ノンシャラン道中記

ノンシャラン道中記
タラノ音頭 ︱︱コルシカ島の巻︱︱
久生十蘭
3
するとここに、上甲板の日よけの下に座を占め、ミシュ
を掻き乱しながら、シズシズと春の航海を続けてゆく。
号は﹃三百法 を出帆したM・Q汽船会社の Bon Voyage
コルシカ島周遊﹄の粋士遊客を満載し、眠げなる波の夢
一、虎は人を恐れ人は虎を恐る。ニースのランピヤ港
に言葉も出ない様子であった。するとその群の中から進
りをまぜて説明すると、一同は感にたえたものか、とみ
は応接間の敷物にするつもりである旨、いろいろと身振
この短剣をもって、こう突いて、こうえぐって、その皮
の谿
谷 へ虎狩りにゆくつもりであること。つまり、虎の
けいこく
ラン会社の二十万分の一の地図の上に額を集め、しきり
み出て来た一人の年配の紳士、ニコニコと笑いながら、
耳をつかまえ、 ヒラリとその背中に飛び乗るが早いか、
に論判する男女二人の若き東洋人があった。男子なる方
﹁いや、なかなかお勇ましい事です。私もあのへんまで
フラン
は、派手なゴルフ服に黒の風呂敷包みを西行背
負 いにし、
保安林の切株検査にまいります。お差支えありませんで
は大して虎を恐れているわけではありません。なにしろ、
じょ
マザラン流の古風なる筒 眼鏡を小脇にかかえ大ナイフを
したら、どうかお供させて下さい。そう願えれば、私も
う、華々しくもまた目ざましい 装 。
コルシカ島に虎がいたなんて話はまだ聞いたことがあり
つつ
腰につるし、女子なる方は乗馬服に登山靴、耳おおいの
安心して旅行を続けられるというものです。もっとも私
やがて、フランスの本土は、水天一髪の間に捕捉しが
ませんからね。しかし、コルシカには虎より恐ろしいも
まさかり
ついた羅紗の防寒帽をかむり、消防用の 鉞 を帯びたとい
たい淡青色の一団となって消えうせようとするころ、海
のがおります﹂
いでたち
上風光の鑑賞にようやく飽き果てた同舟の若干は、 物見 ﹁と、申しますのは﹂
ものみ
高くも東洋人の周囲に蝟
集 し、無人島探険にゆくつもり
﹁コルシカの山地の人間です。非常に排他的でね。とり
いしゅう
であるか、とか、支那の戦争はまだやみませぬか、とか、
わけ、官吏やフィリッピン人⋮⋮、まあ、そういったも
さ
口々にたずね始めた。男子なる方は、五
月蠅 きことに思っ
のをあまり好きじゃないらしいんですね。官吏や東洋人
う る
たのであろう。われわれはこれから、コルシカはタラノ
4
も命とりですな。二十五万法 勝って一度に二十五万法すっ
そういうわけですか。 賭球戯 というやつはいつになって
二、極楽はコルシカにあり船に乗って行くべし。ははあ、
やら目玉をすえて急に黙り込んでしまった。
これを聞くよりその東洋人は、さっきの威勢もどこへ
ごくまれだという話です﹂
がコルシカの山地を旅行して、無事に帰ったというのは
かには 鶫 もいれば虎もいる。そいつを 藪 のそとからぶっ
こう、ご婦人の寝乱れ髪って工合に繁っていて、そのな
山地へ行くと﹃ 藪知らず ﹄ってのがある。棘 や木の枝が、
ないい加減にうだってぐったりしているんですよ。また
川ってのには、しょっちゅう温泉が流れ込むんで、魚はみ
になるんです。川には川でやたらに魚がいますね。その
ピチョとやり返す、そのうちに月が出て 引 分 けってこと
と百
舌 だって引っ込んじゃいられない。負けずにピチョ・
ず
ちまったら、誰れだってそんな気持になりますよ。⋮⋮
放す⋮⋮檻のなかの獣を撃つより楽なもんです。それか
も
人里離れたところで生気を取りもどそうなんてのは、ま
ら野
山羊 、⋮⋮こいつがまた変ったやつでしてね。毎朝
しゃく
フラン
なまなか
ぎ
ラッパ
オ
ず至極な思いつきですな。 生半 繁華なところにいるてえ
自分の方からのこのこやって来ちゃ乳を置いて行くんで
シャレエ
マッキ
と、見るもの聞くもの癪 の種、ってわけでね。つまらない
す。いずれそのうちに 喇叭 を吹いてやって来るようにな
ル ウ レット
了見を起こしかねませんからねえ。と、いっても北極探
るだろう、って話です。どうです、ひとつ、そのへんの
あいにく
やぶ
険なんてのも楽じゃない。アフリカ⋮⋮あそこは日焼け
荘 を一軒ご周旋しようじゃありませんか。
山
﹃極楽荘﹄っ
つぐみ
がひどいね。じゃ、どうです。いっそコルシカへいらし
ていうんですがね。総二階に車寄せなんかついて堂々た
や
ちゃ。⋮⋮手近で浮世離れしたなんてのはあそこ以外に
るもんですよ。 生憎 手元に写真がないんでお目にかけら
の
はありませんな。春なんざすてきなもんですよ。そこら
れませんがね。寝室、応接間、台所、浴室、物置、⋮⋮
や
じゅう一面にベタベタと花が咲いてね、まるで 理髪店 の
と、これがみな一間にかたまっちまって、それゃ便利に
と こ
壁紙のように派手なことになっちまうんです。そのなか
使えるんです。実はね、今までにも方々から申し込みが
うぐいす
でまた 鶯 がのべつにピイチク・ピイチク鳴く。そうする
いばら
、
、
、
あったんですがね。ゆくゆくは手前の隠居所にしようと
ねると、検査官は肩をすくめて、
らいのコルシカ人ってのがいるのでしょうか﹂と、たず
いくたり
思っていたんで、惜しくて周旋する気になれなかったん
﹁これは意外ですね。途中に 幾人 もいたじゃありません
プニャアレ
つつじ
です。いいですからなあ、あんな気楽なとこはありませ
か。松の木のてっぺんにもいたし峠の 躑躅 の繁みの中に
たかい
んよ、⋮⋮いらっしゃい。ね、いらっしゃいよ。せつにお
ナ
もいました。みな鉄砲を持っていましたよ。⋮⋮あれは、
チュシ
勧めしますよ。もっとも家賃は少しお 高価 ですがね、生
科者 とか森
前
林山賊 とかといういかめしい連中なのです。
プロスクリ
命が延びようってんだから安いものでさ。
ぶっそうなことにはね、コルシカ人ってのは、みな鉄砲
のぼり
三、 差出すに名刺あり翻すに 幟 あり。﹃極楽荘﹄ が所
の名人です。十町も向うから暗夜に烏の眼玉を 射抜 こう
ぬ
在するタラノの谿谷は、 金山 という高い山の 麓 の、石こ
という腕前です。それからコルシカ特有の 匕首 を実によ
かいがらぼね
い
ろだらけの荒涼たる山地の奥にある。ここに行くにはボ
く使います。そっとうしろから忍び寄って、これぞと思
ふもと
コニャアニョまで汽車に乗り、そこから数限りない谷川
う生物の肩
胛骨 のところへ、威勢よくそいつを突き通す。
です。突き刺された方は、そこで、急いで寝くたばって
マッキ オ
モンテ・ドロ
と峠を越え、こ暗い 雑木林 の中にかすかに切り開かれた
それから、ゆっくり︵寝くたばれ!︶といってきかせるの
半日も廻って行くのである。
しまう。千に一度の 失敗 はないのです。一九二〇年のこ
こ
コン吉は、タヌと検査官のうしろから、 騾馬 の背に揺
とでした。私の同僚がやはりこのへんの検査に来た。そ
はずれ
られ、絶えずキョトキョトと落ち着かぬ視線を前後左右
こでやむを得ない行きがかりからその部落の族
長 を、
︵こ
ば
に放ちながら続いていったが、やがて、
の 溝鼠 !︶とどなったんだ。その検査官はアルサスの営
ろ
﹁これは全く人跡未踏ですね。この半日、一人の人間に
林大区へ栄転して、間もなくそこで死にました。すると、
カボラル
も出あわなかったじゃありませんか。⋮⋮つかぬことを
ちょうどその一周忌にも当ろうという朝、彼の十字架の
サロオ
おうかがいするようですが、このへんにもやはり東洋ぎ
セキエール
﹃ 蛇の道 ﹄をくぐり抜け、黒柳の生えた大きな谷の縁を小 5
6
す。⋮⋮ま、そんな工合です。だから、コルシカ人につ
義理がたいところがあるのですね。 五法 借りたら五
法 返
たということです。つまり、コルシカ人ってのは非常に
肩のところに、コルシカの短剣が一本突き刺されてあっ
るように拡げながら部落へ入って行くのよ。それで大丈
たしが作っておいた 幟 があるから、これをよく皆に見え
あるんだから落ち着いていらしゃい。ここにね、 昨夜 あ
﹁心配することなんかあるものですか、あたしに名案が
平気な面持で、
ゆうべ
まらない真似をすると、地球の果てまで逃げ廻ったって
夫﹂といって、鞄の中から 白金巾 の風呂敷のようものを
サンスウ
無駄です。必ずどこかでやられてしまう。これだけは確
取り出してコン吉に渡した。コン吉が受け取って拡げて
サンスウ
かです﹂
みると、その白布にはでかでかと大きな字で、こう書い
のぼり
語りつづけているうちに、やがて目の下に、乏しい黒
てあった。
しろかなきん
い部落を浮べた小さな丘が見えて来た。検査官は、その
のぼり
四、口は 禍 の門、千古の金言。コルシカ人尊敬の 幟 を
わざわい
われ等はコルシカ人を尊敬す
﹁あれがタラノの部落です。あそこに大きな 雑木林 が見
押し立て、行きあうコルシカ人に、いちいちもれなく、
丘を指さしながら、
えますね、あのはずれに一軒建っているのが多分極楽荘
﹁ 今日は兄弟 !﹂と愛想を振りまきながら、さながら薄
マッキ オ
です。私はここからもっと上へのぼってゆきます。では、
氷を踏む思いで部落を通り抜けると、やがて、皮付きの
ボンジョオル・フラテルロ
ご機嫌よう、コルシカ人に用心なさい﹂といって、それ
松丸太を極めて 不手際 に組み立て屋根の上には 強北風 よ
トラモンタアヌ
から一人で尾根伝いにのぼっていってしまった。
けの ご ろ た石を載せたという堂々たる﹃極楽荘﹄に行き
り
ラッパ
ふてぎわ
コン吉は急に泣きっ面になって、
い ろ
ひめます
メダイユ
当った。内部は一間きりの広々とした四角な部屋で、大
チュシナ
﹁やや、これは困った。ここへおいてゆかれたんでは進
きな 囲炉裏 の壁の上には、鹿の首や、 賞牌 や、ひからび
ひ
退きわまってしまう。進めば 族長 、退 けば山
賊 、⋮⋮タ
た姫
鱒 や、喇
叭 銃や、そのほか訳のわからぬものが無数
カボラル
ヌ君、一体どうしたものだろう﹂というと、タヌは一向
、
、
、
7
起きあがって来て、渋い声で め えとないた。
山鳩が三羽飛び下りて来、寝台の下からは、黒い山羊が
二人が部屋へ入って行くと、 梁 の上から丸々と肥った
に飾り付けられてあった。
修業に取りかかるため来村いたしたこと、この小屋は正
に招じたうえ、この 河童頭 の令嬢が一念発起して画道の
﹁ま、どうぞこちらへ。どうぞこちらへ﹂と手近な椅子
御用件で御来村なされたか﹂と、荘重な口調でたずねた。
﹁拙
者 は当部落の族
長 でごわす。そこもと達はどういう
カボラル
﹁あら! あの禿頭のいったことは嘘じゃないわね。部
当な手続きを踏んで、長期の契約で周旋屋から借り入れ
やつがれ
屋だって、この が ら く たを始末すると、ずいぶん手ごろ
たこと、その契約書はここにあること、このへんはたい
はり
ないい部屋になると思うわ、あそこにはあんな大きな山
へん景色がよく、また、空気もいいこと、そのうちに一
くんせい
ます
かっぱあたま
鳩がいるし、燻
製 の鱒 があるし、山羊の乳まであるんだ
度お挨
拶 にあがって、ご自慢の喉を聞かせていただきた
ら取りとめもなくしゃべり立てると、 族長 は、
ぐら
いの﹂というと、コン吉は、
﹁どれほど御滞留になるか、それだけうかがえば結構で
ちかづき
から、まるで食物 庫 にいるようなものだわね。今晩は早
く存じていた、⋮⋮こと、れろれろと舌をもつらせなが
﹁大賛成だね。じゃ僕はこれから鳩に引導を渡すことに
あろうとは。
べながら、
注ぎ、腸詰、乾酪の類を持ち出してところ狭いまでに並
むなぎ
五、凶雲低迷す極楽荘の棟
木 の上に。さてその翌朝、コ
﹁まったく、一生でも住みたいくらいですよ。もう何か
ぬいとり
ン吉が寝床で唱歌を歌っていると、突然、赤と黄の 刺繍 ら何まで気に入ってしまいました﹂と答えると、 族長 は、
た見事な八字髯をひねりながら部屋を見廻していたが、
カボラル
をした上衣を着た、身長抜群のコルシカ人が一人、案内
けいけい
﹁いや、わかりましたじゃ﹂といって、薄い唇の上に生え
ゆうぜん
な眼でコン吉を凝
視 ながら、
みつめ
も乞わず に悠
然 と入って来た。漆黒の、炯
々 と射るよう
はじまり
ごわす﹂といい放った。タヌは進み出て、コニャックを
、
、
しよう﹂と勇み立ったが、これがそもそも災難の 濫觴 で
カボラル
速だけど、鳩の丸焼と燻製を喰べることにしようじゃな
、
、
、
、
8
﹁鱒もいただきましたよ﹂
ました﹂
﹁結構ですじゃ。⋮⋮それから姫鱒の乾物はなんとなり
代りに取ってありますの﹂
﹁あら、いただいてしまいましたわ。あの一羽は時計の
﹁ほほう。⋮⋮鳩が二羽足らんようじゃが⋮⋮﹂
﹁みんな物置きへほうり込んでありますわ﹂
れはなんとなりました﹂とたずねた。
﹁以
前 はそのへんにいろいろな飾り物がごわしたが、あ
を申しあげると当部落の恥辱、かたがた 族長 たる自分の
きあげられるほうが賢明なやり方であること、こんな事
けであるから、 生命 が惜しいと思ったら、今のうちに引
とかく遺憾千万な出来事が引き続いて起こったようなわ
石垣のそばに坐ったまま頭を 射抜 かれていたこと、以来
を遂げること。一人は寝床で胸を刺されて死に、一人は
常に不吉な小屋であって、この借り主は代々非業の最後
念のために申し上げるが⋮⋮﹂といって、この小屋は非
﹁さようならばこれはちょうだいいたす。⋮⋮それから
りにその頭をひねくり廻していたが、
も と
すると族
長 は、腕組みして何か考えていたが、やがて、
不名誉でもあるのだが、御両所の生命に関することだか
い ぬ
急に腕を延してたて続けにコニャックをあおりつけてか
ら、包まず右まで申し上げる次第である、と語った。それ
いのち
ら、
から、そちらの大人のご希望もあったことだから、未熟
は
カボラル
カボラル
まんさく
カボラル
﹁さぞ美味でごわしたろう﹂と、 凄味 のある声でいった。
な節
廻 しではあるが、 一齣 ご披露しよう、といって、く
カボラル
﹁あら、お望みでしたら、まだ残っていますからお持ち
り返し巻き返し同じような唄を歌い、 蹣跚 たる足どりで
すごみ
くだすっていいですわ。ねえ、コン吉、まだ半分くらい
帰っていった。
ひとくさり
残っていたわねえ﹂
六、虎か人か亡霊か 将 た油紙か。 族長 の物語に違 わず、
ふしまわ
﹁あります、あります。ちょっと待ってください﹂
翌日の夜中ごろからこの不吉な小屋はおいおいとその本
たが
と、いって、コン吉は戸棚の中から、無惨にも胴切り
カボラル
領を発揮することになった。 族長 の話を聞いて以来、コ
カボラル
にされた鱒を持ち出して 族長 の前に置いた。 族長 はしき
9
﹁タヌ君、これはいよいよ駄目だ、急いでこの小屋を引
じょうしひんすう
ン吉は何の因果か、とかく夜中真近くなると 上厠繁数 の
きあげることにしよう。この小屋ではやたらに人が死ん
おもや
趣きであったが、これがまた不幸なことには、 厠 は母
屋 だそうだから、いずれ続々と出て来るに違いない。一人
松明はちょうどその足もとまでころがってゆき、幽霊は
明 を振り上げ、こいつを物の化めがけて投げつけると、
松
胆なるコン吉は、一たまりもなく逆上して、一 切 夢中に
も形容のつかない朦朧たる 物の影を見たから、日ごろ小
てゆくと、眼の前の石垣伝いに漂い歩いている、なんと
も胸をとどろかせながら、そろりそろりと厠の方へ歩い
れぬ次第となったので、 藁松明 に火をともし、風の音に
その夜も我慢に我慢を重ねたすえ、ついに止むに止ま
の木のそばにあるのです。
うな様子だから、今晩は多分腰から上だけで出てくるつ
なにしろ 昨夜 の幽霊などは下 っ端 の方はだいぶ燃えたよ
見るのはご自由だが、僕はもう幽霊の 礼奏 なんか沢山だ。
﹁見せるも見せないも、僕が傭って来たわけでないから、
うにタヌの顔を見ながら、
あたしにも見せてね﹂と勇み立つ。コン吉はうらめしそ
﹁あら!
ヌは、
はもう目を廻すよりほかにしようがない﹂というと、タ
でもあんなに驚くのだから、束になって出て来たら、僕
わ
たちまち裾から火が付いて燃えあがった。幽霊は、
もりなんだろう。いやもう思っただけでもぞっとする﹂
び
﹁うわッ﹂と、ものすごい声で叫びながら石垣の下へ飛
﹁油紙でもあるまいし、どこの世界に燃えあがる幽霊な
かわや
から遠く離れた裏庭の奥の、うっそうと葉を垂れた 枇杷 び降り、草の上をころげ廻ってようやく火を消し止める
んかあるもんですか。貉 かなんかの悪
戯 に違いないのよ。
ブランドン
と、小走りをしながら雑木林の中へ消え失せた。
今晩また出て来たら鉄砲を 撃 っておどかしてやりましょ
ゆうべ
てん
う
した
ぱ
いたずら
アンコオル
お化けが出て来たの。耳よりな話ね、今晩は
跡をも見ずに逃げ帰ったコン吉は、夜明けまでがたが
う。もし手答えがなかったら、それは幽霊に違いないの
さい
たと歯の根も合わずに震えていたが、日の出と共によう
だから、引きあげるならそれからでも遅くないよ﹂
たいまつ
やく元気を取りもどし、
10
﹁うわゥ、うわゥ﹂と奇妙な声で咆
吼 しながら、首を振り
に浮び出たものは幽霊にはあらでたくましい一匹の虎。
ふけ渡り、幽霊出現の定刻となると、青白い月の光の中
を見せてくれようと待っているうちに、おいおいと夜も
雑木林の入口に見当をつけ、半焼の幽霊いまに目にもの
めをし、窓の隙間から筒口を出して 昨夜 幽霊が退場した
ちのばら玉をあふれるばかり詰め込み、 藁 をたたいて詰
さて、物置きに投げ込んであった 喇叭 銃に煙硝と鹿撃 カ人をかつぎあげ、林の奥に走り込んで行った。
すると、口々になにやら叫びかわしながら、 件 のコルシ
ら走り出てきたが、そこに倒れているコルシカ人を発見
てんでに 藁松明 とライフル銃をひっさげ、 雑木林 の奥か
ると、時ならぬ鉄砲の音を聴きつけたタラノの部落民は、
驚きあきれて、コン吉とタヌは 扉 のそばに立すくんでい
七、コルシカ人を殺せば三界に 住家 なし。これは! と
のめり込んでしまった。
入口まで這って行ったが、そこで崩れるように草の中へ
は一人のコルシカ人、脇腹を手でおさえながら雑木林の
ゆうべ
ほうこう
ゆうえい
う
腰をひねって、しきりに前庭を 遊曳 する様子。コン吉は
タヌは瞬きもせずにこの意外な光景を眺めていたが、
ラッパ
たまりかね、この一発なにとぞ虎に命中せしめたまえ!
やがてコン吉を部屋の中へ引きいれ急いで 扉 を閉ざし、
わら
と、 八百万 の神々に念じながら、ズドンとばかりに打ち
息も詰まるような切迫した声で、
ドア
すみか
放すと、筒口からは末広形の猛烈な火炎が噴出し、その
﹁コン吉、しっかりしてちょうだいね。ああ、大変なこと
ドア
くだん
マッキ オ
反動でコン吉は、うしろへでんぐり返り、床に頭を打ち
になってしまった。 怪我 くらいならいいけど、もし殺し
ブランドン
つけてややしばらくはぼうぜんとしていたが、やがて正
てしまったんだったら、ただでは済まないわね。あんな
やおよろず
気にかえり、虎はいかにと煙硝の煙をすかして眺めると、
真似をしてふざけた方も悪いんだけど、今さらそんなこ
け が
天の助けか、虎は四つ足を天に向けてころがっている。
とをいったって仕様がないよ。コン吉、どうする?﹂と、
有難い!﹂と、二人は急いで
﹁や、うまくしとめた!
これはどうやら涙ぐんでいる様子。
ドア
のそとへ駆け出そうとすると、虎の中から現われたの
扉 11
﹁うわア、それじゃ困る。⋮⋮憲兵なり看守なりに、わ
﹁そう、やりかねないね﹂
つけるだろうか﹂
が死んだとすると、本当にタラノの連中は僕たちをやっ
﹁僕も難しいと思う。⋮⋮仮りにだね、あのコルシカ人
﹁さあ、難しいわね﹂
逃げ終わせるかしら﹂
いね、逃げるなら今のうちだと思うけど、果してうまく
ういってるうちにも部落の連中がやってくるかも知れな
﹁ああ、とんだことになった。どうするもこうするも、こ
吉は、その場の椅子にへたへたと腰をおろしながら、
日ごろ気丈なタヌの取り乱したようすを見るよりコン
族長 は二人を一段と高い壇の上にすえて、
長い顔をした死人が、口をあいて 鯱張 っていた。
荒削りの板で作った 柩 があって、柩の中には馬のような
のコルシカ人が腕組みをして円陣を作り、その中央には、
一軒の山小屋の中へ押し入れた。部屋の中には十二三人
とり、部落まで引きずっていって乏しい 橄欖 畑のそばの
た四人のコルシカ人、驚きあわてる二人の腕を左右から
すると、その翌日の日没後、つかつかと部屋に入って来
八、天国へのマランン競走、三日のハンデ・キャップ。
語り明かした。
いに胸を閉ざされながら、その夜はまんじりともせずに
間 僻境 であえなく一命を落すのかと、いずれも悲愴な思
ものを、コルシカの土民づれの手にかかって、こんな山
カボラル
へききょう
れわれを引き渡してくれるのなら、必ずこっちに理があ
﹁さて、御両氏、ここに瞑目しているものは、昨夜御両氏
パトラン
かんらん
るんだけど﹂
の手にかかって非常な最後を遂げたジュセッペ・ポピノ
ひつぎ
﹁ああ、もうしょうがないわね。なんにしろ、びっくり
でごわす。これより吾々は 同郷人 の悲しき最後の勤めを
プニャアレ
しゃちこば
してやったことなんだから、よく 理由 を話して詫びるこ
果しまするによって、よウくお目にとめてご覧ありたい﹂
け
とにしましょう。それがいけなければ、またその時のこ
そういってから、腰に吊していた 匕首 を抜き、三度死
わ
とよ、コン吉、今度こそはしっかりしてちょうだいね﹂
人の頬に触れ、死人の毛髪を少し切り取って胸の 小嚢 に
こぶくろ
それにしても、意外な羽目になった。夢も未来もある
12
受けなくてはならん。ここに並んだ五人の 同郷人 のうち
パトラン
納め、それから柩に向って手をうちながら、荘重な声で、
の二人がそれを果すのでごわす。それは今日から三日目
こいつは村で一番の射撃の名手であった。
う。では、どうぞ、これでお引き取り下され﹂といって
のアヴェ・マリアの刻限までに果されることになりましょ
ヴォチェロ
席の埋葬 歌を唄い出した。
即
雀の 嘴 から麦の粒を撃ち落す奴であった。
をあけて戸外を指した。
扉 くちばし
この地上にはもう撃つものがなくなったので、
コン吉とタヌは、かねて覚悟はしていたものの、あま
ドア
それでお前は天国へ行ってしまったのか。
りのことの次第に驚きあきれ、 しばらくは言葉もなく、
ひばり
そんなら神様と二人で 雲雀 でも撃って遊んでいるが
林の中をよろめき歩いていたが、
るものなら、一つ死んだ気で逃げ廻ってみようか!﹂と、
いい。
すると、一同はこれも手を打ちながら﹁いずれ後から
いうと、タヌは首を振って、
﹁あゝあ、これでギリギリ結着というところだ。今度と
追いつくだろう﹂と、追
句 を唱った。
﹁いや、それは無駄よ。たとえ世界中逃げ廻ったって、い
お前の敵は鉄砲持ちをするために、
族
長 は聖句も読みあげ、死人の 蹠 に油を塗り、柩の蓋
ずれやられるに違いないのよ。そんなら逃げ廻って苦し
いう今度は助かるまい。それともタヌ君、どうせやられ
をすると、六人のコルシカ人は柩をかつぎあげ、低い声
むだけ無駄ね﹂
いずれ後から追いつくだろう。
で鎮
魂歌 を合唱しながら墓
地 の方へ、夕星の瞬く丘の横
コン吉は天を仰いで長大息し、
レクエイム
カンポサンタ
レボレ
道をゆるゆるとのぼっていった。
﹁いや、そうと決まれば僕も日本男子だ。もう、じたば
カボラル
かかと
族
長 は柩が丘の向うに見えなくなるまで見送ってから
たするものか!
カボラル
二人に向い、
するがいい、立派にやられてみせてやろう!﹂
撃つのか突くのか、なんとでも勝手に
﹁コルシカ人を手にかけたものは、コルシカ人の復讐を
13
ルシカ人、しきりに自分の墓の草むしりをしている様子。
男の顔を見ると、ナントそれは、死んだはずの馬面のコ
近づいてゆきながら、その十字架の前にしゃがんでいる
の十字架。多分これがポピノの墓であろうと、その方へ
を作り、墓地にゆくと、そのはずれにま新しい一本の木
人の墓参りでもしようと、道ばたの野の花を集めて花束
はせめて息のあるうちに、自分等が手にかけたコルシカ
た。ああ、思いがけなく一日だけ助かったのか、それで
その夜は庭を歩き廻る足音ばかりで格別のこともなかっ
着換え、讃美歌を唄いながら、今か今かと待っていたが、
九、亡者潔癖にして己が墓の草むしり。清潔な下着に
り。
あとは互いに手をとり、感慨無量に瞳を見合わすばか
腎臓の薬にしていた黒山羊の乳は絞りあげてしまうワ、
んです。これは丸焼きにして喰ってしまうワ、年寄りの
きに、コルテの町まで飛ばしてやる大切な伝書鳩だった
てしまう。おまけにあの鳩は、村で急な病人ができたと
た、 賞牌 はどっかへすててしまう。鱒は酢をかけて喰っ
グラヴオネの河で釣りあげた自慢のもの、それを、あん
当人にとっては、命から二番目という品。姫鱒は 大将 が
射撃会で、部落の若いものがとった一等賞の記念。その
一体、あそこに飾ってあった 賞牌 ってのは、コルテ市の
年寄りなんか、がっかり力を落して滅入っているんです。
よりの楽しみ。 そこへあんた達が乗り込んで来たんだ、
煙草 を飲みながらしゃべり合うのが、この部落のなに
茶
ことになっていたんです。日曜日にはあそこへ集まって、
まあ、ずるずるべったりに、部落の共同の 倶楽部 という
ぶ
これは! と驚いた二人が、同音に、
あんた達の乱暴はなみたいていじゃないんだから、日ご
く ら
﹁あんたは!﹂
ろ我慢強い 大将 もカンカンに 怒 って、あんた達のところ
メダイユ
ちゃた ば こ
﹁君はあの馬面の⋮⋮﹂と、声をかけると、馬面はてれ
へどなり込んでいったんだが、コニャックを出されたり、
いか
おど
メダイユ
くさそうに掌をもみながら、語り出した。
お礼をいわれたりするんで、かえってほうほうの体で引
カボラル
﹁あの︵極楽荘︶はヴイコの町長の夏別荘だったんです
きさがって来たんです。そこで、 威 かしでもしたら立ち
カボラル
が、 この五年前からぶっつり来ないようになったので、
14
や
楽荘﹄の表札の横には、新たに、
タラノ村大集会所
のくだろうってんで 瘠 せた小僧に幽霊を一役やらせたと
ころが、いきなり下から火をつけられてめんくらって逃
おおやけど
来所大歓迎。
ぱぎ
げ出して来たんだが、こいつは 膨 っ脛 に大
火傷 をこしら
種々新設備あり。
ふくら
えて、今でもウンウンうなってる始末なんです。そこで
ザンク
という看板が掲げられた。部屋の片隅には、酒棚と番
台 メダイユ
オオ・ド・ヴィ
俺が虎になって出掛けたが、鉄砲を打ちかけられびっく
を作り、棚の上には火
酒 、コニャックの類が並べられ、鹿
ほこり
りしてひっくり返った拍子に、木の根っ子でひどく脇腹
の首は 埃 を払われ、賞
牌 は一つ一つ真鍮磨きで磨かれも
マッキ オ
をやられ、這うようにして、 雑木林 のそばまで行ったん
にしん
との場所におさまった。鱒は︱︱︱もう喰ってしまったも
くんせい
だが、そこで息が詰まってのびてしまった。あんた達と
のは仕様がない。それがあった場所には、 燻製 の鰊 が三
ポレンタ
ショポ ン パ ン
いう人は手にも足にも負えねえから、いよいよ最後の一
り
匹貼りつけられた。卓の上には 韮付焼麺麭 が山のように
い ろ
幕をやって、今度は驚くだろう、逃げ出すだろうと様子
盛られ、 囲炉裏 の大鍋には、サフランの花を入れた肉と
ラグウ
をうかがってると、夜なかまで小唄なんか歌って一向驚
菜 のごった煮が煮えあがって、たまらない匂いを村中
野
かゆ
く様子もないんだから、どこまで図々しいのかあきれて
に振りまいている。 玉蜀黍 の 粥 とこのラグウは、コルシ
かぶと
物がいわれない。もう芝居は種切れで、一同 兜 を脱ぎま
カ人ならば十里も先から嗅ぎつけて来るというほどの好
カボラル
した。 大将 なんざ、いい度胸だってんで感服してるんで
ザンク
とくり
物だ。
、
おおなべ
す﹂
タヌは 番台 の前で 徳利 の酒を出したり入れたりし、コ
スウルドリイス
一〇、コルシカ人の急所は大
鍋 の中に。翌日の午後、コ
ン吉は入口の踏み段に腰を掛け、 伊太利小笛 を吹いて 呼
ば
ン吉はコルテの町からさまざまな買物を 騾馬 の背に満載
び 込 みをしていた。
ろ
して帰って来た。それと同時に﹃極楽荘﹄の 内外 には大
やがて、小一時間ほどののち、まるで呪文で引き寄せ
うちそと
改革が行なわれた。入口にはヴェニス提灯が吊され﹃極
、
、
、
15
カボラル
な
が
さ
く
チョイ ナ・チョイ
ナ
Ana
ga
saku
,
ccioina-ccioina
!
モンテ・ドロ
諸君がもし折があって、コルシカ島の 金山 の麓を旅行
は
十六人の村中が、一人残らず﹃極楽荘﹄の門の前に集まっ
されるならば、はるかなる森蔭から、黒柳で 縁取 りした
られたもやし豆の兵隊のように、 族長 を先に立て、総員
て来、そこでもじもじと身動きしていたが、ごった煮は
深い谿谷の底から、今もなお優しい草津節を聞かれるで
ふちど
いよいよ 香 ばしく煮えあがる。コルクを抜く音はポンポ
あろう。 ccioina-ccioina
といって。
かん
ンと響く、そこでたまりかねたのであろう。お互いに 肱 ひじ
で前へ押し出し合いながら部屋の中へ入って来た。そし
ン
ショポ
て注がれた酒を黙って飲み、ごった煮と 韮麺麭 を腹一杯
ドア
るりそう
後註
に喰べると、われ勝ちに脱兎のように逃げ出した。
みね
コン吉とタヌが次の朝起きて見ると、 扉 の前にドロ山
﹁われ等はコルシカ人を尊敬す﹂は2段階大きな
の険しい 巓 に生えている輝やくばかりの見事な 瑠璃草 が
十六束置かれてあった。
文字
ど
は
お い で
ドッコ イ ショ
﹁種々新設備あり。﹂は1段階大きな文字
﹁来所大歓迎。﹂は1段階大きな文字
﹁タラノ村大集会所﹂は1段階大きな文字
ルビの﹁レクエイム﹂はママ
﹁朦朧たる﹂は底本では﹁朧朦たる﹂
一一、タラノ村の和楽、快心の合唱。村の集会は日曜日
かなつぼまなこ
毎に行なわれた。そして、酔いが廻ると、縮れ毛 金壺眼 の、鬼のような面相をしたコルシカ人どもは、大々愉快
よ い と こ
のうちに、タヌに伝授された﹃タラノ音頭﹄を合唱する
タ ラ ノ
のである。
ち
Tallano
, iitoco
い
icchido
docci-ccio
a oide
ド
ロ
み
ね に
も
Doro
のno
mine
nimo
底本:
「久生十蘭全集 Ⅵ」三一書房
1970(昭和 45)年 4 月 30 日第 1 版第 1 刷発行
1974(昭和 49)年 6 月 30 日第 1 版第 2 刷発行
初出:
「新青年」
1934(昭和 9)年 5 月号
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2009 年 10 月 26 日作成
青空文庫作成ファイル:
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