1 情報通信分野におけるコーポレート・ガバナンス -アン

情報通信分野におけるコーポレート・ガバナンス
-アンバンドル政策と通信事業者のブロードバンド投資に対する株主行動の日米比較-
早稲田大学大学院 アジア太平洋研究科
博士後期課程 2 年
光山 奈保子
1. 研究の背景
従来、情報通信経済学では、新古典派経済学と同様、通信事業者は単一の存在と見なさ
れてきた。
比較制度分析を初めとする新制度派経済学は、企業を単一の存在であると捉える従来の
新古典派経済学とは異なり、投資家、経営者、従業員などの関係者(ステークホルダー)
の 相 互 作 用 に よ っ て 運 営 さ れ る 組 織 と し て 企 業 を 捉 え る ( Aoki 2001 、 Milgrom &
Roberts1992 など)
。中でも比較制度分析は、主に投資家、経営者、及び従業員の三者の相
互作用関係(広義のコーポレート・ガバナンス)について、様々なパターンが可能であり
唯一絶対の形態と言えるものはないという立場から、国ごと、産業ごと或いは企業ごとの
差異に注目するアプローチである。
従来の米国型コーポレート・ガバナンスでは、株主志向の経営スタイルが採られ、企業
の目的は株主利益の最大化=株価の最大化であると考えられてきた。このタイプのガバナ
ンスでは、割引率や収益性の変化に反応して、株主が臨機応変に投資先を変更する傾向が
あり、短期的利益を志向するとされている。その結果、企業の投資は、短期的利益が見込
めるものに向くことになる。
一方、従来の日本型コーポレート・ガバナンスでは、株主と経営者の間における長期的
な信頼関係をベースに、通常時における戦略の策定は経営者に一任される。株主は、短期
的な視点による株式の売却は行わず、そのため、企業は、回収に長期間を要するような投
資を行うことが可能である。
このように、多様な形態があると考えられてきたコーポレート・ガバナンスも、経済の
グローバル化の影響を受け、近年では、各国において米国型とのハイブリッド化が進みつ
つあることが指摘されている(Aoki 2010, Aoki et al. 2007 など)。
電気通信産業では、1980 年代半ばから 1990 年代末にかけて、先進諸国を中心に、国営
電気通信事業者の民営化と市場の自由化が実施された。政府保有株式数や外国人による所
有制限の有無など、旧国営事業者のガバナンスに関わる制度は国によって多様である。ま
た、新規事業者は、完全な民間企業の場合もあれば、電力会社など公的性格の強い企業を
親会社に持つ場合もある。このような電気通信事業者のガバナンスの形態は、それぞれの
国におけるコーポレート・ガバナンスに関わる制度や慣習の影響を受けて発展してきてい
ると考えられる。
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電気通信事業者をコーポレート・ガバナンスの観点から分析した研究は、管見の限り非
常に数が少ない。これは、1980 年代半ばまで、ほとんどの国において国営事業者によって
独占的にサービスが提供されていたことが影響していると考えられる。
しかし、今日では、電気通信事業者のコーポレート・ガバナンスは、外国からの参入事
業者を除き、ハイブリッド化の進展度合いも含めて、当該国の特徴を備えている可能性が
高い。
コーポレート・ガバナンスの形態の違いによって、設備やイノベーションへの投資や市
場参入について電気通信事業者が選択戦略にも違いが生じることが想定される。また、同
様の規制に対して異なる反応を示し、ひいては、規制の効果に差異が生じる可能性も考え
られる。
例えば、一般に、ブロードバンドに対するアンバンドル規制には、既存事業者のネット
ワーク投資を妨げる効果があると考えられている(包括的な先行研究レビューとして
Cambini & Jiang 2009)
。実際に米国では、DSL に対するアンバンドル規制の導入後、既
存事業者の投資も新規事業者の参入も大きく進まず、結果的に規制は撤回された。他方、
日本では、ADSL や FTTH に対してアンバンドル規制が導入された後も、NTT 地域会社に
よるネットワーク投資が継続され、かつ、競争も活発化した。ブロードバンド・ネットワ
ークの投資は膨大な金額に上り、短期間では回収は困難である。投資の決定に当たって、
日米両国において既存事業者の利害関係者の一角をなす投資家(株主)の意向がいかに反
映されているか、すなわちコーポレート・ガバナンスの形態がいかに影響しているかを明
らかにすることには、大きな意義があると考えられる。
日米英で先行して自由化や民営化が実施されてから 30 年近くが経過した現在、このよう
に、既存・新規電気通信事業者のコーポレート・ガバナンスを分析することは、電気通信
/情報通信分野における規制の効果の国ごとの差異を考察する上で、非常に有益であろう。
2. 研究の目的
本研究では、国や事業者によるコーポレート・ガバナンスの差異の有無を明らかにする
ことを目的とする。特に、日米両国における、ブロードバンドに対するアンバンドル規制
や、関連する事業者の戦略の決定に対する、株式市場の反応に注目する。
3. 先行研究
電気通信産業における規制・政策の変化に対する株式市場の反応を扱った研究として、
Bittlingmayer and Hazlett (2002)が挙げられる。この研究では、ブロードバンドの普及に
影響する規制の例としてトージン=ディンジェル法案(Tauzin-Dingell proposal)1と 1996
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データ通信において、ベル電話会社にエンド・ツー・エンド・サービスの提供を認めるこ
とを提案。本法案は、両院とも通過しなかった。
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年通信法セクション 2712を取り上げ、両規制による既存事業者や競争事業者の株価への影
響について、イベント・スタディを適用した先行研究に言及しつつ、分析を行っている。
このほか、航空産業、水道事業、電力産業等のネットワーク産業における、規制や政策
の株価への影響を論じた分析が存在する(Sawkins 1995、Dnes et al. 1998、Dnes & Seaton
1999 など)。
これらの研究は、米国または英国 1 ヶ国を対象としている。日本を始めとする非アング
ロ・サクソン諸国については英語による研究は非常に数が少なく、本研究によって類似の
規制に対する株式市場の反応について日米を比較することで、既存の研究で十分にカバー
されていなかった部分を明らかにすることができると考えられる。
4. 分析枠組み
規制/政策、業績発表等が株式市場や個別の企業の株価に与える影響を分析する際、一
般にイベント・スタディという手法が利用されることが多い。株価とは、
「将来にわたる配
当流列の割引現在価値の総和」、すなわち、債権者への負債返済等、「すべての支払いを終
えた後に残る『残余利益』
」であり、企業価値全体の変化が残余利益の変化として顕著に表
れる可能性が高い、と考えられる(柳川・広瀬 2012:57-58)
。
イベント・スタディでは、規制/政策の実施や業績発表といったイベントが起きた当日
または翌日までの間の株価の変動から、イベントがない場合に発生したと想定される「正
常リターン」を除いた「異常リターン」の規模によって、イベントによる影響を計測する
(Campbell et al. 1997)
。正常リターンの計算には何種類かの方法があるが、本研究では、
TOPIX 等の市場ポートフォリオのリターンに関連付ける、マーケット・モデルと呼ばれる
方法を採用する。
また、イベントとして、ブロードバンドに対するアンバンドル規制に関する規制機関/
政府での検討状況や政策導入に関する報道発表、政策の実施、及び競争事業者による参入
判断の発表及び参入を想定し、それぞれについてイベント・ウィンドウ、推定ウィンドウ
及びイベント後ウィンドウを設定して、既存事業者及び競争事業者の株価の異常リターン
の大きさを計測する。
5. 今後の予定
今後、上述の分析枠組みにしたがって、ブロードバンドに対するアンバンドル規制によ
る日米両国の既存及び競争事業者の株価への影響について、実証分析を行う予定である。
本拠地とする市場において競争が十分に進展していると FCC 及び州規制機関が判断した
場合、ベル地域会社は、自社市場内において LATA 間通信を提供することができる、と規
定。
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【参考文献】
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澤
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