ウルトラ警察隊 - 原町高等学校

口真樹
さん
さん
大 都 市 東 京 で、 警 察 官 と し て
非 番 の お 二 人 は、 快 く イ ン タ
が集合して原高祭を開きまし
国 語 が 話 せ な か っ た 私 が、 自
本場のジャズを鑑賞
人のために尽くしたいという
ビューに応えてくださいまし
た が、 今 年 は 9 月 6、7 日 に
分の通訳によって外国人犯罪
今 年 は、 芸 術 鑑 賞 教 室 も 開
気 持 ち が 強 く な り、 警 視 庁 を
た。
原町高校校庭で開催すること
などの事件解決につながった
催 し ま し た。 月1 日、 ゆ め
受 験 し ま し た。
お 二 人 の 仕 事 の 管 轄 は、 飯
が で き ま し た。 綱 引 き、 玉 入
時 は、 責 任 の 重 さ と 同 時 に 充
は っ と で 開 い た ﹃ 高 校 生 のた
︿ 表 ﹀ 高 校 時 代 は、 進 学 し て
舘 村 か ら 小 高、 原 町、 鹿 島 に
れ、 部 活 対 抗 リ レ ー、 長 縄 跳
実 感 も あ り ま し た。
めのジャズコンサート﹄です。
大学野球をすることが大きな
ま た が り ま す。 震 災 後、 人 の
び な ど、 チ ー ム ワ ー ク が 重 要
* 表 さ ん 曰 く ﹁ 樋 口 さ ん は、
本 校 の 同 窓 生 の 二 本 松 義 史さ
目 標 で、 警 察 官 の こ と は 考 え
流 れ が 激 し い の で、 警 察 の 仕
な 種 目 ば か り。 し か も、 ク ラ
す ご い で す よ、 ハ ン グ ル、 ペ
ん︵四 十 九回 卒 ︶率いるジャ
て は い ま せ ん で し た。
事はますますいそがしくな
ス 対 抗 で は な く、 1 年 生 か ら
ラペラです。﹂
ズバンド
る、 交 通 事 故 も と て も 増 え て
3 年生まで縦割りにした連合
東京では外国人の犯罪が急激
o による演奏
い る と い う こ と で し た。
チームを結成しての対戦です。 会です。二本松さんは、小高
=どんな高校生だったのです
に増えているとのことでした。
原町復興の役に立ちたい
ク ラ ス の 団 結 だ け で な く、 上
区 出 身 で、 ジ ャ ズ ド ラ マ ー と
か=
︿表﹀このような機会で故郷
と、 今 ま で と は 全 く 違 う 毎 日
級生と下級生のつながりも深
して世界的に活躍している方
︿おふたりとも口をそろえて﹀ に 勤 務 す る こ と は、 夢 に も 思
力回復が基本です
が 待 っ て い る こ と を 承 知 で、 まったのではないでしょうか。 です。この日もアメリカなど
1 年365 日、野 球 をしに 学
趣 味 も、 野 球、 そ し て ジ ョ
い ま せ ん で し た。 自 分 が 力 に
東京からこの原町に赴任され
で演奏活動をしている仲間
校 に 来ているよ う な ものでし
ギ ン グ で す。
な れ て、 本 当 に う れ し く 思 い
を 集 め て、
﹁オーバー・ザ・レ
た。勉強はその次でした。生徒
実は﹁夢﹂がありまして・・・。 た 同 窓 生 を 誇 り に 思 い ま す。
ま す。
実行委員を務めて
ど う ぞ、 お 体 に 気 を つ け て、
インボー﹂などを演 奏。また、
会の行 事の体 育 祭、球 技 大 会
子 ど も ︵ 3 歳、 6 歳 の 男 の
当 番 勤 務 は、 朝 か ら 翌 日 の
体育祭実行委員長
各楽器による﹁ジャズの楽しみ
などが思い出に残っています。
子︶を、
箱根駅伝で走らせたい、 ご活躍ください。
朝までの勤務になりますの
只野 幸喜 方﹂も教えてくださいました。
*印象に残っている先生は誰
というね。だから、今のうちか
で、 体 力勝 負の仕 事でもあり
現在原町高校校庭のプレハ
で す か、 と の 質 問 に は、 お 二
﹁震災を乗り越えて初めて
ま す。 今 回 の 特 別 出 向 で は、 ら父子で走っているのですよ。
ブ校舎で生活をしている小高
人 と も、 当 時 の 野 球 部 の 監 督
の 体 育 祭 と い う こ と で、 誰 も
私は単身赴任できているの
商業高校の生徒・教職員の皆
でもある酒井良雄先生の名前
経 験 の な い 中、 実 行 委 員 長 を
で、 家 族 と 離 れ て い る こ と が
= 最 後 に な り ま し た。後輩に
さんと一緒に、 ジャズ演奏を
を 挙 げ ら れ ま し た。
や り ま し た。
少 し 辛 い で す。
向け何か一言お願い致します=
楽 し み ま し た。
突然の雨で午後の競技が延期
* 話 は テ レ ビ の、 全 国 各 地 の ︿ 口 ﹀ 警 視 庁 に は 4 万 5 千
に な る な ど、 ア ク シ デ ン ト も
= 警 察 官 と し て の 仕 事 は、 い
警察官の活躍を取り上げた特
人 の 警 察 官 が お り、 わ た し も
あ り ま し た が、 球 技 大 会 や 合
かがですか=
別番組のことになり・・・
その一人として治安維持のた
唱コンクールに負けないくら
︿ 口﹀警察学校を卒業する
﹁本当にあの通りなんです
め に 職 務 を 遂 行 し て い ま す。
い 盛 り 上 が り、 実 行 委 員 長 と
と、 各 警 察 署 に 配 置 さ れ 既 婚
か?﹂ の 質 問 に、﹁ え え、 あ
その大きな組織のなかで自分
して非常にうれしかったです。
者 以 外 は 独 身 寮 ︵待 機 寮︶ に
の ま ま で す よ。 で も、 実 際 は
の 力 を 発 揮 す る た め に は、 み
最 後 に、 一 緒 に 体 育 祭 を
入 り ま す。 文 字 通 り ﹁ 待 機 ﹂ あ の 後 ︵事 件 が 解 決 し た 後 と
んなの協力なくして成り立ち
作 っ て く れ た 生 徒 会 の 皆 様、
な の で 、 真 夜 中 で も 1 10 番
いう意味︶も大変なんですよ﹂ ません。皆さんもこれからそ
協力してくれた委員会の皆
があれば、休日でも起こされ
と の こ と。 表 さ ん は、 赴 任 し
れ ぞ れ の 道 を 歩 み、 い ろ ん な
様、 先 生 方、 本 当 に あ り が と
呼び出されることがあるの
て す ぐ の 3月 、 福 島 の ウ ル ト
人との出会いがあると思いま
うございました。﹂
で、慣れるまでは大変でした。 ラ警察官として日本テレビの
す。 そ う い っ た 出 会 い を 大 切
昨 年 度 は、 南 相 馬 市 と 福 島
う れ し か っ た こ と は、 警 視 庁
取 材 を 受 け、 テ レ ビ で も 紹 介
に し、 自 分 が 困 っ た と き に 協
市 の2 カ 所 に サ テ ラ イ ト 校 と
では語学研修があるのです
されたとか。﹁運転席の前と、 力してくれる人間関係を築い
してわかれて学校生活を送っ
が、 私 は2 年 間 韓 国 語 の 通 訳
助手席の左に小型カメラが
て も ら い た い で す。
て い た 原 高 生。 こ の4 月 か ら
の勉強をさせていただきまし
あ っ て ね ・ ・ ・﹂ と そ の 時 の ︿ 表 ﹀ こ れ か ら 社 会 に 出 て 行
原 町 区 本 校 に 戻 り、 学 校 行 事
た。 そ の 後、 警 視 庁 本 部 の 通
様子を話してくれました。
く 皆 さ ん で す が、 高 校 時 代 の
今 年 は、 全 員 が 原 町 高 校 に
や生徒会行事も震災前と同じ
訳 セ ン タ ー で、 韓 国 人 が か ら
仲間というのは大切にしてほ
戻って入学式・始業式を迎え
ように開かれるようになって
んだ各種事件の取り調べの通
し い と 思 い ま す。 卒 業 し て
= 激 務 の な か、 休 日 は ど の よ
ま し た。 な お 震 災 の 影 響 は あ
い ま す 。3 年 生 は 、 下 級 生 に
訳 を し て い ま し た。
う に し て 過 ご し て い ま す か。 年 以 上 た ち ま す が、 現 在 で も
る も の の、 生 徒 達 は 勉 強 に 部
警 察 官 に な る ま で、 全 く 韓
連 絡 を 取 り 合 っ て い る 友 人 ﹁原高の伝統を伝えたい﹂と、
趣味は?=
活 動 に 生 徒 会 活 動 に と、﹁ 原
は、かけがえのないものです。 さまざまの行事で先頭に立っ
︿ 口﹀東京にいる頃はよく
町 高 校 の 伝 統 を 受 け 継 ぐ﹂ と
て 活 躍 し て い ま す。
一 人 で も 二 人 で も、 大 切 な 仲
吉 祥 寺 へ 行 き、 買 い 物 を し た
い う 思 い で 生 活 し て い ま す。
り 井 の 頭 公 園 を 散 策 し た り、 間 を 作 り、 すば ら し い 人 生 に
﹁最初で最後の体育祭
前 述 し た ほ か に 、6 月 の 合
し て ほ し い で す。
読 書 を し た り。 今 は、 相 馬 市
唱 コ ン ク ー ル 、7 月 の 球 技 大
の ス ポ ー ツ ジ ム に 通 っ て、 筋
︱ 年生﹂
会、 月 の 関 西 方 面 へ の 修 学
あ の 震 災 後、 お ふ た り そ れ
力トレーニングや水泳をし
﹁初めての体育祭
旅 行 と、 行 事 を 行 う こ と が で
ぞれがウルトラ警察隊を希望
て、 身 体 を 鍛 え て い ま す。
︱
年
生
﹂
きました。来年は公開文化祭・
し て、 こ の 原 町 に 赴 任 し て 高
趣 味 は ス ポ ー ツ 観 戦 で、 友
柏 曜 祭 の 年 で す。 必 ず 生 徒 達
その一つが校内体育祭です。
校時代の野球部の先輩・後輩
人と野球やサッカーを見に
持ち前の力を発揮することと
昨年は福島の国体記念体育館
が 再 会 す る と い う の は、 不 思
行 っ て い ま す。
期 待 し て い ま す。
議 な 巡 り 合 わ せ を 感 じ ま す。 で、 福 島 と 原 町 区 か ら 原 高 生
︿ 表 ﹀ 当 番 勤 務 に 備 え て、 体
97
表さん
母校の近況
10
11
活躍する同窓生
芳彦
U
U
表
に入っています。福島県には350名の警察官が支援に入っ
ており、その名も﹃ウルトラ警察隊﹄
。須賀川市出身の映画監
督・円谷英二氏にちなんでつけられました。この南相馬市に
口 真 樹 さ ん ︵ 五 十 二 回 卒 ・ 石 神 中 学 校 出 身 ︶・ 表
は6名のウルトラ警察隊員が入っていますが、そのうち 2名
の方
町高校の同窓生です。偶然にも、お二人とも東京警視庁勤務、
しかも共に野球部に所属し、 口さんが高校3年生の時には
表さんは1年生、と、部活でも先輩・後輩の間柄です。お二
人とも高校から大学に進み、それぞれ大学野球で活躍し、そ
命されて、そこで高校以来の再開を果たしたということです。
の後警視庁に入り、そして昨年の2月にウルトラ警察隊に任
のどかな日よりの1月の上旬、南相馬警察署に﹁ウルトラ
警察隊﹂お二人をお訪ねしました。
競争率︵?︶5倍を突破して
故郷・原町へ
る こ と が あ れ ば と 思 い、 出 向
を 志 願 し ま し た。
こ う い っ た 機 会 で、 故 郷 で
活動できるとは夢にも思いま
せ ん で し た。
* 福 島 県 に は、 警 視 庁 か ら
名の警察官が出向しています
が、 そ の ウ ル ト ラ 警 察 隊 に 選
抜されるには、何と5 倍近い
競 争 率 だ っ た そ う で す。
=高校の頃から警察官志望
だったのですか=
︿ 口﹀高校の頃は教員を目
指 し て い た の で す が、 大 学 に
入 っ て、 亡 く な っ た 祖 父 が 警
視庁で刑事をしていたと両親
か ら 初 め て 聞 か さ れ、 自 分 も
樋口さん
10
ウルトラ警察隊
ウルトラ警察隊って?
ウルトラ警察隊∼3・ 後、福島・宮城・岩手の復興のた
めにと、北海道から鹿児島まで全国の警察官が被災地の支援
11
︵おもて︶芳彦さん︵五十四回卒・原町第一中学校出身︶は原
−−
=ウルトラ警察隊を志願した
理由を教えてください=
︿ 口﹀東日本大震災と津波
そ し て 原 発 事 故、 こ れ ら の 甚
大な被害が地元で起きている
光景をテレビの映像を通して
見 て、 私 は こ の ま ま 警 視 庁 に
残 っ て い て い い の か、 何 と か
地元の治安・復興のための手
助けをしたいという想いか
ら、 入 隊 を 決 意 し ま し た。
︿ 表 ﹀ 震 災 直 後、 故 郷 の 南 相
馬のために何もすることがで
き な か っ た の で、 今 回 の 特 別
出向を機会に、 少しでもでき
3
校内体育祭
芸術鑑賞教室
1
第 45 号
原 高 同 窓 会 会 報
(3)2013(平成 25)年 3 月 1 日(金)