Regional Transportation and Land Use

地域交通と土地利用計画
ポートランド都市圏エリアが、革新的・効果的な土地利用と交通機関計画で全米を代
表するモデルとなった要因とは?
他市とあまり変わり映えのしなかった昔のポートランド市
1960 年代の後半まで、ポートランド市はアメリカにある他の同規模の都市と比較し
ても、特に変わりばえのしない都市でした。当時、多くのアメリカの都市で、路面電
車が主要交通機関として使われており、都市機能も路面電車を中心に発達していまし
た。しかし、しだいに自動車が都市交通の要としてとって変わり、安価な自動車の利
用が一般に浸透し、公共投資に向ける公的資金が不足する中で、路面電車などの公共
交通機関の成長は失速していきました。一方、1956 年に州間高速道路プログラムが
始まり、高速道路の建設が急速に進み、必然的に高速道路が地域交通の中心となって
いきました。
自動車利用が増加するのに伴い、地域の交通渋滞も増加の一途を辿りました。1959
年にポートランド・バンクーバー都市圏内の地方自治体の広域連合であるコロンビア
地域自治体連合(CRAG)が中心となり、地域交通需要を検討する初めての包括的調
査が始まりました。このポートランド-・バンクーバー都市圏交通調査(PVMAT
S) は、1966 年に完了しましたが、当時の潮流に違わず、高速道路の建設を規制す
るといった解決法は特に盛り込まれておらず、1971 年に発表された「1990 年に向け
た地域公共交通 20 年計画」では、既存の生活道路交通網の上を走る高速道路を新た
に 54 本建設し、交通網の多層化を図る計画が提案されました。
自動車利用の増加はまた、ポートランド市のその他の側面にも影響を及ぼしました。
1890 年建造のグランド・ポートランド・ホテルは、新しい立体駐車場を作るために
1951 年に取り壊されました。1972 年には、ポートランドのダウンタウンを走る自動
車の排気ガスによる大気汚染が進み、連邦政府の規定大気汚染レベルを 3 日に 1 度は
超えていました。
公共交通機関の危機
その一方で、公共交通機関の乗車率は減少するばかりでした。第二次世界大戦中は、
公共交通機関の年間乗降者数は 1 億 6 千万人ほどあったのですが、1969 年には 1,600
万人にまで減少しました。同年、倒産に直面していたローズシティ・トランジットカ
ンパニーは主要な料金の引き上げを要求し、全サービスの中止を警告しました。
こういった状況に対応すべく、1969 年にオレゴン州議会が下院議案 1808 を可決し、
その結果公共交通機関特別区の設立が許可され、給与税をその財源に充てる権限が付
与されました。マルトノマ、クラカマス、ワシントンと三つのカウンティに広がるポ
ートランド都市圏地域で、オレゴン・トライカウンティ都市圏交通機関特別区
(Tri-County Metropolitan Transportation District of Oregon)、すなわちトライメット
(TriMet) が設立され、 市内を走るローズシティー・トランジットや郊外のブルー・
ラインズなどを含む経営難のローカルバス会社を買収し、新たに設立された特別区内
の公共交通機関のサービスを提供する母体となりました。
交通問題の再検討
1970 年代初頭、ポートランド都市圏地域とオレゴン州において、その将来を大きく
左右する革命的な発想の転換が行われました。まず、1971 年にオレゴン州議会が上
院議案100を可決しました。この議案は、全米初の州規模の土地利用計画法となり
歯止めが利かないスプロール現象を抑制し、オレゴン州の生活の質を維持し、郊外の
農地を守るのに貢献しました。2 年後、オレゴン州は土地管理開発委員会が提案した、
14 項目にわたる土地利用計画目標を採択し、市とカウンティはこれらの目標に見合
う包括的計画を立てることが義務付けられました。
ポートランドダウンタウン、公共交通機関の復興に本腰
一連の州レベルの取り組みに乗じて、ポートランドの市民リーダー達は、市の中心部
の活性化のための投資を改めて重視する向きの取り組みをはじめました。1972 年に
策定されたダウンタウン計画では、自動車の増加に対応する形で都市の成長を図るの
ではなく、まずはポートランドをどのような都市にすべきかという理想を明確にした
上で、適切な交通インフラストラクチャーに投資することが肝要であると宣言しまし
た。ダウンタウン計画では、市民が常に安全に歩いて回れる「24 時間ダウンタウン」
を理想とし、住宅や地上一階の商店舗を豊富に提供することで中心市街地野活性化を
図る提案がなされました。また、市内の 5 番通りと 6 番通りをダウンタウンのオフィ
ス及び商業施設の中心地として位置づけ、5 番通りと 6 番通りをバスの主要路線とし
ました。加えて 5 番通りと 6 番通りに沿った周辺の通りを主要な自動車アクセス道路
として位置つける事で、バランスのとれた地域交通システムの発達への基盤が形作ら
れました。
公共交通機関の推進
新しく設立されたトライメット(TriMet)は、1973 年 までに、地域における公共交通
機関の増加を促すための「緊急アクションプラン」と「1990 年に向けた基本計画」
を完成させました。両計画は、ポートランドのダウンタウンの公共交通機関を市内の
5 番通りと 6 番通りに沿うバス専用路線(トランジットモール)に集中させることを
提唱し、また、自動車からバスへの利用を促すため一連の郊外のパーク・アンド・ラ
イドを建設すること、バス事業を促進させるために主要道路をバス路線とすることな
どを奨励しました。この時点では LRT(軽量軌道交通)への言及はごくわずかで、と
くに将来考慮すべき公共交通手段として推奨もされていませんでした。
バランスのとれた交通システムへの移行
1973 年 5 月、トム・マッコール州知事は、ポートランド都市圏の新しい交通機関計画
策定にむけて、特別委員会を設置しました。特別委員会が発表した「1975 年暫定交
通機関計画」では、ポートランド都市圏地域は高速道路建設の規模を必要最小限レベ
ルに限定し、バランスの取れた交通機関システムを開発させるべきだと言う画期的な
計画を発表しました。この計画のなかで、まずバンフィールド高速道路を中心とした
主要な交通ネットワーク作りを手がけることが提唱されました。
また、この暫定計画の中で、ポートランド地域における今後の都市開発と土地利用は
交通計画と連携するべきだと言う理念が提唱されました。ポートランドは全米でこの
ような方針を採用した最初の主要な都市圏となり、その意味でもこの暫定計画はポー
トランド地域にとって重要な計画となりました。
1974 年に、マウントフッド高速道路建設が地域に及ぼす影響を調査した結果報告が
発表され、一般市民の反対運動の機運は頂点に達しました。この調査報告では、パウ
ウェル通りに沿ってマウントフッド高速道路が建設されると、ポートランド市南東部
地域およびやグレシャム市の近隣地域が破壊され、かつ 1972 年当時の価値で 4 億ド
ル以上のコストがかかると発表されました。こうした動きに対応し、同年、ポートラ
ンド市議会とマルトノマカウンティ議会は正式にマウントフッド高速道路建設を却
下し、土地利用計画と交通計画を連携しながら考えていく理念のもとで、新たな都市
圏の東西を結ぶ交通手段の開発の模索がはじまりました。
住みやすい都市への投資
1970 年代後半には、土地利用計画と交通機関計画を連携し、市民の生活の質の向上
を目指した都市開発への取り組みが功を奏し始めました。
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1976 年にはダウンタウンを走っていた 4 車線の高速道路が取り壊され、今日
も存在するのウォーターフロントパークが作られました。
1977 年までに、ダウンタウン計画で示されていたように、市内の 5
番通りと 6 番通りがトランジットモールとしてダウンタウン再開発の焦点と
なりました。また、ポートランド-グレシャムを結ぶバンフィールド幹線道路
にもっとも適切な公共交通機関は何かという選択肢の検討がなされ、当初の提
案にあったバス専用道路の設置に代わり、LRT(軽量軌道交通)がより好まし
い代案として浮上してきました。
1981 年に、ポートランド市はダウンタウン中心部に 10 階建ての立体駐車場を
建設する計画を却下し、地域の人々の要求に応じて、パイオニア・コートハウ
ス・スクエア(今日では度々"ポートランドのリビングルーム"と呼ばれる)を建
設することが決まりました。
路面電車/軽量軌道交通ネットワークの始まり
1973 年の連邦補助高速道路法により、当初高速道路開発に当てられていた連法政府
の補助金を、高速道路計画が見直され、建設が見送られた場合、他の公共交通機関開
発プロジェクトに当てることが認められました。1977 年、オレゴン州は中断された
マウントフッド高速道路のプロジェクトに当てられていた連邦政府の補助金をバン
フィールド LRT(軽量軌道交通)プロジェクトに使う申請をし、連邦政府からの許可
を 1980 年に受けました。ポートランド市長、州知事、オレゴン州交通局長らの尽力
により可能となったこの重要な決断により、以後、路面電車・LRT(軽量軌道交通)
のネットワークが発達し、地域開発の触媒・中心点として、地域の公共交通システム
の屋台骨が作られていきました。
50 年先の土地利用と交通機関のビジョン
土地利用計画と交通計画が連携した都市開発をするという新しいビジョンに基き、
1978 年に有権者の投票によりはコロンビア地域自治体連合(CRAG)に代わって広
域政府である都市圏サービス特別区(今日のメトロ)が設立されました。新しく設立
された広域政府のメトロには、地域の将来を決める地域開発計画の策定に関して多大
な権限と責任が付与されました。設立の一年後、メトロはオレゴン州計画法に呼応す
る形で、都市成長境界線(UGB)を設け、スプロール現象を抑え、成長境界線内で効率
的な公共サービスと交通システムを提供する取り組みをはじめました。1983 年まで
の間にメトロは新しい「地域交通機関システム計画」を作り、地域の交通機関システ
ム投資・開発のガイドラインとしました。
1992 年、有権者の投票によりメトロの憲章が改正され、土地利用計画面での責務と
権限が強化され、50 年先を見据えた地域の成長を導くためのビジョンつくりをする
役割が与えられました。当時創案された「2040 年度地域計画」の中で、地域の持続
的発展を導くために、様々な開発のシナリオや、交通、住宅、公共サービス、環境、
土地利用、公園、オープンスペース、その他重要な指標についての分析がなされまし
た。1994 年、大々的な市民参加プロセスを経た後、メトロ議会は、
「2040 成長コンセ
プト」を採択しました。この成長コンセプトのなかで、メトロは将来の都市開発の方
針として、中心市街地内での密度の濃い都市開発、および郊外都市を高速道路や高輸
送能力を持つ公共交通機関システムによって結ぶといった計画を発表しました。
また、この成長コンセプトのなかで、今後成長を図る駅周辺のコミュニティや主要道
路が特定され、歩行者にとっても、交通機関にとっても、より良い環境を作るための
方針が打ち出されました。
メトロは、各地方自治体が、
「2040 年地域計画」に見合った総合計画を設定している
か審査する権限を持っています。メトロは、域内の 25 の都市を含む地方自治体の成
長目標設定に関わりますが、具体的な土地利用パターンの評価については各自治体の
ゾーニング権限を持つ部署が行います。
交通機関システムの運用
メトロの「地域交通計画(RTP)」は、「2040 年地域計画」の中の交通計画を実行する
ための具体案を 2040 年地域計画の中に盛り込まれた政策方針に従い示したものです。
ポートランド地域の主要な交通計画はメトロ域内の各自治体の代表議員と局長級の
職員によって構成されている合同政策勧告委員会(JPACT)によって決定されます。
JPACT によって、連邦政府の補助金の高速道路や公共交通機関プロジェクトへの割り
り当てが決められます。また、JPACT の場が、地域の交通機関の公正な方針を議論す
る場ともなります。JPACT で計画が策定された後、トライメット(TriMet)がプロジェ
クト主催者となり、プロジェクトは設計段階(建設・作業工程)に移行します。
地域の住みやすさに不可欠なもの
ポートランドの都市圏エリアは、革新的で効果的な土地利用と交通計画において、全
米でも模範的な地域となりました。ポートランドでは地域の成長を図りながら、同時
に健康で逞しいコミュニティと自然環境を維持しています。 地域公共交通機関の提
供者として、トライメット(TriMet)はこれらの取り組みにおいて先導的役目を果たし
ています。例えば、LRT(軽量軌道交通)システムの開発により、MAX沿線の開発
が促され、70 億ドル以上の経済効果が生み出されました。住宅、商業施設、産業施
設の混在を図ることが、「住」、「職」、「遊」が共存するコミュニティ作りとなり、ス
プロール現象、交通渋滞、大気汚染などのない、自然環境豊かな地域の成長が図られ
るのです。
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TTY 503-238-5811
翻訳:
西芝雅美 (ポートランド州立大学助教授)
座間杏里 (ポートランド州立大学修士課程)
佐藤洋一 (ポートランド州立大学、エグゼクテイブリーダシップインステイチュー
ト、国際プログラムコーデイネーター)