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ベルリン・フンボルト大学の数学物理学専攻訪問
大阪大学
高部英明
(訪問日:2013 年 6 月 7 日)
1.はじめに
6 月 2-5 日とハンブルクの DESY(ドイツ・電子シンクロトロン研究所)で国
際会議があり、それに出席するためドイツに来た。翌週は共同研究をしているド
レスデンのヘルムホルツ研究所に滞在する。そこで、その道すがら、5 日にはベ
ルリンに移動。6 日(木)には、同僚のルカがよくお世話になっている Albert
Einstein Institute (AEI)を訪ねることにした。ルカの博士課程の指導教官(Luciano
Rezzolla)がここの教授に収まっており、彼の希望により「宇宙プラズマ衝撃波の
理論と実験」の講演をした。20 人くらいの若手も聞きに来てくれ、興味を持っ
ていただいた。Luciano は私たちの粒子シミュレーションに興味があるとのこと
で、今後、共同研究を示唆された。大いに結構。
AEI はベルリン中心から南西 50km に位置するポツダム市にある。ポツダム宣
言を連合国首脳が合意したことで有名。その際、ソ連の日本への参戦も合意され
ていた。ベルリンは交通の便がよい。電車を乗り継いで Golm という駅に着いた。
そこから AEI は歩いて 20 分くらい。緑の草原に囲まれた研究所群の奥にある。
ここには Max-Planck 財団の 3 研究所とフラウンフォーファー財団の研究所があ
る。ドイツはこの二つの財団のほかに、来週訪ねるヘルムホルツ財団がある。
ドイツは地方分権の「連邦」である。それに対し、隣のフランスはルイ王朝や
ナポレオンに象徴されるようにパリ一局集中の中央集権型、日本に近い。アイン
シュタイン研究所は国と州から 50%ずつ予算をもらって活動している。これは、
ドレスデンのヘルムホルツ研究所も同じ。財団は国から研究予算を獲得し、マッ
クスプランクの場合は 55 近くの研究所を運営している。ヘルムホルツ財団は 18
の大きな研究所を抱える。DESY もそうだし、来週滞在するドレスデンの HZDR
研究所もそうである。両財団が基礎科学を支援しているのに対し、フラウンフォ
ーファー財団はイノベーションの研究所群を支援している。大変うまく成功し
ていると日経サイエンスに記事があった。
2.フンボルト大学の考え方(世界ランキング、国際化)
AEI を訪ねた翌日、有名なフンボルト大学の物理学大学院(写真1)の教育の
実態や国際化を調査するために、数学物理学科の Matthias Staudacher 教授(写真
2)と面談する時間を取っていただいた。彼は数学物理学科の主任で素粒子理論
が専門だ。まず、学生数から書こう。ドイツでは高校卒業証書がそのまま、大学
入学証明になるので、学生は好きな大学を選ぶことができる。ドイツは元々地方
分権で諸侯の力が強く、ミュンヘンだとバイエルン、ドレスデンだとザクセンと
1
いうように群雄が割拠
して独自の文化を築い
てきた。今のドイツに
は 16 の連邦州があり
上のように公共事業は
国が半分、州が半分と
支援し、地方色がいま
だに濃く残る。
さて、フンボルト大
学の数学物理学科には
約 120 人が入学してく
る。しかし、卒業する
(できる)のは約 60 人
と半分。学生たちは入
学して 1 年目に、物理
が自分に合うかどうか 写真1:フンボルト大学、IRIS(International Research
で、合わないと思う学 Institute for the Sciences)内、数学物理学専攻の建物
生は他の分野に移る。
さらには、卒業できずに、いわゆるドロップ・アウトする学生もいる。これは問
題であると主任も認める、が、皆が卒業できる日本のような甘い仕組みにはしな
い。そこがドイツらしい。3 年間(4 年ではない)の学部生活の後、卒業できた
60 人はほぼ皆、修士課程に進学する。ドイツの以前の制度は学部が 5 年で、卒
業論文をしっかり課していた。それが、今度は修士論文に相当する。修士課程の
1 年は講義による単位取得が主だが、1 年ないし 1 年半は研究を主として、修士
論文を完成させる。今はちょうど学年末で、訪問した日も修士論文公聴会が開催
された。
「院生は英語で発表します。あなたも出ますか」と聞かれたので、私も
参加した。その様子は後ほど書く。
60 人のうち半分以上は修士を卒業し、企業などに就職する。博士課程には 30
人ほどが進学するが、約半分の 15 名は外国人。といっても欧州の院生が多い。
修士課程では特別な奨学金はない。だから、ほとんどが親に経済的に依存してい
る。ただし、ドイツでは授業料は国や州が保証するので、生活費を親に出しても
らう。よく、インドやアジアからメイルが来て「フンボルト大学の大学院に進学
したいが、奨学金はありませんか」と問い合わせがある。しかし、我々にはどう
しようもない。奨学金は修士では無理である。博士課程になると、院生は学生で
はなく半人前の研究者と認められる。だから、給料を大学が出す。
私が「奨学金のための基金を作ればいいではないか。ドイツは日本と異なり、
複数年度会計だ。だから、大学の運営費を基金として貯金していき、それで、優
秀な修士学生への奨学金の基金を設立できるではないか」と聞いた。彼の答えは
「いや、それができない。大学の会計は財団などとは異なり、単年度会計だ。お
金を貯めておくことはできない」との返事であった。ここは、連邦と州という 2
重の会計制度が物事を難しくしているのかもしれない。
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写真 2:Matthias Staudacher 教
授と公聴会に臨んだ院生
世界大学ランキングについて聞いてみた。
「大学ランキングなどばかげている。我々
は大学に来て学ぶ権利のある学生たちの能
力を高めるために教えている。ほんの一部
のエリートだけを育てても意味がない。大
学に来る若者の能力はガウス分布をしてい
る。大切なことはその真ん中も含めて、能
力をいかに高めていくかと言うことだ。た
だ、政府はランキングに興味があるようだ
が」と。3 月にケルン大学やブレーメン大
学で聞いた、国内競争の激しさとはだいぶ
感じが違う。名門大学の余裕なのか、素粒
子理論物理学者のプライドがそう言わせ
るのか。彼は以下のように続けた。
「英国の大学など惨めなものだ。超有名
校のオックスフォード、ケンブリッジ、加えて数校の大変恵まれた大学の学生は
いいだろう。しかしほとんどの大学は惨めな財政状況での運営を強いられてい
る。それがいいとは私は思わない。フランスも同じだ。伝統的に中央集権構造の
歴史の中で、フランス革命が起こり、ナポレオンが出てきて、Ecole Normal, Ecole
Polytechnique など大学も中央優遇でランキングがはっきりしている。そういう
恵まれた大学の連中はいいが、他の大学は大変だ。ランキングがこのような格差
を広げるなら、私は反対だ」。ランキングのことを話題に出す日本からの訪問者
に、取り付く島もないように厳しく迫る。国際化についても、
「無理に国際化な
ど考える必要ない。欧州は昔から欧州内での国際化は進んでいる。特にアジア、
米国を含めた国際化を声を高く叫ぶ必要はない。我々はボローニア方式で欧州
内での単位互換などどんどん進めている。それでいいではないか」。
米国の有名校の話を出したら、彼は「我々は米国の方式を追わない。ドイツに
はドイツのやり方がある」と、プライドを持て、のような返事であった。加えて
「米国の大学院は 5 年一環だ。研究者の卵として多くの優秀な院生が、給料に
似た奨学金をもらうことも理解できる。しかし、ドイツはおまえの言う日本と同
じ制度であり、修士課程は教育の段階である。かつては学部の 5 年目に卒業論
文をまとめる研究をした、それが、修士論文に変わっただけだ。大学院と呼ぶの
は便宜的であり、まだ、かつての学部生のレベルにしか過ぎない」。
確かに、ドイツのように大学入試を行わず、高校卒業資格の入学希望者を選別
なしに受け入れる大学入学制度に、「大学間競争」という制度はなじみにくい。
しかし、ケルン大学、ブレーメン大学が国内競争を導入する連邦政府(Excellence
10 Univ.支援制度)に突き動かされるように、よきドイツの大学制度の時代も国
際競争というグローバル化に翻弄されつつあるのかと感じた。その両極端にブ
レーメン大学がありフンボルト大学がある。ドイツの大学は特に、ひとくくりで
議論することはできないと、しみじみと感じた次第。
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3.修士論文公聴会に参加
「今から修士論文の発表・討議(defense)があり、私ともう一人の教授が審査
をしなければいけない。物理の素粒子関係の教員や学生も参加する。基本的に
「公開」だから、もし時間があるなら参加しますか」と聞かれたので、後学のた
めに参加することにした。6 月は教育年度の終わりに近く、修士 2 年生は公聴会
で修士論文の報告と質問に答えなければいけない。従って、公聴会をデフェンス
(攻撃に耐える、守りきる)という。近くの会議室に入ったら、すでに 20 名ほ
どが参加していた(写真3)。発表も質疑も英語である。
デフェンスを受ける院生の題目は「Flavored Gauge Theories: Spin Chains and
Integrability」であった。ここが、数学物理学専攻ということもあり、彼は 24 枚
のスライドを使って、ほとんど数学の世界での講演をした。私にはどこが新しい
のかよくわからない。発表は英語。30 分で時間通り終了。そこから、30 分の質
疑応答が始まった。最初はビューグラフを繰りながら答えていたが、さらに追求
されると、黒板に数式を書きながら答えていく(写真4)。質問は二人の教授が
主に行い。30 分以上にわたり、質疑応答が続いた。1 時間超の公聴会を終えて、
これから二人の教授は彼の修士論文の点数を教授室でつけるそうだ。そこで、私
は礼を言い分かれた。
写真3: 公聴会に参
加してきた教員や大
学院生
写真4: 質疑応答も後
半になると、教授の質問
に黒板に数式を書いて
院生は説明し始めた。
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