62号 - 稲城聖書教会

聖書の言葉に立つキリスト教会
発行・2014 年 4 月 26 日
稲の城
第 62 号
稲城聖書教会会報
〒206-0804
東京都稲城市百村 66-8
℡.042(377)5546
E-mail. [email protected]
http:/ www.geocities.jp/inagibch/
【今月の黙想】
『神の罰?』
韓国旅客船沈没という痛ましい事故があり
ました。犠牲者の多くは修学旅行中の高校生
でしたので、更に悲しくなります。ですから、
韓国旅客船沈没を取り上げることは心苦しい
ことですが、聖書を通して慰めと教訓を得た
いと思います。
この事故の原因に対する分析はこれからだ
と思いますが、どう見ても欲が生んだ災難の
ようだと思いたくなります。乗客や荷物を多
く載せてお金を儲けるために船を増築したこ
と、霧での出港が遅れたので乗船料金の返金
を恐れての出港であったこと、3 倍以上超過の
貨物を積載したこと、一か所の管制センター
にだけのチャンネルで救助信号を送って自分
たちの会社の利益を守ろうとしたこと、自分
だけ助かろうとして乗客よりも先に逃げ出し
た乗務員のことなどなど、目先のことだけで
行動してしまったゆえの災難のような気がし
て抑えきれない心境となります。
ルカの福音(13:1-5)に、シロアムの塔の倒
壊事故が記されています。エルサレムの市内
にあるシロアムの塔が倒れて18人が死んだと
いう事故です。恐らくこれはエルサレムに住
んでいたユダヤの指導層たちに対するガリラ
ヤ人による報復テロであったと想像されるも
のですが、このテロによって亡くなった人々
は一般の人々でした。この災難に遇った人々
に何か特別な理由があったわけではありませ
ん。こういうことは現在でもあちらこちらで
起こっていることでしょう。
私たちはこのようなニュースを聞くとき、
自分がそういう災害に巻き込まれなかったこ
とで「よかった」とか、災難に遇った人々に
対して「かわいそうに」と思う程度の反応し
かできません。しかし、イエス様の時代の多
くは、災難を「神の罰」と考え、事件に遭遇
した人々と、事件と無関係の自分とを切り離
し、災害を免れた自分は「神の罰」と無関係
であると安心していました。イエス様はその
ような考えが間違っていると教えます。災害
を受けなかったということは、災害を受けた
人よりも罪が少ないというのではなく、強い
て言うなら、たまたま免れたというだけのこ
とであって、それ以上でもなく、それ以下で
もないと教えます。
「そうではない。わたしはあなたがたに言
います。あなたがたも悔い改めないなら、み
な同じように滅びます。」(ルカ福音13:5)
イエス様の「そうではない」という強い否定
の言葉は、災害や事故の犠牲者に対して、あ
るいはたまたまその犠牲者にならなかったこ
とについて、罪とか罰という言葉を持ち出し
てはならないということです。
それだけではなく、イエス様は続けて「実
を結べないイチジクの木」の譬え話を話され
ました(ルカ福音13:6-9)。この譬え話は、
「神
様のあわれみと忍耐」を教えるものです。今
私たちが生きていることはただ神様のあわれ
みと忍耐の故だということです。
災難で悲しむご遺族にかけられる言葉はあ
りません。ただ神様のあわれみと忍耐を覚え
ることができることを祈るのみです。
牧師 金俊起
使徒信条の学び
『われは聖霊を信ず』
◎三位一体:神を父・子・聖霊
として信じることを、三位一体
と言います。これは、聖書にも
使徒信条にも出て来ない言葉で、教会が、異
端との対決の中で、4世紀頃までに確立した
ものです。言葉自体は難解に見えますが、使
徒信条が告白するように、父なる神を信じ、
主イエス・キリストの救いを信じ、聖霊の助
けを信じていれば、それが三位一体なのです。
三位一体の「位(=位格)」は、古代の演劇
用語であるペルソナというラテン語から来ま
した。当時の演劇の俳優は、仮面を使い分け
て、一人で何役も演じたそうです。仮面をか
ぶっていても、演じている俳優が誰であるか
観客には分かっていました。このペルソナと
いう言葉を三つであって一つの神を説明する
のに使ったのです。つまり神が、造り主(父)・
救い主(御子イエス)・助け主(聖霊)とし
ての役を演じておられるというのです。
1.聖霊ついての告白
使徒信条は、神については、天地の造り主、
全能の父と告白し、主イエスについては、ど
のような方で、かつて何をなさったか、いま
何をなさっているか、これから先何をなさる
かと告白します。しかし聖霊にについては、
ただ、「聖霊を信ず。」と告白するだけです。
なぜでしょうか。その理由は、使徒信条が作
られた頃の初代教会にとって、一番の問題は
キリスト論で、あまり問題になっていなかっ
た聖霊論は、簡単な表現で済ませたというこ
とらしいのです。
2.聖書に記された聖霊の働き
(1)旧約聖書の聖霊は、
①創造の代行者として働き
②人間を内側から道徳的に聖め
③幕屋建設に際して知恵と知識を与え
④指導者を奮い立たせ
⑤荒廃した世界を造り変える、原動力となり
⑥預言者を起こし、神の言葉を人々に伝えさ
せました。
(2)新約聖書の聖霊は、
①聖霊と主イエス・キリスト:主イエスの誕
生は聖霊によるものです。バプテスマを受け
られたとき、神の御霊が、主イエスに下りま
した。御霊に導かれて荒野に上られ、御霊に
よって悪霊を追い出されました。主イエスが
神の言葉を話されたのは、神が御霊を無限に
注がれたからです。主イエスは「とこしえの
御霊によって」ご自身を神に献げられました。
②聖霊と父なる神:聖霊は、父なる神の約束
によって、弟子たちに与えられました。御霊
は、父なる神の御心を知っておられ、それを
人々に伝えます。父なる神は天にいまし、御
霊は教会の中に宿られます。
③聖霊と教会:聖霊は教会に力を与えます。
聖霊こそが教会の福音宣教の原動力です。教
会は、五旬節の日に聖霊の注ぎによって建て
られました。
④聖霊と信者:神は、語りかけるだけでなく、
私たちが心を開くよう、御霊として、私たち
の中に入り込んで来て下さいます。聖霊は、
私たちを「イエスは主です。」という告白に
導いて下さいます。御霊ご自身が、私たちが
神の子供であることを証しして下さいます。
御霊は、すべての信者をキリストの体に属す
る者として結び合わせます。聖霊はすべての
ことを教え、主イエスの言葉を思い起こさせ
ます。御霊は、祈りの中で、弱い私たちを助
け、執り成して下さいます。
⑤聖霊と未信者(ヨハネ16:8-11):聖霊は、
未信者に、主イエスについて証しして、罪と
義と審きを悟らせます。
・罪の認識:主イエスを信じないことが罪の
根源であることを認めさせます。
・義の証し:主イエスの言葉と業の正しさが
復活によって証明されたことを証しします。
・審きの確信:主イエスの復活によって悪の
力が既に審かれていることと、やがて来る神
の審きの確かさを証しします。
私たちがイエス・キリストを信じたのは、知
恵や人生経験によるのではなく、ただ、聖霊
の導きによるのです。特別な聖霊体験がなく
ても、キリストを信じ、救いを受けているの
なら、もう十分に聖霊の導きを受けているの
です。聖霊を信じるということは、「私も聖
霊に導かれている。」と信じることなのです。
た大井川の西側にある小さな宿場町-それが
私の故郷です。江戸時代の末には、父の話で
は油屋であったとか。明治、大正、昭和と時
松永 旭
代は移りますが、父の育った時代も、みそ、
小阪雅勇兄と初めて知り合ったのは、稲城
醤油を造り、町の、今で言うスーパーのよう
聖書教会がマスヤビルから東長沼の旧街道に
に何でも生活に必要な品を揃えて売っていた
移った後です。彼は自分から進んで人に話し
そうです。家業を継ぐためか商科大学に学ん
かけてくるタイプではなかったけれど、こち
だ父も戦争のため一年早い卒業となり、徴集
らからの話しかけには応じてくれて、私の家
までの1年間を静岡県の木材を扱う会社に勤
にも2回ほど来たことがあります。彼は上智
めた時、母との出会いがあったのだそうです。
大学を卒業された後、大手のコンビニに勤め
兵隊として中国に渡り、終戦を迎えた後はシ
ていたそうですが、お母様が早く亡くなった
ベリア近くのタシュケントで捕虜として強制
ことが一因となって、心の病になったと聞い
労働に従事し、2年後に舞鶴の港に帰国しま
ています。仕事ができなくなって、アパート
した。父の帰りを待ちながら、祖父は病で亡
で一人暮らしをしている彼を、長い間支えた
くなり、母はまだ結婚していませんでしたが、
金牧師には頭が下がります。
祖母を助けて商売を手伝っていたそうです。
彼は魅力的な低音程の持ち主であり、家内
は彼が良い声で歌っていると言っていました。 そして父は故郷に帰り、すぐに結婚、母は商
家の嫁になります。祖母は母を慕ってか、そ
また、教会のイベントのビラ配りの奉仕を進
れまで大切にしてくれたそうです。当時、そ
んで引き受けてくれました。彼は釣りが好き
のような姑、嫁関係がよくあったとか…。
で、昨年の奥多摩福音の家でのキャンプにも
「朝、土間に降りたら、夜寝るまで座敷に上
釣り道具を持ってきたようです。
お父様が亡くなって、葬儀に出て帰った後、 がってはいけない。」という姑のことばに従い、
炊事、洗濯はもちろん、雇い人のおやつを作
急に亡くなったとのことで、よほどの悲しみ
るまで(蒸しパンなど)、働いたそうです。
「石
に暮れていたのでしょう。死んでしまった人
の上にも三年」という言葉に習い、三年間は
には自分の葬儀の様子を知ることはできませ
忍耐したそうですが、
「憎しみが募る自分の心
んが、葬儀社の片隅に淋しく安置された彼を
の姿にむしろ悲しみを覚えた」と聞きました。
見て気の毒に思いました。彼とはこの世では
私が母の胎に宿った頃、2歳の姉の手を引い
もう会うことはかなわず、同じ教会に所属す
て夜の町を歩いていると、街角に人だかりが
る兄弟としてもっと
あり、一人の牧師がキリストの福音を語って
親密に交わっておけ
いるのに出会いました。立ち止まって聞き入
ばよかったと思いま
るうちに、
「そうだ、教会に行こう―」と少女
す。
時代に教会学校に通っていたのを思い出した
イースターを迎え、
のだそうです。教会に子供を連れて通い出し
死に打ち勝たれたキ
た母は自分の罪を知り、イエス・キリストの
リストにより、御国に
十字架の贖いと父なる神の赦しを信じて救わ
て、再び会えることは
れました。その後、祖母が母に「おまえは変
私の大きな慰めであ
わったのう…」と言ったそうです。そして春、
り、また、励ましです。
私は生まれました。母は辛さの中であまり食
べられず、私はやせこけていたそうですが、
4月に誕生日を迎えて
母の祈りを聞いておなかの中で育ったと思い
~人生に織り込まれた神のメッセージを探して~
ます。祖母は晩年、キリストの救いを受け入
松永 千恵子
れて、聖ルカホームに入所し、召された時、
4 月 12 日に私は生まれました。
「箱根八里は
賛美の中で送り出されました。見舞い客の中
馬でも越すが、越すに越されぬ…」と歌われ
で、母の声だけには応えたそうです。
小阪雅勇兄の思い出
私に文才があれば、母や私の人生に織り込
まれた神のメッセージを探して書き綴りた
い!私の心の中にあたためている思いです。
イースターの思い出」
永守
めぐみ
『イースター=たまごの日』
子ども心に記憶に残るのはそんな単純な公
式。もっと正確に言うとたまごが「もらえる」
日!
子どもにとっては、教会でプレゼントがも
らえるクリスマスに続くワクワクの日です。
何でたまごがもらえるのか…は考えないけ
れど、そこにたまごプレゼントがあるから教
会に行く!子ども心は正直でした。
私が小さい頃通っていた教会学校では、多
摩川の河原に隠されたゆでたまごを探すゲー
ムをしました。
走って、河原の石をどけて、覗いて、探し
て、見つけた時の「あったー!」のあの感動!
普通のゆでたまごが宝物に変わる瞬間です!
私たちもまた、イエス様の十字架と復活を
通して完成された救いの御業によって、古い
人は過ぎ去って新しい人を着る人生に変えら
れました。神様が恵みによって変えてくださ
った人生は、まさに宝物に変わった人生。
神様は日夜、一人でも多くの人が救われる
ことを願っておられ働いておられます。私も
この与えられた宝物を一人占めしないで一人
でも多くの方に届けたいと願わされます。
2014 年度、新しいことが起こる一年であり
ますように。
5月の予定
5 月 4 日、子どもの日の礼拝
聖餐式、使徒信条の学び、世話人会
11 日、母の日の礼拝
18 日、信徒会
3月度/2013年度会計報告
皆さまの尊い献金を感謝致します。
3 月度収支報告
収入
282,220 円
支出
257,330 円
先月繰越
380,644 円
当月残高
405,534 円
2013 年度収支報告
収入
3,604,443 円
支出
3,359,145 円
昨年度繰越
160,236 円
当年度残高
405,534 円
当年度の残高(剰余金)は 105,534 円を新
年度への繰越とし、300,000 円を牧師退職金積
立とすることを信徒総会で決議致しました。
皆さまと共に、主の豊かな恵みと憐みに感謝
致しましょう。
5月の奉仕者
4日
司
会
祈
祷
掃
除
金
師
片岡姉
南潤兄
11 日
岩崎兄
永守(め)
松永兄
18 日
松永兄
岩崎姉
岩崎兄
25 日
岩崎兄
南真兄
吉川姉
編集後記
春になりました。花々
が一斉に咲く様子を見
て、冬には考えられな
かった美しさがちゃんと
訪れるんだ…と、神様
のご計画の素晴らしさ
と自分の小ささと、でも、
壮大な計画の中に守ら
れている平安を感じま
した。
永守(め)