経帷子 1 小屋の戸口で父親と息子が、消えた焚き火を前に無言で坐って

経帷子
１
小屋の戸口で父親と息子が、消えた焚き火を前に無言で坐っている。中
では息子の年若い嫁のブディヤーが、お産の苦しみにのたうっていた。心
臓を揺すぶる叫びが、何度となく彼女の口を吐いて出、その度に二人は胸
をおさえた。冬の夜だった。あたりには静寂がたちこめ、村はすっかり闇
に沈んでいた。
ギースーが言った。「どうも助からないみたいだな。一日中もがいてば
かりだった。なあ、中を見てこいよ」
マーダオがいらいらして言った。「死ぬんだったら、なぜさっさと死な
ないんだよ。見に行ったからって、なんになるんだい」
「ふん、おまえもなんて薄情なやつなんだ。まる一年楽しくやってきた相
手に、そんなにつれなくなれるとはな！」
「じゃ言うが、おれにはとても見ておれないんだよ、あいつがもがいたり、
手足をバタバタさせたりするのが」
村中で悪名の高い、チャマールの親子だった。ギースーは一日働くと、
三日休んだ。マーダオも大変な怠け者で、半時間働くと、一時間煙管を吹
かしていた。そのためだれも彼らを雇おうとしなかった。彼らの方も、一
握りの穀物でも家にあれば、断じて働かなかった。二、三日食事が途絶え
ると、ギースーが木に登り、枝を折って持ち帰り、マーダオが市場に持っ
ていって、金に換えた。その金があるかぎり、彼らはあちこちほっつき歩
いた。村に仕事が不足しているわけではなかった。それは農村であり、勤
勉な人間にとって働き口はいくらでもあった。だがこの親子にお呼びがか
かるのは、たとえ二人の人間から一人分の働きしか得られなくても、やむ
なく満足しなくてはならない時だけだった。彼らがもし行者であったなら、
知足と堅忍の境地に達するために、彼らに修行の必要はまったくなかった
だろう。彼らは天性、その境地にあった。なんと特異な人生だったろう！
家にはわずかな土器以外なんの家財もなかった。襤褸で裸身を被っている
だけだった。世間の気苦労とは無縁だったが、借金にはまみれていた。罵
詈雑言を浴びても、打擲を食らっても、痛くも痒くもなかった。あまりに
悲惨だったので、取り立ての見込みはまったくなかったけど、人々はあれ
これと彼らに金を貸し与えていたのだ。収穫期になると、他人の畑から豌
豆や馬鈴薯を引き抜いてきて、炙って食べた。砂糖黍を五本、十本抜き取
って、夜にしゃぶった。このようなその日暮らしによって、ギースーは六
十年の歳月を過ごした。マーダオも孝行息子みたいに父親の足跡を辿って
おり、それどころか父親の名声をさらに高めていた。今も彼らが焚き火の
前に坐って炙っていたのは、どこかの畑から掘りおこしてきた馬鈴薯だっ
た。ギースーの妻は大分前に亡くなった。マーダオが結婚したのは去年の
ことだった。彼の妻は、来てからというもの、この家庭に秩序の礎を置き、
この二人の恥知らずの胃袋を満たしつづけてきた。彼女が来てから、二人
はこれまで以上に怠惰になった。それどころかすこしふんぞりかえるよう
にもなった。仕事の話が来ると、平然と二倍の賃金を要求した。その彼女
が今お産の苦しみに死にかけていた。そしておそらくこの二人は待ってい
たのだろう、彼女が死ぬのを。そうしたらゆっくりと休もうと。
馬鈴薯を取り出し、皮を剥きながらギースーが言った。「なあ、見て来
いよ、あいつがどんな様子か。きっとチュライルが祟ったにちがいないぞ。
ここらでは祈祷師も一ルピー請求するからな」
マーダオは不安だった、自分が小屋に入っていけば、ギースーが馬鈴薯
をほとんど片付けてしまうのではないかと。彼は言った。「恐いんだよ、
おれは、中に入るのが」
「なんの恐いことがあるかい。わしがここにおるわい」
「じゃ、あんたが見てきたらどうなんだい」「わしのが死んだ時には、わ
しは三日間そばに付きっきりだったぞ。それにわしが見に行ったら、あい
つは恥ずかしがらんともかぎらんじゃないか。わしは一度もあいつの顔を
見たことないんだぞ。なのに今日にかぎってあいつの裸を見ろっていうの
か。あいつが体のことをまったく忘れているってこともないだろう。わし
だと気づいたら、思いっ切り手足をバタバタさせることもできなくなるじ
ゃないか」
「もし子供が生まれたら、どうしよう。生姜も粗糖も油も、家にはなんに
もないぜ」
「なにもかも出てくるわい。神様が子供を授けてくださったらな。今は一
パイサーもくれない連中が、明日は呼びつけて、まとまった金をくれるだ
ろうよ。わしには息子が九人生まれたが、家にはいつだってなんにもなか
った。だが神様がいつもなにやかやと助け船をよこしてくださった」
この社会では、この二人よりも日夜労働に勤しむ人々の方が、暮らし向
きが良いというわけではなかった。一方彼ら農民の弱みにつけこむ術を心
得ている連中は、彼らよりはるかに裕福だった。そのような社会でこの二
人のような心性が生じてくるのは、べつに驚くにあたらなかった。あえて
言えば、ギースーは農民よりはるかに思慮深かった。彼は農民の浅はかな
集団には加わらず、長話を好む連中の厭うべきグループと交わった。もっ
とも彼にはグループの規則や方針を遵守する力量はなかった。まさにその
ため、グループの他のメンバーが村の頭や長になっていながら、彼は村中
の非難の的だった。しかしそれでも彼はみずからをなぐさめることができ
た。たとえ悲惨であっても、すくなくとも農民のように必死に労働する必
要はなく、また彼の単純さ、純朴さに不当につけこもうとする者もいはし
ないと。二人は馬鈴薯を取り出し、アツツ、といいながら食べはじめた。
昨日からなにも食べていなかった。馬鈴薯が冷めるのをじっと待つ辛抱も
なかった。何度か二人の舌は火傷しそうになった。馬鈴薯の、皮を剥いた
外側は、たいして熱そうではなかったが、歯で噛むと、たちまちその内側
が、舌、喉、口蓋を燃え立たせた。その熾火を口のなかにとどめておくよ
りは、奥に沈めてしまう方がはるかに安全だった。そこには熾火を冷やし
てしまう材料が十分にそろっていた。そこで彼らは急いで馬鈴薯を呑み込
んだが、そうしようする度に彼らの目からは涙が溢れ出た。
その時ギースーは二十年前に参加したタークルの花婿行列のことを思
い出した。その祝宴で彼は生涯忘れられない満足感を味わった。彼は今で
もありありとそれを覚えていた。彼は語った。「あの御馳走は今でも忘れ
なれないな。あれから先あんな料理をたらふく食べたことは二度となかっ
た。花嫁側の人たちがみんなに腹いっぱいプーリーを食べさせてくれた。
みんなにだぞ！身分に関係なく、みんながプーリーを食べたんだ。それも
本物のギーで揚げたのをな！チャトニー、ラーエター、青野菜が三品、野
菜の煮付けが一つ、ダヒー、チャトニー、お菓子。どんなにあの御馳走が
おいしかったか、なんとも言いようがないわい。好きなのを要求し、好き
なだけ食べても、なんの制限もなかった。水を飲む暇もないほど、みんな
が食べに食べた。それでも給仕係はといえば、熱くて丸い、香ばしいカチ
ョーリーパンを、どんどん葉盆にのせていく。もういらないと言っても、
葉盆を手でおさえても、それでもあいつらは配りつづけるんだからな。そ
してみんなが口をゆすぐと、イラーイチー入りのパーンも貰えたんだ。だ
がわしはパーンを貰うことなどまったく頭になかった。立っておれなくて
な。すぐに自分の毛布に戻って横になったわい。まったく心の広い方だっ
たよ、あのタークルは！」
マーダオはそれらの料理の品々を心のなかで味わいながら言った。「今
ではだれもそんな御馳走をおれたちにふるまってくれないぜ」
「もちろんそうだとも。あれはべつの時代だった。今じゃみんな倹約しか
考えていない。結婚式に金をかけるな、葬式に金をかけるなってな。やつ
らは貧乏人の財産をかき集めて、その置き場がないほどなんだぞ。かき集
めるのには抜かりがないくせに、使う段になると倹約しか考えないんだか
らな」
「あんたは二十個ぐらいプーリーを食べたんだろうな」
「二十といわず、もっと食べたぞ！」
「おれなら五十個食べたろうよ！」
「わしが食べたのが五十個より少なかったってことはないだろうぜ。当時
はわしもいい若いもんだった。おまえなんぞわしの半分にも足りんわい」
馬鈴薯を食べてしまうと、二人はドーティーを被ってそのまま焚き火の
前で、体を横向きに丸くして寝入った。まるで二匹の蟒蛇がとぐろを巻い
ているみたいだった。
そしてブッディヤーは今も呻き声を上げていた。
２
朝早くマーダオが小屋に入ると、彼の妻はすでに冷たくなっていた。口
元に蠅がたかってブンブンいっていた。石のような目が上瞼に釣り上がっ
ていた。体中が泥にまみれようとしていた。お腹の子供は死んでいた。
マーダオは急いでギースーの所に戻った。それから二人して大声で嘆き
声を上げ、胸を叩きはじめた。その泣き叫ぶ声を耳にして近所の人たちが
駆けつけ、古いしきたりのとおりこの不幸な連中をなぐさめはじめた。
だが泣き喚いてばかりいる時ではなかった。経帷子と薪の心配をしなく
てはならなかった。家には金はまったく消え失せていた、鳶が巣に運び込
んだ餌の肉のように。
親子は泣きながら村の地主の所へ行った。地主はこの二人を見るのさえ
いやだった。何度かみずからの手で殴ったこともあった、彼らが盗みを働
いたために、また約束どおりに仕事に来なかったために。地主は言った。
「こら、ギス公、なにを泣いてるんだ。最近とんと姿を見せなかったな。
もうこの村に住みたくないんじゃないか」
ギースーは地面に額を付け、目に涙をためて言った。「旦那さま！えら
い災難です。マーダオの嫁が夜に亡くなりやした。一晩中もがき苦しんで
おりやした、旦那さま！あっしらはずっとそばに付き添っていやした。で
きるだけの治療はすべてしてやったんですが、あいつはさっさと行ってし
まいやした。もうあっしどもにローティー一枚食わせてくれる者はおりや
せん、ご主人様！あっしどもは破滅です。家は荒れ果てました。あっしは
あなたさまの奴隷です。今やあなたさま以外にだれがあいつの弔いを出せ
やしょうか。あっしらの手元にあったものはすべて、あいつの治療代に消
えてしまいやした。旦那さまのお情けさえあれば、あいつの弔いを出すこ
とができやす。あっしにあなたさま以外のだれに頼みにいけやしょうか」
地主殿は憐れみ深い方だった。だがギースーに情けをかけるのは、黒い
毛布に染色を施すようなものだった。とっとと消え失せろ、と言ってしま
いたい気がした。いつもは呼び出しても来ないくせに、今必要が生じたと
なると、やって来てお世辞を言う！なんというろくでなしだ。悪者めが！
しかし今は怒ったり懲らしめたりする時ではなかった。内心腹を立てなが
ら二ルピー取り出して投げ与えた。だが悔やみの言葉は一言も口に出さな
かった。ギースーの方に目を向けようともしなかった。単に肩の荷を下ろ
したという様子だった。
地主殿が二ルピーくれたからには、村の商人や金貸し連中がどうしてあ
えて拒むようなことがあるだろう。ギースーは地主の名前を触れ回ること
も心得ていた。二アンナくれる者もいれば、四アンナくれる者もいた。一
時間でギースーの元には五ルピーというかなりの金が集まった。どこそこ
から穀物や薪が手に入った。そして午後になってギースーとマーダオは経
帷子を買いに市場に出かけた。一方残った人々は竹等を伐りはじめた。
村の心優しい女たちが折々やって来ては亡骸にまみえ、亡き人の哀れさ
にちょっぴり涙し、帰っていった。
３
市場に着くと、ギースーは言った。「あいつを燃やすだけの薪は手に入
った。そうだな、マーダオ」
マーダオは言った。「そうとも。薪は十分だ。あと足らないのは経帷子
だ」
「よし、じゃ安物の経帷子でも買おうかい」
「もちろんだとも。亡骸を送り出す頃には、夜になっているだろうぜ。夜
にだれが経帷子なんか見るもんかい」
「なんという悪習だろうな。生きている間は体を被う襤褸さえなかったの
に、死んだとなると、新の経帷子を着せなくてはならないとはな」
「それに経帷子は亡骸といっしょに燃えてしまうだけだぜ」
「もちろんなにが残るっていうんだい。この五ルピーが前もって手に入っ
ていたらな。そしたらすこしは治療をしてやれたのにな」
二人はおたがいの腹のなかをさぐりあっていた。市場のなかをあちこち
歩き回った。何軒かの反物屋で足を止めた。絹や木綿のさまざまな衣を目
にしたが、どれも気に入らなかった。そうこうするうち夕方になった。そ
してその時彼らはなにか神秘な計らいによって一軒の酒場の前に来てい
た。そして前もっての取り決めであったかのように、二人は中に入ってい
った。しばらくためらう様子で立ちつくしていたが、やがてギースーが主
人の前に進み出て言った。「旦那、わしらにも一瓶頼むよ」
酒の次に、酒の肴が出、そして魚のフライが出た。二人はベランダに坐
って静かに飲みはじめた。数杯たてつづけに飲むと、二人はほろ酔いきげ
んになった。ギースーが言った。「経帷子を着せてなんになるんだ。結局
燃えてしまうだけだぞ。嫁さんがなにをあの世に携えていくっていうんだ
い」マーダオは空を見上げて言った、まるで自分の無実を神々にいるみた
いに。「世間の習わしってやつだよ。そんなのなければ、だれがバラモン
なんかに何千ルピーもくれてやったりするもんか。あの世でそれがために
なるのかどうか、わかりっこないぜ！」
「偉いやつらの所には金があるんだよ。勝手に無駄遣いすればいいんだ。
だがわしらには無駄遣いするものなどなにもないからな」
「だけど、あんたはあいつらになんて返事するんだよ。経帷子はどこだっ
て、きっと聞いてくるぜ」
ギースーは笑った。「ふん、あのな、言ってやればいいんだよ。うっか
り金を落としてしまったってな。懸命にさがしたけど、見つからなかった
って。あいつらは信用するまい。だがおなじだけの金をまたくれるさ」
マーダオも笑った、なんという思いがけない幸運だろうかと。彼は言っ
た。「かわいそうなあいつは、本当にいいやつだったよ。死んでからも存
分に飲み食いさせてくれてな！」
瓶の中身は半分以上なくなった。ギースーは二セールのプーリー、チャ
トニー、レバーを買いに行かせた。店は酒場の真向かいにあった。マーダ
オはあっという間にすべての品々を二つの葉盆にのせて持ち帰った。一ル
ピー半の金が丸々かかり、あとにはわずか数パイサーしか残らなかった。
今や二人は、まるで密林で虎が獲物をむさぼっているみたいに、威厳あ
る様子で坐り、プーリーを食べていた。責任を問われるのではという恐怖
もなく、汚名を着せられるのではという不安もなかった。そのような感情
はすべて彼らはとっくの昔に克服してしまっていた。
ギースーが哲学者みたいに言った。「わしらの魂が満足しているんだか
ら、これはきっとあいつの功徳になるにちがいないぞ」
マーダオが敬虔に頭を垂れ、証言した。「絶対そうにちがいない。神様、
あなたは人の心のなかまで御存知です。あいつを天国に連れっていってく
ださいますように。あっしらは心からあいつを祝福しているんです。生ま
れてこのかた今日のような御馳走を口にしたことは一度もありませんで
した」
その直後マーダオに一つの疑念が生じた。「なあ、親父、おれたちだっ
ていつかはあそこに行くんだよな」
このたわいない問いにギースーはなにも答えなかった。あの世のことな
ど考えて今の喜びを損ないたくないと、彼は思ったのだ。
「もしあそこであいつに、なぜわたしに経帷子をくれなかったのってたず
ねられたら、あんたはどう答えるんだよ」
「言ってやるさ、おれの知ったことじゃないってな」
「絶対にたずねてくるぜ」
「あいつに経帷子をやれないなんて、なぜおまえは思い込んでいるんだ。
おまえはわしをそんな間抜けだと思っているのか。この世間で六十年間を
無駄に過ごしてきたとでもいうのか。くれてやるとも、あいつに経帷子を、
それもとびきり上等のやつをな」
マーダオには信じられなかった。彼は言った。「だれがくれるんだよ。
金はあんたが使い果たしてしまった。だがあいつはおれにたずねるだろう
よ。あいつの髪の分け際に朱を付けてやったのはおれなんだからな」
ギースーはカッとなって言った。「いいか、あいつに経帷子をくれてや
る、といったらくれてやるさ。嘘じゃねえ」
「だれがくれるか、ちゃんと言ってみろよ」
「今回くれたやつらがまたくれるだろうよ。もっとも今度の金にはおれた
ちは触れさせてもらえないだろうけどな」
夜の闇が深まり、星の輝きが増すにつれて、酒場のにぎわいも増してい
った。歌う者、法螺を吹く者、連れに抱きつこうとする者、友の口に杯を
持っていこうとする者、といった具合に。
そこには喜びが溢れ、酔いが漂っていた。ここに来てどれほど多くの
人々が、わずかな酒にわれを忘れていったことか。酒以上にここの雰囲気
が人々を酔わせるのだった。困難な人生が彼らをここに引き寄せ、彼らは
しばらくの間、自分たちが生きているのか死んでいるのか、あるいは生け
る屍であるのかということを、忘れるのだった。
そして今もこの親子は心行くまで味わいながらチビリチビリやってい
た。まわりの人々がみな彼らに視線を注いでいた。なんて運のいいやつら
だ！まる一瓶を間に置いている。
マーダオは腹いっぱい食べてしまうと、残ったプーリーのはいった葉盆
を取り上げ、それまで彼らの方をひもじげな目で、立ったまま見つめてい
た一人の乞食に、それを与えてやった。与えることの誇りと歓喜を、マー
ダオは生まれて初めて味わった。
ギースーが言った。「取りなよ。たらふく食って、そして祝福してやっ
てくれ。それを稼ぎ出したやつは死んでしまったが、おめえの祝福はきっ
とあいつまで届くだろうぜ。心底から祝福してやるんだぞ。とても苦労し
て稼いだ金だからな」
マーダオはふたたび空を見上げて言った。「親父よ、あいつはきっと天
国に行くぜ。天国の女王さまになるぜ」
ギースーは立ち上がり、まるで喜びの波に漂うかのようにして言った。
「そうとも、おまえ。あいつは天国に行くさ。だれを苦しめたこともなく、
だれを虐げたこともなかった。死ぬ時でも、わしらがこの世で一番切望し
ていたことを、叶えていってくれた。あいつが天国に行かないとすれば、
あの太った、偉そうなやつらが天国に行くというのかい。両手で貧しい者
たちから強奪し、罪を洗い流すといってガンガーで沐浴し、寺院で神々に
水を供えるやつらが」
これまでの敬虔な様子がたちまち変化した。不安定さは酔いの特徴であ
る。苦しみと絶望の番が巡ってきた。
マーダオが言った。「だがな、親父よ、かわいそうに、あいつは生きて
いる間大変な苦しみを味わったんだよな。死ぬ時もひどい苦痛を耐え忍ん
だんだよな」
彼は目に手を当てて泣き出した、オイオイおらびながら。
ギースーがなぐさめた。「おい、泣くやつがあるかい。喜ぶんだ。あい
つはまやかしの網から自由になったんだぞ。この世の煩わしさから解放さ
れたんだぞ。ほんとに運のいいやつだったんだ。こんなに早くまやかしと
惑いの枷を断ち切ったんだからな」
そして二人は立ったまま歌い出した―
まやかしの女よ、なぜに目を輝かせるや！
まやかしの女よ…！
飲み助たちの目が彼らに注がれていた。二人はわれを忘れて歌いつづけ
た。それから彼らは踊りはじめた。とんだり、はねたりもした。ころげた
り、しゃなりしゃなりと歩きもした。舞踊の仕草もしてみせたし、演技も
やってみせた。そしてしまいには酔いつぶれて、その場に倒れ込んだ。
１
小屋の戸口で父親と息子が、消えた焚き火を前に無言で坐っている。中
では息子の年若い妻のブディヤーが、お産の苦しみにのたうっていた。心
臓を揺すぶる叫びが、何度となく彼女の口をついて出、その度に二人は胸
をおさえた。冬の夜だった。あたりには静寂がたちこめ、村はすっかり闇
に沈んでいた。
ギースーが言った。「どうも助からないみたいだな。一日中もがいてば
かりだった。なあ、中を見てこいよ」
マーダオがいらいらして言った。「死ぬんだったら、なぜさっさと死な
ないんだよ。見に行ったからって、なんになるんだい」
「ふん、おまえもなんて薄情なやつなんだ。まる一年楽しくやってきた相
手に、そんなにつれなくなれるとはな！」
「じゃ言うが、おれにはとても見ておれないんだよ、あいつがもがいたり、
手足をバタバタさせたりするのが」
村中で悪名の高い、チャマールの親子だった。ギースーは一日働くと、
三日休んだ。マーダオも大変な怠け者で、半時間働くと、一時間煙管を吹
かしていた。そのためだれも彼らを雇おうとしなかった。彼らの方も、一
握りの穀物でも家にあれば、断じて働かなかった。二、三日食事が途絶え
ると、ギースーが木に登り、枝を折って持ち帰り、マーダオが市場に持っ
ていって、金に換えた。その金があるかぎり、彼らはあちこちほっつき歩
いた。村に仕事が不足しているわけではなかった。それは農村であり、勤
勉な人間にとって働き口はいくらでもあった。だがこの親子にお呼びがか
かるのは、たとえ二人の人間から一人分の働きしか得られなくても、やむ
なく満足しなくてはならない場合だけだった。彼らがもし行者であったな
ら、知足と堅忍の境地に達するために、彼らに修行の必要はまったくなか
っただろう。彼らは天性、その境地にあった。なんと特異な人生だったこ
とか！家にはわずかな土器以外なんの家財もなかった。襤褸で裸身を被っ
ているだけだった。世間の気苦労とは無縁だったが、借金にはまみれてい
た。罵詈雑言を浴びても、打擲を食らっても、痛くも痒くもなかった。あ
まりに悲惨だったので、取り立ての見込みはまったくなかったけど、人々
はあれこれと彼らに金を貸し与えていたのだ。収穫期になると、他人の畑
から豌豆や馬鈴薯を引き抜いてきて、炙って食べた。砂糖黍を五本、十本
抜き取って、夜にしゃぶった。このようなその日暮らしによって、ギース
ーは六十年の歳月を過ごした。マーダオも孝行息子よろしく父親の足跡を
辿っており、それどころか父親の名声をさらに高めていた。今も彼らが焚
き火の前に坐って炙っていたのは、どこかの畑から掘りおこしてきた馬鈴
薯だった。
ギースーの妻は大分前に亡くなった。マーダオが結婚したのは去年のこ
とだった。彼の妻は、来てからというもの、この家庭に秩序の礎を置き、
この二人の恥知らずの胃袋を満たしつづけてきた。彼女が来てから、二人
はこれまで以上に怠惰になった。それどころかすこしふんぞりかえるよう
にもなった。仕事の話が来ると、平然と二倍の賃金を要求した。その彼女
が今お産の苦しみに死にかけていた。そしておそらくこの二人は待ってい
たのだろう、彼女が死ぬのを。そうしたらゆっくり休もうと。
馬鈴薯を取り出し、皮を剥きながらギースーが言った。「なあ、見て来
いよ、あいつがどんな様子か。きっとチュライルが祟ったにちがいないぞ。
ここらでは祈祷師も一ルピー請求するからな」
マーダオは不安だった、自分が小屋に入っていけば、ギースーが馬鈴薯
をほとんど片付けてしまうのではないかと。彼は言った。「恐いんだよ、
おれは、中に入るのが」
「なんの恐いことがあるかい。わしがここにおるわい」
「じゃ、あんたが見てきたらどうなんだい」
「わしのが死んだ時には、わしは三日間そばに付きっきりだったぞ。それ
にわしが見に行ったら、たぶんあいつは恥ずかしるんじゃないのか。わし
は一度もあいつの顔を見たことないんだぞ。なのに今日にかぎってあいつ
の裸を見ろっていうのか。あいつが体のことをまったく忘れているってこ
ともないだろう。わしだと気づいたら、思いっ切り手足をバタバタさせる
こともできなくなるじゃないか」
「もし子供が生まれたら、どうしよう。生姜も粗糖も油も、家にはなんに
もないぜ」
「なにもかも出てくるわい。神様が子供を授けてくださったらな。今は一
パイサーもくれないやつらが、明日は呼びつけて、まとまった金をくれる
だろうよ。わしには息子が九人生まれたが、家にはいつだってなんにもな
かった。だが神様がいつもなにやかやと助け船をよこしてくださった」
この社会では、日夜懸命に働く人々が、この二人よりも暮らし向きが良
いというわけではなかった。一方彼ら農民の弱みにつけこむ術を心得てい
る連中は、農民よりはるかに裕福だった。そのような社会でこの二人のよ
うな心性が生じてくるのは、べつに驚くにあたらなかった。あえて言えば、
ギースーは農民よりはるかに思慮深かった。彼は農民の浅はかな集団には
加わらず、長話を好む連中の厭うべきグループと交わった。もっとも彼に
はグループの規則や方針を遵守する力量はなかった。まさにそのため、グ
ループの他のメンバーが村の頭や長になっていながら、彼は村中の非難の
的だった。しかしそれでも彼はみずからをなぐさめることができた。たと
え悲惨であっても、すくなくとも農民のように必死になって働く必要はな
く、また彼の単純さ、純朴さに不当につけこもうとする者もいはしないと。
二人は馬鈴薯を取り出し、アツツ、といいながら食べはじめた。昨日か
らなにも食べていなかった。馬鈴薯が冷めるのをじっと待つ辛抱もなかっ
た。何度か二人の舌は火傷しそうになった。馬鈴薯の、皮を剥いた外側は、
たいして熱そうではなかったが、歯で噛むと、たちまちその内側が、舌、
喉、口蓋を燃え立たせた。その熾火を口のなかにとどめておくよりは、奥
に沈めてしまう方がはるかに安全だった。そこには熾火を冷やしてしまう
材料が十分にそろっていた。そこで彼らは急いで馬鈴薯を呑み込んだが、
そうしようする度に彼らの目からは涙が溢れ出た。
その時ギースーは二十年前に参加したタークルの花婿行列のことを思
い出した。その祝宴で彼は生涯忘れられない満足感を味わった。彼は今で
もありありとそれを覚えていた。彼は語った。「あの御馳走は今でも忘れ
なれないな。あれから先あんな料理をたらふく食べたことは二度となかっ
た。花嫁側の人たちがみんなに腹いっぱいプーリーを食べさせてくれた。
みんなにだぞ！身分に関係なく、みんながプーリーを食べたんだ。それも
本物のギーで揚げたのをな！チャトニー、ラーエター、青野菜が三品、野
菜の煮付けが一つ、ダヒー、チャトニー、お菓子。どんなにあの御馳走が
おいしかったか、なんとも言いようがないわい。好きなのを要求し、好き
なだけ食べても、なんの制限もなかった。水を飲む暇もないほど、みんな
が食べに食べた。それでも給仕係はといえば、熱くて丸い、香ばしいカチ
ョーリーパンを、どんどん葉盆にのせていく。もういらないと言っても、
葉盆を手でおさえても、それでもあいつらは配りつづけるんだからな。そ
してみんなが口をゆすぐと、イラーイチー入りのパーンも貰えたんだ。だ
がわしはパーンを貰うことなどまったく頭になかった。立っておれなくて
な。すぐに自分の毛布に戻って横になったわい。まったく心の広い方だっ
たよ、あのタークルは！」
マーダオはそれらの料理の品々を心のなかで味わいながら言った。「今
ではだれもそんな御馳走をおれたちにふるまってくれないぜ」
「もちろんそうだとも。あれはべつの時代だった。今じゃみんな倹約しか
考えていない。結婚式に金をかけるな、葬式に金をかけるなってな。やつ
らは貧乏人から物をかき集めて、その置き場がないほどなんだぞ。かき集
めるのには抜かりがないくせに、金を使う段になると倹約しか考えないん
だからな」
「あんたは二十個ぐらいプーリーを食べたんだろうな」
「二十といわず、もっと食べたぞ！」
「おれなら五十個食べたろうよ！」
「わしが食べたのが五十個より少なかったってことはないだろうぜ。当時
はわしもいい若いもんだった。おまえなんぞわしの半分にも足りんわい」
馬鈴薯を食べてしまうと、二人はドーティーを被ってそのまま焚き火の
前で、体を横向きに丸くして寝入った。まるで二匹のウワバミがとぐろを
巻いているみたいだった。
そしてブッディヤーは今も呻き声を上げていた。
２
朝早くマーダオが小屋に入ると、彼の妻はすでに冷たくなっていた。口
元に蠅がたかってブンブンいっていた。石のような目が上瞼の方につりあ
がっていた。体中が泥にまみれようとしていた。お腹の子供は死んでいた。
マーダオは急いでギースーの所に戻った。それから二人して大声で嘆き
声を上げ、胸を叩きはじめた。その泣き叫ぶ声を耳にして近所の人たちが
駆けつけ、古いしきたりのとおりこの不幸な連中をなぐさめはじめた。
だが泣き喚いてばかりいる時ではなかった。経帷子と薪の心配をしなく
てはならなかった。家には金はまったく消え失せていた、鳶が巣に運び込
んだ餌の肉のように。
親子は泣きながら村の地主の所へ行った。地主はこの二人の顔を見るの
さえいやだった。何度かみずからの手で殴ったこともあった、彼らが盗み
を働いたために、また約束どおりに仕事に来なかったために。地主は言っ
た。「こら、ギス公、なにを泣いてるんだ。最近とんと姿を見せなかった
な。もうこの村に住みたくないんじゃないか」
ギースーは地面に額を付け、目に涙をためて言った。「旦那さま！えら
い災難です。マーダオの嫁が夜に亡くなりました。一晩中もがき苦しんで
おりました、旦那さま！あっしらはずっとそばに付き添っていました。で
きるだけの治療はすべてしてやりましたが、あいつはさっさと行ってしま
いました。もうあっしどもにローティー一枚食わせてくれる者もおりませ
ん、ご主人様！あっしどもは破滅です。あっしどもの家は荒れ果てました。
あっしはあなたさまの奴隷です。今やあなたさま以外にだれがあいつの弔
いを出せましょうか。あっしらの手元にあったものは、あいつの治療代に
すべて消えてしまいました。旦那さまのお情けさえあれば、あいつの弔い
を出すことができます。あっしにあなたさま以外のだれに頼みにいけまし
ょうか」
地主殿は憐れみ深い方だった。だがギースーに情けをかけるのは、黒い
毛布に染色を施すようなものだった。とっとと消え失せろ、と言ってしま
いたい気がした。いつもは呼び出しても来ないくせに、今必要が生じたと
なると、やって来てお世辞を言う。なんというろくでなしだ。悪者めが！
しかし今は怒ったり懲らしめたりする時ではなかった。内心腹を立てなが
ら二ルピー取り出して投げ与えた。だが悔やみの言葉一つ口に出さなかっ
た。ギースーの方に目をやることさえしなかった。これで厄介払いだとい
うふうに。
地主殿が二ルピーくれたからには、村の商人や金貸し連中がどうしてあ
えて拒むようなことがあるだろう。ギースーは地主の名前を触れ回ること
も心得ていた。二アンナくれる者もいれば、四アンナくれる者もいた。一
時間でギースーの元には五ルピーというかなりの金が集まった。どこそこ
から穀物や薪が手に入った。そして午後になってギースーとマーダオは経
帷子を買いに市場に出かけた。一方残った人々は竹等を伐りはじめた。
村の心優しい女たちが折々やって来ては亡骸にまみえ、亡き人の哀れさ
にちょっぴり涙し、帰っていった。
３
市場に着くと、ギースーが言った。「あいつを燃やすだけの薪は手に入
った。そうだな、マーダオ」
マーダオが言った。「そうとも。薪は十分だ。あと足らないのは経帷子
だ」
「よし、じゃ安物の経帷子でも買おうかい」
「もちろんだとも。亡骸を送り出す頃には、夜になっているだろうぜ。夜
にだれが経帷子なんか見るもんかい」
「なんという悪習だろうな。生きている間は体を被う襤褸さえなかったの
に、死んだとなると、新の経帷子を着せなくてはならないとはな」
「それに経帷子は亡骸といっしょに燃えてしまうだけだぜ」
「もちろんなにが残るっていうんだい。この五ルピーが前もって手に入っ
ていたらな。そしたらすこしは治療をしてやれたのにな」
二人はおたがいの腹のなかをさぐりあっていた。市場のなかをあちこち
歩き回った。何軒かの反物屋で足を止めた。絹や木綿のさまざまな衣を目
にしたが、どれも気に入らなかった。そうこうするうち夕方になった。そ
してその時彼らはなにか天の配剤によって、一軒の酒場の前に来ていた。
そして前もっての取り決めであったかのように、中に入っていった。しば
らく二人はためらう様子で立ちつくしていたが、やがてギースーが主人の
前に進み出て言った。「旦那、一瓶頼むよ、わしらにも」
酒の次に、酒の肴が出、そして魚のフライが出た。二人はベランダに坐
って静かに飲みはじめた。
数杯たてつづけに飲むと、二人はほろ酔いきげんになった。
ギースーが言った。「経帷子を着せてなんになるんだ。結局燃えてしま
うだけだぞ。嫁さんがあの世に持っていくものなどありはしないさ」
マーダオが空を見上げて言った、まるで自分の無実を神々に証言してい
るみたいに。「世間の習わしってやつだよ。そんなのなければ、だれがバ
ラモンに何千ルピーもくれてやったりするもんか。そうしたからといって
あの世でいいことがあるかどうか、わかったもんじゃないぜ！」
「偉いやつらの所には金があるんだよ。勝手に無駄遣いすればいいんだ。
だがわしらには無駄遣いするものなどなにもないからな」
「だけど、あんたはあいつらになんて返事するんだよ。経帷子はどこだっ
て、きっと聞いてくるぜ」
ギースーは笑った。「ふん、あのな、言ってやればいいんだよ。うっか
り金を落としてしまったってな。懸命にさがしたけど、見つからなかった
って。やつらは信用するまい。だがおなじだけの金をまたくれるさ」
マーダオも笑った。なんという思いがけない幸運だろう。彼は言った。
「かわいそうなあいつは、本当にいいやつだったよ。死んでからも存分に
飲み食いさせてくれてな！」
瓶の中身は半分以上なくなった。ギースーは二セールのプーリー、チャ
トニー、レバーを買いに行かせた。店は酒場の真向かいにあった。マーダ
オはあっという間にすべての品々を二つの葉盆にのせて持ち帰った。一ル
ピー半の金が丸々かかり、あとにはわずか数パイサーしか残らなかった。
今や二人は、まるで密林で虎が獲物をむさぼっているみたいに、威厳あ
る様子で坐り、プーリーを食べていた。責任を問われるのではという恐怖
もなく、汚名を着せられるのではという不安もなかった。そのような感情
はすべて彼らはとっくの昔に克服してしまっていた。
ギースーが哲学者みたいに言った。「わしらの魂が満足しているんだか
ら、これはきっとあいつの功徳になるにちがいないぞ」
マーダオが敬虔に頭を垂れ、証言した。「絶対そうにちがいない。神様、
あなたは人の心のなかまで御存知です。あいつを天国に連れっていってく
ださい。あっしらは心からあいつを祝福しているんです。生まれてこのか
た今日のような御馳走を口にしたことは一度もありませんでした」
その直後マーダオに一つの疑念が生じた。「なあ、親父、おれたちだっ
ていつかはあそこに行くんだよな」
このたわいない問いにギースーはなにも答えなかった。あの世のことな
ど考えて今の喜びを損ないたくないと、彼は思ったのだ。
「もしあそこであいつに、なぜわたしに経帷子をくれなかったのってたず
ねられたら、あんたはどう答えるんだよ」
「言ってやるさ、わしの知ったことかってな」
「絶対にたずねてくるぜ」
「あいつに経帷子をやれないなんて、なぜおまえは思い込んでいるんだ。
おまえはわしをそんな間抜けだと思っているのか。この世間で六十年間を
無駄に過ごしてきたとでもいうのか。くれてやるとも、あいつに経帷子を、
それもとびきり上等のやつをな」
マーダオには信じられなかった。彼は言った。「だれがくれるんだよ。
金はあんたが使い果たしてしまった。だがあいつはおれにたずねるだろう
よ。あいつの髪の分け際に朱を付けてやったのはおれなんだからな」
ギースーはカッとなって言った。「いいか、あいつに経帷子をくれてや
る、といったらくれてやるさ。嘘じゃねえ」
「だれがくれるか、ちゃんと言ってみろよ」
「今回くれたやつらがまたくれるだろうよ。もっともわしらは今度の金に
は触れさせてもらえないだろうけどな」
夜の闇が深まり、星の輝きが増すにつれて、酒場のにぎわいも増してい
った。歌う者がいれば、法螺を吹く者がおり、連れに抱きつこうとする者
がいれば、友の口に杯を持っていこうとする者がいた。
そこには喜びが溢れ、酔いが漂っていた。ここに来てどれほど多くの
人々が、わずかな酒にわれを忘れていったことか。酒以上にここの雰囲気
が人々を酔わせるのだった。困難な人生が彼らをここに引き寄せ、彼らは
しばらくの間、自分たちが生きているのか死んでいるのか、あるいは生け
る屍であるのかということを忘れるのだった。
そして今もこの親子は心行くまで味わいながらチビリチビリやってい
た。まわりの人々の視線が彼らの方に釘付けになっていた。なんて運のい
いやつらだ！まる一瓶、間に置いている。
マーダオは腹いっぱい食べてしまうと、残ったプーリーのはいった葉盆
を取り上げ、それまで彼らの方をひもじげな目で立ったまま見つめていた
一人の乞食に、それを与えてやった。与えることの誇りと歓喜を、マーダ
オは生まれて初めて味わった。
ギースーが言った。「取りなよ。たらふく食って、そして祝福してやっ
てくれ。それを稼ぎ出したやつは死んでしまったが、おめえの祝福はきっ
とあいつまで届くだろうぜ。心底から祝福してやるんだぞ。とても苦労し
て稼いだ金だからな」
マーダオはふたたび空を見上げて言った。「親父よ、あいつはきっと天
国に行くぜ。天国の女王さまになるぜ」
ギースーは立ち上がり、まるで喜びの波に漂うかのようにして言った。
「そうとも、おまえ。あいつは天国に行くさ。だれを苦しめたこともなく、
だれを虐げたこともなかった。死ぬ時でも、わしらがこの世で一番切望し
ていたことを、叶えていってくれた。あいつが天国に行かないとすれば、
あの太った、偉そうなやつらが天国に行くというのかい。両手で貧しい者
たちから強奪し、罪を洗い流すといってガンガーで沐浴し、寺院で神々に
水を供えるやつらが」
これまでの敬虔な様子がたちまち変化した。不安定さは酔いの特徴であ
る。苦しみと絶望の番が巡ってきた。
マーダオが言った。「だがな、親父よ、かわいそうに、あいつは生きて
いる間とても苦労したんだよな。死ぬ時も大変な苦痛だったんだよな」
彼は目に手を当てて泣き出した、叫び声を上げながら。
ギースーがなぐさめた。「おい、泣くやつがあるかい。喜ぶんだ。あい
つはまやかしの網から自由になったんだぞ。この世の煩わしさから解放さ
れたんだぞ。ほんとに運のいいやつだったんだ。こんなにはやく迷妄の枷
を断ち切ったんだからな」
そして二人は立ったまま歌い出した―
まやかしの女よ、なぜに目を輝かせるや！まやかしの女よ！
飲み助たちの目が彼らに注がれていた。二人はわれを忘れて歌いつづけ
た。それから彼らは踊りはじめた。とんだり、はねたりもした。ころげた
り、しゃなりしゃなりと歩きもした。舞踊の仕草もしてみせたし、演技も
やってみせた。そしてしまいには酔いつぶれて、その場に倒れこんだ。

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