すべてのものに「ありがとう」 岡山大学 1 年 湯浅 可奈子 まず始めに

すべてのものに「ありがとう」
岡山大学 1 年
湯浅
可奈子
まず始めに、堂園先生をはじめとする NPO 法人「風に立つライオン」の会員の皆様のお
かげで今回の旅に参加させていただくことが出来たことを、感謝申し上げます。そして実
際に旅のお世話をしてくださった日本とコルカタの皆様にも、心からお礼を申し上げます。
このような素晴らしい機会を私に与えてくださり、本当に有難うございました。
私が偶然にも風に立つライオンの旅のことを知ったのが今から約1年前。この旅や堂園先
生に運命を感じ、この旅こそ医療人として私が目指していくべきものを教えてくれるので
はないかと思った。運命を感じたこの旅への参加は現実のものとなり、私はたくさんの人
のおかげでこの度インドへ行くことが出来た。インドへ行くことが決定した時、私は『す
でに存在する、単なる医療をする何億人という医師のひとり』にならないようにマザーが
私のことをインドへ導いて下さったのだと思った。人々は大きな信頼と希望を持って医師
のもとにやって来る。その人たちを裏切ることなく、愛と思いやりの心を持って彼らを治
療できるような医療人になる使命を、私はマザーから与えられたような気がした。このよ
うな医療人となるために私に必要なものを少しでも多くインドで学んで帰れるよう、イン
ド滞在中私は五感を精一杯働かせて、少しでも多くのことに気付くことが出来るよう心掛
けた。以下は私がインドで感じたこと、学んだこと、気付かされたことであり、また現在、
考え続けていることでもある。実際、肌で感じてみないと伝わらないことも多くあるかと
思うが、少しでも私が得たものを共有していただければと思う。
まず始めに、コルカタという町で10日間生活することによって感じたことについて。
コルカタに着いたのが深夜0時過ぎ、町に常に響き渡っているクラクションの音に圧倒さ
れた。私にはこのクラクションは相手を威嚇するために鳴らしているようにしか思えなか
った。道路には車線が全く引かれておらず、信号機もほとんどない。深夜なのに道端には
たくさんの人がおり、犬や羊が群がっているような場所もあった。次の日からわずか10
日間ではあったが私のコルカタでの生活が始まった。コルカタでは人も車も自転車もオー
トリキシャもすべて同じ所を通る。日本人の感覚からするとあまりに危険であり、日本で
は考えられない光景である。我々日本人は10メートル離れた所から全速力で走ってくる
車をさえぎって道を横断することがあまりに怖く、なかなか横断することができなかった。
私にはこのようなことが日常的に行われているインドがとても無秩序な世界に思えた。と
ころがコルカタで生活し始めて8日目くらい経ったある日、私はこのクラクションによっ
てコルカタの人々の安全が守られ、秩序が保たれていることに気がついた。道路には信号
機がほとんどなくウィンカーを出す車などいない。それでも衝突事故が起きない。コルカ
タの人は目や手で合図し、クラクションを鳴らすことによってきちんと意思表示をしてい
るのである。コルカタでは携帯電話で話しながら運転することなど決して出来ない。常に
様々な所に注意を払っておかないと、自分が事故に巻き込まれてしまう。ガソリン代を削
るためかどうか分からないがアイドリングストップなども日常的に行われている。バスに
は必ず女性専用のシートがある。インドは日本より“人や地球に優しい生活”が実践され
ている国だと思った。インドは今、急成長している国である。何十年後かには日本よりも
物質的に豊かな国になっているかもしれない。そうしたらやはりインドのこのような生活
も失われてしまうのだろうか。日本は物質的な豊かさのために有限であるモノの大切さを
随分前に忘れてしまい、今になって環境保護、資源保護と叫んでいる。インドも今の日本
のようにならないことを願っている。インドに行って私はモノを大切に使うことの大切さ
を再認識し、無駄遣いばかりしている日本の生活を反省した。モノがあふれているからど
れだけ使ってもいいのではなく、モノが与えられていることを感謝しなければならない。
この気持ちを忘れなければ無駄遣いは出来ないはずである。
日本は精神的に貧しい国だと言われている。一方インドは物質的な豊かさには程遠いが
心は豊かな国だと言われている。コルカタで道を歩いているとたくさんの人、特に子ども
たちが「ハロー!」と挨拶してにこっとしてくれる。確かにコルカタの人から見ると私たち
が見るからに外国人で目立っていたこともあったと思うが、コルカタの人は日本人より周
りの人間に対して無関心でないような気がした。コルカタの人は私たちを笑顔で迎え入れ
てくれた。バスの車掌、電車にたまたま乗り合わせた人は席が空く度に、ここに座ったら
と合図してくれる。インドに行っている間中、私は本当に心が満たされていた。日本では
味わったことがない感覚だった。今日も自分がこの地球上で生きていて、たくさんの人と
交われることがとてつもなく楽しくて有難かった。コルカタには生身の人間同士の触れ合
いが確かに存在していた。マザーテレサは愛情の反対は憎しみではなく無関心だと言われ
ていたが本当にその意味が分かった気がした。
今回の旅は私にとっては初めての海外旅行だった。初めて日本以外の文化を肌で感じ、
生活を体験した。そういう意味で、私にとって今回の旅は他のメンバーとは少し違う意味
を持っていた。今回は井上さんがインドの事やヒンドゥー教の事、カーストの事をレクチ
ャーしてくださったことでインドについて理解を深めることができ、私は初めて日本とい
う国を客観的に見ることが出来た。それと同時に他の文化のことを理解することは重要で
あるけれども、困難でもあることを知った。しかし困難だが目を背けてはいけないことだ
と思うので、これから勉強していこうと思う。私は初めて本気で外国の歴史や文化につい
て知りたいと思った。そう思わせてくれたこの旅に感謝している。
次に「祈り」について。中高とキリスト教の学校に通っていたので毎朝礼拝をすることに
違和感を覚えることはなかった。今回、久しぶりに礼拝の時間を持って改めて祈りについ
て考えさせられた。シスタークリスティーが「人間は皆、心に隙間を感じている。それを
埋められるのは神だけだ。」と言われていた。
「私たちは神に愛されたから今ここに存在し
ているのだ」とも言われていた。神の愛に気付くことが出来た人は、この隙間を埋める事
が出来るのではないだろうか。祈りとは今日自分がここに生かされていることを感謝し、
それと同時に自分の内面を見つめなおすことであると思う。インドに行く前、私はマザー
が度々「祈りなさい」と言われている意味が良く理解出来なかった。祈ることによって何
が変わるのだろうと思ったりもした。マザーハウスで実際に祈りの時間を持って、私は祈
ることによって変わるのは自分自身であることに気がついた。シスタークリスティーは
「色々な感情を持った時にどういう行動に出るかが重要である。
」と言われていた。私は日
本でも祈りの時間としてでなくていいから、忙しい毎日の中でほんの数分、ちょっと立ち
止まって考える時間を持つことで本当に自分の人生が変えられるのではないかと思った。
最後に今回の最大の目的でもあったカリガートでのボランティアについて。ボランティ
アには8日間行った。朝食・昼食の配膳、その後の食器洗い、洗濯、入所者の方々の排泄
や投薬の手伝いなどをさせてもらった。洗濯、食器洗いなどがカリガートではすべて手作
業で行われる。朝食の片付けと洗濯が終わって、入所者の方の所に話をしに行ける時間は
本当に私にとって癒しの時間であった。もちろんほとんど言葉は通じない。私がおばあち
ゃんたちの背中をさすって、おばあちゃんたちが私の手をなでてくれて・・私がそこにい
るだけでもったいないくらい感謝してくれて、手に頬にキスをしてくれる。もちろんみん
ながみんなそうではない。怒ってばっかりの人ももちろんいる。でもその人が毎日毎日私
に会ううちにたまににこっと笑ってくれるようになる、その瞬間がまた最高に幸せだった。
私は今回ボランティアをさせてもらうことによってたくさんの喜びをもらった。それは「し
てあげる」ことによって得られた喜びではなく「人を愛する」ことによって得られた喜び
である。今までも様々なボランティアをさせてもらってきたが、食器洗い、洗濯、いろい
ろなお世話をしていてこんなに楽しかったことは今までになかった。排泄のお世話すらお
ばあちゃんがあまりにいとおしいから、やっていたら楽しくなってきてしまい、すごくハ
イテンションでやっている自分に後から気付いたりした。それもこれもすべてカリガート
の方々が私に与えてくれた喜びである。一緒に旅したメンバーの一人が「与えることは与
えられることである」ことに気付いたと言われていた。まさにその通りであると思う。そ
れはインドに行かないと、頭では理解できても体感出来なかったことなのではないかと思
った。たった8日間のボランティアだったが最後の日にみんなの前で「ふるさと」を歌っ
た時にはみんなのことがいとおしくて、明日も明後日もまた一緒に触れ合っていたくて、
次いつ会えるのだろうと考えたら涙が止まらなかった。これまでも私はボランティアをさ
せてもらう機会があり、その度に得体の知れない充実感は得ていた。でもそれは「してあ
げている」という思いから来るものであったと思う。“ボランティアは「させてもらって
いる」のだ。”人からそう言われても実感が伴わないものはなかなか理解出来なかった。
「し
てあげている」という思いを抱きながらするボランティアなんてされる方も迷惑な話だと
思い、このままボランティアを続けても良いかどうか迷ったこともあった。でも今回、私
は確かにボランティアをさせてもらって喜びをいただいた。私は明日からもまたボランテ
ィアに行こうと思う。
日本に帰国して早いもので1ヶ月が経とうとしている。インドで見て、感じたことをこれ
からどう自分の医療人としての人生に役立てていけば良いのか。今も考える日々が続いて
いる。先日行った病院で、私は始めて病気だけを診ない、私すべてをみてくれる医師に出
会った。その医師は私が診察室に入った時からとても笑顔が素敵なドクターだった。病気
だけをみないとは、患者さんに心から寄り添うことであり本当の意味でその人自身の身に
なることであると思った。もちろん本当にその人の身になることなど出来ない。それでも
精一杯分かろうとする、その姿勢は伝わると思う。本気でぶつかって生身の人間同士の触
れ合いが出来た時、医師と患者の間に信頼関係が生まれるのではないだろうか。赤ん坊は
親から抱かれ、撫でられ、キスをされる事によって親のことを信頼するのだと思う。人間
の原点はやはりこの触れ合いにあるのではないかとインドで気付かされた。
「大丈夫」とい
う一言で患者さんに安心感を与えていると思ったら大間違いである。大事なのは心である。
うわべだけの言葉は何も伝えない。いつか治る病気を抱えているとしても今現在、悩み苦
しんでいる患者さんは多くいると思う。病気そのもの以外に問題を抱えている患者さんは
多いと思う。医師にはただならぬ洞察力が必要であると思った。患者さんはなかなか自ら
進んで本当に思っていることを話せないのだと思う。話そうと思う空間を医師が作ってい
ないのだと思う。私はこれまで医師の心無い言葉に傷ついたこともあった。でも私はこの
ような医師に出会えた事を嬉しく思っている。もしかしたら自分が傷つける側に回ってし
まっていたかもしれないところを、この医師のおかげでどれだけ患者さんを傷つけるか知
ることが出来た。
「心ある医師」となるために今出来ること、それはしっかり勉強して医学
的な知識、技術を身につけ、一人でも多くの人と触れ合い、交わることであると思う。心
にゆとりがないとなかなかこういう思いだけはあっても実践できないと思う。何年後かに
マザーに恥ずかしくないような医師になっていることが出来るよう、日々精進していきた
いと思っている。神様が私のことを医師になるよう選んでくださったのである。この機会
に本当に感謝し、日々生きていきたい。
カリガートで知り合った日本人ボランティアの人が、
「外国で出来たことを日本でも出来
なかったら何も変わらないよ。
」と言ってくれた。日本に帰国してから、果たして自分はイ
ンドに行ったことによって何か変われたのだろうか。悩んでいた時にこの言葉を聞いた。
とりあえず、あのコルカタの子どもたちの「ハロー!」から始めようと思った。まだ道端
の人にいきなり挨拶は出来ないが、精一杯周りのことに目を向けるようにする。例えば道
を譲ってくれた人に挨拶する、自分が気付いたことについては決して無関心でいないよう
にする。それだけでいいのではないかと思う。日本の中のコルカタは私のすぐ隣にあるの
ではないかと思う。
最後になりましたが今回一緒に旅をしてくださった仲間の皆様に、心から感謝申し上げま
す。毎日のミーティング、あんなに自分の素直な思いを打ち明けることが出来たのは、皆
様が私のありのままの姿を受け入れて下さったからに他なりません。一番年下の私のこと
を本当に可愛がって下さり、有難うございました。皆様は私の一生の宝物だと思っていま
す。これからそれぞれの道で頑張っていくことが出来るよう心からお祈り申し上げます。