オドロキの勲章 川島 千弘 毎年 2 回春秋に叙勲の受賞者が発表されます。平成22年春は4月29日の新聞に私の名があ りました。瑞宝双光章という勲章でした。 勲章とは私にとって遠い遠い存在でした。子供の頃には童謡で「勲章つけて剣さげてお馬に乗 ってハイドウドウ」を歌い、小説ではモーパッサンの「勲章」というのが記憶にあっただけでした。 オドロキはある時突然に起きるものです。たしか3月下旬でしたが、勲章授与の内示連絡があり、 4月29日発表日までは秘守義務があること、諾否の返事は明日までに決めること、拒否の場合は 理由書が必要との説明でした。呆然とし、軍人でも公務員でもない民間人が何故?自分が?何の 理由で?と、疑問が頭の中を駆け巡りました。 どちらかといえば役所に対して盾突く事の多い半生だった私には、起こりえない事が起きたと いうことで、唖然たる思いと釈然としなくてはという思いが交錯しました。翌日「お受けします」の返 事をしてから勲章についての俄か勉強が始まりました。後から分かったことは横須賀市薬剤師会、 神奈川県薬剤師会の推薦により、学校薬剤師活動が授章理由でした。大変名誉なことで大きな 喜びを素直に噛み締めさせて頂きました。思い起こせば当初ボランテイアで始まった学校薬剤師 の仕事は、時を重ねて50年を越え2年前本誌に寄稿した内容が全てです。 さて返事はしたものの、勲章はセレモニーが付き物で、これが一番の気懸かりでした。5月11 日(火)国立大劇場で伝達式、続いて皇居に参内し天皇陛下との拝謁があるとの事、服装は略式 礼服、背広でも良いとのことで気楽に考えていました。配偶者ということで家内は早ばやとドレスを 注文したらしく代金請求が私の預金口座引き落としの形で手元に届き、何気なく見た金額に唖然 とし続いて慄然としました。今更ながら事後承認です。 私の服装は背広でよいと思っていましたが、そうは行かなくなりました。発表後には忠告がいろ いろあり、天皇がモーニング着用で客人が背広とはないだろうということでモーニングの借り着を 急いでホテルに注文。又、伝達式の日までは車の事故などで授与取消も有りうるので、事実上車 のハンドルは握れなくなりました。勲章とはこれほど窮屈なものとは知りませんでした。 オドロキは続くものだと云います。高橋学薬会長からの突然の電話がそれでした。発表の日ま であと3日という時、深刻な顔つきを想像させる低い声で高橋会長は続けます。川島に関する訴 訟の問い合わせが栃木県から入っているというのです。藪から棒の話しに私の顔も一瞬こわばる のを感じました。思い当たることは私の本籍地が栃木県であること、禁を破って授章予定であるこ とを説明しました。間もなく宇都宮市の下野新聞の記者から電話取材があり、一件は落着しました。 ジュショウをソショウと聞き違えた結果でした。 オドロキはまだ続きます。伝達式当日、それまで晴天続きであったのに5月11日は雨に変り、 やはり私は雨男よと身を占いながらJR横須賀駅に着いてみると人身事故。電車は遅れに遅れて1 時間半ロスしたので、急遽予定変更してモーニング着用は国立大劇場食堂の片隅で、人の視線 をチラチラ浴びながらの着替え作業でした。 ようやく間に合った伝達式は芸大生の演奏する祝典の琴の音が特に印象的でした。この日は 文部科学省関係の受章者4百数十名とその配偶者でほぼ満席でした。式の終了後、勲章を胸に 着用した授章者は配偶者と共に30台のバスに分乗していよいよ皇居参内へと向かいます。お堀 端を進むバスは二重橋、桜田門を左に見ながら通過し坂下門から宮城内に入りました。右に左に カーブしながら、又スピードも上げ下げしながら到着した所は豊明殿でした。見慣れない皇居の 景観や、見事に手入れの行き届いた松の木々に見とれているうちに、現在の自分が外国人で日 本国を訪れているという不思議な錯覚に囚われました。 豊明殿は約200坪の大広間で天井高く、木質系の妙なる香りの漂う空間で、豊幡雲がたなびく ように織り上げたつづれ織の織物が壁面を引き立て圧倒していました。床は手織りの段通とか、 毛足の深い絨緞は貧しき私にとっては不安定で、はき慣れた靴でもふらついていました。 謁見のために、この大広間は受賞者と配偶者で満たされ、立ったままで待つことしばし。周囲を 見渡すと全国から集まった人たちの中には90才をとうに越し病弱と思われる人、胸に奥様の写真 を掲げる人、一生を奉仕で刻んだような顔の婦人、様々な経歴の人々を想像させてくれました。 カラカラカラと音をたてて大きな引き戸が開き天皇陛下のお出ましです。天皇のご挨拶は5メー トル程の距離でしたが、良いお声で病気を感じさせず健康的でした。拝謁は受章者集団と配偶 者集団間の数メートルの間隙を会釈されながらジグザグに縫うようにお歩きになりました。玄関の 大きいシャンデリアの下でバス1台分づつ集団記念写真を撮り終え、朝から続いた日程を終了し、 東京駅まではバスが送ってくれて解散となりました。全国から集まった一期一会の勲友?とのお 別れは、「お疲れ様でした」の互いの挨拶に実感がこもっていました。 今回、計らずも光栄ある叙勲を受け、稀有で貴重な体験を家内共々させて頂きました。ひとえ に薬剤師会の米山会長はじめ会員皆々様のおかげと感謝いたしております。祝賀会に於いても 本当にお世話になり、素晴らしい記念品まで頂戴し誠に有難うございました。心から厚く御礼申し あげます。 私、来年は八十路にさしかかり、「疎まれ」が深まる年齢です。声かけられると人一倍嬉しく思う 昨今です。今後ともよろしくお付き合いの程お願いいたします。
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