ダウンロード(6MB) - 公益社団法人仙台青年会議所

 日頃より仙台青年会議所の運動に対し、ご理解とご協力を賜って
おりますことに、心より感謝と御礼を申し上げます。
本年は、
「Image of Happiness SENDAI
~青年として、惑わず、憂えず、恐れず~」をスローガンに掲げ、
しあわせな未来の仙台を実現する運動を展開して参りました。
第45回仙台七夕花火祭では、打ち上げ場所の変更にともなう資
金増加や警備エリアの拡大など多くの問題がありましたが、仙台市
や商工会議所様をはじめ、多くの企業・団体の皆様、そして市民の
皆様からの多大なるご協力のもと開催することができました。当日
は、約40万人の市民の皆様にお越しいただき、「結~想いをつな
ぎしあわせな未来へ~」のテーマのもと、本事業に携わった全ての
人たちが、しあわせな未来を思い描くことができ、しあわせな未来
の仙台につながったのではないかと思います。
今後は、子供たちを対象とし、地域・家庭・学校が三位一体とな
り、地域の大人と子どもたちがつながり、地域ぐるみで子どもたち
と共に学び共に育ち、子どもたちのしあわせな未来を実現するため
に、「共育でつながろう!地域・家庭・学校 ~子どもたちの未来
をしあわせに~」を開催させていただきます。また、市民・企業・
行政にご協力をいただき、地域のたからとなる資源を活かしたまち
づ くりの 推 進を 図 るた め に、「 ゆ め ★ まちプロジェクト2014
~CONNECT地域のたから~」を開催させていただきます。
結びとなりますが、今後とも市民の皆様をはじめ、関係各所の皆
様、そして特別会員の皆様からの変わらぬご支援とご協力を賜りま
すようお願い申し上げます。 3 NOZOMI 2014 OCTOBER
す。生まれは東京ですが、明治以降仙台に
伊 達 𣳾 宗× 納 庄 国 英
納庄 理事長
万石か
住民票を持った当主は私だけなのです。戊
ら
辰戦争後に明治政府から伊達家は
それではよろしくお願いいたします。
伊達 𣳾宗氏
万石に減封されたことで、家臣団は北
海道に開拓団として渡りました。そして本
るまちづくりをしていこうというスローガ
をイメージしながら、しあわせを感じられ
て頂きました。要はしあわせな未来の仙台
て、惑わず、憂えず、恐れず~を掲げさせ
piness SENDAI」~青年とし
頂 く に あ た り、「 I m a g e O f H a p
するのですけど、今年私が理事長をさせて
青年会議所は毎年テーマが違っておりま
して、その年のスローガンを理事長が設定
納庄 理事長
ました。伊達政宗公が亡くなったのは寛永
たところで畳一畳分くらいの蓋石が出てき
遺跡の床石をはずし1メートルくらい掘っ
りました。このとき私は高校一年生でした。
があり、遺族の了解を得て発掘調査が始ま
殿の再建の際、事前に地下構造を知る必要
年7月の仙台大空襲で焼失した御霊屋瑞鳳
伊達政宗公の墓所発掘調査でした。昭和
ちょうど
す。私が仙台に移るきっかけとなったのが、
れました。ですから父(
家は政府から東京に移り住むように命ぜら
ン の も と で 今 活 動 し て い る 訳 な の で す が、
代当主貞宗)の
伊達𣳾宗氏がしあわせを感じられる事と仙
こちらこそよろしくお願いします。
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年 に 実 施 さ れ た、
代まで伊達家本家は東京住まいだったので
年前の昭和
日、埋葬から338年ぶりに蓋
石が開く瞬間でした。蓋石の隙間から太陽
年5月
と思うところを最初にお聞きしたいなと思
ああ、なるほど、そうなのですね。
納庄 理事長
品が反射していたのを覚えています。
の光が差し込んで、金の蒔絵を施した副葬
台のまちで例えばこのまちはしあわせだな
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うのですがいかがでしょうか。
伊達 𣳾宗氏
現在私は伊達家伯記念會をはじめ、伊達
政宗公の御霊屋瑞鳳殿の名誉資料館長など、
伊達家の歴史に携わるお仕事をしておりま
1977 年 2 月 22 日生。2002 年 ( 入会 ) 会員開発委員
会。2004 年 七夕花火祭特別委員会。2005 年 事務局長。
2006 年 明日への仙台運営会議副議長。2007 年 広報
委員会委員長。2008 年 七夕花火祭特別委員会。2009
年 七夕花火祭特別委員会特別委員長。2010 年 総務室
室長。2011 〜 2012 年 副理事長。2013 年 常任顧問。
1959 年 2 月 9 日生。現職 伊達家伯記念會会長、仙台藩志
会総裁、仙台藩作法宗家、
(公財)瑞鳳殿資料館名誉館長、
(学)
聖ウルスラ学院名誉顧問、
(公財)東北放送文化事業団理事、
仙台商工会 議所顧問 他 [ 著書 ] 伊達家の秘話 - 独眼竜一族の
知られざる素顔 -(PHP 研究所)共著 他 [ 監修 ]NHK 大河
ドラマ独眼竜政宗(日本放送協会)伊達家史叢談 復刻 他
納庄国英 Kunihide Nousyo
伊達𣳾宗
Yasumune Date
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公益社団法人仙台青年会議所 第 63 代 理事長
仙台伊達家十八代当主
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2014 OCTOBER NOZOMI
SPECIAL TALK SESSION
太刀や具足などの副葬品に続いて伊達政
宗公のご遺骨が取り出されました。目の前
伊達 𣳾宗氏
東京の本邸から仙台に帰ってきた時に暮ら
りました。私の父がまだこどもの頃までは、
町(若林区)に、戦前まで伊達伯爵邸があ
んだ母親の下で育てられてゆくのだと思う
わけです。そのこども達は仙台藩作法を学
卒業され、将来結婚して母親になってゆく
祖母は、戦後の女子教育の為の教場として
らね。伊達伯爵邸の跡が学校となって、そ
これからの仙台のまちを創ってゆく、未
来を創ってゆくのはやはりこども達ですか
と、幸せな気持ちになります。
していた屋敷です。終戦を迎え昭和
年に
に政宗公の頭骨が現れたときの感動は忘れ
ず仙台に帰ってまいります。そしてお近く
聖ウルスラ修道会に屋敷をお譲りしました。
こで未来を担うこども達に伊達家の歴史に
代 当 主 興 宗 ) が 亡 く な り ま し た。
で政宗公をお守り致しますとお誓い申し上
現在、屋敷跡には聖ウルスラ学院英智小・
ついてお話する機会が与えられていること
祖 父(
げました。その願いが叶って多くの先生方
中学校と高等学校の校舎が建っています。
納庄 理事長
います。そして最初に申し上げました通り、
は、子孫として本当にありがたいことと思
方々がいなければ、瑞鳳殿の再建もなかっ
わる仕事が出来るということは、私にとっ
現在、仙台の市民として伊達家の歴史に関
実はうちの娘が聖ウルスラ学院英智小学
校に今年入学したんですよ。
お蔭で、先祖の発掘調査に遺族として立ち
伊達 𣳾宗氏
す。
て一番の喜びあり、併せて感謝の気持ちで
たことが現実となりましたことは何よりの
会うことができ、その時政宗公にお誓いし
幸せであると思います。もう一つは一本杉
納庄 理事長
伝わる「仙台藩作法」の授業を高校生に実
ば高まるほど、それと同じような幸福感が
そうですか。ありがとうございます。松
下幸之助さんの言葉で、感謝の心が高まれ
もたらされるとあります。私もやはり感謝
する事でしあわせになると思います。しあ
わせは自分一人では感じられないものです
し、自分だけの私利私欲で本当のしあわせ
学んだ証として許状を授与させて頂きます。
卒業式の時に校長先生からの卒業証書授
与に続いて、私からは3年間仙台藩作法を
伊達 𣳾宗氏
聞いていて改めて深く感じさせて頂きまし
いう部分なのかなと思います。今、お話を
ことが自分のしあわせとして感じられると
います。利他の精神であったり、人のため
というのは感じ取れないのではないかと思
現在は男女共学校となりましたが、祖母が
た。ありがとうございました。次に、我々
に人をいかにしあわせにするか、そういう
これからの戦後女子教育の必要性を想い設
が興味を持っているところについてですが、
そうなのですか。
納庄 理事長
を持っています。
施しておりまして、私も年に2回特別授業
同学院では学校設定科目として、伊達家に
そうでしたか、一昨年、学校法人設立
年 の 記 念 碑 の 除 幕 式 に お 招 き 頂 き ま し た。
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たことでありましょう。そういった方々の
て何よりもいままで仙台を守ってこられた
からご指導とご薫陶を頂きました事、そし
られません。その時、成人したならば、必
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立された学校から、毎年多くの生徒さんが
私も伊達家の書物を読ませて頂いたり、色
んな書店に並んでいる伊達政宗公の生き様
で あ っ た り、 本 に よ っ て は こ ん な 野 望 が
あったのではないかなど色々読ませて頂き、
ざっくばらんに、この部分は、私が個人的
に聞いてみたいなという事を何点か述べさ
せて頂きたいと思います。伊達政宗公がこ
の街、岩出山のほうからこちらのほうにま
ちづくりを始めた時に、大体どんなまちを
目指していたのかなと。いろんな書物を読
んで、ある程度、私もイメージはあります
が貞山掘もしかりですけれども、戦国の世
でいろいろなことがあって、けれども一番
に な る 夢 を 捨 て な か っ た じ ゃ な い か な と。
それを例えば、財というような形でやろう
かなと、思ったのではないかと思うのです
がいかがでしょうか。
5 NOZOMI 2014 OCTOBER
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伊達 𣳾宗氏
公の具足を見ても余分なものは何もないで
から造らなかったのだと思うのです。政宗
天守閣をあえて造らなかったというのが定
伊達 𣳾宗氏
納庄 理事長
実は岩出山城は、徳川家康が縄張りをし
た城で、天下人豊臣秀吉の命により米沢か
すね。唯一、弦月の前立が統領の印として
んどこそ自ら望んだ地、仙台に移ることが
います。ある意味では論功行賞として、こ
際には、政宗公は徳川方として貢献をして
ら徳川氏へと変わっていった関ヶ原の役の
は心や気概といったその中身である。本当
余分な飾りは必要ない、しかし大事なもの
実的な人だったと思うのです。逆に言えば
えるように、政宗公は、とても合理的で現
は一切省かれた具足ですね。それからも窺
であって、あとは全て黒漆塗で余計な飾り
しょう。
展し続ける都を思い描いておられたからで
を改めた政宗公の想いは、千年も永遠に発
行く。千代の字から仙台へとこの地の名前
海外との交流でこの仙台はさらに発展して
バウティスタ号だろうと私は感じるのです。
でしょうか、天守閣よりはサン・ファン・
私もそのように感じております。
ら岩出山に移った政宗公としてみれば自ら
政宗公はそのような事よりも慶長遣欧使
節を派遣するほうが大事だったのではない
出 来 た の だ と 思 い ま す。 政 宗 公 が 仙 台 に
に一番大事なものは何かということが天守
選んだ地ではなかったので不本意だったの
家臣達の八日月の前立と区別しているだけ
日、青葉山で縄
閣の無い仙台城に象徴されているように思
納庄 理事長
説となっていますが、政宗公は必要がない
かもしれませんね。大きく時代が豊臣氏か
張り始めを行なっています。縄張り始めと
えるのです。それとここで終わるものかと
そうですか。ありがとうございます。そ
れでは次にサン・ファン・バウティスタ号
の図面を作る行事です。毎年
月
は地面に杭を打ってそこに縄を張り城下町
いう気持ちもあったかもしれません。一国
の話がでましたけれども慶長大地震の2年
移ったのが慶長5年
日、私
一城で終わってしまったのでは伊達政宗公
月
は伊達家伯記念會の会員と一緒に、早朝青
ではないような気がします。
伊達 𣳾宗氏
政宗公は慶長大津波で被害を受けた地域
の一部は治水工事を施し田地へと改良して
葉山に登り、騎馬像の前で太平洋から日の
後、たぶん徳川家康公ともいろいろな兼ね
出を仰ぎ仙台の誕生日を祝います。納庄理
事長もご一緒にいかがですか。
います。伊達
万石と言われておりますが
合 い が あ っ た の だ と 思 い ま す が、 私 の イ
いたします。そしてその先の太平洋をも見
政宗公も仙台城から、同じように未来の
まちづくりをも描いておられたような気が
伊達 𣳾宗氏
その様な事を是非学びたいなと思いまして、
興を成し遂げようとしていた想いですとか、
て、その部分の姿勢ですとか、どの様に復
私として何か重なる部分が非常にありまし
も3年前に同じように仙台も震災を受けて
と、なんとなく思ってしまいます。奇しく
て、それを狼煙としてやっていったのかな
メージですがこの被災を受けた仙台に対し
災地を訪れた際、生き残った人々は一行を
大津波に遭遇しています。ビスカイノが被
探検家を乗せた船が三陸沖を航行中、慶長
るのですが、ビスカイノというスペインの
たのだと思います。興味深い話が残ってい
同時に将来の仙台の繁栄をも考えておられ
は運河や河川の改良など、被災地の復興と
いうのは、慶長大津波後の事です。さらに
実際の米の石高は100万石に近かったと
納庄 理事長
つめていたのでしょう。ただ、この地に城
だいたいのイメージで構いませんので教え
是非。いいですね。
下町を造るだけでは終わらない人物だった
温かく迎え入れたそうです。彼らは勤勉で
ではないかと思うのです。歴史家の間では
外様大名である伊達家は将軍家に遠慮して
の 通 訳 が 記 録 し て い る の で す。 被 災 地 の
誠実で温かい人達ばかりだったと、その時
て頂ければと思います。
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からこそ政宗公は天守閣を造らなかったの
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2014 OCTOBER NOZOMI
SPECIAL TALK SESSION
あげた仙台藩の誇り高きDNAを今も受け
政宗公と家臣そして領民のすべてがつくり
て互いに支え合うことができました。伊達
た私達は秩序を守り助け合いの精神を持っ
らこそ400年後の震災時にも被災を受け
受け継がれているのかもしれません。だか
す。仙台領の人達にはそういったDNAが
ならば一緒に仕事が出来ると思ったそうで
人々と親交を深めたビスカイノは、彼らと
この松並木は今回の東日本大震災の時に多
に 渡 る 松 並 木 を 政 宗 公 は 作 ら せ た の で す。
地を塩害から防ぐために幅2キロメートル
風林も作っています。海岸線に作られた田
がる貞山運河となりました。海岸線には防
輸送路として活用され石巻の集積地まで繋
河はその後、米が収穫されるようになると
政宗公の復興事業から一つ紹介致します
と、治水工事の際、潮抜きにつかわれた運
伊達 𣳾宗氏
貞山運河がなかったら、津波の犠牲者はさ
無かったら、そして津波の力を低減させた
くの人を助けているのです。あの松並木が
継いでいるのでしょうね。 納庄 理事長
らに増えていたかもしれません。政宗公は、
そうですよね。私も誇りに思います。
将来発生するかもしれない災害への備えま
で考えておられたということでしょう。本
当に先人達がその困難を乗り越えてきたと
いう想いを謙虚にしっかりと受け止めない
と、その歴史を無駄にしてしまうのではな
いかと思うのです。 納庄 理事長
今お話を聞いていても学ぶ事が本当にた
くさんありますね。知恵ですよね、人々の
ために仙台の心というものを学ばせて頂き
ました。それはやはりDNAがあったので
しょうね。だから東日本大震災の時にもそ
ういった行動が出来たのでしょうね。非常
に感銘を受けました。その話が聞けただけ
でこの仙台に対して、伊達政宗公に対して
愛着がもの凄く湧きますよね。やはり仙台
に生まれて本当に良かったと誇るべき血だ
7 NOZOMI 2014 OCTOBER
自分はこれでいいわけはない。であるなら
伊達 𣳾宗氏
実践された方なのだと思います。
ならない。まさに伊達政宗公はこのことを
なと思いますよね。
慶長遣欧使節については、その目的が天
下を狙ったものであったというような説も
納庄 理事長
ば、常に謙虚であり学ぶ姿勢でいなければ
あるのですが、それはないと思います。徳
たぶん伊達政宗公はその時の書物等はか
なり読まれたのですかね。例えば、今年ス
川幕藩体制が揺るぎなく続こうとも、それ
と並行して未来の日本繁栄の為に伊達家が
ローガンに論語を用いているのですが、智、
致しました。そうしましたら、仙台の受検
記念會でも漢文検定(論語と漢詩)を受験
ちょうど、聖ウルスラ学院英智でも漢文
検定を小学校で実施しています。伊達家伯
伊達 𣳾宗氏
仁、勇という。
一肌脱ごうじゃないかって。
納庄 理事長
そこを考えられるってすごいですね。伊
達政宗公というのは頭が良かったのですね。
知恵があって勇気があって。
伊達 𣳾宗氏
が言う信頼関係というのは果てしないです
ですけども、それを命じられた伊達政宗公
そうですよね。あの船で海外に行こうと
思うのですよね。行った支倉常長氏も凄い
納庄 理事長
いいと思うのですよ。学校でもいいと思う
スローガンに論語を用いていらっしゃる
とのことですが、是非、論語塾を親子でも
伊達 𣳾宗氏
凄いですね。
納庄 理事長
者数は全国1位とのことでした。
よね。その時代の常識では考えられないよ
のです。意味はわからなくても、先ずは論
勇気がなければ出来ない行動ですね。
うな事をやって来たのだと思いますね。凄
いですね。
敬するという言葉があります。ここで留
まることなく更に上を目指して行くという
伊達 𣳾宗氏
仙台のまちづくりも仙台青年会議所の大き
番大事にしていたのは礼法と朱子学でした。
実施していた事なのです。養賢堂の中で一
まって、ご挨拶に終わる。こういった事は、
語を素読する事。礼儀正しくご挨拶から始
事です。素晴らしいものがもっと先にある
実は藩政時代の学問所、仙台藩校の中でも
は ず だ、 も っ と 立 派 な も の が あ る は ず だ、
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2014 OCTOBER NOZOMI
SPECIAL TALK SESSION
くこども達を正しく導いて行くのが大人の
な課題と伺っております。未来を作って行
たいと思います。
たい、来年もやりますが布石を打っていき
た。青年会議所は全国、全世界にある組織
立ち上げて4日目で宮城県庁に入りまし
納庄 理事長
頂ければと期待いたします。
全国にも負けないような組織を立ち上げて
ンも取れますし、このことが ”まちづくり
緒に素読するだけで十分コミュニケーショ
てきました。でもまだこども達は、ただ一
私も55歳になってやっと論語の意味と
いうものが少しずつ実感できるようになっ
伊達 𣳾宗氏
ない。そこで2021年を一つの区切りと
所として感謝を発信していかなければいけ
世界からご支援を頂いた事に仙台青年会議
伝ったり、色々な活動をさせて頂いて、全
泥の掃出しから始まって瓦礫の処理を手
資を沿岸部に届け、また全国から多くのメ
なので物資がどんどん届きました。その物
嬉しいですね。実は、青少年育成事業と
して、こども達を対象に毎年色々な事業を
の作法 “ への最初のステップになるかも
して世界に感謝を発信することで、自分た
役 割 で す か ら、 こ う い っ た 学 び の 機 会 を、
行っております。今年、来年と土曜事業と
しれないですね。
徳教育を中心とした事業を行なっていこう
ども達に社会の実体験をお話するような道
の方々が、ゲストティーチャーになってこ
なのですけれども、何かこう蔓延している
で取って行って、自分でチョイスする時代
是非、論語の土曜教室やってみたいです
ね。今、世の中は情報量が溢れていて自分
納庄 理事長
頂かなければならないということでビジョ
た姿をやはり震災でご支援頂いた方に見て
なければいけないでしょうし、作っていっ
という節目で仙台として何か発信していか
年考えさせて頂きました。震災から10年
あわせを実感できる地域社会を設けていか
ちの事を見つめ直して、震災以前よりもし
ンバーが100人単位で集まって来ました。
いうようなところで今、文部科学省が推奨
と、それを全国の青年会議所で担っていこ
中で迷っているような混沌とした時代の中
をしていて土曜日の空き教室を使って地域
うという運動が高まりつつあります。そこ
でやはり論語というのは1つの切り口に必
ずなると思います。こども達が正しく育っ
らんでいいのですが、伊達𣳾宗さんが考え
ンを作っているのですが、端的にざっくば
なければいけないという事でビジョンを今
に仙台独自の土曜授業として是非取り入れ
ていく上で論語の精神だったりというもの
る
年後の仙台とはどうあり続けるべきか、
は生きる道の根本になって来る、迷った時
に論語の姿勢というか行動というものを学
仙台より沿岸部の方が被害が大きかったの
す。2011年東日本大震災があった時に
だと思って活動している団体でございま
最後に2つだけ質問させて頂きます。仙
台青年会議所はまちづくりはひとづくり
も感じています。
然と共存する取り組みもあるのではないで
能だと思うのです。一つの方法としては自
からの被害を最小限に食い止めることは可
然に逆らうことは出来なくとも、自然災害
震災を経験し、人間は自然の中で生かさ
れていることを痛感しました。しかし、自
伊達 𣳾宗氏
ご意見伺いたいと思います。
で、すぐに沿岸部に対して何かできること
しょうか。現在、福島県から岩手県までの
ぶことが1番の正しい近道というふうに私
は、ということで震災から2日目で本部を
9 NOZOMI 2014 OCTOBER
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て頂いております。かつて政宗公が防災へ
た、貞山堀の活用についてもお手伝いさせ
くれる防潮堤が出来るというものです。ま
ることなく津波の被害をある程度和らげて
を植えていくことで一切メンテナンスをす
が、海岸線に作った丘にその地域の常緑樹
もお手伝いをさせて頂いている一人です
護煕氏を中心として進められています。私
沿岸に森の長城を造ろうという計画が細川
す。
事が一番大切な事ではないかと感じていま
年先の人達がね、歴史を未来へ繋げていく
謝 さ れ る。”流 石 は 伊 達 よ “ っ て 4 0 0
いる時代な訳ですから、子孫からきっと感
は、未来に生きる私たちの子孫から借りて
メッセージとなるかもしれませんね。現在
共存する貞山堀の活用というのも未来への
史博物館になる可能性もあります。自然と
レーションであり、一つのストーリーとし
で き ま す。 そ れ こ そ が 地 域 産 品 の コ ラ ボ
して、食事の最後にその皿を持ち帰る事が
器をお料理の皿として出して頂けます。そ
には伝統的な陶器があるのですが、その陶
ことが重要だと思いました。また、金沢市
ります。そのような付加価値をつけていく
れる事こそが「おもてなし」だと感じてお
と、料亭の女将さんや仲居さんが話してく
地へと改めました。歴史は多くの例証を私
り防風林でした。さらに被災後の土地は田
伊達のDNAですね、先ほど家臣さんと
言いましたけど、私たち仙台青年会議所も
納庄 理事長
を発信できるのではないかと思います。欧
おります。それこそがこの地域、この仙台
満足して頂ける。その様な発信方法が仙台
て付加価値を提供し、多少料金が高くても
達に教えてくれていると思います。貞山堀
北海道の白老青年会議所と姉妹締結をさせ
米の様に、合理化をして様々な事を行なう
の備えとしても考えられたのが貞山堀であ
が整備されれば観光の新たな資源になるこ
て頂いております。
のも良いと思いますが、日本人の持つ精神
にあっても良いのではないかと私は思って
とと思いますし、仙台空港から松島湾まで
の堀沿いをサンクチュアリーとすれば自然
も多くなかなか参加することができない方
裃行列に参加されていますが、ご高齢の方
め歴代公法要への参列や青葉まつりなどで
員数は約300人です。会員は政宗公はじ
仙台には旧家臣のご子孫で組織されてい
る仙台藩志会があります。仙台藩志会の会
白老には、藩政時代に北海道警備のため
の仙台藩の駐屯地があった場所です。
ないかと思っています。京都や金沢のまち
な切り口でこの仙台のまちの活性化はでき
携わる青年経済人の一員として、最近こん
流人口が減少しておりますが、我々経済に
最後に私個人の意見で、仙台は震災後に交
と言うような部分であったり。あと、本当
す。論語教育であったり、この守っていく
質問がありまして、2点質問させて頂きま
に一緒に何かできる事はないですかと言う
イスを頂けないでしょうか。
かなければならないなと思いますがアドバ
の様なまちづくりを経済人としてやってい
それが全てにおいて価値になってゆく。そ
おいてその一つ一つにストーリーがあると、
で良いと思いますが、お茶をたてる過程に
ただお茶を入れたら、それで早く飲めるの
じ ま し た。 茶 道 も そ の 一 つ だ と 思 い ま す。
された通り一人ひとりの心の中にあると感
性であったり美学というのは、先ほどお話
もおられます。各地では後継者の不足でお
づくりを見ていると、文化と文明をきっち
伊達 𣳾宗氏
祭り行事が続けられないと言うようなお話
伊達 𣳾宗氏
ていますね。それは何時の時代からのもの
り分けてまちづくりに取り組んでいると感
明という手法が加わる事で、その地域が活
かとなった場合、戦後からのものが大半で
を伺いますが、青年会議所の皆様にも、仙
性化していると思っております。金沢市で
じます。文化とは守るべきもの。そこに文
は、料亭で「昔こんなことがありました」
台藩志会に入会頂ければと思います。
納庄 理事長
例えば仙台駅に行った時に、お土産は何
を選ぼうかとなった時、選ぶものは限られ
私、早速入らせて頂きます。最後の質問
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2014 OCTOBER NOZOMI
SPECIAL TALK SESSION
る料理や政宗公が食された料理を提供でき
客様をお招きした時に、藩政時代から伝わ
という事が重要だと思います。例えば、お
次の時代へと繋げていかなければならない
時代の中で、いかに最良方法として紹介し、
あります。しかし、その古いものを様々な
ますが、古いままでは廃れてしまうものも
とと思います。不易流行という言葉があり
スであり、仙台から発信するうえで良いこ
ます。それはそれで、新しい時代のビジネ
達」の冠を付けただけという品が沢山あり
す。ほとんどのものが、戦後に生まれ「伊
もしれませんね。
には、まちづくりも作法から始めるべきか
ストレスを感じさせないまちへとなるため
あり美しく感じました。ある意味で、心の
た。そういう人達の暮らす街並みは風情が
に暮らす人達が町の顔なのだなと思いまし
も皆、礼儀正しくご挨拶されました。そこ
まちを歩いていて道を尋ねた時も、どの人
博物館で切符を売っている人も、それから
象 に 残 り ま し た。 お 掃 除 を し て い る 人 も、
とがあります。そこに暮らす方々の姿が印
ろだったので、もう一度来ようと思ったこ
といった努力をしていかなければならない
し、新しい時代の中に本物を再生していく
歴史と文化が体感できるような環境を整備
風景や広瀬川と青葉山の活用など、仙台の
も少ないように思います。城下町としての
す。また、城下町に相応しい風情ある場所
ま す。 と て も 残 念 な こ と だ と 思 っ て い ま
のを未来へと繋いでゆくという役割が我々
つ者として、過去から受け継がれてきたも
の心というものを我々は仙台に生まれて育
お願いもして頂ければと思いますし、伊達
よろしければ仙台青年会議所にいろいろな
なるほど、そうですね。𣳾宗さん本日は
誠にありがとうございました。今後、もし
納庄 理事長
るようなお店はどこにもないように思い
と感じています。
ながらこのように学ばせて頂ければと思い
青年はあると思いますので是非教えて頂き
納庄 理事長
大変ありがとうございました。
伊達 𣳾宗氏
ます。よろしくお願いいたします。本日は
やはりこのように造ってこられた部分を
現代はもっともっと発信出来ないかなと思
もっと世界中に発信されるのだろうなと
います。そうなれば仙台という地がもっと
思って、そこに我々、仙台青年会議所が一
こちらこそ本日は、ありがとうございま
した。
つの切り口でやって行かなければならない
部分なのかなと思いました。
伊達 𣳾宗氏
ある都市に行った時に、とても良いとこ
11 NOZOMI 2014 OCTOBER
畳のことなら、信頼と実績の
株式会社
後藤畳工商店
〒984-0051 仙台市若林区新寺二丁目6番37号
TEL 256-4917/ FAX 256-4079
想いをはせる
想いをつづる
想いをつなぐ
想いをはせる
想いをつづる
想いをつなぐ
仙台市太白区
ベルホール西多賀
tel.022-797-1100
仙台市若林区
ベルホール南鍛冶町
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2014 OCTOBER NOZOMI
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2016 年 10月15日
(土)予選リーグ
16日(日)決勝トーナメント
かねてから誘致をおこなっていた全国JC
先 日 横 浜 の 地 に て 行 わ れ た「 サ マ ー コ ン
ファレンス2014」において、仙台JCが
べての方々に「感謝」に思いを持っておもて
年を迎える2016年、ご支援いただいたす
た様々な支援をいただきました。震災から5
2011年3月の東日本大震災で、私たち
はスポーツを通して大きな勇気をもらい、ま
ます。仙台JCは2003年の第
サッカー選手権大会の2016年仙台大会開
続いて二度目の開催となりますが、私たちは
催が決定しました。本大会は「サッカーを通
数年は参加約
このサッカー大会を通じてスポーツの素晴ら
なしの心でお迎えし、その先にある真の「し
るメンバーが参加をする大きな大会として全
しさをメンバー間に留まらず、市民の方々に
じてフレンドシップを築く」ことを目的に
国各地の開催地自治体やサッカー協会とと
も発信し、そして未来ある子どもたちへ伝え
あわせ」に向かってメンバー一同邁進してい
も に 運 営 が 行 な わ れ て い ま す。 仙 台 J C も
ていきたいと思っています。単なる一過性の
くことが皆様に対しての恩返しだと考えてい
サッカーチーム「JCブランメル」を中心に
大会にするのではなく、このまちに対して私
1985年より全国のJCサッカー同好会の
2 0 0 0 年 よ り 大 会 へ の 参 加 を 続 け て お り、
回大会に
今回の誘致も数年前から各種JCサッカー関
たちJCだからこそできる地域に対して意義
チーム1000名を超え
連の会議等の場において、誘致・開催に向け
のある大会をめざし開催してまいりたいと思
~
て尽力してまいりました。
70
ために開催されている大会です。また、ここ
開催決定を見守るブランメルメンバー
います。
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50
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不 動 産 ・ 商 業 法 人 登 記
2014 OCTOBER NOZOMI
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第6回例会
仮会員セミナーⅠ
JCI ASPAC山形大会に合わせ移動例会を実施しました。講師
に新野藤蔵先輩をお招きし、JCI ASPACの意義や目的、また
アジア太平洋地域のメンバーとの友情を深める重要性についてご講
演をいただきました。当日はアイランドJCのモーリス理事長やJC
I ASPACに関係の深い諸先輩方にもご臨席を賜り、国際色あふ
れる例会となりました。これを機会に、メンバーが国際の機会を身
近に感じるきっかけとなれば幸いです。
5月10日(土)仙台市シルバーセンターにて仮会員セミナーⅠが
開催されました。
本事業は、公式面接後の仮会員にとって初めてJCについて学ぶ、
非常に重要な機会です。JCの基礎知識、社業とJC活動を通じて
JAYCEEの心構え、仙台JCの歴史を学んでいただきました。さ
らに、グループワークでは地域の課題について話し合いをしてもら
い、仮会員自らが「しあわせな未来の仙台」実現に向けて考える
機会でもありました。
第7回例会
仮会員セミナーⅡ
第7回例会(7月前半例会)では仙台JC現役会員、特別会員の中
から理事長経験者である第60代理事長齋藤孝志君、第62代理
事長山田宗基君、第63代理事長納庄国英君、そして昨年度でご
卒業されました第59代理事長植松悟先輩を含めた4名のパネリス
トによる『仙台JC歴代理事長から生で感じる真のリーダー討論会』
を行ないました。歴代理事長達の想いを身近に感じられ、とても
良い機会となりました。
6月21日(土)、22日(日)に秋保山菜荘にて仮会員セミナーⅡ
が行われました。日本JC田中トレーナーによるJC公式プログラム
を通じて知識を知恵に変え、各塾に課題発表していただきました。
納庄理事長の講話と大阪JC特別顧問近藤康之君の講和からは、
次代を担うリーダーとしての自覚と気概を醸成しました。また、会
員同士の交流を深め、
「しあわせな未来の仙台」実現へ向けて団結
力を高める機会となりました。
第8回例会
地域ふれあいフェスティバル
事業直前に開催された第8回例会(7月後半例会)においては、多
数の仙台JC正会員の出席と、事前説明会に参集いただいた責任者
の方々のおかげ様をもちまして、有意義な例会になったと確信して
おります。
子どもの共育実践委員会では、地域・家庭・学校が三位一体となっ
て、地域ぐるみで子どもたちを育てる事業「地域ふれあいフェスティ
バル~共育っていいね~」を6月1日(日)に西中田小学校、7月6
日(日)に榴岡小学校にて開催いたしました。アニメサザエさんで
マスオさん役を演じている増岡弘氏と劇団東京ルネッサンスの方々
をお招きして、地域のつながりと共育についての事業を実施いたし
ました。
第45回花火祭
東北大学川内萩ホールへ打ち上げ場所を変更し
開催した第45回仙台七夕花火祭は、去る8月5
日、大きな事故なく事業を終了することができま
したこと、ご報告申し上げます。本事業実施に
際し、多くの市民の皆様をはじめとする官公庁関
係各署の皆様、そして仙台JC特別会員の先輩
諸兄をはじめとした、青年会議所運動に携わる
同志の皆様の多大なるご協力をいただきました。
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石垣 光一朗
(いしがき こういちろう)
内ヶ崎 裕之
(うちがさき ひろゆき)
大久保 直樹
(おおくぼ なおき)
柿沼 岳範
(かきぬま たかのり)
ナイスクリーン株式会社
犬飼健郎法律事務所
株式会社ニッセイ宮城
日振工発株式会社
仙台のしあわせな未来の
実 現 の た め に、 責 任 と 義
務を自覚し自己の修練を
重 ね、 多 く の 仲 間 と 共 に
積極的に運動に取組んで
いきます。
弁護士の内ヶ崎裕之と申
し ま す。 J C メ ン バ ー の
皆様と仙台をよりよい街
にすべく積極的に参加し
ていきたいと思っており
ます。
自分を成長させる良い機
会 で す の で、 修 練 に 励 み
地域に貢献できるよう努
力していきたいと思いま
す。
修 練 を 重 ね、 自 分 自 身 を
成 長 し、 様 々 な 事 を 通 し
て地元仙台と会社に還元
できるように努力いたし
ます。
梶屋 拓朗
(かじや たくろう)
学校法人グロービス
経営大学院 仙台校
梶 屋 と 申 し ま す。 地 域 に
貢献できるよう精一杯頑
張 り ま す。 ど う ぞ よ ろ し
くお願い申し上げます。
郡山 信行
(こおりやま のぶゆき)
有限会社ランドワン
J C 活 動 を 通 し て、 何 事
も人から与えられる立場
で は な く、 人 に 与 え ら れ
る立場になれればと思い
ます。
佐々木 心
(ささき しん)
仙台市議会議員
佐々木両道事務所
議員秘書をしております。
『佐々木心と申します』義
理と人情を大切にし自己
成長とJC発展のために
活動を取り組みます。
佐藤 貴繁
(さとう たかしげ)
株式会社メゾンドゥゆぅ
多くのメンバーに支えら
れ な が ら、 正 会 員 に な る
事 が 出 来 ま し た。 仮 会 員
セミナーで学んだ事を活
か し な が ら、 積 極 的 に 青
年会議所の活動を行なっ
ていきたいと思います。
三瓶 勇樹
設樂 憲史
高野 和明
髙橋 克也
(さんぺい ゆうき)
(したら のりふみ)
(たかの かずあき)
(たかはし かつや)
株式会社ニーズ
山内・設樂税理士法人
High Field 司法書士法人
JAYCEE として、自分に
何ができるのかを的確に
捉 え、 率 先 し て 行 動 で き
る人間になれるよう邁進
いたします。
税理士の設樂憲史と申し
ま す。 J C 活 動 を 通 じ て
成長していきたいと思い
ま す。 よ ろ し く お 願 い い
たします。
仙台JCの活動を通じて、
仙 台 の 街 に 貢 献 し つ つ、
自分を成長させたいと思
います。
高橋 博明
(ただの かつや)
弁護士法人
植松法律事務所
株式会社ニーズ
JCの活動を通して地域
の 方 々 と ふ れ あ い、 自 分
を 成 長 さ せ、 地 域 の 方 々
と共に前へと進んでいけ
る よ う、 努 力 し て ま い り
ます。
半年間のJC活動を通じ
て, J C の イ メ ー ジ が 湧
い て き ま し た。 今 後 も 仙
台 の 明 る い 街 づ く り, 人
づくりに努力していきた
いと思います。
田中 康治
田中 裕史
(たなか ひろふみ)
東海林 拓
(とうかいりん たく)
High Field 会計事務所
株式会社菓匠三全
株式会社アオバヤ
仙 台 を 更 に 理 解 し、 仙 台
の発展に貢献できるよう
JCでの活動をこれから
頑張っていきたいと思い
ま す。 よ ろ し く お 願 い い
たします。
仙台JCの活動を通して
地域社会に貢献できるよ
う、 積 極 性 を も っ て 活 動
していきます。
東海林 拓と申します。 自
身の考えや意見を持って
意義のあるJCライフを
送っていきたいと思いま
す。
仁田 伸彦
(にった のぶひこ)
司法書士法人
A.I. グローバル
司法書士の仁田伸彦と申
し ま す。 J C 活 動 を 通 し
て仙台の発展と自身の成
長を目指してまいりたい
と思います。
橋本 博
(はしもと ひろし)
古川 直磨
(ふるかわ なおま)
戸田 泰博
(とだ やすひろ)
プルデンシャル
生命保険株式会社
戸田 泰博と申します。JC
活動を通じて自己成長し
ていきたいと思います!
松浦 壮樹
(まつうら そうじゅ)
参議院議員 熊谷大事務所
古川直磨公認会計士事務所
杜の都信用金庫
様 々 な J C 活 動 で、 仲 間
と と も に 修 練・ 奉 仕・ 友
情 の 三 信 条 の も と、 成 長
していきたいと思います。
仲 間 と の 修 練 に 励 み、 そ
こから得られた経験を地
域に還元していきたいと
思います。
杜の都信用金庫 松浦 壮樹
と 申 し ま す。 地 元 を 通 じ
自己の成長を図るべく
JC活動を行ないたいと
思います。
松良 基広
山口 剛史
吉野 秀信
(まつら もとひろ)
(やまぐち つよし)
(よしの ひでのぶ)
学校法人常盤木学園
株式会社山電
仕事とJC活動で相乗効
果 が 生 ま れ る よ う、 活 動
の機会を活かしていきた
いと考えております。
こ れ か ら の 日 本・ 東 北・
仙台を支え創造するのは
自分たちであるという気
概 を も ち、 自 己 修 練 に 励
みます。
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これから仙台青年会議所
を 通 じ て、 よ り 良 い 街 づ
く り を、 未 来 あ る 仙 台 を
創っていきたいです。
唯野 克也
(たかはし ひろあき)
(たなか こうじ )
参議院議員
中野正志事務所
弁護士法人リーガル
プロフェッション
仙台JCでの活動を通じ
て仲間とともに自身の成
長 を 図 り、 そ の 経 験 を 仙
台のまちに還元していけ
るよう努力していきます。
和田 憲治
(わだ けんじ)
株式会社スマートプラス
JCの活動を通じて、私た
ちの暮らす仙台のより住
みやすい街づくりへの貢
献 が で き る よ う、 青 年 と
しての気概と覚悟を持っ
て努めてまいります。
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出向報告
東北地区協議会
宮城ブロック協議会
9月6日~7日の2日間、山形県酒田市を舞台に、2014年度東
6 月 29 日(土)あぶくまの地に於いて宮城ブロック協議会第
北青年フォーラム in 湊町酒田が開催されました。フォーラムⅠ、第
44回ブロック大会inあぶくま復興フェスティバル2014「結」
1部では、
「忘れてはいけない日本人の心、東北人の心」と題して、
が開催されました。本年は式典前に東日本大震災で被害があっ
金 美齡氏による基調講演していただきました。第2部ではパネル
た地域の復興を JC メンバー全員で祈願し、竹駒神社崇敬会館
ディスカッション「忘れかけた『結』の精神を呼び覚ます」と題して
で式典を行ないました。その他に、宮城のたからいちが開催され、
行ない、第3部ではエンディングプレゼンテーション「ワークライフ
午後からはフォーラムⅠ新生みやぎ ~知ろう!未来への約束~
バランス」のアクションプランの発表がありました。
では、パネルディスカッション、その後に開催されたフォーラム
2日目は、東北ゼミナール委員会閉校式が執り行なわれ、エンディ
Ⅱエネ活!フォーラム ~地域資源で地域活性化~では、エネル
ングセレモニーでは、久米川会長より閉会挨拶があり、東北各地の
ギーについて関心を高めるために、
各企業・団体によるエネルギー
問題解決に向けた気概と覚悟を持ち、強固な絆で東北各地会員会議
関連ブースも出展いたしました。結の精神が満ちあふれる自立し
所メンバーが一体となった運動展開を促すことを誓い閉会しました。
た宮城の実現を誓い合いました。
公益社団法人仙台青年会議所2014年度
広報誌「のぞみ」をご覧いただきましてあり
がとうございます。
本年度、仙台JCは Image Of Happiness
~ 青 年 と し て、 惑 わ ず、 憂 え ず、
SENDAI
恐れず~のスローガンのもと運動を展開して
まいりました。
本年、広報委員会は広報誌、公式ウェブサ
イト、記者発表を活用し、活動を運動につな
がるように広報活動を行なってまいりまし
た。今回の「のぞみ」では、理事長納庄国英
と、仙台伊達家十八代当主 伊達泰宗氏と仙
台(まち)を作った伊達政宗公がどのような
想いで仙台(まち)を築いたのか、また過去
の慶長大震災時、どのような思いで仙台(ま
ち)を復興しようとしたのかを対談のテーマ
と し て 企 画 さ せ て い た だ き ま し た。 大 変 貴 重
な お 話 を 聞 く 機 会 と な り ま し た。 あ り が と う
ございました。
今回の紙面にも掲載させていただきました
が、2014年度中期の活動として、仙台七
夕花火祭や青少年育成事業を中心に多くの活
動を行なってまいりました。また 名の新た
なメンバーが仙台JCに入会し、今後の活躍
が期待されています。
今後も広報委員会では仙台JCの活動がよ
り市民の皆様にわかりやすく、地域に根付く
広報誌になるように努めてまいります。そし
て、仙台JCの活動を一人でも多くの方に認
知していただければ幸いと思います。
広報誌「のぞみ」の他、公式ウェブサイト
でも、様々な工夫を重ねながら情報を発信し
ていきますので、引き続きご覧いただいきま
す様よろしくお願いいたします。
最 後 に な り ま す が、 広 報 誌 「 の ぞ み 」 を 発
行するにあたりご協力、ご支援をいただきま
した皆様には心から感謝申し上げます。
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発行情報/2014年 10 月発刊
発行責任者/佐々木 正寿
発行/公益社団法人仙台青年会議所広報委員会
仙台市青葉区本町2丁目16-12仙台商工会議所ビル8階
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