ブラジル農業に触れて感じたこと

[雑草と作物の制御]vol.9
2013 p47~48
ブラジル農業に触れて感じたこと
元クミアイ化学工業(株)
川本
章
ブラジルは日本の約 23 倍の国土を有し、2011
気の歓迎を受けました。これはアルコール燃料車
年の農用地は 2 億 7500 万ヘクタール(日本の 60
の排気ガスの匂いだと後ほど知ることになりまし
倍)、耕地は約 7200 万ヘクタール(日本の 17 倍)
た。そう、ブラジルはサトウキビから生産される
を有する農業大国です。
エタノールを自動車燃料に利用することができる
さとうきび、コーヒー生豆、オレンジの生産量
フレックス車開発・普及の先進国であり、2012 年
は世界第 1 位、大豆、牛肉は世界第2位、とうも
新車の約 90%はこのフレックス車になっていま
ろこし、鶏肉は世界第3位の生産量を誇っていま
す。
す。
飛行場から市内へ向かう途中には丘の上まで掘
また、2012 年度の農薬販売高は日本の約3倍、
立小屋ふうの家が立ち並ぶ
(どう見ても不法建築)
。
97 億 US$にまで拡大しており、ブラジルはアメリ
町にはポイ捨てのごみが散乱し、家の壁には落書
カに次ぐ世界第二位の農薬消費国でもあります。
きも散見される。おせいじにも、きれいな町、安
そんな世界有数の農業大国に平成 15 年から 3 年間
全な町とは言い難く、街角に物乞いがいる光景を
赴任して感じたことを述べたいと思います。
見ると今後の生活に不安が残りました。しかし、
それは農薬メーカーへの就職も内定した約 40
住んでみれば、これら光景も自然と受け入れられ
年前、大学4年生の夏休みのことでした。北海道
るようになるから不思議です。それ以上に、サン
旅行中、帯広から稚内へ向かう車窓から目に飛び
パウロの町はヘリポートを備えたビルの建築ラッ
込んできたのは、地平線まで何の障害物もなく
シュで人々の熱気が感じられ、ブラジルが成長の
青々と広がるダイズ畑でした。小田原近郊の農村
真っただ中にあることを膚で感じることができま
地帯に育ち、広くて 30 アール規模の水田しか見
した。
てこなかった私は、
「農業をするならこのくらい広
いところでやらなければ。
」と、その広大な畑に感
ある日、サンパウロ州内で日系人が経営する綿
農場の収穫現場を見学する機会が有りました。
動しつつ、漠然と思ったものでした。
農場は地平線まで一面真っ白なワタ畑です。複
そして 30 年後、ブラジル勤務を拝命しました。
数台の数千万円する綿収穫機と運搬トラックがペ
ポルトガル語はそれまで聞いたこともなく、アマ
アとなって収穫作業が行われていました。農場主
ゾンとカーニバル、日本の裏側にあって遠くて暑
は、高価なパジェロの新車を運転し、助手席に私
そうな国程度の知識しか持っていなかった私です
を乗せながら場内を移動しつつ、携帯電話と無線
が、日本の約 23 倍の国土を有し、日本人農業移民
機を使って現場の管理者に作業の進捗状況を確認
がたくさんいる国とはどんな国だろうと少なから
し、声を荒げつつ指示を次々と出していました(ポ
ず興味を持って赴任しました。
ルトガル語なので雰囲気しか理解できませんでし
ブラジル国際空港に到着した私は、今まで経験
たが)。
したことがなかった何とも言えない甘ったるい空
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農作業に携帯電話と無線機が必要などとは想像
もしていなかった私はその時大変驚いたものでし
きが煙害を引起すとの環境問題や収穫後の品質低
た。
下防止の両面より機械化収穫へと移っています。
農場の事務所で経営者は、綿の取引価格をイン
更に、ブラジルの水稲栽培は、リオグランドス
ターネットでチェックし、出荷時期、数量等を決
ウ州を中心に約 100 万ヘクタールで行われていま
めていました。播種作物、時期や品種も市場動向
す。訪問先は規模が小さいため組合組織で農場経
を見て決めるとのことで、その姿は、当時、個人
営がなされていました。農家の栽培面積は、平均
経営が主流であった日本の農家の親父さんの顔と
200 ヘクタール程で、日本の農家に比べれば大規
は異なり、会社の経営者そのものでした。
模ですが、ワタやダイズ農家を見た私にとっては、
農場内には、冠水と養魚を兼ねた池が有り、そ
小規模に映りました。
の湖畔のゲストハウスで私たちは農場主の家族と
日本では目にすることができないこのような大
昼食を取りました。ブラジルにもこんな優雅な欧
規模な農業経営に、私は、何ともいわれぬ夢と親
米的生活があるのかとうらやましくも驚きました。
近感を持ったものです。
また、マットグロッソ州の大豆農家を訪問した
これら国際商品の競争力向上には、機械化、大
時のことです。農場の中には防除作業用の自家用
規模化或いは集団化によるコスト削減が必要と感
小型機の滑走路がありました。農場主は州内他地
じました。
域や他州にも農場を所有し、農場には農作業全般
ブラジル政府による土地改革は、牧畜や輸出作
を管理する責任者を常駐させ、自らはサンパウロ
物の大規模機械化農業の導入、円滑化には寄与し
に居を構え必要に応じて農場を訪問するとのこと。
ました。しかし、農業従事者全体に占める割合が
雑草や病害虫防除は防除コンサルタントと契約し
1%未満の 2000 ヘクタール以上の農園主が耕地
て対応し、植付け-防除-収穫までの作業と人員計
の約 43%を所有している状態にあり、大規模農家
画はスケジュール化され、責任者によって管理さ
に土地が集中する土地の不平等性という問題が発
れていました。また、農場の一角には従業員用の
生していると指摘されています。
宿舎も設置されていました。
一方、日本では、1947-50 年に農地解放が実施
これは、大型農場の経営では一般的に行われて
され、農地に占める小作地の割合は、46%から
いる管理体制で、農場主は、市場動向を見極めた
10%に激減しました。
しかし、農業経営面からは、
経営管理に特化していました。これらのことは、
農地解放は大規模農業の細分化と農地の生産性低
今まで私が持っていた農家のイメージを大きく変
下をもたらし、農業経営が著しく非能率的なもの
えました。
になってしまったとも指摘されています。
サトウキビの収穫では、一方では機械収穫が、
農業が産業として、工業化社会、グローバル化
一方では人手による収穫が実施されている光景を
社会で成り立つためには、
規模拡大をしつつ且つ、
見ました。機械収穫は、収穫から収穫物搬出まで
商品の差別化が必要ではないかと思われました。
システム化され、近代化された光景でしたが、人
政府には、積極的に農で生きていこうとする既
手による収穫は、季節労働者らによる肉体労働そ
成農家や、これから参入したいと思う個人・法人
のもので、人件費の安さが成り立たせているもの
に対し、自立或いは参入を容易とするための法的
だと感じました。最近は、収穫前に実施する葉焼
な支援が必要ではないかと感じる今日この頃です。
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