第6章 教育における政府の役割 p.171~181 4行目まで 担当:堅尾 ☆学校教育への政府の介入が正当化される根拠 ①責任能力のない子供に対する温情的配慮 ②外部効果の存在 (ある人が子供に教育を受けさせることが健全な社会構築に力を貸し、他の社会構成員も多 大な利益を受ける) →政府は全ての子供に最低限の学校教育を義務付ける必要がある 理由:学校教育を受けさせる義務を親に負わせた場合、費用負担できない親から子供を分 離することは望ましくないから。 ☆義務教育費用の負担 理想:教育費を大多数の家庭が引き受けられる地域においては基本的に費用を負担させ、 困窮家庭には政府による教育補助金の支給を行う →政府が費用を負担しないので学校運営への介入が減る →親が全ての子供に対して均等に費用負担しなければならないので、各家庭における子供 の数の分布が望ましくなる 現実:全ての家庭に多額な教育費負担を求める政策は実行不可能であるので、義務教育費 は政府が負担している →最低限の学校教育を義務付けることができるので望ましい →政府が費用を負担しているので学校運営に大幅に介入する ⇒さらに、政府は最も社会的利益の大きい初等教育のみに補助金を出すのではなく、高等 教育の費用までも負担している (←若者の社会における指導力獲得による社会全体の利益 への期待) →どのような教育が社会全体の利益を最大化するかはそれぞれの社会の判断に委ねるべき ☆学校運営への政府の介入 現実:政府は教育費用を負担しているので、当然のように学校運営に介入している →政府の役割が増える →政府による教育予算の恩恵を受ける公立学校に比べて、資金源のほとんどない私立学校 が不利な状況にあり、親の学校選択の幅も狭くなっている 理想:政府の認定した教育機関のみで使用できる教育費に相当する教育バウチャーを両親 に支給し、政府はそのコストを支払い、学校が最低基準を満たしているかチェックするの みで、学校運営は行わない →両親にはバウチャーを利用することで自らの選ぶ学校で教育サービスを受けられる自由 が保障され、両親の需要に合わせた形で学校が多様化する ☆まとめ 政府の学校教育への介入は、全ての子供に学校教育を義務付けること、義務教育費用を負 担することに限られるべきであって、現在のように学校運営にまで介入するのは望ましく ない。学校教育を政府によって義務付ける必要があるのは、義務教育は社会全体の利益に なるからであり、政府が義務教育費用を負担するのは、全ての親が義務教育費用を負担で きるわけではないからである。一方の学校運営に関しては、政府の過度な介入であるとし た上で、両親に学校選択の幅を与え、学校を効率よく多様化させるには、政府はコストの みを支払うのが望ましいとしている。 ☆現代的な政策課題との関連 フリードマンは政府の学校運営への介入は望ましくないとしていた。学校運営への介入は 政府の役割を増やし、親の学校選択の幅を狭めてしまうからで、選択の幅を広めるには教 育バウチャー制度の導入が望ましいと示唆した。そして、それから 50 年経った現在におい て実際に日本においても教育バウチャー制度導入に関する議論が盛んになっている。しか しフリードマンは述べていないが、この制度には検証するとデメリットが存在する。すな わち、人気校に予算が集中することによる学校間格差の発生、学校の増加により逆に教育 が腐敗してしまうこと、学力が高く所得水準の高い家庭の子供に有利に働くことなどがあ げられ、メリットとデメリットを比較考量することで導入を検討する必要がある。 フリードマンの教育に関する議論は現在においても十分通用するものであり、実際小さな 国家を目指す日本は、政府の極度な介入は望ましくないと考え、教育バウチャー制度の導 入も検討している。しかし、彼の主張をそのまま鵜呑みにするのではなく、現代の時代の 流れや親や子供が何を求めるのかをきちんと考えた上で政策を決定しなければならない。 ☆現在のよくある議論に対する考え 現在の日本においては、都道府県から私立学校に私立助成金が支給されているが、大阪府 において大幅な私立助成金カットが行われた。これに関してもちろん大阪府の住民からの 反発は強いが、私もこれに同意する。確かに不景気時においては教育への予算支出は厳し いものだと思うが、長い目で見れば、結局はよい教育を施すことが社会全体の利益につな がる。つまり、ここで助成金を大幅にカットしてしまった場合、授業料値上げにより私立 学校経営が悪化し、公立学校を優位にさせたり、廃校などにより学校が減ってしまったり することにより、親の学校選択の自由が阻害されてしまうことになりかねない。また、学 校の減少は、学校間の競争原理が働かないことによる教育の質の低下をもたらし、結果的 によい人材が育たず、社会的に損失を被ることになるかもしれない。よって、助成金カッ トは望ましくなく、もしカットする場合は教育バウチャー制度の導入など代替手段を講じ ることにより、公立学校と私立学校を平等に扱い、親に学校選択の自由を与え、より良い 教育水準を維持すべきだと思う。 『資本主義と自由』―第6章 教育における政府の役割― 担当者:式場千賀 大学教育 ・高等教育の目的は若者をよき市民,また良き社会の指導者に育てることである。 ⇒政府による運営は外部性や技術独占を理由としても正当化はできないが,政府が補助金 をだすこと自体は妥当であるといえる。そこで補助金を学校ではなく個人に与え,その個 人が自分で選んだ学校で使えるようにするべきである。また,公立大学も学費をコストに 見合った額にし,私立大学と対等に競争すべきである。 ⇒⇒学校間の競争が促され,私立も政府からの独立性と多様性を維持して公立と対抗して 実績を伸ばせる。 職業教育・専門職教育 ・職業教育や専門職教育はいわば人的資本の経済生産性を高めるための投資といえる。市 場経済においては,教育を受けた人の方が受けない人よりも良い就職や高い報酬などの点 で高いリターンを受けることができる。コストをかけるだけのリターンがあると思えば投 資意欲がわく。政府の介入がなければ,投資家がコストをすべて負担しリターンをすべて 手にすることになる。 ・人的資本の資本市場は不完全であるため投資が少なく,人的資本に投資する方が物的資 本に投資するよりリターンがはるかに高くなる。人的資本には担保を設定することが難し く,できたとしても担保としての価値は低い。将来の稼ぎ以外に何の保証もないような個 人の職業教育に融資するのは,貸し倒れの危険性が大きく,利子と元本の回収コストがか かる。 ・また,職業教育投資を目的とした固定金利の融資は不適切である。能力や努力は人によ ってばらつきがかなり大きいため,大きなリスクを伴うことになる。つまり,将来の収入 だけを担保に教育費を貸し付けた場合,相当数が貸し倒れに終わりかねない。高金利では 情報の非対称性によって,逆選択が起こってしまう。 ⇒民間の解決法:株式会社のようなしくみを作る。貸し手は個人の将来所得の持分を買う, つまり出資者を分割するしくみである。必要な教育資金を貸し与え,出来高であるところ の将来の所得から一定比率を返済してもらうという一種の出世払いである。いろいろな投 資相手を組み合わせればよく,貸し手は出世した借り手から資金を十分に回収することが でき,失敗した投資の分の埋め合わせができる。 ・従来,政府は税収から捻出して学校に補助金を出してきたが,このような形はのぞまし くない。もし入学基準を満たす志望者全員にこの補助金が支給されるのだとしたら,コス トを負担しなくとも高いリターンを得られることになるため,人的資本への投資はむやみ に増えてしまう。そうすると過剰投資を防ぐために政府は補助金額を制限せざるをえない ため,裁量的に補助金を割り当てることになってしまう。これは公正なやり方とはとても いえない。 ⇒政府の解決法:最低基準を満たす応募者全員に,職業教育や専門職教育を受けるための 資金を政府機関が貸し付けるか融資を斡旋する。見返りとして,将来基礎所得を超える所 得があった場合に,職業教育を受けないと仮定して算出した平均所得から超過した分の一 定割合を返済してもらう。政府への返済比率は,この融資事業が独立採算で成り立つよう に設定する。このしくみなら,政府から教育資金を借りた人はコストを全額自分でまかな うことになる。この融資制度の運営は,基礎所得や政府への返済比率を決める明確な規準 がないことから,民間金融機関や非営利組織に委ねるのが望ましい。 ・管理コストがかかりすぎるという観点から政府がやるのであれば,適しているのは連邦 政府であって,それ以下の単位の政府ではない。移動可能性があるため,追跡コストを最 小に抑えるためには連邦政府が適している。 ・専門職につくための学費のかさむ教育は,裕福な親または後援者をもつ者でないとなか なか受けられない。これは富や社会的地位の格差がなくならない原因となっている。この ような制度が導入されれば,資本は広く活用され機会の平等が実現し,所得と富の不平等 は減り,人的資源の活用も進む。所得の直接的な再配分よりもこの方法ならば競争を活性 化し意欲を刺激し,不平等の原因を取り除くことができる。
© Copyright 2024 Paperzz