子どもの育ちの理解と保育の質

平成 24 年度 第2回共同機構研修会
京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
共同機構研修会
子どもの育ちの理解と保育の質
講師
1.保育の質をめぐって
大宮 勇雄
福島大学教授
撃している,けんかしている,このような状態を
保育の質という言葉があちこちで使われるよ
バックグランドアンガーといいます。本人は直接
うになりました。しかし,保育の質とは何かはど
関係していないけれど,そのバックグランドアン
こにも書かれていないのです。言葉が定義されず,
ガーによってその子の攻撃性が増すという研究
具体的な意味合いとして使われていません。色々
です。そのように考えると,人数が増えるとバッ
な意味が含まれています。保育の質は,この50
クグランドアンガーは増すのでそのことがクラ
年ぐらいの間で実践や研究の積み重ねの中で生
スを落ち着かなくさせると考えられます。比率は
まれてきた言葉です。保育の質といわれるように
一緒でもクラスの人数が増えると,先生と子ども
なったのはなぜなのかを知って,使うべきではな
の一対一の関わりは減り,全体に対する指示や禁
いかと思います。
止が増えるという傾向にあります。一対一の関わ
アメリカの研究者は,保育の質について,3つ
りこそ子どもの言葉や子どもの落ち着きを広げ
あげています。一つはプロセスの質です。プロセ
ていくのです。細かくなりましたが,このような
スの質とは直接子どもの成長に影響するような,
研究を踏まえて,保育者と子どもの関係や保育者
日々の保育の中で起こっていることです。プロセ
の経験が大きく関わってくるので,一概には言え
スの質の中で大事なことは,保育者(大人)と子
ませんが,3歳児は15人以下がよいとされてい
どもとの関係が大事であるということです。保育
ます。
の内容は様々多様であってよいが,日々の先生と
そこにいる保育者(大人)に関わる一番大切な
子どものやり取りのようなものは,子どもの成長
条件は,比率,クラスの人数の上限,保育者の資
にはとても大事なものだということです。プロセ
格の3つだということです。
スの質だけを言えば,保育者の責任で保育の質は
保育の条件をよくすることが,実はプロセスの
変わることになります。
質をよくするために最も確かな方法といわれて
その質を支えるために大切なものが,2番目の
います。
構造の質です。保育の条件とも言えます。構造の
3番目の保育の質は,労働環境の質です。そこ
質には,比率,クラスの人数の上限,保育者の資
で働いている人たちにとってその職場環境など
格があります。この中でもっとも大事なことは,
はどのようなものか・・・内容は色々ありますが,
比率です。保育者一人に対する子どもの数,次に
保育者の処遇はどんなものかもその一つです。処
大切なのは,クラスの人数の上限,たとえば,6
遇といえば給与なども関係しますが,それよりも
人の子どもに保育者が1人いるのと,30人の子
いかにやりがいを感じているかです。逆に言うと
どもに対して保育者が5人いるのと比率は一緒
ストレスが多くないかということです。自分がこ
ですが,クラスの人数は違います。人数が多くな
ういう保育をしたいと意見を出せるのかや,保育
ると子どもは落ち着かなくなる傾向があります。
のあり方に一人ひとりの保育者の意見は反映さ
アメリカでこんな研究があります。日本でそのま
れているのかです。保育者の離職率が高い国は,
ま当てはまるかどうかは分かりませんが,3歳児
総じてプロセスの質にも問題がある場合が多い
のクラスで周囲の他の人が誰かを怒っている,攻
といわれています。
1
保育の質のすべてが,プロセスの質ではないこ
なことを毎日毎日繰り返して,わくわくして園
とを理解いただいたうえで,プロセスの質につい
(所に)やって来ること・・・そういう時間そのも
て考えていきたいと思います。
のに意味があるのです。その結果何ができるかは
保育の質とは何かをはっきりさせないで,保育
子どもによって違うけれど,そうした時間は必ず
の質の向上はありえないと思います。自己評価を
その後の人生にとって大きな意味を持つものに
するようになってきましたが,保育の質とは何か
なります。保育所保育針指の中には,今を最もよ
を捉えていないと評価はできません。自分が納得
く生きることが確かな未来につながるといった
できるような保育の質の捉え方を持つことが大
趣旨の文章があります。前倒しで何かをさせるの
きな課題です。保育の質とは何かよりもハウツー
ではなく,今を充実させること,今を安心して熱
になってしまっていることが多いと思います。誰
中できるようにすることが大切です。今を最もよ
のため,何のために評価しているのか,自分は主
く生きようとする保育が未来を形づくるという
観的に頑張っている,しかし,客観的に見たとき
ことがプロセスの質の考え方です。
どうなのかというときどう評価するのかです。だ
熱中とか安心というのはどんなことか大人を
から,自分一人ではなく,みんなで考えて保育の
例にとって考えてみましょう。安心して,熱中し
質は何かを捉えていく,自分の言葉で捉えること
て働ける職場とはどのようなところでしょう。そ
が大切です。
れは,自分が理解されている職場ではないでしょ
子どもの成長とは,何が成長なのかは難しいと
うか。子どもも一緒だと思います。先生は僕のこ
ころです。結果の質とプロセスの質についてお話
とを分かってくれているという実感があったら,
します。少し前は,保育の質は小学校に行ってか
安心して日々を生活でき,やりたいことを見つけ
らの成績で測っていました。小学校へ行って子ど
られるし,また先生もやってみたらと環境を用意
もたちがどのくらいの成績を収めたのかが保育
してくれるでしょう。どの子もどんな子も理解さ
の質だといわれていました。近頃はそれについて
れているという実感があることが大切です。その
疑問が持たれるようになりました。小学校の成績
子を肯定的に見ていたら,その子にとっては,理
や,何かができることはそんなに大事なことでし
解されていると感じるのではないでしょうか。先
ょうか。小学校の成績がよかったからといって将
生のそうした思いは様々な場面で言葉として,態
来優れた人間になるというデータはありません。
度として,子ども達に伝わっていきます。
それ以上に大切なことがあります。意欲です。乳
子どもが愛らしく,好ましく,頼もしく見える
幼児期に育つ,友達と共に何かをやろうとする姿
こと,つまりその子の大きな可能性が見えること
勢,自分から学ぼうとする意欲が大切です。小さ
=保育の質だといえます。保育の質がいいという
いときに受けた保育によって子どもの人生が変
のはどの子も,どんな子にもそういう思いが持て
るほど大きな違いがあるという研究があります
ていることだと思います。
が、その結論は,友達と共に何かをやろうとする
次に,アメリカの期待効果の研究です。今後そ
姿勢,自分から学ぼうとする意欲がその人生に大
の子がどのくらい伸びるかという検査をするこ
きく影響することがわかったのです。だから,
とになり,伸びる可能性があるといわれた子ども
日々の保育のプロセスが大事なのです。子どもた
は1年後に,非常に伸びていたという報告があり
ちが経験していること,生活経験の質そのものを
ます。大人の期待が子どもを成長させていく,実
測った方がよいと思います。
現していくということです。どうして,そのよう
日々の子どもたちの経験というと漠然として
なことが起こるかといえば,その子と先生のやり
しまいますが,つまり,子どもたちが安心したり,
取りやヒントを与える時間が,期待しない子より
熱中したりしていることです。安心して笑顔で毎
長くなり,学ぶ機会(チャンス)が増えるからで
日幼稚園や保育園(所)にやって来ること,好き
す。自己評価の低い子は諦めが早い,子どもにと
2
っては周りの大人が思っていることで自分はそ
欲を持って学ぶ力だといえます。意欲を持って学
うなのだと思ってしまうからです。実力があるか
ぶことが本当の力です。意欲を持って学ぶことは
ら先生は期待するというのではなく,実力は客観
諦めないことでもあります。
的には測れないが,周りの大人がその子に何を見
意欲は幼児期に育ちます。では意欲って何か,
るかで変っていくもので,実力と期待効果を区別
意欲は子どものどんな姿なのかがポイントです。
するのは難しいことです。
キャロルドエッグの研究から,できるという結
先生と子どものかかわりの中に先生がその子
果・行動を目指すのは結果志向,できるかも知れ
をどう見ているのかが表れ,かかわり方が変って
ないが結果は考えずやること自体が面白いとい
くるのです。それが子どもの学ぶ機会や成長にか
う学び志向があります。学ぶ意欲は,難しいこと
かわってきます。保育の質は先生と子どもの関係
分からないことに取り組むことですから,困難に
の質といわれます。
粘り強く立ち向かうことといえます。大事なポイ
2.子どもをどのように理解するか
ントはできることではなく,取り組むことです。
では,どう子どもを見ればいいのかです。
ほかの子と比べずその子にとって難しいことに
さて,どんなときに子どもが否定的に見えるの
取り組むことが学びの芽生えです。大人の評価的
かです。みんなと同じようにできないとき,その
対応が結果志向を作り出します。結果志向と学び
子の行動の意味が分からないときです。それは,
志向は4歳くらいでどうして分かれるのでしょ
私達が望む子どもの姿,どんな人間に育てるかと
うか。父母が結果で評価すると子どもはできない
いうところで変ってきます。
こと,失敗することは悪いことだと思ってしまし
事例①
ます。だからできないことを避けようとします。
お迎えが早いようくんが家で作ってきたおも
学び志向の子どもはできないことが面白い。結果
ちゃを引きちぎり罵倒するかいくんのエピソー
も大切ですが,学ぶということから考えると,結
ドです。かいくんはお迎えがいつも遅く,自分で
果にしばられると学ぶことにならないときがあ
自分を抑えられないところもありますが,今まで
ります。
かなり抑えてきたことが分かります。早迎えの子
意欲を持って学ぶ力を学力とすると,難しいこ
はいいなと思いながらも,そんなことは今まで一
とや,分からないことにチャレンジする意欲は乳
度も口に出していません。勝手気ままに振舞って
幼児期に育つので,どうやって学び志向の子を保
いるのではなく,お母さんや一緒に遅くまで残っ
育園(所)や幼稚園で育てるのかです。ニュージ
ている仲間のことも考えています。しかし,その
ーランドの話ですが,学び志向の子どもジェイソ
時の行動だけでは分からない,かいくんをよく見
ンの例です。マーブルペインティング(箱の中で
ないと分かりません。子どもが大人と共に生きよ
絵の具のついたビー玉を転がす遊び)をしようと
うとしているからです。かいくんをどう見て何を
思ったジェイソンは,自分で箱を作ろうとしまし
読み取るかはずいぶんと幅があります。
た。箱の側面を切ってしまったので,ビー玉が落
私たちがどんな人間を育てようとしているの
ちてしまいました。色々工夫し,あきらめずに試
かに戻って考えてみましょう。学力が大事といわ
行錯誤しました。しかし,ジェイソンみたいな子
れますが,学力って何でしょう。点数でしょうか。
どもがいたら,保育者はどうしますか。認められ
私たちは子どもに周りから信頼される人になっ
ますか。ジェイソンの視点からすると難しいこと
てほしいと思います。どんな人が信頼されるので
に立ち向かっている,保育者から見ると,その辺
しょう。答えの分からない問題にぶつかったとき,
を汚している,できていないという見方になって
頼りになる人は,人任せにせず,自分で答えを見
しまいかねません。学び志向の子どもには結果が
つけようとする人,自ら学ぼうとする人ではない
伴わないことが多いので,保育者から見るとわけ
でしょうか。自ら学ぶことは意欲です。学力は意
が分からないことをしているように見えます。
3
1.学び志向の子どもは色々なことに関心を持つ。
育をどうするのかのための記録です。まとまった
学ぶ意欲の始まりは,色々なことに関心を持
実践報告でなくてよいのです。記録を取る子ども
つこと。
は否定的に見てしまう子,行動の意味が分からな
2.関心を持ったことに熱中すること。集中した
い子にしてみるといいかも知れません。
り繰り返したりすると,集中したものに対し,
深く学ぶことができる。
事例②「やっぱりドライバーのほうができた
ね」
3.関心や熱中の後にチャレンジが始まる。誰も
いつもはふらふらしているこうたが,排水溝の
やったことがないことをやってみたりする。
蓋をはずそうとしている園長の仕事に関心を持
4.熱中やチャレンジが生まれてくると他の子ど
ってきた。金槌を使っていた園長にドライバーが
もとコミュニケーションも活発になってく
いいといい,結局は園長とこうたで排水溝を空け
る。コミュニケーションが活発になると友達
たというエピソードです。
に教えたりすることも増える。
園長は,記録を取ることでこうたを見直せまし
5.教えるようになると相手の立場を考えて何か
た。こうたの関心が分かり,熱中してきたものが
をしようとするようになる。
分かり,チャレンジする姿も分かりました。今ま
関心・熱中・チャレンジ・コミュニケーション・
でこうたは遊べないと思っていたので,他の子の
相手の立場に立つ,この5つが私たちが育てたい
遊びに誘うことを考えてきたが,これからは,こ
子どもの姿です。この育てたい姿が育っているこ
うたの関心があることの環境を整えていこうと
とに気付く,子どもの可能性を見ることが,子ど
思えました。この記録のポイントは 1 行目,一人
もたちを理解するということになり,子どもの育
でやって来たこうたをどう見るかです。ふらふら
ちを捉えるということになります。
と来たと見るのか,興味を持って来たと見るのか
3.学びの物語で何が起こるか
です。先生から見てその子の可能性が見えてくる
ニュージーランドのマーガレット・カーが開発
と,その可能性にあった場を作ろうとする,その
した,子どもの成長の捉え方の視点をラーニング
子にとっては,自分の可能性を生かせる場ができ
ストーリー「学びの物語」といいます。
たということです。
学びの物語は
事例③
1.できる,できないで見ない。その子どもの側
たけのこに興味を持ったまことの事例です。関
から見る。
心・熱中が学びにつながっていきます。記録1で,
2.その子の姿を 5 つの視点で読み取ろうとする。
ということです。
毎日たけのこ堀りをするまことの発見が記録3
の粘土でたけのこを作る姿につながっていきま
記録は継続して,簡単なものでよいので,デジ
した。子どもの遊びには,学びの芽があります。
カメで写真を撮っておくのもよいと思います。そ
子どもの関心が熱中に変って,学びにつながって
うして記録したものを振り返って読んで,5つの
いくと何かが生まれます。
視点からその行動の中にどんな学びがあるのか
このような事例の中での子どもの姿は保育園
を捉えていくことが大事です。今までの記録も子
(所)・幼稚園で沢山見られます。つまり意欲を
どもの視点に立って読み返すと違ってくると思
持って学ぶ力を育てる,そうした姿は遊びや生活
います。しかし,子どもの視点に立つということ
の中で沢山見られるということです。
はとても難しいことです。ですから,話し合いを
事例④「メダカだからダメなんだよね?」
することが大切です。一つの記録をみんなで読み
福島の附属幼稚園で飼っていたメダカを餌に
合ってその子の行動はどんな意味があるのかを
してどじょうを釣ろうとした子どもたちの事例
話してみると,まったく違う姿が見えてきます。
です。大人のようにやってみたいという子どもた
次はどうするかですが,学びの物語は明日の保
ちの思いと,「このメダカを餌にしてはダメ」と
4
いう先生,難しい命の重さを子どもたちなりに考
えています。附属幼稚園の先生は,これまではカ
リキュラムにある活動をどう展開していくかを
考えていたが,学びの物語の視点でその子一人ひ
とりの行動の中にどんな学びや成長があるのか
を見てみると,活動としては成功していないが,
一人ひとりの中に色々な学びがあって,むしろで
きない姿の中に子どもの思いや学びがあること
に気付いたといいます。
4.これからの保育を考える
見方を変えたら否定的に見えていた子どもの
捉え方が変りました。子どもの理解の仕方が変る
と見え方が変ります。可能性が見えてその子に合
った保育ができます。今まで結果に偏った評価を
していたことを学びで評価するとよいと思いま
す。保育者の専門性は一人ひとりの子どもの可能
性が見えることだと思います。保育者の経験・話
し合い・職員集団としての育ちなどが大切で,一
朝一夕にはできず,続けていくことが大切です。
共同機構研修会第 2 回
平成 24 年 5 月 21 日
於:京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
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