保 険 代 理 店 による保 険 コラム 第 3 5 回 消防報酬を払った火災保険 ―アメリカの火災保険草創期― ア メ リ カ で 最 初 に 火 災 保 険 の 会 社 を 創 っ た の は 、ベ ン ジ ャ ミ ン ・ フ ラ ン ク リ ン ( 1706 ~ 1 790 ) で あ る 。 政 治 家 、 外 交 官 、 思 想 家 、 科 学 者 と して有名であるから誰でも耳にしたことがあるだろう。 彼 は 、フ ィ ラ デ ル フ ィ ア で 新 聞 社 を 起 こ し 政 治 評 論 家 と し て 有 名 に な り、州議会の書記、郵便局長、郵便長官などを務めた。一七七六年の、 ア メ リ カ 独 立 宣 言 の 起 草 委 員 会 の メ ン バ ー に な り 、合 衆 国 代 表 と し て パ リに渡りパリ条約締結に貢献した人物である。 彼 が 2 9 歳 の と き に 消 防 隊 を 組 織 し た 。最 初 は 地 域 相 互 援 助 の 消 防 隊 で あ っ た 。 消 防 隊 の 組 織 は 増 え 、 後 に 地 域 を 越 え て 、ど こ の 火 事 で も 出 動 す る 消 防 隊 に な っ て い っ た 。だ が 、当 時 は そ の 費 用 を 建 物 所 有 者 か ら の 謝 礼 だ け で ま か な っ て い た 。そ の た め 、謝 礼 の 金 額 が 少 な け れ ば 早 々 に引き揚げる消防隊もいたようだ。 ち な み に 、す で に 火 災 保 険 会 社 が で き て い た イ ギ リ ス で は 、保 険 会 社 が 消 防 隊 を 持 ち 、「 フ ァ イ ア ー マ ー ク 」 の あ る お 客 の 火 災 だ け に 出 動 し ていた。 1 7 5 2 年 4 月 1 3 日 、彼 は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 火 災 保 険 会 社 を 創 設 し た 。最 初 の 契 約 が ペ ン シ ル ベ ニ ア 州 副 知 事 で 、二 番 目 が 本 人 だ っ た そ う だ。 こ の 会 社 も 、そ の 後 に 続 く 会 社 も 、イ ギ リ ス の よ う に 消 防 隊 を 持 た ず 、 消 火 は 民 間 に 委 ね て い た 。た だ 消 火 費 用 を 保 険 会 社 が 支 払 う こ と に し た 。 そ の た め 、 消 防 隊 の 意 気 は 上 が っ た 。 と き に は 、現 場 に 同 時 に 到 着 す る と 燃 え 盛 る 炎 の 前 で 、報 酬 の 優 先 権 を め ぐ っ て 消 防 隊 が ケ ン カ に な る こ ともあったという。 ま た 、保 険 の 申 し 込 み を し た 客 が 、家 の 前 に 大 き な 木 が あ る こ と で 断 ら れ た 。木 が あ る こ と で 隣 家 へ 延 焼 す る 危 険 が あ り 、消 火 作 業 の 妨 げ に な る こ と が 理 由 だ っ た 。そ れ が 発 端 と な っ て「 木 が あ っ て も 引 き 受 け る 新保険会社」が設立されたりもした。 今 、フ ィ ラ デ ル フ ィ ア は ア メ リ カ の 保 険 発 祥 の 地 と な っ て い る 。1 9 5 7 年 、「 保 険 の 殿 堂 」 が で き る と フ ラ ン ク リ ン が 殿 堂 入 り 第 一 号 と な った。 盛 岡 市 黒 石 野 2 -1 3 -4 5 (株)エイアンドビーアシスト 野 中 康 行 T E L 0 1 9 -6 6 2 -3 0 1 0
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