解説「親鸞聖人正統伝」

解説/正統伝
解説「親鸞聖人正統伝」
― 『真宗資料集成』 ―
この書の著者五天良空は、寛文9年(1669)三重県安芸郡安濃村戸島の長徳寺
に生まれ、四日市市河原田町常超院の住職となった人で、享保18年(1733)65歳
で没している。
「親鸞聖人正統伝』は彼の主著で、凡例や綱領に記しているところによると、真仏
と顕智が著したという「本伝」を中心として、信順の「下野伝」、「正中記」、「至徳記」、
「五代記」、存覚の「四巻伝」(正明伝に同じ)など、下野の高田専修寺宝庫に伝来し
たと称する史料を用いて編集したもので、親鸞の年齢によって、編年体に整理して
記述している。その文章も切れ味よく、内容をズバリとわかりやすく表現していて、全
体に明快な印象を与えるためか、刊行以後広く世間に流布し、山田文昭氏をして
「徳側時代に成立した幾多の親鸞伝の中では、かなり有力なる一つであって、明治
の晩年までに出た親鸞伝は、多少皆その影響を蒙っていないものはない(同氏著
『親鸞とその教団』序説「親鸞伝の研究資料」)と評さしめたほどである。江戸時代親
鸞伝のベストセラーとも言われる。
しかし、またこの書ほど強い個性を持った書は珍しいのではないだろうか。この書
は正式な書名を『高田開山親鸞聖人正統伝』と記していることにもうかがわれるよう
に、高田派が親鸞の教えの正統を継承している、ということを明かにしようというのが、
著作の最大の意図であった。このため、巻頭に「綱領」として、真宗五派の第一に高
田専修寺をかかげ、「高田専修寺は祖師聖人浄土真宗の総本寺として建立あり」、
「唯授一人口訣相承の家にて、血脈の正統たること、一天に肩比ふる者なし」と、意
気軒昂たる言をつらねて、この書の叙述を開始している。
ことに当時評判の高かった恵空の『叢林集』と『御絵伝視聴記』については、これ
を文中でしばしばとりあげ、激越な口調で非難することが多い。例えば、「行者宿報
云々」の夢想偈文について、「凡そ叢琳視聴の書やう、一向乱心の所作か、又鼠賊
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のしわざと見えたり」と評しているように、口汚く罵倒する場合さえある。
このため、この書が享保2年(1717)、津市本徳寺の直忍洪音の序分と、三重県
多気郡羽生浄福寺の第6世岱岳慧書の跋文をつけて、「一身田御書物屋・勢州安
濃津・忠兵衛」から出版され、世の評判となると、慧空は「東門林聴」(「東門」は東本
願寺派の意、「林」は叢林集、「聴」は『御絵伝視聴記』からとったものであろう)のペ
ンネームをもって『正統伝鉄関』を著し、36ヶ条にわたって『正統伝』の説を論破した。
享保6年(1721)であった。すると良空またこれに対して『鉄関踏破』を著して応酬す
るなど、華やかな論戦が展開され、世の人々の関心をあおりたてることとなった。
そんな状況の中で、良空は『高田山専修寺伝燈実録』2巻を編集うし、これに『鉄
関踏破』、『御伝絵一代記踏破』、『親鸞聖人行状記打破』をあわせ、『正統伝後集』
と名付けて刊行した。刊記には、
享保7壬寅歳5月吉日
一身田御書物所・勢州安濃津・本屋忠兵衛開板
とある。(柏原祐泉)