ほ ん ざ い け 本在家 ★ R381 R56 窪川 土佐 大正 先 月号でご紹介し た柳瀬地区の北 隣に位置する本在家 地区。本在家の地名表 記 も、柳 瀬 と 同 じ く 帯 こにお城があっ た。本 在 家 城︵別 名・野口城︶であ る。と い っ て も 山 城で、天守閣など があったわけで は な い。山 頂 か ら 点となっていることから、村の中心 開けた地形と周辺地区への交通の起 里村の中でも中央に位置し、比較的 七里村となった地区である。当時、七 ここも明治9 年の7 村合併により 同じく、初めは一条氏を主とし、一条 東氏は仁井田五人衆の他の武将と これを築いた。 人衆といわれる武将の一人﹁東氏﹂が 果 た す た め の も の で あ る。仁 井 田 五 敵の情勢をうかがうといった役割を 点検・観察したり、いざ戦となれば 人が暮らしてい ﹁七里乙﹂で、現在 世 的 役 割 を 果 た し た。現 在 の 本 在 家 地 氏滅亡後、長宗我部氏の支配下にな 支配地の様子を 区は、戦国時代末期までは﹁野口村﹂ るのであるが、四代目当主丹後守宗 る。 と 称 し て い た。長 宗 我 部 氏 に よ る 支 隆は、一条氏を滅ぼした長宗我部元 の呼称の一つである。 ﹁賦課管理対象 る荘園などの公領地の課税対象地域 そもそも﹁在家﹂とは、中世におけ とした。 とされている﹁清音︵恩︶寺﹂がある。 また、東谷山の麓に東氏の菩提寺 れて大切に祀られている。 今も地区の人から﹁丹後さん﹂と呼ば 田 地 区 へ 向 か う 山 道 の 途 中 に あ り、 討 ち 取 ら れ て し ま う。そ の 墓 が 仁 井 たんごのかみむね 配期に、野口村と周辺8村︵影山・柳 としての耕地を考える時に、そこに 廃仏毀釈政策の影響もあり老朽化が たか 瀬・西松・越行・小野川・中村勝賀野・ 親を恨み、元親討伐を図るが失敗し、 住む農民の構成人数もプラス要素と 著しかったが、地区出身の篤志家に ≦ 1.0 ≦10.0 測定範囲以下 −8 川ノ内・川津野︶をまとめて﹁本在家﹂ して重要視していた地域﹂という意 よって改築され現在に至っていると 0.150 アニオン活性剤 8,668 まつ 味がある。つまり、耕地だけでなく、 ぼだいじ そこには﹁人もいる=家も在る﹂とい いう。 30 −19 今も大切にされている丹後さん うことである。したがって、本在家や 新在家などの地名は全国にある。 はじめは﹁本在家﹂という地名はエ リアを指す名であったのだが、山内 氏が入国してから正式に﹁村﹂として 再編成され﹁本在家村﹂となった。 ひがしだに さて、現在の本在家地区の北側に 0.600 20 19 −17 18,446 ●編集・発行/四万十町企画課 ●取材・印刷/窪川印刷 〒786-8501 高知県高岡郡四万十町琴平町16-17 ☎(0880)22-3124 Vol.106(毎月10日発行) ≦ 5.0 測定範囲以下 10 19 9,757 計 世帯数 2015.1月号 ≦ 0.5 11 11 女 町のうごき 出生 化学的酸素消費量 ● 四万十町ホームページアドレス http://www.town.shimanto.lg.jp/ ● 硝 酸 4 計 アンモニウム 女 男 調査:大正(吾川) 資料:四万十高校自然環境部 ※広報『四万十町通信』はホームページでも、ご覧いただけます。(pdfファイル) 0.152 10 四万十川の 転出 9 適正値(mg/l) 12月10日 転入 8 −2 (11月中の届出) ≦ 5.0 水質状況 リン酸 死亡 7 8,689 男 25 ﹁東谷山﹂という小高い山があり、こ 清音寺にある五輪塔の石は 本州産のものではないかと いわれている 前月比 (11月30日) 人口 51 至 高知市 R439 十川 至 黒潮町
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