ポールコールマン来社しました。 ▼ 1954年11月28日 イギリス、マンチェスターに生まれる。 ▼1993年-1994年 米国サンフランシスコにて、当時複数存在しながらお互いに 交流の無かった環境NGOグループ、人権NGOグループの統合活 動に専念する。Global People`s Assemblyの前身を組織。 ▼1972年10月 ▼1994年-1995年 イギリス商船のコックとして和歌山に寄航、3ヶ月の滞在中 平和のメッセージと共に1本の木を植える為に、当時紛争中 に広島原爆ドームを訪れる。 のボスニアの首都サラエボに向けて、サンフランシスコより 歩き始める。1本の木の植林は、95年4月22日、`地球の日`25 周年記念日に無事、サラエボにて達成される。 ▼1978年-1988年 ▼1994年7月 - 1997年4月 英国王室とも深く交流のあるカナダ在住英国婦人の運転手と イラスト入りの2つのおとぎ話「The Magic Pump House」と して10年間勤務する。 「The Kingfisher and the tiki」を完成させる。 Onesongを共同発足。Onesongは1995年に評価を受け認められ た「Endorfun」というCD ROMのゲームを公開。 ▼1988年 アイスランド自転車一人旅に出掛け、その大自然に心打た れ、自然環境保護活動に人生を捧げることを決意。 ▼1997年5月31日 - 1997年7月2日 サンフランシスコからニューヨークで開催される国連の地球 サミット+5会議への旅を行う。 ▼1989年 スコット・バリーとともにドキュメンタリーのシーンを撮影 アマゾン川流域の自然環境調査の為に探検隊を結成し、アマ し、スピーチとインタビューを行った。 ゾン川上流より、700kmのいかだ下りをする。 ▼1997年7月 - 1997年10月 カリフォルニアのブナの木の下で寝泊りし、昼間はサラエボ への徒歩の旅についての本の第一章を書く。 ▼1997年11月 - 1998年3月世界的な民主主義慈善事業 NGO法 人 One World Trustの代表として英国中で講演をおこなう。 このホームページを作成。 ▼1990年-1992年 2年後に開催予定であったブラジル、リオの地球サミットに向 ▼1998年-1999年 けて、カナダ、トロントより、15000kmの徒歩、植林活動を 英国内6000kmの徒歩を行う。その結果、サラエボの紛争で 開始する。 亡くなられた1601人の子供達の為に、2000本の木が植えられ る。 ▼1992年 第一回地球サミットに参加。カナダよりの2年間の徒歩、植 林活動が大きく評価される。 ▼1993年 人々よりアースウォーカ-と呼ばれる。国連認定NGOの‘We the Peoples Initiative` の平和大使となる。20世紀の戦争 で亡くなられた全ての犠牲者の為に、1億本の木を植える事 を決意。英国より中国に向けて徒歩、植林活動を始める。11 月2日、ロンドン郊外のミレニアム教会(The Millennium Chapel of Peace and forgiveness)で植林後、中国へ向けて スタート。 ▼1999年5月 - 2000年10月 ▼2005年6月~8月 第二次世界大戦中に沖縄で亡くなった23万人の方と同じ数の One World Trustの代表として英国中で講演をおこなう。 タヒチからゲスト講演者としてピースボートに乗り、5月17日 木を植えるため、沖縄本島を徒歩で一周し、植樹活動を実 に横浜港に到着。5月19日には、コールマンの半生を描いた 施。合計3000本以上の木が植えられ、活動に賛同した糸満市 が今後3年間で1万本の植樹を行うことを発表した。 「木を植える男 ポール・コールマン 4万2000キロ徒歩の 旅」(菊池木乃実著)が角川書店より出版された。 5月31 日、愛・地球博で「地球を愛する100人」の一人として講演を ▼2005年11月 行い、愛・地球博でSONYが製作した世界最大のスクリーン CDアルバム「The Real Cool Kingdom」をリリース。 (縦10メートル、横50メートル=フットボールフィールドの 第2回ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル(於: 半分の大きさ)の披露試写フィルムのナレーションを行っ 文京シビックホール)や第1回アース・ピース・フェスティバ た。 ル(於:池上本門寺)などで講演。その他、静岡、東京、和 歌山など9ヶ所で講演・植樹を行った。 現時点迄の徒歩訪問国:37の国と地域、徒歩累計距 離:約43000km。 植えた木の数:600万本+∞ ▼2002年8月 英国より欧州を経て、中東ヨルダンに到着。ここより飛行機 で移動して、南アフリカ、ヨハネスブルグにて開催の第二回 地球サミット(WSSD)に参加。オープニングセレモニーで英国 ブレア首相他、各国大臣と植林を行う。 ▼2002年9月 ケープタウン、ロビン島、ネルソン マンデラ氏の独房より、 中国に向けての徒歩、植林活動を再開。 ▼2003年12月 ザンビアの首都、ルサカよりグレートイースト道を東に向 かって250キロまで徒歩終了。 ザンビアの首都、ルサカよりグレートイースト道を東に向 かって250キロまで徒歩終了。 ▼2004年4月 昨年はダライ・ラマ氏が受賞したHeart of Humanity賞を受 賞。南アフリカ共和国のプレトリアにて受賞式が行われる。 当時の南アフリカ森林大臣ロニー・カーチス氏が授与式を行 ▼2004年6月~12月 2004年6月21日、「世界平和と祈りの日」に参加した後、富士 山のふもと朝霧高原より広島、長崎に向けて歩き始めた。8 月6日に予定通り広島平和祈念公園に到着、その後11月14日 に長崎平和講演に到着した。この活動で日本各地に78本の木 が植えられ、計30回以上の講演会が行われた。 彼の活動は、世界各国の首相、大臣、政府高官などから多大 なる支援を得ている。
© Copyright 2024 Paperzz