分科会 6『事例から学ぶ資金調達ポイント』

分科会 6『事例から学ぶ資金調達ポイント』
ファシリテーター
発 表 者
鵜尾雅隆氏(Fundrex)
及川龍哉氏(NPO 法人遠野まごころネット)
齋藤正宏氏(NPO 法人遠野まごころネット)
発表内容
「継続的な活動資金確保へのチャレンジ」
齋藤氏:
皆さんこんにちは。遠野まごころネットの齋藤です。肩書は事務局長ですけど、実は 4
月 5 日に、まだボランティアが二人とか三人の時に遠野に入った、ただのボランティアで
す。ただ、翌日の 6 日から一人二人という格好の単位で高田のまちを全部歩いてます。歩
く中で何ができて何ができなくてという格好で、部隊をつくってきました。最初は物を運
ぶところをミルクとか、そっから避難所と民間避難所の状態、それからサンマとかがれき
を拾う部隊をつくって、いくつも部隊をつくって私は転戦しました。それから、仮設に移
る前に避難所のコミュニティのリーダーの方たちとお話して、避難所から仮設に移る時の
移行期の問題、その時期に例えば引っ越しとかサービスが変わっていく問題。それから仮
設に入る時に、例えば大槌町と陸前高田と、ひと月差があります。コミュニティがばらけ
てしまうんです、大槌の場合は。一つの避難所が次の避難所に移る前にコミュニティが二
度三度引っ越しをして、みんなバラバラになって、より良い仮設に入った大槌と、初期の
不備のある仮設に入ったけどコミュニティはばらけてない。こういう事例が全然、被災の
状況と人的な対応の状況で地域によってバラバラなんです。サービスもバラバラ。どうし
たらいいか。そうしたことを各地域に行きながら、これまで参りました。
今時間ないので大雑把に言いますと、そういう災害対策、最初の時期ですよね。それか
ら 2 番目、去年の 8 月、6 月、7 月位からですかね、ちょうど仮設に移るあたりから、次の
時期のサービスということを考えながら動いています。その中で見えてきているのが
農
地とかコミュニティ再生です。今それの実現期にありますが、来年はそれらの中の事業を、
補助金ではなくて自立していってモデルをつくらないと、いろんなお金も危なくなると。
そういう時期を大まかに迎えている。そういう中で、一つは大きく内閣府のほうからお話
をいただきまして、緊急雇用制度というのをボランティアと現地の人を雇用していいと言
われました。これで人件費をものすごく肩代わりしていただいたことは、大きいです。そ
してその分に必要な外部、三井さん、いろんなものの助成金のお金を全部現地に注ぎ込ん
でいる。だから自転車操業なんです、実は。規模大きいですけど。そしてそれだけのもの
を注ぎ込むことで、昨日お話の中にもスケールメリットって話がありましたけど、大規模
にやることで企業さんも見に来てくださって、ご支援をいただく、宣伝になる。それ今あ
りましたよね、出資規模が 1 億とかこれじゃ厳しい、あれと同じことだと思うんです。あ
る程度大きくやって、基本の形をつくってしまわないとしにくい。じゃ、何をするのか。
被災地いっぱいあります。そうじゃなくてその中でみんなが真似していただく、モデルを
つくることしかできない。まず最初の話をします。
それで、次ですね大体時間に合わせてお話をします。これ自動的に変わってきますので。
これ菅野恵二郎というのは実際に私が入ってる村の方です。この方が事業助成をする手伝
いをしながら、これを作っていますので、こんな名前になってますが。サンマ 6,000 トン
流れ着いた。行政も来ません。600 人規模入ってます。そこに入り続けることが一番、今 1
年 5 ヵ月なんですけど、これでいろんな関係を教わり、ハード活動が実はソフト活動で現
地の人との関係が生まれたんです。そんな中で 10 月に重機がいった後でもこれだけ出るん
ですよ。それを掘り続けて、村一個分の畑を取り戻したら、農水省から助成のモデルをつ
くるからパクると言われました。おたくのコピーしますと。どうぞどうぞ、うちはモデル
つくるの仕事ですから。それができたら、今のように人が仮設と在宅を超えてつながった
んです。だから、そういう現象を追っかけて行く中で、何をつくっていいかが現場で出て
くるわけです。それを拾って今度は外にお伝えすること。
これは、たくさんの木が立ち枯れします。津波のあった集落。高田市はこれ全部伐採し
てチップ処分して業者に落としちゃうんです。違うんです。あっちこっち林業できるお父
さんたちいたら、これを資材として使って、いろんなもの作らせれば、仲間ができてリハ
ビリになるんです。これを奪っちゃうんですよ。じゃないだろう、という提言を今つくっ
ています。現在、製材所ができて、そして…ということは後で写真出てきますが、これま
ず立ち枯れた木ですよね。ボランティアが石拾ってるので、日影がない。申し訳ないって
木を切り出したんですよ。これもお父さんたちから学んだことです。お父さんたちの中に
は電気業者も、きこりさんも、大工の棟梁もいます。いろんな人が集まることで、村をも
う一遍つくる、村が生まれてくるんです。僕らが言わなくても、勝手にテーブルとか試作
を作ってくんです。これを世に出すことが僕らの仕事なんですよね。
この慰霊碑も勝手にお父さんたちが始めた。過去を弔い、未来を約束する。これコミュ
ニティの目ですよね。例えば、お父さんたちは、これはあんまり可能性がないかもしれな
いんですが、土石流災害が津波の後も起きてますので、これを保全する補助金を地元の人
は自分たちの森を保全することで出せないか。これ、出ません。ものすごく大きな規模の
私有林が抑えているために、森林組合からの仕事を回してもらえない。で、どうするかっ
て話になってきます。これ、5 月でもこういうのが起きてます。なので、今やっている製材
所事業から公民館を立てている、公民館の半分は女の人の加工場施設になっている、とい
うふうに今つくってますが、それをどういうふうに次の事業展開に結びつけるかっていう
ことです。そこにはボランティアの力も大きいです。お父さんたちじゃできないです。ま
ごころネット全体 7 万 6,000 人のボランティア来てます、のべですけど。ここだけでも 2
万人は来てます。なぜ 2 万人もこの村に来るのか。それはサンマの時からのリピーターだ
ったり、村が変わってくことに対する、災害版ダッシュ村に自分も関わっている魅力って
言うんでしょうか、そういうのが個人レベルと企業レベルであるんですね。
で、立ち枯れの木を今のように製材して、それを外壁として公民館の周りに全部皆さん
で打ち付けることでモニュメントになります。その趣旨をご理解いただいて、ドイツから
800 万程来ました。外国の資金も使っています。海外にも、ドイツ語も英語もフランス語も
含めて発信をしています。やっていることを伝えないと、日本にいなかったら、他からで
も共感者がいるんですね。こういうふうにいただいで、一緒に今つくってます。ここまで
やっと来れたわけなんですが、これも半分はお母さんたちの野菜工房になる予定です。
で、膨大な農地が半分遊休地・不耕作地になってたんですが、これをどうするか。大体
は他の仕事をしていた方ですので、専業の営農者じゃないです。減農薬でやる知恵もない
です。すぐ薬使っちゃいます。でもここをボランティアさんでススキとか堆肥とか入れる
ことの中で、構造転換することはできないか。だって人来てるんだもん。民宿できるでし
ょ。来てる人を捕まえない手はないから、ちゃんとした畑としてつくることを学んでもら
って、これを地域に民宿にしたらどうだと。そういうことを今目論んで、地元の方と話を
しているんですが。現地の方から学ばせてもらったことをお返しして、外につないで、外
からお父さんたちの夢を実現していくこと。一個一個のホラ話みたいなものが、がっかり
しない、がっかりする連鎖じゃなくて、生きていく連鎖で自信と希望を持ってもらう。去
年小麦とこう作って、今こうなって。普通はこの土地もね、全部持ってかれちゃうんです
よ。石拾って、放射能検査やって、全部やったら行政は土入れるだけにすると。すると、2
年分土づくり浮くんです。そしたら来年から営農できるんですよ。そういうふうに気持ち
を落とさせない。で、そのこと自体を丸ごと企業にもボランティアさんにもお伝えするん
です。見てもらって説明する。だから、現場をつくることが営業なんです、資金獲得なん
です、実は。ということの意識でやっています。このことも実際県とお話しをして、こう
いう方針だから土入れはこうだよ、で、こういうことだよっていうことをイオンさんとか、
いろんな来て下さる企業さんにも話して、時には「助けたろうか」っていう話が入ってく
るわけですね。そういうふうに動かす。
一つはさっき緊急雇用って言いましたけど、補助金で食ってる話から、地域見守りの手
芸とか賄いが始まりましたけど、これで地域の仮設を、在宅の人も仮設の人もいるんです
けど、地域の人が近隣地域を見守り始めてます。次に来年事業化が来ますから、これを全
員に給料出すっていうふうにはできないですが、それぞれ製材所から公民館や農場や民宿
っていう部門に分けて、お母さんたちの仕事、お父さんたちの仕事何なのかと。パートさ
んでもいいんだけど。自分が担う仕事で村をもう一つのエンジンとして再生できないか、
ということなんですね。次から及川に代わります。
及川氏:
今、齋藤のほうから申し上げた通りなんですけれども、現場が、現地の皆さんと協働す
るような形で事業を立ち上げていく。事業というのは支援事業ですけれども。それをもと
にして私のほうで担当してますのは、助成金の獲得という部分なんですけれども、事業を
組み立ててドナーの皆さんにご提案していくという形になっています。私どもはあくまで
も「従」の立場でして、主体となるのは現地の皆さんと、持続的に被災地と復興の共生関
係を結んでいただけるドナーの方ですとか企(起)業家の方、そういった方とのつなぎを
やらしていただいているという立場です。
齋藤氏:
スライドは終わったということで、あと 2 分あるってことですね。必ずしも被災地支援
の方ばかりではないようですが、ある程度の量と、場合によっては被災地とつながること
を含めた支援活動を組むことで、先程おっしゃられたように、ある規模の形を組むことが
できる。私たち今、目を付けてるというか、最近来て下さるのは、地方行政の方です。地
方が限界集落化していってます。産業も難しくなってます。その人たちがどうしたらいい
かを見に来る。こういう人たちを視察として受け入れることと同時に、この人たちの村を
復興させるのにまだ 10 年ある。ほんとにダメになるまでにやれる時間がですね。この現地
の人は今日やんなきゃいけないんです。これを一緒にやらないかというふうに、地方とこ
ちらをつなぐということを話し始めてます。もしかしたら日本中の村々で、自分の村どう
しようかって 10 年先を考えている人たちとファンドを組めるかもしれないですよね、なん
かの。例えばそういうようなことを意識して、物事を起こす。それを現地の人と夢物語と
して話しながら、具体的な一個一個をやる。やってることを形にして、メディアにして、
企業や外国に発信してまたそこからも手伝ってもらう。っていうふうに、みんな一緒につ
くってるよという意識をつくっていく。実際にはお金がないんです。膨大なお金が動きま
すけど、手元にはほとんどないです。でも、物事ができていって、人びとの希望ができて
いく。そういう形なんじゃないだろうかというのが、私たちの提言です。
ちなみに、例えば、今のだと、こういう板がドイツ語版とか英語版とか出て、ボランテ
ィアも買っていきますし、外国の出資先に行くことになるわけです。その中でどうなのか
というお話が進んでいきます。それから先程出ていた、サンタを呼ぶ活動が、お金が余れ
ば、その活動のお金は山分けするんじゃなくて、何に使うべきかと。子供たちの基金をつ
くろうかというふうに展開していく。やがては、それを地元に全部還流というか、お任せ
していく形ができればと。最初何にもない、被災の後追いから始まって、いまだに泥縄ネ
ットなんですけど、そんな形で動いているっていうことです。参考になるかどうかわかり
ませんが、以上で発表終わります。