思い遣る

新ヒラリ ズム
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思い遣る
陽羅
義光
ことし アカ デミー 賞の作 品賞・ 監督 賞 ・脚本賞 ・撮 影賞に なった 、
『バード マン 』
は、近 頃稀 なほど 良い映 画であ った 。
良い良 いで は、意 味がな いから 、簡 単 に解説す る。
解りや すく 、マイ ケル・ キー トン演 ず る主人公 、も しくは マイ ケ ル・
キートン 本人 (最優 秀主演 男優賞 をあ げ るべきだ った )を、
「バード マン 」と呼 び、
その娘 を、
「娘」と 呼び 、
「バード マン 」の共 演者( 映画 でも、 映 画の中の 芝居 でも) の名優 男性
を、
「ノート ン」 と呼び 、名優 女性を 、
「ナオミ 」と 呼ぶ。
名作『 バベ ル』の 監督で もある イニ ャ リトゥは 、
「監督」 と呼 ぶ。
〈私小説 〉と いうも のがあ るが、
〈私映画 〉と いうも のもあ る。
そして これ は、
「バード マン 」のた めに、
「監督」 が創 った、
〈フィク ショ ンの私 映画〉 である 。
「バード マン 」は、 かつて スーパ ーヒ ー ロー、
『 バード マン 』を演 じた大 スター であ っ た。
それが いま では落 ちぶれ て、 家族も 仕 事も失い 、地 味で芸 術的な 芝居
を創ろう とし ている 。
その芝 居は 、おそ らく〈 愛〉 をテー マ にした、 レイ モンド ・カー バー
の短編小 説を 脚本化 したも のであ る。
「バード マン 」の対 極には 、
かつて は地 味な性 格俳優 であり 、い ま は、
「アイア ンマ ン」で 稼ぎま くっ ている 、 ロバート ・ダ ウニー ・ジュ ニア
がいる。
他にも 、ジ ョージ ・クル ーニ ーなど の 大スター が、 半分茶 化され て話
題とされ る。
「監督」 は、
「バード マン 」に、 特別な 思いや りを も っている 。
その特 別な 思いや りが、 この 映画を 創 らせたと いっ ても、 過言で はな
い。
「バード マン 」はす でに、 禿げて 、ふ や けた肉体 とな ってい る。
けれど も、 エンタ ーテイ ンメ ントの 世 界から、 芸術 的な世 界へと 、あ
がきもだ えな がらも 、羽ば たこう とし て いるのだ 。
「ノート ン」 はすで に、芝 居の世 界で は 実力を認 めら れた存 在だ。
「ノート ン」 はマニ アック な役者 であ る が、
「バード マン 」と対 立しな がらも 、無 意 識に助け てい る。
クスリ をや って、 死の世 界に近 い、
「娘」を 、生 の世界 へ引き 戻すの も、
「ノート ン」 の思い やりで ある。
「ナオミ 」 も 、「 ノート ン」の 役者魂 に 翻弄され なが らも、
「バード マン 」を、 実に優 しい思 いや り で助けて いる 。
「ナオミ 」の 笑顔は 、この 映画の 白眉 で ある。
新聞な どに 載った 評や感 想を読 むと 、
「勇気づ けら れる」 とか、
「オヤジ でも 飛べ」 とか、
「どっこ い生 きてい る」と かが 大半だ が 、この映 画の 本質は そうい うも
のではな い。
この映 画は 、思い やり満 載の映 画な の だ。
「ノート ン」 や「ナ オミ」 のみな らず 、
「バード マン 」の別 れた奥 さんや 、
「バード マン 」を支 えるマ ネージ ャー た ちも、思 いや りが溢 れてい る。
思いや りと は何か 。
それは 、何 よりも 言葉で ある。
しかも 、相 手に寄 り添っ た、 表情や 言 い方にも 真心 をこめ た、言 葉で
ある。
こうし た〈 言葉〉 を、監 督は〈 愛〉 と 考えてい るの だとお もわれ る。
決して 「同 情」で はない 。
思いや りは 「愛の 言葉」 で相手 に伝 え て、まこ との 思いや りとな る。
「バード マン 」に、 カーバ ーが〈 言葉 〉 を贈り、 それ を支え に、
「バード マン 」が芝 居を創 る、と いう エ ピソード が象 徴的に 語られ る。
「バード マン 」に対 して辛 辣な、 傲慢 そ のものの 演劇 評論家 が、
「バード マン 」が命 がけで 創った 芝居 に 対して、
〈無知が もた らす 予 期せぬ 奇跡〉と絶賛 するのも 、
〈 言葉〉の贈り 物であ
る。
この映 画を 、稀有 な傑作 映画た らし め たのは、
「監督」 の、
「バード マン 」に対 する、
思いや り( つまり「愛 の言葉 」)が、か ぎりなく 深く 優しく 強いた めで
ある。