10月号に、連載記事"マルティネルの街角で" (葦原弁理士著)

Vol.22 迷わず、進もう!
今でこそ仕事の大半は英語の筆者だが、大学生時代は英
語を使う日がくるなんて、夢にも思わなかった。
前日にラジオだの本だので覚えた表現を、あたかも昔から
知っているようなフリをして使ってみる。
受験英語は得意だったが、そもそも英語は嫌いだったし
試験も受からず、うだつも上がらず、さすがにワラジは
(今でも実は好きではない)
、大学に入ってからはフランス語
一足にしようと決めたころ、とある地区の主任講師になら
ばかりやっていたから、卒業するころには「picture」とい
ないかと学校本部からオファーをいただいた。
う単語すら思い出せないひどさ。それにもかかわらず、最
英会話学校といったって、とどのつまりは会社だ。主任
初の就職先となったフランス大使館に出した履歴書は、堂々
の役割は「利益を上げる」ことに他ならない。候補校の
とウソを書いた。
「フランス語も英語もできます」
(よく書い
マネージャー K女史は、筆者より 10 歳も若かったが、首
都圏一厳しいと評判の人だった。
たなぁ、と今では思うが……)
。
英語なんか使うはずないとタ
そもそも英語自体に自信がない
カをくくっていたから、イギリス
し、そんな鬼マネージャーの下で業
のジャーナリストからの電話に
績を挙げることなんてできるだろう
はおののいた。
か。本部の支部長と呼ばれる人と、
やるのやらないのと2~3時間議論
「あのー、すみません。ここっ
したが、ラチが明かず。
「会うだけ
て英語も使うんでしょうか」
会ってみましょう」と、その日のう
「うん、広報だからね」
「……」
ちにK女史と会うことになった。
NHK ラジオ英会話を聞き始め
た。毎日こつこつスキットを覚え
長い髪を引っ詰めにしたK女
ては、縫いぐるみ相手にしゃべっ
史は、きりっとした目で筆者を見
てみる。が、その英語が通じるか
詰め言い放った。
「エミ先生、この仕事は実は誰に
なんて全く分からず……。
「やっぱ、英語ってできたほう
でもできます。要はあなたがやりた
がいいよな。でも、お金をかける
いか、やりたくないか、それだけで
のはヤダし……」
す! あなた、やりたいですか?」
ある日、とある英会話学校非常
初めて会って5分もたたない
勤講師の求人が目についた。
「カ
うちに筆者は決めた。
「あなたに
ネもらって英語の勉強、一石二鳥
ついていきますっ!」
じゃん!」
そのころには、最初の職場を離
れて家業を手伝いつつ、隠れ司法
試験受験生をしてたが「二足、三足のワラジ、大いに履い
てみましょう」と応募してみた。
ⓒEmi
諸事情でこのコンビがそう長く
続くことはなかったのだが、顧客
満足度は見事に上がり、コンビ解
消まで素晴らしい売り上げ成績を挙げていくことになる。
何かを始めるときに、できるか否かなんて憂いは不要な
「無謀だよね」と友人には呆れられたが、なんと受かっ
のだ。
「やりたい!」という意欲があれば、大抵のことは
てしまった! しかし、それからは毎日が冷や汗だった。
どうにかなる。こんな時代を経て、あれやこれやと別業界
他の講師たちは留学経験者や帰国子女や英語のネー
ティブ。こっちは、ラジオ英会話。生徒は「先生=
辞書」と思って容赦なく質問してくるし、教室
内は日本語禁止(先生が禁は破れんだろう)
。
への転職を続け、弁理士になるまでにはさらに数年を
要するが、いつもこれだけを思っていたように思う。
「本当にやりたければ迷わず進もう! そう
すればきっとできるのだ」と。
2015 No.10 The lnvention 63