「『日本石炭産業関連資料コレクション』:目録データベースの公開と今後の課題」 杉山 伸也 The catalogue database of the Japanese Coal Industry Collection 1 (1)What happens to the archives of a coal mine after its closure? 閉山とともに、石炭企業の本社および現場の鉱業所、労働組合・職員組合に残された資料は、図書館 や博物館が閉鎖を前にあらかじめ資料の所有機関と、譲渡あるいは寄託などの形態での受入の約束を明 確にしておかないかぎり、体系的に残された大部分の資料は廃棄処分あるいは自然散失してしまう。石 炭企業が本社あるいは系列会社に吸収、合併される場合でも、閉山以降の資料の保存については明確に なっていないことが多く、中小炭鉱の場合には、ほとんどの資料が廃棄処分にされ、研究のために保存 されることはほとんどない。炭鉱の場合、ガス爆発の危険性が高く、閉山と同時に、通常、坑口をコン クリートで密閉し、水を注入してしまうために、とくに鉱業所関係の資料は坑内に投げ入れられ、廃棄 されてしまうことも多いといわれる。 (2)Features of the collection <石炭ビデオ・日本語版ナレーション> 「日本石炭産業関連資料コレクションは、北海道の主要炭鉱を中心に、昭和初期から、平成の石炭産 業終焉に至るまでの、石炭産業史研究に不可欠な、大手企業の内部資料・労働組合関係資料・技術保安 関連資料・政府関連資料など、幅広い資料を体系だて、時系列的に整理統合した、石炭産業を実証的に 検証できる、価値あるコレクションです。 従来、石炭産業に関する研究は、時期的には明治・大正期、地域的には九州地区が中心で、特に、北 海道地区は日本を代表する産炭地でありながら、限定的な研究にとどまってきました。はたして、石炭 産業史研究において、北海道地区、そして、昭和前期・後期、平成は着目に値しない研究テーマだった のでしょうか? わが国の主要炭田は、北海道の石狩炭田、釧路炭田、本州東部の常磐炭田、本州西部の宇部炭田、九 州の三池炭田、筑豊炭田、高島炭田などがあげられます。その中にあって、北海道地区は、わが国のお よそ 50%を占める埋蔵量を誇っています。石炭の生産量は 1960 年代以降、北海道地区が三池・筑豊地 区を上回り、1960 年代半ばにピークを迎えます。そして、1970 年代半ばには、出炭量のシェアは全国 の 6 割を占めるまでとなったのです。この様に、北海道地区は、名実共に日本を代表する、産炭地と言 えます。 次に、昭和初期から平成の石炭産業終焉に至るまでの、主な出来事を追ってみましょう。1937 年日 中戦争勃発、政府は、石炭を国防上必要な重要産業の1つとして位置付け、「石炭増産 5 ヵ年計画」に 着手することになりました。1940 年、1941 年には、出炭量が 5,600 万トンを越え、最盛期を迎えます。 1945 年、太平洋戦争終戦。国内の産業は疲弊し、石炭鉱業もその出炭量は、最盛期の半分以下にま で落ち込みます。この事態を打開するため政府は、石炭および鉄鋼を重点的に増産する「傾斜生産方式」 を採用します。戦後占領下の対日政策の変化に伴う、「統制経済」から「自由経済」への流れの中で、 政府による石炭産業保護が見直されるようになります。1961 年、石油輸入自由化の繰り上げ実施が決 まり、石炭危機が決定的となりました。1963 年、この危機的状況を打破するため、第一次石炭政策が 実施されます。石炭産業界は生き残りをかけ、スクラップアンドビルドの動きが強まります。しかし、 決定的な解決策には至らず、第2次、3次と次々に石炭政策が実施され、最終的には 1992 年のポスト 第8次石炭政策まで続きます。 そして 2002 年、北海道の太平洋炭鉱が閉山。日本の近代化と戦後の復興を一手に担った炭鉱は事実 上、その姿を消すことになったのです。こうしてみますと、北海道地区そして、昭和前期から平成期は、 着目すべきテーマがないどころか、石炭鉱業史及び、近代産業史を研究する上で重要なターニングポイ ントであったと考えられます。 では、なぜ、これらの研究が行われてこなかったのでしょうか?それは、史料の所蔵状況と蓄積に制 約や障害があったからなのです。九州の石炭産業については、九州大学石炭研究資料センターに豊富な 資料があり、利用も可能ですが、一部、未整理資料も残っています。 北海道の石炭産業については、大手企業の資料を包括的に保存するには制約が大きく、個人的努力に 任されていました。しかし大量の資料を収集・保存するのは非常に困難で、資料は点在してしまい、そ の結果、未整理資料やアクセス困難な状況が生み出されてしまいました。特に、戦後は北海道地区に限 らず、史料的制約のため、政策史・労働組合運動が研究の中心で、石炭産業の横断的・体系的な研究は むしろ、行えなかったのが実情です。このように、石炭産業史が限定的な研究に留っていたのは、こう した理由によるものだったのです。 「日本石炭産業関連資料コレクションは、北海道の主要炭鉱を中心に、昭和初期から、平成の石炭産 業終焉に至るまでの、石炭産業史研究に不可欠な、大手企業の内部資料・労働組合関係資料・技術保安 関連資料・政府関連資料など、幅広い資料を体系だて、時系列的に整理統合した、石炭産業を実証的に 検証できる、価値あるコレクションです。 その内容は、北海道炭礦汽船、三井、三菱、住友、太平洋炭鉱など北海道の大手炭鉱内部資料、労働 組合関係資料、技術保安関係資料、および、日本石炭協会・石炭鉱業審議会などの政策関連資料など、 研究には欠かせない、幅広い分野を網羅したラインナップです。 資料の総点数は、12000 点にも上る膨大なボリューム。タイプ別にドキュメント、図書、雑誌、新聞、 マイクロフィルム、録音テープ・ビデオ、写真、野帳、巻物図面、個人情報に分類されています。そし て、この膨大な資料にアクセスするのが「目録データベース」です。 「キーワード検索」 「各種複合検索」 を備え、グラフィカルなユーザー・インタフェースで、必要な情報に瞬時にアクセスできます。 (3)Compiling the catalogue database 入手した資料は、それぞれの鉱業所、労組・職組、団体が各々の方法にしたがってさまざまな形態で ファイリングをしているために、目録データ作成を開始する前段階で、データベースの作成方法の基準 を決めるのに時間を要した。とくにファイルとして綴じられている資料は、 「議事録」 「大会資料」など 一般的なタイトル名がつけられており、かならずしも内容を反映していないことが多かった。 書誌目録の作成に際しては、最初から Web での検索を可能にすることを前提に考えていたので、た んなる資料目録の作成ではなく、資料1点1点について項目ごとの詳細な内容目録を作成した。書誌目 録の作成には 3 名のフルタイムと 2 名のパートタイムの計 5 名のスタッフからなるチームをつくり、と りあえず Excel を使って、仮番号で入力し、最終的には炭鉱別にソートした書誌データを作成した。完 成までに約1年半を要した。 資料の状態はさまざまであるため、図書・雑誌を別にし、新聞などコピー以外の資料は中性紙の封筒 に入れた。また、状態が悪くかつ重要と思われる資料や、ユーザにとって有用な統計類などの資料につ いては、デジタル化をすすめている。 (4)What we attempted and are attempting 慶應でのデータベース作成の経験を、他機関の所蔵資料の目録データベースの作成に応用し、より容 易に目録の作成ができないかという視点から、日本語の音声認識による汎用的なソフトウェアの開発も 試みた。まず、石炭産業に関する十分な知識がなくても書誌データベースの作成ができるように、通常 の商用の音声認識ソフトに、石炭用語辞典などから専門用語を組み込み、学習機能を利用して精度を上 げた。実験結果は良好であったが、研究助成金の予算的な問題もあり、実質的な稼働にはいたらなかっ た。 2 研究の展望:デジタル・アーカイブの開発 (1) 「石炭コレクション写真データベース」の構築 (http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/coal_photo_tbl.php) (2)3DCGによる昭和 40 年代の夕張本町商店街の復元 (http://yubari.dmc.keio.ac.jp/index.html) 2005 年度には、慶應義塾大学デジタルメディア研究統合機構(DMC)のプロジェクトとして、3 次元コンピュータ・グラフィックスによる昭和 40 年代の夕張本町商店街の復元に取り組んだ。石炭産 業の衰退により北海道石炭業の中心的存在であった夕張市の人口は、1955 年最盛時の 117,000 人から、 50 年後の 2005 年には 13,500 人に減少した。このプロジェクトの目的は、最先端の 3 次元 CG 技術を 利用して、炭鉱閉山後に急速に消滅してしまった昭和 40 年代の炭鉱地域の景観をビジュアル化し、XVL プレーヤーによりユーザが自由にウォークスルー可能な形態で復元して、Web 上で公開するとともに、 歴史資料として保存することである。復元に際しては、空中写真と標高データから得られる地勢図を利 用して地形の再現を行ない、夕張市や個人の写真家の協力を得て、当時の写真および地図類等を利用し て商店の位置を確定し、建物の復元作業を行なった。さらに、当時夕張市に居住していた人々や商店街 の関係者を中心にインタビューを実施し、オラル・ヒストリーとして当時の生活の記憶を収集し、再現 された街並みに埋め込んだ。これにより視覚・聴覚双方を通して、ディスプレイ上で最大限の歴史的リ アリティーの再現をはかり、消滅した街並みの復元と歴史資料としての保存を試みた。
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