墜ちた話 長いこと山をやっていると「墜ちた」経験は沢山ある、良く今まで生きてこられたものだ 「穂高コブ尾根」 :私が名菱会山岳部で最初に参加した本格的登山は春の「岳沢合宿」である 先輩と「コブ尾根」アタックに出かけた、コブ尾根自体は難しいとは思わなかったが、コブを先輩が リードで登るとき、肩がらみで確保をしていた私は後続パーティから「確保の仕方が違う!」と指摘 を受けてしまった、出す方のザイルを脇の下にしないといけないが、これが肩の方であった、トップ に墜ちられるとザイルが外れてしまう、無知で恥ずかしい思いをしたが、二度と間違えまいと思った。 コブの頭から天狗のコルまでは日本アルプスでも一番難しいと言う縦走路、氷と岩のミックスだ!そ のロバの耳辺りの通過で私は足を滑らせてしまったのだ、両足は宙ブラの状態で咄嗟に岩角に飛びつ いた。墜ちまではしなかったが、ここで墜ちていたら 20 歳そこそこで飛騨側の谷底に屍をさらすこ とになっていただろう。アイゼンワークは確実に・斜面にフラットに置こう! 「滝谷そして西穂へ」 :やはりGWの頃、H先輩、Iさんと3名で「滝谷下部から第3尾根登攀-奥 穂-西穂縦走」の山行に出かけた、行く前に一部の部員から「まだ未熟だ!」と言われたが「なにく そ!」の思いであった。 デブリで埋まった滝谷出合「雄滝・雌滝」を登り、落石やなだれを避けるため第四尾根のスノーコル でビバークをし、第三尾根を落石に悩まされながら登り、白出のコルで第2日目のツエルトを張った。 奥穂から西穂の縦走は危険箇所の連続だが(多分)ザイルも出さず通過した。そして西穂の頂上で3 名での健闘を称え握手をした、後は真下に見える岳沢そして上高地へ下りるだけである。頂上南側の コルから谷を降り出した、 最初は歩いて降りたが、面倒になり尻セードを始めた、時は午後2時過ぎ、 晴天続きで雪はすっかり腐っていた・・・、尻セードの周りの雪が崩れ始めた、そして私達の前方に ザイルを結び下降するパーティがいた、Iさん・H先輩は初期の段階で脱出できたが、私はそのパー ティの中に突っ込んでしまった。蒼い空と白い雪が走馬灯のように変わり、口の中に否応なしに雪が 入った、そして赤い血が飛ぶのが見えた。数百米は落ちたろう、止まったときは下半身重い雪の中に 埋まり、幸い頭は出ていた。岳沢でキャンプを張っていたパーティがスコップを持って飛んで来た。 その後、全身打撲で痛い身体を引きずって歩いた上高地の道の惨めな気分は忘れない。 このパーティは同じ会社の神戸の仲間であった。それ以来、神電のTさんには頭が上がらない。 そして「山は最後まで気を抜くな!」と言うことを、身をもって覚えることになった。 「剣岳・八つ峰・剣尾根」 :現役バリバリの頃である、W君と八つ峰6峰Dフエースを登り八つ峰を 縦走、三の窓をベースにしてチンネや剣尾根を登る計画を立てた。数日分の食料や装備を持っている のでザックはパンパンである。 「富山大ルート」の1ピッチ目、私がトップである。取り付いてしば らくして左にトラバスするところがあるが、上はカブリ気味で難しい、 先行パーティも苦心していた、 私の番でしばらく躊躇したが「エイ・ままよ!」と足を踏み出したとたん、墜ちた・・・幸いランニ ングは取っていたのと、W君がうまく止めてくれたので、宙ブラで止まった。W君に「替わるか?」 と聞いたら首を縦に振ってくれない、仕方なくもう一度登り返し、墜ちたところからその上にハーケ ンが連打されているルートを腕力で登った、口はカラカラであった。 三の窓にツエルトを張り、最初はチンネ左稜線を登ったが快適であった、その翌日「剣尾根」に出か 1 けた、池の谷を降り、剣尾根の末端から登った、快適に登り、剣尾根の門のようなドームが目前にそ びえていた。なんでもなさそうな尾根を登っていて、私は墜ちた!!ザイルは着けていた、この時の 様子は良く分からない、何でも一抱えもありそうな岩が剥げて落ちたそうである。相棒に「どうし た・・・」 「何があった・・・」 「ここはどこか・・・」と同じことを聞いたようである、相棒は私の 頬をたたき「下りよう」といった。そしての登ってきたルートをすごすごと下りた。 相棒のW君はこの山行の少し前に救急法の講習会を受けたばかりで、その時の私は「ショックの症状」 そのものであったそうだ。 落とした落石の音は同じ時期「剣尾根奥壁」を登っていたH先輩たちの耳にも聞こえたと聞く! 簡単そうな所でもホールドは必ず確認せねばならない、そして引くのは禁物である。 「フリークライムで墜ちたこと」 :ホンチャンは絶対に墜ちてはならない、がフリークライミングは 墜ちるのは当たり前である、自分の限界に挑んでいるから 1)自宅から1時間もしないところに「瑞浪・屏風山」と言う岩場がある、ここの看板ルートは「ア ダム」 「イブ」に代表されるシン・クラックルートである、特にイブは環境が良く、上にアンカーボ ルトもありトライするには手ごろである(グレート 11.c) 、ここを、ザイルを固定しユマールを使い よく練習をした。 あるときの土曜日やはりここを登った、いつも墜ちる上部の核心でやはりダメになった、ここでユマ ールが効き宙ブラになるはず・・・であったが、墜ちたのである(何かの拍子でユマールのロックを 忘れていたのだ) 「墜ちる・・・」と思いザイルを両手で握った、地面に落ち、ザイルの終端に錘と して付けていた岩塊に思い切り額を打った、額は裂け血まみれである、そしてザイルを握っていた両 手は皮が剥けて肉が見えている。近くにいたパーティが駆けつけ手当てをしてくれ、装備を回収して くれた。 「病院まで送ろうか?」との言葉を断り運転をして家内の勤め先まで行った、運転もハンド ルがまともに握れず指先だけでハンドルを持った、勤め先の表にある公衆電話で家内を呼び出したが、 すぐ飛んで来た、そして病院の手配をしてくれた。家内の顔を見たら気が遠くなった。 額は十数針縫ったが先生が上手く現在傷跡は分からない、しかし両手は皮が出来るまで随分と掛かっ たし今も上手く皮が出来なかったところは盛り上がっている。 ユマールのセットとか懸垂下降のセットは絶対再確認をしないといけない 2)静岡に勤務のHさんと豊橋の石巻山に行った、最初は「冬虫夏草」などの簡単なルートから次第 に左手のルートに移動した、私がトップで「森ルート」(10.c)に登った、正面はきれいな壁であっ たが、なぜか左手の凹角にルートを求めた、ここで落ちた!凹角の間の岩が抜けたのである、 フリークライムなので当然止めてくれたが、下の段になっているテラスに左足が当り痛めてしまった。 それからは折角、静岡から来ていただいたHさんのため「確保マン」に徹したが、足は痛かった。 実はこの少し後にヒマラヤに行く計画があり、これで「オジャンか!」と思った。 この時も家内に叱られたが、整形外科などに通い、なんとかヒマラヤには間に合った。 岩登りで一見簡単そうな所は落とし穴があるゾ! 2
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