1960年(昭和35年)※ と云えば、私 は12歳の時。それから10年先の1970年、 この年は学生時代最後の年。だから60年は 私にとっては青春時代そのものだったとも 云える。そして、ハワイ音楽と共に過ごし た10年だったとも云える。 私が子供の頃はハワイなどへの旅行など、 夢のまた夢だった。そして、ハワイへの関 心もさほど強いものではなかった。私も一 般の人たちが漠然と抱いていた当時のハワ イの知識とそう変わったものを持っていた わけではなく、ごくごく当り前のもの・・ ・たとえば、日本人がハワイに多数移民し ていたり、常夏の島、理想のパラダイスの 島等々・・・である。 街の楽器店にはウクレレやスティール・ ギターも普通に売られていて、共に日本で はポピュラーな楽器であった。むしろ、今 のほうが、スティール・ギターそのものが 楽器店でもあまり扱ってはいないので、特 殊な楽器になってしまっていて、若者にと ってはスティール・ギターそのものを知ら ない人が大半と云っていいくらいである。 一方、ウクレレに関しては昨今のウクレレ ・ブームで楽器そのものが大きく浮上して いる。こうしたウクレレとスティール・ギ ターの凋落こそが、そのまま時代、時代の ハワイ音楽の流行を反映していると云える だろう。 私が青春を過ごした60年代は正しく衰退 したスティール・ギター・サウンドの全盛 の時代だった。 夏になると街にはハワイアンが流れる。 特に活況を博していたのが、ビヤ・ガーデ ンだった。そこには連日ハワイアンの生バ ンド(カラオケとCDではなく実際には生演 奏するバンドのことを呼ぶ)が 出 演して は 演奏を披露していたが、その中心となる楽 器がスティール・ギターだった。 当然、需要と供給のバランスで、ハワイ アン・バンド?らしきバンドが多数結成? 或いは編成されていった時代でもあった。 勿論私もハワイアン・バンドらしきものを 作っては下手な演奏をやっていた一人だが 御多分にもれず私もスティール・ギターだ った。 私がスティール・ギターに興味を持った のは、まずその音色だった。 音色に興味を持ったことが、後々のハワ イ音楽に対する考えをも変えさせることに なってゆくのだが・・・。その切っ掛けに なったのが、WVTR→ FEN → そして今の AFN放送から流れてきたある音楽番組を聞 いてからだった。その番組とは「ハワイ・ コールズ」と云う番組。毎土曜日に流れて くるハワイからの30分のライブ放送番組だ った。 この番組に心動かされたのは私一人では なく、この番組を聞いた人のほとんどがそ うであったに違いない。 憧れの地だったハワイが、この番組を通 じてハワイの自然や空気までも運んで来て くれた感じがしたほどだった。そして、オ ープニングの波と共に聞こえてくる甘いス ティール・ギターの調べ、これこそが、私 の考えを大きく変えた調べだった。当時日 本でもたくさんのスティール・ギターを弾 くプレイヤーはいたけれどもハワイそのも のを伝えてくれるような弾き方のプレイヤ ーが少なかったこと、つまり日本人とハワ イの人の弾くスティール・ギターの音色が あまりにも違いすぎることだった。私自身 はハワイの人が弾くスティール・ギターが どうしても弾きたくて弾きたくて、いろい ろなプレイヤーのレコードを漁って聴きま くっていた。私の高校時代である。 この間、世の中にはさまざまな音楽が生 まれて来ていた。 サッチモやグレン・ミラー等のジャズか らはじまり、若者のアイドルのはしり、シ ナトラやプレスリー、エレキ・バンドの神 様ベンチャーズ、そしてビートルズやディ ラン、PPMと云ったフォーク、GS、etc・ ・・。次から次へと音楽シーンはにぎやか だった。 同じくハワイでも世界の音楽シーンと同 調するかのように、次から次へと新しいス タイルのハワイ音楽が誕生してきた。その 代表的なものとしては、ジャズ・コーラス の影響を色濃く受けて登場してきた五人編 成のコーラス・グループ、ジ・インヴィテ ィションズ(後のハワイアン・コーラスに 大きな影響を与えたグループ。)60年代の アメリカ本土からの観光ブームを反映して 建てられたホテルでのラウンジ・サウンド の代表格でエキゾチック・サウンズの父、 マーティン・デニーのグループ、そして、 アルフレッド・アパカに続く、ハワイのス ーパー・スターとなった、ドン・ホー、そ してクイ・リー等。ここでお気付きの方も いるかもしれないが、これらのスターたち はどのサウンドも、より白人色が強いサウ ンドばかりであり、また、もう一つの特長 としては、スティール・ギターが主役の座 を譲っていたことである。その一方で観光 客を対象としていないハワイ音楽、ハワイ の人々の為のハワイ音楽がこの時すでに動 き出していた。その代表格がエディー・カ マエ率いるサンズ・オブ・ハワイなのであ る。その中心にいたのが誰であろう、70年 代のスーパー・スターであり、ハワイのカ リスマ的存在にまでなっているギャビー・ パヒヌイその人なのである。 ギャビーはスラック・キー・ギターの名 手でもあるが、私がハワイに渡った理由の 一つにこのハワイ独特のギター奏法、スラ ック・キー・ギターを自分自身で習得した かったからに他ならない。その切っ掛けと なったのはやはり、スティール・ギターか ら来ている。つまり、ハワイの人が弾くス ティール・ギターが弾きたかったからであ る。では何故かと云えば、スティール・ギ ターの兄貴分に当たるのがスラック・キー ・ギターであり、スラック・キー・ギター によるヴァンプ(曲と曲をつなぐブリッジ のこと)がわからなければ、スティール・ ギターでのヴァンプもハワイらしく弾くこ とが出来ないからである。 それがたまたま偶然と云うこともあろう。 ギャビーと云うすごいミュージシャンがス ラック・キー・ギター一本でパフォーマン スをする素晴らしさに、やっと気付きはじ めた時と私が渡布した時期が一致したのは、 私にとってラッキーだったかも知れないし、 ある種の不思議さをその時感じたことを今 でもクッキリと覚えている。 ※1960年はハワイ移民75年目の年。
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