記者たちの眼差し

『3・11 大震災 記者たちの眼差し』
TBS『報道の魂』の枠で6月5日に放送されたオムニバス・ドキュメンタリー『3・11
大震災 記者たちの眼差し』を上映します。この番組は、東日本大震災を取材した
全国のJNN系列 27 名の記者が参加し、
「個人の目線」から被災地取材を振り返って
VTRにまとめた映像を、各8分のオムニバス・ドキュメンタリーに構成して放送された
番組です。それぞれの記者が被災地で感じた思いや、被災地取材で自問自答する
心の軌跡が語られます。
(3時間 14 分)
9月9日(金)~ 25 日(日) 期 間 2011 年
※ 12 日
(月)
、 20 日(火)休館
会 場
開始時間
主 催
協 力
入 場
放送ライブラリー イベントホール
13 時 00 分 ※途中 10 分休憩時間有
財団法人 放送番組センター
JNN
無 料(申込不要)
特別展示
番組上映会&公開セミナー
番組上映会
オムニバス・ドキュメンタリー
東日本大震災
報道記者は
何を伝えたか
本年度は、東日本大震災の発生により、災害報道のあり方が
大きく注目されました。東日本大震災の発生から半年を迎える
この秋、放送ライブラリーでは、下記上映会と公開セミナーを
開催し、東日本大震災の報道に携わった番組制作者や実際に
被災地を取材した記者の思いを伝えます。
※上映会場内
9月9日(金)~10月10日(月・祝)(協力/ JNN・JRN「絆」プロジェクト)
① 写真展 あの日から撮り続ける「復興の記録」
~南三陸町写真館店主 佐藤信一 記録写真展示~
4/12『みのもんたの朝ズバッ!』でも紹介された佐藤信一さんが、次の世代に地震や津波の
ありのままの姿を伝えるために、
震災当日から南三陸町を撮り続けた写真約 160 点を紹介します。
② JNN・JRN「絆」プロジェクトに寄せられた
著名人直筆の「絆メッセージボード」約100枚
公開セミナー
制作者に聞く!~番組制作の現場から~
『3・11 大震災 記者たちの眼差し』
「制作者に聞く!」は、話題となったテレビ番組の制作スタッフから、番組誕生の
いきさつ、番組にかけた思いなどを伺い、放送現場の “ 今 ” を伝える公開セミナーです。
今回のセミナーでは、オムニバス・ドキュメンタリー『3・11 大震災 記者たちの眼差し』
の番組プロデューサーや取材記者から、番組が作られたきっかけ、
「オムニバス」
と「個人の目線」にこだわった理由、被災地で感じた思い、震災報道の難しさなど、
報道現場の生の声を伺います。
司会は、ご自身でも被災地を訪れた放送作家の石井彰氏にお願いし、ご自分が被災地で
感じた思いなども含め進行して頂きます。
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開 催 日 2011 年
月
日(土)
時 間 13 時 30 分〜15 時 30 分(13 時開場)
会 場 情文ホール(横浜情報文化センター6階)
登 壇 者 秋山 浩之(TBS テレビ『報道の魂』プロデューサー)
JNN 取材記者 2〜3名
司 会 石井 彰(放送作家)
主 催 財団法人 放送番組センター
入 場 無 料(抽選で 200 名)
『3・11 大震災 記者たちの眼差しⅡ』
9/10(土)深夜 26 時 48 分~ 29 時 20 分
TBS『報道の魂』にて放送!
(写真提供/JNN)
放送ライブラリーは、みなとみらい線「日本大通り」駅、真上です。
応募方法
みなとみらい線
往復はがきに、①催事名(
「記者たちの眼差し」
)②住所 ③氏名 ④年齢 ⑤職業 ⑥希望人数(3名様まで)を記入し、
10 月 11 日(火/必着)までに、
放送ライブラリー「制作者に聞く!」係宛郵送。下記ホームページでも受け付けています。
※ご提供いただいた個人情報は、本催事の抽選の結果をお知らせする目的のみに使用します。
申し込み・問合せ先
〒 231-0021 横浜市中区日本大通11番地 横浜情報文化センター内
TEL 045-222-2828 http://www.bpcj.or.jp/
県庁新庁舎
神奈川
県庁
日 本 大 通り駅
横浜情報文 化
センター
至
横
浜
●6F情文ホール
●8F 放送ライブラリー
横浜市役所
横 浜スタジアム
至
大
船
JR関内駅
(交通)みなとみらい線「日本大通り駅」情文センター口直結
JR・横浜市営地下鉄「関内駅」徒歩 10 分
エピソード 2 IBC 岩手放送・木下義則
木下記者は、釜石市のビルから町の様子を撮影していると、巨大な大津波が
一瞬にして町を呑み込んでいった。人も車も家も流されてゆく様を、自分は
ただ撮影するしかない。木下記者にとって釜石は生まれ育った町。故郷が
津波に襲われる瞬間を撮影した記者の心境は複雑だった。
エピソード 15 東北放送・佐々木雄祐
佐々木記者は、南三陸町でユニークな集まりをしているのを知る。被災者が
自分たちの境遇を川柳に詠み、皆で発表し合って笑いあう。自分たちの
苦境を笑いに変え、困難を乗り越えようとする人々の姿に、記者は惹きつけ
られていく。
エピソード 3 IBC 岩手放送・鹿野真源
被災地取材を続けていた鹿野記者は、メデイアの中で使われ出した「復旧・
復興」という言葉に違和感を覚えた。被災地はいまだ多くの遺体が残って
いる。けれども次第に被災者自身が将来に向け「生きよう」と言葉を発する
のを聞いて「津波も人の心までは壊せなかった」と感じるようになる。
エピソード 16 北海道放送・森 洋介
岩手県・山田町を取材していた森記者は、津波で流された人々の中に、
一度は高台に逃げた人が自宅に戻ってしまい流されたケースがあることを
知る。そして住民の中に「この湾は津波に強い」という思い込みがあった
ことを知る。あやまった思い込みが悲劇を生んでいた。
エピソード 4 中部日本放送・尾関淳哉
レスキュー隊に同行取材していた尾関記者は、津波に流され屋根に取り
残された老人男性に遭遇した。レスキュー隊員から「梯子を探してきて」
と命じられた記者は、取材と人命救助のどちらを優先すべきか迷ったが、
気がつくと梯子を求めて瓦礫の中を歩き回っていた。
エピソード 17 毎日放送・亘佐和子
亘記者は、被災地支援を希望するひとりのインドネシア人看護師とともに
現地入りする。その看護師が支援を名乗り出たわけは、7年前のスマトラ沖
地震のとき、日本から受けた医療支援に感動し、恩返しがしたいと思った
から。彼女の思いは被災地に通じるのか、取材が始まった。
エピソード 5 TBS・森岡 梢
岩手県・山田町を別の取材で通りかかった森岡記者は、巨大津波に遭遇した。
町は孤立状態になり、森岡記者は避難所に逃げ込んだ住民たちとともに
眠られぬ一夜を過ごすことになる。しかし、そこには懸命に生きようと
する人々の姿があった。その後、記者は何度となく山田町を取材し、生き
残った人々の姿を取材している。
エピソード 18 TBS・大野慎二郎
大野記者は、被災地の薬不足に対応するため、医師たちが瓦礫の中を 10 時間
以上もかけ薬を配る姿を取材した。また弁護士たちが被災者の抱える悩みに
真剣に耳を傾け相談に乗る姿も取材した。被災地の復興の陰には、こうした
プロたちの存在があった。
エピソード 6 南日本放送・萩原崇志
岩手県・宮古市田老地区を取材していた萩原記者は、まるで万里の長城の
ような防潮堤ですら人々を津波から守れなかったことに愕然とする。津波の
脅威や人の命のもろさは記者の人生観を変えるが、いつか復興した被災地
を自分の目で見たいと思うようになった。
エピソード 7 テレビユー山形・河内 孝
河内記者は少女の遺体を発見した。折しもそこに、一組の夫婦が通りかかり
少女の両親であることがわかった。わが子の遺体と対面する両親、そこに
マイクを向けねばならない記者は、頭の中を真っ白にして声をかけた。
エピソード 9 テレビユー福島・杉内里美
杉内記者は一通の手紙に心を動かされた。福島第一原発事故で避難する際、
13 年間連れ添った飼い犬を置き去りにしたことを後悔する女性からのもの
だった。たかがペットというだけでは済まない現実を取材するため、記者は
女性のもとを訪ね心境を聞いた。
エピソード 10 大分放送・堀 公一
堀記者は、大分から被災地にメッセージを届けたいと思った。そして宮城県
石巻市に実家をもつ大分在住の男性のビデオメッセージを持って被災地に
向かう。届けられたメッセージに、実家の両親は強く励まされた。その両親の
姿を撮影して、今度は被災地から大分にメッセージを届けた。
エピソード 11 テレビ山口・大下哲治
大下記者は被災地取材にいく前、被災者の悲しみや失望が取材のポイントに
なるだろうと想像していた。ところが宮城県・女川町の水産加工会社を
取材して、
その思い込みを訂正する。いち早く名物のかまぼこ生産を再開し、
新たな人員採用までおこなう姿に、前へ進もうとするたくましさを感じた。
エピソード 12 RKB 毎日放送・古山悌正
古山記者は、宮城県石巻市で妻と子供2人の行方を捜す男性を取材した。
男性の判断ミスから妻子は津波に流され行方不明になっていた。いまの心境
など聞かなくてもわかっている。それでも聞かなければならない。バカな
質問をしていると自分でも思いながら、記者は男性に質問をぶつけた。
エピソード 13 静岡放送・増田哲也
増田記者は、宮城県七ヶ浜町の避難所で暮らすある一家と出会う。そして
人懐っこい末娘とすっかり仲良しになり、幼稚園の卒園式まで取材する
ことになった。彼女の笑顔がいつまでも続くよう、
願わずにいられなかった。
エピソード 20 中国放送・真田和幸、清水健太
真田記者は後輩の清水記者とともに、被災者にとって真の復興とは何なのか
考える。そして陸前高田の人々が地元名物の太鼓の演奏に心を開く姿を
みて、日常慣れ親しんだものに触れ、心の糧を得ることが大事なのだと
思うようになった。
エピソード 21 RKB 毎日放送・林 夏子
林記者は3年目の若手記者だが、正直、被災地取材にいくことを怖いと思って
いた。けれども、被災地の人々に話しかけると意外なほど快く取材を受けて
くれた。気仙沼の猟師たちを取材すると前へ向かう意欲に満ちていた。
そんな取材を重ねるうち、記者は復興への歩みを見続けたいと思うように
なった。
エピソード 22 南日本放送・大久保洋一
大久保記者は、かつて岩手に住んでいた頃、釜石市の飲兵衛横丁の料理屋の
女将と知り合った。震災後、女将はどうしているのか訪ねてみる。飲兵衛
横丁は津波で壊滅的被害を受けていたが、女将は店を再興する決意を秘めて
いた。
エピソード 23 TBS・佐治 洋
佐治記者は、宮古市の臨時災害 FM 局を取材した。地元スタッフはみな被
災者だが、そこに全国から来たボランティアスタッフが加わって、小さな
ラジオ局は運営されていた。そして地元密着型のコミュニティーラジオ
ならではの力を発揮していた。
エピソード 24 TBS・永野真代
茨城出身の永野記者は、今回の震災で東北地方にばかりメデイアの関心が
向くことに違和感を覚えていた。そして、ひとりのフリーカメラマンが
茨城の惨状を黙々と記録していることを知り、会いにいく。そして 「関東も
また被災地なのだ」 と教えられる。
[ 放送日 ] 6月5日(日)25時20分~28時50分
[ 取 材 ] JNN15局
HBC(北海道)
、
IBC(岩手)
、
TBC(宮城)
、
TUF(福島)
、
TUY(山形)
、
SBS(静岡)
、
CBC(愛知)
、
MBS(大阪)
、
RSK(岡山)
、
RCC(広島)
、
TYS(山口)
、
RKB(福岡)
、
OBS(大分)
、
MBC(鹿児島)
、
TBS(東京)
[ 統 括 ] 岩城浩幸(TBS)
[ 構 成 ] 秋山浩之(TBS)
〒 231-0021 横浜市中区日本大通 11 番地 横浜情報文化センター内
TEL 045-222-2828 http://www.bpcj.or.jp/
JNNの記者たちが、被災地に立って何を思い、どんな気持ちで取材を
続けたのか、生身の個人としての思いが込められたVTR 本。被災地
の姿はもちろん、悲しみや憤り、驚きや戸惑いなど、被災地取材で
自問自答する記者たちの心の軌跡を伝える。
エピソード 8 山陽放送・森脇大陸
学生時代に阪神大震災のボランテイアを経験した森脇記者は、当時「テレビは
何も伝えていない」と感じていた。そんな自分が記者として東日本大震災を
取材することになった。自分に一体何が出来るのか?自己への問いかけが
始まった。
エピソード 19 テレビユー福島・小泉孝光
小泉記者は、南相馬市で写真館を営む写真家の男性を取材。長年にわたって
地元を撮り続けてきた男性だが、震災後、シャッターを切るのを止めて
しまった。変わり果てた故郷を撮影することは自分の仕事ではないと思った
のだ。そんな男性だが、あることをきっかけに再びシャッターを切り始めた。
いったい何がそうさせたのか・・・。
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オムニバ ス ・ ド キ ュ メ ン タ リ ー
エピソード 14 山陽放送・武田博志
武田記者は岡山から被災地に派遣されたが、東日本と西日本の間に、震災を
めぐる意識のギャップがあることに気がつく。震災の影響で深刻な事態が
続く東日本に比べ、普段どおりの日常が続く西日本。被災者の心情を汲み
取ろうにも、とても汲みきれないギャップがそこにはあった。
3・ 大震災 記者たちの眼差し
エピソード 1 東北放送・武田弘克
津波に遭遇した武田記者は、逃げねばという思いと必死に戦いながら、
手持ちのカメラを回し続けた。津波は最初、
わずかな水量に過ぎなかったが、
避難先の階段を駆け上がった瞬間、猛烈な濁流に変わっていた。津波の
恐ろしさをカメラがとらえた瞬間だった。
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