―3 月 13 日週刊読書人― 「日中間海底ケーブルの戦後史」 国交正常化後の貴重な記録 新納 康彦 バーティ・エアテル・ジャパン代表取締役 元 KDD 海底ケーブルシステム会社社長 日本と中国は、今から約40年前の1972年に日中共同声明に調印しようやく終 戦を迎えました。 戦後の日中間の国際通信は、貧弱な短波無線2回線で細々とつなが っていたにすぎなかったのです。日中国交正常化により通信の改善のため海底ケーブル の建設が計画されました。当時、私は30才代で KDD 入社後海底ケーブルの研究を行 っていた亀田研究室の一員として、日中間海底ケーブルに採用された CS-5M 方式の端 局設備の開発を担当していました。海底ケーブルの教科書は、アメリカのベル研究所の BSTJ で辞書片手に必死に勉強していたことが思い出されます。 1976年、日中間海底ケーブルの敷設が行われました。中国、上海の陸揚げ局の 試験要員として中国に初めて海外出張しました。陸揚げ局では一か月にわたり局に寝泊 まりして中国の人々と一緒に仕事をしました。中国の人々はみんな親切で何でも協力し てくれました。初めての海外出張は見るものすべてが斬新であり、楽しい毎日でした。 陸揚げ局は揚子江に近く水は赤茶色で白い下着は洗濯のたびに赤茶色に染まってしま いました。陸揚げ局の周辺は一面桃の木畑で静かで平和な農村でした。しかし、外出す ると、いつのまにか党員と思われる人が横にいました。 週末には、中国側の配慮で高級車「上海」-と言っても窓ガラスは隙間だらけでし たーで上海のホテルへ行くのが楽しみでした。上海では外出が許され上海デパートへ買 い物に行きました、われわれの色物のシャツが珍しかったのか人民服の大勢の中国人に 囲まれ異様な感じでした。上海の町は自転車ばかりで車はほとんど走ってなく町全体が 人民服の灰色でした。 当時は、無我夢中で設備の試験を担当しており、日本と中国との間でどのようにし て海底ケーブルの建設が計画されたのか、どのような議論が行われたのかなど全く分か りませんでした。本書を読んで改めて当時のことが思い出され、断片的であった記憶が つなぎ合わされました。 本書の目次は次の通りです。 プロローグ 日中間通信の幕開け/ 1 建設前の日中間交渉/ 3 「終戦」の合意から日中初の共同事業へ/ 2 海底ケーブル建設工事/ 4 1 ケーブルの開通から断線まで / 5 復旧への長い道のり/ 6 グローバル通信の時代へ/ エピローグ 日本の技術 的成果と中国の政治的意義 本書は、日中間海底ケーブルの建設の歴史を 4 年以上にわたり失われつつある資料 を丹念に調査し、両国の当時の関係者のインタビューを行ってまとめた力作です。特に 筆者は中国語が堪能であり当時の中国の関係者の生の声の記録は貴重です。多くの日中 の関係者から「この事業は日中友好の成果であった」ことを繰り返し聞いており、現在 の軋みのある日中の関係の中で特に感銘を受けています。本書は日中間の通信インフラ の記録のみでなく、国際通信の業務、技術に関すること、国際海底ケーブルの計画から 敷設までの技術、業務について幅広く網羅しています。また普通書かれることのないプ ロジェクトの失敗談について、なぜ運用停止という最悪事態になったのか、その時中国 側の対応はどうだったかなど、貴重な記録となっています。さらに豊富な注意書きや参 考文献が載せられており、この分野の研究のヒントを得るための資料としても貴重です。 2
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