
社会的に規定せられたる物質支配の方法に於いて満足せんことを求めると同時に、他方に於いては意志は此自然
的社会的両面の規定を却って自己の自由なる活動の素地とし、現実に由って規定せられながら現実そのものの動
ちな
く方向を自己の活動の可能に対する地盤とし、それ自身の本質としての全体的イデーに従って自由に現実を変化
せんとするのである。
」
(十六頁)
博士の全面的な思想を検討するのは今その場所ではない。私はここに引用した個所に因んで一、二の疑問
を述べて見 た い 。
249
博士は身体性の重んずべきを強調し、その際、身体は自然あるいは物質として看られるのではなく、逆に
なぞら
後者こそ身体に擬えて理解さるべきことを勧められる。そして身体の本質は、個体と全体との媒介性に求め
一九三一年わが哲学界を回顧して
250
られる。しかし、博士がここに取り出されているのは飽くまで身体「性」であって、現実なる身体ではない
ようである。即ち身体のイデーであって血の通った肉体ではないようである。勿論、後者は生理学の対象で
いえど
あり、哲学はこれをイデーの面へ投射して取扱わなければならぬこと、かくしてみれば却って肉体の方が抽
象であると観られ得るであろうことを、私と雖も知っている。しかし、博士が身体と謂われるものの中には
既に、物質としての肉体とそれを活動の舞台とする意志という如き両面の要素が含まれているように思う。
ま
あたか
この両契機が有機的に結合せるところに身体の重要さも存するのであろうけれども、両者の関係は、博士の
主張せられるように、然く調和的であるであろうか。況して博士の如く宛も身体は意志発動の旋条としての
み作用し得るのであろうか。吾々は一定の可能範囲の身長、体重、生理組織を与えられていると等しく、宿
命的限定はいわゆる心理の中にさえ及んでいる、性格と称せられるものがそれである。勿論それらの奥に、
かゝる規定から自由な意志という如きものを認められないことはないが、その意志の統御力、発動力の可能
なる程度は性格的に予定されていると考える外はない。吾々の絶えざる過失と悔恨とはこゝに由来している
のであろう。この身体そのものの内部における生きた二つの原理の葛藤はどう考えてよいのであろうか。こゝ
に意志の弁証法を以て解き得ない何ものかが潜んでいるのではなかろうか。私が身体「性」に於いてでなく
身体そのものに於いて人間学の課題が解かるべきではないかと考える理由の第一である。分裂と統一の矛盾
は既に身体そのものの中に実感される。そしてそれは必ずしも両者の綜合という方向をとって現れない。
け結局に於いて征服さるべきものに止ると考える
第二に、博士の如く身体が単に道徳的・宗教的実践をし援
ま
べきであるならば、唯物史観の問題の大半は消失して了うであろう。後の立場からすれば身体は寧ろ外界自
然への働きかけ即ち生産の用具として理解されるであろう。
「器具乃至は生産機械が身体の延長として了解」
されるのではなく、却って身体が器具乃至生産機械に擬えて理解せられるのであろう。もちろん、
博士にとっ
ては唯物史観は独立に成立し得ざるものである。しかし、それならば何故、博士は「社会的に制約されたる
物質支配の方法」とか「全体的共同社会を生産組織が階級に分裂せしむる」といふような唯物史観のそれに
類する範疇を容認されるのであろうか。実に博士に於いても唯物弁証法は矛眉の分裂の契機として欠くこと
を得ないのである。であるから、それは博士に依ってこのようにイデーをみざるものとして一挙に否定さる
べきではなく、博士も知らず識らず認められるように、社会学的なるものとして取り容れらるべきではなかっ
たろうか。
総じて博士の所説には社会学的なものが欠けている。博士が「共同体」あるいは「全体的共同社会」など
と言われるものの本質も明らかでない。更に博士は「社会的実践」と言われるけれども、謂うところの道徳
的・宗教的実践とは明らかに個人的実践である。個人的であることは実存弁証法の特質である。もちろん何
らかの決断あるためには他から離れて個に返えることが必要であり、かくすることによって却って個に滅却
されて全に帰すると言い得るであろう。しかし吾々はかかる個人的決断に至る前に社会的方針を考えたい、
言わば道徳的・宗教的それの前に政治的実践をもって来たい。かくすることにより、唐突に物質から意志に
至る飛躍も埋まることと思う。最後に身体も社会学的に考察されることによって新しい意義を取得する。蓋
251
特に博士の主張さるるような共同体の ——
成立にとっては何らかの一体感を必要とするとすれ
し社会の ——
ば、身体はかかる体験の基づくべき媒介となるからである。即ち自我は身体を通じてのみ他我を認識し得る
一九三一年わが哲学界を回顧して
たまわ
252
からである。いずれにせよ、今後博士によってこれらの点に就いて御教示を賜らば私のみの幸ではあるまい。
底本 『:理想』 1932.1
哲 学 時 評 1932.5
一
しそう
欧州大戦の当初ドイツの軍国主義が非難されたときその背後になにかそれを使嗾する哲学があるように宣
どろぼう
伝された。泥坊にも三分の理窟があるとすれば何事もなんとか正当づけられ得ないものは存し得ないであろ
う。特に実力を背景とする場合にはそうである。それとこれとを必ずしも同一視するわけではないが、満州
国の建設は一群の哲学者をわが時至れりとばかり興起させた。この国が世界史的に最も明白な使命を自覚せ
ことさ
るソビエトと境を接していることは他の場合にもましてそれに対抗するに足るだけの世界観を持っておらね
ばならぬわけである。ポーランドを初めいわゆる緩衝国が故らに強力なファシズム政権とイデオロギーとに
かつ
守られるのもこの埋由からである。それに支那本土の三民主義にも対抗せねばならぬ満州国である。その統
あきた
治原理としては既に王道思想が担ぎだされている。しかしそれは余りに古めかしく漠然とし過ぎている。そ
こで現下の日本の政情に鑑みて慊らなく感ぜられる点をそっくり新天地に移しおいて、新規蒔直しに理想的
体制を樹立しようとの希望が生じる。いわば内地の鬱憤を満州で晴すという遣口である。
『外交時報』三月十五日号に載った紀平正美博士の筆になる「満蒙新天地の組織原理としての士農工商の
概念を論ず」は雄渾な想を簡潔な文にもったこの種の論文の逸品である。博士は満州国の建設を一世紀前の
253
アメリカ建国に擬せられる。そこに養われたのはまさにデモクラシーの精神であった。ところが今やその弊
哲学時評
254
を極度に暴露し没落に瀕している。かくてそれに代るべきものが出現せねばならぬ。それこそ日本伝来の精
神である。博士は予め組織原理の範疇として Universal
と Allgemein
とを区別される。前者は個別科学的「遍
在」であり、分類的知識の原理であり、常に除外例を許す抽象的普遍である。これに反して後者は具体的普
遍であり、あらゆるものを綜合する力を有し、科学では真なる認識であり、宗教では信楽の境地であり、芸
術では腹芸の域である。ここでは特殊なるものはそのまま普遍を媒介する所以であって決して他と一律に混
同されることがない。聯盟が満蒙の特殊性を認識し得ないのは遍在を以てこれを律するからであって、まさ
に認識不足なる所以であるというのである。さて日本精神とは博士によれば士道である。これは戦国を通じ
しょうじ
て得て来た正義の終局的勝利の確信であり、満蒙の組織はまさにこれに基づいてこそ行わるべきである。軍
の事は何んといっても生死岸頭の仕事である。国民は挙国皆兵の意気あるとき初めて偉業に精進することが
できる。次に来るものは農である。農は共同生活による自然の征服であり、日本精神は古来、天皇を指導者
として農業による特殊の組織を結成した。そこには権利も義務もなく、階級意識もない。ただ朗らな清明心
があるばかり。この組織の方向はちょうど西洋における第三インターナショナルとは逆のものである。工は
まさにこの基礎の上に築かるべきである。商はなんといっても一番卑しめらるるのが当然であり、満蒙に於
いては極力ブルジョア根性は排斥せられなければならぬ。要するに日本精神は思想、経済、政治の苦難に鍛
えられて今や新天地に実現の機を得つつある。六合を兼ね八紘を掩う力には如何なるものも敵し得ない。し
かしこの方法は至って困難である、とこの論文に結ばれている。
博士は士道はミリタリズムではないと云われる。われわれもそれは解る。いわゆる死することによって生
きるという覚悟を軍人ほど端的に教えるものはないであろう。また軍隊のもつ規律と組織力とは新時代に
の一形態としての政党政治がどんなにだらし
とっても決して無用ではないであろう。文治
Civilgovernment
ないものであるか、ブルジョアジーの産んだ文明 Civilization
が如何に頽廃化したかを、われわれは日々見
に代えて何ものかが要求されていることは事実である。だからといって軍部
せつけられている。この Civil
でよいというわけはない。明治以来の憲政擁護の歴史は主として側近の軍閥打破を目標としていたのではな
いか。われわれは過去の事実に照して軍人もまた決して士道にのみ生くるものでないことを余りに知らされ
ている。なるほど武人は生死岸頭に立っているかも知れないが、敵を殺さなければ己が殺されるという境地
なのである。ここに彼らの物騒さと野蛮さがあるのではないか。もし言い得べくんば哲人のみが一瞬のうち
に己れを殺し而も生くる道を心得ているのではないか。博士は何故に軍人のでなく哲人の政治を提唱されな
いのであろうか。合衆国の建国にしても本国を去って理想郷を探しめた清教徒らの精神を無視することはで
きない。但しここでどうしても忘れることのできないのは清教徒の精神と初期資本主義興隆の条件とが合致
したならばこそ、合衆国今日の繁栄を来したということである。それ故に問題は博士が新天地建国の原理と
せいさつ
して掲げられる士道が果して、資本主義にとって代るような新しい世界史的原理と調子を合せ得るか否かに
懸っている。資本主義入るべからずとの制札を立てそれを大砲を以て守っても、裏口からこっそり寄附の名
255
目に於いて財閥から資金を仰がねばならぬ状態では士道が泣くのではないか。真に世界史的正義を擁護し達
成するとの自覚があってのみ士道も初めてその十分なる光輝も発し得るのであろう。
哲学時評
二
256
唯物弁証法という言葉は施政演説に、芸術評論に到るところで用いられ、共産党の世界観であるそうだが、
内部に入り切らぬ者にとっては単なる口頭語と化したのではないかとさえ思える。まさか御題目ではないの
だろうから、これをどんなに数多く唱えたって御利益があるわけではあるまい。もっと系統的に闡明する労
がとられなければ遂に宜伝価値をさえ失ってしまうだろう。この意味で『中央公論』四月号に出た大森義太
郎氏の論文「唯物論の旗のもとに」は期待して読まれた。ジャーナリズムは、この元大学教授に対し失礼な
話だが、氏が学術論文を書くことが稀だというわけで特にその点を広告した。評者も氏の哲学一点張りの研
とい
non multa, sed multumi
究は初めて接するようだ。朝にあっては経済学と哲学との二刀を使い、野に降っては政論といわず、文芸評論、
雑文とあらゆるものに筆を染めるこの才人は確かに論壇の一偉彩である。しかし
う諺がある。評者はこの論壇の雄の才能を惜しむが故に敢えて反省を促したい。
では論議し尽されたことであるから省くとして、氏の結論的主張と思われる部分を摘記するに止めよう。氏
だされ、そこにおける三様の意味の模写説批判が丁寧に吟味される。この内容はもはやよほど以前に哲学界
る。大森氏はこの場合かかる非難の源泉をつく策戦をとられる。かくしてリッケルトの認識説が引き合いに
さ て 評 者 は こ の 論 文 を 読 ん で か な り に 失 望 を 禁 じ 得 な か っ た の で あ る。 例 に よ っ て こ の 論 文 は 戦 闘 的 モ
ティフから出来上っている。河合教授がマルクスの認識論を模写説だとして非難するのに対する反批判であ
i
は曰う「人間認識は抽象的なるものでなく、それぞれの段階における定まれる具体的なるものである。かか
ラテン語のことわざ、多くより、深く読め。
i
0 0
るものとして、人間認識は対象一般に対してではなくて一定の対象に妥当する、この段階においては、その
0 0
一定の対象が対象一般として考えられるのであるが。そこで、対象について新なる事実が発見されるにいた
0
0
るや、むしろより正確に云うならば対象がその新たなる側面を現すにいたるや、嘗ての人間認識はもはや対
0
0
0
0
象に妥当せざるものとなる。対象と認識との間に衝突矛盾が起る。この矛盾は、人間認識がより高次のもの
となることによって始めて取り除かれる。そうして、そこでは、より高き段階において人間認識と対象との
間の一致が見られる、人間認識は対象に妥当する。しかし、この段階は同様なる過程を経てさらに高き段階
によって代わられる。」これこそ弁証法的唯物論のもつ弁証法的認識論だと氏は主張するのである。対象の
0 0 0 0
総体もしくは対象そのものというようなものはある。しかし具体的人間認識は一挙にこれを模写することは
できない。というよりも対象そのものは一定の対象をほかにして成り立つものではなく、従って一定の対象
に妥当する認識はそれを通じて対象そのものにもまた妥当するというのが氏の見解である。
細な点は措くとして、氏はリッケルトを批判するに当っていわゆる内在的立場を忠実に守っておられる。
「我々がリッケルトの議論を離れて別に弁証法的唯物論において人間認識の客観的妥当性の問題を論じよう
とするならば、いうまでもなく、これ以上に深い考察を必要とする」と氏は附加する。ここに嘗ての大学教
ママ
授としての氏の慎しみをみるといえば言えるだろう。けれども現在のような位置にある氏にとってかかる態
度がどれだけの意味をもつか疑わしい。むしろ超越的立場から物が言って欲しかった。といっても何もマル
クシズムを大上段からふりかざせと勧めるのではない。一定の理論の生ずる社会歴史的根拠を突いて欲し
257
かった。早い話が氏のとりあげた認識論にしてからが、甚だブルジョア的臭味のある哲学問題なのではない
哲学時評
258
か。何故あの頃のドイツに於いて認識論中心の学派たる新カント主義が勢力を得たか、その消息を語っても
まこ
らいたかった。それの方が一層、唯物弁証法の精神に適うことなのではなかろうか。氏の論法を以てしても、
リッケルトの認識説が絶対に誤りなのではない。ある時期には真としやかに思えたのである。それが理論上
承認せられなくなったのは、とりも直さず社会的地盤が弁証法的に変化しそれが理論に反映したからに外な
るまい。氏は「理論」と「政治」とを余りに分けて考えられているのではないのか。もっと弁証法的に両者
を融合して論じて欲しかった。
三
さきに「「真理とその決定」を著し、近頃また「カントに於ける哲学の概念」を世に問うた篤学の士、山
口諭助【 1901】氏が『哲学雑誌』三月号に「無」と題する研究を発表している。氏の前おきによると中々
遠大な計画に基づくもので(一)無の正体、(二)カントと無、
(三)フィヒテ、シェリング、ヘーゲルに於
ける無、(四)東洋哲学思想と無、(五)無の問題と哲学の理念、という五項に分けられ、本号では第一だけ
もとめ
が公にされているに過ぎない。こういう未だ頭だけを現しかけたような作品をここにとりあげるのはどうか
とも思うが、氏はしきりに他の批評を需ておられるから、この部分に関する限りに於いて多少言葉を費そう
と思う。
無の問題は、氏も言われるように旧くして新しい題目である。西洋でもハイデッガーが最近これを問題に
した。それよりも手近に西田博士が自覚的体系を進めて、
「限定するものなきものの限定」即ち絶対無の自
覚にまで沈潜されている。この意味でこの問題は十分に時節的であると云えよう。
氏はさしあたり無の種々相を分析する。第一に「ないこと」即ち「有がな0い0」0こ0とが手懸りになる。これ
を一切の有が否定される意味と解するならば、それは真の無に至らずして虚妄の無を示すに過ぎない。氏に
しりぞ
従えば「元来、有を否定すると云うが如きことは夫れ自体不可能、否、意味を為さぬこと」なのである。か
かかわ
くして氏は最初にかかる否定の無を「抹殺」する。次いで 却けられるのは「矛盾無」である。「矛盾とは、
同一の事の肯定と否定との厳密なる同一に於いてのみ成立するもの」であるに拘らず、かかることは不可能
であるから矛盾なるものは虚妄としてしか成立し得ぬ。だから有に矛盾する無というものは真の無ではない。
0 0
虚妄の無は虚妄の無として肯定されるが、無はそれだからといって肯定されぬ。第三に「有がない」の「な
0 0 0
0 0 0 0
い」は欠除の意味に解される。これは「ある有がある有に於いて欠除する」ことであり二つの有は別ものと
考えられるから、関係的または相対的無とも呼ばれる。然るに欠除にはまた二つの場合がある。一は「特定
の有の欠除」であり他はあらゆる有即ち「万有の欠除」である。前者は更に一つの属性を欠く場合と全ての
0 0 0
0
0
性質が拒否される場合とに分たれる。さて「万有の欠除」から考えるのに、これはやはり氏のいわゆる「有
の絶対性」から虚妄に外ならなくなる。かく氏の肯定し得る無は「部分的有が自己以外の他のやはり部分的
有との関係に於いて成立する無、即ちかかる意味の関係の無としての欠除の無」のみとなる。ところが氏の
主張によると部分有は全体有を背景とするものであり、これと抽離して考えることは要するに仮想に外なら
ない。但し無の意識は、欠除の意識を、更にこれは不満の意識を喚起することに依って、仮想の超脱を伴う。
259
といっても無の意識と無自体とは違う。無自体は成立せぬか。山口氏はこれをも全有の概念を介して規定す
哲学時評
260
る。氏は「一切の時間に於いて把捉された全有を全部包含せる意味の真の究極の全有の理念」を考える。し
かし特殊的有の総和はやはり特殊的だから、究極的全有にも特殊性はのこる。これを氏は「究極の個性」と
名づける。この個性的全有は成りつつある全有であり、生成の過程における欠除はもはや仮想ではなく、何
らか客観的無であり無自体である。それは客観的な「究極行」というべきものだと氏は主張する。そしてこ
れを仮想の無の根柢にひそむ「究極無」だと結論される。終りに氏は仏教哲学の相、
用、
体の範疇をとり来っ
て再び無の説明を繰返すがこれはここで再録する必要はないだろう。筆者の言葉が足りなくて本文を読まな
い人にはこれだけでは解るまいが、とにかく批評の基礎として山口氏の行論を追ってみた。
山口氏の思想には一つの根本的仮定がある。それは氏のいわゆる有の絶対性の命題である。つまり「石が
石であり、馬が馬であること夫れ自体は絶対的の事」であるという確信である。この公理から有を否定する
ことが虚妄となり、矛盾が成立しなくなる。氏が矛盾律の背後にも同一律を考えているのもその理由からで
ある。かくして欠除の基である部分有ということが本質に於いて全有の中に解消されてしまい、無が結局、
全有の領域内のことに化してしまう。かくして到るところで汎神論的帰結に突き当る。部分有は夫々全体有
流れる雲も、泣く一人の人間も、
となり「馬の中に石があり、石の中に馬がある。」また「一切の現実は
——
うごめく一匹の蟻も、一瞬の想念も……悉く全有を規定しているのである。
」尤も氏は窮極の個性、窮極行
というようなものを想定することで汎神論を免れているようである。「現実は必ず特殊的であって、決して
無差別ではあり得ない。」と氏は云う。それはどうでもよいとして、
これでは無の正体を暴露するつもりが却っ
て無を有とする結果となったのではないのか。西田博士などが「限定なきものの限定」といわれるものを承
認し、ただそれを絶対無という代りに全有だと称しているに過ぎないのではなかろうか。西田博士が形のな
いものへないものへ掘り下げてゆかれるのとは反対に、「あるものはあるのだ」と頑張っているに留るよう
に思えるがどうであろうか。尤も「反対に」と書いたが、実はコースが逆なだけで考え方と結論とには少し
も相違がな い と 思 う 。
氏はこの論文を起す一つの目的として「この無の問題を徹底的に論じてゆくと、イデアリズムスの真髄に
何等か触れることとなるので、……従ってこの論文の探究は、無の本質の研究であると同時に、何等かイデ
アリズムスなるものの正体の考究ともなるであろう」と述べている。では一体、氏はイデアリズムスに賛成
なのかどうか、恐らく研究の後でなければ判らぬと答えられるかも知れぬが、この文を読んだだけでは反対
のようでもあり、已むを得ず承認されるようでもあり、何となく腰がふらついているのが感じられる。凡そ
哲学研究は個別科学のそれにもまして、研究の当初からたとえ細目についてはぼんやりしていても大綱につ
いては明瞭なイデーがつかまれていなくては踏みだし得ないものではなかろうか。そうでないと、得て形式
的弊に流れたり、材料の集積に終ったりする。不明のせいだろうけれども、評者は山口氏の論文を一読して
261
(廣見 温)
その真意がどこにあるのかを探ぐりかねたのである。もし次号以下でそれが明らかになるのならば、また何
をか言わん や で あ る 。
哲学時評
哲学時評 1932.6
一
262
マルキシズムはそれがドイツ観念論の光輝ある伝統を負うものであることを常に誇っているが、事ごとに
これと張合っているファシズムは果して対抗するに足る哲学的背景を控えているのであろうか。ドイツのナ
チスは既にヘーゲルをも自己の陣営に奪取しようと猛撃を開始した。このところ左翼の将士らよほど踏んば
らぬと危い形勢である。ファシズムが国々で特殊の形態をとり特色を示すのはその本質上むしろ当然であろ
うし、従ってそれをおしなべて論ずることは差しひかえらるべきであろうが、なんといっても本家本元はムッ
ソリーニの率いるイタリア・ファッショでなければならぬ。この政治的運動が哲学的裏附をもっているのか、
即ち厳密な意味でイデオロギーとしての資格を具えているのか、こういう問いもこの国の現状を思うとき無
しんめい まさみち
意義な題目 で は な か ろ う 。
】はその外遊土産としてファシズム研究をもち帰られたようである。
東北帝大教授新明正道氏【 1898-1984
もういくつかの論文乃至報告が『経済往来』その他に発表された。あたかもよしわが国にもファッショ気運
がにわかに醸成され来ったのである。ひとの話に、向うで受けている読物の類を仕入れてくれば、やがて時
ならずしてこの国にも流行してくるものだそうだ。そういえば、そういう機微を呑みこんで成功したジャー
ナリストの幾人かを数えることができるであろう。それは余談として、この時節にファシズムのイデオロギー
性の検討は是非やらねばならぬ仕事である。新明氏は『国家学会雑誌』四
i 月号に「ソレルとファシズムとの
関聯」なる研究を発表されている。この雑誌にのるとどの論文もアカデミックな臭気に掩われてつい顔を反
うべな
国民は、個人およびその結合のそれを超越して独自の目的、独自の生活および独自の作用可能性を有する有
は二つの階級の存在を否定する、それはもっと多数ある。」また「労働憲章」の一つは叙している「イタリー
でいる。第一にファシズムは非階級主義を標榜する。ムッソリーニは一九二一年に言った「我等ファシスト
いる如くであるけれども、ファッショの政治経済方針の内にはまた著しくサンディカリズムとの異別を含ん
サンディカリズム的総罷業のうちに肯われた暴力の倫理、労働取引所の観念等々が後者によって継承されて
ひぎょう
与している。なるほどソレルの頽廃せる有産者と議会派社会主義に対する批判はファッショの動機となり、
くみ
面的に速断を下さず一節々々関連の有無を見究めてゆく。まず第一の点に関しては、氏は寧ろ消極的態度に
呼び、二は世界観における関連、三は「歴史認識の原理における共通性」となっている。氏は学者らしく全
ソレルの政治経済的主張とファッショのそれとの較合であり、これを「サンディカリズムにおける関連」と
新明教授は最初にファシズムとソレルの思想との関連に就いて、これを肯定する見解とこれを否定する意
見とを並べ、果してどちらが正しいかを尋ねようとする。教授は三項に分って各々その連絡を究める。一は
けたくなるが、こういう研究の乏しい今日やはり顧みられてよいのであろう。
i
263
機体である。それは道徳的、政治的および経済的統一を形成する。ファシスト国家はその完全な表現である。
」
年創刊、現在も刊行されている。
1887
哲学時評
i
あいひき
264
ファシズムは反議会主義よりも寧ろ生産者社会の理想をサンディカリズムの遺産として受取った。組合国家
い
の幻像がそれである。しかしこの場合、組合は水平的に統一され相率いて国家に従属すべきものなのである。
ここにサンディカリズムと相容れない国家第一主義がある。第二にファシズムは企業者を労働者の範疇へ編
入しようとする。即ちブルジョアジーの創造性と指導性を容認する。ただ私経営をも国家の下に管制しよう
とするだけである。こういう見解の結果はファシスト党が重工業者、大地主からの献金をも辞さないことに
もなるというのである。かくて新明氏はこの点に関する限りではソレルとファシズムとの間には客観的な連
鎖はない、ムッソリーニその他がもしあるかの如く吹聴するなら、それはイデオロギー的修飾の外の何もの
でもない、 と 断 案 す る 。
これとは違って第二の項目すなわち世界観に於いては肯定的に傾くのが氏の態度である。氏はソレルの世
界観を (1)
暴力説 (2)
神話説 (3)
エリテ主義 (4)
悲観主義 (5)
反理知主義に分析しこの内で第四項はとにかく
他は悉くファシズムに通ずるところがある、少くともその中にファッショ的要素の培養される素地があるこ
か】などがこの種の関連をも打消そうという
とを承認している。この点で M. Freund
【 ナチスの Michael Freund
のと違っている。この論者が承認説はソレルの見解を一般化したために外ならないとするのに対し、新明氏
選良思想】を論じ神話を描く場合、
はソレルの中に既に歴史主義と倫理的理想主義の葛藤の結果、
エリテ【 elite
甚だしく一般化の傾向が現れていることを説き、「ソレルとファシズムとの間には普遍主義的な共同領域が
存するのである。ソレルの政治的経済的主張から演繹した場合に、我等はその世界観にまで特殊性を認める
ことは出来る。だが、これは我等の演繹を必要とする。あるがままにおいては、却ってソレルとファシズム
の関連の成立こそ自然である」と結論する。少くともソレルの世界観はファシズムの武器庫だというのであ
る。最後に歴史の認識についてソレルは非現実的、無体系的であり、マルクス主義を道徳化した社会的決定
フランス国粋運動】への転向を促し、そうかと思
Action Française
論をとり、総じて無歴史的直観主義をとると新明氏は理解している。これはソレルその人にとっては彼のペ
たんげい
シミズムを産み、アクション・フランセーズ【
うとレーニンの弁護をさせたり端倪すべからざる言動の理論的現れともみるべきであろうが、ファシズムの
無綱領主義さては「自己の擡頭を歴史的必然に結合し得ないことを自覚するものの歴史否定」の態度はその
十分な反映とも解し得べきだろうというのが教授の研究の要旨である。
読むと引証該博でありながらどことなく締
学問の性質に根ざすのか、携る人に由るのか社会学者の論文しを
ばしば
りがなく読後の感銘が極めて薄弱であるように思えることが屡々であるが、これは評者ひとりの印象に止る
それぞれ
のであろうか。新明氏のこの論文もどこかそうした感じを抜けきっていないのである。まことによく区劃さ
「研
れており、文献も網羅されており、夫々の引用も適切のようにみえるが、なんとなく配列が機械的であり、
究のための研究」という観が露骨で、論者の奥深い動機というものが滲みでていず従って気魄がない。アカ
デミシャンはちょっと時節にふれたものを現実に関心をもちながら書くと、直ぐに宣伝的だなどと非難する
のが常である。しかし多くの場合にそうした非難は自己が宣伝すべきなにものをも持ち合わさずまた持とう
とさえしない無気力の告白か、もしくはそれを隠蔽せんがために外ならない。左翼論者の唱える理論の党派
性ということも、勝れたジャーナリストの考え方も、こういうアカデミシャンの偏見を打破するためにはど
265
しどし受け容れられてよいと思う。既に知識社会学ないしは文化社会学といわれる方向は秘かにそれを取り
哲学時評
266
入れているのではないか。新明氏がそうした立場を容認されているかどうか知らないが、少くともこの主題
の取扱いについては既にマンハイムなどの先例もあることなのだから、
もっとよい意味で「社会学的」であっ
とりこ
て欲しかった。また嘗ての闘士新明氏を想起する者はもっと「政治的」であって欲しかったと言うかも知れ
ぬ。とにかく「味増の味増臭きは……」の諺の通り、余り教授になり過ぎてアカデミーの俘とならないこと
を氏だけでなく大方の新人教授たちに進言したい。しかしこの論文をとり上げたわけは必ずしもそういうこ
とが言いたいためではなかった。それよりも哲学者の側からこの際ファシズムのイデオロギー性を闡明する
優れた研究を待望するためであったのだ。
二
ほ ぼ
存在論哲学の隆盛はいまさらながらヘーゲルとアリストテレスの名を甦らせた。数年前までカントとプラ
トンとが喧しくいわれたことを顧みると隔世の感がある。哲学の流にこの二組の巨人が代表する二つの型が
あり、それが略々交替に表面に現れるというようなこともどこまで信じてよいのか解らないが、仮りにそう
いう事実を承認するとしても、こう小刻みにちょうど二大政党交互の政権把握のように勢力の入替があって
よいのかどうか誰しも疑問をもたされるであろう。といっても評者は古来幾多のアポリアが流派の移行に
かたく
よって未解決に捨て去られたことを傷もうとするものではない。固定した立場の制限から生じたアポリアは
そし
その立場を越えなくてはその意義が解るものではない。それだのにいつまでもそれに固執しているのは頑な
の譏りを免れないであろう。まして天才の遺した結果に噛りついてひたすらその徹底と帰結とを逐う者は亜
流者と呼ぶ外はなかろう。師に愛され過ぎたが故に遂に個人に義理だてして世にとり遺された忠実なるしか
ぬ
し偏狭なる子弟の悲劇は学問の領域にもあることなのだろう。そういうことはさておき、現今のわが国に存
在論哲学の産まれる必然性があるかどうか、ひとたび独逸哲学の変遷を抽きにして考えてみれば、必ず疑い
あずか
を挿まないではいられなくなるであろう。存在論哲学といってもフッサールの時分にはスコラ的な特徴を巧
に現代の実証主義的精神に調和させていた。人々は幾何学か内省心理学かに与るような冷静さを以て哲学し
ようとした。ところが、ガイザー、iハルトマン、さてはハイデッガーなどの傾向になると昔の本体論という
ふさわ
名の方がよほど相応しいものに感ぜられるに到っている。ここにわれわれは最早、現代に何事かを為すとこ
ではないか。
(Moritz Geiger,1880-1937)
か
267
結果にもなった。支那へ留学した名僧たちが帰来、山を開いて一宗派を建てた昔の世を偲ばせるものがあっ
して間に合せてきた。才能ある学者が外遊するときっと手土産のように新説をもち返り、それを盛り立てる
の哲学を有していたとはどう贔負めにみても断言することはできない。そこで勢い彼地で優力な教説を輸入
ひいき
に於いて勢力を獲ていることは為政者にとって都合のよいことである。いままでわが国は伝統に値する固有
え
質的・精神的一切の機関をあげて左派弾圧が強行されている際、そうした傾向が従来哲学の源泉であった国
俟って二重の探さでこの国をも侵している。その点で確かに一部の人々を神秘主義に駆るであろう。また物
ま
るのでもあろう。しかしわが日本にもこういう客観的条件が存するのであろうか。世界恐慌は特殊事情と相
あい
だけである。戦後のドイツ人たちは恐らくこういう憂愁のうちに閉ぢこめられ、かくては寂滅の哲学に憧れ
ろあろうという気力を少しも窺うことができない。ただ過去と超時間とに安住しようという焦慮を察し得る
i
検索では見つからない。現象学のガイガー
哲学時評
i
もとめ
268
た。けれどもそういう状態は今や終りを告げようとしているのではないか。衆人は既に自らの生活に基づい
あきた
て真剣に世界観と人生観を需ている。これを解決するものは、かかる要求と発生の根拠と理由を殊にする哲
学であることはできない。新カント派哲学の空疎とプラグマティズムの卑俗に慊らないわが国の大衆が、働
くものもインテリゲントも、マルクス主義に心を惹かれるのはそうした需用に応じてくれるからに他ならな
いのである。わが大衆は恐慌の浪に打ちひしがれてしまうほど無気力にはなつていない。これを契機として
何か新たな局面を打開しようと努めているのである。ファッショ運動などもその変態的な現れだといい得よ
う。
ぞくぞく
苦境にあってなお倍の反撥力を示しているわが衆人に対して存在論哲学の及ぼした功罪はここには論じな
いでおこう。只それは若い学徒たちをして古典に親しませる機縁となつた效能だけは争われない。そして第
たけぞう
一に手をつけられたのがアリストテレスであつた。恐らく今後この方面から篤学の士が簇々と出現すること
】の研究など注目されてよいものだ
であろうが、評者が誌上で接した範囲だけでは金子武蔵氏【 1905-1987
と考える。氏は昨年二月と十月との二回に亙つて「アリストテレスに於ける存在」と題する論策を『哲学雑
誌』に寄せているが、今回また同じ雑誌の四月号に「 Substanz
から Subjekt
へ」という力作を発表しておら
れる。去年以来のアリストテレス研究の成果を新にヘーゲルの研究と結びつけたものだが、綿密なこと、老
よ
成に近いまで落ちつきのあること、而も全体を貫くイデーを見失っていないことなどに於いて特筆に値する
と思う。もちろん存在論の流に棹さすものだけれど、こういう研究は時代を問わずいつでもあっても可いと
思われる。そういったよい意味でザッハリヒ【 sachlich
客観的・即物的】な論文である。
金子氏は最初の二節で先行の研究成果を要約して示している。昨年の論文の課題はアリストテレスにおけ
る存在の四つの意味 (1)
附帯的存在 (2)
それ自体による存在 (3)
真としての存在 (4)
可能的存在と現実的存在
を尋ねるにあって「二月号」では先ず「真としての存在」が究められ、次いで「十月号」では「語られたも
のと思惟されたものと存在するものとの間の平行關係」を予想しながらそれらの相互の關係、夫々の本質に
わけ入ってゆく。さてそこで氏が結論するところは要するに存在判断の根源性である。一切の事物に存在が
述語される、従って存在判断を分つものは主語の類別である。一応カテゴリアがかかる主語類別の最高規定
と考えられる。しかし厳密に主語的核心たるものは個物のみであるとするとき実体以外のカテゴリアは個物
を主語とする定言判断の述語の諸形態に転位する。述語は繋辞「ある」の限定である。後のような判断形態
0 0 0 0 0 0
が存在に根ざしておることを示すために氏はこれを自然的判断と呼ぶ。ここでは主語が後世の分析判断にお
ける如く自己によつて述語であることができる。自然的判断の主語は直ちに実体(在)に通じていると氏は
考へる。最近の論文ではノエマ・ノエシスの図式を藉りてきて右の如きアリストテレスの考えはノエマ的存
在の核心を突くものであるとし哲学の対象とする絶対者が他の反面ノエシスをその契機とする以上、如何に
0
0
】の「成」についての解
して実体が主観に転化するかが問われる。氏はクローナー【 Richard Kroner, 1884-1974
釈 を 援 用 し 来 つ て「 主 語 が 自 己 に よ っ て 述 語 で あ る と い う の は 主 語 が 述 語 に 成 る こ と で な け れ ば な ら な い 」
と主張する。繋辞「ある」はこの生成を示している。併しそう解するためには「判断する主観が判断の主語
と同一でなければならない」と氏は言う。この主張を貫くために氏は新たに「判断するということも亦意識
269
するということである」と考えだす。意識するということは多様と統一との交互作用、内化と外化との交替
哲学時評
270
に外ならない。多様と統一とは全体の契機として帰一すると共に、全体は更に多様と統一とへ分裂する。こ
の過程を映す意識は既に他をではなく自己を意識するものである。それこそ対立する客観をもたぬ思弁的意
識、絶対主観に外ならない。ところが氏は意識としての判断の外に、判断意味のあることに気がつく。
「意
識の立場とは自己に対しての立場であるに対して、存在の立場とは自己に於いての立場である。
」だが直ち
に二つの立場が不即不離であることが認められる。両者は絶対的なる自覚の抽象的な両面である。いずれ
の底にも双方を含む一般者がある。だから一は他から分裂すると同時に、一が他に移行する可能性の根拠
実在論
がそこにある。「吾々をして判断の真義を理解せしめるものは観念論でも実在論でもなくして観念 —
であり判断は絶対者を地盤としてのみ成立すると言うことができよう」と氏は結んでいる。
Ideal-Realismus
すべ
金 子 氏 の 混 み 入 っ た 思 索 を も う 一 度 追 跡 し て み る と、 そ こ に は 種 々 な る 前 提 が 要 所 々 々 に 据 え ら れ て い
る。 第 一 に「 哲 学 と は 具 体 的 全 体 又 は 絶 対 者 の 学 で あ る 」 と 規 定 さ れ、 更 に こ の 絶 対 者 は「 こ れ を 構 成 す
る 相 対 的 契 機 の 相 互 関 係 に 於 い て の み 成 立 」 す る と 決 め ら れ て い る。 第 二 に「 凡 て 判 断 と は 存 在 と の 関 係
を含んだものでなければならない、否すべての判断が存在判断でなければならない。」と考えられる。存在
判 断 が 存 在 へ の 通 路 と 仮 定 さ れ て い る。 第 三 に「 判 断 す る 主 観 が 判 断 の 主 語 と 同 一 で な け れ ば な ら な い 」
と い う 予 想 が 尅 明 に 立 証 さ れ よ う と す る。 第 一 の 前 提 は あ ら ゆ る 本 体 論 哲 学 の 共 有 物 で あ る と い う こ と が
で き る。 悟 性 の 弁 別 的 思 惟 と 区 別 さ れ た 思 弁 は 実 に こ の 領 域 に 通 用 す る の で あ る。 金 子 氏 は こ の 意 味 で 思
弁 を 巧 に、 板 に つ い た 仕 方 で 駆 使 さ れ て い る。 読 者 が 最 も 敬 服 を 惜 し ま な い の は そ の 粘 着 力 の あ る 思 弁 的
頭 脳 で あ ろ う。 そ し て 一 つ の 論 文 は 他 の 論 文 よ り 漸 次 に そ の 特 徴 を 明 確 に さ せ 来 っ て い る。 こ の 点 に 於 い
て 氏 は 将 来 恐 る べ き 思 弁 家 で あ る と 言 っ て よ い。 第 二 の 前 提 は 氏 が ア リ ス ト テ レ ス か ら 出 発 し、 或 は 判 断
か ら 発 足 す る 現 代 哲 学 一 般 の 例 に 倣 っ た 結 果 で あ る と 思 う が、 ブ レ ン タ ー ノ と 結 論 を 等 し く し て 一 切 の 判
断 を 存 在 論 に 還 元 す る と 同 時 に、 彼 を 越 え て こ れ を 存 在 論 と 結 び つ け た と こ ろ に 興 味 が あ る。 し か し、 こ
れ は 第 三 の 前 提 に も 関 係 を も つ こ と だ が、 氏 が 判 断 か ら 存 在 に 入 り 込 ん だ こ と は 必 ず し も 氏 の 問 題 の 発 展
もと
にとって幸福ではなかったと思う。幾多の無理と飛躍がそのために冒されているのではないかを気づかう。
評 者 が 初 め に ア リ ス ト テ レ ス と ヘ ー ゲ ル と い う よ う な 一 組 の 哲 学 者 の 間 に 余 り に 相 似 と 比 論 が索 め ら れ る
こ と に 疑 い を 述 べ た の も そ の た め で あ っ た。 か か る 事 か ら 生 ず る 困 難 が 第 三 の 前 提 の う ち に 押 し 込 め ら れ
て い る の で あ ろ う。 氏 は「 判 断 す る と い う こ と も 意 識 す る と い う こ と で あ る 」 と 飛 躍 す る が、 そ の 前 に 実
体 の 観 念 を ス ピ ノ ザ ま で 追 究 す る 必 要 は な か っ た で あ ろ う か。 そ う す れ ば 氏 は「 自 覚 」 に 到 る 前 に 別 個 の
0
0
存 在 に 逢 着 し は し な か っ た ろ う か。 氏 は「 存 在 々 々」 と 言 っ て い る が、 何 だ か 繋 辞 的「 あ る 」 の 外 ど こ に
も 存 在 ら し い も の を 示 し て い な い で は な い か。 こ の「 あ る 」 が 急 に「 な る 」 に 成 る ま で の 話 し で あ る。 今
度 の 論 文 で は 結 局 こ の「 成 る 」 が 問 題 な の だ か ら、 そ の 過 程 が 明 瞭 に な ら ね ば な ら ぬ。 形 式 的 に 考 え て も
そ こ に 媒 介 が 必 要 と な り そ う で あ る。 ス ピ ノ ザ 流 の 実 体 は そ の 役 目 を 果 さ な い だ ろ う か。 前 回 に あ げ た 山
271
が
Seinslogik
口 氏 の 論 文 を 読 ん だ と き に も 考 え た こ と だ が、 存 在 が あ ま り に 形 式 的 に 考 察 さ れ て い る の に 驚 い た。 ハ イ
デ ッ ガ ー な ど と は 別 種 の 存 在 論 哲 学 が 目 論 ま れ て い る の か も 知 れ な い が、 こ れ で は せ い ぜ い
出来上るに過ぎないのではないかを虞れる。
哲学時評
三
272
史的唯物論、弁証法的唯物論、弁証法などについては主としてロシヤものの翻訳を中心として幾種類かの
教程本が提供されている。恐らく研究グループなどに於いてはこうした書物がテキストとなって討議が進め
られていることであろうから、従ってその適否はかなり重大な意義をもってくる。吾々はそれが社会主義を
実行しつつある国で書かれたということに絶対の信頼をおいて、そこから何ものかを教えられようと努める
しょうしょう
のであるが、評者の寡聞のせいでもあろうが遺憾ながら未だ十分なる意味でかかる欲求を充してくれるもの
】の『社会科学十二講』【 国会図書館近代デジタ
1892-1968
済学などでは時事問題を直接、原理問題と結びつけて論議する傾向が進められているらしいが、哲学の範囲
は外から客観的に輪廓を描くというよりも、内から主観的に問題を提起する方法も必要となって来よう。経
とではなくて、適確に中心問題を捉えて初学者の好学心を鼓舞することでなくてはなるまい。それがために
更に究めて見度いという気は起させ得ないと思う。入門書の使命は浅い知識を撒布して注意を散慢にするこ
た
ルライブラリー】というような本も確かに手際よく切盛りされているが、ただそれだけであれでは社会科学を
る人たちによって非常に褒められている杉山栄氏【
ある。何もソビエトの作家だけを責めるわけにはゆくまい。社会科学に関したものだけをみても、例えばあ
のと認める他はあるまい。しかし教科書類、概論風な述作のつまらないことは東西、軌を一にするところで
に接するところがない。近頃シロコフ、アイゼンベルク等のi共同制作になったものが 稍 々 従来のものとは
趣を異にしているが、これを除けば、誤謬を含むと称されながらもやはりブハーリンの旧作等まとまったも
i
邦訳「弁証法的唯物論」教程(国会図書館近代デジタルライブラリー)、アイゼンベルクは共著者らしい。
E. Shirokov,
i
ではまだまだそういう弁証法的融合が実行されようとしないようである。ブハーリン、デボーリンが機械論
的偏見に躓き、それがメンシェヴィキ的誤謬に連なっているというが、正しい唯物弁証法が実践に於いて成
功しつつある新例をどしどし挙げて欲しいのである。プレハーノフはこれを歴史的研究に適用して立派な結
果を示したし、レーニンは政策のこと毎にこれを適用したのである。今日の社会主義建設も必ずやこの大道
を歩んでいるに違いない。そうだとすれば弁証法的唯物論やこれらの実践によって強化された理論であるべ
きである。ヘーゲルの唯物論的解釈も大切だろうけれども、建設と防衛とに歩調を合せた哲学原理の樹立は
もっと大切 で あ ろ う 。
】という人の「観念論における現実
『三田学会雑誌』二月号および三月号は奥田忠雄【 武村忠雄、 1905-1987
性認識への端緒」ならびに「現実性認識への道」という研究を載せている。これは作者の「理論経済学方法
論叙説」と総称さるべき連続文の一環である。奥田氏は既に昨年三月の同誌で
「理論経済学の対象」を取扱い、
一般に経験科学が歴史的順序に於いても認識の順序に於いても最初は無批判にある方法を採用しある程度の
発展段階に達するとその方法の批判が始る。氏はこの経済科学の本能的、猪突的行進とその哲学的反省とは
相互に制約しながら螺旋状に上向するというのである。そこで第一文は無批判に経済学の対象を探究したも
ので、越えて昨年八月号の第二文はこの認識過程の批判を仕事としている。その際、氏は主観的観念論も客
観的観念論も、カント風な不可知論もいずれも経験科学の認識論的其礎たり得ないことを説いて、ひとり唯
273
客観的実在の承認 (2)
その可認識
物論のみがかかる役割に適応することを述べ、更に唯物論的認識説は (1)
認識を過程として解することによって必然的に弁証法的思惟をとらざるを得ない。ところがか
(3)
性の許容
哲学時評
274
かる思惟の特質は唯物論的に建直されたヘーゲル論理学の中でのみ可能である。ここに於いて本年二月号の
研究の目標は「ヘーゲルの観念弁証法を唯物論的基礎の上に建直すことである。」そのために先ず作者はヘー
ゲル弁証法の本質を明らかにするとて、その特質を (1)
思惟形式と対象形式との一致、 (2)
思惟ならびに一
切の存在における対立性の統一、なる二点に認め、さような特徴をヘーゲル原文の中から摘記し解説するに
努めている。第二段は「弁証法が何故観念論的基礎から唯物論的なそれへ移らなければならぬかの、必然的
移行過程」の説明である。吾々の注意もこの興味ある問題に向けられて然るべきであろう。奥田氏はヘーゲ
ルにおける唯物論的萌芽を指摘して、他の観念論と違って「絶対的観念論は有限なる主観から対立的に独立
して存する自然を認め、而も有限なる主観は絶対精神を意識する限りに於いては之を認識し得るものであり、
べ
その思惟形式は単なる主観の抽象的思惟形式ではなく、自然の本質、存在形式と一致する具体的思惟形式で
ある可きことを主張する点に於いて、明らかに唯物論的契機を含んでいると云わなければならぬ」と述べて
いる。かくて(少し物足りないが)フォイエルバッハへの移行が説かれる。この哲学の中心を「人間」の概
しりぞ
念であるとして、これを (1)
思惟的存在としての人間、 (2)
社会的存在としての人間、 (3)
自然的存在として
の人間の三種に分析して論じ、フォイエルバッハにあっては第一、第二の意味の人間はいずれも抽象的、観
念的、非現実的に想定されたに過ぎないものとしてこれらを却け、第三の人間概念だけが唯物論的だと断ず
る。そしてこれが次の四つの的でマルクス・エンゲルスに委譲されたというのである。第一に主観から独立
した悠久な自然を認める点で、第二に感性を認識の出発点とし第三に思惟を感性の延長と考える点で、最後
に不完全ながら実践による験証を説く点に於いて。三月号における続稿の課題は、一方に於いて人間の存在
が、他方で以上にみたような認識論上の諸態度が如何ようにマルクス・エンゲルスおよびレーニンに於いて
唯物弁証法の本質と考えられるに到ったかを叙述するにある。
この際作者は人間の存在を自然的から実践的、
社会的、歴史的に拡大すると共に、最後に弁証法の唯物論的基礎づけを二項に亙って行い、一つには思惟形
式が存在形式を常に近似的に反映し、客観的にして相対的な認識を成立しめること、二つには客観的実在そ
のものが対立性の統一であり、思惟形式もこれと等しい運動形式によってのみ前者を映す具体的思惟たり得
べきことを告げている。説くところ概ね平板であるが、ただ一つ注意すべき点は、氏が客観的真理の規準と
して実践を考えつつ、自然科学の実験に代るものとして社会科学に於いては「予測」を行うべきであるとして、
0 0
例えば経済学上の価値論なども価格変動、景気変動の予測によって是正さるべしと考えている点である。こ
の例は氏が実践のもとに案外卑近なブルジョア的な実証を予想していることを曝けだしているに止るが、も
し予測の観念をより拡く政治的展望にまで及ぼすならばかなり興味ある思想を生じ得ると思う。プロレタリ
アートの実践は「どうなるか」ではなく「どうするか」に懸っている。
さて奥田氏の叙述はその意図に於いて甚だ熱情的なものを含んでいるに拘らず、著しく凡傭である。福本
イズム、三木イズムは旧い唯物史観の公式主義を打破したが、今や第二の公式を亜流者たちに負わせつつあ
る。この公式の叙説を買って出た一人がこの文の作者である。杏村氏などは世にマルクス主義者は多いが一
人として全体系を描く者がいないではないかと揶揄しているが、心ある者は安価な体系などに浮身をやつし
はしないであろう。「これだけは心得おくべし」風な便覧書は唯物弁証法には特に禁物である。法典の条文
275
をさぐるような態度にでないことこそその長所なのであるから。評者は奥田氏の努力に敬意を払うものであ
哲学時評
276
る。しかしこれは氏の覚え書以上のものでないことを自他共に承認することを許してもらいたい。他日そこ
から素晴しい「予測」が出ることを期待せずには居られない。
四
哲人は一代の師表たるべきものと考えられるに於いて往時も今も変りはなかろう。彼はただに言説を以て
世を指導するのみならず、身を以て率いる気概を有っておらねばならぬ。この点で哲学は倫理学と親近性を
有するように想われてきた。恐らく哲学者の実践が己を慎み身を修むることに依って、説かずして他を化す
るにあると考えられたからであろう。しかしそういうことを可能にする機会は次第に失われつつある。教化
も漸次に大量的になりつつある。刊行物や学校を通じて大衆に対して一様に行われるようになった。哲学者
の実践も己を厳にするだけでは足りないで、進んで世人を薫陶する域に進まねばならない。ここに新しい教
】などの主唱する新興教育
1892-1965
育学がどうしても要望されねば已まない。ところが、倫理学について既にそうであったが尚更に適切な教育
学というものは発見するに難い。この意味に於いて山下徳治氏【 森徳治
の理論および実行の運動は注目されてよい。この山下氏が今度、
『教育科学講座』附録のi「教育」四月号の
巻頭を飾られた「科学としての教育学」一名「教育学の根本転向」は量に於いて極めて乏しいが暗示に富ん
だものだと思う。氏は教育学を応用哲学、応用心理学の境涯から脱せしむべく科学的熱情を示すと共に、単
i
に素質の陶冶に止った在来の教育方針に対し、生活態度の形成を目指す訓育を重んずることを勧め、一応プ
岩波講座教育科学・附録は国会図書館近代デジタルライブラリーにあり。
i
あらた
ラグマティクな作業中心主義に与し、更に明治二十年前後から旧封建制が再生産されるに到ったことから変
態化されたわが国の教育策が如何なる方向に革めらるべきかに深い示唆を与えている。氏によれば今や教育
は「人世観や世界観の問題、自然と社会との間における諸現象を正しく理解し評価する知識の開発」を果さ
277
ねばならぬのである。而して一般的基礎教育は職業教育と同じ針路の下に遂行されねばならないのである。
【 無署名】
これこそ新時代の哲人の任務なのではないか。彼が教師である場合には殊にそうである。
哲学時評
哲 学 時 評 1932.8
矢内原氏のマルクシズム批判
——
【 この月の哲学時評 一( の) 一は本多謙三名での「哲学の新転向」で第3巻に収録、哲学時評 二( は) 別筆者】
二 大学と宗教
278
わが国の大学に於いては、学生が政治運動に狂奔することはもちろん、教授もまた政党的立場からものを
たまたま
言うことを禁じられている。それにも拘らず教授たちが自己の偶々信仰する宗教もしくは宗派の立場から意
見を述べ、訓戒を垂れ、問題の最後の断定を下すことが、信教の自由の名のもとに許されているのは奇怪で
ある。一部の無産政党を除いて政党が何らの世界観的基礎をもっていないわが国に於いて、心ある人々が宗
教に世界観を求めることは当然だったとも言い得よう。ところが社会科学に於ては世界観の相異は理論上に
決定的関係をもっている。そして宗教から世界観を藉りてくる教授たちも各々積極的に自らの理論の上に宗
派的見解を反映させるばかりでなく、逆に理論を以て宗派的世界観を援護しようとしているようにさえみえ
る。この傾向は学内にマルクス主義的風潮が勢力を獲得して以後、特に顕著である。こうなってはもはや宗
教を以て私事であると看過しているわけにはゆくまい。彼らの吐露する理論が私見に止らないとするならば、
その理論の中に潜入している宗教的見解もまた社会的意義を担って来なければならない。評者はかような教
】の『マルクス主義と
授たちの意図を窺うものとして、数ヶ月前に公にされた矢内原忠雄教授【 1893-1961
基督教』【 1932
一粒社刊、全集第十六巻他再刊】および『改造』七月号に掲げられた田中耕太郎教授【 1890-1974
】
の「現代の思想的アナーキーと其の原因の検討」をとって来よう。
矢内原教授はひとも知るとおり、植民政策の権威であると共に、かって内村鑑三氏が唱えだしたところの
無教会主義の闘士である。教授が如何に理論的探究の中に宗教家的詠嘆を混じ来っているかは、『改造』四
いくばく
月号に載った氏の筆になる「満蒙新国家論」が次のような文句を以て結ばれていることでも解るだろう、即
ち「獲たる利益幾何、醸成したる悪意幾何、特定外交政策とそれに用いられたる手段の価値を後代の批判す
べき現実的尺度はこの二つである。禍なるは各国民間に悪意を蒔き散らす霊である。」
教会】の
)ecclesia
教授の前記の著作はマルクス主義に対する反対であると共に、教会中心のプロテスタンティズムに対する
闘争でもある。現世と妥協する一切の日和見主義的、微温的態度を排して非宗教的な何ものにも煩わされず、
直接、聖書について神の声を聴くべきことが要望される。そこに旧きエクレシア【 ラ( テン
意義もあるというのである。であるから腐敗して堕落した教団に盲従するよりは、時に共産主義に与する方
が神の御旨に適うことさえあるのを認容する。例えば云う「マルクス主義はその無神論に於いて明白に神の
敵である。それにも拘らず神はマルクス主義を以て偽りの教会を破壊せしめ、世と妥協せる偽基督教を打倒
せしむると共に、真の基督教を刺戟してその真理の光を顕現する機会を供せしめ、且つ時代に応じて益々そ
の奥義の光を発揚するの途を開き給ふ」( 一八六頁)。マルクス主義者よ光栄に思い給え!またマルクス主義
にとって決定的な問題に対して教授は自由主義的態度をとっている。氏に従えばキリスト教は「私有財産制
を弁護すべき義務もなければ共産制を主張すべき任務も有しない。基督者にして私有財産制の方が社会の発
279
。
展上有意義なりと思う者は之を弁護せよ。共産制を以って有意義なりと思う者は之を主張せよ」
( 一二一頁)
哲学時評
280
教授のこういう言行が一派のマルクス主義者をして、教授が真の自由主義者であることを讃えさせる所以と
もなるのであろうが、その裏にはマルクス主義を以て一つの社会的認識に限定し、その限りに於いてこれを
認め、氏の信仰とも合致し得るものであることを明らかにしようとする。「神は」氏に拠れば「学問を愛し
たまう」そうである。「されば歴史発展の契機として社会生産関係を重要視することが歴史の科学的説明と
して適当ならば、われらは之を武器として歴史学を研究するを妨げない。唯物史観も一の社会科学的仮説と
して又その限りに於いてのみ、われらの偏見無き研究に値する」
( 一三五頁)
。
経済的自由主義者が生産における分業を説いたように、思想上の自由主義者はまた精神における分業を唱
える。マルクシズムの問題は飽くまで認識の問題であり、科学的研究の制限を出でない。これに反しキリス
ト教の問題は霊であり、魂であり、それらの平安であり、罪の赦しであり救済である。前者の問題の中にキ
リスト教が立入らないことを標榜するように、後の領域の中へマルクス主義が啄介することを断乎として拒
絶するというのが、教授の根本的態度である。教授は教会主義を斥け、現代に於ける予言者的行動を奨揚す
ることによってプロテスタント的個人主義を一段鋭くして一切の社会的制肘を排する結果は、世界とその把
捉についての全般的な連関をも見失ってしまったようである。認識は認識、信仰は信仰と劃然と分別され得
るかのように考えられている。社会認識に於ける世界観の重要さというようなものは全く顧みられていない
のである。即ちイデオロギー的理解が全く欠けているのである。
といっても、もし矢内原教授がかくの如き自由主義的態度を貫いておられるとするならば、細目に亙った
教授のマルクシズム批判は生じなかったのであろう。教授はキリスト教の対象は魂の問題であるという口の
下から、キリスト教の歴史観の方が唯物史観よりも深刻で透徹だといい( 一九頁以下、一六五頁)、唯物弁証
0
0
0
法に対して福音的弁証法を説き( 一四七頁以下)敢えてキリスト教の教義をマルクシズムの教説と競わしめ、
0
他方に於いてまたマルクシズムを社会的認識と限りながら直ちにそれを忘れたかの如く、これを以てひとえ
に宗教論であり、道徳説であり、もしくは医術でさえもあるかの如く曲解しようとしている。かかる言説に
対しては教授がマルクシズムに向って屡々発せられているように「違う、違う!」と連号する外はないので
ま
ある。要するに教授のようにキリスト教を以て現実社会の制度問題に触れない個人的魂の問題だと解するな
らば、恐らく街頭の説教すら不必要になるのであろうから、況してや現実生活の認識でありイデオロギーで
あるマルクシズムに対する反駁など起りようがないと信じられる。
田中博士の登壇
三 大学と宗教(続) ——
かえ
田中耕太郎博士の前掲論文はカトリック的立場からかくの如きプロテスタント的自由主義を攻撃する。「殊
に所謂無教会主義の一派は基督教一般に関する常識を欠いて居る」と明らさまに矢内原教授らの見解に対抗
し「却って此の点に於いて同じくカトリック教会を敵視するものであっても欧州に於けるマルキシストの方
が全く異なる立場からではあるがカトリック教会に関する常識を遙に多く備えていると云うことを得るので
ある」
( 八頁)とこれまた矢内原敬授とは「全く異なる立場からではあるが」マルクシズムに対してくすぐっ
たい媚を呈している。しかしこれはプロテスタントに対する嫌味だけであって〔カトリック的敬虔と端正と
281
をこの低劣な宗派的憎悪と較べてみよ!〕、もと田中博士がカトリシズムをもちだすのはマルクシズムへの
哲学時評
282
敵対の意図を懐いてである。「当局はマルキシズムに直面して、学生思想善導の意味に於いて宗教の必要を
痛感するに至ったようである。」と博士は主張する、「然しながら特定の宗教に根拠しない単なる宗教的情操
だ け で 以 て、 凝 り 固 ま り の 宗 教 に な っ て い る と も 云 っ て 良 い マ ル キ シ ズ ム の 攻 撃 に は 対 抗 し 得 ぬ の で あ る 」
( 二〇頁)。更に云う「マルキシストが最も恐るるのは何であるか。是れ即ち宗教である。……マルキシスト
が宗教中最も猛烈に攻撃してかかるのはカトリック教会である。其れは信者の鞏固たる信仰と、教会の完備
せる組織及び社会的に働きかける強大なる力に依るのであるが、其の道徳哲学の一部として、階級闘争を排
撃し、私有財産制度及び家族制度の維持を主張し、国家の意義を認め革命殊に暴力革命を認めず、国家の権
威を尊重するに依るのである」( 二五頁)。 ——
博士の見解は「要するにプロテスタンティズムに内在する個
人主義的信仰及び信仰のみに依り救わるるとする思想は社会生活への積極的影響力を有しない。」だからそ
れに対して明白で具体的な綱領を有し、ドイツにおける中央党のように何らの利害に囚われず〔なんという
偽善!なんという無恥!〕真の全体から政策を樹てる〔その実は是々非々的日和見主義だ〕現実的勢力にま
で結成しているカトリシズムをしてマルクシズムを打倒させかくして思想的ヘゲモニーを把握せしめよ、と
いうに帰す る の で あ る 。
今や地球は単一なる経済的・政治的組織の中に編み込まれている。個体の活動は他の制約を受け、他に影
響を及ぼすことなくして不可能である。ここに於いて個人的なる力に対する不信が益々募ってくる。個人は
何ものかによって繋縛されているとの感じを常に懐いている。ここに宗教家のつけ入る原因が存し得るので
あろう。急進的なプロテスタント的論者は無性に個人の自主的精神を恢復させようがために、
「危機」を説
き「予言者的態度」を奨揚する。これに対してカトリックの信者は無力を意識した個人を教会と法王の絶大
せんじょ
な客観的権威の中へ吸収しようとする。マルキシズムは宗教的欲求は地上における抑圧と困窮の天上的反映
であると解して、後者を芟除することによって前者も自ら消失するものと確信し、自己の解消を恐れてかか
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る地上の闘争を鈍らそうとする宗教を阿片だと攻撃するのである。個人を無意識のうちに圧迫しつつある資
本主義的機構を社会主義的計画行動に切り替えることによって、得たいの知れぬ魔力の如く感ぜられた全体
の力の素性が明白となり、それに自覚的に参与することによって個人の自主的な意識も恢復されるに至るの
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である。何よりもソビエトにおける人々の生き生きとした現実的活動がそのことを証明している。宗教家ら
は宗教なくしては人間の責任や信頼が喪失するように考えられているが、団体生活が生々しい課題の実現に
努力している間は自らかかる精神は湧出してくるものに違いない。わが国民が正しい国家的使命を意識して
し
いた間はそうであったし、今日のソビエト国民はまさにかくの如き状態におかれている。かかる現実的基礎
のない場合にはどんなに宗教的説教を繰返しても人々の弛緩を引き緊めることは出来ないであろう。
信仰に於いて義とせらるるというプロテスタントにあっては、社会事業の体系の外には社会科学を考える
ことはできない。田中博士が新カント派の法律哲学を空疎であるとして排撃するのは或る点に於いて当って
いる。それだからといって「カトリック的社会科学」を以てこれに代えることは一種の暴挙である。デモク
ラシーが腐敗した、だから強力な英雄主義的独裁を以てこれに代えようというファシズムと同じ位の乱暴さ
である。カトリック的社会科学は「神に依り植え付けられたる人間の理性に発する自然法の主張に基礎を置
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く」のであるというが、ここにまさにファシズムと共通してカトリシズムの反歴史主義がある。田中博士は
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「マルクス主義も畢竟するに実証主義的時代の所産に外ならぬのである」といい( 一四頁)
「マルキシズムの
唯物史観は経済を以て因果的に社会上の諸制度及び諸イデオロギーを説明せんとする」と述べ( 一九頁、圏
よそお
「マルキシズムは本来経済理論である」と断じ( 二五頁)
、往年の銀時計の秀才もマルクス主義の理
点筆者)
解については驚くべき無智を暴露しているが或は粧っているが、かくてはマルクシズムも一種の自然主義と
なり「全く異った立場ではあるが」カトリシズムと揆を一にすることとなるであろう。ところがそうではな
くマルクシズムのなによりの特色は歴史的であり、弁証法的であるということだ。即ち現代でなくては果し
得ない社会的任務について教えることだ。この点に於いて如何なる宗教も、如何なる政治理論も、如何なる
哲学もこれに代ることは不可能である。この意味で田中博士がわが思想界にカトリシズムの旗を掲げたとい
うことは、博士の憂える「思想的アナーキー」を一層深める效果をもつに過ぎなかろう。
(廣見温)
哲 学 時 評 1932.9
(一 )
この時評は新刊紹介ではない。時評の性質上そう旧いものを取扱うことが出来ないのはあたりまえの話で、
何も新刊を新刊として珍重しているわけではない。ただ著者がそういうものを公にしようとし、書店がその
出版を引受けた以上は、何か世の中の反響を期待しているわけであろう。そこにおのずから社会的意義が生
じてくるわけである。また評者は勝手に個人的興味に従って ——
そういう要素を全く捨て去ることは不可能
目新しいものを拾いあつめているというわけではない。少くとも「廣見」の批評を初めから親切に
だが ——
みていてくれた人ならそこに或る一定の方針の存することを察してくれるであろう。読者がどういう気持で
この文に対するかは自由である。そこまで筆者が立入る権利は多分あるまい。あるいは闘犬でもみる気かも
知れない。それでも仕方がない。あるいは学問における猟奇癖を満足させるだけに止るかも知れない。
しかし、
もしそういう地盤の上にだけこの時評の存在が拠っているのならば評者は直ちに筆を抛げる。それは全集も
のの附録につく月報とか海外通信とかゴシップとかいうものと時評とを間違えている人の見解で、何かの理
由で哲学の中に時代意識を認めたくない者の悪口だ。本誌は海外の哲学思潮に関する限りではちゃんと新傾
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向の紹介欄を具えている。また寄稿される論文は悉くわが哲学界の最高水準をゆくものばかりである。おま
哲学時評
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けに岩波書店から出版される永遠に生命ある新刊書の広告は巻尾にぎっしりつまっている。新規を逐う読者
があるのならその人たちは十分にこれらの欄で堪能できるはずである。
価値ある哲学書は岩波書店から出ることが多い。そこで特に時評が単行本を取扱う場合には「岩波」の本
を対象にする率が殖える。ところが本誌は「岩波」の機関誌のように思われている。ここに於いて時評に対
して二重の誤解が起るかもしれない。もし褒めるような結果となったときには広告ではないかと疑われるだ
ろうし、何らか消極的見解を述べた場合には売行を邪魔するようにもとられるかも計られない。然し断るま
でもなくそういう商売上の事柄には一切本欄は関係がない。いくら評者が或る著書に対して消極的態度を
とっても、それは却ってその本が相当の読者をもつことを予想してであることを余計なこととは思うが注意
しておく。要するに事は真理に関している。真理の争いである。これはスポーツではないから、読者も観る
だけでなく、自ら参加して頂きたいものである。
全体の立場について
一
こうかつ
】の論文集『全体の立場』
【 国会図書館近代デジタルライブラリー】が先ほど公にされた。
高橋里美教授【 1886-1964
教授はわが哲学界に於いて独自の地位を占める異彩ある学者として何人も認めるに躊躇すまい。どこかこせ
つかない太腹なところが文字の間から窺われる。問題に呑まれずいつも思索に余裕を残している広濶な気宇
に打たれる個所が多い。東洋的な味とでもいうのだろうか。教授は夙に ——
論集の中の言葉によると今年か
西田博士の『善の研究』を批評することに依って既にその並々ならぬ見
ら二十一年前のことだというが ——
識を一般から承認されたことは有名である。このいわば「歴史的文書」も論集の中に収められている。初め
てこれに接する人々も多いことであろう。筆者も実はその一人である。これを読んで驚いたことは、教授が
既にこの時から今日なお建設に努力されつつあるような体系的プランを抱懐し、その以後の論文は或る意味
でそれに材料を供し且つ試練となる他の立場の研究であり批判であるものが多いことである。コーヘン研究
はもはや十年以上前に「思想」に発表された際に筆者自らも大いに啓発されたことを記憶しているが、その
後暫く筆をおさめていたようにみえた氏が再び活溌に論陣を張りだしたのは外遊から帰来されてからであっ
た。その後は教授は現象学者として立ち現れた。氏のフッサール、ハイデッガーなどの解釈は、後に述べる
ような理由で、必ずしも現象学的立場にとって忠実なものとは言い難いではあろうが、決して凡庸なもので
さか
うんちく
はなく寧ろ豊かな暗示に富んだものと称することができよう。心ある読者は何かの機会でどれかに親しまれ
たことであろう。最近ヘーゲル研究が旺んになるに至っては、永年の蘊蓄を傾けられるところの多かったの
は吾々が極く間近に知っていることである。而も教授はこれらのどの立場にも満足しては居ないのである。
氏の謂うところの全体の立場はこれらを包容してなお余りあるものなのである。
現今、全体の立場とも称し得べき見地に拠る哲学者はひとり高橋里美教授に限られていない。例えば土田
杏村氏などもかかる立場にあるといい得よう。しかし杏村氏の全体主義と里美教授のそれとを較べるならば、
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一方がどこまでも通俗的啓蒙的であり、よい意味でもわるい意味でもジャーナリスティクであるに反し、他
哲学時評
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方はまたあくまで学究的、穿鑿的であるという点を除いても、前者が文化主義的、精神科学的伝統を負って
生の全容をあますところなく内実的に把えようとしているのに対し、後者はまず内容をおさむべき場所を構
築することを第一と考えて、何よりもせっせと全体系の骨組に忙しいという感がある。杏村氏にはどこか締
括りが欠けているとすれば、里美教授の場合は余りに骨ばっている。そしてこの事は恐らく教授の立場に運
命的につきまとっているのではないかと思う。
吾々はまず教授の指針に従って「全体」なるものを探ってみよう。どこに全体を求めるか、ということは
それ自身大なる問題である。この端初における問題の決定は既にそれこそ全体の解決を予取するものといい
は
得よう。教授は全体の在処を体験のうちに認める。だから教授の謂う全体は詳しくは「体験の全体」なので
いやしく
ある。氏にいわせれば体験から食みでるような存在はあり得ないのである。意識に超越せる意味を想定する
にしても、単なる想像的対象を描くにしても、更に全くの無を思い浮べるにしても、苟もそれがどのように
か意識されている以上は、体験内のことであってそこから逸脱することはない。体験はそれ以外のものを思
念するとき直ちにそのものをも自己の内部に同化し得るという特権を具えている。さて体験にさしづめ流動
や
であり、持続であり、生産であり、発展であり、作用であり、活動である、即ち時間的に生成するものであ
ることを氏は一応、承認する。しかしこういう流れて已まぬものであっては、到底、流れの終をつかむこと
はできない。また流れを起し発動せしむる原力を窺うことができない。更に流れの方向は固定して可逆的で
あることができない。ところが、真の全体と考え得るものは、氏によれば、流動の如何なる項をも、発展の
如何なる相をも余すところなく包蔵すると同時に、自ら生成の原動力を内在させておらねばならず、従って
どの方向にも自由に流れ得るものでなければならないのである。かくして教授は、発展や、運動や、作用や、
時間やを、超越しながら自らの内に包むところの流動の全体としての静止を以て、真に全体なるもの、即ち
絶対としての「全一」と考えようとする。そして氏の努力は専らこの「全一」を追求することに注がれてい
るようにみえる。氏に従えば既成のあらゆる哲学上の立場は未だ充分にかかる「全一」を呈露させていない。
氏の「全体」はあらゆる過程と契機とを自己のうちに包摂し、ヘーゲルのそれよりも更に積極的、完結的意
義をもった「他の一つの止揚」によって成立するものであり、ヘーゲルの具体的普遍に酷似しながら、それ
よりも一層寂滅的な絶対相である。氏はこれを絶対無と称し「体系そのものを包む、純一なる全体性として
の全体性である。一切を包みつつ、しかも一切の存在を消し尽す所の、おのずからにして空零なる純無であ
る。一切の自覚的限定をも包む所の超自覚的な絶対者である。綜合的統一以上の絶対的純一性であり、絶対
的唯一性である」と説明している。
さ て で は 如 何 な る 手 段 に よ っ て か か る「 全 体 」 は 把 え ら れ る か。 氏 の 最 後 の 体 系 の 骨 組 に 対 し コ ー ヘ ン
の 根 源 の 原 理 と ヘ ー ゲ ル の 弁 証 法 的 体 系 が 決 定 的 な 影 響 を 与 え て い る と す れ ば、 こ の 問 題 に 対 し て は 現 象
学 の 研 究 が 重 要 な 手 懸 り を 与 え て い る よ う に 思 わ れ る。 要 す る に 氏 は 体 験 の 把 捉 作 用 と し て の 役 割 を 反 省
作用に帰する。「論集」の第五を占める「現象学的還元の可能性」と題する一文はこの間の事情を語ってい
る。 こ こ で 氏 が 教 え る と こ ろ は、 フ ッ サ ー ル の 唱 え る 現 象 学 的 還 元 は 結 局 に 於 い て 中 和 変 様 で あ る、 そ し
あたか
て 中 和 変 様 は 反 省 作 用 の 部 分 作 用 で あ る と 云 う の で あ る。 こ の 際 に 氏 は 中 和 変 様 を 解 し て「 肯 定 の 力 が 零
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と な っ た 極 限 の 場 合 で あ っ て、 こ の 極 限 の 場 合 に 到 達 す る こ と に よ っ て、 そ れ は 恰 も 零 が 数 系 列 に 於 い て
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すべ
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占 め る よ う な 特 殊 な 位 置 を 信 憑 領 域 に 於 い て 獲 得 す る こ と に な り、 か く て ま た 信 憑 性 一 般 と し て 凡 て の 信
憑 変 様 を そ の う ち に つ つ み 且 つ 映 す 場 面 た る 意 味 を え て く る の で あ る。 そ し て ま た そ れ は、 恰 も 零 が 各 の
数 に 含 ま れ る 如 く、 凡 て の 個 々 の 信 憑 変 様 の 中 に そ の 構 成 要 素 と し て 包 含 せ ら れ て い る の で あ る 」 と 言 っ
ている( 一二四頁)。中和変様と現象学的還元とを同視することはニコライ・ハルトマンなども企てている
よ う に 思 わ れ る が、 フ ッ サ ー ル の 現 象 学 の 如 き 分 析 的 態 度 に 於 い て 異 っ た 関 係 か ら 見 出 さ れ た 二 つ の 規 定
を同一視することさえどうかと思えるが、まして教授のように「極限」とか「映す場面」とか「構成要素」
と か い う 特 徴 で こ れ を 説 明 す る こ と は 余 り に 形 而 上 学 的 先 入 見 に 囚 わ れ る 所 以 で は な い か と 思 わ れ る。 も
ちろん氏は現象学を最後の立場とするものではないと言明しているのであるから、氏の一層「具体的な体系」
か ら す れ ば そ う な る と い う の だ ろ う。 と に か く こ う い う 説 明 は 氏 が ど う い う こ と を 問 題 に し て い る か を 示
してくれる。今も述べたように、氏に拠れば、中和変様は「総ての作用が相交叉する中心」であると共に「夫々
の 作 用 の 有 す る 方 向 を 微 分 的 に 自 己 の 中 に 含 有 し て い る 」 の で あ る が、 そ れ は 常 態 に 於 い て は 常 に 動 搖 し
撹 乱 さ れ て い る。 そ こ で こ の 動 い て 已 ま ぬ も の を 把 持 す る 作 用 が 背 後 に な く て は な ら ぬ。 そ れ が 氏 の 謂 う
反省作用なのである。「反省作用は凡ての作用の交叉する意識の中和点を不動に釘付けし、或はそこを通過
す る 凡 て の 作 用 の 志 向 線 を ば、 い わ ば 中 和 意 識 の 底 面 に 貼 付 け る 役 目 を な す の で あ る。 今 凡 て の 作 用 が 意
それ
識の中和面に投射せられたとすれば、反省はいわばその面に垂直に立つ直線に比すべきものである」
( 一二九
。 他 の 個 処 で は 反 省 は フ ッ サ ー ル の Retension
【 Retention
過 去 把 持】 と 対 比 さ れ て 夫 の 充 実 作 用 で あ る と
頁)
称されている( 一七二頁)。処が体験はただに諸作用の交錯であるのみならず、過去と未来とに流れる時間
的性質のものである。そこで反省はこの時間的間隔を同時化する役目を果さねばならぬ。「吾々は反省作用
あら
によって時間的体験の流をそのまま或程度まで同時的現在の姿に引き直すことが出来る」と高橋教授は述
べ て い る 。 実 に 反 省 作 用 は 過 現 未 の凡 ゆ る 時 相 に 出 入 し 得 る と こ ろ の ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス の い わ ゆ る 「 現 在 」
であるのである。それは原始体験を離れるけれども、「決して体験外に飛び出す事なく、体験の中に於いて
行 わ れ る と 考 え ね ば な ら ぬ 」 も の で あ る。 従 っ て 時 間 流 動 が 反 省 に よ っ て 同 時 化 せ ら れ る と い っ て も、 そ
れは「体験流以外に存すると仮想された空間的射影面に投射せられて、全然別異な存在となるのではなく、
時間流そのものが、時間流に於いてそのまま同時化させられるのである。」( 二三一頁)。こういう文句をみ
ると宛も反省作用こそ氏をして体験の全貌を達観させ氏の望む高次の静止の立場を可能ならしむるものの
如 く に 思 わ れ る。 し か し 直 ち に 氏 は 反 省 作 用 も ま た 体 験 の 部 分 で あ る こ と に 気 づ く。 そ の 限 り で こ れ も ま
た時間的であり有限である。「吾々は時間の反省によって過現未を一眸の下に収め、この意味で時間を超越
することが出来るが、この超越は何等の代償なしには行われない。その代償は先ず事実性からの遊離であり、
具 象 性 か ら の 抽 象 で あ る。 従 っ て 亦 現 実 性 へ の 貫 徹 力 と、 そ れ に 対 す る 支 配 力 と の 喪 失 で あ る 」 と 氏 は 告
Johannes
白する( 二三二頁)。ここに於いて教授は反省する作用の支持者、主体に眼を転ずる。一切の反省を支える「自
同的に不変的に止まる純粋自我」こそ超時間的ではなかろうか、と考える。この場合フォルケルト【
】 の 説 が 援 用 さ れ、 主 張 さ れ る 自 我 は 決 し て 形 而 上 学 的 余 剰 で は な く、 体 験 と 共 に 流 れ な
Volkelt, 1848-1930
が ら 而 も 自 己 連 続 確 実 性 を 保 持 す る「 現 象 学 的 所 与 」 だ と い う の で あ る。 全 体 験 の 把 持 は 無 限 反 省 に よ っ
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て の み 可 能 で あ る。 而 し て 元 来、 反 省 作 用 は 自 己 の 中 へ 自 己 を 映 し、 あ る い は 無 限 に 作 用 を 生 み だ す 働 き
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を も っ て い る。 と こ ろ で そ れ が 自 己 連 続 と し て の 確 実 性 を 具 え て い る た め に は 具 体 的 同 一 性 と し て の 自 我
を予想せねばならぬ。かくして反省作用は一層包括的にして根柢的な自覚作用に吸収されるようにみえる。
評 者 は 教 授 の 指 針 に 従 っ て 体 験 の 全 体 を 追 究 し、 そ こ に お け る 時 間 性 を 教 授 の い う 通 り に 内 在 的 に 超 越 し
よ う と す る と き 結 局 か か る 自 我 に 到 達 し、 そ れ は 自 ら 働 か ず し て 而 も あ ら ゆ る 作 用 と 発 展 と 活 動 と が そ こ
か ら 発 現 す る よ う な 実 体 で あ る と 考 え ざ る を 得 な い の で は な い か と 思 う。 け れ ど も 教 授 は 必 ず し も こ こ に
絶 対 境 を み よ う と は し な い よ う で あ る。 吾 々 は も う 一 度 教 授 の ヘ ー ゲ ル 研 究 に 追 随 し て、 そ れ が 何 で あ る
かを見究めよう。
二
評者の読了した限りではフッサールの現象学に倣った体験の反省的立場から如何にしてヘーゲルの弁証法
のような構成的立場に移るのか、その道程は必ずしも判っきりしていない。教授は弁証法を以て「体験の論
さら
理的解釈」と看做して居るから( 二四六頁)、ここにでも連なりを見るべきなのかも知れないが、『精神現象学』
がそこで特に顧みられているのなら未だしも『論理学』が主として引き合いにだされるのでなお更どう関係
づけてよいのか迷わされるのである。それはとにかく氏は主に論理学最初の三範疇、有無成の弁証法を根拠
として、弁証法的構造の種々相を描いているが、従来の解釈は弁証法における体系的側面を重視するか、生
あた
成的側面を重視するかに従ってヘーゲル解釈にも常に二つの型が存すると氏は考えており、この論理学端初
の問題に方っても、これを以て前に「現象学」を後に「本質」や「概念」の弁証法を予想すると解する説(始
元の、または体系の弁証法)と、論理学は絶対無媒介的な有から出発すると解する説(内容の、または根源
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の弁証法)とが岐れている。ところが教授はこの有無成の三肢体の外に更に根元的な要素を加えることによっ
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0
て四肢体的な弁証法を考えることができると主張する。この場合にもかかる根元的要素を更に絶対有とする
か、始元的成とするか、最後に絶対無とするかに従って、おのずから三つの態度の相異が発生する。教授が
自己のものとしようとするのはこの内の最後のものである。ここに謂われる無とはどういう無であろうか。
それはもちろん「有に確定的に対立することなき無、そして有の根源であるべき無」には相違ないが、必ず
しも有無の絶対的統一という如きものではなく、コーヘン流の根源無Xだと氏は解する( 二八八頁)
。この
ような無であってこそヘーゲルの説くような有無の移行も可能となり、有意味となり、必要となると氏は云
う( 二九四頁)。即ち範疇移動を理解せしめ、「ヘーゲルの弁証法そのものを可能にする」のはひとつにこの
か
相対的・不確定的な根源無の想定に懸っているというのである。詳しく言えば、氏の理解に従うとヘーゲル
の弁証法は未だ生成の立場が克っていて封鎖完了的な体系的側面が充分に発揮されていない。この欠点を救
うものが氏の「全または体系の弁証法」である。無から有へ、そして有から無へ、この方向を異にした二つ
の生成発展を包括する全体が、かくして可能になると考えられる。氏の念願する「成の体系への内在化又は
体系による成の超越」が果される。しかるに氏は直ぐさま「体系の統一は真の最後の統一ではない。体系的
全体は真に最後の全体ではない」といいだす、そして最後の絶対的統一としての「絶対無の境地」に憧れる
のである( 三〇六頁)。道は遠く憂いは深い。
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吾々は教授の方針に従って体験の全体なるものを一方に、現象学的に反省してゆくとき、そこに一切の流
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動を容れて自ら変らざる自我を発見し、他方で同じ全体験を「論理的」に構造づけるとき成を内在させ而も
これを超越するところの体系の統一、更にはあらゆる対立の融和を許すところの絶対無の境地に到達するこ
とを知った。ではこの反省的な絶対と論構上の絶対とはどう関係するのか。
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体験を流動とみながらその全体を想定しようとすれば勢い教授が考えるような自覚作用に帰着せねばなら
ぬであろう。ところがこの自覚的構造を直観的に而もまた概念的に現示するものはコーヘンの
「根源の原理」
に外なるまい。そして同じ根源無が論理的な始元としてまた体系の支柱としても採用されているのである。
もちろん教授はコーヘンの見解そのものに与するのでないことを諸処に断られているが、それにも拘らず根
本に於いて構想を等しくするものと断ぜねばならぬ。氏が好んで数学上のアナロジーを用い、特に極限概念
を援用し来って難問を解決しようとする態度はこれを証している(例えば三六三頁をみよ)
。元来、氏の謂
う「全体の立場」なるものが、無限判断的性質のものと考える外あるまい。というのは氏の行論に於いても
知られるように、全一または絶対的統一という如きものは何らか限定を蒙るとき直ちに逸脱し去って、更に
より包括的な領域を思わせる類のものである。だから氏もこれを最後には消極的な規定たる絶対無としての
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外、言い表すことができなかった。もし氏のいわゆる「全体」を判断の形で表示するなら「全体とは体験さ
0 0
れるもの及び体験に上らないものとして体験されるものの一切である」とするより仕方があるまい。そして
この「ないもの」は無限判断における賓辞のようにまさに根源性を有するものであろう。実はこの一句で教
授がその立場に就いて言おうとするところは尽きているようにさえ思えるのである。
三
さて以上の教授の立場についての叙述を顧みるに、時評の見地から最も重要なことは、かかる全一と封鎖
体系を求める氏の哲学と時間的なるもの、歴史的なるものとの関係である。氏は口を極めて、氏の立場が、
時間と成と発展と従って歴史をも抹殺するのでなく却ってそれらを可能にする根拠を提供しようとするもの
であることを述べている。氏は高次の静止に於いてのみ運動が、体系に於てのみ生成が、永遠に於いてのみ
歴史が可能となり理解されると説くのである。氏に於いて運動が一般に可逆的のものであり、生成は矛盾転
化、飛躍ではなく連続発展であるのを知ったが、歴史はまた種々性質を変ずる一葉の紙に譬えられるのであ
る( 三八二頁)。かかることはどうして可能であるか。
氏の行論は、既に述べたように、コーヘンと共に数学的形象を手本として進められている。ここ於いては
概念は直ちに直観化され得るという特権が具備されている。カントのいわゆる Konstruktion
の可能なる領域
である。教授は哲学をもかかる領域として取扱おうとする如くである。教授が好んで幾何学的図形を以て自
らの立場を表示しようと試みまた表示し得たと考えるのはそれがためであろう。むろん氏の謂う全体は同質
的な幾何学的空間ではなく、異質的連続を包容するものであるであろう。而もなお異質的個別性はたとい微
分的にでも全体から導来し得るものなのである。氏は「導来」という言葉を諸処に用いているが、この用語
の中に絶対的なものから個別的なものを残りなく派生させようという意固が窺われると思う。もしそういう
ことが可能であるならば、個別化されたものの一切はどうなるのであろうか。氏はその「具体的体系」によ
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れば一方「ヘーゲルの立場をも高く超出」すると共に「無限に豊富なる経験の『低地』に下」ることができ
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296
るといい( 三七二頁)或は「上は普遍と永遠への方向に、下は個別と瞬間への方向に無限にこれを超越する
ことが出来るのである」と称し( 二四一頁)宇宙を呑んだような意気を示しておられるが、たとい「絶対無」
すこぶ
を「絶対愛」にまで人格化しても、経験の低地に於いて最も豊富なる内容を提供するところの歴史的事象を
果して「導来」し得るかどうか頗る疑問である。却って全体が体系的である限りではそれはそこから派生せ
しめられないことを特色とするのではなかろうか。少くとも吾々の個性に「無底性」を認める教授は何故に
同じことを全ての時間的のものにも許さないのであろうか。
にも重要な関連を有する
教授は断絶と連続との関係を論じて、弁証法におけるいわゆる対立者への転化をも普通に論じられる如く
これを飛躍と解せずして、寧ろ程度的連続と解しようとし、ヘーゲルに於いても「進行の漸次性」が説かれ
ていると述べ、そしてかかる解釈が「具体的な問題(例えば革命理論の如き)」
的転化が連続として理解し得ず、歴史の過程が単なる漸進として把握できない所以もそこにあるのであろう。
まさに客観し得ずそれを実現するには飛込むより外致方のない要素を吾々が蔵しているからである。弁証法
最後には行わずしては全体を実現できないのである。全体が吾々にとって無のように暗のようにみえるのは、
てどこに考え得るのであろうか。吾々の行為と雖もむろん全体の中へ関与している。そうなればこそ吾々は
いえど
ように果敢ないものかも知れないが、氏の謂うところの個性の無底性というようなものも吾々の行為をおい
は か
の行為はどういう位置を占めるのであろうか。氏の高次的立場からみれば行為という如きものは一片の泡の
ことは想像するに難くない。歴史的発展が氏のいう如く素直な生成に尽きるものとすれば、
歴史における吾々
ことを承認しておられるのであるから( 二六九頁)、教授が暗に現代の問題に対しても態度をとられている
‼
かげき
これらの過渡における罅隙は到底、反省や論理によっては捉えることはできない。また愛というような調和
の原理を以ても充されない。教授が現在と称するものは明らかに「永遠の今」であり、ここを時間の出入口
とすることによって、世界史を一枚の紙に収める手品をさえ果されるのであるが、歴史のこの時点における
特殊の任務を告げるのでなく、永遠に変らざる秩序を説くことが、現代に於いて如何なる役割を果すもので
あるかは、言わなくても明瞭なことであろう。凡ゆる「全体の立場」なるものの意義はここにある。ただ里
美教授は杏村氏のように卑俗な誇張をしないだけであり、元来のイデオロギーの本性に従って無意識に反動
的任務を遂行しているだけである。
『唯物史観と現代の意識』序 三
( 木清全集
高橋教授はかっての三木氏がいったように「存在は存在を抽象する」【
第三巻 】)ということを覚られない。具体的なるものが真であり抽象的なものは欠けたものと考えている。そ
して具体的とはヘーゲル的な意味で普遍的、包摂的ということである。氏の行き方はかかる普遍を追求する
Coincidentia
ことにあるといい得よう。そこではどんな限定も欠除であり抽象であるとされるが、同時に如何なる規定
も、無規定も、例えば無も、罪も、偽も、誤もその中に納まらないものはない。氏が神秘的な
【(ラテン語)対立物の合一】を想うのもその故であろう。氏の体系にはこの意味で広く「真理」の
oppositorum
問題がない。フッサールの謂う「理性」の問題さえない。どうして氏の「立場」でなくてはならぬのか、何
らの必然性も妥当性も明証性も迫って来ない。これは畢竟、真理の基準たる実践が欠けているからだと思う。
297
吾々は実践から腰を浮かすとき何ものをも寛容に、耽溺的に、取り容れることができる。かかる態度を「全
体的」といってよいのだろうか。
哲学時評
9
298
からは「思
1933.6
(廣見温)
[# 雑誌『思想』における哲学時評はこの後幾人か加わるがもっぱら高山岩男が担当する。
想時評」と改題]
底本 『:思想』 1932.5
〜
哲学と時評
一、時評の先鋭化か インチキ化か
もう
『思想』に哲学時評欄が設けられてから、ちょうど一年になると思うが、その間に哲学に関する時評めいた
0 0
ものが続々眼にふれてきた。しかしその多くが最初の意図とは大分はなれた方向へ※[ #転]落しつつある
のではないかと思うのである。他人のあらを見つけることは自ずから創作するより容易だということは解り
きったことであるが、最初に時評の筆をとった者らは哲学をして現実の問題と接触させ哲学に対して新しい
活路を見出そうとしたばかりでなく、哲学においてこそ時事問題の多くが最後の断案を示されるものだとい
う気負った態度をもっていた。少なくとも批評のなかから自己を築きあげようと心がけていた。
ところが人々は結論の歯切れのよさと偶像破壊とにだけ興味をもち始めた。哲学にではなく、個々の哲
あさ
学者に関心の中心が移った。著書を漁って体系のイデオロギー性を探り出すことは必ずしも誰にでもできる
業ではないが、あちこちから聞きかじった怪しげなゴシップに尾ひれをつけることは哲学的思索に縁のない
者ほど上手なものだ。だがもっと悪いことには、それが政治戦術の名を冒していることである。真正面なも
のは到底、通過するはずがない、というのがその言い分である。それだからといって妙なところに露骨さを
示すより、鋭い風刺の方が勝っていないというのだろうか。哲学と哲学者が知識大衆の手軽な話題となるの
299
はよい。しかしそれらを大衆の平面にまで引き降ろしてからではなんにもならない。ハイネ程度でもよい、
哲学と時評
読んであく度さのない本当にイローニッシュな時評がでないものであろうか。
二、西田哲学批判に就いて
300
この中にあって戸坂潤氏は常に時評的哲学の建説に専念されている如くである。同氏の最近の著書もその
最初の成果でiあろう。今月はまた西田哲学の批判をiされている。人々は漸くこの巨像の時代性に気づき始め
たようであるが、戸坂氏の場合は氏がいわば京都学派の三代目にあたるということで特に興味をひく。
ii
0
0
からファッショとも結合し得る。というのは博士の体系はロマンティックであるから。とこういうのだった
それはそうとして戸坂氏の論旨に質したいところがある。氏の論旨はせんずるとこういうのだったと理解
している。西田博士の哲学は封建的だとも評されるが、氏のみるところでは勝れてブルジョワ的である、だ
ある。
活をしようというのである。悲愴といえば悲愴であるが、危ういといえば危うくて正視するに耐えないので
この荒波を知らぬ純真なる児が祖父や父の現在の遊惰を責めようというのである。そして自ら求めて貧乏生
うに聞くだけで直接にはそれを知らないのである、そして自らは大家の秘蔵子として守り育てられてきた。
われわれの家についても孫の時代となれば全く時世が変るというのが通常であるが、学統についても同じ
ことがいえるらしい。祖父の建設時代における労苦は漸く忘れかけられている、若い時代はそれを神話のよ
i
直近では『現代のための哲学』(戸坂潤全集第三巻)
「『無の論理』は論理であるか?」『唯物論研究』、『日本イデオロギー論』収録(戸坂潤全集第二巻)
i i
i
そろう
と記憶する。私の読み方が粗漏だったのかも知れないが、氏の文章の中には、それではなぜロマン的である
ことがブルジョワ的であるのかはどこにも論証がないと思う。氏にとっては自明なのかも知れないが、少な
くとも私にはよく腑に落ちなかった。
氏のかくいわれる意味はいくつにもとれようが、まずどこかで氏がほのめかしていられるように、西田博
士の体系が何ものをも余さずにそれぞれ平等な位置を与えているのがちょうどブルジョワ・デモクラシーに
はなは
比 類 す る と い う の か、 そ れ と も ド イ ツ に お け る ロ マ ン テ ィ ッ ク 哲 学 が 彼 の 国 の ブ ル ジ ョ ワ 哲 学 で あ る と 前
提し、更に当時のドイツと社会状態を等しくする現代日本の生んだ西田哲学が甚だロマン哲学に共通してお
り、従って西田哲学はブルジョワ的だと結論されるのか、さしづめどちらであろうか、そしてどちらにして
ももっともっと詳しい叙述が入用なのではなかろうか。私は戸坂氏が京都学派を次々に批判されてゆくこと
を※[#肚]iとするものであるが、それがもし日本イデオロギー批判の一項であるならば、もう少し土台に
関する分せきが欲しいと考える。
本多は唯物論研究会の設立時の幹事であったが、この前年にやめている。
哲学と時評
301
哲学ジャーナリズムにおいて今、三角関係に立っているのは『思想』『理想』『唯物論研究』であろう。私
『i 思想』はなんといって
は 現 在 フ リ ー・ ラ ン サ ー と し て そ の ど れ を も 外 か ら 眺 め 得 る 幸 福 を 享 受 し て い る 。
三、哲学ジャーナリズムの三角関係
i
ii
不明文字で、字形は立てに真ん中が消えている。ちょっと苦しいが「戸坂氏が肚とする」とみた。
i i
i
302
もフマニズムス【 ヒューマニズム】の伝統に生れた雑誌である。時勢の推移につれてそれをどうにか新装しよ
うと努めているらしいが今では却って伝統の殻を荷厄介としているのではないかと想像される。その結果は
誌面の異常な萎縮となって現れている。四月号では戸坂氏の「技術について」がi巻頭を占めているが、なん
となくそぐわない感を与えられる。戸坂氏のマンネリズムのせいか、問題に比して雑誌が落ちつき過ぎてる
ろうこう
かかわ
された今日、こんどこの雑誌が選んだ主張「世界哲学」は賢明であった。しかし論文としてはやはり三木清
れ雑誌という感を受ける。方法論争がイデオロギー論となり、それが世界観の対立というところまで平面化
一試論」
】には好意が持てる。『理想』は毎号主題を上手に握んでいるに拘らず伝統も主張もない哲学的気紛
つか
もよいはずだ。そういう意味で小高良雄【 鈴木安蔵】という人の論文【「マルクスの階級ならびに職業概念に関する
出ないのだろう。政治的戦闘雑誌だとは受け取れなのだから、華やかでなくても滋味の豊かなものがあって
てそれこそ時評的論文が満載されている。しかしどうしてもう少し落ちついた建設的意図で書かれたものが
えるのだろう。『唯物論研究』は半党派的立場で編輯されているらしい。四月号は
「現代唯物論」
特輯と銘うっ
ためかいずれかであろう。唐木順三氏の「葛西善蔵論」あたりが今のこの雑誌に一番ぴったりしているとい
i
号) 1933.4.24
477
氏の「世界観構成の理論」【 三木清全集第五巻】の構成の老巧をさん歎する以外なにものも教えられない。
底本 『:帝国大学新聞』(第
『技術の哲学』収録改題「技術の問題」(戸坂潤全集第一巻)
i
)
ある学生の疑問に答えて自己を語る
教養としての哲学と職業としての哲学
一
(
学生時代の私が哲学というような方向に偏し始めた頃ある年長の近親がこう言って私を訓戒してくれたこ
とがある ——
。
「左右田先生は言わば道楽で義太夫に耽られているようなものであるが、おまえは義太夫で飯を喰ってゆ
けるつも り か 」
とこう詰問するのである。先生の学問が素人芸に比せられるかどうか、それは別として、先生はいわゆる
ディレッタントでなかったことは確かであるが、でも学問を生活の糧とする意味では職業とすることを努め
て避けておられたことは明らかであった。教師がするように概念の定義を与え解り易く説明するなどという
ことは耐え得られない、とよく語られていた。遂には哲学はそうすべきものでないというような、今から思
いえど
し
えば多少、偏った理屈を附せられていた。先生のような創造的頭脳にとって教科書的叙述が迂遠に思われた
のは当然で あ る 。
303
も学問を、まして哲学を生活の資としようなどという考えはもっておらず、またそうし
さて当時 の 私 と 雖
もっと
た自信もなかった。ただ哲学というものが教養の極地であるかの如く感ぜられていたのであった。尤も素地
教養としての哲学と職業としての哲学
たまたま
304
の全く欠けていた私に対して哲学への興味を注ぎ込んだのは、偶々手にした左右田先生の最初の論文集で
あった。それも巻頭に収められた「サンディカリズムとベルグソン哲学との交渉」という表題が、当時の私
かえ
お
の唯一の哲学心であった漠たる人道主義に訴えたのである。ところがそこに盛られたドイツ哲学の用語、構
想は人道主義に満足を与えはしないで却ってかかる感傷を全く意識下へ逐いやってしまうほど力強い好学慾
を刺激した。かく私は全く狭い一隅から哲学の中へ入っていったのであって、この点、例えば高等学校の寮
の窓から星づく空を仰いで宇宙の謎を解こうと志すいわゆる哲学青年とはスタートを異にするのである。し
かしさて一歩、哲学の中に踏み入って何よりも先に感じたことは教養の不足ということであった。
その頃は大戦による好況とそれに乗じた「白樺」一派などの宣伝によって、展覧会、音楽会などが漸く学
生層の間にも親しみ始められていた。人々は一時どのようにかディレッタントになり、自己の中に天才をさ
え妄想したのであった。芸術は確かに教養の象徴であり華である。しかしそれだけでしかない。もしそれが
象徴するところのもの、その根であるところのものが忘れられるとすれば、人々の心を惑わす空花でしかな
いであろう。美の快さは、ひた向きな頑なさの角をとり去りはするけれども、同時に心の根締めを弛ませモ
むらが
ノ事への真剣な執着心を奪ってしまう。世の中のありとあらゆる事が仮象のように思えだす。それだけ心に
やや
余裕が生じたのであるが、この叢る仮象を選択してそれを現実化する気力がない。すなわち包容享受する寛
い心構えはできたが受け容れた豊富な内容を選択指導する批判力が欠けているのである。当時の青年が稍も
すれば一躍セザンヌやロダンを気取ったり、ベートーベンになりすましたり、万葉歌人の振りをしたりした
のはそのためではないかと思う。
0 0
なんといっても教養とは享受と批判とのほどよい釣り合いがあってこそ出来上がるものだと信ずる。何か
ためにするところがあって関心が偏っていては到底、豊かな教養が培われるはずはない。それには芸術家的
どんらん
な無関心と受容力が望ましい。私といわず私たちの哲学に対する要求も確かに、何ごとをも惜しみなく受け
容れたいという貪婪な究学心であったことに間違いない。解ろうと解るまいと、自己の素質傾向に合おうと
合うまいと、将来のためになろうとなるまいと、そういうことに頓着せず、とにかく哲学というものの全様
に接したい念願で一杯であった。かくしてほんの一隅から哲学へ入った私に、ともかく哲学の果てしない分
野に対し透視を可能にしたのはこの受容の精神であったであろう。
二
( )
お
学校を了えた後に於いてもその心に変わりはなかった。間もなく論理の授業を命ぜられたけれども、哲学
に関する限りそれを教養と考える態度に少しも動揺はなかった筈である。しかし哲学にとって単なる受容と
享楽は価値の少ないものであることが漸く判り始めてきた。友の中には、古今の名籍を静かに読むことがで
きればそれに越した楽はないと考えている人もあった。そういう謙虚な念願もいとゆかしいとは思いながら、
い
い
他方それでは足りないという若い反撥心に燃えていた。哲学の国ドイツにさえ、(或はだからかも知れないが)
「才
紹介や解説に一生を終る多くの哲学者がある様だ。そうした現象をみて左右田先生は云い云いされた。
能がないものが哲学に携わっているほど惨めな姿はない」と。全くよし彼がどんなに物知りであろうとも気
305
概のない哲学教師ほど漫画じみたものはないであろう。かくて私は享受と共に批判的精神を鋭くせねばなら
教養としての哲学と職業としての哲学
なかった。
306
批判力はしかしただ理論からだけ生ずるものではない。また個人的な思い付きから来るものでもない。身
を現実の中に投じ、社会的、歴史的世界の一員と看做すことに依って初めて働き始める。かような方向に
私を衝き動かしたものは一方に年齢であり一層多く当時の社会的動向でもあったであろう。しかし私個人と
しては学究上の理由もないではなかった。未だ左右田先生が存命の頃ある書店から「経済哲学」という題で
一冊の本を書くよう依頼された。早速、先生に御相談したところ、一人でも多く経済哲学に就いて書くこ
とは慶ばしいことだから、是非引き受けるようとのことで、私は最適任者とは必ずしも思わなかったが承
】の『経済と法律』【
Rudolf Stammler,1856-1938
"Wirtschaft und Recht nach der
諾した。引き受けた以上は途中で尻ごみしてはならぬという先生の命令でもあったので、とにかく参考書を
読みだした。その一冊にシュタムラー【
】があった。よく知られているようにこの本は唯物史観が社会科学、社会哲
materialistischen Geschichtsauffassung"
学の上にもつ意義を十分に認めつつ而もそれを超克して築かれた独自の社会哲学を示している。これは一つ
の力強い暗示であった。それと共にシュタムラーが反駁している唯物史観の形態がもはや今日のものでない
ことにも気がついた。これより前、私らは左右田先生の主宰する横浜社会問題研究所にあって『新カント派
たまたま
の社会主義観』【 国会図書館近代デジタルライブラリー】を共同考究し、先生また新たなるマルクス研究の必要を
痛感されていた。その時偶々河上博士がマルキシズムと現象学とを紛交した論文を発表した。従来、現象学
を専攻し来った私の興味は更に刺激された。私が今日の形態における史的唯物論の真相を究めようとしたの
は以上のような様々な理由によってであった。
およそ物の真相を突きとめんとするには、最初から成心を以て臨んではなるまい。それが排撃され超克さ
るべきであることが、たとえ定説であってもそれは内面的に行われねばならない。物の内に入り込み、共感
的態度で接して、然る後、内的必然性に従って、より具体的場面に移るというのでなくてはならない。内在
的にして而して超越的な批判こそ批判の名に値するのであろう。私は意識せずしてそういう態度を採らざる
かりそ
つぶさ
を得なかった。私はここに端なくも菊池寛の「藤十郎の恋」という戯曲を思い出す。坂田藤十郎は舞台で密
かりそ
夫の役を務めるために、爛熟した人妻に仮初めとも真実とも区別のつかぬ恋をしかけて、具に姦夫姦婦の心
身の動きを予め体得するのである。作者は芸人としての藤十郎の心構えを賞すると同時に、苟めの恋を苟め
せりふ
となし得ずに自害する女の悲劇を描いている。而も「藤十郎の芸の人気が、女子一人の命などで傷つけられ
てもよいものか」という科白で劇は結ばれている。「役者は上は摂政関白から、下は下司下郎のはしまで一
度はなって見なければ、役者にはなれぬ筈ぢゃ」という見解には議論があるだろうけれども、社会的、歴史
的学問に於いてはそうした用意が多分に必要なことは争われない。そこではいわゆる理解や了解を以てして
は足りず実際に行ってみるというところまで進むことも往々である。そして実践に近づけば近づくほど誤解
)
もまた犯され易い。しかし一人二人の誤解の故に学問の意義を没却されるのは忍び難い。
三
(
307
とはいえ身を以て批判することは学者の本分ではない。役者が劇中の英雄から直ちに実社会の英雄を気取
の会員の中にはそうした錯誤に陥っ
るところに錯誤が始まる。作家同盟やプロット【 日本プロレタリア劇場同盟】
教養としての哲学と職業としての哲学
308
ているものが多いのではなかろうか。日本の労働運動がこんな人達に指導されてる間は本筋でもなく、恐る
るにも足りないだろう。彼らが何よりも芸を磨くべきであるならば、学者は何にもまして学に忠実でなくて
いやしく
はならぬ。時に実践を強調することがあってもそれは学問的真理のためであって、行動そのものに神秘力を
与えるからではない。学のための学という立場は主知主義として狭い立場だとしても、苟も学を以て生命と
するものには高い立場からする学問至上主義の確信が存せねばなるまい。私も常にこの確信を見失ったこと
はないつも り で あ る 。
こう書いてきて、初め教養としての哲学を取扱ってきた私がいつの間にかそれを生命として認めているの
に気がついた。私は教職につくと同時にもはやそう考えざるを得なくなったのである。ここに初めて職業と
しての哲学の問題が生じる。私がここで職業というのはいわゆる職分というような超越的臭味を一応ぬきに
し
も
して考えている。さきに「哲学で飯が喰ってゆけるか」と問われた時のその意味である。即ち哲学を糧を生
む資とすることである。だからそれを生命とするということは十分に現実的な意義を有っているのである。
私はかりにも哲学的課目を必要とする学校にかかる課目を担当するために奉職している。奉職という言葉に
はまた超越的響きがあるがそれを除いてみれば「傭われている」
。そして学校が公共の制度である以上、一
定の法規や秩序に従わねばならない。 伝
( 統 と い う こ と は 暫 く 抜 き に す る。 そ
) れで私は一個の官吏として
また当該学校の職員として如何なることを教授してもよいという理由はない。私は一つのぬきさしならぬ機
構の中の一員として、校規に従い上官の命に従わねばならぬ。かくて講義案もその趣旨に副った内容をもた
ねばならぬ。その上、授業は後学への誘導であってみれば偏ったものであってはならず、叙述も上手でなけ
ればならない。そうするとここでは創意よりも技術が一層多く役割を演ずることになるであろう。職業とし
ての哲学は一種の技術なのである。哲学はむかし報酬のことを考えるや否や詭弁や雄弁や修辞と混同された
のも肯かれ る わ け で あ る 。
私は教職に止まる以上、哲学技術家とならねばならない。しかし、もしそれのみが志願ならどこかの哲学
科に学んだであろう。教養としての、批判としての哲学を失いたくなかったからこそ左右田先生に仰慕した
のである。私は教壇にあっては技術家たることを努めて意識すると同時に、職業を離れた自分としての哲学
を築きたい。ここでは上官の命令はもとより如何なる権威にも屈したくない。ここに思い起すのはカントが
「理性の公共的使用」と「私的使用」とを区別していることである。カントが公用と考えるのは「何人かが
学者として読者公衆の全てに対して彼自らの理性を使用すること」であり、これに対して私用とは「何人か
Kant, Was ist Aufklärung? W.W. Cassirer Ausgabe 4 Bd. S.
が彼にあてがわれた何らかの市民的地位、すなわち役目に於いて彼の理性について行うことを是認される使
用」である。その中には教職者も算えられている。
(
【「啓蒙とは何か」邦訳各種あり】)カントの定義における公私の別はまさに今日われわれが慣れているも
1715
のとは反対である。ここに十八世紀人としてのカントの制限をみるとしても、この区別そのものは十八世紀
的抽象として捨てざらるべきではないのではなかろうか。ましてかかる十八世紀的自由が極度に脅かされて
309
例えば士官が上官から
いる現今に於いてはそうであろう。カントはなお両者の関係に就いて述べている ——
ある命令を下されたとする。その時、勤めにある彼が命令の適不適、利害得失に就いて勝手な論議をするこ
教養としての哲学と職業としての哲学
限ではなか ろ う か 。
310
とは有害である。しかし彼が学者の資格を以て兵役における欠陥をi指摘し、これを公衆の判断に訴えるのは
妨げ得ない。実にフリードリッヒ啓蒙治世の次の標語こそ、職業としての哲学の立場から認めて欲しい最小
i
)
「公的使用」以上に責任の感情を鋭くするであろう。
すわけにはゆかない。とにかく教育者としての自覚はカントの「私的使用」以上に理性の内部的制限となり、
てこの哲学の問題にぶつかるであろう。それは教育という大きな問題に連なっている以上ここで委曲をつく
り込んでいるのである。即ち教育者としての地位におかれているのである。ここに私は職業ならぬ職分とし
生徒という関係に立つとき、私はただに哲学の学徒としてだけではなく、いわば全人格的にかかる関係に入
らみれば両者は不可分なもの、少なくともどこから区別してよいか不明なものと思えるだろう。私が教師と
二面の区別は私一個の内部に於いてのみ成立するとも考え得よう。他人からみれば、特に教壇下の聴講者か
教養としての哲学は受容と批判との程よい釣り合いであり、職業としての哲学は一種の技術である、と私
は言った。カントの語を用いれば一は「理性の公的使用」であり、他は「私的使用」である。しかしかかる
四
(
Räsonniert, soviel ihr wollt und worüber ihr wollt, aber gehorcht!i
ii
底本はこの通りであるが追悼録では「欠点」としている。
「啓蒙とは何か」の一文。フリードリッヒ王は言う「議論せよ、君たちは好きなだけそして何に関しても。然し服従せよ」
i i
i
わか
私は最後に現在の私の哲学上の立場に対する疑惑を解こうと思う。
た
〔第一〕私はエンゲルスが「哲学は二代陣営に岐れる、曰く観念論、曰く唯物論。
」 ——
とこういう意味では
決して唯物論者ではない。私は一度もこの公式を承認したことはない。私が唯物論に同情をよせたのは、こ
の世界的危機に際して学問までが興奮しようとしているのをみて、少なくとも哲学だけは冷静を保たしめ度
いと考えたからである。学問のうち最も冷厳なのは純粋自然科学だと考えられているが、それの包蔵する科
学的精神はあらゆる学問に亙って、もはや無視することの出来ない尊い遺産である。哲学に於いてさえ、そ
の考え方がどんなに方向を異にしようとも、別な意味で科学的精神のない哲学は今日、意義がないといえる。
そしてわが国の哲学上の伝統に於いて最も欠けているのがこの精神なのである。ただ僅かに左右田先生が哲
学における科学性のために奮闘されたことは忘れることができない。
西欧に於いてはその特殊事情に従って新たに形而上学が唱えられ学としての哲学という要求は薄らぎつつ
あるかの如くであるが、これは哲学の正常な発展とは考え得まい。かくては哲学が宗教に席を譲る日も遠く
はあるまい。そして哲学における科学性が「ものそのものに即すること」にあるとすれば、これを表すのに
通俗的で刺激的な「唯物論」の名を藉りても不当ではあるまい。
〔第二〕私はまた弁証法万能論者ではない。特にエンゲルスやレーニンの逐条的解釈には承服しかねる多く
の点をもっている。ヘーゲルについては十分解らないというのが本当である。ただその弁証法的思索の中に
311
は私のいわゆる哲学の科学と性折り合わない要素が多いことは確かである。私は弁証法の長所を知るが故に
その研究者ではあってもそれを常に忍術のように利用するものを悪んでいる。
教養としての哲学と職業としての哲学
312
〔第三〕既に唯物論者でも弁証法論者でもないのだから、ましてや唯物弁証法論者ではあり得ない。その主
張の全様は今の私には解らない。その重要部分である自然弁証法に到っては殆ど理解の素養を欠いている。
先に唯物論研究会なるものへ加入したことがあるのもそこには優秀な自然科学者が多くいてそれらの根本問
あきた
題を検討するときいたからである。従って私は一度も唯物弁証法の立場からものを言ったことはない。ただ
思惟の弁証法では慊らず実存弁証法というところまで進んでいる。そこに停滞しているというのが事実であ
る。
(昭和八年九月)
今後どこへ私がゆくか、それは私にも解らない。ただ男子として生きがいのありそうな時期と国に生れた
もと
のであるから、願わくはそれに相応しい哲学を築きたいものだ。日本をして力と共に徳と中外に悖らざる偉
大な理想とiを以て万邦の民を化せしめたいものだ。
底本 「:一橋新聞」 1933.9.25
参照:『本多謙三追悼録』
るが見やすさを優先し、取捨する。
]
[#底本とした縮刷版では不明箇所が多く、
『本多謙三追悼録』で校正する。読点・改行などで違う点があ
i
教育勅語の、「遺訓を中外に施して悖らず」をもじっている。
i
ナチスとドイツ哲学
文化社会学形態
ナチスはドイツ民族復興のための党として認められている。その根柢に如何なる哲学的世界観が潜むかは
明確でなく、又公認哲学というようなものも未だ出来ていないというのが真実であろう。その政策は寧ろ独
自な人種観に従っているようである。これに基づいて多数のユダヤ人が職を奪われ亡命を余儀なくされたこ
とは周知の 事 実 で あ る 。
】
、コフカ【
Max Wertheimer, 1880-1943
Kurt Koffka, 1886-
】、 カ ン ト 協 会 主 事 リ ー ベ ル ト【 Arthur
そ の 中 に 新 カ ン ト 派 の 殿 将 カ ッ シ ー ラ ー【 Ernst Cassirer, 1874-1945
】、形態心理学の提唱者ヴェルトハイマー【
Liebert, 1878-1946
】等を始め大小の哲学関係者のあったこともその道の人を驚かせた。
1941
ナチスの人種観はかくドイツにおける哲学者スタッフを弱めただけでなく、もしこれを哲学的世界観に代
えようとするのなら、甚だしく哲学の伝統に背くことである。蓋し個別科学の背後に哲学原理の存する事を、
—
我々に教えたのはドイツ哲学に外ならなかったから。
×
—
313
ナチスの政権略取が幾多の暴力を伴っていることは周知の事実であるとしても、当事者自身は政権の移動
ナチスとドイツ哲学
314
が極めて自然に民意に従って行われたように見せかけるのに努力している。ワイマール憲法を形式的に変更
せずして実質的に骨抜きにするにはどうしたらよいか。ヒトラーの独裁政治と共和制実施以来の民主主義的
精神とをどう妥協させるか。議会主義をどう処置したらよいか。ドイツ民衆の中に残存している右のような
民主主義的イデオロギーを説得する為に一派の法律哲学者らが動員された。
】とかカール・ラレンツ【 Karl Larenz, 1903-1993
】などがその代表
ユリウス・ビンダー【 Julius Binder, 1870-1939
者であろう。彼らは当時ヘーゲル・ルネッサンスがしきりに唱えられた風潮にも乗じて、民主主義法律哲学
者が、主にカントに拠ったのに抗して、ヘーゲルを範とすると称している。
彼らの見解によればドイツ憲法が総統を国民の一般投票によって選出する制度を認める以上は、決して民
主主義的精神は没却されることなく、寧ろ国民と総統の中間に議会や政党を認めるのこそ、国民の意思が端
的に為政者に伝わるのを妨げ真の民主主義の障碍となるという。
× —
—
およそ拾数年前のドイツに於いて社会民主主義思想が全盛を極めた頃哲学の社会学化とでも称すべき傾向
しま
が顕著であった。というのは従来、哲学の唯一不可侵な領域と考えられた諸価値がイデオロギーに解消され
て了ったのである。芸術も科学も道徳も経済的下部構造に対応する上部構造と考えられた。価値の体系の代
あたか
りに社会意識形態の秩序が置かれた。そこに生れたのが種々な文化社会学である。ドイツ哲学の特色の一つ
であった認識論も、いわゆる知識社会学に摂取されたかの如くであった。宛も社会学が哲学にとって代った
かのような 観 を 呈 し た 。
×
—
—
今ナチス・イデオロギーのために闘争しているのは本来の哲学者よりも、こうした哲学的社会学者の仲間
はや
に多いようである。彼らの説の方が実用的妥当性があるのであろう。経済学から出発して、疾くから全体主
】を継承するのだと称している。
Adam heinrich Müller, 1779-1829
義的社会哲学を唱道しているシュパンについてはあまりに有名である。彼はナポレオン戦争後の反動期に活
躍したオーストリアの思想家アダム・ミューラー【
此アダム・ミューラーを始めメッテルニヒに奉仕した当時の政治家、思想家の往来を叙し、且つ彼等の思
想体系を分析解剖した著書に「政治的ロマンティーク」【『政治的ロマン主義』邦訳2種あり】と言うのがある。カー
】という政治社会学者がその著者である。彼には独裁政治を史的に論
ル・シュミット【 Carl Schmitt, 1888-1985
じた著書もあるが、近来頻りにナチス政見の擁護に努めているという。
等族概念の問題
形式社会学として特徴づけられたドイツ社会学に、内容を与えたのは文化社会学者の功績である。その先
駆者はマックス・ウェーバー【 Max Weber, 1864-1920
】、ディルタイ【 Wilhelm Christian Ludwig Dilthey, 1833-1911
】、遠
くはヘーゲルにこれを求めることができよう。広くいって歴史学派の流れをくむものであろう。社会学は普
ないし
遍的概念を扱う科学である以上、それは歴史のように個別的事象を対象とするのではなく、そこから一般的
315
な社会的範疇乃至は型をとりださねばならない。然しかかる一般概念が必ず現実に根ざしたものでなくては
ナチスとドイツ哲学
ならぬというのが彼らの主張である。
316
邦訳
国会図書館近代デジタルライブラリー】を完成してドイ
1935
先頃主著『社会学』【 "Einleitung in die Sociologie",
】はその代表者の一
ツ社会学の新動向を示唆したといわれているハンス・フライヤー【 Hans Freyer, 1887-1969
人である。彼も結局はヘーゲルが範型として仰がるべきことを強調している。但しヘーゲルの弁証法は観念
弁証法であって、社会学を以て現実科学たることを説くフライヤーにとっては不満足である。これはまさに
現実弁証法的に改められねばならぬと彼はいう。するとヘーゲルとは丁度逆な秩序が出来あがる。
では社会学における現実的態度とは何かといえば、「歴史的状況の意識」を自覚すること、即ち「一定の
歴史的位置に於いてその実存的立場」を意識し確保するにある。砕いていえば社会学者自身が彼の立つ歴史
的状況に照して何を為すべきかを自主的に決意しその行動の一環として現実社会の成立と進展、その段階と
—
成層の分析に従事すべきだという意味であろう。
×
—
ることがこの意味に適うのか。一九三〇年版の『社会学』ではその具体的指示はない。未
ではどう決意かす
げき
うず
来と現在との罅隙が物的な発展によってではなく、人間の意思によってのみ埋められるとは説いているが、
意思の方向は語られていない。現在社会を移りゆくものとみて何らか未来社会の像を描く思想として、マル
クス主義も、自由主義も、国民社会主義も寧ろ並列的に眺められている。
しかし其の後彼は「右からの革命」というようなパンフレットを書いたりして急角度にナチス化したらし
い。多数者政治としてのデモクラシーがやがて内部的に破滅して必然、寡頭的な独裁政治に移るに相違ない
との主張は前からあった。「政党の社会学」【 Zur Soziologie des Parteiwesens in der modernen Demokratie",
邦訳数種・広
"
】の見解などそれであった。
Robert Michels, 1876-1936
瀬英彦訳『政党政治の社会学』
】の著者ミヘールス【
民主主義の弁証法】
"Die Dialektik der Demokratie"
こ れ を ナ チ ス 党 に あ て は め て そ の 出 現 の 当 然 さ を 証 し よ う と す る も の に グ ロ エ ト ウ イ ゼ ン【 Bernard
】 の「 デ モ ク ラ イ シ ス の デ ィ ア レ ク テ ィ ク 」
【
Groethuysen, 1880-1948
—
という本がある、著者はディルタイ全集の編輯に与ったり、「哲学的人間学」をかいたりしているので興が
ある。
×
—
フライヤーは国民という概念が社会学最後の問題だといっているが、ナチスにとって国民概念に次いで重
要なのは等族 シ
( ュタンド Standの
) 概念であろう。これはまさに階級概念に対立する。階級が全体国家の破
壊的要素だとすれば、等族はそれの固めである。
シュペングラーは夙に階級や党派の頽廃性を認めて、等族が宇宙的性格の流露として人間社会に永久に必
要なることを述べた。シュパンもまた「真の国家」の機構を等族に基づけている。
317
プラトンが引合いにだされる。利益や権利の主体ではなく、奉仕と天職の団体が要望される。特殊の倫理
的理念を伴った協同社会が理想として描かれる。第三国家がその実現と考えられる。
フィヒテの主張
ナチスとドイツ哲学
318
ナチスの世界観がもしありとすれば或は将来できるとすれば、過去の如何なる古典的哲学に拠り所をもと
めるであろうか。ナチス的学者の多くがヘーゲルに典拠をおいていることは既に知ったところであるが、イ
タリー・ファッシズムと等しくナチスもまた行動の優位を信条とするものだとすれば、この点から推して同
た
じドイツ観念論の巨匠のうちでもヘーゲルよりもフィヒテに学ぶところが多いのではないかと想像される。
「職業的学者には私は適していない」とフィヒテ自ら述べている。「私はただに思索し度いだけでなく、実
行を欲する」またこうも言っている、「人間の堕落を傍観し愁訴するだけで、それを減ずるために手を動か
さないのは女々しいことだ。処罰し嘲弄するだけで、人々にどうすれば改善されるかを告げないのは不親切
—
である。実行!実行!それが我々の目指すところだ」
×
—
こうしたフィヒテが若くしてフランス革命に感激すると共に一度祖国がナポレオンの蹂躙を蒙るや否や燃
える愛国者に変じて「ドイツ国民に告ぐ」なる熱情的な講演を以て国民の覚醒を促したのは有名である。更
に彼が描いた理想国家の絵、いわゆる「封鎖商業国家」の組織もどこかナチスの理念と共通なるものをもっ
ている。但しフィヒテは口を極めてドイツ人の優秀さを指摘し国民の奮起を促すことに努めたけれど、決し
て侵略主義を説いたのではなかった。ナチス党が旧領土の回復以外にややもすれば帝国主義的野望を宣伝す
るのと対比せらるべきであろう。
フィヒテの行動主義はカントの実践理性批判の精神を継ぐものであることはいうまでもなく、従って其の
行動はどこまでも理性的であって自律的規範に準拠している。この点、初期イタリー・ファッシズムがサン
く
ディカリズム流の非合理主義的直接行動主義に盟みしたのとは違っている。フィヒテ流の行動観こそドイツ
哲学の伝統に相応しいと思えるが、ナチスの実行運動をみると必ずしもこれに適応しているとは思われない。
寧ろ理論よりも実行を先立たしめる点でファッシズムに近い。
しかしドイツにもそうした非合理的な行動主義を説いた先駆者がいない訳ではない。伝統ぎらいな哲学者
ニーチェがそれである。彼は若くして『悲劇の誕生』の中でソクラテス風なアポロ的精神、理論の整斉を主
眼として理論を湧出させる源泉を枯らすような態度、分けてもアレキサンドリア学派風な註釈精神を排して、
かわ
さかしい知見を忘却して人間本然の原始的生産性に還るディオニソス教的精神を鼓吹したことは人々のよく
知るところ で あ る 。
現代人は余りに多くの人為と巧知に煩わされている。かかる被服をかなぐりすてて赤裸々の人間に生れ更
りたいとは誰しもの要求である。知性は人間の活力と創造力とを鈍らす邪魔ものに外ならない。科学主義を
標榜するマルクス主義に対してナチスがかかる非合理主義を利用しないわけはない。現在ドイツ学界で特異
】は疾くからニーチェに注目していたが、
な地位を占めているカール・ヤスパース【 Karl Theodor Jaspers, 1883-1969
最近この哲人についてモノグラフを著した。
国家奉仕の犠牲
319
原始的活力への憧憬は一面、人間文化の否定につらなっている。また文化否定の思想は種々な虚無主義を
ナチスとドイツ哲学
320
生むと同時に、人間の努力の限界を明確にすることによって却って人間以上の存在への信頼において、人間
の主体的力を前よりも強大に発揮し得るという弁証法的神学の思想を普及させるに至った。かかる考えの先
師はデンマークのキリスト教的思想家キルケゴールである。
思えば従来の傾向は科学はもちろん形而上学もまた客観的知見を偏重し過ぎている。例えばヘーゲルは体
系の完成に専念した結果自己の存在を忘れている。どこに主体の働きを容れる余地があろう。
しかしもし真理が全存在の知識だとすれば、主体を除いた客体だけで不足なことは明らかである。客体の
観察と分析だけでは足らず、それに観察者自身の行為が加わらねばならぬ。然るに自己の行為はもはや客
観化し得ないから、それに就いては「知らぬ」という外ない。かくてソクラテスの唱えた「不知の知」かか
る逆説のうちにこそ主体的真理は成立すると彼は説く。このような思想は実存的と称せられている。今日
哲学者中で最もあからさまに実存思想を唱えているのは前記のヤスパースだと思う。ハイデッガー【 Martin
…… × … …
】などの人間存在論も著しくこれに通じている。
Heidegger, 1889-1976
ユダヤ人の思索家は鋭く峻しい代りに潤いと円味がないと評されてきた。新カント派の論理主義者の中に
はその幾多の例証が見出されるであろう。ナチスはそういうユダヤ人を追放したのである。そこでドイツ哲
学もいきおい円味を帯びてきたように思える。
何事も甲か乙をきめつける態度から、思索に余韻がのこされるようになった。真昼間のような言葉の使用
から、翳りのある用語が選ばれるに到った。論理主義が存在論に、認識論が形而上学にとって代られた。ヘー
ゲルやディルタイがカントやフィヒテに代って呼び起こされたのもここに原因するのであろう。
】
トマン【 Nicolai Hartmann, 1882-1950
今日ドイツで高名な哲学者といえばハイデッガーにしろ、ニコラ・ハル
なかんずく
に し ろ、 ヤ ス パ ー ス に し ろ み な こ う し た 部 類 に 属 す る 人 た ち で あ る。 就 中 ハ イ デ ッ ガ ー は ナ チ ス に 入 党
一九三三年五月フライブルグ大学総長に就任、その際に行った講演はわが国でも当時問題になった。題して
「ドイツ大学の自己主張」という。
ドイツの大学の本質に迫らんとする意志は科学への意志である。科学への意志とは彼によれば、国家の中
で自己自身を知る国民としてのドイツ国民の歴史的・精神的任務に応ぜんとの意志である。
かくてハイデッガーによればいわゆる「大学の自由」の観念の如きはドイツ大学から駆逐され、教師も学
生も一様に国民的束縛の下に一定の奉仕を成就せねばならぬ。即ち第一に国民としての労役奉仕が、第二に
国防奉仕、第三に精神的な知識奉仕が挙げられている。かかる方針がその後如何に実現されているか知りた
いところで あ る 。
…… × … …
ドイツ哲学は国民復興と国防の名分の下に犠牲たることを要求されている。私はかかる運命に立つドイツ
哲学の将来について必ずしも悲観的観測を下すものではない。この喧噪の中に静かに行われている古典研究
を無視することはできまい。ドイツ哲学がいつの日にか昔日の如く世界思想界を指導し、世界史の運行に正
321
碩学フッサールはプラーグにおける第八回国際哲学者大会に宛ててドイツ哲学界の絶望状態を嘆ずる書信
しい進路を示すことのあるのを期待する。しかし現在それが極度に不振なことも争われない。
ナチスとドイツ哲学
あなが
30
を寄せたというがそれは強ち晩年不遇なこの学者の私的愚痴ばかりとは解せまい。
底本 『:東京朝日新聞』 1936.10.27
〜
322
本年思想界の回顧 i
一
しおや
私は今二種の新聞を講読しているが、最近ではどちらかを止そうと考えるようになった。というのはいず
れをみても記事の内容が同じなのである。別に特種を要求しているわけではないが、ジャーナリズムに特有
遣り過ごした私が本年の思想動向をどれだけ適確に洞察できるかは自らも疑わしく思う。
はない。私はその後幸い、病床をはなれ家族を追って上京できるようになったが、こうして大事件を病床に
本年即ち昭和十一年のわが国の一切の情勢がこの
が東京の事変におちて行ったのは已むを得なかった。 ——
劃期的な異変に影響されていることは誰しも否定しないであろう。思想界といえどもその例に漏れるもので
後だった。同君と私は小学以来の友達であるが、十年近く御無沙汰していた。久し振りの会見の話題の中心
である。台湾遠征を控えた神戸商大助教授田中薫君【 1898-1982,
経済地理学者】が見舞ってくれたのは一両日
当日は阪神地方でも雪がひどかった。これでは東京でも引越しは到底だめだろうと思っていた矢先だったの
色々な都合で丁度あの前日、家族だけを先発上京させており二十六日に引越すことになっていたからである。
二・二六事件当時私はまだ鹽屋で病床にしたしんでいたのである。事件の片鱗を知ったのは当日の正午少
し前であった。東京が騒ぎだと聞いたとき、私は私の家族らに異情があったのだと早合点した。というのは
i
本論文は、第四面「回顧と展望」の冒頭の論文として掲載されている。
323
な批判的精神とでもいわるべきものが稀薄になったためではなかろうか。これではやがて官報風な御用新聞
本年思想界の回顧
i
324
一つあれば事足りることになりそうである。ナチスの国では最近、新聞記者の資格限定が従来よりも一層厳
や
し
格化されたと報ぜられているが、わが国でもじりじりジャーナリズムの統制、思想統制という方針がすすめ
られ実施されつつあるようである。独裁諸国では議会は全く香具師のサクラのような役割をしか演じていな
いのでないかと察せられるが、ジャーナリズムもやはり同じ運命を辿るのではあるまいか。思想は弁護に於
いてよりも批判に於いて溌溂と活動する本性をもっている。元来、思想は改革的、敵対的でさえある。とこ
ろが今や批判は封ぜられ、ひとり弁護のみが許されているとすれば、思想が萎縮するのは当然である。わが
国を独裁国と刻印することについては軍部iでさえ躊躇しているらしいし、私もそうは断定したくないが、結
果現象から推せば準独裁国とはいえそうである。
らが容易に口を開こうとせず、また彼らに対してこそ緘口令が布かれている以上、到底その真意は我々の耳
かんこう
奴がいるぜ」真の批判的思想の持ち主はあるいはこうした沈黙せる人々なのではないかと察せられるが、彼
フッと話し合うと、この野郎はいったいどこまで考えていやがるんだろう、こっちが怖くなるようなそんな
この一職工をしていわせている「近頃工場にゃ妙な奴が沢山いるよ。いつも黙んまりでね、どうかしたとき
だ
】は京浜地方の工場を探った一節で、そ
1899-1958
「コムミュニズム」
ある外人記者がクルップ工場かiどこかの職工をとらえて「君の政見は?」と尋ねたところ
と答え、「君の党籍は?」との問いには「ナチ」と応えたという記事を読んだことがある。改造十二月号の
i
「軍需工業地帯ルポルタアジュ」という欄で、徳永直氏【
ii
底本では「車」になっているが単なる誤植だろう。
独逸有数の製鋼・兵器工場
i i
i
うわ
に達しそうもない。従って思想といえばインテリ向きのものとなり、なにか浮ついたように感ぜられるよう
になった。尤もインテリ層といえどもその大部分は筋労者とあまり遠くない境涯にいるのである。ある新聞
はんじょう
は各種の職場で若人の不平を聴いて歩いているが、その内一マネキンはこう述べている「……一般階級のサ
ラリーマンや、学生さんは何か世間に対して非常な不満をもっていると見え、私達の説明の途中から半畳を
入れて、揚げ足を取るという向があり、何となく世相の険悪さといったものを感じさせられる事があります」
このマネキン嬢も恐らく不満なサラリーマンの一人なのであろう、だからこそ大衆の顔にも不平を発見する
のかも知れないが、この頃の学生や若い勤め人の間に鉛のような憂鬱さを認め得るのは確かである。若い男
子の元気のないこと、これに比すれば女性の方がずっと溌溂としている。健康統計もこの事を実証するよう
だ。今の日本がその標榜する大使命を背負うだけの健康力をもっているかどうかについては種々の見解もあ
ろうが、とにかくそれに耐えようと焦っていることは見逃せない。我々若人もせいぜい栄養剤でものんで重
任を果すべ き で あ る 。
二
すがにこうした情勢
二・二六事件後、綜合雑誌が如何なるトピックを選ぶかは一つの疑問であったが、おさ
も
に応じた題目に事欠かなかった。青年論、恋愛論、ヒューマニズムの問題などその重なものだと思う。これ
らはどれもかつての知識階級論の蒸し返しとみられないこともないが、以前のものと貌の変っていることも
325
確かである。前には知識層はそれ自身では一階級を成すものではなく、新興階級としてのプロレタリアート
本年思想界の回顧
326
の頭脳として技師として働いてこそ歴史的意義を見出すというような角度から論じられていたのだが、今日
は素よりそういうことが語られる時節ではなく、一切階級の問題などから切離されて浮動せる知識層のいわ
ば処世訓が論じられているのである。
】のものなど評判がよかった
青年論はその総論であったであろう。そのうち森戸氏【 森戸辰男 ,1888-1984
ようであるが、どれもどこかピントの外れたところがあるとの批評だった。これは既に青年晩期に属する人
】、岡氏【 岡邦雄
,1900-45
】、大森氏【 大森義太郎
,1890-1971
】等々にしても恐ら
,1898-1940
の感であるから、青年盛りの人が読んだら尚更そう思えるだろうと思う。一体森戸氏を初めとして青年を論
じ た 戸 坂 氏【 戸 坂 潤
く自らまだ青年たるの意気を失わないつもりであり若い人々の指導者を以て任じているのであろうが、生理
的にはとにかく、やはりこれらの晩期青年と今の若い人たちとの間に既に相当の時代的距離が存するのでは
ないかと考えられる。これは同じく青年晩期に属する私の実感でもある。新思想を語り、映画を談じ、写真
とし
ころう
機をいじったりして外見は若い時代と同じようであってもお互いの心のどこかに理解し得ない処があるので
はなかろうか。これは我々より一昔齢上の人たちと接してみても解るように思う。彼らは全く頑迷固牢とい
うのではないがまだ儒教的、ストイック的精神を相当堅固に保持しているように見える。いわゆる新官僚の
イデオロギーといわれるものなどそこから胚胎しているのではなかろうか。彼らにはガッチリしたところが
あるが窮屈さを免れない。自由主義的気分も頭で理解し得るが自らその実現者たることはできぬ状態である。
せつよく
そこへ行くと我々の時代は専ら反抗と批評の時代だったのだと思う。もちろん儒教的教養も注ぎこまれてき
たが教育者自身それに飽き足らぬようになっていた。節慾克己というような消極的態度から、人各々がもっ
のびのび
ていろ
ている豊富な天性と能力を伸々の【 と】発揮させ、個人の特徴を遺憾なく呈露すると同時に、人間性の全体
を赤裸々に発現して明暗高低、種々の性格の奏でる交響楽を演出しようという積極的態度に移りつつあった
うぬぼ
のである。しかし我々の時代にはまだそれは理念だけで、その実現は次代になってやっと果されたに過ぎな
い。我々はそれを獲得するために闘い迫害されただけであった。
少し己惚れていえば我々は文化的殉教者だっ
のどか
たのである。それを次代の人々従って今の若い人たちは当然与えられたこととして受け取っていて闘争の労
苦を知らないのである。それだけ伸々として長閑なところをもっているがいかにも柔軟で鍛えられたという
ところがない。スポーツ、登山などではかなりの冒険をやるが肝腎の実生活ではそういう勇気を示さない。
国家全体が一種の冒険政策に乗出しているこの際にも、彼らが十分に踊っていないように思えるのでも解る。
彼らには恐らく左右いずれの思想も十分には訴えないであろう。彼らは反抗児でも保守者でもなく専ら享楽
者である。いわば世界観を衷える彼らに真に彼らにも納得のゆく世界観を与えることは思想家の任務であろ
う。戦前のドイツ人は鷹のような目つきをしていたというがそれでも困るが今の青年のように間ののびた面
貌でも頼り に な ら な い 。
はしか
たと
恋愛論は知識者論のいわば各論の一つであろう。いつの時代でも恋愛論は若い者にはもてる。それは若人
の懷く人生観を定める唯一の源泉かも知れぬ。恋愛は人間性の謎と憂愁と歓喜とを同時に味わわしてくれる
人生の一大修業である。恋愛は麻疹に譬えられるがこれを如何に切り抜けるかでその人が決定されるともい
い得よう。恋愛論はその説得者がいわゆる階級意識に覚めた恋愛を実践したりして人気を湧かしているが、
327
ああいう晩期青年の破壊的恋愛については却って今の若い人々の方が適切な批判眼をもっているかも知れ
本年思想界の回顧
328
ぬ。それにしても今や恋愛は大英帝国とその重さを競っている。それは今や図らずも世界的問題となった観
がある。これは思想上、世界史的革命の実践だともいえないことはない。それがどういう影響をもつか暫く
待とう。
ヒューマニズムの問題は文芸上の主張と連関して論じられてきた。相変わらずわが国のインテリが文芸と
特殊関係にある現れである。わが国に文学はあっても哲学がないという国民的伝統に根ざしているのかも知
れないが、わがインテリの非科学性、理解の不正確さ、無気力さ、非創造性などみなこの文芸耽溺に由来す
るのではないかと考えられる。それはそうとしてヒューマニズム思想はフランス文学、わけてもジードなど
き
し
の傾向を移し来ったものと思うが、今のところ文化の擁護、人間性の擁護というとことに尽きるのではない
かと考えられる。それらは政治上の統制主義に対抗するものであるが、ヒューマニズムという漠たる旗幟に
対して人各々その立場から都合のよい内容を与えて安心しているという状態である。党派的な窮屈なスロー
(昭和十一年十二月初)
ガンに耐え得ないインテリにこうした模糊たる標語が歓迎される所以である。この意味でヒューマニズム論
は知識層論の結論とみられ得る。
底本 『:神戸商大新聞』 1936.12.20
哲学者の社会観
一
社会の問題は既に前世紀で終ったと主張する論者もあるが、なるほど十九世紀に於いて国家や社会の問題
が法理的に、社会学的に、また哲学的にさえも一応の輪廓と定型とを与えられたということが本当だとして
よ
も、この種の問題はいつまでも同じ内容を固定させてよいわけはない。ただに内容が変化するというばかり
でなく、時勢に応じて問題の所在、とりあげ方が異ってくるのが当然であり、表面の相違は原理の動搖を喚
ばないでは已まないのである。社会の問題という如きものは終結を知らないと言い得よう。今世紀には前世
紀のそれとは内容も原理も別な社会観があってよいのである。そして今こそ種々な社会体制の変革に直面し
て、二十世紀特有の社会観の樹立が切望されている。実際上の見地からすれば先ず国家の政治体制が問題に
なるであろうから、法律的に解決し得るようであるが、直ちに法律以上の一般社会学の諸問題に当面するで
あろうし、社会学は社会学で世界観の問題に衝きあたって哲学に援けを求めることになるであろう。かくて
社会が課題となれば必然、哲学的社会観が要請されることになる。この意味で哲学的社会観は社会論一般の
基礎でありその原理を提供するということができる。
329
ところがかかる見地からすれば、哲学的社会観は結局に於て現実的妥当性をもたねばならず、現実的妥当
性をもつ限りに於いてのみ意義あるものになる。これは必ずしも実用主義の哲学でなくてはならぬというの
哲学者の社会観
330
ではなく、ただ在来の解釈哲学、体系哲学に止ってはならず、広い意味で世界観哲学でなければならないと
言うのである。世界観哲学というのは言い換えれば時評的哲学である。世界の存在をそのまま動かぬものと
してその永久不変の意義を探ろうとしたり、存在の配置やその可動範囲を幾何学的に測定したりして自ら楽
しむのではなく、歴史的にこれを見るのでなければならない。尤も歴史的に見るといっても外から客観的に
挑めるだけでは足りないのであって、今此処の歴史的現実に於いて哲学者その人が主体的、能動的に如何な
ほしいまま
る態度をとるかを現示するのでなくてはならない。いわば哲学者自身がその中に生きて入りこんだ哲学であ
る べ き で あ る。 態 度 の 決 定 は も ち ろ ん 恣 に な さ れ て よ い の で は な い 、 そ れ に は 十 分 な 歴 史 情 勢 の 客 観 的 測
定と分析が必要である。ただどこまでも自分が測定者であることを忘れてはならぬ。哲学する者その者も等
しく歴史的要因なのである。而も情勢を理解し把握することによって既に情勢を改変する重要なる役員なの
である。
世界観哲学は解釈哲学に止り得ないだけでなく、体系哲学でもあり得ない。それは体系の整合よりも事実
の聯関の方を重んずべきである。ところが特に社会哲学に於いてかかる要求を妨げる事情がある。というの
あたか
は由来、社会哲学、国家哲学という領域は、ヘーゲルに於いてその模範的例証をみるように、ある哲学の完
結期に於いて論ぜられ、その体系の宛も頂天を形づくるように考えられるからである。社会について定見を
あらた
もつことができ、現実の歴史に面して決定的態度をとり得るほどの哲学者は、既に彼の哲学上の原理、方法
を確立しているのが常である。そういう人達は社会や歴史の中に更めて原理を探りそれを加えて哲学を豊富
にしようというよりも、自己の収得した既成の概念、方式の中へ歴史的現実をも押入れようとする場合が多
い。ここに於いて、初め哲学的社会観に要求された現実的妥当性は無視され、体系的妥当性にとって代られ
る。社会哲学だからといって学問的妥当性を欠いてよいわけは勿論ないが、その学問性そのものが現実的妥
当性と密接に結びついているのである。それがどうしてもイデオロギーとしての性格をとるに到る所以であ
ま
るが、自己の加担するイデオロギーそのものの正当性をも自ら証明せねばならぬところに哲学的社会観の最
大の困難がある。そうなると最早、解決は理論にではなく人に俟つとでもいう外ないであろう。
さてわが国に於いても近年、最も主流的な哲学者がこれらの問題に関心をよせている。そしてその主たる
動機が、やはり右に述べた如く、第一に国家・社会の観念の新しい理解の要求に現実に迫られていること、
第二にわが主流哲学が漸く完結期に達し、実践の問題、わけても社会観について何らかの解決を要求されて
いることにあると思われる。かくてこの二つの要求が必ずしも相容れず衝突する点をもつこと既にみた如く
だとすれば、概括的にわが哲学者の社会観が右の根本的矛盾に悩んでいるのは争われない。しかし妥当性と
いうことをかつての価値哲学が解したように普遍妥当性とのみとることも無理である。妥当性というには価
値的事態の超越的自存ということ以外に、それを認める側に於いて安心してこれを受け容れるという確信が
伴わねばならない、即ち判明な直覚が伴わねばならない。我々が2+2=4と認めるから、それが真なわけ
でなく、それが真だからこそ我々がそう認めるのであるが、我々がそう考えまいとしても考えざるを得ない
ところに、つまりかかる命題の反命題が不可能であるとの直覚の下にいわゆる明証が成立する。これは普遍
そがい
妥当性についても言い得ることであるが、あらゆる妥当性に通ずることであり、妥当性が論理的厳密性を遠
331
ざかれば遠ざかるほど直覚的要素は増大し而もそれは論理主義者の考えるように妥当性の本質を阻碍するも
哲学者の社会観
332
のではない。いわゆる大衆は専門知ではなく、常識乃至は良識の所持者である。私が現実的妥当性といった
場合、それは後者に訴えるものを指し、体系的妥当性とは専門知を満足させるところのものである。そこで
論者が筆をとるに際し如何なる読者を目当とするか、大衆か、専門家か、に従って自らどちらかの妥当性が
より多く前面に表れることになるであろう。私が次にとりあげる諸家の評論稿は多くいわゆる学術論文に属
わずらわ
筑摩書房 】)
(1963
するものであって、いきおい体系的妥当性が勝っているが、右の見地から多少の寛容さを以て臨むべきであ
】
1885-1962
ろう。稍々煩しいが次に問題となる論文の名を表示しておく方が便利であろう。
A、田邊 元 博 士 【
1「社会存在の論理」(『 哲学研究』、昭和九年十一月、十二月、翌年一月)【 田辺元全集第6巻
2「種の論理と世界図式」(『 哲学研究』、昭和十年十月、十一月、十二月)【 田辺元全集第6巻】
3「論理の社会存在論的構造」(『 哲学研究』、昭和十一年十月、十一月、十二月)
【 田辺元全集第6巻】
】
B、西田幾多郎博士【 1870-1945
版共に全集第8巻】
1「論理と生命」(『 思想』、昭和十一年七月、八月、九月)【「哲学論文集第2」 2003,1988
こうやま
2「実践と対象認識」(『 哲学研究』、昭和十二年三月、四月、五月)【「哲学論文集第2」全集第8巻】
】
C、高山岩男氏【 1905-93
1「労働の現象学」(『 思想』、昭和十一年七月、八月、九月、十二月、十二年二月、三月、副題は略す)
哲学研究』
、昭和十一年六月、七月、十一月)
2 「性と血」(『
じしょう
D、臼井二尚氏【 1900-91
】
1「地域的社会圏としての故郷と郷土」 『( 哲学研究』、昭和十一年二月、四月、五月)
2「民族的文化共同体」(『 思想』、昭和十二年四月)
二
文の中に現代哲学の諸潮流を見分けることは容易であろう。ヘーゲル哲学、哲学的人間学、知識
右の諸な論
いし
社会学乃至は通念としての唯物史観等の影響が目だっている。田邊元博士はヘーゲルを通じて夙に絶対弁証
法の境地へ悟入されそれを固守されている如くである。西田博士は独自の自覚体系を益々進め太らせいわゆ
る行為的直観の立場から論理や認識の性質を更めて理解し直そうと努められている。高山氏の企図は若いだ
ばくしん
け極めて進取的であり、人間の本性を「生む」と「作る」にあるとして、一方に「性と血」
、他方に「労働」
の概念を拉し来って人間学的社会観の樹立に驀進されている。この意図は甚だよい理念を含むと信ぜられる
が、その達成は必ずしも容易でないと考えるので、私も高山氏と共に特に詳しく考察してみたい。臼井氏は
元来、社会学畑の人であるが、現象学的社会学から出発されただけ今もハイデッガー等に拠っておられる。
氏の論文を特に挙げたのは、それが哲学的であるというよりも、そういう点は寧ろなくもがなと思うのであ
るが、表題から察せられるような時流に迎合した右翼傾向の露出したものでなく、時代の問題とせる故郷、
郷土、民族共同体等を素直に分析したものでまさに社会学者の態度として模範とするに足ると思ったからで
ある。実は哲学者の社会論にもこうした落着きと余裕が欲しいのである。これらのうち田邊博士の態度はあ
333
くまで論理的である。氏の絶対弁証法の論理はヘーゲルのそれにも勝る論理的厳密性をもつものと誇られて
哲学者の社会観
334
いる。これに対して西田博士、高山氏らは人間学的であるが、ヘーゲルの「精神現象学」の途に従おうと志
ざされるようである。私は哲学的社会観におけるこの大きな二つの傾向を先ず別個に観察批判し、終りに両
者が如何に関係するかを見究めよう。
社会の問題というときそこには必ず、人類、国家、民族、それから特に国家のうちに発生した集団として
の階級、政党、組合、最後に個人がこれらの諸団体に如何に関係するかが議題となる。これらは一見これら
の諸団体及個人の関係構造の問題のようであるが、終局は寧ろそれら相互の実践に関すること勿論である。
田邊博士はこれを「論理」の問題として提出されることによって実践の側面はさしづめ背後に退けられるが
如くである。博士は右に掲げた社会的範疇、人類、国家(民族)、個人を論理的範疇たる普、種、個に置き
代えて考察される。ここで誰人も直ちに疑問とするところであろうが、かく社会的範疇と論理的範疇とが相
即代置されてよいのかどうかということである。しかし博士にとっては比較的簡単にこの疑問は解かれてい
る。蓋し博士は「全てのものが判断である」とのヘーゲルの命題を信条とされているからである。博士の武
器とする絶対弁証法は何ものも論理化されねば已まないのである。論理の媒介を経ない直接な社会存在なる
ものはないのである。「全ての事実は既に理論なのである。」私もそう思う。しかしそれだからといって普・
種・個が人類、国家、個人と相即されてよいとは結論されまい。普・種・個の規定はもと生物の出生関係を
表すものだったというが、形式論理はこれを外延関係と解して分類、定義等に応用している。けれどもこれ
は形式論理を以てしては理解し得ないものを含んでおり、既に存在論理の規定に属するものだと思う。その
限りで田邊博士がこれを選ばれたことに異議ない。ただ普・種・個の間を外延的包摂関係とせず存在論的な
わた
分有関係と解するとしても、それは存在一般に通ずることであって特に社会存在にのみ当嵌ることではなか
せんめい
ろう。前掲A2の論文をみても博士の提唱される「種の論理」は存在全般に行亘るものの如くである。尤も
存在の存在性はその社会性に存し、社会存在との類比に於いて最もよく闡明されると考えられるのかも知れ
ぬ。こうなれば普・種・個は存在論的範疇たると同時に社会存在の範疇となる。
田邊博士の社会観の特色は種に重きをおくことである。博士によれば従来の社会観は個人を人類の類例、
人類を個人の巨像の如く解するにしても、或いは社会を我と汝もしくは我と汝と彼との交互作用と解すると
しても、いずれも種を無視している。そこには普と個との直接な対立があるだけであり、種の媒介を経ない
普と個は相対的な区別に過ぎなくなり、普は個の一般化されたもの、個は普の限定されたものとしてどちら
いず
も特殊に化し原理的区別は消失する。そこで両者の媒介として種が想定されねばならない。種とは現実には
何であるかというに、前掲A1では「国家といい民族といい階級といい、何れも人類の全と個人の個とに対
し、種の位置に立つものであり、或は之を媒介項として含むものである。」と述べられ、階級も民族や国家
と並立して種に入るように受け取れないこともないが、A3では極力この点の誤解を排して種が民族国家を
意味すべきことを強調され、階級は種の自己分裂としてのみ出現すると説かれている。かくてトーテムの如
き原始種族団体につき稍々実証的に、あるいは最近では数学や自然科学の基礎理論に関する該博な知識を援
用して種の何ものなるかを明らかにしようと努められている。ところが絶対弁証法にとってはひとり種が普
と個の媒介たるばかりでなく、個は普と種を、普は個と種というように相互に媒介関係に立つのでなければ
335
ならない。種的社会の特色はその劃一的集合性にある。個人は全体と同じ仕方で考え行動する。個人の性格
哲学者の社会観
336
にして全体から分与されないものはない、個人は全体に与る限りに於いて個人である。この関係を博士は特
に分有の論理として示されている。然るにこの調和はやがて破れて一方に種そのものが階級に分れると共に、
他方で集合性に反叛しiて自利を遂げようとの個人の自覚が発生する。この個人の自利心を博士は権力意志と
名づけられる。さてこの個人の「反社会的社会性」こそ、その否定としての普の権威を発揮すべき契機なの
普・種・個が元来、平等に相互媒介の関係にありながら、これを強調する博士が特に種に重きをおかねば
ならぬところに博士の社会論の時代性がみられるといえば見られるのであるが、既に触れたように前掲諸論
に生きることを指している、というのが博士の見解である。
れる。ヘーゲルが「個人の最高の義務は国家の成員たることである」というとき、その意味は右の如き国家
こでは民族国家の直接性は止揚され、個人の自由と人類の普遍的理念とが宗教的な調和を形づくると考えら
られる。そしてこの最後の綜合否定態こそ「国家の原理」詳しくは「人類国家」の理念だと主張される。そ
を類は摂取の論理をもつ。種の下には生命意志が、個には権力意志が、類には救済意志が潜むと博士は考え
は個の否定を契機とする絶対否定態でなければならぬ」と博士はいう。種は分有の論理を、個は分立の論理
媒介とする二次元の限定であるとすれば、類は両者を綜合する三次元の統一というべきものであって、それ
はや種でもあり得ない自我性を以て破り得ない絶対なる他こそ普でなければならない。「個が種の一次元を
ねばならず、我の外に他にぶつからねばならない。他は既に他我即ち他における我ではない。のみならずも
である。個人が自己の意欲を全体に拡大しようと思えば思うほど、同じような他の個人の意欲と衝突闘争せ
i
「反逆」の意であろう。
i
文では博士の実践的意図は背後に匿されている。博士は別に新聞、大衆雑誌等を通じて科学政策について論
じその進歩的見解は博士の学界における地位からみて極めて尊敬に値するものなることは人々のよく知ると
ころである。ただここではかかる進歩的意見がどう体系的に妥当化されているかが問題なのである。人類の
進歩発展に対する実践的情熱なくして社会を論ずる意義はない。ではこの実践的情熱はどこに由来するので
あろうか。博士の意を汲んでいえば、生命意志と権力意志、更に救済意志との相互媒介の内に、と考えるべ
きなのであろうけれども、依然、種に重きをおく博士はこれを種の物質性もしくは質料性の内にみようとさ
れるのではないかを疑う。先ず博士はこれを「狂乱怒濤の大海」に例えられ「力の二重的対立的張合」「一
部が他部に否定せらるる否定の重畳であるが故に、却って一の力が他の力を圧して自己のはたらきのみを運
動に現すことなき緊張張合」「純然たる動の張合う動的均衡」など称してまさに力学的空間に相当すると断
ぜられる。而してかくの如き種は存在することなき非有である。しかし非有は「存在の基体であり根柢であ
る。」種の非有性、存在と非存在との張合を破ってそれに存在性を与えるものは博士によれば個である。即
ち個の行為である。ところが博士は「行為は論理と相即することに由ってのみ基体の主体化として成立する。
其外に論理を超えて別に直観せられる無媒介なる内容があるならば、それは直接なる非弁証的神秘でなけれ
ばならぬ」 と 言 わ れ る 。
さて弁証法の特質を媒介性にあるとして、媒介するものは無でなければならぬ。而も有の根源としての無
でなければならぬ。そして田邊博士の体系に於いてかかる無たるものは種を措いて外にないように思われる。
337
然るに種は博士に従えば、分有の論理を有し、空間的であった。分有の論理は程度の論理であり調和綜合の
哲学者の社会観
338
論理である。ヘーゲル弁証法もこのような側面を濃く示しているが田邊弁証法も同じ帰結を辿るのではなか
ろうか。而も前者が終局に於いてだとすれば後者は出発点に於いてである。「力の動的均衡」ということか
らどうして弁証法のもつ否定性がでてくるのであろうか。種のもつ空間性は民族の土地占有ということに具
体化されているが、単なる(例えば不毛な)土地占有という如きが、どうして民族の自己分裂というような
弁証法的契機となるのかは十分納得できない。これは所謂、土地占有という思想が種の影に外ならないから
ではなかろうか。弁証法が三位一体の方式に現しきれるものでないとは屡々きくところであるが、
それは普、
種、個についても言い得るのではなかろうか。この三様の媒介関係がよしどんなに精緻に論理化されるとし
ても、由来、論理はその反面に明証を伴わねばならぬと思う。明証はある事態の矛盾態が不可能であること
の明晰判明な直観である。博士は直観の論理化にのみ急で、論理の直観的充実ということを軽視されている
のではなかろうか。そして社会存在の論理を充実するものは身体的実践をおいて外にないのではないか。そ
してそれは個人のものである。博士のいう質料性、自然の可能的能産性もそこにみられるのではなかろうか。
博士のいう権力意志はニーチェのそれと等しくないとしても、ニーチェはこの語を普通解せられているよう
に征服意志としてだけでなく「創造力」としても理解している。身体的実践は論理的客観化を欠く「非弁証
法的神秘」ではない。寧ろ論理の物質性を補い且つ、思考と存在との一致を理想とする論理の客体的真理観
を逆説的に否定することによって、主体の情熱と行為をも含めた絶対真理を樹立しようとする。身体的実践
はもはや自ら客観化し得ないという意味で無である。それは「論理を超えて別に直観せられる無媒介なる内
容」なのではない。弁証法の特質の一つが否定性にあるとすれば、それはかかる媒介的否定の直観である。
分有の論理と独立な弁証法はかかる直観なくしては成立し得ないのではなかろうか。田邊博士への根本的疑
問はこれで あ る 。
三
田邊博士はヘーゲルに於いてその論理学と精神現象学との関連が緊密に意識されていないことを難ぜられ
ているが、今みたように田邊博士の体系には現象学的部分が全く欠如しているのではないかと思われる。宛
もこれを補う如く意識的にヘーゲル現象学の途に倣うというのが高山氏の企てである、尤もこれは西田博士
の行為の理論に由来するのであるが、行為を特に労働と規定していることが興味を喚ぶ。ヘーゲルの現象
学は「意識の経験」を叙したものであるが、これでは観想的な理性人間の世界しか描かれない、「労働の経
験」の過程を叙述してこそ能働的な作る人間の世界が展開されるというのが高山氏の発意である。労働は身
体の能動性とそれに対する抵抗とによって先ず外界の実在性を認めしめる根拠である。能働性が強いほど抵
抗性も劇しく実在感も明瞭になる。主体と客体がここに初めて分れるというのである。次に労働は道具の使
用を常とする。道具の使用は技術の世界を生む、技術はそれ自身に法則と理性とを含み、人間文化の理性的
なるものの根源である。論理や理論理性なども技術的理性に基づくものである。以上は労働経験の客体化の
ママ
方面であるが、それは他面に主体化の方向をもっている。既に触れたように高山氏によれば人間の根本規定
は「生む」と「作る」とである。前者は性と血の関係であるがその直接純粋な相は原始共同体に於いてのみ
339
られる。然るにかかる共同体は既に労働の主体でもあるのである。そこでは個人の労働は直ちに全体の労働
哲学者の社会観
340
である。高山氏の出発する労働は個人のではなく社会のであるという。ところが労働は既に直接な生命衝動
の否定を伴っている。即ち「人間主観」と「人間自由」の自覚を生ぜしめる。ここに元来、種的生命に過ぎ
なかった共同体に対する個人の独立が成就する。個人の労働はかくて直ちに全体的労働であることを已めて
いとま
「私的契機」と「公的契機」とを分裂せしめ、「労働の分化と組織」が生ずる。続いて高山氏は労働経験を深
め具体化するものとして「交換」を論じ「所有」を説いておられるが、ここではその詳細を紹介している遑
はない。要するに高山氏によれば労働の経験は先ず生命的な直接なものに始り、それが一方に技術を介する
克服によって客観的文化を構成すると同時に、固有な自由の自覚によって種的共同体の否定と個人の発生と
なり、かかる分化競合の状態が再び全体のうちに摂取配置されてそこに理性と人格の世界が展開するという
のである。作る人間から如何にして見たり考える人間が生ずるかを説くのであって従来の道順とは逆をゆく
ようであるが、落ちつくところは少しも違いはないのである。私は初め高山氏の行論を稍詳しく批評するつ
もりであったが与えられた紙数も残り少いし、それは他の機会に譲ってここでは主な点にだけ触れておこう。
ヘーゲル風の現象学の方法とは何かということも考えてみたいのであるが同じ理由で割愛し先ず労働概念
の検討から始めてみよう。今日、労働という観念が人目を惹くのは人々がこれに対する時すでにそれを倫理
化もしくは文化的に色づけているからではないかと思う。労働階級の文化とか、労働奉仕とかいわれる場合
のそれである。「働かざる者は食うべからず」という標語がそれを端的に示している。暫く資本主義下にお
ける労働ということを抽象して労働一般を考えても労働には何らか苦痛、不快が伴うことを特色とする。労
働時間の短縮ということは抽象的にはかかる苦痛労働の軽減を意味する。労働の苦難は誰しも避けたいので
ある。ところが他方で労働は一定の苦難を伴う故に尊いと考えられる。人間は勤勉でなければならぬといわ
れる。嫌なことを進んで行うところに勤勉はある。かく労働の苦痛をめぐって一方に快楽主義的、功利主義
的気持と克己的勤行精神とが対立している。尤も苦痛を縮減することは他面に苦痛ならざる活動へ余裕をの
こすということであり、而もこの場合前者は労働する者の人格にとって意義が少いに反し後者は多いという
ことを前提するであろう。また無暗に汗を流しても仕方がないのであって、何らかの意義ある目的のために
苦痛を忍び楽しむのでなければならない。かくて意義ある生活にいそしむということが大切なのであって苦
痛そのものは直接に何ら倫理的価値に関係ないということになる。ところが理論上はかく容易に割切れるの
ママ
であるが、各人の常識としては仲々和解し難いことなのである。労働階級の文化というとき、それは勤労文
化を意味すると共に苦痛の軽減もしては快適化を目指している。然るにこれを以て快楽的、唯物主義的謬見
として排斥し、前半の意義のみを労働に負わそうというのが勤労奉仕の思想である。資本主義下の労働の苦
痛が何に由来するかを無視してこれを「額に汗する」という原始的、ロビンソン的形態に粉飾しようという
のがこの態 度 で あ る 。
幸いなことに高山氏のいう労働は直接にはかかる倫理的欺瞞を示していない。高山氏も労働が常に苦痛、
不快を伴うことを認めて、それは労働が生命の欲求と満足との間に距離が介在するところに初めて発生する
ことに原因するといっておられる。しかし氏の考えている労働が果して本来の苦痛を伴うかどうか疑なきを
得ないのである。アリストテレスに倣って行為を制作するポイエイン【 poiein
】、修行するプラツテイン、見、
341
】の三様に分つならば、高山氏の労働はまさに第一のものに当る。西田博士は、
考えるテオレイン【 qwrein
哲学者の社会観
342
見ることと働くこと作ることとは同じであるといって、受容と能作との連関を表現として理解され、表現的
でない実践はないと断じられている(B2)。高山氏の労働もその本質はかかる表現行為なのである。「物を
作る働きは物より独立性を奪って物を主体に摂取する働きであると同時に主体を否定して物の客観性を承認
する働きである」と氏は述べる。まさしく「表現の労働」なのである。私も身体的行為の第一次的発現が制
作にあることを認める。しかしそれは従来ポイエシスがプラクシスと区別されて理解されてきたようにやは
り芸術を手本とするのではないかと思う。結論を急ぐなら労働の表現化はその芸術化を意味するのではなか
】やモリス【
John Ruskin, 1819-1900
】に於いてもこれをみる。尤
Willam Morris, 1834-1896
ろうか。労働を工芸にみられるような制作行為と解することによってそれにつきまとふ陰惨さをとり払おう
と し た 試 み は ラ ス キ ン【
も高山氏がかかることを主張されるというのではないが、氏の語る如く「労働の経験は自由の理想主義とし
て客観的唯心論たることを根本義とする」のなら右の帰結もそう無理ではあるまい。労働が道具を媒介とす
ることは氏もまた認めるところである。人間はまず道具を「作る」のである。道具は身体器官の延長として
最初は有機的関連に立っている。しかし同時に器官の独立化として超有機的に人間に対抗する。それは死せ
る労働、対象化された労働として生ける労働、主体的労働と別個の発展を遂げる。
かくて後者が前者をでなく、
前者が後者を支配する状態が出現する。労働がポイエシスであるのはそれが有機的である限りに於いてであ
る。逆転状態の下では労働は表現や自己の形成などではなく、却って主体の滅却であり自己の喪失である。
それは生理的な力の支出の外のなにものでもない。高山氏は道具の世界としての技術をみるに当ってもその
理性的ディアレクティクのみに着目して、他の反面を看過されているのではなかろうか。そして我々が他の
ポイエシス、プラクシスと区別して労働として思い浮べるところのものはまさにこの逆転状態における労働
なのである。勤労を奨励するということはこの意味で抽象的には全く相反する内容を含み得るのである。技
術の目的が生産力の発展ということにあるならば、それは生きた勤労の自発的増大よりも、対象化せる労働
の側の拡大を意味する。人間労働はそれによって強制的に集約化されるに過ぎない。このディアレクティク
はよしポイエシス自らの過程であるとしても、労働そのもののそれではない。労働はポイエシスの一契機に
過ぎないのではなかろうか。かかる一契機の中に高山氏の如く「物を作る」ばかりでなく、
「人を作る」作
用、「見、考える」作用までも押入れるのは無理であるまいか。抑々制作によって代表される身体的行為は
個人的なることを特色とする。芸術はこのことを示している。そこから出発する場合、如何にして社会的な
るものが導かれてくるかは一つの問題である。この際、制作の否定として労働をおくことは有効なことと考
えるが、高山氏のように初めから制作と労働とを等しく考えるのでは却って目的に副わないのではなかろう
343
か。価値形成作用としてこの労働についても述べたいのであるが紙数もつきているので別の機会を待とう。
底本 『:改造』 1937.7
哲学者の社会観
審美的と実存的
一
ま
344
】は
「体系の信仰よりは迷信の方が勝しだ」とヴァッケンローダー【 Wilhelm Heinrich Wackenroder, 1773-1798
いった。このロマン的思想家がそう述べたのは、もちろん何よりも灰色の理論を嫌ったからである。しかし
かぞ
ロマン的傾向そのものが反体系的であるとは限らない。多かれ少かれ初期ロマン思想家らと同じ空気の中に
それぞれ
生長したと思われるフィヒテ、シェリング、ヘーゲルを偉大なる体系家に算えないわけにはゆかないであろ
う。彼らはみな同じ時代精神を代表したが、ただ夫々の思想が演出された舞台が違っている、と考えてはど
うであろう。ドイツ啓蒙思想の舞台は宮廷であったとすれば、固有のロマン家のそれは社交場裡であり、ド
イツ観念論者たちにとっては教壇こそそれであった。フランス唯物論はサロンで誕生したといわれているが、
そこにおける雄もフリードリッヒに召されれば平凡な師伝となり、
研究員に化してしまったように思われる。
フィヒテが「自我こそは……」と論ずるとき、いつも学生大衆に呼びかける大学教授の絶大な自負をその
中にこめているのであろう。講堂を埋める聴講者に向って、ひとり毅然と語りだすフィヒテ自身の「己れ」
が原理としての「自我」に変容したのである。そこには応答しあるいは反駁する者は誰も居ないのである。
「自
我」は思うがままに宇宙を駆けめぐることができる。学生はただ自らの理解の不足を嘆じているばかりであ
る。シェリングは同じように、眠れる自然をも呼び醒すことができると考えた。しかし彼が自然と称するの
は、やはり自己の奥に見出される自然である。彼は自然に向い合っては立っていない、恐らく彼のいう自然
がのこりなく明るみへ出されるとしたら、そこには依然として自我が座しているのであろう。社交的なロマ
我はなくてはならぬ。」とフリードリッヒ・シュレーゲル【
】にとって「人間はだれでも小
Novalis, 1772-1801
】はいう「しかし同
Friedrich von Schlegel, 1772-1829
ン家らは、かかる独白的な自我では満足はできない。自我そのものも既に社交的でなければならない。「自
時に自我は語り交されねばならぬ。」同様にノヴァーリス【
さい世間である。」ロマン家の自我は常に話し相手を求めているのである。相手はもはや学生・後輩ではな
く友人であり愛人である。場所は講堂と教壇ではなく、紫の空気の漂う空間であるべきである。智慧はすで
に想念こらした悟性ではなくして、場あたりな機智である。シュレーゲルのいうように「機智は論理的社交
性である。」
大学教授は人間との交りという意味での社会をもっていなかったとすれば、ロマン家の社会は社交界を出
でない。彼らの思想はつき合いの一つの途だったのである。だが教授らはその代りに思想の社会をもってい
た。思想の社会こそ体系に外ならないであろう。彼は書斎で、研究室で、黙々と問答する。ただ問う者も答
える者も自己である、というより実は自己が「わたくし」と「おまえ」とに分裂しているのである。異縁者
との交際の嫌いな彼は、ただ自己の中にだけ語り相手を探す。この相手こそ無二の理解者であり、同情者で
あり、助言者なのである。彼はかかる己れのドッペルゲンガーとの会話に於いて、蜘蛛の巣のように体系を
345
体系は教授の自己における社会、彼の垣根の中における我と汝、そういう主観的社会の反映であるばかり
編み出す。
審美的と実存的
346
でなく、却ってその主観性は捨象されて、思想がそのものとして連帯的関係に立つことを特色とする。先ず
体系は客観的でなければならない。少くともそういう粧いを具えていなければならない。そこで個別的偶性
らちがい
という意味での主観が斥けられてあらねばならぬ。次にそれよりも更に重要なことには、思考者そのもの、
つまりこの場合には教授その人は体系の埒外にはみ出るのを常とするのである。即ち主体の意味での主観性
も排除されるのである。体系の極致が「ものそのもの」を顕現させることであり、かかる場合には学者は思
と名づけようと思うのはかかる崇物的態度なのである。
ästhetisch
想を介していわば物に化するのである。ここにいわゆる崇物的な逆転が行われることは容易に察せられるで
あろう。私 が 審 美 的
】を指すようになったのはむしろ転来的だと信じられる。通常、
Ästhetik
感性論】という語が感性的なるものの理論という
カントの純理批判に接した者はエステティーク【 Ästhetik
意味で用いられているのを知っているであろう。アイステトーン【 aisqhtwv感
n 覚・観察・有形】なる語源も同
いい
じことの謂であった。今日の美学【
感性は最も主観的だと考えられている、しかしそれは客観に対して偶然だという意味に於いてである。だか
らそこに秩序がみられても仮象の域を脱しないのである。美はかかる性質に於いて成立つといわれている。
しかしそれは感性というよりは感情の世界である。感情はある人が述べたように、主観的に主観的な作用で
ある。これに反して感性は客観的に主観的である。感性的なものが美的なものに転化するに際しては客観と
た
主観、感覚と感情がとり代えられねばならぬ。ところで審美的というとき、ここでは両者に通ずるあるもの
を指し度いと考える。感性は客観を歪める。その意味では体系の能力であり得ない。体系能力としては寧ろ
カントの構想力のようなものが適当しているであろう。とはいえ感性は客観の唯一の通路なのである。極端
な観念論に立たない限り、それは承認されねばならぬであろう。寧ろ感性は主観的な作為が最も稀薄化され
た状態と考えられるであろう。もし純粋に感性に身を委ねることができれば、客観と一体となり得られない
こともなさそうである。しかしこの場合、もしかかる受働的状態に満足するのであるとすれば最も重要な「も
の」が見落されている、即ち感性の持ち主そのものが看過されている。前にいった崇物的とはかかる忘却に
於いて生れる態度である。これに対して客観との交渉を断絶して自己内攻的状態に安らっているのが美感情
の場合であろう。どちらも具体的で、生きた「もの」を成立せしめている契機の一つを捨象し去っている。
理想的な体系 ——
いわゆる封鎖完結せる体系は、どちらの意味に於いても審美的だと称せざるを得ない。思
索者が体系に於いて己れ自らを見失っているばかりでなく、かかる自己喪失の状態に於いて却って、美感情
がえ
的な飽和を味わっているのである。何ものをも繋縛せずにはすまさない体系と、最後までそれに囚れ終らせ
ることを肯んじない思索家自身の存在と、この二つの間に生まれる緊張・矛盾が意識されないで、体系にお
ける思想の連帯調和およびそれの芸術的享受に眩惑され陶酔してこの矛盾が忘却し去られているのである。
こういう体系人の標本としてヘーゲルを思い浮べるのは不自然ではなかろう。彼のエンチクロペディをみ
る者は、世界のありとあらゆる事象と関係が彼の体系に於いて処を得ているのに驚くであろう。かほどまで
世界の隅々に到るまで征服するに足る武器は一体何であるか、と反問しないでは居られないであろう。私を
もってすればその武器こそはヘーゲルに独特なる論理すなわち思弁的方法に外ならないと考える。ヘーゲル
は思弁を以て比量的論理よりも一段高次のもの、一層具体的なものと誇っていることは周知の如くであるが、
347
それは後者よりも却って抽象的な性質をもっているとさえ言い得るので居る。カントに於いては、たとえ経
審美的と実存的
いえど
348
験は自然科学的経験に限られ、また認識する主体は論理的に形式化されていたとはいえ、二つの方向から共
や
に思惟を刺戟し生気を吹きこむ通路が開けていた。自己に対する何らの抵抗なくしては、思惟と雖も腐敗し
ないで已まないのである。フォイエルバッハがヘーゲルを評していったように、彼の唱える弁証法は未だ思
惟の独白に過ぎないのであって、思惟の運動の動力となるべき矛盾の契機をもち合していないのである。思
弁が宇宙を支配する如くみえるのは、とりも直さず思惟に対する邪魔ものを排除したからに外ならないので
ある。思惟はかくして「純粋な思惟」となった。思考はどんな思考でも一般に抽象を必要とする、そこに思
むけい
考の威力がある。しかしこの鋭器を逆用して思考が思考者その人までも抽象するとき「純粋な思惟」が出来
上るのである。それが無稽な怪物であることは容易に想像できるであろう。私が思弁を以て比量よりも抽象
的 で あ る と い っ た の は、 そ れ が 何 も の を も 余 す と こ ろ な く 即 ち 思 考 者 自 身 を も 捨 象 し 去 る か ら に 外 な ら な
い。かの審美的体系の秘密もこの思弁にあるといわねばならぬ。そこには純粋な思惟の自己享楽があるだけ
いわゆる理論のための理論とはそれであるが ——
本来の意味の情熱が欠けている。もちろん思
であって ——
弁者は一刻をも惜んで精励することはあり得るであろう、而も自己への関心なくしてどうして真の情熱が湧
き得るであ ろ う か 。
ギリシャ
レッ
我々は体系人「情熱なき思索家」の典型としてヘーゲルを選んだが、ニーチェはソクラテスに於いて、
シングに於いて「理論の人」の模範を見出している。尤もキルケゴールは同じ人物に全く反対の性格を見出
だ し た。 彼 に あ っ て は ソ ク ラ テ ス の イ ロ ニ ー は 希 臘 的 す な わ ち 彼 の い わ ゆ る 実 存 弁 証 法 の 特 色 を 具 え て い
た。これに反してニーチェはソクラテスに於いて悲劇的精神・音楽的精神の忘却者をみた。悲劇は生の根源
ニヒティヒカイト
的 無 常 に面した時の戦慄である。合理的な生活面の底にディオニソス的な活力の舞台がある。これは「物
さけ
の前の普遍」として「物の後の普遍」たiる論理的概念と対立している。ニーチェはショーペンハウアーに倣っ
て、これを音楽の中に、神話の中に求めた。さてソクラテスは事を決するに当って最後にはダイモニオンの
き、そういう型の人間を描かないでいられないであろう。生活に疎いことは学者の標徴であり、誇りであっ
ミシアン、大学教授( それ以下の教師はもともと学者を標傍していないのだからそれでよいとして)を考えると
人の著書の整理者であり、校正者であるような人間を指すのである。我々は最も悪しき意味に於いてアカデ
間のように味気ない理論家ではなかった。アレキサンドリア的な学者というのは万巻の書物の、もちろん他
を奏するソクラテス」を想像することができるのである。彼はニーチェのいわゆるアレキサンドリア的な人
着と素朴さを知る者は、彼の理
しかしプラトンの叙述によってソクラテスの生活上における神の如き 落
論的精神の背後に巨大なる衝動の車輪が廻転していることを見逃し得ないであろう。我々は無理なく「音楽
おちつき
のように立現れた霊は「ソクラテスよ、音楽を怠るな」と告げたそうである。
的・非行動的ならしめた、とニーチェは考えるのである。それ故にこそ牢獄にあるソクラテスに対して毎夜
警戒との役目を務めるのに反して、ソクラテスにあっては関係が全く逆である。このことが彼を全く不生産
声に聴くということを告げているが、これこそ理論の背後に隠されたる者の号びである。ただ常人 ——
特に
行動的な人間は事に臨んで悟性の援けを求めるのであり、それは本能の創造的・生産的行動に対して批評と
i
の前に普遍が在る=実在論、 res
の後に普遍が在る→普遍とは名に過ぎない=唯名論。
res
349
た。けれども自己と社会とを忘れて、索引の作者となることに疑を懐き得ぬ者は幸である。キルケゴールが
普遍論争の論点、物
審美的と実存的
i
プロフェッソール
ぐまい
350
「大学教授とは本来でき得る限りの愚昧と背理である、即ち彼は反省を超ゆるものを反省に於いて汲み尽そ
うとする不遜なる人間の企図である。」とか「教授、それは全くドンキ・ホーテのアナロギーである」とい
う時、確かにかかる形態の理論人を思っているのに相違ない。彼こそは「愛しもせず、信じもせず、行いも
せず、而も何が愛であり、信仰であるかを知っており、ひたすら体系におけるその場所を問う」ところの「非」
人間なのである。彼は「自ら熱情をもたされるような方向には何らの概念ももつことなく、即ち何ら人間的
なものを所有せず、また先覚者に倣って行い生きようとせずして、学び修めた諸問題のみがあることを信じ
ている」の で あ る 。
二
けれども教授と雖もまた一人の生活者なのである。教授嫌いの思想家キルケゴールの言葉をかりれば「彼
は両棲的存在」なのである。ある時は純粋思惟の幻想的抽象の世界を遊歴するかと思えば、他面では「どの
このこともまたもちろん一つの喜劇に違いないが!)
。だが、
——
大学が最高の俸給を支払うか」を気にかける「哀れにも滑稽なる教授の姿」なのである( 私のようなギムナ
ジウム・レーラーがiプロフェッソールを批判する
的思考が思考者なき思考、思想以外のあらゆるものを無視し、ただ思想がそれ自らの媒質に於いて存在する
は彼がそこに在ることが全く捨象されていたのだが、今や彼自身の意欲の存在が気づかれたのである。抽象
とにかく彼が彼自身の生活を顧みるとき、思想の世界にあったときより、少くとも具体的な彼である。前に
i
ギムナジウムは十九世紀には大学予備門で、本多は東京商業大学の予科(=大学予備門)の教授であった。
i
というような思考であるとすれば、具体的思考とは思考者のある思考、思想以外のものが思想とその考え方
を与える如き思考であるべきである。思想以外のものとは平たくいえば生活である。この意味で教授が生活
意欲に動かされる場合、既に具体的思考を始めかかっていると称してよいであろう。ところが彼の最初に思
い煩っているのは何であるか、俸給の額、待遇の良否ではないか。このことは彼が未だ審美的態度から脱け
きっていない証拠である。審美的態度は何らか与えられるものの享受のうちに成立するものであった。思想
のもつ生活意義を覚ることができない。従って
Leiden
の境ではそれが体系への美的陶酔となって現れたのであるが、生活に於いては幸・不幸の原理として示され
る。 こ の 原 理 に 従 っ て 行 動 す る も の は 不 幸 な る 悩 み
のあり得ないことは当然である。彼はさきに体系に於いて思想の調和ある連帯
彼の生活に情熱 Leidenschaft
を求めたと同じように、生活に於いても妥協と迎合とに陥ることを辞さないのである。彼の本当の自己は未
だ思考を動かしてはいないのである。
と名づけようと思う。ヘーゲルの弁証法的考え方に影響さ
審美的に対蹠する態度を私は実存的 existenziali
れながら、彼の思弁的体系に強く反対した論者たちは全て実存意識を持ち合せていた、と私は考える。キル
0
0
実存概念を特に取りだしているデンマークの宗教的思想家にその説明を聴いてみよう。「人はある
ので
ist
ケゴール、フォイエルバッハ、マルクスなどそれである。ニーチェをその中に加えてもよいであろう。先ず
i
351
」。動物も植物も単に在るのであり、神もまた久遠であるのである。ただ人間だけ
はなく実存する existiert
が実存する。「では実存とは何か?それは無限なるものと有限なるもの、永遠なるものと時間的なるものと、
ドイツ語、「実存論的」の訳もある。
審美的と実存的
i
や
352
により産み落されて従って常に努力して熄まないような子供である」あるいは「人間は無限なるものと有限
なるもの、時間的なものと永遠なもの、自由と必然との綜合、つまり一つの綜合である」とも言っている。
しかしこれをあくまで論理的方式のように理解してはならない。そういう誤解を防ぐために彼は別に述べて
いる「紙の上では媒介はうまく行われる。先ず有限性がおかれ、次いで無限性がおかれ、かくしてひとは紙
それは媒介されねばならぬ。かかる場合、実存者は彼が媒介し得る場合にも、確かなる地盤
の上でいう ——
を実存の外に即ち紙の上にもっているということは否み得ない。……これに反して舞台が紙の上でなく実存
せつべつ
の中にある場合には、媒介者は実存者であるから、彼が何が実存することであるかを( 即ち彼が実存するこ
とを)自覚するに至るならば、その瞬間に彼は絶対的な截別者となり、彼は有限性と無限性とを区別するの
ではなく、有限的に実存することと無限的に実存することを区別する。
」即ち実存は紙の上で、とりも直さ
ず思想の中で対立する規定性の媒介を通して作り上げられたものではないのである。媒介があるとすれば、
それは思考者自身、いうまでもなく実存者その人なのである。有限と無限との矛盾に於いて成り立つ弁証法
の媒質となるものは実存者自身なのである。キルケゴールは実存が綜合であるといっているが、それは極限
の場合を静的に言い表したものに過ぎなくて、寧ろ実存は矛盾せる次元の緊張のうちに生ける姿を現示する
といわねば な る ま い 。
実存者にとっては実存することが最高の関心である。ということは実存を永久の相の下にまた抽象に於い
て思考するということではない。そうすることは却って本質的に実存を棄て去ることに等しい。純粋なる思
想家は彼らの仮設的な抽象単位として思惟と存在( 主観と客観、主体と客体、等々)の対立を建てるが、キル
ケゴールはそれらの中間存在
として実在
Inter-esse
を 置 い て い る。 実 在 と は 実 存 者 が 実 存 す る
Wirklichkeit
であるという。そして実に「実存者にとって実存することは限りなく関心あ
ことへの関心性 Interessiertheit
ること」なのである。しかし既に述べたように実存することは、幸と不幸、快と不快との基準に於いて生き
ることではない。キルケゴールがヘーゲルの語をかりて言い表しているところに従えば、それは生の直接
なる段階に過ぎないのである。同じ段階にはまた能才 das Talent
、天才 das Genie
も属している。多くの場
合に於いて大学教授の知慧はタレントのカリカチュアに外ならないのである。才気に生きるものは「差異」
の下に立つものであり、人間に通ずるものを顧みない、と説かれる。天才は確かに「秀れたる自
Differenz
主性である」、而も未だ自己の限界として運命をもっている。それ故に「天才は常に運命を発見する、そし
て彼の素質が深ければ深いほど深刻に。」能才と天才とによっても到達し得ないところの境地は、
キルケゴー
じょうぜつ
こうせつ
ルによれば、「精神」である。精神なくしても精神ある場合と同じ真理を叙べることができる。しかしそれ
はただ「饒舌であり巷説である」に過ぎぬ。精神に行き着くには直接なるものへの絶対的絶望を経験せねば
ならぬ。かくの如き意味で生活態度の作り変えが行われねばならない。享楽の代りに憂苦が味われねばなら
ない。憂苦は、「精神のヒステリー」として厳粛を伴っている。如何なる現世的手段を以てしても、仕事に
身を打ち込んでも、事業を企てても社交に投じても、逸楽に耽っても、この憂苦を消し得ないとき「おまえ」
と呼びかけるものがある。かく「おまえ」と呼ばれて初めて人間は「わたくし」にまで覚醒される。即ち「自
己自らとしての存在」となる、というのである。
353
かような道行はキルケゴールにあってはもちろん宗教的である。彼に於いては「唯一つ確実なるものは倫
審美的と実存的
354
理的・宗教的なるものである。」けれども私はここでかかる宗教的転身を説こうというのではない。私は実
存を以て有限と無限、自由と必然、等々の緊張に於いて生きること、言い換えれば時間に於いて、歴史に於
いて生きることの意味に解そうと思う。思弁的論理の特色は既に知ったように時間を抽象して、永遠の相の
あらた
下に( 即ち体系の下に)理解する点にあった。体系内の移行は真の意味で生成ではない。思想の崩壊と生起
は実在の変革ではない。新なるものに「成り」得るものは実存する人間だけである。身を以て革めるのでな
バ
ネ
ければならない。しかし歴史に於いて生きるには、キルケゴールのいうような個人的な絶望と個人的な自主
の恢復とだけでは足りないであろう。自己を歴史的ディアレクティクの発条としようというには、歴史的情
0
0
勢における自己の役割を見定めねばならない。自己がその場所を見出すところはもはや思想体系ではなく、
0 0 0
歴史的情勢でなければならない。永遠の相の下に為し得ることをではなく、現に生きる時代に於いてしか行
い得ないことを行うのでなければならぬ。かくして初めて人間は人間となり、崇物的偏向から脱することが
できる。
さて今日、教養ある人といえば学問ある人だけを指している。これは世を挙げて人々が審美的態度に囚わ
れている証拠である。単なる智識とその蓄積・整理をではなく、人類の進展のために役だつ智慧が重んぜら
れねばならぬ。教養ある人とはそのような意味で「できた人」を指すのでなければなるまい。ニーチェがいっ
たように、外に作品を造るのではなく、自らを素材として創造するのでなければならない。我々は教壇に立
つものも、ただ暗誦するためのことをでなく、聴くものが行うように教育せねばならない。それはかつてド
イツの危機に臨んでフィヒテが唱えたことでもあった。ただ今や行動はニーチェのいわゆる神話的精神の恢
復と歴史的ディアレクティクへの方向と二つの途に於いて進められている。そのどちらにつくかは人々の決
355
昭和七年十二月(『一橋文芸』昭和八年一月号所載)
意にのこされている。私は多くの批判を述べた、注意したいことは、それらは概ね他人のためのものではな
く、自戒に外ならないのである。
1933.1
[ # 『哲学と経済』によってテキスト化し校正、のち底本の親本と校合する。
]
底本:『哲学と経済』
底本の親本:『一橋文芸』
審美的と実存的
知識層の思想検討 ——
浪漫主義か現実主義か
境遇に応ずる解釈
356
個性に信頼して行動し得る時代は過ぎたようである。誰も彼も各人に通ずる合言葉を要求している。同じ
ような状況の下におかれたものが一致して信奉する合言葉をつかまないでは安心がゆかないのである。個人
は外に働きかける限り国民として階級としてまたその他の社会層の一員としてしか思考し感覚し行動できな
くなった。意識の平準化と類型化のうちにかえって個人が安住し得ることとなった。かつて個性の代表者の
ように考えられた知識層においてこの傾向が目立つのはやむを得ない。
近頃目まぐるしく掲げられる主義、意識目標というものも知識層のそうした要望から生れたものに過ぎま
い。それらは万華鏡のように色とりどりであり、あたかもどれが顧客の嗜好に投ずるかを競う小陳列品の如
くである。それらは注文生産品ではなく当込み製品なのである。大衆は既製品を買うのになれている。品物
を人に合わすのではなく人が品物に順応することに平気である。身についたものよりも人々と調子のそろっ
たものの方が着心地がよいのである。
◆… … ◆
提出されている標語はヒューマニズムにしても、ロマンティシズムにしても、万年リアリズムにしても、
以上述べたような共通意識の表現でありながら、何処か漠然たるものをもっている。それについて何か述べ
たん
ようとすれば直ちにこの不明確が邪魔になる。そこでこの欠点が嘆ぜられるわけだが、それはこれらについ
て書いたりしゃべったりする者のことであって、これに従って行動しようとする者は別だと思う。書いたり
読んだりする場合、言葉が概念化され、その含む一つ一つの特徴がはっきり定められていることは便利であ
る。自然科学や法律の用語はそういう言葉の見本である。ところが言葉をそういうものとのみ限るのは独断
である。言葉に隠蔽作用のあること、風刺力のあること、いわば各種の余剰面のあることを無視している。
そっちょく
日常我々は人の語るところに裏のあるのを感じないであろうか。作家や詩人などいつも翳のある用語を使っ
ているのではないか。殊にこの頃は卒直にもののいえない季節である。この時にかかる言葉は特に必要なの
ではないか 。
◆… … ◆
元来、知識層というものが余裕のないスローガンに縛られることを欲しないのである。一つ何々、一つ
何々、という風に条項化された綱領に忠順を強いられることは、この層の心情にとっては堪え得ないことだ。
知識者が既成政党ばかりでなく一般に党派的なものから離れゆく傾向にあることはこれによるのであろう。
き
し
そこでこれに代わるものとして前記のような漠然としているがゆとりのある標語に親しみをもつに至るので
0
0
0
ある。それらは政治的スローガンというよりもむしろ、心情の目標である。さりとて単に文芸上の旗幟とい
うのでもなく、卑俗な処世訓というようなものでもない。どこか社会的なにおい、政治的色彩を帯びている。
こういうところに知識者の好みに応ずる点がある。けだし第一に意味が漠然として限定されていないから、
357
各人は各様にこれを解釈できる。現在の地位や境遇に応じて都合のよい解釈をしてひとり悦に入ることがで
知識層の思想検討
358
きるのである。第二にそれは今日から直ちに個人的に役に立つ実用的な性質でなく、むしろ知識者が知識者
としての自由をはばめられている社会的制限というようなものを心情的に克服してより高い歴史的目標に陶
酔させることができるのである。
一元的に決定困難
知識層という観念も種々に規定されて来た。経済学者は生産や分配の関係によってこれを定めようとする
し、社会学者は中間浮動性にその本質をみるし、政治的実践家はプロレタリアートの進歩的頭脳、技師的指
導者とみなそうとする。普通以上の学校教育を受けた官吏・会社員などの俸給生活者、定職のある自由職業
者、芸術家等の予備軍を含む放浪的な自由業者、未就職あるいは失職せる高等浪人、これらの貯水池として
の学生群、等々が知識層のうちにかぞえられるのが常であるが、かく客観的に列挙しておいてひとしく傍観
的な立場から、どれとどれは知識者で他はそうでない、いやそれは逆だなどと争うことは無駄だと思う。訴
訟事件ならそういう論争も意味があろうが、この問題について法律的明確さは重要ではない。
◆… … ◆
誰でも深く広く考えるように素養づけられ訓練されて来たものなら、その職業や地位に関係なく、一般に
知識者と称して差支えないのであろう。これに反してたとえ知識層と外から認められる閲歴をもつ者でも考
える習慣を失ったり、考えをある深度で打ち切ることに厚顔になったり、妥協的な考えや日常事務的な思考
だけが思考の全部になってしまったような人間はもはや知識者の列に入れ得ないのではないかというのが私
けいばく
の持論である。知識者はこの意味で懐疑者である。彼の掘下げる思索には限度がない。しかしそれだけでな
く彼は啓蒙人でなければならない。というのは彼においてはあらゆる自然的・社会的繋縛から自由になった
精神が自由に活躍しておらねばならぬ。近代自由主義は一度はかかる解放をもたらしたのであるが、それに
随伴した経済機構は再び自由なる精神を圧迫することになった。この新たなる障碍を意識しそれを除去する
ことが知識者の任務である。
さて知識者は如何なる世界観を求めるか、ロマンティシズムか、リアリズムかという質問であるが、これ
も現実に『求めつつあるか』と解するのと、『求むべきか』と解するのでは応答が違ってくるのは当然である。
既に述べたように知識者の本質を一元的に定めることは無理である。彼は実際には種々の相を呈示すると考
えた方が適切である。いわばそれはカメレオン的な存在である。ある時には非常に現実主義になるかと思う
と、他の時には極端に現実忌避的な浪漫主義に化して平気である。ある時は従順に、他の時には叛逆的にみ
える。彼が一方に種々なる束縛を受けながら、他方で自主的精神を喪っていない現在の状況からそうなるの
だと考える。彼はまさにニーチェのいわゆるルサンチマン、隠忍の状態にあるといえよう。
◆… … ◆
】の公式に従えば反動期には芸術の潮流として現実主
Plekhanov, 1856-1918
プレハーノフ【 Georgiy Valentinovich
たいとう
義が退いてロマンティシズムが擡頭するというが、それも一応うなづけるけれども知識者は一方で現実人で
359
あると共に他方で夢の人なのである。現代フランスの中間層は心臓において左翼、経済問題に関しては右翼
知識層の思想検討
360
と評されているが、意識の上で進歩的な知識人も事みずからの生活問題に関するとき意外な保守性、反動性
をその行動に現さないとは保証出来ないのである。しかし知識者のこの二重性格は悲観的にのみ解せらるべ
きではなかろう。けだし彼が現実に即して客観的・科学的分析をなし得ると同時に、その分析の結果、示さ
れる情勢を意識することによってそれを乗り越える能力を持つことを暗示しているから。他だしこれは希望
であるかも 知 れ ぬ 。
「学芸」欄
底本 『:報知新聞』 1936.11.3,4
文化主義と人文主義
一
か ん も じ
こういう対立が、国民意識の宣揚と共に再び議題にのぼされている。かって
個人と全体、国民と人類 ——
個人と社会との問題が哲学的に、また社会学的に論議され、それとて理論的にも十分な解決を得たとは考え
せっぱ
られないが、いつしか実社会の情勢に押されて、かかる理論的詮議は閑文字に等しいと考えられるに到った。
0 0
ところが今問題になっている対立は、単に理論が案出したものではなく、寧ろ切羽詰った厳粛な事実なので
ある。前者がより多く哲学体系の問題であり、社会学上、形式的に取扱い得たに反し、後者は世界観を要求
し実践に連なっている。もはや客観的に観念し考察し得る対象ではなく、考える者自身の問題なのである。
先ず思想と考究の自由から
自由に考えることができるのか、それを勝手に発表することができるのか、 ——
反省してかからねばならぬ実情である。我々個人に対する全体とは今やかかる威圧として迫ってくるのであ
る。
】は言った「人
「人間自身によって選択されるのではなく」とヴィルヘルム・フォン・フンボルト【 1767-1835
間がそこでは単に狭められ、引摺られるに過ぎないものは、人間の本質に融合しない、それは人間にとって
もと
永遠に異縁である。人間は元来、人間的力量を以てではなく、機械的器用さを以てそれを取行うのである。」
361
全体が我々にとって圧力として感ぜられるのは、それが自然力だからでは固よりない。それはどこまでも人
文化主義と人文主義
かせい
362
力である、そして人力である点に特殊の圧迫力を示している。苛政は虎よりも猛く、戦争は天災より惨忍で
ある。もちろんこれは私的な疎隔や葛藤と等しくはない。圧迫者と被圧迫者とはいわば面を会せることはな
いのである。個人的には寧ろ互に等しく国民として融和している筈なのである。そこに自然力に似た一種不
可抗な力がある。父と子、夫と妻、というような家庭的不和のうちにも、個人の意思を以てしてはどうとも
することのできない力が感ぜられるけれども、それはどこまでも人間性内部のことである。然るに全体力は
人間性の外にある。それも全部外にあるのなら機械力として観察し測定することができるが、依然として人
力である限り私的不和と同じように不可測な側面をもっている。即ち自然力のように客観化し得ないところ
にこの圧力の無気味さがある。フンボルトの言葉を藉りるなら、全体は一部分人間によって選ばれたもので
あり、一部分は人間の本質に異縁なるものを包含していることになる。
二
人間は単に人間としては自然物と異らないとも考えられる。人間を人間たらしめるのはその業蹟、その仕
事にあるといわれる。かかる働きの成果に応じて初めて悟性・理性等の機能が想定される。人間が理性的で
あり、知慧をもつが故に仕事をするのではなく、人間が仕事を遂行し、業蹟を遺すが故に、理性的であり叡
知的なのだと考えるべきであろう。人間とは業蹟を遺す生物であるとも称し得よう。仕事の成果に於いてい
わば隠されていた人間の本質が顕現されるのである。人間は自己の成し遂げた結果に従って自己を知り得る
に過ぎない。業蹟は人間の反像である、即ち表現である。業蹟が多種多彩である限り、人間性もまた多種多
様であるべき筈である。そこには殆んど無限な可能性が蔵されているようにみえる。しかしそれが人間の表
現である以上、他の人間がこれを理解し、受容し、継承することが可能である。人間を以て業蹟を遺す生物
とする見解は、人間を以て表現的生物と看做す思想に連なっている。
文化ということの意味はもとより多義である。しかし人間の果した業蹟が文化と呼ばれ来っていることに
間違いはない。業蹟といってもここで意味するのは具体的作品のことではない。即ち芸術品そのまま・学問
的成果そのまま・技術的装置そのままを指すのではない。例えば学術的書物、それは羊皮なり、紙なりに書
かれ、また刷られた一連の文字という感性的存在に過ぎないが、かく眼に映じ手に触れる書物そのままは学
者の業蹟ではなく、恐らく他の工芸人の仕事なのであろう。そうではなく、この感性物をして諸他のやくざ
物と区別あらしめるもの、これが学者の業蹟と称せられるものである。言い換えれば、それは業蹟価値なの
である。従って文化を業蹟と等しくおくとき、それは文化価値であって、文化財ではない。
かくて業蹟主義的人間観は文化価値主義の一側面として現れる。文化価値主義と業蹟主義とは必ずしも内
容を等しくするとは断じ得ない。前者のうちには業蹟観の外に、全体人間の思想、実現さるべくして実現し
】
1881-1927
つくされ得ない価値の内容化に努力するという悲愴な理想主義、わけても哲学構造的に価値哲学一般に附随
する形式主義が目立っている。かくの如き文化価値主義はかってわが国へも左右田喜一郎博士【
】らによって移入唱導され、思想的にかなりの影響をもったことはまだ人々の
や桑木厳翼博士【 1874-1946
363
記憶に新たなるところであろう。この運動は当時、「黎明会」iの演題に選ばれたのでも解るように進歩的な
大正デモクラシー時の啓蒙団体、月一の講演会をしていた。
文化主義と人文主義
i
i
364
意味をもっていた。その頃の生活意識を支配していた実用主義、卑俗な物質主義に抗して、本当の生活意義
こうとう
に目覚ましめることがその主たる目的であったであろう。殊に経済生活に携る者は、その日常勤労のうちに、
他の高踏生活者と平等な価値と意義とを見出すことによって慰められることが多かった。ところが今や文化
もとめ
価値主義は旧態そのままではないとしても、国民主義と合体し得る限りに於いて復活しつつあるようである。
殊にもしドイツ国民主義の哲学的基礎とでもいうべきものが需られるとすれば、さしずめこういう所に発見
できるのではないかと察せられる。
三
尤も国民主義哲学は文化価値哲学そっくりそのままを採用するわけではない。その哲学構造などは恐らく
どうでもよいことなのであろう、ただその世界観的要素が大切である。但し素々価値哲学は世界観哲学では
ないのであるから、それを強力な世界観と化するためには各方面の形而上学が混入されなければならないの
るせつ
すくな
は勿論である。さて国民主義哲学に採用された範囲での文化価値主義のうち特に目立つ特色はその業蹟主義
と全体主義 で あ る と 思 う 。
説する要も尠いと考えるが、
全体主義に就いてはいろいろの人がいろいろの事を述べているから、ここで縷
かつての文化価値主義が個人の完成、個性の円満のために全体人を想定し理想としたに反し、現今の国民主
義は全体国民の円満完全のために、個人は初めから一面的であり、一定の偏向性をもつことが要求される。
個性が遺憾なく発揮され得るためには個人が自由を享受するばかりでなく、できるだけ多様な状況に身をお
いてみる必要がある。一面性ということは個性の貧小を語るに外ならない。
又個人は目的に対する手段であっ
てはならない。それ自身、全体の表現であり、代表なのであって、いわばその表し方に各々異った特色をも
つのであるから、全体はそれらが映し・照り返す交錯のうちに醸成される雰囲気として浮び上るに止るので
よ
あるが、個人を全体の手段とする場合には、表現や代表でなく隠蔽と盲従とが支配的になる。
「自然(神がそれに依って世界を作り支配する技術)は人間の技術によって模倣されている、それは人間
これ
が人工の動物を作り得るというようなことに於いても、他の多くの事柄に於けると同様である。」 ——
はホッブスがその国家論『リヴァイアサン』を開いている言葉である。かくて人間の技術は自動機械の製作
に成功するが、それに止らずかの自然の合理的にして最も優秀な作品、人間をも摸倣するに到る、即ち国家
という人工的な巨人、リヴァイアサンが創造される。かく説明する際ホッブスが採用している類推は個人と
しての人間を基態としている。個人に倣って国i家が考察されているのである。ところがホッブスと等しく国
家の原理や構成を人間的類推によって理解しようと企てているプラトンに於いては、この関係が逆のように
0
の構造が類推されるのではない。プラトンに於いては国家は個人の「より大きな見本」なのである。現在の
0
決してホッブスのように個人の生理的・心理的分析から出発して、そこに見出される人性論的機能から国家
国家全体における個人の関係や役割が規定され、この関係や役割に応じた機能が個人に対しても適用される。
思えるのである。即ち個人から国家へではなく、国家を基態として個人への類推が行われるのである。先ず
i
365
全体主義はホッブスに従わずして、プラトンに追随しているようにみえる。それが等族国家の復活を夢み、
原文は「倣へて」
文化主義と人文主義
i
366
等族の間に価値上の段階を認め、上層のものほど宇宙的自然の象徴態と考え、これと自然の子たる農民層と
の親近性を説き、等族世界の調和を破るものとして都市民をおき、これこそ貨幣と科学によって人間生活を
精神と分離するところの主体であり、等族に対立する党派の発生根源であるとする。我々はかかる思想の先
駆と典型とを例えばシュペングラー【 Oswald Arnold Gottfried Spengler,1880-1936
】に見出す。
四
業蹟主義もまたかかる全体主義の色彩を帯びている。個性的な業蹟でなく、国民的業蹟が要求される。国
民的美術・国民的文芸というのがその合言葉である。学問に対してさえ国民的なることが要求される。これ
らの文化は全て国民的伝統をもっている。国民的とはこの伝統を純粋に発揮する謂いであろう。かくて国民
的は国粋的と等しくなる。ところが伝統の継承・発展には二つの仕方がある。一つは古典を省みることによっ
さんじょ
て、それに新しい意味を見出し、以て現在あるものを是正・伸長させる途であり、他は古典を絶対の基準と
ま
こしら
してこれによって新しきものを律し、その発芽を芟除しようとする遣り方である。前者は統制や奨励によっ
て必ずしも可能とはならない、寧ろ個人の溌刺たる創意に俟つ外ない。そこで急拵えな国粋主義はいきおい
かたど
あら
反動的とならざるを得ない。業蹟のうち全体主義的に最大なものと考えられるのは政治的業蹟である。これ
を象るものが記念碑であり、凱旋門である。そして凡ゆる業蹟のうち政治的のそれが反動的であることが最
も恐るべき で あ る 。
業蹟主義は客観主義である。それが全体主義と結びつく場合なおそうである。それは個性とその創意を殺
すからである。これはとりも直さず人間の人間性を無視する所以である。人間は社会的動物とか政治的動物
とかいわれるけれども、プラトンでさえ国家が人間の慾望から発生したことを認めている。万人闘争の自然
状態を想定する社会観に対して、個人は元来、全体を各々異なる特色ある仕方と角度に於いて表現する、従っ
て個人相互もまた映し映される関係に立つというような表現的社会観という如きものも成り立ち得るであろ
う。かかる社会観の解剖と批判は別の機会に譲るとして、業蹟を以て人間の表視であると解しても、業蹟即
ち人間なのではない。人間の側には常に業蹟のうちに客観化し得ない剰余をのこしている。それは人間自身
にも永久にかくされたる部面である。人間はこれを把握することができない、而もそれだけ人間の根源であ
る。即ち人間の創造活動の源泉である。彼は行ってみる外それについて知ることはできない。業蹟が貴いの
はそれがかかる創造活動の軌跡であるからである。模倣物が卑しまれる所以である。単なる筋肉労働・奴隷
的勤労に価値が認められない所以である。エジプトのピラミッドは奴隷のではなく、
王朝の業蹟なのである。
この例でもわかるように政治的記念物が特に業蹟として重んぜらるる場合には、他にもまして個人の創造力
は全体意思の威令の下に屈服せねばならぬ。
五
業蹟は人間の表現であると考えられるが、既に述べたように、それは人間全部の表現ではない。即ち業蹟
は外部人間の表現であるとしても、内部人間のそれではない。このことはまた業蹟が政治的である場合特に
367
著しい。もと内部人間の思想は業蹟主義を以てしては把捉しきれないものである。パウロはこれを宗教的に
文化主義と人文主義
たとえ
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368
理解した。「仮令我等の外なる人は壊るとも、内なる人は日にまた新なり」( コリント人への第二書状、第四章
、「汝らをして内なる人を強うせしめ」( エペソ人への書状、第三章十六節)とか誌されている。しか
十六節)
しそれは尚一層、人文主義の概念である。例えばフンボルトは説いていう
「人間が携わるところのことは悉く、
たとえそれは物欲を間接にせよ直接にせよ満足するよう定められていても、最も密接に内部的感覚と結びつ
いている。また屡々外部的窮極目的と並んでなお内部的窮極目的がある、のみならず屡々後者が本来目指さ
れたもので、前者はただ已むを得ず偶然にそれと結合されているに止る。人間が統一をもっていればいるほ
ふちゃく
ど、彼が選ぶところの外部的業務はそれだけ自由に彼の内部的存在から生起する、そして同じ業務が自由に
」つづいて
選ばれたのでなかった場合には、内部存在がそれだけ屡々又それだけ固く業務に附著している。
また言う「人間が思想や感受性に生きる習わしをつめばつむ程、彼の知的にして道徳的な力が強く洗練され
ていればいる程、内部人間に材料を与えることの多いような外部地位を彼が選ぼうと試みることもそれだけ
)。
多い」( Wilhelm von Humboldt, Ideen zu einem Versuch, die Grenzen der Wirksamkeit des Staats zu bestimmen, III.
外部人間は国民の歴史にせよ、世界史にせよ、外部的歴史に生きるものだとすれば、内部人間は公的記録に
遺されない内的歴史のうちに生きる。その記録が自伝・告白・懺悔・日記・書簡等である。外部人間が技術
と科学と政治の人間ならば、内部人間は自然のうちに根をもっているとの意味で宇宙的であり、自然の観測
と克服ではなくそれとの共感を志す限りで浪漫的であり、闘争と支配ではなく愛による融和を目指すが故に
道義的である。総じて内部人間は自然的愛としてのリビド、共感的愛としてのエロス、自覚的愛としてのア
ガペというような愛の秩序に従って生れくるものと考えられる。
人間の生育と完成は外部的人間と内部的人間とを程よく生長・育成せしめるにある。内部的要素を欠く人
間は、よし彼がiどんなに外部的に強力であろうとも、暴君の如き怪物に過ぎない。これに反していわゆる偉
人・英雄は内部的充実を具えた外部人である。外部への発現を欠く人間は、如何に彼が内部的教養を貯えて
ii
369
底本では「欲」、『哲学と経済』での訂正
、生活文化研究家、北大教授、それまでの長屋を日本式集合住宅「文化住宅」「アパート」と改良・改称した。
1877-1950
まず衣食住というような物質的方面に振り向けられたのは已むを得ないことである。文化住宅という言葉を
体がなに程かづつ生活を向上させる余裕を生じたことによる一種の輿論の如きものでもあった。生活向上が
よろん
して文化生活主義とでも呼ばれるべき運動が擡頭した。森本厚吉博i士などがその一方の主唱者であり、実行
者であったことは、人々がまだ記憶しているであろう。これは大戦による未曾有の好況によってわが国民全
我々は今まで文化主義を文化価値主義わけても業蹟主義と同一視して論じて来た。しかし文化主義の意義
はそれに限られるのではない。ちょうどわが国で哲学者の側から文化価値主義が唱導された頃、それと前後
六
を蔑視する こ と で あ る 。
る。業蹟は創造の成果としてのみ重んぜられる。成果としての業蹟のみを重視するのは人間の人間たる根源
外部的人間のエネルギーは内部的人間のうちに収得され貯蔵されねばならぬ。その自らなる流露が創造であ
いても、懐疑的で皮肉な独善者に過ぎない。これに対していわゆる天才は外部への発現力ある内部人である。
i
文化主義と人文主義
i i
i
もとめ
370
始め、何にでも文化という名称を附せば、そのものの高級さと新味とを示すが如く考えられた。けれども知
けいばく
さまた
識層がかかる物質的向上だけに満足するはずはない。向上した物質生活に応じて、精神的充実が需られた。
しょうしょう
実生活の準備と繋縛に障げられて、文学・絵画・音楽・スポーツなどを十分に鑑賞し享楽することのできな
かった知識層が、就職の安易と収入の増大とによって稍々かかる制限から解放されて、日常事務以外の教養
しゅうしゅう
と慰楽に時間と金銭を割く余裕を見出したのである。この意味でかの『白樺』同人の仕事の如きは特殊の文
化主義運動であったと言い得よう。この種の傾向は最初たしかに一種の道楽であり、作品の蒐集などに全力
を注ぐ物質的なものであった。しかしやがて傑れた作品の精神を理解し会得することによって、新なる教養
をその愛好者らにもたらすことになった。ここに於いて単なる文化生活主義とは異った名実ともに具った教
養主義、一種の人文主義としての文化主義が生じたわけである。教養主義は主に芸術方面に限られていたが、
知的方面ではこれに応じて啓蒙運動が進められた。法律・政治・経済等に関する社会科学における革新運動
がそれである。それは一種のデモクラシー運動として実際政治にまで影響を及ぼした。元来、文化という語
かいふく
は啓蒙と同義に用いられることが多かった。カントなどもその一人だと思う。即ちあらゆる障碍を除去され
て自由を恢復し自覚に到達した人間精神の状態である。かくて文化主義は啓蒙運動でもある。
七
文化生活主義、教養主義、また知的啓蒙主義としての文化主義の特色は、それが非政治的であり、非社会
的でさえある点に存する。この特色は前二者に於いて殊に顕著である。プロレタリア社会運動が活発であっ
た当時、その一翼として知識層・学生層の運動が特に文化運動と名づけられたのも同じような理由によるの
ではなかろうか。それは窮極に於いて政治的目的をもつと教えられながら、実質は却っていわゆるブルジョ
ワ文化に代るべき新文化の建設を志していたとしか思えない。政治は手段であって目的ではなかった。階級
文化といってもそれが歴史的意義を担う限り超階級的意味をもっている。プロレタリア芸術、プロレタリア
科学、プロレタリア倫理、プロレタリア教育等々が歴史的意義を喪失した旧文化に代らねばならぬと信じら
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れた。それは旧文化への歴史的反抗であると共に、原理的革新でもあった。この場合、芸術、科学、倫理等
はそれが新たに生成しつつあると考えられる点からも、出来上った文化形象とは解せられず、却ってより多
く人間の問題として捉えられた。新文化の建設とは要するに新しき人間の創造であり教育である。ルソーが
プラトンの国家論を政治論としてよりも教育論として理解したのも同じ精神に於いてであろう。
八
文化革新主義は旧文化を否定する、しかしこの否定はいわゆる弁証法的否定である。この主義はあくまで
文化肯定主義である。先頃この国にもシェストフ等々の名に於いて文化否定主議が流行した。この思想はも
ちろん人間文化を否定する反面、絶対肯定としての宗教的確信を伴っている。又単なる客体主義に対し主体
主義を強調する点にその意味をもっている。キルケゴール等の実存思想の顧みらるべき所以である。それは
客観的情勢の分析だけが実践にとって全てでないこと、先ず行う者その者の条件が大切であることを教えた。
371
この意味に於いて偶然の存することを開示した、しかしこれは我々の知識の不足の故に不可知な客観的偶然
文化主義と人文主義
もくろ
372
ではなく、因果則を越えた本質偶然としての人間的創造である。文化の建設にもかかる実存的要素を必要と
する。その限りで文化肯定主義へ合流し得る。
全面的文化の否定ではなく、新文化の否定を目論むものは反動主義である。これは文化の恒常と超歴史性
そがい
を説いて文化の発展を阻碍し却って逆転を願う。伝統をもつ民族は幸であり、神話を生かし得る民族は偉大
である。蛮人も種々な神話をもっている、しかしこれを発展的に理解する能力をもっていない。出発点にあ
ると考えられるものは往々、終局点にあるものと等しい。発展が円環的とも考えられる所以である。伝統は
この意味で理想でもある。同じように文化は循環するとも考えられる。伝統を伴わない文化はない、もしあ
るようにみえれば、それは摸造品に過ぎまい。伝統は宇宙的であり、自然的である、その限りで人間の生長
を助けると同時にこれを繋縛する。いわゆる文化人、啓蒙された人間とはかかる自然の繋縛から自由となり、
自らに固有な本性に従って自らの目的のために行動する自由を獲得した人間である。文化とはかかる人間の
活動についてのみ許される言葉である。従って徒に伝統の名に於いて文化の発展を呪咀するのは反動的と称
さけ
せざるを得ない。今やかかる反動的傾向が世界の一部を強力に蔽っている。ここに於いて新しく「文化の擁
護」が号ばれねばならぬのである。文化主義は文化擁護主義として現れる。そして文化の擁護とは人間性の
確保に外ならないのである。
九
ヒューマニズムという言葉もまた多義である。それが人文主義と訳されるとき先ず十五世紀イタリーに発
生した古典復活運動を指している。言葉の起りもこれに負っている。この運動について詳述する必要はない
と信ずるが、要するに中世における唯一の精神科学であり、精神哲学であった神学への反抗であった。その
形式主義・煩瑣主義・解釈主義の重圧からの解放が企てられた。そしてその事は神中心の思想から離れて人
間中心の思想に到達することでもあった。ギリシャ、ローマの典籍はリテラエ・フマニオレスとi称えられ、
ひとり文章構成の模範と考えられたばかりでなく、そこに盛られた人間味豊かな思想が人々を捉えた。初め
はこう
中心教育とならざるを得ない。明治以来のわが国もまた漸次にこの教育方針に頼らざるを得なかった。ただ
訓練に過ぎない。要はむしろ物質的技能の獲得と向上とに存する。そこでこの種の国民主義はいきおい技能
角逐場裡に於いて勝利を占めることを志すのであるから、意識傾向の問題は手段であって一種の精神技能の
かくちく
採っていたそれである。これは素より国民の団結を説くけれども、この団結は国民が世界の政治的・経済的
人文主義教育原理はヨーロッパに於いては、国民主義教育運動が発生するまで革新的意義を担っていた。
宗教中心の教育に対立したからである。国民主義といっても今日のそれでなく戦前まで主としてドイツが
プスを越えて全欧州に汎ってからのようである。
あまね
に対する漠然たる反抗心、わけても教育原理の一潮流という種々な形態に分化・発展したのは、それがアル
き、聴講の学生は堂にみちたという。しかし人文思想が一種の社会思想として、人間中心主義、教権や政権
てイタリーの諸大学に於いて、神学・医学・法学と並んで、修辞学の名の下にこれらの古典が講ぜられたと
i
373
欧州におけるような宗教的な、また人文主義的な、教育伝統が強力でなかったために跛行的に物質技能主義
「人間的な手紙」、のちに転じて「人文学」を意味する。
Literae Humaniores
文化主義と人文主義
i
374
に傾き、遂に皮相な職業教育にまで堕落した。ところが最近の国民主義は特にわが国に於いて物質技能主義
おもむ
への反抗として一種の古典研究奨励としての人文主義を唱えている。それは往々、自然科学への不信という
ゆるが
ような極端にまで赴いている。然るに他方、諸外国との物質的競争にも曝されていることから、技能教育を
も忽せになし得ない。国民主義思想が含む多くの矛盾の一つである。ルネッサンス・イタリーにおける古典
研究でさえ、やがて人間性の再認という意味を喪って、神学と等しい瑣末主義と高踏主義に陥ったといわれ
ている。
十
人間は自然の子としては不平等に生みつけられている。万人闘争・弱肉強食の自然状態が想定される所以
である。これはどこまでも自然的事実である、この不平等は人力を以て除くことはできない。ところが人間
は社会的状態、とりも直さず人間的状態に於いては平等だと考えられる。これを心情的に理解すれば、人間
は人間としていずれも人間性を具えている点で変りがないということであり、これを法律的・政治的に解釈
じらい
すれば人間は人間たる以上、人間としての権利、即ち人権を賦与されているとの思想となる。かかる思想は
】
、
啓蒙時代のものであり、フランス革命によって政治的に実現されたと考えられている。爾来【 底本では「以来」
人類平等の思想はあらゆる解放運動の基底となった。ヒューマニズムはかくて自然法的人道主義と解せられ
る。生れながらに与えられた各人の人権は相互に尊重され、自由に享有されねばならない。ここに初めて自
己固有の資格を自覚した人格が確立すると共に、かかる人格の集合としての人類社会の観念が浮び上った。
かってキリスト教も人類の平等を説いて、各人は神に対して同胞に外ならないという。しかしこれはどこま
でも超人間的な神に対面してであって、キリスト者の集団たる教会を神のひとり子キリストの体躯と考え、
そこに加入し集る者をこの巨大な体躯の手足と看做すことによって、教会員たる限りに於いて神の前に平等
化されるというのである。この平等思想は甚だ屡々自然法的平等主義と混合して種々の慈善行為、博愛運動
を起したことは確かである。ヨーロッパに於いては原理として分別し得ても人々の心情としては不可分な二
要素をなしているのであろうと察せられるが、これを原理的に観察するとき、両者は極めて異なる構造を示
している。キリスト教的平等思想は個人と超越的な神とを結ぶのにとにかくキリストの体躯という具象的な
媒介をもっているが、自然法思想の場合には個人は直ちに人類という抽象態に面するのである。神の子の体
躯の類推の下に個人が考えられるのと、個人の肉体の類推に於いて人類社会が想定されるのとの相違がある。
ここに於いて人類は巨大な個人となって却って微小な個人に対立する結果となり、いわゆる個人と社会との
関係が切実な問題となって来る。ヘーゲルの国家概念はかかる啓蒙思想の虚を衝いたものである。手近に田
】が「種の論理」を強調されるのも、個と類との間に具象的な媒介を需められるから
邊元博士【 1885-1962
であろう。
自然法的人道主義の抽象性はその非歴史的なる点にある。非歴史的たることが却って歴史的意義を担うよ
うな時代はもちろんあり得るが、超時代的にして形式的な人権の思想には各々その時代に応じて歴史的な内
375
容が盛られねばならない。ここに歴史的な人道主義もしくは人類主義の可能性が存在する。現代における被
圧迫階級の解放運動はまたこの見地からも理解されよう。
文化主義と人文主義
376
人文主義は文化主義の裏である。業蹟主義が人間活動の目標として意義あるためには、如何に人間創造の
重要さが顧みられねばならないかを我々はみた。文化生活主義が全うされるためには物質的な見栄の裏に豊
かな教養がかくされておられねばならぬことを我々は知った。政治的な革新運動が他面必ず新しい人間の教
育と創造とを主眼とする部署を伴わねばならぬことを知った。そして反動運動の最も悪むべき点が、一旦、
自然的且つ人為的繋縛から解放され、自由な伸展を保障された人間精神を、再び一方的方向に歪め一面的に
萎縮せしめる点にあることをも覚った。かくて今や人文主義は人間性の擁護という消極的防禦線に立上るこ
とを余儀なくされている、要は新しい文化と生活の建設のために、新たな人間を鋳出すことにある。
【『哲学と経済』では著者が手を入れたとの記載が無いが、いくつか訂正がある。傍点は底本では全く無く、すべて『哲
学と経済』で付されたものである。他は読点を「・」に変えたり等で、とくに注記しない。
】
底本 『:日本評論』 1936.11
参照 『:哲学と経済』
妥当性ということについて
たまたま
東海道線は私が学生時代から何度となく往復した鉄路である。偶々寝台車で感じることがある。夜汽車で
は走っているときにウトウトして駅へ停ると眼が覚めるものであるが、そういうとき森閑としたプラット
フォームに駅の名を呼ぶ駅夫の声だけが冴えて聞える。殊に冬の夜半にはそう思える。ところがさて今停っ
ているのは何処だろうと駅夫の呼声に注意を集中するのであるが、それが余程努力しないとどうにも確かめ
難いことが多い。それはこちらが眠いためもあるであろう、しかし、そればかりによるのではないらしい。
駅夫は日に幾回となく同じ駅名を繰返し呼んでいるのであるから、いきおいその呼方は職業的になっている。
機械的といってもよいかも知れぬがとにかく乗客に告げようというよりも列車が着いたから職務上、声を張
り上げているという状態である。いわば彼は独り語をいっているに等しい。
いやいや
そればかりでなく雇員である彼等は大抵、駅のある地方の出身者であることが多い。従ってその発音には
その地方特有の訛りなり抑揚なりが付着している。そこで通りすがりの旅客には益々駅夫の呼声の内容が解
りにくくなるのだと思う。私は名古屋でバスに乗るに到って弥々このことを痛感するに到った。この地方の
方言については同地に存住【 在住】する縁者から時々きかないでもなかったが、バスガールがそのままのア
クセントで停留場の名を告げるには驚いた。この縁者は学校を出ると直ぐ名古屋のある会社に就職したので
377
あるが、入社当時戸別勧誘をやらされ、そういう際標準語を用いたのではすげなく断れるのがおちで、どう
妥当性ということについて
ま
378
しても方言を倣ねねば有効ではないと語っていた。そういえばこれは何も名古屋にだけ限った話しでなく、
私の郷里の電車の車掌についても同じことがいえるし、恐らく地方から出たこの者が、
東京の市電などに乗っ
ても同じことを感じるのだろうと想像される。車掌は恐らく乗客の便利のために次の停車する場所を前もっ
て告知するよう命ぜられているのだろうが、その呼声が職業的に慣らされるにつれて又はじめからその地方
特有の訛りを帯びている以上、その呼声から本当に便宜を得るであろうような乗客、即ちその地に来たばか
りの者とか、通りすがりの旅客とかには十分効用を発揮し得ず結局、解った者にだけ解る、という結果になっ
ているので は な か ろ う か 。
かかわ
この「解った者にだけ解る」という現象は、しかし右のような市井街頭に於いてみられる事実だけとは限
らない。小説に通俗物と称されるものと純文芸と呼ばれるものが区別されている。前者の方がいわゆる大衆
向けで読者も多く、従って商品価値も高い。それにも拘らず文芸の本筋から外れたものとしてその途の人々
からは一段低く評価されるのが常である。通俗小説は文芸本来の要求、作家の純真な創作欲を犠牲にして、
大衆の低俗な興味に媚びているというのが、その蔑視の理由となっている。ところが彼等が純文学と称する
ものこそ「解る者にだけ解る」文学なのである。文学に伝統の大切なことは疑いなく、この伝統の約束を理
解せずしては文芸を十分に味得できないのは当然であろうが、かかる約束が真に歴史的であり公共的である
間はよいとして、そういうものなら同じ伝統圏内に属している者にはどこか又いつか訴えるところをもつと
思われるが、そうではなく作家が玄人精神に凝り固まれば固まるほど約束が細く隠密になりギルド的なもの
に化する。純文芸というものが遂にいわゆる文壇人にだけ通ずるものとなり一般人はそれに付和雷同すると
いう結果に な る 。
しかしそういう一般人には十分了解できないような芸術だけが芸術であってよいのであろうか。耳はきこ
えても音楽を解し得るとは限らず、眼はみえても、絵画を鑑賞できるとはいえぬと同様、文学が読めるから
といっても誰も彼も文学が解るとは断じ得ないのはもちろんであり、あらゆる芸術の理解に素質の有無と共
に一定の準備教養の入ることはいうまでもないが、それ以上に職業的偏執とでもいわるべきもの、即ち前の
例でいえば車掌の訛りや機械化された呼声に類するものまでも玄人の名に於いて何か一段高等なもののよう
に思わせるのはどうであろう、そういうものが一般人の眼を蔽う煙幕として使用されていないとは断言でき
まい。
迦や孔子やキリスト・ソク
古来の聖典教書の類もまた俗衆には容易に理解できないように出来ている。か釈
こ
ラテスなどの説教を直接きいた民衆はきっと経典を読む我々のように難解を喞たなかったであろう。もしそ
ゆえん
れらの聖者がお筆先のような呪文のような言説だけを弄していたとすれば、あれほどに大きな人格的影響を
及ぼしたとは信ぜられない。彼等を以て偉大なジャーナリストとする者のある所以である。かく平易で直截
であったであろうところの言説を、故意に難解にし「解る者にだけ解る」内容に化したのは、
自ら聖者の「言
葉」を仲介し宣布すると称する僧侶たちであったであろう。それはもはや聖者が生きた民衆に吐く生きた教
えではなく、僧侶が頭をひねり頭でひねった解釈に過ぎないのであるから、解釈の相違に従って幾多の宗派
379
が発生するのは当然であり、かくて教説は益々秘教的になって一般人と隔離され経典は解らないがただただ
有難いものになる「解らない、それ故有難い!」(我信ず、解らないが故に)
妥当性ということについて
わか
380
】を標榜し綜合統一を目指しているとはいえ、その実
universitas
れその下に
近代の学問は専門化を特色としている。知識の最高の道場である大き学ちに於いて幾多の学部が岐
また細かな科目区別が存し厳密にみれば同じ科の各講座が殆ど他の窺知をゆるさないほど独立しているので
あろう。大学はいわゆるユニヴァーシタス【
情は綜合という方向よりも寧ろ反対に分化の方へ進んでいるのではないかと考えられる。その上同じ専門に
ついても学派が存する、この頃では各国民によって専門知の内容も異ならねばならぬといわれている。かく
して知識の分化は益々錯綜して一般人には到底近づき難いものとなった。学問には古典はあっても経典はな
い、最後の拠り処としてはただ事実あるのみである。事実とか現象とかいえば甚だ簡単なように思えるが、
解り切ったようにみえる事実が却って問題の根源であってその真相を把えるために種々の工夫が案出され
る、それがいわゆる科学的方法なのである。
この方法は事実を把握するために人類が案出した途として一番正当なものといえよう。方法は事実に照応
する。従って事実が細かなだけ方法も細かになるのは已むを得ないとして、一度方法の巧緻な魔力に囚えら
てんとう
あたか
れると、それが事実に適合するかどうかを問わないで、方法を事実に押しつける結果を生ずる。ここに知識
の顛倒が起るのである。事実のための知識だったのが、知識のための事実になる。宛も学説のために世界が
存するようになると、知識も学問も専門家の独占に帰して彼等と同じ階梯を踏まない以上、門外漢には没交
こうむ
渉のものに化する。こういう学風に抗するものとして評論的学風とでも称すべきものが存在すると考えられ
るが、専門家からは邪道視され通俗小説が受けると同じ評価を蒙っている。評論的学風と通俗小説とでは共
通するところもあるにはあるが、後者が単に大衆の低俗平準な興味に訴えるのだとすれば大いに違っている
と思う。前者も大衆と共通な事実を大衆と共に理解しそれに対する態度を定めるのであるが、大衆のうちに
存する低準な欲求によるのではなく、そのうちに潜む高く鋭い眼識、大衆のもつ理想本能とでも呼ばるべき
ものに従う点に相違があるのだと思う。知識の妥当性ということが説かれるが、妥当性とはどういうことで
あるか。専門知にそれがあるのか、大衆知にそれがあるのか。それともどちらにも特有の妥当性があるので
あってただその性質が異なるだけなのか。知識の純粋性と具体性とはどう関係するか。評論的知識にも種々
の妥当性の段階があるのではないか。そして真に妥当性を発揮しようと思えば、妥当性を越える必要がある
381
のではないか。実はこういうことを論じてみるつもりだったのであるが、それらは他の機会に譲らねばなら
ぬ。
底本 『:一橋新聞』 1936.12.14
妥当性ということについて
悪の問題
一
382
文学は人間の醜と悪とを曝けだして恐れないが、哲学はできるだけ人間に立派な美しい衣裳を着せようと
努めている。文学のうちにも露悪そのことを享楽する低級なものもあり、勧善懲悪のような教訓目的をもつ
あたか
さしつか
のもあるが、人間のありのままの姿相を描こうとすれば、そこに闇の反面のあるのは当然である。哲学はこ
の当然なことを当然とする余り、恰もこれを無視して差支えないかの如く取扱い、専ら光明の方に注意を向
ける。そして「光は暗に輝く、されど暗はそれを悟らざりき」といって平気である。
しかし哲学者もまた人間である。従って彼が彼自身の実存に目を注げば、直ちに彼の思弁を以てはどうに
も処理のつかない暗黒面のあることを痛感せずには居られない。かかる実感を通じて深い観照に入った哲学
者の例も少くない。この悟入の過程はいわゆる懺悔録のうちに最も率直に表白されているように思う。懺悔
という文字や思想は、仏教に縁由をもつに違いなかろうが、東洋に於いて西洋のそういう文書にみるような
自己の内生活の冷厳な客観的分析と記述を盛り上げた懺悔書が果して存するのかどうか、寡聞の私は知らな
いのである。西洋における懺悔録乃至は自伝風な文書にも時代により人により種々な型が考えられるのは勿
論である。アウグスティヌス、ルソー、ゲーテ、トルストイ、というような誰にも読まれる代表書をとって
みただけでもその相違は直ちに肯けよう。これら各々の独自性を歴史的にまた社会学的に探究することは興
かかわ
味ある仕事ではあるが今は目的が違う。
らず我々の存在がどこからか闇のうちに没していることは争われない。我々の存在
哲学者た る と 否 と に 拘
はいわば半身を照明されているに過ぎないのである。我々は既に形成された部分と形成する部分とから成っ
ている。前者を象徴するのは我々の体躯であろう。体躯は恰も自ら生長し発育し我々の生命を保持するため
に調和ある活動を果せる如くである。しかしそこには疾病があり死がある。疾病にかかり死するものは体躯
であるが疾病を起させ死を促すものは体躯自身ではない。ちょうど体躯の生長の根源が体躯自身の中にない
のと同じである。この建設と破壊とを同じ掌で司るものはもはや、照明の外にある。
「精神は身体に命令するかと思えば、直ぐ命令に従う、精神は自らに命令するかと思えば、やがて服従を
拒む。」とアウグスティヌスは告白している。「この気味悪きものは何処から来たのだろうか、そして何の為
だろうか、何の為だろうか。」アウグスティヌスがここで身体というのは我々が体躯もしくは肉体と称する
かえ
ところのものなのは勿論である。精神は形成された肉体を後から整理し統制する作用に過ぎず、自ら肉体を
産出する能力をもたない。精神もまたそれが統御する体躯と同じように、自己の権力の外に立ち却ってその
ものから支配を受ける何ものかに根ざしている。この根の尽きる個所は精神の透過力を以ては突きとめ得な
い。我々はアウグスティヌスと共に「人間はなんという深淵だろう」と歎ずる外ないのである。
けいぼう
ラテン語 natura naturans=(
英 Nature naturing)
能産的自然】として、
この深淵をスピノザはナチュラ・ナチュランス【
ライプニッツは永久真理の世界(可能界)として、シェリングは実存の根基、神における自然として、理解
383
しようと企てたが、深淵たることに変化はない。そして我々の形貌が人魚の如くどこからか人間の姿を失っ
悪の問題
384
ているのも確かである。肉体を制御する精神とか理性とかは、ひとり人間にだけ存するのでなく、宇宙的な
ものと考えられ得る。そうする場合、人間におけると等しく世界や宇宙にも反価値的なもの、非合理的なも
のが見られるであろう。いわゆる宇宙悪がそれである。ライプニッツは害悪を分って形而上的のもの、物的
のもの、道徳的のもの、としているが、形而上的悪は被造物が根源的に不完全なることに由来し、物的悪は
苦難に、道徳悪は罪に存するという。宇宙悪と称せられるもののうちには、これらのうち形而上的悪のよう
に全て物的活動や人間生活の始る以前、これらの現実世界とは次元を異にする可能界に横たわると考えられ
るもの、その外に一種の物的苦難とも思われるところの天災地変も数へ入れられるのであろう。戦争や貧困
の如きも道徳悪とも物悪とも解し得る。また人間相互の不和葛藤のうちには家庭や交友やに見受けるような、
単に罪としては考えられず、さりとて社会悪とも称し得ず、一種宇宙的な性質をもつものがある。総じて悪
と唱えられる以上は最初に述べたような形而上学的根基へ連なりをもっていると同時に、それが働くもの相
互の働・受働の摩擦と考えられるとき物理的悪が想定され、同じ働くものでも人格の所有者間のそれは道徳
的と総称される。ただ同じ道徳的でも一方の人格が絶対視される場合、悪は罪過と呼ばれる。絶対人格のう
ちにも神の如く宇宙的なものもあれば、法や裁判の主体としての国家主権者のように社会的なものもある。
社会的悪にはしかし前に挙げた貧困や戦争のように一概に罪過とは断じ得ないものもある。疫病などもこの
種のものに属するのだろうが、疾病一般はこれらの悪全てに関係をもっている。とにかく悪は一方に生の実
存の根基から生れながら、他方で罪過と看做されねばならず、様々な精神や肉体の苦難を伴わねばならぬと
ころにその特徴をもっている。
二
我々はルソーの懺悔録を読むと、ルソーが世のいわゆる道徳悪に対しては頗る潔僻な天性をもちながら、
彼の生涯を通じて何ものか人間悪とでも称さるべきものが流れているのに気づかずにはいられない。この人
間悪は既に知った罪過とは根本的に性質を異にする。罪過は人格者相互間に発生するのであったが、かかる
面に於いてルソーに大過があったとは思われない。晩年彼は政府の逮捕命令を受けたがこれとて政治的のも
0 0
ので人格を傷つける如き類ではない。ルソーを貫通する人間悪の一部は、社会的解釈を許すかも知れないが
それだけではない。より多く性格悪とも名づけられるものに帰せられよう。かつての親友に対する彼の執拗
な猜疑心などその著しい例であろう。性格は人格の素材であると共にその根基である。人格は求心力であり
れんけつ
性格は遠心力である。人格が形態化すればするほど人間は個人として凝固する。これに反して性格の自らな
る生長と活動に委ねられた人間は宇宙的である。前者は悪を悔い歎き、自らの清浄なる如く他人も廉潔なら
んことを求める。後者は決して故意に悪を欲するのではないが、彼の赴くところ、行くところ悪が附きまと
うのである。善を望んでも悪を結果することになる。ルソーの性格悪のうちにはフロイド風に理解し得る部
分も多かろうがそれだけには止らない。
ルソーの告白するところに従って彼の性格の一端を解剖してみよう。彼は先ず何よりも「動かされ易い感
情」の持主であった。それが他の人々の場合には幸福の源となりながら「私にとっては一生を通じての不幸
385
の根源となった」と彼は歎じている。彼は「考えるよりも先ず感じた」のである。これは人間に共通の運命
悪の問題
386
であるが「私はそれを人並はずれて経験した」という。物事を合理的にではなく感じとして受取る習慣は、
彼によれば「理性を損傷することはなかったけれども、とにかくそのために、私の理性が全然特殊なものと
いや
なり、人生に対する非常に幻怪な概念をもたらすに到ったのは争われぬ。こうした概念は経験も内省も遂に
たわ
これを医し得ないでしまった」とのことだ。第二にルソーのうちには相矛盾する性格がひしめいていたよう
「絶えず柔弱と勇気、遊惰と徳操
である。彼の性格は「尊大であると共に柔和、弱々しいと共に撓め難く」
との間をぐらついて」いた。彼が生涯、禁欲と享楽、大なる美徳と大なる悪徳とのいずれにも徹し得なかっ
たのはこの性格の矛盾に基づくと自ら考えている。又こうも誌している「他の場合ならば一緒になりそうも
ない二つのものが妙な具合に私に於いて結合した。一は燃え易い気質、激烈な熱情である。一は思考作用の
緩漫で、いつも分別が手後れになる。私の胸と頭とは同一の体に属しないようだ。感情は電光よりも早く魂
に充ちる。けれどもそれは明るくしてくれる代りに、私を燃やし私の目を眩ませる。
」こうした感情の過剰、
もくと
感情と思考との不釣合、むしろその活動速度の喰違いはいきおいルソーをして現在の意識よりも回想と想像
とに生かしめることになる。「私は世の中を見て来たかなりの観察者だと自ら思う。その癖私は目睹したと
れいり
ころの物から何物を洞察することもできぬ。」と彼は述べる「私はただ回想する処の物を洞察するだけだ。
回想に於いて怜悧なだけだ。現在に於いて言われたもの、現在に於いて為されたもの、現在に於いて生じた
ものは何一つ心に留めぬ、何一つ洞察しない。単にその外観のみが私の目の前に現れる。しかし後では総て
のものが返ってくる。」彼の想像力は微細な動機によって熱せられ容易に妄想の域にまで達するらしかった。
そ し て 彼 の 空 想 は 順 境 に あ っ て よ り も 逆 境 に 於 い て 活 躍 し た と 告 白 し て い る。
「周囲のものが微笑するよう
になると不思議に空想が働かなくなって来る。私の頑強な心情は事実の前に屈することをせぬ。修飾するこ
とができねば創造しようとする。実際の事物は高々ありのままにしか現れて来ぬ。私の心情は想像の形象を
のみ粧うことを知る。私が春を説き明かすためには冬でなければならぬ。私に美しい風景を写させようとす
るなら壁を以て私を取囲まねばならぬ。そして度々自分でも言った通り、私がもしバスティーユに禁錮せら
れるなら最もよく自由を描き得るだろう。」これがルソー自身の言葉である。かく空想に生き環境にそぐわ
ぬ精神が反社会的になるのは自然である。漂泊的生活は彼にとってなくてはならぬものとなった。ひとり旅
としん
をするときほど彼が彼自身に還えることはないらしかった。このような漂泊的精神が中年以後における旧友
に対する彼の猜疑と妬心、作曲家としての自負とその認められざることによる幻滅と未練、実子の遺棄とい
うような数々の一種病理的な心情と行動とに関連していないとは想像されない。性格の異常と矛盾、環境か
らの離反性、自負と自己嫌悪、ルソーの負わされたこれらの天性が今や人間悪として本相を現したのである。
これは一応、病理悪として理解できよう。
三
性格の対立のうち最も根本的なものは男女両性の区別であろう。これはまた天と地、水と土、右と左とい
うような宇宙的対立にまで拡げられる。天は輝き澄んでいるように男性は精神的であり、自由であり、勇気
に充ちている。地はくすみ汚濁し停頓しているが、いわゆるティタン的な怪力をもっている。それは万物の
387
育成の母であり、新なるものを産む懐姙力を具えている。まさに女性がこれに相当する。古えのディオニソ
悪の問題
たと
388
ス教に於いては宇宙の生成が一つの卵に譬えられた。卵は万物の素材的な根源、創造の基底と開始の象徴で
ある。この原卵の一半は白く一半は黒くあるいは赤く塗られている。これは光と闇、生と死、生成と破壊と
ゆる
ら
ば
の対立交替を示すのだという。自然の中には一方に拍車をかけると同時に、他方で手綱をしめる両極の要素
が争っている。自然は絶えず綱をなう手を緩めない、しかしできあがる綱はそのそばから騾馬が喰べてしま
かく
う。創造力も破壊力も原物質の中に、地霊のうちに、まさに原母胎、ゲーテとは違った意味での「永遠の女
性」の内に匿されている。男性はそれを呼醒すに過ぎない。卵の殻を内側から破るものに過ぎない。破られ
て後初めて対立が覚られ、母なりしものが妻となり、息子なりしものが夫となる。ここに女性の神秘がある。
カントも「人間学に於いて女性の特質の方が男性のそれよりも一そう哲学にとって研究に値する」といって
いる。
かす
】は両性の意識状態を分析して説いている。女性に
オットー・ヴァイニンガー【 Otto Weininger, 1880-1903
於いては意識の両極である感覚と感情とが分たれず混一状態におかれている。女性にとっては思考と情感と
は一であり不可分である。女性の思考は事物の間を滑り掠め去るのであり表面を撫でるに過ぎない、それは
全く味わうだけであり、趣味であって正しいものを掴もうというのではない。女性には概念的行為も判断的
したが
行為も欠けている。女性は自ら知ろうという欲望をもたず、女性自身の手になる心理学をもたぬ如く、統覚
力を欠いて各瞬間の気紛れに随って行動する女i性には論理学も存しない。いわば女性は無意識のうちに生存
する。この意識を醒すものは男性に外ならない。女性は客体であり男性は主体である、一は素材・非存在で
i
『哲学と経済』では、ここで切っている。「行動する。」しかし『饗宴』では句点は無い。無くても意味が通るのでは。
i
あり、他は形式であり、形相である。そしてこの女性の物質性をヴァイニンガーは女性が性慾そのものであ
り、その持続である点にみる。一方に懐姙力の基と考えられるものが同時に性格悪の源とも看做される。誤
謬、嘘言、気紛れ、真の愛の欠除、残酷、破廉恥、虚栄等々がそれである。
四
我々もまた否定的精神を負わされてはいないか。少くとも私は否定精神の過剰に悩んでいる。それは第一
に自己嫌悪として現れてくる。自己の傾向と行動との悉くが悔恨の種でないものはない。他人を批判しなが
ら実は自らの思想と業蹟とに不満を述べ、それと対蹠的なものを求めていることが多い。自己の反像をみせ
つけられる程恐しいことはない。子供が私の性格や気質と同じものを露出するときほど腹立しく感ずること
はない。自分に似た子ほど悪々しくなる。かくて自分を取巻くもの、自分に近いものに疎隔が感ぜられる。
家庭が、郷土が、忌わしいものになる。もちろんここには愛し尊重するが故に悪み忌避するという、逆説的
心理も働いているであろうが、自己が人間悪の代表者の如く思えることに変りがない。
きょうだ
第二に我々は何ものにか憑かれた如く自己の意思に従って行動する自由を喪ったように思われる。人格と
】は「誘惑を免れる
個性と意力への信頼がなくなったのである。オスカー・ワイルド【 Oscar Wilde,1854-1900
唯一の途はただそれに身を委せる外にない」と述べたが、そうした無気力と怯懦が我々を捉える瞬間を感じ
る。「良心!それは臆病の別名に過ぎない」と投げだした気分に支配される。こうした人間はいわゆるストイッ
389
ク型の人間とはまさに正反対の型に属している。ストイック型の人間は意力と実行の人である。これに反し
悪の問題
ちゅうちょ
390
て憑かれたる人間は懐疑と躊躇逡巡をこととする。天才もまた超個人的な力に動かされるというが、各人に
宿ると伝えられるデーモンを悪鬼と善霊とに分つとすれば天才のそれは善霊であり、私の類の人々のそれは
悪鬼なのである。而も我々はファウストの如くメフィストと賭をする勇気もないのである。とはいえ我々の
欲するところは悪にはないのである。まさにメフィストとは反対に善を志して悪をのこす結果に陥っている
のである、ここに我々の絶望がある。
かかる状態は普通、頽廃とか不安とか虚無とかいうことで説明されている。しかし我々の体現する悪態と
前にみたルソーのそれとどこか共通なところのあるのを感じないだろうか。私は前にはルソーのそれを一種
の性格悪、病理悪として理解しておいた。それなら我々のそれもそう解されるかといえば、もちろんそうい
た
う一面のあることは争い得ないけれども、どちらもそれだけでは尽され得ない何ものかをもっている。私は
この何ものかをルソーも我々も過渡期の、変革期の人間であるという点に見度い。それは単に性格悪、病理
悪に止らず、社会悪の一表現なのである。自己嫌悪とは旧き自己即ち旧き社会環境の下に育てられ習慣づけ
られた自己への嫌悪である。今更それを破り再建するには余りに固まり過ぎており、環境もそこまで成熟し
いしゃ
ていない。而も何ものかがあって明日なるものへ行進をするのである。憧憬と絶望、期待と幻滅、情熱と無
気力が交替して支配する、自己再建への断念は青年や児童への教育にせめてもの慰藉をもたせることになる。
かって物悪や道徳悪の如く考えられた貧困や戦争が社会悪であることは今や明白である。同様に性格悪とい
う如きものも社会悪として理解される部分を多くもっているであろう。かの女性悪でさえ従来の女性の社会
的地位、待遇というものと関係ないとは断じ得まい。かくて悪の問題は神学的にではなく、また人間学的に
とどまらず、社会学的、経済学的に解決さるべきだろう。ライプニッツは悪の根源を制限、欠除、惰性、総
たか
じて何ものかが奪われたること、不完全のうちにみた。まさに神学的解釈である。シェリングは「悪は有限
391
性そのものからではなく、自覚にまで昂められた有限性から生じ来る」といっているが、まさに人間学的な
理解である。悪の社会的根源の探求とその克服こそ現代の課題であろう。
昭和十一年十月末【『哲学と経済』では十一月】
[ # 『哲学と経済』からテキスト化し、最終の校正を『饗宴』によって為す。なお『哲学と経済』では並列的語
句を「・」で結んでいるが、初出の形態「、」に全て戻した。『饗宴』 1936.12
は国会図書館近代デジタルラ
]
イブラリーにある。
底本 『:哲学と経済』
底本の親本 『:饗宴』 1936.12
悪の問題
論文集五 :
人名変換
「アウグス チ ィ ヌ ス 」 「
-->アウグスティヌス」、「アドレア」 「
-->アドラー」、「ウィットフォゲル」 「
-->ウィッ
」、「ウェーベア」
・
「ヴェーバー」 「
」、「ヴァイニンゲル」 「
Wittfogel
-->ウェーバー Weber
-->ヴァ
トフォー ゲ ル
」、「エヂントン」 「エディントン」
、
「エルドマン」
イニンガー」、「エアリツヒ」 「エーリッヒ
Erich
-->
-->
「エルトマン」、「エムペドクレス」 -->
「エンペドクレス」、「カッシレル」 -->
「カッシーラー」、
「キェ
-->
ルケゴー ル 」
・
「キイルケゴール」 「
-->キルケゴール」、「ジイグフリート・クラカウエル」 「
-->ジークフリート・
「クローナー」、「ケプレル」 -->
「ケプラー」
、「ゴドゥィン」 -->
「ゴドゥィ
クラカウアー」、「クローネル」 -->
ン Godwin
」、
「コムト」 -->
「コント」、
「サンジカリスト」 -->
「サンディカリスト」
、
「ショウペンハウエル」
「
・
「シルラー」 「
、「スピノーザ」
-->ショーペンハウアー」、「シルレル」
-->シラー」、「ジムメル」 「
-->ジンメル」
「スピノザ」、「ダーヰン」 -->
「ダーウィン」、「ヅェノン」 -->
「ゼノン」
、
「トエンニエス」 -->
「テンニ
-->
「ニュートン」、
「ニイチェ」 -->
「ニーチェ」
、
「ハイデツゲル」 -->
「ハイデッガー」、
エス」、
「ニウトン」 -->
「パラセルスス」 「パラケルスス」、「フッセアル」 「フッサール」
、「ブュッヒナー」 「ビュヒナー」、
-->
-->
-->
「フィーアカント Vierkandt
」、「フォレンデア」 -->
「フォルレンダー」
、
「フムボルト」
「フィルカント」 -->
「フンボルト」、「ヘルデル」 「ヘルダー」、「ボェーメ」 「ベーメ」
、「マキアヴェリ」 「マキアヴェッ
-->
-->
-->
-->
「ムッソリーニ」、
「ヨエール」 -->
「ジョエル Joël
」
、
「ライプニツ」 -->
「ライプニッ
リ」、
「ムッソリニ」 -->
「アカデミー」
、
「アカデミシアン」 「ア
-->
-->
「エジプト」、「エトス」 -->
「エートス」
、「ヱ
-->
ツ」、
「ラツスセル」 「ラッセル」、
「ラートブルッフ」 「ラートブルフ」、
「リッテル」 「リッター」、
-->
-->
-->
「ルカーチ」、「ルソオ」 -->
「ルソー」、「ルッテル」 -->
「ルター」
、
「ワヰル」 -->
「ワイル」
「ルカツチ」 -->
カタカナ表 示 変 換
「アポディクチク」 「アポディクティク」、
「アカヂミー」
-->
カデミシャン」、「アナーキイ」 -->
「アナーキー」、「エヂプト」
「エンチイクロペデイ」
・
「ヱンチイクロペデイ」 「エンチクロペディー」
、
「ギリシア」
ナ」 「イエナ」、
-->
-->
「ギリシャ」、「サヴェート」・「ソヴェート」・「ソヴエト」 -->
「ソビエト」、
「サンヂカリズム」 -->
「サ
-->
、「ヂャーナ*」 「ジャーナ*」
、「ディ
ンディカリズム」、「シムボル」 「シンボル」、「スヰス」 「スイス」
-->
-->
-->
「ディアレクティク」
、「ファスシズム」
・
「ファッシズム」 -->
「ファ
アレクチ ィ ク 」
・
「デイアレクテイク」 -->
シズム」、「ブルヂョア」 「ブルジョア」、「ブルジョアジイ」 「ブルジョアジー」、「マーヂャン」 「
-->
-->
-->マー
「モナド」、
「レヴィアサン」 -->
「リヴァイアサン」、
-->
「モスクワ」、
「モナッド」
ジャン」、
「モスコウ」 -->
「ロマンチィック」 -->
「ロマンティック」
「悪の問題の小修正」
2011.11.30, 2012.3.12
作成者:石 井 彰 文
作成日: