水俣市における市民参加の環境に関する取組 H19 9 13 訂正 1 環境にいい暮らしづくり (1)ごみの 22 分別収集:平成 5 年から全国に先駆けて 20 種類の資源ごみ分別を開始。ペッ ト・廃プラ・生ごみが加わり、品目統合等で、現在は 22 種類。住民が主体となり、市内約 300 箇所のステーションで、毎月 1~2 回の資源ごみ分別が行われている。 (2)ごみ減量女性連絡会議:平成 9 年 12 月婦人会等 16 団体女性代表者等で発足。主な活動 は、食品トレイ廃止申し合わせ、レジ袋をなくす為の買い物袋無料配布、エコショップ認 定制度制定及び審査、ごみ減らし紙芝居作成配布等。1999 年度自治体環境グランプリ受賞、 元気なごみ仲間の会主催の「元気大賞奨励賞」受賞(H13.11)等。 (3)我が家の ISO~家庭版環境 ISO~:予め設定された 35 行動項目の中から、家庭で取り組 める項目を 5 つ以上宣言し、行動→記録→見直しを行う。審査はごみ女連が中心となり、 市長が認証する。有効期間 3 年。年に 1 回定期審査実施。約 85 世帯が取組。 →形骸化し市民への広がりがないので、平成 20 年度実施を目指し、市民版環境 ISO「エコ 路人」を検討中。平成 19 年 9 月から市役所職員及び市議会議員で試行中。 (4)地区環境協定:地区の環境保全を地区住民自身が行うため、住民でできる最低限度の生 活ルールを作り、住民同士が協定を結び、それを守り生活していくもの。8 地区指定。(村 丸ごと生活博物館指定の要件) (5)エコショップ認定制度-環境にいい店づくり:平成 11 年 4 月から認定。省資源推進・リ サイクル推進・環境にいい商品の販売・省エネルギー推進等 16 項目中 4 項目以上該当する店 が申請可能。ごみ女連が審査(実態調査)し、市長が認定。認定店には、認定証・ステッカー・ ポスターを配布。有効期間 3 年。年 1 回定期審査実施。認定 16 店舗。 (6)もったいないボックス:ごみ減量のために、物を譲り合うしくみを平成 19 年 7 月からス タート。市役所窓口と市ホームページ上で情報の提供をしている。今後は、そられの物を 実際に展示することができるリサイクルセンター等の設置を検討。 2 環境にいい地域づくり (1)ISO14001 の認証取得:平成 11 年 2 月水俣市役所が認証取得。平成 15 年 9 月 30 日には ISO14001「自己宣言」方式に切り替えた。市民監査委員会を編成し、外部監査を実施。従前 の監査よりも、環境政策(取組)の成果を確認する監査が中心に行われている。 (2)学校版環境 ISO-環境にいい学校づくり:平成 12 年市が創設。学校独自の行動項目を、 児童・生徒と先生がそれぞれ 5 項目程度宣言し行動記録する。見直しは ISO 委員会等や職員 会議で行う。教委と環境対策課を中心に審査し、市長が認証。有効期間 3 年。年 1 回定期 審査実施。平成 12 年 5 月までに市内全小中学校 16 校が認証済み。平成 15 年 8 月「学校版 1 環境 ISO 全国集会 in みなまた」を開催。 (3)保育園・幼稚園版環境 ISO:平成 13 年に創設。園児にも取り組める簡易な内容。現在 4 園が認定されており、小さい頃から環境への意識が高められる。 (4)旅館・ホテル版環境 ISO:市内旅館・ホテルからの要望により、平成 13 年に創設。現在、 8 旅館と 2 ホテルを認定している。 (5)環境学習都市づくり:水俣病の経験と教訓を生かして、環境に関する情報を広く発信す るために、人的ネットワークや教育プログラムを整備する等環境教育旅行の受け皿づくり を行い、併せて誘致活動も行ってきた。平成 16 年度までの 5 年間で、延べ約 250 校約 3 万 人の修学旅行生の受入を行っている。 (6)交通面での環境配慮:平成 9 年 11 月市民を主体とした「自転車のまちづくり委員会」を発 足。マップ作成配布、子供の自転車遊び実態調査、イメージキャラクター公募選定等ソフ ト施策を通じ環境にやさしい自転車の普及啓発に努めている。また、平成 15 年 1 月から、 コミュニティバス“みなくるバス”を運行開始し、市内全域に路線を拡大中。 (7)新・省エネルギービジョン:平成 10 年 3 月に新エネルギービジョンを策定。新設の公共 施設に太陽光発電システムを導入している。省エネビジョンは平成 18 年 2 月に策定。環境 基本計画(現在策定中)に行動計画等を盛り込み普及に努める。 (8)エコタウンプラン:平成 13 年 2 月 6 日「水俣エコタウンプラン」を策定し、経済産業省・ 環境省の認定を受ける。資源循環型社会・環境共生を目指す“総参加型”、身近な素材・技術 を活用し 4R に繋がる“地域密着型” 、“中小都市モデル”を目指している。 (9)産廃阻止に向けた市民運動:市民の水源を危険にさらそうとしている民間の大型産業廃 棄物最終処分場の建設計画に市民こぞって反対するため、平成 18 年 7 月に「産廃阻止!水 俣市民会議」が発足。市民集会やのべ 50 回以上にものぼる地域説明会などをとおして産廃 問題を学習し、阻止のために様々な運動を展開している。 3 環境にいいものづくり (1)みなまたブランドの農作物:①サラダたまねぎ…安全性にこだわった生産で、熊本型特 別栽培農作物“有作くん”に認証。「減農薬・減化学肥料栽培農作物」として、農水省のガイ ドラインによる品質表示を行い、全国出荷されている。1997 年度「第 3 回全国環境保全型 農業推進コンクール」農林水産大臣賞受賞。②みなまた茶…堆肥を使った低農薬・無農薬農 法を行う等、安心安全なお茶づくりが行われている。 (2)環境配慮型の漁業振興:水俣病発生により被害を受けた水俣の海を再生するために、平 成 9 年の仕切網撤去後、養殖・放流・漁場づくりを柱とした漁業振興が行われている。多面 的機能を有する“藻場”に着目・再生する「海藻の森」構想を実施。 (3)環境マイスター:環境に配慮したモノづくりの面から地域の再生を支えている職人の地 位向上を図るために開始した認定制度。平成 10 年 12 月開始。現在 28 人。 (4)畜産版環境 ISO:畜産農家対象の市認定 ISO。3 戸の農家が認定。 2 (5)環境ビジネス:平成 5 年 5 月に水俣異業種交流プラザ発足。環境問題をテーマとして新 製品開発や ISO に関する勉強会等が行われている。平成 11 年 3 月には、環境ビジネス等地 場産業の育成・技術向上のための支援を図り、企業・大学・研究機関等の交流拠点として、み なまた環境テクノセンターが設立されている。 4 その他 (1) 環境水俣賞:国内及び東南アジアにおける環境保全、再生、創造に関する活動や研究を 顕彰し、受賞者の活動を支援・交流するために、平成 4 年 10 月 12 日に創設。平成 19 年度 第 9 回までに 27 団体・7 個人が受賞している。 (2)環境国際協力:平成 11 年 5 月には中国北京大学に、平成 13 年 5 月には中国南京大学に 市民代表団が出向き、市長講演や水俣病展を行った。また、平成 12 年 11 月からは、毎年 JICA の研修生を 1 か月間受入れており、これまでに 23 か国 76 人が、水俣病の経験を踏ま えた住民協働の環境都市づくりについて学んでいる。 (3)環境首都コンテスト:人口規模 2 万~5 万の部では、平成 14 年の第 1 回~本年第 6 回ま で連続第 1 位を獲得した。総合(人口規模不問)では、平成 17 年・18 年の 2 年間が第 1 位、 16 年・19 年が第 2 位となっている。 (4)環境モデル都市づくり宣言:平成 4 年 11 月 14 日「‘92 水俣国際会議」で発表。水俣病の 経験を貴重な教訓として、広く世界に伝えながら、自然の生態系に配慮した環境モデル都 市づくりを目指すことを決意し、この宣言を行った。以降、各種環境施策に、市民協働で 積極的に取り組んでいる。 (5)村丸ごと生活博物館:地域全体を建物のない博物館とし、地域の生活文化・自然・産業等 を、住民が訪問者に対して案内・説明するもの。水俣市元気村づくり条例に基づき、市長が 指定する。現在 4 地区指定。集落景観保全を進めること、生ごみの堆肥化を進めること等、 地区の 6 つの方針を定め、地区環境協定を締結することが条件となる。頭石地区が、平成 17 年度「農林水産祭むらづくり部門」農林水産大臣賞受賞。 (6)みなまた環境大学:水俣病の教訓を伝えるとともに、環境モデル都市づくりのための実 践的手法を現地水俣で学んでもらうために、市内全域をキャンパスに、また水俣の豊富な 人材を講師にした短期セミナーを平成 19 年度から開催。第 1 回目には全国から 34 人が参 加。将来的には、大学などと連携して、水俣での環境学習が大学の単位に反映されるよう な仕組みを目指す。 (7)みなまた環境塾:熊本大学との連携協定により、水俣から世界に環境保全の大切さを発 信することができる担い手を養成するために、熊本大学教授などが、水俣市民にリサイク ル問題やエネルギー管理、地域マネジメントなどを教授するプログラムが平成 19 年 10 月 からスタート。1 期 1.5 年間のコースで 5 年間継続する。 3 ■ 全国大会・国際会議等の開催実績 平成 3 年 11 月 14 日 産業、環境及び健康に関する水俣国際会議(世界 9 か国事例研究 発表と「水俣の目指すべき将来と課題」 平成 4 年 11 月 7 日 第 3 回世界竹会議及び第 33 回全国竹の大会(~14 日) 平成 8 年 5 月 1 日 みなまた国際環境フォーラム(~2 日) 平成 10 年 11 月 11 日 第 8 回全国文化の見えるまちづくり政策フォーラム(~13 日) 平成 12 年 5 月 24 日 第 8 回環境自治体会議水俣会議(~26 日) 平成 12 年 5 月 30 日 マンスフィールド環境国際会議(~6 月 1 日) 平成 13 年 10 月 15 日 第 6 回地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議(~19 日) 平成 14 年 8 月 22 日 こども国連環境会議九州大会 in MINAMATA2002(~24 日) 平成 15 年 8 月 11 日 学校版環境 ISO 全国集会 in みなまた[水俣市主催/環境省後援] 平成 15 年 8 月 23 日 第 17 回牛乳パックの再利用を考える全国大会 in 水俣(~24 日) 平成 16 年 2 月 28 日 第 1 回全国グリーンツーリズムネットワーク熊本大会(~29 日) 平成 19 年 2 月 10 日 国土交通省「世界地方都市十字路会議 in みなまた」(~11 日) 4 公害都市から環境都市水俣づくりへ 元水俣市長 吉井正澄(よしいまさずみ) 世界に類例のない水俣病 1956年5月に水俣病は公式に確認されました。日本の高度経済成長を支えていた化 学企業、チッソ株式会社の排水に混入していたメチル水銀が海を汚染し、魚介類の食物連 鎖によって濃縮された魚介類を摂取した多くの人々が、もがき狂いながら志望するなど激 しい健康被害が発生しました。魚介類を食べた母親の胎内に宿っていた胎児も胎盤を通し てメチル水銀に犯され、重度の障害を背負って産まれるなど、世界で初めての発生のメカ ニズムを持つ悲惨な公害であります。 その被害は、水俣市を中心にして不知火海といううち海の沿岸20万人に影響を及ぼし ました。その健康被害の大きさとともに、地域社会の経済的、精神的、社会的な住民の生 活を徹底的に破壊してしまったのです。 地域社会に混乱をもたらした原因 水俣市はチッソ株式会社が約100年前に水俣市に立地したことで工業都市として発展 した町です。市の財政も市民の生活もチッソに大きく依存するという運命共同体となって いました。水俣病の発生は、その運命共同体の破局を意味します。人口の60%を超える 市民は、直接、間接にチッソに依存して生活をしていましたから、チッソの倒産や操業停 止を極度に恐れてチッソを守ろうとします。健康被害に苦しむ患者は補償を要求します。 チッソの存続を願う市民は、患者を「似せ患者」とか「金の亡者」とかと罵り攻撃しま す。そのように立場の違いによって多くの対立が生まれ、偏見差別、誹謗中傷の渦巻く水 俣が出現したのです。加害企業と被害者が狭い地域に同居していたための悲劇と言えます。 患者の救済 劇症型患者の救済は、幾多の訴訟や被害者と加害企業チッソとの補償協定によって確立 していますが、軽症の患者や市民の誹謗中傷を恐れて救済の申請をためらっていた被害者 の救済は、発生以後50年を経過した現在も最終救済の目途は立っていません。患者によ って多くの訴訟が起こされています。国に救済を求める患者の交渉は混乱し難渋していま す。 水俣病が発生した1950年代は、日本が高度経済成長に入った時であります。国は、 その最大の担い手であるチッソの操業を停止すると高度経済成長の速度が落ちると恐れま した。そこでチッソの操業を守るために発生当初、漁獲禁止や排水の停止などの危機管理 を行わなかったのです。そのために被害は拡大し患者救済は混乱して遅滞しました。現在 に至っては理路整然とした解決は困難という状況になってしまっているのです。 1 国民の生命より経済発展を優先した国策のもたらした悲劇と言えます。 患者救済と地域の再生は不可分 患者の救済が進まなかった原因の一つに、地域社会の多くの住民の患者に対する精神的 圧迫がありました。地域社会から阻害されることを恐れた被害者は、水俣病補償要求の申 請をすることを躊躇したのです。救済されない患者の病気の苦しみ、精神的圧迫、貧困、 孤独の苦しみは現在まで続いているのです。 そこで私たちは、水俣病患者救済と地域再生は同時進行で行うべきだと考えました。 水俣病が発生してから市民はお互いに挨拶をしないばかりか、非難し悪口を言い合い、 誹謗中傷が渦巻く社会となり、市民は、そんな水俣に生まれたことを悲観し、水俣から逃 げ出したいと思っていました。そういう状況が40年も続いていたのです。 1990年代に入ると市の職員や若い市民の間から、いつまでも悲観ばかりしていては 水俣は沈没する。過去をしっかりと検証し智恵を出して暗い水俣を打破し、新しい水俣を つくろうという動きが始まります。 その第一歩は、市長の患者に対する謝罪であります。 水俣病患者は市行政と鋭く対立していました。チッソ寄りの市の姿勢への不信と反発か らです。その対立が患者救済や市の再生の大きな障害となっていたのです。 そこで対立を解消し対話を蘇らせるために市長が患者に対して、市行政と市民が患者を 差別し誹謗中傷を浴びせてきたこれまでの行為を反省し謝罪しました。これから患者と市 民がともに協力しながら患者救済を早く実現しようというのです。 さらに、崩れてしまっている精神社会「内面社会」を立て直そうと「もやい直し」運動 を展開いたしました。市民の意識改革です。 もやい直しとは 水俣の内面社会の混乱は、先に述べたように市民と加害企業チッソが運命共同体であっ たことが大きな要因であります。それに追い討ちをかけたのが、水俣病の発生原因が判明 しない初期の段階で「伝染病」や「水俣特有の奇病」だという誤った情報が氾濫したため に風評被害が発生したのです。 患者は勿論、水俣市民に近づくと水俣病がうつると恐れられました。偏見の発生です。 そのために患者だけでなく一般の市民も結婚や就職ができないなど差別され、誰も水俣出 身と言わなくなってしまい、水俣全体が敬遠される地域になってしまいました。 そこで、もやいなおし運動では、その偏見をなくすために、水俣病を正しく理解する学 習活動を展開しました。 そして、患者も市民もそれぞれの立場によって価値観が異なる、その多様な価値観を理 解できる市民になろう、自分と反対の意見にも耳を傾けることができる市民になろう、お 互いの垣根を低くして対話しながら、共通の新しい理念を抱いて町作りができる市民にな 2 ろう、と呼びかけました。 それを実現するために、多くの勉強会、講演会、共同作業など、市民が顔を合わせる場、 声を掛け合う機会を数多く作りました。市民の自主的な取り組みを積極的に支援したので す。 環境モデル都市づくり かつて、水俣市の将来像は「観光、工業都市」でした。しかし、それは水俣病公害の発 生で挫折してしまいました。 水俣病は、海の生態系の破壊、即ち環境破壊で起きた公害です。そこで水俣の将来像を 「環境モデル都市」にしました。 水俣市民は、 「水俣病の経験と教訓を世界に発信し、再びこのような悲劇が起きないよう 警鐘を鳴らそう。市民は地球環境を大切にし、環境と共生できる産業と市民生活を創造し よう」と決意したのです。 まち作りには個性を活かすことが必要です。水俣病は市民を徹底的に苦しめましたが、 水俣が世界に知られる唯一の個性ということができます。その強烈なマイナスの個性を大 切にして、その個性が持つマイナスのイメージをプラスのイメージに転換する、これが水 俣の環境都市づくりだと決意したのです。 その取り組みの内容は、配布資料「水俣市における市民参加の環境に関する取り組み」 をご覧いただきたいと思います。一部を紹介しますと ① 全家庭で、ごみを22種類に分別し資源化しています。 ② ごみ減量女性連絡会議では家庭にごみになるものを持ち込まない活動をしています。 ③ ISO,14001を 1999 年 2 月、全国自治体で6番目に取得し 水俣スタンダードのISO,わが家の、学校環境、ホテル、など市民にISOを普及 しています。学校ISOは全国に普及しました。 ④ 地域の環境を地域の住民自身が守るための地区環境協定があります。 ⑤ 環境に配慮する商店はエコショップとして認定しています。 ⑥ 環境にいいものづくりを進める人たちに環境マイスターの認定をしています。 ⑦ 国内、東南アジアにおける環境保全、再生、創造の関する研究などを顕彰する環境 水俣彰を創設しています。 ⑧ みなまた環境大学という短期セミナーを開設しました。 ⑨ 村丸ごと生活博物館という地域の環境を保全しながら村の元気をつくる地域づくり 事業があります。 ⑩ 廃家電、廃プラスチック、廃機械油、などのリサイクル、ビンのリユース,リサイク ル、し尿リサイクルなど多くのリサイクル産業が国の認定したエコタウンに集積し ました。 などなど、水俣市の環境対策実施項目は 128 項目で全国の自治体で第一位であります。 3 水俣市は公害都市から環境学習都市へと変貌した 今、水俣には、全国から中学、高校の修学旅行が訪れます。多くの大学が環境都市水俣 づくりをテーマに研究し、ゼミの学生が研修のために滞在します。 環境を中心にした地域づくりに学ぼうと全国の自治体職員などがやってきて水俣で体験 学習をしています。 JICAの研修生を始め、世界各国から水俣病や環境都市づくりの研究に訪れる人々が 多くなっています。 リサイクルの工場群を見学することで、公害学習、環境学習と併せて、環境循環型社会 が理解できる小さなモデルも実現しています。 日本全国の自治体を対象にした「環境首都コンクール」では 2005 年と 2006 年は総合第 一位の評価を受けました。 全国自治体の首長たちで構成されている環境自治体会議の「2007年の白書」の中で は、環境の取り組みのほとんどの指標で水俣を第一位としています。 二酸化炭素の削減についても、全国二酸化炭素削減大会で削減都市第一位を獲得したい と努力しています。 これからの水俣 我が国は、経済のグローバル化の中で生き残るために、ますます市場経済を強め、効率 化を進めています。そのために都市と農村、中央と地方の経済格差が大きくなり、地方の 過疎化が進行しています。水俣市も例外ではなく人口増加による活性化は望むべくもあり ません。 そういう状況の中で水俣市が目指しているのは、水俣市に住む人々が経済的にも文化的 にも満足度の高い町であり、生きる喜びがあふれた故郷であります。 現在、国際社会は、GDPの競争が激化してきました。そのためのエネルギー資源の争 奪戦が起きています。 資源をめぐる国家間の対立、資源の枯渇、温暖化、有害物質の拡散、人類が住めない地 球というシナリオが確実に進行しているように思われます。 水俣市は、そのシナリオに出演したくありません。 GDPは経済、物質的豊かさを測る物差しです。物質的豊かさは大切ですが、水俣市民 は、GDPで測れないもの、心の豊かさ、美しく豊かな自然環境、安全安心の生活、高い 文化などを、より大切にする都市づくりを目指しています。 22世紀のあるべきモデルを示すことが公害を経験した水俣の責務であると思います。 4
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