<防大54期生に特別講話> 修羅の道 を 進む つら あ 防衛大学校の学生は国の宝です。我が国の独立と安全に連なる目標系列に在 ほとん いづ な いのち や と る諸君の 殆 どは何れ指揮官に成ります。その時、 命 の遣り取りという最終局 そうぐう こころざし 面 に 遭 遇 す る 可 能 性 が あ る の が 自 衛 官 で す 。国 防 の 志 に 燃 え て 入 校 し た 人 も 、 こころざし こわ 国 防 の 志 に さ ほ ど 燃 え な い で 入 校 し た 人 も 、「 自 分 は 、 死 ぬ の が 怖 い の で 、 う ま 戦場において部下を上手く指揮する事が出来るんだろうか?」等々といずれ悩 む事になります。そういう悩みは、古今東西の士官候補生の共通問題であり、 貴方だけの悩みではありません。“最悪の事態に至った際どのように振る舞え あと し せ い か ん ば 良 い の か ”に つ い て 入 校 当 初 に 知 れ ば 、後 は 気 が 楽 に な り ま す 。そ こ で 死 生 観 いのち や と に 関 す る 私 の 講 話 は 、諸 君 の 学 生 生 活 に は 役 立 た ず 、 命 の 遣 り 取 り と い う 最 終 にんかん のち 局面に役立つ話ですので、諸君が任官した後に最悪の事態に至った場合に思い もら さいわ たんりょくれんせい きりょうかくじゅう じんかくとうや 出 し て 貰 え れ ば 幸 い で す 。諸 君 が 、胆 力 錬 成 ・ 器 量 拡 充 ・ 人 格 陶 冶 の 連 続 修 養 よろ によって3佐になる頃までに、十分理解すれば宜しいのです。 18. 4.10 防衛大学校第13期生 牧 本 信 近 目 次 自己紹介 ………………………………………………………………… 1 頁 はじめに ………………………………………………………………… 2 第1章 修羅の道 第2章 名将に学ぶ … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 14 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 16 1 カルタゴの名将ハンニバルの言葉 16 2 英国提督ネルソンの自己同期形成 17 3 フランス皇帝ナポレオンの思索炯眼 18 4 米国将軍パットンのリーダーシップ解説 18 5 朝鮮戦争の英雄白善燁将軍語録 19 6 米国陸軍中佐ハロルドGムーアの出征に際し訓示 24 第3章 峠からの指揮官像 第4章 艦長の必要条件 … … … … … … … … … … … … … … … … 25 … … … … … … … … … … … … … … … … … 28 1 指揮統率力 28 2 運航能力 30 3 戦術能力 30 4 戦争以外の軍事作戦(M00TW)有効遂行能力 31 5 国際法・国内法・ROEの精通活用能力 31 6 渉外能力 31 7 管理能力 32 8 先輩の教え 33 第5章 其の他 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 37 第1節 指揮官道 37 第2節 強い指揮官 43 第3節 幕僚は考え指揮官は感じる 45 第4節 規律厳正・遵法精神の原点 49 第5節 人間教育 52 第6節 武人の頭と足に戻ろう 54 第7節 部隊運用の要諦 57 第8節 インド洋方面派遣部隊視察 68 第9節 定期昇任者に対し訓示 72 おわりに … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 74 自 己 紹 介 まきもとのぶちか 御紹介いただいた防大13期生の一番目の講師、牧本信近です。海・空・陸 く の順番で講話します。奇しくも講話の順番は、我が国を防衛する際、我が国の 領域から最も離れた海域で戦う海上自衛隊、次に離れた防空識別圏の中で戦う 航空自衛隊、我が国の領土の中で戦う陸上自衛隊、の順番です。 初めに、私の略歴を述べます。 1 9 4 6 年 (昭 和 2 1 年 ) 熊 本 市 で 生 ま れ 、 熊 本 県 立 熊 本 高 等 学 校 を 経 て 、 防 衛 大 学 校 に 1 9 6 5 年 (昭 和 4 0 年 ) 4 月 第 1 3 期 生 と し て 入 校 し 、 1 9 6 9 年 3 月 に 卒 業 し ま し た 。そ し て 、海 上 自 衛 隊 幹 部 候 補 生 学 校 (at 江 田 島 ) 一 般 課 程 を経て、練習艦隊の実習幹部として世界一周の遠洋航海に参加しました。 ほうじゅつし 最 初 の 配 置 と し て 護 衛 艦 あ き づ き 砲 術 士 [3 等 海 尉 ] を 振 り 出 し に 、 多 く の 幕 のち 僚 勤 務 の 後 、 指 揮 官 配 置 と し て は 、 護 衛 艦 ま き ぐ も 艦 長 [2 等 海 佐 ] 、 護 衛 艦 3 隻 を 有 す る 第 4 7 護 衛 隊 司 令 [1 等 海 佐 ] 、 3 個 護 衛 隊 ・ 護 衛 艦 8 隻 を 有 す る 第 2 護 衛 隊 群 司 令 [海 将 補 ] 、 大 湊 地 方 総 監 [海 将 ] 及 び 幹 部 学 校 長 [海 将 ] を 歴 任 し ま し た 。2 3 番 目 の 配 置 と し て 第 3 8 代 自 衛 艦 隊 司 令 官 [海 将 ] 兼 (テ ロ 対 策 特 別 わた まっと 措 置 法 に 基 づ く )イ ン ド 洋 方 面 派 遣 部 隊 指 揮 官 を 1 7 ヶ 月 余 に 亘 り 全 う し 、 2 004年8月に退官して21回目の引越しで自宅に帰りました。 自 衛 艦 隊 (Self-Defense Fleet) は 、 1 9 5 4 年 (昭 和 2 9 年 ) 7 月 1 日 に 創 設 され、自衛艦隊司令部、護衛艦隊、第1輸送隊、掃海隊群、潜水艦隊、航空集 団、情報業務群、海洋業務群、特別警備隊及び開発隊群で編成されており、総 ・艦 艇 約 9 0 隻 3 0 万 ト 計 と し て 、兵 員 約 2 4 0 0 0 名( 海 上 自 衛 隊 約 5 万 名 ) ン( 17.3.31 海 上 自 衛 隊 自 衛 艦 1 5 2 隻 4 2 .6 万 ト ン・支 援 船 2 8 2 隻 2 .5 万 よう トン) ・航 空 機 約 2 0 0 機( 海 上 自 衛 隊 航 空 機 約 3 0 0 機 ) ・車 輌 約 9 0 0 台 を 擁 お ふ ね する機動海上作戦部隊です。自衛艦隊の御艦と飛行機の値段総計は約5兆円で す 。「 国 民 の 皆 様 か ら 御 預 か り し た 艦 艇 ・ 航 空 機 ・ 車 輌 を 、 部 下 兵 員 を し て 効 果 的 に 運 用 さ せ る こ と に よ り 、我 が 国 の 平 和 の 維 持 と 国 民 の 生 命 財 産 の 保 護 の ささ み な ら ず 、国 際 社 会 の 安 定 確 保・平 和 維 持 の 一 翼 を 支 え 、我 が 国 の 国 益 と 国 家 こた の 大 事 に 応 え る 」 こ と が 、 自 衛 艦 隊 司 令 官 (Commander IN Chief, Self-Defense Fleet) の 仕 事 で す 。 有 事 に は 、 横 須 賀 ・ 呉 ・ 佐 世 保 ・ 舞 鶴 ・ 大 湊 の 五 個 地 方 隊 ほとん や 補 給 本 部 な ど 、海 上 自 衛 隊 の 殆 ど の 部 隊 が 管 理 編 成 か ら 任 務 編 成 へ と 移 行 し て 海 上 作 戦 部 隊 (M O F ) に 編 入 さ れ 、自 衛 艦 隊 司 令 官 が 海 上 作 戦 部 隊 指 揮 官 (C と M O F )と 為 っ て 一 元 指 揮 を 執 り ま す 。 - 1 - 私は、自衛艦隊司令官を56歳から58歳まで務め、現在は、ユニバーサル ちな れんごうかんたい 造 船 株 式 会 社 に 特 別 顧 問 と し て 勤 務 し て い ま す 。因 み に 、聯 合 艦 隊 司 令 長 官 を 、 とうごう へいはちろう やまもと 東郷 平八郎 元 帥 は 5 6 歳 か ら 5 8 歳 ま で 務 め て 8 7 歳 で 亡 く な ら れ 、 山本 い そ ろ く 五十六元帥は55歳から59歳まで務めて戦死されました。 即ち、私は、敵を殺さず、部下を訓練で死なしたけど、本人は事故死・病死 ないじょ こう せ ず 、懲 戒 免 職 に も な ら ず 、セ ク ハ ラ で 訴 え ら れ も せ ず 、妻 の 内 助 の 功 に よ り 、 ぶうんちょうきゅう つつがな 大いに武運長久に恵まれて、恙無く定年退官を迎えたと言う事です。 は じ め に 我々13期生が在学した1960年代の日本は、共産革命前夜の情況であり、 ソ連の間接侵略に伴う自衛隊の治安出動という予感がありました。当時は、世 界同時革命を叫ぶ学生運動が盛んであり、東京都内だけでも55の大学がバリ ケード封鎖されていました。日曜日に外出して東京に行きますと、全学連と書 かぶ と で ん しきいし いたヘルメットを被り覆面をしてゲバ棒を持った学生が、大勢で都電の敷石を たた か え ん び ん 外して叩き割り警察機動隊に投げる石や火炎瓶を作っているのをよく見かけま ひる ひ な か か まか した。昼日中、日本国の首都で斯かる無法が罷り通っていたのです。1969 こも 年 1 月 1 8 日 か ら 1 9 日 、 東 京 大 学 の 安 田 講 堂 に 立 て 籠 っ た 全 学 連 (6 3 3 人 ) と 警 察 機 動 隊 (8 5 0 0 人 ) と の 二 日 間 に 亘 る 攻 防 も 有 り ま し た 。 そ し て 、 我 々 にんかん 13期生が任官した1970年代の世界は、ソ連軍の脅威が高まり、第3次世 ばくぜん 界大戦の予感がありました。よって、漠然と「50歳までに戦死するんじゃな いか」と思っていました。ところが、敵を殺さず私も死なず定年退官を迎える へんぼう こ と が 出 来 ま し た 。し か し 、自 衛 隊 の 重 点 が 防 衛 力 整 備 か ら 防 衛 力 運 用 に 変 貌 し 、 にんかん 防衛力運用が本格化する時代に任官する諸君は違うかもしれませんヨ。 つら あ 防衛大学校の学生は国の宝です。我が国の独立と安全に連なる目標系列に在 ほとん いづ な いのち や と る諸君の 殆 どは何れ指揮官に成ります。その時、 命 の遣り取りという最終局 そうぐう こころざし 面 に 遭 遇 す る 可 能 性 が あ る の が 自 衛 官 で す 。国 防 の 志 に 燃 え て 入 校 し た 人 も 、 こころざし こわ 国 防 の 志 に さ ほ ど 燃 え な い で 入 校 し た 人 も 、「 自 分 は 、 死 ぬ の が 怖 い の で 、 う ま 戦場において部下を上手く指揮する事が出来るんだろうか?」等々といずれ悩 む事になります。そういう悩みは、古今東西の士官候補生の共通問題であり、 あ な た 貴方だけの悩みではありません。“最悪の事態に至った際どのように振る舞え あと し せ い か ん ば 良 い の か ”に つ い て 入 校 当 初 に 知 れ ば 、後 は 気 が 楽 に な り ま す 。そ こ で 死 生 観 - 2 - いのち や と に 関 す る 私 の 講 話 は 、諸 君 の 学 生 生 活 に は 役 立 た ず 、 命 の 遣 り 取 り と い う 最 終 にんかん のち 局面に役立つ話ですので、諸君が任官した後に最悪の事態に至った場合に思い もら さいわ たんりょくれんせい きりょうかくじゅう じんかくとうや 出 し て 貰 え れ ば 幸 い で す 。諸 君 が 、胆 力 錬 成 ・ 器 量 拡 充 ・ 人 格 陶 冶 の 連 続 修 養 よろ によって3佐になる頃までに、十分理解すれば宜しいのです。 1 修羅の道 あ し ゅ ら み ゆうしゅう 奈 良 市 に あ る 興 福 寺 の 阿 修 羅 像 を 観 る 時 、深 い 憂 愁 に 沈 む 少 女 に 見 え る の うれ さび は、私だけでしょうか。その愁いには、限り無き悲しみ・怒り・寂しさがあ ります。 あ し ゅ ら けんぞく 仏教では、阿修羅は、仏の眷属であり、仏法を守護する八部衆〔天・竜・ や し ゃ け ん だ つ ば あ し ゅ ら か る ら き ん な ら ま ご ら か 夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩喉羅迦〕の一部です。 あ し ゅ ら し ゅ ら ど う りくどう じ ご く ど う が き ど う ちくしょうどう し ゅ ら ど う にんげんどう 阿 修 羅 の 住 む 修 羅 道 と は 、六 道〔 地 獄 道・餓 鬼 道・畜 生 道・修 羅 道・人 間 道 ・ てんどう いくさ わ さえぎ 天 道 〕の 一 つ で 、争 い や 怒 り の 絶 え な い 世 界 で す 。 戦 で は 、吾 が 行 く 手 を 遮 る者あらば、友に会うては友を殺し、君に会うては君を殺し、父に会うては し ゅ ら みち 父を殺す。これは修羅の道です。 戦 場 に お け る 指 揮 官 は 、部 下・味 方 が 死 ぬ か 又 は 相 手・敵 が 死 ぬ か の 場 合 、 じんりん もと し ゅ ら 一 般 に 相 手・敵 が 死 ぬ 方 を 選 び ま す 。ど ち ら を 選 択 し よ う が 、人 倫 に 悖 る 修 羅 みち じんりん みち あ の道です。つまり、指揮官は、平時には人倫の道を歩めども、有事に遇って せ い き せ い き あ し ゅ ら お う ごと きょう もう し ゅ ら みち は正気と生気を保ちつつ阿修羅王の如く 狂 と猛との修羅の道を進まざるを せ い き せ い き 得ない時もあるでしょう。そして、平時に返れば、正気と生気により速やか じんりん みち に人倫の道に戻るのは当然です。 死ぬ事に覚悟はいりません。死ぬ時は「まッぁ、いいかぁ!」と死ねばよ い。覚悟が有る人も無い人も、人は皆いつか死にます。まして戦場において た ま は 、 覚 悟 が 有 る 者 も 無 い 者 も 、 弾 丸 が 当 た れ ば 平 等 に 死 に ま す 。( 男 に は 命 た ま 中するけど女には命中しない弾丸は存在しません。だから自衛隊では男女平 かた 等 な の で す 。) 即 ち 、 死 ぬ ( 殺 さ れ る ) 覚 悟 が な く と も 相 手 が き ち ん と 方 を 付 け て く れ ま す 。し か し 、米 国 陸 軍 ジ ョ ー ジ S . パ ッ ト ン Jr.将 軍 が 第 二 次 ため 世界大戦の欧州戦線で「米国の為に死ぬ事が諸君の仕事ではない。諸君の仕 ため 事 は 奴 等 を ド イ ツ の 為 に 死 な せ て や る 事 だ 。」 と 訓 示 し た よ う に 、 相 手 を 害 す る (殺 す / 傷 つ け る )事 に は 特 別 の 覚 悟 が い り ま す ぞ ! あ し ゅ ら みち あ 有事に遇っては修羅の道を進まざるを得ない時もある指揮官は、戦場に在 あ し ゅ ら お う さんめん ろ っ ぴ な っては阿修羅王となりて三面六臂の活躍を為し、任務を完遂して味方の勝利 - 3 - いわ に 貢 献 す べ き で す 。 マ キ ア ヴ ェ ッ リ [ 1469- 1527] 曰 く 「 天 国 に 行 く 最 も 有 きょうじんふとう 効 な 方 法 は 地 獄 ヘ 行 く 道 を 熟 知 す る こ と で あ る 」 と 。 強靭不撓 の 精 神 と けんにんふばつ ばつざんがいせい と そ つ て ん 堅忍不抜の勇気と抜山蓋世の気力を有する強い指揮官でなければ、兜率天で み ろ く ぼ さ つ し ゃ か む に せ そ ん 修 行 中 の 弥 勒 菩 薩 が 釈 迦 牟 尼 世 尊 〔 ゴ ー タ マ . シ ッ ダ ル ダ [ BC565- BC484] し ゃ か ぞ く 印度ヒマラヤ南麓の釈迦族の王子として4月8日誕生し、12月8日35歳 じょうどう ね は ん ね は ん で 成 道 し 、2 月 1 5 日 8 0 歳 で 涅 槃 に 入 る 〕 の 涅 槃 後 五 十 六 億 七 千 万 年 の 後 しょうがく じょうぶつとくどう さんぜんだいせん ぶ っ だ つかさど に正 覚により成仏得道して三千大千世界〔一仏陀が 司 る世界=六道世界の 千( 小 千 )×千( 中 千 )×千( 大 千 )の 集 合 世 界 / 三 千 世 界 と も 言 う 〕の 人 々 し ゅ ら みち お を救済するまで、自分自身が修羅の道を進んで地獄へ堕ち責め苦を受け続け か く ご た るというような、悲壮な覚悟に堪えられないでしょう! お すく えいごう お 地獄へ堕ちても五十六億七千万年後には必ず救われます。地獄へ永劫堕ち ぱな いのち か っ 放 し で な い の で 希 望 が 有 り ま す 。諸 君 、安 心 し て 国 防 に 命 を 懸 け て 下 さ い 。 2 護衛艦あきづき砲術士[第1番目の配置 3尉 at 横 須 賀 ] 我々防大13期生の海上要員は、1970年3月26日江田島の幹部候補 生学校を卒業し、練習艦隊司令部付き実習幹部に発令されました。練習艦隊 の日本一周巡航の際、東京で遠洋練習航海部隊の壮行会がありました。この とうじょう し ま だ し げ た ろ う 壮 行 会 で は 、 大 東 亜 戦 争 開 戦 時 の 東 条 内 閣 の 海 軍 大 臣 嶋 田 繁 太 郎 [ 1883 - くさかりゅうのすけ 1976] 大 将 、 真 珠 湾 攻 撃 時 の 第 一 航 空 艦 隊 司 令 部 参 謀 長 草 鹿 龍 之 介 [ 1892- げんだみのる 1971] 少 将 、 真 珠 湾 攻 撃 時 の 第 一 航 空 艦 隊 司 令 部 航 空 甲 参 謀 源 田 実 [ 1904- ふ ち だ み つ お 1989]中 佐 、空 母「 赤 城 」飛 行 隊 長 兼 真 珠 湾 攻 撃 飛 行 機 隊 総 指 揮 官 淵 田 美 津 雄 うかが [ 1902- 1976]中 佐 な ど の 大 先 輩 と 御 会 い し て 御 話 を 伺 う と い う 貴 重 な 機 会 は る み がありました。そして、1970年6月30日1600i東京港晴海岸壁を 出港して140日34000海里の東周り世界一周遠洋練習航海に向かい、 ミ ッ ド ウ ェ ー ( 米 )・ サ ン デ ィ ェ ゴ ( 米 )・ バ ル ボ ア ( パ ナ マ )・ ノ フ ォ ー ク ( 米 )・ ポ ー ツ マ ス ( イ ギ リ ス )・ キ ー ル ( ド イ ツ )・ ア ム ス テ ル ダ ム ( オ ラ ン ダ )・ ア ン ト ワ ー プ ( ベ ル ギ ー )・ ブ レ ス ト ( フ ラ ン ス )・ ダ カ ー ル ( セ ネ ガル) ・ロ レ ン ソ マ ル ケ ス( ポ ル ト ガ ル 領 モ ザ ン ビ ー ク ) ・モ ン バ サ( ケ ニ ア )・ コロンボ(セイロン)に寄港して、更にシーマンシップを体得し、同年11 月18日0922i横須賀港に帰投しました。その後、1970年11月2 おのおの 1日同期生たる実習幹部は日本各地の各々の部隊・学校へと別れました。 いただ 初 め て 戴 い た 私 の 配 置 は 護 衛 艦 あ き づ き 砲 術 士 [1970.11 ~ 1971.12] 兼 第 - 4 - かんぱん 1 分 隊 士 兼 甲 板 士 官 で す 。 第 1 術 科 学 校 幹 部 任 務 射 撃 課 程 ( 1970.12.3 - 1971.1.14) で 約 1 ヶ 月 余 り 砲 術 の 教 育 を 受 け ま し た 。「 あ き づ き 」 は 、 基 準 トン ちょくそつ 排 水 量 2 3 5 0 t ・ 乗 組 員 3 3 0 名 の 護 衛 艦 で 、護 衛 艦 隊 司 令 官 が 直 率 さ れ き か ん ぎょらい ばくらい る護衛艦隊の旗艦でした。母港は横須賀です。攻撃武器の大砲・魚雷・爆雷 及 び 運 用 (甲 板 作 業 )を 所 掌 す る 「 あ き づ き 」 砲 雷 科 の 定 員 は 幹 部 4 名 と 海 曹・海士約150名です。幹部は3佐の砲雷長・1尉の水雷長・3尉の砲術 士・3尉の水雷士でした。砲雷科の科長が砲雷長です。砲雷長は大砲・射撃 指 揮 装 置 と 運 用 (甲 板 作 業 )の 海 曹 ・ 海 士 の 計 1 2 5 名 の 第 1 分 隊 長 で も あ り ぎょらい ばくらい ま す 。 第 1 分 隊 士 は 砲 術 士 で す 。( 水 雷 長 は ソ ナ ー と 魚 雷 ・ 爆 雷 の 海 曹 ・ 海 インチ た ん そ う 士 の 計 2 5 名 の 第 2 分 隊 長 で も あ り ま す 。) 大 砲 は 5 吋 単 装 高 角 砲 3 基 ( 3 インチ れ ん そ う しゅほう 門 )と 3 吋 連 装 速 射 砲 2 基 (4 門 )を 装 備 し て い ま し た 。 主 砲 は 口 径 1 2 7 mm インチ た ん そ う そうてん の 5 吋 単 装 高 角 砲 〔 弾 丸 重 量 3 2 Kg、 (人 力 装 填 )発 射 速 度 1 5 発 / 分 / 門 、 ヤード トン ふくほう 最 大 射 程 2 5 0 0 0 yds ( 2 2 8 6 0 m ) 、 総 重 量 3 5 t 〕 で 、 副 砲 は 口 径 7 インチ れ ん そ う そうてん 6 mm の 3 吋 連 装 速 射 砲 〔 弾 丸 重 量 5 .9Kg、 (人 力 装 填 )発 射 速 度 4 5 発 / 分 ヤード トン ふくほう / 門 、最 大 射 程 1 4 0 0 0 yds( 1 2 8 0 2 m )、総 重 量 1 7 .0t 〕で す 。副 砲 ふくほう 2基をそれぞれ#31砲・#32砲と呼びます。副砲の各砲台に砲台長以下 ふくほう 15名が配員され、副砲の各弾薬庫に弾庫長以下10名が配員されていまし ふくほう マ ー ク ふくほう た 。副 砲 の 射 撃 指 揮 装 置 は Gun Fire Control System M k 6 3 で し た 。副 砲 ブリッジ の射撃指揮所は、艦橋の上に在り、1曹の射撃管制員長以下7名が配員され ふくほう て い ま し た 。 副 砲 関 係 の 海 曹 ・海 士 の 定 員 は 6 2 名 で あ り 、 砲 術 士 が 副 砲 射 ちな しゅほう 撃指揮官です。因みに、主砲射撃指揮官は砲雷長です。 D D (Destroyer)1 6 1 あ き づ き 建造所;三菱重工㈱長崎造船所 き 起 しゅう 就 こう 工;1958.7.31 えき 役;1960.2.13 はいすいりょう トン 艦種;護衛艦 しん 進 じょ 除 すい 水;1959.6.26 せき 籍;1993.12.7 のりくみいん 基準排水量2350t 乗組員;330名 全 長 1 1 8 .0m ×全 幅 1 2 .0m ×深 さ 8 .5m 主 機 (メ ン エ ン ジ ン ); 蒸 気 タ ー ビ ン 機 関 ×2 基 きっすい 吃 水 4 .0m じゅうゆ 燃料;A重油 ノット 機関出力;45000馬力 最 大 速 力 ; 3 2 .0 k t (5 9 .3Km/h) スクリュー軸数;2軸 舵数;2枚 武 しゅほう マ ー ク 装 ; 主 砲 射 撃 指 揮 装 置 M k 5 7 ×2 基 しゅほう インチ たんそう マ ー ク 主 砲 5 吋 5 4 口 径 単 装 高 角 砲 M k 3 9 ×3 基 (3 門 ) - 5 - ふくほう マ ー ク 副 砲 射 撃 指 揮 装 置 M k 6 3 ×1 基 ふくほう インチ れ ん そ う マ ー ク 副 砲 3 吋 連 装 速 射 砲 M k 3 3 ×2 基 (4 門 ) たいかん よんれんそう マ ー ク たいせん たいせん 対 艦 長 魚 雷 四 連 装 発 射 管 ×1 基 ら く し ゃ き 対 潜 短 魚 雷 落 射 機 ×2 基 M k 1 0 8 対 潜 ロ ケ ッ ト 発 射 機 ×1 基 マ ー ク ばくらい 爆 雷 発 射 機 ×2 基 ばくらい M k 1 5 ヘ ッ ヂ ホ ッ グ ×2 基 きじょう 爆 雷 投 下 軌 条 ×2 条 写 真 出 典 :『 世 界 の 艦 船 』 1 9 8 7 年 6 月 号 いかり マ ー ク 「 あ き づ き 」の 兵 器 等 の 配 置 は 、前 か ら 、 錨 甲 板・# 5 1・# 3 1・M k たいせん マ ー ク ブリッジ ブリッジ 108対潜ロケット発射機・Mk15ヘッヂホッグ2基・艦橋・艦橋上部の ふくほう ブリッジ しゅほう 副砲射撃指揮装置・艦橋上部の#1主砲射撃指揮装置・#1マスト・#1煙 たいかん よんれんそう たいせん ら く し ゃ き 突・対艦長魚雷四連装発射管・#2マスト・#2煙突・対潜短魚雷落射機2 しゅほう ばくらい ばくらい 基・# 2 主 砲 射 撃 指 揮 装 置・# 3 2・# 5 2・# 5 3・爆 雷 発 射 機 2 基・爆 雷 き じょう 投下軌 条 2条です。 - 6 - (1)任務に対する責任感を行動で示せ ふ は つ だ ん ⇐あ き づ き # 3 1 砲 台 に 不 発 弾 たいくう 1971年5月13日、護衛艦「あきづき」が対空スリーブ訓練射撃を おおしま 大島南東方の訓練海面で実施しました。アメリカの航空母艦に搭載してい ふきなが ひ た中型対潜哨戒機を改造して吹流しを空中に曳いてターゲットサービス や ノット を 遣 る プ ロ ペ ラ 機 を S - 2 F (U )と 言 い ま す 。こ の プ ロ ペ ラ 機 が 1 6 0 k t フィート えいこう ( 2 9 6 Km/h)で 飛 行 し な が ら 7 0 0 0 f t (2 1 3 4 m )の ワ イ ヤ ー で 曳 航 フィート す る 頭 径 1 5 イ ン チ (3 8 .1cm)・尾 径 3 1 イ ン チ (7 8 .7cm)・全 長 2 0 f t ふきなが まと (6 .1m )の 吹 流 し を ス リ ー ブ と 言 い ま す 。 こ の ス リ ー ブ を 的 に し て 護 衛 艦 ねら う たいくう の大砲で狙って撃つ訓練を対空スリーブ訓練射撃と言います。 せんそーく せんとー あ き づ き 艦 長 の 号 令 「 第 2 戦 速 ( 2 1 kt = 3 8 km/h) 」「 対 空 戦 闘 、 9 0 度・高角10度、突っ込んで来るスリーブ」~あきづき砲術士の号令「対 せんとー れんそくしゃほう ほ う い ば ん 空 戦 闘 、9 0 度・高 角 1 0 度 、突 っ 込 ん で 来 る ス リ ー ブ 、連 測 射 法 、方 位 盤 うちかた ふくほう ほ う い ば ん しゃしゅ 光学照準、独立打方独立発射、発射弾数各門10発」~副砲方位盤射手・ ほ う い ば ん ほうこう 各砲台長の報告「方位盤、目標よし~#31砲/#32砲、砲向よし」~ ふくほう ほうこう あきづき砲術士の報告「副砲、目標よし・砲向よし」~あきづき艦長の号 ほうげき うちーかた 令「砲撃始め」~あきづき砲術士の号令「 打 方 始め」と、対空スリーブ訓 練射撃が開始されます。 ふくほう うち 副砲各砲台長の報告「#31砲/#32砲、打終り」を受けて、私は号 うちかた ふくほう 令「打方待て」を令します。しかし、副砲各砲台長の報告「#31砲/# ほうちゅうだん 32砲、砲中弾なし」を受けても、発射弾数を発射音で数えていたので、 ブリッジ ふくほう 私は1発不足と感じました。艦橋の上に在る副砲指揮所から前の#31砲 ね き れ つ 台と後の#32砲台を観察すると、#31砲台の左舷内側に捩じれ亀裂か ろうしゅつ インチ ら 黒 い 発 射 薬 (火 薬 )の 一 部 漏 出 し た 3 吋 V T N F 弾 薬 包 (1 1 .35Kg)1 発 ころ みな が転がっているのを私が発見しました。気が付いた部下は皆凍り付いて私 も の 顔 を 見 詰 め て い ま す 。‘ 発 射 薬 ( 火 薬 ) の 一 部 漏 れ 出 た 弾 薬 包 が 残 留 熱 等 で発火したら、人が死ぬ。しかし、こういう時こそ指揮官自らが行動しな け れ ば な ら な い 。’ と 即 断 し 、「 # 3 1 砲 台 員 は 退 避 せ よ ! 」 と 下 令 し て # き れ つ 31砲台に駆けつけ、亀裂した弾薬包を自分の手で海中投棄しました。そ すご の間は1分間も有りませんでしたが、私は凄く長い時間に感じました。 ききゅうそんぼう そ 「危急存亡の時、部下は指揮官の顔を見詰める。其の時、指揮官は任務 に 対 す る 良 心 か ら 生 れ る 責 任 感 を 行 動 に よ っ て 示 さ ね ば な ら な い 。即 ち 指 しる 揮 官 は 、 マ キ ア ヴ ェ ッ リ [ 1469- 1527] の 記 し た “ 天 国 に 行 く 最 も 有 効 な - 7 - ひ っ し か く ご 方 法 は 地 獄 ヘ 行 く 道 を 熟 知 す る こ と で あ る ” を 必至 の 覚悟 と 心 得 て 、 たんりょくれんせい きりょうかくじゅう じんかくとうや な ゆうきょう 胆 力 錬 成・器 量 拡 充・人 格 陶 冶 の 連 続 修 養 を 為 さ ね ば な ら な い 。古 来“ 勇 怯 ひきょう (勇気と卑怯)の差は小さく、責任感の差は大きい”と言われてきた。ナ ポ レ オ ン[ 1769- 1821]の 言 う“ 忠 誠 と 規 律 ”ま た は ク ラ ウ ゼ ヴ ィ ツ[ 1780 と しょう - 1831] の 説 く“ 良 心 に 対 す る 責 任 か ら 生 れ る 勇 気 ”か ら 生 ず る 本 当 の 意 つ 味での責任感こそが戦士の心を衝き動かすのである。職務や任務に対する みが 良心から生れる責任感は持って生れた性格が教育や訓練によって磨かれ な て確立するものである。勇気とは、恐れを知りながらも、為すべきことを な 為 す こ と で あ る 。」と 防 衛 大 学 校 で 教 わ っ た 事 を 、私 は 思 い 出 し た の で す 。 きゅう (2) 窮 したら笑え えいてきかん ご し ゃ ⇐て る づ き # 5 3 砲 の 曳 的 艦 あ き づ き 誤 射 3 発 おおしま 1971年5月27日、護衛艦「あきづき」が大島南東方の訓練海面で えいこう たいすいじょう 水 上 標 的 を 曳 航 し て 護 衛 艦「 て る づ き 」の 対 水 上 訓 練 射 撃 を 支 援 し ま し た 。 おつがた きっすい 乙 型 水 上 標 的 と は 、 全 長 1 8 .5m ・ 最 大 幅 5 .0m ・ 吃 水 2 .4m ・ 排 水 量 3 トン いかだ 5 .5 t の 鉄 製 筏 に 橙 色 の ビ ニ ー ル シ ー ト を 張 っ た マ ス ト を 六 本 立 て た も まくてき の で す 。 こ の 橙 色 の ビ ニ ー ル シ ー ト (全 長 1 6 .0m ×高 さ 6 .0m )を 幕 的 に し て 射 撃 す る の で す 。「 あ き づ き 」 の 艦 尾 か ら 直 径 2 4 mm ・ 長 さ 1 1 0 0 ノット えいこう m の ワ イ ヤ ー で 水 上 標 的 を 8 k t (1 5 Km/h)で 曳 航 し ま す 。「 あ き づ き 」 の しゅほう インチ た ん そ う 右 舷 側 か ら 「 て る づ き 」 主 砲 の 5 吋 単 装 高 角 砲 3 門 が 射 撃 し ま す 。「 あ き みずばしら づ き 」後 方 の 水 上 標 的 に 向 か っ て 右 側 に 水 柱 が 揚 が る と“ 遠 弾 ”で 左 側 に みずばしら 水 柱 が揚がると“近弾”です。何ヤード遠なのか近なのかは、分角を利用 し た 器 具 で 目 測 測 定 し ま す 。 私 は 砲 術 士 と し て 、「 あ き づ き 」 艦 尾 に 陣 取 っ て 、「 て る づ き 」 の 弾 着 を 測 定 し 記 録 す る チ ー ム を 指 揮 し て い ま し た 。 写 真 出 典 :『 世 界 の 艦 船 』 1 9 8 7 年 6 月 号 せんそーく とーりかーじ よーそろー て る づ き 艦 長 の 号 令「 第 3 戦 速 (2 4 kt= 4 3 km/h)、取 舵 、9 0 度 宜 候 」 せ ん と ー ひだり ほ ー せ ん ひ 「 戦 闘 左 砲 戦 、2 8 5 度 、あ き づ き の 曳 く 標 的 」~ て る づ き 砲 雷 長 の 号 令 - 8 - せ ん と ー ひだり ほ ー せ ん ひ ぜんりょう し ゃ ほ う 「 戦 闘 左 砲 戦 、 2 8 5 度 、 あ き づ き の 曳 く 標 的 、 全 量 射 法 [射 撃 指 揮 装 置 たい へんきょ しゃほう 故 障 時 に 距 離 変 化 を 対 変距 修 正 量 と し て 加 減 し な が ら 射 撃 す る 射法 ]、 ほうそく いっせいうちかた し ょ だ ん か ん そ く きゅうせい し ゃ せいしゃ 砲 側 (光 学 )照 準 、 一 斉 打 方 発 令 発 射 、 初 弾 観 測 急 斉 射 、 斉 射 間 隔 6 秒 、 発 びょうどう ヤード 射 弾 数 各 門 1 0 発 、 苗 頭 5 0 3 ・ 1 3 0 (射 距 離 1 3 0 0 0 yds = 1 1 8 8 しゅほう 7 m )」 ~ 主 砲 各 砲 台 長 の 報 告 「 # 5 1 砲 / # 5 2 砲 / # 5 3 砲 、 目 標 よ ほうこう しゅほう ほうこう し ~ 砲 向 よ し ~ 射 撃 用 意 よ し 」~ て る づ き 砲 雷 長 の 報 告「 主 砲 、砲 向 よ し ・ うちーかた 射 撃 用 意 よ し 」~ て る づ き 艦 長 の 号 令「 打 方 始 め 」~ て る づ き 砲 雷 長 の 号 うちーかた しゅほう 令「 打 方 始め」~主砲射撃員長の発砲管制「発射用意/発砲ブザー:トト はな たいすいじょう ト 、 (放 )て ー / 発 砲 ブ ザ ー : ツ ー 」 と 、 対 水 上 訓 練 射 撃 が 開 始 さ れ ま す 。 みずばしら 「 あ き づ き 」艦 尾 の 私 は 7 倍 双 眼 鏡 で「 て る づ き 」の 弾 着 水 柱 を 観 測 し みずばしら ま す 。「 て る づ き 」 の 第 一 斉 射 は 、 遠 の 弾 着 水 柱 2 発 が 見 え 、 残 り 1 発 の みずばしら だいえん みずばしら 弾 着 水 柱 は 極 め て 離 れ た 大 遠 で す 。第 二 斉 射 は 、近 の 弾 着 水 柱 2 発 が 見 え ブリッジ かぶ ますが、残り1発が見えません。その時、艦橋との電話を被っている伝令 うしろ が 私 の 後 か ら「 砲 術 士 ! 」と 叫 び ま す の で 、私 は 振 り 向 き ま し た 。す る と 、 ヤード 「 あ き づ き 」 右 舷 正 横 1 0 0 yds ( 9 1 m ) に 3 0 m 程 の 白 い 円 柱 が 海 の 中 から立っていました。そして、その白い円柱は上から下へと消えていきま しばら し た 。 そ の ま ま 海 面 を 見 詰 め て い る と 、 暫 く し て 、「 あ き づ き 」 右 舷 正 横 ヤード 7 0 yds ( 6 4 m ) に 青 い 円 柱 が 急 激 に 伸 び 始 め て 3 0 m 程 に な り 、 上 の 方 から青色が白色に変わり始め、白い円柱になりました。1905年の日本 よう 海海戦を描いた絵の様でした。これは「てるづき」の第三斉射であると気 が 付 き ま し た 。 つ ま り 、「 て る づ き 」 主 砲 三 門 の う ち 一 門 が 水 上 標 的 で な ねら く 「 あ き づ き 」 を 狙 っ て い る の で 、「 て る づ き 」 第 一 斉 射 の 一 発 は 「 あ き だいえん づき」のマストの上を通って大遠となり、第二斉射の一発は「あきづき」 ヤード の 近 1 0 0 yds ( 9 1 m ) に 弾 着 し 、 第 三 斉 射 の 一 発 は 「 あ き づ き 」 の 近 7 ヤード 0 yds (6 4 m )に 弾 着 し た と 言 う 事 で す 。 弾 着 は 段 々 近 付 い て い ま す の で 、 じょう 次 の「 て る づ き 」第 四 斉 射 の 一 発 は「 あ き づ き 」に 命 中 す る で し ょ う 。 上 甲板に居た「あきづき」乗組員は#52砲と#53砲の左舷など反対側に インチ 隠 れ ま し た 。5 吋 砲 弾 が 命 中 し た ら 隠 れ て い て も 無 駄 で す 。し か し 、危 急 存 亡 に 直 面 し た 人 間 の 心 理 は そ う い う も の で す 。 私 は 、「 防 衛 庁 共 済 組 合 の 貯 金 通 帳 (残 額 ¥ 3 0 0 0 )を 私 の 部 屋 に 取 り に 帰 ろ う か な ! 」 と 思 い ま ふね ふね し た が 、「 艦 が 沈 没 し そ う に な っ た 時 、 私 物 を 取 り に 帰 っ た 者 は 艦 と 一 緒 に沈んでしまうので、貴重な私物といえども絶対に取りに帰ってはなら - 9 - ぬ 。」と 防 衛 大 学 校 で 教 わ っ た 事 を 思 い 出 し 、取 り に 帰 る の を 止 め ま し た 。 ブリッジ あ き づ き 艦 長 ( 2 佐 ) の 「 う ぅ 、 撃 つ な ! と 言 え 。」 の 指 示 で 、 艦 橋 の 無 つ 線 電 話 に 就 い て い た 水 雷 士 (防 大 1 3 N )が 冷 静 に 「 て る づ き 、 射 撃 を 中 止 さ れ た し 。 我 に 弾 着 が 近 い 。」 と 無 線 電 話 し た と こ ろ 、 て る づ き 艦 長 が 直 うちかた 接 了 解 し て 「 打 方 止 め 」 と 号 令 さ れ た の で 、「 て る づ き 」 第 四 斉 射 は 飛 ん で 来 ま せ ん で し た 。 こ の 件 で 、「 あ き づ き 」 の 船 体 ・ 武 器 ・ 機 関 ・ 人 員 に 異 常 は な く 、「 あ き づ き 」 の 被 害 は 有 り ま せ ん で し た 。 あと わか かす 後で判ったことですが、水平線付近が霞んでいたため、低い位置にある マ ー ク にく 「て 砲 台 長 の M k 8 4 望 遠 鏡 で は 水 上 標 的 と「 あ き づ き 」と を 区 別 し 難 く 、 ねら ちな るづき」の#53が「あきづき」を狙っていたのです。因みに、この日は 5月27日であり、日本海海戦を記念した海軍記念日でした。横須賀入港 そろ 後、 「 て る づ き 」の 艦 長 (2 佐 )・ 砲 雷 長 (3 佐 )・ 砲 術 士 (3 尉 )が 揃 っ て「 あ あやま き づ き 」に 謝 り に 来 ら れ ま し た 。日 本 酒 2 升 で 手 打 ち に 成 っ た も の と 記 憶 しています。 きゅう からだ からだ 「 窮 したら笑え!通常は心/頭/脳が 体 を支配しているが、 体 が心/ せ っ ぱ きゅう 頭 / 脳 に 重 大 影 響 を 及 ぼ す こ と が あ る 。そ れ は 、切 羽 詰 ま っ て 窮 し た 時 で からだ ほお わ じゅばく も 、笑 う と い う 体 の 動 き に よ っ て 頬 の 血 行 が 良 く な り 快 感 が 湧 き 、呪 縛 さ れた心/頭/脳が解放されることである。そして、心/頭/脳に余裕が生 ひら あと じ 、 ま た 別 の 道 が 拓 け て く る 。」 と 防 衛 大 学 校 で 教 わ っ た 事 を 、 私 は 後 で 思い出しました。 おちい なぐ (3)パニックに 陥 った部下を救う為には殴れ しゅうよう ⇐P - 2 V 7 の 遺 体 収 容 しもうさ 1971年7月16日、千葉県の下総航空基地を離陸した大型対潜哨戒 ちょうし ついらく 機P-2V7が松の木に接触して千葉県の銚子沖に墜落しました。 いしかわじま は り ま 中間修理を終えたばかりの護衛艦「あきづき」は、石川島播磨重工業㈱ ついらく ちょうし 東京第2工場から、墜落したP-2V7の航空救難に向かいました。銚子 沖には護衛艦「あきづき」と掃海艇数隻が集結し、大型対潜哨戒機P-2 V7の搭乗員11名と機体を協同捜索します。 航 空 救 難 の 第 一 日 目 ( 1971.7.16 )、 私 は 艇 長 ( 3 曹 ) ・ 機 関 長 ( 士 長 ) ・ バ ウ メ ン 艇 首 員 (1 士 )の 乗 る 内 火 艇 の 艇 指 揮 で す 。 掃 海 艇 の 水 中 処 分 員 (Explosive もやい Ordnance Disposal) が 水 深 1 8 m の 海 底 で 何 か を 見 つ け て 舫 ( ロ ー プ ) に う き こ あが あが う き こ もやい 結 び 付 け る と 、海 面 に 浮 子 が 揚 っ て 来 ま す 。海 面 に 揚 っ て 来 た 浮 子 の 舫 (ロ バ ウ メ ン た ぐ バ ウ メ ン ー プ )を 艇 首 員 が 手 繰 る と 人 の 右 足 が 現 れ ま し た 。 ギ ョ ッ と し た 艇 首 員 (1 - 10 - もやい ふる おちい 9 歳 )は 舫 (ロ ー プ )を 放 し て し ま い 、 ブ ル ブ ル 震 え パ ニ ッ ク に 陥 り ま し た 。 バ ウ メ ン ひ ら て なぐ しっか 私 は 直 ち に 前 部 へ 跳 ん で 行 き 、艇 首 員 を 平 手 で 殴 っ て「 確 り 仕 事 を し ろ ! 」 あと さき なぐ バ ウ メ ン と怒鳴りました。後にも先にも、部下を殴ったのは初めてです。艇首員は しょうき う き こ もやい た ぐ 正 気 に 戻 り 、再 び 浮 子 の 舫 (ロ ー プ )を 手 繰 っ て 右 足 を 揚 収 し ま し た 。続 い う き こ あが バ ウ メ ン もやい た ぐ て 、 海 面 に 浮 子 が 揚 っ て 来 ま す 。 艇 首 員 が 舫 (ロ ー プ )を 手 繰 っ て 骨 付 き ふともも はこ 太 腿 を 揚 収 し ま し た 。 揚 収 し た 遺 体 の 一 部 を 「 あ き づ き 」 に 運 ぶ と 、「 あ こう さいだん きづき」後甲板には、工作員長の作った祭壇が飾られ、銃を持った衛兵二 そ 名が立っていました。こういう揚収作業を日没まで続けました。其の日の ももにく ふともも 「あきづき」夕食は鶏の腿肉でしたが、色調が遺体の骨付き太腿に似てい たので、私は食べる事が出来ませんでした。 航 空 救 難 の 十 日 目 ( 1971.7.25)、 私 は 相 変 わ ら ず 内 火 艇 の 艇 指 揮 と し て た ちょくし よう 遺 体 収 容 作 業 に 当 た っ て い ま し た 。 一 週 間 も 経 つ と 、死 を 直 視 出 来 る 様 に えいれい そ さわ なります。英霊の遺体または其の一部を見ても触ってもギョッとしません。 な すご 慣 れ と は 凄 い 事 で す 。 水 中 処 分 員 (Explosive Ordnance Disposal)が 頭 ・ 両 だ あが くず 手・両脚の外れた胴体だけを抱いて浮き揚って来たので、崩れないよう できしゃ てつあみ た ん か し 溺者救助用鉄網担架に白毛布を敷いて中に乗せ、海面から引揚げました。 血で白毛布が真赤に染まったことを鮮明に覚えています。 わ 航 空 救 難 の 十 三 日 目 ( 1971.7.28)、 掃 海 艇 部 隊 の 昼 夜 を 分 か た ぬ 捜 索 の 努力が実って、大型対潜哨戒機P-2V7の機体が発見されました。 航 空 救 難 の 十 四 日 目 ( 1971.7.29)、 発 見 さ れ た 海 底 の 機 体 を 海 上 に 浮 か だいせん な つぶ ぶ 台 船 に 移 す 事 に 為 り ま し た 。 あ き づ き 副 長 (3 佐 )か ら 「 つ い て は 、 潰 れ はさ そ た機体に遺体の肉片が挟まっている可能性が高いので、砲術士は其の肉片 を 回 収 し て 来 い 。」 と 指 示 さ れ ま し た 。 そ こ で 、 肉 片 回 収 作 業 隊 を 編 成 し あ ま い たけざお だいせん つ り さ て雨衣と竹竿を携行させ、内火艇で台船へ向かいました。クレーンで吊下 だいせん あ だいせん あ ま い つぶ げられた機体が台船上に在りました。台船に上がって雨衣を着用し、潰れ たけざお たた はさ た機体を竹竿で叩くと、機体に挟まれていた人体の一部が落下して来ます。 じゅんしょく すで だいせん そ 殉 職 された搭乗員11名は既に神様ですので,台船上に落ちている其の す で ひろ 肉 片 を 素 手 で 拾 い 集 め ビ ニ ー ル 袋 に 入 れ 、「 あ き づ き 」 に 持 ち 帰 っ て 肉 片 回収作業は完了しました。 この航空救難は1971年7月16日に発動され7月30日に終結し、 むじょうかん とら じょうかん ぶ じ ょ く 「 あ き づ き 」は 横 須 賀 に 帰 投 し ま し た 。無 常 観 に 囚 わ れ た 私 は 、 上 官 侮 辱 はなひげ たくわ 鼻 髭 [1971.7.16~ 1981.3.15] を 蓄 え ま し た 。 - 11 - おちい なぐ しょうき あと ト ラ ウ マ 「 パ ニ ッ ク に 陥 っ た 部 下 は 、殴 っ て 正 気 に 戻 さ な い と 、後 で 精 神 的 外 傷 じゅんじゅん になる。但し、十名以上だったら、まず座らせて 諄 々 と任務の重要性を なっとく 説 い て 納 得 さ せ る べ し 。」 と 防 衛 大 学 校 で 教 わ っ た 事 を 、 私 は 思 い 出 し た のです。 3 練習艦かとり航海士[第2番目の配置 3尉 at 横 須 賀 ] 次 の 私 の 配 置 は 練 習 艦 か と り 航 海 士 [1971.12 ~ 1972.12] 兼 第 2 分 隊 士 で し た 。 第 1 術 科 学 校 幹 部 任 務 船 務 課 程 ( 1972.1.13- 1972.2.23) で 約 1 ヶ 月 余 り 船 務 ( 戦 術 ・ レ ー ダ ・ 通 信 ・ 航 海 ) の 教 育 を 受 け ま し た 。「 か と り 」 は 、 トン 基 準 排 水 量 3 3 5 0 t・乗 組 員 2 9 5 名 の 練 習 艦 で 、練 習 艦 隊 の 旗 艦 で し た 。 母港は横須賀です。 (1)砕氷艦「ふじ」乗員の救出準備 1972年春に南極観測支援中の砕氷艦「ふじ」が南極で氷に閉じ込め ら れ ま し た の で 、ヘ リ コ プ タ 甲 板 を 有 す る 練 習 艦「 か と り 」、航 空 航 法 装 置 TACANを有する護衛艦「ながつき」及び艦船燃料と航空燃料を大量に 有する補給艦「はまな」をもって砕氷艦ふじ乗員救出任務隊が編成され、 南 極 へ 行 く 準 備 が 始 ま り ま し た 。 か と り 副 長 (2 佐 )か ら 「 ふ じ 乗 員 を 本 艦 ふね に 総 員 収 容 す る の で「 ふ じ 」は 無 人 に 為 る 。帝 國 海 軍 以 来 、ま だ 使 え る 艦 を ためし 無人にした 例 はない。誰かが「ふじ」に乗り移り「ふじ」を守るべきだ。 幸 い な 事 に 航 海 士 と 機 関 士 B (防 大 1 3 N )は 士 官 室 で 最 も 若 く て 独 身 だ 。 南 極 に 行 っ た ら 二 人 で「 ふ じ 」に 乗 り 移 り 、一 年 間「 ふ じ 」を 守 っ て く れ 。 「 ふ じ 」に は 食 料 も 燃 料 も あ る 。来 年 、き っ と 迎 え に 行 く か ら 。」と 指 示 さ れました。そこで、二人して南極で越冬する準備は何を為すべきか話し合 はっきん か い ろ はっきん か い ろ いましたが、白金懐炉しか思い付かず、上陸して白金懐炉を買いました。 そ あたた ゆる 其 の 後 、 南 極 で 温 か い 風 が 吹 い た た め 氷 が 緩 み 、「 ふ じ 」 は 自 力 で 脱 出 お か げ からふとけん たど で き ま し た 。御 蔭 で 防 大 1 3 N の 二 人 は 樺 太 犬 タ ロ・ジ ロ と 同 じ 運 命 を 辿 ら なくて済みました。 ( 2 )南 米 方 面 #16 遠 洋 練 習 航 海( 1972.6.22.1100Y ~ 1972.11.7.0900Y ) [練 習艦かとり・護衛艦もちづき] ∫ 12 護 衛 艦 ま き ぐ も 艦 長 [ 第 12 番 目 の 配 置 2佐 at 佐 世 保 ] 自分に合った仕事が見つからない若者が増えているそうですが、自分に合 あ ほとん い ほとん った仕事が在る若者は 殆 ど居ません。 殆 どの若者は、仕事を自分に合わせ - 12 - るのでなく、仕事に自分を合わせなければ成功しません。仕事に自分を合わ な な せ て 為 り た い 自 分 に 成 る よ う に 自 己 変 革 し て い く 事 を 、“ 人 間 の 成 長 ” と 言 います。そういう人間は、仕事を通じて社会に貢献するので、社会人と呼ば れ ま す 。“ 配 置 が 人 を 育 て る ” と も 言 い ま す の で 、 安 心 し て 下 さ い 。 そうりょう じんろく 熊 本 で 惣 領 (長 男 )の 甚 六 と し て ボ ォ ー と 育 っ た 私 は 、防 大 1 学 年 の 頃 、 新 入 生 を 集 め た 小 隊 学 生 長 付 き (第 3 学 年 )か ら 「 い い か ! 牧 本 が 行 動 を 開 始 し すで た時は既に遅れているんだ。皆は、牧本が行動を起こすのより先に行動を開 始 し な け れ ば な ら な い 。」 と 御 注 意 さ れ た も の で す 。 護 衛 艦 の 艦 長 に 合 っ た ほとん い 若 者 は 殆 ど 居 ま せ ん 。護 衛 艦 の 艦 長 に 自 分 が 合 っ て い る か ど う か を 心 配 す る 事より、護衛艦の艦長に自分が合うように自分を変革していけば良いのです。 な な 学生諸君には、自分の目標に向かって為りたい自分に成るように自己変革し ていく時間がタップリ有ります。 にな 21世紀の自衛隊を担う諸君は、この小原台の徳育・知育・体育の学習に たんしき しょうじん よ っ て 脳 細 胞 に 知 識・見 識・胆 識 を 蓄 積 し て 下 さ い 。こ の 日 々 の 精 進 を 卒 業 後 も 継 続 す る こ と に よ っ て 、我 が 国 の 平 和 の 維 持 と 国 民 の 生 命 財 産 の 保 護 の ささ み な ら ず 、国 際 社 会 の 安 定 確 保・平 和 維 持 の 一 翼 を 支 え 、我 が 国 の 国 益 と 国 こた な 家の大事に応え得る強い指揮官に成る事が出来ます。 「おじいさん仮説」の立証 えんじん こ の 地 球 上 の 人 類 は 、猿 人 [ア ウ ス ト ラ ロ ピ テ ク ス;4 0 0 ~ 1 0 0 万 年 前 ]、 げんじん きゅうじん 原 人 [ホ モ・エ レ ク ト ゥ ス ex.ジ ャ ワ 原 人・北 京 原 人;1 0 0 ~ 2 0 万 年 前 ]、旧 人 [ホ モ ・ サ ピ エ ン ス ・ ネ ア ン デ ル タ ー レ ン シ ス ex.ネ ア ン デ ル タ ー ル 人 ; 1 5 ~ しんじん 3 .5 万 年 前 ]及 び 新 人 [ホ モ ・ サ ピ エ ン ス ・ サ ピ エ ン ス ex.ク ロ マ ニ ヨ ン 人 ・ 縄 えんじん げんじん きゅうじん 文 人 ・ 現 代 人 ; 3 .5 万 年 前 ~ ]に 分 類 さ れ ま す 。 現 在 は 、 猿 人 ・ 原 人 ・ 旧 人 の しんじん な ぜ 子孫が居なくて、新人の子孫だけが残っています。それは何故か? この答えが 「おばあさん仮説」です。それは「ホモ・サピエンス・サピエンスの女性が生 のち そ ち え い 殖から解放された後、 ‘ お ば あ さ ん ’と し て 其 の 智 慧 と 経 験 を 活 か し て 自 分 の 娘 や血縁者の子育てを援助することにより、ホモ・サピエンス・サピエンスの繁 なら 殖 成 功 度 を 上 昇 さ せ る こ と が 出 来 た 。」と い う 仮 説 で す 。私 も こ れ に 倣 い 、諸 君 な が成るであろう自衛隊指揮官の成功度を上昇させるべく、私の経験を伝えまし はっぷん た 。「 お じ い さ ん 仮 説 」を 立 証 す る の は 諸 君 で す 。学 生 諸 君 の 発 奮 を 期 待 し て 、 私の講話を終わります。 - 13 - 本 書 は 、 私 が 自 衛 艦 隊 司 令 官 [2003.3- 2004.8]の と き 、 艦 艇 長 講 習 で 三 回 講 話 した記録に基づいて、加除編集したものです。学生諸君が海上作戦部隊の艦隊 おも 気分を察知し「海上指揮官の想い」を感得して頂ければ幸いです。 第1章 あ し ゅ ら 修羅の道 み ゆうしゅう 奈 良 市 に あ る 興 福 寺 の 阿 修 羅 像 を 観 る 時 、深 い 憂 愁 に 沈 む 少 女 に 見 え る の は 、 うれ さび 私だけであろうか。その愁いには、限り無き悲しみ・怒り・寂しさがある。 あ し ゅ ら けんぞく や し ゃ 仏 教 で は 、阿 修 羅 は 、仏 の 眷 属 で あ り 、仏 法 を 守 護 す る 八 部 衆〔 天・竜・夜 叉 ・ け ん だ つ ば あ し ゅ ら か る ら き ん な ら ま ご ら か 乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩喉羅迦〕の一部である。 あ し ゅ ら し ゅ ら ど う りくどう じ ご く ど う が き ど う ちくしょうどう し ゅ ら ど う にんげんどう 阿 修 羅 の 住 む 修 羅 道 と は 、六 道〔 地 獄 道 ・餓 鬼 道 ・ 畜 生 道 ・ 修 羅 道 ・ 人 間 道 ・ てんどう いくさ わ さえぎ 天 道 〕の 一 つ で 、争 い や 怒 り の 絶 え な い 世 界 で あ る 。 戦 で は 、吾 が 行 く 手 を 遮 る者あらば、友に会うては友を殺し、君に会うては君を殺し、父に会うては父 し ゅ ら みち を殺す。これは修羅の道である。 ☛ 日本1960年代は革命前夜~間接侵略~治安出動の予感あり! 世界1970年代はソ連軍の脅威~第3次世界大戦の予感あり! 戦場における指揮官は、部下・味方が死ぬか又は相手・敵が死ぬかの場合、 じんりん もと し ゅ ら みち 一 般 に 相 手・敵 が 死 ぬ 方 を 選 ぶ 。ど ち ら を 選 択 し よ う が 、人 倫 に 悖 る 修 羅 の 道 で じんりん みち あ せ い き あ る 。つ ま り 、指 揮 官 は 、平 時 に は 人 倫 の 道 を 歩 め ど も 、有 事 に 遇 っ て は 正 気 と せ い き あ し ゅ ら お う ごと きょう もう し ゅ ら みち 生気を保ちつつ阿修羅王の如く 狂 と猛との修羅の道を進まざるを得ない時も せ い き せ い き じんりん みち あろう。そして、平時に返れば、正気と生気により速やかに人倫の道に戻るの は当然である。 死ぬ事に覚悟はいらない。死ぬ時は「まッぁ、いいかぁ!」と死ねばよい。 覚悟が有る人も無い人も、人は皆いつか死ぬ。まして戦場においては、覚悟が た ま 有る者も無い者も、弾丸が当たれば平等に死ぬ。即ち、死ぬ(殺される)覚悟 かた がなくとも相手がきちんと方を付けてくれるのだ。しかし、米国陸軍ジョージ ため S . パ ッ ト ン Jr.将 軍 が 第 二 次 世 界 大 戦 の 欧 州 戦 線 で 「 米 国 の 為 に 死 ぬ 事 が 諸 ため 君 の 仕 事 で は な い 。諸 君 の 仕 事 は 奴 等 を ド イ ツ の 為 に 死 な せ て や る 事 だ 。」と 訓 示 し た よ う に 、 相 手 を 害 す る (殺 す / 傷 つ け る )事 に は 特 別 の 覚 悟 が い る ぞ ! あ し ゅ ら みち あ 有事に遇っては修羅の道を進まざるを得ない時もある指揮官は、戦場に在っ あ し ゅ ら お う さんめん ろ っ ぴ な ては阿修羅王となりて三面六臂の活躍を為し、任務を完遂して味方の勝利に貢 - 14 - いわ 献 す べ し 。 マ キ ア ヴ ェ ッ リ [ 1469- 1527] 曰 く 「 天 国 に 行 く 最 も 有 効 な 方 法 は きょうじんふとう けんにんふばつ 地獄ヘ行く道を熟知することである」と。強靭不撓の精神と堅忍不抜の勇気と ばつざんがいせい と そ つ て ん み ろ く ぼ さ つ 抜山蓋世の気力を有する強い指揮官でなければ、兜率天で修行中の弥勒菩薩が し ゃ か む に せ そ ん 釈 迦 牟 尼 世 尊 〔 ゴ ー タ マ . シ ッ ダ ル ダ [ BC565 - BC484 ] 印 度 ヒ マ ラ ヤ 南 麓 の し ゃ か ぞ く じょうどう 釈 迦 族 の 王 子 と し て 4 月 8 日 誕 生 し 、1 2 月 8 日 3 5 歳 で 成 道 し 、 2 月 1 5 日 ね は ん ね は ん しょうがく じょうぶつとくどう 8 0 歳 で 涅 槃 に 入 る 〕の 涅 槃 後 五 十 六 億 七 千 万 年 の 後 に 正 覚 に よ り 成 仏 得 道 し さんぜん ぶ っ だ つかさど て 三 千 大 千 世 界 〔 一 仏 陀 が 司 る 世 界 = 六 道 世 界 の 千 ( 小 千 ) ×千 ( 中 千 ) × 千(大千)の集合世界/三千世界とも言う〕の人々を救済するまで、自分自身 し ゅ ら みち お か く ご が修羅の道を進んで地獄へ堕ち責め苦を受け続けるというような、悲壮な覚悟 た に堪えられないであろう! ぶ っ だ ☣ さと む 仏陀:覚りを得た人 に せ そん 牟尼:聖者 世尊:尊師 にょらい 如来:真理に達した人 ぼ さ つ いま ぶ っ だ ぶ っ だ 菩薩:未だ仏陀に成らぬが、仏陀に成るべき資性を備えた人物である。 自分の為でなく、他人の為に自己の身を犠牲にして働く者である。 ね は ん ☣ 涅槃:常〔永久〕楽〔心に落ち着きが在る事〕我〔自由自在〕浄〔心の あんのん 澄み切った事〕の安穏の事 と そ つ て ん ☣ 兜率天:三界を構成する欲界に属する六つの天のうちの第四天 ☸ 覚りとは、真理〔輪廻の法則〕を認識して解脱〔輪廻の法則の外に出る さと り ん ね げ だ つ り ん ね だいにちにょらい こと〕する事をいい、宇宙〔その化身が大日如来なり〕の真実の姿を体現 しょうがく する全認識極限状態である。覚り〔正 覚〕という個人体験を、大知大悲で ぶっしょう もって思索に乗せ説法して社会経験に転じ、更には動植物国土にも仏 性を み 観る自然経験に進むべし。 ☯ りょう ま ど ど い つ カラス ぬし 坂本 龍 馬作の都都逸「三千世界の 烏 を殺し主と朝寝がしてみたい」 さん なお、三とはサンスクリット語のサン(聖なる)の漢音訳である。 ☀137億年前 我 々 の 宇[ 天 地 四 方;空 間 ]宙[ 古 往 今 来;時 間 ]が 誕 生 し 、 原子が生成した。 100億年前 我々の銀河が誕生した。 46億年前 太陽や地球が誕生した。 42億年前 地球に海洋が出現した。 35億年前 宇宙から左型アミノ酸が飛来して地球に生命が誕生した。 - 15 - 200万年前 人類[人の細胞60兆個]が出現した。 3 .3~ 2 .1 万 年 前 日本列島に日本人の祖先が初渡来した。 1 .2 万 年 前 氷河期が終了して縄文時代が始まる。 じ ん む AD180 か む や ま と い わ れ ひ こ の みこと ひむかの み み つ の はま ふな 神 武 東 征[ 神 日 本 磐 余 彦 尊 が 日 向 美 々 津 浜 か ら 大 船 団 を 船 で よ な い き ご う はっしょうのち 出させた事に始まる。米内総理揮毫の「日本海軍発祥之地」 ひ ゅ う が し の 大 記 念 碑 が 日 向 市 美 々 津 に あ る 。] 10億年後 太陽の膨張開始 水素燃料の減少により重力収縮を核融合膨張が上回る。 20億年後 こ か つ 地球の海洋涸渇 人類は、遺伝子を変化させて太陽系の外へ移住し、知的生 ち え はず 命体としての存続を図る智慧を有している筈と信じる。 65億年後 太陽の膨張が水星軌道を越える。 70億年後 太陽の白色矮星(地球規模)化 わいせい こ か つ 水素燃料の涸渇により核融合が停止し重力で収縮する。 げき そういう強い指揮官のために、以下のとおり檄を送りたい。 第2章 1 名将に学ぶ 1 カ ル タ ゴ の 名 将 ハ ン ニ バ ル の 言 葉 … … … … … … … … … 16 頁 2 英 国 提 督 ネ ル ソ ン の 自 己 同 期 形 成 … … … … … … … … … 17 3 フ ラ ン ス 皇 帝 ナ ポ レ オ ン の 思 索 炯 眼 … … … … … … … … 18 4 米 国 将 軍 パ ッ ト ン の リ ー ダ ー シ ッ プ 解 説 … … … … … … 18 5 朝 鮮 戦 争 の 英 雄 白 善 燁 将 軍 語 録 … … … … … … … … … … 19 6 米 国 陸 軍 中 佐 ハ ロ ル ド G ム ー ア の 出 征 に 際 し 訓 示 … … 24 カルタゴの名将ハンニバルの言葉 第 二 次 ポ エ ニ 戦 役 [BC218 - BC201] の タ ー ラ ン ト 攻 略 [BC213] 成 功 の 後 、 ハ ン ニ バ ル . バ ル カ ス [BC247 - BC183 ; BC 2 1 8 ア ル プ ス 越 え で ロ ー マ に 侵 攻 ( 2 8 歳 )・ BC2 1 6 カ ン ナ エ 会 戦 に 完 勝 ( 3 0 歳 )・ BC2 0 2 ザ マ の 戦 い で ス キ ピ オ ( 3 3 歳 ) に 敗 北 ( 4 4 歳 )] は 「 多 く の 事 は 、 そ れ 自 体 で は 不 可 能 事 に 見 え る 。 だ が 、 視 点 を 変 え る だ け で 可 能 事 に 成 り 得 る の だ 。」 と 語 っ た 。 - 16 - 2 英国提督ネルソンの自己同期形成 英 国 海 軍 中 将 ホ レ イ シ ョ .ネ ル ソ ン[ 1758- 1805 海 上 勤 務 3 5 年 ・ 参 加 海 戦 ていとく 1 2 0 回 ] 提 督 は 、 戦 術 信 号 「 近 接 行 動 close action; 更 に 敵 に 近 接 し て 交 戦 せよ」のように簡潔な指示でよく知られている。簡潔な指示では発簡者の企図 が完全に伝わらない事があるものだが、ネルソン艦隊ではそういう事がなかっ た。それは、ネルソンの部下の指揮官達が、時にはネルソン自身によって修正 さ れ た 『 英 国 海 軍 ド ク ト リ ン ( ネ ル ソ ン に よ っ て 解 釈 さ れ た ド ク ト リ ン )』 に 完全に習熟していたからである。権限委任の信奉者であったネルソンは、部下 の指揮官が自己の知的能力とシーマンシップを活用するとともにネルソンの 企図をよく理解して敵の機先を制する機動を行なうことを期待したのである。 きた い か 重要なのは、来るべき戦闘の様相を如何に考えるかについて、ネルソンが部下 つい の指揮官達と討議するために多くの時間と努力を費やし、行動に係る状況認識 を共有したことである。その結果として、ネルソンの部下の指揮官達は改めて ネルソンの指示を求めること無しに、その目標とする事柄を追求して、独自に 行動することが出来た。 <註>トラファルガー海戦 1805.10.21 at ジ ブ ラ ル タ ル 海 峡 に 近 い ス ペ イ ン の ト ラ フ ァ ル ガ ー 岬 沖 英国艦隊27隻[ネルソン中将 ( 4 7 歳 )] 戦 死 行 方 不 明 者 1 6 9 0 名 きりゅう 旗 旒 信 号 ; England expects that everyman will do his duty. おのれ (英国ハ各員ガ 己 ノ義務ヲ果タサンコトヲ期待ス) マスケット銃で狙撃されたネルソン提督は1630に戦死した。 い ま わ 今 際 の 言 葉 「 Thank GOD,I have done my duty.」 仏 西 艦 隊 3 3 隻 [ ヴ ィ ル ヌ ー ブ 中 将 ( 4 2 歳 )] 戦 死 行 方 不 明 者 6 9 5 3 名 < 註 > 第 1 級 戦 列 艦 Line-of-battle ship ヴ ィ ク ト リ ー ( 英 国 艦 隊 旗 艦 ) 長 さ 9 8 .4m 幅16m メインマスト高60m 乗員850名 砲 数 1 0 4 門 : 3 2 ポ ン ド カ ノ ン 砲 ( 最 大 射 程 2 5 0 0 m ) ×3 0 門 24ポンドカノン砲 ×2 8 門 12ポンドカノン砲 ×4 4 門 68ポンドカロネード砲 × 満載排水量4000トン 2門 搭載真水300トン 搭載ビール50トン こ の ネ ル ソ ン タ ッ チ ( the NELSON touch = 難 局 に 処 す る ネ ル ソ ン 流 の 手 - 17 - じ こ ど う き け い せ い じ こ ど う き け い せ い 際 ) こ そ が 自 己 同 期 形 成 ( self-synchronization) で あ る 。 自 己 同 期 形 成 と は 、 時 間 と 空 間 に お け る 事 象・効果 の 適 切な 組 合 わ せ( 例;戦 闘 空 間 の 情 勢 認識 と 指 揮 官 の 意 思 決 定 に 係 る 状 況 認 識 と を 共 有 す る 自 分 の 分 身 を 造 る 事 )に よ っ て 達 成 さ れ る 所 望 結 果( 例 ; 高 級 指 揮 官 の 分 身 を 戦 場 に 派 遣 し て 戦 術 の 柔 軟 性 と 迅速な指揮・対処とを可能ならしめる事)である。 3 フランス皇帝ナポレオンの思索炯眼 ナ ポ レ オ ン . ボ ナ パ ル ト [ 1769- 1821] は 、 若 い 頃 、 ギ ボ ン [ 1737- 1794] 著『ローマ帝国衰亡史』を初めて読んだ折、カエサルが属州ガリア総督のとき BC49.1.12 ル ビ コ ン 川 を 渡 っ て ロ ー マ 執 政 官 に 再 立 候 補 の た め ポ ン ペ イ ウ ス と つ ど の対決を迫られる場面などでは、その都度本を閉じて「自分ならばこう決心す まと る 」と の 考 え を 纏 め た 後 、本 を 開 い て 読 み 進 ん だ と い う 。幼 少 か ら の 刻 苦 勉 励 ・ し さ く けいがん じょうじゅ 思 索 炯 眼 に よ っ て 成 就 し た 天 才 で あ る ナ ポ レ オ ン は 、歴 史 上 の 英 雄 た ち の 修 羅 場 を 歴 史 書 や 戦 史 書 に よ り 、頭 上 シ ミ ュ レ ー シ ョ ン で 疑 似 体 験 す る 努 力 を 積 重 ねている。漫然と読書するのと、自分の決心を自問自答しつつ書中で疑似体験 しながら読書するのでは、凡人と天才の差になることを肝に銘じ、常に自らの 頭(第一人称)でものを考える力を鍛錬する努力を惜しんではならない。 第一人称で考えることが出来るようになると、第一人称で行動することが出 来るようになる。それが指揮官である。 4 米国将軍パットンのリーダーシップ解説 ・1909年に米国陸軍士官学校卒業(席次46/103) ・第 2 機 甲 師 団 長 ~ 第 2 軍 団 長 ~ 第 3 軍 司 令 官 ~ 第 1 5 軍 司 令 官 米 国 陸 軍 大 将 ジ ョ ー ジ S パ ッ ト ン Jr[ 1885- 1945] 将 軍 は 、「 組 織 の 所 属 者 にとって必要な心理的要素は、自覚・自制・自信である。指揮官が“使命感に 支えられた自覚”と“責任感に基づく自制”と“能力に裏付けられた自信”と で指導すれば、部下の消極的な自覚・自制・自信も競争心と自発性に味付けさ へんぼう れた自覚・自制・自信に変貌する。即ち、リーダーシップとは、部下に自信を ほか 注入する事に他ならない。その自信は、部下をして個人として認められている うなが と い う 自 覚 を 促 し 、 部 下 を し て 誇 り あ る 自 制 を も た ら す 事 に も な る 。」 と 、 リ ーダーシップを解説している。 - 18 - 5 朝鮮戦争の英雄 白善燁将軍語録 ☛白善燁著『指揮官の条件』2002.5.31草思社 ペクソニョップ 白 善 燁[ 1920- ]将 軍 の 指 揮 す る 韓 国 第 一 師 団 は 、朝 鮮 戦 争[ 1950. 6.25 - 1953. 7.27; 韓 国 民 間 人 の 死 者 3 7 3 5 9 9 名 ・ 負 傷 者 2 2 9 6 5 2 名 ・ 行 方 不 明 3 8 7 7 4 4 名 、韓 国 軍 の 死 者 2 2 7 7 4 8 名・負 傷 者 7 1 7 0 8 3 名・ 行方不明43572名、国連軍の死者36813名・負傷者114816名・ 行方不明6198名、北鮮民間人の死傷行方不明約2700000名、北鮮軍 の死傷行方不明約600000名、中国軍の死傷行方不明約1000000名 ラクトンガン プ サ ン ( う ち 死 者 1 4 8 6 0 0 名 )]の 初 期 に お い て 、洛 東 江 東 側 の 釜 山 円 陣 の 突 角 を ウェガン ス ア ム サ ン ユ ハ ク サ ン タ ブ ド ン カ サ ン 形 成 す る 倭 館 北 側 ~ 水 岩 山 ~ 遊 鶴 山 ~ 多 冨 洞 ~ 架 山 地 区 の 最 終 防 御 正 面 2 0 Km プ サ ン タ ブ ドン を 受 け 持 ち 、釜 山 橋 頭 堡 攻 防 の 天 王 山 と し て 知 ら れ る“ 多 冨 洞 の 戦 闘( 1950.8.4 た り か ん ~ 9.16)”で 北 鮮 軍 3 箇 師 団 強 の 猛 攻 に よ く 堪 え 、マ ラ リ ア 罹 患 の 師 団 長 先 頭 の 突撃を含めた反撃防御・連合作戦により北鮮軍を撃退した。この時、韓国第一 タ ブ ドン テ グ ゥ 師 団( 8 月 の 死 傷 者 4 0 0 0 名 )が 多 冨 洞 の 防 御 線 を 死 守 で き な か っ た ら 、大 邸 プ サ ン が落ち、釜山が落ち、そして韓国が消滅していたであろう。その後の攻勢転移 で韓国第一師団は、主攻の米国第1騎兵師団より早く、歩戦砲工飛の諸兵科連 ピョンヤん 合戦術で1950.10.19(土)平 壌一番乗りを果たした。 はくぜんよう 『 若 き 将 軍 の 朝 鮮 戦 争 - 白 善 燁 回 顧 録 - 2000.5.30 草 思 社 』 等 に よ る 将 軍の経歴は、 1920.11.23 1927. 4. 1934. 3. . 4. ピョンアンナムド カ ン ソ ゲ ン カンソミョン ト ク フ ン リ ピョンヤん 平安南道江西郡江西面徳興里(平 壌の南西)に生れる。 ピョンヤん 平 壌の国民学校入学 ピョンヤん 平 壌の国民学校卒業 ピョンヤん 平 壌師範学校尋常科[五年制]入学 ( 日 本 民 族 10 人 ・ 朝 鮮 民 族 9 人 ) 1939. 3. 1940. . ピョンヤん 平 壌師範学校尋常科[五年制]卒業 ほうてん 満 州 国 [ 人 口 3 000 万 人 ・ 軍 隊 10 万 人 ] 奉 天 軍 官 学 校 入 校 プージェ 生徒隊長(皇弟)溥傑 1941.12.30 満州国奉天軍官学校卒業(第九期生) トオチン ~ 満 州 国 軍 歩 兵 第 二 十 八 連 隊 見 習 士 官 at宝 清 1942. . 1943. 2. ジ ャ ム ス ~ 満 州 国 軍 新 兵 訓 練 所 小 隊 長 at佳 木 斯 かんとう イェンピァン ~ 満 州 国 軍 間 島 特 設 隊 at 間 島 省 ( 現 在 の 中 国 延 辺 朝 鮮 族 自 治 区 ) 主任務;潜入・破壊工作、 - 19 - 従任務;抗日ゲリラ討伐 みんぺい 民弊防止を徹底させて民衆を味方に就ける事が鍵である。 対ゲリラ戦で最も効果的な戦法は、待ち伏せ攻撃であるの で 、強 い 使 命 感・忍 耐 力 で 待 ち 、高 い 射 撃 規 律・射 撃 技 倆 で 攻撃し、優れた体力・気力で残敵を連続追跡するとよい。 {対ゲリラ戦の戦訓} 1945. 3. . 9.下 イェンチー ~ 満 州 国 軍 国 境 監 視 隊 at 延 吉 [陸軍中尉] イェンチー ピョンヤん 延 吉 を 8.20 に 発 ち 徒 歩 8 0 0 Km・ 野 宿 1 ヶ 月 で 平 壌 に 帰 還 キムイルソン .10. 朝鮮民族運動家チョ.マンシク事務所で金日成と会う機会あり .12.上 ソ連軍の傀儡として朝鮮共産党北部朝鮮分局の金日成(ソ連軍大 かいらい キムイルソン 尉キム.ソンジュ)が北朝鮮の実権掌握 .12.25 1946. 2.26 ピョンヤン 平 壌 を 汽 車 で 発 ち 徒 歩 で 3 8 度 線 を 越 え て ソ ウ ル 着 12.29 国 防 警 備 隊 に 入 隊 し て 警 備 隊 中 尉 ( *2 5 歳 ) に 任 官 第五連隊A中隊長を拝命 . 9. ~第五連隊第一大隊長 プ サ ン 1947. 1. 1~ 第 五 連 隊 長 at釜 山 [警備隊中佐] .12. 1~ 第 三 旅 団 司 令 部 参 謀 長 at 釜 山 治 安 回 復 作 戦 の 要 諦 は 、第 一 撃 に 全 力 を 投 入 し て 不 穏 分 子 そうじょう を圧倒してしまう事である。 {済州島大騒 擾の戦訓} 1948. 4.11~ 国 防 警 備 隊 総 司 令 部 ( 独 立 後 の 陸 軍 本 部 ) 情 報 局 長 at ソ ウ ル ヨ ス 新 編 さ れ た 第 十 四 連 隊( at麗 水 )に は 、厄 介 者 と し て 転 属 さ せ ら れ た 既 存 連 隊 の 不 満 分 子・左 傾 分 子 及 び 志 願 転 属 し た 朝 鮮 共 産 党 の 軍 内 細 胞 が 集 ま る こ と と な り 、編 成 道 義 が 守 ら れなかった。 {第十四連隊反乱の戦訓} しゅくぐん パクチョンヒ 粛 軍 で 検 挙 さ れ た 陸 軍 本 部 作 戦 教 育 局 朴 正 煕[ 1917- 1979 帝 国陸軍士官学校57期卒~朝鮮共産党幹部~韓国第五代大統 パクチョンヒ 領]課長を助命上申する。朴正煕少佐が刑執行停止・除隊とな ったので文官として陸軍本部情報局戦闘情報課に勤務させる。 イ ス ン マ ン . 8.15 大 韓 民 国 ( 初 代 大 統 領 李 承 晩 [ 1875- 1965] 博 士 ) の 成 立 .11. 陸 軍 大 佐 ( *2 8 歳 ) 1949. 6.29 米軍の韓国撤退 クワンジュ . 7.30~ 第 五 師 団 長 at 光 州 - 20 - しゅうらん チ リ サ ン ゲリラ討伐作戦の神髄は民心 収 攬 である。智異山共産ゲリラ がいかく 討伐作戦要領は、まず山頂の拠点を占領し、外郭を包囲して情 かくらん 報・食料を遮断し、包囲網の中に攪乱部隊を入れてゲリラ移動 せんめつ を封止し、待伏せ戦法で攻撃し、連続追跡で殲滅する。 1950. 4.23~ 第 一 師 団 長 [ 9 7 1 5 名 : 3 箇 歩 兵 連 隊 ・ 1 箇 砲 兵 大 隊 ス セ ク ・ 1 箇 工 兵 大 隊 ] at水 色 ( ソ ウ ル 近 郊 ) サンパルソン 任 務 ; 三 八 線 ( 9 0 Km 正 面 ) の 監 視 ・ 確 保 ユ ギ オ 六 二 五 [1950.6.25( 日 ) 0400i]奇 襲 前 ●6.10付の人事異動・隷属替え・部隊移動で準備不足 ●高級将校が学校入学・海外留学・海外視察で部隊を留守 ● 6.11 か ら の 警 戒 待 機 が 6.23.2400i 解 除 さ れ 外 泊 休 暇 許 可 ヨンサン ●6.24(土)陸軍参謀総長主催龍山将校クラブ開所式 . 7.25 陸 軍 准 将 ( *2 9 歳 ) 1951. 4. 6~ 第 一 軍 団 長 [ 2 箇 師 団 ・ 1 箇 野 戦 工 兵 団 ] キムペクイル (★悪天候で搭乗機墜落死亡の金白一第一軍団長の後任★) . 4.15 陸 軍 少 将 ( *3 0 歳 ) . 7.10~ 9. ケ ソ ン 兼 休 戦 会 談 韓 国 軍 代 表 at開 城 / 東 京 .11.16~ 野 戦 戦 闘 司 令 部 司 令 官 テジョン 大田以南に戒厳令を宣布して共産ゲリラ討伐作戦を行なう。 1952. 1.12 陸 軍 中 将 ( *3 1 歳 ) . 4. 5~ 第 二 軍 団 長 [ 3 箇 師 団 ・ 1 箇 軍 団 砲 兵 ・ 1 箇 軍 団 工 兵 ] テ グ ゥ . 7.23~ 第 七 代 参 謀 総 長 兼 戒 厳 司 令 官 at大 邸 1953. 1.31 ⇒師団増設計画 陸 軍 大 将 ( 韓 国 で 最 初 *3 2 歳 ) . 7.27 朝鮮戦争休戦 .10. 1 韓米相互防衛条約締結 ウォンジュ 1954. 2.14~ 初 代 第 一 野 戦 軍 司 令 官 [ 第 1 ・ 2 ・ 3 ・ 5 軍 団 ] at 原 州 1957. 5.18~ 第 十 代 参 謀 総 長 at ソ ウ ル ⇒韓国軍の近代化 1959. 2.23~ 連 合 参 謀 会 議 議 長 at ソ ウ ル 1960. 4.27 イ ス ン マ ン 李承晩大統領の退陣 . 5.31~ 予 備 役 ( *3 9 歳 ) . 7.15~ 駐 中 華 民 国 大 使 1961. 7. 4~ 駐 フ ラ ン ス 大 使 ☛蒋介石総統・宋美齢夫人 ☛ドゴール大統領 - 21 - ☛フランコ総統 兼駐スペイン大使 1965. 7.12~ 駐 カ ナ ダ 大 使 1969.10.21~ 1971. 1.25 交 通 部 長 官 at ソ ウ ル 日 本 航 空 よ ど 号 ハ イ ジ ャ ッ ク 事 件 ⇨⇨⇨⇨⇨ソ ウ ル 地 下 鉄 建 設 チュンジュ 1971. 6. ~ 1973. 3. 国策会社・忠 州肥料㈱社長 1973. 4. ~ 1980. 3. 国策会社・韓国綜合化学工業㈱社長 1980. 4. ~ 19 六 二 五 戦 争 紀 念 事 業 の 企 画 ・ 準 備 ・ 実 行 at ソ ウ ル 1990. . ~ 1995. . . . ユ ギ オ 韓 国 戦 争 紀 念 館 館 長 at ソ ウ ル 日本国勲一等瑞宝章を受章 2001.12.12( 水 ) 1 8 0 0 ~ 2 0 0 0 at 明 治 記 念 館 ペクソニョップ 海幹校AC学生・陸幹校AC学生共催白善燁将軍を囲む会 ま こ ま な い 2003.11.25~ 27 陸 上 自 衛 隊 第 7 師 団 ( 東 千 歳 )・ 第 1 1 師 団 ( 真 駒 内 ) ・第2師団(旭川)で講演 である。 ペクソニョップ 私が防衛研究所一般課程研修員の時、訪日中の白善燁将軍は、我が韓国研修 団のために帰国され、1989.6.28(水)1930~2130在韓日本 国大使主催の防衛研究所第36期一般課程研修員韓国研修団歓迎晩餐会に出席 されて、回想録『軍と私』などについて話された。そして、1989.6.2 ペク 9(木)1300~1715、韓国研修団のマイクロバスに同乗された白将軍 タ ブ ド ン は「多冨洞戦跡」現地戦術教育の一環として、戦闘状況について説明されると ペク じか うかが と も に 研 修 員 の 質 問 に 懇 切 に 答 え ら れ た 。こ の 時 、私 が 白 将 軍 か ら 直 に 伺 っ た 戦訓は次のとおりである。 1 共同の極意 い く さ (1)この戦争は韓国の戦争であるので、韓国軍がより危険な所(死地)に みずか と 跳 び 込 ん で 連 合 軍 よ り も 働 き 、自 ら の 国 は 自 ら 身 命 を 賭 し て 守 る 気 概 を 行動で示す。 (2)国連軍各国の文化・伝統・制度の相違をお互いに認めて尊重し、その ち え 相違から発生する諸問題を解決する智慧を発揮する。 ex.3 時 に な る と テ ィ ー タ イ ム の た め 砲 撃 を 中 止 す る 英 軍 砲 兵 隊 ex.夜 に な る と ス テ ー キ タ イ ム の た め 進 撃 を 停 止 す る 米 軍 戦 車 隊 ち え その智慧とは、有言実行など誠意ある行動をとる事、怒らない事及び 上級司令部の指示は多少無理してでも受入れて文句を言わない事であ - 22 - へ た る 。( 帝 国 陸 軍 は 現 地 軍 を 育 て て 使 い こ な す こ と に か け て 下 手 だ っ た 。) じょうず わか 米軍は共同作戦の上手な軍隊であり、英語があまり判らなくとも大き まか な問題はないが、現地軍が約束を守らなかったり他人任せの行動をした と り体面から高飛車な態度を執ったりすると、信用はなくなるうえに調整 も出来ず、結局のところ米軍の支援を受けられなくなってしまう。 すけ と ( 3 ) 韓 国 陸 軍 第 1 師 団 は 、「 助 っ 人 の 国 連 軍 将 兵 は 、 快 適 な 生 活 等 で 優 遇 されて気持ちよく働き、出来る事なら五体満足で帰国してもらいたい」 という心構えで、配属された外国部隊を大切にする(米砲兵の護衛中隊 / 米 戦 車 兵 の 夜 間 警 備 中 隊 etc . ) と と も に 、 自 ら が 精 強 で 在 り 続 け る 。 2 死生観とは、職業意識と責任意識である。 3 戦争は、指揮官どうしの辛抱競べに外ならぬ。頑張っておれば、いつか い く さ しんぼうくら おとず ほか が ん ば しんぼう しんぼう は 戦 機 が 訪 れ る 。辛 抱 に 負 け た 方 が 敗 北 を 自 認 し 、辛 抱 強 か っ た 方 が 戦 場 しんぼう しんぼう に残る。そこで、指揮官は誰よりも辛抱強くて辛抱する念力がなければな た しの た らぬ。堪え忍ぶ力こそ、戦勝の原動力である。つまり戦闘においては、堪 た えて堪えて最後の瞬間まで戦うという敢闘精神を持つ者の頭上にのみ、勝 利の栄光が輝く。 4 高級指揮官になるほど手持ち手段(例:近接航空支援)が多くて対処が 容易なものだから、困難な作戦/戦闘になればなるほど、高級指揮官は現 場に進出して陣頭指揮に徹し、その苦戦を打開すべし。 5 おとず 高 級 指 揮 官 が 第 一 線 を 訪 れ る こ と ほ ど 、戦 場 に お い て 、将 兵 に 安 心 感 を 与えて士気を高めるものはない。 スウォン ex.1950.6.29 羽 田 か ら 水 原 へ 飛 来 し た 米 国 極 東 軍 総 司 令 官 マ ッ カ ー サ ヨ ン ド ン ポ ー 元 帥 (70 歳 )に よ る 永 登 浦 の 最 前 線 視 察 タ ブ ド ン ex.1950.8.23 米 国 陸 軍 参 謀 総 長 コ リ ン ズ 大 将 に よ る 多 冨 洞 の 最 前 線 視 察 6 予想される戦場地域は、必ず事前に現地視察をして、自分の目で確かめ ておく現場第一主義に徹すべし。 そし 7 上級指揮官の護衛は、臆病と謗られるほど、徹底してやるべし。 8 国内戦は、住民保護というデメリットもあるが、住民協力というメリッ タ ブ ド ン トもある。起伏の多い多冨洞地区では、村人の人力による弾薬・飲料水・ 糧食の荷揚げ及び負傷兵の後送という労役提供を受け、戦闘に専念出来た。 9 のちのち 主要構造物の爆破は必ず命令書を受領し、後々までそれを保管しておく - 23 - べし。 ハンガン ex.1950.6.28.0230i 漢 江 人 道 橋 を 爆 破 し た 工 兵 監 は 軍 法 会 議 で 銃 殺 と なる。 10 燃料パイプラインと弾薬貯蔵所は、平時から建設しておくと、戦時に極 めて便利である。 ウォンサン カンヌン ヨンイル 11 艦 上 機 の 緊 急 着 陸 飛 行 場 は 、 必 ず 確 保 し て お く 。 ex. 元 山 ・ 江 陵 ・ 延 日 12 大規模長期戦には、大量生産循環方式の教育訓練制度が必要である。 13 軍隊の命脈は軍紀にあり、外地では特に注意を要する。 6 米国陸軍中佐ハロルドGムーアのベトナム戦争出征に際し訓示 ・1922年に生れる ・1945年に米国陸軍士官学校卒業 ・朝鮮戦争で歩兵中隊長 ・ ベ ト ナ ム 戦 争 で 歩 兵 大 隊 長( 1965.11.14- 11.16 南 ベ ト ナ ム 中 央 高 地 イ ア ド ラ ン 谷 の 戦 闘 ☛ 1 9 9 2 年 出 版 『 WE WERE SOLDIERS ONCE...AND YOUNG』 / 2 0 0 2 年 映 画 「 ワ ン ス & フ ォ ー エ バ ー 」) そして旅団長 ・1977年に陸軍中将で退役 ベトナム戦争出征に際し、第1大隊(とその家族)に訓示 1965年8月フォートベニングにて 米国陸軍第7航空騎兵連隊第1大隊長 陸軍中佐ハロルドGムーア 我々はもうすぐ死の影の谷へ向かう。そこでは同胞として、君が隣の者の背 後を、隣の者が君の背後を、守ることとなる。そんな時、肌の色や宗教の違い なんぞ関係ない。皆、家を離れるが、我々が行った先が我々の家だ。 我々は、頑強で自信に満ちた敵と戦うため、出征する。私は「全員を祖国に 生還させる」と約束する事が出来ない。しかし、諸君と神の前で、私はこれだ けは誓う。 「 我 々 が 戦 い に 臨 ん だ 時 、私 は 戦 場 に 踏 み 出 す 最 初 の 者 と な り 、私 は ひ だれ 戦場から退く最後の者となろう。私は誰一人として戦場に置き去りにしない。 死 者 も 生 者 も 我 々 は 全 員 そ ろ っ て ア メ リ カ へ 帰 る 。」 と 。 - 24 - 第3章 峠からの指揮官像 by 第 2 護 衛 隊 群 司 令 [ 1995.12.15~ 1997.7.1] 牧 本 将 補 あらゆる事態に即応して任務を完遂し得る態勢を充実し、名実ともに体力の ある精強な部隊を錬成するためには、積極的に作為された複合脅威下における 訓練環境等を通じ、あらゆる不測事態を想定し、現有装備の全能発揮・全幅活 用により、実際的(洋上における機関銃射撃及び内火艇による武装立入検査隊 乗船を演練) ・実 戦 的( 訓 練 艦 に 秘 の シ ナ リ オ に 従 っ て 実 目 標 / 疑 似 目 標 を 使 用 し長時間に亘り何が生起するのか判らない緊張を強いて各種戦の緊急対処を演 練)な厳しい訓練の精到による修羅場の疑似体験しかないことは言うまでもな ち え い。智慧も出さず工夫もせず、ヒト不足・モノ不足・カネ不足などを言い訳に きた おとしい し て 安 易 に 流 れ て い る と 、来 り つ つ あ る 防 衛 力 運 用 の 時 代 に 、部 隊 を 危 険 に 陥 さら れて恥を古今東西に晒しかねない。 訓練精到の必須を自覚し修羅場の疑似体験を主体的に心技体で会得した精 強な八艦八機(1DDH・2DDG・5DD・8HS/兵員2000名)の第 2護衛隊群(定係港;佐世保)を形作るのは個々の乗組員・搭乗員である。そ きょうじん こ で 、士 気 旺 盛 に し て 心 身 と も に 健 康 か つ 強 靭 な 護 衛 艦 乗 組 員 ・ 艦 載 機 搭 乗 員 も く と の育成を図ることを目途に、服務指導に当たっては、艦内生活とともに上陸中 かんよう の個人生活の充実にも十分配慮しつつ、健全な社会人としての資質の涵養に努 しつけ め さ せ る 必 要 が あ る 。そ し て 、武 人 船 乗 り / 武 人 飛 行 機 乗 り と し て の 躾 教 育 の 徹底及び護衛艦/航空機運航等に係わる基礎的技能の向上を図り、ファイティ てんくうかいかつ ン グ シ ー マ ン シ ッ プ の 育 成 に 努 め る と と も に 、“ 天 空 海 闊 の 心 で ネ ア カ ・ ノ ビ や ノビ・ヘコタレズ、上意下達・下意上達で当たり前のことを当たり前に遣る” 隊風を醸成しなければならない。 かんしょう そ の 隊 風 を 醸 成 す る の は 指 揮 官 で あ る 。現 状 を 観 照 す る と 、 坂 の 上 の 雲 を 見 ながらひたすら登ってきた海上自衛隊にとって、今や一つの峠にさしかかった こわもて し っ た ところである。峠までの指揮官は強面で部下を叱咤激励すればそれだけで成果 が上がったものである。それは「勇将の下に弱卒なし」を地でいけた時代だっ たからでもある。しかし、価値観が多様化して怒られつけていない世代が主流 つと になることと相俟って、峠からの指揮官はそれだけでは勤まらないであろう。 それは、複雑化・多様化・分散化・広域化・無構造化した、全方位・不特定の 不透明・不確実という懸念/危険/脅威に対応/対処しなければならないから である。峠からの指揮官には、少なくとも温顔で高感度・高安定・高淡白な人 - 25 - 格及び長期的先見性・短期的指導性のある資質が要求されるものと思料する。 ある ◇ よ 候補生には良質の、或いは少なくとも感じの好い者が大勢いるのに、良質 の海尉はもっと少ないし、良質の艦長は更にもっと少なくて、良質の提督と な る と ゼ ロ に 等 し い 。そ の 理 由 は 、“ 海 軍 士 官 に は 、職 業 上 の 手 腕 、喜 ん で 甘 受 で き る 性 格 、優 れ た 人 格 、生 れ つ き の 威 信 及 び 其 の 他 諸 々 の 美 徳 に 加 え て 、 権力行使の習慣化から生じる悪い影響すなわち人間性を失わせるような影響 きしょう に 抵 抗 す る と い う 更 に 遥 か に 稀 少 な 免 疫 性 の 資 質 が な け れ ば な ら な い 。” の ほとん に、 殆 どの海軍士官がそうした免疫性の資質を有しないからである。権力は もと 人間性を弱める素だ。其の上、海軍の特質から考えると、そうした免疫性の 資質は後にならなければ探知できない。しかし、存在している事は確かだ。 きしょう たぐ まれ そうでなければ、稀少では在るが全人的な類い稀な提督たち、例えばダンカ ンやネルソンのような典型をどう説明すればいいのか! [パトリック.オブライアン著『特命航海、嵐のインド洋』から、 英国海軍フリゲート「サープライズ」軍医 ○ スティーブン.マチュリン ] 海軍訓令に在る活字の海軍及び洋上に在る現実の海軍との間には、大変な 違いが有る事が証明されている。 [パトリック.オブライアン著『攻略せよ、要衝モーリシャス』から] ○ 海軍では、エンジニアリングについて学ぶべきことがあまりにも多く、リ ーダーシップについては充分に学べない。そこで、大抵の艦長はその時々の 理想の指揮官像に合致さすべく自分自身を変えていく。 [トム.クランシー著『恐怖の総和』から] ○ 自分一人で何もかも知ることは出来ないんだから、私は他人の話に耳を傾 けるんだ。 [トム.クランシー著『恐怖の総和』から、 米 国 潜 水 戦 隊 司 令 官 海 軍 大 佐 バ ー ト ロ メ オ .マ ン キ ュ ー ソ ] ◇ 上官を感心させる方法は沢山ありますが、乗組員をそうさせる方法は一つ し か あ り ま せ ん 。[ ト ム . ク ラ ン シ ー 著 『 恐 怖 の 総 和 』 か ら 、 元 米 国 S S N「 ダ ラ ス 」ソ ナ ー 員 ロ ナ ル ド .ジ ョ ー ン ズ 博 士 ] × し 人格の一端に、不必要な緊張を部下に強いるような面があるので、部下が いしゅく 萎縮してその能力を十分に引き出せない。 × やみくも 部下の現状を把握もせずして、闇雲に厳しすぎ、要求が多すぎ、なかなか こんぱい 満足しないので、部下が疲労困憊してその能力を十分に発揮できない。 - 26 - 各種オペレーションには、工夫・アイデア・改善といった小さな現場学習が 重要であり、その積重ねが実戦体験である。リーダーシップとは重要事項は何 なのかを決める事であり、マネージメントとは重要事項から優先して遣る事で ある。これ等が出来る事を“常識が有る”と言う。 有事といえど平素やってることしか出来ないのだから、自分の部隊をよく知 って関係令達類や守則・標語などを勉強し戦史を研究する‘学’の段階から始 め 、指 揮 能 力 向 上 を 任 務 遂 行 上 の 必 須 要 件 と と ら え C 4 I を 通 じ て 指 揮 能 力 の 範 かんよう い く さ い 囲を拡大する‘術’の段階へと進み、動物的勘を涵養して戦争に征って任務を 完遂し生きて帰れる‘芸’の段階へと精進すべし。 けんけん しょうし かんちょうきょう ささ 蹇々ながら精進している艦長に次の頌詩「 艦 長 経 」を捧げたい。 ❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖ 艦 ∞∞∞∞∞∞∞∞ 長 経 [1987.8.1 ま き ぐ も 艦 長 牧本2佐] ∞∞∞∞∞∞∞∞ ❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖ ふね どの艦にも 海上における緊急時に 他人に頼ることの出来ない 一人の男がいる 安全な航海 機関の運転 正確な射撃 そして士気に 最終責任を負うのは ただ一人 それは艦長 運に恵まれ 勘に優れ 読みが深い戦士 粋で ナイスで スマートな紳士 彼こそ ふね “艦”そのものである 確実な事など何一つない 艦長は こうばく 広漠たる大海原を この世に残された 単艦で行動する時 正に神のような存在であり ときどき 真に神のような態度が必要になる ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ - 27 - 第4章 艦長の必要条件 by 第 4 7 護 衛 隊 司 令 [ 1992. 3.23~ 1993. 7. 1] 牧 本 1 佐 1 指揮統率力 28 2 運航能力 30 3 戦術能力 30 4 戦争以外の軍事作戦(M00TW)有効遂行能力 31 5 国際法・国内法・ROEの精通活用能力 31 6 渉外能力 31 7 管理能力 32 8 先輩の教え 33 なんだいさきおくり N A V Y と は 普 遍 性 を 有 す る 文 明 で あ る 。海 洋 は 前 例 踏 襲 ・ 難 題 先 送 を 許 さ な い リ ア リ ズ ム の 支 配 す る 世 界 で あ り 、千 変 万 化 す る 海 洋 を 行 動 す る 艦 船 は 逃 げ場も隠れ場もない生命共同体である。艦長は、オールマイティであると同時 に全責任者でもある。 1 とうそつ 指揮統率力 (1)指揮官 有 事 と い え ど 平 素 や っ て る こ と し か 出 来 な い の だ か ら 、関 係 令 達 類 や 守 則・標語などを勉強し戦史を研究する‘学’の段階から始め、指揮能力向 上 を 任 務 遂 行 上 の 必 須 要 件 と と ら え C 4I を 通 じ て 指 揮 能 力 の 範 囲 を 拡 大 かんよう い く さ い す る‘ 術 ’の 段 階 へ と 進 み 、動 物 的 勘 を 涵 養 し て 戦 争 に 征 っ て 任 務 を 完 遂 し生きて帰れる‘芸’の段階へと精進すべし。 『海上自衛隊作戦要務準則』にある連続情勢判断を実施する際、日本人 おちい と も 陥 り や す い 欠 点 を 提 示 す る の で 、心 に 留 め て お い て ほ し い 。そ れ は 、ガ しる イ ウ ス . ユ リ ウ ス . カ エ サ ル [BC100- BC44] が 書 き 記 し た 「 人 間 な ら ば 誰 に で も 全 て が 見 え る わ け で は な い 。多 く の 人 は 自 分 が 見 た い と 欲 す る 事 し か 見 て い な い 。」と い う こ と で あ る 。つ ま り 、 「見たくないものは見えない」 「 聞 き た く な い こ と は 聞 こ え な い 」「 期 待 し て な い 結 果 は 事 実 と 認 め た く ない」という事である。つまり、Iという原因からOという結果を期待し はず たのに、現実はXという結果が出たとする。その時、我々は「こんな筈じ ウ ソ ゃない」として、現実のXを虚構と考えて現実を無視しがちである。そし はず はず て 、「 こ ん な 筈 じ ゃ な い 」「 こ ん な 筈 じ ゃ な い 」 と 現 実 を 無 視 し 続 け 、 我 に 都合の良い結果のみに期待して、失敗の処理に失敗してしまうのである。 - 28 - おちい こ れ に 陥 ら な い 方 策 は 唯 一 つ 、我 々 日 本 人 が 失 敗 の 処 理 に 失 敗 し た 歴 史 を ち え 研究し、現実を直視する勇気と現実から出発する智慧とを磨くことである。 人は失敗することがあり、物は故障することがある。古来これが世の習 い で あ る 。 つ ま り 、 海 の 上 で も 一 時 的 失 敗 [ cf. か か る 難 局 に 直 面 し た 場 合 、 指 揮 官 は 動 揺 を 見 せ な い 図 太 い 態 度 も ま た 必 要 で あ る 。] は 避 け る こ から とができない。しかし、空頼み作戦でない限り、この一時的失敗で戦闘に 敗 北 す る こ と は な い 。戦 闘 に 敗 北 す る の は 、失 敗 の 処 理 に 失 敗 す る か ら で ある。即ち、失敗の処理に成功すれば傷口が局限され、失敗の処理に失敗 すれば傷口が拡大して致命傷になるのである。 よって、日常の業務や訓練等における各種の不測事態をあらかじめ予測 しておき、その対処計画を綿密に準備し、繰り返し繰り返し演練すること で あ る 。そ し て 、訓 練・演 習 は 失 敗 を 体 験 す る 為 に 行 な わ れ る も の と 知 り 、 よろ 訓練や演習で失敗を体験すると宜しい。それでも各種小失敗は生起するの げき で、この小失敗を改善・変革の檄として、各種小失敗を克服して更に強い 部隊に脱皮させる。こういう積重ねが、任務完遂の‘強い艦長とタフな乗 員’に成長させていくのだ。 とうそつ (2)統率者 ぎょうし リ ー ダ ー シ ッ プ と は 、最 善 観 を も っ て 美 点 を 凝 視 し て“ 部 下 に 自 信 を 注 入すること”に他ならない。その自信は、部下が「個人として認められて うなが い る 」と い う 自 覚 を 促 し 、部 下 と し て 誇 り あ る 自 制 を も た ら す こ と に も な しか る 。( 人 格 に 問 題 の あ る リ ー ダ ー は 、 叱 り 方 に 問 題 が あ り 、 感 情 的 で あ る うえに他人の言を聞かない!)部下統率の出発点は修身涵徳と身上把握に ある。大いに人間に対する興味を持ち、身上把握を服務事故防止の為の管 理としてでなく戦場で勝利を得る為の統率として実践されたい。 また、リーダーシップとは重要事項は何なのかを決める事であり、マネ や ージメントとは重要事項から優先して遣る事である。これ等が出来る事を “常識が有る”と言う。 〈参考図書〉 あ の 安能務著『春秋戦国志』 講談社文庫 1992年 指揮統率の対象は人間である。中国四千年史のなかで、国家形態の原型 が造られて中国故事名言の九割以上を産んだとされる春秋戦国時代を研 あら も う ら 究すれば、人間の凡ゆる類型を網羅出来る。 〈参考図書〉 じょうがんせいよう 山本七平著『帝王学-貞観政要の読み方-』 - 29 - 文春文庫 1990年 唐 の 第 2 代 皇 帝 ( 626- 649)太 宗 [ 李 世 民 598- 649]が 群 臣 と 政 治 上 の ようてい じょうがんせいよう 得失を問答した言を集録し治道の要諦を説いた書『貞観政要』を、組織と 個人の問題として考察してある。 〈参考図書〉 ひ つ け 池波正太郎著『鬼平犯科帳』 文春文庫 1974年 あらため 火付盗賊 改 の長谷川平蔵は義理も人情も心得た統率者である。 2 運航能力 船乗りは、大自然に直接向き合う、現代で数少ない職業の一つである。こ の大自然の中で生き抜くためには、細心かつ大胆でなければならない。まし ふ な の て 、船 乗 り & 戦 士 た る 我 々 に お い て お や 。そ こ で 、海 上 生 活 者( 真 の 船 乗 り ・ くろうと 海の玄人)の原点に立ち返るべし。 い さ さ か 婆 心 を も っ て 付 け 足 せ ば 、 応 用 的 運 航 技 能 を 修 得 す る 場 合 、「 相 手 船 は 非 合 理 的 に 動 く 事 が あ る( * 航 海 術 科 訓 練 装 置 N A T で は 相 手 船 は 必 ず合理的に動く!)ことを勘案して当方は運動する」という癖を付けるとと かな よろ も に 、“ 理 に 適 っ た 強 気 の 操 艦 ” を 心 掛 け る と 宜 し い 。 〈参考図書〉 パ ト リ ッ ク .オ ブ ラ イ ア ン 著『 攻 略 せ よ 、要 衝 モ ー リ シ ャ ス 』 ハヤカワ文庫 2004年 り く つ 人 命 の 価 値 に つ い て は 、理 屈 で 過 大 評 価 し て は い な い だ ろ う か 。何 し ろ き う た め ら 現実には、斬り込んで来た相手をピストルで撃つのを一瞬でも躊躇った り 、後 で 考 え 直 し た り す る 者 は 、こ の 中 に 一 人 も い な い 筈 だ 。更 に 言 え ば 、 ふね わざわざ 我々の艦は出来るだけ多くの敵を来世へ吹き飛ばす為に態々造られてい る。これは厳しい勤めだし、厳しい規律が必要だ。 将 官 達 に は 、何 か が 取 り 付 く ら し い 。そ の 何 か の せ い で 、人 前 で 立 ち 上 しゃべ が っ て 長 々 と 時 間 を か け て 喋 り 、そ の 間 に も っ と 長 い 間 合 い を 取 っ た り も するようだ。 コ モ ド ー [英国海軍戦隊司令官兼大型フリゲート艦長ジャック.オーブリー] 3 戦術能力 アラン.ドロン主演の『怪傑Zoro』という映画があった。縦横無尽に 活躍するZoroとは、カリブ海地方の言葉で「黒い狐の精霊」のことであ ち え る。狐のような智慧を持って、環境を自分の庭とし、新しい戦術を次から次 ほんろう へと繰り出して、敵を翻弄すべし。そして、自艦は沈まないで母港に帰投す ることが出来る。 - 30 - 〈参考図書〉 池波正太郎著『真田太平記』 ぐんゆう かっきょ れ い り ふる 群雄割拠する戦国の世に怜悧な頭脳と強引な腕力を振って領地の拡大 のぼ に 努 め た 真 田 昌 幸 と そ の 次 男 の 真 田 幸 村 は 、信 州 上 田 城 で 、中 仙 道 を 上 る わず 徳 川 秀 忠 の 第 二 軍 四 万 を 僅 か 千 余 の 手 勢 で 釘 付 け に し て 、関 ヶ 原 の 決 戦 に いくさこうしゃ 間 に 合 わ な く さ せ た 。正 に 、老 練 な 戦 巧 者 の 面 目 躍 如 と い う 場 面 で あ っ た 。 さな だ こういう真田家の盛衰の物語である。 4 戦 争 以 外 の 軍 事 作 戦 ( M 0 0 T W = Military Operation Other Than War) 有効遂行能力 単艦で海外へ派遣されて平時から危機時に係る任務を完遂し、自艦も乗員 も五体満足で母港に無事帰投することが出来る。 5 国際法・国内法・ROEの精通活用能力 国 際 法 規 ・ 国 内 法 令 ・ 関 係 規 則 類 ・ 部 隊 行 動 規 定 ( R O E = Rule Of Engagement) に 精 通 し て 、 自 ら が 実 施 す る 作 戦 の 合 法 性 に つ い て 細 心 の 注 意 を 払 う の は 当 然 と し て 、我 が 行 動 の 正 当 性 を 主 張 で き 、相 手 の 不 法 性 を 立 証 できる。 6 渉外能力 (1)会見 艦長は世界の海軍に習い、戦闘指揮官としてだけでなく、外交官や民政 官としての知識・技能も有すべし。単艦で海外へ行って任務を果たし帰投 な してから記者会見を為さねばならない場合から、単艦で総監部等の所在し ない地区に入港して表敬訪問・記者会見を果たさなければならない場合ま で、大小各種のケースが考えられる。 (2)広報 訓練であれ、実オペレーションであれ、その成否を左右するほど広報は 重要であることを銘記すべし。マスコミに海上自衛隊のグッドイメージを 報道してもらうため、また海自隊員以外の人に海上自衛隊の良さを理解し みょうてい ひ と み て も ら う た め 、「 広 報 の 妙 諦 は 、 人 間 を 観 せ 、 好 印 象 を 与 え る こ と 」 と 心 得なければならない。 し こ う (3)伺候 上級指揮官は即応・安全・情報・保全・人事・後方・広報・対外影響な どに第一義的関心を有しているので、艦長は上級指揮官のもとへ積極的に - 31 - し こ う 伺候すべきである。 7 管理能力 管 理 と は 、“ 機 会 損 失 の 減 少 を 図 る こ と ” を い う 。 カ エ サ ル [BC100- BC44] の 言 う 「 上 に 立 て ば 立 つ ほ ど 言 行 の 自 由 は 制 限 さ か し れ ざ る を 得 な い 。」 を 噛 み 締 め て 、 ま ず 自 分 自 身 を 自 己 管 理 す べ し 。 業務管理、安全管理、秘密管理、応饗管理及び健康管理を適正に実施する こ と に よ っ て 、“ ネ ア カ ・ ノ ビ ノ ビ ・ ヘ コ タ レ ズ 、 当 た り 前 の 事 を 当 た り 前 や じょうせい い つ ど こ い か に 遣 る 艦 風 ”を 醸 成 し て 何 時 で も 何 処 で も 如 何 な る 事 態 に も 即 応 し て 任 務 を や 完 遂 し 得 る 精 強 な 護 衛 艦「 □ □ □ □ 」を 錬 成 し 維 持 す る と と も に 、乗 員 が‘ 遣 が い こと り 甲 斐 ’ を 感 ず る こ と の で き る 艦 務 運 営 に 努 め 、“ 吾 、 事 に お い て 後 悔 せ ず ” の心境に達すべし。それが、上司/先輩には安心され、同僚/同輩には信じ した られ、部下/後輩には慕われる艦長/指揮官へ至る道である。 (1)精強・即応 海上自衛隊の標語「精強・即応」は、精神的規定であって、数値化され た具体的規定でない。 も し 、‘ 精 強 ’ に 数 値 化 さ れ た 具 体 的 規 定 が あ る と し た ら 、‘ 精 強 ’ は 、 探知率・撃破率・残存率に比例し、服務事故率・装備品故障率・艦船航空 事故率に反比例する。 も し 、‘ 即 応 ’ に 数 値 化 さ れ た 具 体 的 規 定 が あ る と し た ら 、‘ 即 応 ’ は 、 可動率に比例し、事象生起から事象対応までのリアクションタイムに反比 例する。しかし、準備の法令的根拠・予算上裏付けが未定の状況下で突っ 走 る こ と は 、‘ 即 応 ’ の 対 象 外 で あ る 。 (2)艦務運営 月曜朝刊の週間内外予定や防衛庁・自衛隊ホームページを確認し、艦務 運営を修正して国内外の情況に適応する。艦務運営は、我・敵・環境とい う複雑系世界の中で各々の変化にどう適応するかで、その成否が分かれる ところである。よって、刻々変化する環境を読み解くためにも、月曜朝刊 の週間内外予定などに眼を通して国内外情勢把握の一助とすべし。 (3)日常業務 ア こと ため “吾、事において後悔せず”の心境に達す為には、まず艦長自身が先 任海曹室・各居住区・各職場を毎日廻って艦内現場の掌握、部下身上の 把握及び艦内情報の共有を図り、士官室食事後の雑談指導を継承するこ - 32 - とである。因みに、指導とは刑法等に触れる犯罪を対象とせず! イ 演 習 だ け で な く 日 常 業 務 に も 、『 海 上 自 衛 隊 作 戦 要 務 準 則 』 と Hot Wash-up を 適 用 す る 。 ウ 艦内業務・艦上作業の安全手順標準化 ありとあらゆる艦内業務や艦上作業の安全を図るため、各艦内業務や 各艦上作業の諸手順を標準化して『艦内業務標準・艦上作業標準 ( Standard Working Procedures)』 を 策 定 し 、 運 動 力 の 無 い 若 年 者 及 び にぶ 運動力の鈍った中年者を守る。 但 し 、策 定 に つ い て は 、 「 ① 他 艦・他 部 隊 と 情 報 交 換 し て 艦 内 業 務・艦 上作業の項目選定、②㈶水交会の海上自衛隊OB会員による起案、③海 上訓練指導隊群による確認、④タイプコマンダーによる策定」方式が無 難であろう。 〈参考図書〉 パトリック.オブライアン著『勅任艦長への航海』 ハヤカワ文庫 2003年 船 乗 り は 、他 職 業 に 比 し 、社 会 生 活 に 不 適 合 で あ る 。そ の 理 由 は 、船 乗 あ り 本 来 の 生 活 環 境 で あ る 洋 上 に 在 る 時 、船 乗 り は 現 在 と い う 世 界 し か 無 く な う 現 在 に し か 生 き ら れ な い か ら で あ る 。船 乗 り は 過 去 に つ い て 為 し 得 る 事 は 何一つない。また、絶大な力を持つ気まぐれな大海原と天候を考えれば、 な う ちな 未 来 に つ い て も 船 乗 り に 為 し 得 る 事 は 極 め て 限 ら れ て い る 。因 み に 、水 兵 む し り ょ あ たちの無思慮な態度の元凶もここに在る。 そ え ん そして、海水と距離は愛を洗い流すので、社会と益々疎遠になる。 8 先輩の教え ❀昭 和 5 3 . 1 2 . 1 「私 の 指 揮 官 前海幕長 十 海 将 (Rtd.)中 村 悌 次 戒」 1 指揮官としての責任感に徹せよ 2 私心を去れ 3 目的を見つめよ 4 指揮官は決心するために存在する 5 指揮官は剛毅たらざるべからず 6 厳にして慈あるべし 7 健全な軍事判断力を持て 8 柔軟性を忘れるな - 33 - 9 謙虚たれ つか 10 タイミングのセンスを掴め ❂昭 和 6 2 . 6 . 1 2 「艦 長 の わ 心 護衛艦隊司令官 海将 小西 岑生 得」 まま 1 我が儘をいうな 2 意見をよく聴け 3 私心を持つな 欲は少なめに、 先憂後楽、 4 明白な意図を示せ 5 信念を持った部下指導 おもね 人の好き嫌いは程々に く ち やかま 阿 るべからず、口 喧 しいと言われるぐらいでちょうどよい 6 部下よりも勉強 7 体力の錬磨 8 固定観念に囚われるな とら ❂昭 和 6 2 . 6 . 2 5 「艦 長 1 の 心 開発指導隊群司令 将補 白石 洋介 得」 部下統率 o 誠意;部下と共に汗を流す コミュニケーションの機会を積極的に持つ o 2 節 ;和して同ぜず(原理原則を曲げない!) 指揮官の判断 o ファーストインスピレーションが正しい o 迷ったら、自分の苦しい方を採用すべし 3 幹部への指導 o 一般常識と読書 o Seaman の 心 得 と N a v y の 伝 統 ❂昭 和 6 3 . 8 . 1 3 「指 揮 官 心 佐世保地方総監 海将 佐久間 一 得」 そ つ う 1 上意下達・意思疎通の環境 ◇ イエスマンをつくるな ○ 次席は、指揮官と異なるアプローチで問題を確認し、 判決をチェックすべし - 34 - しか 部下指導は厳しく、怒らないで叱るべし 2 ● 教えざるの罪 3 私心を去って、誠実に自己の任務を果たすべし 4 操艦は見取り稽古 ○ 見た目に派手な操艦よりも、淡々とした枯れた(いつ出港した のか、いつ入港したのか判らない)操艦 5 訓練と安全は、緊張とリズムとで両立 だ こ う ◇ 緊 張 :ex.夜 間 無 灯 火 単 縦 陣 3 0 0 yd2 4 kt で 蛇 行 運 動 訓 練 ◇ リ ズ ム : ex. 訓 練 2 箇 月 と 休 養 2 週 間 ex. 2 4 kt で 帰 投 す る も 、 港 外 で 1 2 kt に 減 速 し て 低 速 航 行 の 勘 を 戻 す ❂昭 和 6 3 . 1 . 1 「指 揮 官 心 第21護衛隊司令 1佐 大熊 康之 得」 1 目標(所望結果)の確定 2 情報収集のための積極的な伺候 3 意見具申を求め、多数の代替案について科学的に検討 4 オペレーションとトラブルには初動全力 5 通信系の確保と航空機の活用 6 適合性は、可能性に優先 7 経営者の意識と気概 8 クィックリアクションは禁物、方針の頻繁な変更なきよう「一呼吸 し こ う ひんぱん 待て」の精神 9 トラブル生起時、最悪事態発展への配慮及び速やかな再発防止措置 10 任務付与時における基本的留意事項の確達 11 保安について 些 かでも懸念あらば、断じて「止め」 12 リスクを冒しても敢行すべき事項か否かの覚めた判断 13 異常事項・要注意事項等に気付いた場合は、迷わず指示 14 専門的判断に偏重するなかれ 15 「 現 場 」「 チ ャ ー ト 」「 時 間 の 計 算 」 は 、 必 ず 自 ら 確 認 16 司令部と個艦または艦橋とCICのダブルチェック 17 インテンションを入れたSITREPの励行 いささ おか 指揮官: さ ~する所存である。 - 35 - ~させるつもりである。 幕 18 僚: ~する必要がある。 すいこう 多角的観点からの電報起案文推敲 ( 一 呼 吸 お い て 再 読 ~“ 試 訳 お わ り 発 信 し ま す ”の 報 告 で 最 終 確 認 ) 19 迷 っ た ら INFO に 、 INFO は 十 分 条 件 20 現場における粘り 「反 省 メ モ 要 約」 1 自ら号令かけたり体育やったりして、自己を日施点検 2 部下の実態を診るべし、 徒 に高度な要求を為すべからず 3 「 安 全 」「 保 全 」「 当 直 体 制 」「 服 務 事 故 防 止 」 は 、 集 中 、 反 復 及 び み いたづら な 持続以外に王道なく、これらの教訓は即実行 4 海演・検閲等に向かっての「中期的計画」及び教育・訓練における 「重点指向」を明示 5 隊内競技における事前の雰囲気づくり 6 人 事 に 安 易 な 温 情 は 禁 物 、「 決 心 つ か ざ る 時 は 切 る 」 勇 気 7 不祥事発生時における男らしい 潔 さ 8 社会における重大ニュースへの自隊としての対応 いさぎよ ex. F F G ス タ ー ク 乗 員 の 葬 儀 の 際 、 米 艦 は 半 旗 に し て い た が 当隊はそうしていなかった。 9 ASWにおける「対潜航空機」と「デイタム」の重要性 10 Unknownの水中目標には、迷わず攻撃 11 規約・制令の十分な事前研究と部下への周知徹底 12 訓練発射(特にSPAT使用)時における「デイタムへの設標」及 び「捜索用HSの確保」 13 次 の 陣 形 ( ex. F O R M 2 0 の ス ペ ー シ ン グ 等 ) 変 換 の た め の 余 裕 を持った事前検討 14 不慣れな作業には、十分な時間的余裕と着実な準備隊形制形 15 会合・分離時における確実かつ余裕あるTACネットのモニター 16 睡 魔 を 克 服 し 、「 電 報 熟 読 」 及 び 「 在 艦 橋 ・ 在 C I C 」 17 努めて指揮官会報を開催 18 研究会等出席前に、指揮官のピリッとした所見を準備 19 広報等において来客が予想される場合、司令護衛艦へ対応要領を具 す い ま つと 体的に指示 - 36 - 第5章 第1節 其の他 第 1節 指揮官道 37 第 2節 強い指揮官 43 第 3節 幕僚は考え指揮官は感じる 45 第 4節 規律厳正・遵法精神の原点 49 第 5節 人間教育 52 第 6節 武人の頭と足に戻ろう 54 第 7節 部隊運用の要諦 57 第 8節 インド洋方面派遣部隊視察 68 第 9節 定期昇任者に対し訓示 72 指揮官道 為:米国海軍士官候補生 N aval C ommander- ship for U.S.Naval officer candidate じこしょうかい 最初に、自己紹介します。 まきもとのぶちか 自衛艦隊司令官 海将 牧本信近です。職域は水上艦で、職種は砲術・ミサイ く ま も と し ルです。私は、1946年8月に熊本市で生れ、1965年4月に防衛大学校 じ ら い に入校しました。爾来38年間、制服を着用して国旗と自衛艦旗に敬礼できる はいじゅ あ がた 栄誉を拝受してきました。何と有り難い事だと国家・国民に感謝しています。 First, I will introduce myself. I’m Vice Admiral MAKIMOTO, Nobuchika, Commander in Chief, SelfDefense Fleet, Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF). Officer and specialized in Gunnery and Missiles. I’m a Surface I was born in Kumamoto prefecture in August 1946, and entered the JAPAN National Defense Academy in April 1965. Since then, for over 38 years, I have enjoyed the privilege and honor to salute the National Flag and Naval Ensign dressed in a Military Uniform. I always appreciate the country and the nation. はっしょう 第二に、日本海軍発 祥の歴史を述べます。 ひ ゅ う が し み み つ かむやまといわれひこのみこと じ ん む 宮崎県日向市美々津の浜は、AD180年に神 日 本 磐 余 彦 尊 のちの神武 天皇 ひき ふ な で じ ん む が一族を率い大船団で船出した所として知られています。神武東征の出航地で ひ む か み み つ よないみつまさ あ る 日 向 の 美 々 津 に は 、内 閣 総 理 大 臣[ 昭 和 15.1.16 ~ 7.22] 米 内 光 政 [ 海 軍 - 37 - き ご う はっしょうのち 兵 学 校 第 29 期:1880- 1948]海 軍 大 将 の 揮 毫 に よ る「 日 本 海 軍 発 祥 之 地 」の 大 は に わ こ う き 記念碑があります。埴輪の軍船が上部に付いた大石碑は皇紀二千六百年(昭和 ほうしゅく こんりゅう 1 5 年・1 9 4 0 年 )記 念 宮 崎 県 民 奉 祝 運 動 の 一 環 と し て 建 立 さ れ た も の で す 。 Second, I will tell you about the history of the birth of the Japanese Navy. The Mimitsu beach in Hyuga-city Miyazaki prefecture,Kyushu is well known as the place where Prince Kamuyamato-iwarehiko, later first Emperor Jinmu, set sail for his Eastward expedition commanding his clan and a large convoy in 180 AD. In the Mimitsu beach, there is a large stone monument on which you can find the inscription, “The Birth Place of Japanese Navy” written by former Prime Minister, Mitsumasa YONAI, Admiral, Imperial Japanese Navy (1880 to 1948). This stone monument, which is decorated with a clay figure warship on the top, was set up as one of the first commemorating activities of Imperial Era 2600 (1940AD). 第三に、海軍士官教育の意義を述べます。 い の ち 海軍は行動(戦闘)を生命として国家に献身する組織であります。よって、 ど こ さず 何処の国の海軍でも、海軍士官候補生に授ける教育は“国難を救う一人の提督 ため こころざし ほどこ を 得 る 為 の 教 育 ”で あ る と 、自 負 し て い ま す 。か か る 高 い 志 の 教 育 を 施 さ れ いた いた だ い じ た海軍士官候補生課程の卒業生は、提督に至らずとも、国難に至らぬ大事を しゅうしゅう 収 拾 し善処出来るのであります。 Third, I will mention about the meaning of education for Naval Officers. The Navy is an organization that requires the dedication to your country with service involving combat. Consequently, any Navy of the world feels proudly that the education endowed to the naval officer candidate is the education to obtain one Admiral who would save the nation in a time of crisis. Even if all the graduates of NOCS/ROTC who have been given such high moral education are not promoted to the rank of Admiral, they still will be capable of coping with serious situations, and will be able to take the appropriate steps to not allow such situations to become national crisis. ため し き か ん ど う 第四に、強い指揮官に成熟する為の指揮官道について述べます。 かんじょう いた し き か ん ど う ようてい 国 家 の 干 城 ( Wooden Walls) へ と 至 る 指 揮 官 道 の 要 諦 は 次 の と お り で す 。 - 38 - Fourth, I will mention about the Naval commander-ship that is necessary to foster the naval officer with positive minds and inspirational leadership. The British people called the Royal Navy “Wooden walls” because wooden warships protected the country. The essence of Naval commander-ship that brings you the fine members of “Wooden walls” is as follows: 1 はな 指揮官は華となれ まわ いっきょしゅいっとうそく まわ 指揮官は常に周りから注視されているので、その一挙手一投足は周りに めいろうかったつセレーノ おうおう じ こ 大 き な 影 響 を 及 ぼ す 。よ っ て 、明 朗 闊 達 晴 朗 な 指 揮 官 は 、往 々 に し て 、自 己 おぎな あま の才能不足を 補 って余り有るのである。 1. The Naval Commander should have the air of resplendence like a beautiful flower . The military commander always becomes the center of attention of subordinates. His every word and deed are closely watched and they exert an influence to those around. Therefore, the commander with a bright, freehearted, cheerful, and pleasant personality frequently compensates for any possible lack in his ability. 2 任務に対する良心から生れる責任感 しる 指 揮 官 は 、 マ キ ア ヴ ェ ッ リ [ 1469- 1527] の 記 し た 「 天 国 に 行 く 最 も 有 ひ っ し か く ご 効な方法は地獄ヘ行く道を熟知することである」を必至の覚悟と心得て、 たんりょくれんせい きりょうかくじゅう じんかくとうや な 胆力錬成・器量拡充・人格陶冶の連続修養を為さねばならない。 ゆうきょう ひきょう 古来「 勇 怯(勇気と卑怯)の差は小さく、責任感の差は大きい」と言わ れ て き た 。 ナ ポ レ オ ン [ 1769- 1821] の 言 う “ 忠 誠 と 規 律 ” ま た は ク ラ ウ と ゼ ヴ ィ ツ [ 1780- 1831] の 説 く “ 良 心 に 対 す る 責 任 か ら 生 れ る 勇 気 ” か ら つ 生れる本当の意味での責任感こそが、戦士の心を衝き動かすのである。職 務や任務に対する良心から生れる責任感は、持って生れた性格が教育や訓 みが 練によって磨かれて確立するものである。 2. The Naval Commander should have the sense of responsibility arising from his conscience to accomplish his duties. While recognizing MACHIAVELLI’s(1) words that,“The most efficient way to the heaven is to know thoroughly the way to the hell”, the Naval commander must continue to improve himself, to build his character, to - 39 - expand his ability, and to foster his courage. Since ancient times, we have heard that the difference between valor and cowardice is small and the difference between each individual's responsibilities is large. The true sense of responsibility is recalled from NAPOLEON ’s(2) words,“Loyalty and Discipline” and from CLAUSEWITZ’ s (3) words,“Courage arises from the responsibility to the conscience”. These words struck a singular responsive chord amongst their soldiers. That is, the responsibilities evolving from the conscience to accomplish duties is established by cultivating the inborn personality through education and training. 3 もんじゅ ち え 三人寄れば文殊の智慧 もんじゅぼさつ つるぎ ち え ぼ さ つ 文殊菩薩は、 剣 を持って獅子に乗り、智慧を象徴する菩薩である。 ぼんじん ぼんじん どんなに能力の高い人でも、凡人二人の能力より高い時もあるが、凡人 ひと や みんな や 三 人 の 能 力 を 上 回 る 事 は な い 。つ ま り 、独 り で 遣 る よ り も 皆 で 遣 る ほ う が 、 なにごと な まか 何事も為し得るので、部下・同僚を信頼して仕事を任せることが大切であ る。 しる そ の 際 、 カ エ サ ル [BC100 - BC44] が 書 き 記 し た 「 人 間 な ら ば 誰 に で も 全 てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲する事しか見てい おちい やす な い 。」 と い う 、 人 間 の 陥 り 易 い 弱 点 に 留 意 す る 必 要 が あ る 。 し っ と あ がた また、自分より能力の高い部下を得た場合、その部下を嫉妬せず有り難 こな いと感謝して、使い熟すべきである。 3. “ O ut of the counsel of three comes wisdom ."(Two heads are better than one.) A highly capable person may sometimes excel over two ordinary men in ability, but never over three. In other words, there is a better possibility for success when doing something with many people rather than doing it with just one person. This means that trusting your subordinates and colleagues and turning tasks to them is important. However, when we do so, we must always keep in mind the weakness that any one human being possesses, and as CASER(4) said,“All people can not see everything,and many of them can see only what they want to see”. - 40 - Also if you have a subordinate who excels you, you must accept him without any envy as your subordinate and make him work with appreciation. 4 Quality Of Life こ そ 士 気 の 根 源 常に戦力を最大に維持しておくことは、平時戦時を問わず、指揮官の義 務ですらある。 戦力は、次の要素の積で表される。 戦 力 = 将 兵 の 人 数 ×将 兵 の 練 度 ×将 兵 の 士 気 ×装 備 の 数 量 ×装 備 の 性 能 ×機 動 力 ×輸 送 力 ×整 備 力 ×補 給 力 これらの要素の中で、 “ 将 兵 の 士 気 ”ほ ど 振 幅 変 動 の 過 敏 な も の は な い 。 よって、指揮官は、士気高揚、士気確認及び士気回復に、十分の意を払い 工 夫 し な け れ ば な ら な い 。 優 れ た 指 揮 官 が 、 Force-Multiplier( 戦 力 増 殖 ゆ え ん 者)と呼ばれる所以でもある。 そして、平時戦時を問わず、士気の根源の一つに指揮官の人間観とも あ い ま 相 俟 っ た Quality Of Life( 上 質 な 生 活 = 予 定 の た つ 生 活 ) が あ る 。 部 下 な そ ち の公的生活・私的生活を上質なものと為すべく、政府の予算措置の必要な し さ く ものや部隊の創意工夫で出来るもの等、各種の施策が実行されているが、 少なくとも、部下とその家族をして、海軍の職務に関する不安がないよう にしなければならない。 4. Quality of Life is the basic foundation for the Navy morale. To maintain the maximum war fighting capability at all times is the obligation asked of any commander, either in peace or during war. Overall war fighting capability depends on the following factors : Number of service members Force training level Morale of Officers and Soldiers Numerical quantity of military equipment Quality and capability of military equipment Mobility Transportation capability - 41 - Maintenance capability Logistic capability Among these factors, nothing is more sensitive than the morale of officers and soldiers. Commanders must always pay attention and make every effort to raise and maintain high morale. That is the reason why the superior military commander is often called as a “Force-Multiplier”. Also, regardless of whether in peace or wartime, one of the fundamental factors of good morale is the Quality of Life. Combined with the commander ’s personality, a good commander must continuously improve both the official and private lives of subordinates, and he must devise many ingenious methods, including budgetary, to implement Quality of Life initiatives. At the very least, the commander should try to not make his subordinates and their families uneasy. きゅう 窮 したら笑え 5 通常は心/頭/脳が体を支配しているが、体が心/頭/脳に重大影響を せ っ ぱ きゅう 及 ぼ す こ と が あ る 。そ れ は 、切 羽 詰 ま っ て 窮 し た 時 で も 、笑 う と い う 体 の ほお わ じゅばく 動きによって頬の血行が良くなり快感が湧き、呪縛された心/頭/脳が解 ひら 放されることである。そして、心/頭/脳に余裕が生じ、また別の道が拓 けてくる。 5. When you feel stranded, you should continue to smile. Usually, the body is controlled by the heart, mind, and brain. But sometimes, the body gives large influence over heart, mind, and brain. This means that the body movement trying to keep a smile when you are pressured and feeling stranded improves the circulation of blood, and inspires the feelings of pleasure, clearing up the bounded heart, mind, and brain. Your body will lead your heart, mind, and brain to be more relaxed and you will find a new way and a clear direction. こ と ほ 最後に、諸官の輝かしい前途を言祝ぎたい。 諸官は米国海軍の未来であり希望であります。 おのれ あや を知り 己 を知らば百戦して殆うからず」と。 ぶうんちょうきゅう 諸官の武運長久を祈る! Lastly, - 42 - いわ 孫 子[ BC5 0 0 頃 ]曰 く「 敵 I would like to send you congratulatory words. You are the hope and future of the United States Navy. SUN-Tzu(5) says,“If you know your enemy and know yourself, you need not fear the results of hundred of battles”. I pray for your continued success in war ! < cf> (1) MACHIAVELLI [1469- 1527] (2) NAPOLEON [1769- 1821] (3) CLAUSEWITZ [1780- 1831] (4) CASER [100BC- 44BC] (5) SUN-Tzu [about 500BC] 第2節 強い指揮官 為:防衛大学校本科学生 第 3 8 代 自 衛 艦 隊 司 令 官 、牧 本 海 将 で す 。Commander IN Chief,Grand Fleet ちょくそつ と し て イ ン ド 洋 方 面 派 遣 部 隊 を 直 率 す る 指 揮 官 で も あ り ま す 。防 衛 大 学 校 入 校 以来、学生は9課程・累計9年間であり、護衛艦あきづき砲術士を振出しに自 衛艦隊司令官は23番目の配置であり、引越しは現在20回目です。 私は、1946年8月に熊本市で生れ、1965年4月に防衛大学校第13 じ ら い 期生として入校しました。爾来39年間、制服を着用して国旗と自衛艦旗に敬 礼できる栄誉を拝受してきました。何と有り難い事かと国家・国民に感謝して います。 ちなみに、私の校友会活動は短艇委員会と語学部中国語班に所属しました。 こ 3学年の時は全日本カッターレースで8番を漕いで初優勝し、4学年の時は全 こ 日 本 カ ッ タ ー レ ー ス で 1 2 番 を 漕 い で 連 続 優 勝 し ま し た 。つ ま り 、勝 ち 組 で す 。 自 衛 艦 隊 は 、創 設 五 十 周 年 を 迎 え 、兵 員 2 3 0 0 0 名( 海 上 自 衛 隊 5 万 名 )・ トン トン 艦艇80隻29万屯(海上自衛隊142隻40万屯 <cf>日 露 戦 争 開 戦 時 の 日 トン 本 総 人 口 4 6 0 0 万 人・海 軍 艦 船 2 8 万 屯 ) ・航 空 機 2 1 0 機( 海 上 自 衛 隊 3 1 よう お ふ ね 2機) ・車 輌 8 8 0 台 を 擁 す る 機 動 海 上 作 戦 部 隊 で す 。自 衛 艦 隊 の 御 艦 と 飛 行 機 お あ ず の 値 段 総 計 は 4 .7 兆 円 で す 。「 国 民 の 皆 様 か ら 御 預 か り し た 艦 艇 ・ 航 空 機 ・ 車 輌を、部下兵員をして効果的に運用させることにより、我が国の平和の維持及 ささ び 国 民 の 生 命 財 産 の 保 護 の み な ら ず 、国 際 社 会 の 安 定 確 保・平 和 維 持 の 一 翼 を 支 こた え 、我 が 国 の 国 益 と 国 家 の 大 事 に 応 え る 」こ と が 、自 衛 艦 隊 司 令 官 の 仕 事 で す 。 - 43 - 自衛艦隊は、2001年11月からインド洋方面支援作戦に艦艇延べ約40 隻・乗員約7000名を派遣しています。派遣艦艇は、補給艦1隻と護衛艦2 隻で、現地交替します。派遣期間は、出国から帰国まで6ヶ月(冬場)~5ヶ 月(夏場)です。日本から北アラビア海まで約3週間かかります。 ち な み に 、 イ ー ジ ス 護 衛 艦 が 1 8 kt( 時 速 3 3 km) で 1 日 走 る と 、 燃 料 代 だ けで約370万円です。 さて、自衛隊の部隊は、その大小を問わず、指揮官と幕僚と部下隊員とで構 ため 成されます。作戦にしろ訓練にしろ業務にしろ、仕事に成功する為には“幕僚 は考え指揮官は感じる”ことが大切です。特に、戦場において指揮官は、人間 の野生部分を発揮して全身全霊で感じなければなりません。幕僚は考え、指揮 官は感じるのです。その為にも指揮官には、実学に裏付けられた知識、経験に たんしき 裏付けられた見識及び人格に裏付けられた胆識が必要です。これまで工夫・ア つちか イ デ ア・改 善 と い っ た 小 さ な 現 場 学 習 を 積 重 ね る こ と に よ っ て 培 わ れ 体 得 し た たんしき 知識・見識・胆識が脳細胞に十分に蓄積されますと、潜在意識下で融合・相関 され、必要な時に戦闘空間/任務環境の刺激によって顕在化し、必要な時に適 正な判決が潜在意識の底から浮かび上がって来て、指揮官の必要とするナニカ と し て 感 じ 取 る こ と が 出 来 て 、作 戦 や 訓 練 や 業 務 を 成 功 に 導 き ま す 。こ れ が“ 感 じる”と言う事です。 にな よって、21世紀の自衛隊を担う諸君は、この小原台の徳育・知育・体育の たんしき しょうじん 学習により脳細胞に知識・見識・胆識を蓄積して下さい。この日々の精 進は、 諸君が30歳から40歳になる頃、 『 指 揮 官 は 感 じ る 』こ と を 実 感 し 体 験 さ せ ま こた す。それが強い指揮官であり国家の大事に応え得る指揮官です。諸君はこうい な う指揮官に成るのです。 はっぷん 学生諸君の発奮を期待して、私のショートスピーチを終わります。 防大13期 牧本学生 - 44 - 第3節 幕僚は考え指揮官は感じる 為:中級士官 おうせい 1 知的好奇心を旺盛に ギ リ シ ア 語 に は 、 英 語 の love に 相 当 す る 単 語 が 三 つ あ る 。 そ れ は 、 フ ィ ロ ス ( 知 的 好 奇 心 )、 エ ロ ス ( 相 手 に 価 値 が あ る か ら 好 き に な る 男 女 の 愛 ) 及 び ア ガ ペ ー ( 相 手 に 価 値 が な く と も 好 き に な る 無 償 の 愛 ex. 吾 が 父 母 子 ex. 我 が 祖 国 ) と 言 う 。 イ エ ス 【 ヘ ブ ラ イ 語 “ イ ェ ホ ー シ ュ ア 〔 訳 ; ヤ ハ ウ ェ 〈 天 主 の 御 名 ・( 聖 四 字 ) Y H W H : the Being の 意 〉 は 救 い な り 〕 / ヨ シ ュ ア ” の ギ リ シ ア 語 形 】. キ リ ス ト 【 ヘ ブ ラ イ 語 “ マ シ ー ア ハ 〔 訳 ;( 祝 福 の つか 香)油を注がれし者=イスラエルを救うために天主が遣わすべき将来のイス ラ エ ル 王 を 指 す 〕” の ギ リ シ ア 語 訳 ‘ ク リ ス ト ス ’ christos】[ BC 4- AD30; ナザレの大工ヨセフとその許婚者マリアの長男としてベツレヘムで生れた。 七人兄妹の長男なので父の死後19歳で大工となる。30歳ころから伝道活 テ ー マ 動 を 始 め る 。] の 説 く 主 題 が ア ガ ペ ー [ 自 分 を 愛 す る 様 に 汝 の 隣 り 人 を 愛 せ テ ー マ よ]であり、司令官の説く主題がフィロスである。 <註> ユ ダ ヤ 教 の 聖 典『 タ ナ ハ 』は ヘ ブ ラ イ 語 で 、キ リ ス ト 教 の 旧 約 聖 書 ・ 新約聖書『バイブル』はギリシア語で、イスラム教の聖典『クルラー ン』はアラビア語で記述してある。 <註> こ う し 『 論 語 』 に よ る と 、 孔 子 [ 姓 名 は 孔 丘 と い う BC551.10.21 - は ん ち BC479.4.11] は 弟 子 の 樊 遅 が 仁 を 問 う と 「 人 を 愛 す 」 と 答 え た 。 知 的 好 奇 心 と は 、「 世 [ 過 去 ・ 現 在 ・ 未 来 ] 界 [ 東 西 南 北 上 下 ] は ど う 成 ことがら っているのか?」という未知の事柄に対する興味疑問から始まる。人間にと って、時間と空間との制約の中で、系統的効率的広範囲に“世界を知る”手 し 段として書物に如くは無し! 読書によって、書中で疑似体験しながら思索を こ ち え けいがん 凝 ら す と 、知 識 を 相 関 し て 智 慧 に 融 合 す る 炯 眼 の 持 ち 主 に な る こ と が 出 来 る 。 読 書 な ど に よ る “ 世 界 を 知 る ” 過 程 に お い て 重 要 な 事 は 、「 自 分 自 身 で な く 自分以外の他人・万物・環境に対する想像力を豊かにすること」である。こ や の こ と は 、‘ 他 人 へ の 思 い 遣 り ’、‘ 物 事 の 本 質 を 見 抜 く 洞 察 力 ’ ま た は ‘ E EI(情報主要素)から健全な軍事判決’に通ずる。 知的好奇心はまた、外界の価値・真理・危機を感じ取る感受性を育て高め み き おちい て く れ る 。感 受 性 が 低 い と 、 「 見 れ ど も 観 え ず 、聞 け ど も 聴 け ず 」の 状 態 に 陥 って、自己の認識する世界を狭くし、有識者の講話・著書の全部を感得出来 もったい すみれ あ な い 。勿 体 な い こ と で あ る 。例 え ば 、路 傍 に 咲 く 菫 が 在 る と す る 。二 十 代 は - 45 - 眼で見ても気付かない。三十代は眼で見たら「美しいなぁ」と感じる。四十 み 代は心で観たら「美しく咲いてくれて有り難う」と感謝する。五十代は心で み すみれ われ はぐく ひと か け ら い の ち 観て「 菫 も吾も宇宙に 育 まれた一欠片の生命である」と謙虚に“宇宙の一 ひと か け ら 部一欠片”を体感する。 おうせい 知 的 好 奇 心 を 旺 盛 に す る 事 は 、想 像 力 を 豊 か に す る こ と 及 び 感 受 性 を 高 め たんしょ ることへの端緒となる。豊潤な想像力と繊細な感受性を有してこそ、21世 紀の海上自衛隊に奉職して御役に立てる指揮官・幕僚に大成できるのだ。 2 タフな幕僚 米国ケネディ大統領の側近だったシオドア.ソレンセンは、その著書『ケ スタッフ ネ デ ィ の 道 』 で 、「 幕 僚 の 仕 事 は 、 問 題 を 詳 細 に 論 じ 、 利 害 の 衝 突 を 明 確 に し、大統領に報告し助言し補佐することによって、大統領が最も重大な決定 を 下 せ る 余 裕 を 常 に 残 し て お く 事 だ っ た 。」 と 述 べ て い る 。 幕僚は、情勢及び行動方針を見積り、彼我行動方針を分析し、我が行動方 針を比較し、指揮官が判断し決断できるように、資料を提供する。 SUW(対水上戦)を例にとって説明すると、 Ⅰ 各種情報を分析して「敵が射程内に入った」と見積もった。 Ⅱ 各種状況を組合わせ「今こそ、攻撃すべし」と判断した。 Ⅲ 情勢判断とROEから「攻撃命令を発令せよ」と決断した。 Ⅰは幕僚の仕事であり、Ⅲは指揮官の仕事である。ここまでは諸官承知のと お り で あ る 。十 分 に 認 識 し て も ら い た い の は 、Ⅱ が 指 揮 官 だ け の 仕 事 で な く 、 Ⅱが幕僚の仕事であり指揮官の仕事であることである。幕僚の判断としての Ⅱが提供されて、初めて指揮官は自分なりにⅡの判断が出来るのである。幕 僚 は 、こ の Ⅱ レ ベ ル を 提 供 出 来 て こ そ 、指 揮 官 の 決 断 に 寄 与 し た こ と に な る 。 な よろ 中級士官諸官は、強い指揮官に成るため、まず、タフな幕僚を目指すと宜 しい。 モラルブースター ☆☆☆海外派遣実動部隊の士気昂揚☆☆☆ ①‘任務が意義あるもの’と受けとめられる。 ②‘何故ここに居るか’が理解出来る。 や や ③‘遣るべき仕事を遣れ’と命令される。 ④ 平素重ねている訓練内容と前線に於ける任務とが一致する。 × お門違いの仕事 ささ ⑤‘故国の家族の支え’と‘故国の国民の励まし’が有る。 - 46 - × 郵便物が届かない 3 強い指揮官 自衛隊の部隊は、その大小を問わず、指揮官と幕僚と部下隊員とで構成さ れている。作戦にしろ訓練にしろ業務にしろ、仕事に成功する為には“幕僚 は考え指揮官は感じる”ことが大切である。その為にも指揮官には、実学に たんしき 裏付けられた知識、経験に裏付けられた見識及び人格に裏付けられた胆識が たんしき 必要となる。これらの知識・見識・胆識が脳細胞に十分に蓄積されると、潜 在意識下で融合・相関され、必要な時に戦闘空間/任務環境の刺激によって 顕在化し、必要な時に適正な判決が潜在意識の底から浮かび上がって来て、 作戦や訓練や業務を成功に導く。これが“感じる”と言う事だ。 通常は‘知ってる事と出来る事とは違う’のであるが、知ってる事と出来 な る事とを同一にしないと、御役に立てない。何事を為すにしても、まず意識 とど しなくてはならないが、そこに止まるべきではない。もう一歩進めて、意識 や したという事も捨てて行かなければならない。意識して遣ってるうちは、ま だ本物ではない。そこで、鍛錬や勉学を専心集中継続すると、意識せぬ時、 注 意 を 向 け て い な い 時 に 、意 識 そ の も の が 働 い て く る 。自 分 の 心 で な い と 思 う も の が 、自 分 の 自 覚 以 外 の と こ ろ で 働 い て い て 、そ れ が ど う か し て 自 分 の 心の中に現れてくるのである。つまり必要な際は、体が自然に動いてくれ、 頭 の 中 に 自 然 に 判 決 が 浮 か ぶ 。こ う な っ た ら 知 っ て る 事 と 出 来 る 事 と が 同 一 になって、もう本物であり、国家の御役に立つことが出来るのである。 にな よって、21世紀の自衛隊を担う中級士官は、実務を通じた徳育・知育・ たんしき しょうじん 体 育 の 学 習 に よ り 脳 細 胞 に 知 識・見 識・胆 識 を 蓄 積 す べ し 。こ の 日 々 の 精 進 は 、 諸 官 が 3 0 歳 か ら 4 0 歳 に な る 頃 、「 指 揮 官 は 感 じ る 」 こ と を 実 感 し 体 こた 験させる。それが強い指揮官であり国家の大事に応え得る指揮官である。諸 しょうじん 官はこういう指揮官に成るんだ! 本物の達人たるべく、精 進あるべし。 はっぷん ぶ う ん ちょうきゅう 中級士官諸官の発奮を期待し、諸官の武運 長 久 を祈念する ひ ぞう ☆☆☆ 勝者は敗因を秘め 敗者は勝因を蔵す ☆☆☆ こ む ろ な お き by小 室 直 樹 著 『 日 本 の 敗 因 』 2 0 0 0 年 講 談 社 1.歴史の研究 (1)歴史から教訓を導出する。 いわ ビスマルク曰く「賢者は他人の体験から学ぶ」と。 - 47 - ( 2 )if[ 条 件 の 制 御 ; 原 因 ら し き 諸 変 数 の う ち 、一 つ を 動 か す 。]の 思 考 実 験 による勝者敗因・敗者勝因を分析する。 2.日本の官僚(軍事官僚も含む)の欠陥 (1)アメリカ世論不感症 アメリカは世論の国である事及びアメリカ大統領の選挙公約が重大視 される事に想いが至らなかった。 (2)国際法活用能力の不足 ex. 大東亜戦争の宣戦布告を昭和16年12月8日(日)1300iグ ルー駐日米国大使に東京の外務省で通告する発想なし。 ex. かか 装備品等を接収した戦勝国に装備品等の管理責任があるにも拘わら ず、支那大陸で終戦を迎えた大日本帝国陸軍部隊の装備品等、特に化 学兵器の位置づけに不備あり。 (3)戦略的謀略の欠如 ex. 情報操作 ふ も ん (4)失敗不問の無責任法則 ex. 大東亜戦争宣戦布告の手交に係る在米日本大使館参事官等の外務省 訓令違反 ex. へい 海軍丙事件(聯合艦隊司令部参謀長福留少将の二式大艇がセブ島東 とら 岸 に 不 時 着 し た 際 、 原 住 民 に 囚 わ れ て 「 Z 作 戦 計 画 」 が 盗 撮 さ れ た 。) めいせき (5)頭脳明晰石頭 頭が固いとは、想像力に欠けることなり。 はんちゅう とら (6)敵を知る努力の欠如及び敵を自己同類の範 疇で捉える独善 ふきゅう (7)腐朽した軍事官僚には、 ア 戦争思想がないので、戦争設計がなく、最良選択も不可となり、戦争 ず さ ん 計画も杜撰となる。 ex.技 術 者 養 成 計 画 ex.操 縦 士 養 成 計 画 リスクコントロール イ 危機管理能力なし。 ウ 資源の最適配分の戦略なし。 エ 戦争哲学(戦争目的を把握して何を為すべきかを高次元で考える事) な がないので、目的を見失って目的と手段とが逆転して、陸軍省・海軍省 の省益が優先された。 - 48 - ( 8 )“ 国 は 納 税 者 の も の な り ” と の 視 点 欠 如 ex. 戦争の目的は勝利であり、その勝利は納税者の利益を守ることに直 結している。 ex. 部隊の一般公開の意義とは、納税の義務を果たしている国民は税金 み が国民の為に使われているかどうかを観る権利を有するので、これに こた 応える事にある。 (9)システマティック(適材適所・人材育成・労休管理)に人を使わないの で有事も年功序列人事 ex. 人間五十歳を過ぎればどんな仕事でも若すぎると言う事は無いので、 ばってき 勝 て る 司 令 官( 直 感 的 洞 察 力 に 優 れ た 知 識・見 識・肝 識 の 軍 人 )を 抜 擢 することなし。 がんめい こ ろ う ぜ ん れ い とうしゅう ( 10) 頑 迷 固 陋 に 前 例 踏 襲 政治家や軍人は不確実な未来に向かって歩を進め、自分で判断し決断し お て、自分で結果責任を負わねばならない。ところが官僚は、過去の慣例・ や お 前例のとおり遣っていれば、失敗しても結果責任を負わなくていい。つま へ ん さ ち こと た り官僚は偏差値秀才で事足りるのだ。 いわ マ ッ ク ス . ウ ェ ー バ ー 曰 く 「 最 良 の 役 人 は 最 悪 の 政 治 家 だ 。」 と 。 こわ 政治家や軍人が役人化するのが一番怖い! ex. 敵の出方によって我の戦法を柔軟に適合させていこうとする着意な し。 ex. 補給が出来なければ戦闘を一時停止するという健全なる軍事判断な し。 ex. 艦隊保全主義の潜入による「軍艦が惜しい!」という根性が、決戦 な において損害を省みず戦果拡大を為す絶好の機会を失わせた。 第4節 規律厳正・遵法精神の原点 自衛隊は、何故、規律厳正と遵法精神とを死活的に重視しなければならない のか。その原点をけして失念してはならない。 1 人間の行為の正し手 し お の な な み by塩 野 七 生 著 『 ロ ー マ 人 へ の 2 0 の 質 問 』 文 春 新 書 2 0 0 0 年 人間は、行為の正し手なしには社会が成り立たないという生き物でもある。 それを何に求めたか、古代の三民族は次のとおりである。 - 49 - (1)ユダヤ人 人間の行為の正し手を宗教に求めた。しかし、これには、宗教を共にせ ず信仰しない人との間では通用しないという限界がある。 (2)ギリシア人 人間の行為の正し手を哲学に求めた。しかし、これには、知的関心が無 く哲学を理解出来ない人との間では通用しないという限界がある。 <cf> 感 性 論 哲 学 よしむらしふう by 創 始 者 吉 村 思 風 [ 1942- ;思風庵哲学研究所長] 宇宙は現在実際に生成・崩壊しているので、宇宙の本質と理念つまり あら 真実は変化である。凡ゆるモノを固定化するのは理性であり、変化を要 求するのは感性である。人間が生きるという事は変化を常に作り出す事 であるので、人間の本質は理性でなく感性である。 “学問=科学+哲学”であり“現実=事実+意味”である。 Ψ 科学[サイエンス]とは、実証的・発見的な学問であり、認識欲に こた 応えるため、現実の中の事実を対象とし、理論[セオリー]を方法に して、現実の世界に存在する物事の構造と法則を真理として探求する 学問である。 * 事実には、未来がなく、過去と現在しかない。 * * 事実は変化しないので、真理は一つである。 理 論 と は 、真 理 は 一 つ と い う 考 え 方 の 下 で 使 わ れ る 方 法 論 で あ る 。 しかし、宇宙は対の構造になっているし、社会は多様性から成り立 っているので、真理は一つという考え方では複雑系の現実に対応し きることが出来ない。 Ω 哲学[フィロソフィ]とは、論証的・創造的な学問であり、幸福欲 こた に応えるため、現実の中の意味を対象とし、論理[ロジック]を方法 にして、現実の世界に存在する物事の本質と理念を真実として探求す る学問である。 * 事実に拘束されず、事実に狭められず、事実に支配されず、未来 を見て理想を語るべし。 * 論理とは、理論よりも高次元であり、物事の解決の仕方である。 (3)ローマ人 人間の行為の正し手を法律に求めた。そして、法律は、宗教を共にしな - 50 - くても知的関心が無くとも、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮 できる普遍的妥当性を有している。いや、価値観を共有しない多種多様な 人間だからこそ、法律は共に生きていくのに必要となるルールにすぎない。 2 先進近代国家とは法治国家 我が国“日本”が先進国と諸外国に認められているのは、経済大国だから で な く 、法 治 国 家 だ か ら で あ る 。法 の 執 行 が 万 人 に 平 等 で あ る 法 治 国 家 に は 、 有事といえども、超法規行動なんぞ有り得ない! よって、海上自衛隊の“精強・即応”も法令の範囲内の精強・即応であっ て、法令を逸脱した精強・即応は許されないと知るべし。 そこで、作戦や業務を遂行する際、国際法や諸法令に基づく我が行動の正 当性と相手の不法性とを立証するため、証拠となる記録・ビデオ・写真・第 三 者 証 言 な ど 及 び リ ー ガ ル ア ド バ イ ザ ー ( legal adviser) を 活 用 す る 着 意 を 持 つ と と も に 、そ の 正 当 性 を 主 張 で き る 腹 案 を 準 備 し て お く こ と を 忘 れ て は ならない。 3 国民の信頼による負託 こた 国家防衛を負託されている自衛隊員は、国民の信頼に応える義務がある。 服 務 に 係 る 規 律 違 反 に 限 っ て 言 え ば 、「 こ れ ぐ ら い は 」「 多 数 隊 員 の 一 人 ぐ ら いは」 「過酷な勤務だから」 「業務が超過してるから」 「 処 遇 が 低 い か ら 」等 々 そむ は世間(国民の目による評価)から国民の信頼に背く言い訳としか採られな い。 ペクソニョップ 軍 隊 の 命 脈 は 軍 紀 に あ り 、 外 地 で は 特 に 注 意 を 要 す る 。[ 白 善 燁 将 軍 ] 防衛出動が出来るとの一点に集約した我が国唯一の武力集団“自衛隊”の 構成員の基本的心得は、規律厳正と遵法精神である。よって、規律を厳正に お お げ さ ちょうど 保 つ こ と は 、 武 力 集 団 と し て 少 々 大 袈 裟 な く ら い で 丁 度 よ い 。 ま た 、“ 国 を 守 る ” と は “ 現 体 制 を 守 る ” こ と で あ り 、“ 現 体 制 を 守 る ” と は “ 現 在 の 法 じゅんぽう おうせい 体制と現行法令を守る”ことであるので、遵 法精神は旺盛であるべし。 ところが近頃、国民の生命・財産を守るべき自衛隊員が交通法令等違反の そこ う え 、国 民 の 生 命・財 産 を 害 ね て い る の が 散 見 さ れ る と は 、何 事 で あ る か ! 交 し 通法令等違反の問題に限らず、人生に受け身の態度ばかり染み込んで将来予 ど 測と想像力に欠ける若者を何う適確に指導するのか? プライベイト重視の ど 時代に隊員個人のプライベイトに何う適正に介入するのか? その方策の一 つ は 、 Quality Of Life(上 質 な 生 活 = 予 定 の た つ 生 活 )を 実 践 し 、 隊 員 の 公 的 な 生活・私的生活を上質なものと為しつつ、隊員個人の人生計画を作成させ、 - 51 - こ 当事者意識と仲間意識とを高揚し、此れに従って指導することである。 かたまり ふね また、弾丸という鉄の 塊 を艦の外に打ち出す“射撃”は極めて重大かつ しつけ おきて 危険な仕事であるので、教範類・規則類・ 躾 事項などの射撃に関する 掟 を かかわ 射 撃 規 律 と 称 し て 、効 率 と 安 全 と を 二 重 三 重 に 保 障 し て い る に も 拘 ら ず 、規 律風紀の根源と呼ばれる射撃分隊=第1分隊で射界外射撃や曳的機射撃が 散見されるとは、何事であるか! 射撃の問題に限らず、規律の乱れは使命感 な な 不足の表れである。勇気とは、恐れを知りながらも、為すべきことを為すこ そんりつ とである。海上自衛隊の存立意義から説き起こして、当事者意識と仲間意識 じょうせいとうてつ とを高揚し、使命感を醸成透徹させるべし。 ぜんどう いづれにしても、繰返し繰返し善導を継続することが肝要である。 第5節 人間教育 けもの しつけ ヒ ト は 、 獣 と し て 生 れ 、 躾 ら れ 学 習 し 教 育 に よ っ て 人 間 と 成 る 。[ 青 炎 ] 1 脳の発達 by 月 刊 誌 『 諸 君 』 2 0 0 3 年 8 月 号 の 「 家 庭 が 脳 を 育 て る 」 東京女子大学 はやしみちよし 林道義教授 こども心身医療研究所 と み た か ず み 冨田和巳所長 ヒトの脳(約1500g)は、この三万年ほど構造に変化なく、140億 個の細胞を有し1個の細胞に500本の神経[総計70兆本]が連結してい るので、神経細胞から成り立っているとも言う。この神経細胞が枝分かれし 相互接続しネットワーク化することを脳の発達と言い、心理学上の人格の発 達と密接に関係している。 5歳頃までは、安楽平穏な環境下(⇔不機嫌で怖い顔の母親に接する)の 秩序正しい生活(⇔深夜族の親に付合わされる・ジェンダーフリー式教育) 及び質の異なる多種多様な刺激(⇔抱っこされない・優しく語りかけられな うなが い・あやされない)が、脳の健全な発達を 促 す。 心 は 知 情 意 で 構 成 さ れ る 。 知 識 ( ⇔ 教 育 ビ デ オ の み )・ 情 緒 ( ⇔ 双 方 向 的 もら 伝 授 た る 絵 本 を 読 ん で 貰 え な い )・ 意 欲 ( ⇔ 父 親 か ら 高 い 高 い ! や 肩 車 を し もら つな て 貰 え な い )が バ ラ ン ス よ く 発 達 し て い く こ と が 、脳 の 健 全 な 発 達 に 繋 が る 。 いささ ゆが お 受 験 が 大 事 と ば か り 知 を 与 え 過 ぎ る と 、情 と 意 の 不 足 す る 些 か 心 の 歪 ん だ 子供に成りかねない。人格の基盤となる自我の完成は8歳頃である。 み “親を観て子は育つ”と言われているとおり、母性的愛情を多く受けてい ない子が他者に対して攻撃的になり、父性的愛情が欠如する子は無気力に成 - 52 - りがちである。 2 や 遣る気 by 日 刊 紙 『 産 経 新 聞 』 平 成 1 5 年 9 月 特 集 島根医科大学 小林祥泰教授 富山医科薬科大学 ささ 西条寿夫教授 や 学習・挑戦・創造を支える遣る気は、人間を進化させてきた精神活動と肉 や 体行動を生み出してきた原動力ともいえる。遣る気は、何にでも興味を持っ て前向きに考え行動すること及び体の健康を保つことで維持される。 3 笑いの効用 by 日 刊 紙 『 産 経 新 聞 』 平 成 1 5 年 9 月 特 集 中央群馬脳神経外科病院 中島英雄院長 笑いは、脳の血管を開き血流を増加させ、脳を活性化する。 4 ゲーム脳と若年性健忘症 by 月 刊 誌 『 P R E S I D E N T 』 2 0 0 3 . 8 . 1 8 つきやまたかし 河野臨床医学研究所築山節理事長 by 日 刊 紙 『 讀 賣 新 聞 』 平 成 1 6 . 6 . 2 2 夕 刊 日本大学文理学部森昭雄教授 東邦大学医学部有田秀穂教授 ヒトの脳は、多くの人に交わり多くの事に接すると、その経験が刺激とな って活性化し発達する。しかし、幼少時から便利な道具(テレビ・電卓・携 帯電話など)に頼って暮らして居ると、脳を育てる刺激が乏しく、思考力や あま 記憶力は発達しない。そして、運動を余りせずパソコンやテレビゲームに長 時間興じると、創造力や理性など人間らしさに関係する‘脳の前頭分野の機 かくせい 能’及び脳を覚醒するほか快不快体験に過剰に反応しない平常心を生み出す ‘セロトニン神経の活動’を低下させる。この状態をゲーム脳と呼び、脳の ほとん 活 動 を 示 す β 波 が 殆 ど 出 な い 。つ ま り 、若 年 性 健 忘 症 や 自 己 抑 制 不 可 と は 脳 の発達未熟・機能低下なので、きちんと音読・書文によるリハビリをすれば なお 1~3年で治る。 5 海上自衛隊 最 近 生 起 す る 海 上 自 衛 隊 の 人 的 起 因 の 問 題( 事 故・ 規 律 違 反・ 失 敗・ 過 誤 ) ぜんぞう に、従前と異なる問題(放火・セクハラ・官僚化)が漸増している。その原 い か ん 因の一つに、知力に障害なくとも、階級の如何を問わず、当該隊員の情緒・ 意欲に関する部分の脳の発達未熟/機能低下ではなかろうか? また、海上自 せ つ な そ 衛隊隊員の“予定は未定にして決定に非ず”を常態とする刹那主義・其の日 暮らし・無計画主義の潜在意識も、悪影響を与えているのではなかろうか? - 53 - よ っ て 、 隊 員 の 無 計 画 主 義 の 潜 在 意 識 を 変 革 さ せ る た め Quality Of Life( 上 質 な 生 活 = 予 定 の た つ 生 活 ) も 追 求 す る こ と 並 び に 当 該 隊 員 の 情 と うなが 意に関する脳の発達を 促 すため指定図書の音読と強制的音読歩行たる軍歌 演習及び人生計画の作成を課すことを、各級指揮官は人間教育の一環として もら 実践し、自衛艦隊の精強維持に貢献して貰いたい。 第6節 武人の頭と足に戻ろう じんちゅうほうこく 尽忠報国は諸官の人生を輝かせるので、生れて来た事を後悔しない為にも、 武人の頭と足に戻るべく精進すべし。 1 幹 部 いきしに し ゅ ら ば 幹部は、部隊の生死を左右するので、歴史上の英雄たちの修羅場を歴史書 や 戦 史 書 に よ り 、自 分 の 決 心 を 自 問 自 答 し つ つ 第 一 人 称 で 考 え る 頭 上 シ ミ ュ ね レーションで、疑似体験する努力を積重ね、胆力を錬るべし。 × 二人部屋の防衛大学校出身幹部 防 衛 大 学 校 学 生 隊 の 八 人 部 屋( 四 学 年 ×2・三 学 年 ×2・二 学 年 ×2 ・ 一 学 年 ×2 ) で は 、 上 級 生 は 下 級 生 の 眼 を 意 識 す る こ と で 自 己 抑 制 し リ じか み ーダーシップを実地に学び、下級生は立派な上級生を直に観てフォロワ ーシップを体験する。 し か る に 、 防 衛 大 学 校 学 生 隊 の 二 人 部 屋 ( 同 学 年 ×2 ) で は 、 上 級 生 は下級生の眼を意識しないことで自己抑制せずリーダーシップを実地 じか み に学ぶ機会を得ず、下級生は立派な上級生を直に観ずフォロワーシップ を体験しない。同じ部屋に上級生と下級生が生活しないので、上級生は ごと 下級生を弟の如く可愛がらず、下級生は上級生を兄の如く敬愛しない。 × 四人部屋の幹部候補生学校卒幹部 ほど ク ラ ス 連 帯 責 任 の 経 験 が 少 な く 、期 生 会 未 結 成 も あ る 程 同 期 生 の 結 束 が 弱 い 。 2 海 曹 海曹は、組織前線の管理者であるので、その結果責任を逃れる事が出来な ね いものと知り、当事者意識を高揚して術科力を錬るべし。 × ゲーム脳の海曹 幼少時から便利な道具(テレビ・電卓・携帯電話など)に頼って暮ら して居ると、脳を育てる刺激が乏しく、思考力や記憶力は発達しない。 あま そして、運動を余りせずパソコンやテレビゲームに長時間興じると、創 - 54 - 造力や理性など人間らしさに関係する‘脳の前頭分野の機能’及び脳を かくせい 覚醒するほか快不快体験に過剰に反応しない平常心を生み出す‘セロト ニン神経の活動’を低下させる。この状態をゲーム脳と呼び、脳の活動 ほとん を 示 す β 波 が ア ル ツ ハ イ マ ー 患 者 の 如 く 殆 ど 出 な い 。よ っ て 、意 思 疎 通 おちい 能力や自己表現能力に欠け、若年性健忘症に 陥 る恐れも有る。 ★海自における最近の人的起因問題(事故・規律違反・失敗・過誤) ☆海上自衛隊の具体的対策 情と意に関する脳の発達を促すリハビリテーションとして、指定図書 の音読を課し強制的音読歩行たる軍歌演習を遣る。 3 海 士 海士は、海上自衛隊に志願して入隊した職業人であるので、まず職業人と や あた しての義務を知り、仲間意識を高揚して何事にも遣る気で当るべし。 は と う 波 頭 亮 著『 若 者 の リ ア ル 』日 本 実 業 出 版 社 に よ る と 、 「……現代の若者は、 今を楽に過ごそうとしている。自分でコツコツと努力することが出来ないば かりか、地道な姿勢や生き方自体を本音で否定している。文句を言われず適 や 当に遣れて、特殊な技術や知識を覚える必要もなく、時間的拘束もルーズな の が ウ ザ ク な く て 良 い 。夜 を 失 っ た 若 者 達 は 、孤 独 で 内 省 的 な 時 間 を 持 て ず 、 た い じ 社会とも自己とも対峙しない。希薄な人間関係の中で無気力に漂泊している か た ぎ だけなのだ。……」と、現代の若者気質を分析している。 しかし、こういう若者でも、海上自衛隊の各教育隊・各術科学校を終了し ヤ ン グ セイラー て部隊OJTを経ると、見違える様に立派な若年水兵に生まれ変わる。 × 足の重心位置の後退した海士 は だ し ぞ う り げ た 裸足/草履/下駄でなく、小さめ(足の指が動かない!)又は大きめ つまさき (足が滑る!)の靴で生活させられる幼児は、爪先に力を入れ足の指を 使って歩く事を学習出来ないので、足の指が動物的に発達しない。こう した幼児時代を送った子供は、足の指の一部が浮いて力の入らない“浮 き足”や“偏平足”や“外反拇指”に成り易いと言う。 つまさき かかと す る と 、足 の 重 心 位 置 は 爪 先 側 か ら 踵 側 に 後 退 し 、立 っ た 姿 勢 が 不 安 定と成って転倒し易くなる。 ★海自における最近の人身事故(ラッタル滑落・歩行中転倒) ☆海上自衛隊の具体的対策 うなが た ぐ 足 指 の 発 達 を 促 す リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン と し て 、両 足 指 で タ オ ル を 手 繰 - 55 - ぞ う り や り寄せる練習や素足の草履歩行を、昼休み時間に遣らせる。 @自殺すると損するゾ! か わ い はや お なかざわしんいち 河合隼雄・中沢新一共著『仏教が好き!』2003年 い の ち 朝日新聞社 ゴ ッ ド キリスト教では、自殺は「生命を下さった天主に対し悪を働く」こと であるので、自殺は禁止されている。 そ 仏 教 で は 、 自 殺 は 悪 で な く 、「 自 殺 す る と 損 す る の で 其 ん な 事 し た ら だ め 駄目だよ」という認識である。カルマとは、過去から未来へと連続作用 いんがおうほうりつ みょうが する因果応報律に従う人間の行為のことである。冥加とは、生前に積ん りんねてんしょうりつ でおいた善の蓄積のことであり、輪廻転生律に従い、次の生誕に向かっ たど て辿っていく軌道を決定する力を有する。 あ な た 貴方の身体は、137億年前の宇宙誕生で創られた素粒子から成る原 りんねてんしょう ま ん だ ら ぶ っ だ 子の輪廻転生によって造られている。量子論の思考法は曼荼羅(仏陀や ぼ さ つ 菩薩を一定の方式に配置して悟りの世界を表わした図)のマトリックス あ (総体として変化していくもの)に在る。 あ な た 貴方の人生は、カルマが寄り集まって出来た自律体である。 ほど 死の瞬間には今までの人生のカルマを造っていた色々な結び目が解 ほん じょうど け、本の短い時間だけど、誰もが安楽浄土を見るという素晴らしい体験 ほん ただ をする。だから、死んだら本の短い時間だけ楽に成る。しかし、直ちに みょうが みょうが とど 冥加が働き出し、冥加の足りない人間の死後の意識は極楽に止まり得ず、 あ あ はこ しま あんじん 彼れよ彼れよと次の軌道に運ばれて行って終い、真の楽[安心=英語ハ よ ピ ネ ス ・ 仏 語 ボ ヌ ー ル ( 善 き 時 )] を 取 逃 が す こ と と 成 る 。 よ っ て 、人 生 が 苦 し い か ら っ て 自 殺 す る と 、苦 し み の 根 本 原 因 が 消 滅 出来ないままだから、また本人のカルマが再結集して来て、前よりも なおなお 尚々苦しみの多い生命と成って生れてくる可能性が大である。つまり、 そ 自殺すると、一時的に楽であるけど、其の後で大変な苦しみを背負って しまうので、大いに損するのだ。 し ゃ か ね は ん お釈迦様が紀元前484年2月15日に80歳で涅槃に入られる際、最期 こ こ の 言 葉 は 「 此 の 世 は 美 し い 」 で あ っ た 。「 此 の 世 は 美 し い 」 と い う 真 実 を 、 こ 自分の心でしみじみと理解する為にも、苦しくとも此の世で生きることであ お か げ る。食物連鎖を抜け出た御蔭で考える事の出来る余暇が与えられた人間には、 たいらく 自分の心を制御することによって、大楽を実現出来る能力が有る。 - 56 - 第7節 部隊運用の要諦 1 ドクトリンの確立 57 2 必勝の術策 58 3 方針の明示 58 4 組織の構成 63 5 綿密な計画 63 6 知的好奇心と野生的勘 63 7 大胆な実行 65 8 周密な報告 66 9 教訓の抽出 66 知行合一 66 10 い く さ 戦 争 と は 、 位 置 ( position) と 時 間 ( time) の 事 業 ( business) で あ る 。 よ い か い く さ って、それらの処理を如何に効率的に行なうかが要求される。戦争は複雑系で あり、複雑系世界の絶えざる変化と予測不可能性という情況下においては、最 適化よりも、フィードバックを有する適応が有効である。 戦 い に 勝 つ た め に は 、 統 合 ( joint ) / 協 同 ( combined ) を 重 視 し 、 情 報 優 越 に よ っ て 主 導 ( initiative ) を 取 り 、 C 4 I S R ネ ッ ト ワ ー ク を 活 用 し て 作 戦 速 度 ( op-tempo) で 上 回 り 、 全 般 作 戦 情 況 図 ( C O P : Common Operational Picture ) を 維 持 す る こ と で あ る 。 そ し て 、 積 極 性 ( aggressive ) か つ 柔 軟 性 ぎ ま ん ( flexible) な 対 処 、 欺 瞞 ( deception) に よ る 陽 動 及 び 重 心 攻 撃 こ そ が 、 正 に ようけつ 戦いに勝ち残る要訣である。 い く さ や や 戦争 は 、禁 欲 し な が ら 遣 る も の で な く 、生 活 し な が ら 遣 る も の ゾ 。そうでな や ければ長続きはせぬ。戦争は勝つまで遣るのだ、永くなろうとも。 参 考 ;『 米 軍 2 0 1 0 年 統 合 構 想 JOINT VISION 2010』 『米軍統合ドクトリンの全体概念と主要構成要素 DOCTRINE Capstone and Keystone Primer』 『英国海洋ドクトリン The fundamentals of BRITISH MARITIME DOCTRINE』 『 海 上 自 衛 隊 基 本 ド ク ト リ ン ( 幹 部 学 校 案 )』 ようてい かんどころ 小 部 隊 か ら 大 部 隊 ま で を 問 わ ず 、そ れ を 運 用 す る 際 の 、要 諦 と い う か 勘 所 と - 57 - いうか、肝心な点や重要な点について述べてみたい。 1 ドクトリンの確立 よ う ご ドクトリン(教義)とは、国家目標を擁護する軍隊の行動の指針となる か 基本的原則である。それは、政策・戦略と戦術・術科・手順との架け橋で あり、部隊運用に係る共通の認識と標準化の基盤を与えるものであり、金 科玉条とせず解釈の対象として取り扱って現場指揮官の判断の最適化を 支援するものであり、歴史に基礎を置く経験則でもある。 英 国 の 提 督 ホ レ イ シ ョ . ネ ル ソ ン [ 1758- 1805] は 、 戦 術 信 号 「 近 接 行 動 close action; 更 に 敵 に 近 接 し て 交 戦 せ よ 」 の よ う に 簡 潔 な 指 示 で よ く 知られている。簡潔な指示では発簡者の企図が完全に伝わらない事がある ものだが、ネルソン艦隊ではそういう事がなかった。それは、ネルソンの 部下の指揮官達が、時にはネルソン自身によって修正された『英国海軍ド ク ト リ ン ( ネ ル ソ ン に よ っ て 解 釈 さ れ た ド ク ト リ ン )』 に 完 全 に 習 熟 し て いたからである。権限委任の信奉者であったネルソンは、部下の指揮官が 自己の知的能力とシーマンシップを活用するとともにネルソンの企図を よく理解して敵の機先を制する機動を行なうことを期待したのである。重 きた い か 要なのは、来るべき戦闘の様相を如何に考えるかについて、ネルソンが部 つい 下の指揮官達と討議するために多くの時間と努力を費やし、行動に係る状 況認識を共有したことである。その結果として、ネルソンの部下の指揮官 達は改めてネルソンの指示を求めること無しに、その目標とする事柄を追 求して、独自に行動することが出来た。 指揮官は、正しく決定する能力を持つだけでは、十分とは言えない。彼 の 部 下 (指 揮 官 の 分 身 )は 、 直 ち に そ の 決 定 の 意 味 す る こ と を 余 す こ と 無 し に了解して適切な行動によってこれを確実に実行できなければ、十分とは 言えない。十分と言えるためには、指揮官も部下も全ての者が同じ土台の 上 で 考 え る よ う に 訓 練 さ れ て 考 え 方 を 共 有 し て い な け れ ば な ら ず 、指 揮 官 の 命 令 は 彼 の 部 下 の 頭 脳 の 中 で 同 じ 思 考 過 程 を 呼 び 起 こ し 、指 揮 官 の 言 葉 は 彼 の 部 下 に と っ て 同 じ 意 味 を 持 つ も の で な け れ ば な ら な い 。即 ち 、指 揮 官 の 分 身 を 造 っ て 戦 場 に 派 遣 す る こ と 、 こ れ が 自 己 同 期 形 成 self-synchronization の 意 義 で あ り 、 こ れ を 可 能 に す る の が ド ク ト リ ン の 確立である。 ば しん 婆 心 な が ら 付 言 す る と 、ド ク ト リ ン は 、あ く ま で も 基 本 的 原 則 で あ っ て 、 - 58 - ふ ま 金科玉条や不磨の大典でないので、戦いに勝つ(任務達成)ため、状況に よっては、ドクトリンを厳守する必要がないのである。 2 必勝の術策 大東亜戦争のインパール作戦において、第31歩兵団長宮崎繁三郎少将 と は 次 の 様 に 必 勝 の 術 策 を 説 い て い る 。「 … … 上 が そ う い う 枠 組 を 決 め て し まったんだから、我々としては、その土俵の中で最善を尽くす、それが軍 人の宿命だ。そのため、必勝の術策はただ一つ、第一線下級指揮官(小隊 長・中隊長)の判断力の向上だ。一瞬のうちに地形を判断し、敵情に応じ じんじょう て 適 切 に 対 処 で き る の は 第 一 線 下 級 指 揮 官 し か な い 。尋 常 な 心 構 え と 準 備 や で は と て も 任 務 達 成 で き な い が 、ご く 当 た り 前 の 事 を 当 た り 前 に 遣 る こ と へ り く つ が問題を解く鍵だ。屁理屈を付けて手を抜くことをせず、正道を踏む。基 や 本的な原則を忘れないで堂々と遣ることだ。……」と。 のぞ かえり 自 衛 隊 員 服 務 の 宣 誓 に「 … … 事 に 臨 ん で は 危 険 を 顧 み ず 、身 を も っ て 責 務 の 完 遂 に 務 め 、 も っ て 国 民 の 負 託 に 応 え る こ と を 誓 い ま す 。」 と あ る 。 かえり おも 必勝の指揮官への信頼あればこそ、隊員は危険を 顧 みない事を想うべし。 3 方針の明示 同僚・部下による効果的で適切な助力・献身を確保するためには、達成 すべき目標とその理由を明確に示さなければならない。そして、上官の意 図に沿った指揮官の企図を部下に周知させるために、付与された任務を完 遂するための効果的方針を明示する。 <例1> 災害派遣「武器使用による火災タンカー船体処分」 の現場部隊指揮官(第2護衛隊群司令)の方針 [平成8.2.10(土)2200i所在先任指揮官として所要の 隊司令・艦長を参集させ警急呼集を発動後2305i佐世保出港 ~11(日)2146i佐世保入港;2EL(くらま、47Ed ( や ま ぎ り ・ さ わ ぎ り )、は る な〔 3 E L 〕、も ち づ き〔 佐 地 隊 〕)] ① 迅速対応・安心供与 貨物油(ジェット燃料・ガソリン)約4000tを搭載したパナ マ船籍のタンカーが済州島の東南東で火災を起こし、炎上しながら 風潮流により五島列島の方向へ漂流している。 初 動 全 力 に よ り 、佐 世 保 港 外 か ら 第 4 戦 速 27kt で 現 場 海 域 に 進 出 するとともに、艦載ヘリコプター(HS)を発艦させて火災タンカ - 59 - ーの位置・外力等を確認する。 つまり、海上自衛隊の迅速な対応によって、五島列島の島民に安 心を供与するのである。 ② 汚染防止・環境保全 貨物油は揮発性が高いので海洋汚染の恐れはない。しかし、動力 油はA重油なので海洋汚染による二次災害を引起こす。そこで、取 もと 寄せた当該タンカー船体図を基に、貨物油タンクの水線付近を照準 点 に 、ま た 動 力 油 タ ン ク 周 辺 を 射 撃 禁 止 帯 に 定 め 、現 場 に お い て「 D インチ D H く ら ま 」・「 D D H は る な 」・「 D D A も ち づ き 」の 5 吋 砲 に よ る 船体処分射撃の立付けを行なう。 つまり、海洋の汚染を防止し、環境保全に寄与するのである。 ③ 人道配慮・均衡重視 ☛ 海の仲間に対する礼儀として 沈没時/撤収時に登舷礼式で人と船に弔意 火災タンカーは10mの火柱を上げながら五島列島の福江島に近 接している。また、乗組員19人は既に救助されているが、韓国人 の船長が船内に取り残されて行方不明である。 a 火災タンカーが福江島の福江市などの人口密集地帯近辺に着岸 して流出油による陸上大火災等の二次被害が予想される場合、水 インチ 深 1 0 0 m 以 上 か つ 陸 岸 か ら 5 NM ま で の 海 域 で 、5 吋 砲 の 船 体 射 撃によって沈没させる。 b 火災タンカーが無人の岩場などに着岸して二次被害がほとんど 予想されない場合、行方不明の船長を考慮し、船体処分を実施し ない。 ④ 海自活躍・積極広報 海上自衛隊のグッドイメージを報道してもらうため、 「 く ら ま 」の 向 こ う 側 に 燃 え る タ ン カ ー と い う 構 図 で 撮 影 さ れ た ビ デ オ・写 真 が 、 11(日)0700のNHKニュースで放映され、12(月)の新 聞朝刊に掲載されるように、艦載ヘリコプター(HS)で佐世保地 方総監部へ迅速に空輸する。 ⑤ 海保連係・相互理解 佐世保海上保安部警備救難課長が海上保安庁の連絡官として「く - 60 - らま」に乗艦してくれるので、緊密な情報交換・連携保持はもとよ り、海上保安庁と意志疎通を図り、相互理解に努める。 <例2> ロシア海軍300周年記念観艦式(ウラジオストク)の 派遣部隊指揮官(第2護衛隊群司令)の方針 [平成8.4.中 ➪8.4.下 防衛庁長官のロシア国防大臣訪問 『海上自衛隊08業務計画』に追加される。 派 遣 部 隊 は 第 4 3 護 衛 隊 ( D D ×2 ) の 予 定 ⇒8.5.下 派遣部隊が第2護衛隊群(DDH)に変更 →8.6.23佐世保出港~“平成8年度第3回群訓練” ~中途、 「 本 職 、く ら ま を 率 い 大 湊 経 由 佐 世 保 へ 向 か う 。第 6 2 と 護 衛 隊 司 令 は 以 後 の 群 訓 練 の 指 揮 を 執 れ 。」と 令 し 、旗 艦「 く らま」のみ津軽海峡で離脱する。 ~8.7. 8 (月 )0 9 4 0 i 佐 世 保 に D D H 「 く ら ま 」 が 入 港して派遣準備を開始する。 → 8 . 7 . 2 3 (火 )0 9 0 0 i 2 E L (く ら ま )佐 世 保 出 港 ~ 2 5 (木 )0 9 0 1 L 2 E L (く ら ま )浦 塩 入 港 - 3 0 (火 )1 0 2 3 L 2 E L (く ら ま )浦 塩 出 港 ~8.8. ① 1 (木 )0 8 0 4 i 2 E L (く ら ま ) 佐 世 保 入 港 ] 位置づけ 「 防 衛 計 画 の 大 綱( 7 .1 1 .2 8 )」の Ⅲ - 4 -( 3 )- イ 項 に 「安全保障対話・防衛交流を引き続き推進し、我が国の周辺諸国を 含 む 関 係 諸 国 と の 間 の 信 頼 関 係 の 増 進 を 図 る 。」と あ る よ う に 、ロ シ ア海軍との信頼醸成措置の手始めとしての防衛交流である。 ② 心構え a から ロシア・北朝鮮・中国の過去の歴史と現在の情勢も絡んでくる ような派遣環境を考慮すると、従来の単純な国際親善という遠洋 航海とは大いに異なることが判明する。 b い わ て ひるがえ 1925年の巡洋艦「磐手」以来の旭日旗を 翻 し、海上自衛 隊として初めてのウラジオストク訪問であるので、派遣目的を十 そしゃく い ろ う 分 に 咀 嚼 し て 、超 過 せ ず・遺 漏 な く・不 足 せ ず 、計 画・実 行 す る 。 c ロシア海軍との信頼性醸成措置の手始めとしての防衛交流の一 いま いた 環たる部隊間交流であって、未だ友好親善の段階にまで至ってい - 61 - ないことを銘記すべし。 あえ *浦塩で真水・生糧品・燃料の補給を敢てせず! d 海 上 自 衛 隊 の 独 自 性( 文 化 / 伝 統 / 制 度 )・ 精 強 性 ・ 平 和 性( 専 守防衛/文民統制/志願制/非核三原則/武器輸出三原則)を発 揮して、ロシア海軍の軍人及びロシア沿海地方の要人に感銘を与 えるごとく行動する。 e 米国海軍とは同盟関係を貫き、韓国海軍とは所要レベルの国際 親善に寄与し、中国海軍とは指揮官レベルの相互理解に留める。 f 派遣部隊の活躍が日本の新聞・テレビに印象的に掲載・放映さ れるように、広報計画を十分に練り上げる。 g ふね 治安情勢悪化・社会情勢不安のウラジオストクから、人も艦も 五体満足で佐世保に帰投できるように、乗員・同行者に対する事 前教育を含め、十二分の準備を実施する。 h 海上自衛隊として初めての海域を航行するので、運航安全には 万全を期する。 i う つ りょう と う 海 上 自 衛 隊 と し て 初 め て の 海 域( 鬱 陵 島 西 側 ・ 日 本 海 西 部 )を 航行し初めての港湾(ピョートル大帝湾)に入港する機会を有効 に活用するため、気象海洋(ESM・BT等)及び港湾地誌等の 情報収集に努める。 j 航海中・停泊中を問わず、秘密保全・工作対策にも万全を期す る。 《参考》 『外交フォーラム 一九九八年五月号』 きずな 特 集 ; わ が 友 「 ロ シ ア 」 ┉日 露 を 結 ぶ こ こ ろ の 絆 ┉ きずな 絆 深めるシーマンシップ―ロシア海軍三〇〇周年記念観艦式― 前第2護衛隊群司令 海将補 牧本信近 ひき 私は、第2護衛隊群を率い平成八年六月二三日佐世保を出港し約四〇日 にわたる第三回群訓練を指揮していたが、ウラジオストク観艦式に参加す ゆだ るため、途中の津軽海峡で次席指揮官に指揮を委ね、旗艦『くらま(ヘリ ひき コ プ タ ー 三 機 搭 載 の 護 衛 艦 )』 だ け を 率 い て 七 月 八 日 佐 世 保 に 帰 投 し た 。 そして、諸々の準備を整えた後、約三五〇名の海上自衛隊員を乗せた『く らま』を率い、八年七月二三日佐世保を出港し、霧の日本海を北上し、七 月二六日天然の良港であるウラジオストク金角湾に入港した。 - 62 - つ ど 入 港 歓 迎 行 事 が 米・日・韓・中 の 入 港 順 に 、そ の 都 度 岸 壁 で 実 施 さ れ た 。 その際、私は各国報道関係者を前にして「ロシア海軍プチャーチン中将は 一八五〇年代に軍艦四隻を率いて長崎に三度入港しています。その時、十 二名の軍楽隊を同行させており、長崎の人達のために西洋音楽を演奏した そうです。私も音楽隊を連れて長崎県佐世保市からやってきました。プチ ャーチン中将の軍楽隊が長崎の人々を楽しませたように、私の音楽隊の演 奏にウラジオストク市民の皆様が楽しんでくれたらと願っています。ロシ はぐく ア は プ ー シ キ ン の 詩 を 生 み チ ャ イ コ フ ス キ ー の 音 楽 を 育 ん だ 大 国 で す 。そ の東の玄関たるウラジオストクを、ロシア海軍三百周年記念観艦式のため に招かれて、日本国海上自衛隊として初めて訪問できたことは光栄であり ます。そこで私は、この初めての部隊間交流によって、海上自衛隊とロシ ア 海 軍 と の 信 頼 醸 成 の 向 上 に 寄 与 し た い も の と 考 え て い ま す 。」 と ス ピ ー チした。 ロシア海軍太平洋艦隊司令官クロエドフ海軍大将(現在はロシア海軍総 司 令 官 ・ 海 軍 元 帥 ) を 表 敬 訪 問 し た 際 、「 日 本 海 は 波 が 高 く て 航 海 す る の に容易でないと承知しているが、閣下の指揮する『くらま』はその日本海 をウラジオストクまで難なく航海してきた。自分は『くらま』が太平洋艦 とも 隊司令部庁舎前の岸壁に接岸する様子を見ていたが、実にスムーズな艫付 け(後進しつつ艦尾を岸壁に直角にして係留する接岸法)であり艦長の技 量 の 高 さ に 感 嘆 し た 。」 と 、 司 令 官 は 航 海 術 ・ 操 艦 術 を 話 題 に さ れ 、 ま た そうぐう 「閣下が佐世保へ帰る時、フィリピン沖から北上する台風と遭遇しないこ き づ か と を 祈 り ま す 。」 と 、 司 令 官 に 天 候 ま で 気 遣 っ て 頂 い た 。 こ の よ う に 初 対 かか 面にも係わらず、海という大自然相手の苦労を理解しあえる者同志の親近 おの 感及びNavyの仲間意識によって、自ずとシーマンシップとフレンドシ きずな ップの 絆 を構築できるものである。 行事日程担当のコジェフニコフ海軍大佐(ロシア太平洋艦隊司令部国際 法規部長)はいつも充血した目で職務に精励していた。観艦式終了後、私 が「大佐、御苦労様。ところで来年は三〇一周年だけど、また外国艦艇を 招待しますか?」と尋ねると、コジェフニコフ大佐は「スパシーバ、ガス パージンアドミラル。司令官閣下はそうしたいと考えています。しかし、 こんぱい 我 々 幕 僚 は 、次 は 四 〇 〇 周 年 に お 招 き し た ら と 、願 っ て い ま す 。」と 、困 憊 の中にもユーモアを忘れなかった。これがNavyなのである。 - 63 - 七月三十日ウラジオストクを出港し、約三五〇名分の思い出とともに晴 天の日本海を南下し、八月一日佐世保に帰投した。 4 組織の構成 とら 固有編成に囚われず、脅威を評価して任務に適合した部隊区分及び明示 した方針を具現できる組織を構成して、役割分担を明示する。 こ し つ 特に、統合任務部隊を編成する場合、自己の派出元自衛隊に固執せず、 陸 海 空 の 自 衛 隊 の 中 か ら 最 適 機 能 の 最 適 統 合( 有 機 的 組 合 わ せ )を 選 択 し 、 任務最適部隊を構成することが肝要である。 5 綿密な計画 すうせい 時代の趨勢を考慮し、報道機関への広報を通じて我が国民と国際社会の 支持が得られ、不測事態にも対応でき、権限委任を実行でき、自らの企図 が 明 確 に 表 現 さ れ 周 知 さ れ る よ う な 計 画 を 、『 海 上 自 衛 隊 作 戦 要 務 準 則 』 じょうちょうせい 等に従い、 冗 長 性 をもたせて策定する。 すうせい 時代の趨勢の一つは、本土侵攻という死活的事態でないので、軍事作戦 といえども、作戦実施に当たり、人命尊重(味方/敵方の人的損害の局 限 )・ 環 境 保 全 ( 油 類 に よ る 海 洋 汚 染 や 放 射 性 物 質 に よ る 土 壌 汚 染 の 防 止 )・ 経 費 削 減 の 努 力 を 期 待 さ れ て い る こ と で あ る 。 6 知的好奇心と野生的勘 ロ マ ン じか 「海は人を磨く道場なり! 浪漫あふれる大自然と直に接する緊張感、最 新科学技術の粋たる艦船・航空機、一つの文化にまで高められたNavy うれ の伝統、そして、他人に喜ばれると自分も嬉しい!」が、海上自衛隊に奉 職する者の心意気である。そういう海上武人及び同様の陸上武人・航空武 よろ 人は知的好奇心を旺盛にし、また野生的勘を発展させると宜しい。 (1)知的好奇心の旺盛 知 的 好 奇 心 と は 、「 世 [ 過 去 ・ 現 在 ・ 未 来 ] 界 [ 東 西 南 北 上 下 ] は ど う な ことがら 成っているのか?」という未知の事柄に対する興味疑問から始まる。知 的好奇心を旺盛にする事は、他人・万物・環境に対する想像力を豊かに すること及び外界の価値・真理・危機を感じ取る感受性を高めることへ たんしょ の端緒となる。豊潤な想像力と繊細な感受性を有してこそ、二十一世紀 の自衛隊に奉職して御役に立てる指揮官・幕僚に大成できる。 ア 想像力 知的好奇心によって“世界を知る”過程において重要な事は、 「自分 - 64 - 自身でなく自分以外の他人・万物・環境に対する想像力を豊かにする や こと」である。想像力は‘他人への思い遣り’、‘物事の本質を見抜 く洞察力’又は‘EEI(情報主要素)から健全な軍事判決’に通ず な かいもく る 。想 像 力 が 低 い と 、敵 が 何 を 考 え 何 を 為 す か 皆 目 見 当 が 付 か な い ゾ 。 イ 感受性 知的好奇心はまた、外界の価値・真理・危機を感じ取る感受性を育 み き て 高 め て く れ る 。感 受 性 が 低 い と 、 「 見 れ ど も 観 え ず 、聞 け ど も 聴 け ず 」 おちい の 状 態 に 陥 っ て 、有 識 者 の 講 話 ・ 著 述 の 全 部 を 感 得 出 来 ず 、自 己 の 認 識する世界を狭くし、連続情勢判断などを狂わしてしまうゾ。 ウ 連続情勢判断 ガ イ ウ ス . ユ リ ウ ス . カ エ サ ル [BC100 - BC44] 曰 く 「 人 間 な ら ば 誰 に でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲する事 し か 見 て い な い 。」 と 。 『海上自衛隊作戦要務準則』にある連続情勢判断を実施する際、日 おちい 本 人 の 陥 り や す い 欠 点 を 提 示 す る の で 、心 に 留 め て お い て ほ し い 。そ れは、 「見たくないものは見えない」 「聞きたくないことは聞こえない」 「 期 待 し て な い 結 果 は 事 実 と 認 め た く な い 」と い う 事 で あ る 。つ ま り 、 Iという原因からOという結果を期待したのに、現実はXという結果 はず が出たとする。その時、我々は「こんな筈じゃない」として、現実の う そ はず 「こんな筈じゃな X を 虚 構 と 考 え て 現 実 を 無 視 し が ち で あ る 。そ し て 、 はず い」 「 こ ん な 筈 じ ゃ な い 」と 現 実 を 無 視 し 続 け 、我 に 都 合 の 良 い 結 果 の おちい み に 期 待 し て 、失 敗 の 処 理 に 失 敗 し て し ま う の で あ る 。こ れ に 陥 ら な い方策は唯一つ、我々日本人が失敗の処理に失敗した歴史を研究し、 ち え 現実を直視する勇気と現実から出発する智慧とを磨くことである。 人は失敗することがあり、物は故障することがある。古来これが世 の習いである。つまり、海の上でも一時的失敗[*かかる難局に直面 し た 場 合 、指 揮 官 は 動 揺 を 見 せ な い で 図 太 い 態 度 も ま た 必 要 で あ る * ] から は避けることができない。しかし、空頼み作戦でない限り、この一時 的失敗で戦闘に敗北することはない。戦闘に敗北するのは、失敗の処 理に失敗することである。即ち、失敗の処理に成功すれば傷口が局限 さ れ 、失 敗 の 処 理 に 失 敗 す れ ば 傷 口 が 拡 大 し て 致 命 傷 に な る の で あ る 。 よって、日常の業務や訓練等における各種の不測事態をあらかじめ予 - 65 - 測しておき、その対応対処計画を綿密に準備し、繰り返し繰り返し演 練することである。それでも各種小失敗が生起するので、この小失敗 を改善・変革の檄として小失敗を克服し、強い部隊に脱皮させる。こ ういう積重ねが、更に強い部隊に成長させていくのである。 (2)野生的勘の発展 アラン.ドロン主演の『怪傑Zoro』という映画があった。縦横無 尽に活躍するZoroとは、カリブ海地方の言葉で「黒い狐の精霊」の ち え ことである。狐のような智慧を持って、戦闘空間/任務環境を自分の庭 ほんろう とし、開発した新しい戦術を次から次へと繰り出して、敵を翻弄すべき である。 戦場において、指揮官は人間の野生部分を発揮して全身全霊で感じな ければならない。幕僚は考え、指揮官は感じるのだ。これまで工夫・ア つちか イ デ ア・改 善 と い っ た 小 さ な 現 場 学 習 を 積 重 ね る こ と に よ っ て 培 わ れ 体 得した知識・見識・胆識が、潜在意識下で融合・相関され、戦闘空間/ 任務環境の刺激によって顕在化し、指揮官の必要とする何かとして、感 じ取ることが出来るのだ。これを野生的勘(動物的勘)といい、帝国海 いちべつ 軍の言う一瞥判断力及び米国海軍の言う意思決定理論の直観的アプロ ー チ ( ⇔意 思 決 定 理 論 の 分 析 的 ア プ ロ ー チ ) に 通 ず る 。 よって、有事といえど平素やってることしか出来ないのだから、自分 の部隊をよく知り関係令達類や守則・標語などを勉強し戦史を研究する ‘学’の段階から始め、指揮能力向上を任務遂行上の必須要件ととらえ C 4 I S R を 通 じ て 指 揮 能 力 の 範 囲 を 拡 大 す る ‘ 術 ’ の 段 階 へ と 進 み 、野 かんよう い く さ い 生的勘(動物的勘)を涵養し発展させて戦争に征って任務を完遂し生き て帰れる‘芸’の段階へと精進すべし。 7 大胆な実行 ( 1 )厳 し い ス ト レ ス の 中 で 苦 痛 を 忍 ぶ 勇 気 と 環 境 条 件 に 流 さ れ な い 気 概 に き て い あえ よ り 、必 要 と あ ら ば 既 定 の ド ク ト リ ン で す ら 敢 て 修 正 す る こ と も 辞 さ な い と い う 確 固 と し た 意 志 で も っ て 、最 適 と 確 信 す る 計 画 を 実 行 し て 、指 揮 官 自 身 が Force-Multiplier( 戦 力 増 殖 者 ) と な る べ し 。 但 し 、 人 間 ひろ の脳は自分に都合のよい情報を拾って話を組み立てる性質があるうえ かか に 、思 い 込 み と い う ユ ラ ギ を 抱 え 込 ん で い る こ と に 注 意 し な け れ ば な ら ない。 - 66 - ( 2 )情 報 活 動 は 海 上 に 出 て か ら 初 め て 開 始 す る の で な く 、周 到 か つ 綿 密 に 停泊中/駐機中から開始しておくべきである。 ( 3 )あ り と あ ら ゆ る 組 織 体 系 制 度( シ ス テ ム )に は 、必 ず や 、そ の 存 在 を 左 右 す る 不 可 欠 の 重 心 が あ る 。重 心 が 傷 つ け ば 、シ ス テ ム は 機 能 不 全 に う わ べ とら 陥 っ て し ま う も の で あ る 。 上 辺 の 重 要 度 に 囚 わ れ ず 、「 何 が 重 心 か 」 を よく見極めて、それを精密攻撃することが、最も効果的である。 ( 4 ) C 4I S R を 活 用 し て 指 揮 に 係 る 時 間 ・ 空 間 問 題 を 克 服 し 、 全 般 作 戦 情 況 図 ( C O P = Common Operational Picture) を 活 用 し て 作 戦 速 度 ( Op-Tempo) で 敵 を 上 回 る の だ 。 ( 5 )軍 事 作 戦 に ス ト レ ス と 疲 労 は つ き も の で あ る の で 、人 間 と 機 械 が 回 復 み き わ 力 を 失 っ て し ま う 限 度 を よ く 見 極 め て お き 、休 暇 と 整 備 を 適 切 に 作 為 す る 必 要 が あ る 。特 に 、指 揮 官 は 、ど ん な 時 で も 寛 容 と 共 感 を 交 え た ユ ー モ ア を 忘 れ ず 、ま た 定 期 的 に 十 分 な 休 養 と 熟 考 の 時 を 作 為 し 、精 神 的 に も肉体的にも健康を維持する義務がある。 8 周密な報告 報告・通報して、初めて当該事象は存在したことになる。よって、重要 事象発生終了時または定期のSITREP〔下級指揮官から上級指揮官へ の報告〕及び上級司令部の日例会報や作戦会議での発表に間に合うSIT REP SUPPLEMENT〔下級司令部作戦幕僚N3から上級司令部 じ ぎ な 作戦幕僚N3への詳細報告〕によって、時宜を得た報告を為すべし。 その際、国際法や諸法令に基づく我が行動の正当性と相手の不法性とを 立証するため、証拠となる記録・ビデオ・写真など及びリーガルアドバイ ザ ー ( legal adviser ) を 活 用 す る 着 意 を 持 つ と と も に 、 そ の 正 当 性 を 主 張できる腹案を準備しておくことを忘れてはならない。 9 教訓の抽出 部 隊 運 用 は 科 学 で あ る と と も に 用 兵 術 ( operational art) と し て の 性 格 きょしんたんかい を持っている。自他の経験から虚心坦懐に学び取った教訓を適用し、作戦 分析手法(モデル&シミュレーションなど)も活用しながら、我が部隊運 用の改善を、“情勢判断~計画策定~行動対処~実施監督~教訓改善” フィードバックループ 連鎖の循環として、迅速確実に実施していくことが重要である。 10 ちこうごういつ 知行合一 明 の 大 儒 王 陽 明 [ 1472 - 1528 ] の 説 く “ 陽 明 学 ” は 、「 真 の 知 識 は 必 ず - 67 - ちこうごういつ 実行を伴う」として、知行合一を重視する。 通常は‘知ってる事と出来る事とは違う’のであるが、知ってる事と出 お や く な 来る事とを同一にしないと、御役に立てない。何事を為すにしても、まず とど 意 識 し な く て は な ら な い が 、そ こ に 止 ま る べ き で は な い 。も う 一 歩 進 め て 、 す や 意識したという事も捨てて行かなければならない。意識して遣ってるうち は、まだ本物ではない。そこで、鍛錬や勉学を専心集中継続すると、意識 せ ぬ 時 、注 意 を 向 け て い な い 時 に 、意 識 そ の も の が 働 い て く る 。自 分 の 心 で な い と 思 う も の が 、自 分 の 自 覚 以 外 の と こ ろ で 働 い て い て 、そ れ が ど う か し て 自 分 の 心 の 中 に 現 れ て く る の で あ る 。つ ま り 必 要 な 際 は 、体 が 自 然 に 動 い て く れ 、頭 の 中 に 自 然 に 判 決 が 浮 か ぶ 。こ う な っ た ら 知 っ て る 事 と お や く 出来る事とが同一になって、もう本物であり、国家の御役に立つことが出 しょうじん 来るのである。本物の達人たるべく、精 進あるべし。 第8節 インド洋方面派遣部隊視察 私 の イ ン ド 洋 方 面 出 張 [ 1 6 . 3 . 9 ( 火 ) ~ 1 7 ( 水 )] の 目 的 は 三 つ あ った。第一はインド洋方面派遣海上支援部隊隊員と派遣海上輸送部隊隊員を激 励 す る こ と で あ り 、 第 二 は 「 政 府 の 基 本 計 画 」「 防 衛 庁 の 実 施 要 項 」「 防 衛 庁 長 官の般命」 「 海 上 幕 僚 長 の 指 示 」を 受 け た「 イ ン ド 洋 方 面 派 遣 部 隊 指 揮 官( 自 衛 みずか み 艦 隊 司 令 官 )の 実 施 計 画 」に 是 正 余 地 が な い か 、現 地 を 自 ら 観 て 現 場 の 派 遣 海 じか 上支援部隊・派遣海上輸送部隊の隊員の声を直に聴くことであり、第三はイン ごんじょう ド洋方面派遣部隊が御世話になっている現地の方々に御礼を言上することで ある。 1 派遣海上支援部隊隊員と派遣海上輸送部隊隊員を激励 イ ン ド 洋 方 面 派 遣 部 隊 視 察 に 際 し 、 訓 示 「何の為に戦う/働くのか?」その大義が明示されると、武人の精神は安 ため 定し武人の戦意は高揚する。インド洋方面派遣部隊には、国益を護持する為 という明確な大義が有る。 我が国[エネルギー自給率20%・食糧自給率40%]は、世界中から資 ほどこ 源を輸入し高い技術力で付加価値を 施 し世界中に製品を輸出する貿易立国 [ 全 貿 易 量 の 9 9 % 以 上 が 海 上 交 通 ]・ 技 術 立 国 で あ る の で 、 世 界 が 平 和 で よ 安定していること及び日本が世界から好い評価と高い信頼を得ることが、我 が国の基本的国益である。よって、我が国が、サミット構成国/経済大国/ - 68 - ため は 技術大国として、国際的責務“世界の平和安定の為の努力”を果たす事によ って、日本の生存・安全保障・繁栄を実現出来るのである。 「インド洋方面派遣部隊=派遣海上進出部隊+派遣海上支援部隊+派遣 海 上 帰 投 部 隊 + 派 遣 海 上 輸 送 部 隊 」 の 諸 官 は 、“ 世 界 の 平 和 ・ 安 定 ~ 日 本 の あ 生存・安全保障・繁栄~海上自衛隊の任務”という目標系列の中に在る。し かも、日本[原油の中東依存度86%]の生命線であるペルシャ湾から日本 じっせん に至る石油海上交通路の安定化も進出帰投時に実践しているのだ。 とうしゅう さきおくり 海洋は前例踏 襲・問題先 送を許さないリアリズムの支配する世界である。 千変万化する海洋を活動の場とする我々は、現実を直視して明確に理解し的 確な対案を準備するリアリズム及び変化を受容し変化に適応するフレシキ うしな ビ リ テ ィ を 必 要 と す る 。[ リ ア リ ズ ム と フ レ シ キ ビ リ テ ィ を 失 う と 「 潮 気 が つなが 抜 け た 」と 言 わ れ る ぞ ! ]ま た 、海 洋 は 、断 絶 の 壁 で な く 、人 と 人 と の 繋 り (交流・対話・交易)の場である。海に生きる我々は「力を合わせなければ 千変万化の海で生き続ける事が出来ない」と経験から知っている。生命共同 いちれんたくしょう い た ご した ふね あ 体・一蓮托生・板子一枚下地獄の艦に在っては、他者が生きてこそ自己も生 きられるのだ。 だから、海上自衛隊には、他人の嫌がる事は自分が進んで引き受けるとい な う意気があり、自分がそうしなければ為らないと考え自分でどうするか工夫 や ロ マ ン し 自 分 で 遣 る と い う 情 熱 が あ る 。 そ し て 、「 海 は 男 を 磨 く 道 場 な り ! 浪 漫 あ じか ふれる大自然と直に接する緊張感、最新科学技術の粋たる艦船・航空機、一 つの文化にまで高められたNavyの伝統、そして、他人に喜ばれると自分 も嬉しい!」が、海上自衛隊に奉職する者の心意気である。 インド洋方面派遣海上支援部隊・派遣海上輸送部隊の諸官は、各国海軍部 み ふ へ ん 隊の仲間を間近に視て共に働くことによって「Navyとは普遍性を有する 文明であり世界中にその仲間が居る」ことを実感し、2001年9月11日 ふ ん い き 以降のコアリションフォース海軍の雰囲気を肌で感じ取っていることと思 う。 諸官の実施している海上支援活動・海上輸送活動は、国家の意思を、国民 を代表して、実際の行動を持って、国際社会に示しているものである。 実任務目白押しの時代における自衛艦隊は、人物金の不足や各種法令の制 約のなか、誇りと苦しさとを同時に味わっている。毎回毎回が正論・正義・ よろ な 倫理であれば宜しいけれど、それだけでは仕事に成らないのが自衛艦隊であ - 69 - やせ が ま ん る 。不 合 理 な 事 に で も 、無 理 し て 痩 我 慢 し て い る の が 現 状 だ 。そ う い う 場 合 、 つい我々だけが古今東西に苦しんでいると思いがちであるが、縦軸と横軸を 見渡すと、責任が軽くなる訳ではないが、少しは気が楽になる。即ち、縦軸 こ あ の歴史を見ると斯ういう事はよく在る事だし、横軸の他国を見ると海軍将兵 に なや かか は似たような悩みを抱えている。紀元前213年第二次ポエニ戦役でカルタ ゴの名将ハンニバルが「多くの事はそれ自体では不可能事に見える。だが、 視 点 を 変 え る だ け で 可 能 事 に 成 り 得 る の だ 。」 と 語 っ て い る 。 つ ま り 視 点 を 変えると、歴 史 と は 通 常 読 む 物 で あ る が 、今 の自 衛 艦 隊 は 、歴 史 の 現 場 に 立 ち会い歴史の現場で働き、正に歴史を造りつつ在る。何と胸おどる事か! How to be で な く How to do の 世 界 に 生 き る 我 々 は 、 階 級 と 職 責 に 関 係 な く 相互の人格を尊重して自由に発言出来るNavyの文化を維持し、戦闘空間 セ ル フ シ ンクロナイ の 情 勢 認 識 と 指 揮 官 の 意 思 決 定 に 係 る 状 況 認 識 と の 共 有 に よ る 自己 同 期 ゼイション 形 成 に よ っ て 、複 雑 系 世 界 の 変 化 に 対 し フ ィ ー ド バ ッ ク ル ー プ を 有 す る 適 応 てんくうかいかつ に よ っ て 天 空 海 闊 に 仕 事 を し よ う 。 そ し て 、 Quality Of Life( 予 定 の 立 つ 上 あか のぞみ 質の生活)も追求して、心明ルク 望 清ク! 平成十六年三月十二日 インド洋方面派遣部隊指揮官 (自 衛 艦 隊 司 令 官 ) 海将 2 牧 本 信 近 インド洋方面派遣実施計画 (1)背 景 ソルティドッグ 老練水兵が「冷戦が終わって、兵力は削減されたが、仕事は増えたよ。 つぶや そ の 上 、 海 の 広 さ は 昔 か ら ち っ と も 変 わ っ て い な い ん だ 。」 と 呟 い た 。 ア 山 本 七 平 [ 1921- 1991: 評 論 家 ] い わ く 「 近 代 日 本 が 勝 利 し た 戦 争 の 期間は日清戦争8ヶ月・日露戦争16ヶ月・満州事変5ヶ月であった。 せいぜい 政府から説明されて納得し覚悟した帝国臣民といえど、日本人は精々二 年ぐらいしか戦争という緊張には耐えられない国民性を持っている。そ えんせん たいはい の 二 年 を 過 ぎ る と 、 厭 戦 気 分 ~ 退 廃 事 象 が 待 っ て い る 。」 と 。 インド洋方面派遣海上支援作戦(初年に計二名の病死と交通事故死) は三年目に入っている。本作戦は10年も続くものと思料する。 ぜんげん よ っ て 、“ ① 業 務 過 多 ~ ② 休 養 漸 減 ~ ③ 多 忙 疲 労 ~ ④ 生 物 本 能 に よ る - 70 - 利己主義に傾斜する~⑤指揮官に余裕なく眼が三角となる~⑥悪雰囲 気が部下に伝染する~⑦人間関係ギスギス~⑧ミス・嫌がらせ/上司こ まらせ・ウツ~⑨事故多発~①”という悪循環に陥らない部隊レベル方 か ため 策は「斯かる時こそ上級指揮官は、胆識が試される男の修行と心得て、 てんくうかいかつ 心に喜神を含んで、Navyの要件たる指揮官の天空海闊及び部下の Quality Of Life を 追 求 す る こ と 」 で あ る 。 イ 従来は実任務を遂行するのに、高練度部隊として万全を期すため、時 のぞ 間をかけた十分な事前準備で臨んだものだ。しかし、現在は実任務を遂 行するのに、中練度部隊といえども、時間をかけた十分な事前準備で臨 や む余裕も余力もない。練度向上訓練を遣りながら実任務海域へ進出し、 や や 練度維持訓練を遣りながら実任務を遂行する。つまり、訓練を遣りなが や ら 任 務 を 遂 行 し 、任 務 を 遂 行 し な が ら 訓 練 を 遣 る の で 、今 や 実 任 務 と 現 地訓練とは、表裏一体の関係にあるのだ。 (2)現 地 ア 警備上・安全上の観点から現寄港地を適当と認める。 イ その他 略 (3)現 場 ふね ア い つ い つ “どの艦で誰が何時出国し何時帰国するか半年前に判明する”という 体系的な展開計画・修理計画・人事計画がベストである。しかし、私の 責任でありながら、残念ながらそうなっていない! それは、……………………………………………………………………。 イ その他 略 3 現地要人に御礼言上 アッサラームアレイコム! 私 は Vice Admiral M A K I M O T O , Commander In Chief,Self-Defense Fleet で す 。 ○○○国防省を訪問できましたことは、私の深く喜びとするところであり ます。 日本国は貿易立国・技術立国でありますので、世界が平和で安定している こと及び我が国が他国から高い信頼を得ること、この二つが我が国の基本的 - 71 - 国益であります。よって、サミット構成国の国際的責務“世界の平和安定の 為の努力”を果たす一環として、日本国政府は海上支援部隊と海上輸送部隊 をアラビア海・アラビア湾に派遣しました。 ○○○国の方々は寛容(タサームフ)で親切(カリーム)との評判が遠く 日本まで鳴り響いています。 2001年11月から現在まで、日本はアラビア海に艦艇延べ約40隻・ 乗員延べ約7000名を派遣しています。我が部隊が御世話になっている貴 国の要人に御礼の挨拶を言上するため、私は日本から来ました。本当に有り 難う御座います。 我が部隊は、艦艇の補給と乗員の休養のため、貴国に入港させて頂いてい ます。上陸した乗員は、アラブの心に触れ、アラブの歴史文化を学ぶ機会が 在りました。例えば、英雄サラハディーンの物語は日本人の心をも揺り動か すのです。 第9節 定期昇任者に対し訓示 昇任おめでとう。 いやさか おのおの こ と ほ 緑輝く日本の盛夏を迎え、諸官とともに、我が国の弥栄と各各の昇任を言祝 てんくうかいかつ ぎ 、 統 率 方 針 「 天 空 海 闊 」・ 勤 務 方 針 「 精 強 、 自 衛 艦 隊 」・ 指 導 方 針 「 強 い 指 揮 まっと 官とタフな隊員」をもって、改めて使命を 全 うする決意を新たにしたい。 さて、2000年の東奥日報の朝刊記事によると、フランスの小説家・飛行 士 ア ン ト ワ ー ヌ .ド .サ ン テ グ ジ ュ ペ リ Antoine de Saint-EXUPERY[1900 リ ヨ ン 市 生 れ - 1944 出 撃 行 方 不 明 ] は 、 童 話 『 星 の 王 子 さ ま 』 で 、「 心 で 見 な く ちゃ、物事はよく見えない」と謎を掛けている。では、物事を心で見るとはど んなことなのか? 理論物理学者の佐治晴夫宮城大学教授がそれを解いている。 即ち、 「 … … 心 で 見 る と は 、目 に 見 え な い も の を 理 解 し よ う と す る こ と で す 。 例 え ば 、真 昼 の 星 、普 段 は 地 上 か ら 肉 眼 で 見 え ま せ ん が 、真 昼 で も 星 は 実 在 し 、 上空に行けば肉眼で見えます。そこで、見えないから存在を信じない、触れら れ な い か ら 存 在 を 気 に 留 め な い 、聞 こ え な い か ら 存 在 を 無 視 す る と い う 態 度 は 、 わか す ば 理解しよう・判ろうという気持ちがない証拠であり、どんなに素晴らしい出来 そば す ど お 事や物事であっても、その人の側を素通りしてしまいます。五感だけに頼って せま は、物事の真実に迫れません。見えないものに対しては、謙虚な心で、視点を つと 変えながら理解しようと努めなければなりません。謙虚な心は、他人を受入れ - 72 - はぐく る 寛 容 な 心 を 育 み 、他 人 に 幸 せ に な っ て ほ し い と 願 う 優 し い 心 を 導 き ま す 。謙 虚さ・寛容さ・優しさは、見えないものを見えるようにする力を授けてくれま つく す。137億年前の宇[天地四方:空間]宙[古往今来:時間]誕生で創られ り ん ね てんしょう た素粒子(クォーク・電子・ニュートリノ・光子等)から成る原子の輪廻 転 生 に よ っ て 造 ら れ て い る 我 々 人 間( 6 0 兆 個 の 細 胞 )も 宇 宙 の 一 部 で す 。人 間 は 、 ひと か け ら い の ち ひと か け ら 宇宙の一部である“一欠片の生命”つまり“宇宙の一欠片”と意識する時、謙 虚になり、物事を心で見ることを促します。……」と。 け い き み 昇任を契機として諸官が物事を心で観るように要望して、私の訓示とする。 自衛艦隊司令官 - 73 - 海将 牧本信近 お わ り に やすし こ う し 「 井 上 靖 著『 孔 子 』新 潮 文 庫 1 9 9 5 年 」に よ る と 、孔 子[ 姓 は 孔・名 は 丘 ・ あざな えんきょう こ う し 字 は 仲 尼:BC5 5 1 - BC4 7 9 ]の 門 弟 蔫 薑 が 孔 子 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て し みだ みだ いる。 「 子 は 5 0 歳 の 時 、こ の 紊 れ に 紊 れ た 世 の 中 を 、自 分 の 周 辺 か ら 少 し ず つ おかんが でも良くして行こうという御考えを、はっきりと天から与えられた使命として ご じ ぶ ん 自覚され、改めてそれを御自分に課せられたかと思います。誰から頼まれたの せい う な でも命じられたのでもない。自分が生を享けて、この世で為すことはこれしか おかんが しか ないと御考えになったのでありましょう。併し、天から与えられた仕事である おかんが からといって、必ずしもそれを天が守って下さるとは御考えにはならなかった ちゅうどう たお と 思 い ま す 。い つ 思 わ ぬ 障 害 が 起 こ る か も 知 れ な い し 、い つ 中 道 で 斃 れ る か も せ つ り 知れぬ。大きい自然の摂理の中で生きている小さい人間のすることである。思 いっこう いがけぬ障害が、思いがけぬ時にやって来ても、一向に不思議はない。だから おのれ いささ と言って、 己 が天から与えられている使命に対して、 些 かも努力を惜しんで はいけない。そういう小さい人間の小さい努力が次々に重なって、初めて人間 しあわ し おかんが に と っ て 倖 せ な 平 和 な 時 代 が 来 る と い う も の で あ る 。子 は こ う 御 考 え に な っ て い た と 思 い ま す 。天 命 を 知 る と い う こ と は 、こ う い う こ と で ご ざ い ま し ょ う か 。 ご じ ぶ ん お し ご と お さ と 御自分の御仕事を天から受けた大きい使命だと御悟りになったことが一つ、そ ゆる すべ れと同時に、その仕事が天の弛みない自然の運行の中に置かれる以上、全てが はこ 順調に運ばれてゆくということを期待することは出来ず、思いがけない時に、 さら 思いがけない困難に、色々な形で曝されることもあるであろうということを、 しっか お さ と あわ 確 り と 御 悟 り に な っ た こ と が 一 つ 、こ の 二 つ を 併 せ て 、こ の こ と が 天 命 を 知 る い か ということになるのでございましょうか。如何に正しい立派なことをしており あ す い の ち い か ましても、明日の生命の保証すらありません。如何なる思いがけない苦難が立 ふさ きっちょうかふく ち塞がって来るかも知れません。吉兆禍福の到来は、正しいことをしようとし せ つ り まいと、そうしたこととは無関係のようでございます。大きい天の摂理の中に せいばい まか おのれ 自 分 を 投 げ 込 み 、成 敗 は 天 に 任 せ 、そ の 中 で 己 が 信 じ た 道 を 歩 く ! 見 事 な こ と し ど な た さ お か く ご で ご ざ い ま す 。子 以 外 に 何 方 が こ の よ う に 醒 め た 御 覚 悟 を 持 て た で し ょ う 。」と 。 こ う し な さ 孔子に及ばぬにしても、国家の命令で艦長・指揮官に為った諸官は、醒めた しょうじん まっと 覚悟を持って精 進し、指揮官道を 全 うする義務が有る。 強い艦長・指揮官たる諸官の武運長久を祈る。 - 74 -
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